社会が健全ならウソツキは淘汰される それだけのこと

大手新聞社を中心とする、オールドメディアの「中の人」には、一種の歪んだ「特権意識」がある――。これは、当ウェブサイトを数年運営していて、最近、とみに強く感じる点です。『カツカレー、パンケーキと来て、今度は桜で政権追及!』などでも触れたとおり、オールドメディアの「中の人」たちは、数年前の「もりかけ虚報事件」で何ら教訓を得ていないように思えてなりません。もちろん、本来は新聞「社」と新聞「紙」は分けて考えるべきでしょうが…。

大手新聞社ですら苦しむ時代に

先週、朝日新聞社の新聞事業の苦境の証拠として、同社の単体中間決算が営業赤字に転落した、という話題を紹介しました(『朝日新聞社、単体の中間決算は営業赤字に転落』参照)。

朝日新聞社、単体の中間決算は営業赤字に転落

朝日新聞社といえば、新聞社(とくに全国紙)の中でも大手であり、朝日新聞の紙媒体の発行部数は500~600万部とされ、800万部とされる読売新聞に次ぐ「二番手」でもあります。そんな大新聞社の新聞部門が、ついに営業赤字に転落したということは、時代の大きな変化の証拠でしょう。

もっとも、なぜ新聞が売れなくなっているのかについては、「①テクノロジーの進化」と、「②既存の新聞が人々から次第に見放され始めたこと」という2つの要因に、ハッキリと分けて考える必要があります。

このうち「①テクノロジーの進化」については、いまさら指摘する必要はありません。インターネット化が進み、わざわざ紙に情報を印刷して、二酸化炭素などをばら撒きながら全国津々浦々に配るという必要がなくなり始めているからです。

ただ、現在でも「新聞は紙で読みたい」という人がいるようであり、新聞「紙」がいきなり世の中から姿を消す、ということは考え辛いと思います。

しかし、それと同時に新聞「紙」には次のような欠点があるのもまた事実です。

  • 新聞紙に情報を印刷する都合上、印刷されてから配達されるまでに最低でも数時間が必要であり、読者がその新聞紙を手に取るころには情報が陳腐化している
  • 物理的に紙媒体であるため、▼手にインクが付着する、▼物理的に保管場所に困る、▼配達するのに大きな環境負荷がかかる、▼持ち運びに手間である、▼雨に弱い…、といった問題点がある
  • たいていの新聞は月額購読料が数千円であり、複数の新聞を購読して比較する、といったことが困難である

もちろん、中には「紙の手触りが好きだ」という人もいるでしょうし、新聞紙を天ぷらや子供の習字、窓ガラスの掃除やオムツを捨てるなどの用途に便利だ、という人もいるかもしれません。

しかし、いまや世の中の多くの人々は手のひらサイズに収まるスマートフォンからさまざまな情報を得ており、その便利さの虜になっています(※もっとも、このことは別途、「スマホ依存症」などの社会的問題も生じているのですが、これについては機会があれば別稿にて議論したいと思います)。

いずれにせよ、紙媒体としての新聞は淘汰される運命にあることは間違いありません。新聞「紙」が担っていた社会的役割が、今後も続くとは考えない方が良いでしょう。

新聞「紙」と新聞「社」は別物

ただし、上記の議論はあくまでも新聞「紙」が時代遅れで陳腐化している、という話です。

情報自体に価値がある、という点については、ネット媒体の時代になっても何ら変わることはありませんし、それどころか、情報が氾濫する時代において、確たる情報の価値はむしろ上がります。

したがって、社会から信頼される情報を発信し続けるという仕事がなくなることは絶対にあり得ないのです。

いや、むしろインターネット社会となったことで、その重要性はさらに増したのではないでしょうか。なぜなら、人々は情報をヨコ串で比較することができるようになったからです。

たとえば、インターネット上の情報入手コストが非常に安くなったことで、同じ事件を取り扱った報道において、朝日新聞、読売新聞、産経新聞など、異なった新聞がそれぞれどう報じているかについて、人々が気軽に比較できるようになったことは間違いありません。

その気になれば、全国紙だけでなく、同じ事件を地方紙がどう報じているか、テレビ局がどう報じているか、時事通信や共同通信がどう報じているか、さらには外国メディアがどう報じているかについても調べることができてしまいます。

このように考えると、こうした状況は、新聞社にとっては大きなチャンスです。

今までだと、朝日新聞の読者は気軽に読売新聞の報道を知ることは難しかったのですが、インターネット化社会だと、朝日新聞と読売新聞を読み比べる、といったことが簡単にできるからです。

つまり、「我が社の情報は他社と比べて面白いし、信頼できるでしょ?」と、ダイレクトに訴えかけていくことができる、ということです。。

ここで重要な視点は、「客観的事実」(だれがどう報じても、だいたい同じような内容になる情報)でウソをつかないことと、「主観的意見」(報じる人によって内容がまったく異なってしまう情報)の多様性を保障することです。

情報を発信する人が増えれば増えるほど、「客観的事実」については簡単に知ることができてしまいます(※もっとも、沖縄県でサンゴ礁を傷つけた某新聞社のように、メディアが「客観的事実」を捏造することがある点については、注意が必要ですが…)。

そうなってくると、現代社会においてより大きな価値が生じるのは、「主観的意見」の部分ではないかと思うのです。

主観的意見は多ければ多いほど良いのだが…

ちなみに、もし私自身が新聞社の経営者であれば、他社とは徹底して差別化を図り、たとえばすべての記事に読者コメント欄を設け、リアルタイムに読者の反応を掬い上げる仕組みをウェブサイトに実装すると思います。

なぜなら、当たり前の話ですが、一般論として、「主観的意見」は多ければ多いほど良いからです。

実際、当ウェブサイトの場合は、単なる個人が運営しているウェブ評論サイトであるにもかかわらず、日々、多くの読者の方々がさまざまな意見を書き込んで下さり、それをベースにさらに議論が発展する、といったことが日常的に発生しています。

(※ちなみに当ウェブサイトの場合、コメント・転載基準に明記しているとおり、ルールに反しない限りはいかなるコメントであっても自由ですし、商業利用ではない限り、自由に他サイトにて引用・転載していただくことが可能です。)

また、インターネット空間にはごく一部、明らかなフェイクニューズを垂れ流す「まとめサイト」の類いもないわけではないですが、それでも自由闊達にさまざまな意見が読めるウェブサイトには多くの人々が集まっているようです。

もっとも、フェイクニューズを垂れ流しているサイトも、長いスパンで見ると、やはり淘汰されていくものご多いようです。つまり、「健全な民主主義社会」であれば、ウソツキのサイトは人々から飽きられ、支持されなくなり、自然と淘汰されていくのだと思います。

新聞社も同じ土俵に乗った!

そして、いつのころからでしょうか、「新聞はウソを垂れ流すことがある」、「そして滅多に訂正もしないし、謝罪もしない」ということに、多くの人々が気付くようになったような気がします。この点こそが、新聞社の「中の人」と、私たち一般国民のあいだで、意識におおきな断絶があるポイントではないでしょうか。

ただ、ここで重要な点がひとつあるとすれば、新聞社は確かに「客観的事実をいち早く報じる」という点には強みがあるかもしれませんが、「多様な意見を報じる」という機能が決定的に弱い、という点です。

そして、新聞社の問題点は、それだけではありません。

新聞社の報道姿勢が、ときとして一般国民の常識から大きく乖離したり、新聞社自身がダブルスタンダードの姿勢を示したりすることが、一般社会から強く批判されるようになってきたのです。

その具体的な証拠として、『【速報】京アニ事件「実名報道」蛮行を批判する』でも報告したとおり、今年夏に発生した大事件で、新聞社、テレビ局などが被害者を実名で報道しようとした事件が挙げられるでしょう。被害者のご家族らが、実名での報道を望まなかったにも関わらず、です。

【速報】京アニ事件「実名報道」蛮行を批判する

しかも、この「実名報道事件」の直後に、大手新聞社が自社の記者の不祥事を報じた際には、加害者である自社の記者の実名を徹底的に伏せた、という事件まで発生する、というオチも付きました(『なぜ自社の不祥事は実名報道しないのですか?』参照)。

なぜ自社の不祥事は実名報道しないのですか?

大手新聞社を中心とするオールドメディアが、このように人々から顰蹙を買う事態を頻発させる理由は、おそらく、彼らの側に一種の「特権意識」が残っているからではないかと思います。

この特権意識とは、「一般国民に向けて情報を発信する資格があるのは自分たちマスコミ記者だ」という認識、あるいは「思い上がり」のことですが、それと同時に新聞社が認識していないのは、すでに新聞社はインターネット空間における「数多くある情報源のひとつ」になってしまっている、という点ではないでしょうか。

こうした点に気付かないからこそ、多くのオールドメディア各社が「もりかけ」虚報事件や「桜を見る会」虚報事件などを頻発させ、そのたびに読者・視聴者離れを自分で招いているのではないかと思うのです。

特権意識を捨てることはできるのか?

こうした「特権意識」の片鱗を感じるツイートを発見しました。

新聞社が生き残るためデジタルに進出するという発想は根本が間違っている。新聞社の存続に世間は関心がない。大事なのはジャーナリズムの存続だ。権力と馴れ合いデジタル事業を拡大しても誰の支持も得られず淘汰されておしまいだ。ジャーナリズムにこだわりジャーナリズムの中心をデジタルに移すのだ。
―――2019/11/30 16:16付 ツイッターより

このツイートは、某新聞社の記者の方が発信されたものであり、ツイートに含まれる「新聞社の存続に世間は関心がない」という下りには、個人的には大いに賛同する点です。

ただ、それ以外の部分については、正直、前提条件からして間違っているように思えてなりません。

そもそも新聞社にとって大事なのは「ジャーナリズム」や「権力とのなれ合い」以前の問題として、「捏造報道をしない」、「多様な言論を尊重する」という、メディアとして当たり前の姿勢ではないでしょうか。

新聞社を含めたメディアに対して求められる役割は、①正しい「客観的事実」と②多様な「主観的意見」を伝えることであって、①捏造された事実と②偏っていて一面的な意見を押し付けることではないはずです。

くだんのツイートに付いても、正直、

社会が健全であれば、紙媒体であれ、電子媒体であれ、ウソを垂れ流したメディアは真っ先に淘汰される

というだけの話ではないかと思う次第です。

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

くどいようですが、新聞「紙」がメインストリームでなくなることはあるかもしれませんが、それは自動的に新聞「社」がなくなる、という意味ではありません。

新聞「紙」が社会的役割を終えたとしても、新聞「社」が社会的役割を終えるとは限りません。なぜなら、新聞「紙」は情報の「媒体」のひとつに過ぎず、新聞「社」が提供する情報自体が人々から支持されているのであれば、新聞「社」は新聞「紙」を捨ててデジタル媒体に移行しても戦っていけるからです。

いや、「デジタル媒体でも戦っていける」という言い方は、不正確かもしれません。より正確に表現するならば、「好むと好まざるを問わず、今後はデジタルに軸足を移していかねばならない」、ということであり、これは大手新聞社であっても同じことです。

そして、仮に大手新聞社であったとしても、インターネットという共通のプラットフォームで戦う以上は、情報の質が優れていなければ淘汰されてしまいます。極端な話、『新宿会計士の政治経済評論』と『朝日新聞デジタル』は、「ウェブ上の情報提供サイト」という意味では共通しているのです。

彼らがインターネット空間に移っても私たち日本国民を満足させ続けることができるかどうかは、彼ら次第といえるでしょう(※もっとも、オールドメディアの態度を見ていると、それが可能だとも思えないのですが…)。

本文は以上です。

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読者コメント一覧

  1. クロワッサン より:

    更新お疲れ様です。

    >もっとも、フェイクニューズを垂れ流しているサイトも、長いスパンで見ると、やはり淘汰されていくものご多いようです。つまり、「健全な民主主義社会」であれば、ウソツキのサイトは人々から飽きられ、支持されなくなり、自然と淘汰されていくのだと思います。

    その通りだと思います。
    そして、日本社会でATMの主張が通り難くなってきているのは、「フェイクニュース」である事を論理的に理解出来る人ばかりではなく、感覚的に理解した人が増えているからでもあると思います。

    また、ヘイトスピーチも一緒でしょう。
    川崎市のように間違った法律を制定せずとも、「在日コリアンをぶっ殺せ」などという声に賛同する人が一定数以下で収まっているという事自体が、「在日コリアンをぶっ殺せ」などの声が現実に実行される事はないという証拠だと思います。
    もちろん、賛同する人の推移をリアルタイムで観察する必要はあるでしょうが。

    なお、私は「在日コリアンをぶっ殺せ」という主張には賛同しませんが、そのような声が上がる理由である問題から在日コリアンが目を逸らし被害者コスプレをしている現状は早急に辞めるべきだとの考えです。
    ただ、朝鮮総連も民団も半島でも被害者コスプレをしている状況で、「道徳的優位性」などの錯誤から個々人は抜け出せても抜け出せる可能性はないだろな、とも考えています。

  2. 七味 より:

    ツィートの「ジャーナリズム」ってのが、単に「権力を持った人を批判する」だけのものであれば、その存続にも関心はないのです。

    少なくてもあたしにとって関心があるのは、正確な情報を集めて、できるだけ早く流す機能をもった会社なり組織なのです♪

    ちゃんとした情報を集めるのは手間暇がかかると思うけど、転載が可能なネット環境の中、ただそれだけで収入を得られるのか、他人事ながらちょっと心配なのです♪

    1. だいごろう より:

      古今東西、権力が一つ所に留まると腐敗するのが世の習いなので、権力者の監視が社会の木鐸たるメディアの最も重要な責務であることは否定できないと思います。
      残念なのは、そのメディアが第四の権力を自称するうちに自ら権力の通弊に陥ってしまっていることです。

  3. クロワッサン より:

    >いや、「デジタル媒体でも戦っていける」という言い方は、不正確かもしれません。より正確に表現するならば、「好むと好まざるを問わず、今後はデジタルに軸足を移していかねばならない」、ということであり、これは大手新聞社であっても同じことです。

    籠や人力車や馬車が自転車や自動車や汽車の登場によって淘汰されていった時代の変化を感じました。

    パンプキンシザーズ的に言えば、ストレートティーにミルクを混ぜるとミルクティーになるが、ミルクティーからミルクを除去する事でストレートティーに戻す事は出来ない、という社会の変化ですね

  4. 愚塵 より:

    硬派なメディアが安倍政権を批判しているのに安倍政権の支持率が下がらないのは、スマホでの断片的情報に満足している国民の側にも問題がある
    .
    https://shinjukuacc.com/20191124-02/#i-7
    .

    手の施しようない重症っ

  5. だんな より:

    鮫島氏のツイートは、本音なんでしょうね。ジャーナリズムの名の下に、反政府活動を続けなければ、ならないと言っているのでしょう。
    本来読者が求めている、客観的な事実を報道すると言う視点と、大きく乖離していると思います。
    新宿会計士の言う通り、健全な社会で有れば、ウソを垂れ流したメディアは真っ先に淘汰されるでしょう。
    逆に、客観的な事実を報道するメディアは、生き残れるのかな?元から存在しないか。

  6. 製造業SE より:

    朝日、毎日などもそうですが、最近は共同通信の飛躍も目覚ましいものがあります。
    ここ最近のトバシ記事では共同はトップクラスではないですかね。
    東京、琉球新報、沖縄タイムス、北海道新聞などの地方紙もトバシ合戦に参加し、
    さながら群雄割拠の大トバシ乱世となっています。
    どこが統一するのか、楽しみでなりません。

  7. めがねのおやじ より:

    更新ありがとうございます。

    社会の動きを知るには、メジャー系マスコミ記者やプロのジャーナリストからの情報が第一では無い。事実だけを伝え、論評とは分けてやればいいのに、偏向した考え方を押し付けられるのは困る。

    今の、その鮫島氏の発言では、デジタル化しても支持は得られないと思う。今だに自分達「職業ジャーナリスト」が上で、庶民に与えてやるもんだという姿勢は、もう通じない。

  8. 新茶狼 より:

    >「健全な民主主義社会」であれば、ウソツキのサイトは人々から飽きられ、支持されなくなり、自然と淘汰されていく

    ここを韓国に重ね合わせたのは私だけではないでしょう。

  9. とむ より:

    いつもありがとうございます。

    マスコミは権力に対峙する存在といった二元論自体が、いいかげん国民と乖離しきっていると思います。
    なのにマスコミは在りし日の栄光を未だ夢見ている、といった感じでしょうか。
    早く淘汰されることを望みます。

  10. 自転車の修理ばかりしている より:

    鮫島記者の投稿「権力と馴れ合いデジタル事業を拡大しても誰の支持も得られず淘汰されておしまいた」は、報道の姿勢としては正しいと思います。自称硬派メディアが誤っているのは「権力と馴れ合う」ということは「権力を無条件に批判する」こととイコールではないという点です。

    とにかく政府のやることは悪、与党の動向にはなんでも反対というそのスタンスは、なるほど野党と親和力が高いはずです。確かに「馴れ合って」はいない、しかし正当に評価することもない。提示される政策やコメントを是々非々でなく一律に否定するその行為は、思考停止であり安易に流れているだけのことです。

    頭の知能指数と言われるIQに対して心の知能指数と呼ばれるEQというものがあります。
    EQの低い人は、謙虚さがない、権限を振りかざす、異論を認めない、悪口が多い、他人への迷惑を自覚しないという特徴があるそうです。逆に高い人は、相手を尊重する、反論を喜ぶ、他人のせいにしない、気遣いができる、ということであるようです。

    鮫島記者をはじめとする報道関係者は、IQの高い人も多いのでしょうが、EQはどうなのでしょうね?

    1. 自転車の修理ばかりしている より:

      自己レスです。

      ジャーナリスト(?)の内田誠氏が、読売新聞に「桜を見る会」記事が掲載されていないのは意図的な回避だと非難しています。「権力と馴れ合っている」と非難したいのでしょう。

      ATMが「報道しない自由」を行使するのは問題なく、読売はダメらしいです。

  11. WLT より:

    お疲れ様です。

    鮫島氏のツイートは、数々の発言から裏を返せば
    権力が関わる事であれば、事実関係をそのまま報道するのは権力との馴れ合いそのものであり
    「真実へ深掘り」という大義名分のもとで事実関係を歪曲したり
    ミスリードや新しい疑問・問題を残すように誘導しながら報道する事こそが
    権力を相手にした気高い対抗(いわゆる良いフェイク)であり、権力監視であり
    本物のジャーナリズムだと思っている、という事でしょうね。

    迷惑な話ですが、彼や彼のスタンスを支持する人たちの言動を見る限り
    本当にそう思ってそうなんですよねぇ、コレ・・・。

  12. 匿名 より:

    >新聞社を含めたメディアに対して求められる役割は、①正しい「客観的事実」と②多様な「主観的意見」を伝えることであって

    個人的には専門家による深い分析とかも欲しいかなぁ。
    実際、日経はそこらへんが強いからデジタル化してもお値段据え置き。

  13. 匿名 より:

    >新聞紙を天ぷらや子供の習字、窓ガラスの掃除やオムツを捨てるなどの用途に便利だ

    この用途で使うならば古新聞が大量に安価で手に入りますので定価購読する意味はありませんね

  14. 匿名 より:

    ジャーナリズムの使命が権力を攻撃すること??別にマスコミに頼んでいない。国民は「自分で」選挙で評価するから。

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