ウェブ評論の世界から、「ルールを守ること」を考えてみる
本日は少しとりとめもないお話です。当ウェブサイト『新宿会計士の政治経済評論』は先月、月間PV数がついに100万件を超えました。ただ、当ウェブサイトはPV数自体を稼ぐことを目的としているわけではありません。むしろ、ウェブサイトであっても立派な言論空間であり、言論のルールに従い、読んで下さる皆様の知的好奇心を刺激しつつ、健全な議論を展開するサイトでありたいと思うのです。そして、ルール社会における脅威は、ルールを破る存在、たとえば日本のマスコミ各社やすぐに約束を破る某国、さらには最低賃金規制などを無視するブラック企業経営者でもあります。
目次
ミリオンPVへの御礼
知的好奇心へのお誘い
本日から12月です。本当に早いものですね。
まだ今年を総括するには早いかもしれませんが、当ウェブサイト『新宿会計士の政治経済評論』の運営に関連する話題に限定して申し上げれば、先月、大きな成果がありました。
史上初めて、月間ページビュー(PV)数が100万件に達したのです。
1日当たりのPV数でいえば、3~4万件、という計算です。まさかここまでPV数が伸びるとは、当ウェブサイトを始めた時点で私もまったく想定していませんでした。素直に嬉しい限りです。
もっとも、一般にウェブサイトへのアクセス数は、本人の力量だけでなく、社会的な話題のトレンドなど、さまざまな要因で大きく変動するものです。アクセス数はこれからも順調に伸びていくのかもしれませんし、横ばいとなるか、あるいは逆に大きく落ち込んでいくのかもしれず、こればかりは予測できません。
ただ、私が当ウェブサイトを運営している目的は、そもそも「アクセス数を稼ぐこと」、ではありません。
「読んで下さった方の知的好奇心を刺激すること」です。
言い換えれば、当ウェブサイトに掲載した記事が、読者の皆さまにとっての「考えるきっかけ」となることです。当然、当ウェブサイトの主張に全面的に賛同していただく必要もありませんし、私はむしろ反論を歓迎しています。
読者コメントがおもしろい!
こうしたなか、最近になって、私自身には新しい目的ができました。
それは、「当ウェブサイトの記事に対する読者コメントを読むこと」、です。
そして、当ウェブサイトの場合、記事に対するコメントは原則として自由としています。記事の内容に沿っていれば、記事に対する賛同コメントだけでなく、記事を批判するコメントであっても、問題なく書き込んでいただくことができます。
このような方針を示している結果、当ウェブサイトに頂くコメントの圧倒的多数は、記事の内容に沿ったコメントばかりです。そして、私やほかの読者の皆さまが読んでも参考になる、極めてレベルが高い意見・知見を書き込んで下さる方もいらっしゃいます。
いずれにせよ、私自身も当ウェブサイトに寄せて頂いたコメントを読み、勉強になると感じることが非常に増えていますし、コメント欄を通じた読者の皆様とのコミュニケーションについては、今後も大切にしたいと考えています。
誹謗中傷系のコメントについて
一方、当初懸念していたのは、「コメント完全自由」にした結果、某匿名掲示板のように、ほかのコメント主を侮辱したり、煽ったり、記事の内容と関係がないスパム的なコメント、ウィルスサイトや広告サイトへの誘導コメントなどが湧いたりすることです。
現状では、スパム・コメントの類いは自動的に排除するプラグインを入れていますし、当ウェブサイトが定めている削除基準に該当するものについては事後的に削除しています(公序良俗に反するコメントの詳しい削除基準につきましては、『コメント、引用、転載自由につきまして』をご参照ください)。
しかし、逆に言えば、スパム・コメントや公序良俗違反ではないコメントであれば、「低レベルな煽りコメント」、「誹謗中傷コメント」のたぐいであっても、基本的にコメントを削除することはありません。このため、コメント完全自由制にすれば、この手の煽りコメントが激増したりしないかとの懸念もあったのです。
ところが、意外なことに、「コメント完全自由制」にしていても、低レベルな煽りコメントのたぐいは、ほとんど湧きません。おそらくその理由は、低レベルな煽りコメントのたぐいは、書き込んだ瞬間、ほかの読者の皆さまからボコボコに叩かれ、消えていくからだと思います。
なお、当ウェブサイトのコメント欄ではなく、ご自身が設置したブログかなにかで当ウェブサイトの記事を批判している方が何人かいらっしゃることは承知していますが、これについても「ご自由にどうぞ」としか言い様がありません。
言論界のルール
自由には責任が伴う
少し大げさな言い方をします。
日本国憲法第21条第1項には、「表現の自由」が定められています。
「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。」
これは、「言論の世界であれば、何を主張しても構わない」、というルールのことであり、民主主義社会を支える根幹となる重要なルールでもあります。
ただし、とても重要な話がもう1つあります。
それは、自分自身が主張した内容に関しては、自分自身が責任を負わねばならない、ということです。
たとえば、「X町に住むAさんとY村に住むBさんは不倫関係にある」と主張したとしましょう。このように主張することは、いちおう、言論の自由の範囲内にあります。しかし、それと同時に、AさんやBさんから名誉毀損で訴えられる可能性もあります。
この場合、「AさんとBさんが不倫関係にある」と主張すること自体は、表現の自由の範囲内にあります。しかし、表現の自由に基づき、表現を行った結果、他人に迷惑を与えたならば、その表現をした本人が、然るべき責任を取らなければならないのです。
もう1つ、例を挙げましょう。
ある新聞が事実無根の内容を捏造し、報じたとします。これ自体は、別にその新聞社が「表現の自由」に基づく出版行為であり、残念ながら、政府が検閲や出版差し止めなどによる罰を与えることはできません。
しかし、「表現の自由」のルールに従ってウソ、捏造の類いを報道したのであれば、これについて、言論空間において批判されることを甘受しなければなりません。
つまり、ある新聞が「表現の自由」を享受しておきながら、それと同時に「批判されない特権」を享受することは、許されないのです。
ご都合主義は朝日新聞のDNA?
その典型的な事例が、朝日新聞社による小川榮太郎氏に対するスラップ訴訟です。
文藝評論家の小川榮太郎氏は『徹底検証「森友・加計事件」――朝日新聞による戦後最大級の報道犯罪』という書籍を出版したところ、版元の飛鳥新社とともに、朝日新聞社から総額5000万円の損害賠償訴訟を受けています。
小川榮太郎氏ならびに飛鳥新社に対する訴訟提起について(2017-12-25付 朝日新聞社HPより)
言論の世界で批判されたら訴訟の世界に逃げる。
これは朝日新聞のDNAのようなものでしょうか?
この新聞は常々、「報道の自由を守れ」だの、「言論による国家権力に対する批判は重要だ」だのと騙っていますが(たとえば次の社説参照)、自分たちの捏造報道について批判する言論が出て来たときには、自分たちが批判している対象である国家権力の一部を使ってそれを封殺しようとするのです。
(社説)自由な報道 民主主義の存立基盤だ(2018年8月18日05時00分付 朝日新聞デジタル日本語版より)
呆れて物も言えません。
そういえば、朝日新聞の植村隆・元記者は、櫻井よしこ氏から「慰安婦問題の捏造記事を執筆した」と批判されたことを巡って、櫻井氏や彼女の書籍を出版した版元を相手取って訴訟を起こし、先日、めでたく敗訴したという事件がありましたね。
この事件については、次の2本の記事で触れていますが、私が真っ先に感じたのは、「言論の世界の戦いを訴訟に持ち込む愚かしさ」です。
自分たちは無謬(むびゅう:過ちを犯さないこと)という存在だと考えて、政治家や企業などをバシバシ批判するくせに、自分たちが批判されると、とたんに裁判所に泣きつく。
こんなご都合主義の組織に、「言論の府」を名乗る資格がないことは、今さら指摘するまでもないでしょう。
人格批判は許されない
もっとも、批判する側が、相手の主張内容と全く関係のない、人格、人種、出自などについて批判することは許されません。
2012年10月、朝日新聞系列の「朝日新聞出版」が発行している雑誌『週刊朝日』が、橋下徹(はしもと・とおる)大阪市長(当時)に対し、『ハシシタ 奴の本性』と題する誹謗中傷記事を掲載し、社会的な批判を浴び、橋下氏に対する謝罪に追い込まれた事件が発生しました。
この点、ある人の主張している内容を批判することは自由ですが、それらとまったく関係のない、その人物の出自を批判することは、一般に適切な行為ではありません。
しかし、逆に言えば、「その人が主張した内容」に限定して、理由とともに「この人物の主張は間違っている」と主張することは、まったく自由であるのです。
(※余談ですが、朝日新聞グループは捏造報道もするし、人権侵害もするくせに、自分たちに対する批判は受け付けないだの、批判されたら裁判所という国家権力の威光にすがるなど、どうも言論機関としてはきわめて情けない組織なのではないかとしか思えません。)
「ルールを守る」とは?
「言論の自由」には「言論の責任」が伴う
ここで、「言論の自由」は、社会的なルールの1つです。
わかりやすくいえば、「何を主張しても良いが、自分が主張した内容について批判されることも容認しなければならない」、という、ごく当たり前のことを言っているだけのルールです。
新聞社やテレビ局の場合は、長年、業者の数が限られているなかで、情報発信を独占するという「社会的な特権」を持っていたのですが、この特権が、インターネットの出現によって揺らいでいます。テレビ局の捏造報道についても、インターネット上であっという間に共有され、批判されてしまうからです。
(※余談ですが、現代日本社会において「表現の自由」を嫌っているのは、与党政治家ではなく、新聞社とテレビ局ではないかと思うのです。)
そして、この「言論の自由」には、「言論の責任」が伴います。
インターネット環境が普及したことによって、新聞社やテレビ局も、今ごろになって、「言論の責任」に直面し、戸惑っているのかもしれません。
ルール・ベースで対抗せよ!
一方、当ウェブサイトで最近、精力的に取り上げているのは、国際法や国際条約、国際約束を守らない、韓国という国です。韓国の政府、裁判所、メディアなどの振る舞いを見ていると、彼らは「ルール」「法律」「約束」などの概念を理解していないのではないかとしか思えません。
最近になって、韓国のメディア、政府発表などを読み込むうちに、おぼろげながら理解してきたのは、どうも韓国社会を支配しているのは、「ルール」ではなく「情緒」、あるいは「日本に対する恨み・マウンティング」の概念ではないかという点です。
つまり、「日本は韓国よりも道徳的に下位の国だ」、「道徳的上位者はいつでも道徳的会社との約束をひっくり返しても良い」、という発想が見て取れるのです。その典型例が、10月30日の「徴用工判決」や、11月21日の「慰安婦財団解散発表」といった動きでしょう。
ただし、こうした「情緒」、「日本に対する上位意識」は、国際社会のルールには存在しません。韓国にとって本当に困るのは、国際社会のルールを持ち出されることであり、逆に言えば、日本は国際社会のルールに従って韓国と接すれば良いのです。
2016年7月にウェブサイトを開設して以来、当ウェブサイトでは、一貫して「国際的ルールに従った対応」を提唱して来ましたが、最近になって日本政府が「ルールに従った対応」を前面に押し出していることを、私は素直に歓迎したいと思います。
「ルール無視」対「ルール重視」
ルールの概念は、スポーツ(サッカーや野球など)に例えてみれば、分かりやすいと思います。スポーツはルールを守りながら勝つことがその醍醐味であり、反則をして点数を上げても意味はありません。これとまったく同じで、国際社会においても、ルールを守る国が勝つべきであり、ルールを破る国が負けるべきです。
あるいは、言論の世界、国際条約の世界だけでなく、企業経営の世界にも、まったく同じことが言えます。
むかし、『稼ぐが勝ち』という書籍を出版した人物がいたようですが、私は「手段を選ばずに稼ぐ」ことが良いとはまったく考えていません。
経営というものも、結局は「ルールを守って儲けること」であり、最低賃金などの労働法、法人税などの税法、さらには道路交通法や食品衛生法といったさまざまな法律をきちんと守って事業を営み、それで設けた経営者が一番偉いのだと思います。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
本日は「100万PV」を達成した直後ということもあり、いつにもまして、話があちらこちらに飛んで読み辛い記事だと感じた方も多いと思いますが、ただ、私が申し上げたいことは、「最後に勝つのはルールを守った人だ」、ということです。
ウェブ言論の世界であっても、日本国憲法第21条に定める「表現の自由」のルールが貫徹しています。
当ウェブサイトでも、コメント欄で当ウェブサイト(や他のコメント主様)の主張を好きに批判していただいて結構ですし(ただし他のコメント主様に対する誹謗中傷、人格批判はご遠慮願います)、当ウェブサイトのコメント欄で反論されるのが嫌なら、ご自身でブログを作って批判して頂いても構いません。
(※もっとも、当ウェブサイトの主張を批判するのならば、当ウェブサイト上でそれを展開するのが一番手っ取り早いと思いますし、批判ブログを執筆されたのであれば、そのURLを貼り付けて頂いても構いません。)
いずれにせよ、当ウェブサイトはささやかながらも「知的好奇心を刺激する言論プラットフォーム」の1つとして、情報の発信を続けていきたいと思いますし、どうか読者の皆さまも、ご愛読とお気軽なコメントを賜りますよう、改めてお願い申し上げる次第です。
本文は以上です。
日韓関係が特殊なのではなく、韓国が特殊なのだ―――。
— 新宿会計士 (@shinjukuacc) September 22, 2024
そんな日韓関係論を巡って、素晴らしい書籍が出てきた。鈴置高史氏著『韓国消滅』(https://t.co/PKOiMb9a7T)。
日韓関係問題に関心がある人だけでなく、日本人全てに読んでほしい良著。
読者コメント欄はこのあとに続きます。当ウェブサイトは読者コメントも読みごたえがありますので、ぜひ、ご一読ください。なお、現在、「ランキング」に参加しています。「知的好奇心を刺激される記事だ」と思った方はランキングバナーをクリックしてください。
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【おしらせ】人生で10冊目の出版をしました
自称元徴用工問題、自称元慰安婦問題、火器管制レーダー照射、天皇陛下侮辱、旭日旗侮辱…。韓国によるわが国に対する不法行為は留まるところを知りませんが、こうしたなか、「韓国の不法行為に基づく責任を、法的・経済的・政治的に追及する手段」を真面目に考察してみました。類書のない議論をお楽しみください。 |
【おしらせ】人生で9冊目の出版をしました
日本経済の姿について、客観的な数字で読んでみました。結論からいえば、日本は財政危機の状況にはありません。むしろ日本が必要としているのは大幅な減税と財政出動、そして国債の大幅な増発です。日本経済復活を考えるうえでの議論のたたき台として、ぜひとも本書をご活用賜りますと幸いです。 |
< 月間PV100万突破おめでとうございます。なかなか居ませんよ(笑)。100万の壁は高い。ちょうど時事ネタがワンサカ出たというのもあるでしょうが、そのタイミングに合わせられたのも実力のうち。
< このサイトの内容を、他の自分のブログなりで、わざわざ批判している方がいるとは、正直驚きです。このコメ欄に書けばいいものを、姑息にも自分の庭に持っていって、ボロクソに言うとはなさけなや。
< そんな小者は無視で、しかし時間的にはかなり運営に割かれているようで、本職とお身体第一にお願いします。でも、たまに出る【特報】に出会った時は、得をした気分になります。期待してますヨ〜。
<
韓国人、パヨク、朝日新聞、彼らに共通するのは自己無謬性に基づく万能感です。自分が絶対に正しいという前提で物事を判断するので、自分への批判は一切受け入れられず、相手に対しては容赦なく批判できます。最初から二重規範が言動に組み込まれてしまっています。自己無謬性のおかげで自分にも他人にも同じルールを当てはめることができないのです。
それでも韓国では「自分がやればロマンス、他人がやれば不倫」という言葉が流行っているようなので、自分たちの気質を自覚する程度に客観性はあるようです。朝日新聞の場合は自覚もなければ反省もありません。韓国人にも劣る傍若無人ぶりです。
こんな酷い新聞が未だに日本社会から支持され、相対的にまともな産経新聞の方が先に全国紙から撤退する有様です。恐らく新聞購読層が高齢者中心であり、彼らの世代には左翼言論の方が心地よいのだろうと推測します。新聞というレガシーメディア全体が縮小衰退する中で「朝日新聞潰れろ!」と叫んでいたら産経新聞が先に潰れた、などということになりかねません。
自己無謬性、またの名を「正義」あるいは「真実」、こういった主観に根ざした基準で物事を測ることをやめ、事実に基づいて報道するるだけでレガシーメディアへの信頼は復活するのですが、「俺様は絶対に正しい」と信じている人には届かぬ願いです。
ううむ。完璧すぎる分析はコメントしづらいものですねえ。
http://ch.nicovideo.jp/ooguchib/blomaga/ar1703382
文在寅政権は対話不能
「しつけ」以外の選択肢しか無いのでしょうね。
私も韓国政府と韓国人の思考回路が理解不能でしたが、
元海上保安官の方のコラムを読んで「なるほど」と思いました。
「なぜ韓国は日本を許さないのか」
https://ironna.jp/article/1395#
日本人から見れば滅茶苦茶な考え方ですが、韓国人にとっては筋が通っているそうです。
いつも思うのですが、韓国におもねるような団体の方たちは、何が収入源なんでしょうか。
今日も我が家の近くで旗を持って叫ぶ「良心的日本人」がいました。
カルト教団じみていて子供も怖がっていますし、彼らが真っ当に働いているようには見えません。
公営住宅に住んでいる人たちなんですが、いわゆる「反社会的勢力」と変わりません。
言論の自由、結社の自由、そういうものの前に、こちらの人権が侵害されている気分です・・・
朝日新聞社
https://shinjukuacc.com/20181201-01/#i-7
に関して、
「日本を貶め日本人を苦しめて、まともに反省しない あの大新聞」
https://ta9as1.web.fc2.com/singkangha.html
と評するサイトを見つけました。
毎々の執筆、ありがとうございます。
ルールはとても大事です。
ものごとを建設的に考え、解決しようとした場合、考えがあさっての方向へ進まないように
規制してくれたりもしますしね。
まぁ、それを自分の都合の良い様に解釈(拡大解釈)するから、おかしな判決が出たりするわけですが。
ところで、河野外相がこんな呼び掛けをしたそうです。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181130-00031524-kana-pol
いやいや、もう国民は受忍限度を使い果たしておりますよ、河野外相。
かと言って、損害を被っていない現状では、口撃以外に技を出せないのも確かですが。
一方、国内に目を向けると、菅官房長官はいまだにやり合っていたのですね。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181129-00000003-jct-soci
閣僚になると、大変なストレスなんでしょうね。
菅官房長官、河野外相、お疲れ様です。
新宿会計士 様も御自愛くださいね。
失礼致しました。
ルールを守るってのは、
白線の内側に入らないって決めた時に、ソコに実在は無い壁を
存在するかの様に壁の表象を投影して認知する能力のコトで
投影した認識を共有出来る相手同士でだけ成り立つんだよね
プロジェクションサイエンスの領域の話をマスの相互認識で考えるんだね
相互共同の表象の投射認識を共有出来る相手としかルールは共有出来ないとも言える
韓国人にとって日本は先にルールを破った国であるとの認識があります。それは併合が違法であるとの認識です。いくら韓国人に併合条約の話をしても通じません。「日本が嫌がる韓国人に無理に署名させた」とか「国民の意思ではなかった」とか・・・。確かに併合反対派はいましたが、その頃の韓国は専制君主制であるため、国王の決定は国の決定であり、国際法に照らし合わせても条約の内容に何ら不備はないはずです。ところが韓国人はその時代から立憲君主制または立憲民主制であると勘違いしている人が大多数です。この基本的な違いを分からない人に日本の併合が国際条約に則ったものといくら説明しても韓国人には話が通じません。
韓国人にとって法(ルール)とは自らの都合によっていかような解釈をしても問題がないものです。自らの利になる法であればそれを権力として用い、自らの害になる法であれば徹底的に無視する。それにも劣るマスコミとはいったい何なんでしょう?(韓国マスコミは確かに最低です)
駄文にて失礼します