紙の新聞が消えてもネットに居場所を変えることはない

健全な自由・民主主義社会を支えるうえで、メディアの社会的役割がなくなることはありません。ただ、紙媒体としての新聞が消滅したとして、その新聞がネットに居場所を変えることはありません。現在の多くの新聞にとって、ネット上に居場所はないからです。なぜか。その理由は、そもそも新聞がこれまで、その「健全な自由・民主主義社会を支える」という役割を担っていなかったからです。2009年に新聞業界は何をやりましたか?そして新聞業界はそのことを反省しましたか?少なくとも後者に対する答えはNOでしょう。

もうすぐアンドロメダがやってくる!

科学に関心がある人であれば、きっと同意していただけると思われる考え方があります。

それは、「現実の観測」と「理論」を組み合わせれば、多くのことが予見できてしまう、というものです。

当ウェブサイトでは以前も少し指摘したとおり、ごく近い将来に高い確率で発生するであろう事象が、我々の暮らす銀河系とアンドロメダ銀河の衝突です。現在、アンドロメダ銀河は地球から約250万光年離れていますが、これが猛スピードで近づいており、あと40億年後には衝突・合体するそうです。

(※宇宙空間で40億年は「ごく近い将来」なのだそうです。)

これからあと30億年もしないうちに、アンドロメダ銀河は夜空で圧倒的な存在感を示すようになるでしょうし、下手をすると私たちが住む太陽系は、両銀河衝突の衝撃で、銀河系から宇宙空間に弾き飛ばされてしまうかもしれません。

だからこそ、我々人類が生き残りを図るためには、両銀河の衝突を回避すべく、大きな縄か何かで外から引っ張るか、それとも諦めて衝突する新たな銀河で住めそうな星を探して移住するか、といった課題に対処しなければならないでしょう。

(※ただし、あと10億年もしないうちに太陽の膨張が始まり、地球が灼熱地獄と化しているという可能性もありますので、人類の地球脱出はそれよりももう少し早く、できればあと数万年後には目途をつけたいものです。)

いずれにせよ、くどいようですが、「両銀河が衝突する」と予想される理由は、ハッブル宇宙望遠鏡を含めたさまざまな観測結果に加え、物理学者、天文学者らのさまざまな理論のなせるわざです。

宇宙の最果てがどうなっているのかについて詳しく知っている人はさほど多くないとは思いますが、それでも「アンドロメダ銀河が地球とぶつかっちゃう(かも)」、という話題は、まさに科学の叡智を結集して得られるさまざまな結論のひとつでもあるのです。

新聞消滅時期の予測は可能

紙媒体の新聞の消滅は間違いない

さて、「アンドロメダ銀河の地球衝突」と比べるとショボい話題かもしれませんが、こうした「数字に基づく議論」はときとして、もっと卑近な事象にも適用可能です。たとえば、「数字に基づくならば、ある業界が何年後に息絶えるか」が、合理的に予測できてしまうこともあるからです。

その典型例が、新聞業界でしょう。

これまでに当ウェブサイトでは何度も指摘してきたとおり、新聞の部数は急減が続いており、もしも直近5年間のペースで新聞の部数減が進めば、2022年10月1日から起算し、夕刊に関してはあと7.68年以内に、朝刊に関しては13.98年以内に、それぞれ完全に消滅してしまいます。

もちろん、アンドロメダ銀河が銀河系と衝突するのが40億年後なのか、41億年後なのかについて、予想に幅があるのと同様、この「新聞が消滅するまでの年数」の予測自体にも、それなりの幅があり得ます。

新聞社によってはすでに採算割れ寸前というケースもあるでしょうし、なかには某社のように、繰延税金資産の過大計上などにより、実質債務超過状態に陥っているケースもあるでしょう(そのような新聞社は、早ければあと数年で倒産するかもしれませんが、もしかすると中国共産党などが助けてくれるかもしれません)。

また、ごく一部には「電子版での契約が順調に伸びている」などの理由で、新聞発行をさっさとやめてしまうケースも出るかもしれません。そのような社はウェブ版で十分に生き永らえていくことができるからであり、また、紙媒体の新聞自体、明らかに不採算事業と化している可能性が濃厚だからです。

しかし、経営に余裕がある会社を中心に、紙媒体の発行に拘るというケースも出て来るでしょう。まだ新聞部門で黒字決算を維持している社も(少数ながら)存在するとみられるほか、新聞社によっては不動産業などの「副業」で儲かっているケースもあると考えられるからです。

とくに、紙媒体としての新聞に採算性がなくなっていたとしても、不動産部門などの利益を流用しながら、赤字覚悟でこの先何十年でも新聞発行を続けようとする、というケースは考えられます。紙媒体の新聞に拘る理由としては、第三種郵便物の認可などの「権益」を維持するため、などが考えられます。

(※ただし、そのような新聞社は、もはや「新聞社」なのか、「不動産会社」なのか、よくわかりませんが…。)

すでにその兆候はあちこちで生じている

このように考えていくと、石にしがみついてでも新聞の発行を続けようとする社もありますし、「ウェブ媒体に特化する」、「経営に余裕があり、紙媒体の発行を継続する」、「中国共産党などの事実上の機関紙として生きていく」などの例外もあり得るでしょう。

よって、紙媒体の新聞が完全に消滅するまでには少し時間がかかりそうですし、一部の社はウェブ媒体などで生き延びていくとは思われますが、それでも夕刊廃止の動きはこれから3~5年で激増し、朝刊廃止の動きはこれに続いて5~10年間で発生していく、と考えるのが自然な流れです。

ただし、たいていの事象には前兆があるのと同じで、新聞業界においても、大廃業時代に向けた兆候が、すでにあちらこちらで生じています。

たとえば今年話題になったことだけを列挙しても、朝日新聞、毎日新聞、読売新聞という3大紙が東海3県で夕刊事業から事実上手を引いた、という出来事がその典型例でしょう。

もちろん、東海地方ではもともと、中日新聞が圧倒的に強く、たとえ全国紙といえども中京圏では部数を伸ばすのにも苦慮していた、といった事情もあったのかもしれませんが、ただ、大手紙が一部地区で夕刊事業から撤退するという動き自体、「まずは夕刊が売れなくなっている」という証拠でしょう。

また、現時点では一部メディアが報じているのみですが、ブロック紙の一角を占めている北海道新聞が、今年中に夕刊を廃止する、といった情報もあります。

そもそも論として、ひとつの新聞が朝刊、夕刊を両方発行しているというのは、世界ではあまり例がないようです。日本の夕刊には「朝刊だけで拾いきれない話題を速報的に送り届ける」などの意味合いでもあったのかもしれませんが、もしそうだとしたら、このネット時代に正直、あまり意味がない機能と言わざるを得ません。

ビジネスモデルが完全に時代遅れ

なにより、新聞社の経営について考察するうえで、「情報を紙媒体に印刷し、それを人海戦術で全国津々浦々に送り届ける」というビジネスモデル自体、この現代社会にそぐわないものとなってしまっていることを思い起こしておく必要もあります。

ネットの回線容量も大幅に上昇し、PC、スマートフォン、タブレット等の電子デバイスの性能も飛躍的事項上司、メモリの価格も大きく低下しているわけです。

情報の優位性という意味でも、紙媒体の新聞だと掲載する新聞のすべてをカラー印刷するというわけにはいきませんが、ウェブ媒体の場合だと図表、写真の多くはカラーで掲載可能ですし、紙媒体よりも高解像度のものも掲載でき、最近だと動画配信を伴うケースも増えています。

要するに、ユーザーとしては同じ話題を取り扱った記事を読むにしても、新聞という紙媒体で読むよりも、ウェブ上で閲覧した方が、はるかに多くの情報を得ることができるようになってしまったのです。

しかも、新聞は印刷されてから読者の手元に届くまでに、どんなに早くても数時間の時間が必要ですが、ウェブの場合は公開設定をした瞬間、読者の手元に送り届けることができます。情報の鮮度がまるで違うのです。

このように考えていくと、紙媒体の新聞には「紙に印刷し、輸送する」という余分な時間と費用が掛かっているわけですから、新聞が「紙媒体」で生き延びていくためには、少なくともウェブ媒体にはない何らかの特徴ないし「ウリ」が必要です。

そのような特徴というものが、果たして現在の新聞に存在するのでしょうか。

記者クラブ、取材力の低さ…日本のメディアの根本的問題

少し厳しい言い方ですが、『「事実を正確に伝える力」、日本の新聞に決定的に欠如』などを含め、これまでに当ウェブサイトで何度も指摘してきたとおり、「事実を正確に伝える能力」が、新聞(やテレビ)を含めた日本のマスメディアには決定的に欠如しているのです。

その理由として考えられるものはいくつかありますが、その最たるものは、新聞記者らが記者クラブ制度などに安住し、自分たちの能力以上に利益を得ていたことでしょう。

記者クラブに所属していれば、事件、事故を含め、新聞で報じるべき話題は、たいていの場合、記者クラブから勝手に降ってきます。新聞記者の多くは、それらの「勝手に降ってきた情報」を整理して紙面に配信することを、自分たちの仕事だと勘違いしてきたフシがあります。

もちろん、新聞記者のなかには、ちゃんと自身の専門分野を決め、専門知識を勉強し、精力的に取材活動を行うなどの能力がある人物もいますが、そのような人材は少数派であり、大部分は「物書き」としての能力があまり高くありません。

インターネットが現在ほどに普及する以前、日常的に最新情報を知る手段が新聞やテレビくらいしかなかった時代ならば、それでも人々は我慢して新聞記事を読んでくれていたかもしれません。

しかし、ネット環境が発達し、ネット空間には山手線の駅名を冠した怪しげな自称会計士のウェブサイトを含め、ニューズサイト、ウェブ評論サイトなどが乱立しています。とくに新聞社説やコラムなどは、いまや新聞でなくてもインターネット上でいくらでも読める時代になってしまったのです。

こうした環境で、新聞記者や論説委員などが、インターネット出現以前のノリで記事や論説、コラム、社説などを書いていたら、目の肥えた読者を満足させられないというケースも出て来るでしょう。

「新聞でなければできないこと」がなくなってきている

その意味において、新聞社の経営難は、インターネットが直接もたらしたものではなく、社会がインターネット化したことでネット空間に競争相手が大量に出現した結果もたらされたものだ、と考えた方が正確です。

このような理解に基づけば、新聞社が単純に「ウェブ化」して生き残りを図ることができるわけではありません。

なにかよっぽど――そうですね、たとえば「長年、新聞社としての高い使命感をもとに、大変高度な情報を発信し続けてきた」といった実績に裏打ちされた「ハイ・クオリティ・メディア」というブランドでもあれば、新聞がウェブ化しても生きていけるかもしれません。

要するに、その社にしか存在しない、かなり卓越した(あるいは差別化された)情報発信力でもあれば、仮に紙面がなくなってもウェブ媒体にも円滑に移行することができるかもしれません(業界紙・専門紙などは、その典型例でしょう)。

しかし、現在の一般紙が、そうした差別化戦略に成功しているかどうかは、非常に微妙です。

ここで、人々が新聞に期待するものとは、いったい何なのか――。

伝統的には、新聞は役所などの報道発表を人々に伝える役割などを担ってきたほか、「独自記事」などと称してスクープを発信したり、専門的な知見からの解説記事を掲載したりしてきたとされます。

しかし、役所などが発表する統計データを基にした記事だと、べつに新聞社でなくても配信することはできます(たとえば怪しい自称会計士が運営しているウェブサイトでは、新聞などの記事とはまったく無関係に、オリジナルのインバウンド観光に関する記事が掲載されることがあります)。

また、独立ジャーナリストらが「特ダネ」を手にし、それらを雑誌社などが運営するウェブサイトに売り込む、といった動きも徐々に増えているようですし、官僚機構が記者クラブを経由せず、こっそりと個人が運営するウェブサイトに情報を流す、といった現象も発生しています(どこのサイトで、とはいいませんが)。

さらには、最近だと個人でブログサイト、ニューズサイトなどを運営する人が増えたためでしょうか、『「ブログ化する新聞」を待つ未来』などでも議論したとおり、最近だと「新聞社説のブログ化」が激しいようです。

「新聞社説のクオリティがブログ以下の水準に落ちた」のか、それとも「ブログのクオリティが新聞社説を凌駕しつつある」のかはわかりませんが、社会のインターネット化で、「論壇」への参入障壁が極めて低くなったことだけは間違いありません。

「新聞にしか果たせない役割」はあるのか

結局は「参入障壁」の問題

これについて、もう少し深く考えてみましょう。

ひと昔前だと、日々、不特定多数の人々に向けて情報を発信することができるのは、新聞記者など、ごく一握りの「情報発信者」に限られていました。

そもそも新聞記者になれる人も限られていました。新卒で新聞社に入るためには、それなりに良い大学に通っていて、新聞社が実施する入社試験に合格しなければならなかったからです(某自称「クオリティ・ペーパー」が、かつては東大を含めた「一流大学」の学生ばかりを採用していたのは公然の秘密でしょう)。

また、新聞社を新たに始めることも容易ではありませんでした。もしうまく新聞社を作ることができても、刷り上がった新聞を各家庭に届けるための宅配網を利用することができないこともあったからです。

たとえば、自民党の山田宏・参議院議員が2017年5月8日付で自身の公式ホームページに掲載した『平成29年5月4日 八重山日報 掲載 「メディアは言論によって勝負せよ」』という記事によると、八重山日報が沖縄本島版を発行した際、妨害活動があったと記載されています。

具体的には、こんな具合です。

読者局からの『重要なお知らせ』として、沖縄タイムスの販売店主・ネットワークランナー宛に、『八重山日報の配達をする事は禁止です』と大書されたビラが配られたのです。<中略>沖縄のほとんどの販売店は、『琉球新報』と『沖縄タイムス』の両方を配っているといいます。しかし、八重山日報がきたら『配達禁止』だというのです」。

これが事実なのかどうかはわかりません。

ただ、一般に新聞社と販売店には資本関係はありませんが、事実上の上下関係にあり、販売店は「本社の指示」を受け入れるということが、広範囲に見られます(※なお、山手線の駅名を冠した怪しげな自称会計士自身、大学生時代に新聞奨学生を経験していますので、当時の業界ネタには詳しいつもりです)。

たとえばあなたがお金持ちで、莫大な資本を投じて「新聞業界の闇を暴く」ための新聞を創刊したとしても、おそらくそんな新聞、既存の新聞販売店網が取り扱ってくれるはずなどもありませんし、そんな新聞を各家庭に届ける手段などないのです。

すなわち、「新聞記者になるのも難しく、新聞社を新たに作るのも難しい」――。

これが、参入障壁です。

参入障壁がないインターネット

インターネットにはこの参入障壁が一切ありません。この記事を読んでくださっているそこのあなたでも、その気になれば今すぐにブログサイトを立ち上げることができます。

当ウェブサイトの愛読者の皆さまのなかにも、自身のブログを持っていらっしゃるというケースも多いでしょうが、「アメーバブログ」、「楽天ブログ」、「はてなブログ」、「gooブログ」、「ライブドアブログ」など、無料または格安で開設できるブログサイトはいくらでもあります(具体的な開設方法はそれぞれのブログサイトをご参照ください)。

また、年間数千円から数万円を投資しても良いという人であれば、さくらインターネットやエックスサーバーなどのレンタルサーバー会社と契約し、独自ドメインを取得すれば、当ウェブサイトのようにちょっとしたニューズサイトのようなものを構築することができます。

ウェブサイトを思い通りに構築するうえで、ウェブに関する最低限の知識・技能などは必要かもしれませんが、それでも「何億円という資金を投じて輪転機を整え、たくさんの記者を雇い入れて新聞を創刊する」といったものと比べれば、ハードルは遥かに低いでしょう。

このように考えると、「新聞でしか実現できないもの」、「新聞にしか果たせない役割」、というものは、じつは現代社会においてはほぼ消滅したと考えたた方が良いのかもしれません。

どうして朝刊がいつまでも残ると思うのか

ただ、夕刊はこれからもう数年以内に廃刊ラッシュが訪れるはずですが、朝刊に関しては少しだけ時間的な猶予があります。夕刊と比べて、朝刊はまだ読んでいる人がそれなりにいるからです。

一般社団法人日本新聞協会が発表する『新聞の発行部数と世帯数の推移』によると、2022年10月1日時点で夕刊は645万部に過ぎませんが、朝刊はまだ3033万部発行されているからです(ただしここでいう「朝刊部数」は「セット部数+朝刊単独部数」、「夕刊部数」は「セット部数+夕刊単独部数」です)。

20年以上前の2000年10月1日時点だと、夕刊部数は2001万部ありましたので、夕刊についてはこの20年あまりで3分の1以下という壊滅的な部数減に見舞われていますが、朝刊は2000年の5189万部と比べ、まだ半分になっていません。

いまだに朝刊が3000万部を超えている理由は何なのかはわかりません。「チラシが欲しい」からなのか、「テレビ欄が欲しい」からなのか、「お悔やみ欄」を読みたいからなのか、健康器具や医薬品の広告が見たいからなのか、はたまた「単なる習慣」(惰性)なのでしょうか?

しかし、とくに全国紙やブロック紙を中心に、朝刊に関しては、夕刊よりもまだ少しだけ時間的猶予があることは間違いないのですが、それも結局は時間の問題です。

じっさい、すでにいくつかの社は購読料の値上げに踏み切っており、つい先日は日経新聞が主要紙で唯一、朝夕刊セット価格を5,500円と「五千円台」に設定しています(『ついに日経新聞も値上げも「ウェブ版据え置き」の意味』参照)。

日経新聞はおそらく、ウェブ戦略に成功を収めつつある数少ないメディアのひとつですが、その日経新聞の値上げは、株式会社日本経済新聞社として、紙媒体のメディアの廃止戦略に舵を切ったようなものといえるかもしれません。

ただ、それ以外のメディアにとっては、値上げは売上に急ブレーキをかけかねない、非常に危険な麻薬のようなものでしょう。どうして朝刊がいつまでも安泰だと思っているのか、疑問です。

休刊予定の大阪日日新聞に掲載された1本のコラム記事

もっとも、さすがに県紙レベル、あるいは地域紙レベルだと、もう持続できなくなりつつあるメディアもチラホラと出現しています。その典型例が、以前の『廃刊ラッシュはいよいよ始まるのか=大阪日日新聞休刊』でも報告した、大阪日日新聞が7月末で休刊となる、とする話題です。

大阪日日新聞といえば、前身の『帝国新聞』が設立された1911年から起算し、2010年で創刊100年を迎えたという「老舗メディア」です(同紙の『会社概要』等参照)。

同紙はもともと夕刊紙でしたが、現在は鳥取市に本社を置く株式会社新日本海新聞社の傘下に入っており、朝刊単独紙として、購読料も「どこよりも安い1部100円、月ぎめ2050円」を謳っていましたが、結局は「社会情勢の変化に伴うかつてない厳しい経営環境に直面」し、休刊という決断に至ったとしています。

これに関連し、ちょっと興味深い記事を発見しました。その大阪日日新聞に掲載された、「新聞社は冬の時代から氷河期へ」、「それでも消えない役割と使命」、などとコラム記事です。

新聞は冬の時代から氷河期へ/それでも消えない役割と使命

―――2023年06月19日付 大阪日日新聞より

コラムを執筆しているのは大学教授の方ですが、記事タイトルの「冬の時代どころか氷河期である」とするくだりは、こんな文章で出てきます。

新聞の総発行部数が1年で200万部以上も減っているということは、大きな新聞が1紙ずつ毎年消えていくようなものだ。冬の時代どころか氷河期である」。

記事によると著者の方は大学でジャーナリズム論を教えており、学生に対し「なぜ新聞を読まないか」を尋ねたところ、そのもっとも大きな理由は「なくても困らない」、「ニュースならスマホで読める」というものだった、などと指摘。

ただ、講義で実際に新聞を読んでもらうと、「なかには興味を持つ学生も現れる」、などとして、次のように述べます。

スマホから流れてくるニュースと異なり新聞は物理的な広さを持っている。紙面に目を向けると記事だけではなく漫画や天気予報、また広告などさまざまな情報が飛び込んでくる。また紙面には複数の見出しが並んでいることで、数多くの記事の概要も判別できる」。

つまり、学生にとってこれは「新鮮な経験」なのだそうで、なかには「自分たちが単なる食わず嫌いだったことを悟る」人もいるのだとか。

新聞は2009年に何をやったのか

このあたり、新聞に「一覧性」があることは否定しません。

ネットだと、スマートフォンにしろPCにしろ、記事を読むためにはいちいちクリックしなければなりませんが、紙の新聞だとクリックしなくても記事は読めますし(当たり前です!)、ページによってはマンガだの、将棋の譜面だの、天気図だの、さまざまな情報が目に飛び込んでくるため、視覚的には面白いと思う人もいるでしょう。

ただ、これらは「紙の新聞が必要である」という本質的な理由にはなっていません。

コラム記事では、新聞などの役割を巡って、こう続きます。

事件や事故、また政治問題といった世の中の出来事を伝えるメディアは必要だ。民主主義社会において国民の知る権利を代行するメディアの役割が消えることはない」。

この点は、まったくその通りでしょう。

日本は自由・民主主義社会ですから、私たち日本国民が選挙権を正しく行使するためには、「正確な情報」が必要です。したがって、こうした「正確な情報」、あるいは少なくとも私たちが選挙権を行使するうえで判断するために十分な情報を伝達する媒体(メディア)が不可欠であることは間違いありません。

ただし、日本の新聞がこれまでその役割を果たしてきたのかどうかは、まったくの別問題です。

大学でジャーナリズム論を教えていらっしゃるお立場であれば、2009年8月に、日本の新聞がなにをやらかしたか、そしてそのことを日本の新聞はどう総括したか(あるいはしていないか)について、「知らない」はずはないでしょう。

当時はまだインターネットが爆発的に普及する直前のことであり、新聞、テレビなどが垂れ流す情報を鵜呑みに信じて投票行動をとった人もかなり多かったはずです。

民主党が小選挙区で得た票は3348万票で、自民党の2730票よりもほんの617万票(つまり23%)多かったに過ぎませんが、小選挙区で獲得した勢力は221議席で、自民党の64議席と比べ、3.45倍という議席を獲得しました。

少なくともこの617万人が、新聞、テレビなどの偏向報道を鵜呑みに信じて民主党候補者に投票し、その結果、3年3ヵ月の「悪夢の民主党政権」で日本がメチャクチャにされたわけですから、新聞(とテレビ)の罪は本当に重いと言わざるを得ません。

また、敢えて実名は挙げませんが、日韓間の「歴史問題」の一部は、大手新聞による事実上の捏造報道が火付け役となるなど、日本の新聞は日本の国益をずいぶんと棄損してきました。新聞がウソを報じるなど、社会に対する背任そのものです。

こうした点に言及せず、やれ新聞の「使命」だ、やれ新聞の「役割」だ、などといわれても、ちょっと困ってしまいます。

ネットに居場所はない

そして、コラムの最後の方では、こんなことも記載されています。

ただし姿形を変えることはある。紙の新聞が消え、ネットに居場所を変えて役割を果たすことはこの先も求められるはずだ」。

…はて?

以前から指摘している通り、経営状態によっぽどの余裕があるものを除けば、「紙の新聞」がこの世からほぼ姿を消すことは間違いありません。早ければ夕刊はあと3~5年で、朝刊は7~10年で、主要紙を中心に廃刊ラッシュが訪れる可能性が濃厚です。

しかし、よっぽどの専門性でもない限り、廃刊した新聞の居場所は、ネットにはありません。事実、同紙の休刊に関する社告『「大阪日日新聞」7月末で休刊のお知らせ』を読む限り、大阪日日新聞自身が「ネットに居場所を変える」という話は出てきません。

いや、もちろん、ネット空間で情報発信をすることは自由ですが、それが「採算ラインに乗るかどうか」はまた別問題であり、採算性のあるビジネスとしてやって行きたいのであれば、それはかなり厳しいであろうことは間違いありません。

いずれにせよ、多くの新聞はただ消滅するのみであり、「ネットに居場所を変え」たりすることはないでしょう。もっとも、2009年の大偏向報道事件を含め、これまで新聞業界がやらかしてきたことを思い出すと、そのことに同情心はまったくわきませんが…。

本文は以上です。

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読者コメント一覧

  1. 匿名 より:

    この大学教授、一体何を教えているのか?大学教授の質が低すぎる。

    さて、新聞のビジネスモデルって?

    1.景品で勧誘
    2.チラシ目的
    3.TV番組欄(必ず見易いように最終面に掲載)

    昔から、これだったと思う。

    1. 匿名 より:

      この3つのビジネスモデルは、ネットに持ち込めないです。

      1. 引きこもり中年 より:

        ネットには、「いいね」という景品、「読者コメントへの賞賛」という景品があるのではないでしょうか。(もちろん、この景品を喜ぶかどうかは別の話です)

  2. めがねのおやじ より:

    大学教授の仰る通り、「一覧性」では新聞に分がありますね。スマホでは単独の記事、出来事、コメントを読んでまた画面を戻す必要が有ります。それに例えば「ニュース」欄でも、ずいぶん以前の出来事が上位に来ている事がある。それも何本も。大手と言われる所にその傾向があります。何かフラッシュバックでもさせたいのか、「早よ削除せいよ!」と思うことがある(笑)。

    しかし大学教授の言う「姿形を変えて、紙の新聞が消え、ネットに居場所を変えて役割を果たすことはこの先も求められるはずだ」ーーは絶対に無いです。まず報道姿勢が新聞記者の方の、凝り固まったジャーナリスト意識では、ドラスティックな改革など不可能です。

    また経営母体が鳥取の県紙(何度か読んだ事はあります)ですが、偏向では無い国民を誤誘導させない方針を担保出来るのでしょうか?今回の廃刊はいずれも無理、と判断されたからだと思います。

    1. 匿名 より:

      >「一覧性」

      これ、小学校の授業じゃないんだから。
      大学教授が、大学の授業で言うことか?と思いますわ。

  3. CRUSH より:

    製造業やってる人間からすると、いまの大手メディア(新聞やテレビ)は、ものつくりの基本のキの字のPDCAサイクルすら回してません。
    回せてません。
    回す気はないようです。

    彼らの取り扱う「情報」は、お金をとって販売してる商品です。
    品質を担保する工夫とたゆまぬ改善が必要です。

    新聞やテレビという業界そのものがダメになったとは早計かと思いますが、品質が低すぎる商品ばかりなのは確かですね。
    (もはや買わない/見ない読まないですから)

  4. 引きこもり中年 より:

    結局のところ、この大阪日日新聞のコラムの結論は、書き手の希望、感情を書いたものではないでしょうか。

  5. はにわファクトリー より:

    生成 AI による人類滅亡リスクを語るより、遠くない日にそうなるであろう「新聞社滅亡」に「備えて」おくほうがよほど現実味があります。

  6. カズ より:

    >冬の時代

    テレビで「テレビ欄」が見られるようになった頃からでしょうか?
    WEBチラシでのクーポン配信が拍車をかけたように思います。

  7. sqsq より:

    新聞を定期購読する理由の一つに、「他人がみな知ってるのに自分だけが知らないのはどうも」というのがあるのでは。
    定期購読する人がこのまま減っていけば、どこかの時点で激減するような気がする。
    もともと特定の情報を得るために読んでいるわけではないので「みんながやめるなら俺も」というのが出てくる。
    そう考えると特定の情報を求めて読む「業界紙」は生き残るだろう。この関係は衰退が激しい百貨店と専門店の関係に似ているかもしれない。

    1. sqsq より:

      私が一般紙を百貨店に例えるのは、「何でもある」というところが似ていると思うからだ。
      株式欄、テレビ欄、連載小説、読者投稿俳句短歌、囲碁将棋、4コマ漫画(まだやってる新聞あったよね)盛りだくさん。幅広い読者を獲得したくてこうなったのだろうけど、株式はネットならライブで値動きがわかり、テレビ番組表はテレビに内蔵されている。
      4コマ漫画なんか見てる人いるの? 新聞の連載小説の熱心な読者は昔から入院患者じゃないかといわれていたが入院期間が短くなった今誰が読んでるのだろう。
      新聞は日本の政治を「変えられない政治」とか揶揄するが自分たちがいちばん変えられない。

  8. 攻撃型原潜#$%&〇X より:

    真偽のほどは分かりませんが軍艦島ドキュメンタリーに関して「NHK幹部が自民党会合で、映像の撮影に使われたフィルムは放送と同じ年の55年製と説明したのだ」とか。
    https://news.yahoo.co.jp/articles/7fe4cbf6bf62dfff19d99ee7ce9a47c27dfcdeba

    もし、本当とすれば旭日旗そっくりの社旗を有する新聞社が捏造した問題に並ぶ日本を毀損する行為です。「日本のマスメディアは事実を伝えるのが苦手」どころではありません。国民から強制的にお金を徴収して他国を利する行為は旧〇〇教会がやっていることと変わりません。NHKの構造改革が求められます。と言うか、テレビの社会的役割は新聞紙同様にwebに実質置き換えられていて、もう不要になったと思います。

    1. はにわファクトリー より:

      >テレビの社会的役割は新聞紙同様にwebに実質置き換えられていて、もう不要

      同意見です。

      先の年末バーゲンセールのとき両目に¥¥マークが灯ってしまい、憧れの 4K モニターと Amazon Fire TV Stick 4K Max を購入しました。仕事で使っている PC に追加し第2ディスプレィにしています。4K ディスプレィには HDMI 入力が削和なっていてそこへ Fire TV Stick を差しました。Fire TV Stick 実に面白い製品です。ちょっとの間あれこれいらって機能を確かめたのですが、これを使っても TV は TV にしかならないと気が付き、今は取り外してしまいました。リビングに大型壁掛け TV を所有していない当方には無用の品だったのです。
      普段から Chrome ブラウザタブをばんばん開いて仮想拡張デスクトップに並べています。一方 4K ディスプレィ、普段は音楽なしの長尺の環境動画を再生させています。景色のきれいな観光地のライブもいいですね。Youtube に間断なく投稿されてくる海外メディアの動画を Chrome タブを剥がして移動させてそこで視聴しています。Youtube が緊急提示して来た重要報道のライブ中継も 4K で視れます。
      今般ディスプレィの価格降下速度は著しく、Fire Stick TV との組み合わせで即座にネット TV 装置化できますし、ディスプレィに複数ある入力端子のどれかにノート PCを接続すれば広大な拡張表示領域を活用できます。「エンゲージメント」という指標は、日々どれだけの時間を費やしているかを量り議論するものですが、一般論として新聞や TV のエンゲージメント度はこの先下がって、遠くない将来に底が抜けてしまうのは間違いなさそうです。

      1. 攻撃型原潜#$%〇X より:

        縦横にネットを使い倒しておられますね。私も4Kモニター欲しいです (\_\)/

      2. はにわファクトリー より:

        攻撃型原潜#$%〇X さま

        4K ディスプレィ買ってしばらく後悔していました。細か過ぎて 1.5 倍 2 倍表示を選択するほかなく、それだったら 1080p ディスプレイや 1440p ディスプレィを買ったのも同然だからです。でも Youtube に転がっている 4K 動画を再生して(うひょー)意見が180°変わりました。
        決して安くはないネット通信料金、もっと有効に使えるはずという疑問と熱意を感じて当然です。そして新聞代や NHK の支払いが不当に高価と思いが至って、みんな順番に止めていく。

  9. ゆらり より:

    未だに新聞とったり、NHK受信料払っている方々、いい加減目覚めなさい!といいたいですね。

    1. 匿名 より:

      N党が、日和って、ぶっ壊してくれないものだから。公約違反もいい加減にしてよ、と。
      日和の果てが、当名変えちゃった。

  10. 日本のメディアは新聞を代表に利権の塊だと思います。
    発足時は国有地の払い下げを享受しており、現在の新聞社の本業は不動産屋です。土地利権
    世界では禁止され散るクロスオーナーシップ(新聞とテレビが同じ経営者であることを禁止)制度を今も続けている。電波利権。
    新聞の軽減税率。税金利権、
    記者クラブから記事をもらい、フリー記者を排除するバカ記者達。官庁利権。
    記者たちは自分で取材したり考えたりできない人たちばかりなので、各記事はもらった記事しかない。基本的考え方は60年前から変わらず、左翼思想を信条としている。偏向記者。
    まあどうしようもないのが、日本のマスゴミですね。

    1. はにわファクトリー より:

      報道後進国の問題は産業構造もさることながら本質的には「中のひとたち」の資質と能力です。

    2. 匿名 より:

      ブログサイト拝見しました。写真、綺麗ですね。毎日、良くこれだけの写真を精力的に撮れるものだとその根気に敬服いたしました。
      自分が思うのですが、写真撮影に於いて、空間の中にテーマを見出し、空間の中からそれを切り出す機会に巡り合えることは、なかなかありません。
      そんな目で、空間を見ていきたいと、改めて思いました。

  11. 匿名 より:

    今回の値上げで日経の購読を止めました。
    購読中止の最大の理由は朝日新聞販売店が日経の配達をやっており、日経購読が朝日新聞を支えている構造に嫌気がさしたためです。
    日経の購読中止で同時にとっていた電子版も止めました。代わりにテレ東のモーニングサテライトを録画して見ることにしました。これで差し支えなければ永遠に新聞とはさらばです。
    何十年も前に朝日新聞をとっている時もありました。スマホが普及する前はそうじゃないと株価だってまともにチェックできなかったし、テレビ番組もわからなかった。
    電波の原始時代はバカなことが多かったと今では思えます。

  12. 世相マンボウ^ より:

    悠遠の宇宙から書き始めて頂いてのスケール感の中では、
    人類の歩みの中での紙媒体新聞の隆盛から消滅などは
    まさに取るに足らないつかの間の出来事だと
    感じとることができます

    ただ、当事者 特に紙媒体に蔓延って繁殖した
    左翼方面にとっては、紙媒体がなくなることで
    そこに棲息していたカビのような種族保存の
    生き残りをかけた戦いのようで
    滑稽に観賞価値もあるとさえ感じます。
    紙ではないネット媒体にと出資して
    ハフポストバズフィードなどで
    繁殖を続けようとしましたが所詮カビはカビ、
    イーロン・マスクさんに叩き出された
    どぶサヨキュレーションチームの工作がなくなったら
    みるみる見なくなりました。
    昔は、
    「新聞も読まないようでは世の中の流れはわからんぞ」
    と言われたものですが、それを今の時代に若い人に言ってしまうと
    「新聞だけ読んでいては世の中のホントの流れは
     わからないでしょ。おじいちゃん」と諭されて
    思わず入れ歯を落とす時代なのです。

    ただ、そうは言っても、私は
    オールドファッションな紙媒体の新聞(?)も
    正しいメディアのあり方であったなら
    その存在価値は今でもあると思っています。
    たとえば、子どもたちに科学への興味を拓くため
    ロケットや工業技術の記事などは、
    むしろネットで多くの情報が流れ消えていく中で
    しっかり解説する役割などは期待するものです。
    それも申し訳程度に載ってはいるのですが
    それ以上の分量と強烈さで
    「それを世間では失敗といいまあす」画策の
    沈めさ意地のような心根の記事で溢れています
    まあ、
    民主党政権下での仕分けごっこ劇場のように
    スパコン、はやぶさなどの世界の先端を行く
    有望な日本の科学技術の予算を奇計で減らし
    リストラされた技術者ゲットにこぎつければ
    よしみを通じる隣国の期待を担ってのコラボ・・
    と同じ心根が蔓延っているからかと見受けられます。

    そもそも、
    ネットに一日遅れなのに未だに
    朝日”新聞”などと名乗っているとは
    名に偽りありであり
    「朝日旧聞社」と社名変更が適切です。

  13. almanos より:

    新聞は歴史を辿ると「壁新聞」ですからねぇ。欧州あたりでカフェにたむろっていた連中が政治的な主張を紙に書いて貼ったのが起源だと聞いています。ただ、日本の新聞はどちらかというと「かわら版」が起源かも。真偽はどうでもいいから売れるネタをという「カストリ紙」的な方で。そういう意味合いでは「訃報」とチラシ以外の存在意義はとっくに無いでしょう。チラシもスマートフォンのアプリで出ていますし。訃報もネットでなんとかなるし…。
     それに、専門性がない記者が多すぎるから。日経で経済の基本を解っていない記者が記事を書いているという惨状で生き残れると思うほうがおかしい。

    1. はにわファクトリー より:

      >日経で経済の基本を解っていない記者が記事を書いているという惨状

      不勉強・取材不徹底を棚に上げて、日本は遅れている・後進国だと繰り返せばそれで経済新聞を名乗れるですからチープなお商売です。

      1. almanos より:

        >不勉強・取材不徹底を棚に上げて、日本は遅れている・後進国だと繰り返せばそれで経済新聞を名乗れるですからチープなお商売です。
        正にその通りなのですよね。これに「記者」と「経営側」が分離していない事。ローテーションで移動するから、専門性持つより企業内のキャリアの方に目がいって専門性を持つ必要がないってのも有る。海外ではナベツネさんが社長になんてありえない。彼は経営畑にいなかったから。経営判断が出来たらとっくにマスゴミ各社は現場のパヨクを切り捨てて生き残る為の方針転換ができた。海外の報道機関も大概ですが日本みたいに8割以上が極左系の巣窟化はしていないのはまだ、経営に現場に救った活動家達が口を出す余地がないからです。

  14. サムライアベンジャー より:

    白黒と言えど、印刷ってすごく手間がかかるnですよね。一発で印刷が上手くいく訳でも無く、見本を見ながら印刷を何度も調整します。
    「紙」への信仰が強く、IT後進国気味の日本ではしぶとく生き残っていますが、紙媒体が消えるのは時間の問題かと思います。

    国民をミスリードする事に関しては 、国民がもっと賢くならないといけないですね。
    ネットで意見を直接言えるような便利なアプリや機器があっても、それをどう使うかは最終的に人間次第です。

  15. 伊江太 より:

    >ネットに居場所はない

    『男女平等日本125位』

    このほどスイスに本拠置く「世界経済フォーラム」なる団体が、独自の算定法により導き出したジェンダーギャップ指数とやらを振りかざして、世界146カ国の男女平等の順位付けをおこなったら、その結果、今年度の日本の順位が過去最低の125位だ、などと決めつけたそうなんですが、今日の朝日新聞は(多分ドヤ顔で)、なんと記事スペースの、1面では1/9、2面では全面を使って、この由をとくとくと報じています。

    日本の女性が、世界の最下位近辺で、不平等にあえいでるなんて、この国の実情を知悉していて然るべき「クオリティペーパー」たる朝日新聞が、そういう認識を真顔で記事にするなど、おおよそ恥とすべきでしょう。

    繁華街のショッピング、温泉や観光地巡りの旅行、観劇コンサート、登山にスポーツジム、コーラスその他の各種文化活動、どれを取っても、どこへ行っても、生き生きと日常をエンジョイしている女性たちで、この日本は満ちあふれています。男のわたしが言うべきことではないかも知れませんが、彼女たちは表社会で抑圧されている鬱憤晴らしに、日陰で羽目を外しているわけでは、決してないでしょう。要するに人生の価値の置き方が、欧米のポリコレ的尺度とはまるで違うというだけのことなんだと思います。

    ウーマンリブに始まり、ジェンダー差別の廃絶、さらに進んで、ジェンダーレス社会、LGBT万歳等々、常に社会構造を反目する集団間の対立軸で捉え、差別解消を唱えながら、逆に対立を煽るだけの状態に陥る。こんな思考法に社会をより良い方向に導く力などありはしないでしょう。

    カビの生えた「社会主義インター」風の社会認識の枠組みから一歩も逃れ得ない、朝日を初めとする日本の大新聞では。サイト主さんに『ネットに居場所はない』の烙印を押されたとしても、まあ致し方ないかもですね。

    1. はにわファクトリー より:

      >社会構造を反目する集団間の対立軸で捉え、差別解消を唱えながら、逆に対立を煽る

      「分断」と「格差」はチープ・ジャーナリズムの王道です。
      これら単語を報道後進国という舞台で使って見せると、「中の人たち」は大いに機嫌を損ねることでしょう。

      1. マンボウ茶屋 (世相マンボウ 屋号) より:

        まあ、古今東西どの国においても
        歴史上人々が平和を願う一方で
        社会の破壊と政府転覆に
        「分断」を画策したい人はいたものです。

        ただ、今の日本の、
        高齢層のうち情弱鬱憤層と
        マスコミという少数の人達で
        分断を演出するのは無理がありすぎます。

        ま、日本でも
        平和とされた江戸時代においても
        同じぐらいの少数の山賊さんはいたものですが、
        その彼らも
        「江戸時代は、江戸幕府と山賊で分断されていた」
        などと厚かましい物言いはしなかっただろうになあ
        と感じます。

      2. はにわファクトリー より:

        読者離れが進み新聞の売り上げが減少すると社会の分断が進み格差が拡大する。よって読者離れはあってはならず、売り上げは維持されるべきであり、新聞社の安定経営が世のためひとのために必要だ。
        社説なり記事なりにこう書いてあったとします。この文章は何も言ってません。そしてこれが典型的な「ジャーナリズムしぐさ」「新聞記者論法」です。なぜ読者離れが起き売り上げが減少して新聞社経営が脅かされているのか、ことの本質に一歩も踏み込まずに、あるべき論の、いわば、空中戦をやっているだけだからです。いかに新聞記者という職業はイ・ロジカル(話にならない)かよく分かるというものではありませんか。

    2. 匿名 より:

      別の見方・言い方を考えてみます。

      >>「世界経済フォーラム」なる団体が、独自の算定法により導き出した

      この「独自の算定法」というのが、日本の「規準」とは全く異なる「世界の基準」なのです。
      改めて申すまでもなく、基準と規準が違えば、評価の結果は、全く異なり、正反対になることもありますよね。

      常々、思っていたのですが、やはり、日本は特殊な国だということです。

      「奥様」という言葉がある国は、日本以外にどこかあるのでしょうか?

      「奥様」とは、家の中にいる、「外に働きに行かない妻」、さらに言えば、「外に働きに行く『必要』のない妻」と、日本では思われています。

      所で、世界で妻が外で働く必要のないことを前提としている社会である国は、どれだけあるでしょうか?
      中韓を初めアジアでは、女性・妻は、外で良く働きます。女性・妻が外で働き家計を支えることは当然とされている社会です。
      良く、日本の女性は淑やかで控えめだが、中韓やアジアの女性は強いと言われます。

      そして、その理由は、それらの国や地域では、女性・妻が外で働き家計を助けているから当然そうなるのだと言われています。

      その他の、欧米でも、貴族階級を除けば、女性・妻は、外で働いて家計を支えているようです。

      日本以外の国の家庭料理が、日本と比べてシンプルなのは、妻が外で働いているからで、日本は、奥様が家に居て、家族の料理を作ることに専念しているからとも言えるような気がします。

      そこで、始めの算定規準に戻りますと、女性の就業率や社会進出度や、各種団体での要職数など、という、社会基準で見れば、女性は外で働く必要が無い、ということが前提で社会制度が仕組み付けられている日本は、評価点数が低くなるのは当然と言えます。

      「男女平等」ということについて、女性が外で働く・外で役職的なものを務めて神経を擦り減らす、という基準であれば、歴史的な経緯から、日本が低評価になるのは、当然でしょう。

      ですから、新聞が『男女平等日本125位』ということを、分析するならば、上記のような観点からの考察があっても良いだろうと、思うのですが、勉強が嫌いな日本の記者には、絶対に出て来な「視点・観点」でしょうね、と諦めと暗澹が心の中に生まれて来るのは、これに限ったことではありませんね。

      1. G より:

        上記のHNは、Gです。書き忘れていました。

        上記に加えます。

        一般的?に、サラリーマン家庭では、夫が一生懸命外で働きつつも、家庭の財布は妻が握り、夫の月の小遣いは5万円とか、と言われており、小遣いの値上げも中々してもらえないという中で、文句も言わず夫は働き続けております。
        そして、妻は、不要の範囲内とかの軽めの仕事をしつつも、友人やママ友などとランチ等をしております。

        こんな国、日本以外にあるでしょうか?

        こんなことを評価する規準は、どのように設定したらいいでしょうか?

        是非、インテリを自認されている新聞記者の皆さんには、考え出して頂きたいものです。

        1. G より:

          上記の中で、
          不要 ⇒ 扶養、です。

  16. 迷王星 より:

    いつも興味深い話題を読ませて頂き有難うございます.

    >宇宙空間で40億年は「ごく近い将来」なのだそうです。

    宇宙において40億年という時間スケールが「ごく近い」という記述がどこで御覧になられたのかは存じませんが,流石にその記述は大袈裟というか一種のハッタリだと思います.

    というのは現時点で宇宙に関する最もオーソドックスと認識されている量子力学的な効果によってビッグバンが起こり宇宙が無から誕生し指数関数的に宇宙が膨張したというインフレーション宇宙論に基づいて人工衛星プランクの観測結果を解釈して得られた宇宙の年齢(ビッグバンが起こってから現在までの時間)は137.0 (± 0.2) 億年と見積もられており,40憶年という時間スケールはほぼその3分の1にもなるからです.

    更に言えば,近年の観測によって宇宙の膨張は加速していると考えられていますが,宇宙の膨張が従来までの調子で際限なく加速して行くと,いずれ宇宙には銀河や星はおろか原子や原子核どころか陽子や中性子など内部構造を持つあらゆる物は存在し得なくなり,宇宙のサイズは無限大に向かって発散し宇宙には何もなくなって終わる(ビッグリップ)という説が有力度を増しつつありますが,このビッグリップによる宇宙の終焉までに残された時間は,220億年と「ごく近い将来」呼ばわりされた40億年の6倍に満たない僅かな時間です.

    言い換えれば,40億年の未来が「ごく近い将来」という時間スケールで考えるならば,それの10倍にも満たない358億年(ビッグバンによる誕生から現在までの時間138億年と現在からビッグリップによる終焉までの時間220億年の合計)しか存在できないこの宇宙は,ごく近いとされる40億年と比べても1桁も違わないという意味で,とても短命な「うたかたのような」存在に過ぎないことになります.

    なので,40億年の未来が「ごく近い将来」と考える立場では,宇宙に関するあらゆる時間はごく短い時間に過ぎず宇宙に関して「長い時間」と呼べる時間など存在しないナンセンスで終わることになります.

    1. 匿名 より:

      迷王星様

      面白い話をありがとうございます。
      量子力学とは確率であり量子は確率的に存在するのですから、確率論から考えれば宇宙はビッグリップで終わることになるでしょう。この確率で成り立っている「宇宙と言われる体系」ではそうなるはずです。確率が存在の第一原理なのですから。

      しかしながら、いつも不思議に思うことは、何故、ビッグバンなるものが起こったのかということについて誰も考えず、言わないことです。

      つまり、宇宙の背後にあるもの、つまり、今我々が宇宙と言っているものを創ったのは誰か、について言及する科学者は未だいないようです。

      誰も言わないものだから、キリスト教でもそれはやはり拙いと考えたのか、聖書では、神が「我在り」と宣言したのが、宇宙の始まり、(つまり、ビッグバン?)とうことにしているようです。
      つまり、「神が宇宙なのではなく、神は宇宙を創った」ということで、神とは宇宙を超えたものであるということにしているようです。

      これは、例えば、「子供という神」が、今日は何を作って遊ぼうかな、と砂場で考えて、今日は、こんなものを造ろうと思い付いて、砂で、山を作ったり山の周りに湖を作ったり、その畔に城を作ったり、湖にクルーザーを浮かべてみたり、という具合に遊んでいるようなものかもしれません。その遊ぶ材料の「砂が量子」で、その今日偶々創ったものが「宇宙」なのかもしれません。

      そういう風に考えれば、ビッグバンからビッグリップまでの358億年も、永遠なる神から見れば、どうでも良い時間なのです。そもそも、神には、「時間も自分の遊びを表現する一つの手段」に過ぎないのですから。

      ですから、正しくは、40億年は、長短という概念で表現する必要も無いことなのです、神から見れば。

      神とは、宗教の概念というよりも、宇宙を超えたものを仮定するときの「概念」です。
      と、遊びで考えております。遊びで考えるとは、私も神?なのか?

      1. 匿名 より:

        済みません。上記返信は、G、です。

      2. G より:

        もう一つ付け加えるのを忘れておりました。

        神が、「砂で、山を作ったり山の周りに湖を作ったり、その畔に城を作ったり、湖にクルーザーを浮かべてみたり、という具合」に創った宇宙は、358億年というタイマー付きですが、それが無くなったら、又、神は、新しい宇宙?を創るでしょうし、或いは、今もどこか別の所で、別の宇宙を創って遊んでいるかもしれません。

        その場合の、遊びの道具や手段やルールは、「量子や時間や確率」ではないかもしれません。

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