X

読者雑談専用記事通常版 2022/08/13(土)

『読者雑談専用記事(通常版)』を更新しました。どうぞご利用ください。

読者雑談専用記事(通常版)とは

本記事は、特段のテーマを決めず、読者の皆さまがおのおの、好きなことを書き込んでいただくための「雑談専用記事」です。原則として土曜日と火曜日に新しい記事を立ち上げています。

書き込んでいただく内容
  • 読者同士の挨拶ないしは近況報告
  • 最近気になっていること、議論したいと思っていること
  • 自分自身のブログ・SNS記事等の宣伝(※)

等々、何でも結構です。

なお、コメントを書き込む際のルールは『読者コメント要領・引用・転載等ポリシー』等のページをご参照ください。

読者投稿

読者投稿募集』のページにも示しているとおり、当ウェブサイトでは読者投稿を歓迎しています。

その際、読者投稿の基準を満たさない投稿記事(たとえば文字数が足りない、など)については、こちらの「読者雑談専用記事」に書き込んでいただいて結構です。その際、最初に「投稿のタイトル、投稿者の簡単なプロフィール」などについて記載してください。また、1回の投稿で書ききず、投稿を続ける場合は、「続き」とわかるように明示してください。

過去リンク/次回更新予定

次回の読者雑談記事(通常版)につきましては、『読者雑談専用記事通常版 2022/08/16(火)』を8月16日(火)正午に公表したいと思います(なお、これとは別に、テーマ別記事を公開する可能性もあります)。

過去の「読者投稿一覧」につきましては、次のリンクをご参照ください。

新宿会計士:

View Comments (66)

  • 別のタブで曲を聴きながらお楽しみ下さい(*・ω・)ノ

    残雪 改め 残当

    破綻まじかの 日韓関係
    ATMさえ凍りつく ATMさえ凍りつく
    反日無罪が 社会ゆがめ
    新日レッテル 貼り合いになる 新日レッテル 貼り合いになる

    忘れるな約束を 破ったのは韓国
    忘れるな約束を 破ったのは韓国

    出て行く ペロシは 何思う
    見送る韓国 言葉冴えない 見送る韓国 言葉冴えない
    この日までの 同盟と
    小さな思いが 大きくなる 小さな思いが 大きくなる

    忘れない塩対応 もう来ない二度と
    忘れない塩対応 もう来ない二度と

    流れる雲のように 静かに離米をして
    溢れる川のように 冊封国まで行け

    飛び立つペロシ ふり向かず
同盟国の韓国離れ 同盟国の日本に着く
    
例えば半島 有事となり
    韓国破れ 滅びの時 半島赤化 成就の時

    思い出せ 韓国を 帰れない 韓国を
    思い出せ 韓国を 帰らない 自由を

  • 素朴な疑問ですけど、もし今、旧統一教会を事実上、規制する法案が出てきた場合、日本国憲法の宗教の自由とのかねあいで、「憲法には絶対に触るな」と言っていた人間は、どういう態度をとるでしょうか。
    私が考えるに
    ①「旧統一教会に味方するのか」という批判は覚悟して、違憲の可能性があるとして提訴する。
    ②「これは憲法違反にあたらない」と言い張る。これだと、自分たちが違憲と言い張っていたなかにも、憲法とは関係ないものがあった可能性を、自分で認めたことになります。
    ③解釈改憲か、本格的改憲かは別にして、憲法改正を訴える。もちろん、他の項目の改憲が必要ないかの話にもなります。
    ④仲間内で集まってだんまりを決め込む。一般人ならともかく、政治家には許されるのか、という問題になります。
    の、どれかになると思うのですが。
    (橋下徹氏なら①か③であるべき、と言いそうです)
    蛇足ですが、憲法の宗教の自由とのかねあいで、(暴力的行為があれば、話は別ですが)信者が自由意志で払うお布施の額に、制限を加えることは出来るのでしょうか。

    • >信者が自由意志で払うお布施の額に、制限を加えることは出来るのでしょうか。

      それが法に触れるマインドコントロールを行っていたり、霊感商法のような詐欺であれば犯罪として取り締まることはできると思います。
      しかし、宗教自体は憲法で保証されているので、オウム真理教と同じく解散させることは難しいでしょう。従って日本の法律に触れるようなことを組織的にしていないか、常に監視を続けることが必要となります。

      • (明確な違法行為があれば別ですが)宗教の教義と、マインドコントロールや(低額な)霊感商法との区別をつけることは困難ではないでしょうか。逆に言うと、「イスラム教が集団的マインドコントロールしている」や「新宿会計士がマインドコントロールしている」という言いがかりをつけることも可能だということです。
        蛇足ですが、ある宗教団体を継続的に監視すれば、「宗教弾圧だ」と言われる危険性があるのではないでしょうか。

        • すみません。追加です。
          ふと、思ったのですが、人類の歴史で政教分離したのは、ついこの間のことです。それどころか、現在でも政教分離していない国もあります。(アメリカだって、宗教と名乗っているかは別にして、完全には政教分離していないかもしれません)
          だとすると、人類は国教のマインドコントロール下に置かれているとも、言えるのではないでしょうか。

          • 日本国では、政治が宗教に介入することは禁止、すなわち信教の自由は保障しているが、宗教団体が政治活動することは禁じていない。では無かったでしょうか。
            従って、統一教会が政治家を操っても違憲ではないのですが、政治家が統一教会を操っるのは違憲と言うことで、厳密には政教分離は出来ていません。
            しかし、これは非常に分かり難い。
            統一教会の集会に顔を出すことも、祝電を打つことも、政治家=公人としては本来拙いのではないかと、私は思っています。
            弾圧だけが介入ではありません、擁護も逆の意味で介入ですから。

            ただ、それじゃどんな形が望ましいのかと言うと、私には能く判りません。

        • 日本には憲法9条教のマインドコントロール下の人間が大勢、いるのかもしれません。

        • 宗教は一種の洗脳なので厳格な区別は難しいでしょうが、マインドコントロールをするために拘束したり、薬剤を使ったりすれば犯罪です。でも、入信する人は大抵救いを求めている人なので、そこまでしなくてもすぐに信じてしまうので、どうしようもないのが現実でしょう。
          ケンポーキュウジョウ教も、若い頃にそれを刷り込まれた人々は自身のマインドコントロールに気づかずに歳を重ねた方が多いようで、老衰で絶滅するまで待つしかありません。
          そう言えば、安倍元首相の国葬を違憲だとして提訴した面々をテレビで見ると、老人ばかりでした。

        • 統一教会が教義で日本からカネとオンナを朝鮮半島に持ち去るのを善としてる訳ですが、「マニフェスト・デスティニー」と同列視して良いかもですね。

          インディアンを殺して土地を奪う事を正当化した訳ですし。

    • >信者が自由意志で払うお布施の額に、制限を加えることは出来るのでしょうか。

      立法が必要だけど、所得の1割を越える贈与には贈与税を100%かけるみたいなことをすればどうかな?
      もちろん宗教法人狙い撃ちじゃなくて、対象はすべての贈与なのです♪

      • ・・・こんなことしても、壺を売って商取引きに偽装されるだけですね♪
        ( ⌯᷄ω⌯᷅ ).。oஇ

        • 偽装した商取引には、一般商取引と同様な課税がなされます。
          特定商品取引法などもあり、ある程度は救済できると思いますが、営業の自由との兼ね合いで難しい部分があるのも事実と思います。

          悪徳利得は税務署が査察に入れば脱税で挙げられるんでしょうが、用心棒的な悪徳弁護士、悪徳政治家が邪魔をするのが問題。

          反社会的な宗教法人でなければ(一般の神社仏閣)、寄付に対するある程度の優遇は認められると思いますが、巨額の寄付を集めたり、海外に巨額送金したりするのは取り締まるべきと思う。その額の決定は難問。

          この統一教会問題(公共の福祉に反する団体)に、まともに切り込まず、単なる政争の具にしかできない(野党)国会議員、メディアは存在価値はないと思います。

          国会議員は、これだけの社会問題になったのだから、フランスの様なカルト集団防止法とか、宗教法人の税制優遇を見直すなどの立法措置にエネルギーを使うべし。

          それが出来なければ、野党国会議員こそ議員歳費詐取の詐欺集団と言えると思う。

        • 少なくとも宗教法人でないなら、国税の査察という手があります。
          しかしそれが殆ど行われていない様なのは、教会が政治と癒着、官僚の政治への忖度と言う事でしょうかね?

    • >引きこもり中年様
      横から、失礼します。

      >暴力的行為があれば、話は別ですが

      仰る通り暴力行為が著しい場合は、オウム関連法ができており、最高裁にて「宗教法人の解散命令が憲法二〇条一項に違反しない」(H7)との判決が出ております。

      今回の場合は主に民事なので、現状では通らないと思います。
      ただ最高裁の判例も「一般的な社会的通念概念」に引き摺られる傾向があるので、ひょっとしたら判決に影響が出るかも知れません。

      多少現実的なものとしては「個人の信教の自由を妨げるものではない」という一文と保護条を入れて新法を立法してしまうことでしょうか。

      実際のところとしては、宗教団体の方を縛るのは難しいので、国会決議や党の規約で「気を付けましょうね」ぐらい落ち着くと思います。

      統一教会に限っても、与野党ほぼ全党に「接触」はありますし、他の宗教団体や思想団体を含めるとキリがなくなります。

      今は何が何でも「国葬」を妨げたい一部の人々が、モリカケサクラの様に法的根拠にもならないことで騒いでいるだけという印象を持っています。

      彼らの今の主目的は「安倍元総理が民主主義や自由主義に殉じた」という構図をどうにかして回避したいのだと思います。

      ただ彼らは粘着質でしつこいという特徴を持っており、国会審議の妨げになり続けることになると予想しているので、少し辟易しています。

    • 引きこもり中年さまの提示いただいた切り口は
      とても秀逸で ハーバード白熱教室的な
      現実社会に深く関与する命題だと感じます。

      ただ・・・・・
      そうやって真面目に考える
      私達国際社会の常識は
      まったく適用されないのが 
      韓流 というものです(笑)

      劣化儒教の思考では、
      自分にとって損か得かの判断が絶対で、
      善悪の決めつけというものは
      そのための方便に過ぎないものだと知られています。
      中上、安重根などのテロリストを支持したり
      嘘捏造で謝罪と賠償をねだる時に
      正義を口にできるのも
      そうした特質からのものなのでしょう。

      ま、これは韓流劣化儒教に限らず、
      善悪考え怯んでいては商売あがったりの
      江戸時代の山賊追い剥ぎさんにも
      見受けられる特徴ではあります。

  • 最近、家内が点けているテレビのニュースショウをぼーっと見ていたら、ニュースのトレンドを多分頻度が多い単語の文字サイズを大きくして表示するAIを使った分析なる画面をちらほら見かけるようになりました。
    はて?、と2つの疑問がメラメラと沸き起こりました。詳しい方がいらっしゃれば訂正願いたいのですが、1つ目は、巷に溢れるネットニュースのヘッドラインに使われている単語の頻度を単にカウントすれば同じでないのかいな。ではAIはどこに使われているのだろ? もしかしてヘッドラインの日本語を単語に分解するだけにAIが使われているのだとしたら、それって、AIを使ったニューストレンドの分析と言えるのかいな。まさかとは思いますが、でも、ウソは言っていないけれど言葉の綾を利用して、受け取り手に別の印象を持たせる操作はマスコミの得意芸だしなー

    2つ目の疑問は、日本のマスコミは、アメリカのように地方に独立の小さな新聞社があって独自の取材を行って記事を作っているというような地方紙や放送局は希で、大抵は系列化されています。よほどローカルの例えば隣のポチが子供を産んだというような話以外の、特に政治ネタや時事ネタは系列の上部から流れてくる内容の受け売りがほとんどでしょう。つまりは日本のニュースをいくら手広く集めたところで系列毎に内容はほぼ同じです。AI分析といえども、インプットが偏っていればアウトプットも偏るのであり、悪意を持った言い方をすれば少数の系列マスゴミ村のボスどもが話題にしたい単語が大きな文字になって表示されるだけではないのかい。

    まー、つべこべ詮索せずに話半分でぼーっと見ていればいいんですが。

  • 台風8号 昼過ぎに静岡県上陸か すでに300mmの雨で土砂災害警戒(ウェザーニュース)
    https://approach.yahoo.co.jp/r/QUyHCH?src=https://news.yahoo.co.jp/articles/a12f1f1d82e1c8b43fd225dac98b97222de41973&preview=auto

    ウェザーニューズ LIVE
    https://youtu.be/0FZ5TC1ArZI

     みなさんのところは大丈夫でしょうか?
    コチラは時々雷が鳴ってます
    20時過ぎには直撃するかも w

    >台風8号の名前「メアリー(Meari)」は北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)が提案した名称で、やまびこという意味の言葉から名付けられています。

    いかにも性悪そうですね ww

    • 中国・東北に大雨 だそうです。
      じゃ、日本列島は関係ないか・・・

  • 週末(終末?)だから、チョッとが宗教の事を考えてみよう。

    ユダヤの神は何故、「妬みの神」となったか?
     これを知らないとユダヤ教を土台にして出来たキリスト教
     イスラム教、その流れを引き継ぐ共産党の妬みの精神が
     解らないよ。 この前迄マスコミが騒いでいた「いわゆる
     サクラ問題」も日本共産党の機関紙「赤旗」が妬みで記載した
     記事から始まるんだよ。 疑惑は何かというと「妬み」だから
     その「妬み」が解消されない限り、ず~っと続くんだよ。

    ユダヤ教の歴史は、バビロン捕囚から始まる。
    紀元前597年新バビロニアの王ネブカドネザル2世が
    ユダ王国迄侵攻し、ユダ王国にいたユダヤ人をバビロニアに
    連行し、移住させた、
    紀元前538年アケメネス朝ペルシャの初代王キュロス2世により
    ユダヤ人が解放されエルサレムに戻る事が許された事から始まる。
    と歴史の本や宗教関係本には、ほぼ上記のような事が書いてあるが
    (本当に連行されたかどうかは不明だよね。
    古い話だし、当事者は死んでいるし、被害者だと叫ぶ人達の
    文書しか残っていないしね。
    現代史において(1945年8月以降に)日本軍に120万人連行されたと
    教育しているどこかの人達が側に居るからね。 本当はメソポタミア
    地区に集団移転したのが事実なのかもしれないし。)

    パレスチナ地域は半乾燥地帯であり、雨が降るか・雨量の多少等により
    麦等の畑作、牛・羊等の牧畜に被害が生じる。
    降雨量の減少・雨が降る時期がずれれば、飢饉に直面するのである。
    だから、新バビロニアの侵攻に合わせ、メソポタミアに一部移転した
    可能性もあるね。

    別の時代、そう聖書のモーゼの時代、エジプトにパレスチナ人が
    多く住み奴隷として都市建築に従事していたという話があるよね。
    (そー言えば、集団就職で働かせてもらったのに、働かせたといって
    謝罪と賠償を要求している国があったような)
    何故、エジプトにパレスチ人がという問題は、パレスチナで雨が少なく
    飢饉になりエジプト迄避難したからである。
    エジプト政権がパレスチナ人を呼び寄せた訳じゃないんだよ。
    創世記 43-1:飢饉はその地に激しかった。
    創世記 43-2:彼らがエジプトから携えてきた穀物を食い尽くした時、
    父は彼等に言った。「又行って、我々の為に少しの食料を買って
    きなさい」以降も参照の事
    (注:飢饉のわりに、よくあんな距離を歩けるもんだ)
    エジプト政権は食料を与える代わりに、都市建設に従事させていた
    だけの話である。
    パレスチナ人はエジプト人(国民)ではないので、農地が与えられ
    ないから労働者として働かざるをえなかった。
    (ここでパレスチナ人と記載しているのは、パレスチナ地域に住んで
    いた人を表します。 又、ユダヤ人と記載しないのは、当時ユダヤ教が
    あったかどうかが、どう考えても不明だからである…ユダヤ教の発生は
    紀元前538年以降であり、モーゼの出エジプト時と、時代設定が違う
    のではないかと思っているからです―どう考えてもモーゼの出エジプト
    の方が古いような)

    新バビロニアがパレスチナに侵攻・バビロン捕囚し、パレスチナ人が
    パレスチナに帰還する迄、ユダヤ教は無かった。
    当時の神様の功能は当然、天候神その他:当然その頃は多神教です。
    (注:後にバール神という名前で聖書には登場します。)
    雨が丁度良い時に適量振ってくれなきゃ、麦を植えれないし
    草が生えないと牛・羊の放牧に問題が発生するからね。
    ヤハウエとかエホバとか聖書に記載しているが、日本基準で言えば
    村の鎮守様・祠等地域の神様の青森の津軽方言と
    鹿児島薩摩方言の違いのようなものであると思ってよいと思います。
    パレスチナで離ればなれの遠い地域に住んでいた人達が、
    ネソポタミア迄行き、又パレスチナに戻ってきてから、皆で旧約聖書の
    元みたいなモノを造った時、神名を統一できなかっただけだと思います。
    鎮守様の神様の名が天照神・スサノオ神・その他か解らないよね?

    さて、パレスチナ人がバビロニアに行ってやっていた仕事は
    用水路の泥さらいが主。
    年月が経つと、生まれた故郷を思い出すのは老人の証という事で、
    パレスチナに戻りたいと願った人達が出た。
    全員ではないよ。 一部の人達がパレスチナ地域に戻りたいと王様に
    お願いしたんだよ。 残りの人達? そう、噂の失われた10支族だね。
    皆が皆、大都会から超田舎暮らしに戻りたいと願うというのは、
    チョッと違うよね?
    パレスチナに帰還したんだけれど、大都会のバビロンから
    辺境のパレスチナに戻ると、バビロンに有った飲み屋街やあんな所
    ムフフ地帯(通称赤ちょうちん)はパレスチナに無く、バビロンを
    羨む・妬むようになったんだよね。(赤ちょうちんに行きてぇ~)
    聖書では「悪魔の都」とか、散々な言われ方をしているのは、
    この為だよ。
    物凄く「赤ちょうちん」が羨ましかった・恋焦がれていたんだね。
    東京で言えば、池袋や新宿の「赤ちょうちん」で遊んでいた人達が
    奥多摩の奥の集落に帰ったようなものだね。
    新宿や池袋だとコンビを出て5分も歩けば別のコンビニというか、
    向こうの通りに同じコンビニがあるよね?
    でも奥多摩の奥にはコンビニのような便利なお店は無いよね?
    (注:奥多摩の皆様、申し訳ございません)
    文化・宗教とか、丸ごと全部バビロニアの方がもの凄く、圧倒され
    ちゃったんだよね。 それに対抗しようとして、多神教を止めて
    「一神教」を造ったんだよ。 どうしても、違う新しい神が欲しいとね。
    神様から一新してやる・バビロニアを絶対超えてやるんだ。 
    これが、ユダヤ教(妬みの宗教)の始まりだよ。
    メソポタミア神話を読んでから、旧約聖書を読むとメソポタミア神話に
    記載していた事が、旧約では人・場所を変えて記載していると
    解る箇所があるよね。(結局パレスチナに帰った人達に新規創作
    能力が足りなかったんだよね。
    そー言えば、どこかの国で日本をアレコレ追い越したと騒いでいる
    国があるよね? アレが当時のパレスチナで、バビロニアが
    日本と思えばピッタリだと思いませんか?)

    (追伸)
    日本書紀に聖書みたいな箇所があるのは、
    作成(創作)した時執筆者の中にキリスト教の人がいたんじゃないかと
    思ってる。(注:厩戸皇子の出生譚、あれってイエスの誕生話の
    日本版だよね?)

    • バビロン捕囚は,エルサレム陥落後,再度の反乱を防止する目的で,ユダの上層部や高度な技術者だけを,バビロニアの各地に移住させて徒党を組ませないようにした,というのが実態ではないかと思います。財産の没収があったかは知りませんが,移住後は比較的自由に暮らしていたようです。それから,庶民や下層階級は捕囚の対象ではなかったようです。「用水路の泥さらい」よりは,まともな仕事をしていたと思います。たぶん,読み書きができる教育を受けた人が多いはずなので。
      エジプトに限らず,今の欧米でも移民や外国人が,労働者として使われる(高給を目当てに自主的に働く人が多い)のは,変わっていないと思いますが,受けた教育によって仕事も変わります。
      バビロンから見るとエルサレムは寂れた町だったでしょう。
      貧乏なうちは日々の生活で手一杯でも,少し裕福になってくると,もっと裕福な人を妬む余裕だでてくるのでしょう。
      (追伸)の部分は,ちょっと考えにくいかな。

    • もう少し論拠を集めれば、ムック本のムーに出せるかも、のお説ですね。

    • ちょろんぼさま
      敢えて、反論させていただきます。

      厩戸皇子を産んだのが穴穂部間人夫人。
      その名前、間人(はしひと)は波斯人(はしひと)を意味し、間人夫人はペルシャ人の血を引いた女性であった。つまり、その子聖徳太子にはペルシャ人の血が流れていたのである。その証拠に、聖徳太子の等身大と言われる法隆寺夢殿の救世観世音菩薩像は180cmあり、実際に聖徳太子は日本人としては長身の180cmだったのだ。

      ……と、説く方がいますが、ちょっと待って下さい。
      薬師寺や唐招提寺にある仏像は丈六仏とよばれます。これは、一丈六尺=4.8mの仏様が坐った姿なので、実際には2.4mの座高です。仏像のサイズ(像高)にはいろいろ決まり事があるようですが、私は無知なので詳しい事は飛ばして、坐像は立像の半分の高さと理解しています。

      ところで、法隆寺金堂の釈迦三尊像の光背には、622年に流行病で薨去した聖徳太子の等身を写して釈迦坐像を造ったとの銘文があります。その釈迦坐像の像高(座高)が90cm。一方、夢殿は739年に行信によって建立されました。(当時の流行病で亡くなった人々を供養するために建立との説あり) そこに安置された救世観音菩薩像の像高が180cm、金堂の釈迦坐像の二倍です。

      現在の日本人男子の平均座高は約90cmだそうですが、平均身長は180cmにはなりませんよね。また、法隆寺の近くにある藤ノ木古墳に埋蔵されていた男性二体の身長はともに160cmあまりだそうです。(なんで、男性が二人ひとつの墓に埋蔵されていたんだ⁇ ……という、質問は今回は無しにして下さい。)

  • 上の書き込みで思い出した話ですが,少し前の新聞ネタですが「日本の大企業のトップは低学歴」というテーマで書いてみます。つまり,大学院修士・博士レベルの経営者が欧米やアジアに比べて少ない,という話。
    元ネタは日経の記事ですが,書いてる記者さんも,大学院で何を勉強して,それを勉強すると何が変わるのか,という部分はよく分かっていないようなので,そこから説明を始めます。
    理系と文系で多少違いがあるようで,文系のほうはよく分からない部分もあるので,理系限定で説明します。もともと,理系は大学で学習しないといけない基礎知識が多すぎ,学部の4年間では勉強しきれないので,その不足部分は,学部の講義と同じスタイルで修士仮定で勉強します。学部4年で研究室に配属されますが,多くの学生は大学院に進学しても同じ研究室で研究を続けます。教員が直接指導する時間よりは,博士や修士の上の学年の院生から細かいことは教えてもらうことが多いと思います。そうして,基本的な実験等の研究方法を学んでいきます。あと,論文の読み方,書き方を少しづつマスターしていきます。博士課程になると,指導教員から推奨されたテーマの研究から離れ,自分で独自に研究テーマを考え,その研究に移っていきます。同時に,自分1人でも英文論文が書ける程度の論述力も身に着けていきます。ついでに,IT技能は研究の課程で自然についていきます。
    他方,学部卒の場合だと,日本の大学の文系学部は卒論が必修でないところも多いので,論文を書いた経験のない人も多いと思います。さらに,論文が読めないレベルの人も多いようです。欧米の経営者は,基本的に修士以上の学歴が多く,論文にアクセスできるレベルなのが普通です。それで,日本と欧米の経営者が会議をすると,そういう基本的な教養のレベルで大きな差が出てしまいます。それで,何となく「日本の経営者は低学歴」と思われてしまう。東大法学部卒だと,定期試験で論文型答案を書く訓練はしているでしょうが,添削はしてもらっていないと思います。ゼミに所属した人を除いて。文系卒の経営者の場合,科学技術やIT, AI,数理的分析についての知識は,欧米と日本で相当差があると思います。大学入学後にほとんど勉強していませんから。
    余談ですが「日本人の書いたマニュアルはジョークである」という話が昔からありますが,論文の書き方の指導をしっかり受けていない人が,まともなマニュアルを書くのは,結構難しい気がします。最低でも,卒論を先生に徹底的に添削してもらった経験くらいないと。
    それから,欧米の場合,コース別採用が一般的なので,幹部コースではMBA以上は必須でしょう。採用後も,若いうちから経営者としての教育を徹底的に受けます。社内政治を勝ち抜日本人サラリーマン社長とは,それまでに受けた経営者としての教育に,かなりの差ができています。どちらかというと,日本人サラリーマン社長は組織の総まとめ役の性格が強く「経営者」とはちょっと違うのかもしれません。
    先週書いたように「日本は人海戦術」で,企業の採用方針も「同じようなレベルの人を大量採用する」ことにあって,希望レベルより下だと困るだけでなく,上過ぎると処遇できないので困るのです。最近は,外資系企業が大学院修了生を積極的に採用してくれるのですが,日本にとっては「優秀な人が日本企業ではなく外資系に集中してしまう」という多少まずいことを起っているわけです。ついでに,別の原因のほうが大きいですが,国家公務員のレベルも下がっていく,という現象もあります。最近は,法学部出身者ではなく,技官出身者をトップに据える省庁も出始めました。

    • 文系の場合、専攻によって全く異なってくるので、一概には言えませんが、私の専攻のほうで言えば、大学院で何をするかというと、徹底的な原典購読です。先人たちのおかげで、大抵は日本語訳があるのですが、翻訳書をいくら読んでも「勉強した」とは見做されません。あくまでも、原典を一語一語精読し、さらに関連の論文を山ほど読み込んで初めて「勉強した」ことになります。その意味では、修士課程の2年間は「勉強の仕方を習得する場」となり、本当に意味での勉強は、博士課程に入ってようやく始まるくらいのものでしょう。一応、学部でも卒論は必修でしたが、学部で習うのは概論の導入部くらいです。まあ、ちょっと捻くれた片言隻句くらいは多少仕入れられますが、それ以上ではありません。
      なので、修士課程、まして博士課程にまで進もうなんて人は、ほとんどがまともな就職を諦めた人ばかりです。大学に残ろうにも、ポストの空きなんてほとんどありませんから。なので、博士課程を終えた人が、塾の講師か何かやっているというのも珍しくありません。そもそも、博士課程修了時に学位論文を書いて学位を取れる人なんて、よほど特筆すべき秀才だけです。学位を持ってない教授というのも珍しくないくらいですし。

      まあ、一口に「文系」と言っても、幅が広すぎて、とても一概には言えませんし、多くの学科でな~んにも勉強しなくても卒業出来てしまう、そしてそういう学生が山ほどいるのも事実です。上記で例として挙げた私の専攻のほうでも、9割の学生はそうでしたから。
      以上、何かのご参考になれば。

  • ・統一教会バッシングが続いていますが、統一教会が、風俗遊戯業界・民団・韓国政府とどういう関係にあるのか、わからない。
    ・奈良県警の記者会見で、本部長や警備部参事官が列席していたが、警備部長の姿が見えなかったのはなんでやろうか?

  •  キムの軍団(元歌 猿の軍団)

     遥か 遥か はーるーかー
     東海(トンへ)の果てに 旅立てば
     そこに そこに そーこーにー
     ひもじい世界が 待っていた
     マンギョンボボンボンボンボンボン
     共食いするのは もう止めて
     怒りの声を挙げるのだ
     恨(ハン)という名の 武器を執り
     人民らしく 戦え
     キムの軍団 キムの軍団
     何するものぞ 何するものぞ

  • 借金してでも献金「断れる訳なかった」 旧統一教会に捧げた数千万円
    2022年8月13日 7時00分
    https://www.asahi.com/articles/ASQ8D52YWQ83UTIL02D.html

    有料会員記事ですが。
    これでも統一教会を宗教団体とし続けるなら、オウム真理教も普通の宗教団体として再認しても良いんじゃないですかね?

    • 【独自】山上母からカネを巻き上げた統一教会の「女霊能師」の素顔と手口がヤバすぎる
      先生と呼ばれた女(前篇) 2022.08.13
      https://gendai.media/articles/-/98574

      ご存知の方も多いかもですが、ご紹介です。

  • ポストデジタルとは分子生命学、ナノテクノロジー、バイオテクノロジーをはじめとする有機物的多様体が媒体となったアクター・ネットワークの相互外在性が具現化する現代社会における抽象機械の生成変化の概念である。

    ポストデジタルは音響への課題から音楽家 キム・カスコーンにより導かれたグリッチ理論により提唱され、社会学者 松本良多により複合的な社会にアダプトする現象学として明確に定義された。 ポストデジタル・ソサイティは視覚、触覚、聴覚、および運動感覚のメディア体験、仮想と拡張現実の現動化、オリジンとなるノードとグローバル・ネットワークのキャタリスト、インディビジュアルとモナドとしてのコミュニティの対話との微分的な関係、およびウェブ対応のメディアにおいてアーティストの役割が再定義されたインターデシプリナリー性を包含する、コミュニケーション、交流、コラボレーションを通じてつくられた生成と流動の超越論的唯物論である。

    ポストデジタルと社会
    資本主義社会はデジタル・パラダイムを、多様体としてのメディアをそのつど反復し地層化する数字列からメッセージを生成するマトリクスの内在性へと微分化させた。 以後、デジタル・メディアは自らアクタントとしての存在者との関係を制御し、ハイパーテキストの内在的原理からなるメッセージを生物学的インタラクションによって流動し変化しつづけるプロテウス的なプラットフォームへと変容させる。 ポストヒューマニズムと同様に、松本良多によれば複雑系、バーチャリティ、分子生命学、ナノテクノロジーにより形成、再生されたインターラクティブな社会が現在から未来への射程としてポストデジタルを構成する。 具現化されたスタック・コンピュテーションと複合現実との間の触媒によるトポロジカルなメタ作用を通してのデジタル技術の内在的平面化とバイオジェネシス・プロセスに取り組む認識論として松本良多はポストデジタルをとらえている。

1 2 3