【ブログ講座】第4回:客観的事実と主観的意見を分けること

「ブログ講座」も4回目になりました。第1回目ではブログを作る「目的」第2回目ではウェブサイトの選定、そして第3回目では匿名か実名か、といった視点から、「ブログを通じた情報発信」について議論して参りました。ただ、「手っ取り早くアクセス数を稼ぐ」という内容を期待されている方には非常に申し訳ないのですが、今回もどちらかといえばブログを通じた情報発信で気を付けなければならない点についての記述が中心です。いや、むしろ今回の記事については、ブログを作るのに興味がない方であっても、私がどういう姿勢でウェブ評論を行っているのかを知っていただきたいという点では、是非、ご一読を賜りたいと考えている内容です。

ブログ講座の目的

当ウェブサイト『新宿会計士の政治経済評論』では、今年初めごろから「ブログ講座」と題して、「簡単なブログの作り方」、あるいは「ブログの心構え」のようなものを連載しています。「連載」といっても頻度や掲載する曜日は決めていませんが、現在、だいたい週1回、土曜日か日曜日に掲載しています。

ちなみに、いつまで続けるかについてはまったく決めていません。

なぜこんなシリーズを掲載しようと思ったのかといえば、以前、ある読者の方から、「PV数や見栄えを重視するブログではなく、たとえば当ウェブサイトのコメント欄では語り切れないような自身の意見を語るための、簡単なブログの作り方講座があれば良いのではないか」、というコメントを頂いたからです。

ということは、「アクセス数を稼いでカネ儲けをするためのブログ」ではなく、あくまでも「当ウェブサイトなどにおける議論で書き切れない内容を書くための技術論」が講座の中心です。「どうやってブログでカネ儲けするか」という観点からは、おそらくあまり役に立たないと思います。

(※といっても、PV数を「稼ぐ」ためのテクニックについては、本連載で1回くらいは触れるつもりですが…。)

民主主義は脆弱だ

ただ、「ブログ講座」と言いながらも、最初に少しだけ、関係のない話をさせてください。

言うまでもなく、日本という国は、民主主義国です。

民主主義国の中でも、国民が直接集まって国の方向性を決めていく形態が「直接民主主義」、代表者を選んで間接的に国の方向性を決めていく形態が「間接民主主義」です。

そして、日本を含めて民主主義を採用する国の圧倒的多数は「間接民主主義」を選択しています。これは、主権者である国民が直接、国の方向性を決めていくのではなく、選挙によって国民の代表者を選ぶ仕組みのことです。

ということは、選挙のときだけ有権者に媚を売り、普段は私利私欲を追及するような政治家を誤って選んでしまえば、国は腐敗し、民主主義は歪んでしまいますし、そうした歪みを許せない青年将校らが決起した軍事クーデターなどが発生することもあります。

日本の近所には、軍事クーデターが発生した国が何カ国もありますし、日本でも戦前は五一五事件や二二六事件などの騒擾が発生しています。このように考えていくと、民主主義とは本当に脆弱な仕組みなのだと思います。

民主主義を否定するな!

では、民主主義に欠陥があるならば、民主主義をやめてしまえば良いのでしょうか?

私はそうは思いません。なぜなら、絶対権力は絶対的に腐敗するからです。

たとえば、軍事独裁国家でいえば、中国共産党が一党独裁する「中華人民共和国」は、党、政府、人民解放軍、そして社会全体の腐敗と無秩序は酷いですし(※民族性もあるのかもしれませんが…)、金正恩(きん・しょうおん)が君臨する北朝鮮という国の腐敗ぶりは救いようがありません。

また、日本国内にも民主主義を否定する組織がいくつかあります。

その典型例は「日本共産党」という組織ですが、最高権力者である不破哲三・前委員長や、その事実上の部下である志位和夫・現委員長などは、いったいどうやって日本共産党の権力者の地位に就いたのか、その選定過程は不透明そのものです。

翻って「万年与党」とも揶揄されている自民党の場合、確かに派閥によっては腐敗も酷く、過去には金権腐敗もありましたし、最大野党だった日本社会党とも癒着していた時期があることも確かです。

しかし、1993年と2009年、2度にわたって下野していますし、内部から改革しようとする動きも確かに存在しています。何より、国民からの選挙によって2012年12月以降、5回の大型国政選挙を連続で制して来たわけです。自民党が「民意」を得ていないはずなどありません。

ただし、私としては、自民党がやることなすこと、すべてを無条件に支持するつもりはありません。

「この政策を支持する」。

「この政策は支持しない」。

そして、なぜその政策を支持したり、支持しなかったりするのか。それをどう判断するのか。

実は、これこそ、「議論」で決めて行かなければならないのです。

そして、「議論」とは国会議事堂のなかで、議員の先生方だけがやるものとは限りません。現実には、私たち国民が有権者として意思を表示する手段は、選挙以外にもいくらでもありますし、国会議員の皆さんとしても、私たち有権者の意見を知りたがっているのではないでしょうか?

幸いなことに、最近では国会議員でもツイッターなどの情報発信手段を使うことが増えて来ましたし、その気になれば、私たち有権者が直接、政治家に対して自分の意見を伝えることも、とても簡単にできるのです。この機会を活用しない手はありません。

議論のプラットフォームとしてのブログ

少し回り道をしましたが、本論に入ります。

実は、この「議論をすること」の大切さを考えることこそが、私が「ブログ講座」を執筆する最大の動機なのです。

当ウェブサイトの場合、なぜか日々、数万件のページビュー(PV)を頂くサイトになってしまいました。今のペースを維持すれば、おそらく今月の月間PV数は150万件近くに達する可能性すらあると思いますが、そのことに自分自身でも正直、驚いていますし、「嬉しさ」よりも「緊張感」の方が先に立ちます。

ただ、なぜ当ウェブサイトにここまでのアクセスが集まるのかといえば、おそらくその本質的な理由は、人々が「真面目に天下国家を議論するプラットフォーム」に飢えているからではないでしょうか?

実際、当ウェブサイトは「誰も知らないことを教えてもらえるサイト」ではなく、「誰もが知っていること(あるいは誰もが簡単に知り得ること)」に対して「解釈の例」を示し、「議論」を呼び掛けているだけのサイトです。それに、「政治経済評論」と言いながら、話題も著しく偏っています。

それでも、当ウェブサイトの場合、「読んで下さった方々の知的好奇心を刺激すること」を最大の運営目的としていて、当ウェブサイトに頂くコメントの数々を拝読していると、やはり、そうした期待感をひしひしと感じるのです(※もちろん、批判も頂きますが…)。

ただ、当ウェブサイトで行っていることは、べつに私にしかできないことではありません。その気になれば、誰だって同じくらい、いや、もっと多くのアクセス数を集める優れたウェブ言論サイトを構築することができるはずです。実は、その「誰にでもできますよ」、ということを呼び掛けるのが、当「講座」の目的なのです。

民主主義とは非常に脆弱な仕組みですが、それと同時に、いったんうまく機能し始めると、国が発展し、豊かになりますし、また、人々にも「この社会は自分たちで運営している」という自信のようなものが生まれます。結果、独裁国家と比べると遥かに強靭で遥かに豊かな国家が出来上がるのです。

だからこそ、日本の民主主義をさらに良いものにするために、インターネットという空間を活用しない手はないでしょう。

議論の流儀

議論とは「主張の押し付け」ではない!

ただし、ここでポイントとなるのは、「議論」というコトバです。

「議論」とは、「自分が言いたいことを他人に押し付けること」、ではありません。「複数の人が意見を戦わせ、知恵を結集して、より高い次元の知見を得るための手段」のことです。

当然、議論に加わる人のレベルが低ければ、大した結論なんて出て来ませんし、せっかく優れた人が議論に加わっているのに、その人が「自分に批判的だから」という理由で排除してしまったら、意見をさらに良いものにする機会を失ってしまいます。

ブログにおける議論も、これとまったく同じです。

よく勘違いしている人がいるのですが、「結論ありき」で意見を書き連ねても、そんな記事に人々は何も魅力を感じませんし、必然的に閑散としてしまいます。また、人間の知力には限界があります。どんなに優れた賢人であったとしても、必ず議論には穴があります。

かくいう私自身も「金融規制の専門家」と名乗っていますが、「軍事の専門家」ではありません。

このため、たとえば最近話題になっている「韓国海軍駆逐艦による自衛隊機に対する火器管制レーダーの照射事件」を巡っても、軍艦がどういう機能を持っているのか、あるいは戦闘機・爆撃機の違いは何なのか、といった専門的な知識には乏しいのです。

また、最近の当ウェブサイトでは「日韓関係破綻」「韓国崩壊」といったテーマの記事が増えていることは事実です。しかし、私自身、母親(故人)が在日韓国人(※生前に日本に帰化済み)ですが、韓国国内に暮らしたことがないため、韓国国内の日本に対する空気を直接知り得る立場にありません。

こうした私自身の知見の不足を補ってくれるのが、読者コメント欄です。

当ウェブサイトの場合は、読者コメント欄については原則として自由としていますが(※記事と関係ない公序良俗違反のコメントやスパム・コメントについては削除しています)、「コメント自由」と銘打てば、優れたコメントが集まってくるのです。

本当にありがたい話です。

コメントをふるいわける?

といっても私は、「これからブログを開こう」と思っていらっしゃる方に、「コメント欄を自由にしたらどうですか?」などと強制するつもりはありません。

読者からのコメントを受け取るか、受け取らないかは、ブログ主さんの自由ですし、読者コメントをいったんブログ主が保留して「個別承認する」というやり方を取っている人もいます(元防衛省関係者の某有名人がそうですね)。

ただし、こうしたやり方に対しては、私は強い違和感を抱きます。なぜなら、そのような人のブログを読んでも、「どうせその人にとって都合が悪いコメントは付されていないんでしょ?」と思ってしまうからです。

しかし、せっかくブログを開設するならば、そのブログでは、コメント欄を開放すべきでしょう。なぜなら、自分自身にとって耳が痛いコメントにこそ、有益なものが混じっていることが多いからです。

私自身の経験で申し上げれば、ときどき、読者コメント欄に手厳しい批判の意見が掲載されることがあります。もちろん、なかには一顧だにする価値すらないコメントもあるのですが、私自身が見落としていた論点、新たな着眼点に気付くこともあります。

これからブログを開設される方は、「読者コメント欄」を設けた方が良いという点と、「読者コメント」は原則として自由にした方が良い、という点について、是非、前向きにご検討下さると嬉しいのです。

情報を整理する

情報には2つの種類がある

さて、以上までの議論は、ブログを作るうえで、私が考える勝手な意見です。

しかし、ブログを作るすべての人に意識して欲しい(いや、ジャーナリストも含めて情報発信するすべての人に知ってほしい)、非常に重要なことが1つあります。それは、情報には2つの種類がある、ということです。

1つ目は「客観的事実」です。これは、だれが書いてもだいたい同じような内容になるというものです。

最近の事件から、例文を挙げましょう。

(A)「防衛省の発表によると、昨年12月20日、韓国海軍の駆逐艦が海自所属P1哨戒機に対し、火器管制レーダーを照射した。

もちろん、書き手によっては、「昨年」を「2018年」、「平成30年」と書くかもしれませんし、「韓国海軍の駆逐艦」を「広開土大王」と書くかもしれませんが、そうした細かい表現の違いを無視すれば、だれでもだいたい同じような内容のことを書くに違いありません。

一方、2つ目は「主観的意見」(あるいは「主観的評価」、「主観的分析」)です。これは、書く人によって内容がまったく異なる(場合によっては真逆になる)というものです。

例文を挙げましょう。

(B)「こうした韓国海軍によるレーダー照射は大問題であり、韓国による日本侵略の第一歩である。

(C)「こうした韓国海軍によるレーダー照射は大した問題ではないのに日本は大騒ぎし過ぎである。

文章(B)も(C)も、実際に私が日韓両国のメディアやブログサイトなどで目にした意見ですが、両者の主張が見事に真逆であることがご確認いただけるでしょう(もっとも、「レーダー照射」が「大した問題ではない」という点は不適切だと思いますが、「日本侵略の第一歩」も言い過ぎでしょう)。

日本の新聞記事では、得てして文章(A)のような「客観的事実」と、文章(B)、(C)のような「主観的意見」が混ざっていますが、本来であれば、これは非常に不適切です。

まずは「客観的事実」を踏まえ、「それが事実だとしたら、僕はこう思う。」と続くのが、議論の鉄則です。

情報を混同しない

ブログを作成するときに気を付けなければならないのは、この「主観的意見」を「客観的事実」と混ぜ込まないこと、でしょう。

しかし、私が見たところ、世の中の「まとめサイト」などでは、「主観的意見」を「客観的事実」と混同しているサイト記事が多数存在します。酷い場合は、「韓国政府の発表はすべてウソ・捏造」、「日本政府の発表はすべて正しい」、という前提で書かれていることもあります。

これだと、新聞やテレビなどのマスコミ報道を批判する資格はありません。

さらに悪質なケースとして、故意に事実関係を捻じ曲げているサイトがあります。

たとえば、以前、産経系のウェブサイト『zakzak』に、ジャーナリストの加賀加賀孝英氏が執筆した、首相官邸関係者が「今月中に韓国が事実を認めなければ、制裁措置の発動を決断する」と述べたとする記事がありました。

米、新アジア戦略から“無法国家”韓国を排除へ 日米情報当局「韓国は完全に北朝鮮側だ。もはや同盟国ではない」(2019.1.22付 zakzakより)

(※私自身、このzakzakの記事については、賛同するつもりも、批判するつもりもありません。)

しかし、この記事を局解し、「安倍総理が今月中に韓国への制裁を発動すると述べた」、「米国政府は韓国に『もう同盟国じゃない』と述べた」、とする、あきらかなフェイク・ニューズを流したのが、次の『あじあにゅーす2ちゃんねる』の記事です。

安倍首相「今月中に韓国が認めなければ制裁発動するわ」⇒ 米国政府「新アジア戦略から韓国排除するわ。もう同盟国じゃない」⇒ 韓国「イルボンイルボンイルボン」(2019/01/23 11:05付 『あじあにゅーす2ちゃんねる』より)

ちなみに私が確認したところ、安倍総理が「今月中にレーダー照射の事実を韓国が認めなければ制裁を発動する」と述べた事実はありません。

この『あじあにゅーす2ちゃんねる』なるサイトは、明らかにウソでセンセーショナルなタイトルで集客するサイトであり、「知的好奇心の刺激」から最も遠い所にあるサイトです。残念ながらこの手の低レベルなサイトであっても、日々、多数のアクセスを集めているようです。

とくに、記事を悪用されたジャーナリストの加賀氏は、被害者のようなものでしょう。

レイアウトもきちんと分けるべき

この『あじあにゅーす2ちゃんねる』のような悪質なウソブログのサイトは論外ですが、世の中の多くのブログを私が眺めていると、どこまでが客観的事実なのか、あるいはどこからが主観的意見なのか、記事が混然一体となっていて、わけがわからない、というケースもあります。

たとえば、著名な政治評論家、経済評論家などがどこかのオピニオンサイトに投稿した記事をそのまま転載し、それに対してブログ主ご自身の見解を連ねているというブログは多く見掛けるのですが、これらのブログの問題点は、どこまでが他人の意見で、どこからが自分の意見なのか、混然一体となっていることです。

ちなみに当ウェブサイトの場合、引用する箇所は、

引用先記事タイトル(引用先記事の公表日時、引用先のウェブサイト名など)

等の形で出所を明示し、短い文章については最低限、カギカッコ「」などで括るなどしますし、数行の文章を引用するときには、引用箇所を

この部分は引用です。

と、フォントを太字・イタリック(斜体)にしたうえで<blockquote>タグで括ることにしています。

また、外部ウェブサイトからデータなどを加工しているような場合には、必ず

(【出所】XXウェブサイトより著者作成)

といったクレジットを入れるようにしています。

私がこの「引用」にこだわる理由は、自分の意見と他人の意見については明確に分けなければならないと考えているからですが、最低限、「その情報はどこから得たものであるか」についてわかるようになっていることが必要でしょう。

客観的議論の大切さ

さて、「ブログ講座」と言いながら、本連載シリーズを巡っては、読んで下さった方々の参考になる記事であるかどうか、自分でもあまり自身が持てません。

ただ、私が申しげたいのは、「客観的事実」と「主観的意見」はキッチリと分けること、そして「私はこう思う」という意見を世の中に伝えることが何よりも大事だ、ということです。

なぜ民主主義国では「言論の自由」が保証されているのかといえば、多様な意見が社会に存在することを許し、自由で活発な議論が行われることで、結果的に、国がおかしな方向に行くことを防ぐという機能が期待できるからです。

ただし、その前提としては、国民一人ひとりがきちんと学び、科学的思考態度を身に着け、事実と意見をキッチリと分けて考えられるだけの基盤があることが必要です。

といっても、何も難しいことを言っているわけではありません。要するに、「疑わしいデマに惑わされず、一人ひとりがきちんと判断し、決断できること」が大切だ、というだけの話です。

非常に残念なことに、日本の新聞を読んでいると、そもそも取材不足の記事も多くありますし、また、記者の中にはまことに失礼ながら科学的思考態度のない人もいらっしゃるようです。それが結実したものが、朝日新聞社による慰安婦問題捏造報道事件だったのではないでしょうか?

また、日本共産党の場合は党内で最高権力者を選ぶための民主的な手続が存在していませんし、立憲民主党は国会を混乱させて議論を封殺しようとしています。そんな人たちに、民主主義や多様な社会を騙る資格があるとも思えません。

いずれにせよ、私はブログを通じた情報発信をする人が増えれば増えるほど、日本は良くなると考えていますし、そのことについては折に触れて今後も主張していきたいと思う次第です。

本文は以上です。

読者コメント欄はこのあとに続きます。当ウェブサイトは読者コメントも読みごたえがありますので、ぜひ、ご一読ください。なお、現在、「ランキング」に参加しています。「知的好奇心を刺激される記事だ」と思った方はランキングバナーをクリックしてください。

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読者コメント一覧

  1. めがねのおやじ より:

    更新ありがとうございます。

    私も1日に何度も立ち寄らせていただいてます。最近は、コメント数が時によっては60とか70とか、(記録更新?)を続けているようで皆さんの熱心な書きように驚かされます。

    ヒントになる意見、一番多いのが、ホッとするまあマトモな意見、ひねくり回した意見、持論のみ、解読不能、書き逃げなど多種の声が聞けて興味深いです。

    一点だけ、私は見てて、しんどいなと思うのは長文過ぎるコメントです。小見出しとか太字や字体変更出来ないので、なるべく簡潔にお願い致します。

    そう言う私も長いのですが更に更に長い方もいらっしゃる。私も反省しております。またたくさんのコピペ貼られる方もいらっしゃいますが、ピンポイントで『コレッ』でお願い出来ませんか。

    コメントを読んでる途中に再々ググるのは、当方だけかもしれませんが、思考が停まります(笑)。また戻って最初から読むハメになる(笑)。初老の意見、お許しを。

  2. 和布刈 より:

    「客観的事実」と「主観的意見」、この分類は本当に重要ですね。
    既存マスコミはよく、「インターネットは匿名だから信頼性が無い」と主張しますが、「主観的意見」であれば議論ができるので匿名でも問題ないはずです。匿名の利点は、多くの意見(≠情報)を集められることに有るのですから。
    また、「客観的事実」言い換えれば「情報」は、一次ソースに誰でもアクセス可能なものならともかく、匿名の情報源からもたらされたものなら、インターネットだろうとマスメディアだろうと信頼できないことに変わりはありません。マスコミは「署名などで文責を明示しているから大丈夫」などと言いますが、植村某氏の件で分かるように実際に責任を取っているわけではないので意味がありません。
    ただ、現実問題としてマスメディアを含めた情報発信者が「意見」と「情報」を混ぜていることは多いので、受け取る側がそれを区別するリテラシーが必要だと私は考えています。
    その点で、この記事はブログを開設するつもりのない人にも参考になるのではないでしょうか。

  3. 阿野煮鱒 より:

    客観的事実を伝えるのが「報道機関」、主観的意見を言うのが「言論機関」です。日本のマスコミの内、新聞社やTVのニュースなど報道番組は、報道機関に徹するべきだと思うのですが、なぜか言論機関ばかりです。

    情報の分類として、informationとintelligenceという切り口もあります。informationは事実や意見の羅列です。それを分類整理して意味づけを与えたり物事の背後にある動きを読んだりするのがintelligenceです。

    NHKの場合、朝日新聞のような露骨な捏造はしませんが、客観的な事実報道のふりをして、特定の意図に沿って都合の悪い事実を隠匿しながら事実を並べ直し、見るものの意識を特定の方向に誘導します。高いintelligenceを持つ言論機関だと言えるでしょう。

  4. gommer より:

    久米宏のニュースステーションからテレビマスコミの体質が変わったように思います。

    ニュースステーションがウケた背景には、それまでの「ニュースキャスターは個人的な意見を差し挟むべきではない」という価値観からくる退屈さがあったと思うのですよ。
    当時はどのチャンネルも同じような内容のニュース番組ばかりでした。どの番組を見るかではなく、その時間にやっているニュースを見るという感じで。

    ところが、ニュースステーションがウケてしまったから、各局も報道にベクトルを持たせるようになった。
    政府側より反政府側に立った方がセンセーショナルにしやすいから、濃淡はあれど同じような方向性になった。
    そればっかりではないでしょうが、考慮すべき側面かと思います。

    保守の立場から政権批判するという姿勢も結構センセーショナルな内容に出来る気がするのですが、どこか一つでもそんな局ができないものでしょうか。

    電波オークションでDHCチャンネルが地上波に進出したら面白い構図になりそうです。
    虎ノ門ニュースやニュース女子なんて報道ステーションより過激でしょ。

  5. 阿野煮鱒 より:

    > 政府側より反政府側に立った方がセンセーショナルにしやすいから

    民主党政権時代のマスコミは、与党を庇い、失敗や失言を報道せず、「責任野党はしっかりしろ」と自民党を叱っていました。政府/反政府ではなく、反自民なのですよ。その点は一貫しています。センセーショナルな方が良いなら、民主党政権こそネタの宝庫でした。あれを隠し続けたのは、数字を取るという観点からは勿体ないことです。数字よりもイデオロギーなのです。経済合理性はイデオロギーには勝てません。

    放送法の改革はマスコミが全力で叩き潰しますから、実現は難しいでしょう。残念ですが。右の放送局ができたら、ものすごい視聴率が取れると思うんですけどね、今のご時世。経済合理性はイデオロギーには勝てません。

    1. gommer より:

      確かに反政権という表現はちょっと違ってたかもしれませんね。

      民主党政権はマスコミからすると味方感覚があったように思います。それでも首相が変わる毎に批判的な報道が増えたように感じてました。

      しかし自民党は弱腰ですよね。今だってネガティブ報道しか無いのだから、何を恐れる必要があるのやら。
      放送法こそ本当の強行採決で改革してしまえば良い。
      他の法案でも野党が審議に応じなかっただけで強行採決と報道されるのだから、何も変わらないでしょうに。

  6. (老)新参者 より:

    めがねのおやじさま、和布刈さま、阿野煮鱒さま、gommerさま
    同感です。
    そしてこのようなブログを立ち上げてくださった主さまに感謝します。

    もうずいぶん前からテレビ報道聞いて、「何言ってんだ」とモヤモヤしてました。
    このブログはそれを掬い上げてくれ、読者コメントも自由です。
    今まで発信したくても手段がなかった声なき大多数にとってはとても有り難いです。

    大変とは思いますが、今後ともよろしくお願いいたします。

  7. めたぼーん より:

    客観的な見方と主観的な見方を分けるのは、ビジネスでも同じです。議論をするなら客観的事実に基づく共通認識を土台にしないと、噛み合いません。
    今の日本と韓国で考えると凄く分かり易いと思います。

  8. 同業者 より:

    われわれ近代国家の市民は、事実認識と価値判断を明確に峻別します。
    隣国のように「事実なんてどうでもよい」、朝日新聞のように「事実そのものを捏造する」では、近代民主国家や近代市民社会は成立のしようがありません。

  9. 匿名 より:

    「羽織ゴロ」、
    「悪代官」、
    「三百代言」
    の意味を教えてください。

    https://iwiz-chie.c.yimg.jp/im_siggeALiN8rEdTG.S92PKK96PQ—x320-y320-exp5m-n1/d/iwiz-chie/que-10202593995

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