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【読者投稿】「武漢肺炎」、警戒を緩めるにはまだ早い

武漢肺炎(新型コロナウィルス感染症)を巡り、これまで当ウェブサイトに優れた「読者投稿」を寄せてくださってきた「伊江太」様という読者の方から、「死亡者の数が、考えていたよりはるかに大きな値になっている」との警告が届きました。この5月以降、「第5類」に分類された武漢肺炎。しかし伊江太様は「警戒を緩めるにはまだ早いのではないか」と指摘します。

読者投稿の募集につきまして

当ウェブサイトでは、「客観的事実と主観的意見を分ける」、「自身の意見には自分が正しいと判断するだけの根拠を付記する」、といった態度であれば、べつにマスコミ業界の人でなくても、誰でも論考を気軽に執筆し、世に問うことができると考えています。

こうしたなか、『読者投稿の募集と過去の読者投稿一覧』でもお知らせしている通り、当ウェブサイトでは読者投稿を受け付けております。これは、読者コメント欄だけでなく、当ウェブサイトの本文でもオピニオンや論考を発表する機会を、当ウェブサイトの読者の皆さまにも共有していただくための試みです。

こうしたなか、過去に当ウェブサイトに優れた投稿の数々を寄せてくださっている「伊江太」様というコメント主の方から、武漢肺炎に関する22本目の読者投稿をいただきました。

武漢肺炎以外のテーマを含めれば23本目であり、これらのリンクについては本稿末尾にまとめております。

本日の玉稿につき、さっそく読んでみましょう。

武漢肺炎の蔓延を抑制してきた日本社会の力

武漢肺炎という、かつてわれわれが目にしたことがなかった、その出所からして怪しげな、禍々しい疾患が世界を覆って3年以上が経過しました。鳴り物入りで登場したコロナワクチンも、終息への決定打との期待は外れ、疾患は相変わらず世界に居座り続けています。

武漢肺炎に関するわたしの考えを【読者投稿】の場に最初に掲載いただいた3年前、欧米諸国は軒並み極度の移動制限などの措置を含む都市ロックダウンに追い込まれていた一方、日本の感染抑制対策はおおむね個人レベルの注意喚起に止まるごく緩やかなものでした。

それが許されるほどに、彼我の流行規模の差は、「月とスッポン」と形容しても過言でないほどのものでした。

このあからさまな違いは、当然のことながら、世界の耳目を集めましたが、日本社会がもっている感染症抑制の実力へのまともな知識もないままに、一時盛んに撒き散らかされた欧米の識者、研究者の言説は、一言で言うなら噴飯物とわたしは感じていました。

当初、日本に検査態勢が整備途上であることを言い立て、まともに流行実態を掴んでいないとしていたのが、駐日外交官やジャーナリストの報告などで、そうではないと分かれば、BCGの使用株がどうの、類似弱毒ウイルスの事前流行がどうのと、よく考えれば説明になりそうもない珍説が、次々に現われました。

不思議だったのは、武漢肺炎への対応がうまく機能していたに違いないこの日本で、有効にはたらいているはずの要因を探り、より強化しようというポジティブな議論がほとんど見られず、海外論調の尻馬に乗って、

「実態はこんなものではない」

と言い立ててみたり、データを丹念に追っていれば、そんなこと起こるはずないじゃないかと言いたくなるような誇大な流行拡大予測を打ち出して、

「今すぐ強力なロックダウン措置を講じなければ、医療崩壊は不可避」

などと危機感を煽ってみたりの、ネガティブな議論ばかりが幅をきかせたことです。

それをまた、センセーション報道命のマスコミがさんざんに喧伝する。

「ちゃんとデータを見てモノを言えよ」。

そんな思いが、わたしが最初の投稿をした動機でした、以来、【読者投稿】欄に何と21報もの掲載をいただいたのですが、「日本社会には武漢肺炎ウイルスが海外から侵入し、流行を起こしても、制御不能に陥る遥か以前の段階で、自律的に流行を収束させる力がある」という、当初から一貫して述べてきた主張に根本的な誤りはなかったと自負しています。

図表1は、欧米諸国にオセアニア2国と日本を加えて、武漢肺炎の流行が始まって以来現在までに、各国でどれだけの人がこの疾患で命を落としてきたかを経時的に示したものです。

図表1 世界各国の累積死亡数(人口百万人当たり)の推移

(【出所】『Our World in Data |Coronavirus (COVID-19) Deaths』のチャート出力機能を用いて作成)

各国の人口サイズの違いを考慮して、死亡数は百万人当たりとしています。

大陸国家である欧米諸国に比べて、日本、オーストラリア、ニュージーランドの死者数の増加ペースが顕著に低いのは、海に隔てられウイルスの侵入を水際で防げる利点が大きいと言いたくなるところですが、よく考えるとこの説明はおかしい。

どの国でもそうですが、感染の圧倒的大部分は国内流行によるものであって、旅行者からうつされたものではないはずです。欧米諸国で2020年から21年前半に起きた爆発的感染拡大は、国境がほぼ閉ざされた状況で起きているのです。

図表1の国別パターンを見ていると、米加、独仏、仏伊、スウェーデン-フィンランドのような国境を接する国の感染拡大の遅速に明らかな違いがあり、その関係がどこかの時点で逆転することもなく経過してきたのに気付きます。

集団免疫の獲得が流行終息の早道という信念の下に、初めのうち敢えてロックダウンという手段を採らなかったスウェーデンを別にすれば、国ごとの感染抑制対策の優劣がこの差を生んだという可能性は考えづらいように思います。

また、地理的、気候的要因なども大きく影響したようにも思えない。それぞれの国に固有の国民性、社会の成り立ちといったものが、結局本質的な要因ではないかとわたしは思うのです。

人から人へと伝播することで拡がる疾患ですから、武漢肺炎流行の拡大が人口密度によって左右されるのは間違いないでしょう。実際、欧米諸国で流行が始まった当時、爆発的な感染拡大はまず大都市で起きています。

オーストラリア、ニュージーランドの緩慢な感染拡大には、その低い人口密度が関係しているとみることができそうです。

しかし、そうだとすると、ニュージーランドよりやや広いに過ぎない国土に20倍もの人間が暮らすこの日本で、武漢肺炎がほとんど同じ速度でしか拡がって来なかった理由は一体何なのか?

自国贔屓(ひいき)の誹(そし)りを恐れずに言えば、日本人という民族、あるいはその営みの場である日本社会は、少なくとも国際標準の観点からすると、武漢肺炎というこれまでに経験したことがない感染症に対してさえ、異様なまでの強靱さをもっているのだといえると思うのです。

日本で感染症に強い社会が実現したのは、そんなに昔の話じゃない

日本人、あるいは日本の社会が感染症に強い耐性を示し始めたのは、比較的近年のことです。

図表2は、人口動態調査が行われ始めた明治末年以降、日本人の平均寿命がどのように伸びてきたのかを示したものです。

図表2 日本人の平均寿命の推移

(【出所】『厚生労働省 第23回生命表(完全生命表)の概況』をもとに投稿者作成)

これによると1920年頃まで平均寿命の延びはほとんど見られず、むしろ下がり気味でさえあったことがわかります。当時の日本人の寿命は江戸時代とたいして変わっていなかったと言われます。

その後の緩やかな延長は明治政府が力を入れた産婆(助産師)養成教育の成果で、新生児、乳児の死亡が顕著に減少していったことが主な原因ですが、それでも太平洋戦争前、男女合わせての日本人の平均寿命が50歳を超えることは遂にありませんでした。

当時でも70~80歳まで生きる人がそれほど希だったわけではありません。それでも平均寿命がこれほど短かったのは、若年のうちに感染症で命を落とすケースが余りに多かったせいです。

図表3に見るように、結核,肺炎,胃腸炎の3つの感染症を合わせただけで、死因の過半数にもなる時代が長く続いたのです。

図表3 日本人の死因の歴史的変遷

(【出所】『政府統計の総合窓口e-Stat』所蔵のデータに基づいてグラフを作成。統計名:人口動態調査 人口動態統計 確定数 死亡|表番号:5-12|表題:死因別にみた性・年次別死亡数及び死亡率)

こうした感染症の急減が大戦後の平均寿命の著しい伸びに照応しているのは明らかでしょう。

米穀通帳なしには米が手に入らない、空襲でむき出しになった鉄骨だけが残る工場跡、そんな中で育ったわたし達の世代は、はしかが幼児にとって相変わらず恐ろしい疾患であり、夏になれば赤痢や日本脳炎などの致死率の高い感染症が流行し、冬には乳幼児の命取りになりかねない下痢症が流行る――。

そんな時代があったことを覚えています。

今にして思えば、いかに急速にこれらの疾患が日本から姿を消していったことか!

終戦直後、欧米諸国と10歳以上差があった日本人の平均寿命は、1970年代後半にこれに追いつくと一気に抜き去り、以後常に世界でトップの座を保っています。

栄養状況の著しい改善、抗生剤、ワクチンの供用、現代的医療の普及と国民皆保険制度の確立など、これを支えた要因はいくつも挙げることができるでしょうが、多くはほとんどの先進国に共通するものです。

わたしはこの戦後日本の平均寿命の伸長には、背後に更にこの国ならではの動因が一貫してはたらいているのではないかと考えます。

先日WBCの取材のために来日した米国人記者が、日本の公共トイレ事情のすばらしさを礼賛した上で、「地獄の」母国に帰らなければならないと、少々大袈裟な嘆きをSNSに投稿したという記事を目にしました。

常に清掃が行き届き、誰が触ったとも知れぬ蛇口に手をかける必要もなく、自動で清潔な水で出てくる。こうした状況が都鄙を問わず急速に全国に拡がりつつあります。ゴミの散乱を目にすることのない清潔な町並み。都会なら今ではちょっとした店舗でさえ、ノブに触れることなく出入りができる自動ドアを備えているのが普通です。

流れの中に身を置く我々には明確に意識されることなく続いている社会の変化が、今ではどういう地点にまで到達しているのか、外国人訪問者の目を通すことで改めて知ることになったということでしょうか。

わたしは、図表1~図表3に示された過去が意味するのは、次のようなことではないかと考えています。

敗戦後、上意下達式の強権的社会の軛を逃れた日本国民が、個々人の思いはまちまちに見えて、総体として選んだ道、そのベクトルは明確に「安心、快適を実感できる清浄な社会」を実現することであったということです。

社会のシステム、環境がその思いを相当程度にまでみたした時点で武漢肺炎が襲ってきたのは、幸いだったと言えるでしょう。

「穢れ」の最たるものである疫病に対して、日本人がこぞってマスク着用でこれを遠ざけようとし、不特定多数の人が出入りする建物には消毒液のスプレーを備え、また人びとは積極的に手指の消毒をおこなう。

行政的強制などなくとも我々がそう行動したのは、ごく自然な対応ではなかったかと思います。

こうした社会的、行動学的な要因を数量的に評価するのはまず無理でしょうから、日本において武漢肺炎流行の規模が小さい理由の「科学的」説明を、そこに求めるのは難しいのは確かです。

しかし、それらを無視して、科学的な装いを凝らさんがために、日本人という人種の遺伝学的差異だの、免疫学的な特性だのといった、物質的な証拠を得ようなどと試みても、多分徒労に終わるだけだろうとわたしは思っています。

ここまでお読みくださったのなら、今後武漢肺炎ウイルスがどのように変異していこうが、日本に関しては大丈夫と、わたしが言いたがっているように受け取られるかも知れません。

長くなってしまいましたが、実はここまでは話の枕、この稿で提示しようと思っているのは、その日本の対処力をもってしても、ウイルスはさらに上を行く狡猾な貌を見せ始めているんじゃないか、そんな危惧を抱いているということです。

ウイルスに思考、判断能力などないと言うなら、我々がすでに把握したと思い込んでいるこのウイルスへの認識はナイーブに過ぎる。そう表現を変えてもいいかも知れません。

とうとう日本でも露わになってきた超過死亡の増大

図表4は、前稿(2023/02/27付『【読者投稿】オミクロン株の病原性は低下しているのか』)でも提示したグラフに、速報値ながら最近公表された2022年の死亡数を加えたものです。

図表4 日本の近年の死亡数

(【出所】『政府統計の総合窓口e-Stat』所蔵のデータに基づいてグラフを作成。統計名:人口動態調査 人口動態統計 確定数(2022年のみ速報) 死亡 年次)

人口の高齢化を受け、近年日本の死亡数は36年で値が2倍に増加する指数関数に沿う形で、最近だと1年に3万人弱増えるペースで推移しています。

計5波の武漢肺炎の流行を経験した2020年・21年の両年でもこれを変化させるほどの死亡の増加は生じなかったのですが、2022年には、なんと前年に比べ14万人も多くの人が亡くなっています。自然増の3万人に武漢肺炎による年間死亡数3万9千人を加えても、この数とは大きな開きがあります。

東日本大震災をも上回るような大災害があったわけではなし。団塊の世代が後期高齢者入りし始めたことで、自然増のペースが急に上がったというのも不自然です。

図表5は、最近数年の月ごとの死亡発生数を見たものです。

図表5 武漢肺炎流行によって生じた死亡数の季節変動の変化

(【出所】『政府統計の総合窓口e-Stat』統計名:人口動態調査 人口動態統計 月報(概数、2022・23年分は速報値)月次)

武漢肺炎発生前の2015~2019年の平均と比較して、2020年、21年の両年の死亡数は、おおむね以前5年間のパターンに自然増の分だけ上方に移動したと言っていい形になっています。

これが2022年に入ると、単に数が大きく増えたと言うだけでなく、月ごとの増減のパターンも顕著に変化しています。

武漢肺炎流行前の季節的変動がそのまま持続したならば現われたであろう期待値(赤点線)と、実際の死亡数(赤太線)の乖離は特定の月に大きくなっており、それはまさに武漢肺炎の流行(第6~8波)の時期に照応しています。

そしてその乖離幅は、公的報告で武漢肺炎死とされている数を差し引いても、なお数千~1万/月の数が残る。つまり、厚労省が集計し、発表している武漢肺炎死の数を、大きく上回る死亡が流行時に発生しているのです。そして、後の流行になるほど、その差が大きくなっていく傾向が見られます。

まるで別物に変身したかに見える武漢肺炎ウイルス

この多数の死亡発生の理由は何か。その手がかりとなるかも知れない、武漢肺炎の病徴に現われた突然の変化を示したのが図表6です。

図表6 入院症例に占める重症者、および死亡の比率

(【出所】入院数は『厚生労働省 療養状況等及び入院患者受入病床数等に関する調査について』、重症者数と死亡数は『厚生労働省 新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の発生状況等について』(現在は停止)より取得。重症、及び死亡の対入院比率は、入院日の11日後、18日後に、それぞれ重症化と死亡が起きるとして、算出している)

日々発生する入院を要する病状に陥った武漢肺炎の感染者のなかで、どれほどの割合が重症化に陥り、更には死への転帰をたどっているのか。

その推定方法は以前に書いておりますので省略します(2022/05/18付『【読者投稿】流行開始時点で「感染拡大を抑える要因」』参照)。

2022年初頭に始まったオミクロン株による流行第6波が収束に向かい出す頃、それまでの流行では数%~10%の範囲を上下していた入院者に占める重症患者の割合が急減し、以後2%以下の状態を保って推移しています。

一方で死亡数/入院者数比は、従来の流行時と変わらないか、むしろ上昇傾向にあるようにさえ見えます。

ここでいう重症患者とは人工呼吸器を必要とするほどの呼吸不全を呈している人を指します。

武漢肺炎に関する報告で「重症者」に含まれることなく死亡した人でも、実際は。心疾患、脳血管障害、腎不全、糖尿病の悪化など、呼吸器以外の病状で重篤化した後に、亡くなっているのが大半でしょう。

もはや「肺炎」ウイルスとよぶのが不適当なまでに変貌を遂げ、なおかつ未だ危険な存在であり続けているとするなら、流行期の非「武漢肺炎死」の増加も、それで説明できるかも知れません。

厚労省の統計によると2017~2021年の5年間に報告された場所別死亡数は、病院70%、診療所2%、自宅15%、老人ホーム9%などとなっています(厚生労働省人口動態調査 人口動態統計 確定数 死亡上巻 5-5 死亡の場所別にみた年次別死亡数・百分率)。

入院時には院内感染を防ぐため、患者の病状如何に関わらず、武漢肺炎の検査が行われるようですから、見落とされる恐れは少ないでしょうが、病院以外での死が3割近くあるというデータを援用するなら、生前明らかな肺炎症状を呈していないケースでは、実は死亡時に感染があっても気付かれない方がむしろ普通でしょう。

武漢肺炎発生の当初より、各種基礎疾患を有する高齢者の死亡率が著しく高いことは言われてきました。ただ、図表5に現われた流行時の超過死亡を、持病の悪化で死期が迫っている人にウイルスが最後の一押しをした結果と解釈するのは、その数の多さからして無理があるように思えます。

取り立てて持病がない、あるいは一病息災で過ごしていた高齢者が、急に「肺炎以外の症状で」体調を崩し、そのまま急逝していることが多いのではないか。

そうしたケースであれば、むしろウイルス感染を主、持病を従とすべきでしょう。

状況は欧米の方がもっと深刻?

ひどい呼吸器症状を伴わないウイルスが蔓延するという現象は、ひょっとすると日本より欧米諸国で進んでいるのかも知れません。

図表7は、2021年以降半年区切りでまとめた、感染者(検査陽性判定者)数と死亡者数を、日本に加えて欧米、オセアニア諸国についてそれぞれ求め、算出される死亡率をグラフにしたものです。

図表7 世界各国に見られる武漢肺炎死亡率の変動

(【出所】各国の感染者数、及び死者数は『Our World in Data |Coronavirus Country Profiles』より取得。それぞれ半年分ずつの数値を合計し、死亡率を百分率で表示している。2023年前半分については、年初から現時点までに公表されたデータの合計となっている)

2021年の前半から後半にかけて、死亡率が著減したのは、どの国でもこの間にワクチン接種が普及したせいでしょう。オーストラリア、NZではこの期間ほとんど流行は起きていなかったのですが、それでも時間的には日本にやや遅れたものの、ほぼ同じペースでワクチン完了率が上昇しています。

日本に先駆けて精力的にワクチン接種を進めた米国で、思ったほど死亡率が低下しないという話題は、以前に採り上げたことがあるのですが、多分ワクチンの性能というより、投与方法の問題だと思っています。

この1%を下回る低死亡率は現在でも多くの国で続いていますが、昨年後半から、スウェーデン、英国、スペインといった国々で明らかな上昇が始まったようです。この傾向は、今年に入って、これらの国々で一層強まり、さらに他の多くの国でも死亡率の上昇が徐々に出始めたかに見えます。

これは死亡数の増加によって起こった現象ではありません。死亡数そのものは、どちらかと言えば減少気味です。感染者数(検査陽性判定数)が、さらに輪を掛けて減少したことによります。

国によって死亡率にこれほど大きな差が出る理由を、流行するウイルスの病原性の違いに求めるのは、どうも不自然に思えます。

日本以外の国々の実際の状況については、わたしの知るところではありませんが、前節の議論を踏まえるなら、武漢肺炎の感染が見えにくくなる「ステルス化」が世界各国で進行しており、日本よりも欧米諸国でより顕著であるとするのが。説明としては容易ではないかと思うのです。

感染者15人にひとりが亡くなっているというスウェーデンのデータ。冗談みたいな数字に見えますが、この国では武漢肺炎ウイルスはもはや肺炎を引き起こさず、何らかの容態で病院に入院した時点で、始めて感染が確認されるといったケースがほとんどであれば、この数字も理解できないではありません。

背後には、そうした機会がなく、武漢肺炎死にカウントされないまま死亡した相当の数が隠れているのでは、と疑いたくなります。

スウェーデンに関して、ワクチンの普及が進む以前の2021年前半の段階で、死亡率が他のヨーロッパ諸国の2分の1以下であったことは意味深長です。

武漢肺炎の最初の爆発的流行が欧州を襲った際、この国は集団免疫の獲得こそが終息への早道と、格別の行動制限措置を執らず、ロックダウンに走った他国とは正反対の方策を選びました。

近隣国の批判に曝されて、途中からある程度の宗旨替えはしたようですが、おそらく狙い通り、ワクチン普及以前にこの国では免疫保有者の割合が他国を圧していたんでしょう。

前稿でもちょっと触れたのですが、武漢肺炎ウイルスが「ステルス化」しつつあるのが本当だとしたら、集団の免疫保有状況が関係しているのではないかと、わたしは考えています。

普通に考える武漢肺炎ウイルス、つまり肺指向性のウイルスが、血中抗体への感受性が高いのに比べ、ステルス型は、例えば白血球に感染しその内部に隠れるなどの形で、抗体に触れることなく全身に散らばる。そういった理由で、免疫を回避しやすいのではないかと想像するのです。

そう考えれば、もっぱらワクチン頼りで身につけた日本社会の免疫状況など、スウェーデン、英米、スペインなどに比べれば、肺指向性のウイルスにとってすら、まだ甘い段階に止まっていたということかも知れません。

警戒を緩めるには早いのでは?

5月9日以降、武漢肺炎は普通の第5類感染症扱いとなり、感染対策上の位置付けが下がりました。

専用病室、医療用酸素、人工呼吸器などの治療環境の充足が図られ、ワクチンの普及も進んで、最早政府、自治体に特別な対策を採る余地がなくなっているのは事実で、また感染報告数もこれだけ減った今、こうした変更が為されるのはむしろ当然かと思います。

あとは個々人の注意、努力に委ねられたということなんですが…。

前半部に書いたように、わたしは日本で武漢肺炎死の規模が、西欧諸国に比べて小規模に止まった主な理由は、この「個々人の注意、努力」の部分にあると思っています。

それで、いきなり何を言い出すのかと思われるかも知れませんが、図表8は近年の感染性胃腸炎の発生動向を示したグラフです。

図表8 感染性胃腸炎の発生動向

(※新宿会計士注記:出所明示なし)

これは、全国約3,000の小児科定点から収集された報告数で、主に小学校、幼稚園の流行状況を見ているといって差し支えないでしょう。冬休み、春休みの時期に値が大きく落ち込むのはそのためです。

感染性胃腸炎の発生数は季節変動が激しいのですが、その増減のパターンは毎年ほぼ同じです。しかし、2020年の春から2021年夏にかけて、流行は例年より明らかに低調で、冬期、春期に見られるピークを欠いています。

それと同じ現象が、2009年の新型インフルエンザ流行の際にも観察されています。

このとき全国の学校、幼稚園ではマスクの着用と休み時間の手洗い、うがいの励行が強力に図られました。本命のインフルエンザの押さえ込みにどれだけ効果があったのか、実はなんとも言えないのですが、冬期に起きるはずの感染性胃腸炎の流行は、ものの見事に消失したのです。

わたしが注目するのは、武漢肺炎への備えが感染性胃腸炎の流行をも抑えたという点ではありません。図表8が示しているのは、その効果が2021年後半には失せて、感染報告数が例年のパターンに戻ったというところです。

小学校でのマスク着用の指示はつい最近まで続いていたはずですが、それとセットでやるべきマスク脱着前の手洗い指導が、おそらくこの頃を境にいい加減になってきたとわたしは見ています。

大阪府では武漢肺炎の検査で陽性判定された人の数を年代別に公表しています。この中に就学児のカテゴリーを設けているのですが、全感染者数に占めるその割合は、2021年の前半まで概ね1%台で2%を超えることはなかったのですが、秋頃から急上昇して、以降4~10%の間を上下するようになりました。

感染性胃腸炎は手指や食品、食器などに付着した汚れに含まれる病原が、「口から」入ることによって感染が起きる疾患の典型ですが、わたしは武漢肺炎の基本的な感染ルートはそれと同じと考えています。

時をおなじくして2つの感染症に生じた増加の理由は、おそらくこうでしょう。武漢肺炎に対してあれだけ強かった警戒心が、ワクチンが普及したことの安心感も手伝ってか、そういつまでもは続かなかった。

それは幼小児に限ったことではありますまい。2021年初頭より始まった第6波以後の流行が、それまでの規模を遙かに上回るのは、オミクロン株の性質もさることながら、われわれがウイルスに立ち向かう手を緩めたことが、大きいのではないかと思っています。

第8波が去って、ウイルスは今、なりをひそめているように見えます。それを受けて、もしかしたらわたしたちはむしろ進んで。その詐術に陥れられたがっているのではないか。最近メディアに現われる論調には、そんな危惧の念を抱かせるものが目に付きます。気を緩めるのはまだ早い。そう思うのです。<了>

読後感

相変わらず、豊富なデータを伴った、説得力のある議論です。

「気を緩めるのはまだ早い」。

そんな警告が、重く突き刺さる気がします。

さて、伊江太様から頂いた過去論考についても、まとめておきたいと思います。是非ともご参照ください(※出版社様、商業出版にご興味はありませんか?)。

伊江太様から:「データで読み解く武漢肺炎」シリーズ・全21稿
伊江太様から:番外編・経済
新宿会計士:

View Comments (19)

  • 先日6回目のワクチン打ってきました。
    会場はガラガラでした。

    そのうちインフルエンザワクチンのように近所のクリニックだけでということになりそうな気がします。

  • この投稿で分かったことは、2点です。
    超過死亡が増加している事に関する考察。ここ1〜2年程10万人前後増えているという情報がありましたから、やはり、このような見方になるのでしょう。次に、手洗いの重要性。人間は、何をするにも手指を使わなければ出来ない上に、無意識に鼻や頬や額やを結構触っています。
    この説明を読んで、一層手洗いを励行しなければと思いました。
    5月8日以降も、マスクをしている人が殆どなので、この国民性には安心します。

  •  コメント失礼します。

     ワクチンが普及しても終息には至ってない現状なのは明らか。武漢肺炎の死者が2万人超えたのが2022年2月11日、1年後は70,558人と3倍以上に大幅増加。5月9日で74,694人と緩やかな増加。

    https://www3.nhk.or.jp/news/special/coronavirus/data-all/

     なので私は以前と同じ自分ルールで、マスク着用や消毒続けています。
     症状そのものが変異してると厄介ですね。引き続き警戒を続けます。

  • 気管支を痛めて病院通いをしていました。
    担当医師は呼吸器の専門医、ご高齢ですがどことなく漆原教授を想起させる雰囲気です。
    コロナ騒動まっさかりのころ医師はこう言ってました。
    「TV に出てる医者のゆうことなんて信用したらあかんでー」
    そばに控えている記録係の女性看護師が口元だけで笑っている様子が伝わって来ました。
    報道によればこの頃インフルエンザが流行してしまったのだそうです。保健所は知っているのです。コロナ対策で手洗いうがいを強調したらインフルエンザ発生報告がゼロになってしまったこと。入院病棟に持ち込まれる風邪に起因する肺炎死診断が激減したことも知られていました。それまで対策は不完全であり、避けることのできた死も多かった。それが数字に出てしまって、呼吸器のお医者がにやりとした。そうゆうことだったのです。
    インフル再発生報告は気持ちのゆるみ。TV も新聞が如何に愚かかとよく分かる逸話です。

  • 警告、ありがとうございます。
    伊江太様の論考を読み、一つの記事を紹介したくなりました。
    伊江太様は論考の中で、日本国民の死因の多くが第二次世界大戦後に大きく改善されていった点を評価されています。その事を否定する考えはありませんが、日本国民の平均寿命や乳幼児の死亡率が1930年代から大きく改善されていった点にも目を向けて欲しいと思いました。

    http://www.kensetsu-plaza.com/kiji/post/33777
    文明とインフラストラクチャー 第61回
    日本人の命の謎

    伊江太様も日本の上下水道のインフラが優れていることに触れておられますから、こうした論考があることはご存知であると思います。
    台湾の開発に敏腕をふるい、関東大震災後に帝都復興の道筋を付けた後藤新平氏の功績も無関係ではない、と思いました。
    もちろん、上下水道のインフラが武漢肺炎の死亡率と直接関係があるのかどうかという点は一仮説であり、どれほどの真偽があるのかはわかりません。
    しかし、細菌やウイルスの多くが水道を通して伝播していく側面は、無視することができないのではないでしょうか?

    • 本記事ももちろんですが、この記事も興味深かったです。
      大正10年の寿命の変曲点は水道への塩素添加開始と同じ時期、ですか。
      塩素添加された水道水はしばらくは菌の増殖を抑える効果が続くようですから、日常利用する水が清潔であることの効果は大きかったかもですね。

      武漢肺炎流行後に次亜塩素酸水の噴霧器が話題になりました。あれも諸説入り乱れでカオスでしたが、その中には「次亜塩素酸ナトリウムは有害だからダメ」なんてのもありました。
      毎日水道水で摂取してるんですけどね。

  • わたくし、全寮制のとある学校の卒業生なのですが、
    在学中にインフルエンザなどの感染症が蔓延したことがありませんでした。
    当然に学級閉鎖の経験もありません。
    1学年約250名、1部屋当たり8名の生活でしたが、
    世間で毎年風邪が流行する時期に現れる標語が「うがい・手洗いの励行」でした。

    戦前までの平均寿命が延びなかった要因には、寄生虫や注射器の使い回しの影響もあるのではないでしょうか。
    人間の免疫機能が完全になるのには7年の歳月が必要だと聞いたことがあります。
    七五三とはよく言ったものですね。

    • ありがとうございます。
      このような疫学的な実例は、データを補強して、人々のやる気を引き出します。

  • 感染予防には、手洗いの励行が完全な対策に近い程に有効である事が、データからも分かりました。
    ウィルスのステルス化にはどんな対策があるのか?と考えれば、基礎体力の向上と自分の中に病気を作らない事、という普通の事になりそうです。

  • 20年以上前ですがNHKでBBC制作の番組を放送していた。風邪やインフルエンザはどのようにしてうつるかというテーマでしたが、結論は手指を介して。

    菌のついたものに触れ、その手で鼻を触ったり、目をこすったりして粘膜を通じて感染するということです。手洗いがいかに重要かを教えてくれます。
    我が家では外から帰ってきたらまず手を洗います。

  • 認知症になった母から常日頃言われていたのは、「お金を触ったら手を洗いなさい。誰が触ったかわからないんだから。」でした。三つ子の魂百までと申しますが、60歳になった今でもお金を触った後、帰宅時には手洗いをしています。
    最近、武漢肺炎のことを忘れかけていました。あらたな警鐘をありがとうございました。
    気を付けたいと思います。

  • 伊江太様

    いつも深くて幅広い論理で、読むのが楽しみです。私の知らない世界ですが、止まらず読み進める事が出来ました。
    今はナリを潜めているコロナウイルスですが、私もまだ警戒してます。以前と同じように、マスク着用や手指消毒は続けています。ところが街に出るとどうでしょう。マスクをして無い人がワンサカ居る!電車の中で大声で話している!とても危険だと思います。近々6回目の接種をしますが、定期的な血液採取も承諾しました。

    なお、個人的には「米穀通帳」と「国民皆健康保険」が懐かしく思い出されました(笑)。

    • >>>「米穀通帳」

      「米穀通帳」から「スーパーで自由にコメが買える」までの、長い長い規制緩和・規制撤廃の歴史。そんなことを思い出しました。
      戦後間も無く、米穀通帳制度を正確に順守して餓死した裁判官がいたというニュースもありました。法律順守と命のどちらが大事か?という命題に答えを出した方だったのかもしれません。

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