いよいよ東海地区から始まった「夕刊廃止ドミノ倒し」

毎日新聞に続き、朝日新聞も東海地区での夕刊発行を休止するようです。「新聞の夕刊自体、もう存在価値を失っているのではないか」――。古今東西、新たなテクノロジーが登場すれば、古い製品は廃れていきます。そろばんが電卓に、オルゴールが蓄音機に、LP盤がCDに、それぞれ取って代わられたように、新聞の夕刊という存在も、朝刊に先駆けて消えていくのかもしれません。「速報性」という観点からは、ネットにまったく太刀打ちできないからです。

技術革新で消える製品

某怪しい自称会計士の個人ブログのご高説

某個人ブログに今から11年前に執筆された記事のなかに、こんな記載がありました。

企業経営に必要なものとは、いったい何であろうか。端的にいえば、それは『真摯さ』だと思う。真摯さとは、自社がどのような付加価値により顧客の役に立っているのかに向き合うための態度だ。企業は愚直に顧客満足を目指すしかない

…。

なにやら偉そうにご高説を垂れていますね。

なんでもこのブログは、山手線の駅名を冠した怪しげな自称会計士が2010年9月から14年9月までの約4年間、運営していたものらしいのですが、現時点では当該ブログの更新は止まっているようでもあります(この手の「上から目線」による偉そうな記事、執筆したのがいったい何者なのかが気になるところです)。

もっとも、「企業経営には真摯さが大切だ」、とするのは、かの有名な経営学者・ピーター・F・ドラッカーの教えでもあります。そして、この「企業経営において真摯さが必要である」、「企業は愚直に顧客満足を追及すべし」とする指摘は、古今東西、あらゆる企業、あらゆる組織に成り立つものです。

その意味においては、この「真摯さ」という視点は、経営について論じるうえでの取っ掛かりとしては、非常にわかりやすいものです。

技術革新で製品が陳腐化することもある

ただし、当該ブログには、こんな続きがあります。

経営には真摯さが必要だが、それだけで良いというものではない。

かつてのそろばん・計算尺メーカーは、電卓の出現により淘汰されてしまった。いかに素晴らしい製品を作っていても、その製品のカテゴリー自体が急速に時代遅れになってしまったことで、企業としての存続が不可能になったのである。

その意味では、現代の家電メーカーの苦境も、推して知るべし、だ。いくら愚直で、いくら真摯に自社の製品に取り組んでいたとしても、技術革新という荒波が押し寄せると、企業はあっという間に倒産の憂き目に遭ってしまうのだ

…。

じつは、これもまたそのとおりです。

いくら愚直に素晴らしい製品を開発しようとして日夜努力していたとしても、そうした努力の大部分が無駄になってしまう、といった事態が生じることはあり得るのです。なぜなら、私たちが生きる人間社会においては、ときとして、技術革新が怒涛の波のごとく押し寄せることがあるからです。

そろばんは電卓とエクセルによりビジネスシーンから駆逐された

ちなみにそろばんの最盛期はいつだったのかについて調べてみると、兵庫県のウェブサイトに設けられた『兵庫県の地場産業の紹介』というコーナーに、その答えがありました。昭和35年(つまり1960年)ごろが、そろばん製造の全盛期だったそうです。

しかし、現代のオフィスにそろばんをみかけることはほとんどありません。この「怪しい自称会計士」のブログにも記載されているとおり、「そろばん」は現在のビジネスシーンにおいて、ほとんど登場することはありません。電卓が出現し、PC、エクセルなども普及したからです。

もしかすると、当ウェブサイトの読者の方々のなかには、現役のビジネスマン時代に、自身(または先輩、上司など)がそろばんを使用していた、という経験をお持ちの方もいらっしゃるかもしれません(「怪しい自称会計士」も駆け出しのころはそのようなシーンを目撃したことがあります)。

また、そろばんには「教育的効果」などがあるため、上記兵庫県HPの記載によると、小学校の算数の教科に取り入れられるなどして初等教育の場で活躍しているほか、高齢者認知症予防器具としての需要があるのだそうです。

それでも電卓の普及やオフィスのOA化などにともない、そろばんの需要はかつてと比べて圧倒的に少ないのが実情でしょう。

「オフィス向けそろばん」のメーカーとしては、いくら素晴らしいそろばんを作り続けようとしたとしても、限界があります。そもそも「オフィス向けそろばん」自体の需要がないのですから、どんなに手触りが良いそろばんを開発しようが、どんなにスムーズに動くそろばんを作ろうが、そろばん自体、ほとんど売れないのですからです。

音楽はオルゴールから蓄音機、LP盤、CD、そして…

電卓やPCなどの登場でそろばん需要が消滅したように、新たなテクノロジーの登場は、ときとして古い技術や製品の産業を、無残にも消し去ってしまいます。とくに昨今、技術は日進月歩ですので、そろばんと似たような事例は、ほかにもいくらでも発見することができるでしょう。

たとえば、ほんの数百年前でであれば、音楽は大変ぜいたくな娯楽だったはずであり、私たち庶民が日常的に音楽を楽しむなど、非常に難しかったはずです。

しかし、1796年にスイスの時計職人のアントワーヌ・ファーブルがオルゴールを発明すると、これにより「演奏家がいなくても音楽を楽しめる機械」としてオルゴールが発展し、19世紀にはスイスの職人集団が作るオルゴールは、スイスの輸出額の10%を占めていたという記録もあるようです。

しかし、そのオルゴールも、新たなテクノロジーにより駆逐されます。1877年に発明王のトーマス・エジソンが音を録音するフォノグラフを発明すると、それが蓄音機、続いて円盤型レコードの実用化につながり、19世紀から20世紀にかけてレコードの仕組みが大きく発展。

LPレコード、ステレオシステム、アンプなども開発され、1960年代から70年代までに、レコード全盛期を迎えます。高度経済成長期までには、日本でもちょっとしたお金持ちの自宅はレコードとラジオ、スピーカーまでをあわせたステレオセットがあったようです。

ところが、1980年代に日本でCDが登場すると、またたくまにレコードを駆逐。CDプレイヤーとカセットデッキを中心とするミニコンポなどが売れ筋商品となり、90年代にはLP盤はすっかり影を潜め、世の中の「レコード屋」で見かけるのもCDが主流になりました。

つまり、「オルゴール」→「レコード」→「CD」、という具合に、音楽を再生する機械は大きく移り変わってきたのです。

もっといえば、最近だとこのCDを再生する機械自体も減ってきているようです。いうまでもなく、ネット上のストリーミング・サービスなどが普及し、PCやスマートフォンなどの電子デバイスで音楽を再生することが一般化してきているからです。

いちおう、現在でもミニコンポは製造されているらしく、調べてみたらパナソニックがBluetooth対応・ハイレゾ音源対応のミニコンポなどを発売しているようですが、それでもさすがに「一家に一台」という家電ではなくなっていることは間違いありません。

いずれにせよ、そろばんもレコードもCDも完全に滅び去ったわけではなく、それなりの需要を見つけて生き残っているようですが(とくにレコードは一部のマニアから人気が高いようです)、それでもテクノロジーの進歩は非情であり、これらの製品がメインストリームに復活することはもうあり得ないでしょう。

このように考えていくと、怪しげな自称会計士に言われるまでもなく、「テクノロジーが進歩した結果、製品自体が世の中から消滅した」という事例は、いくらでも指摘できるでしょう。

夕刊消滅!

新聞の夕刊は朝刊より早く消滅するのか?

こうしたなかで、本稿で注目しておきたいのが、「新聞の夕刊」です。

以前の『新聞朝刊の寿命は13.98年?』や『新聞夕刊は7.68年以内に消滅』などでは、「数字」だけをもとに、「過去5年間の部数の減り方が今後も継続すれば、計算上、朝刊は13.98年、夕刊は7.68年で部数がゼロになる」という議論をしました。

もちろん、過去のトレンドから未来を予測するというのは、本来ならば慎重であるべきでしょうし、新聞もさまざまですから、すべての新聞が一律に消滅するということは考え辛いのも事実です。

しかし、この「新聞業界の未来」という論点に関しては、この「残り年数」という予測については当てずっぽうでも何でもなく、ちゃんとした根拠を伴っているものです。

いや、「朝刊13.98年」、「夕刊7.68年」という残存期間は、むしろ長すぎるほどです。なぜなら、新聞社も民間企業である以上、利益を出していかねばならないからです。

固定費を賄えなくなれば事業は休止せざるを得ない

そもそも新聞は非常に原価が高く、コスト・パフォーマンスが悪い商売です。

新聞を刷るための輪転機を筆頭に、さまざまな高価な設備を購入しなければなりませんし、毎日のように大量のロール紙を消費し、たくさんの人の手で刷り上がった新聞をトラックに乗せ、地球温暖化ガスを大量に排出しながら全国各地の新聞販売店に送り届け、それを人力で各家庭などに宅配するからです。

ここで、輪転機などの設備は「固定費」、紙代など新聞の部数に応じて発生する経費は「変動費」とされます。原価計算上、変動費と固定費を明確に分けられるわけではありませんが、仮に変動費率がv、売上高がY、利益がP、固定費がCと表現できるとしたら、こんな計算式が成り立ちます。

P=(1-v)Y-C…①

ちなみに(1-v)のことを変動利益率と呼びます。この①式を変形し、「利益(P)がゼロになる売上高」を求めると、次の②式が成り立ちます。

Y=C÷(1-v)…②

この②式のことを、会計上は「損益分岐点売上高」と呼びます(この「損益分岐点」については、英語の “Break Even Point” を略して「BEP」と称することもあります)。これを具体的な数値で見ていきましょう。

ある事業の固定費が1000億円、変動費率が50%だったと仮定すると、この企業は最低でも2000億円の売上がないと、固定費すら賄えず、事業継続が困難になります。変動費率が50%ならば、売上高2000億円に対する変動利益は1000億円であり、これが固定費に消えてしまうからです。

②式に当てはめても、これと同じ結論が出ます。Cに1000億円、vに50%を当てはめることで、利益がゼロになる売上高Yは2000億円と算出できます。ということは、この企業の売上高が2000億円を割り込んだら、その瞬間、この企業は赤字になり、事業継続が難しくなる、ということです。

株式会社朝日新聞社の事例

こうした試算は、現実の新聞社経営について考察するうえでも、参考になるはずです。もっとも、株式会社朝日新聞社を除くと、残念ながら大手新聞社は経営状態の詳細を公開していません。

そこで、株式会社朝日新聞社の事例で考えていくと、2022年3月末時点の有価証券報告書上、「メディア・コンテンツ事業」の売上高は2392億円ですが、セグメント利益は45億円に過ぎず、利益率でいえば約1.9%(!)という低さであることがわかります。

株式会社朝日新聞社の場合は人件費を抑制したうえでリストラクチャリングを実施するなどしているため、過去のデータを用いて現在の固定費と変動費を試算することは困難ですが、それでもメディア・コンテンツ事業のコスト2347億円のうち固定費を1000億円と仮定すれば、変動費率は56.31%と求まります。

この場合の損益分岐点売上は2289億円【=1000億円÷(1-0.5631)】であり、売上高があと103億円減ってしまえば、株式会社朝日新聞社のメディア・コンテンツ事業は損益分岐点売上高を割り込んでしまう計算です。

ちなみに固定費が500億円だった場合の損益分岐点売上は2194億円で、現状の2392億円はこれを198億円上回っていますが、固定費が1500億円だった場合の損益分岐点売上は2322億円で、現状の売上高はこれを70上回っているに過ぎません。

これをまとめておきましょう(図表1)。

図表1 株式会社朝日新聞社の2022年3月期決算におけるBEP分析の例
固定費変動費率BEP売上余裕
500億円77.22%2194億円198億円
1000億円56.31%2289億円103億円
1500億円35.41%2322億円70億円
2000億円14.51%2339億円53億円

(【出所】株式会社朝日新聞社・有価証券報告書をもとに著者作成)

この試算では、固定費が2000億円だった場合でも損益分岐点売上は2339億円であり、現状の2392億円と比べてまだ53億円の余裕がある、という計算ですが、逆にいえば、売上高が53億円減少すれば、株式会社朝日新聞社のメディア・コンテンツ事業は損益分岐点売上を割り込んでしまうわけです。

いずれにせよ、最大手である株式会社朝日新聞社ですらこんな状況にあるということですから、新聞業界全体も「推して知るべし」、でしょう。

ちなみに以前の『週刊朝日が5月末で「休刊」へ:新聞業界の今後を示唆』でも取り上げたとおり、株式会社朝日新聞社の場合、連結子会社である株式会社朝日新聞出版が刊行してきた『週刊朝日』の「休刊」が決まりました。

週刊朝日のケースでいえば、株式会社朝日新聞社の有報の開示データから確認できる同誌の部数はまさに「右肩下がり」で、たとえば2006年3月期だと33.1万部だった発行部数は、直近の22年3月期の開示では8.6万部と、この15年間で発行部数がおよそ4分の1に激減した格好です(図表2)。

図表2 週刊朝日の部数

(【出所】株式会社朝日新聞社・過年度有価証券報告書データをもとに著者作成)

これなども、部数がゼロになるよりも前の段階で「休刊」が決定されたのですから、常識的に考えれば、「損益分岐点を割り込むよりも前に撤退を決定した」、という意味ではないでしょうか。

毎日新聞に続き、朝日新聞も東海地区で夕刊を休止へ

そして、いよいよ「本丸」である新聞自体にも、少しずつ影響が及んできました。

東海地区で毎日新聞が4月以降、夕刊を「休刊」することにした、とする話題を、今年2月の『「炭鉱のカナリヤ」?今度は毎日が東海で夕刊を休刊へ』でも紹介したばかりです。

こうしたなかで、この「一部の地域における夕刊の廃止」という動きが、もうひとつ発生しました。

朝日新聞、東海3県の夕刊休止へ…朝刊だけを希望する購読者増え

―――2023/04/05 18:16付 読売新聞オンラインより

朝日新聞、5月から値上げ 東海3県では夕刊休止

―――2023年04月05日12時00分付 時事通信より

時事通信や読売新聞などの報道によると、朝日新聞社は東海3県の夕刊発行を4月末で休止すると発表したのだそうです(なお、「5月からの値上げ」という話題については、昨日の『朝日新聞の値上げが象徴する現在の新聞業界全体の苦境』ですでに触れたとおりです)。

読売新聞によると、今回の決定について朝日新聞社は、東海3県では「朝刊だけを希望する購読者が増えており、朝刊のみ届けることにした」、などと社告で説明しているのだとか。

ただ、「朝刊だけを希望する購読者」が増えているのは、東海3県だけなのでしょうか。

いちおう「それっぽい説明」をしておくならば、朝日、毎日の両紙はたしかに全国紙ではありますが、東海地区では中日新聞が圧倒的な強さを誇っており、夕刊の発行部数的にペイしなくなった、といった要因は考えられるかもしれません。

そもそも夕刊って必要なんでしたっけ?

しかし、もっと敷衍(ふえん)して考察するならば、このインターネット化社会において、夕刊というものの存在意義があるのかどうか、よくわかりません。というのも、夕刊の目的のひとつが、「その日に発生した出来事をいち早く知らせる」ことにあったはずだからです。

この点、たしかにインターネットもテレビもなかった時代だと、夕刊の存在意義は大きかったでしょう。翌日にならなければ記事が掲載されない朝刊と異なり、夕刊の場合は、「新」聞の名のとおり、本当にその日のフレッシュな情報を掲載しているからです。

しかし、このネット化社会だと、正直、「情報の鮮度」では夕刊であってもネットに勝つことはできません。

もちろん、『夕刊フジ』などのように、独自の路線を売りにした夕刊紙・タブロイド紙なども発売はされているのですが、少なくとも一般紙の世界で朝刊と夕刊を両方発行すること自体、新聞社にとっては大きな負担になっているのかもしれません。

実際、一般社団法人日本新聞協会のデータで確認しても、夕刊の部数は一貫して減り続けている様子がよくわかります(図表3)。

図表3 夕刊部数と5年ごとの減少部数

(【出所】一般社団法人日本新聞協会『新聞の発行部数と世帯数の推移』データをもとに著者作成)

いずれにせよ、夕刊フジなどのように、「速報性」とは微妙に距離を置き、独自の路線で読者を獲得し続けるというスタイルも「アリ」かもしれません。

しかし、オルゴールが蓄音機に、レコードがCDに、CDがiTunesやネットに、それぞれ駆逐されてきたという経緯を踏まえると、このネット社会において、新聞の夕刊というものが独自性を発揮して生き延びていくのは難しくなりつつあるようです。

その意味では、東海3県の朝日、毎日の「夕刊休止」という動きは、「夕刊廃止ドミノ倒し」の始まりなのかもしれません。

ほんの数年後には全国に波及するのでしょうか?

大変に気になるところです。

本文は以上です。

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読者コメント一覧

  1. めがねのおやじ より:

    東海3県の毎日新聞、朝日新聞の夕刊廃止は、他人事ではありません(別に私はさもありなんと思いますが)。新聞業界、雑誌・出版業界、テレビ・ラジオのオールドメディアには衝撃でしょう。一日中垂れ流しのテレビなど、それこそ午前9時〜午後4時頃まで、放送止めればいいのに(緊急事態と天気予報除く)。無駄な電力消費が減ります。

    だいたい、新聞全盛時でも夕刊の存在価値は微妙でした。最終版の朝刊を都心で読むと、家の夕刊には同じ記事が載ってました。その差9時間(笑)。家庭では都心版より9時間も遅い情報を見て満足してたんですネ(読む時間も刷る、配達のコストもムダだよ)。

    さて、夕刊が急角度で落ち始めてから、新聞社の地域ミニコミ紙的なタブロイド・カラー版が週イチでポストに投函され始めました。大手と地元紙の2社です。結構スポンサーが付いているので、やっていけてるようですが。

    「夕刊廃止ドミノ倒し」は体力の無い地方紙、全国紙は首都圏、関西圏以外で駆逐され、いずれは全国的に無くなるでしょう。

  2. すみません、匿名です より:

    会計の具体的な分析のやり方、勉強になります。
    ということは今年度は値上げによる売上高がありますから、赤字はないですね(部数が減らなければ)。
    そしてムダ(夕刊)を拝してコストを抑える。朝日はしっかりした経営してますね。

    人力車から自動車、氷屋さんから冷蔵庫、多少値が張るものでも、便利にはかないませんね。
    決算書作成も、算盤→電卓→PCへとなり、作成日数の大幅な短縮になりましたね。その分担当の経理部員も減りましたが・・・。時代は流れているんですね、昭和は遠くなりけりです。

  3. バッハ より:

    世の中の技術革新とそれについていけてない既存メディアの凋落が凄いですね。

    様々な情報のデジタル化がされて久しいですが、不安な部分もあります。それはデータの耐久性(保存性)です。
    仕事で紙の報告書とそれの電子媒体(CDROM)を官公庁に毎年納品するのですが、会社に予備として保管しているCDが何年か経つと読めなくなるということがしばしば発生します。データはハードディスクにも保管してあるので困ることはほぼ無いのですが、世の中のデジタルデータの耐久性はどこまで保証されるのだろうかと常々感じます。
    書籍や新聞、音楽や映画(映像)は紙及びレコード、フィルムという形では百年以上残っていてその耐久性が確認されていますが、デジタルデータに関してはまだわからないのが現状です。また、電子書籍やデジタル新聞は、発行元が都合よく丸ごとデータを削除してその情報を無かったことにする事も出来てしまいます。消したという事が場合によっては一時的に騒ぎになるかもしれませんが、余程の案件でない限り時間が経てば大抵は忘れられてしまうでしょう。後世に残る事はありません。そこまで残らなくてもいいという意見はあるとは思いますが、一度は公式に発行された情報が閲覧出来なくなるというのはやはり寂しさと不安を感じます。国立国会図書館はこれからデジタルデータにどのように対応していくのでしょうかね。

    1. 元ジェネラリスト より:

      光メディアもフラッシュメモリも耐久性が低いのは実体験としてわかります。随分泣かされました。なんだかんだHDDが最も安定している気がします。

      ただ、デジタルデータは重複して分散保管が可能ですから、一つのメディアにとらわれる必要もないかも知れません。数学を駆使して同一性を担保する仕組みは数多く考え出されています。
      ブロックチェーンも一意のデジタルデータのインターネットへの分散保管の実例の一つと思います。ネット上に接続された無数のコンピュータに同じブロックチェーンが保管されていますので、核戦争で世界の大半が壊滅してもブロックチェーンが失われることは無いと思います。資産的価値はなくなると思いますけど。
      メディアの耐久性とデータの耐久性は別なのだろうと思います。

      人類が滅亡した後、遺跡からチップか何かが発掘されても読み取ってくれることはないのだろうなと、寂しい気持ちにはなります。

      1. 7shi より:

        竹田恒泰氏がYouTubeで 「何百年後、何千年後に歴史調査で今の時代の地層を掘り返しても、何も出てこないだろうなぁ。」 と言ってましたね。
        昔、某オカルト雑誌に書いてあった 「太古の昔には超古代文明が存在したが、記録を残さずに滅んでしまった」 という話も、「情報が全てデジタルで保管されていた」 と考えると、あり得るかも…?

        1. オタク歴40年の会社員です、よろしくお願いいたします より:

          石や骨に文字を刻むことって
          意外に有効だったりするわけですね、

          リサイクルショップや中古店に
          ビデオソフトやレーザーディスクはけっこう見ますが、
          それを再生するデッキがない、
          後世の人類に伝えるため、
          セットで保存して欲しいものです。

      2. バッハ より:

        実体験されているんですね。ある日突然に読めなくなるのは辛いです。

        ブロックチェーンという技術の意義を初めて知りました。メディアの耐久性とデータの耐久性は必ずしも一致しないというのは言われてみると納得です。とはいえ、メディアの耐久性=データの耐久性になっている人が私も含めて多いとは思いますが。
        私の場合、残したいデータは写真なので必ずプリントして残していますね。

    2. わんわん より:

       以前に「機器」を使用した記録媒体を「デジタル」それ以外は「アナログ」と「定義」して議論しようとしたところレコードや磁気テープはアナログだとしつこくからまれました w

       機器を使用した記録媒体は数年〜数十年で陳腐化する可能性があります
      ※レコードやフィルムも素材の劣化は避けられないかと思います
      ※紙媒体(主に和紙)の場合は千年以上の実績があります(日本は(千年以上前の)過去の災害記録が残っているのが他国との違いかと思います)

      1. バッハ より:

        どんな媒体であれ、劣化したり消失する可能性を回避できないのは仕方のないことですが、レコードやフィルム、現像された写真(紙)は百年以上残っていますから一定の信頼性は確立されていると思います。

        海外の場合は石板や粘土板、麻(大麻)で作った紙、羊皮紙などに記録されていますね。メソポタミアやエジプトなどの数千年前の記録が残っているという事は考えてみれば凄い事だと思います。

    3. 裏縦貫線 より:

      国会図書館もオンライン資料として電子書籍・電子雑誌を収集対象にしているそうです。もちろん出版者がきちんと手続きしなければ収集されませんが。
      ブログ、ツイッターなどは対象外ですので、新宿会計士様の政治経済評論およびこの場での議論は国会図書館には保存されないですね…

      新聞社は、特にATMのA紙は、最後まで「紙」で発行するであろうと私は思います。内容が正確だろうが何だろうが、百数十年も同じ形式で作成され続けている情報はそれなりの重みがあり、さらに、他媒体が失われたならば後世に残される唯一の情報になるでしょうから…..

  4. やまいぬ より:

    死傷者が出るような事故の報道だと今でも「将棋倒し」が使われる。
    「ドミノ倒し」では不謹慎ということだろうか。
    逆に皮肉を言うような場面では「将棋倒し」は人身事故を連想させて不謹慎なのだろうか。
    日本語は難しい。

    1. やまいぬ より:

      とか言ってたらまた要らんことに気づいてしまった。

      「ドミノ倒し」とは「ひとつのピースが倒れる際に隣のピースを巻き添えにしてしまう」ことの連鎖であって、単純に「順番に倒れる」「ひとつづつ倒れる」ということではないのですよ。
      つまりこの記事内における「ドミノ倒し」の比喩としての妥当性は以下略。

  5. sqsq より:

    紙の新聞が最後どうなるかを考えるのは結構楽しい。
    既製服で十分なのに背広を仕立てる人、冷蔵庫で氷が作れるのに透明の氷を買うバーがあるように紙の新聞も残るのだろう。生き残りに宅配は欠かせない。我が家の近くの新聞販売店は隣駅の販売店と統合された。部数の減少に伴いその販売店もやがてどこかと統合されて消えていくのだろう。配達するエリアがどんどん大きくなり、一紙専属がなくなりすべての新聞を配達するようになるだろう。コストに耐えられなくなり値上げが頻繁に起こり、ますます読者が減る。そのうち紙の新聞を読んでいるのは「遅れた人」とみなされ恥ずかしくて買う人がさらに減る。
    今でもコンビニでは新聞はほとんど売れない。やがて駅でも買う人が少なくなりキオスクでも置かなくなる日が来るだろう。各社の印刷設備が過剰になり、数紙分をまとめて印刷する工場ができる。
    さて、その次に何が起こるか。スケールメリットが逆回転を始めたときに何が起こるのかは見ものだ。

  6. わんわん より:

    日本の新聞から夕刊がなくなる? 毎日が東海3県で廃止へ、コロナ禍3年で地方7紙が決断…背景は
    https://www.j-cast.com/2023/02/11455837.html?p=all
     毎日の記事だが朝日も同じ
    ①速報性
    ②(配達員の)人員不足
    ③コストパフォーマンス
    ※東海地区に限れば「中日新聞」に勝てない w

    セット版と統合版 夕刊と再販制度の関係から見る新聞販売
    https://igaito.xyz/archives/4758959.html

    >海外のニュースを主に取り扱うのが夕刊の役目

    >もし今ここで夕刊を廃止にしてしまうと、再販制度と新聞特殊指定の見直し議論が政府内で高まる恐れがあり、新聞発行各社は夕刊を絶対に廃止にしないのです。

    >「夕刊不要論は新聞不要論へと繋がり兼ねない」というのが、新聞社の考えなのです。夕刊廃止は新聞特殊指定を外されるきっかけになり兼ねず、それを嫌って新聞社は今でも頑張って夕刊を発行しているのです。

    新聞特殊指定 まずは適切に機能しているのか?
    外れた場合 宅配に支障をきたす混乱が起こるのか?
    を検討した方が建設的かと思います

    1. わんわん より:

      新聞社の衰退はネットやスマホの普及が原因ではない グンゼという会社から考える本質(GLOBE+)
      https://approach.yahoo.co.jp/r/QUyHCH?src=https://news.yahoo.co.jp/articles/4fc8b6ae17f72e66b86b78e11c4408864a99e9c4&preview=auto

      >単に経営陣が世間の感覚からずれていて、今もなお間違っているからである。

       朝日新聞の媒体の記事なのがおもしろい w

  7. 裏縦貫線 より:

    地方紙のみならず全国紙も元々統合版しか無く朝にしか新聞がこない地域に住んでいたので、夕刊廃止程度で「再販制度と新聞特殊指定の見直し」まで話が広がるようには思えません。
    もし全国紙の経営幹部が本気でそのような心配をしているのならば、流石に地方(というか東名阪以外の全国)と地方紙を小馬鹿にしていると感じます。

  8. 7shi より:

    印刷技術も大きく変わりましたね。活版印刷の時代は、手書きで書かれた原稿を印刷所の 「活字職人」 が見て、日本語なら数千個もある活字を組み合わせて 「製版」 して試し刷りを行い、その試し刷りを校閲記者が見て 「誤字脱字はないか、数字や単位、固有名詞の間違いなどがないか」 を校正してから、印刷されていました。

    画面上で確認できる今とは違って、活字職人の仕事はまさに職人技だったそうですが、肉体労働なので、新聞社はブルーカラー労働者も大量に雇用していました。やがて時代は活版印刷から 「原稿は手書きだが、製版作業は画面上で行う」 写真植字に変わり、さらに 「原稿自体がパソコンなどを使って書かれたデジタルデータで、データのまま入稿する」 ようになりました。

    活版印刷映像アーカイブ – 市谷の杜 本と活字館 – YouTube
    https://www.youtube.com/playlist?list=PL68nqyXC-KMIWMkgZvUt2QPtxxffsINAX

    写真植字機 – YouTube
    https://www.youtube.com/watch?v=6VYZFvwDkGg

    そうなると、活字職人や校閲記者はそれほど必要なくなり、リストラや配置転換が行われました。韓国ウォッチャーには有名な 「朝鮮高校の青春 ボクたちが暴力的だったわけ」 の著者である朝日新聞記者は、もともと活字職人として朝日に入社して、配置転換で記者になったようです。

    朝鮮高校の青春 ボクたちが暴力的だったわけ | 金漢一 | 2005/4/22 | Amazon
    https://www.amazon.co.jp/dp/4334974805/

    なお、アルファベットを使う欧米の言語なら、活版印刷に必要な活字の数は数十個で済みますが、漢字のある日本語では数千個必要で、習熟するには時間がかかりました。日本のマスコミは戦後、強制ではないのに 「当用漢字」 や 「常用漢字」 にこだわって漢字の使用を制限してきましたが、「読者が読みやすいように」 というのはタテマエで、本音は 「使用する活字を少しでも減らしたかったから」 でしょう。

    昔の新聞社は、常用漢字外の漢字を勝手に常用漢字に置き換えるという事もやっていて、「障碍者」 が 「障害者」 になって、さらに 「害」 という文字を使うのはマズイからと 「障がい者」 になったり、「輿論」 が 「世論」 になって、読み方も 「せろん」 が一般的になりつつありますね。以前は人名漢字も勝手に置き換えられていて、元首相の 「橋本龍太郎」 は 「橋本竜太郎」 と表記されていました。

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