「保守派の護憲論、革新派の改憲論」があっても良いじゃないか

私は日本経済新聞社元編集委員で日本を代表する「韓国観察者」である鈴置高史氏の論考が読みたくて、今週末は久しぶりに、紙媒体のオピニオン誌『正論』3月号を購入し、じっくりと読みました。その結果については『オピニオン誌『正論』の鈴置説 そして議論の流儀』や『『正論』は良い雑誌と思うが、紙媒体である点は大きな弱点だ』などで触れたとおりなので、ここでは繰り返しませんが、その一方で読者コメントなどを拝読していると、二次的な発見があったことも事実です。本稿では最近の憲法議論を題材に、「言論の本当の多様性」について、私見の一端を綴ってみたいと思います。

言論の多様性

言論の多様性とは、何か。

これは、簡単なようで、難しい問いかけです。

私も社会人になってから30年近くが経過しますが、会社などで働いていると、本当に、「さまざまな人がさまざまな意見を持っている」ものだと感心します。会社の中でさえそうですから、社会全体として見れば、本当にさまざまな意見があるはずです。

しかし、国としての重要な方針を決めなければならないときに、国論が四分五裂し、「ああでもない」「こうでもない」と右往左往していれば、国が滅亡してしまうこともありますし、世界史の教科書をひも解いてみても、そのような事例は枚挙にいとまがありません。私自身、若い頃は

社会の構成員が皆、てんでバラバラなことを考えていれば、国がまとまらず、空中分解してしまう。だからこそ、国をどう作るかという思想の基本的な部分については、誰か偉い人がきちんと突き詰めて確定し、その基本から逸脱しない社会を作るべきだ

などと思っていた時期もあります。

しかし、現在では、廻りまわって「世の中にはさまざまな主張があるのが良い」と考えています。つまり、国論を二分するような場面では、政治家が果敢に判断して決断し、その政治家の判断や決断が正しかったかどうかを有権者が判断すれば良い、という考え方です。

言い換えれば、「誰か偉い人が正しい指針を示し、民衆がそれに盲従する」のではなく、「私たち日本国民一人ひとりがちゃんと判断し、決断していくこと」が大事だ、ということですね。

そして、ある政治家のある決断を巡って、有権者が「この決断は正しかったのか?」と判断するためにこそ、言論の多様性が必要なのです。その意味では「言論の自由」と「民主主義」は切っても切れない関係にあるのだ、といえるでしょう。

※当ウェブサイトにおいて『正論』3月号の内容そのものについて、転載するつもりはありません。もし文章にご興味をお持ちであれば、書店やネット通販などで、直接、お買い求めください(※といっても私自身は産経新聞社とは一切関係ありませんし、べつに購入を推奨しているわけではありません)。

議論にどう深みを持たせるか?

読者コメントに見る、鋭い指摘

なぜ唐突に「言論の多様性」などと言い出したのかといえば、一昨日の『『正論』は良い雑誌と思うが、紙媒体である点は大きな弱点だ』のなかで、日経ビジネス社の姿勢に苦言を呈したところ、「日経ビジネスオンラインで紹介されてからの読者です」様から、次のようなコメントを頂いたからです(※抜粋)。

正論は確かにいい雑誌なのですが、かなり保守に偏った論調のため日経ビジネスオンラインのように多くの方にソースとして理解してもらうのが難しくなるという難点があります

「ああ、正論ね、だってあそこ、右よりの人が喜ぶようなの書くところじゃないの」

こんな調子です

「日経ビジネスサイト」というお題目は(俗的で思想がないのかと怒られそうですが)、ノンポリ…右にも左にも寄りたくないという日和見の人には劇的に効く「方便」でした

この点については、確かに目からウロコが落ちる指摘です。

確かに、今年1月までの『日経ビジネスオンライン』を読むと、鈴置高史氏や福島香織氏のような硬派な論客もいれば、(あえて実名は挙げませんが)アレな感じの人もいて、良い意味では「ごった煮」のような雰囲気を醸し出していました。これこそ旧『日経ビジネスオンライン』の良さでした。

また、私は『正論』という雑誌自体、非常に優れた論客が集っている(※)と思いますが、それと同時に、「右寄りの人におもねる雑誌」という印象を持つ人もいるでしょうし、『正論』に掲載された記事は、読みもせずに「どうせ右に偏っているんでしょ?」と決めつけられるかもしれません。

(※ちなみに、『オピニオン誌『正論』の鈴置説 そして議論の流儀』で申し上げたとおり、私自身は同誌のすべての記事に賛同するつもりはありませんし、ある論考が雑誌『正論』に掲載されているというだけの理由で、無条件に肯定するつもりもありません。)

このように考えたら、同じ論考であっても、「『正論』に載った」というよりも、「『日経ビジネスオンライン』に載った」という方が、少なくとも世間的な説得力は違ってくるのかもしれません。

メディア独占

さて、「言論の多様性」が難しいのには、やはり、わが国には現状で大手メディアの数が限られているという要因が大きいように思えます。

まず、当ウェブサイトでは何度も紹介しているとおり、わが国では大手全国紙が5つと民放キー局5つが同一の資本系列にあり、これにNHK、共同通信、時事通信を加えた8つの資本が、事実上、全国向けの情報配信を独占しています(図表)。

図表 全国紙、キー局、通信社など、8社による情報の独占
グループテレビ局新聞・通信社
読売グループ日本テレビ(東)、よみうりテレビ(阪)、中京テレビ(名)読売新聞社
朝日グループテレビ朝日(東)、朝日放送(阪)、名古屋テレビ(名)朝日新聞社
フジサンケイグループフジテレビ(東)、関西テレビ(阪)、東海テレビ(名)産経新聞社
毎日グループTBS(東)、毎日放送(阪)、CBC(名)毎日新聞社
日経グループテレビ東京(東)、テレビ大阪(阪)、テレビ愛知(名)日本経済新聞社
NHKグループNHK
共同通信共同通信社
時事通信時事通信社

(【出所】著者作成。グループ名は著者が便宜上名付けたもの)

大手全国紙と民放キー局が同じ資本系列にあるという点でも呆れます。

新聞社の場合、基本的には「右の読売・産経、左のATM(朝日、東京、毎日)、中立(?)の日経」、という構図です(※「東京新聞」は図表には含まれていませんが…)。しかし、テレビ局は、金太郎飴のように、同じような切り口で同じような論調ばかりを報じることもあります(とくに政治ワイドショーなど)。

また、産経新聞のように独自の視点から個性的な記事を配信するメディアもないわけではないものの、基本的には事件報道や政治報道は記者クラブを経由して役所から流れてくる「紙」がベースになっているようです(『新聞記者を鳩やヤギに例えた髙橋洋一氏に謝罪を求める』参照)。

改憲議論の歪み

結果、さまざまな重要な問題が、かなり偏った、あるいは歪んだ視点で報じられてきたのではないでしょうか?

その典型例が、日本国憲法を巡る議論です。

私の理解だと、ATMは基本的に「憲法を一言一句たりとも変えてはならない」という硬直的スタンスを貫いていますが、読売、産経、日経などは時代の変化に応じた改憲を容認する姿勢を取っているのではないかと思います。

しかし、私自身、わが国のマスコミなどにおける憲法議論には、強い不満を抱いています。

その最たるものといえば、「改憲議論」は、なぜ第9条だけに集中しているのか、というものです。すなわち、「憲法を変えよう」という人は第9条をどう変えるべきかと議論していますし、「憲法守れ」という人は「守るべきは第9条」と言い張っています。

日本国憲法第9条
  • 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
  • 2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

この条文については、当然、改憲派にとっては「これでは国を守ることはできない」、護憲派にとっては「これを改正すると日本が戦争できる国になってしまう」、といった議論が出ているのですが、この不毛な議論が戦後70年以上も続いているのです。

改憲議論で考える

憲法第9条の私見

ところで、本論と関係ありませんが、私自身がこの第9条をどう見ているかについて申し上げておきます。

この第9条のうち第1項の部分(戦争放棄)については、1928年の「不戦条約」の焼き直しに過ぎないことは有名であり、1928年以降も「不戦条約」参加国が当事者となる戦争が全世界で発生していることから見ても、この第1項は単なる理念規定に過ぎないことは明らかだと考えています。

一方の第2項については、確かに「国の交戦権」を認めず「陸海空軍その他の戦力」を保持しないと定めていますが、ただ、現実には、自衛隊は誰がどう見ても「陸海空軍などの戦力」です。よって、私に言わせれば、自衛隊は憲法第9条第2項に反した組織です。

だからこそ、問題があるとしたら「憲法第9条全体」ではなく、もっと絞って、「憲法第9条第2項」だけで良いと思うのです。そして、「自衛隊の存在が憲法第9条第2項違反となっている」という状況を解消するためには、

  • 憲法第9条第2項を修正する
  • 自衛隊を憲法第9条第2項違反ではない形にする

という、どちらかの措置を講じれば良いのです。

自衛隊から陸海空の戦力を除去するという選択肢はあり得ませんので、現実的には憲法第9条第2項の条文を丸ごと削除するか、または第3項を追加して、

前項の規定は自衛権の発動は妨げない。

という短い条文を入れれば済む話です(※ちなみにこれは青山繁晴参議院議員の考え方を参考にしています)。

日本は外国に対する侵略戦争を絶対にやらない。

しかし、外国からの侵略戦争には敢然と立ち向かう。

これを、憲法上明記すれば済むのではないでしょうか?

改憲論

少し寄り道しましたが、私自身の見解はこの際どうでも良いので、本論に戻りましょう。

戦後の「改憲論」といえば、ほぼ条件反射的に、「憲法第9条」の議論と直結していたことは事実でしょう。そして、「改憲・護憲」の対立軸は、憲法第9条を中心としていたものだったのです。

しかし、敢えて私自身の持論と無関係な説を紹介したいと思います。

歴代日本政府は自衛隊を「(戦争ではなく)自衛権を行使するための(戦力ではなく)実力組織だ」と位置付けて来ました。これはかなり苦しい言葉遊びの類いだと思いますが、ただ、現行憲法の制約下で自衛隊の戦力保持の妥当性をひねり出すための、歴代日本政府の努力の結果でもあります。

そして、この考え方が妥当であるとすれば、先ほど私が申し上げた「自衛権の行使は妨げない」とする規定など、わざわざ設けなくても、現行憲法下で自衛戦争ならば遂行できる、という解釈が成立する余地が生じてくるのです。

こう考えていけば、たとえばこんな立場が成り立つでしょう。

日本国憲法の規定上、日本が外国から侵略を受けた場合でも、日本には自衛する権利が保証されている。だから、わざわざ憲法第9条を変更する必要はなく、その分の労力をほかのもっと有意義なことに使うべきだ。

この立場を、私は「戦争肯定の護憲派」とでも呼びたいと思います。

一方、そのような考え方の延長としては、こんな立場も成り立つかもしれません。

現在の日本国憲法では完全に戦争を防ぐことはできない。だからこそ、日本が今度こそ完全に戦争を放棄し、アジア諸国(※)からの真の信頼を勝ち取るためには、憲法に『侵略を受けた場合も含め、日本はあらゆる場合において、戦争をしてはならない』とする規定を追加すべきだ。

この立場を、私は「戦争否定の改憲派」とでも呼びたいと思います。

つまり、同じ憲法第9条を巡っても、理屈のうえでは、

  • ①戦争肯定の改憲派:これは日本に戦争を禁じた条文だから、改正すべきだ。
  • ②戦争否定の護憲派:これは日本に戦争を禁じた条文だから、守り抜くべきだ。
  • ③戦争肯定の護憲派:これは日本に戦争を禁じた条文ではないから、改正する必要はない。
  • ④戦争否定の改憲派:これは日本に戦争を禁じた条文ではないから、さらに改正すべきだ。

という、4つの立場があり得るはずです。

どうして③や④の考え方が出て来ないのか。

私にはそれが不思議でならないのです。

憲法の欠陥はたくさんある!

さらに、憲法の議論でいえば、欠陥はたくさんあります。

私が「改廃すべき」と考えている条文の筆頭は、日本国憲法第7条です。

日本国憲法第7条

天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。

一 憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。

二 国会を召集すること。

三 衆議院を解散すること。

四 国会議員の総選挙の施行を公示すること。

五 国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。

六 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。

七 栄典を授与すること。

八 批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。

九 外国の大使及び公使を接受すること。

十 儀式を行ふこと。

この「国事行為」、実に多岐に及びますが、このなかでも特に問題が大きいのは第1号です。

大日本帝国憲法時代だと、天皇の権限は「法律の裁可、公布、執行の命令」でした。

大日本帝国憲法

第6条 天皇ハ法律ヲ裁可シ其ノ公布及執行ヲ命ス

第13条 天皇ハ戦ヲ宣シ和ヲ講シ及諸般ノ条約ヲ締結ス

つまり、現在の日本国憲法では、政令にまで御名御璽が必要とされているのですが、これは明らかに天皇陛下の公務の過大な負担に繋がっています。

私自身は職業柄、とくに、金融庁が関わる難解で支離滅裂な政令に頭を悩ませているのですが、金融庁の担当官の杜撰な仕事が天皇陛下にどれだけたくさんの負担を掛けているのかと思います。

また、日本国憲法の規定上、国会は天皇の召集がなければ開けませんが、これだと皇居と首相官邸と国会議事堂の連絡を物理的に断ち切れば、日本という国が動かなくなってしまいます。

そこで、諸外国の憲法のように、「天皇の召集」以外にも、「選挙で選ばれた国会議員の過半数が集まれば国会が自然成立する」、といった規定を設けなければ、危なっかしくてなりません。

さらに、私のような公認会計士という立場の人間にとっては、国の財政がいまだに予算単年度主義・現金主義・単式簿記を前提としていることは、信じられません。公会計の分野でも複式簿記を導入すべきですし、「資産」「負債」「収益」「費用」という用語を憲法第7章(財政)に明記すべきです。

(※ちなみに私自身は、わが公認会計士業界に対しては、憲法改正に公認会計士業界が果たせる役割の議論を無視し、税理士との縄張り争いだの、インチキ会計基準であるIFRSの強引な推進だといった業界益ばかりを追求していることに関して、愛想が尽きかけています。)

言論の多様性を!

さて、改憲議論の事例は、言論の多様性を考えるうえで、非常に良い題材だと思います。

そして、立憲民主党を筆頭とする野党勢力が、改憲論議どころか、憲法審査会すら開かせないという妨害戦術に出ていることを、私たち日本国民はもっと知るべきです。

とくに、この政党は衆議院で68議席しか有権者から与えられていないにも関わらず、なぜか「野党第1党」として、絶大な権限を振るっていることは、私たち国民としてはもっと怒りを感じて良いのではないでしょうか?

ちなみに参議院側では、国民民主党と自由党が合流するとの話の一方で、野党第1党の立場を奪われたくない立憲民主党側が社民党と共同会派を結成する、といった具合に、相変わらず政策を無視した醜い数合わせが続いているようです。

ただ、野党が政策論争そっちのけで権力ゲームに終始している本質的な理由の1つは、やはり、こんな低レベルな政党でも議席が取れてしまうという現状にあります。そして、上の図表で示した大手8大マスコミグループが日本の論壇を支配してしまっていることの弊害の表れでもあります。

私が何としてもウェブ論壇を隆盛にしたいと考えている理由は、まさに国民世論をマスコミから取り戻すことと、本当の意味での議論の多様性を実現することにあります。

そして、当ウェブサイト『新宿会計士の政治経済評論』自体は単なる「捨て石」で良く、将来的には当ウェブサイトのような「普通の社会人が運営している独立系のウェブ評論サイト」が数千、数万という単位で乱立するためのきっかけになれればそれで十分だと思っているのです。

本文は以上です。

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読者コメント一覧

  1. めがねのおやじ より:

    更新ありがとうございます。

    占領下で作られた憲法なので、70年経てばいろいろな綻びが出ます。現在の日本を取り巻く地勢的状態、安全保障、またアジアでの自由主義国のリーダーとしての立場を考えれば、『日本は武力を持たない』という文言こそ、消しさるべきです。

    『何が何でも護憲、9条を護り軍備を持たない平和国家を目指せ』というお考えは、現実離れしてます。日本共産党、極左など地下で破壊活動してる連中の妄言です。

    また『自衛権は認めるが他国を攻撃する為の軍事力を持たない』とするのも可笑しな話で、なにも友邦に対しては、武力侵攻などあり得ないが、敵性国が準備万端攻めて来そう、或いは電撃的に飛び道具を使って、日本に被害を与えたとなると、反攻する軍事力は必要でしょう。

    はっきり言って、何処を想定しているのか。日本から見て、太平洋側、南側のASEAN側からの脅威は、ほぼ無い。朝鮮半島であり、大陸及び東シナ海日本海しか『危険地帯』の想定はありません。この方面を念頭に、軍事力を高める、防御力、反攻力を高めるだけでいいと思います。

    すなわち、憲法第9条第2項の削除、或いは第3項『自衛権の発動は認める』を追加する。出来れば削除がいいが、抵抗が大きいだろうし、第3項追加が現実的ですね。

    天皇陛下の業務については、やはり国事行為多すぎ、皇太子も若いとは言えもう50代後半、長く務めて戴くには、第1号の内容は減らすべきです。

  2. 門外漢 より:

    野党及びサヨクの方々はリベラルでも改革派でもありません。単に「今まで良かったんだから」と敢えて変える気が無いだけの守旧派だと思います。
    憲法も変えない、解釈改憲にも反対って、どうして多様化する社会に対応する気なんでしょうね。「法はお飾り」の情治主義を目指しているのでしょうか?
    尤も、天皇制を否定する共産党までもが「護憲の党」の看板を掲げているのですから、単に自民の「改憲」に対するアンチテーゼとしての「非改憲(護憲ではない?)」なのかも知れませんが。

    1. 阿野煮鱒 より:

      日本国が自衛権ですら持つことを嫌がる勢力がいます。かつてはソ連がそうでした。日本を侵略したかったからです。コミンテルンの工作によって米国は反日国となりました。日米は全面的に戦争に突入し、米国が勝利すると、日本を二度と戦争のできない国にするために平和憲法を押し付けました。ソ連はGHQに共産党員を配置して間接的にこの作業に加わりました。中国も日本との戦争を経験して米国を支持しました。南北朝鮮も戦勝国気取りで米国に便乗しました。

      朝鮮戦争を機に米国は考えを変え、日本に防衛力を求めました。便乗組だけが平和憲法の維持を求めました。当初は改憲を主張していた日本共産党は、ソビエト共産党、中国共産党の意向を受けて護憲に鞍替えしました。朝日新聞他マスメディアや学界は左翼が支配しており、皆が護憲を訴えました。

      今でも「憲法を守れ」と言っている人々は、日本が自衛力を持つと困る国々の意向を受けているのです。日本がいつでも侵略できる国であって欲しいのです。決して怠慢や無為の守旧派ではありません。

      1. 門外漢 より:

        御説拝見しました。
        確信犯的護憲論者ですか。確かに居るでしょうね。

  3. とゆら より:

    正直なところ、憲法の文言は平易に、
    解釈の余地をできるだけ少なくしてほしい。
    税制のように基礎以外に、本館、建て増し、別館、離れ(例外規定の多さ)があると、
    複雑怪奇で非効率になってしまう。

    憲法九条は
    「日本国は国民の生命と財産、国益を守るため軍隊を保有する」のみが
    個人的には理想ですが、
    まあ、現実的には新宿様の仰る第三項「自衛権の明記」が
    妥当なのでしょうね。

  4. パーヨクのエ作員 より:

    いつも知的好奇心を刺激する記事の配信ありがとうございます。

    管理人様>私が「改廃すべき」と考えている条文の筆頭は、日本国憲法第7条です。

    当方は管理人様の意見に賛同いたします。

    もっと直接的に言うと7条は廃止するべきです。

    法治の根源として天皇の国事行為を明文化するのは安全保障上危険です。

    不文化してイギリスの憲政に準ずるべきです。

    以上です。駄文失礼しました。

  5. ショゴスライム より:

    いつも更新ありがとうございます。

    そもそも現行憲法が制定された時代とは環境が変わりすぎているのですよね。

    ネットはおろかパソコンすらありません。というか電卓もまだです。もっと言えば家電・三種の神器すらなくて手作業でやっていた時代です。自動車は富裕層が僅かに保有する程度で大八車が走り回っています。コンテナ輸送は黎明期もいいところでグローバル化?何それ?な時代ですよ?核も爆撃機で運びますからミサイルもありません。冷戦すら始まっていないんです。そんな時代に作られた憲法は骨董品と呼んでも差し支えないと思います。黒電話があるからスマホは要らないと言っているような物です。

    それどころかろくに手入れもしていないように思います。現行憲法は何度か読んでいるのですが、毎度思うのが日本語として非常に座りが悪いという事です。重複している内容もありますし、きれいにして欲しいです。改正を繰り返した結果、雑然としているのであれば歴史の重みだ、と擁護しても良いのですがそうじゃないですし。これは手入れを怠っていると言っても良いのではないでしょうか?

    内容を変える事が難しいなら最初は文章をきれいにするだけでもやって欲しいものです。

    1. 引きこもり中年 より:

       独断と偏見かもしれないと、お断りしてコメントさせていただきます。

       日本の野党にとって、憲法が現実にあっていないかどうかは、「どうで
      もいいこと」と思っている可能性があります。それより

      ①安倍政権(または自民党)を攻撃する材料として、護憲を唱えているの
      だと思います。つまり、攻撃できてば、(明日にも)改憲を唱えだす可能
      性があります。

      ②改憲の可能性の議論を始めれば、党内の対立を激化してまうので、議論
      自体を封印してしまったのでは、ないでしょうか。

      ③日本国民の中には、護憲を支持する人が、一定数います。その人の票を
      確実の取るために、そして、ある程度の改憲を考えている人の票を逃さな
      いために、議論自体を封印しているのだと思います。

       駄文にて失礼しました。 

  6. 心配性のおばさん より:

    やったー!やっと、このコーナーで議論が本格化する。ということですよね。

    > 「前項の規定は自衛権の発動は妨げない。」

    シンプルイズベストですね。憲法九条については、わたしも、これに賛成です。

    憲法改正の時期については、半島問題を議論していた他のコーナーでも意見がありましたが、その具体的な議論の方法、決議の方法などの議論には至っていません。
    たしかに、憲法改正の時期については、最悪の形で近いような予感が私にもあります。でも、その機会があった時、議論をしていたのでは、間に合わない。火事になってから、消火方法を議論するようなものです。

    議論の始動方法については、次のようなのはどうでしょう。

    1.Web記事サイトで、以下のテーマについて議論し、それを各マスメディアに発信する。(マスメディアが役に立つかどうかはちょっと置いといて下さい)
    ①憲法改正の是非とその根拠(平和憲法だからというのは、根拠にはなりえません。具体的な根拠です。)
    ②改正するとしたら、その方法と改正箇所。(私としては、国民投票だけは選んで欲しくない。イギリスのブレグジット国民投票は他岸の火事ではありません。)

    2.マスメディアを巻き込んだ議論を、国会に取り上げてもらう。(某野党は週刊誌しか読んでないみたいなので、マスメディアを巻き込むことが有効です)

    3.国会論戦で各党が意見を戦わせて後、憲法改正の是非とその方法と改正箇所を議決する。
    4.改正内容を各党で提起してもらい、議論の後、議決する。

    ところで、私はこのごろ妙なことを考えてしまいます。「憲法にだって、賞味期限があって然るべきじゃない?」
    おばさん、何言うのって叱られそうですが、国家の方向付けをするのが憲法なら、日本という国がどのように進んでいくかを国際社会に約束するマニュフェストでもあります。
    日本の国内社会も、日本をとりまく国際社会も、ともに流動していく。つまり、なまもの。ですよね。

    賞味期限じゃなくても、次回改正予定時期をつけてもいいような気がしています。

  7. ななよん より:

    天皇陛下の御名御璽については、権力(国会・内閣)だけではなく権威(国民統合の象徴)も必要との意味でしょうね。大統領制の国では「大統領令」として権力が「独断」で法制化できます。明治憲法から我が国では、権力ではなく、権威が発布することが一つの知恵になっていたのでしょう。

    ちなみに天皇陛下の「執務」を少しだけ紹介。
    天皇陛下は、毎週、火曜日と金曜日の午後に菊の間にて「執務(書類の決裁)」を行われます。陛下が自ら署名(御名)し、宮内庁職員が押印(御璽)を行ないます。そして、法律等の公布文には首相の副署があり「内閣の助言と承認」を示しています。

    なお、御璽は純金製で9cm×9cmで3.5Kgとかなり重たく、片手では持ち上げられません。なお、勲章などには同サイズの国璽が使われます。

    陛下が決済されるのは、1年間に約1200件(叙勲など1000人でも1件と数えて)で、すべての書類に目を通されます。時には職員に質問をされることもあるやに伺っています。また、御用邸での休養中や地方訪問中であっても、職員が書類を届けています。なお、海外出張中は皇太子殿下に代行(委任)させています。

    通常人であったら、このような集中力と緊張感を伴った執務を長年に亘りをできるものか、ただただ敬服するばかりです。

  8. ななよん より:

    憲法についての問題提起、有難うございます。

    9条3項追加につき新宿会計士さまのご意見に賛同いたします。

    その上で、(自衛権発動による)交戦規定、戦時裁判所の設置、など、当然に必要な法整備を進めて欲しいものです。
    南スーダンPKO、日記が云々ではなく、部隊周辺で銃撃戦があったことが重大な事項であるのに(そもそも派遣したのは民主党政権だ)。この時、自衛隊が応戦したときの法的根拠は?正当防衛が成り立つのか?もしも敵に被害が出たときに、傷害罪や殺人罪に問われないのか?戦闘では、指揮官が、お前は死ぬかもしれない、人を殺すかもしれない、との内容を含んだ命令を出します。これを、国民として支持し応援する覚悟が求められます。

    前文も是非とも改訂して欲しいものです。「人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」は削除したいものです。

    ご存知かも知れませんが、日本共産党は最初は9条に反対していました。1946年8月24日衆議院本会議で共産党野坂参三は「(前略)・・・我が国の自衛権を放棄して民族の独立を危うくする危険がある。それゆえに我が党は民族独立の為にこの憲法に反対しなければならない」と述べています。その後、ソ連コミンテルンの指示により(と言われています)、日本の再武装に反対したとの経緯にあります。

    野坂氏の本意が奈辺にあったか判りませんが、スパイと言われ外国で活動していた同氏としての立場で「国」の存立を真剣に考えていたものでしょう。近頃の「憲法は権力を縛るもの」の一面的な幼児論議に比して、真剣さと切実感が雲泥の差です。

  9. 匿名 より:

    本来は、保守派が護憲を、革新派が改憲を唱えるのが自然だと思うんですが日本は特殊なんでしょうかね。

    それはさておき、護憲派とされる方は憲法96条の規定については見ない振りをするのは卑怯です。

    第九十六条 この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。

    護憲派こそ憲法違反の存在ではないかと。
    憲法を改正することは国民の権利なんですが、それを侵害してますからね。

  10. 匿名 より:

    何で九条ばかり議論になるのだ、というのはまさにその通りだと思います。
    九条死守グループは、九条は不磨の部分として神聖化しつつ、他は直せというダブスタが出来ないのか?

    管理人様と違って、実務から遠い人たちなんでしょうね。

    >どうして③や④の考え方が出て来ないのか。
    結局の所、③と①は同一グループが担っているんですよね。
    今の解釈は③だけど、揚げ足とりたがる人がいるから、よく言えば改憲して明確化したいといえば、
    悪く言えば②グループに対して改憲で優位を確立し、引き離すため。

    さて、④はなんで出てこないんでしょうね?
    改革する気のない自称改革派の価値は

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【おしらせ】人生で10冊目の出版をしました

自称元徴用工問題、自称元慰安婦問題、火器管制レーダー照射、天皇陛下侮辱、旭日旗侮辱…。韓国によるわが国に対する不法行為は留まるところを知りませんが、こうしたなか、「韓国の不法行為に基づく責任を、法的・経済的・政治的に追及する手段」を真面目に考察してみました。類書のない議論をお楽しみください。

【おしらせ】人生で9冊目の出版をしました

日本経済の姿について、客観的な数字で読んでみました。結論からいえば、日本は財政危機の状況にはありません。むしろ日本が必要としているのは大幅な減税と財政出動、そして国債の大幅な増発です。日本経済復活を考えるうえでの議論のたたき台として、ぜひとも本書をご活用賜りますと幸いです。
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