数字で見る新聞業界の現状と未来

新聞の部数はこの20年余りで半分近くに減りました。当たり前です。紙媒体自体の不便さもさることながら、ネットの普及によりブログサイト、ウェブ評論サイトなどが無数に出現し始めたことで、新聞社が提供する情報の相対的な価値が極端に下がったからです。新聞業界はこれまで「第四の権力」を自称し、驕り高ぶって来ましたが、ネット上のライバルサイトとのレベルの差は、これからは広がることはあっても縮まることはないでしょう。

謹賀新年

新年、あけましておめでとうございます。

本年が読者の皆さまにとって素晴らしい年でありますことを、心よりお祈り申し上げたいと思います。

新聞部数に見る新聞業界の凋落

「新聞社説読み比べ」を止めてしまったわけ

さて、新春における著者自身の昔の「楽しみ」といえば、コンビニで主要紙をひととおり買ってきて、それらの社説を読み比べることでした。といっても、日経新聞は定期購読していましたので、買ってくるのはそれ以外の全国紙(読売、朝日、毎日、産経)と、東京のローカル紙である東京新聞、合計5紙です。

ただ、この「新聞各紙の社説の読み比べ」、だいたい10年くらい前に、止めてしまいました。

その理由については昨年の『「ブログ化する新聞」を待つ未来』でも報告したとおり、端的にいえば、「新聞社説を読んで参考になったと思わなくなったから」です。

少し厳しい言い方をすれば、新聞社説を読んでも、「知的好奇心を刺激された」とは、まったく感じなくなったのです。あるいは「レベルが低い」、という言い方をした方が正確でしょうか。

この点、社説といえばその新聞社の「顔」のようなものですし、ましてや大新聞の社説ともなれば、それを執筆するのはその会社の「主筆」や「論説委員」であったりします。そんな新聞社説に対し「レベルが低い」、という言い草が無礼であることは、十分に承知のうえです。

レベルが高い記事がネット上に増えてきた

では、「レベルが高い記事」とは、いったい何でしょうか。

著者自身がちょうど2008年から2009年ごろにかけ、さまざまな人が執筆したブログ記事や、ウェブ評論サイトに掲載された記事などを読むようになったこととも無関係ではないでしょう。これらの記事の多くは公開情報だけを使い、多くの人を納得させる議論を展開していたのです。

なお、このあたりについては、異論は認めます。

それらのブロガーやウェブ評論家のなかには、現在はYouTubeなどで活躍され、多くの人々に支持されている方々もいれば、残念ながら現在は論旨がメチャクチャになってしまった人(すっかり「反安倍派」になってしまった某氏など)もいるからです。

ただ、無数のブログサイト、ウェブ評論サイトの記事のなかには、下手をすると新聞社説などよりもはるかにレベルが高く、論理的な展開力も証拠も説得力も十分なものが多数あります。執筆者の多くは有名人でも何でもありませんが、その「書いてある内容」だけで読者をぐいぐい引き込む魅力を持っています。

(※余談ですが、山手線の駅名を冠した怪しい自称会計士が執筆しているウェブ評論サイトもあるようですが、そのウェブ評論サイトの記事が「レベルの高いウェブ評論」の域に達しているかどうかについては、読者の皆さまのご判断に委ねられるでしょう。)

逆に言えば、新聞社説の「権威性」といえばその執筆者がその新聞社の名前を背負っている、という部分くらいしかありません。書いてある内容自体は大したことがなかったとしても、その「大新聞」の看板を背負っていれば、それだけで多くの読者の目に触れていたのです。

しかし、ブログサイト、ウェブ評論サイトの数は、これからしばらくの間、増えることはあっても減ることはないと思われますし、「大新聞に掲載された」というだけで社説などが多くの人に読まれるということも、今後は難しくなっていくはずです(後述する通り、その兆候はツイッター上ですでにクッキリと出ています)。

新聞部数は3000万部の大台割れ直前

このあたり、新聞の社説を読んで「面白い」と感じるかどうかはその人の主観でもありますので、正直、世の中のすべての人が「新聞社説に興味を感じなくなった」と決めつけるつもりはありません。

ただ、客観的事実だけで申し上げておくならば、昨年の『新聞業界、ついに「朝刊部数3000万部割れ」目前に』では、新聞の部数は順調に減り続けていることもたしかです。

一般社団法人日本新聞協会は例年12月下旬ごろまでに、その年の10月1日時点における新聞部数を発表しているのですが、2022年分のデータが大変に興味深いものです。

これによると「セット部数」は593万部で2021年の658万部と比べて8.6%減少。「朝刊単独部数」は2440万部で前年の2591万部より5.8%減少したほか、「夕刊単独部数」に至っては52万部で前年の63万部と比べ、じつに17.6%も減少しているのです。

また、この「セット部数」「朝刊単独部数」「夕刊単独部数」を単純合計した部数は3085万部で、前年の3303万部と比べて6.6%減少し、「3000万部の大台割れ」直前に追い込まれたようです。

新聞部数の増減(2021年→2022年)
  • セット部数:648万部→593万部(▲56万部、▲8.58%)
  • 朝刊単独:2591万部→2440万部(▲151万部、▲5.84%)
  • 夕刊単独:63万部→52万部(▲11万部、▲17.56%)
  • 合計:3303万部→3085万部(▲218万部、▲6.60%)

(【出所】一般社団法人日本新聞協会データ)

この20年あまりで40%以上も減少した

そして、部数の減少については、新聞協会が公表しているデータのうち最も古い2000年のものと比較すると、いっそう際立ちます。この20年あまりで、合計部数は2286万部も減少したからです。減少率に換算すれば42.6%(!)と、半減まではいかないにせよ、かなりの減り方です。

新聞部数の増減(2000年→2022年)
  • セット部数:1819万部→593万部(▲1226万部、▲67.40%)
  • 朝刊単独:3370万部→2440万部(▲930万部、▲27.60%)
  • 夕刊単独:182万部→52万部(▲130万部、▲71.53%)
  • 合計:5371万部→3085万部(▲2286万部、▲42.57%)

(【出所】一般社団法人日本新聞協会データ)

これをグラフ化したものが、図表1です。

図表1 新聞部数の推移

(【出所】一般社団法人日本新聞協会データをもとに著者作成)

「朝刊」「夕刊」に再分類してみると…?

こうしたなか、新聞協会の元データにある「セット部数」という括り方が「わかり辛い」と感じる方も多いと思いますので、ここでもうひとつ、当ウェブサイトの独自の集計区分を用いた新聞部数についても確認してみたいと思います。

具体的には、「セット部数」を朝・夕刊に分解し、「セット部数+朝刊単独部数」を「朝刊部数」、「セット部数+夕刊単独部数」を「夕刊部数」と定義しなおすことで、また少し違った姿が見えてくるのです(図表2)。

図表2 新聞部数(朝刊・夕刊の別)

(【出所】一般社団法人日本新聞協会データをもとに著者作成)

この集計基準に基づけば、新聞部数の増減は、それぞれ次の通り書き換えられます。

直近1年間の新聞部数の増減(2021年→2022年)
  • 朝刊部数:3240万部→3033万部(▲207万部、▲6.39%)
  • 夕刊部数:711万部→645万部(▲67万部、▲9.38%)
  • 合計部数:3951万部→3677万部(▲274万部、▲6.93%)

(【出所】一般社団法人日本新聞協会データ)

23年間累計で見た新聞部数の増減(2000年→2022年)
  • 朝刊部数:5189万部→3033万部(▲2156万部、▲41.55%)
  • 夕刊部数:2001万部→645万部(▲1356万部、▲67.78%)
  • 合計部数:7190万部→3677万部(▲3512万部、▲48.85%)

(【出所】一般社団法人日本新聞協会データ)

2021年から22年の1年間の変化で見れば、朝刊部数は3240万部から3033万部へと6.4%減少し、夕刊部数は711万部から645万部へと9.4%減少、朝・夕刊合計は3951万部から3677万部へと6.9%減少しました。朝刊部数は3000万部割れ目前です。

また、2000年から22年までの変化で見れば、朝刊は5189万部から3033万部へと、じつに41.6%も減少。夕刊部数は2001万部から645万部へと67.8%(!)も失われ、合計部数も7190万部から3677万部へと48.9%失われた計算です。

つまり、2000年と比べ、2022年は新聞発行部数全体が約半減したほか、夕刊は3分の1以下に、朝刊も6割以下に、それぞれ減少した計算なのです。

「紙で」読む人が激減した!

こうした新聞部数の激減の要因としては、おそらく、2つあります。

ひとつめは、「紙で」読む人が減ったこと。

そしてふたつめは、ネット上に新聞のライバルとなり得るサイトなどが乱立していることです。

このうち、「紙で読む人が減った」というのは、現代社会においてはある意味で必然的に生じる話です。軽くて小さく扱いやすいスマートフォンが爆発的に普及すれば、重くて扱い辛い紙媒体のメディアが急激に居場所をなくすのは当然のことだからです。

現在40代以上の、首都圏や近畿圏といった都市圏に暮らすビジネスパーソンであれば、「通勤電車のなかで紙の新聞を読んだ」という経験を持っている方は多いでしょう。

とくに大都市圏だと電車は混雑しますので、人によっては周りの邪魔にならないよう、器用にタテに4つに折りたたんで読むクセがついていたでしょうし、また、新聞を読んでいると手がインクで汚れますし、電車が急ブレーキをかければ倒れて新聞がクシャクシャになってしまいます。

届く情報がそもそも古い

問題は、それだけではありません。新聞に掲載されている情報が「古すぎる」のです。

冷静に考えてみればわかりますが、朝刊が配達されるのは、(地域差はありますが)だいたい朝5時から7時ごろです。新聞配達をしていた著者自身の体験に照らしても、だいたい7時までに配り終えなければ、読者からは新聞販売店に苦情の電話がジャンジャンかかってきます。

閑話休題:新聞配達の思い出

新聞販売店では配達区域ごとに担当が割り振られるが、配達がとっても遅い担当者がいた。とくに大雨や大雪の日になると、その担当者は朝8時になっても販売店に戻って来ず、運が悪いことにうるさい読者がその区域に住んでいて、「新聞が届かない」と5分おきに苦情の電話を入れてきて困り果てたこともある。

ということは、「朝7時に届く新聞」に掲載されている記事は、だいたい朝1時か、遅くとも2時までに執筆されたものでなければなりません。

新聞販売店で朝刊を配り始めるのが朝4時だとすれば、その1時間前の朝3時に新聞が販売店に届く必要がありますが、その新聞は朝2時に印刷工場から出荷されているはずであり、印刷に1時間程度の時間が必要だとすれば、新聞の原稿は朝1時ごろに締め切る必要があるのです。

逆に言えば、あなたが朝、自宅に届いた新聞を手に朝8時台の通勤電車に乗ったとして、その通勤電車内で読んでいる記事は、じつに6~7時間前の情報なのです。

これに対し、スマートフォンのニューズサイトだと、新着情報がどんどん、どんどんと届いてきます。朝8時台の通勤電車では、下手をすると朝8時台に発生した事件や事故などに関する記事が配信されてきますし、情報源も無数に選べます。

また、スマートフォンだとそもそも「インクで手が汚れる」ことはあり得ませんし、デバイス自体が小さいため、「折りたたむ」必要すらありません。さらには、スマートフォンにはマンガやゲームのアプリを入れている人もいれば、イヤホンで音楽を聴いたり、YouTubeなどの動画サイトで動画を視聴したりしている人もいます。

大きくてかさばるうえに数時間前の情報しか掲載されておらずインクが手にべっとりつく紙媒体の新聞が少なくともビジネスマンからは支持されなくなり、スマートフォンによってすっかり駆逐されたのも、ある意味では当然の話といえるかもしれません。

このあたり、紙媒体の受難という意味では、年賀はがきの発売枚数が激減しているという話題(『来年用の「年賀はがき」当初発行枚数は2億枚近く減少』等参照)とも通じるところがあるのかもしれません。

新聞の未来

聞の相対的なレベルの低下

ただ、著者自身としては、新聞の部数が激減した要因のうち、「ふたつめの理由」――、すなわち冒頭でも述べた、「新聞の相対的なレベルの低下」という要因の方が、「ひとつめの理由」と比べ、はるかに深刻だと考えています。こちらについては挽回のしようがないからです。

思うに、新聞社はスマートフォンが普及する直前まで、「自分たちこそが第四の権力」、「自分たちこそが国民の代表だ」、などと思いあがって来たフシがあります。

いつしか新聞は、自分たちのことを「社会の木鐸」などと勘違いし、「世の中で発生している客観的な事実」ではなく、「自分たちが正しいと思う主観的な意見」を、新聞の読者に押し付けようとしていたのではないでしょうか(※同じことはテレビ局にも言えるかもしれませんが)。

これについては『【総論】崩壊始まる官僚・メディア・野党「腐敗利権」』などを含め、当ウェブサイトではずいぶんと指摘してきたとおり、オールドメディア業界は、少なくとも「今までは」、私たちが暮らすこの日本社会において、絶大な影響力を持ってきました。

自民党が民主党に惨敗した2009年8月の衆議院議員総選挙などは、その典型例でしょう。

この選挙では、480議席のうち麻生太郎総理大臣率いる自民党は獲得議席が119議席に留まる大敗を喫し、一方で鳩山由紀夫代表が率いる民主党が308議席を獲得して圧勝したことで、いわゆる「1955年体制」発足以来、自民党は1993年に続き2回目の下野を余儀なくされました。

これまでの著者自身の仮説では、ここまで大きな議席差がついた理由も結局のところ、「普段はあまり選挙に行かないような人たち」が新聞、テレビの報道を鵜呑みに信じ、「民主党に政権交代しなければならない」、などとする雰囲気に乗せられてしまったことにあると考えています。

つまり、オールドメディアが民主党政権誕生を幇助(ほうじょ)したのです。

こうした「思い上がり」が、インターネット環境の出現と普及により、読者の新聞離れ、視聴者のテレビ離れという潮流に発展したのではないでしょうか。

大手紙だからといって「表示回数」が多いとは限らない

もっとも、新聞社によっては非常に頑張って読者を満足させようとしている社もあります。

産経が「ツイート表示回数」で読売、朝日、毎日を圧倒』でも取り上げたとおり、「イーロン・マスク改革」の一環として、ツイッターで「ツイート表示回数」が明示されるようになったことで、産経ニュースが発信するツイートの表示回数が、他紙と比べて圧倒的に多い、といった現象が生じているのです。

こうしたなか、『ツイッターで特定アカウントの「いいね」が減少した?』でも取り上げた、「ツイッター社のキュレーション・チームが解雇された結果、左派メディアを中心とするメディアのツイートの閲覧数や『いいね』が減少した」とする話題も興味深いところです。

つまり、ツイッター社が人為的に特定メディアのツイート表示回数を水増ししていた可能性が濃厚なのですが、こうした「人為的な水増し」ができなくなった途端、左派メディアを中心にツイートの表示回数が激減してしまったのです。

もっといえば、先ほども指摘した、「大新聞の看板を背負っていれば、それだけで多くの読者の目に触れていた」というのも、徐々に過去のものになりつつあるということでもあります。

個人のツイートが数千万回も表示される時代に!

ただ、こうした「ツイートの表示回数」というテーマで思い出すのは、新聞のみならず、テレビを持含めた「オールドメディア」による「報道しない自由」でしょう。その一例が、当ウェブサイトでは年末の『東京都の監査委員が都の事業に対し「是正措置」勧告か』でも取り上げた、「暇空茜氏のツイート」騒動です。

「暇空茜」氏が発信したツイートのうちのいくつかは、表示回数が数千万回に達していて、とくに昨年12月29日付のツイートの場合だと、昨日深夜時点でじつに2275万回(!)も表示されているようです。下手な新聞社の平均ツイート表示回数の2000倍(!)以上です。

この「疑惑」そのものを主要メディアがまともに報じてこなかったためでしょうか、その全容については「いまひとつよくわからない」という方も多いかもしれませんが、この「不正会計疑惑」とは、東京都が公金により、とある民間団体に委託している事業を巡って、会計報告を筆頭に、さまざまな不正の疑惑が持ち上がっていることです。

いや、もう少し正確にいえば、厚生労働省や東京都の予算の使途に関するモニタリングが非常に不十分であることなどを筆頭に、問題は各方面に延焼する気配を見せています(実際に国会議員や都議会議員など複数の政治家も動き始めています)。

今年は当ウェブサイトでもこの問題を少しずつ取り上げていきたいと考えていますが、それと同時に「暇空茜氏が全面的に正しい」と断定すること、不正会計疑惑などが持ち上がっている団体が「不正を行ったに違いない」と断定することについては、現時点においては控えたいと思います。

どうしてメディアはこれを無視するのか

しかし、それよりも呆れる話は、これだけの「大事件」に発展する可能性を秘めている問題を、新聞、テレビを含めた大手オールドメディアがほとんど取り上げず、無視しているという事実でしょう。これも大変におかしな話です

暇空氏が正しいかどうかは別として、少なくとも「住民監査請求が通った」と主張するツイートが、ツイッター上で2000万回以上も表示されているという事実を見ると、これに「ニューズ・バリューがない」とは、到底いえないからです。

このあたり、一部では「新聞、テレビも何者かに忖度(そんたく)しているのではないか」、などとする説を述べる人もいるのですが、もしそうだとすれば、普段から彼らが「社会の公器だ」などと自称している点を踏まえるならば、「何者かに忖度し、特定の話題をわざと取り上げないこと」の意味が、そもそも理解できません。

いずれにせよ、少し気が早い話ですが、今年12月に公表されるであろう日本新聞協会の部数データがどうなるかについては、非常に気になるところです。

もしこのペースで部数が減り続けていけば、2023年の部数はいよいよ朝刊が3000万部を、夕刊が600万部を、それぞれ割り込みそうですし、2024年は朝刊・夕刊の合計部数でも3000万部を割り込むかもしれません。

とくに業界自体が急激に縮小するなかで、不動産業などの「儲かっている事業」を抱えている社は、今後は「新聞社」ではなく「不動産業」に業態転換し、「儲かっている不動産会社が趣味の一環として片手間に新聞を発行する」という状況になるかもしれません。

また、不動産業などの「儲かっている事業」を抱えていない新聞社のなかには、実質債務超過が疑われる某「法人税法上の中小企業」(『とある中小企業「売上高が5年間で40%減少」の衝撃』)を中心に、近い将来、廃業を決断するケースも出てくるかもしれません。

落差は今後、開くことはあっても縮まることはない

結局のところ、新聞部数の急減は、紙媒体自体の不便さもさることながら、ネットの普及によりブログサイト、ウェブ評論サイトなどが無数に出現し始めたことで、新聞社が提供する情報の相対的な価値が極端に下がったからだと結論付けるのが正確でしょう。

新聞業界はこれまで「第四の権力」を自称し、驕り高ぶって来ましたが、ネット上のライバルサイトとのレベルの差は、これからは広がることはあっても縮まることはありません。そして、新聞と並ぶオールドメディア産業であるテレビ業界も、新聞業界の後を追うことになるでしょう。

こうしたなかで、個人的に注目したい材料がひとつあるとすれば、昨年の『ついにネット広告費がマスコミ4媒体広告費を追い抜く』を含め、ほぼ毎年のように取り上げている、株式会社電通が公表する『日本の広告費』というデータです。

これについては2022年版のデータにおいて、ついにマスコミ4媒体(新聞、テレビ、ラジオ、雑誌)の広告費をネット広告費が追い抜いたことが示されていました(図表3)。

図表3 媒体別広告費推移

(【出所】株式会社電通『日本の広告費』を参考に著者作成)

今年版のデータでは、マスコミ4媒体とネットの「差」はどれだけ開くのでしょうか?

その意味では、今年もオールドメディア業界の動向からは目が離せない展開が続きそうです。

本文は以上です。

読者コメント欄はこのあとに続きます。当ウェブサイトは読者コメントも読みごたえがありますので、ぜひ、ご一読ください。なお、現在、「ランキング」に参加しています。「知的好奇心を刺激される記事だ」と思った方はランキングバナーをクリックしてください。

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読者コメント一覧

  1. 引きこもり中年 より:

    新年、おめでとうございます。では、新年早々、ばかばかしいお話しを。
    大手メディア:「colaboの不正会計疑惑など、我々は最初から分かっていた。ただ、報道しなかっただけだ」
    新宿会計士:「報道しなければ、意味がない、と思うのですが」
    これって、笑い話ですよね。
    蛇足ですが、最初に疑惑の匂いを嗅ぎ付けて、間違いかもしれないとのリスクを覚悟して、間違いだった場合に恥をかくことを覚悟して、世の中の知らせるから、メディアは価値がある、と思うのですが、

    1. 引きこもり中年 より:

      追加の笑い話です。
      大手メディア:「colabo不正会計疑惑の裏付けをとるには、10年かかる」
      新宿会計士:「では、他の疑惑は、裏付け取材不足で報道していたのか」
      これって、笑い話ですよね。

    2. 引きこもり中年 より:

      皇室がSNSなどでの情報発信に力をいれていくそうです。ということは、皇室でさえSNS発信するのですから、他の大物(?)もSNS情報発信を否定することが難しくなっていき、SNSを使う人が増えていくでしょう。となれば、(大物であればあるほど)SNS情報発信されたことを、メディアが無視することは、極めて不自然に見られるのではないでしょうか。

  2. sqsq より:

    若いころ勤め帰りに駅で夕刊紙(フジ、ゲンダイ)を買って電車に乗る同僚がいた。帰りの電車の中での暇つぶしだろう。そういう暇つぶしは今ならスマホで十分だ。
    あのたぐいのタブロイド夕刊紙も新聞にカウントされているなら夕刊紙の落ち込みが激しい理由の一つかもしれない。

  3. 雪だんご より:

    明けましておめでとうございます。

    相変わらず新聞もテレビも「滅びを遅らせる」事以外は全て諦めている様ですね。
    そして開き直ってこれまで以上に先鋭化、かつ無責任化していくのでしょう。

    叶う物なら、100年後の歴史の教科書を見てみたいものです。
    この「情報革命」の時代がどう解説されるのか、とても気になります。
    まあ、どう頑張ってもそこまで長生きは出来ないでしょうが……

  4. はにわファクトリー より:

    記者・ライターにとって自ら調査し書き著した文章が記事となって世界を駆け巡り繰り返して参照されることは、誇りであり自負であり矜持であり醍醐味でしょう。
    新聞社の看板をしょって新聞社という大げさな伝搬拡声装置に頼らずとも、語りたいこと伝え広く容易に知らしめることができます。自分で Apache WEB サーバを立てる必要などありません。substack や note を活用すれば有償であれ無償であれ今日すぐにでも執筆開始できるのです。野心ある世界級ジャーナリストにあっては、新聞社の肩書を今年こそ捨てて志を同じくするものたちと連絡を取り合って新たなオンラインジャーナリズムを始めるべきです。社員に見捨てられ新卒に敬遠される NHK や新聞社の職場がミルミル細ってダメになる日はそんなに遠くないのかも知れません。

    1. すみません、匿名です。 より:

      あけまして、おめでとうございます。

      はにわファクトリー様

      >野心ある世界級ジャーナリストにあっては、新聞社の肩書を今年こそ捨てて
      >https://dime.jp/genre/1327533/

      本文全面的に賛成です。

      一昔、記者として入社された方は、頭脳明晰だったはずです(左翼思想に洗脳されての入社の方は別)
      (早期)退職して情報発信してのビジネスモデルを確立できるはずです。
      (朝日新聞の松野さんとか)

      >substack や note を活用すれば有償であれ無償であれ今日すぐにでも執筆開始できるのです

      私、すでに情弱で、ついていけませんが、日本を守る「安保3文書」を阻止運動をできなかった、反日新聞社、外国勢力のさらなる影響力低下の1年でありますように。

    2. はにわファクトリー より:

      いいですねー、自立こそエース級新聞記者のあかし

      実力と良識を兼ね備えた高度人材がミルミル流出して職場が錆びてしまい企業存続が危うくなる(もうなっている?)新聞社ばかりと存じます。その一方で読売新聞にあっては編集経験者採用とちゃっかり広告も打っていて職場の見切りをつけた人材を吸い集めるべく同業の苦境を分かっててわざと目に留まるようやっている感強いです(当方読売を上げているわけではありません)

    3. より:

      実力ある(つもりの)記者さんたちがなぜそうしないかというと、簡単に言えば金にならないからですよ。なにしろ、大新聞社なりキー局なりの社員でいれば、毎月確実に高い給料を貰えるのです。その上、会社の経費で出張取材だってし放題です。おまけに、会社の看板を背負っていれば、アポだってほぼ取り放題だし、普通なら入れてもらえないはずのところだって入れてもらえます。そんな「特権」を放棄してまでフリーになるのは、よほど本物の実力を持った記者か(ex. 元産経の福島香織さんとか)、自分の力量を過信したバ〇だけです(諸事情でフリーにならざるを得なかった場合を除く)。
      オンラインメディアを立ち上げるだけならばそれほど難しくはないでしょうが、相当太いスポンサーでも見つけない限り、まず食っていくことすら難しいでしょうね。

      あの業界には「自由業なんて、所詮は不自由業なんだぁ」という名言がありますが、所詮は特殊なサラリーマンでしかない大方の記者に、そんな気概を求めることの方が無理があると思いますよ。きっと、少なからぬ記者は「頼むから、オレが定年を迎えるまで、会社よ、潰れないでくれ」と願っているのではないかと見ています。

  5. sqsq より:

    昔は株価、テレビ番組表、上映映画、求人の情報を新聞でカバーしていた。
    こういう情報が他のメディアでとれるようになって新聞を買う意味が減った。つまり読む人が少なくなった。広告は当然減るだろう。広告収入が減れば経営の傾く新聞社がでてくる。
    地方紙では廃刊は珍しくない。
    大恐慌の時アメリカでは電話を解約する家庭が多かったという。不要不急のものと考えられたのだろう。これから不況になって節約を強いられたとしたらスマホと新聞のどちらを切るだろう。年5万円の新聞購読料はターゲットだ。

    1. はにわファクトリー より:

      sqsq さま

      >スマホと新聞のどちらを切るだろう

      いいですねー、新聞いらずこと令和の節約術。
      薩埵峠から視る霊峰は今朝とくに美しいですよ。

      NHK と新聞を解約してスマート生活。2023 年のトレンドはこれだ。高齢者世代の TV を配線し直してあげて Youtube 操作法を教授すれば NHK いらず TV いらず新聞いらずの平穏生活が普及するでしょう。すか情報を掴みに行かず遠ざけておくリテラシーとセットでよろしく。

      1. 赤ずきん より:

        NHK と新聞を解約してスマート生活。2023 年のトレンドはこれだ。・・・このビジネスモデルはうまく行きそう。 若手でスキルある人はこれで 起業を!物価高の影響をもろに受ける高齢年金世代に出張サービス。

    2. 農民 より:

       年5万って改めて提示されるとなんというか……すごい金額ですね。

      新聞を買わなければ毎年1度ずつ全然悪くないスマホを買い換えられる。←すごい
      新聞を買わなければ2年毎にハイエンドスマホを買い換えられる。←すごい
      新聞を買わなければ3年で良スペックPCを買える。←すごい
      vs
      最新スマホを我慢すれば新聞2年分買える。←は?

  6. 攻撃型原潜#$%&〇X より:

    テレビがお茶の間の普及した昭和に、テレビのニュース速報に時間的にかなわない新聞は今と同じような危機がありました。 新聞がその危機を乗り越えられたのは、テレビニュースはテレビのある場所まで行かねば見られなかったのが理由のひとつです。自宅以外でテレビが設置してある場所といえば職場やホテルなど限られた場所(さすがに街頭テレビは古すぎ)であり、それに対して携帯ができる新聞なら電車内でも読めたので重宝されました。
    もう一つ新聞の方が優位だったのはテレビの放送内容はその場で消えてしまって、もう一度確認のため見直すには録画・再生設備を必要とするのに対して新聞はいつでも読み直すことが出来た記録性でした。

    ところがスマホを始めとする携帯型の情報端末と、どこにいても繋がるインターネット環境が普及すると新聞紙の携帯・再読という優位性は崩れて、ほぼその存在意義を失いつつあると思います(スマホを持たない、またはずっと自宅に居る老人には文字が大きい新聞の方が良いのでしょうが)

    ところで、すこし早いですが新聞の末路はどうなるのか、ふと気になりました。一般企業のように店じまい・廃刊して静かに消えていくのか、あるいは赤旗のように特定勢力の機関紙のような形で存続するのか、消えゆく時にその新聞の本性が顕れるかも知れません。

  7. カズ より:

    製作費を削減し質を落としたTV局。
    取材力を削減し質を落とした新聞社。

    記者クラブ支給の紙をそのまま食べてれば、中身なんて違わない。


    しろやぎさんから おてがみついた
    くろやぎさんたら よまずにたべた
    しかたがないので おてがみかいた
    さっきのてがみの ごようじなあに

    *オールドメディアの存在意義は、ネタの玉手箱。

    (今年もよろしくお願いします。)

  8. オタク歴40年の会社員です、よろしくお願いいたします より:

    新聞の情報は古い、まさに
    凋落の原因はこれに尽きると思います

    アニメでさえ放映中にファン達が実況に参加して、
    そのWikip◯diaは放映後わずか一時間以内に内容か書き換えられます、
    欲しい情報を欲しい時に、

    講◯社の漫画雑誌イブ◯ングが休刊を発表しました、
    当たり前
    本当に酷い作品ばかりでした、
    特に旧日本軍をテーマにした漫画作品が最悪
    醜悪
    侮辱
    ここまで悪意ある内容にうんざり、
    ちゃんと調べたのか取材したのかと、
    編集はアカと在日の巣窟か、
    休刊廃刊はなるべくしてなった結果です。

  9. めがねのおやじ より:

    20年間で新聞は、年間7190万部→3677万部と激減したーー恐っそろしい数字ですネ。リクルート中の学生さんも中途採用者(とは言わないんでしたね。経験者でしたっけ)も、もうその数字だけで敬遠でしょう。テレビも雑誌社もそう、フツーの人ならそんな業種には行きませんよ。何か自分で発信したいなら、新聞社やテレビに雇用されなくても、誰でも出来る。マスメディアはゼンゼンッ魅力が無い(笑)。

    近く就職しようという若い世代なら、インターネットは使いこなして当たり前。世の中の動きも新聞社主筆さんや論説委員さんより、よくご存知だ。それでも「この指にとまれ!」と強引な主観による記事をを書いて、読者離れが甚だしいのが何故分からぬか?庶民には「貧乏人には教えてやる」「憐れな年金暮らしはウチの社説を読め」という気持ちが行間から滲み出てる新聞社。ヒトの気持ちは離れていく一方でしょう。5年後どうだろう?大手5社と地方紙の内、実質部数の少ないところは廃刊になっているのではないか。

  10. より:

    新聞については、数ある情報源の一つとして見ています。現在の新聞各紙が紙メディアの特性を十分に生かし切れているとも思えませんが、やはり紙メディアには紙メディアのメリットがあるのです。例えば、速報性に欠けるという話は、ラジオの出現以来言われ続けていますが、普通に暮らしていて、情報更新で1分1秒を争うような話なんて、災害情報くらいでしょう。また、個々の情報について、紙面での扱いを見れば、少なくともその新聞社がその情報についてどの程度重きを置いているかわかりますし、「角度」についても、その新聞社の傾向を知っていればどうということもありません。そして、なんとなく紙面を開いてみて、日頃自分では追ってない分野の情報に興味を惹かれたりなんてことも珍しくありません(ex. 鉄道周りの話とか、地方の特産物の話とか)。後はそこから自分でネットで調べれば良いのです。
    日頃、社説などは全く読みません。むしろ、雑多な情報を掲載していてくれた方がありがたいと思っています。紙面での扱いによる情報の重みづけは多少参考にはしますが、どうせ必要ならば自分で調べに行きますから。その意味では、私にとっては、新聞は情報源の一つというよりは、多くの「入り口」を提供してくれるものと言えるかもしれません。

    なお、スマホがあれば新聞なんかなくたっていいじゃないかとという見方については、けして間違いであるとまでは思いませんが、少なくとも私としては、スマホの狭い画面で長文記事を読むのはかなり苦痛です。なので、スマホではレストラン情報などを検索することはありますが、政治経済や国際情勢に関するニュースを検索することはほぼありません。そのような情報やニュースを探すときにはPCのブラウザを使っています。

  11. ねこ大好き より:

    オールドメディアは需要が無くなった斜陽産業なのでしょうか?私は違うと思います。人は常に知的な情報を欲しており、事実、新宿会計士さんはじめ、多くの方がネットで動画や記事を発信しており、沢山の視聴者や読者がいます。その競争の中で劣勢になっている、という事だと思います。劣勢の原因は記事の信頼性、信憑性の著しい低下です。
    一番良く無いのはダブルスタンダードと報道しない権利の遂行、それと捏造報道と反日(反政府)親中親韓報道。社会に対する肯定感が全く無い記事。セルジオ越後氏の解説より本田圭佑氏の解説を聞きたいですよ。
    真っ当な報道をしている限り、オールドメディアにもまだまだ存在価値はあると思います。しかし20年前のような力はもう無いと思います。

  12. sqsq より:

    新聞には政治、経済、社会、国際、スポーツ、娯楽、ラテ欄、一通り何でもそろっている。
    現代の人はこのような広く浅い一般的な情報では満足しないのではないか。
    主要紙は国会記者クラブがあり番記者などを政治家に張り付けていて政治の分野では他の情報源よりも強固な基盤を持っているかもしれないが他の分野はもっと詳しい深掘りした情報がある。しかも無料で。もう一つは即時性の問題。東証で前場に株が大きく下げて、夕刊の一面は「東証一時1000円を超す下げ」という大見出し。ただその夕刊が配達されるのは夕方4時ごろで、その時点で東証の取引は終わっていて株価は元に戻っていたりする。実に頓馬な記事になってしまっている。新聞の衰退は百貨店の衰退と似ていないこともない。百貨店には何でもそろっていて、食堂でランチも食べられ、屋上に行けば小さな遊園地まであった。いまどきデパートの食堂でメシは食わないだろうし、屋上の遊園地など子供でもバカにするようなレベルだ。

    1. 匿名 より:

      十数巻に及ぶ大百科事典が売れなくなった理由によく似てますね。
      その昔は、本棚の肥やしとして購入する人も少なくなかったのですが、今やAmazonで見ても、分野ごとに百科事典と称する書籍はありますが、森羅万象を網羅するような本来の意味での百科事典はほとんどありません。その意味では、百科事典はすでに滅んだと言っても良いようです。
      でも、ならば百科事典には存在意義がないのかというと、必ずしもそうとも言えないのではないかと思っています。百科事典を「何かを調べるための本」と思うからイカンのであって、普通に「読み物」だと思って読めば、これほど読みでのある本はあまりないでしょう。そこらの雑学本など比較対象にすらなりません。特に、分野ごとの編集ではなく、単純にすべての項目を五十音順(またはアルファベット順)に並べた百科事典だと、見ようと思った項目の前後に全く関係ない分野の、でも興味を惹かれる項目があったりします。オンラインの百科事典ではそういうわけにはいきません。
      かつて該博な知識を誇った小松左京は、若い頃にブリタニカを入手し、1ページずつ舐めるように読んだそうです。もちろん、その後、興味と必要に応じて、より専門的で深い資料をも読み込んでいったでしょうが、まずは「広く浅い」ところから始まっているのです。

      新聞部数の減少が、読者が「広く浅く」に満足できなくなったから、あるいは「広く浅く」でしかないことに読者にバレてしまったからという見方はとても面白いと思いますし、そうかもしれないとも思います。ただ、まあ、個人的には、浅くてもいいからなるべく広く俯瞰するという視点は喪いたくないですね。それだけではダメだというのはもちろんではありますけれど。

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