百年前の書籍「流行性感冒」と、現代に生かすべき教訓

当ウェブサイトでは武漢コロナウィルスSARS-CoV-2蔓延を巡り、「その道の専門家」の皆さまから、非常に冷静で秀逸な論考の数々をご投稿いただいて来ました。こうしたなか、本日は読者投稿には初登場の投稿を掲載したいと思います。整形外科を専門とされる「ポプラン」様というハンドルネームの医師の方から、日々のコロナ感染の脅威にさらされるなか、戦前に内務省が刊行した『流行性感冒』という書籍(の復刻版)を読み込み、その教訓について述べるという、大変な力作です。

読者投稿について

昨年の『お知らせ:読者投稿を常設化します』でもお知らせしたとおり、当ウェブサイトでは読者投稿を歓迎しております。投稿要領や過去の読者投稿一覧につきましては『読者投稿要領と過去の読者投稿一覧(コロナ騒動等)』にまとめておりますので、ぜひ、ご参照ください。

この「読者投稿」としては、「韓国在住日本人」様というコメント主様からご投稿いただく「在韓日本人が見た」という大人気シリーズに加え、例の武漢コロナウィルスSARS-CoV-2の蔓延を受けて、最近はコロナウィルスに関連する記事が増えています(これらについては本稿末尾に紹介します)。

こうしたなか、本日は初登場の「ポプラン」様というハンドルネームのコメント主様から、大変な力作をご投稿いただきました。プロフィールによるとポプラン様は現在50代で、医科大学をご卒業後、整形外科を専門にされているそうです(※もう少し具体的な情報もありましたが、割愛します)。

ポプラン様によると、勤務先の病院でコロナの患者も増えて来ており、日々、感染の脅威にさらされているそうです。その意味で、感染リスクにさらされながら、日々、職務に従事される医療関係者の方々には、日本国民の1人として、心の底から感謝を申し上げたいと思います。

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

ただし、本稿は現在問題となっている武漢コロナに関するものではありません。

今から「内務省衛生局」が編著した『流行性感冒』という書籍(の復刻版)を読み込み、「100年前の教訓をどう現代に生かすか」、という問題意識から執筆されたものです。はたしてどのようなことが書かれているのでしょうか?

(※以下がポプラン様の投稿です。なお、投稿内容については、大意を変えない範囲でかなり手を加えているほか、一部、表現を割愛している箇所等もあります。ポプラン様、不足点等があればコメント欄にて補足してください。)

流行性感冒の教訓

流行性感冒(内務省衛生局編)を読む

細菌学が進歩してウイルスがまだ発見されていない時代、感染症学の権威であるドイツやフランスに留学した明治から大正の日本人は、当時の最先端知識を東アジアに持ち込みました(ノーベル賞の受賞者と共同研究していたのに当時のノーベル賞の基準で受賞できなかった北里柴三郎のも、そのひとりです)。

こうしたなか、『内務省衛生局編 流行性感冒』(以下『流行性感冒』)という書籍は、「内務省衛生局編」とあり、具体的な著者は明らかにされていませんが、おそらくこうした日本人たちやその弟子が分担して書いたものだと思われます。

ところで、この書籍は現在、アマゾンで検索すると、4,400円という値段でオンデマンド購入が可能です。

というのも、国立仙台医療センターウイルスセンター長の西村秀一先生が古書店で見つけた原本を東洋文庫で復刻してくださったからであり、古記録が残っているありがたみを感じた次第です。

そして、この書籍には、現代から歴史好きや探偵の目で見直してみると興味深い点がいくつかあるのです。

インフルエンザパンデミックについて

現代の私たちは、スペイン風邪の経験から、流行が何度も繰り返されることも知っていますし、そもそも病因がウイルスであることも知っています。

私たちはまた、4週間を超える長期の航海や移動は、インフルエンザの伝播には阻害因子となることを知っています。なぜなら、現在の検疫の基準にもあるとおり、ウイルスの潜伏期間は最大10日間、ウイルス排出には症状が出る少し前から感染後2週間までの期間といわれているからです。

したがって、こうした知識を持っている私たちは、過去の事例を分析するにあたっては、「究極の後出しジャンケン」をしていることになります。『流行性感冒』を読むに当たっては、こうした「後出しジャンケン」に注意しながら、その時代の貿易や植民地との関係なども含めて総合的に考えていく必要があります。

『流行性感冒』の目次は

  • 第1章 海外諸国における既往の流行概況
  • 第2章 我邦における既往の流行概況

です。

紙と墨、漢文という文化を中国から輸入していたためか、日本の疾病の記録は古くから残っていますが、ただ、病原の特定等が不可能な時代の疾病については、咳や熱や疾患の伝播の形態から想像するしかありません。

ただ、呼吸器感染症の場合、一度流行すると老幼貴賤の別なく、土地の遠近を問わず迅速に蔓延するという特徴があります。これは、通常の肺炎や結核とは明らかに異なりますし、また特徴的な皮疹や熱型が記載されていれば、麻疹や天然痘の可能性を除外することも可能です。

この『流行性感冒』、日本については第2章で古記録から流行の概況を記述しています(ちなみにその最初の記録は、貞観4年(西暦862年)の『三代実録』にある、「自去冬末京城及畿内外多患咳逆死者多数甚衆」という記述です)。

一方、インフルエンザのパンデミックを扱うのであれば、世界の流行記録とも比較するのが必要なのですが、この点については『流行性感冒』でも、第1章の『国際流行年表』で国内流行との比較ができるよう記載されているのです。

過去6回のパンデミック

ここで、『流行性感冒』からパンデミックと思われる流行を抜粋してみましょう。

(1)第1回パンデミック ロシアからヨーロッパ(1729年)
  • 1729年…ロシアから始まる
  • 1729年から1730年…ロシア、スェーデン、ポーランド、ドイツ、オーストリア、ハンガリー、イギリス、スイス、イタリア、フランス(享保15年・日本全国流行)
  • 1732年から1733年…10月北米、11月ロシア、12月スイス、スコットランド、1月イングランド、2月イタリア、スペイン、4月マヨルカ、ドイツ、フランス(享保18年・日本全国流行)

この第1回パンデミックについて、『流行性感冒』には、次のような記載があります。

カタル性疾患が現れドイツ、スウェーデン、オランダ、フランス、イタリア、スペインに至り新大陸に及ぶ四年間連続して病勢猛烈」「流行2か月前エジンバラでは馬も鼻カタルに罹患した。

馬のインフルエンザは犬しか感染しない別のウイルスですが、インフルエンザウィルス属に何か変異が起きることがあったのでしょうか。

この流行はロシアから始まって北米、ヨーロッパ全域で流行しているため、パンデミックが濃厚に疑われます。

ちなみに日本は火葬なので死者の肺からのウイルス採取は不可能ですが、ロシアの永久凍土層内に埋葬された死体なら、スペイン風邪のようにウイルス採取は可能でしょう。

逆にいえば、地球温暖化で凍土層内の死体が解凍されると、過去の遺物のような疾病が復活することもあり得ますし、とくに天然痘復活なんて悪夢です。

また、もしこれがパンデミックとすると、バルチック地方から始まった1742年から1745年の3年間のヨーロッパ流行(日本流行は延享元年=1744年)は、その後の小流行かもしれません。

(2)第2回パンデミック 1781年(天明元年)
  • 1781年春…北米、中国、インド、西シベリア、ロシアで流行していた記録あり
  • 1782年1月…ロシアで急激に悪性に変化して4万人が感染しヨーロッパ全土へ イギリスでは人口の5分の4が罹患した
  • 1784年(天明4年)日本では谷風と呼ばれた

ちなみにこの流行が日本で「谷風」と呼ばれているのは、谷風(のちの横綱)が連勝していた時期に、「土俵上でわしを倒すことはできない。倒れているところを見たいなら、わしが風邪に罹ったときに来い。」と言っていた本人が罹ったというエピソードにちなんでいるのだそうです。

(3)1829年 第3回パンデミック
  • 1829年…中国から始まる
  • 1830年…中国よりインドネシア、10月にはロシアへ
  • 1831年春…ロシアからドイツ、オーストリア、デンマーク、ベルギー、フランス、イギリス、スイス、イタリア
  • 1832年(天保3年)…琉球風邪:9月下旬に西日本から始まり11月下旬には東北に至る/スペイン、北米、西インド、中近東
  • 1833年…1月 ロシアで再度東から西へ流行
  • 1834年…ドイツ
  • 1836年…イギリス、デンマーク、オーストラリア、南アフリカ、インド/12月 ロシアから西南に向かう
  • 1837年…スェーデン、デンマーク、フランス、イギリス、オランダ、ベルギー、スイス、イタリア、スペイン、ポルトガル
(4)第4回パンデミック(1847年)
  • 1847年…ロシア、ドイツ、トルコ、スイス、イタリア、フランス、ベルギー、スペイン、デンマーク、北アフリカ、西インド諸島
  • 1850年~1851年…後流行
  • 1854年(安政元年)…ペリー来航のためアメリカ風邪と呼ばれる。
  • 1855年 世界各部
  • 1857年~1858年…東西半球
(5)第5回パンデミック(1889年)
  • 2月…西シベリアに始まる
  • 10月上旬…コーカサス
  • 10月中旬…トムスク、プスコフ、セバストポリ
  • 11月中旬…クラクフ、ワルシャワ、ベルリン、ブレスラウ、ライプチヒ
  • 12月上旬…パリ、ストックホルム、コペンハーゲン、ウィーン、ハンブルグ、ミュンヘン
  • 12月中旬…ロンドン、全イングランド、スコットランド、ブリュッセル、ニューヨークから北米全土
  • 12月下旬…イタリア、ポルトガル、ボヘミア、アイルランド、アデン、コンスタンチノープル
  • 1890年1月中旬…ペルシア
  • 2月…香港
  • 3月…南米、インド
  • 4月…日本
(6)第6回パンデミック(1918年・スペイン風邪)
  • 3月…中国
  • 4月・5月…台湾、日本海軍内
  • 5月…スペイン・マドリード
  • 7月…ロンドン、以降全世界へ(1921年終息)

インフルエンザパンデミックの発生原因と経路

さて、次にインフルエンザパンデミックを考えるうえで重要な、パンデミックの発生原因と経路を考えてみましょう。

ジャレド・ダイアモンドは著書『銃・病原菌・鉄』のなかで、「家畜化された動物からの恐ろしい贈り物」として、人間の病気に最も近い病原体を持つ家畜をそれぞれ指摘しています。

  • 麻疹…牛の牛痘
  • 結核…牛
  • 天然痘…牛痘または天然痘ウイルスを持つ他の家畜
  • インフルエンザ…豚、アヒル
  • 百日咳…豚、犬
  • 熱帯熱マラリア…鶏とアヒル

ジャレド・ダイヤモンドはまた、同著のなかで、飼育された動植物とその最古の時代やエリアについて、次のように述べています。

  • 中国で米と雑穀、豚と蚕が紀元前7500年までには飼育栽培化された
  • アヒルはマガモの家禽化により生じた品種で、野生のマガモの飼育は、中国北部で4000年前に始まっていた
  • ブタはイノシシの家畜化により生じてたものであり、ブタの飼育はユーラシア大陸の東西で行われており、中国では新石器時代(長江中流域の彭頭山文化の発祥は紀元前8千年、稲籾が見つかった玉蟾岩遺跡は紀元前1万4000年)からブタは家畜化されていた
  • 満州民族の先祖である挹婁人、勿吉人、靺鞨人は寒冷な満州の森林地帯に住んでいるので、ブタを盛んに飼育していた

古くから豚と家禽と混住していたのは中国であることになります。ただ流行の始まりが中国だとすると、庶民に拡がる疾病の細かい記録を期待できません。というのも、中国の歴史書は王朝が改まってから書かれることが多いからです。

また、民間記録に関しても、あまり期待できません。というのも、中国では記録を残せそうなインテリや素封家が、辛亥革命や国共内戦、文化大革命などを通じて弾圧・抹殺されてきたからです。

(※これが日本の場合だと、紙と墨による記録が地方の名家の土蔵に残っていることが多く、いまでもこうした地方の土蔵の記録によって、歴史の定説が塗り替えられる、ということが頻繁に発生しています。)

というよりも、そもそもインフルエンザの歴史調査では、中国はまったく当てになりません。

儒教思想では、流行病が広がると、飢饉と同様に「君主の不徳」が原因とされます。このため、たとえ同時代人であっても、公言するのには勇気が必要だからです(※ちなみに現在でも、漢方の傷寒論や唐代明代の政治論関係の書籍を日本で探しているような国でもあります)。

昔の感染症の伝播速度

したがって、「震源地」である中国の様子をうかがうためには、周囲の国の流行状況、あるいは当時の外交官や武官による中国駐在記録を辿るしかありません。この点、病原体はヒトやモノに伴って移動伝播するでしょうから、ここでは中国の貿易を考えてみるのが良さそうです。

対欧州交易路は、シルクロードで有名な「草原の道」「オアシスの道」「海の道」です。

北方シベリヤ・ロシア経由、西方シルクロード経由、南方東南アジア経由ですね。

オアシスの道は、隊商での移動。

草原の道は遊牧民の部族単位での移動。

病原体も当然移動可能です。

速度は、13世紀元朝のマルコポーロの旅では大都=北京(1266年)からヴェネツィア(1269年または1270年)まで約3~4年、ヴェネツィア(1271年)から上都=張家口まで3年半かかっています。

感染しないで菌のまま移動できる細菌と異なり、ウイルスの場合、人などの生体に寄生し感染した状態でしか移動できません。

また一人の人間が同じウイルスにもう一度感染するのは稀なので、各宿営地やオアシス都市で感染を起こしながら、複数の隊商や部族が同一方向に時間差をつけて移動しないとウイルスの移動は困難です。宿営地の間隔があいてしまえば感染者が居なくなってしまう可能性もあるからです。

後述する「海の道」については、マルコポーロの復路で3年かかっているのが参考になります。

マルコポーロの復路
  • 泉州(1292年)→シンガポール→スマトラ→セイロン→インド南岸→マラバール→アラビア海→ホルムズ(1294年)→トラブゾン→ベネツィア(1295年)

また15世紀鄭和の大航海でも、次のとおり、ずいぶんと時間がかかっていることがわかります。

鄭和の大航海(15世紀)
  • 蘇州(1405年12月)→コーリコード(1407年初)→帰国(1407年9月)
  • 蘇州(1407年12月)→コーリコード→帰国(1409年夏)
  • 蘇州(1409年12月)→コーリコード→帰国(1411年7月)
  • 蘇州(1413年冬)→コーリコード→ホルムズ→帰国(1415年7月)
  • スマトラより別行動の分艦隊→モルディブ→モガディシオ→マリンディ→アデン→ラサ→ホルムズ→帰国(1416年夏)
  • 蘇州(1417年冬)→ホルムズ→帰国(1419年8月)
  • 分艦隊→マリンディ→アデン→帰国(1420年夏)
  • 蘇州(1421年2月)→ホルムズ→帰国(1422年8月)
  • 分艦隊→モルディブ・アフリカ・アデン→帰国(1423年)
  • 蘇州(1430年12月)→ホルムズ→分艦隊派遣メッカ→ホルムズ→帰国(1433年)

当時は帆船を使用しており、当たり前ですが、ずいぶん時間がかかります。また、当時は「コロンブス以前」であるため、梅毒はなく、鄭和が持って帰ることのできる伝染病といえば、細菌性の疾患や原虫感染のマラリアぐらいだったのではないかと思います。

また、江戸時代のオランダ貿易のデータを見ても、オランダ貿易は年に1回、貿易船がバタビアから長崎に入港してバタビアに帰港する形で行われています(オランダ船は小さな船体に250から300人乗り組んで航行しています)。

本国オランダからバタビアに至るには、「クリッパールート」(※1610年にオランダの船乗りが発見した「吠える40度」を利用するルート)を使用しても、160日から260日くらいを要したようで、ヨーロッパから日本まで荷物なら2年くらいで到着する計算です。

※ちなみに「ヨーロッパから2年くらい」というのは、当時「海禁」(民間人の海上交易を禁止する政策)を採っていた中国についても同じことがいえます。

日本へのインフルエンザ伝播経路とは?

以上より、条件の良い状況でも1~2日の生存記録しか持っていないインフルエンザウイルスが、高温多湿で紫外線の強い環境で輸送される貨物上で、感染力を保持したまま伝播できるのか疑問です。

たしかに隊商のテント内や帆船内だけで見れば、「三密(集近閉)」という環境ではありますが、そもそも「オアシスの道」、「海の道」は移動に時間がかかり過ぎるため、これらの経路を通じたインフルエンザウイルスの伝播は、かなり困難といわざるを得ません。

その証拠に、幕末に蘭方医が種痘を行うために同じウイルスである痘苗を持ちこもうとして、何度も失敗していることなどが挙げられるでしょう。

ちなみに明清時代(※)の中国では、「鄭和の遠征」を除くと、「海禁政策」といって、海賊鎮圧や密貿易防止を目的として、領民の海上利用を規制する政策がとられており、これはアヘン戦争後の1842年の南京条約まで続きます。

(※明清時代:1368年~1912年)

海禁政策(正式名称は「下海通蕃の禁」)では、海外貿易等の外洋航海だけでなく、ときには沿岸漁業や沿岸貿易(国内海運)すら規制されました(※もっとも、朝貢貿易の形で外国との交易は行われていたので、完全な鎖国ではありません)。

ちなみに、中国からのウイルスがシベリア経由で日本に侵入することは、当時の交通事情に照らしても可能でしょう。その典型例が、金沢の銭屋五兵衛も参加したといわれる「山丹交易」と呼ばれるものです。

この「山丹交易」とは、中国とロシアの境界である黒竜江(アムール川)下流のウリチ族、ニヴフ族、樺太北部のウィルタ族などの民族、さらにはアイヌを経由して行われていた、中国と松前藩との三角貿易のことで、移動・航海も短距離、短時間です。

しかし、オランダ貿易における日本へのインフルエンザの伝播経路としては、前述の理由から「オランダから直接」ということは考え辛く、可能性が高いのは中継地であるバタビアや台湾からの間接的伝播でしょう。実際の記録を見てみると、バタビアからなら1ヵ月、台湾からなら数週間で日本に到着します。

  • 医師ツュンベリーの日記によれば、1755年6月20日バタビア出港、8月14日長崎入港。
  • アメリカ船フランクリン号によれば、1799年6月16日バタビア出港、7月20日長崎入港。

この点、日中間の貿易は儲かるという事情もあり、密貿易などを含めて広く行われて来ました。

古くは元代の倭寇に始まり、朱印船貿易、室町期の堺の冒険商人たち、織豊政権期の呂宋助左衛門、さらには江戸幕府初期の長崎外町代官・初代末次平蔵に至るまで、対中国で正規、不正規のさまざまな貿易が行われています。

しかし、中国では明清期には「海禁政策」が取られていたため、こうした貿易は、台湾やフィリピン・バタビアなどの東南アジアを経由した「中継貿易」の形態で行われています。

また長崎では、在日華僑が貿易を行っていました。当初は混住だったようですが、初期の中国人が日本化する一方で、増加する新規中国人は1688年に唐人屋敷が建設され、2000人規模のエリア内で居住することになります。

中国本土と長崎間の航行日数については約1ヵ月と推定されています(※もっとも、中国船に航海日誌は残っていませんが…)。ただし、ジャンクにはアヒルや豚も生きたまま食料用に積載していたという事情もあり、インフルエンザに関しては船上での感染もあり得ます。

現在の検疫の基準(潜伏期は最大10日間、ウイルスを排出するのは、症状が出る少し前から、感染後2週間後までの期間)に照らせば、長期の航海や隊商移動はインフルエンザの伝播にはマイナスに働きます。

地域レベルでの感染拡大は、新型インフルエンザウイルスが発生するたびにあったでしょうがパンデミックには至らないことになります。

正体はロシアの東進と太平洋到達

では、なにがインフルエンザパンデミックの伝播経路になるのか、

ロシアの東進と太平洋への到達だと思います。

ロシアは長くタタールの軛といわれるモンゴル帝国とその後嗣に悩まされてきました。ヨーロッパの毛皮を供給するロシアの毛皮商人は、ウラル以西の毛皮資源が枯渇したためシベリアの毛皮資源に目を付けました。

ロシアとパンデミック
  • 1572年 ロシアのツァーリはシビルハン国侵攻を決断
  • 1578年 コサック首長イェルマーク東進開始、シビルハン国侵攻
  • 1598年 シビルハン国滅亡
  • 1636年 コサックオホーツク海に至る
  • 1640年代からロシアの露清国境地帯への調査侵入が始まる
  • 1689年 ネルチンスク条約で外興安嶺を国境線として確定する
  • 1729年 第1回パンデミック ロシア→ヨーロッパ
  • 1781年 第2回パンデミック 中国→ロシア→ヨーロッパ
  • 1829年 第3回パンデミック 中国→10月ロシア→ヨーロッパ
  • 1847年 第4回パンデミック ロシア→ヨーロッパ
  • 1889年 第5回パンデミック 2月西シベリア→ヨーロッパ

以上から、見事に「震源地は中国」、「ロシア経由でヨーロッパに至る」、という感染経路が確立したと推理されます。なお、『流行性感冒』出版当時の大日本帝国内務省はどこの国にも忖度する必要がない存在であり、少なくとも第5回パンデミックまでは、彼らは情報にバイアスをかける必要がありません。

ただ、第6回パンデミックのスペイン風邪に関しては少し異なります。

第6回パンデミック
  • 1918年3月…中国→台湾と日本海軍内
  • 5月…スペイン→ロンドン、在欧米軍→インド
  • 8月…ギリシア
  • 9月…カナダ、ホンジュラス、ポルトガル、朝鮮
  • 10月…ペルー、中国、南アフリカ、ニュージーランド、アメリカ合衆国

『流行性感冒』の記載によれば、中国で変異した新型ウイルスは、地域流行の形で、台湾と日本海軍軍艦内で発生したものの、次は日本本土ではなく、ヨーロッパに出現します。

これに対してナショナルジオグラフィックの論文『スペインかぜのパンデミック、中国起源説とその教訓』には、次のような記述があります。

1917年冬に中国の万里の長城沿いの村々で呼吸器感染症が流行し、1日あたり数十人の死者が出ていたという。地元の保健当局が「冬季流感」と呼んでいたこの病気は、1917年末には6週間で500kmも離れたところまで広がった。当初、肺ペストではないかと考えられていたが、死亡率は典型的な肺ペストよりはるかに低かった。ハンフリーズ氏は、英国の在中国公使館職員による1918年の報告書に、この病気はインフルエンザだとする記述を発見した。

この1917年冬期に中国で拡大していた疾患を内務省は『流行性感冒』で、

第一流行波は早く東方に発せしものの如し。1918年3月支那に肺炎の流行あり、鉄道沿線に拡がり、肺ペストと誤られたり。

と記載しているのですが、日時の食い違いを除けば、ナショナルジオグラフィックの記述と一致しています。

イギリスとフランスは、膠着して塹壕戦となった第一次世界大戦での決戦兵力捻出のため、後方支援部隊の人員として中国人を送り込み自軍の兵力を前線に出そうと考えます。

1917年冬から北部出身の9万に及ぶ中国人をカナダ西海岸のバンクーバーに送り、封印列車で東海岸のハリファックスまで送って大西洋を横断させます。1918年1月にはイギリスに到着してそこから大陸に送られました。

この頃は、レーニンといい封印列車が良く出てきますね。

フランス北部のノイエル=シュル=メールの中国人病院には、呼吸器疾患により数百人が死亡した記録が残っているそうです。

資料を検討すると、ロシア帝国の東方進出により中国との交渉や取引が発生して本来なら地域流行で終息していたインフルエンザが中国由来の新型インフルエンザとしてロシアに侵入しユーラシア大陸を西進し第1回から第5回の世界的流行(パンデミック)となったと思われます。

ただし、第6回目のスペイン風邪と呼ばれる流行は中国からウイルスが太平洋・大西洋を越えワープしてヨーロッパを直撃する形となりました。第1次世界大戦による中国人労働者の移動が、原因と考えられます。

パンデミックにはウイルスが活性を保ったまま移動する条件が必要で、輸送力と輸送速度が増大した現代はウィルスがパンデミックを起こすには条件がそろった時代であると考えます。

日本におけるスペインインフルエンザの被害
流行患者死者致死率
1918年8月-1919年7月2116万8398人25万7363人1.22%
1919年9月-1920年7月241万2097人12万7666人5.29%
1920年8月-1921年7月22万4178人3698人1.65%
合計2380万4673人38万8,727人1.63%

結語

いま、何でスペイン風邪なのか?

おなじ風邪のウイルスといっても、コロナとインフルエンザは違います。

しかし、「人類が経験したことのない新種のウイルスと出会い世界的に流行したときに何が起きるのか」を巡って、100年前の資料は私たちに、複数回複数年に及ぶ流行の可能性を教えてくれます。

とくに、『流行性感冒』には病理解剖所見も記載されていますから、それを読む限り、当時の死者がすべてウイルス性肺炎で亡くなったというよりは、「混合感染」で亡くなっている事例が多いように思われます。

今は細菌になら有効な抗生剤もありますので、現在に当てはめて「死者が38万人に達する状況」は、よほどの医療崩壊がない限り、あり得ません。しかし、有効なワクチンがなければ、現在でも、集団免疫が獲得されるまで流行を繰り返すことは明らかです。

いま本当に10万円バラマキや消費税引き下げをする余裕が日本にあるのか?

それはこれからの流行状況を見ないとわかりません。

ポケットには、ミルクと砂糖をいれておきながらコーヒーはブラックで飲むのが好きだ。

というのは、矢作俊彦のハードボイルドな主人公のセリフでした。(出典不明)

マスクや咳エチケットなど、100年前の日本人は現在の私たちと同じように困惑・恐怖しながら戦っていました。もし宜しければ皆さんそれぞれの立場で「流行性感冒」を御一読ください。

今たくさん売れると版元が保存して数千年後、地球外生物の感染症に苦しむ人類にも読めるかもしれません。

読後感

…。

原著が戦前の刊行でもあるなどの事情もあり、また、感染経路などについて詳しく紹介して下さっているくだりなどもあるため、ところどころ読み辛い部分もありますが、ただ、専門的な書籍に基づく議論であるため、これはある程度、当然のことです。

しかし、「100年前の資料が私たちにもたらす教訓」というものは、非常に有益です。

ちなみに、内務省は戦後、GHQにより解体されたにも関わらず、大蔵省(現・財務省)や外務省が解体されずに残ったのは、内務省が有能過ぎて、この官庁を残しておけば再び日本が米国にとっての脅威になる、という危機意識が米国側にあった、という説を聞いたことがあります。

あるいは、外務省は無能すぎ、財務省は邪悪過ぎて、それぞれ日本の国益を破壊している官庁である、という言い方をしても良いのかもしれませんが…。

なお、本稿の末尾に、「10万円のバラマキや消費税の減税をする余裕があるのか」という警告が出てきますが、この点については普段の当ウェブサイトの主張(たとえば『国債372兆円増発と消費税法廃止、そして財務省解体』など)とは真っ向から反するものでもあります。

国債372兆円増発と消費税法廃止、そして財務省解体

しかし、当ウェブサイトのスタンスとしては、「読んで下さる方々の知的好奇心を刺激する」ようなコンテンツであれば、極端な話、普段の新宿会計士の主張とまったく異なるもの・矛盾するもの・正面から反論するものであっても大歓迎ですので、この点については付言しておきたいと思います。

【参考】コロナ関連読者投稿

末尾に、コロナに関連する過去の読者投稿の一覧を掲載しておきます。

これらの執筆者は、次のとおりです。

  • ①、②、⑥、⑪は現役医師の「りょうちん」様
  • ③、④、⑧、⑩は理系研究者の「ケロお」様
  • ⑤、⑭は工学研究者の「イーシャ」様
  • ⑨は現役医師の「とある福岡市民」様
  • ⑫、⑮は元微生物関係研究室勤務者の「伊江太」様
  • ⑦、⑬は大人気『在韓日本人が見た』シリーズでも知られる「韓国在住日本人」様

これらの投稿はおしなべて冷静であり、現在読み返してみてもきわめて有益です。是非、改めてご参照賜りたいと思う次第です。

本文は以上です。

読者コメント欄はこのあとに続きます。当ウェブサイトは読者コメントも読みごたえがありますので、ぜひ、ご一読ください。なお、現在、「ランキング」に参加しています。「知的好奇心を刺激される記事だ」と思った方はランキングバナーをクリックしてください。

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読者コメント一覧

  1. ポプラン より:

    ご多忙にもかかわらず、文章の推敲をお願いしたことになり申し訳ありませんでした。すっきりした文章で読みやすいです。ありがとうございました。

    1. ポプラン より:

      仕事が終わって帰宅しました。
      ありがとうございます。
      今回の文章における事実誤認や文責は、
      わたくしポプランにありますので宜しくお願いします。

      もう一度新宿会計士様ありがとうございました・

      1. だんな より:

        ポプランさま
        お疲れ様でございました。
        そのセリフは、カッコいいですね。
        スッと出て来る所は、尊敬します。

  2. イーシャ より:

    本論の話ではないのですが、これまでと異なりタイトルに【読者投稿】がついていないことが気になりました。
    おそらく文字数による制限かと思いますが、例えば、
    【読者投稿】百年前の書籍「流行性感冒」と、生かすべき教訓
    【読者投稿】百年前の書籍「流行性感冒」と、現代への教訓
    なら、読者投稿であることがわかり易かったかと思います。

    1. 新宿会計士 より:

      イーシャ 様

      ご指摘ありがとうございます。私の単純ミスです。今気付きました。

      記事タイトルなので基本的に修正できません、申し訳ありませんがこのままで行きます。

      以後気を付けます。

  3. ボーンズ より:

    投稿いただいたポプラン様ならびに掲載していただいた新宿会計士様ありがとうございます。

    呼吸器系流行疾患の広がり方の基本は、今も昔も変わっていないが、移動速度の向上により拡散速度も早まってしまったと言う事が良く判ります。
    また感染拡大防止の基本も昔と何ら変わっていない事も。

    死なない程度に人の活動を抑え、収束の目処が立った時点で徐々に活性度を上げていく手順が現時点で良好な方法ではないかという私の考えは、ポプラン様の考えとも整合が取れているかなと思います。

    1. ポプラン より:

      ボーンズ 様
      ワクチンができると余裕ができますね。
      抗原性の変異があるとしても、全くの初回感染とは抗体産生が違うでしょうから。
      現状では献血利用して市中の抗体陽性率確認してから緊急事態宣言終了
      となりそうな気もします。

      1. ポプラン より:

        まんなっか 様
        ボーンズ 様

        (食事中ならこの先は読み飛ばしてください。)

        これは何かで読んだか、聞いた話なのか記憶がないのですがアジアでは
        人間の住居に隣り合って豚小屋、鳥小屋があって豚小屋の上には
        トイレがあって人間が排せつしたものを豚は食べる、残飯も食べる。
        そのような住居周囲の地面から出てくるミミズなど昆虫を鳥は食べる。
        そのような環境でインフルエンザは変異すると聞きました。

      2. ボーンズ より:

        ポプラン 様、まんなっか 様

        ワクチンは開発中かつウイルス変異への対応がどの程度あるのかも現時点では不明ですので、希望的観測の域を出ないと考えた方が良いかも。

        複数のウイルスを同時に感染した場合、抗原シフトによって新しい型のウイルスが誕生するのですが、鳥と豚と人間等と複数の動物が同一の生活圏にいると発生しやすいのではないかと考えております。

  4. まんなっか より:

    ポプラン様

    読ませていただきました、ありがとうございます。
    …自分の投稿との、志の高さの違いが凄いなぁ。

    人類の英知の遺産を解きほぐして説明いただけるのは、わかりやすく大変に有難かったです。

    中国が自然に対する人類の癌なのは、昔から変わらないのですね。
    彼らの文明が疾病に無力すぎるのも、公衆衛生より観念が勝るからでしょうし。

    1. ボーンズ より:

      まんなっか 様

      インフルエンザに関しては、鳥と豚、そして人の揃った環境で醸成されるといわれております。
      (その中心地が中国国内にあると…)

  5. イーシャ より:

    ポプラン 様

    有益な文献の発掘と、力作の投稿、ありがとうございます。

    読み始めた辺りでは「以前はロシア発の病気が多かったんだ」と感じましたが、やはり中国発の可能性が高いのですね。それにしても、
    > 儒教思想では、流行病が広がると、飢饉と同様に「君主の不徳」が原因とされます。
    これがある限り、中国発の病を早期に押さえ込むのは極めて難しいですね。
    中国を切り放し、隔離するような経済体制の構築に向かわざるを得ないのか。

    > いま本当に10万円バラマキや消費税引き下げをする余裕が日本にあるのか?
    この点については、直感的に70%位の確率で、そうだと感じます。
    少くとも、来年のオリンピックはないでしょうし(保険金の支払い等もからみ、誰が言い出すかは別として)、数年に渡って影響が残るであろうことを考慮すれば、サービス業を中心に淘汰が進むと思います。
    現状のまま全てを存続させることを前提とした、バラマキをする余裕はないと思います。

    一方、日本の産業を支えてきたのは、世界に通用する技術を誇る中小企業であることも事実です。
    そうした大切な企業を維持するための、経済的トリアージが必要と考えます。
    一時的な不況は避けられないでしょう。失業者も溢れるかもしれません。
    しかし、中国・韓国から産業を国内へ回帰させるには、現職を失うであろう人々は貴重な人材でもあるのです。

    1. ポプラン より:

      イーシャ 様
      日本でオリンピック開催が可能になるのは、ワクチンが国民の6から7割に行き渡らないと厳しいでしょう。最低二年は欲しいですよね。オリンピックは日本だけでなく世界が平和でないとできません。東京オリンピックは一度中止になって二度目で成功する運命なのでないでしょうか。嘉納治五郎にあたるのは森さんですかね。

      >数年に渡って影響が残るであろうことを考慮すれば、サービス業を中心に淘汰が進むと思います。

      これは医療の世界も同じで、実際患者の減少で今回発熱外来等に手伝いに出る、予防接種や学校医を引き受けてくれている開業医もかなり倒産・廃業するでしょう。コロナを見ている医療機関だけでは国民の医療は守れませんが診療報酬を上げてと言えば、欲張り村の村長さん扱いですから。開業医は減少するでしょう。
      彼らは、ほぼ金にならない仕事をノブレスオブリージュと思ってしてくれています。

  6. geturin より:

    ポプラン 様

    投稿、興味深く拝読しました。

    痘苗の持ち込みは、確か湿性環境維持で成功できたのでしたね。

    流行病の歴史と記録は、ヒポクラテスにも素問にもありますね。
    流行病・伝染病は、文明の発祥や拡大と同期していて、人類の定住→交易→都市化、文明化が寄生性微生物による感染症を流行させ伝染させたのですから、文明病といってもよいかも。

    そうすると、ロックダウンや社会的隔離は、その文明を部分的に否定すること後退させることで伝染流行を防止しようとする試みである、という意味になります。
    その成否には疑問がありますが、群れる動物たちの渡りが衛生環境をリセットして流行病を回避している営みに近いものがあります。

    他の動物の常在性・寄生性微生物が、ヒトに感染して病をなしそれが流行病・伝染病となるのは、人の文明が自然界の領域に侵入した結果、他の動物体内では常在性で非病原性であった寄生性微生物たちが「本来」の環境ではない環境に迷い込んでしまった結果だと言えそうです。
    本来の宿主ではない他種の動物=ヒトの体内に迷い込んだ微生物は、当然のこととして非常在性ですから他者として激しい排斥に遇います=炎症ですね。

    寄生性微生物には、
    ①宿主と間で常在性共生関係にある場合(最たるのはミトコンドリアや葉緑体、腸内細菌や皮膚常在菌など)
    ②常在性寄生関係にある場合(時に宿主に有用であったり、無用であったり、傷害を与えたり)
    ③非常在性寄生関係にある場合(無用であったり、有害であったり)
    などがあり得ます。

    ウイルス粒子の形態をウイルスが取るのは彼らにとっても非常時であって、宿主細胞内でウイルス核酸の形で緩やかに世代を継いでいくのが本来的な姿ではないか、という微生物学者もいます。

    インフルエンザウイルスは水鳥の、コロナウイルスはコウモリの、それぞれの宿主の腸管上皮細胞内で核酸の形で常在し世代を継ぎながら穏やかに暮らしている、という平和?な自然界の生態系を、人の文明が浸食撹乱した結果、文明側は流行病伝染病を受け取っていると言えそうですがどうでしょう。

    何れ新型コロナウイルスも新型が普通型?旧型になり、人々の間に常在して穏やかな(時に弱い環を壊しながら)自然生態として定常化していく、という道筋がありえそうで、その途上で我々は右往左往しているようです。

    1. ポプラン より:

      geturin 様

      >何れ新型コロナウイルスも新型が普通型?旧型になり、人々の間に常在して穏やかな(時に弱い環を壊しながら)自然生態として定常化していく

      それにいつまでかかるか?何を用意すればよいのか?が問題ですよね。
      まずは正確な抗体・抗原の測定、有効なワクチン、有効安全な抗ウイルス薬でしょうか。

  7. 伊江太 より:

    ポプラン様

    貴重な論考をありがとうございました。アジア風邪以降、新型のインフルエンザの発生地は中国というなんとなく常識みたいなものができあがっていたのですが、中国奥地とならんで自然宿主のカモ類の繁殖地を抱えるロシア(シベリア)も、歴史的には同じく重要な発生源なんだという有意義な知識を得ることができました。

    一昔前の流行病は文献的に発生から流行に至る経緯をたどるしかないのですが、中国歴代王朝の歴史記録というものが、後代の為政者の都合に合わせて書かれるというご指摘は、21世紀の現代になってもなお、武漢肺炎に関してあの国から出てくる情報がそうしたバイアスを考慮した上でないと真偽の判断が付かないという実態と妙に符合するようです。結局、客観的事実、偏見を含まない記録というものの重要さが理解できない国というのは、どこまで国際交流を重ねても変わらないということなんでしょうね。

    現在では科学的、物的証拠に勝るものはないと考えられがちです。スペイン風邪の正体にしても、ロンドンの医療機関に保存されていた、当時この疾患で死亡した患者肺のホルマリン漬け標本からウイルス遺伝子の断片を採集する研究に始まり、後にアラスカ凍土に埋葬されていた死者の標本からほぼ完全な遺伝子配列が復元されて、現在ではこれがスペイン風邪のウイルスだというスタンダードができあがっています。それが現在でも北米のブタから分離されるインフルエンザウイルスに酷似しているということから、カナダのカモ→アメリカイリノイ州のブタ→アメリカ軍→第1次大戦下のヨーロッパ戦線への参戦→終戦後の帰還兵を通じて世界へという見方が、すっかり定番となりました。しかし、それ以前は今回の論考でご紹介になったように、さまざまなストーリーが並立しており、中国人労働者がヨーロッパに持ち込んだという説も結構根強かったようです。初めて知りましたが、大戦中にこのインフルエンザが西部戦線で猛威を振るう5~6月より以前の3月の段階で類似の疾患が台湾と日本海軍軍艦内で発生したという記録には非常に興味をひかれます。これらさまざまな記録に現われるウイルスが実際にはどんなものだったのか、よほどの僥倖に恵まれない限り明らかにされることはないでしょうが、といって無視して良いものではないですね。

    「流行性感冒」わたしも読んでみようかと思い、市の図書館の蔵書を検索したら、2冊保有はしているものの、どちらも貸出中となっていました。東洋文庫の本が貸出中なんて今までに経験したことがなかったので、ここにも武漢肺炎の影響が出ているのかと、変に感心しているところです。

    1. ポプラン より:

      伊江太 様
      日本海軍の流行に関する部分を切り取っておきます。
      前段は本分の引用部です。
      「1918年の3、4月頃の日本海軍に流行したのは支那より伝わりしならん。5月マドリッドに流行起こり、7月に頂点に達し、漸次消滅す。」

      スペイン風邪関係で日本海軍では1918年11月のシンガポールでの軍艦「矢矧」の艦内流行が有名です。
      速水融氏の「日本を襲ったスペイン・インフルエンザ」には、海軍軍令部長 島村速雄(東郷さんの参謀長)宛ての報告書が載っていますのでそれとは別の流行があったのだと思います。これは、海軍の資料を引っ張らないといけないので安楽椅子探偵には難しいですね。
      ナショジオの文章では、研究者はやはり流行初期の死体を探しているそうです。

      1. 伊江太 より:

        ポプラン様

        >安楽椅子探偵には難しいですね。

        その通りですね、
        このサイトで何か言うと、高品質のレスが返ってくる。
        そこがいいところ。

  8. 名無Uさん より:

    ポプラン様の御投稿に満腔の敬意を表します。
    政治、経済を論じる新宿会計士様のサイトなのに、何故か読者には医療関係者の比率が多い。
    それは新宿会計士様のアプローチの仕方が、医師の感性に沿うものであり、以前から口コミで広がっていたのだと勝手に想像をしております。

    某田中氏の某銀英伝の中の記述に『医師と教師は革命家の卵』という表現がありまして…
    (某銀英伝の中には、某オリビエ・ポプランという登場人物がいます)(笑)
    医師と教師(本当はここに弁護士が加わるのですが)は、広範な知識とモラルを要求される職業であり、古来より聖職と期待されていました。アリストテレスの古代ギリシア時代から一貫しています。
    レーニンの封印列車が出てきましたが、レーニンは父母が教師だったはずです。

    いかなる時代においても知識人であり、同時に職場の最前線において、世間で最も苦しむ人々を目の前に奮闘することを迫られます。
    時代の不条理に激情を覚えることも多く、目の前の人々を救うために『時の政権を打倒しなければ』と思いつめた医師や教師は、反政権に走り、革命家へと転身していく確率が増えていきます。
    同時に革命政権を樹立した独裁者は、反革命勢力として医師や教師のインテリ層を最も恐れて、粛清の対象にしていくことも多い。
    まあ、革命というものを嫌う自分は、医師の方々に敬意を表すると同時に、革命を担うのではないかという警戒心を常に持っています。そして、彼らの激情を『まあまあ』と宥めたいところです。

    釈迦に説法ですが、やはり言わなくてはなりません。
    三國志演技に登場する華陀という名医は、開頭手術まで行える技術を持っていながら、後の時代にその技術が伝わることはありませんでした。易姓革命を繰り返すたびに、非常に多くの知識と技術を断絶させてきたからなのでしょう。
    そのために、シナ大陸は延々と不衛生なままであり、あまたの疫病の発生源であることをやめないのかもしれません。

    1. ポプラン より:

      名無Uさん 様

      御明察。
      オリビエポプランから名付けた我が家の亡き飼い犬のメモリアルです。
      孫文もゲバラも御同業でしたね。
      キリングフィールドを見てから革命という言葉にロマンは感じなくなりました。
      矢作俊彦の「暗闇にノーサイド」という小説もあの当時のカンボジアが舞台で
      なかなか面白いです。

      1. 名無Uさん より:

        ポプラン様へ

        返信、ありがとうございます。
        革命という言葉にロマンを感じなくなった、ということは、以前はロマンを感じていた時期があった、と…
        いやあ、怖い、怖い…(笑)
        孫文やチェ・ゲバラは代表例ですが、他にフランス革命期のジャン=ポール・マラーや長州藩の大村益次郎などもいたりします。

  9. だんな より:

    ポプラン様
    読者投稿ありがとうございます。
    文章の端々にインテリジェンスを感じました。
    新型コロナウイルスの様な新規感染症は、これからも中国から(それ以外もあるかもしれない)出てきて、過去より伝播速度の高いものになるだろうと思ってます。
    今回の新型コロナウイルスは、大きな災害を世界にもたらしましたが、これからも起こるでしょう。
    昨日NHKBS1で、ワクチンと治療薬に関して、放映してました。
    高い衛生意識を持つことは、防疫の必要条件です。
    ワクチンと治療薬に関しても、AIやスパコンなど、過去と比べ物にならないスピードで、ウイルスの解析を進めることが出来るようです。
    新規ウイルスの発生頻度が、変化するよりも、そちらの速度が高まれば、ウイルスハザードからの被害を、抑えることができるように思います。

    1. ポプラン より:

      だんな 様
      「歴史は繰り返す。一度目は悲劇として、二度目は喜劇として。」(ヘーゲル)と言われます。
      スペイン風邪は繰り返した二度目がさらなる悲劇だったので、気になっています。二度目の感染でサイトカインストームが起きやすくなる等ということが無ければよいのですが。AIも大事ですが研究する意思のある人が大事です。

  10. poponta より:

    ポプラン様 ありがとうございます、納得です。過去を知ることで未来を知る事もできると思います、結果がある以上予想も出来るということで日本のリーダーさん、想定外などと言わずによろしくお願いします、これから起こる経済恐慌に上手に対応してください。
    ちなみにポプラン様、名前の由来は銀河英雄伝説のパイロットの名前からでしょうか?

    1. ポプラン より:

      poponta 様
      経済恐慌感じられますか?僕はゴールデンウィークのこの時期にしては寒いこの天候が怖いです。寒さの夏をおろおろ歩きたくないなあと思ってます。今年冷夏で不作となればコメの値段は上がります。外国も今回のパンデミックで農業が混乱すると輸入もできなくなります。日本はまだまだ倉庫内に古米があるので何とかなりますが地球の気温変動は大きな波なので数年継続すれば飢饉です。それは御免です、小説の世界で済ませたいです。
      ポプランですが、先程別の方にご返事申し上げましたがその通りです。
      最初の子供を流産した妻の慰めにと買ったパグ犬の名前として「ポプラン」と「シェ―コップ」が残りました。妻がハスキーでないから「シェーンコップ」様が可哀そうという事で決まりました。オリビエポプラン氏とは違って雌犬の小屋には潜り込みませんでしたが、パグの性格なのでしょう子供たちの面倒をよく見てくれました。

  11. 閑居小人 より:

    ポプラン様 
    日々激務と思われる時期に有意義な投稿をありがとうございます。
    とても丁寧で分かりやすく書かれていて読みやすかったです。
    新宿会計士さま
    このような素晴らしい投稿を掲載していただきありがとうございます。

    インフルエンザが比較的新しい感染症であることや、パンデミックの原因がロシアの東進と太平洋到達ということは、私にとって目に鱗でした。
    この投稿を多くに人に読んでもらいたいです。

    「流行性感冒」を著した方々、ずいぶん昔の時代にすごい仕事をされたものと感心いたしました。
    こういう無名のすごい人たちが各分野におられたからこそ今の日本があり、私たちが健康で文化的な暮らしを維持できているのだなと改めて感謝しています。

    今回の新型コロナでは世界中が大混乱ですが、アメリカが相当こっぴどくやられているので、アメリカは決して中国を許さないと思います。
    貿易、金融面で中国を懲らしめることでしょう。日本もうかうかしていられないので、もう既に取り掛かっているかと思いますが、サプライチェーンの見直しが急務と思います。

    新型コロナ後の世界がどう変わっていくのか、先を見通せる方に書いて欲しいです。

    1. 福岡在住者 より:

      閑居小人 様

      >サプライチェーンの見直しが急務と思います。
      日本企業は結構やりましたよ。自動車メーカーとか、、、。 彼らが今工場を止めるのは、部品が入らないからでは無く 車が売れず在庫が増えてるからです。(この辺はごまかしです)
      2008年、原宿の歩行者天国で殺戮を行った犯人は 関東自動車の季節労働者でしたよね。既にこの時点で在庫が増加していたT社系列は在庫調整で季節労働者を解雇していたのです。(3直を2直とか1直とか)

      当時は派遣社員天国(ある意味騙された犠牲者=個人的には愚か者と思っています)で 九州のダイハツ周辺では協力会社を渡り歩く「何も考えて無い人」が多数いました。

      「先を見通せる方」は誰もいません。 
      しかし、新型コロナ騒動後は結構変わるかもしれませんね。各国(特にG7)のリーダー(優秀な官僚が真剣に画策したらですが)が対中国で変わるかもです。 13億の市場は美味しいのですが、ソース(設計図)開示とかありえません。 2流品開示し続けてもその内逆転されるのです。 そして、一帯一路。
      https://www.chosyu-journal.jp/kokusai/5792

      これに参加したイタリア(G7)は最大は犠牲者です。 これからも繰り返されるパンデミックの下で EUの選択を注視しています。

      1. 閑居小人 より:

        福岡在住者さま

        コメントありがとうございます。
        原宿の歩行者天国で殺戮を行った犯人の素性を初めて知りました。
        派遣切りとか当時はニュースになりましたね。

        私はぼんくらで先のことなど全く見通せないので、ただただ時代の流れに流される枯葉、枯れすすきか!
        これからもいろいろご教示ください。

        1. 匿名 より:

          2008年に起こった歩行者天国通り魔事件は秋葉原です。
          読者投稿のテーマから外れる瑣末なことですが念のため。

    2. ポプラン より:

      閑居小人 様
      インフルエンザは古い感染症ですが、パンデミックを起こす感染症としては新しいと思います。
      昔の感染症学研究者がすごいのは明治から第二次世界大戦まで、医学の花形が外科と感染症学だったこともあると思います。以前書きましたが東大の呉内科(沖中内科の先代教授)の医局員が海軍から軍医招集された時に内科は要らないからと言われて外科転科させられて復員してからは外科医として生きたこともありました。

      米中対決については金融覇権を渡すことはないと真田教授がBSフジで言われてましたね。武漢のウイルス研究所起源説には、パネー号事件やトンキン湾事件の匂いがしてアメリカの本気を感じます。

  12. ポプラン様

    >『流行性感冒』には病理解剖所見も記載されていますから、それを読む限り、当時の死者がすべてウイルス性肺炎で亡くなったというよりは、「混合感染」で亡くなっている事例が多いように思われます

    >今は細菌になら有効な抗生剤もありますので、現在に当てはめて「死者が38万人に達する状況」は、よほどの医療崩壊がない限り、あり得ません。

    勿論知っておられる事ですが
    混合感染だけではなく、昔に貧弱な栄養状態、衛生管理に対する知識、環境などもでしょう

    >現在に当てはめて、あり得ません。

    この事が言えるのは、日本に住んでいるからではないですか?
    途上国は勿論、米国や欧州ですら、医療どころか日々の食事にすら不十分な現代社会です。

    いずれにせよ、ウイルスに対しては、私たち人類は勝てない以上、
    こちら側の人類が折り合う地点を見つける必要があります。

    現在まで知られている『習近平(시진핑,习近平)ウイルス(コロナ19)』の致死率から考えると、

    高リスクの対象の人々の活動自粛、それ以外の人々で通常の経済活動を行うしかないと考えています。

    >いま本当に10万円バラマキや消費税引き下げをする余裕が日本にあるのか?
    それはこれからの流行状況を見ないとわかりません。

    今、経済を殺してしまうと、人と同じように企業も死にますし、企業が死ねば、それに伴い、人も死にます。
    それは、いずれ、日本という国自体を弱体化させます。

    大人のための経済リテラシー講座 政府債務の基本の「キ」、
    残るのはツケじゃなくて文明という資産だよ 上念司チャンネル ニュースの虎側
    2020/04/24
    https://www.youtube.com/watch?v=yeh19NWIqTQ

    長谷川幸洋と高橋洋一のNEWSチャンネル#4 2020/4/21
    https://www.youtube.com/watch?v=0lVQMvhDo3c

    今、政治で決断しないと日本という国自体の存在が危ぶまれます

    習近平(시진핑,习近平)ウイルス
    武漢ウイルスでは、地名自体を変える可能性があるため
    私はこの呼び方をしています。

    1. ポプラン より:

      二日市保養所 様
      武漢はかつての漢口だと聞いています。共産圏はスターリンのようにグラード地名を変えてしまうのであるかもしれませんね。

      1. 名古屋の住人 より:

        ポプラン様

        横レス申し訳ありません。

        武漢市は現在の中国共産党政府が都市名を変更したのではなく、古くは明の時代に武漢の名称が生まれ、1926年12月に当時の中華民国が将来の首都として武漢と改名することを正式決定したことがその由来のようです。

        出典はウィキペディアと中国武漢市人民政府公式サイトですので、100%正しいかどうかはわかりませんが、ご参考までに紹介いたします。

        ■ウィキペディア 武漢市
         https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E6%BC%A2%E5%B8%82

        ・武漢市は長江とその支流の漢江の合流地点にある都市で、古くは明の時代に武昌と漢陽をあわせて「武漢」の名称が始まり、商業都市として発達。

        ・1926年10月、国民革命軍(中国国民党の軍隊)が武漢を攻略し、同年12月に武昌・漢陽・漢口の三鎮を合併し、将来の首都として武漢に改名することを正式に決定。

        ■中国武漢市人民政府 歴史沿革
        http://www.wuhan.gov.cn/zjwh/whgk/202003/t20200316_976486.shtml

        ・1926年12月、国民政府は武漢へ遷都、1927年1月、武昌・漢陽・漢口の三鎮を合併して武漢市とし、京兆区を設置した(第2段落の最終行)。

        1. ポプラン より:

          名古屋の住人 様
          御教示ありがとうございます。

  13. 名無しの権兵衛 より:

     今回の新型コロナウィルスへの対応に成功したと世界的に認められている国に、台湾とニュージーランドがあります。両国の共通点は、極めて早期に中国をはじめ感染国(日本を含む)からの入国を制限・拒否したことです。また、台湾にはSARS流行の経験が生きたということもありました。
     日本は、SARSやMARS流行の経験が無かったことに加えて、東京オリンピック開催や習近平訪日の予定が早期の入国制限・拒否を妨げたことにより、台湾のように感染を最小限に食い止められなかった結果を招いてしました。
     感染症予防の基本は、徹底的な水際対策と感染者の早期発見と隔離だと思います。その意味で、日本政府には今回の経験を活かし、次のパンデミック発生時には、台湾やニュージーランドの成功例を参考に、是非、対応に成功していただきたいと思います。

    1. Buchineko より:

      名無しの権兵衛 さま
      台湾は、中共の嫌がらせによる、旅行制限が幸いしたのではないでしょうか?年末年始の、唐渡りの雑踏を思えば、感染は避けられないし、その後の日本の鎖国は、敵の援軍を断つためでしょう。
      私は、台湾、豪州の開国後が心配です。豪州は、最低でも4ヶ月、出来れば、ワクチン、治療薬ができるまで、鎖国するつもりと娘が、言っていましたが、そんな都合良くいくかな?と思っています。

    2. ポプラン より:

      名無しの権兵衛 様
      Buchineko様の言われるように中華人民共和国に交流を停止させられていたことも大きかったと思いますが、基本的に台湾はスペイン風邪でも流行が二回で済んでいます。温暖な気候の影響かと思います。ニュージーランドもスペイン風邪は蔓延していましたが今回は頑張ってます。
      ただ鎖国期の日本ですら流行の波に襲われているので、完全な検疫や封じ込めは困難だと思います。

    3. とある福岡市民 より:

      名無しの権兵衛 様

      > 感染症予防の基本は、徹底的な水際対策と感染者の早期発見と隔離だと思います。

       素人はそう考えがちですが、違います。
       以前、ケロお様と私が書いたのですが、水際対策に感染症を予防する効果はありません。国内への流入を少し遅らせる効果が期待できるだけですし、その効果もほぼ否定されてます。また「感染力が強い」「潜伏期間が長い」「不顕生感染が多い」のどれか一つを満たす感染症にはほぼありません。コロナウイルスはこの3つ全てを防ぐために水際で防ぐ事は無理です。
       そもそも「徹底的」と簡単に書きますが、それがいかに困難か知らないでしょう?私の読者投稿をもう一度読んで下さい。完璧な水際対策が不可能である事がわかるはずです。
       隔離も万能ではありません。隔離の際の手順に不備があれば関係者を介して感染が拡大します。そもそも感染力の強い病原体は隔離による封じ込めが結構難しいです。隔離が長期化すれば隔離された人が脱出して感染を拡大させる可能性もありますし、隔離された人の人権にも配慮しなければなりません。
       隔離を行うにも国の施設は民営化だの無駄の削減だのをやり過ぎて不足しており、自粛ムードが出る前はあらゆるホテルから協力を断られました。病院で隔離したら大邱やイタリアのように医療崩壊が起きたでしょう。

       感染症対策で大事な事は、平時から患者のトリアージ(選別)と重症度に応じた対応についてのマニュアルを作成、全国的な医療体制の整備する事です。日本はこれをやってたからこの程度で済んでいるとも言えます。

      >極めて早期に中国をはじめ感染国(日本を含む)からの入国を制限・拒否したこと

       イタリアも早期に入国拒否を行い、空港から中国人を入れない事に注力しました。それでも原因不明の経路から感染が拡大してます。アメリカもそうでした。
       ですから入国拒否が早かった事は感染を防げた理由になりません。
       そして一度ウイルスが入り込めば、なんらかの理由で一気に拡大する事があり得ます。
       台湾やNZの感染拡大が抑えられているのは今後検証が必要ですが、「たまたま運良く拡大しなかっただけ」の可能性も高いです。日本にSARSが流入・流行しなかったのと同じです。学ぶ必要はあるでしょうが、検証が済むまで安易な美化はするべきではありません。

      > 東京オリンピック開催や習近平訪日の予定が早期の入国制限・拒否を妨げたことにより

       本当にそれが主な理由でしょうか?(一因である事は否定しません)
       安易に入国制限をかけると中国からの輸入品が滞る事によって経済的な打撃や医療崩壊が発生する懸念がありました。特にマスクを始めとする医療・衛生資材は大半を中国からの輸入に頼ってます。少なくとも医療機関向けのマスク等を国産で賄えるよう時間稼ぎをするため、中国人の入国を受け入れつつも医療資材の供給を止めるわけにはいきませんでした。やっとかけた入国制限も、中国が日本に入国制限をかける事への相互主義に基づく事、医療資材の輸入は出来るだけ止めない事(反故にされつつありますが)を確認した上で行ってます。
       今の日本は中国との経済的な結びつきが強く、安易に切って敵対する事ができません。それをすると日本が非常に苦しむからです。

  14. たい より:

    ポプラン様 興味深い投稿いただきありがとうございます。

    「谷風」は知っていたのですが、世界的パンデミックの流れの一つとは知りませんでした。その他にも色々新しい知識を得られました。

    「中国の記録」は歴史書や各種史料の事かと思いますので、既知の方もいらっしゃるでしょうがいささか補足。

    中国の歴史書はまず史官が皇帝の言行を「起居注」に記録します。
    皇帝が崩御の後「実録」としてまとめます。
    少し前に日本でも「昭和天皇実録」が出版されましたよね。
    王朝が滅びると、粉飾などを防ぐために冷却期間をおき編纂されます。冷却期間なしで編纂されたものは出来が悪いので再編纂される事が多いです。
    旧唐書に対する新唐書、元史に対する新元史がこれです。

    基本「起居注」は皇帝は見てはいけません。唐の太宗李世民は玄武門の変で兄弟を殺してますが、この時の記録を見ようとして諌められてます。ただこの時は太宗は押し切って記録を見て中身の改竄を指示した様です。

    史官の職業意識は低くはない筈です。春秋時代の斉に「太史の簡」の逸話があります。当時の斉で崔杼という実力者が君主を殺しました。これを史官が記載すると崔杼は怒って史官を殺しました。すると史官の弟が記載し直します。今度は崔杼は弟を殺します。しかしもう一人の弟が記載し直した時には崔杼はついに諦めて放置しました。もっとも殺したとしても地方から別の史官がスタンバイしていました。

    儒教思想のもとは孔子です。「春秋」は儒教の経典ですが、これは孔子の手が入ったとされる魯の国の編年体の歴史書です。
    「春秋の筆法」という言葉があります。当時「王」は周王一人の筈ですが、楚国や呉国なども「王」を名乗ってました。これに対し楚王や呉王と書くのではなく、楚子や呉子と書きます。
    また権威が衰えた周王が臣下の諸侯に呼び出されて会盟に参加したとしても「天子が巡狩した」と書きます。この辺りの分かり難さがあてにならないとされる理由なのでしょう。

    中国で失われた古い書物が日本でしばしば発見されるのは、政府の弾圧よりも王朝末期や分裂期の戦乱による破壊が全土に拡がった差が原因と思います。政府の弾圧なら隠し持っていれば良いわけです。
    壁に塗り込まれて秦代の焚書を逃れた古書もあった様です。
    清の滅亡後、乾隆帝時に禁書になった本が多く発見されたとの事です。

    かなりとりとめのない長文になってしまいました。
    以上失礼しました。

    1. ポプラン より:

      たい 様
      御教示ありがとうございます。
      日本には開けると古文書が出てくる蔵がたくさん残っています。僕の好きな斎藤道三は本当は親子二代で国盗りをしたという資料が見つかったのは近年です。中国では国共内戦終了時に資本家地主狩りをした際、文盲が多い農民が焼いてしまったのかもしれません。また昭和50年前後だったでしょうか、私の育った田舎のデパートにも中国書画骨董展みたいなものがやってきて当時新築の家に飾ろうと父が掛け軸を買いに行ったことを覚えています。買ってきた掛け軸の年号を確認すると清朝末期のものでした。父は紅衛兵が地主や素封家から取り上げたものじゃないかと言ってました。ナチス盗難名画のように取り戻しに来る名品ではないので大丈夫でしょう。

      1. たい より:

        ポプラン様

        返信いただきありがとうございます。
        関東大震災、東京大空襲の東京。原爆の広島長崎、沖縄あたりは民間にあった各種史料も失われているかもしれませんね。
        ただ地方はもしかしたらまだまだ発見されてない史料があるのかもしれません。その辺りは今後に期待です。

        中国の文革では例えば三国志の英雄の像がその際破壊されたとかの話は読んだ事があります。
        そういえば国共内戦の長春攻囲戦の悲惨な状況について以前ここ(だったと思います)どなたかが言及されてた記憶があります。

    2. とある福岡市民 より:

      たい様

       起居注や実録の話、勉強になります。ありがとうございます。
       一つお尋ねしますが、宋の太祖・趙匡胤が死去して弟の太宗・趙光義が即位した辺りの記録って実録に残ってるのでしょうか?太宗が兄の太祖を殺して即位した、なんて話を聞きますけど。

      1. たい より:

        とある福岡市民様

        趙太祖趙匡胤の死は「千載不決の疑い」ですよね。
        死んだのはまだ50歳、二人の息子がいるのに何故か即位したのは弟太宗趙匡義(趙匡胤即位時は光義と名乗る)
        二人の息子は太宗即位の翌年翌々年に相次いで死亡(一人は自殺)
        実際に宋史を読んだ訳でもなく、宋代の事を書いた本をあまり読んでなく、なおかつWikipediaソースで恐縮ですが「千載不決の議」で見たところ、正史及び実録に太祖の死の状況の記載はないと考えます。何か記載があれば「千載不決」とはならないでしょう。上記李世民の様な起居注の記載の段階での改竄を指示した可能性はあるかもしれませんが、それすら証拠がありません。

        これが隋文帝楊堅の崩御だと、状況がある程度正史に記載があります。文帝は既に重い病に伏せっていたのですが、皇太子(煬帝)楊広が文帝の愛妾宣華夫人に言い寄ります。これを宣華夫人は文帝に伝えたのですが、文帝は激怒。皇太子の兄の廃太子楊勇を呼ぼうとしますが、皇太子の部下に妨害されます。
        別の部下が寝室に入り後宮の中にいる女性をみな別室に下がらせている間に文帝は崩御しました。
        (別の部下(張衡)はその後煬帝に殺されています)

        この辺りは隋書にも記載がある(自分で読んだ訳ではないですよ)ので、これも真相は不明ながらかなり黒に近いグレーとは言えるでしょう。

        極めて不十分な回答で申し訳ありません。

        1. とある福岡市民 より:

          たい様

           ご回答いただきありがとうございます。お手をわずらわせてすみませんでした。
           そうですね。何かの記録に残ってたら千年もわからないわけないですよね。記録の改ざんか抹消があったのか、記録係が忖度して書かなかったのか、そのどちらでもないのかはわかりませんけど、これは「想像の余地が残ってる」と好意的に解釈しようと思います。わからないから「実は暗殺では?」みたいな陰謀論を想像して黒幕になりそうな人物を推理する、というのも歴史の楽しみ方だと思いますので。

  15. 匿名 より:

    スペイン風邪については 1918年3月アメリカ・カンサス州の兵舎が発信源というのが今のところは定説で1917年冬の北中国説は最近有力になってきている説ですね。この100年前の本に中国と特定されているのは驚きです。

    さて欧州に派遣された中国人労働者ですが、これをヴァンクーヴァーまで輸送したのは誰だったのでしょうか?日本海軍ではなかったか、しかもそれは横須賀を母港としていたのではないか、そこから感染が始まったのではないか、というのが私の推測です。もっとも台湾が最初という報告もあるのでこれは大陸から直接の感染と思われますが。 海軍は艦隊を地中海に派遣していたのでそれを横須賀に持ち帰ったという仮定も成り立ちますが。

    1. 名無Uさん より:

      匿名様へ

      ここの部分に引っ掛かりましたので、反論を…
      ≫さて欧州に派遣された中国人労働者ですが、これをヴァンクーヴァーまで輸送したのは誰だったのでしょうか?日本海軍ではなかったか、しかもそれは横須賀を母港としていたのではないか、そこから感染が始まったのではないか、というのが私の推測です。

      こういうところは匿名様の得意な分野ではあると思うのですが、日本海軍がアメリカ大陸まで、中国人労働者(苦力・クーリー)を輸送した可能性を疑っているのですか?
      日本海軍がわざわざ苦力の輸送を請け負って、カナダやアメリカの港に接岸してまで運ぶというのですか?
      ロバート・バウン号事件、マリア・ルース号事件を参照すればわかるのですが、当時の苦力貿易輸送の主力が米英の商人であることは明白です。
      デラノ家(フランクリン・ルーズベルト大統領を輩出しました)のウォーレン・デラノ・ジュニアで検索すれば、けっこうな資料が引き出せると思いますよ。

      1. 匿名 より:

        貴方を存じ上げないのでどこから話をしたらいいのか測り兼ねますが、まず中国人を雇ったのは同盟関係にあった英国です。大戦中の英国海軍は極東にまでとても手がまららず、結局日本海軍は英国に便利屋のように利用されることになります。欧州に向かうANZAC軍を護衛したのは日本海軍の特別編成部隊です。中国から数千の労働者を運ぶのに日本海軍に依頼したかも知れないというのは、(もちろんそうではなかったかもしれないですが)、そういう可能性もあったと思うのは不自然な推測ではない思います。第一次大戦中英国の商船は大西洋でUボートから大被害を受けながら英国の生命線を保とうとしていたことを思いだして下さい。これまでの習慣が通用しない時期の話です。

        またここは字数が少なく制限されているわけではあるません。「もっと勉強せよ」といわんばかりに名前を垂れ流して終わるのはなく、「こういう事例があるから私はこういう風に考える」と議論を発展させる書き方をすればどうでしょうか。

        1. 名無Uさん より:

          匿名様へ

          匿名HNの方から、わざわざ『貴方を存じあげない』と言われても、馬鹿馬鹿しいところです。
          匿名様がこちらが提示した『マリア・ルース号事件』の判例をも参照せずに、コメントを返して来ていることが明らかなので、反論することも馬鹿馬鹿しい。
          ですが、こういうところから嘘で日本を貶める言論が出てくるために、反論はしておかなくてはならないでしょう。

          まず最初に、匿名様は『ヴァンクーヴァー』の地名を出し、苦力の陸揚げを誰が行っていたのか、という点を問題にしていませんでしたか?
          こちらが解答を用意したのに、その点についてはまったく無視してかかりましたね。
          その上で何故か、論点が日本海軍のANZAC艦艇護衛に飛んでいますね。
          ゴールポストの移動をシレッと始めた時点で、誠実ではないのですよ。

          第一次世界大戦下の日本海軍が、英国からの要請を受諾し、ANZAC艦艇および輸送船団の護衛を担当していたのは事実です。
          そして、戦略物資、苦力を含む人的物資を輸送する際、それらを戦闘艦艇に積載することは、特別な事情がない限りまずあり得ません。通常は輸送船に積載して、その輸送船団を戦闘艦艇が護衛を行います。

          そのANZACの輸送船団の中に、兵站を担う労働力として、果たして苦力が積載されていたのかどうかを匿名様は知りたいのでしょう。
          ですがこれは、当時の日本海軍が関知するところではないでしょう。関知しようとすれば、ANZACの輸送船内を日本海軍が臨検しないことには確認が不可能でしょう。
          まして、同盟関係にある他国の輸送船団の積み荷の内容を、日本海軍が臨検する権限が与えられ、臨検をわざわざ行っていたとも考えにくい。
          オーストラリアやニュージーランドの艦艇をわざわざ臨検し、当時英国本国のご禁制品を積載しているのでは無いのかと犯罪者のように扱った時点で、同盟関係は瓦解するでしょう。
          当時の苦力の存在を探し出した資料を見つけることは望みが薄いでしょう。

          ANZAC船団の中に苦力が積載されていて(そんな資料があるのなら、見つけ出して来て欲しいところです)、それを日本海軍艦艇が護衛を行っていたからインフルエンザウイルスの伝播に日本も責任があるのだ。
          もし、匿名様がそうした論旨を組み上げ、『ウイルス伝播の日本の責任を問う』といった方向へ持っていきたいのならば、それは無理筋というものです。

          どういう反論をしてくるのか、楽しみにしておりますよ…(笑)

      2. 匿名 より:

        貴方を知らないといったのは貴方という人の名前や人間を知らないから話ができないといったのではなく、貴方がどの程度の知識、学歴(大学の名などを言っているのではなく、いわば経験)がある人かわからないからどう議論をすすめればいいのかわからないという意味です。

        貴方の書いたものを見れば貴方が大学レベルで歴史を学んだ人でないことがわかりませす。高学歴が良いとは言いません。しかし議論をするマナーと言うものがあること大学院レベルで勉強すれば教わります。大人数の講義やセミナーに出席するとたまに言われます。これは昨年ある英国の大学で私がそこにいたので覚えていますが、司会が挨拶をした後「レクチャーの後で質問を受け付けます。が、、、わかっているとは思うが気を付けて下さい。質問、反論は歓迎しますが、長々と著名人の名前を垂れ流して、5分間スターになりたがる、そう、あいつだ。「あいつ」にならないでくれ。」皆が爆笑していました。これは指導教授が一番嫌がる生徒でもあり、大学院レベルで勉強した人間が「はい、はい、あいつですね」とすぐに思い浮かぶタイプです。

        1. 名無Uさん より:

          匿名様へ

          ああ、ついに内容批判ではなく、個人誹謗に走ってしまいましたか…
          ここは謝辞や参考文献を列挙した学術論文を提出する場ではないのですよ。そんな文章をコメント欄に載せれば、誰も読まないことは経験則でわかっています。
          自分も気軽に書けるから、上記のようなコメントを20分もあれば書きこめるのです。
          今回のポプラン様からの非常に有益な考察・文献紹介ですら、学会誌に提出するような学術論文の体裁を満たしておりません。
          ですが、様々な提言を『気軽に』『できる限り多くの皆様に興味をもって読んでいただく』ことは非常に重要であり、新宿会計士様はその良きプラットホームになっております。

    2. ポプラン より:

      匿名 様
      ご返事が遅れましたことをお詫びします。
      バンクーバーまでの輸送と護衛という基本を忘れており慌てました。確かに軍令部あてに報告書があるはずです。北太平洋航路を、ドイツ太平洋艦隊やまさかUボートと考えて護衛するなんて事があったかもしれないと考えてワクワクしてました。地中海での護衛では身代わりの被雷とか勇戦奮闘していたのは知っていたのですが、太平洋の護衛は日本の仕事ですね。
      確かに日英同盟と第一次大戦の日本参戦には政治と軍事が関わっていたことをWikipediaレベルでもわかったので、自分にできることから調べてみようと思いました。日英同盟に詳しくて帝国海軍を知っていて米海軍の教育を受けた人間という事で、司馬さんが坂の上の雲を書くときに取材した平間洋一先生の本にあたってみようと思います。勉強したうえで「人員輸送の匿名様」宛でで書かせていただきます。遅れましてすみません。

      1. 名無Uさん より:

        ポプラン様へ

        ポプラン様もお優しいことです。
        匿名様に助け船を出されるのは構わないのですが、簡単な時系列を頭の片隅に入れておいていただきたいところです。

        第一次世界大戦の開戦は、1914年7月です。
        日英連合軍が膠州湾を租借していたドイツの勢力を青島の戦いによって下したのが、初戦の1914年11月です。
        敗北したドイツ太平洋艦隊は本国へ合流すべく帰還しますが、この艦隊がフォークランド沖海戦により英国艦隊に撃滅されたのが、1914年12月です。
        アメリカ合衆国の第一次世界大戦は、1917年4月です。
        この間、同盟国側(ドイツ帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、オスマン・トルコ帝国)の艦船は、太平洋上に一隻も浮かんでいませんでした。さらに、アメリカはドイツと交戦状態にありません。
        ですから、アメリカの商船は軍艦の護衛を必要とせずに、太平洋上を往来することが可能であったことを考慮して欲しいところです。

        1. 名無Uさん より:

          上記、訂正します。
          アメリカ合衆国の第一次世界大戦は、1917年4月です。
          →アメリカ合衆国の第一次世界大戦参戦は、1917年4月です。

        2. 名無Uさん より:

          申し訳ありません。
          上記に虚偽を書いていたことが判明しました。
          ドイツ東洋艦隊に合流したドレスデン号は、フォークランド沖海戦戦域を離れることに成功し、1915年3月まで通商破壊戦を継続していたことがわかりました。
          また、プリンツ・アイテル・フリードリヒ号は独自行動をとり、こちらもアメリカに抑留される1915年3月まで、通商破壊戦を継続していたことがわかりました。
          このドイツ通商破壊作戦の詳しい内容はわかりませんので、ポプラン様の考証をよろしくお願いします。

  16. とある福岡市民 より:

    ポプラン様

     おもしろかったです!
     お忙しい中の投稿お疲れ様でした。とても勉強になりました!ありがとうございます。
     インフルエンザのパンデミックについてちゃんと調べてなかったのですが、結構前からあったのですね。日本最古なのは平安時代で、記録が確かなのは八代将軍徳川吉宗の時代ですか。この頃の日本は鎖国というか貿易制限中ですし、仮にロシア人からうつされたとしても、ロシア人の入国は認めていなかったはず。それでも流行は起きてますね。
     中国人の完全な入国拒否を声高に叫ぶ人達が未だにいますが、この事実は入国拒否が感染防止に何の効果もない事を示す証拠の一つになりそうです。
     
     それにしても驚いたのは、インフルエンザのパンデミックも半分が中国発である事です。ペストのパンデミックは過去三度起きてますが、三度共中国発でした(一度目の6世紀は最近の遺伝子研究で判明したので、中国側の記録にはないそうです)。どうして中国ではこれほどまでに病原体が蔓延するのかと驚いてしまいます。
     家畜との距離が近過ぎるのでしょうか?衛生環境が悪いからなのでしょうか?家畜でも野生でも何でも食べるからなのでしょうか?
     余談ですが、不衛生の方が病気に強い、衛生的なのは軟弱で病気にかかりやすい、という人がたまにいます。中国のこのざまを知った上でも言えるのか聞きたいところです。

     隠蔽体質も筋金入りですね。疫病は君主の不徳(力量不足)と考えるなら改善の努力をすればいいのに、都合の悪い情報を隠蔽し、正直な告発者を処罰して君主の徳を高く見せる方に走るとは呆れます。
     ……って、これ今年1月にも起きた光景ですね。中国は根本的なところが秦の時代から変わってません。
     今後も悪質な隠蔽を行ってパンデミックの震源地となる事を繰り返すのでしょうね。

    1. 伊江太 より:

      とある福岡市民様

      流行病の蔓延に関する中国という国の重要性についてのご指摘には同意します。ただ近年大問題となった新興感染症というと、SARS、武漢肺炎、エボラ熱、ニパウイルス感染症、MERS、エイズ、高病原性鳥インフルエンザ、・・・、みたいに前の2つを除けば必ずしも中国起源というわけでもないので、むしろ問題にすべきは、なぜ中国で危ない感染症が出たら、世界中に拡がってしまうのかという点ではないでしょうか。

      ご指摘の人・禽獣一体の生活様式とか、隠蔽体質とかも大いに影響しているとは思いますが、長い歴史的流れの中で、中国と周辺世界との関係には何か感染症を拡げやすい特別な要素があるような気がします。例えば、中国商人、華僑の行動形態は、同じく古くから世界に根を張るインド商人、ペルシャ商人、ユダヤ商人などと質的違いがあるのかなど、考察してみる点はいろいろありそうに思えます。

      ひとつ質問させてください。

      >一度目の6世紀は最近の遺伝子研究で判明したので、中国側の記録にはないそうです

      ペストの自然宿主であるアレチネズミの主要な生息地は、インド北部~ネパール地域と、アフリカタンザニア周辺の2カ所で、ユスティニアヌスのペストは後の方のものが属州のエジプトを経由してローマに入ってきたものとこれまで思っていたのですが、遺伝子研究でこれをアジア型とする知見が出たということなのでしょうか。最近の技術をもってすれば、古代の遺骸に含まれる病原菌の遺伝子を分離・増殖させて解析することなど、保存状態さえ良ければ十分可能と思えますので、そういう論文が出たということかと思いますが、ご存じでしたらお教えください。

      1. とある福岡市民 より:

        伊江太 様

         隅々まで読み込んだ訳ではありませんが、こういう論文を見つけました。

         ユーラシア大陸の草原地帯で見つかった古代の人骨のゲノム分析を行った結果を示した論文ですが、その一部にユスティニアヌス帝の時代のペストのパンデミックについても書かれてます。
        ↓ ↓ ↓
        https://www.researchgate.net/publication/325047876_137_ancient_human_genomes_from_across_the_Eurasian_steppes

         これによると、紀元180年頃に東トルキスタンの天山山脈周辺でペストが流行し、草原の道を行き交う遊牧民を通じてゆっくり西へ移動し、フン族の侵入によって5世紀にはゲルマニアへ伝播してます。
         ここからどうやって541年のエジプトへ伝わったのかわかっていませんが、当時の西ヨーロッパはゲルマン族が大移動して西ローマ帝国の旧領を分割し、領土を巡って戦争と略奪が絶えなかったので、感染者がいても記録が残っていなかったのでしょう。そして西ローマ帝国が崩壊しても地中海の交易は絶えず続いており(海賊がはびこっていましたけど)、ゲルマニア→ガリア→今の南仏かスペインの港湾→エジプト→コンスタンチノープル、と伝播した可能性はあります。

         なお、東トルキスタンは今でこそ中共が支配して大量の漢族を送り込み、ウイグル族を弾圧していますが、紀元180年頃は烏孫をはじめとしたいくつかの遊牧民(主にトルコ系民族)が割拠しており、中華王朝の勢力は及んでいません。当時は後漢末期で、184年には黄巾の乱が起こるなど、不安定な状態でした。
         後漢末に疫病が流行した事やそれがペストである事をうかがえる記録はありませんが、あっても記録できる状況ではなかったと思われます。後漢の末期から隋の統一まで中国、特に華北や中原は400年も戦乱が続きますから。

         ペストの由来や分枝についてゲノム分析を行った研究の論文ですと次の二つがあります。
        ↓ ↓ ↓
        https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC2999892/#!po=1.72414

        https://www.cell.com/cell/fulltext/S0092-8674(15)01322-7

         大雑把にしか読んでなくてすみませんが、ペストの大元は今の中国(一説には青海省)か旧ソ連(おそらく中央アジア)と考えられ、そこから分枝して中東、東南アジア、アフリカへ伝播した、と考えられるそうです。おもしろいのはインドへの伝播経路が中東や東南アジアから直接ではなく、中国→中東→アフリカ→マダガスカル→インドと考えられる事です。

        1. 伊江太 より:

          とある福岡市民様

          貴重な情報提供、誠にありがとうございます。

          お教え頂いた3編の論文、ダウンロードしました。早速読んでみたいと思います。

    2. ポプラン より:

      とある福岡市民 様
      上の方で取り上げた大便や残飯で豚を育てる話は台北の親戚の家に養子に出されて中学途中まで台湾にいた父から教えられたことかもしれません。差別的な生蕃と熟蕃という表現と高砂族という表現が混じる当りに父の記憶の匂いが。生蕃の家はねという記憶ですが台湾だけでなく東アジアのどこにでもあった風景だと思います。父の実家南西諸島でも各家庭が生まれた子ブタを買ってきて残飯で育て旧正月前に海岸に連れて行ってそれぞれに屠る。駐在さんには、村長が肉を上納することで屠畜場法の違反を見逃して頂くその日の海は、サメが続々と来るなんて今から100年近く前の話を聞かされていました。
      そんな話を聞いていた私としては、ロシア発と言われても西シベリアや満州からじゃないのかという疑いを持っています。中国は隠ぺいするというより、国民に興味がないから歴史官も記録しないのではないか?武漢の火葬場は、現代の「即ち坑す」土へんの穴埋めだったのでは?という気がします。
      不衛生な環境で育つと、生き延びられれば衛生的な環境で育った人より多くの疾病に対する抗体を持っていると思います。子供の頃父の実家に遊びに行くと必ず発熱して寝込んでいたのを思い出します。違うスレッドにありましたがスペイン風邪と武漢風邪を乗り越えた老婆の話がありました。新型インフルエンザの話が出るたびスペイン風邪の数年後生まれた亡父の免疫細胞にはどんなインフルエンザに対する抗体があるのか見てみたいと思っていました。

      1. 伊江太 より:

        ポプラン様

        >新型インフルエンザの話が出るたびスペイン風邪の数年後生まれた亡父の免疫細胞にはどんなインフルエンザに対する抗体があるのか見てみたいと思っていました

        インフルエンザに対する免疫反応については、「抗原原罪」という考えが昔からあります。人はインフルエンザに対する免疫応答パターンが、一番最初に罹患したウイルス株に生涯束縛されていて、後から抗原性が変異したウイルスに感染しても、最初のやつに適合する抗体をむしろ多量に産生し続けるという説です。実証的データも実験的サポートもあるはなしなんで、あながちオカルトっぽい考えとして斥けるわけにはいかないものです。

        2009新型インフルエンザについては、HAタンパク質がスペイン風邪のものとほぼ同一だということが分かっているので、スペイン風邪の直接の子孫ウイルスがまだ流行していた当時に生まれ育った、現在では高齢になっているわたしら世代が「抗原原罪」のおかげで大して死ななかったのが、新型ウイルスの大流行にもかかわらず、アジア風邪や香港風邪のときのような大量死が出なかった理由だという説も、一部で唱えられています。まあ「抗原原罪」が効いているとしても、それは世界の高齢者に共通のはなしでしょうから、あの流行で日本だけ諸外国に比べて死亡率が一桁低かったという事実には、また別の理由を探さなければいけないんでしょうが。

        1. ポプラン より:

          伊江太 様
          抗原原罪説勉強になりました。
          奄美の父の実家には屋根裏に蝙蝠が住み着いていて夕方になると家の周りを飛んでいたのです。すると奄美のコロナが私の原罪になるのかもしれないのですね。激しい咳が出て頭痛がひどく熱も一週間近く出ていたのを覚えています。抗体検査が出来るようになったら結果を楽しみにします。

  17. めがねのおやじ より:

    ポプラン様

    素晴らしいです。私みたいな無学でも、スーッと読めて自分なりに理解できました。ありがとうございます。

    最初の北里柴三郎先生のところ、私も我が意を得たりです。東洋の日本人であるが為、西欧人の医学者から見たら、初見で、ちっさいモンキーみたいに思った事でしょう。

    「黒人みたいに奴隷にも使えんし、苦力も無理だな」ですかね。功績はノーベル賞貰って当然の方だと思います。

    ウイルスの禍は中国かロシアから始まるという、彼らの家禽や野生動物に対する距離の近さ、スグに食用にしてしまう生活習慣の負に負うところが大きいと思います。

    何度も病禍に侵されて、学習しないのか。過去のものはすべて時代が終わったら燃やして無かった事にするという、儒教は本当に民主主義、自由主義、人間第一とは相反する教義です。

    中国は今回も他国のせい、被害者を装っている。マスクやキットを送って善人面をする。私は徹底的な検証を望みます。中国の国体をぶっ壊してでも、彼らの悪行を暴くべきだと思います。

    1. ポプラン より:

      めがねのおやじ 様

      現代中国は、古代中国と同じ民族なのか?という疑問をずっともっていました。
      小学生の頃、さすがに四書五経はありませんでしたが十八史略の原文、読み下し文、日本語訳の付いた全集を与えられて読んでました。
      子供心に三徳五常五倫はどこにあるのか?守ってたら侵略されて宦官にされちゃうじゃん!と思ってました。今はまあ中国人には、それがないから孔子さんは説教したのかなと思っています。
      宦官という制度一つとっても、去勢して家畜を使う遊牧民族の習慣が無ければできない制度ですよね。

      複雑な国ですね。

      統一と分裂を繰り返し大混乱を起こし、その上伝染病でも周りの世界に迷惑かける。
      日本のネトウヨに特アという名前で半島と同一視されても文句は言えないぞ、21世紀の大国さん。

      追伸
      白人には日本人と朝鮮系や中国系の区別がつかないそうなので日本国籍を有すものは、出国時、セラミック製の刃を引いた金属探知機に探知されない脇差か懐刀を常に帯刀しゲリラに人質に取られた際は自決とか・・
      いよいよ日本人は危ないと言われますか。

      1. とある福岡市民 より:

        ポプラン 様

        >現代中国は、古代中国と同じ民族なのか?という疑問をずっともっていました。

         どうも違う民族のようです。
         大雑把に分けると、春秋時代から漢の時代には華北、中原のような黄河流域にいた人と、江南ような長江下流域にいた人は別の民族だったようです。
         漢文で書かれる古代中国の文化を担ったのは昔の華北の人でした。この人達の言葉は文献しか資料がありませんが、孤立語だったようです。
         古代の華北の人達は黄巾の乱、三国時代、西晋の統一に伴う戦乱で大半の人がなくなり(漢代は2千万人以上いた人口が数百万人に減ったという資料がどこかにありました)、五胡十六国時代に南匈奴や鮮卑などに占領された後は遊牧民とに混血が進んで、古代とはまるで別の民族になります。
         言語にも変化がありました。漢文は本来孤立語でしたが、文法や発音に遊牧民の話す膠着語の影響が混じり、唐代の言葉に変わります。この時の言葉が遣唐使を通じて日本に伝わり、「漢音」と呼ばれます。
         一方、華北から江南に亡命した人達は東晋など、南朝の国々を作ります。この人達も江南にいた別の民族と混血が進み、これまた別の民族となり、別の言語を話します。大和王権の時代に日本に伝わった漢字、漢文の読み方は六朝文化真っ盛りだった南朝の影響を受け、「呉音」として残ります。また、六朝時代の言葉が上海方言などに代表される「呉語」の源流となった可能性があります。
         
         唐が滅亡した後も契丹、女真、モンゴル、満州族など、膠着語を話す遊牧民・狩猟民に占領されたり追い返したりを繰り返すうちに混血が進み、唐の時代の人ともまた民族が入れ替わります。現在の標準中国語である普通語は膠着語のように助詞をつなぐ表現が結構あるのはその名残りでしょう。
         宋代の発音は唐代と異なり、日本には「唐音」ないし「唐宋音」として残ります。普通語の発音は宋代の発音ともまた違いますので、さらに大きな言語変化があったのでしょう。それは異民族の侵入と混血によって変化してきた事の名残りでもあります。

         漢族が概ね今のような民族となったのは明代からですので、古代から数えると、二度か三度の民族総入れ替えを行っていた事になります。古代中国の人とは遺伝的にはつながっていても、民族性や気質はまるっきり別という事になりそうです。

        1. 名無Uさん より:

          とある福岡市民様へ

          『後漢書』の續漢書郡國志注・帝王世紀(戸籍数を扱った資料です)の中に『是以興平建安之際 海內凶荒 天子奔流 白骨盈野。遂有寇戎 雄雌未定 割剝庶民 三十餘年 及魏武皇帝克平天下 文帝受禪 人衆之損 万有一存。』の記述があります。

          人口がなんと1万分の1になった、とあります。(笑)
          正史であるのに、この有り様。
          数字を扱うのに、シナ人のこういう白髪三千丈式の表現はなんとかならんのかと、いつも思います。
          と同時に、当時の破壊の度合いがいかに凄まじいもので有ったのかということが伝わって来ます。
          打ち続く戦乱の中で住民が四散し、その多くが流民化したために、役人が戸籍上住民を把握することが不可能になったことが、戸籍数の激減につながったと考えております。

        2. とある福岡市民 より:

          名無しUさん 様

          > 役人が戸籍上住民を把握することが不可能になったことが、戸籍数の激減につながった

           あ……
           中国の推定人口は戸籍で把握できた数が基であり、実際は補足できなかった人が結構いる事を忘れてました。そうなると三国時代も1千万人は超えていたのでしょうね。
           高校の世界史で習った話ですが、中国の戸籍調査は徹底調査で税金を搾り取ろうとする役人と、税を払いたくない農民の戦いの歴史です。唐の両税法導入、清の地丁銀廃止もそうですし、現代の黒孩子もそうですね。

          > 白髪三千丈式の表現はなんとかならんのか

           事の重大さを表現する時、中国は事実を詳細に書くよりも数字を「盛る」方法を取るのでしょうね。南京の件で、当時の人口は20万人程度だったのに、「30万人が虐殺された」と嘘を宣伝するのもそのせいでしょう。50年後には100万人に増えてるんじゃないでしょうか。
           古事記や日本書紀で大王の没年齢が普通に百歳を超えてるのも、中国の数字を盛る影響だと思われます。

        3. たい より:

          とある福岡市民さま

          誠に申し訳ありません。
          漢音呉音については私もそんなに知識はないのですごいなあと思いながらボォッと見てたのですが、漢代の人口については若干補足させてください。

          AD2年(前漢平帝時)の人口で5959万、AD57年(後漢光武帝崩御時)2100万、AD146年(後漢質帝崩御時)4756万。
          陳舜臣「中国の歴史」よりの引用です。

          漢代の人口二千万は誤りではないのですが、赤眉の乱で疲弊した後の人口ではないかと思います。最盛期はもっと多いです。
          これがあくまで政府が把握している人口である事は下記名無しUさんの言及の通りです。

        4. とある福岡市民 より:

          たい様
          ありがとうございます。
          中国の人口については高校の参考書で読んだ事がありますが、記憶があいまいです。なにぶん昔の事なので(笑) 漢代に把握されているだけでも結構いたのですね。

  18. ブルー より:

    「流行性感冒」というタイトルに、そういえば流感なんて言い方をしなくなったなあ、と感慨深いものがありました。感冒薬なんて言い方もTVコマーシャルでたまにサラッとナレーションするのを聞くくらい。
    汽船や蒸気機関車が実用化するのはだいたい1800年以後くらいで、それも初期のは燃費が悪く信頼性も低く航続距離も短いものだったようですが、インフルエンザのパンデミックはそれすらも無い大航海時代に毛が生えたような移動手段に速度の18世紀末に既に起こっているのに驚きました。
    寄港地や街道筋の都市が培養基となり感染伝播の拠点になっていたのか。それまでの流行相が国名だったのが第5回パンデミックでは都市名になっているところ、記録手段が克明になったのか、それとも機械技術レベルの向上で交通速度が上がってウイルスの伝播状況が早くなったことの現れなのか、色々想像を掻き立てられるところであります。
    最後にいきなり矢作俊彦の小説の引用が出てくるところが楽しい。「リンゴォキッドの休日」とか「さまよう薔薇のように」とか「マンハッタンオプ」とかよく読んでました。

    1. ポプラン より:

      ブルー 様
      大航海時代には、ロシア経由のヨーロッパ便というかシベリア鉄道路線しか感染経路がなかった。という事だと思います。明治の情報将校福島安正の逆コースともロシアの毛皮商人の欲とデルスウザーラのようなシベリア猟師のカップリングと思っています。
      矢作さんは、シリーズ化すれば良いのにと思う作品を途中でやめてしまう体質が佐藤大輔さんと似ていて不完全燃焼ですが、好きな小説家です。
      矢作さん、AV男優の森林原人さんが筑駒でAKB48の戸賀崎智信さんが筑波大付属なんですよ。高等師範学校附属ってユニークな人が多いですね。

    2. りょうちん より:

      ウィルスを題材にしたSFはウェルズ「宇宙戦争」(1898)や、マイケル・クライトン「アンドロメダ病原体」(1969)がありましたが、「大量輸送時代のパンデミック」を扱ったモノはやはり小松左京「復活の日」(1965)が嚆矢なんでしょうね。
      知名度では日本ローカルの弱みでイマイチなんでしょうけど。
      TOSあたりにウィルスネタがあったかと探したら、S2E12 The Deadly Yearsがウィルスネタの初出です(TNG以降はマンネリ的にウィルスネタが定期)。しかし1967年で、やっぱり小松左京の先見性は別格。

  19. namuny より:

    ポプラン様

    大作をありがとうございます。
    「流行性感冒」、一段落したら図書館ないし買い求めて読んでみたいと思います。

    1. ポプラン より:

      namuny 様
      ありがとうございます。
      この本は、おそらく分担執筆だと思うので各界の方が読むとそれぞれの感想があると思います。宜しければ御一読ください。

  20. 閑居小人 より:

    今朝の産経新聞に
    100年前のスペイン風邪 その時、日本は(上) 
    として、スペイン風邪と呼ばれる未知の感染症に、かっての日本社会がどう対峙したのかを当時の新聞報道を基に記事にしていました。

    この中で、ポプラン先生が解説された内務省衛生局作成の「流行性感冒」からの引用で当時の世界のパンデミックの状況が書かれていました。

    一日前にこの本の存在を知り得てよかったなと思いました。
    単純男ですね。

    ポプラン先生ありがとうございました。

    1. ポプラン より:

      閑居小人 様
      ありがとうございます。
      色々調べるとありました。速水融さんの著書には五味淵伊次郎という医師の栃木県矢板市での血清治療の記録に関する著書が掲載されています。栃木県塩谷郡医師会の会報にも載ってますが現在ご家族不詳となっていますが宇都宮で開業されている方が同姓なので調べればよいのになんて思ってました。この本も地方開業医がノーベル賞レベルの治療に挑むって日本人どこまでやるの?ってビックリしました。

  21. 名古屋の住人 より:

    >ちなみに現在でも、漢方の傷寒論や唐代明代の政治論関係の書籍を日本で探しているような国でもあります

    全くその通りですね。

    私はたまたま中国関係の業務に携わっていたことから、本来の業務ではありませんが、中国のある地方都市の郷土の偉人さんに関する資料収集を任されたことがありました。

    その地方都市には○○○記念館(○○○は郷土の偉人の氏名)という小さな記念館があり、その館長から日本での資料収集を託されたものの、その際に提供された情報はA4(2枚)に箇条書きされた「△△という書籍が日本の京都大学に残っているらしい」とか「○○○さんは1917年に東京美術学校(現:東京藝術大学)に留学していた。その時に〇×△とう展覧会に自作の絵画を展示したようだ」とか、「○○○さんの刻印集が母校である東京美術学校に贈呈されていると聞いた(中国国内では散逸して残っていない)」等々のおぼろげな情報ばかり。。。

    東京と京都の国会図書館、京都大学、東京芸術大学、早稲田大学などの協力を得て8割がたの資料収集ができましたが、最後までわからなかったのは「フキ」という名前の日本人の奥様に関する情報でした。「フキ」も中国語の発音から推測した名前であり、あまりの手がかりのなさに結局断念しました。

    この時に痛感したのは、日本という国の資料保管の丁寧さというか、日本だからこそこれだけの資料が今も現存しているという事実でした。本国では既に散逸してしまっている、一般の日本人にはあまりなじみのない一地方都市の郷土の偉人さんの刻印集は、母校・東京芸大に完全な形で保管されていましたし、東京美術学校留学時代の展覧会に展示された絵画や、○○○さんが東京で新劇の劇団を組織して公演を行ったという当時の新聞記事等々、様々な形でその足跡を追うことができました。

    いや、本来なら雑談掲示板に投稿すべきところ、長文たいへん失礼いたしました。

    1. ポプラン より:

      名古屋の住人 様
      ありがとうございます。
      そうですね、記録を残す事が大事だって教育したのは古代中国人だろうにと思います。小規模戦争はあっても国が全土焦土化したことがないから残っているわけではなく、残したいから残している。国の良さは残しながらグローバル化に対応できないものでしょうか。

  22. 東京スモーカー より:

    ポプラン様

    貴重な論考をありがとうございます。

    さて「流行性感冒」は、出版元の平凡社が、
    同社のホームページにて無料公開しています(4月30日(木)まで)。
    期間中、PDFのダウンロードも可能です。

    ちなみに私は学究的にチェックをしたわけではなく、
    158頁以下のポスターが「100年前のポスター」のサイトに
    あったことからたどり着いただけでございます。

    1. 伊江太 より:

      東京スモーカー様

      貴重な情報提供ありがとうございます。早速ダウンロードしました。

      それにしても、この武漢肺炎。多くの日本人にとっては恐怖の的というより、むしろ「知的好奇心」の対象ということなんですかね。

      1. namuny より:

        東京スモーカー様

        ありがとうございます。私も早速ダウンロードしました。

    2. ポプラン より:

      東京スモーカー 様
      ありがとうございます。
      沢山の人に読んでもらえると名もなき内務官僚も喜ぶと思います。
      (ほとんど内務官僚の親戚気分です。)

    3. ボーンズ より:

      東京スモーカー 様

      情報ありがとうございます。
      連休に入ったら、じっくり読んでみます。

    4. 黒十字 より:

      東京スモーカー様

      ダウンロード間に合いました。ありがとうございました。

  23. はぐれ鳥 より:

    ポプラン様

    大作のご投稿、有難うございます。興味深く拝見しました。私もあの本を読んでみようかなと思っています。

    それにしても、疫病関連分野の裾野が広いことには驚きます。このサイトを見ているだけでも、病理・治療など医学面は勿論のこと、医療機器・試薬・治療薬、感染拡大の数理的分析やシミュレーション、人命と経済との均衡論、政治や医療行政との関係、危機管理・リスク管理の視点、戦争理論に似た防疫戦略・バイオ兵器論、或いは本投稿のような疫病流行の歴史地理、さらには人類の歴史・文化にまで遡る考察まであったと思います。まさに人に喩えれば多士済々、議論は百花繚乱、一部なお不明点については群盲象を撫でるの感もありますが、素人の私には後を追うのが難しいほどです。

    処で私は、割と感染症には強く、子供の頃はしかにかかったことがある程度です。結核(BCGやったか記憶なし)・天然痘(種痘はやった記憶あり)・らい病などは、身近に見聞きはしたものの幸い罹りはしませんでした。その後も、風邪に罹っても扁桃腺が腫れる程度で、寝込んだこともなければ病院に行った記憶もありません。最近は、ワクチン接種もしてもいないのに、その風邪にも罹らなくなりました。なので、今の今までは疫病なんて他人事と思っていたのです。

    今回はその疫病の世界的広がりと影響の大きさを眼前で体験し、衝撃を受け、かなり認識が新たまった感じがします。そして、我が人生における記憶に残る体験がまた一つ増えたという気分です。まだこの騒動は始まったばかりで、自分も感染し最悪死の可能性もある訳ですが、その時は、せいぜいジタバタしないようにしたいものです。(笑)

    1. ポプラン より:

      はぐれ鳥 様
      このサイトには、もう一人伝染病の方が逃げ出しそうな方がおられますが。
      基本的に日本では、終戦直後1948年から1949年にGHQの指示で中止している時期を除くと、非ワクチン原理主義の両親でない限り予防接種しています。
      特にBCGはやって無いと言うと今晩お母さまが化けて出てくるかもしれません。
      以前の日本人は結核が恐怖でしたので、母親は祈る気持ちで必ず打っています、自然陽転者以外。
      スタンプ注射の跡がないのは、1949年から1967年まではスタンプ注射ではなく皮内注射だったので跡が目立たない人がいます。私はそれで以前母に弟はBCG打ってるけど僕はBCG打ってないんだ。と言ったら「あなた達兄弟の予防接種は完全にやってあります!」と母が火を吹くように怒り出したのを思い出します。
      母子手帳が残っていたら探して見ると感動します。

      1. はぐれ鳥 より:

        ポプラン様

        ご教示、多謝です。
        そうですか、私が生まれたのは、丁度そのGHQ指示で中止していた頃に近いです。末子なので、両親が死んで既に30年以上経っています。なので、実家を探しても私の母子手帳などは残っていないでしょう。ということで、せいぜい新型コロナには感染しないよう行動したいと思います。
        有難うございました。

  24. 海コン より:

    ただの妄想垂れ流し屋です。
    ウイルスの起源が、中国東北部だとすると、蔓延に関係ありそうな因子として馬ぞり「トロイカ」も、捨てがたいのかなと妄想して遊んでいます。(さっきまでばんえい競馬見てたもんで)。冬場に路面凍結しなきゃ威力を発揮しない(速度の出ない)馬橇の御者さんが、知らず知らずにして冬の繁盛期に自ら感染源になったのかと。逆に夏は地面が凍ってないので次の中継点に行くまでに冬より時間がかかるので、その間に自然治癒したのかと・・・。
    くだらない妄想吸いません。
    人間が荷物を遠方に輸送しなきゃ蔓延が防げたかと妄想しつつ今宵は遊びたいと思います。。

    1. ポプラン より:

      海コン 様
      ウイルスは、インフルエンザの場合貨物の上では長時間感染力を維持できません。コロナは数日のようです。従って以前御指摘だった(ような気がする)、海上輸送だと船員が上陸するしお酒も飲みに行くという形で、馬車は駅逓のようなシステムで御者や同乗者が感染源として駅のある町に伝染させていくイメージを持っています。駅逓というのは北海道開拓時代のシステムですが、馬車時代は古代から合ったシステムなのでロシアにも在ったろうと思います。これは福島安正の記録を読まないとわかりません、また宿題が増えました。

  25. 成功できなかった新薬開発経験者 より:

    ポプラン様

    大変興味深い論考、ありがとうございます。

    「「混合感染」で亡くなっている」

    自分が引っ掛かっているのはまさにここです。

    武漢肺炎は恐るべきものではありますが、当時、世界大戦で、公衆衛生が
    ズタズタになっていました。

    今は、少しはましになっているので、地獄には落ちないのかと、期待しています。

    1. ポプラン より:

      成功できなかった新薬開発経験者 様

      >武漢肺炎は恐るべきものではありますが、当時、世界大戦で、公衆衛生がズタズタになっていました。今は、少しはましになっているので、地獄には落ちないのかと、期待しています。

      私もそう思っているのですが、

      国民の自粛疲れ→ATMの韓国を見習え攻撃→大量PCR検査→患者集中→病院外来がクラスター化→医療崩壊

      の流れはありますよ。
      ATMは何としても日本の医療崩壊をさせて安倍政権を倒す。通貨スワップさせないと潰れる心の母国のためなら日本を地獄に落とすことになっても何でもやると思います。

    2. りょうちん より:

      みんな「インフルエンザ菌」って知ってるのかなあ・・・。
      「おいおいインフルエンザはウィルスだぞ」としたり顔で突っ込む人がw

      1. ポプラン より:

        りょうちん 様

        それは・・・・
        流行性感冒の時代にはインフルエンザ「菌」のワクチンは有効とは評価してませんね。
        意外と肺炎球菌ワクチン使用にこだわる人もいて、インフルエンザ菌でも肺炎球菌でもワクチン打っておけば細菌性肺炎への進行予防になって死亡率低下の効果があるかもしれません。

  26. ポプラン より:

    以前お読みいただいた方々への宿題報告です。
    1)駅逓について
    大正7年12月26日発行の福島安正著『伯林より東京へ 単騎遠征』
    で確認できました。
    駅逓のような馬の貸し借りのシステムまではいかず、馬産地なので
    馬を売買しながら地方の首長官舎やコサック騎兵の駐屯所のような所、
    民宿のような所を使用して旅行しています。
    商人が移動するのは可能ですね。
    2)北米航路の船団護衛について
    1998年4月20日発行の平間洋一著『第一次世界大戦と日本海軍』
    を読みましたが、中国から北米への苦力の輸送と
    日本海軍の船団護衛というのは記載ありませんでした。
    日本の参戦は、英国内でも賛成反対があり戦後の日英同盟廃棄への
    影響もあったようです。
    また最初中立であったアメリカ国内ではドイツ系の新聞が反日を
    煽って黄禍論に油を注いで反英国の方向に誘導していたようです。

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