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百年前の書籍「流行性感冒」と、現代に生かすべき教訓

当ウェブサイトでは武漢コロナウィルスSARS-CoV-2蔓延を巡り、「その道の専門家」の皆さまから、非常に冷静で秀逸な論考の数々をご投稿いただいて来ました。こうしたなか、本日は読者投稿には初登場の投稿を掲載したいと思います。整形外科を専門とされる「ポプラン」様というハンドルネームの医師の方から、日々のコロナ感染の脅威にさらされるなか、戦前に内務省が刊行した『流行性感冒』という書籍(の復刻版)を読み込み、その教訓について述べるという、大変な力作です。

読者投稿について

昨年の『お知らせ:読者投稿を常設化します』でもお知らせしたとおり、当ウェブサイトでは読者投稿を歓迎しております。投稿要領や過去の読者投稿一覧につきましては『読者投稿要領と過去の読者投稿一覧(コロナ騒動等)』にまとめておりますので、ぜひ、ご参照ください。

この「読者投稿」としては、「韓国在住日本人」様というコメント主様からご投稿いただく「在韓日本人が見た」という大人気シリーズに加え、例の武漢コロナウィルスSARS-CoV-2の蔓延を受けて、最近はコロナウィルスに関連する記事が増えています(これらについては本稿末尾に紹介します)。

こうしたなか、本日は初登場の「ポプラン」様というハンドルネームのコメント主様から、大変な力作をご投稿いただきました。プロフィールによるとポプラン様は現在50代で、医科大学をご卒業後、整形外科を専門にされているそうです(※もう少し具体的な情報もありましたが、割愛します)。

ポプラン様によると、勤務先の病院でコロナの患者も増えて来ており、日々、感染の脅威にさらされているそうです。その意味で、感染リスクにさらされながら、日々、職務に従事される医療関係者の方々には、日本国民の1人として、心の底から感謝を申し上げたいと思います。

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

ただし、本稿は現在問題となっている武漢コロナに関するものではありません。

今から「内務省衛生局」が編著した『流行性感冒』という書籍(の復刻版)を読み込み、「100年前の教訓をどう現代に生かすか」、という問題意識から執筆されたものです。はたしてどのようなことが書かれているのでしょうか?

(※以下がポプラン様の投稿です。なお、投稿内容については、大意を変えない範囲でかなり手を加えているほか、一部、表現を割愛している箇所等もあります。ポプラン様、不足点等があればコメント欄にて補足してください。)

流行性感冒の教訓

流行性感冒(内務省衛生局編)を読む

細菌学が進歩してウイルスがまだ発見されていない時代、感染症学の権威であるドイツやフランスに留学した明治から大正の日本人は、当時の最先端知識を東アジアに持ち込みました(ノーベル賞の受賞者と共同研究していたのに当時のノーベル賞の基準で受賞できなかった北里柴三郎のも、そのひとりです)。

こうしたなか、『内務省衛生局編 流行性感冒』(以下『流行性感冒』)という書籍は、「内務省衛生局編」とあり、具体的な著者は明らかにされていませんが、おそらくこうした日本人たちやその弟子が分担して書いたものだと思われます。

ところで、この書籍は現在、アマゾンで検索すると、4,400円という値段でオンデマンド購入が可能です。

というのも、国立仙台医療センターウイルスセンター長の西村秀一先生が古書店で見つけた原本を東洋文庫で復刻してくださったからであり、古記録が残っているありがたみを感じた次第です。

そして、この書籍には、現代から歴史好きや探偵の目で見直してみると興味深い点がいくつかあるのです。

インフルエンザパンデミックについて

現代の私たちは、スペイン風邪の経験から、流行が何度も繰り返されることも知っていますし、そもそも病因がウイルスであることも知っています。

私たちはまた、4週間を超える長期の航海や移動は、インフルエンザの伝播には阻害因子となることを知っています。なぜなら、現在の検疫の基準にもあるとおり、ウイルスの潜伏期間は最大10日間、ウイルス排出には症状が出る少し前から感染後2週間までの期間といわれているからです。

したがって、こうした知識を持っている私たちは、過去の事例を分析するにあたっては、「究極の後出しジャンケン」をしていることになります。『流行性感冒』を読むに当たっては、こうした「後出しジャンケン」に注意しながら、その時代の貿易や植民地との関係なども含めて総合的に考えていく必要があります。

『流行性感冒』の目次は

  • 第1章 海外諸国における既往の流行概況
  • 第2章 我邦における既往の流行概況

です。

紙と墨、漢文という文化を中国から輸入していたためか、日本の疾病の記録は古くから残っていますが、ただ、病原の特定等が不可能な時代の疾病については、咳や熱や疾患の伝播の形態から想像するしかありません。

ただ、呼吸器感染症の場合、一度流行すると老幼貴賤の別なく、土地の遠近を問わず迅速に蔓延するという特徴があります。これは、通常の肺炎や結核とは明らかに異なりますし、また特徴的な皮疹や熱型が記載されていれば、麻疹や天然痘の可能性を除外することも可能です。

この『流行性感冒』、日本については第2章で古記録から流行の概況を記述しています(ちなみにその最初の記録は、貞観4年(西暦862年)の『三代実録』にある、「自去冬末京城及畿内外多患咳逆死者多数甚衆」という記述です)。

一方、インフルエンザのパンデミックを扱うのであれば、世界の流行記録とも比較するのが必要なのですが、この点については『流行性感冒』でも、第1章の『国際流行年表』で国内流行との比較ができるよう記載されているのです。

過去6回のパンデミック

ここで、『流行性感冒』からパンデミックと思われる流行を抜粋してみましょう。

(1)第1回パンデミック ロシアからヨーロッパ(1729年)
  • 1729年…ロシアから始まる
  • 1729年から1730年…ロシア、スェーデン、ポーランド、ドイツ、オーストリア、ハンガリー、イギリス、スイス、イタリア、フランス(享保15年・日本全国流行)
  • 1732年から1733年…10月北米、11月ロシア、12月スイス、スコットランド、1月イングランド、2月イタリア、スペイン、4月マヨルカ、ドイツ、フランス(享保18年・日本全国流行)

この第1回パンデミックについて、『流行性感冒』には、次のような記載があります。

カタル性疾患が現れドイツ、スウェーデン、オランダ、フランス、イタリア、スペインに至り新大陸に及ぶ四年間連続して病勢猛烈」「流行2か月前エジンバラでは馬も鼻カタルに罹患した。

馬のインフルエンザは犬しか感染しない別のウイルスですが、インフルエンザウィルス属に何か変異が起きることがあったのでしょうか。

この流行はロシアから始まって北米、ヨーロッパ全域で流行しているため、パンデミックが濃厚に疑われます。

ちなみに日本は火葬なので死者の肺からのウイルス採取は不可能ですが、ロシアの永久凍土層内に埋葬された死体なら、スペイン風邪のようにウイルス採取は可能でしょう。

逆にいえば、地球温暖化で凍土層内の死体が解凍されると、過去の遺物のような疾病が復活することもあり得ますし、とくに天然痘復活なんて悪夢です。

また、もしこれがパンデミックとすると、バルチック地方から始まった1742年から1745年の3年間のヨーロッパ流行(日本流行は延享元年=1744年)は、その後の小流行かもしれません。

(2)第2回パンデミック 1781年(天明元年)
  • 1781年春…北米、中国、インド、西シベリア、ロシアで流行していた記録あり
  • 1782年1月…ロシアで急激に悪性に変化して4万人が感染しヨーロッパ全土へ イギリスでは人口の5分の4が罹患した
  • 1784年(天明4年)日本では谷風と呼ばれた

ちなみにこの流行が日本で「谷風」と呼ばれているのは、谷風(のちの横綱)が連勝していた時期に、「土俵上でわしを倒すことはできない。倒れているところを見たいなら、わしが風邪に罹ったときに来い。」と言っていた本人が罹ったというエピソードにちなんでいるのだそうです。

(3)1829年 第3回パンデミック
  • 1829年…中国から始まる
  • 1830年…中国よりインドネシア、10月にはロシアへ
  • 1831年春…ロシアからドイツ、オーストリア、デンマーク、ベルギー、フランス、イギリス、スイス、イタリア
  • 1832年(天保3年)…琉球風邪:9月下旬に西日本から始まり11月下旬には東北に至る/スペイン、北米、西インド、中近東
  • 1833年…1月 ロシアで再度東から西へ流行
  • 1834年…ドイツ
  • 1836年…イギリス、デンマーク、オーストラリア、南アフリカ、インド/12月 ロシアから西南に向かう
  • 1837年…スェーデン、デンマーク、フランス、イギリス、オランダ、ベルギー、スイス、イタリア、スペイン、ポルトガル
(4)第4回パンデミック(1847年)
  • 1847年…ロシア、ドイツ、トルコ、スイス、イタリア、フランス、ベルギー、スペイン、デンマーク、北アフリカ、西インド諸島
  • 1850年~1851年…後流行
  • 1854年(安政元年)…ペリー来航のためアメリカ風邪と呼ばれる。
  • 1855年 世界各部
  • 1857年~1858年…東西半球
(5)第5回パンデミック(1889年)
  • 2月…西シベリアに始まる
  • 10月上旬…コーカサス
  • 10月中旬…トムスク、プスコフ、セバストポリ
  • 11月中旬…クラクフ、ワルシャワ、ベルリン、ブレスラウ、ライプチヒ
  • 12月上旬…パリ、ストックホルム、コペンハーゲン、ウィーン、ハンブルグ、ミュンヘン
  • 12月中旬…ロンドン、全イングランド、スコットランド、ブリュッセル、ニューヨークから北米全土
  • 12月下旬…イタリア、ポルトガル、ボヘミア、アイルランド、アデン、コンスタンチノープル
  • 1890年1月中旬…ペルシア
  • 2月…香港
  • 3月…南米、インド
  • 4月…日本
(6)第6回パンデミック(1918年・スペイン風邪)
  • 3月…中国
  • 4月・5月…台湾、日本海軍内
  • 5月…スペイン・マドリード
  • 7月…ロンドン、以降全世界へ(1921年終息)

インフルエンザパンデミックの発生原因と経路

さて、次にインフルエンザパンデミックを考えるうえで重要な、パンデミックの発生原因と経路を考えてみましょう。

ジャレド・ダイアモンドは著書『銃・病原菌・鉄』のなかで、「家畜化された動物からの恐ろしい贈り物」として、人間の病気に最も近い病原体を持つ家畜をそれぞれ指摘しています。

  • 麻疹…牛の牛痘
  • 結核…牛
  • 天然痘…牛痘または天然痘ウイルスを持つ他の家畜
  • インフルエンザ…豚、アヒル
  • 百日咳…豚、犬
  • 熱帯熱マラリア…鶏とアヒル

ジャレド・ダイヤモンドはまた、同著のなかで、飼育された動植物とその最古の時代やエリアについて、次のように述べています。

  • 中国で米と雑穀、豚と蚕が紀元前7500年までには飼育栽培化された
  • アヒルはマガモの家禽化により生じた品種で、野生のマガモの飼育は、中国北部で4000年前に始まっていた
  • ブタはイノシシの家畜化により生じてたものであり、ブタの飼育はユーラシア大陸の東西で行われており、中国では新石器時代(長江中流域の彭頭山文化の発祥は紀元前8千年、稲籾が見つかった玉蟾岩遺跡は紀元前1万4000年)からブタは家畜化されていた
  • 満州民族の先祖である挹婁人、勿吉人、靺鞨人は寒冷な満州の森林地帯に住んでいるので、ブタを盛んに飼育していた

古くから豚と家禽と混住していたのは中国であることになります。ただ流行の始まりが中国だとすると、庶民に拡がる疾病の細かい記録を期待できません。というのも、中国の歴史書は王朝が改まってから書かれることが多いからです。

また、民間記録に関しても、あまり期待できません。というのも、中国では記録を残せそうなインテリや素封家が、辛亥革命や国共内戦、文化大革命などを通じて弾圧・抹殺されてきたからです。

(※これが日本の場合だと、紙と墨による記録が地方の名家の土蔵に残っていることが多く、いまでもこうした地方の土蔵の記録によって、歴史の定説が塗り替えられる、ということが頻繁に発生しています。)

というよりも、そもそもインフルエンザの歴史調査では、中国はまったく当てになりません。

儒教思想では、流行病が広がると、飢饉と同様に「君主の不徳」が原因とされます。このため、たとえ同時代人であっても、公言するのには勇気が必要だからです(※ちなみに現在でも、漢方の傷寒論や唐代明代の政治論関係の書籍を日本で探しているような国でもあります)。

昔の感染症の伝播速度

したがって、「震源地」である中国の様子をうかがうためには、周囲の国の流行状況、あるいは当時の外交官や武官による中国駐在記録を辿るしかありません。この点、病原体はヒトやモノに伴って移動伝播するでしょうから、ここでは中国の貿易を考えてみるのが良さそうです。

対欧州交易路は、シルクロードで有名な「草原の道」「オアシスの道」「海の道」です。

北方シベリヤ・ロシア経由、西方シルクロード経由、南方東南アジア経由ですね。

オアシスの道は、隊商での移動。

草原の道は遊牧民の部族単位での移動。

病原体も当然移動可能です。

速度は、13世紀元朝のマルコポーロの旅では大都=北京(1266年)からヴェネツィア(1269年または1270年)まで約3~4年、ヴェネツィア(1271年)から上都=張家口まで3年半かかっています。

感染しないで菌のまま移動できる細菌と異なり、ウイルスの場合、人などの生体に寄生し感染した状態でしか移動できません。

また一人の人間が同じウイルスにもう一度感染するのは稀なので、各宿営地やオアシス都市で感染を起こしながら、複数の隊商や部族が同一方向に時間差をつけて移動しないとウイルスの移動は困難です。宿営地の間隔があいてしまえば感染者が居なくなってしまう可能性もあるからです。

後述する「海の道」については、マルコポーロの復路で3年かかっているのが参考になります。

マルコポーロの復路
  • 泉州(1292年)→シンガポール→スマトラ→セイロン→インド南岸→マラバール→アラビア海→ホルムズ(1294年)→トラブゾン→ベネツィア(1295年)

また15世紀鄭和の大航海でも、次のとおり、ずいぶんと時間がかかっていることがわかります。

鄭和の大航海(15世紀)
  • 蘇州(1405年12月)→コーリコード(1407年初)→帰国(1407年9月)
  • 蘇州(1407年12月)→コーリコード→帰国(1409年夏)
  • 蘇州(1409年12月)→コーリコード→帰国(1411年7月)
  • 蘇州(1413年冬)→コーリコード→ホルムズ→帰国(1415年7月)
  • スマトラより別行動の分艦隊→モルディブ→モガディシオ→マリンディ→アデン→ラサ→ホルムズ→帰国(1416年夏)
  • 蘇州(1417年冬)→ホルムズ→帰国(1419年8月)
  • 分艦隊→マリンディ→アデン→帰国(1420年夏)
  • 蘇州(1421年2月)→ホルムズ→帰国(1422年8月)
  • 分艦隊→モルディブ・アフリカ・アデン→帰国(1423年)
  • 蘇州(1430年12月)→ホルムズ→分艦隊派遣メッカ→ホルムズ→帰国(1433年)

当時は帆船を使用しており、当たり前ですが、ずいぶん時間がかかります。また、当時は「コロンブス以前」であるため、梅毒はなく、鄭和が持って帰ることのできる伝染病といえば、細菌性の疾患や原虫感染のマラリアぐらいだったのではないかと思います。

また、江戸時代のオランダ貿易のデータを見ても、オランダ貿易は年に1回、貿易船がバタビアから長崎に入港してバタビアに帰港する形で行われています(オランダ船は小さな船体に250から300人乗り組んで航行しています)。

本国オランダからバタビアに至るには、「クリッパールート」(※1610年にオランダの船乗りが発見した「吠える40度」を利用するルート)を使用しても、160日から260日くらいを要したようで、ヨーロッパから日本まで荷物なら2年くらいで到着する計算です。

※ちなみに「ヨーロッパから2年くらい」というのは、当時「海禁」(民間人の海上交易を禁止する政策)を採っていた中国についても同じことがいえます。

日本へのインフルエンザ伝播経路とは?

以上より、条件の良い状況でも1~2日の生存記録しか持っていないインフルエンザウイルスが、高温多湿で紫外線の強い環境で輸送される貨物上で、感染力を保持したまま伝播できるのか疑問です。

たしかに隊商のテント内や帆船内だけで見れば、「三密(集近閉)」という環境ではありますが、そもそも「オアシスの道」、「海の道」は移動に時間がかかり過ぎるため、これらの経路を通じたインフルエンザウイルスの伝播は、かなり困難といわざるを得ません。

その証拠に、幕末に蘭方医が種痘を行うために同じウイルスである痘苗を持ちこもうとして、何度も失敗していることなどが挙げられるでしょう。

ちなみに明清時代(※)の中国では、「鄭和の遠征」を除くと、「海禁政策」といって、海賊鎮圧や密貿易防止を目的として、領民の海上利用を規制する政策がとられており、これはアヘン戦争後の1842年の南京条約まで続きます。

(※明清時代:1368年~1912年)

海禁政策(正式名称は「下海通蕃の禁」)では、海外貿易等の外洋航海だけでなく、ときには沿岸漁業や沿岸貿易(国内海運)すら規制されました(※もっとも、朝貢貿易の形で外国との交易は行われていたので、完全な鎖国ではありません)。

ちなみに、中国からのウイルスがシベリア経由で日本に侵入することは、当時の交通事情に照らしても可能でしょう。その典型例が、金沢の銭屋五兵衛も参加したといわれる「山丹交易」と呼ばれるものです。

この「山丹交易」とは、中国とロシアの境界である黒竜江(アムール川)下流のウリチ族、ニヴフ族、樺太北部のウィルタ族などの民族、さらにはアイヌを経由して行われていた、中国と松前藩との三角貿易のことで、移動・航海も短距離、短時間です。

しかし、オランダ貿易における日本へのインフルエンザの伝播経路としては、前述の理由から「オランダから直接」ということは考え辛く、可能性が高いのは中継地であるバタビアや台湾からの間接的伝播でしょう。実際の記録を見てみると、バタビアからなら1ヵ月、台湾からなら数週間で日本に到着します。

  • 医師ツュンベリーの日記によれば、1755年6月20日バタビア出港、8月14日長崎入港。
  • アメリカ船フランクリン号によれば、1799年6月16日バタビア出港、7月20日長崎入港。

この点、日中間の貿易は儲かるという事情もあり、密貿易などを含めて広く行われて来ました。

古くは元代の倭寇に始まり、朱印船貿易、室町期の堺の冒険商人たち、織豊政権期の呂宋助左衛門、さらには江戸幕府初期の長崎外町代官・初代末次平蔵に至るまで、対中国で正規、不正規のさまざまな貿易が行われています。

しかし、中国では明清期には「海禁政策」が取られていたため、こうした貿易は、台湾やフィリピン・バタビアなどの東南アジアを経由した「中継貿易」の形態で行われています。

また長崎では、在日華僑が貿易を行っていました。当初は混住だったようですが、初期の中国人が日本化する一方で、増加する新規中国人は1688年に唐人屋敷が建設され、2000人規模のエリア内で居住することになります。

中国本土と長崎間の航行日数については約1ヵ月と推定されています(※もっとも、中国船に航海日誌は残っていませんが…)。ただし、ジャンクにはアヒルや豚も生きたまま食料用に積載していたという事情もあり、インフルエンザに関しては船上での感染もあり得ます。

現在の検疫の基準(潜伏期は最大10日間、ウイルスを排出するのは、症状が出る少し前から、感染後2週間後までの期間)に照らせば、長期の航海や隊商移動はインフルエンザの伝播にはマイナスに働きます。

地域レベルでの感染拡大は、新型インフルエンザウイルスが発生するたびにあったでしょうがパンデミックには至らないことになります。

正体はロシアの東進と太平洋到達

では、なにがインフルエンザパンデミックの伝播経路になるのか、

ロシアの東進と太平洋への到達だと思います。

ロシアは長くタタールの軛といわれるモンゴル帝国とその後嗣に悩まされてきました。ヨーロッパの毛皮を供給するロシアの毛皮商人は、ウラル以西の毛皮資源が枯渇したためシベリアの毛皮資源に目を付けました。

ロシアとパンデミック
  • 1572年 ロシアのツァーリはシビルハン国侵攻を決断
  • 1578年 コサック首長イェルマーク東進開始、シビルハン国侵攻
  • 1598年 シビルハン国滅亡
  • 1636年 コサックオホーツク海に至る
  • 1640年代からロシアの露清国境地帯への調査侵入が始まる
  • 1689年 ネルチンスク条約で外興安嶺を国境線として確定する
  • 1729年 第1回パンデミック ロシア→ヨーロッパ
  • 1781年 第2回パンデミック 中国→ロシア→ヨーロッパ
  • 1829年 第3回パンデミック 中国→10月ロシア→ヨーロッパ
  • 1847年 第4回パンデミック ロシア→ヨーロッパ
  • 1889年 第5回パンデミック 2月西シベリア→ヨーロッパ

以上から、見事に「震源地は中国」、「ロシア経由でヨーロッパに至る」、という感染経路が確立したと推理されます。なお、『流行性感冒』出版当時の大日本帝国内務省はどこの国にも忖度する必要がない存在であり、少なくとも第5回パンデミックまでは、彼らは情報にバイアスをかける必要がありません。

ただ、第6回パンデミックのスペイン風邪に関しては少し異なります。

第6回パンデミック
  • 1918年3月…中国→台湾と日本海軍内
  • 5月…スペイン→ロンドン、在欧米軍→インド
  • 8月…ギリシア
  • 9月…カナダ、ホンジュラス、ポルトガル、朝鮮
  • 10月…ペルー、中国、南アフリカ、ニュージーランド、アメリカ合衆国

『流行性感冒』の記載によれば、中国で変異した新型ウイルスは、地域流行の形で、台湾と日本海軍軍艦内で発生したものの、次は日本本土ではなく、ヨーロッパに出現します。

これに対してナショナルジオグラフィックの論文『スペインかぜのパンデミック、中国起源説とその教訓』には、次のような記述があります。

1917年冬に中国の万里の長城沿いの村々で呼吸器感染症が流行し、1日あたり数十人の死者が出ていたという。地元の保健当局が「冬季流感」と呼んでいたこの病気は、1917年末には6週間で500kmも離れたところまで広がった。当初、肺ペストではないかと考えられていたが、死亡率は典型的な肺ペストよりはるかに低かった。ハンフリーズ氏は、英国の在中国公使館職員による1918年の報告書に、この病気はインフルエンザだとする記述を発見した。

この1917年冬期に中国で拡大していた疾患を内務省は『流行性感冒』で、

第一流行波は早く東方に発せしものの如し。1918年3月支那に肺炎の流行あり、鉄道沿線に拡がり、肺ペストと誤られたり。

と記載しているのですが、日時の食い違いを除けば、ナショナルジオグラフィックの記述と一致しています。

イギリスとフランスは、膠着して塹壕戦となった第一次世界大戦での決戦兵力捻出のため、後方支援部隊の人員として中国人を送り込み自軍の兵力を前線に出そうと考えます。

1917年冬から北部出身の9万に及ぶ中国人をカナダ西海岸のバンクーバーに送り、封印列車で東海岸のハリファックスまで送って大西洋を横断させます。1918年1月にはイギリスに到着してそこから大陸に送られました。

この頃は、レーニンといい封印列車が良く出てきますね。

フランス北部のノイエル=シュル=メールの中国人病院には、呼吸器疾患により数百人が死亡した記録が残っているそうです。

資料を検討すると、ロシア帝国の東方進出により中国との交渉や取引が発生して本来なら地域流行で終息していたインフルエンザが中国由来の新型インフルエンザとしてロシアに侵入しユーラシア大陸を西進し第1回から第5回の世界的流行(パンデミック)となったと思われます。

ただし、第6回目のスペイン風邪と呼ばれる流行は中国からウイルスが太平洋・大西洋を越えワープしてヨーロッパを直撃する形となりました。第1次世界大戦による中国人労働者の移動が、原因と考えられます。

パンデミックにはウイルスが活性を保ったまま移動する条件が必要で、輸送力と輸送速度が増大した現代はウィルスがパンデミックを起こすには条件がそろった時代であると考えます。

日本におけるスペインインフルエンザの被害
流行 患者 死者 致死率
1918年8月-1919年7月 2116万8398人 25万7363人 1.22%
1919年9月-1920年7月 241万2097人 12万7666人 5.29%
1920年8月-1921年7月 22万4178人 3698人 1.65%
合計 2380万4673人 38万8,727人 1.63%

結語

いま、何でスペイン風邪なのか?

おなじ風邪のウイルスといっても、コロナとインフルエンザは違います。

しかし、「人類が経験したことのない新種のウイルスと出会い世界的に流行したときに何が起きるのか」を巡って、100年前の資料は私たちに、複数回複数年に及ぶ流行の可能性を教えてくれます。

とくに、『流行性感冒』には病理解剖所見も記載されていますから、それを読む限り、当時の死者がすべてウイルス性肺炎で亡くなったというよりは、「混合感染」で亡くなっている事例が多いように思われます。

今は細菌になら有効な抗生剤もありますので、現在に当てはめて「死者が38万人に達する状況」は、よほどの医療崩壊がない限り、あり得ません。しかし、有効なワクチンがなければ、現在でも、集団免疫が獲得されるまで流行を繰り返すことは明らかです。

いま本当に10万円バラマキや消費税引き下げをする余裕が日本にあるのか?

それはこれからの流行状況を見ないとわかりません。

ポケットには、ミルクと砂糖をいれておきながらコーヒーはブラックで飲むのが好きだ。

というのは、矢作俊彦のハードボイルドな主人公のセリフでした。(出典不明)

マスクや咳エチケットなど、100年前の日本人は現在の私たちと同じように困惑・恐怖しながら戦っていました。もし宜しければ皆さんそれぞれの立場で「流行性感冒」を御一読ください。

今たくさん売れると版元が保存して数千年後、地球外生物の感染症に苦しむ人類にも読めるかもしれません。

読後感

…。

原著が戦前の刊行でもあるなどの事情もあり、また、感染経路などについて詳しく紹介して下さっているくだりなどもあるため、ところどころ読み辛い部分もありますが、ただ、専門的な書籍に基づく議論であるため、これはある程度、当然のことです。

しかし、「100年前の資料が私たちにもたらす教訓」というものは、非常に有益です。

ちなみに、内務省は戦後、GHQにより解体されたにも関わらず、大蔵省(現・財務省)や外務省が解体されずに残ったのは、内務省が有能過ぎて、この官庁を残しておけば再び日本が米国にとっての脅威になる、という危機意識が米国側にあった、という説を聞いたことがあります。

あるいは、外務省は無能すぎ、財務省は邪悪過ぎて、それぞれ日本の国益を破壊している官庁である、という言い方をしても良いのかもしれませんが…。

なお、本稿の末尾に、「10万円のバラマキや消費税の減税をする余裕があるのか」という警告が出てきますが、この点については普段の当ウェブサイトの主張(たとえば『国債372兆円増発と消費税法廃止、そして財務省解体』など)とは真っ向から反するものでもあります。

しかし、当ウェブサイトのスタンスとしては、「読んで下さる方々の知的好奇心を刺激する」ようなコンテンツであれば、極端な話、普段の新宿会計士の主張とまったく異なるもの・矛盾するもの・正面から反論するものであっても大歓迎ですので、この点については付言しておきたいと思います。

【参考】コロナ関連読者投稿

末尾に、コロナに関連する過去の読者投稿の一覧を掲載しておきます。

これらの執筆者は、次のとおりです。

  • ①、②、⑥、⑪は現役医師の「りょうちん」様
  • ③、④、⑧、⑩は理系研究者の「ケロお」様
  • ⑤、⑭は工学研究者の「イーシャ」様
  • ⑨は現役医師の「とある福岡市民」様
  • ⑫、⑮は元微生物関係研究室勤務者の「伊江太」様
  • ⑦、⑬は大人気『在韓日本人が見た』シリーズでも知られる「韓国在住日本人」様

これらの投稿はおしなべて冷静であり、現在読み返してみてもきわめて有益です。是非、改めてご参照賜りたいと思う次第です。

新宿会計士:

View Comments (93)

  • ご多忙にもかかわらず、文章の推敲をお願いしたことになり申し訳ありませんでした。すっきりした文章で読みやすいです。ありがとうございました。

    • 仕事が終わって帰宅しました。
      ありがとうございます。
      今回の文章における事実誤認や文責は、
      わたくしポプランにありますので宜しくお願いします。

      もう一度新宿会計士様ありがとうございました・

      • ポプランさま
        お疲れ様でございました。
        そのセリフは、カッコいいですね。
        スッと出て来る所は、尊敬します。

  • 本論の話ではないのですが、これまでと異なりタイトルに【読者投稿】がついていないことが気になりました。
    おそらく文字数による制限かと思いますが、例えば、
    【読者投稿】百年前の書籍「流行性感冒」と、生かすべき教訓
    【読者投稿】百年前の書籍「流行性感冒」と、現代への教訓
    なら、読者投稿であることがわかり易かったかと思います。

    • イーシャ 様

      ご指摘ありがとうございます。私の単純ミスです。今気付きました。

      記事タイトルなので基本的に修正できません、申し訳ありませんがこのままで行きます。

      以後気を付けます。

  • 投稿いただいたポプラン様ならびに掲載していただいた新宿会計士様ありがとうございます。

    呼吸器系流行疾患の広がり方の基本は、今も昔も変わっていないが、移動速度の向上により拡散速度も早まってしまったと言う事が良く判ります。
    また感染拡大防止の基本も昔と何ら変わっていない事も。

    死なない程度に人の活動を抑え、収束の目処が立った時点で徐々に活性度を上げていく手順が現時点で良好な方法ではないかという私の考えは、ポプラン様の考えとも整合が取れているかなと思います。

    • ボーンズ 様
      ワクチンができると余裕ができますね。
      抗原性の変異があるとしても、全くの初回感染とは抗体産生が違うでしょうから。
      現状では献血利用して市中の抗体陽性率確認してから緊急事態宣言終了
      となりそうな気もします。

      • まんなっか 様
        ボーンズ 様

        (食事中ならこの先は読み飛ばしてください。)

        これは何かで読んだか、聞いた話なのか記憶がないのですがアジアでは
        人間の住居に隣り合って豚小屋、鳥小屋があって豚小屋の上には
        トイレがあって人間が排せつしたものを豚は食べる、残飯も食べる。
        そのような住居周囲の地面から出てくるミミズなど昆虫を鳥は食べる。
        そのような環境でインフルエンザは変異すると聞きました。

      • ポプラン 様、まんなっか 様

        ワクチンは開発中かつウイルス変異への対応がどの程度あるのかも現時点では不明ですので、希望的観測の域を出ないと考えた方が良いかも。

        複数のウイルスを同時に感染した場合、抗原シフトによって新しい型のウイルスが誕生するのですが、鳥と豚と人間等と複数の動物が同一の生活圏にいると発生しやすいのではないかと考えております。

  • ポプラン様

    読ませていただきました、ありがとうございます。
    …自分の投稿との、志の高さの違いが凄いなぁ。

    人類の英知の遺産を解きほぐして説明いただけるのは、わかりやすく大変に有難かったです。

    中国が自然に対する人類の癌なのは、昔から変わらないのですね。
    彼らの文明が疾病に無力すぎるのも、公衆衛生より観念が勝るからでしょうし。

    • まんなっか 様

      インフルエンザに関しては、鳥と豚、そして人の揃った環境で醸成されるといわれております。
      (その中心地が中国国内にあると…)

  • ポプラン 様

    有益な文献の発掘と、力作の投稿、ありがとうございます。

    読み始めた辺りでは「以前はロシア発の病気が多かったんだ」と感じましたが、やはり中国発の可能性が高いのですね。それにしても、
    > 儒教思想では、流行病が広がると、飢饉と同様に「君主の不徳」が原因とされます。
    これがある限り、中国発の病を早期に押さえ込むのは極めて難しいですね。
    中国を切り放し、隔離するような経済体制の構築に向かわざるを得ないのか。

    > いま本当に10万円バラマキや消費税引き下げをする余裕が日本にあるのか?
    この点については、直感的に70%位の確率で、そうだと感じます。
    少くとも、来年のオリンピックはないでしょうし(保険金の支払い等もからみ、誰が言い出すかは別として)、数年に渡って影響が残るであろうことを考慮すれば、サービス業を中心に淘汰が進むと思います。
    現状のまま全てを存続させることを前提とした、バラマキをする余裕はないと思います。

    一方、日本の産業を支えてきたのは、世界に通用する技術を誇る中小企業であることも事実です。
    そうした大切な企業を維持するための、経済的トリアージが必要と考えます。
    一時的な不況は避けられないでしょう。失業者も溢れるかもしれません。
    しかし、中国・韓国から産業を国内へ回帰させるには、現職を失うであろう人々は貴重な人材でもあるのです。

    • イーシャ 様
      日本でオリンピック開催が可能になるのは、ワクチンが国民の6から7割に行き渡らないと厳しいでしょう。最低二年は欲しいですよね。オリンピックは日本だけでなく世界が平和でないとできません。東京オリンピックは一度中止になって二度目で成功する運命なのでないでしょうか。嘉納治五郎にあたるのは森さんですかね。

      >数年に渡って影響が残るであろうことを考慮すれば、サービス業を中心に淘汰が進むと思います。

      これは医療の世界も同じで、実際患者の減少で今回発熱外来等に手伝いに出る、予防接種や学校医を引き受けてくれている開業医もかなり倒産・廃業するでしょう。コロナを見ている医療機関だけでは国民の医療は守れませんが診療報酬を上げてと言えば、欲張り村の村長さん扱いですから。開業医は減少するでしょう。
      彼らは、ほぼ金にならない仕事をノブレスオブリージュと思ってしてくれています。

  • ポプラン 様

    投稿、興味深く拝読しました。

    痘苗の持ち込みは、確か湿性環境維持で成功できたのでしたね。

    流行病の歴史と記録は、ヒポクラテスにも素問にもありますね。
    流行病・伝染病は、文明の発祥や拡大と同期していて、人類の定住→交易→都市化、文明化が寄生性微生物による感染症を流行させ伝染させたのですから、文明病といってもよいかも。

    そうすると、ロックダウンや社会的隔離は、その文明を部分的に否定すること後退させることで伝染流行を防止しようとする試みである、という意味になります。
    その成否には疑問がありますが、群れる動物たちの渡りが衛生環境をリセットして流行病を回避している営みに近いものがあります。

    他の動物の常在性・寄生性微生物が、ヒトに感染して病をなしそれが流行病・伝染病となるのは、人の文明が自然界の領域に侵入した結果、他の動物体内では常在性で非病原性であった寄生性微生物たちが「本来」の環境ではない環境に迷い込んでしまった結果だと言えそうです。
    本来の宿主ではない他種の動物=ヒトの体内に迷い込んだ微生物は、当然のこととして非常在性ですから他者として激しい排斥に遇います=炎症ですね。

    寄生性微生物には、
    ①宿主と間で常在性共生関係にある場合(最たるのはミトコンドリアや葉緑体、腸内細菌や皮膚常在菌など)
    ②常在性寄生関係にある場合(時に宿主に有用であったり、無用であったり、傷害を与えたり)
    ③非常在性寄生関係にある場合(無用であったり、有害であったり)
    などがあり得ます。

    ウイルス粒子の形態をウイルスが取るのは彼らにとっても非常時であって、宿主細胞内でウイルス核酸の形で緩やかに世代を継いでいくのが本来的な姿ではないか、という微生物学者もいます。

    インフルエンザウイルスは水鳥の、コロナウイルスはコウモリの、それぞれの宿主の腸管上皮細胞内で核酸の形で常在し世代を継ぎながら穏やかに暮らしている、という平和?な自然界の生態系を、人の文明が浸食撹乱した結果、文明側は流行病伝染病を受け取っていると言えそうですがどうでしょう。

    何れ新型コロナウイルスも新型が普通型?旧型になり、人々の間に常在して穏やかな(時に弱い環を壊しながら)自然生態として定常化していく、という道筋がありえそうで、その途上で我々は右往左往しているようです。

    • geturin 様

      >何れ新型コロナウイルスも新型が普通型?旧型になり、人々の間に常在して穏やかな(時に弱い環を壊しながら)自然生態として定常化していく

      それにいつまでかかるか?何を用意すればよいのか?が問題ですよね。
      まずは正確な抗体・抗原の測定、有効なワクチン、有効安全な抗ウイルス薬でしょうか。

  • ポプラン様

    貴重な論考をありがとうございました。アジア風邪以降、新型のインフルエンザの発生地は中国というなんとなく常識みたいなものができあがっていたのですが、中国奥地とならんで自然宿主のカモ類の繁殖地を抱えるロシア(シベリア)も、歴史的には同じく重要な発生源なんだという有意義な知識を得ることができました。

    一昔前の流行病は文献的に発生から流行に至る経緯をたどるしかないのですが、中国歴代王朝の歴史記録というものが、後代の為政者の都合に合わせて書かれるというご指摘は、21世紀の現代になってもなお、武漢肺炎に関してあの国から出てくる情報がそうしたバイアスを考慮した上でないと真偽の判断が付かないという実態と妙に符合するようです。結局、客観的事実、偏見を含まない記録というものの重要さが理解できない国というのは、どこまで国際交流を重ねても変わらないということなんでしょうね。

    現在では科学的、物的証拠に勝るものはないと考えられがちです。スペイン風邪の正体にしても、ロンドンの医療機関に保存されていた、当時この疾患で死亡した患者肺のホルマリン漬け標本からウイルス遺伝子の断片を採集する研究に始まり、後にアラスカ凍土に埋葬されていた死者の標本からほぼ完全な遺伝子配列が復元されて、現在ではこれがスペイン風邪のウイルスだというスタンダードができあがっています。それが現在でも北米のブタから分離されるインフルエンザウイルスに酷似しているということから、カナダのカモ→アメリカイリノイ州のブタ→アメリカ軍→第1次大戦下のヨーロッパ戦線への参戦→終戦後の帰還兵を通じて世界へという見方が、すっかり定番となりました。しかし、それ以前は今回の論考でご紹介になったように、さまざまなストーリーが並立しており、中国人労働者がヨーロッパに持ち込んだという説も結構根強かったようです。初めて知りましたが、大戦中にこのインフルエンザが西部戦線で猛威を振るう5~6月より以前の3月の段階で類似の疾患が台湾と日本海軍軍艦内で発生したという記録には非常に興味をひかれます。これらさまざまな記録に現われるウイルスが実際にはどんなものだったのか、よほどの僥倖に恵まれない限り明らかにされることはないでしょうが、といって無視して良いものではないですね。

    「流行性感冒」わたしも読んでみようかと思い、市の図書館の蔵書を検索したら、2冊保有はしているものの、どちらも貸出中となっていました。東洋文庫の本が貸出中なんて今までに経験したことがなかったので、ここにも武漢肺炎の影響が出ているのかと、変に感心しているところです。

    • 伊江太 様
      日本海軍の流行に関する部分を切り取っておきます。
      前段は本分の引用部です。
      「1918年の3、4月頃の日本海軍に流行したのは支那より伝わりしならん。5月マドリッドに流行起こり、7月に頂点に達し、漸次消滅す。」

      スペイン風邪関係で日本海軍では1918年11月のシンガポールでの軍艦「矢矧」の艦内流行が有名です。
      速水融氏の「日本を襲ったスペイン・インフルエンザ」には、海軍軍令部長 島村速雄(東郷さんの参謀長)宛ての報告書が載っていますのでそれとは別の流行があったのだと思います。これは、海軍の資料を引っ張らないといけないので安楽椅子探偵には難しいですね。
      ナショジオの文章では、研究者はやはり流行初期の死体を探しているそうです。

      • ポプラン様

        >安楽椅子探偵には難しいですね。

        その通りですね、
        このサイトで何か言うと、高品質のレスが返ってくる。
        そこがいいところ。

  • ポプラン様の御投稿に満腔の敬意を表します。
    政治、経済を論じる新宿会計士様のサイトなのに、何故か読者には医療関係者の比率が多い。
    それは新宿会計士様のアプローチの仕方が、医師の感性に沿うものであり、以前から口コミで広がっていたのだと勝手に想像をしております。

    某田中氏の某銀英伝の中の記述に『医師と教師は革命家の卵』という表現がありまして…
    (某銀英伝の中には、某オリビエ・ポプランという登場人物がいます)(笑)
    医師と教師(本当はここに弁護士が加わるのですが)は、広範な知識とモラルを要求される職業であり、古来より聖職と期待されていました。アリストテレスの古代ギリシア時代から一貫しています。
    レーニンの封印列車が出てきましたが、レーニンは父母が教師だったはずです。

    いかなる時代においても知識人であり、同時に職場の最前線において、世間で最も苦しむ人々を目の前に奮闘することを迫られます。
    時代の不条理に激情を覚えることも多く、目の前の人々を救うために『時の政権を打倒しなければ』と思いつめた医師や教師は、反政権に走り、革命家へと転身していく確率が増えていきます。
    同時に革命政権を樹立した独裁者は、反革命勢力として医師や教師のインテリ層を最も恐れて、粛清の対象にしていくことも多い。
    まあ、革命というものを嫌う自分は、医師の方々に敬意を表すると同時に、革命を担うのではないかという警戒心を常に持っています。そして、彼らの激情を『まあまあ』と宥めたいところです。

    釈迦に説法ですが、やはり言わなくてはなりません。
    三國志演技に登場する華陀という名医は、開頭手術まで行える技術を持っていながら、後の時代にその技術が伝わることはありませんでした。易姓革命を繰り返すたびに、非常に多くの知識と技術を断絶させてきたからなのでしょう。
    そのために、シナ大陸は延々と不衛生なままであり、あまたの疫病の発生源であることをやめないのかもしれません。

    • 名無Uさん 様

      御明察。
      オリビエポプランから名付けた我が家の亡き飼い犬のメモリアルです。
      孫文もゲバラも御同業でしたね。
      キリングフィールドを見てから革命という言葉にロマンは感じなくなりました。
      矢作俊彦の「暗闇にノーサイド」という小説もあの当時のカンボジアが舞台で
      なかなか面白いです。

      • ポプラン様へ

        返信、ありがとうございます。
        革命という言葉にロマンを感じなくなった、ということは、以前はロマンを感じていた時期があった、と…
        いやあ、怖い、怖い…(笑)
        孫文やチェ・ゲバラは代表例ですが、他にフランス革命期のジャン=ポール・マラーや長州藩の大村益次郎などもいたりします。

  • ポプラン様
    読者投稿ありがとうございます。
    文章の端々にインテリジェンスを感じました。
    新型コロナウイルスの様な新規感染症は、これからも中国から(それ以外もあるかもしれない)出てきて、過去より伝播速度の高いものになるだろうと思ってます。
    今回の新型コロナウイルスは、大きな災害を世界にもたらしましたが、これからも起こるでしょう。
    昨日NHKBS1で、ワクチンと治療薬に関して、放映してました。
    高い衛生意識を持つことは、防疫の必要条件です。
    ワクチンと治療薬に関しても、AIやスパコンなど、過去と比べ物にならないスピードで、ウイルスの解析を進めることが出来るようです。
    新規ウイルスの発生頻度が、変化するよりも、そちらの速度が高まれば、ウイルスハザードからの被害を、抑えることができるように思います。

    • だんな 様
      「歴史は繰り返す。一度目は悲劇として、二度目は喜劇として。」(ヘーゲル)と言われます。
      スペイン風邪は繰り返した二度目がさらなる悲劇だったので、気になっています。二度目の感染でサイトカインストームが起きやすくなる等ということが無ければよいのですが。AIも大事ですが研究する意思のある人が大事です。

  • ポプラン様 ありがとうございます、納得です。過去を知ることで未来を知る事もできると思います、結果がある以上予想も出来るということで日本のリーダーさん、想定外などと言わずによろしくお願いします、これから起こる経済恐慌に上手に対応してください。
    ちなみにポプラン様、名前の由来は銀河英雄伝説のパイロットの名前からでしょうか?

    • poponta 様
      経済恐慌感じられますか?僕はゴールデンウィークのこの時期にしては寒いこの天候が怖いです。寒さの夏をおろおろ歩きたくないなあと思ってます。今年冷夏で不作となればコメの値段は上がります。外国も今回のパンデミックで農業が混乱すると輸入もできなくなります。日本はまだまだ倉庫内に古米があるので何とかなりますが地球の気温変動は大きな波なので数年継続すれば飢饉です。それは御免です、小説の世界で済ませたいです。
      ポプランですが、先程別の方にご返事申し上げましたがその通りです。
      最初の子供を流産した妻の慰めにと買ったパグ犬の名前として「ポプラン」と「シェ―コップ」が残りました。妻がハスキーでないから「シェーンコップ」様が可哀そうという事で決まりました。オリビエポプラン氏とは違って雌犬の小屋には潜り込みませんでしたが、パグの性格なのでしょう子供たちの面倒をよく見てくれました。

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