「日本礼賛論」はむしろ日本にとって有害
インターネットが普及することで、マス・メディアや野党議員の反日的な行動が誰の目にも明らかになりつつありますが、その反動として、最近、「日本は無条件に素晴らしい」といった論調を目にすることもあります。しかし、私たち日本人にとって必要なことは、「無条件の日本礼賛」ではありません。日本の良い所をしっかりと守りつつ、日本の悪い所を直視し、それを是正することで、より良い日本を作り上げていくことです。
目次
日本の大きな問題点
改めて当ウェブサイトの位置付け
よく勘違いされるのですが、当ウェブサイトの運営者「新宿会計士」は、別に「右翼」ではありませんし、「保守論客」でもありません。
昨年、某大手オピニオンサイトの記者様から転載許諾のメールを頂いた際、この記者様は当ウェブサイトのことを「偏りのない保守中道」だと褒めてくださったのですが、私は当ウェブサイトの論調が「偏りのない保守中道」だとは思っていません。ある意味ではバリバリに偏っていると考えています。
確かに私は日本が好きですが、その理由は、私自身が日本に生まれ、日本に育ち、日本で暮らし、そして日本で死んでいく人間だからです。自分が帰属しているこの日本という国を、わざわざ貶め、破壊するような活動を行うこと自体、私の理解の範疇を超える行為です。
しかし、その一方で、「日本のことは何でもかんでも是認する」というスタンスも間違っていると思います。「ネトウヨ」と呼ばれる人たちのなかには、太平洋戦争(または大東亜戦争)が日本を守るために必須の戦争だったとの主張もあるのですが、私はこうした考えは間違いだと思います。
というよりも、戦前の日本軍は、あの無謀なインパール作戦を主導した牟田口廉也(むたぐち・れんや)のような愚か者が多数存在していましたし、戦後は戦後で、国鉄の経営破綻、日銀の無為無策、増税原理主義の財務省など、「高学歴の人間による間違った指令」が日本を悪くしているからです。
「愛国者」を装っている者が常に日本にとって正しいことをしてきたとは限りません。本当に日本を愛するならば、歴史をきちんと研究し、過去の成功事例だけでなく、失敗事例を究明しなければなりません。
一例を挙げれば、太平洋戦争の開戦時の首相だった東条英機については、「みずから責任を背負った偉人である」といった評価を見掛けることがあります。しかし、私に言わせれば、あの無謀な太平洋戦争を止めることができなかったという時点で、やはり日本人に対して一定の責任を負うべき人物だとは思います。
「日本は凄い!」への違和感
どうして唐突にこんなことを申し上げたのかといえば、「日本は凄い!」、「日本は素晴らしい!」といった、日本を無条件に褒めそやすコンテンツが目につくからです。
最近、インターネットが普及したおかげで、野党議員やマス・メディアの主張の支離滅裂さが誰の目にも明らかになりつつあります。しかし、その反動として、「日本は無条件に凄い国なんだ!」といった、自意識過剰、あるいはうぬぼれのようなコンテンツが出てくることには、私は強い警戒心を抱いています。
あえて実名を挙げることは控えますが、「日本の素晴らしさに対する海外の反応」といったテーマのウェブサイトがいくつかインターネット上に存在しますし、また、テレビ好きの知り合いによれば、最近のテレビ番組でも「日本は素晴らしい」といったコンテンツが増えているのだとか。
冒頭に申し上げたとおり、私自身は自分を「愛国者」だと認識しています。しかし、本当の愛国者であれば、この手の「日本は無条件に素晴らしい」といったコンテンツに警戒心を抱く必要があります。常識的に考えて、無条件に優れた国など存在しないからです。
もちろん、中国共産党の一党軍事独裁国家である中国よりも、プーチン氏による事実上の独裁国家であるロシアよりも、「反日教」が支配するパラノイア国家である韓国よりも、さまざまな意味で、日本の方がはるかに優れていることは間違いありません。
しかし、だからといって中国、ロシア、韓国を見下し、「日本の方が無条件に優れている」などと主張することには感心しません。いや、もっときつい言い方をすれば、根拠もなしに「我々の方が優れている!」と主張して相手を見下すような態度だと、北朝鮮とたいして変わらないと思います。
日本の最大の問題点は既得権益
最近、ある方のウェブ記事を読んで、感銘を受けました。簡単に申し上げるならば、
「日本は歴史上、さまざまな権力者が出現したが、いつの時代においても天皇を権威として戴き、ときの権力者は天皇家とは別に存在することで、独裁者が出現して暴走するのを防ぐ仕組みが自然と整っていた」
とするものですが、私も大筋でこの方の主張には賛同したいと思います。
よく日本には、大統領に強大な権力が集中している米国などと異なり、内閣総理大臣には大した権限がない、とする主張を見掛けます。日本が統治機構上、1人に権限が集中し過ぎない仕組みを採用し続けてきたことは、こうした「権威と権力の分離」という自然の知恵があるのかもしれません。
ただ、現代の日本には、1つの大きな問題点があります。それは、既得権益層が変化を拒む風土が強く、日本を良くしようとする動きを妨害してしまう、ということです。そして、日本を悪くしている既得権益とは、ずばり、「官僚、マスコミ、野党議員」の3者だと考えています。
その構造とは、「官僚が記者クラブを通じてマス・メディアを支配する」、「マス・メディアは反権力のあまり、野党議員を徹底的に擁護する」、というもので、基本的には「官僚→マスコミ→野党議員」、という流れです。
そして、「官僚、マスコミ、野党議員」の3者は、いずれも「国民から正当なプロセスで選ばれた人たち」ではない、という共通点があります。
官僚の場合は国家総合職(旧国家Ⅰ種)試験に合格し、どこかの省庁に採用されたら、一生安泰です。また、マス・メディアの場合も、大手メディアは実質8社しかありませんから(昨日の『RSFランキング最新版と倒産に向かうマスゴミ』参照)、一度どこかのメディアに採用されれば安泰です。
さらに、野党議員の場合は、マス・メディアを味方に付けることができれば、あとはマス・メディアが偏向報道で徹底的に守ってくれるので、ほぼ安泰である、というものです。
もっとも、この構図は真ん中にいるマス・メディアの情報統制が瓦解すれば、自動的に崩壊します。現在の情勢は、インターネットを通じてマス・メディアの情報支配力が打ち破られつつあるなかで、マス・メディア側が最後の抵抗をしている、ということではないかと思います。
もりかけ問題とは既得権益層の問題
この「官僚、マスコミ、野党議員」の三位一体仮説の一例として、当ウェブサイトでは、先週もずいぶんと「もりかけ・セクハラ・日報問題」について取り上げました。このうち「もりかけ問題」とは、
「安倍晋三(氏)が内閣総理大臣としての地位を悪用し、友人が経営する学校法人に対し、違法な便宜を供与していた疑い」
のことです。しかし、朝日新聞を筆頭とするマス・メディア各社、民進党(現・立憲民主党、国民民主党など)を中心とする野党が、昨年2月頃から大騒ぎしているわりに、今日に至るまで、彼らはただの1つとして「安倍(総理)が有罪だ!」と断定するに足る証拠を出していません。
マス・メディアや野党の主張の支離滅裂さは、元民進党の江田憲司衆議院議員が執筆した文章を読んで頂ければ、よくわかると思います(江田議員の主張については『【昼刊】江田憲司議員の加計学園に対する威力業務妨害』で触れているので、ここでは繰り返しません)。
野党議員やマス・メディアの主張とは、「疑惑は持たれた側が潔白を証明する義務がある」というとんでもない代物で、「安倍(総理)は潔白である証拠を自ら出す必要がある」という、中国の人民裁判のような前近代的な物です。
しかも、野党やマス・メディアが財務官僚のセクハラ問題を叩く割には、立憲民主党の初鹿明博、青山雅幸両議員のセクハラ問題についてはダンマリを決め込んでいますし、山尾志桜里議員の不倫問題、政治資金規正法違反問題についてもメディアは完全に無視しています。
さらに、官僚の側にも野党やマス・メディアに呼応している者が多数、存在しているのではないかと疑わしい状況にあります。たとえば、大阪地検特捜部の山本真千子部長は、マス・メディアに対して捜査機密情報を漏洩するという犯罪を行っていた疑いがあります。
このように考えていくならば、少なくとも、「国民から選挙で選ばれていない勢力」から権力を奪うことが必要であることは、間違いありません。私がこのウェブサイトを運営している目的も、その一点にあるのです。
さまざまな腐敗
問題はそれだけではない:自民党の弛緩
繰り返しになりますが、既得権益こそが日本の最大の問題点であり、そのなかでもとくに大きな既得権益層とは、「官僚、マスコミ、野党議員」の3者です。
なかでも、官僚機構については来年の消費増税で日本を再びデフレに叩き込もうとしている財務省、マス・メディアについては繰り返し「もりかけ・セクハラ・日報問題」という報道テロを仕掛ける朝日新聞社、野党議員については共産主義革命と天皇「制」(※)廃止を目論む日本共産党が、最大の癌です。
(※余談ですが、日本には天皇「制」というものは存在しません。天皇という存在があって、日本政府が存在するのであって、日本政府が天皇「制」を作ったわけではないからです。天皇「制」という言葉自体、共産主義者によるレッテルです。)
ただ、問題は、実はそれだけではありません。官僚機構が腐敗すれば行政組織が腐敗しますし、ダブル・スタンダードが常態化します。また、マス・メディアが腐敗すれば国民世論にも悪影響が生じます。さらに、野党が腐敗すれば、与党が腐敗してしまうのです。
これこそが、自民党の弛緩という問題でしょう。
最近だと、加藤寛治議員が「女性は子供を3人以上生むべきだ」などと発言し、マス・メディアが猛烈にこの発言を批判していますし、少し前だと秘書に暴言を吐いて大問題となった自民党の女性議員がいました(※昨年の総選挙で無所属で出馬し、落選)。
マス・メディアが腐敗していて、自民党議員というだけで、ただでさえ揚げ足を取られかねない状況にあるという緊張感を、自民党議員はもっと強く持つべきです。
媚中派の問題
さらに大きな問題は、自民党内に媚中派勢力が再び力を持ち始めている、という点です。
たとえば、現在のところは安倍総理を筆頭に、官邸側が中国に過度な果実を与えないという姿勢で一貫しています。しかし、二階俊博・自民党幹事長が親中・親韓派(というよりも媚中・媚韓派)であることは有名です。
現在、財務省内では「日中通貨スワップ協定」の締結に向けて協議が進んでいます(これについては『【昼刊】日中スワップとQFIIと利権の匂い』)が、これなども中国本土で「パンダ債」を発行するという、正気の沙汰ではない行為をやった民間銀行の尻拭いという側面もあります(※)。
(※もっとも、この問題については、あまり踏み込むと私自身の身分がバレてしまうおそれがあるため、ここではあまり踏み込みません。詳しい内容については『危険なパンダ債と「日中為替スワップ構想」』などもご参照ください。)
高学歴経営者の問題
日本社会には、ほかにもいくつかの問題がありますが、そのうちの1つは、経団連企業所属のトンチンカンさにあります。ここ数年、粉飾決算疑惑で揺れていた某総合電機大手が、最近、「虎の子」である事業を外国企業の連合体に売却する方向で話が進んでいるようですが、この問題についても腹が立つことばかりです。
もともと、この企業は日曜日の某国民的人気アニメのスポンサーでもあり、家電メーカーとして有名でしたが、原子力事業で大きく成長し、近年ではむしろ原子力事業の世界的な有力企業として知られていました。
ところが、原子力事業の海外展開で企業買収戦略に失敗したところから経営にケチがつき始め、歴代経営者が「不適切会計」(?)に手を染め、決算修正を余儀なくされました。どうしてこのようなことになってしまうのでしょうか?
それは、高学歴の経営者ほど、経営判断を間違える、という問題点でしょう。私自身、以前勤務していた会社(※)でも、そのことを強く感じました。その会社は親会社が経営判断のミスを連発しており、しかも、経営判断ミスをした者たちが、顧問として居座っていたからです。
(※前職の業種、会社名については、今のところは明らかにするつもりはありません。しかし、仮に当ウェブサイトで私の実名を公表すると、前職がどこなのかすぐにわかってしまうという事情もあるため、実名の公表にはまだ慎重でありたいと思っています。)
行政の恣意性、ダブル・スタンダードの問題
先ほど、「官僚→マスコミ→野党議員」という「既得権益構造」の流れを指摘しましたが、その最上流にある官僚、あるいは日本の行政機構には、さまざまな問題があります。
たとえば、私自身は日本の金融行政をウォッチしている人間の1人であり、金融庁が作成するさまざまな政令、規則、告示などの悪文には悩まされ続けています。金融庁の担当官は、自分で自分のことを「賢い」とでも思っているのでしょうか?
また、先ほども、大阪地検特捜部の山本真千子部長による、「守秘義務違反」という犯罪の可能性に言及しましたが、検察当局の行動にも首をかしげるものが多いのです。
たとえば、リニア中央新幹線の工事を巡り、東京地検特捜部は受注した大手ゼネコン4社のうち2社の幹部を独禁法違反の容疑で逮捕し、捜査を進めていますが、そもそも民間企業であるJR東海が受注した工事に「談合」が成り立つのかという問題があります。
一方、ライブドアの粉飾決算事件では、堀江貴文氏が証券取引法(当時)違反で実刑判決を喰らい、収監されましたが、同じ基準に照らすならば、この某総合電機大手の歴代経営者も、すべて実刑判決を喰らって収監されるべきでしょう。
さらに、1990年代に中村喜四郎衆議院議員はゼネコン汚職事件にからみ、斡旋収賄罪で起訴され、2003年には一度、失職しています。おなじ基準に照らすならば、玉木雄一郎衆議院議員(国民民主党共同代表)も斡旋収賄罪で有罪となるべきでしょう。
このように、検察当局は無理に罪をでっち上げようとしたり、本来、摘発すべき罪を摘発しなかったり、と、法の恣意的な運用が目立ちます。要するに、検察当局も相当に腐敗しているのです。
あるいは、「加計学園による獣医学部開設を阻んでいた文部科学省の行政の違法性」、「増税原理主義で日本経済を破壊しようとしている財務省」など、行政機構には問題が山積しています。マス・メディア改革の次には、行政改革が必須であり、場合によっては国家総合職のような「エリート採用試験」を廃止するなどの議論も必要でしょう。
日本「原理主義」は控えたい
ここ数日、当ウェブサイトではマス・メディアや野党議員などの異常な振る舞いを批判する記事を掲載し続けてきたのですが、本日はこうした時事記事から離れ、私が普段感じていることを、つれづれに綴ってみました。
私自身は母親(故人)が在日韓国人(※生前に日本に帰化済み)ですが、それでもアイデンティティは100%の日本人だと感じていますし、良き日本人として日本社会に貢献し、子供を育て、日本で死んでいくつもりです。
こう考えていくならば、日本人である以上、日本を愛し、日本をより良くするために全力を尽くすのは、当然の責務でもあります。
そして、「日本はすべて自動的に素晴らしい」、「周辺国は日本と比べて劣っている」、などと盲目的に主張するのは、却って愛国的ではありません。現代の日本には、解決すべき問題は山ほどありますし、こうした問題を無視して、無条件に「日本は素晴らしい」と礼賛するのは思考停止です。
私たち日本人にとって絶対に必要なことは、日本の良い所を大切に守りつつ、日本の悪い所は悪い所として直視し、是正していこうとする姿勢でしょう。残念ながら、野党議員やマス・メディアの支離滅裂な論法だと、「日本の良い所を守り、悪い所を是正する」うえで全く役に立ちません。
いずれにせよ、当ウェブサイトでは今後とも、学歴社会という日本の悪弊、民間企業の経営責任、官僚機構のダブル・スタンダード、法の運用の恣意性についても、勇気を持って主張していきたいと思います。そうすることで、日本を「より良い国」にしていくことに、1ミリでも貢献できるなら、非常に嬉しい限りです。
本文は以上です。
日韓関係が特殊なのではなく、韓国が特殊なのだ―――。
— 新宿会計士 (@shinjukuacc) September 22, 2024
そんな日韓関係論を巡って、素晴らしい書籍が出てきた。鈴置高史氏著『韓国消滅』(https://t.co/PKOiMb9a7T)。
日韓関係問題に関心がある人だけでなく、日本人全てに読んでほしい良著。
読者コメント欄はこのあとに続きます。当ウェブサイトは読者コメントも読みごたえがありますので、ぜひ、ご一読ください。なお、現在、「ランキング」に参加しています。「知的好奇心を刺激される記事だ」と思った方はランキングバナーをクリックしてください。
ツイート @新宿会計士をフォロー
読者コメント一覧
※【重要】ご注意:他サイトの文章の転載は可能な限りお控えください。
やむを得ず他サイトの文章を引用する場合、引用率(引用する文字数の元サイトの文字数に対する比率)は10%以下にしてください。著作権侵害コメントにつきましては、発見次第、削除します。
※現在、ロシア語、中国語、韓国語などによる、ウィルスサイト・ポルノサイトなどへの誘導目的のスパムコメントが激増しており、その関係で、通常の読者コメントも誤って「スパム」に判定される事例が増えています。そのようなコメントは後刻、極力手作業で修正しています。コメントを入力後、反映されない場合でも、少し待ち頂けると幸いです。
※【重要】ご注意:人格攻撃等に関するコメントは禁止です。
当ウェブサイトのポリシーのページなどに再三示していますが、基本的に第三者の人格等を攻撃するようなコメントについては書き込まないでください。今後は警告なしに削除します。なお、コメントにつきましては、これらの注意点を踏まえたうえで、ご自由になさってください。また、コメントにあたって、メールアドレス、URLの入力は必要ありません(メールアドレスは開示されません)。ブログ、ツイッターアカウントなどをお持ちの方は、該当するURLを記載するなど、宣伝にもご活用ください。なお、原則として頂いたコメントには個別に返信いたしませんが、必ず目を通しておりますし、本文で取り上げることもございます。是非、お気軽なコメントを賜りますと幸いです。
コメントを残す
【おしらせ】人生で10冊目の出版をしました
自称元徴用工問題、自称元慰安婦問題、火器管制レーダー照射、天皇陛下侮辱、旭日旗侮辱…。韓国によるわが国に対する不法行為は留まるところを知りませんが、こうしたなか、「韓国の不法行為に基づく責任を、法的・経済的・政治的に追及する手段」を真面目に考察してみました。類書のない議論をお楽しみください。 |
【おしらせ】人生で9冊目の出版をしました
日本経済の姿について、客観的な数字で読んでみました。結論からいえば、日本は財政危機の状況にはありません。むしろ日本が必要としているのは大幅な減税と財政出動、そして国債の大幅な増発です。日本経済復活を考えるうえでの議論のたたき台として、ぜひとも本書をご活用賜りますと幸いです。 |
今の40~50歳の人は「団塊の世代」から自虐史観のもと学校・新聞・テレビから日本だけが戦前に世界に対して国連脱退から敗戦まで、酷いことをやっていたと教わりました。戦後の占領軍による日本洗脳工作の解き方として、「日本は無条件に凄い国なんだ!」は修正のため許容される時期だったと思います。
「実るほどに頭を垂れる稲穂かな」懐かしい言葉です。本来の日本の価値観は謙虚さを重んじる民族だった思います。そろそろテレビ番組も日本自慢話では恥ずかしくなりますね・・・・。でも特アジアに対してだけは、言うべきことは堂等と!
普段、テレビを見ない生活なので最近のテレビ番組事情には疎いのですが「日本礼賛」とは掌返しですな。
先にもコメントされた方がおられましたが私の世代はテレビ・新聞は「日本悪玉論」ばかり流しており、高校時代の地理教師など地理の授業を名目に旧日本軍が東南アジアでどれだけ人を殺した、なんて悪趣味なプリントを配り嬉々として説明していました。
90年半ばのNHKの討論番組では「国境や国籍なんて捨てて地球市民を目指す」なんて珍説を主張すれば拍手が起こっていたぐらいです。時代も変わったというか。
ちなみに東條英機については色々と申し上げたいことはありますが一つだけ。
東條の責任は大きいけれども東條一人に全ての責任を押しつけるのは間違いだと考えています。
< カズ様 初めまして。
< 『今の40〜50代の人は団塊の世代の人から自虐史観のもと、学校、新聞、テレビから世界に対して日本だけが国際連盟脱退から終戦までこれだけ酷い事をやったんだと教わりました』『戦後の占領軍により日本洗脳工作の解き方は日本は無条件にすごい国なんだ、は修正の為、許容される時期〜』と言われてますね。
< それについては、なんとも言えないですね。そもそも、団塊の世代の人達は、いちおう戦後生まれで学校教育を受け始めたのはS30年頃から。今より遥かに日本は貧しいですが、でもその頃はすでに『戦後』という意識はなかったです。食、衣類は十分過ぎて、カネさえ出せば、何でも手に入る。朝鮮戦争も終わり、戦前の工業商業出荷額を遥かに上回り、世の中平和でした。私の親の収入も上がってましたし。もちろん戦前からの教師も居り、旧式な考えの方もいたかもしれませんが、授業中に『敗戦国日本』『戦前はすべて誤りだった』『日本は間違ってない』という風潮はなかったと思います。
< それに、こと学校だけでいいますと、猛烈なベビーブームでそれどころじゃない。私の姉など小学校1クラスが60人、1学年14クラス。中学校も1クラス60人、1学年18クラス、中学校全体で1,000人×3年で3,000人居ました。大学やん(笑)教室が足りないので小学校は2部式(朝と午後2時ごろからの入れ替え制(笑)。)先生は一人で掛け持ちです。
< だから、とくとくと日本史観を説く先生は聞いた事ないです。ちなみに私は10歳ほど下なので、あくまで姉兄、両親、友人、近隣のおじさんおばさんから聞いた話です。
< 団塊の人達が、凄く米国など大国にコンプレックスあったかというと、無いです。むしろ憧れだけど、余りに遠い話。それより、同級生多いから受験戦争とかの方が激しかったです。今より遥かに大卒とそれ以下ではハナっから差がつく世の中。大変だったと思います。
< 多分、家庭で学校で厳しく皇国史観や兵隊さんありがとう、そしてアメリカさんありがとうと教え込まれたのは、もっと上の年代、S1〜10年代生まれだと思います。私はまあまあ団塊と歳が離れてないので、戦後生まれの方の育った環境、気持ちは理解できます。
< よく、戦前、戦争中のハナシをペラペラしゃべる大人がいましたが、今になって考えると、それは少数派です。変わり者。酷い体験して家族も友人も或いは戦闘で殺されているのに、簡単には口を開けなかったでしょう。
< 最後に、私は学生当時、朝鮮や中国など小学校でも中学校でも、ほとんど教えて貰ってません。『日本がかつて統治していたが、今は独立国』というぐらい。むしろ米国、移民が多かった南米、欧州の事を学ぶ機会は多かった。アジアは軽視(笑)だったと記憶してます。
< 失礼します。
すみません上は、めがねのおやじです。
めがねのおやじ様
体験談、ありがとうございます。
>学校教育を受け始めたのはS30年頃から
行間から当時の雰囲気がよくわかりました。 私の学校教育はS50年頃からのスタートになりまして、一時期、学校の先生の影響を受け式典で「君が代」を唄わなかった事や久米宏の番組で「君が代」に代わる市民の歌を採用しようという運動に影響されました。読書はしていたので小説ですが「銀英伝」「紺碧の艦隊」などで立ち止り自分なりに思索できるようになりました。今はネット時代ですので情報は瞬時に拡散しますし、「集合知」がありますから隔世の感があります。
そっか。昔の青年は荒野をめざしたもんだが、今日日は地球市民か。
でも居酒屋の止まり木で、隣の客と肘が当たって流血沙汰の大喧嘩になった「地球市民」を知ってるわ。領海侵犯したとかで、ちゃっちい国境紛争してやがんの。なーにが「国境なきを目指す」だよジジイと思ったね。言ってることとやってることが180度違う。
分度器なくてもわかるそれくらい、目分量で。
「国境を横断した地球的規模の平和な人間社会の建設に努力しようではないか、おー!」(笑)
いつも知的好奇心を刺激する記事の配信有り難うございます。
ハンドルネームの通り対英米戦争についてコメントします(笑)
インパール作戦は確かに日本軍の組織的問題が山の様に露見した軍事作戦でしたが、前回の対英米戦争における最大の問題は最初の2日間における日本の行動と思います。
コメントの前に説明すると戦争には2つの種類があります。
互いの国家の体制に影響を与えない限定戦争と国家の体制崩壊を目指す総力戦です。
前者は目的達成後速やかに講和を目指すものであり、日本政府は開戦時、この形での戦争遂行を目指していました。
ところが、開戦前日に問題が発生しました。
駐米大使館の「怠慢」で開戦文書が指定時間に手交出来なくなったのです。
どうすべきだったか?
指定時間に大使はアメリカ政府に「口頭で開戦通告」すべきでした。
それをせず清書して面会時間を変更してお役人にふさわしい形でアメリカに渡した結果、有名な言葉が生まれました。
「リメンバー・パールハーバー」です。
これって何なんでしょう?
これに対し駐米大使はどうしたでしょう?
即日報連相せず隠しました。
どこかで聞いたような話ですね(苦笑)
このような事実と無関係に日本に開戦当日にはやることが有りました。
ハルノートの公表とアメリカの不誠実を天皇陛下のキングズイングリッシュによる演説で世界中に「アメリカに正義は無い」事を突き付ける事です。
これを実行したでしょうか?
ナッシング。
結果としてアメリカは「メンツにかけて」国民一丸で日本打倒の為に活動を始めました。最初で説明した総力戦です。
結果、日本が1倒せば5を作り2倒す間に20補充する戦い方でアメリカは鉄量で持って日本を粉砕します。
日本より国力比較では遥かに差があったのにアメリカ国民を一丸にさせずベトナム戦争を戦い抜き、ベトナムの赤化に成功した北ベトナムとはえらい違いでは無いでしょうか?
どうも当方には当時の日本政府が「わざと負ける様にした」としか思えないのです。(笑)
しかし、当時の開戦時に見られた官僚の怠慢、硬直性、状況認識力0の連中の存在、不都合な事実の隠蔽、目的達成第一の施策をしない状況は…今も「全然」変わっていないと来ています。
果たして日本に北朝鮮や中国に主権を維持出来るのでしょうか?
当方としては小型化された戦術核を使えば「北朝鮮に対して日本が自国の主権を無償で譲渡せざるを得ない状況に持ち込まされる事は十分実現可能」と思っています。
ていう事で、今は日本スゲーと自賛する状況では無いと思います。
以上です。
駄文失礼しました。
歴史好きの軍国主義者様、宣戦布告について一言
昭和16年、アメリカは日本軍の南部仏印進駐に対して石油やくず鉄の輸出を禁止する経済封鎖を行いました。当時の考え方では経済封鎖は宣戦布告と見なされます。加えて中国の蒋介石軍に対して現役軍人を義勇兵として派遣し日本軍と戦っています。従って、軍も外務省も宣戦布告などする気はありませんでした。しかし、天皇がアメリカに事情を説明して宣戦布告をしろとの要請があったのでやむなく実施したということです。実際に宣戦布告したのはアメリカのみで侵攻したイギリス、オランダには何も言っていません。当然、駐米大使館もいい加減で渡せばいいだろうぐらいの気持ちだったと考えられます。当時の戦争では宣戦布告を出してから戦った国などありません。ドイツも出していません。アメリカもスペイン戦では出していません。
1930年頃の世界恐慌から抜け出せないアメリカは2次大戦に参加したかったが、戦争をしないという公約にしばられ参戦出来ないでいた。そこで三国同盟の一国である日本を挑発して攻撃させ、同盟を名目にして参戦するつもりでいた。ルーズベルトとしては日本との戦争は数カ月で屈服させ、ドイツに向かう算段でいたが意外に日本が強く手も足も出なくなったので、宣戦布告の遅れを大々的に発表し、リメンバーパールハーバーとして国民を鼓舞し、やっと参戦できたのです。
オールドプログラマ様
当方の駄文にコメント賜りありがとうございました。
また返信が遅くなりました。申し訳ありません。
>当時の考え方では経済封鎖は宣戦布告と見なされます。
経済封鎖が戦争行為とみなされるということが戦争行為であるという見方が
慣習法となるほどの前例が積まれていたかどうか当方では確認できなかったのですが、
そういう見方があったことに関しては承知しました。
>天皇がアメリカに事情を説明して宣戦布告をしろとの要請があったのでやむなく実施したということです。実際に宣戦布告したのはアメリカのみで侵攻したイギリス、オランダには何も言っていません。
まさにこれが戦争設計というものです。アメリカにのみ「開戦前に通告する。」これをないがしろにした故に後述する悲劇となります。
>宣戦布告の遅れを大々的に発表し、リメンバーパールハーバーとして国民を鼓舞
アメリカのWASPたちは豫定説に基づくキリスト教徒です。当時のアメリカの白人に
神と悪魔の最終戦争のイメージをカラーで書いてもらうと100%神に従う「白い人」と悪魔に従う「色つきの人」が描かれます。
対米開戦における日本のだまし討ちはまさに悪魔に従う「色つきの人」の行うべきことと見事にマッチングしました。
少し前の黄禍論に日本が含まれていたことも重なって悪魔の手先日本に神の正義の軍勢アメリカが立ち向かうという内部向けイメージ作りのプロパガンダが成功します。
某名作ロボットアニメのオープニングではないですが、実際は国力数分の一未満の敵に対し「巨大な敵に正義の怒りをぶつけるアメリカ(笑)」をアメリカ国民が真面目に行った故に日本は無条件降伏以外の選択がなくなりました。
これは別に真珠湾攻撃でなく、アメリカが企画していた東シナ海で砲艦が攻撃されるシナリオでも
きっと同様のプロパガンダが実施されたでしょう。
これを防止するすべなく戦争に挑んだ当時の日本の政治上層部の「戦争に対する事前準備の不真面目さ」にすべての責任があります。
こういった日本の戦争への不真面目さは今の日本にそっくり残っています。
たぶん安倍首相を含めて。
そして日本が黄禍論の片棒を担ぐ「色つきの人」と観方はきっと今もアメリカの白人の奥底にあります。いつでも日本は悪魔の手先にされる余地があるのです。
今の北朝鮮のように。
日本国民はまずは、こういった戦争への不真面目さの改善を行ってから改憲の論議をすべきのではないかと当方は思います。
以上です。長文失礼しました。
70年続いた自虐史観教育への反動で日本礼賛論が出ること自体は致し方ないことだと思います。
しかし、そればかりに触れ、思想が感情先行で先鋭化するのは危険です。そういう人たちが、会計士様がしばしば言及される「ネトウヨ」層になるのだと思います。
話は変わりますが、法運用の恣意性については、以前より会計士様や皆様のご意見をお伺いしたいと思っており、司法機構の腐敗についても是非言及頂く機会はありませんでしょうか。
一部の事例だとは思うのですが、NHK受信料問題や痴漢冤罪問題などで、首を傾げるような判決を耳にすることがあり、そのたびに、官僚と並んで裁判官も日本国民が選んだわけじゃないことに不安感を覚えます。
国民が関与できるのは最高裁の裁判官の信任の是非だけであり、それも国政選挙に付随してしか行われず、また裁判官の経歴なども能動的に調べない限り取り沙汰されません。
上記のような問題は無辜の国民であっても理不尽に裁かれるリスクがあると考えます。国民に司法への参加を促すなら、正直、裁判員制度などより、せめて高裁の裁判官くらい選択できるシステムの採用すべきと考えています。
you Tubeを見てみると日本礼賛の動画は豊富にありますが、無条件では「日本の技術は素晴らしい」「日本の風景は素晴らしい」「日本のおもてなしは素晴らしい」といった感じで無条件での礼賛は少ないように思います。「〇〇は無条件で素晴らしい」というのは中国人、韓国人、アメリカ人は臆面もなく言いますが、日本人は言えません。
実際、敗戦後はマスコミ、知識人、政府も東京裁判史観一色であり、やっと今頃近現代史が見直されてきています。いわく、「日本は軍国主義」「軍部が暴走」「補給を無視した」「アジアを侵略し虐げた」「無謀な戦争」「物量に負けた」「海軍は善、陸軍は悪」「東條秀樹に開戦責任」「インパール作戦は無謀」「原爆はやむを得なかった」「宣戦布告の遅れは駐米大使館の怠慢」などです。
やっと「日本は素晴らしい」と名実共にいえる時代になったと思います。
細かいコトですが、東條氏の「じょう」は條でお願いできれば、と思います。
常用漢字には含まれていませんので、条で代用するのは間違いではありません。
ですが、人名用文字として條の字は使えることになっています。
また、JISの第一水準に入っている文字ですので、PCでは問題なく表示できます。
さらに余談ですが、はしご高や、たち崎(右上が大ではなく立)、つちよし(吉の上が土)
といった文字は、條と違い公式に文字として規定されていません。
筆記上のゆらぎという扱いです。
一部のPCでは表示できますが、どこでも通用するというものではありません。
(なのでメールなどでは使わないのが無難です)
以上、雑学として。
70年代まではうちの実家や周辺では当たり前のように祝祭日には国旗を掲揚していました。
でも社会党が力をもちはじめた頃からぴたっとなくなってしまいました。
朝鮮の話題を出すこともタブー視され今では考えられないことです。
そのころの自虐史観の反動が今の日本は本当はすばらしいみたいな欲求があるのかと思います。
60歳のオヤジです。
日本の礼賛番組が増えたのはここ10年くらいですかね。
まぁ、自慰行為と言われてもしかたないのですが
第一次世界大戦前後は日本製品は「安かろう、悪かろう」と言われて全く信用がなかったんですよ。
私より10歳上くらいの人は昭和30年代あたりからアメリカのTV番組(コンバット、スーパーマンなど)やアニメ(トムとジェリー、ポパイなど)車などを見て「だから日本は2流国だ」なって言ってたんですよ。
日本が注目されだしたのはホンダがマスキー法をクリアした時代くらいです。
今はネットが普及していますから、良い情報もこうやって悪い情報も入ってきますが
なかった時代は韓国や中国だけのクレームがメディアなどから世界の意見だよと言われ
て落ち込んでいました。
日本軽視の時代があったことをみなさんはご存知でっすか?
サルのマスターベーションみたいになるのは問題ですが
今は少しだけいい気分になっていたいと思います。
やっぱり、「慣れ」というか、閉鎖された情報世界だけに浸っているのは恐ろしいもので、そういう当たり前の感覚が麻痺してきて、徐々に冷静に周りが見えなくなっていってしまうんだよな。
例えば、最近やたらと「日本はこんなにも世界から愛されている!」「日本はこんなに凄い国だった!」みたいな番組を見るようになった気がするけど、これも、そうした感覚を麻痺させようとしているような気がするんだよなあ。
普通に考えると、自分の国でこんな風に自分達を讃える番組が大量に放送されるのも変な気がするんだけど、これも国民に「うちらはこんなにも素晴らしい国に住んでいるんだ!」と思わせて、政権に対する不満や怒りをガス抜きさせる目的があるのかもしれない。