6年目を迎えたウェブ評論:安倍総理の遺志と自由言論
早いもので、当ウェブサイトも立ち上げてから6年が経過しました。正直、ここまで長続きするとは思っていませんでした。読者の皆様には深く感謝申し上げます。さて、当ウェブサイトにおいて最も重視しているのは、「読んでくださった方々の知的好奇心を刺激すること」であり、その際のポイントは、「客観的事実と主観的意見を分けること」、「読者コメントを受け付けること」だと考えています。また、安倍総理の遺産について考察するついでに、憲法に関する私見も提示しておきたいと思います。
目次
言論空間を作る
「2種類の情報」
早いもので、当ウェブサイトを立ち上げてから、本日でちょうど6年が過ぎました。
当ウェブサイトのコンセプトを改めて申し上げておくと、一番重視しているのは、「読んでくださった方々の知的好奇心を刺激すること」です。そして、その目的が達成できているかどうかについては、日々、このウェブサイトを訪問してくださる個々の読者の皆様に評価していただく、というわけです。
ところで、改めて指摘しておくと、フィクションなどを除けば、世の中に存在する情報は、基本的には「①客観的事実」、「②主観的意見」の2つに分類できます。
このうち「①客観的事実」とは「誰がどのように表現してもだいたい同じような内容となる情報」のことであり、「②主観的意見」とは「表現する人によって全く異なる情報」、あるいは極端な話、「真逆の内容となるかもしれない情報」のことです。
世の中の情報
- ①客観的事実…誰がどう表現してもほぼ同じような内容となる情報
- ②主観的意見…表現する人によって全く異なる内容となる情報
(【出所】著者作成)
参院選の事例で見る「客観的事実」
これについて、具体例で確認してみましょう。
このうち客観的事実は、基本的には細かい表現の違いこそあれ、だれがどう表現してもほぼ同じ内容になる情報のことであり、たいていの場合は、日付や数字などで表すことができることもあるという特徴があります。先日の参議院議員通常選挙の例で考えましょう。
次の(A)という文章を読んでみてください。
(A)「2022年7月10日に実施された参院選で、自民党は63議席を獲得し、非改選の56議席と合わせて合計勢力は119議席となった。これは参院の過半数(125議席)には6議席足りないが、27議席の公明党と合わせれば、連立与党では過半数に達する」。
この(A)の記述に「反対する」という人はいないでしょう。なぜなら、この記述自体、客観的事実(具体的な日付、議席数など)を淡々と表現しているだけのものであり、だれがどう表現しても、ほぼ同じ内容になるからです。
もちろん、「2022年」を「令和4年」と呼ぶ人もいるかもしれませんし、「合計勢力119議席」とある部分を、「議長を除けば合計勢力118議席」と称する人もいるかもしれませんが、どう表現したとしても、本質的にはまったく同じ内容です。これが客観的事実の具体的な事例です。
主観的意見は対立する(かもしれない)
しかし、主観的意見は、まったく異なります。文章(B)と(C)を読み比べてみてください。
(B)「この参院選では、自民党が勝利した。憲法改正に対する有権者の信を得た格好だ。今こそ憲法改正をやり遂げるときである。岸田首相は安倍総理の遺志を継ぎ、不退転の覚悟で実現させなくてはならない」。
(C)「この参院選では、自民党が勝利した。しかし、選挙戦では賛否の分かれる政策について、明確な処方箋を示し、正面から有権者の判断を問う場面はなかった。これで、フリーハンドを得たなどと思われては困る」。
文章の(B)、(C)は、まったく同じ事象に対し、ほぼ真逆の主張をした文章です。この2つの文章、じつは(B)が産経新聞の社説を、(C)が朝日新聞の社説を、それぞれ加工したものです。
参院選で与党大勝 産経「改憲に覚悟を持て」 朝東「民意読み違えるな」
―――2022/7/20 09:00付 産経ニュースより
この(B)と(C)、どちらが正しくてどちらが間違っているかについては、本稿では敢えて指摘しません。むしろ、両方とも間違っているという可能性もあるからです。
ただ、少なくとも(B)、(C)のように、正面から見解がぶつかっている意見は、「両方が同時に正しい」ということはあり得ません。本当に悩ましい問題です。なぜなら、どちらが正しくて、どちらが間違っているかについて、だれか「偉い人」がいて決めてくれるというわけではないからです。
どうやって「正解」を見つけるか
(B)、(C)のように対立する主観的意見を見たときに、(B)が正しいか、(C)が正しいか(あるいはどちらも間違っているのか)を決めるのは、その文章を読んだ個々人です。したがって、とても大切なことは、どんな主張であっても排除しないという姿勢であり、これが自由主義の根幹です。
では、どうやって「正解」を見つけるのでしょうか。
これには正直、私たち一般国民が科学的思考態度を身に着け、特定の結論に誘導するようなプロパガンダを見抜ける程度には賢くなる以外に、方法はありません。だからこそ、基本的な知識に関する教育とともに、論理的な主張を行う適切な訓練が必要であり、こうした訓練は一生涯続ける必要があります。
そして、これをもっと一般化していけば、選挙で立候補している、さまざまな思想、信条、主張を持つ人々のなかから、あなた自身が「この人だ!」と思う人を見つけ、その人にあなた自身の貴重な1票を投じることが、民主主義の本質でしょう。
つまり、「どんな人がどんな主張をするのも自由」だが、「それらの意見の中から正解を見つけ」、「その正解を採用していく」ことの繰り返しこそが、まさに自由・民主主義社会の特徴なのです。
私たちは情報とどう向き合わなければならないのか
- 客観的事実については誰がどう表現してもまったく同じになる
- 主観的意見については論者によって主張が真逆となり得る
- 対立する主観的意見のどちらが正しいかを決めるのは、それを読んだ個々人である
(【出所】著者作成)
日本は民主主義国だ
民主主義とは長い手続
この点、共産主義国・全体主義国であれば、国営メディアが「絶対的に正しい意見」を書いてくれますし、人民はその「絶対的に正しい意見」に盲従することが求められます。しかし、日本の場合は自由・民主主義国家であり、何が正しいかについては、私たち日本国民ひとりひとりがその場で判断し、決めていかねばなりません。
そうなってくると、さまざまな立場の人がさまざまな意見を持ち、対立が生じます。こうしたさまざまな立場の人の意見を最大公約数的に集約するのが選挙であり、間接民主主義の考え方です。選挙の結果多数を占めることになった政党が与党となり組閣し、自分たちが正しいと思う政策を遂行するのです。
ただし、政権与党は「最も多くの有権者から信任を得た政党」ではありますが、「すべての有権者の信任」を得ているわけではありません。だからこそ、議会では少数野党にも発言の機会が保証されなければなりませんし、与党が数の力の横暴に任せて強行採決を繰り返す、といったことがあってはなりません。
そのうえで、議会における議論を尽くしたかどうか、与野党の行動が適切だったかについてを、私たち有権者自身が与野党の発信する情報をもとに判断し、次の選挙で生かしていく、という繰り返しによって、この民主主義社会が健全に保たれ、機能していくはずなのです。
その際、有権者は毎回の選挙で、少しでもマシな候補者を選び続けていかなければなりません。
その意味では、民主主義とは「濁った池をきれいにするために、綺麗な水を注ぎ込み続けるプロセス」のようなものです。問題のある議員を暴力的に一気に排除するのではなく、あくまでも数年に1回の選挙という手続によって入れ替えていくしかないのです。
オールドメディアの問題点:2009年の事例
ところが、日本社会においてこれを妨害してきたのは、「鉄のトライアングル」――すなわち、官僚機構、オールドメディア、特定野党です。
とりわけ、新聞、テレビを中心とするオールドメディアは、客観的事実と主観的意見をわざと混同させ、私たち有権者をミスリードするような情報を流してきたきらいがあります。2009年に自民党が大敗を喫した衆院選などは、まさにその典型例でしょう。
何度でも指摘しておきますが、2009年の総選挙におけるオールドメディアの行動は、あきらかに選挙結果を歪めるものでした。たとえば、投票の約3週間前の2009年8月12日に行われた21世紀臨調が主催した麻生太郎総理大臣と鳩山由紀夫・民主党代表の党首討論会を、メディアが無視したのはその典型例でしょう。
この討論会自体、公正に見て、麻生総理の完勝だったと考えて良く、もしこの討論会をリアルタイムで多くの視聴者が視聴していたならば、自民党があそこまでの大敗を喫することはなかったのではないでしょうか。
しかし、この討論会、少なくとも在京民放5局とNHKは生中継しませんでしたし、全国紙や主要地方紙も、翌日、ほとんど取り上げていませんでした。有権者はそんな討論会が行われていたという事実すら知らなかったのではないでしょうか。
現代と違ってまだスマートフォンがほとんど普及していなかったという事情もあり、当時、党首討論会をネットで視聴していたのは、新聞・テレビよりもインターネットで情報収集を行うことの優位性に気づいていた新宿会計士自身を含めたごく一部の「モノ好き」な層に限られていたのです。
結局、有権者の大部分が党首討論を視聴しなかった結果でしょうか、全480議席中、民主党が308議席(つまり64%)を獲得して地滑り的な勝利をおさめ、自民党が119議席にとどまるという政権交代劇が生じました。
オールドメディアが投票行動を歪めた証拠は、ほかにもあります。社団法人日本経済研究センターが2009年9月10日付で発表した『経済政策と投票行動に関する調査』です。これによると、新聞・テレビを情報源として重視する人ほど、比例で民主党に投票したことが、明確に示されています(図表)。
図表 情報源と比例区投票先の関係
(【出所】(社)日本経済研究のレポートのP7を参考に著者作成)
結論的にいえば、オールドメディア、とくに主要全国紙とNHK、主要民放が結託した「報道犯罪」そのものであり、まさに「メディア・クーデター」と呼ぶのが正確でしょう。
情報を双方向に!
そして、当ウェブサイトが「客観的事実」と「主観的意見」を可能な限り分け、自由な議論空間であろうと努めているのも、結局のところはこうしたオールドメディアに対するアンチテーゼでもあります。その重要な手段が、読者コメント欄です。
そもそもオールドメディアの多くは、情報の流れが一方通行です。情報の発信者が客観的事実と主観的意見を混ぜて情報を発信し、読者、視聴者は反論をすることを許されません。
これに対し、当ウェブサイトを含めた世の中のいくつかのウェブ評論サイトには、読者コメント欄が設けられています。このコメント欄は、記事を読んだ読者の方々の忌憚なき意見を記事の著者に伝えるとともに、他の読者に対しても自身の考えを知らせ、もって知的好奇心を刺激することに寄与する、という目的があります。
この6年間、さまざまなコメント主の方から累計20万件近いコメントをいただいてきましたが(※)、それらのコメントの多くは、結果として、まさにほかの読者の皆様にとっても知的好奇心を刺激するものであったのではないかと思う次第です。
(※なお、この20万件には中国、韓国、ロシアなどから日々寄せられる、詐欺サイト、猥褻サイトなどへの誘導を目的としたスパムコメントを含んでいません。)
「アベは~辞めろ!」
さて、民主主義について申し上げたついでに、著者自身が都内の某繁華街で目撃した、「アベは~辞めろ!」と叫ぶデモ行動についてもツッコミを入れておきましょう。
あれは、たしか2015年ごろの休日のことだったと記憶しています。著者自身、都内某所で所要を済ませ、駅に向かって歩き始めたときに、警察官が横断歩道を封鎖していたのです。
何事かと思ってしばらく待っていると、派手な格好をした男が自動車の上で、マイク片手に「民主主義ってなんだ~」、「独裁者のアベは~辞めろ!」と叫び、その後ろに100~200人ほどの老人らが「アベは~辞めろ!」というシュプレヒコールを繰り返しながら練り歩いてきたのです(※若者はほとんどいませんでした)。
なかなかに、鮮烈な体験でした。
その場にいた通行人のなかには、横断歩道を封鎖する警察官に「おい、渡れないじゃないか!」などと詰め寄っている人も居ましたが、正直、交通整理をする警察官も「被害者」のようなものではないかと思った次第です。
ただ、このデモ行進については、個人的には、こう思いました。
「もし安倍晋三総理を辞めさせたいのなら、こんなところでデモなんかせず、自分たちが政党を作るなりし、自民党を上回るほど魅力的な政策を立案し、多くの有権者に投票してもらうことで国会で多数派を形成すれば、安倍総理を合法的に内閣総辞職に追い込めるのになぁ…。」
ただ、彼らがそのようなデモ行進をしていた理由はおそらく、彼ら自身に政策立案能力どころか政権担当能力すら存在せず、仮に政治団体を結成したとしても、選挙で勝つどころか、下手をしたら1議席も取れないということを、彼ら自身が自覚していたからでしょう。
つまり、彼らは「アベは~辞めろ!」と叫ぶことを通じて、「民主主義以外の手段で」、暴力的に安倍政権を倒そうとしていたようなものです。
彼らは安倍総理のことを「独裁者だ」と叫んでいましたが、安倍総理自身は2012年12月の衆院選を含め、6回の大型選挙を正当な手段で勝ち抜き、民主的手続を経て内閣総理大臣に就任した人物であり、その人物をデモで辞めさせようとしたこと自体が、彼ら自身が民主主義の破壊者であることを意味しています。
その安倍総理は、こうした非常識なデモを取り締まることもなく、退任して以降も自身に向けられるヘイトを容認してきたのです。まさに「自由・民主主義」とは、安倍総理自身が体現していたものであると述べて間違いないでしょう。
安倍総理の遺志と憲法改正
安倍総理が遺したもの
そして、安倍総理が私たち日本人に遺したものとは、「失敗しても決してあきらめないこと」、「努力をすること」の大切さでしょう。
おりしも政界では、安倍総理の遺志を継ぎ、憲法改正を強く推し進めようとする機運が盛り上がっているようですが、これなどまさに、私たち日本国民にとっては、「客観的事実」と「主観的意見」という「2種類の情報」を賢く見抜くことができるかどうかの分かれ道ではないでしょうか。
幸い、2009年のころと異なり、インターネットという「多様性のある言論空間」が出現しています。
オールドメディアは憲法をめぐっても、(改憲に積極的な産経・読売と否定的なATMという違いはあれど)、正直、言論が多様であるとは言い難いのですが、ネット上ではそれこそ、本当にさまざまな意見が存在しています。
たとえば、当ウェブサイトの場合、憲法第9条については改正が必要であると考えているものの、それと同じくらいに優先順位が高い改正項目が存在すると考えています。
具体的には第7条の規定(天皇の国事行為)があまりにも多すぎることについては修正が必要ですし、フランス共和国憲法に倣い、少なくとも国会の常会は「招集手続」がなくても成立するようにしなければならないと考えています。
また、なかでも最も重要な改正は、公会計の分野における70年以上前の遺物である「予算単年度主義」「現金主義会計」の廃止と複式簿記・連結決算・時価会計の義務化、そして会計監査の義務化です(会計監査を担うのは、べつに公認会計士でなくても良いと思いますが…)。
憲法第9条含め、議論は自由闊達に!
この点、憲法第9条については、著者自身の記憶に基づけば、たとえば青山繁晴参議院議員らが主張する「第3項の追加」というものがあると認識しています。現在の日本国憲法第9条は、第1項・第2項から構成されています。
日本国憲法第9条
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
これに、次の第3項を追加する、というのが青山氏の主張だったと記憶しています。
3 前2項の規定は、自衛権の発動を妨げない。
たしかにこれだと、改正項目が少なく、非常にスッキリしています。ただ、高市早苗氏らが主張する「自衛隊を国防軍に昇格させる」という案と比べると、物足りないという部分もあるかもしれません。
また、一部の評論家の方は、そもそも「憲法」と「憲法典」は別物であり、憲法第9条の記載がどうであれ、国家としての自衛権の発動は可能である、と主張しているようであり、その主張に基づけば、なにも憲法第9条を改正しなくても、さほど問題がない、という解釈もあり得るでしょう。
しかし、まったく別の自称保守論客は、そもそも「日本国憲法がGHQによる押し付け」であり、「こんな憲法はもはや無効」、「大日本帝国憲法を今すぐ復活させるべき」などと主張しています。
正直、内閣の規定も欠落している憲法を復活させてどうするのか、という気がしますし、なにより日本国憲法自体、大日本帝国憲法の改正手続に従い、適法に成立している憲法でもありますので、「日本国憲法の無効・大日本帝国憲法の復活」というプロセスよりも、粛々と日本国憲法の改憲手続に従うべきです。
それに、べつに改憲は1回きりでなければならないというルールはありません。お隣の韓国はこれまでに9回も憲法を改正していますし、中国は「習近平(しゅう・きんぺい)思想」を憲法に織り込むような国です。
個人的には、日本国憲法の良い部分(自由、民主主義、法の支配、人権尊重、積極的平和主義)についてはそのまま残し、時代に適合しない部分(多すぎる天皇の国事行事、単式簿記に基づく公会計、予算単年度主義など)を改廃・整理していくべきだと考えている次第です。
いずれにせよ、こうした憲法議論も、今後はインターネット言論空間においてさらに盛んになってほしいと思いますし、実際にそうなっていくでしょう。そして、こうやって自由闊達に議論することができること自体が、安倍総理がもたらした遺産なのかもしれませんね。
本文は以上です。
日韓関係が特殊なのではなく、韓国が特殊なのだ―――。
— 新宿会計士 (@shinjukuacc) September 22, 2024
そんな日韓関係論を巡って、素晴らしい書籍が出てきた。鈴置高史氏著『韓国消滅』(https://t.co/PKOiMb9a7T)。
日韓関係問題に関心がある人だけでなく、日本人全てに読んでほしい良著。
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【おしらせ】人生で10冊目の出版をしました
自称元徴用工問題、自称元慰安婦問題、火器管制レーダー照射、天皇陛下侮辱、旭日旗侮辱…。韓国によるわが国に対する不法行為は留まるところを知りませんが、こうしたなか、「韓国の不法行為に基づく責任を、法的・経済的・政治的に追及する手段」を真面目に考察してみました。類書のない議論をお楽しみください。 |
【おしらせ】人生で9冊目の出版をしました
日本経済の姿について、客観的な数字で読んでみました。結論からいえば、日本は財政危機の状況にはありません。むしろ日本が必要としているのは大幅な減税と財政出動、そして国債の大幅な増発です。日本経済復活を考えるうえでの議論のたたき台として、ぜひとも本書をご活用賜りますと幸いです。 |
いやあ6年ですか、毎日の更新、本当に頭が下がります。
私がこのサイトを知ったのがいつなのか覚えておりませんが、韓国問題から知り、時折閲覧するようになりました。投稿を始めたのは1年位前からでしょう。
新宿会計士さんとは、意見を異にすることもあるのですが、「一番重視しているのは『読んでくださった方々の知的好奇心を刺激すること』」というご方針に、心からの敬意を表します。
今後とも、健康に留意して頂き、末永く継続をお願いします。
>客観的事実…誰がどう表現してもほぼ同じような内容となる情報
ある事柄に客観的事実がいくつかあるときに、メディアは一方だけを伝えようとする。
例)国債の発行残高が xxx兆円 ―――これは客観的事実
もう一つの客観的事実は現在国債の半分は日銀が保有している。――これも客観的事実だが、同時には伝えない。
メディアとしては視聴者の「なぁ~んだ、つまんねぇ、そんな話か」では困る。
例)安倍さんの「日銀は政府の子会社」という発言の事実をけしからんという論調で伝えるが、客観的事実として日銀の株の過半数は政府が保有していて、事実として「子会社」と表現できることは伝えない。
客観的事実は存在しません、特に日本では「中立的な意見こそが正しい」という”偏見”が蔓延してしまっているので、いかに中立のふりをするかという応酬がSNSからメディアまで盛んで、認知戦における勝敗のファクターになっています。
個人的にはむしろ「私は偏っています、安倍信者です、きらいなものは朝日です。」と公言していただけるほうがかえって信頼がおけます。バイアス調整は読み手側でできますので。
> マイク片手に「民主主義ってなんだ~」、「独裁者のアベは~辞めろ!」と叫び、その後ろに100~200人ほどの老人らが「アベは~辞めろ!」というシュプレヒコールを繰り返しながら練り歩いてきたのです
一時国会議事堂周辺でデモが頻発した時がありましたが、その時にデモを見たことがありました。デモ参加者は老人ばかりで若い人はほとんどいませんでした。
警官が警備にあたっていましたが、デモ参加の老人に『足元気を付けて』とやさしく声をかけていて、思わず笑ってしまいました。 警察官に緊張感はなく、老人の安全確保に気をとられていた。50年前に全共闘デモで出ていた青春時代を懐かしんでいるよな老人たち。でもマスコミはそのことを一切伝えておらず、一部の大学生活動家のアジ演説を伝えるのみ。まるで大学生活動家が多くの大衆を扇動できているかのような報道。確かに多くの老人を集めていたが。昔全共闘のことは大学生は授業なんかさぼってデモしていたのに、今は活動家すら昼間は授業出てデモにもこないのか? と失笑したこと覚えています。
>デモ参加者は老人ばかりで若い人はほとんどいませんでした。
動員された人ばかりだったのでしょうね。
安保法制デモを見に行った知人も労組のデモみたいだったと言っていました。
撮影した動画を見ていても、役所の労働組合の事務所に転がっている旗のぼりのようなものもたくさん確認できますね。
東京オリンピック反対、安倍元首相の国葬反対と同じメンバーでは?
トランプ支持者がアメリカの国会議事堂に乱入、死者が出た。
60年安保で反対派学生デモ隊が日本の国会議事堂に乱入しようとして死者が出た。
この二つ、どこが違う?
トランプの方は民主主義を破壊する呆れた行為。
日本は?
老若男女総じて、頭の悪い人が 「ボクの考えた正義!」で行動することは、とても害悪なんですよね
そーいえば 物語に出てくる。魔王とか悪の首領の類って
大体 頭の悪い理想や正義で人類滅亡とかはじめちゃうのが定番だったりするし・・・
コスモポリタンで、インターナショナルで、意識高い系自称インテリゲンチアが、頭の悪い世間社会を変革する意欲まんまんで、殺戮兵器を偏愛した挙句に暴力革命を本当に実行しちゃったりするんですね。なんだか現在進行形、本当に。
偏狭な愚弄罵詈ストですね。
この頃思う事。
日本文化とはなんだろう?
なぜ日本の政治は経済は他国と比べ安定しているのか。(貧しくても)
武士道? 島国だから狭い場所で争わない工夫?
ここで思い出すのが聖徳太子が言ったという言葉
「和を以て貴しとなす」
現在の雰囲気と同じかどうかは分らないが「周りに迷惑を掛けない」に通じる物がある。
こんなに長く日本の根底にはこの文化があったんだ。
これを今の多文化主義にどう会わせていくのか。
歴史では裕福な場所に人が集まるのは当たり前。
今の日本に多くの異文化が集まり軋轢が聞こえだしている。
真剣に考えなければならない
「郷に入っては郷に従え」 が有るが世界には通じない
俺が俺がが世界の常識。
武力で押さえ込むか?
安倍政権をデモで倒そうとして出来なかった民主主義の敵達が讃える文在寅政権は、反民主主義政権として非の打ち所がない政権だったんでしょうね。
尹政権になった後、色々とボロが出て来てますが、どうなる事やら。
いつも刺激を頂いてます。
「下記ランキングバナーをクリックしてください。」と言われてますが読み始めて2年ぐらいでonly2-3回クリック。一日1-2回は見てますのですけど。 スマヌ。
サイトで行動6年目に突入、おめでとうございます。
改憲論ですが、他の記事のコメントにも書きましたが普通の国相手では成立しない特殊条件が成り立つ場合に限り戦争や武力行使をフリーハンドにできる第四項の追加はどうでしょうか(笑)。
以上です。貴サイトの益々の発展お祈り申し上げます。