【読者投稿】平均寿命から見える経済と「社会の余裕」

端的にいえば、力作です。それもまるで吸い込まれるかのような、です。当ウェブサイトではかなり以前から読者投稿を募集しており、不定期で掲載させていただいているのですが、なかでも優れた論考を寄せてくださるのが伊江太様というコメント主の方で、これまでに武漢肺炎(コロナ)禍に関する論考などを複数回寄稿してくださいました。今回の原稿は、武漢肺炎からの「派生論点」ですが、投稿者様からのご要望に基づき、異例の2回仕立てでとさせていただきます。

読者投稿募集のお知らせ

読者投稿の募集と過去の読者投稿一覧』でもお知らせしている通り、当ウェブサイトでは読者投稿を受け付けております。これは、読者コメント欄だけでなく、当ウェブサイトの本文でもオピニオンや論考を発表する機会を、当ウェブサイトの読者の皆さまにも共有していただくための試みです。

ちなみに当ウェブサイトに読者投稿を寄稿していただく際の注意点について、簡単にポイントをまとめると、次の通りです(詳細については上記記事でも明示しています)。

  • ①最低限の条件は、「読んで下さった方々の知的好奇心を刺激する記事であること」
  • ②政治、経済系の話題であれば望ましいものの、基本的にジャンルは問わない
  • ③筋が通っていれば、当ウェブサイトの主張と真っ向から反する内容であっても構わない
  • ④多少のスラングや専門用語があっても良いが、できるだけ読みやすい文体で執筆してほしい
  • ⑤コピーではなくオリジナルの文章であり、他人の著作権等を侵害していないことが必要
  • ⑥個人情報などを特定される内容を含めない

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

さて、過去に当ウェブサイトに優れた投稿の数々を寄せてくださっている「伊江太」様というコメント主の方から、これまでに武漢肺炎に関する23本にも及ぶ、優れた読者投稿をいただきました。武漢肺炎以外のテーマを含めれば24本です(過去論考については本稿末尾にまとめておきます)。

今回は「平均寿命」をテーマに、大変興味深いご投稿を賜りました。

ただし、投稿者様いわく、「今回はあまりに長すぎるため、前後編2つに分けました」、とのことです。一気に掲載しても良いのですが、ちょっとした「どんでん返し」も含まれているため、今回は投稿者様のご希望に沿って、前編と後編に分けて紹介したいと思います。

なお、少しだけネタばらししておくと、「図表2のX国」は、以前の「トリレンマ」でも取り上げた話題も含め、伏線を回収しているのかもしれません。

ここから先が、投稿の原文です。

平均寿命が意味すること(前編)

先日公表された令和4年簡易生命表で、昨年の日本人の平均寿命が2年連続で前年より短縮したことが明らかになりました。その短縮幅は2021年が男0.09年(1.1ヵ月)、女0.14年(1.7ヵ月)、2022年は男0.42年(5.0ヵ月)、女0.49年(5.9ヵ月)です。

この「2年連続の短縮」、戦後、日本人の平均寿命の急速な伸長が始まって以後も、単年度でなら何度か、ごくまれには2年連続で前年より平均寿命が短縮したことはあったのですが、「半年分近くも一気に短縮」というのは初めての出来事です。

平均寿命が短縮した理由は明らかです。

武漢肺炎の流行が始まって以来、広い年齢層でそれまで順調に低下してきた死亡率が上昇に転じていることは、前回の『【読者投稿】武漢肺炎で若年層も含めて超過死亡拡大か』でも指摘しました。平均寿命の計算法からして、それが寿命の短縮という形で影響しないはずはありません。

問題はこれが過去に起きた一時的短縮と同じように早期に元に復するものなのか、あるいは下手をするとこれまでに例のない長期的停滞に陥ってしまうのかということでしょう。

武漢肺炎制圧の目途さえ立たぬ今、危惧を抱くのも必ずしも故なしとはしないように思えます。ただこれは、今後の推移を見続けてやっと結果が見える話。現時点であれこれ考えても始まりません。

この稿に書いてみたいのは、日本の男女合わせた平均寿命が半世紀以上に渡って、一度も世界最長の地位を譲ることなく、また最近まで目に見える伸長を続けていたという事実が、何を物語るのかということです。

そこに顕われているこれまでの日本社会の姿と、今後明らかになってくる武漢肺流行以後の有様との比較は、この感染症が及ぼす影響を相対的に評価する上で、重要な示唆を与えてくれるだろうとの予感が、その根底にあります。

平均寿命はどのように計算されるのか?

毎年、簡易生命表上に男女別に公表される日本人の平均寿命は、その年内に死亡したヒトの年齢を平均したものではありません。これは一種のシミュレーションです。ゼロ歳児の平均余命イコール平均寿命というのは、大抵の方がご存じだと思いますが、どうやって算出するかまで説明できる方はそう多くないかも知れません。

やり方は大して難しいものではありません。

簡易生命表の公開に先立って、やはり厚労省から、当該年の人口動態調査の結果が公表され、この中で年齢層ごとの死亡率が明らかになっています。

われわれが目にするのは、5歳刻みで表された死亡率。それも、10万人当り、何コンマ何人というような概数ですが、実際の平均余命の計算に使われるのは、(多分)1歳ごとのもっと細かい数値でしょう。

ともかく、ある年齢の国民10万人がこの後年齢を重ねていくにつれ、最新の人口動態調査に示された割合で死亡していくとするのです。

すると対象集団が百何歳まで歳をとったなら、最早生存者はいないというところまで計算が進みますから、その時点で死亡時年齢ごとに人数を乗じ、その和を10万人で割る、つまり、死亡時年齢の加重平均を求めたのが、平均余命ということになります。

令和4年の簡易生命表に見る0歳の平均余命は、男81.05年、女87.09年です。それが50歳の平均余命となると、男32.51年、女38.16年。50歳の人では寿命が、男で1.16,女で1.07年分、実質延びる結果になるのは、0歳から49歳までの間に起きたであろう死亡が、その計算には算入されないからです。

図表1は、上に説明した0歳の平均余命(平均寿命)の計算を図示したものです。

図表1 平均寿命の算出法

(【注記】平均寿命の算出については、厚生労働省が公開する各年度「簡易生命表」に記載の「参考資料1 生命表諸関数の定義」に詳しい。図は、同参考資料記載の図を元に、本文の記述に合うよう修正したもの)

ある年に産まれた新生児10万人の集団が歳を重ねていくとき、年々どれだけの成員が亡くなっていくかは、年齢別の死亡率から計算することが出来ます。得られる生存曲線の上方、Dで示したエリアの面積が、死亡時年齢と人数の積に相当します。

一方、曲線の下方、Sとした領域は生存中の成員の年齢と人数の積。このDとSの面積がちょうど等しくなる年齢が死亡時年齢の加重平均、つまり0歳の平均余命=平均寿命に当たるのです。

図表の生存曲線は、自然現象や社会、経済的事象の定量的表現にしばしば登場する、シグモイド(ロジスティック)曲線によく似ています。

しかし数学的に定義されるシグモイド曲線とは重要な点が異なっています。少なくともこれをシグモイド様とするには、縦軸の値がとる範囲の中心、この場合なら生存者数5万に当たる曲線上の点を軸に、180度回転させると、元の図形にほぼ重なることが必要です。

しかしそうはならない――。

生存曲線は図の右方、高齢の側が、ずいぶん押し縮められた格好になっています。

そのため、平均寿命と算定される年齢では、最初10万人だった集団のうち約6万人はまだ生存中ということになっています。集団の半数が死亡する寿命中位数は、2022年の簡易生命表の場合、男女とも平均寿命の2.88年後となっています。

毎年平均寿命を求めている本当の理由

平均寿命の計算が一種のシミュレーションと書きましたが、この数値が将来予測としての意味を、全くと言って良いほど持たないことも同時に、指摘しておかねばなりません。

昨年50歳になった人たちを考えてみましょう。

この人達が産まれた1972年に公表された平均寿命は、男70.50歳に、女75.94歳。この人達がこの数字を背負ったままでこれまで生きてきたなら、半数近い人にとっては人生の3分の2がすでに終わった時分ということになります。

この人達が産まれた頃は、まだ年間の出生数が2百万人を超えており、1972年だと203万9千人。これに対して昨年時点での人口は195万5千人(日本人のみの数)。

外国で産まれて、日本に帰化した人などもいるでしょうから、その差8万4千人(4.1%)が、この集団の50年間の死亡のすべてというわけではないにしても、70とか75歳とかいう平均寿命を予告されて生きてきた集団の数としては、あまりに少なすぎます。

しかしいまどきの感覚としては、50歳までになくなる人の数など知れたものというのは、別におかしくはありません。

実際、昨年の簡易生命表によれば、50歳時点の平均余命は、男32.51年、女38.16年となっています。この年代のほとんどの人にとって、まだ人生の半ばを過ぎたばかりというのが、共通した感覚でしょう。

なぜこんなことになるのか、理由は明らかです。

前稿にも書きましたが、日本では4つ年を取る間に、肉体の加齢は3歳分しか進まないという状況が、ずっと続いているからです。ある年に産まれた人口集団すべてについて、百数十年後に死亡時年齢の平均を求めてみたら、平均寿命とされた値の1.3倍程度であったとしても不思議ではないのです。

それでは平均寿命というものに何の意味があるのでしょうか?また、それが毎年算出され、多くの書籍、評論、情報サイトに掲載され、その国際比較が当たり前のようにおこなわれているのはなぜなのでしょうか?

平均寿命がどうやって算出されるのか、上に書いたプロセスをじっくり考えてみれば、その理由は自明でしょう。

毎年、国民全体を対象に生死の状態を調査し、それによって明らかになる年齢ごとの死亡率。これを羅列的に並べるのではなく、数理的、論理的な手続きによって、たったひとつで表現できる直感的に理解しやすい(?)値として導入されたのが平均寿命です。

明示的な形ではないのですが、平均寿命には「その時点での」国民の生命に関わる諸ファクター、健康状態、栄養状態などの暮らしの質、日常の安全度などの情報が包摂されているはずです。そこを読み取らねば、平均寿命という数字、チラッと見てああそうかでお仕舞いにするのはもったいないはなしです。

本稿と次稿は、その含意をわたしなりに解釈してみようとする試みです。

社会に生じた生命の危機は平均寿命に敏感に反映される

図表2に、日本のほか世界8ヵ国で公表された、最近約40年間の平均寿命の推移を示します。

図表2 過去40年間に世界各国の平均寿命はどれくらい伸びたか

(【注記】The World Bank, Life expectancy at birth などをもとに投稿者作成)

この8ヵ国は、わたしが恣意的に選んだわけではありません。

厚労省「人口動態統計月報年計」の参考表に「人口動態総覧(率)の国際比較」として載せられているものです。ご覧のように、うち7カ国は国名を明記していますが、ひとつだけ謎のか…、いや「エックス国」としているクニがあるのですが、なぜそんな扱いにしているかは、続編に譲ります。

ときに香港、スイス、アイスランドなどの人口小国(地域)が上に来ることはありますが、1千万人以上の人口を抱える国々の間で比較するなら、近年日本は最長寿国の座を譲りません。しかも、平均寿命もほぼ一貫して伸びている状態が続いています。

他国との比較は後にして、まず日本の平均寿命の推移について考えてみます。

「ほぼ一貫して」と書きましたが、図表2の日本のグラフを見ると、所々に前年より値が下がっている年があるのに気づきます。

1995年、2005年、2011年――。

これらの年にはいずれも、死亡者の数が前年を5万人程度上回っています。阪神淡路大震災があったのが1995年、2011年は言わずと知れた東日本大震災が起きた年です。

災害による直接の死者はいずれも5万人に届きませんが、多数の被災者が長期にわたって不便な避難所暮らしを強いられたのですから、震災関連死としては計上されなくとも、それが寿命を縮める遠因となった人の数は、それほど多かったということだと思います。

2005年の場合、台風による九州の洪水被害が激甚災害法の適用対象になったりしていますが、おそらく、年初に繰り返し襲った寒波と豪雪、さらに年末の異常寒波が多くの死亡が発生した原因ではないかと思います。この年に死亡率が顕著に上昇した年齢層は、70歳代以上の高齢者層に限られています。

似た理由によると思われる平均寿命の短縮は、2003年にフランス、イタリア、ドイツなどで観察されるものでしょう。この年、ヨーロッパ各地は500年来と言われる熱波に襲われ、普段の年のこの地の気候でなら不要なクーラーはもちろん、扇風機すら持たない家庭が多かったこともあって、多数の高齢者の死亡が発生しています。

自然災害による死亡の増加は、ときにその規模が大きいだけに、明らかな平均寿命の短縮をもたらすのですが、一過性の事象だけに、翌年以降はまた元のペースに戻っています。

経済不況は平均寿命の短縮に繋がるのか?

日本は「失われた30年」とも言われる長い不況に苦しみました。

その間、生活の質の低下、栄養摂取の不良などが起きていれば、当然平均寿命の短縮ないしは停滞が起こって然るべきと思うのですが、図表2のグラフからはそうした傾向は読み取れません。

唯一、経済要因の関与が疑われるのが、1997~1999年に見られる、平均寿命の伸びの鈍化でしょう。

1997年には、北海道拓殖銀行、日本長期信用銀行、日本債券信用銀行などの金融機関、山一證券の破綻が起き、この頃から2003年にかけ、失業率も急上昇しました。

この平均寿命の停滞の理由が経済的要因によるとするなら、それはまた新たな疑問を生みます。この平成大不況の後、一時的な経済の持ち直しが見られたものの、2008年のリーマンショックという超弩級の経済困難に見舞われます。派遣切り、年越し派遣村などという言葉が新聞紙面を踊りました。

しかし、2000~2010年まで、日本の平均寿命は旧来と変わらぬペースで伸長を続けているのを、どう説明すれば良いのでしょう?

名目GDPで比較すると、2000~2010年の10年間に、米国では10兆ドルから15兆ドルへと、1.5倍に増加している一方、日本では535兆円から506兆円へと逆に縮小し、当然国民一人当りの所得でいえば、この時期、米国の富裕化と日本の貧困化という正反対の方向に進んだはずなのです。

図表2に見られる米国の平均寿命の伸びは、日本に比べて明らかに鈍く、しかも2000年以降、むしろ短縮化の傾向が出ています。

面白いことに、共通通貨ユーロの採用による相対的輸出競争力の強化という恩恵を受け、欧州で一人勝ちと言われたドイツでも、平均寿命の伸びの鈍化から停滞の傾向が、近年顕著になってきています(※ちなみにドイツの名目GDPは2000~2010年の間に約20%増加しています)。

長期に不況が続けば、生活の質の低下とそれに伴う栄養摂取の不良や、必要な医療が受けられないことによる健康状況の悪化、さらには社会の治安、その他安全が脅かされる種々の問題が発生するなどの理由で、平均寿命の短縮は避けられないように思えます。

実際、それを目の当たりにしたのが、1991年に起きたソ連邦崩壊に伴って起きた平均寿命の劇的短縮でした。図表3にロシア(1991年までソ連邦)に加え、日本、米国の平均寿命の推移を示します(※後に参照する目的で、表示は男女別のものにしています)。

図表3 日米露3ヵ国の男女別平均寿命推移の比較

(【注記】The World Bank, Life expectancy at birth などをもとに投稿者作成)

医療を含む社会システムがまるごと崩壊してしまったのですから、これくらいの平均寿命の短縮は、あるいは当然なのか知れませんが、しかし、内戦で大勢の人死が出たわけでもなし、餓死者が出るほどの食糧減産に見舞われたのでもありません。

それにしては、その短縮の幅も速度も大きすぎるような気がします。

そして、石油、天然ガスの国際価格の上昇を受けて、好景気が到来した2000年代中盤以降の平均寿命の伸びは、米国はもとより日本をも遥かに上回っていることも注目すべきでしょう。

ロシアのジェットコースターのようなグラフの上がり下がりは、この国の国民一般の生活が、常にカツカツの状態にあり、ときどきの社会状況の善し悪しが、敏感に平均寿命の伸縮となって顕われてくる、というのが、妥当な解釈であるように思えます。

すると、日米欧では、平均寿命のあまり大きな伸縮が起きないのは、国民生活に多少の不利な状況が生じても、それを短期間に吸収してしまうほどの余裕が、社会にあると考えて良いのではないでしょうか?

リーマンショックが起きた後の一時期、私の住む地方政令指定都市の中央駅で、駅の南北を繋ぎ、改札口にも通じる屋根壁付の2本の通路に、突然段ボールハウスが現われて、日に日にその数が増えて、通路の両側をほとんど埋め尽くさんばかりとなり、驚いたことがありました。

同じようなことは、多分日本中あちこちで起きたんじゃないかと思います。

それら段ボールハウスは、一月も経たぬうちに、一晩で忽然と姿を消しました。警察が手入れをおこなったという話は聞きませんから、おそらく市が宿泊場所等を手配したんでしょうが、肝心な点は、そうした事態はその後二度と目にしていないということです。

新たに生じた危機的事態にも、付け焼き刃ではない恒久的施策が採られて、その分社会の安定性が一段増す、そう捉えられるエピソードではないかと思うのです。それが上で言った不具合を吸収できるだけの「社会の余裕」の意味です。

平均寿命の伸びに繋がる生活の質の向上とは?

図表2、3のグラフの左端に設定した1980年という年に、わたしは家を持ちました。もちろん、ローンを組んで。

家は一度建ててしまえばそれで終わりというものではありません。

外回りの補修、必要が生じたり、時代遅れっぽさが気になったりの屋内のリフォーム。そのたびに結構カネは掛かります。家内が働き始めたことや、公庫融資を超低金利の銀行ローンに借り換えたことで、ローンの負担は減りましたが、その代わり、不況期に入った後は、給料は上がらず。定年を迎えてここ10年は年金暮らし。

そうした中で感じたことです。

ハウスメーカーのリフォーム担当者と相談のたび、提案される部材が、家を建てた当時なら一段も二段もハイグレードの家で使われていた類いのもの、それも後になるほど見栄えも機能もアップしていくのです。それが新しい標準。そして「それじゃあ、それでお願いします」と言える価格帯に移行してきている。

長く日本を苦しめていると言われるデフレですが、本当のところは、価格上昇を伴わない品質の向上という風に捉えるべきではないのか?

なにもこれ、個人の買い物に限った話じゃないのです。

商店街に新しくできた各種の店舗、郊外にオープンしたショッピングエリア、外見も中身も、わずかの間に急速に上質化していないでしょうか。失われた30年と言われ始めた頃からを思い出せば、電車やバスの車両が、今日までに何代更新され、快適なものに変わったか。

そのことどもから考えれば、この期間の日本社会に、停滞し、衰退のフェーズに入ったなどの表現を当てはめるのは不適当に思えます。

「そんなの都会に限った話、衰退する地方を見よ」。

そんな反論はあるかも知れません。

しかし、地方の過疎化は、高度成長期以来ずっと続いてきたことです。わたしの若い頃には、集団移転、廃集落などの言葉を結構聞いたように思います。

いま、わずかな高齢者だけで暮らす、限界集落なるものは至る所にありますが、自給自足で生活しているはずもなし、生活必需品が入手でき、何より喫緊の問題、医療へのアクセスが確保される環境であるからこそ、この地に骨を埋めたいという想いも貫けるはずです。

さらにいのちの安全に繋がる問題。

この災害列島では、大規模火災、地震、津波、台風、洪水、等々、被害のない年などありませんが、数百年に一度くらいの頻度で襲ってくる東日本大震災クラスのものならいざ知らず、災害死の規模は確実に小さくなってきていると思います。

耐火、耐震建築の普及、治水、ハザードマップ、防災情報の整備。諸々の対策が着実に進んでいることを示しているのでしょう。

平均寿命vsGDPのパラドックス

生活の質的向上、生命の安心安全を保証するシステムの強化が、日本の平均寿命が持続的に伸長する背景にあるとするなら、前節に挙げたさまざまな事柄のどれを取ってみても、必ず金銭的な裏付けがあるはずです。それも相当巨額の――。

それらは当然、日本のGDPの中に含まれているはずです。

日本のいわゆる「失われた30年」は、図表2に表示する約40年の中にすっぽり含まれます。

ほとんどGDPの拡大がない中、常に平均寿命の伸長を保証するだけの「余裕」が産み出し続けられていたということでしょうか? また、この間高い経済成長を誇った米国、ドイツでは、その成果は平均寿命の伸長に必要な「余裕」には、大して回っていなかったということなのでしょうか?

この辺の疑問にヒントとなるのが、それぞれの地に生活の基盤を置き、社会状況を分析しているお二人の女性ライターの著述かも知れません。

ルポ貧困大国アメリカ』(2008年、岩波新書)以来、経済指標に顕われる繁栄の姿とは裏腹に、「壊れていく社会」としか表現しようのない米国社会の様を、継続的に告発している堤未果氏。

「独逸観念論的」自己陶酔に浸りながら、却って生活状況の悪化を招いているドイツ社会を、『住んでみたドイツ 8勝2敗で日本の勝ち』(講談社+α新書2013)ほかの、多数の著書や活発なネット評論活動で描いてみせる川口マーン惠美氏。

両氏とも、統計諸資料に立脚して論を進めている点では「数字に強い女性」と言えるでしょうが、その視座が現実の生活に据えられているところに、女性である強みが発揮されているように思えます。

【参考】『ルポ貧困大国アメリカ

【参考】『住んでみたドイツ 8勝2敗で日本の勝ち

(【出所】いずれもアマゾンアフィリエイトリンク)

彼女らの書いたものを読んでいると、急速な経済成長、GDPの拡大という目標は、今や先進国経済の域に達した国にとっては、平均寿命の伸長に必要な「何か」を切る捨てることによってしか、実現できないんじゃないか、という思いすら抱いてしまいます。

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

ここまでお読みいただければ、何が言いたくてわたしがこの稿を書いたのか、多分見当が付かれると思います。

普段から目にするさまざまな日本をディスる内容の巷説。それが、世界一の長寿国、しかも平均寿命の伸長が継続的に続いているという事実と、果たして折り合いが付くのか付かないのか、それを考えてみたいということです。

いつものことながら、書き始めると文章のボリュームばかり大きくなって、早8,000字にも達しようとした段階で、俎上に上げたい事柄がまだいくつも残ってしまいました。ここで一旦終わりとし、残りは後編にということにさせていただきます。もちろん【読者投稿】への掲載がお許し願えれば、のことですが。<了>

参考リンク

以上が、伊江太様からの投稿の前半部分です。

なんとも続きが気になって仕方がありませんし、ウェブ主だけがすでに後半を読んでしまったことにいささかの罪悪感もないわけではありませんが、とりあえず本日に関しては投稿者様からのご希望もあり、前半部分のみの掲載とさせていただきます。

さて、ここからは伊江太様からの過去論考のリンクを掲載しておきます。

伊江太様から:「データで読み解く武漢肺炎」シリーズ・全23稿
伊江太様から:番外編

全部で25本あり、どれも力作ぞろいですが、理系っぽい記事ではあるものの、最後の1本は経済ネタであり、客観的なデータや数理的な理論を現実社会に当てはめていく手法は、本当に「お見事」というほかありません。

伊江太様、今回も力作のご投稿ありがとうございました。

また、続編についても現在、文章を整えている最中であり、準備が整い次第、当ウェブサイトに掲載したいと思います。どうかお楽しみに!

本文は以上です。

読者コメント欄はこのあとに続きます。当ウェブサイトは読者コメントも読みごたえがありますので、ぜひ、ご一読ください。なお、現在、「ランキング」に参加しています。「知的好奇心を刺激される記事だ」と思った方はランキングバナーをクリックしてください。

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読者コメント一覧

  1. sqsq より:

    かつて日本一の長寿県だった沖縄県、今は47都道府県中43位。
    たった3~40年でなぜこんなことが起きるのか。
    原因は食生活ではないかと言われている。
    アメリカ軍政下にあったころ沖縄ではアメリカと同じく牛肉が安い値段で買えた。
    復帰後もしばらくは低関税で安く手に入ったという。沖縄は大腸がんで死亡する人が多いという。

    日本人の全体の食生活も肉食が多くなっている。今後は日本人全体の平均寿命も下がっていくのだろうか。

    1. 匿名 より:

      かつては 「長寿世界一の沖縄!」 とマスコミが持ち上げまくり、漫画 「美味しんぼ」 でも 「長寿の秘訣は沖縄料理にある!」 という話が作られたりしましたが、沖縄県出身の元自衛官・惠隆之介氏によると、なんのことはない、「米軍施政下で、衛生状態や医療レベルが劇的に向上したから」 だそうです。

      米軍政府は、亜熱帯気候で風土病も蔓延していた沖縄の衛生環境を徹底的に改善し、医師や看護師をアメリカ本土に留学させて育成したりもしたそうです。

      誰も語れなかった沖縄の真実 ―― 新・沖縄ノート | 惠 隆之介
      https://www.amazon.co.jp/gp/product/4898311644/

      米軍は、日本と交戦中には非人道的な事もたくさんしたが、戦後の占領統治は、本土でも沖縄でも、欧州諸国の植民地支配などと比べたら、はるかに人道的だったわけですね。
      これほどアメリカの世話になっていながら、今なおアメリカを恨んで反米活動をしている沖縄左翼には、韓国人と同じメンタリティを感じます。

      1. 匿名2 より:

        良くぞ、言ってくれました!
        人間、恩は感じに難い上に忘れ易く、恨みは感じ易く延々と忘れず、という傾向があります。
        また、この傾向は知性とも相関があるようにも見えます。勿論、知性が低い程、後者になる傾向がありそうです。
        隣国は、この傾向が顕著なように見えますし、知能レベルの国際テストで良い成績を収めることもあるようですが、知性が全く感じられないですね。知能と知性には、相関はあるのでしょうが、知能を知性に昇華するには、更に一段の努力が必要なのかもしれません。
        尚、更に、何を恨みと感じるかも、知性に依存する傾向がありそうです。知性がある人は、恩にも敏感なので、そうそう、恨みと感じることも少なく、恨みを引き摺ることも少ないです。つまり、知性とは、大きな広い所から、ものを見ることが出来るという事でもあるのかもしれません。
        案外、日本人の、水に流す、というメンタリティは知性の反映かもしれないですね。

    2. 団塊 戯れ言 より:

       沖縄の平均寿命は延びてますよ。
      沖縄の男性
      1975年(72.15歳)
      1985年(76.34歳)、
      1995年(77.22歳)、
      2005年(78.64歳)
      2015年(80.27歳)
      2020年(80.73歳)

      沖縄の女性の平均寿命
      1975年 78.96歳、
      1985年 83.70歳、
      1995年 85.08歳
      2005年 86.88歳
      2015年 87.44歳
      2020年 87.88歳

  2. sqsq より:

    日本人の平均寿命の伸長には医療システムの良さが影響しているんじゃないか。
    日本の医療は「速い、うまい、安い」
    速いは入院、手術を待つ必要があまりないこと。(イギリスは待っている人が数百万人いるらしい)うまいは最新設備(MRI、CTの台数世界一)とそこそこの医者の技術。安いは保険医療に限った話だが、私はコロナ禍に5泊で心臓の手術をしたが自己負担は5万円弱。さらに医療費控除までとって最終的な自己負担は4万円程度だった。

    1. sqsq より:

      日本は医療へのアクセスがいい。
      うろ覚えなんだけど昔読んだ白い巨塔のなかに「銭湯に行くように医者にかかる」というようなセリフがあったような。
      若い人には理解できないかもしれないが、たとえば駅前の商店街の八百屋で繁忙時間がすぎたころ主人が「ちょっと風呂行ってくらぁ」おかみさんが「あいよ、寄り道しないでまっすぐかえってくるんだよ」とこんな感じ。
      「白い巨塔」は1960年代の小説だから、今から60年以上前から医療へのアクセス抜群だったことになる。寿命伸びるはずだね。

    2. 土地家屋調査士 より:

      sqsq 様

      御意見に同意します。
      他の方の御意見も読んでみて、貴殿の御意見が一番、当方の意見と同じでした。
      「早い、うまい、安い」には、予防医療も含まれると思います。職場では社員の健康診断を義務付け、個人事業者にも行政から格安での健康診断の案内が来る。
      早期発見して、早期治療をする。(この制度ですが、会社員の配偶者で専業主婦の方はどのようになっているか?、は当方は存じないのですが。)
      当方の年代になると、血圧、コレステロール、血糖値、血液サラサラの治療薬のいずれかを常用している方も珍しくないです。この様な治療薬は一生涯、常用するようですが。
      治療薬、医師の指導(食事、運動など生活習慣)が3割負担額で重症化を予防する。

      後編で語られるかもしれませんが、平均寿命だけでなく、健康寿命も検討すべきと思います。
      当方の個人的な意思ですが、認知症等で成年後見制度の被後見人に該当する状況になったなら、尊厳死を希望するからです。

  3. namuny より:

    GDPが拡大していないと書かれていますが、実は、円建てのGDPを生産年齢人口で割ると、一人当たりのGDPは一貫して増えていることがわかります。
    社会の効率そのものは一貫して改善しているのです。
    手取りは減っていますが。

  4. 引っ掛かったオタク@思考思索にも虹色ハバネロ より:

    ぱよちん出羽守がソッ閉じしそうなロジカルさ、後編楽しみにしておりマス

    翻って既存メディアの日本考だと「ヤバイヤバイダメダメ」と「イケルイケルスゲーから」の二極(特にアクセス容易なマスは前者)が目につくモノノ、本稿の様な論考は結構絞った検索を試みナケレバたどり着きニクイ印象もアリます
    拡散されるとイイナア

  5. さより より:

    長野県が、食事の減塩対策を徹底してやり、その結果、平均寿命トップクラスの常連になったことは事実です。
    病気と食事の関係はかなり明白です。
    嘗て、長寿県と言われた沖縄県が最下位辺りの常連になっているとすれば、食事に於ける摂生をする節制力も関係があるのかもしれません。つまり、性格力の問題です。
    長野県も、食事の摂生に対する節制力をかなり強制的に徹底させたようです。
    長野県は、塩分摂生を実現する為に、実は、県民の性格力を鍛えていたのかもしれません。
    そう言えば、長野県は、嘗て教育県としても有名でした。つまり、県の減塩運動の主旨を知的に理解し協力する「脳力」は基本的に持っていたのかもしれません。
    ここは、寿命と知的「脳力」との関係も強いのかも知れない、と言う仮説も立つかもしれません。
    そう言えば、粉物と塩分濃度が高いソースの食文化の大阪は、どうなのだろう?

    1. 転勤族 より:

      私の住む本州最北端の地である青森県は「短命県」で有名です。
      男性は1975年から10回連続最下位
      女性は1995年から6回連続最下位
      とのことです。

      青森県の公式見解では「青森県民は塩分を多く摂取し、運動不足で、喫煙率、飲酒率が高い」からとのこと。その裏付けとして「平成22年国民健康・栄養調査結果」では
      食塩摂取量:2位
      喫煙率:1位
      飲酒習慣者:1位
      肥満者割合:9位
      野菜摂取量は31位
      一日の歩数量:46位
      とのデータが示されています。

      転勤族である自分の経験でいえば、公共交通機関(インフラ)未発達による自動車社会であり、カップラーメン消費量はかつて全国1位(現在2位らしい)であり、アホほど酒を飲むし、確かにその通りと思います。
      また日照時間も41位(総務省データ)と三大都市圏(太平洋側)に住んだことのある身として、冬期期間は豪雪と日照時間の短さで憂鬱になります。
      自然に恵まれている一方、健康的な生活をする環境下にないと思います。

      高校卒業時における県外流出率は40%を超え、多くの若者は都会へ行きます。
      県内に残った若者は、上記のような環境下で同じ生活習慣を繰り返している現状を見るに、さよりさまの仮設「脳力」は寿命との関連性はあるのではと思います。

      ちなみに、有名なラーメンYouTuberである「SUSURU氏」も青森県弘前市出身であることは偶然ではないかもしれませんね(酷いこじつけです)

      1. 農民 より:

        転勤族様
         農業視点では、長野と青森は、緯度の差と標高差でちょうど均衡するのか、気候環境が似ていると感じます。距離の離れたリンゴ産地ですしね。それで実際の人間への影響が逆ともいえる状況というのは興味深いです。まぁ嗜好品やら生活習慣では差がありそうですが。

        さより様
         長野県民としては、教育県というのもよく耳にするものの……地元ではもてはやされ他所では見向きもされない信州大学の偏差値はさほどでもなく。
         最近はサンマルイチマル(3010)運動といって、宴会の開始30分は自分の料理を食べ、終了10分前は席に戻り食べ尽くす(有るを尽くすなんて言い回しがあります)という、食品ロス運動が盛んです。減塩とは対極に感じるものです。地頭が良いとかというような「脳力」ではなく、権威主義や、運動・活動に参画するのに意義を感じやすい性向なだけかなーという気がします。御柱祭の参加強制文化もありますし。明確に”左翼県”(左翼は往々にして掛け声だけは立派で無関心を卑下する)なのはここらへんかなと推測しています。
         ただ、”脳力との関連”は納得性があり、疑うものではありません。長野の場合はたまたま結果的にハマったのかなーという感じですね。

        1. さより より:

          農民様

          ありがとうございます。
          実は、長野県のことを書いていて「脳力」の所まで書き進んできた時に、そう言えば、農民様は長野だったのでは?と思いました。
          だから、農民様は「脳力」があるので、いつも幅広い情報から本質的なものを捉えて来て、論理的なことを書かれるのだなと思い至りました。
          農民様は、脳力の方だと思います。

        2. 匿名 より:

          20年程前ですが、青森の林檎農家さんに伺った話。
          当時も気候変動が話題になっていて、「今の青森りんごは昔の信州りんごみたい」「昔の青森りんごの味は今は北海道のりんご」とのことでした。

          林檎のためにも北方領土取り返しに行きますか()

          1. 農民 より:

             中部でブドウといえば山梨だったのが、だんだん長野に入り込んできている、というのもありますね。ナガノパープルうんめぇ。
             北方領土は今現在、心情的以外の価値が薄い(むしろ負担)という議論がこちらでもしばしばなされますが、どこかでひっくり返ることもあるかもしれませんね。数百年後とかじゃアレですけど。

      2. さより より:

        転勤族様

        ありがとうございます。
        青森に関する情報、データと実際の生活を通してのご説明、青森の現状が体感的に理解できます。転勤族様のコメントは、いつもこのように、データとご自分の肌感覚の情報ですので、本当に勉強になります。

    2. sqsq より:

      そういえばラーメン評論家よく亡くなるね。

      塩分の取りすぎじゃない?

      1. さより より:

        これは、間違いない事かも知れません。塩分好きは、短命なのは周りでも経験的に感じます。理由は簡単で、塩分は血管を収縮させるので、動脈硬化になり易いというのは、明確な物理的作用ですから。
        ラーメンは、塩分で血管を収縮させている所に、脂肪分たっぷりのスープでコレステロールが血管に流れ、狭くなった血管壁にベットリくっつくとイメージが湧いて来ます。
        怖っ!

  6. 攻撃型原潜 より:

    「失われた30年」とは誰が言い出したものか分かりませんが、あまりにも言葉だけが独り歩きしてあたかも暗黒の時代の如く捉えられがちです。
    経済評論家やらマスコミのあまりに一つの側面しか見ないキャッチフレーズに捉われ過ぎと思いますが、GDP等の指標を用いた経済学的視点からは、まったく経済が停滞した30年と見えるのでしょう。しかし、この時代に就職、結婚し、マイホームを得て、子育てを行った庶民としての自分の感覚で言えば、他の世代より恵まれていたという実感しかありません。
    10年余りの間に大卒の初任給が約1万円から10万円以上に急激に上がった高度成長期には、GDPも上昇したでしょうが、庶民は急激なインフレを追いかけて、とにかく馬車馬の如く突っ走ることを余儀なくされました。
    バブルを経て所謂「失われた30年」の期間は、インフレ率は2%以下が長く続いて物価は安定し、給料は劇的に上がらないながらも、年功賃金が加算されるためサラリーマンはマイホームや子供の教育等の人生のイベントにはそれなりに対処できて、長期的な人生設計が可能だった等、庶民にとっては暮らしやすい時代でした。

    伊江太様の本論考では平均寿命という切り口からGDPや経済を考えるという新鮮なものだと思います。「失われた30年といい社会や国民の生活環境が悪化したならば、平均寿命も影響を受ける筈なのに一貫して日本人の平均寿命が延びているとは、これ如何に」を、データを使って考えてみるのは面白い視点です。

    そう言えば、江戸時代の元禄以降の安定期に入ってから明治維新に至るまでの期間の経済成長率はある試算によると年0.3%程度だそうです。GDPだけから言えば「失われた30年」よりも更に低成長が長く続いた訳ですが、これを江戸時代の「失われた200年」と呼ぶ人はいないと思います(司馬遼太郎氏はかなり批判的でしたが)。江戸時代を通して平和が続き、人々の生活は安定したため江戸の文化が花開いたことはご承知のとおりです。現在世界へ発信している日本文化の多くは、江戸時代と同じく低成長の「失われた30年」の間に培われてきたものです。「失われた30年」とは一体何を失ったのでしょうね。

    1. はにわファクトリー より:

      失ったのは未来を構想する前向きな心です。
      その原因が「批判精神」をもってして「言論機関」を騙るイエロージャーナリズムにあるのはまちがいありません。

    2. 匿名 より:

      攻撃型原潜様

      >「失われた30年」とは誰が言い出したものか分かりませんが、あまりにも言葉だけが独り歩きしてあたかも暗黒の時代の如く捉えられがちです。

      攻撃型原潜様は、おいくつなのでしょう?
      今は、非正規雇用率40%以上50%に届くか、という時代です。

      バブルが始まる1980年代前半、東京の給与所得者の平均年収は600万円でした。これは、全年代の平均ですが、そこそこの企業に勤めている20代後半の若者でも、500万円程の年収でした。
      又、企業に勤めるとは、正社員になるということでした。
      こういう時代では、若者は、生涯に亘る人生設計は出来ました。
      所が、今はどうでしょう?
      それから40年後の今、年収600万円は、かなり高年収と言われるレベルです。
      「失われた30年」どころか、後退した30年と言えます。

      このサイトにコメントを投稿されている方々は、多分高齢の方、現役引退の方が多いようです。
      この方達は、多分、日本の終身雇用・年功序列の恩恵を、最後の残滓のスレスレの所で享受した方々であろうと感じながら、いつもコメントを読んでいます。
      言葉が悪いですが、平凡な能力を持った者でも、良い思いが出来た最後の年代であろうと感じられます。
      更に言葉をきつくして、何故、平凡な能力かと言えば、コメントの内容からそう感じるのです。
      多分、このレベルの内容のコメントを書く能力しか無ければ、今の時代、正社員にはなれないだろうな、と感じる方々が多いのです。

      攻撃型原潜様に言いたいことは、
      あなたには、1995年以降の若者の苦しみが分からないのですか?
      と言うことです。

      以上、これは、伊江太さんの本論稿の内容とは関係ないことです。
      伊江太さんの論稿は、攻撃型原潜様と同じようには読み取っておりませんので。

      1. 攻撃型原潜 より:

        匿名氏へ
        就職氷河期のタイミングに大学を卒業した方々は不運だったと、気の毒に思います。しかし、その他の時代がバラ色だったわけでもなく、いつの時代でも「人生楽じゃない」し、誰もが順風満帆ということでもありません。コメントは経済概況の話です。
        1995年以降GDPが伸び悩んでいたことは事実でも、日本経済が破綻してハイパーインフレに苦しんだり、今現在の中国のように失業率が20%を超えることも無い、山谷はあれど長い目で見れば安定成長が数十年続くというのは驚異的でラッキーだったと思います。これからも続くとは限りません。人口の減少割合以上に日本経済が爆縮してゆき2050年頃には「1995年から2020年頃はまだ良かった。今の若者の苦しみが分からないのか」という時代が、もしかしたら来るかも知れません。

        因みに「お前だったら正社員になれない」などの批評をする場合は、匿名は紛らわしいのでHNを付けて下さい。

        1. 匿名 より:

          どこまでも、他人の苦しみには鈍感な方ですね。

          先進国で、子供食堂が必要で、それも有志の篤志に頼っている現状が目に入らぬ方のようです。

  7. すみません、匿名です より:

    目からウロコです。

    >生活の質の低下、栄養摂取の不良などが起きていれば、当然平均寿命の短縮

    GDPの数字で判断すれば「失われた30年」
    平均寿命の数字で判断すれば「輝かしい30年」

    どうなんでしょう、日本発コンビニ、回転ずし、アニメ(カラオケ)は世界に受けいられている
    他の国と比べ、高齢者・車イスで外出できるようバリアフリー施策は自慢できる質の向上。

    日本の普通のレールから外れてしまうと、なかなか厳しい人生になりますが
    ⁽国民年金を払っていないと、さらに厳しいですが)
    平均寿命の向上の指標では、人生を全うするのに日本は実はずっと世界一!
    もちろん、これから終末の介護、誰が面倒を見るのかの問題はありますが。

    過剰な健康情報の流布も一因では、TV、新聞、雑誌、ネットで常に煽っています。
    健康情報へのアクセスで、自身を顧みる習慣が食事、運動、交流⁽お酒⁾に役に立っている。

    そして中年は孤独死がありますが、老齢者は地域で交流の機会が用意されていて孤立がない。

    >長く日本を苦しめていると言われるデフレ

    デフレは現金の価値が上がる時代、勝ち逃げの高齢者は年金もあるし幸せ満喫。
    これからは物の価値が上がる時代??借金で家をモノを買って資産を増やす現役が幸せ満喫?

    図表2過去40年間に世界各国の、?が気になりますが、自称先進国ではないですよね・・・。

  8. はるちゃん より:

    私は、GDPのような量的拡大の評価基準は、日本のような成熟したに対して適用するのは適切ではないと思っています。
    日本は、バブル崩壊後の低迷時期もありましたが、東京や大阪などの大都市は、これが低迷する国とは思えないほど景観が変わりましたし今も変わり続けています。
    30年前は東京のオフィスビルの高層階はとても見晴らしがよかったのですが、最近は隣の建物しか見えなくなりつつあります。高速道路や新幹線も順調に建設が進んでいます。民主党政権時代の円高デフレ不況時代に目立った失業者のテント村や新宿のホームレスによる段ボールハウスも見かけなくなりました。
    これが低成長で過大な「借金」に喘ぐ国の姿とはとても思えません。
    私は、日本のような成熟した民主主義国を評価する基準としてはGDPのような量的拡大では無く、質的改善を評価する基準に変える必要があると思っています。
    生活の質がある程度のレベルに達した成熟した国で量的拡大を維持しようとすると、質的改善を伴わない物価高と賃上げの悪循環に陥った国になるのではないでしょうか?年収1000万円でも家賃が月額50万円、ラーメンが一杯3000円みたいな感じの国に。
    このような国では、年収600万円でも貧困層という事になります。
    日本の場合、量的拡大は他国に比べて少なく賃金もあまり上がりませんでしたが、物価と賃金が「安定」していましたので質の改善が進んだのではないかと思います。
    日本のような成熟した国の評価基準は、量では無く質の改善を基準としたものに変える必要があると思っています。
    衣食住、医療に福祉、教育や文化芸術、余暇にスポーツなどを対象としたお金以外の評価基準が必要だと思います。
    経済学も変わらないといけないのかも知れません。

    また、世界的に格差の拡大が問題視されていますが、稼ぐ人が増えるのは問題では無いと思いっています。
    問題は金持ちが増える事では無く、貧困者をどうやってなくすのかという事だと思ます。貧困に陥っても、抜け出すための支援策があり、リカバリーが可能で貧困層が固定化しない対策が必要です。
    維新が、教育無償化やベーシックインカムを提案していますが、貧困解消問題に関してはより一層の議論が深まることを期待したいと思います。

  9. さより より:

    昔から、以下の職業の人達は、長生きであると良く言われます。

    社長(比較的大企業のCEO)、僧侶・牧師司祭などの聖職者、医師、弁護士、裁判官、大学教授、教師。

    これらの職業の特徴は、知的な指導的な役割であり、他人から指図をされることが無く、物事の帰結に関して自らが裁決を下す仕事であり、自分の頭を自主的に自分の裁量で使う、つまり、自分の「脳力」で仕事をしている職業と言えるかもしれません。
    (自分の頭を自分の裁量で使えない職業が多いですね。)

    これは、勿論、他人から与えられるストレスが無いこともありますが、生来「脳力」があるので、自分の(個別の)「能力」の限界を感じる、という内部から生じるストレスも少ないのかもしれません。
    つまり、外部からも内部からもストレスを感じることが少ないと言えるかもしれません。
    つまり、社会に生き、存在するための(個別の)「能力」に余裕がある、と言えるかもしれません。
    「脳力」があれば、様々ないろいろな(個別の)「能力」が自ずと発揮できるということのようです。これは、何も多才ということではありません。
    実際、優れた経営者は、企業の各階層の様々な業務もソツなくこなせる人が多いです。

    本日の投稿のテーマ、
    平均寿命から見える経済と「社会の余裕」
    と、個人の長寿から見える「能力の余裕=脳力」

    長寿には、「余裕」というベースの要素があるようですね。

  10. 迷王星 より:

    デフレは伊江太さんや私のような老人にとっては都合が良いのです.
    何故ならば現役時代の収入から老後に備えておいた蓄えの実質的な価値(それで買える物の質・量)がデフレによって上昇するからです.
    これが正に伊江太さんが書いておられる経験です.

    ところが若い人にとってデフレは悪夢です.
    何故ならば経済成長がないので収入も増えて行かず,老後に備えての蓄えも不可能になるからです.
    つまり現役時代を失われた30年間のデフレ経済の中でずっと過ごす羽目になった世代の大半の人々は,老後への備えを蓄える機会が得られずに老後を迎えねばならない訳です.

    またデフレの中でローンで家を買った人々にとってはインフレによるローンの実質的な減価が起こらず(下手をすればデフレによって賃金までも下がる場合には)デフレによってローンが実質的に増額されたのと同様の影響を受ける訳です.
    これが悪夢でなければ何が悪夢でしょうか.

    >長く日本を苦しめていると言われるデフレですが、本当のところは、価格上昇を伴わない品質の向上という風に捉えるべきではないのか?

    こういうことを言えるのは伊江太さんが既に現役世代ではないからだと思いますが.伊江太さんが仮に毎年の定期昇給を楽しみにする現役世代でありながら,入社して数年で定期昇給が実質的になくなった世代であったなら,上のようなことを喜べないと私は想像するのですよ.

    ところで,

    >失われた30年と言われ始めた頃からを思い出せば、電車やバスの車両が、今日までに何代更新され、快適なものに変わったか。

    と書いておられますが,これは,最近の電車やバスが昔のように何十年と使えるだけの耐久性を求められず,短期間で使い捨てるのを前提とした耐久性・品質で作られている(耐久性を放棄すれば機械装置や電気機器のコストはずっと安価になります)からに過ぎないというのが私の考えです.

    逆に言えば,現代の電車やバスは30年の間に何代も更新せず長期運用しようとすれば,逆に(基本部分まで大きく劣化してしまうが故に)維持コストが大変な額になるような耐久性に欠けた見掛けは良いが安普請な代物だということです.

    因みに,個人的には,電車の車両は80年代末期~90年代前半(バブルによる好景気時代で橋本増税によって日本が本格的な不況に転落するまでの期間)に導入されたものが乗り心地や車内設備の点で最も良かったように思います.要するに高品質の(その代わりにお値段が高い)良い素材や高級な部品や機器を使用して製造されていたのだろうと私は推測しています.

    しかしながらそれら高品質の素材や部品や機器を贅沢に使っているということは,例えば10年単位で行うメンテナンスの際に更新に必要となる部品や機器も高額になるということです.

    ですから,以上のバブル時代に投入された乗り心地の良い車両はそれよりも古い車両が未だ現役で運用されている時期に早々と廃車にされてしまうという乗客からは非常に残念なケースを幾つか見ました.

  11. 元雑用係 より:

    いつもながらの読み応えです。

    前回のご投稿の最後におっしゃっていた「ウィズコロナはご免」を思い出しながら読み進めました。
    超過死亡の増加が止まっていない上、平均寿命の低下は過去の上昇の折り返し点にならないとも限らず、超過死亡や平均寿命の数値が落ち着きを見せるまでは、まだ油断してよいものではないのは確かです。

    X国は統計の集計基準を途中で変える国のことですかね?
    あるいは都合の悪い統計の発表をやめちゃう別の国もありますが、過去の延びを見るとそれじゃないかな。

    1. 新宿会計士 より:

      >X国は統計の集計基準を途中で変える国のことですかね?

      さぁてどこでしょうねぇうふふ

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