ネットがあっても新聞が必要と思う人に欠けている視点
いつも当ウェブサイトで報告しているのは、新聞、テレビを中心とするオールドメディアが、次第に社会から必要とされなくなり始めている、という社会現象です。その理由は、紙媒体・電波媒体がウェブ媒体と比べてさまざまな点で劣っているからであり、また、新聞社・テレビ局自体も「利権の塊」として低レベルな情報しか発信できなくなっているからです。新聞社やテレビ局が生き残っていくためには、現在の自分たちが置かれている問題点を客観視し、問題を洗い出してひとつひとつ解決していく姿勢が不可欠ですが、果たして彼らにそれができるのでしょうか?
オールドメディアの情報支配
「オールドメディアによる情報支配」は、私自身が当ウェブサイトを開設するきっかけともなった、ライフワークのひとつです。
先日の『「27時間テレビ」から漂う、テレビ業界自体の問題点』や『19歳の読者の方からいただいた「見識あるコメント」』でも指摘したとおり、現在、新聞やテレビを中心とするオールドメディアの社会的影響力が、徐々に低下しつつあるようです。
冷静に考えてみればわかりますが、インターネットが出現し、ここまで爆発的に普及したことは、オールドメディアにとっては非常に大きな脅威です。なぜなら、ひと昔前と異なり、いまや誰もが気軽に情報発信できる時代となったからです。
いつも主張しているとおり、(小説や映画、芸術作品などを例外とすれば、)世の中の情報には、基本的に2つしかありません。それは、
- ①客観的事実
- ②主観的意見
です。
このうち「①客観的事実」とは、誰がどう伝えてだいたい同じ内容になる情報のことであり、たとえば次のような内容の文章がその典型例でしょう。
「2019年11月8日午前7時付けで、『新宿会計士の政治経済評論』というウェブサイトに『韓国保守系メディアの危機感と「GSOMIA延長論」』という記事が掲載された。」
一方で「②主観的意見」とは、伝える人によって内容が真逆になる可能性がある情報のことであり、たとえば、
「『韓国保守系メディアの危機感と「GSOMIA延長論」』という記事は極めてシャープな論考であり、日本人はみな読むべきである。」
と主張する人がいるかもしれない一方で、
「『韓国保守系メディアの危機感と「GSOMIA延長論」』という記事は偏った、問題がある文章であり、こんな駄文は読むべきではない。」
と主張する人もいるかもしれません。
捏造報道の罪
ところで、この①と②のうち、価値があるのは、どちらの情報でしょうか?
結論からいえば、①も②も、どちらも非常に重要であり、いわば「車の両輪」のようなものでしょう。
もう少し正確にいえば、国民に開かれた自由な民主主義社会を作っていくためには、「正しい客観的事実関係のうえに多様な主観的意見が展開される社会」が望ましいといえます。
この点、①の部分については、たしかに新聞社や通信社が「取材」によって一次情報を得てくる、という側面もありますが、日本社会の事例でいえば、オールドメディアの皆さんはあまり取材が得意ではないらしく、とくに事件報道の分野では、「記者クラブ」を警察や役所などから入手する情報に依存しているようです。
また、取材をするメディアもないわけではありませんが、『なぜ「マスゴミ」と呼ばれるのか その取材手法の腐敗ぶり』でも報告したとおり、オールドメディアの事件取材は、ときとして事件被害者の人権を無視し、人間としてあるまじき振る舞いをしていることが告発されています。
とくに、昨今、インターネットの普及とウェブサイトの進歩は著しく、多くの官公庁や企業はウェブサイトを通じて積極的に情報発信をし始めていますし、また、災害現場などにいる人たちは、ツイッターなどのウェブサイトにどんどんと情報を流しています。
したがって、この「①客観的事実」の部分が、新聞社やテレビ局の独占的役割とは言い切れない時代になりつつあるのです。
さらにいえば、朝日新聞による「慰安婦捏造報道」や「吉田調書捏造報道」、毎日新聞による「WaiWai事件」などのように、新聞・テレビが捏造報道に手を染める、という事例は枚挙にいとまがありません。
そして、新聞・テレビなどの場合は誤報や捏造報道をやらかしても、酷い場合には謝罪すらしません(事実、2005年に日経新聞がやらかした「三井住友銀行と大和証券グループ本社が経営統合」という大誤報を、日経新聞はいまだに謝罪も訂正もしていません)。
普通の民間企業だと、1個でも不良品が発生すれば、企業の社会的信用問題に発展しますが、新聞業界、テレビ業界の場合は、「製品」であるところの報道において不良品をボコボコと生み出している企業のようなものでしょう。
新聞・テレビの関係者が、「報道機関」の名を騙りながらも正しい客観的事実を報じずに虚報ばかり垂れ流しているのだとしたら、それはもはや「報道機関」ではなく「詐欺集団」のようなものですが、反省しない新聞やテレビが一般国民から信頼されなくなるのも当然の話です。
多様な意見が読みたい!
一方で、「②主観的意見」の部分においては、新聞とテレビはさらに大きな問題点を有しています。
たとえば、昨日の毎日新聞に掲載された次の記事など、その典型例でしょう。
やまぬ安倍首相のヤジ 今年だけで不規則発言20回超「民主主義の危機」(2019年11月7日 22時18分付 毎日新聞デジタル日本語版より)
安倍晋三総理大臣が国会でヤジを飛ばしていることが「民主主義の危機だ」とするのが毎日新聞の主張のようですが、では毎日新聞さんに聞きます。
なぜ野党に同じことを言わないのですか?
ヤジ、不規則発言の回数は野党(とくに立憲民主党)の方がはるかに多いのですが、なぜそこを突っ込まないのでしょうか?
ちなみに、NHKが報じなくても、いまや国会審議は政府インターネットTVで無制限に視聴可能ですし、秀逸なやりとりについてはそのハイライトを一般ユーザーが視聴しやすい形に加工し、動画サイトにアップロードしています。
私たち一般国民が、野党の酷いヤジを知らないと思い込んで記事を書くのは、私たち一般国民をあまりにもバカにした姿勢だと言わざるを得ないでしょう。
なにより、主要なオールドメディアは数が限られています。
全国紙は5紙あり、このほかに全国の地方紙などに記事を配信する2つの通信社(時事通信、共同通信)がいて、地上波テレビ局は民放全国ネット局が5系列、NHKが2チャンネル分保有しているのがほぼすべてです。
これに対し、インターネット上には無数のブログ、ウェブ評論サイトで溢れ返っており、なかには「その分野のプロフェッショナル」がコツコツと記事を執筆しているケースもあって、正直、新聞の社説やテレビのワイドショーを見ているよりも、はるかに勉強になる場合もあります。
むろん、インターネット上の情報も「玉石混淆」ですから、なかには読んでも意味がない情報もあります。
しかし、「玉石混淆」という意味ではオールドメディアもまったく同じであるため、このように考えていくならば、情報源は多ければ多い方が良いに決まっているのです。
池上彰氏の「新聞礼賛論」
さて、インターネット上で提供される情報が、質、量の両面でオールドメディアのそれを追い抜き始めているなかで、必ず出て来るのが「ネット規制論」と「新聞・テレビ有用論」です。
技術革新の時代には、古い技術でうまい汁を啜ってきた勢力が新しい技術に全力で抵抗するのは歴史の鉄則のようなものですが、オールドメディア(新聞人、テレビ人)がネットを敵視し、新聞・テレビを擁護するのも、ある意味では当然のことかもしれません。
こうしたなか、テレビで有名になった人物のひとりが、池上彰氏ですが、その池上氏は東洋経済オンラインに今朝、次のような論考を寄稿しています。
ネットがあれば新聞不要と思う人に欠けた視点/「新聞離れ」が進んだアメリカはどうなったか(2019/11/08 5:35付 東洋経済ONLINEより)
「ネットがあれば新聞不要」。
このように感じる人は、増えることはあっても減ることはありません。しかし、池上氏は記事の冒頭で、「新聞は必要だ」と断じたうえで、次のように述べるのです(※内容は要約し、箇条書きにしています)。
- 新聞記者らが間違ったエリート意識を持ち、世間の常識から乖離したり、専門用語を駆使して読者が理解できない記事を書いたり、誤報を認めなかったりするなど、新聞社側にも問題はある
- しかし、そもそもニュースは記者が取材し、記事を執筆して初めて生まれるのであり、新聞の存在意義のひとつはその「取材」にある。この第一報がなければ、ネットに記事が転載されることもない
- 新聞離れで先行するアメリカの場合、地方紙が廃刊になり、地域のニュースがなくなった結果、選挙の投票率が激減するという問題が発生した
- 1970年代のウォーターゲート事件を暴露するきっかけとなったのは、当時のワシントンポストの地方版記者の気づきと地道な取材努力であり、泥沼化していたベトナム戦争の真相を記した「ペンタゴン・ペーパーズ」をスクープしたのもニューヨークタイムズの記者だった
- 日本でも、1980年代に朝日新聞がリクルート事件をスクープしたが、これは同紙の横浜支局による独自判断と地道な取材をきっかけにして明らかになったものだし、2006年7月の「富田メモ」も日経新聞のスクープ記事だ
…。
池上氏のいうリクルート事件などは、たしかに新聞記者のふとした気づきと地道な取材による賜物であることは間違いないでしょう。また、現在のところ、ネットのニューズサイトに掲載されている記事の多くは、新聞記事の転載でもあるため、たしかに今すぐ新聞がなくなればネットも一時的に混乱するかもしれません。
しかし、こうした「新聞の存在意義」や「新聞の成功事例」を取り上げる裏で、新聞が犯してきたさまざまな捏造報道を無視するのは、いかがなものでしょうか。とくに1980年代の朝日新聞といえば、「沖縄サンゴ礁KY事件」に触れないのはアンフェアというほかありません。
さらにいえば、記事本文にもある、日経新聞による「富田メモ」は、池上氏自身も指摘しているとおり、当時の小泉純一郎首相が靖国参拝し、中韓との外交関係が冷え込んでいた時期の「スクープ記事」です。しかし、池上氏は、肝心の富田メモ自体が日本経済新聞社から公表されていないという問題点に触れていません。
私などは、この「富田メモ」事件については、経団連と仲が良い日経が中国との関係悪化を気にする一部の日本企業と結託して捏造した事件ではないかと疑っているのですが、真相は明らかになっていません。
池上彰さんに欠けた視点
いずれにせよ、誠に申し訳ないのですが、池上氏の論考を読んで、
「あぁ、そうだね。やっぱり新聞って必要だね」
と納得する人が多数派を占めるとは、私には思えません。
新聞・テレビが犯してきた誤報・捏造報道の数々について一切触れていないばかりか、肝心の一次情報自体、その多くが記者クラブを通じて役所から流れて来ているものであるという点も隠しているなど、池上氏の議論は穴だらけだからです。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
さて、以前から当ウェブサイトでは、『韓国、財務省、NHK、共産党の共通点は議論の拒否』や『議論を嫌う人たちの敗北』、『結論を決めつけない議論の面白さ』などを通じて、日本国内には「議論を嫌う人たちがいる」という仮説を提示しています。
「結論ありき」の論説だと、その結論に合うような証拠しか集めなくなり、その結果構築される理論は穴だらけであり、とうてい議論に堪えられるような代物ではなくなります。
池上氏の議論にもこれとまったく同じことが言えます。
「新聞は必要」という結論ありきだからこそ、自説に都合がよい情報しか引用しないという愚を犯してしまっているのでしょう。
これに対し、もし私自身が「新聞を擁護する」という立場から論考を掲載するとしたら、「新聞は必要だ」という結論から入るのではなく、「新聞が引き続き社会から必要とされるには、どうすれば良いか」という切り口から議論を始めると思います。
そのためには、現在の新聞業界の問題点(紙媒体からウェブ媒体への移行が進んでいないこと、読者からのオープンな批評を受け入れていないこと、一部新聞社が押し紙などの詐欺行為を働いていること、政治的に偏向していること、など)を洗い出すことから始めるべきではないでしょうか。
こうした姿勢が欠落している時点で、残念ながら池上氏の論考からは説得力の「せ」の字も感じ取ることはできないのです。
本文は以上です。
日韓関係が特殊なのではなく、韓国が特殊なのだ―――。
— 新宿会計士 (@shinjukuacc) September 22, 2024
そんな日韓関係論を巡って、素晴らしい書籍が出てきた。鈴置高史氏著『韓国消滅』(https://t.co/PKOiMb9a7T)。
日韓関係問題に関心がある人だけでなく、日本人全てに読んでほしい良著。
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【おしらせ】人生で10冊目の出版をしました
自称元徴用工問題、自称元慰安婦問題、火器管制レーダー照射、天皇陛下侮辱、旭日旗侮辱…。韓国によるわが国に対する不法行為は留まるところを知りませんが、こうしたなか、「韓国の不法行為に基づく責任を、法的・経済的・政治的に追及する手段」を真面目に考察してみました。類書のない議論をお楽しみください。 |
【おしらせ】人生で9冊目の出版をしました
日本経済の姿について、客観的な数字で読んでみました。結論からいえば、日本は財政危機の状況にはありません。むしろ日本が必要としているのは大幅な減税と財政出動、そして国債の大幅な増発です。日本経済復活を考えるうえでの議論のたたき台として、ぜひとも本書をご活用賜りますと幸いです。 |
大丈夫、新聞は安泰です。
なぜなら日本には、記事は読まないが新聞紙は便利だから必要だ、とか、チラシが読みたいから新聞購読を止められないとか、費用対効果を無視した考えを持つ人が沢山いらっしゃるからです。
毎月四千円も払って読まない新聞を取って、チラシを読んで数百円節約すると幸せになれるのです。いっそ、全ての記事の中身を「All work and no play makes Jack a dull boy」にしても大丈夫だと思います。誰も記事を読んでいないのですからクレームは来ません。
新聞は安泰です。
独断と偏見かもしれないと、お断りしてコメントさせていただきます。
AMAZONに詳しい方にお尋ねします。AMAZONの「無地の新聞紙」を買って
いる人は、どれくらいいるのでしょうか。(少なくても、AMAZON本社自体
は「買う人がいる」と思って、売っていますが)
もっとも、「阿野煮鱒」様のように、「チラシで節約するという幸福に
浸る」との贅沢を味わうために、新聞を取っている人もいますが。(いっ
そのこと、夕刊を配るついでに、(低額で特別契約した人の所も含めて)
明日のチラシ(だけ)も配るようにすれば、(朝刊にチラシを入れる)朝
の作業が減る販売店の人も、前日夕方にチラシが見られる「阿野煮鱒」様
も、喜ぶと思うのですが)
蛇足ですが、AMAZON(?)が、企業イメージ向上のために、「プラスチ
ックゴミ削減のためにも、プラスチック緩衝材の代わりに、(新聞社のな
ら文句を言われる恐れがあるので)無地か、AMAZONのチラシを印刷した新
聞紙で代用する」と言い出したら、面白い(?)と思うのですが。(もっ
とも、その緩衝材の代用品を、その後、何に使うのかは自由です)
AMAZONさん、このアイデア、採用してくれませんか。
駄文、妄想にて、失礼しました。
毎日の更新ありがとうございます。
30年にわたる昨年文芸春秋の定期購読を止め、
今年40年近くになる日経新聞の宅配止めました。
新聞紙がない以外の不便は感じません。
>普通の民間企業だと、1個でも不良品が発生すれば、企業の社会的信用問題に発展しますが、新聞業界、テレビ業界の場合は、「製品」であるところの報道において不良品をボコボコと生み出している企業のようなものでしょう。
なるほど、と思いました。
大変分かり易いです。
「主観的な意見」ついてですが、テレビや新聞に書かれている「主観的な意見」は本当に主観的であれば内容が同じになるはずないので、「主観的な意見」の価値も全くありません。逆に、テレビや新聞が情報操作していることの分かり易い証拠になっているので、誰かに説明する時にはそのように指摘します。
新聞が必要かどうかについては、機能不全を起こしている新聞なら必要ない、ですね。メリットよりデメリットの方が大き過ぎます。一方で、しっかりした取材力があって、組織に対する監視やチェック機能が果たせるなら、あった方がメリットがあります。
正直言って、今の新聞もテレビも、
記者会見やぶら下がりなどの「与えられた情報」を除くと、
「Twitter等のSNSを情報源としたもの」ばかりの気がするのですが・・・
特にここ数年は、
Twitterで炎上→テレビで取り上げる→野党が便乗→与党が折れる
という流れが多くなってきているように思います。
(最近だと、入試の英語民間試験の延期などはまさにその流れですね)
正直、池上さんがおっしゃるような「政治を動かす力」は、
むしろもう、SNSの方に主体が移っているように思います。
独断と偏見かもしれないと、お断りしてコメントさせていただきます。
ネットであっても、オールドメディアであっても、(当たり前ですが)
その内容次第だと思います。(極論ですが、資本が続くなら、オールドメ
ディア企業を作って、主観的意見を喚くことも可能です。もっとも、すで
にオールドメディアが、やっているかもしれませんが)
だとすれば、今後は(それを伝える)手段ではなくて、その内容で批判
(または賞賛)すべきでは、ないでしょうか。
蛇足ですが、(歴史に残らないだけで)「新技術の誕生で、古い技術で
の生活が失われることを恐れた人が、それを潰した」ことが、多々、ある
と思います。(もちろん、今のオールドメディア業界が、どうなるかは分
かりません)
駄文にて失礼しました。
たとえば新聞であれば
・当社では現在、〇〇党を支持しています。
・当社は支持政党の活動や主張を主に紹介し、支持を拡げることを目的の一つとしています。
・専門家の意見を聞きながら記事を作成していますが、稀に間違いもあります。
これを社名ロゴに添えて、1面最上段に見えるように固定したら、どんな偏った報道しても良いと思いますよ。
中立公正や社会正義、公共への貢献、確かな情報、を存在意義としているような建前だから批判されるんです。まー確かにそんなことは一言も謳っていないですよね。
あと池上氏は「取材」を存在意義にしたいようですが、素人のツイに「引用させてください返事がなければ承諾と見做します」とかやるレベルの連中に使えた擁護じゃないと思いますよ。
新聞社が消え去れば、代替は自然発生するでしょう。
その時にまた「やっぱ新聞が必要だなぁ」となれば良いですね。
農民様へ
>これを社名ロゴに添えて、1面最上段に見えるように固定したら、どんな偏った報道しても良いと思いますよ。
全く同感です。
主義主張は自由なのですから、偏向して書こうと捏造しようと、それは社の方針なのでしょう。
しかしそれを恰も「不偏不党・公平」と言う顔をして売りつけるから問題なのだと思います。
新聞の取材力が存在意義彼のような議論も見受けますが、上でどなたかが書いておられるように、記者クラブ制度に安住して上から落ちて来る情報を垂れ流すだけでは、そんな大口が叩けるとも思えません。
新聞の中で取材力があるのは、赤旗くらいのものでしょうね。金を払って読みたいとは思いませんが。
いろいろ言われるネット情報ですが、近年、このサイトのような、検証と議論のための場が増えてきて、好ましい方向だと思ってます。
もっとも、当然、議論の素材はマス・メディアから得ています。マス・メディアの問題は、自分たちの存在意義を正義に求めて、少数派を擁護すれば誰にも叩かれないという、ポリティカル・コレクトネスに基づいた報道以外なくなったということでしょう。それは、多数派の意見と対立することもある。多数派のあまり豊かではない部分の意見、憂さ晴らし的な週刊誌が担ってきたかもしれませんが、最近はネットに移行してる感があります。もっとも、週刊誌は根性があると言うか、それで食ってるジャーナリストもいるのでしょう、国内問題ではときどき輝いてるのかな。国際問題では、週刊誌はネットの後追いかもしれません。
グレタちゃんに対する意見は、マス・メディアは一様になる、週刊誌は書ける、ネットはもう少し書けるというところか。
ジャーナリズムに関しては、幻想を捨てる必要があるかな。瓦版屋であれば、今で言うイエロー・ジャーナリズムですが、面白さの比較ですむけど、金を出せるものが限られてきた。一匹狼ならスキャンダルという狙うターゲットはあるけど、それ以外は、組織に属するか、組織と関わって、家族を養う必要がある。中国がウォール街に、子息を就職させるために使う金よりも、アメリカの主要メディアにジャーナリストを就職させる方が安い。
中国も韓国も、他国に行って棄民となってはじめて、国家を意識するタイプの国民なので、こういった連中が多い。
まあ、こんなことを書いてると、キリがない。
メディアの問題は、それで食っている人間と、それを論評する人間では、まったく異なる。
現場で働く人間と、評論家の違いみたいだけど、現場で働く人間を雇えるのが、今のところ、新聞系の資本を受けたところだろう、と思う。
匿名様へ
>議論の素材はマス・メディアから得ています
こういう面もあるとは思いますが、専門のサイトをソースにしている方も多いのではありませんか?
各省庁や都道府県のHPには「新聞に拠る偏向の無い」正確な情報がありますし、企業各社の運営するサイトでは「素人新聞記者の下手な解説」よりはるかに判りやすい最新の技術情報が得られます。また政党もサイト運営している所もありますのでそこからはより正確に主張をくみ取る事が出来ます。
個人のツイをソースにされている人も多いでしょう。
残念ながら、こういう情報がどこにあるかが分からないと言うことと、個別のサイトに当るのはやはり時間的に難しいと言う事があります。
これについてはまとめサイトが特色を生かした編集(当サイトが金融経済専門であるように)をするようになっていますから、ダイジェストはそれから得るようになっていくのでしょう。
新聞や通信社もサイト運営していますが、ウェブ上では他のサイトと同列と言う事で、既にその独占性・独善性は失われたも同然なっています。
この手の話題の時にいつも思うのは、「新聞」の定義は問い手と答え手で一致しているのかということ。
おそらく、一定数「新聞の概念」は必要と思っているが「今の新聞社の能力」は不合格と思っている人がいるんじゃないかと。
答え手が「概念が必要」と答えているのに対し、問い手側が回答を捻じ曲げ今の新聞が肯定されたと強弁している疑惑。
正直、調査で新聞が必要と回答した人に対しては、続けて今の新聞社は新聞としての役割を果たしているかを聞かないとアンケートとしての価値はないと思う。
ネットのまだない頃は、新聞を読めば賢くなって世の中のことがよくわかるようになると教わり、実際自分でもそう思っていました
小学校の担任がある日、天…ンゴの切り抜きコピーを配り、新聞の中でも特にここは大変有意義なので、せめてここだけでも読むようにと言われたのを思い出しました
どんな内容だったかはサッパリ思い出せませんが
新聞を読めばむずかしい漢字を覚えたり、語彙力がついたりはするかも知れませんが、
それなら小説等を読んだ方が想像力もセットでついてお得かも
あ、真贋を見極めながら読めば新聞でも想像力が鍛えられるかな
>「結論ありき」の論説だと、その結論に合うような証拠しか集めなくなり、その結果構築される理論は穴だらけであり、とうてい議論に堪えられるような代物ではなくなります。
これは確かにおっしゃるとおりです。
説得力がない、ということもその通りと思います。
しかし、それは議論することが前提にある場合であって、新聞や論説などはまず「結論ありき」で書かれるものなのではないでしょうか。
「こうである」「こう考える」とそもそもが主観的意見を述べている訳ですので。
そういう視点から考えますと、Web主さんの主張や考え方は理解・納得できますが、池上論考を「議論に堪えられない、説得力のせの字もない」と断じたコメントも結局「結論ありき」なのではないですか?
勿論、本コメントも「結論ありき」で書いてます。
新茶狼様
結論ありきの説得力のない主張を批判する己の主張も、結論ありきの可能性はないのか、との指摘ですね。
新宿会計士様に忖度(できてるかどうかは定かではありませんが)して言うなら、結論ありきで整合性のない理論を強引に展開する主張を批判する趣旨だと理解しております。
ただ、この主張の前提は、批判の対象に対比して己の主張は整合性がとれている論理的に筋道だった主張であるものだと推察されますが、確かに、己の主張が整合性がとれて論理的に筋道だってるとの判断が妥当がどうかは議論の余地があると思われます。
そもそも結論ありきでない主張などありえるのか、という問いも成り立つような気がします。
・・・何が言いたいのか自分でも混乱しておりますが、いわゆるオールドメディアの批判はたやすいが、ひるがえって己もダブスタに陥ってないかを加味すると歯切れが悪くなるのは世の常ではなかろうかということです。
文句を言うのは簡単だが、責任を伴った発言はもどかしいといったところでしょうか。
コメントありがとうございます。
私の説明では言葉足らずだったようで、補足していただいて感謝いたします。
Web主さんのように抜け目なく、多角的に分析しながら議論に足る論説など書ける人は少ないですし、そもそも記事を書いた人との議論が成り立たない場合も多いですからね。
Wen主さんの「議論」とはどんな前提なのか、ということもハッキリしません。
広告代理店の人間は新聞社など媒体を扱う会社を媒体社といいます。
純粋に広告をどれだけ広める媒体かと見ているわけです。
池上さんの言うのは、報道機関、ジャーナリズムに関して述べているだけです。
まずこの視点が欠けています。
媒体社、報道機関、ジャーナリズムとそれぞれ魅力に欠けていたり不適合であれば衰退して当たり前です。
現在では、報道機関=News Media としては優位ですからまだ無くならないだけかと思います。
あのー、そもそも池上彰自体が、ネットで言うところの「まとめサイト」的存在なんですけど。
自分で取ってきたスクープなんて何にも無くて、ただ新聞やTVなどのオールドメディアを口当たり良くして、まとめて好評を得ているだけですよね。
新旧問わず(ウェブ含めて)メディアは「主観的な意見」が付き物で、それは独善的・偏向的である物だと思います。
健全なウェブサイトであれば、オープンに開かれていて双方向で意見が磨かる素地があります。
しかし、オールドメディアにはそれがありません。
1、オールドメディアは、他メディアに対する検証や批評を極力しない。
2、他メディアから批評されても無視する。
これがまかり通っているが故に、オールドメディアにおいては「主観的な意見」が磨かれないと思っています。
「客観的な事実」についても、間違っている情報があった場合は、もっと他メディアは一斉に批判をすべきです。
そして、批判された側は無視をせず、再検証して証拠を提示するなり謝罪をすべきです。
彼らは、きっと「多様なニュースを流すべきで紙幅が足りない」というかもしれませんが、事実や意見の質がウェブ以下に落ちれば、存在義はありません。
ニュースの語源である「新鮮さ」は、SNSをはじめとしてウェブに敵うはずはない無いのは明白です。
であれば、「客観的な事実」はウェブ「主観的な意見」については紙面で、などと工夫すれば良いのです。
結局、各オールドメディアが業界の中で、批判もされず反論もせず、ぬるま湯につかって怠けているのでしょう。
消費増税も免除された会社から高額の給料をもらって、ルーティンワークで取材・執筆しているのでしょうか。
まさに、自己浄化作用がないのが、オールドメディアと言えると思います、
しかし、もはや時代は変わったのです。
ウェブ上で、心ある人々が無償でマスコミの記事を調べ上げて、ウェブの片隅で声を上げはじめました。
そして、今や、その声に耳を傾ける人が爆発的に増えています。
彼ら自身がオールドメディアなるものに殴り掛からなければ、ウェブにボコボコに殴られ、間もなく命運は尽きるでしょう。
まだ新聞社が真面目だった時代。朝6時に起きコーヒーを飲みながら家族と内容を語りあう時間や会社の休憩時間に仲間と新聞について話す時間は貴重でした。地方の情報を扱う地域新聞の価値も確かにあったかと思います。
現在は説教臭い記事と無責任な批判ばかりで朝から気分が悪くなります。又やたらと総理大臣の責任にする記事の多さや特定の国をアクロバティックに擁護する朝日新聞を見るとこの人達はどれほど特定国にシンパシーを感じているんだろうと唖然とします。池上さんは毎朝6.7紙読み比べているそうですが果たしてATMの新聞の差異を見つけスタンスの違いを確認したとこで意味のある行為なのか大変疑問に思います。
しかし、いつもの池上彰なのは、さも客観的意見のように自分の主観的な意見を述べるということですね。
まず米国には記者クラブのような公式発表垂れ流しのような劣悪な構造は存在しないし、宅配全国紙もないとかなどの前提を無視しています。
記者クラブ制度も改革すればいいんですけどね。
陶片追放のようにレベルの低い質問しかできない記者は、ランクアウトして入れ替えるような仕組にするとか。
イソコのようにまだ悪評が高いのは、いっそまだマシなんですよね。
一番質が悪いのは、何にも質問しないでただ書き写して記事にするだけ機械のような記者。
そんなやつらはとっととリストラすべき。
ちょっと関係ない話かもしれません・・・
2000年代になって、インターネットが普及し出した時、私もこれで競馬で勝てるようになるだろうと思いました。
なぜなら、今まで個人では集めることが不可能だった、過去のJRA競馬の全レースのデータが手に入るようになったからです。
コツコツと記録をとってきた、一部のプロしか知りえなかった情報が、誰でも手に入る。
私はすっかり聖杯を手にいれたつもりでした。
しかし、ありとあらゆるデータをJRAから引っ張り出し、何百回もこねくり回し分析して、やっとわかったことがある。
人間は、どんなに膨大な情報が手に入ろうとも、見たいものしか見ない動物である、ということです。
今のスマホは、競馬でも株でも、膨大な情報が、リアルタイムで閲覧できます。
でも結局、個人プレーヤーのほとんどは負けています。
つまり、ネット情報なんて、ほとんどの個人には「宝の持ち腐れ」でしかないのです。
「豚に真珠」「猫に小判」・・・
むしろ株などの相場では、ネット情報などを使って短期トレードするより、たとえ半日遅れの情報でも、日経新聞をじっくり読んで、中長期目線で勝負した方が、よっぽど個人には有利です。
まあ、そうはいってもネットの方が断然いいとは私も思っているのですが、ただ時と場合によって、ある特定の個人には、紙の情報の方がネットよりも、いい時もある、気がする。
日経をじっくり読むのが株式投資に有利だとはとても信じられませんが、素材を役立つ情報に加工してくれる存在が一般人には有用だと言うのはもっともです。
公表された情報の分析ならば、全く同じ土俵で新聞社の記者と個人アナリストは対等なので、「新聞の必要性はない」となります。
その上、情報の伝達手段が紙の方が良い人って、スマホやPCを使えない人だけでしょう。いわゆるニッチ産業です。
結論、マスメディアは要らない
メディア繋がりで中央日報の記事を一つ。
韓国語版:https://news.joins.com/article/23627770
日本語版:https://japanese.joins.com/JArticle/259406
タイトル
韓日首脳歓談を「鄭義溶室長が無断撮影」…日本が難癖
内容は日本語版を読めば分かりますので割愛します。
中央日報は首脳と通訳士か入れない控室に「第5の人物」が居たと言うことを書きながらも、それに対する内容は無く、ただ日本がギャーギャー騒いでいるという論調です。
また、「安倍首相もトランプ大統領と会って『ブロマンス』」を強調するためツイッターに写真を載せたことで有名だ」などと、くだらない事で自国を正当化する内容が最後にあります。
重要な事はルールを破っておきながらそれに対する内容は書いてない事です。
なお、コメント欄は韓国政府、特に鄭義溶室長に対する非難だらけです。
一応韓国政府を擁護する内容もありますが、論点外しが酷く、いかにも韓国人といった感じです。
駄文にて失礼します。
今日のBSフジプライムニュースに 鈴置高史氏、 真田幸光氏が出演されますね。
自民党からはいつもと違って 松川るい氏が出演されます。
初めての投稿です。
いつも楽しく拝見させていただいてます。
新宿会計士様始め、コメントされる読者の方々の文章の鋭さ、ユニークさに感心しつつ、自分は読み手を決め込んできましたが、
今回、新聞の是非に関する内容でしたので、勇気を振り絞ってコメントした次第です。
現在、Y新聞を朝夕で取ってます。
自分の世代(30代)では珍しいケースかと思いますが、なぜ取るのか? というと、それは新聞がないと寂しいからです。
もはや生活の一部なのです。正確な情報云々より、そうやって購読を続けている人が多いのではないのでしょうか。
それに、自分は新聞配達人の家に生まれ、配達のバイトもしてましたので、新聞には愛着があり、個人的には残って欲しいと思う反面、必要だ、とは決して言えません。
今の時代、代わりがきくからです。
そして、新聞がオンラインになった時点でそれはもう新聞ではないような。
ただのネット上の情報源の一つにしか過ぎません。
ここで、自分にとっての新聞の良し悪しを整理してみました。
(メリット)
紙が見やすい。ネットは目が疲れる。
広い紙面でざっと見で把握できる。
色々家事に使える。
娯楽(連載漫画や小説、人生案内、クロスワード、チラシ、etc…)
活字を読みたい欲求を手軽に満たしてくれる。
(デメリット)
購読料が家計を圧迫。
回収出すのが面倒くさい。重い。
忙しいと飛ばし読みになりがち。もったいない。
……とまあ、こんな風にメリットが若干上回っているのでなんとか続けていますが、今後は分かりません。
新聞購読者の、ひどく個人的な意見で失礼しました。
たしかに新聞業界は長らく低迷が続いています。
経営が厳しいと販売所・所長の兄からも伝わってきますし、最近では、ベテラン配達人だった母が、パート先からとうとうリストラされてしまいました。(代わりに外国人を雇うというので)
「池上批判」にひと言
池上氏の主張は、「社会には、高い見識を持ち、正義に燃え、社会悪を暴ける有能な取材記者が必要だ」のような気がします。彼が新聞とか新聞記者とか言うのは、そのような記者を育成し養っていけるのは、現在のところ新聞社だけという含意なのでしょう。なので、既存大新聞社の偏向・捏造体質を擁護している訳ではないと思います。
私は、取材記者の必要性については、それなりに正論だと思います。ですから、新聞の存在意義を否定するのであれば、同時に、そのような取材能力を、今後どんな手段で維持していくのか真剣に考える必要があるでしょう。これまでの大新聞社には、数百万人もの定期購読者が居てそれが可能だった訳ですが、分散して小規模のインターネットメディアで、これをいかにして実現していくかです。
私は、この分野には全くの素人なので、残念ながら提案はできませんが、何かいい方法はあるハズです。
はぐれ鳥さんに強く同意です。
捏造記事を書くなど劣化記者は論外ですが、優れた取材記者の養成に対応できるのは現状ではこれまた既存のマスコミしかないのではないかと感じています。媒体としての紙の新聞はどんどんネットに置き換わって早晩なくなってしまうでしょうが、新聞社等がなくなるということは前述面から非常に心配しています。
独断と偏見かもしれないと、お断りしてコメントさせていただきます。
欧州某国駐在様へ
>優れた取材記者の養成に対応できるのは現状ではこれまた既存のマスコミしかないのではないかと感じています。
これは、優れた取材記者を養成できる(新たな)システムが出来れば、
既存のメディアの必要性が減るということですか。また、優れた取材記
者を養成できないようでは、既存のメディアはいらない(?)という、
ことでしょうか。
蛇足ですが、捏造記事を書くようなら、いずれ、メディアが消えてなく
なるとの危機感が無くなれば、本当に消えていくのだと、思います。
駄文にて失礼しました。
マスコミに情報を提供する有能な取材記者はフリーが多いですよね。
新聞も酷いですがテレビ記者の質の低さはアマチュアより下です。
オールドメディアには優れた記者を養成するシステムも無ければ、優れた記者が活躍する場も無い。
だから能力のある者は独力で育ち、フリーになっていく。
社会的に重要な情報は新聞社ではなくて情報産業企業から有料で提供を受ける時代です。新聞社の情報はマス向けの、価値としてはどうでも良いレベルの物に過ぎません。とっくに棲み分けが出来てきてます。
優れた取材記者を真剣に育てているのは新聞社ではありません。
はぐれ鳥様
新聞にしろTVにしろネットにしろ所詮は媒体です。活動内容の報告の場にすぎません。
ネットの利点は双方向の情報伝達が可能な点です。
視聴者側から意見が出せ、誤りを正す事ができる点が従来メディアと違います。
思想誘導や謀略を防ぎ、透明性を高める事ができます。
今後はWeb上に各記者が情報を上げ、配信料や広告で収入を得ていく流れに移っていくと思われます。
現実に新聞社等も既にWeb上にサイトを持っていて収入を得ています。
新しいWebメディアの利点は、初期投資コストも運用コストも少なくて済む点です。
TVの様に放送法で守られていないため参入障壁も少なくて済みます。
問題は記者の育成をどうするか?という点でしょうか。(従来メディアの記者の教育が成功しているとは思いませんが)
安定した収入があるからこそ、腰を据えて育成でき、人材も集まります。
少なくとも将来のメディア像の片鱗は見えてきているかと。
信濃毎日新聞とってます。こんな読むとこない新聞早くやめたいんですが、義理親が生きているうちはむりでしょうな。
親しか読んでないです。あとはゴミをまくのに使ってます。
年寄りがいなくなれば新聞とる人激減しそうですね。
配偶者が金融勤めのため日経とってる友人も、やたら買わせようとしている記事ばかりと言っていました。
新聞の効用は今は低いですね。
私も信毎をとってました。
全国でも指折りの偏った新聞なので、読まなくて正解だと思います。
支局の記者さんの何人かと関わりもあるのですが、どの人も「ブン屋」の気概を感じられなくて、ただのサラリーマンなんですよね。
社会的な問題点を取材するとその後の仕事がやり難くなるからと、イベントや事故の取材ばっかり。
ぶっちゃけ、要らないでしょ。
地域柄、でしょうか。
南の方は、名古屋圏なので、中日新聞が多く、朝日、読売がマイナーな印象です。
子供の頃は、中日新聞の日曜日版の漫画が楽しみでしたが、
実家に帰っても、流石に読みませんね。
ほぼ、中身は意味のない広告か、論説ですし。
中東で拘束されていた某ジャーナリスト?は、信濃毎日新聞から、
紛争地域を取材した書籍を出版し、表彰されていたと思います。
拘束中に、新聞社の先輩かだれかが、日本政府を批判する声明を読み上げていましたが、
その書籍がマイクの前に置いてありました。
ニュースで見た時には、
相手側にどんな印象を持たれるのかわからないものを、
なぜ、不用意に公開するのか全く意味不明でした。
この記事を見て思いだしましたが、
自身の発言や報道が周りにどのような印象を持たれるか、
全く意識していないのだと思い、少し寒気がしました。
15年程一人暮らしで新聞など取った事がありませんでしたが何も困りませんでした。
ちょうどインターネットが爆発的に普及し始めた時期と被りますね。
現在老親と同居しておりますが親は新聞を取っており、チラシだけ見てるようです。
私は数秒一面だけ見て後は放置しておりますが全く困っておりません。
ついでに言ってしまうとテレビもまともに見なくなりました。
朝の短時間に文字放送の画面に切り替えて天気予報だけまともに見るって感じですかね。
その数行の文字放送のニュースでさえ「Kの国がどうしたこうした」とかいう知りたくもない情報を
無理矢理ねじ込んできます・・・
もうテレビも動殆ど画再生専用マシーンと化しております。
最近ちょっと古くなったのかYouTubeの切り替えが遅くなったのでFire TV Stickでも買ってくっつけようかな。
更新ありがとうございます。
池上彰氏がそもそもオールドマスコミの代表の様なもんです。この人に「大丈夫だ」とか言われてもねぇ。この人が全盛期の頃はテレビも新聞もピークで、それからやや下りかけの時代。
そらニュースネタは記者の取材から始まる、ですがユーザーへのソースの出し手が極めて限られており、自らの怠慢で、あるべき姿に新聞・テレビは育ちませんでしたね。
逆にネットは数百万人どころか世界的に見たら億単位で受信送信できる環境にいます。
つまり、情報の出し手と見聞きする層が、いつでも誰でも入れ替わる事が出来る。オールドメディアのように、片方向ではない。
記者やキャップや編集委員やディレクターやプロデューサーやアナウンサーやコメンテーターは、受け手側がモノ言うのを嫌います。黙ってオレの話を聞け!です。
現代では通用しませんよ、そんなコミュニケーション無しでは。だから気に入らない「雑音」と判断したら載せないか無視する(笑)。でも飯の種の広告収入が激減している今、スポンサーには絶対、逆らえません。提灯記事オンリーになって来て、プラス、配信社やATMなどは左傾化により、ごく一部の層を取り込んでいます。
ネットの広告は対象を絞り、かなり購買層に近いところをマーキングしてます。かたや新聞は古紙配給業、テレビは特定のエリアで何%見たか、ぐらいしか判断基準がない。
私が社長か広報・販売促進部長なら、チラシやテレビには出稿せず、その金で資産運用に回します(笑)。だって、オールドメディアに効果無いでしょ?
>新聞離れで先行するアメリカの場合、地方紙が廃刊になり、地域のニュースがなくなった結果、選挙の投票率が激減するという問題が発生した
そもそも日本の地方紙は選挙につながるようなお話は共同通信丸写しで取材なんてろくにしてないんじゃないですかね。
もっと言うなら、取材するから新聞が必要だというのなら、取材なんかまるで出来てない新聞記者ばかりの現状を鑑みるに、やっぱり新聞なんていらないよねという結論になるだけのような気がしますが。
フリーのジャーナリストのちゃんとした取材に基づくスクープも増えてますし。
議論といえば、学校で習う議論の練習は「AさんとBさんは賛成派、CさんとDさんは反対派として議論しなさい」という形式ばかりでした。
論争にならなければ授業として成り立たないのは分かりますが、これでは「結論ありきでそれに沿う情報のみ集める」手法しか身につかないのもむべなるかな、と思います。
kurisyuさん、こんにちは。
何かを主張するとき、思考のどこかの段階で、「結論ありき」
になると思います。そしてそれは一般に、仮説を立てた段階
に当たると考えます。
良くない「結論ありき」に陥らないためには、仮説を立てる
前に、なるべく先入観を排して、材料に満遍なく目配りする
ことと、仮説を立てたあとで、それを検証することでしょう。
学校で習う議論の練習では、否応なく与えられた立場で、
多少強引にでも仮説を立てて、防御力を高めるために検証
作業をすること。相手の仮説の穴を見出すこと。これらを
通じて、できれば一方的なものの見方しかできない思考の
脆弱性までも体感できればいいなあ、あたりが狙いでは
ないかなあと思います。
迷う人さん、こんにちは。
確かに、自説になんとか説得力を持たせようとする練習にはなりましたし、特に本来の自分の意見と逆の立場を指定されたときは「この切り口から攻められたら反論しようがないなぁ」など感じたものです。
組織の一員としては、「(自分個人の意見とは逆だが)立場上こう主張せざるを得ない」というのはありますしね・・・。
池上さんの論考をざっと読んで思ったのは、「記者」の必要性を述べてるだけで、「新聞」の必要性を言ってないってことなのです♪
取材して記事を書く人が必要なのはネットでも新聞でもいっしょだと思うのです♪
きちんとした取材をして良質な記事を書いて、読者が欲しい情報や必要な情報を効率良く届けることができれてる新聞だったら「必要」とされると思うのです
ただ、取材・記事執筆の力がおんなじだったら、多分ネットのほうが情報の整理・提示はやりやすいだろうし、そうすると結果的にはそっちのほうが儲かることになって、取材したり記事を書く「記者」もネットに移るんだと思うのです
池上さんは媒体としての新聞とネットを比較してるんじゃないとは思うのですが、新聞社の記事を作る能力はネット有象無象より新聞社という組織が上だと言いたいんだと思うのですが、今はそこにも?がついてるんだと思うのです♪
その通りだと思います。
記事さえ良ければ、媒体の種類はあまり関係ない。
逆に媒体で劣る新聞が、記事でも劣ってれば勝てるわけがない。
池上氏が例に挙げている国内事例が30年間で2件だけ、しかも1つは靖国参拝って事が図らずも新聞記者の質を表しているように思えます。
フェイクだろうが、そうでなかろうが、そもそも取材する新聞記者がいなければ、ニュースが拾えない。ネットに転載すらできない。新聞記者が「ネット記者」に転職したところで、「為にする報道」するつもりならおなじこと。今まで通り。読者側にリテラシーが必要だという結論も変わらない。
(安倍)首相の野次が「民主主義の危機」と論じられたのは
行政府の長(首相)が自分達の政策遂行のため立法府(国会)で
審議を深めてもらい法案を成立させようとしているのに
野次をとばすという不誠実さに対してなのだと思います。
ただ、与野党各議員が野次をとばす行為自体が処罰されるべきだし
議院立法が少なく行政府(官僚)主導で法案が成立されることが問題
の本質と思います。
毎日新聞は議院規則等の改正による野次の処罰化と
法律の制定・改正のプロとなれる議員を当選しやすくするシステム
を提案すべきだったのでしょう。
「ネットがあっても新聞が必要と思う人に欠けている視点」に欠けているのは、今のネットで流れているニュースは新聞をはじめとするオールドメディアによる物が多い、ということです。
例えば韓国とのことについても、オールドメディアやその2次利用情報を一切排除して、現状がわかるわけありません。
河野太郎防衛大臣のtwitterだって、「河野太郎氏が防衛大臣になった」というのはオールドメディア情報です。
百歩譲って政治に興味があるから、河野大臣を始め、政治家のSNSはチェックしているとしても、首里城の火災、ナイトスクープの局長交代etc、SNSでどうやって知るのでしょうか?
こちらのブログの記事でも、例えば「アメリカファーストと米韓同盟から見るGSOMIA」では「毎日経済ニュース」と「中央日報」と「ハンギョレ新聞」から情報を得ていますが、新聞がなくなれば、上記の記事は書けなくなります。
新聞の恩恵にあずかっておきながら、「新聞は必要か?」と問われても、あまり説得力を感じませんね。
「新聞(電子版)」は必要だと考えます。
ただ、論じている「新聞」とは「新聞紙」という紙媒体のことではないでしょうか。
某少女風に言うと
「私は怒っている!みんなお金のことばかり!これは環境問題だ!森林資源の無駄遣いだ!」
駄文失礼しました。
匿名さん
ねつ造報道云々をいう記載がありますから、電子版を含む新聞のことだと思います。
じゃっく 様
2019/11/09 at 05:37 の匿名です。
電子版を含む新聞とのご指摘、ありがとうございます。
小生は、
・池上彰氏のアメリカの地方紙廃止の下り
・本文後半の新聞業界にある問題の下り
から紙媒体のことが主だと読み取ったのですが。
サムネイル画像の影響でしょうか。
http://no-zanshi.com/
じゃっく様
同じこと思ってました。
新宿会計士様が言いたいことが分からないではないですが、確かに説得力を欠くとは感じてました。
ほんとにオールドメディアなんて不要だというのなら、一週間でいいから、オールドメディアからの引用なしで知的好奇心を刺激する記事を立て続けに出すぐらいのことするなら説得力あるかな、という気もします。
引用(利用)しておいていらない、と言っても説得力はない気がします。
はて?このブログ読んだけどブログ主「新聞は要らない」って主張してるんだっけ?すくなくともそうは読めないよ?単に池上某氏の記事を批判してて新聞自体が不要だって断言してるようには見えないのだが?じゃっくさんてもしかしてマスゴミの人?そういやこのコメランにもマスゴミ擁護っぽいのが沸いてるみたいだけどね
匿名さん
この記事の冒頭に
>いつも当ウェブサイトで報告しているのは、新聞、テレビを中心とするオールドメディアが、次第に社会から必要とされなくなり始めている、という社会現象です。(中略)新聞社やテレビ局が生き残っていくためには、現在の自分たちが置かれている問題点を客観視し、問題を洗い出してひとつひとつ解決していく姿勢が不可欠ですが、果たして彼らにそれができるのでしょうか?
とあります。最後のは反語ですから、「できないから生き残れない」ということで、新聞は不要、ということでしょう。
また、このブログの広告に「無地・新品の新聞紙」があるのは、大分前の記事で、「新聞紙の紙としてなら無地の新聞紙を買えば良い」と、新聞を批判した記事を掲載して以降です(どの記事かは忘れました)。
それでも「新聞は不要とは読めない」というのなら、貴殿の読解能力の問題だと思います。
確かに、この記事のリンクをたどると「当ウェブサイトではマスコミを全否定するつもりはありません」という、記載はありますが、同じ記事で「そして、ウェブ評論をするのに、基本的にはほとんど初期コストも必要ありません。大手無料ブログを使う場合、必要な初期コストといえば、PCかスマホ、タブレットなどの情報端末と、インターネット回線くらいなものです。」と、マスコミの情報はネットで手に入るからタダ扱いをしています。
言い方は悪いですが「ただで情報を提供してくれて、批判すればページビューが増える、都合の良いサンドバック」扱いですよね。
だから、説得力に欠けると感じたのです。
例えば「新聞や雑誌を記事で引用した場合は1つあたり10000円、過去の記事について言及した場合はその記事で引用には1つ5000円、災害被災者や社会的弱者に寄付します」というように、情報に対する対価を支払う(ただ、「腐敗しているマスコミ」には支払いたくないでしょうから、別の形で支払う)とかすれば少しは違うかなと思います。
(金額が高すぎると思われるかもしれませんが、マスコミを使わずにそれらの情報を得ようと思ったら、おそらくこの10倍以上の費用が掛かりますから、決して高くはないでしょう。ましてやそれを飯のタネにするのですから)。
じゃっくさん、こんばんは。
もしかしてですが、「他人のふんどしで相撲をとっている」
のに、その他人を斬っても説得力に欠けるだろう?
しかも、あなた、それで収益まで得てるなんて。
という、アンフェアじゃないかという気分を含んだお話でしょうか?
もし合ってるなら、ようやく趣旨をつかめました。
ただ、これは一般に評論活動を行なう人なら誰もが
普通にやっていることだと思われませんか?
書評なら(献本は考えないとして)対価を払って入手した
書籍に対して、忌憚のない意見を書く。
グルメ評論家なら、自費で購入した料理を味わって、やはり
忌憚のない意見を書く。ほめるときもあれば、けなすときもある。
評論家がそれでなんらかの収入が得られるのは、評論を楽しむ
人たちに対して、独自の見方、味わい方を提示できているから
だと思います。解釈するための道筋を示すことには、ある種の
価値が存在するということでしょう。
そして、新宿会計士さんが評論の対象とされているものが
たまたま無料で入手できたからといって、特段アンフェア
とは言えないと思います。
ひとつの記事に10000円の価値があるじゃないか、という部分
ですが、確かに、新宿会計士さんが自力で現場に行って取材
しなければならないとしたら、その一次情報は場合によったら
何十万円ものコストがかかるかもしれませんが、価格については
新聞社側の言い値ですから。
繰り返しますが、新聞社側の事情で無料で配信しているのですから
「ただなんだから、けなすコメントはなしだぜ」なんてことは、
新聞社側も思いもしないはずです。
ちなみに、僕はこのサイトで貴重な記事を無料でたくさん読ませて
もらっています。生意気にも、ときおり否定的なコメントをさせて
もらうこともあります。けれども、出入り禁止も警告もありませんw
表現する人は否定的なコメントを受けるのは当たり前ですし、
時にはその存在に疑問をなげかけられることすら、想定しなきゃ
いけないと思います。厳しい世界です。だから自由に表現できます。
まあね、たまには勇み足ではないか? という厳しすぎる言葉が
飛び出すこともあるこのサイトの評論記事ですが、それも含めて
新宿会計士さんの持ち味なので。
勇み足を具体的に指摘してそこ限定で非難するのはいいと思い
ます。けれども、このサイトのマスコミ批判そのものが
アンフェアだったり不適切だとは僕は考えません。
これが的外れな文章だったら、ごめんなさい。
ジャックさんへ。
横から失礼します。
ブログ主は「新聞テレビが生き残れるかどうか」と投げ掛けているだけであり、「不要だ」と言い切った下りはありませんよ?あなたこそ、人が書いてもいないことを勝手に誤読して?、読み取ってしまってますね。
新聞は必要だと思いますよ。
自分には不要だからと言って要らないものと切り捨てるのは流石に早計かと。
と言っても情報弱者に対する救済でしか無いのですけどね。
しかも日本には当の情弱をだますような新聞社しかありませんし、まるで新聞が不要かのように見えますが…実際には自称新聞社、自称マスコミが不要なのであって、まともな新聞社があれば新聞はみんな必要だと思うようになると思います。
例えるならガラケーとスマホの関係ですね、必要最低限の機能(情報)しかないガラケー(新聞)と多機能で便利ですが相応の資金と労力が必要なスマホ(ネット)。
もちろんこれは旧式でも魅力があるからガラケーが生き残っているだけで、旧式で魅力も無い今の新聞はどちらかといえば中国製と日本製みたいな関係です。
…ああ、でもこれだと新聞が廉価のように見えてしまうかな?ネットだって安くは無いんですが、不当な高額を要求されるマスゴミを例えるにはうまくないですねぇ…難しい。
他に喩えが見つからない程に不要度が高いと言うことでしょうか。
情報弱者はボラれてると知ってか知らずか粗悪品を使うしか無いんでしょう。今の新聞はそういう産業です。
今回の「読者コメント一覧」は 非常に楽しく読ませて頂きました。
書かれているものを一方的にそのまま信じるのではなく、 自分で考え 同時に自分の考えを修正できるのがこの「読者コメント一覧」良いところだと あらためて感じました。
りょうちん様が書かれている記者クラブの問題、カニ太郎様のいつも通りの直球コメント<個人的にもスッと心に届きました(笑)>、配達人の家系様、はぐれ鳥様、七味様、じゃっく様、人生休憩中様、それぞれ私個人的にも納得する御意見でした。
正直言って一次情報のアクセスが、多少なりとて一般人には封じられてる以上(記者クラブもそうですし、警察・役所・病院etcに個々人が電話などで問い合わせる行為が許されるとも思いません)一次ソース出しをする報道機関の役割に頼らずやれの論陣はアンフェアだと思います。池上氏の論説も新聞云々よりはそっちに傾いており、恣意的だと思います。それをする為に数々の権限が付与されている事の意味を考えて欲しい。
スッパ抜きが重要なら週刊誌を保護しないと!
新聞が重要だとすればローカル情報に関してかなぁ。ネットはスケールメリットのせいで地域の情報収集は弱い気がする。まあ、再三取れるかは難しいんだけど。
2019/11/09 at 05:37 の匿名です。
新聞について辞書を調べておりました。
https://kotobank.jp/word/%E6%96%B0%E8%81%9E-82517
一部抜粋です。
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とっさの日本語便利帳の解説
日本では新聞、新聞紙のこと。
中国では報道、ニュースの意。TVでも新聞という。印刷した新聞は「報紙」。
世界大百科事典 第2版の解説
広い意味では,多数の人々に情報,意見などを伝達するマス・コミュニケーションmass communication(英語),プブリツィスティクPublizistik(ドイツ語)の全媒体をさす。英語のプレスやジャーナリズムに相当する概念である。狭い意味では,多数の読者のために刊行される,時事についての報道,解説,評論を主とした内容とする定期印刷物をいう。つまり新聞紙newspaperのことである。
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広義では全媒体。中国ではニュースという意味でした。
今後は「新聞」ではなく「新聞紙」と表現しようと思いました。
>普通の民間企業だと、1個でも不良品が発生すれば、企業の社会的信用問題に発展しますが、新聞業界、テレビ業界の場合は、「製品」であるところの報道において不良品をボコボコと生み出している企業のようなものでしょう。
新聞・テレビの関係者が、「報道機関」の名を騙りながらも正しい客観的事実を報じずに虚報ばかり垂れ流しているのだとしたら、それはもはや「報道機関」ではなく「詐欺集団」のようなものですが、反省しない新聞やテレビが一般国民から信頼されなくなるのも当然の話です。
小生も日本の新聞の問題として著作物にPL法に相当する製造物責任が無い事が一番の問題点と感じてます。即ち企業が製造物で不具合を出すとリコールとして多額の資金が必要になり倒産まで引き起こす恐怖故、企業はPL法順守に過大な時間と資金を費やしてます。
しかるに、新聞始めメディアは報道側に立ち批判するだけでメディア側の捏造記事に対し謝罪すらまともに出来ないのは、従軍慰安婦と称する一連の捏造記事の謝罪コメントとサイトブロック事件からも明らかでです。以上によりT新聞の某女性記者の様な勘違いするアホウな特権意識バリバリの輩が産まれると思っています。
そこで新聞・ニュース等に対するPL法として著述者・翻訳者の記載(XX編集部:YY)でも良い、記載無き記事はメディアに乗せられないとの法律規制が必要と愚考します。
それは、ナショナルジオグラフィック日本版等サイトや一部不完全ながらブルームバーグ等でもされている事で、何ら難しい話ではないと思います。
上記著述者・翻訳者の名前から記事の妥当性を検証したり信用するか否かを考えることができるしまた誤報に対する責任明確化ができると思います。
余談ですが小生、産経新聞を未だに読んでますが上記著述者が明確でない記事は読みません。従って1面記事でも「XX編集部:YY」の記載のあるもの以外は読み飛ばしです。
以上駄文失礼しました。
返信ができないものがあるので、こちらでまとめて。
そもそも、この記事の「新聞」自体の定義がファジーなので解釈の余地がありますが、「誤報とか偏向報道とかを問題にしているので、紙媒体・電子媒体を区別せず、全部ひっくるめてことだと思います。
また、紙媒体を全廃した一般紙は世界に存在しない(雑誌、専門誌などは存在しますが、そもそも、紙面の構造が異なるから成立しているだけです)ので、「紙媒体を全廃せよ」というのは、現実的な提言ではありません。WSJとか日経とかが電子化で成功しているとの記述が過去にありますが、どちらも紙媒体は残っています。
そして、朝日新聞、毎日新聞については、
毎日新聞さん、ゴミを不法投棄しないでくれますか?
https://shinjukuacc.com/20171201-01/
朝日新聞は「トイレットペーパー以下」なのか?
https://shinjukuacc.com/20180308-01/
と、ゴミだ、便所紙以下だと主張しておきながら、
朝日新聞が例の芸術祭を「圧力に屈しない姿勢」と絶賛
https://shinjukuacc.com/20191016-02/
朝日新聞が「頭を冷やして報復を撤回せよ」と要求
https://shinjukuacc.com/20190703-04/
毎日新聞「野党に活気、安倍政権終わりつつある」
https://shinjukuacc.com/20191030-03/
と、しっかりネタにしています。
ゴミや便所紙であってもネタになる(=PVが増える=収入が増える)のであれば使う、というのであれば、(それ自体を批判はしませんが)、最近のマスコミの腐敗を非難できないと思います。
じゃっくさんへ。
>ゴミや便所紙であってもネタになる(=PVが増える=収入が増える)のであれば使う、というのであれば、(それ自体を批判はしませんが)、最近のマスコミの腐敗を非難できないと思います。
いや、その理屈はおかしいでしょ?アホみたいな記事でもブログでまともなセンスからちゃんと取り上げて読者が意見を交わすこと自体、社会的な常識感覚を育成できるんじゃないですかね。
あなた、最初に「新聞の恩恵にあずかっておきながら、「新聞は必要か?」と問われても、あまり説得力を感じませんね。」って言ってますけど、貴方が上げたこのブログの過去記事(それだけじゃないと思いますけど)は「ネタにしている」だけであって「新聞に依存してる」って理屈にならないでしょ?
最初の「新聞に依存してる」が匿名の人(同じ人?)から批判されて、それを誤魔化すために無理やr持ってきたこのブログの批判にしか見えませんね。
>紙媒体を全廃せよ」というのは、現実的な提言ではありません
??
あれ?ブログ主さん、そんなこと提言してましたっけ?いつ?
「新聞に依存してる」かどうかの判断基準は、ある新聞記事を引用せずにブログが書けたかどうかであって、少なくとも記事を引用せずにブログは書けなかったと思われます。
試しに記事の引用をなかったものとしてブログを再構成してみてください
ただのポエムになってしまい、印象が大きく変わることでしょう。
匿名さん(じゃっくさんかな?違ってたらごめんなさい。)
>試しに記事の引用をなかったものとしてブログを再構成してみてください
>ただのポエムになってしまい、印象が大きく変わることでしょう。
???
自分で何書いてるか、わかってます?メディア批判の記事ですから、そのメディアの記事を参照しているのは当たり前でしょう。それに何ですか、「印象」って。論考って、「読者に印象を与えるため」じゃなくて「読者を説得するため」に書いてるんですよ?
>「新聞に依存してる」かどうかの判断基準は、ある新聞記事を引用せずにブログが書けたかどうかであって、少なくとも記事を引用せずにブログは書けなかったと思われます。
何その勝手な基準。メディア批評するときに記事を引用せずにブログが書けるわけないじゃないですか。
名無しのO様
匿名です。じゃっく様ではありません。思い込みが激しいと受け取られかねないですよ。
>メディア批評するときに記事を引用せずにブログが書けるわけないじゃないですか。
その事実をもって「新聞に依存してる」と指摘してるのですが。
匿名さんへ。
>匿名です。じゃっく様ではありません。思い込みが激しいと受け取られかねないですよ。
自分でハンドルネームを使っていない以上、そう誤解されても仕方ないと思いますよ。僕が「思い込みが激しい」んじゃありません。貴方のコメントン仕方に問題があるのです。
思い込みが激しいのは、貴方の方です。
>>メディア批評するときに記事を引用せずにブログが書けるわけないじゃないですか。
>その事実をもって「新聞に依存してる」と指摘してるのですが。
だから、その批判の仕方がおかしいって指摘してるのですが。
ま、思い込みが激しい貴方だからしょうがないか。ヤレヤレ。
なんか古い記事が盛り上がってるなって思って読んでみたら、何このアホなやり取りは。
>「新聞に依存してる」かどうかの判断基準は、ある新聞記事を引用せずにブログが書けたかどうかであって、少なくとも記事を引用せずにブログは書けなかったと思われます。
新聞批判するブログ書いてんのにその新聞記事を具体的に引用しないでブログが書けたらそっちの方がおかしいでしょ?頭おかしいのか?このコメント主は。
通行人さん
そうなんですよ。
「新聞」を他の物に置き換えてみればよく分かるはずです。
この人の説によれば、立憲民主党や韓国政府の発表を引用して内容を批判する事は、それらに依存している事になるのだそうです。
ファジーですか?
全国紙、通信社、地上波テレビと明記してあるように私には見えますが。
範囲を拡げるのは自由ですが、それならご自分で宣言すれば良いでしょう。
メディアからの引用については、ゴミは不要だが目に付くなら処分するしかない。ゴミが無いと困るわけではない。
記者クラブが廃止されれば役所発の情報は別ルートからより適切な形で入手出来るようになるでしょうから、ゴミの苦情を書く必要が減るでしょう。
>ファジーですか?
それ俺も思った。このじゃっくってコメント者さんは勝手に自分でブログ主が書いてもいないことをドンドンと勝手にねつ造してコメントしていると思う。新聞の範囲がファジーって、ちゃんと明示していると思うし、このブログ主ってマスコミを批判する時も「全てのマスコミが悪いわけじゃないが」ってちゃんと書いていて、しかも「新聞を廃止しろ」なんて言ったことはないと思う(朝日新聞は廃刊しろなら言ってたと思うが。)
新宿会計士さんが議論の結果を「結論」としているからの誤解でしょうか。
主張に結論があるのは当然ですが、議論を経た上でたどり着く結論を重視するなら、自分の主張が修正されることが織り込まれなければなりません。
それを否定する姿勢を批判していると理解しています。
新聞に限った話ではありませんが。
上記は新茶狼さんへのコメントのはずだったのですが、何故か別スレになってしまいました。
議論を経た上でたどり着いた結論なのか、
結論ありきだが、本人は議論を経た上でたどりついたと思い込んでいる結論なのか、
誰がどうやって判断するのか、という問題提起だと思いますが。
新聞は不要か?の本意というのは、嘘・捏造記事を一度ばかりでなく確信犯的に繰返し全世界に発信し、そして記者・会社による謝罪も記事の訂正もしないような新聞社が発行する新聞は廃れるということだと思います。個人的には思想・信条・表現の自由があるべきと思っているので、別に極右から極左までの様々な考え方を持って議論・執筆した記事があってもいいとも思います。しかし、議論の前提となる事実を偏らせたり統計を捏造したりした場合には、誤った結論や、特定の人物や組織に対する間違った批判やヘイトを出しかねず、極めて危険な行為であると言えます。
まあ、自由経済かつ公正な普通選挙を行えている日本では国民に支持されないものはゆっくりと淘汰されていき、必要最低限の存在に留まるのではないのでしょうか。
未熟な19歳男性 様
先日に続きコメントを賜り大変ありがとうございます。
>自由経済かつ公正な普通選挙を行えている日本では国民に支持されないものはゆっくりと淘汰されていき、必要最低限の存在に留まる
との表現は、簡潔にしてい明瞭であり、非常に素晴らしいご指摘だと思います。
ふだん、読者コメント欄にコメントを投稿することはあまりないのですが、非常に優れたコメントでしたので、思わずコメントをしてしまった次第です。
引き続き当ウェブサイトのご愛読並びにお気軽なコメントを賜りますよう、何卒よろしくお願い申し上げます。
池上御大はネットのニュースもマスコミによるものだと仰っていますが、遠からず新聞テレビの各社はヤフーやGoogleなどのネット媒体にニュースを買い取って貰う下請的立場になると個人的に考えています。マスコミの存在自体は残るものの情報の価値をダイレクトに値踏みされる立場になるでしょう。
新聞というのは、どこまでいっても商売という枠からはみ出す事はない。
真実を伝え社会に貢献する資料を提供しても、
それが注目されなければ、銭は儲からない。
物事の本質を追求するよりは、
単純に善と悪という図式に仕立てた方が分かりやすくて、
読者にウケが良いと思えば、容易く本質論を放棄してしまう。
論争が起きている事柄さえも一方に加担して一方の議論は封殺。
コストに見合わない地味な作業を省いても利潤を追求する上では それは正義となる。
結局、新聞は効率を重視したビジネスであり、社会的な使命は宣伝文句でしかない。