量的緩和と為替介入をごっちゃにする韓国会計士協会長
某国メディアの日本語版で先日、為替介入と金融政策の区別がついていない記事を見かけました。発言者はその国の「名だたる経済官庁」で要職を務め、現在は「韓国公認会計士協会」の会長と名乗っている人物ですが、この人物のインタビュー記事を読んで何が問題なのかについて、改めて考察をしてみたいと思います。
目次
為替介入と金融政策の区別がつかない韓国
インターネット時代の最大の特徴は、ネット環境さえあれば、世界中の情報がリアルタイムで手に入る、という点にあります。地球の裏側の「安倍マリオ」が話題になるくらいですから、より近い隣国の情報にも強い関心を抱く人が増えるのも当然のことといえるかもしれません。
そして、もう一つの特徴は、情報を「オブラートに包んで伝達する」という行為が消滅した、という点にあります。マス・メディア(特に新聞とテレビ)が情報発信を独占していた時代だと、ある国で日本に関する「悪意のある報道」がなされていても、マス・メディアが情報を取捨選択していたため、「日本人に対して敵対的な報道」が直接、日本人に伝わることはありませんでした。しかし、現代社会においては、インターネットの普及のおかげで、新聞やテレビが報じない現地の情報を、日本人が日本に居ながらにして直接、確かめることができてしまいます。そうなると必然的に、情報を受け取る個々人が、その情報の妥当性を自ら吟味しなければなりません。現代は、マス・メディアが選んで流した情報だけを受け取っていれば良い時代ではないのです。
逆に、「日本に対して敵意を抱く国」で流されている「日本にやたらと批判的な報道」の数々を拾っていくと、何かと「発見」(?)があるのも事実です。
天下り官僚が「公認会計士協会」の会長?
前置きが長くなりましたが、本日取り上げる話題は、韓国の「保守系大手メディア」(?)を自称する「中央日報」の日本語版に掲載された、次の記事です。
韓経:「韓国の為替介入を問題視する米国、アベノミクスは容認…韓国の外交失敗が理由」(1)(2016年10月24日13時07分付 中央日報日本語版より)
韓経:「韓国の為替介入を問題視する米国、アベノミクスは容認…韓国の外交失敗が理由」(2)(2016年10月24日13時07分付 中央日報日本語版より)
といっても、元記事は「韓国経済新聞」が掲載したもので、中央日報はこれを日本語に翻訳しただけのものです。記事の冒頭部分を抜粋しておきましょう。
崔重卿(チェ・ジュンギョン)韓国公認会計士会会長が本を出した。タイトルは『ワシントンでは韓国が見えない』(韓国経済新聞)だ。米国・日本・中国など強大国の間で生じている大韓民国の外交の問題を一つ一つ解剖した本だ。企画財政部第1次官と知識経済部(現産業通商資源部)長官を務めた正統経済官僚が国際政治と外交の分野の本を出すのは異例だ。17日にソウルにある韓国公認会計士会ビルで崔会長に会い、本で扱った外交懸案などについて話を聞いた。
のっけから「?」となる記事です。記事で話題となっている崔重卿(さい・じゅうきょう)氏は「韓国公認会計士協会会長」という肩書なのだそうですが、「経済官僚」とされています。崔重卿氏自身が韓国公認会計士の資格でもお持ちなのでしょうか、それとも韓国では公認会計士資格を持っていない人間(例:元官僚)が協会会長に「天下り」する習慣でもあるのでしょうか?このあたりの事情はよくわかりません。
ただ、記事の内容を読んでいくと、崔重卿氏自身が経済官僚としても会計士(?)としても、知識面からは相当心もとないと言わざるを得ません。
韓国の為替介入を問題視する米国
まず、中央日報日本語版のタイトルに「韓国の為替介入を米国が問題視している」とありますが、これは事実です。しかし、次の崔重卿氏の主張を読む限り、「米国が韓国の為替介入を牽制する理由」の分析が全く間違っています。崔重卿氏は
「過去3年間は一言でいうと、日本が太平洋戦争を起こした戦犯国の汚名をそそいで米国の堂々たる軍事パートナーとして華麗に再登場した時期と規定できる。米国が中国の軍事力膨張を防ぐために要請した日本の再武装を安倍首相が受け入れた結果だろう。その代わり日本は再武装財源確保のために日本円を無制限に供給する『アベノミクス』を容認してほしいと米国に要請し、米国はこれを受け入れた。米国が日本の過度な円安を容認しながらも韓国の小規模な為替介入を厳格に牽制するのはこうした背景のためとみている」
と述べていますが、この下りだけで、この人物が米国財務省のレポートを全く読んでいないことは明らかです。より正確にいうと、米財務省は「米国の主要な貿易相手国」というページで、今年から半年に1回、レポートを公表しており、この中で韓国は「為替操作監視対象国」として認定されているのです。
FOREIGN EXCHANGE POLICIES OF MAJOR TRADING PARTNERS OF THE UNITED STATES
このページにある2016年10月14日付レポート(※PDF注意)から、日韓に関する記述を抜粋してみましょう。
日本に関する記載
(原文)Japan has a significant bilateral trade surplus with the United States, and its current account surplus for the last four quarters through June 2016 reached the highest level since 2011, at about 3.7 percent. Japan has not intervened in the foreign exchange market in almost five years, but upward pressure on the yen in 2016 has been accompanied by persistent public comments by Japanese authorities aimed at restraining yen appreciation. Treasury assesses that the dollar ‐ yen foreign exchange market has been functioning smoothly, and reiterates the importance of all countries adhering to their G ‐ 20 and G ‐ 7 commitments regarding exchange rate policies. For Japan, it remains important that the authorities use all policy levers, including a flexible fiscal policy and an ambitious structural reform agenda, to lift near ‐ term growth and inflation and improve the medium ‐term economic outlook.
(仮訳)日本は米国との間で巨額の貿易黒字を抱え、2016年6月までの1年間における経常黒字は2011年以来最大となるGDPの3.7%に達している。日本は5年以上、為替介入を行っていないが、2016年を通じて円高圧力が強く、日本の当局者は円高に対する牽制発言を繰り返している。財務省としては、ドル・円為替相場はスムーズに機能していると考えているが、為替政策を巡るG20及びG7での合意を遵守する重要性を重ねて強調したいと思う。日本に関しては引き続き、柔軟な財政政策と野心的な構造改革の課題を含め、あらゆる政策手段を用いることが重要であり、そのことが短期的な経済成長と物価上昇、中期的な経済見通しの改善につながるものである。
韓国に関する記載
(原文)Korea has a significant bilateral trade surplus with the United States and a current account surplus well above the material threshold. Treasury estimates that over the 12 months ending June 2016, Korea sold nearly $24 billion in foreign exchange, representing a shift from several years of asymmetric intervention to resist appreciation. The IMF assesses the won to be undervalued. Over the medium term, appreciation of the won would help Korea reorient its economy away from its reliance on exports by encouraging the reallocation of resources to the non ‐ tradables sector. Treasury has urged Korea to limit its foreign exchange intervention to only circumstances of disorderly market conditions. In addition, Treasury continues to encourage the Korean authorities to increase the transparency of their foreign exchange operations and to take further steps to support domestic demand, including more robust use of fiscal policy tools.
(仮訳)韓国は米国との間で巨額の貿易黒字を抱え、経常黒字の水準も米財務省の基準値を上回っている。財務省としては、2016年6月までの1年間において、韓国政府は自国通貨を防衛するために240億ドル近い外貨を売却したと試算しているが、これはここ数年、韓国が自国通貨高を抑制するために繰り返してきた自国通貨売り介入と逆の動きである。国際通貨基金(IMF)の評価では、(韓国の通貨)ウォンは過小評価されている。中期的には、ウォンの上昇は韓国経済の過度な輸出への依存構造を改め、内需喚起に寄与するものである。財務省は韓国に対し、為替介入を行うのは無秩序な市場状態の時などに限定することを強く推奨する。これに加えて財務省は韓国の当局者らに対し、彼らの為替介入オペの透明性を高めることと、より思い切った財政出動などを含めた国内の需要を喚起する政策の採用を求める。
実は、ここに全ての答えが出ています。日本の場合は、2012年12月に安倍政権が始動して以来の約4年間、当局(日本の財務省の「外為特会」など)による「円売り・ドル買い介入」は一切行われていません。行っているのは、政府(財務省)ではなく、中央銀行である日本銀行による「量的緩和」(QQE)です。これは、中央銀行が自国通貨(円)のマネタリーベースを増大させる政策であり、資金供給を増やすことにより国内の金利を低下させ、インフレ期待を誘発することなどを目的としたものです。決して「円安」を目的にした金融政策ではありません。実際、上記記載を読んでいただいても、米財務省が日本に対して求めているのは「今行われている財政政策を含めた内需振興と構造改革をさらに継続すること」であり、現状の日本の政策を問題視しているというものではありません。
これに対して韓国政府が行っているのは、「不透明な為替介入」です。そして、米財務省の主張は「韓国は透明性を増大させるべきだ(Treasury encourage the Korean authorities to increase the transparency)」というものですが、裏を返せば米財務省が現在の韓国の為替政策を「不透明であり、大きな問題だ」と考えている証拠です。端的に言えば、米国財務省は韓国に対して
輸出競争力を不当に高めるための不透明な為替介入をやめ、内需を喚起せよ
と、異例の厳しい調子で非難しているのです。
なお、同レポートの詳しい内容は「「日本が為替監視対象国」報道の真相」で触れている通りですので、ご興味があればぜひご参照ください。
「専門外のこと」に手を出すのも結構だが…
私は、自分の「専門外のこと」に手を出すことも、自分自身の知識を深めることに役立つと考えています。実際、私は「金融商品会計と金融規制の専門家」の端くれですが、今年7月に開設したこの「政治経済評論」では、自分自身の専門領域と専門領域外をまたいだ「政治・経済両面に及ぶ評論」を、これからも精力的に発信していくつもりです(もっとも、蓮舫氏の二重国籍問題を巡る先日の記事のように、国籍法の読み込みが不十分であったために、かなり力不足な内容となってしまいましたが、このことについては反省しております)。
ただ、「専門外のこと」に手を出すならば、書籍を出版する前に、それなりにきちんと調べる必要がありますし、だいいち、「専門分野」については確固たる知識を持っていなければなりません。しかし、崔重卿氏は韓国政府の「企画財政部」や「知識経済部」の要職を務め、現在は「韓国公認会計士協会の会長」という地位にあるはずなのに、「財政政策と金融政策の違い」「量的緩和と為替介入の違い」などについて理解している様子は見受けられません。というよりも、同氏には経済・金融の基礎知識すらないようにしか見えないのです。
重要な基礎知識
「アベノミクス」とは、「財政政策、金融政策、構造改革の『三本の矢』」から構成される経済政策ミックスのことであり、「再武装財源確保のために日本円を無制限に供給」する政策などではありません。韓国の民族主義的なメディアとか政治家とかがそのように表現するならばまだ話は分かるのですが、「韓国随一の経済官僚出身者」であるはずの人物の発言だと考えると、恐ろしいものがあります。
国際収支のトリレンマ
さて、きちんと経済学を勉強している人であれば、大学生でも知っている知識が、「国際収支のトリレンマ」です(図表1)。
図表1 国際収支のトリレンマ
パターン | 目的① 資本移動 の自由 | 目的② 金融政策 の独立 | 目的③ 為替相場 の安定 | 典型例 |
---|---|---|---|---|
資本移動の自由を認め、金融政策の独立を達成するなら、為替相場の安定を犠牲にしなければならない | ○ | ○ | × | 日本、米国、英国、ユーロ圏 |
固定相場制の下で資本移動の自由を認めるならば、金融政策の独立を放棄しなければならない | ○ | × | ○ | ユーロ圏内同士、香港、シンガポール、デンマーク |
固定相場制の下で独自の金融政策を実施したければ、資本移動の自由を犠牲にしなければならない | × | ○ | ○ | EM・発展途上国など(アジアでは中国、韓国、台湾など) |
どうやら、これまでの韓国メディアの報道で見る限り、これらのメディア人だけでなく、韓国政府の高官らも、この「国際収支のトリレンマ」を全く理解していないように見受けられるのです。
為替のボラティリティから見る為替介入の痕跡
日本、米国、英国、ユーロ圏などの主要先進国が採用しているのは、「自由な資本移動」と「独立した金融政策」の両立であり、その代償として、「為替相場」については市場原理に委ね、金融危機時などのようにイレギュラーな事態が発生した時に限定して、必要に応じて協調為替介入などを行う仕組みです(例えば、東日本大震災直後に米FRB、日銀、英BOE、ECB、スイスSNBなど主要国中央銀行が一斉に円売り協調介入を実施した事例があります)。実際、日本は民主党政権時代の為替介入を除くと、少なくとも直近5年間は為替介入を行っていません。
これに対し、中国や韓国の場合、自国と外国との資本移動には厳しい制限が課せられています。また、為替相場についても市場原理というよりはむしろ国家による介入が行われているようです。私が個人で経営する会社が作成する「為替のボラティリティ比較」を行ってみた結果が、図表2です。
図表2 2016年9月末VaR値
指標 | 終値 A | 対数差分 標準偏差 B | C= A×B | D= C×2.33 | E= D÷A |
---|---|---|---|---|---|
USD/JPY | 101.34 | 0.113 | 11.45 | 26.68 | 26.329% |
EUR/USD | 1.12 | 0.091 | 0.10 | 0.24 | 21.192% |
GBP/USD | 1.30 | 0.065 | 0.08 | 0.20 | 15.144% |
USD/CNH | 6.67 | 0.031 | 0.21 | 0.49 | 7.296% |
USD/KRW | 1,101.91 | 0.062 | 68.62 | 159.89 | 14.511% |
このデータは「観測期間1200日・保有期間260日」で計算していますが、米ドル・日本円(USD/JPY)の為替相場のボラティリティ(26.3%、表のE欄)が主要国通貨の中で最も大きいことがわかります。一方、日本の「輸出競合国」である韓国のボラティリティは、英ポンド・米ドル(GBP/USD)よりも低い14.5%に留まっています。さらに、米ドルと「香港人民元」(「中国」人民元、ではありません)の為替相場(USD/CNH)に至っては7%少々と、ダントツに低いボラティリティなのです。
これは、韓国ウォンもさることながら、中国の通貨・人民元(正しくは香港人民元=CNH)の為替変動も当局により相当程度、コントロールされているという証拠の一つではないでしょうか?
まとめ:専門家を名乗るならば専門分野はしっかりと!
本日の教訓は月並みなようですが、「専門家を名乗るなら、自分の専門分野の基礎知識くらい、しっかりと持っておけ」、ということです。当たり前ですね。
ですが、冒頭に紹介した「中央日報日本語版」で紹介したインタビュー記事で見る限り、少なくとも「韓国公認会計士協会会長」で「名だたる経済官庁」で要職を務めたという人物に、「量的緩和と為替介入の違い」が分かっていないらしいという事情が伺えます。これは非常に驚異的な話ですが、我々日本人が彼らと「おつきあい」をするうえで、しっかりと踏まえておくべき話なのかもしれませんね。
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