能登半島地震を手掛かりに考える「事実と意見の区別」
当ウェブサイトは「読んでくださる方々の知的好奇心を刺激すること」を目的としたウェブ評論サイトですが、この運営に当たっては「客観的事実」と「主観的意見」を分けること、「誰もが簡単に入手できる客観的事実」を議論の出発点にすること、などに努めてきました。こうしたアプローチは、決して間違っていなかった、というのが、現時点での自己評価です。Xの「コミュニティノート」機能に加え、最近の地震も、「客観的事実を確認したうえで議論を進めること」の重要性を示しているからです。
目次
ウェブサイト発足から今年で8年
当ウェブサイトは「読んでくださる方々の知的好奇心を刺激すること」を目的に、2016年7月に立ち上げたサイトです。したがって、今年、すなわち2024年で、発足からちょうど8年が経過する計算です。あと2年続けば、ウェブサイト発足から10年目を迎えることができるかもしれません。
このサイトを始めた当初は、「どうせすぐになくなるに違いない」、などと思っていましたが、意外と長続きしています。これもひとえに当ウェブサイトをご愛読いただいている読者の皆さま、コメント主の皆さまのおかげであると言わざるを得ません。
読者の皆さまには、改めて心より感謝申し上げる次第です。
事実と意見を分ける
議論の出発点は「客観的事実」
さて、定期的に説明し続けているとおり、当ウェブサイトはべつにニューズサイトでも何でもなく、あくまでもただの「ウェブ評論サイト」であり、『四ツ谷駅から延々と続く献花行列=安倍総理「国葬儀」』などの例外を除けば、基本的に運営者自身がみずから事件・事故現場などに取材に出掛けたりすることはありません。
というのも、当ウェブサイトでは基本的に、「誰でも簡単に入手可能な公開情報・一次情報」のみを使って、これに対する分析などを行うことを通じ、知的好奇心を刺激するような議論を展開することを目的としているからです(もっとも、個人的体験談などを議論の出発点にすることもないではありませんが…)。
改めての繰り返しですが、この世の中の報道・評論には、(フィクションなどを除けば)基本的に客観的事実と主観的意見の2つの情報が含まれています。
このうち客観的事実とは「誰がどう論じても、だいたい同じような内容になる情報」のことであり、主観的意見とは「論じる人によってまったく異なる内容・結論になる(かもしれない)情報」のことです。「唯一絶対の正解がある情報」と「正解があるとは限らない情報」、と言い換えても良いでしょう。
地震を題材に、事実と意見を比べてみる
ここでは1月1日に発生した能登半島地震を題材に、その具体例を説明しましょう。まずは次のA、Bに示した2つの文章を見比べてみてください。
- 2024年1月1日午後4時10分、石川県の能登半島・珠洲市付近でマグニチュード7.6の地震が発生した。この地震では、岸田文雄首相は地震発生の5分後である午後4時15分には地震の被害等を早急的に把握するように努めるなどの指示を出した。
- 岸田首相の今回の地震に対する対応は遅いと断じざるを得ないし、台湾からの支援を断るなどの暴挙に出たほか、被災地でも大勢の方々が苦しんでいるなかで、岸田首相は平然と新年会に参加して飲んだくれるなど、最高指揮官としての能力自体が疑われている。
このうちの文章Aは、客観的事実です。
この「2024年1月1日」の部分を「令和6年元日」と呼ぶ人もいるかもしれませんし、「午後4時10分」を「16時10分」、「16:10」などと表記する人もいるかもしれませんが、それは表記の違いであって、「客観的事実」という観点ではまったく同じです。
したがって、Aに相当する情報については、誰がどう書いても、大筋ではほぼ同じ内容とならざるを得ません。
しかし、文章Bについては、どうでしょうか。
このあたり、「岸田首相(や地元自治体)の動きが遅い」と批判する人たちがいることは間違いなく、実際、X(旧ツイッター)などでもBのような意見を見かけるのですが、その一方、文章Bを見ていて気づくのは、文章自体の客観性のなさです。
「~と断じざるを得ない」、「~という暴挙に出た」、「~飲んだくれる」、「~能力が疑われる」などの表現からもわかるとおり、この文章自体、文章を書いた人物の主観が色濃く出ています(※ついでに指摘しておくと、「岸田首相が新年会をハシゴして飲んだくれた」という部分については、明らかに事実に反しています)。
今回の地震を題材に、客観的事実を積み上げてみる
もちろん、日本は表現の自由が貫徹している国ですので、どんな意見を持つのも自由ですし、とりわけ政治家や官僚、マスメディアといった事実上の「権力者」を批判することもまた自由です。
ですが、批判するならするで、論拠がなければ説得力がありません。
今回の地震の件に関しては、むしろ客観的な情報を積み上げていくと、岸田首相や馳浩・石川県知事、あるいは自衛隊などの関係機関の動きは迅速であり、これまでの災害の教訓が十分に生かされているのではないかと思わざるを得ません。
これについて、今回の地震を題材に、「客観的事実を積み上げる」という実例を示してみたいと思います。
「岸田(首相)や政府の行動は遅すぎる!」といった批判については、たとえば現時点までに100名以上の方が亡くなるなど、甚大な被害が確認されていること、日本政府が台湾からの救助隊の受入を「ニーズなし」と断るなどの「失態」が報じられていることなどによるものだと思われます。
しかし、このうちたとえば前者に関し、大勢の方々が亡くなったことは事実ですが、今回の大災害では340名もの方が救助されていることも忘れてはなりません。これについては防衛省『令和6年能登半島地震への対応』のページなどで発表されている「自衛隊の活動実績」(図表)などが参考になるでしょう。
図表 令和6年能登半島地震に係る災害派遣について(1月8日版)
(【出所】防衛省『令和6年能登半島地震に係る災害派遣について』【※PDFファイル】キャプチャ画像。赤枠部分は引用者による加工)
自衛隊によると、能登半島地震における1月8日までの自衛隊の活動の成果は、次の通りです。
- 人命救助…340名
- 衛生支援…診療約260名、患者輸送約280名
- 輸送支援…糧食約194,700食、飲料水約224,500本、毛布約9,100枚、燃料9,400リットル等
- 給食支援…約2,300食
- 給水支援…約392トン
- 入浴支援…入浴約130名
- 道路啓開…県道1号、6号、52号、57号、266号、285号及び国道249号の一部区間
なぜ台湾の支援部隊を受け入れなかったのか
自衛隊の活動は政府による現地支援のほんの一部であり、これら以外にも岸田首相はさまざまな意思決定を下すなどしています。
それに、そもそも『災害支援に大切なのは「順序」…必要なのは「冷静さ」』などでも指摘したとおり、一般論として、災害支援にはいくつかの段階を踏むことが必要です。
我が国の制度設計上、防災基本計画の策定は各自治体などに委ねられ、自治体や事業所、家庭などは普段から非常食などの備蓄などに務めることが推奨されていますが、これは今回の災害のように道路が寸断され、外部からの支援が困難な初動期間にも、自力で何とか耐えられる体制を作るという意味があります。
そして、この「災害支援にはしかるべき段階がある」という事実を踏まえておくと、「台湾からの支援」云々に関しても、明らかな事実誤認であるとわかります。
そもそも現時点で日本の側に受入態勢が整っていないから「現段階では不要」と日本側が述べただけの話だからです(なお、これについては『「日本が台湾の支援断る」→台湾「事実と合致しない」』でも指摘したとおり、日台双方の公式発表により裏付けが取れています)。
こうした事実関係を積み上げたうえで、活動を見て、果たして本当に「政府の支援は遅い」といえるのかは疑問です。
いずれにせよ、まったく同じ話題(たとえば「能登半島地震とそれを巡る政府・自治体の対応」など)について取り扱っていても、記事の執筆者によって評価が大きく分かれるのは仕方がない話ではあります。日本は言論・表現の自由が保障されている国だからです。
いや、同じ事象を取り上げていても、それに対する評価が分かれているのは、むしろ日本の言論空間が健全である証拠でもありますので、個人的には「歓迎すべき現象」であるとすら考えます。
ただ、その一方で何らかの主観的意見を述べる(たとえば「政府や自治体の対応を批判する」)場合には、その論拠がとても大切です。どんな「主観的意見」を述べることも自由ですが、それらの意見には「客観的事実」の裏付けがあって初めて説得力が生じて来るからです。
エビデンスや科学、そして客観的事実
「エビデンスで殴る」という流行語
さて、当ウェブサイトでこの8年間重視してきたのは、まずはこの「客観的事実」と「主観的意見」を明確に分けることと、「客観的事実」の部分については、できるだけ、「誰もが簡単に入手可能なもの」にこだわる、という視点です(それが実践できていたかどうかに関する評価は、読者の皆さまにお任せします)。
ここでいう客観的事実とは、たとえば政府や国際機関などが発表する公的な統計データ(いわゆる数字)であったり、報道された内容、政府・企業などが公式発表した内容、さらには法令や会計基準、学問的・科学的な知見などが含まれます。
こうしたなかで、当ウェブサイトでこの8年弱、主張し続けて来た「客観的事実」という用語に、ひとつ、面白い「別名」が付いたようです。
それが、「エビデンス」です。
大手全国紙のひとつである朝日新聞に昨年10月31日付で、『「エビデンス」がないと駄目ですか? 数値がすくい取れない真理とは』という記事が掲載され得た、とする話題については、当ウェブサイトでも『新聞がエビデンスを否定するとき』などで取り上げたので、覚えている方も多いでしょう。
「エビデンス」がないと駄目ですか? 数値がすくい取れない真理とは
―――2023年10月31日 17時30分付 朝日新聞デジタル日本語版より
この記事は『客観性の落とし穴』という書籍を執筆した大阪大学教授に「エビデンス重視の世の中にどう向き合えば良いかを聞く」という対談記事で、自体は有料会員でなければ途中までしか読むことができませんが、無料で読める部分に、こんな趣旨の記述があります。
「SNSでも、データを持ち出してきて、自分の気に入らない投稿を批判するような書き込みが目につきます。エビデンスという道具を使って、他者をたたきたいという暗い欲望が蔓延しているように感じます」。
想像するに、この記事が、最近ネット上で大流行(?)している「エビデンスで殴るな」の出所のひとつなのでしょう。
「科学を隠れみのにするな」
これについては「エビデンスで殴られたくないのなら、客観的事実に基づく証拠がないのに主観的意見を述べるということを止めれば済む話ではないか」、といったツッコミもあるようですが、それ以上に重要な事実があるとしたら、これが「全国紙」の一角を占める朝日新聞に掲載されたことではないでしょうか。
言い換えれば、新聞業界自体が現在、おもにネット空間において、「エビデンスで殴られまくっている」という証拠でもあります。
そもそも論ですが、この日本という国は自由・民主主義社会ですから、言論の自由はとても大切ですし、ある人の主張に科学的なエビデンスが欠落しているならば、それを指摘するのもまた自由であるはずです(もちろん、誹謗中傷を含めた限度を超えた批判は避けるべきですが…)。
ただ、最近だと日経新聞にも科学を堂々と否定するかのような記事が掲載される時代です。
科学を隠れみのにするな
―――2023年8月23日 2:00付 日本経済新聞電子版より
新聞社にとっての情報は、製品そのものです。
その製品であるところの情報が、エビデンスを欠いていたり、科学を正面から否定したりするものであるということは、正直、新聞に掲載される記事を信頼して良いのかという疑念を社会全体で惹起(じゃっき)するものでもあります。
この点、受信料という事実上の「税金」で運営されているNHKを除けば、新聞社やテレビ局もしょせんは民間企業ですので、それらの民間企業がいかなる情報を発信するかについては、その社の自由です。
ただ、エビデンスを欠いた不正確な情報というものは、一般企業でいえば、欠陥製品を世に送り出すようなものです。自動車メーカーが欠陥車を世に送り出せばリコールの対象にもなりますし、食品メーカーや飲料メーカーが毒素の入った製品を世に送り出せば、世間からの批判は免れません。
『科学を否定し責任を取らない=官僚とメディアの共通点』などでも取り上げたとおり、製造物の使用で「被害をこうむった」とする主張が一般人の側から出て来たときには、その「被害をこうむったこと」とその製品が無関係であることを立証する責任は、メーカーの側に負わされています。
しかし、新聞社やテレビ局、雑誌社、通信社といったマスメディア各社は、このPL法の適用対象外に置かれています。
どうしてマスコミだけが、「エビデンスを欠いた情報」という「欠陥製品」を世に送り出して咎められないのでしょうか。
どうも意味がよくわかりません。
客観的な記事を配信した毎日新聞
なお、公正さのために申し上げておくならば、新聞社などのマスメディア各社のすべての情報が不正確である、などと申し上げるつもりはありません。
たとえば今回の地震において、自衛隊派遣を巡り野党の一部から「逐次投入」「初動が遅い」といった批判が出ているのですが、これに関連し、毎日新聞が配信した次の記事は、かなり公正な立場からエビデンス付きでその背景について解説しています。
自衛隊派遣、増員が容易でない背景 能登半島地震と熊本地震の差
―――2024/1/8 12:17付 毎日新聞デジタル日本語版より
毎日新聞は「2016年の熊本地震では発生から5日後に22,000人を派遣した実績がある」としつつ、今回の地震では6日までに5,400人態勢に拡充されたものの、「派遣規模に限れば見劣りの感もある」と指摘。
ただ、これについては木原稔防衛相が6日に説明した内容などをもとに、こう述べます。
「対応を困難にした要因の一つが被災地の地理的な特性だ。自衛隊幹部は『陸の孤島と言われている半島での未曽有の震災。一番起きてほしくない場所で起こった』と振り返る」。
毎日新聞によると、能登半島は日本海側最大の半島で、金沢市から半島先端までは陸路で約140キロに及び、険しい海岸線や山地が多く、小さな集落が山あいに点在しているという地理的特性があります。
しかも、「被害が激しい半島先端に向かうにつれて道路網が寸断され」ているのが実情であり、こうした状況でいきなり人員を大量投入するわけにはいかなかった、という事情があったのだ、というのがこの記事の説明です。
おおむね事実に沿っていますし、「なぜ現段階でボランティアなどを受け入れないのか」という論点に加え、先ほども述べた「なぜ日本政府が台湾の救助隊を現段階で受け入れなかったのか」という論点とも密接に関わる部分でもあります。
それに熊本県の場合、おもに平野部が被災したという事情に加え、熊本市には南九州全体を管轄する陸自の司令部があり、「非常にスピーディな部隊投入ができた」(防衛省幹部)という事情があった、というのが毎日新聞の説明です。
こうした「客観的な事実関係に基づく合理的な説明」こそ、私たち一般人が読みたいと思う記事ではないでしょうか。
企業による取り組みを報じた朝日新聞記事
また、メディアによる有益な報道の例としては、ほかにも朝日新聞による次の記事が挙げられます。
山パン、日清、ユニ・チャーム 翌日から物資輸送→費用は国が後払い
―――2024年1月6日 10時00分付 朝日新聞デジタル日本語版より
朝日新聞は6日付の記事で、地震発生直後から一部企業がかなり早い段階で支援活動に動いたほか、5日に開かれた経済団体の新年の会合で「企業トップの発言が相次いだ」ことなども契機として、被災地を支援する企業の動きが本格化していると報じました。
「食品や日用品大手の物資支援だけでなく、中には自社の「強み」を生かした取り組みも」。
具体例としては、業界団体を介した国の要請に応じて愛知県内の工場で増産した山崎製パンに加え、フジパンや敷島製パンの各者がパンを、日清食品ホールディングスやエースコックがカップ麺を、日本コカ・コーラやサントリーなどが水を、ユニ・チャームが生理用品やおむつなどを、それぞれ被災地に届けたのだそうです。
ちなみに朝日新聞は、こうした各社の取り組みが「被災自治体からの声かけを待たずに必需品を届ける『プッシュ型支援』の一環」だと指摘していますが、こうした企業の取り組みを積極的に紹介する記事は、極めて有益です。
なぜ物料投下を実施しないのか
ただ、こうした朝日新聞、毎日新聞の優れた記事もある一方で、非常に残念なことに、新聞業界全体としてみると、なかにはファクトやエビデンスに基づかず、内閣官房長官記者会見の場で「孤立集落に物資をパラシュート投下したらどうか」、などと演説をぶつ記者もいるほどです。
いちおう真面目に考察しておくと、C1輸送機やC2輸送機などを使えば、「物料投下」(某記者のいう「パラシュート投下」)自体は可能ですが、この方法自体は大変危険であるだけでなく、たとえば人があまりいない平野部などの地形的条件が整っていることが必要です。
それに、すでに政府は震災直後から利用できる輸送手段(ヘリポートや輸送艦など)を活用しているわけですから、わざわざ物料投下などの危険な方法に依存する必要などがない、というのが実情に近いのではないでしょうか。
ちなみに年初はJAL機と海保機が羽田空港で衝突・炎上する事故も発生しています。
これについては『地震や航空機事故の報道でわかる「新聞が廃れる理由」』でも指摘したとおり、JALの記者会見における新聞記者の酷い振る舞いを見ていると、新聞が廃れてしまう理由もよくわかるというものです。
コミュニティノートも社会を変える
さて、新聞、テレビといったオールドメディアに代わって議論の適切性を担保する手段のヒントは、やはりネットにあります。とりわけX(旧ツイッター)上の「コミュニティノート」という機能が、今回の地震で威力を発揮しているのも心強いところです。
コミュニティノートとはXに昨年実装された「誤解を招く可能性があるポスト」への注意喚起機能で、一般のユーザーから選ばれた「協力者」がノートを作成し、ほかの「協力者」がそのノートを評価することで、そのポストにノートが表示される、という仕組みです。
この仕組み自体は「ファクトチェック」などを目的としたものではありませんが、結果的にそれに近い機能として、Xにおける言論空間の健全化に役立っています。
先ほど挙げた、「政府や自治体は何もやっていない」、「台湾からの支援部隊やボランティアを受け入れていないのはおかしい」といった批判、「被災地に物資をパラシュート投下せよ」などの素人提案に対し、容赦なく、コミュニティノートが着弾している状況にあるからです。
その意味では、客観的事実と主観的意見をきちんと峻別し、事実関係を丁寧に調べ上げたうえで一定の結論を導き出そうとする当ウェブサイトの8年弱の試みは、決して間違ってはいなかったのではないか、などと思う次第です。
本文は以上です。
日韓関係が特殊なのではなく、韓国が特殊なのだ―――。
— 新宿会計士 (@shinjukuacc) September 22, 2024
そんな日韓関係論を巡って、素晴らしい書籍が出てきた。鈴置高史氏著『韓国消滅』(https://t.co/PKOiMb9a7T)。
日韓関係問題に関心がある人だけでなく、日本人全てに読んでほしい良著。
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【おしらせ】人生で10冊目の出版をしました
自称元徴用工問題、自称元慰安婦問題、火器管制レーダー照射、天皇陛下侮辱、旭日旗侮辱…。韓国によるわが国に対する不法行為は留まるところを知りませんが、こうしたなか、「韓国の不法行為に基づく責任を、法的・経済的・政治的に追及する手段」を真面目に考察してみました。類書のない議論をお楽しみください。 |
【おしらせ】人生で9冊目の出版をしました
日本経済の姿について、客観的な数字で読んでみました。結論からいえば、日本は財政危機の状況にはありません。むしろ日本が必要としているのは大幅な減税と財政出動、そして国債の大幅な増発です。日本経済復活を考えるうえでの議論のたたき台として、ぜひとも本書をご活用賜りますと幸いです。 |
「客観的事実」と「主観的意見」を分けること、に拘られた新宿会計士さんの運営方針に、全面的に賛成し、かつ敬意を表します(併せて、人格攻撃・差別的コメントを排除する姿勢にも)。
能登地震への政府対応については、今のところ、特に非難・批判するほどのことはない、と思っています。何か全知全能のスーパーマンが首相の立場にいて、それと比較するような言辞を弄する方もいますが、お門違いも甚だしい。
でもね、安倍派(自民党?)の裏金疑惑に対する自民党総裁としての対応には、非難・批判すべきことのオンパレード。危機感は口先だけか、やる気はあるのか、野党に政権担当能力がないので国民を舐めきっているのか、等々です。早く退陣して貰いたい。
退陣を軽々しく口にする人ほど「その後」の事を考えてないような気がしますが、私の偏見でしょうか。
客観的事実を前提とすることは、科学の大前提です。そして、客観的な事実を集めたり調べたりするのは、時間的にも肉体的にも大変な労力と、又、事実に忠実であろうとする精神の真摯さという、物理的・心理的な負担が掛かることです。
このような負担を掛けることに耐えららない、精神的横着者や肉体的怠惰者は、こう言うらしいです。
・エビデンスが無いとダメですか?
・科学を隠れ蓑にするな!
更に、これで足りないと、
・挙証責任の勝手な転換をする
いやはや・・・
このサイトのお陰で、横着者達の手口の数々を見抜けるようになりました。
このサイトの論説・論稿の真摯さは、客観的な事実を大前提とすることのみならず、説得力のある論旨構成と、納得感のある傍証準備にあると思います。
それが、如実に感じられたのは、昨日の「挙証責任を勝手に転換する」の論稿です。
始めに、PLと会計士の、法律で特例的に定められた挙証責任の転換を、傍証として準備して、読者に挙証責任とはどんなものかを説明して認識させてから、無責任極まり無い野党人(野蛮人ではない)のやっていることや有様が如何なることなのかを、完全に納得させました。しかも、無意識にすーと理解するように。これは、見事です。
上記の
>このサイトの論説・論稿の真摯さ
↓
このサイトの論説・論考の真摯さ
論稿→論考、でした。
>客観的事実を前提とすることは、科学の大前提です。
→ 客観的事実を前提とすることは、人間社会を正常に公正に成り立たせる為の大前提です。大事なことは、公正であろうとする、人間の真摯な精神です。その時、科学及び科学的方法論は、有力で強力な手段の一つです。科学的方法論とは、客観的事実の把握から始まります。
つまり、逆に、科学的方法論とは、人間の真摯な精神を大前提にしているということなのです。
ここから、分かることは、
・エビデンスが無いとダメですか?
・科学を隠れ蓑にするな!
と言う人間は、
「自分には、真摯な精神がありません、私は、真摯な人間ではありません」と、自ら、表明し言明していることになっているのです、がね。
実際、この理屈は、合っているように感じられます。そんな事言いそうな人の顔を思い浮かべて見れば・・・
*CNが成し遂げた「メディアの視える化」
赤ペン先生?(CN)による添削は、承認欲求の権化と化した ”奔放メディア” の在り方に一石を投じるものですね。
「知的訓練とは社会常識をわきまえること」であり、『主観を投げつける(知を的にする)こと』ではありません。
毎度、ばかばかしいお話しを。
〇〇:「事実より自分の意見の方が正しいのだ」
みなさんは、この〇〇に何をいれますか。
蛇足ですが、事実は正しかったか後から検証できます。しかし、意見は検証できません。というより、意見とは自分の感情なので、正しいも間違っていたもありません。(意見は、別の人は自分とは異なる意見をもっていた、ということもあり得ます)
事実は昨日と今日で、変わることはありませんが、意見(気持ち)は変わることがあります。ということは、事実だと困る人がいるのでしょうか。
このブログの過去記事でCNのしくみについては議論もあり、うまく機能するといいねと思った物ですが、今のところかなりの効果を発揮していると思います。
ゲームのルールが変わったことに気づかず、相変わらずCNに反論するのではなく悪態をつく人々は、既に過去の人とさえ思います。○○発見器です。
最近、近所の複数の70~80代の高齢者と雑談したときに、CNを知る人はいませんでした。日常的にネットは使っても、情報収集源としてTwitterを使っていないようでした。「イーロンマスクは悪の権化」、といった理解でもありました。
CNの効果も、twitter空間に限られた出来事なのだなと改めて思った次第です。
以下、オマケのネットコンテンツ紹介です。
空中からの人や荷物の投下の難しさを解説したツイートがなかなか説得力があったのでご紹介します。ツイート主は「空挺はやってないがヘリボンをやったことがある」と述べていますので自衛官だったようです。
連ツイなので、興味ある方は日付をクリックして先をご覧ください。
次は文中で触れた空挺を誘導する「降下誘導小隊」の活動を補足するツイートです。
次は被災地に「徒歩」で到着した自衛隊の活動を伝える動画です。
住民との接触時の会話がとても臨場感があります。会話を聞くに、派遣された隊員も即時の総合判断を求められる、なかなか難しい仕事と思いました。
テレビ金沢:孤立集落に自衛隊が到着 がん患者をヘリで緊急搬送
https://youtu.be/6yq_H1Fyghs
防衛省:令和6年能登半島地震における孤立地域に対する自衛隊(統合任務部隊)の支援活動について
https://youtu.be/019fLQ-GlLY
これらを貼った意図は、これらコンテンツを見て
「素人の思いつきアイデアはクソの役にも立たない」
と感じたからです。
官邸記者会見で作戦開陳とか、恥ずかしくてできません。
本筋と関係ありませんが…
ギックリ腰、くれぐれもお大事になさってくださいね
お年頃ですね・・・
やはりその道の専門家に一度尋ねる作業は重要なのですね。
天才軍人の源義経も一ノ谷の作戦前に地元の猟師に、あの谷の道に鹿は通れるのか尋ねて鹿が通れるなら馬も通れるに違いないと判断したようですし。
最も望月記者が毎回判断を誤るのはセンスとプラスして何かおかしい点があるみたいに思ますが。
被災地支援に40数億円。韓国企業に200億円の助成金
もう、いい加減にして欲しい。
未だ40億円デマを鵜呑みにしてる情弱がいるとは。わざわざ自分の無知を晒しにコメントしに来たんですか?律儀な事で。
国民の頭のなかでは、岸田総理はすでに終わった人なので、何をしても批判されるのではないでしょうか。
蛇足ですが、もし今、岸田総理が辞任を表明したとしたら、オールドメディアや庶民は、「突然の辞任」と思うでしょうか。それとも「やっと辞任」と思うでしょうか。
その「何をしても批判される」って風潮が危なっかしいですよね。
人々が冷静な批判眼を失って(すでに米欄にそう言うおバカさんが湧いてますし)「岸田に対してなら何を言ってもやってもいい」という危険なトレンドを生み出す事になりかねません。一昨年の悲劇を繰り返しかねないのですが(すでに去年どの兆候となる事件が起きてますが)。
マスゴミは一昨年の悲劇を繰り返させる気満々ですな。
記事の冒頭とそれに関連して私事を。
まずは八年の長きに渡って、数本の記事を毎日書き続けたことに敬意と感謝を申し上げます。
またさらに年月を重ねること祈念致します。
わたしは昨年、ここを知り投稿を始めました。
過去の自分の投稿を読み返すと、自己嫌悪に陥るばかり。
年も改まったことだしHNを変えてみるかと思案したものの、思いとどまりました。
天邪鬼の性格の故、礼賛、御意ではなく批判的なコメントをすることになりますがご容赦下さい。
雑談専用への投稿が相応しい内容ですね。
失礼しました。
迷惑ボランティアの方が
道は空いていた、ボランティア規制は県の落ち度を隠すためだなど意味不明な事を言っています。
道が空いていたのは来ないでくれと知事が呼びかけたからでしょう。
因と果逆転したような意味不明な論理思考です。
自衛隊の方が必死に荷物を担いで道なき道で運んでいます。
道を開通させるために重機などを迅速に運ぶためや、大量輸送ができる大型トラックなど重要輸送を一秒でも優先することが当たり前であると思いますが、
論理思考思考ができない方が理解することは困難な様子です。
今回の地震に関しては、オールドメディア・野党連合軍の中でも「大手」と「弱小」で
対応が分かれている様ですね。
朝日新聞や毎日新聞は「おいおいどうした!?」と言われる程まともな記事を書き、
おかしな事は主張していない。立憲民主党も今のところ大人しくして、役には立っていないが
とりあえず邪魔にはなっていない。
一方で某記者やら迷惑YouTuberやら某元声優やらは盛んに炎上行為を繰り返し、
共産党やれいわは炎上万歳とばかりに嬉々として現地に乗り込んでしまった。
一応はまともなフリをしないといけない「大手」と、何が何でも政府を批判し続けないと
生きていけない「弱小」で対応が分かれているんでしょうかね?