人民元決済の現状:人民元国際化は幻想か、それとも?
本稿は、ショートメモです。先月の『データで読む、「人民元の日本への挑戦」のお寒い現状』では中国の通貨・人民元の動向について、SWFIT社のデータをもとに説明したのですが、これについて、国際決済銀行(BIS)の統計のデータについての分析も進めています。そこで、少し時間が経ってしまいましたが、本稿では「人民元決済の現状」について、補論を掲載しておきたいと思います。
BISサーベイと人民元
以前の『データで読む、「人民元の日本への挑戦」のお寒い現状』でも触れた論点について補足しようと思っていて、今までほったらかしにしていたので、本稿はそれについて補足しておこうという試みです。
これまでも当ウェブサイトではしばしば言及してきたとおり、中国は世界最大の人口を抱えているとされ、かつ、産業面でもすでに「世界の工場」としての地歩を固めつつあるわりに、中国には「金融」という弱点があります。
公式には名目国内総生産(GDP)では世界第2位の経済大国となったはずですが、中国の通貨・人民元は必ずしも世界で広く使われているとは言えないからです。これについて、本稿ではいくつかのデータで補足を行っておきたいと思います。
国際決済銀行(BIS)は3年に1回、『外国為替およびデリバティブに関する中央銀行サーベイ』というデータを公表しています。これは、外国為替取引やデリバティブ取引について、国際決済銀行と各国・地域の中央銀行が多くの金融機関の協力を得て取りまとめているものです。
Triennial Central Bank Survey of Foreign Exchange and Over-the-counter (OTC) Derivatives Markets in 2019
―――2019/12/08付 国際決済銀行HPより
現時点で手に入る最新のデータ(2019年4月時点)によると、外国為替市場における取引(スポット、フォワード、為替スワップ、通貨スワップ、通貨オプションの合計)を通貨別に集計してみると、その取引高と図表1のとおりです。
図表1 外為市場取引高の通貨別取引高とシェア
通貨 | 金額 | シェア |
---|---|---|
1位:米ドル(USD) | 5兆8240億ドル | 88.30% |
2位:ユーロ(EUR) | 2兆1291億ドル | 32.28% |
3位:日本円(JPY) | 1兆1085億ドル | 16.81% |
4位:英ポンド(GBP) | 8437億ドル | 12.79% |
5位:豪ドル(AUD) | 4465億ドル | 6.77% |
6位:加ドル(CAD) | 3321億ドル | 5.03% |
7位:スイスフラン(CHF) | 3270億ドル | 4.96% |
8位:人民元(CNY) | 2850億ドル | 4.32% |
9位:香港ドル(HKD) | 2329億ドル | 3.53% |
10位:ニュージーランドドル(NZD) | 1368億ドル | 2.07% |
その他の通貨 | 1兆5252億ドル | 23.13% |
外国為替取引高の合計 | 6兆5955億ドル | 200.00% |
(【出所】国際決済銀行 “Triennial Central Bank Survey of Foreign Exchange and Over-the-counter (OTC) Derivatives Markets in 2019” より著者作成。ただし、外国為替取引は2通貨間で行われるため、通貨別取引高の合計は外国為替取引高の合計の2倍となり、合計すると200%となる)
これで見ると、外国為替市場では依然として米ドルのシェアが圧倒的に高く、これにユーロ、日本円、英ポンドが続いています。これに対し、人民元の取引高はランキングで8位であり、現在のところ、シェアは4%少々に過ぎません。
ただし、過去からの統計を読み直してみると、また違った姿も見えてきます。このBIS統計は3年ごとに公表されるものですが、人民元が初めて統計に登場した1998年以降の人民元の取引量の推移をチェックすると、近年、大きくシェアが伸びていることが確認できます(図表2)。
図表2 外為市場取引高と人民元の取引高・シェアの推移
年 | 外国為替取引高の合計 | 人民元の取引高とシェア |
---|---|---|
1998年 | 1兆5266億ドル | 2.11億ドル(0.01%) |
2001年 | 1兆2393億ドル | 0.95億ドル(0.01%) |
2004年 | 1兆9342億ドル | 18.55億ドル(0.10%) |
2007年 | 3兆3242億ドル | 150.08億ドル(0.45%) |
2010年 | 3兆9728億ドル | 342.56億ドル(0.86%) |
2013年 | 5兆3566億ドル | 1195.63億ドル(2.23%) |
2016年 | 5兆0664億ドル | 2020.67億ドル(3.99%) |
2019年 | 6兆5955億ドル | 2850.30億ドル(4.32%) |
(【出所】国際決済銀行 “Triennial Central Bank Survey of Foreign Exchange and Over-the-counter (OTC) Derivatives Markets in 2019” より著者作成)
1998年には世界で0.01%のシェアしかなかった人民元が、2019年には世界の外為市場の4%を超えるまでに成長したことは、たしかに非常に大きな変化でしょう。
ただ、それと同時に、ほぼゼロだった人民元取引が2013年ごろまで急激に伸びてきたのに対し、2016年から2019年にかけて、人民元のシェアの伸びが鈍化していることもまた事実です。
RMBトラッカー
もっとも、BIS統計はデータとしてはかなり詳細で網羅性もあり、信頼ができるものではありますが、公表頻度が3年に1回と少なく、これで全体の傾向を掴むには、多少物足りないのも事実でしょう。
そこで、「人民元が国際的な市場でどの程度決済手段として使用されているか」を検討するうえで、もうひとつ参考になるのが、国際的な電文決済サービスを手掛けるSWFIT社が公表する『RMBトラッカー』です。
(※なお、SWIFTは、国際金融取引に関するメッセージをコンピュータと通信回線を利用して伝送するネットワークシステムの名前でもあります)。
『RMBトラッカー』は、SWIFT上で交換されたメッセージをもとに、「国際決済総額に占める人民元建て決済額の割合」(顧客を送金人とする決済額および銀行間決済額)のシェアをほかの通貨と比較したものです。
もっとも、国際的な外為市場で重要性を締めている取引は、商業上の「送金・決済」だけではありません。現実には、金融取引(有価証券の売買、為替フォワード・為替スワップ・通貨スワップなど)も通貨市場では重要な比重を占めています。このため、RMBトラッカーが集計対象としているのは、あくまでも貿易取引などを中心とする取引項目に限定されており、その意味ではRMBトラッカーの人民元建ての取引の比重は現実の金融取引よりも高くなる傾向があると思います(※著者私見)。
(※余談ですが、国際標準化機構が定める「ISO4217」上、人民元の公式の3文字の通貨コードは「CNY」であり、RMBは非公式なコードとして使用されているほか、オフショア人民元を示すものとして「CNH」も存在しています。)
このRMBトラッカーは2011年ごろからほぼ公表されているようですが、2016年以降のデータを著者自身が通貨別に集計し、各通貨の決済に占める比率の単純平均値を年別に求めて推移にしたうえで、2020年のシェアで並べ替えたものが、図表3です。
図表3 RMBトラッカーの通貨別平均値
通貨 | 2016年から2020年までの推移 |
---|---|
1位:米ドル(USD) | 41.72%→40.46%→39.34%→40.53%→40.79% |
2位:ユーロ(EUR) | 30.95%→32.91%→34.08%→33.48%→33.81% |
3位:英ポンド(GBP) | 7.98%→7.31%→7.23%→6.93%→6.82% |
4位:日本円(JPY) | 3.32%→3.10%→3.43%→3.52%→3.59% |
5位:人民元(CNY) | 1.89%→1.76%→1.84%→1.93%→1.84% |
6位:加ドル(CAD) | 1.84%→1.82%→1.70%→1.81%→1.75% |
7位:豪ドル(AUD) | 1.59%→1.51%→1.50%→1.43%→1.48% |
8位:香港ドル(HKD) | 1.17%→1.25%→1.42%→1.49%→1.41% |
9位:シンガポールドル(SGD) | 0.92%→0.88%→0.97%→1.04%→1.05% |
10位:タイバーツ(THB) | 1.00%→0.98%→0.97%→1.00%→1.01% |
(【出所】SWIFT『RMBトラッカー』より12ヵ月分のデータを単純平均。ただし、2020年については9月までの9ヵ月分のデータを使用)
RMBトラッカーでも1位は米ドル、2位はユーロですが、先ほど紹介したBIS統計と異なり、3位は英ポンド、4位は日本円で、両通貨が逆転しています。また、RMBトラッカーのデータ上は、人民元は5位につけています。
日本円の地位がもう少し下がり、人民元の地位がもう少し上がれば、日本円と人民元の逆転が生じるのは時間の問題にも見えます。
じつは、このRMBトラッカー上で、いちどだけ人民元と日本円のシェアが逆転した瞬間がありました。2015年8月、人民元のシェアが2・79%となる一方、日本円のシェアが2・76%で、わずか0・03ポイントの差とはいえ、人民元が日本円をSWIFT送金シェアで上回ったのです。
ただ、不思議なことに、その後は人民元のシェアは再び低下し、日本円のシェアは上昇し、その後は現時点に至るまで追い抜かれていません。
RMBトラッカーの謎
このRMBトラッカーを巡っては、もうひとつ、「謎」があります。
SWIFTはユーロ圏の決済データを除外したバージョンでもRMBトラッカーのデータの公表を始めており、著者自身が確認したところ、2015年末頃からデータが存在するようです。そこで、この「ユーロ圏除外版」のデータについても、先ほどと同様の図表を作ってみました。これが図表4です。
図表4 RMBトラッカーの通貨別平均値
通貨 | 2016年から2020年までの推移 |
---|---|
1位:米ドル(USD) | 45.45%→43.80%→42.72%→46.25%→45.56% |
2位:ユーロ(EUR) | 31.78%→34.86%→36.47%→32.29%→33.58% |
3位:日本円(JPY) | 4.28%→3.92%→4.07%→4.36%→4.38% |
4位:英ポンド(GBP) | 4.11%→3.90%→4.04%→3.97%→3.95% |
5位:加ドル(CAD) | 2.45%→2.38%→2.13%→2.28%→2.21% |
6位:豪ドル(AUD) | 1.60%→1.42%→1.45%→1.53%→1.53% |
7位:スイスフラン(CHF) | 2.59%→2.54%→1.84%→1.42%→1.32% |
8位:人民元(CNY) | 1.34%→1.06%→1.11%→1.22%→1.21% |
9位:香港ドル(HKD) | 0.90%→0.88%→0.91%→0.95%→0.95% |
10位:スウェーデンクローナ(SEK) | 0.73%→0.68%→0.68%→0.80%→0.74% |
(【出所】SWIFT『RMBトラッカー』より12ヵ月分のデータを単純平均。ただし、2020年については9月までの9ヵ月分のデータを使用)
いかがでしょうか。
この図表3、図表4のデータ、『データで読む、「人民元の日本への挑戦」のお寒い現状』でも紹介したものと同じですが、あらためて読み比べると不自然な気がしてなりません。
ユーロ圏を除外すると、とたんに英ポンドの地位が低下し、日本円がシェア3位に浮上するという点もさることながら、加ドル、豪ドル、スイスフランのシェアも同様に上昇する一方、先ほどの図表では日本円に次ぐ4位の地位を占めていたはずの人民元が、いきなり8位に沈んでしまうからです。
ということは、SWIFTのデータを信頼する限りは、ユーロ圏内の送金が国際的な通貨別送金シェアにかなりの影響を与えていて、英ポンドと人民元が(なぜか)ユーロ圏内におけるSWIFT上の国際送金電文に使われている、というのです。
このあたりの事情は、正直、よくわかりません。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
こうしたなか、冷静に考えてみると、このRMBトラッカー自体の位置付けも不透明です。SWIFT社が2017年3月時点で公表した『人民元の国際化に関する月次レポートおよび統計』という資料を読むと、次のような趣旨の記述が発見できます。
- SWIFTは2020年以降、人民元の国際化に関して顧客や金融界を積極的に後押ししてきており、RMBトラッカーなどのデータ、人民元国際化の影響についての考察、人民元決済およびオフショア決済のガイドラインについての展望を公開している
- SWIFTは銀行の人民元建て金融商品の導入支援、徹底的な分析、ビジネス・インテリジェンスの提供も行っており、さらにオフショア決済センターや中国の金融界とも連携して、人民元のさらなる国際化のサポートも行っている
国際的な決済電文のインフラサービスを提供するはずのSWIFTが、特定の通貨の普及を特に推進しようとしている点についても、非常に強い違和感を抱きます。
ただ、近年、人民元の国際送金における決済比率が向上している要因が、SWIFTがとくにユーロ圏での人民元決済を推進しようとしているからだ、といった仮説が成立する余地はあるでしょう。
もっとも、(なぜか)ユーロ圏を除外した場合の人民元の国際送金シェアが大きく低下するというのもなんだか不自然ですね。
もっとも、『債券市場からみた、「人民元が米ドルに勝てない理由」』でも検討したとおり、最近、人民元の国際化という動きについてはどうも動きが鈍っているようです。
あくまでも現状で判断する限り、BISやSWIFTの統計からも、こうした傾向が裏付けられるという言い方をしても良いのかもしれません。
本文は以上です。
日韓関係が特殊なのではなく、韓国が特殊なのだ―――。
— 新宿会計士 (@shinjukuacc) September 22, 2024
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(図表4の解説部分)
>先ほどの図表では日本円に次ぐ【4位】の地位を占めていたはずの人民元が、いきなり8位に沈んでしまうからです。
図表3では日本円に次ぐ【5位】になっています。
*これってユーロ圏との取引が大きいってことなんですよね。
”どいつ”なんでしょうか?
本題に関係ないんですが、ロシアルーブルはランキングに出てこないんですね。
大国だし、東欧諸国との関係で大きな経済圏を持っているイメージでした。
普段目にしないこういうデータや、それを元にした考察が読めて
とても興味深く楽しいです。
難しいことは分かりませんが、東南アジアに出張して両替するのを忘れたとき、市中での買い物ではドル札なら大抵受け取ってもらえます。日本円も何とか。でも人民元は無理でした(その時何故財布に人民元が入っていたのかは忘れましたが)。