「有言実行内閣」の支持率は低位安定も「下げ止まり」
特定メディアの「倒閣」運動より先に、特定メディアが「倒産」するかも
政権発足直後と比べ、内閣支持率は下がり、不支持率は上がりましたが、当ウェブサイトで「定点観測」している6つの世論調査に限定する限り、内閣支持率にあきらかに下げ止まりの兆候が出てきました。「コロナ感染拡大」と「五輪強行」を印象付けることで支持率を下げようとしたものの、「有言実行内閣」の実力を甘く見たのか、ワクチン接種が思ったより迅速に進んでしまったことに加え、野党に対する支持率が全然伸びていかない状況にある、というわけです。
目次
内閣支持率は低空飛行だが…
以前から当ウェブサイトで「定点観測」している、共同通信、時事通信、読売新聞、朝日新聞の各社と、日経・テレ東、産経・FNNの各合同世論調査、合計6つの世論調査について、2021年6月分が出揃いました。昨日、日経・テレ東合同調査の結果が公表されたからです。
観客入り五輪「妥当」22%「無観客」33% 内閣支持43%
―――2021年6月27日 20:00付 日本経済新聞電子版より
現時点における内閣支持率の一覧を確認しておきましょう(図表1)。
図表1 内閣支持率(2021年6月)
メディアと調査日 | 支持率(前回比) | 不支持率(前回比) |
---|---|---|
読売新聞(6/4~6) | 37.0%(▲6.0) | 50.0%(+4.0) |
時事通信(6/11~14) | 33.1%(+0.9) | 44.2%(▲0.4) |
共同通信(6/19~20) | 44.0%(+2.9) | 42.2%(▲5.1) |
朝日新聞(6/19~20) | 34.0%(+1.0) | 42.0%(▲5.0) |
産経・FNN(6/19~20) | 43.4%(+0.4) | 51.6%(▲1.2) |
日経・テレ東(6/25~27) | 43.0%(+3.0) | 50.0%(±0) |
(【出所】各社報道より著者作成)
現在のところ、「支持」が「不支持」を上回っているのは共同通信のみです。
ただ、6月初旬に実施された読売新聞の調査を除くと、どの調査でも、内閣支持率が横ばいないし上向きで推移する一方、内閣不支持率についても下落または横ばいとなっていることが確認できます。
今のところ、内閣支持率は「下げ止まった」と考えて良いでしょう。
もっとも、これはあくまでも「下げ止まった」だけであって、以前として内閣不支持率は高止まりしていますし、内閣支持率が反転する兆しがあるのかといえば、そこもまた微妙です。図表2は、これら6つの調査について、昨年10月以降の単純平均を求めたものです。
図表2 2020年10月以降の内閣支持率・不支持率単純平均値
(【出所】各社報道より著者作成)
内閣発足の翌・10月には20%台だった不支持率が、年末に35.4%、年明けに一気に40%台に上昇し、じわじわ上昇して現在は40%台後半、すなわち50%台に近づいている状況でもあります。
これに対し、支持率については昨年10月時点で60%近くだったものが、40%台に低下し、現在は40%の大台を割り込んでいる状況にあります。やはり、東京五輪実施を「強行」するつもりだ、といった点に対し、国民の漠然たる不安感が蔓延しているという証拠なのかもしれません。
もっとも、「ウェブ評論家」の立場からすれば、前回衆院選から4年近くが経過し、しかも一度総理大臣が交代しているなかで、40%近い支持率を維持しているという状況は、「総選挙直前にしては、なかなか健闘しているな」、という見方をしても良いとも思う次第です。
少しざっくばらんな言い方をすれば、さまざまな不祥事、ワクチン接種遅れ、コロナ対策の不備、五輪強行などを手掛かりに、政権支持率を低下させようとした一部メディアや一部野党にとっては、完全に「当てが外れた」格好だという言い方もできます。
(※なお、内閣支持率と並ぶその証拠のひとつが「政党支持率」ですが、これについては本稿で後述します。)
数字とロジック
ものごとを「数字とロジック」で読むことの大切さ
さて、当ウェブサイトにひとつだけ「持論」があるとしたら、「なにごともまずは数字とロジックが大事」、です。
俗に「数字はウソをつかない」といわれるからです。何かを議論する際に「客観的な数字がどうなっているのか」について、極力確認しながら議論を進めていくことが大切であることはいうまでもありません。
また、ロジックは、その数字を解釈し、現状を正確に分析するうえで必須のスキルです。数字とロジックがなければ、そこで展開される議論は机上の空論に過ぎないのです。
そして、この「数字とロジックをもとに議論する」を徹底的に追求していくと、俗世間で唱えられている説とは真逆の結論が導かれることもあります。その典型例が、「日本政府は財政再建を必要としていない、むしろデフレ脱却のためには国債増発が必要だ」、という、当ウェブサイトの長年の持論です。
初めてこれを見た人は、仰天すると思いますし、「トンデモ論か?」などと感じる人もいらっしゃるかもしれません。なにせ、新聞、テレビなどのマスメディアでは、しょっちゅう、「日本には『国の借金』が1200兆円を超えた」、「このままだと日本は財政破綻する」、などと説明しているのですから。
ただ、この手の議論を仕掛ける者たちの論考を眺めていて、大きな問題があるとしたら、「数字を無視した議論」(あるいは「数字を意図的に切り取った議論」)、そして、「財政破綻」自体の定義があいまいであるなど、ロジックがハチャメチャである点にあります。
たしかに、「日本の『国の借金』(?)とやらが1200兆円を超えている、これはGDPの2倍を大きく凌駕する水準だ、だから絶対に財政破綻する」、というのは、直感としてはわかりやすい主張です。
しかし、この「国の借金論」自体、重要な前提条件がいくつも無視された暴論であり、「トンデモ論」という意味では、むしろこちらの「財政破綻論」の方でしょう。
読み誤る理由は数字とロジックの軽視
先週の『本当の問題は「国債発行残高がまったく足りない」こと』で「速報」的に取り上げたとおり、仮に「財政破綻」を「日本政府が抱える債務が増え過ぎて返せなくなること」だと定義した場合、その可能性は、この文章を読んでいるあなたの頭上に今すぐ隕石が落ちてくるのと同じくらい可能性が高い話です。
ではなぜ、たとえば「国の借金論」という基本的な部分で、多くのメディアが根本的な思い違いをしているのでしょうか。
その根本的な原因は、数字とロジックを軽視(あるいは無視)しているからです。
そもそも日本国債(あるいは広義の政府債務)については、ほぼ全額が自国通貨である「日本円」建てで発行されており、かつ、その日本円という通貨自体、投資対象が少なすぎて行き場を失っている通貨です(専門用語で「デフレギャップを抱えている」と称しても良いでしょう)。
どんなに少なくとも、国債発行残高が今すぐ、(対外純債権に相当する)300~500兆円程度増えたところで、国債金利市場はビクとも動きませんし、それどころか、国債の発行残高が不足した状態が恒常化すれば、日本経済がさらに痛みます。
来月で、当ウェブサイトを開始してから6年が経過しますが、その間、一貫して申し上げて来たのは、「数字で見る限り、日本経済が必要としているのは国債の圧縮ではなく、むしろ国債の追加発行である」、というものですが、これは日本全体の資金循環バランスという「数字」から出てきた結論なのです。
もちろん、「数字万能主義」に陥るべきではありません。
「数字はウソをつかないが、ウソツキは数字を使う」ということわざもありますし、とくに統計上の数値、あるいは流動性が薄い市場の指標などについては、ちょっとした要因で大きなブレが出ることもあり、それらをもって何か結論を断定すべきではないこともあるからです。
ただ、それと同時に、「数字とロジックを無視した議論」のすえに、現状に対する正しい分析が出て来る可能性は極めて低く、現状認識が間違っているため、誤った処方箋を下してしまう、ことになるのです。
「日本は財政危機だから、消費税の税率を将来的には15%(!)にまで引き上げるべきだ」といったメチャクチャな主張は、まさに数字とロジックを意図的に無視した議論の末に導かれたトンデモ論、というわけです。
数字とロジックを軽視するのはメディアと野党
当ウェブサイトを含め、10年以上もウェブ評論活動を行ってきた結果、痛感するのですが、新聞・テレビを中心とするマスメディア(あるいは「オールドメディア」)や野党などが流すさまざまな説には、「数字」ないし「ロジック」があまりにも足りなすぎるのです。
たとえば、先ほどの「財政再建論」については、「出所」である財務省は確信犯としてウソの情報を垂れ流していると思われますが、それを喜々として垂れ流しているマスメディア(や経団連、一部の「財政学」の学者ら)の主張は、「単なる不勉強」です。
それどころか、むしろオールドメディアや野党は最近、数字やロジックではなく、「印象操作」を多用しているフシがあります。2017年頃にもちあがった「もりかけ問題」を使った政権攻撃などは、その典型例でしょう。
先週の『共同通信の世論調査で再逆転:「支持」>「不支持」に』では、この「もりかけ問題」の本質を「オールドメディアや野党が印象操作だけで政権を倒そうとした事件」という意味で一種の「メディアクーデター」だと申し上げました。
というのも、「もりかけ問題」時代、問題の「核心」がないからです。
よく一部の勢力がツイッター上などで「安倍晋三(氏)は犯罪者だ」、などと怪気炎を上げていますが、彼らに「それでは安倍総理はいったいどういう法律の何条に違反したのですか?」と聞き返すと、答えに窮してブロックしてきたりします(笑)。
「もりかけ問題」を当ウェブサイトなりに定義すると、次のとおりです。
「安倍晋三が内閣総理大臣としての地位を悪用し、個人的な友人が経営する学校法人に対し、違法な便宜を供与したこと」。
これが事実なら、たしかに安倍総理は(ケースによっては)犯罪者として断罪されるべきでしょう。
では、その肝心の「違法な便宜の供与」とは、いったい何を指しているのでしょうか。
2017年以降、あれだけ徹底的に叩いて、森友学園に対する国有地の「不当な廉価での」払い下げに、安倍総理や昭恵夫人が関わっていた証拠は、たった1枚も出てきませんでした。それどころか、財務省が近畿財務局に改竄を命じた書類は、むしろ財務省高官の答弁の齟齬を隠すためのものでした。
また、財務省が結果として、公文書改竄に追い込まれた理由は、野党や一部メディアの、本筋を逸脱した枝葉末節に及ぶ執拗な追及によるもの、という側面が強い、というのが、著者自身の見解でもあります。
加計学園による獣医学部開設は、「違法なもの」ではなく、むしろ獣医学部の新設を認めないとする当時の文科省の裁量行政こそ、違法行政の疑いが強いものでした。
つまり、あえて「不法行為」(またはその疑いが強い行為)をした者は、「森友学園問題」の場合は安倍総理ではなく、森友学園自身、公文書改竄を指示した財務省本省、値引の経緯を巡り二転三転した近畿財務局、同学園に学校開設許可を出した大阪府、そしてメディアと一部野党でしょう。
同じく「加計学園問題」については、もっとも違法性が強いのは行政の裁量権を逸脱していた当時の文部科学省であり、なかでも「児童買春」「違法天下り斡旋」などの不祥事を発生させた前川喜平・元事務次官あたりは、その違法性を認識していた可能性があります。
オマケ:企画課長時代の前川喜平氏がやばい
さて、前川喜平氏といえば、企画課長時代のエピソードを紹介しておきたいと思います。
俗に、「挙証責任」と呼ばれる概念があります。これは、「あることを証明する責任がどちら側にあるか」、という議論です。
「もりかけ問題」の際、「安倍晋三(氏)が有罪だ」と挙証する責任を負っているのは追及する側でしたが、その追及する側だった特定メディアや特定野党は、「安倍総理の側が無実の証拠を出せ」、と言ってきていたのです。これなど、「悪魔の証明」と呼ばれています。
その一方で、規制改革の世界においては、ある制度、ある政策が必要であるかどうかを挙証する責任は、行政官庁の側にあります。これに関連し、2005年7月12日に開催された『第14回教育WG議事録(文部科学省議事録)』という資料を紹介しておきたいと思います。
これは、当時の「規制改革・民間開放推進会議」の委員が文部科学行政についてのヒアリングを行った際の議事録ですが、リンク先PDFファイルの10ページ目に、前川氏の支離滅裂さを示す、大変に面黒い記述があります。
前川企画課長:ちょっとお待ちください。もし今の教員免許制度に意味がないとか、必要がないとおっしゃるのであれば、その理由を挙げていただきたいと思います。
安念専門委員:全然違います。必要があるかないかを議論するデータがないということなんです。
前川企画課長:それを福井先生に出していただきたい。
安念専門委員:そんなことができるわけがないでしょう。それはあなた方の責任ですよ。
福井専門委員:文科省は教育に責任を持つ中央官庁です。教育について自らやっていることについて論証していただくのはあなた方の責任であって、我々は説明を伺う権利がある。
前川企画課長:疑問を提示されているのであれば、疑問を提示するだけの理由を出していただかなければ我々は答えられません。
安念専門委員:エビデンスがないものを初めから信じるなどというのはばかげたことでしょう。
福井専門委員:もともと証拠もないことを中央官庁としてやっておられるんだったら、それ自体ゆゆしき事態ですよ。
安念専門委員:エビデンスがない以上、疑問を呈するのは当たり前で、エビデンスがないんですから。
福井専門委員:あなた方が証拠がないことをやっておられること自体を我々は問うているわけです。だから、政策を実現するためにはそれに基づく根拠が欲しいということです。
前川企画課長:それだけの疑問を呈するのであれば、その疑問の……。
安念専門委員:エビデンスがないのに疑問を持たない人がどこにいるんですか。エビデンスがないものに対して疑問を持つのは当たり前でしょう。サイエンティフィックに考えたら当たり前です。
福井専門委員:施策をやっているのはあなた方です。勘違いしないでいただきたい。
規制改革委員からの「政策のエビデンスがない」という指摘に対し、前川氏は「現行の制度を批判するならばまずその理由を示せ」と詭弁で答えています。しかし、これに委員は「国民の税金で運営している以上、どういう効果があるのかというデータ自体を示せ」と反論します。
まさに、「その政策が必要である」とする数字ないしロジックを、行政官庁である文部科学省の側が一切示せなかったという典型例であり、おそらくは獣医学部の設置を拒むというのも、数字やロジックを無視した違法行政そのものでしょう。
その意味で、文部科学省は、財務省の劣化コピーなのかもしれませんね。
コロナ騒動を「数字で」読む
「安倍・菅はダメダメ、クオモやメルケルを見習え」
さて、この「数字やロジックを無視した暴論」、2020年以降はまったく違う方面から罷り通るようになってしまいました。いうまでもなく、武漢肺炎、新型コロナウィルスの蔓延です。
とくに、「安倍晋三政権のコロナ対策は大失敗に終わった」、「安倍政権の後継者である菅義偉政権もコロナ対策で大きく失敗しつつある」、「それなのに菅政権は東京五輪開催を強行しようとしている」、といった説は、わかりやすいためでしょうか、多くの人々が直感的に受け容れている気がします。
ことに、昨年だとニューヨーク州のアンドリュー・マーク・クオモ知事やドイツのアンゲラ・メルケル首相らと対比させる形で、「安倍晋三(総理)の対策はまったくダメだ」、といった俗説を唱えているメディアも多く見かけました。
ただ、そのように叫ぶ人たちにこそ、冷静に考えていただきたいのですが、「コロナ対策が大失敗」とはいったい何をもってそのようにおっしゃっているのでしょうか。
諸外国と比べて、日本の重症化率が高すぎるからでしょうか?武漢肺炎で亡くなる人が、日本だけ突出しているからでしょうか?感染者数が異常に多いからでしょうか?
ファクトチェック、しましたか?
たとえば『COVID-19有識者会議』というウェブサイトに今年5月14日付で掲載された『続編―第一線の医師によるニューヨークCOVID-19最新情報』という記事によれば、ニューヨー州だけで累積感染者数は約200万人、累積死者数は約5.2万人だった、と記載されています。
同サイトでは、これらの数値を東京都の人口に換算すると、累積感染者数は約140万人、累積死者数は約3.7万人だとするのですが、これらの仮の数字を東京都の実際の数字(累積感染者数14万人あまり、累積死者数1900人あまり)と比べ「約10~20倍の差」としています。
また、ロイター『COVID-19 TRACKER』というページによると、パンデミック発生以来のドイツの感染者数は約370万人、死者数も9万人を超えているのに対し、日本の累計感染者数は80万人弱、死者数は1.5万人以下です。
人口比で考えれば、これも桁違いの低さ、というわけですね。
もちろん、日本での新規陽性者数やコロナ関連死亡者数が欧州、米国などと比べ、けた違いに少ないことを巡っては、「欧州や米国ではより強力なウィルスが流行していた」、「欧米人と日本人で体質が違う」、といった説を唱える人がいることは事実でしょう。
しかし、少なくとも「安倍晋三(氏)や菅義偉(氏)のコロナ対策が大失敗に終わった」と称する人たちの議論では、コロナによる被害が日本では桁違いに低いという事実に言及する人がほとんどいないという点は無視できません。
「安倍(氏)や菅(氏)よりもクオモ知事、メルケル首相が優れている」と言いたい気持ちもわからないではありませんが、そもそも最低限のファクトチェックすらしないというのは、いかがなものかと思う次第です。
ワクチン接種?1日100万回を達成してしまいましたが、なにか?
さらには、ワクチン接種が欧米諸国と比べて非常に遅れていたという点(※これは事実)に着目し、「日本ではワクチン接種が遅々として進んでいない」と批判してみたり、菅政権が「1日100万回」を掲げたことを「非現実的」「ごり押しだ」と批判してみたり、と、本当に何に対しても批判ばかりです。
ことに、『日経メディカル「今のペースでは接種完了まで7年?」』では、『日経メディカル』というメディアに4月22日付で掲載された、『今のペースではコロナワクチン接種完了は7年後!?』という記事を紹介しました。
しかし、この記事の直後から日本ではワクチン接種が加速し始め、おそらく現在の1日当たり接種回数は100万回を優に超えています(1日100万回以上のペースで接種が進んでいると判断する根拠については『日経メディカル「今のペースでは接種完了まで7年?」』などもご参照ください)。
もしこのペースで日経メディカルのアドバイスに従い7年間接種を続ければ、全国民に対し、コロナワクチンを少なくとも26回は接種可能です。「1人2回接種」を13セットは繰り返せる程度のペース、というわけですが、はたして、コロナワクチンはそこまで接種しなければならないものなのでしょうか。
大いに疑問と言わざるを得ません(※日経メディカルさんへの皮肉です)。
ただし、昨今、「東京都の新規陽性者数が増加に転じたなか、本当に五輪を開催しても大丈夫なのか」、といった疑念があることは事実でしょう。
その一方で、ワクチン接種が急速に進んでいるという点、若年層は高齢層と比べ重症化率が桁違いに低いという統計的事実もあるわけですが、これについては大変に興味深い現象を発見しましたので、本日、可能ならば午前中に、別稿にて詳しく議論したいと思います。
ついてこない、「政党支持率」
さて、コロナ騒動のそのついでにもうひとつ、こんな調査についても紹介しておきましょう(図表3)。
図表3 政党支持率(2021年6月)
メディアと調査日 | 自由民主党(前回比) | 立憲民主党(前回比) |
---|---|---|
読売新聞(6/4~6) | 33.0%(▲4.0) | 5.0%(▲2.0) |
時事通信(6/11~14) | 22.8%(+1.4) | 2.9%(▲1.5) |
朝日新聞(6/19~20) | 31.0%(+1.0) | 6.0%(▲1.0) |
日経・テレ東(6/25~27) | 43.0%(+1.0) | 8.0%(±0) |
(【出所】各社報道より著者作成)
これは、図表1で紹介した6つの世論調査における政党支持率調査から、自民党等立憲民主党に対する政党支持率を拾ったものです(共同通信のものと産経・FNNのものがありませんが、これは調べた限り、見当たらなかったからです)。
いずれの調査でも、自民党に対する支持率は立憲民主党に対する支持率と比べ、5倍を超えています。
もちろん、これらの調査がただちに次回選挙における獲得議席数を示しているわけではありません。
選挙区によっては立憲民主党や日本共産党などの政党が圧倒的な力を所持しているケースもあるでしょうし、政党支持率と「比例区で投票する政党」は一致しないからです。
たとえば朝日新聞の「仮にいま、衆院選の投票をするとしたら、比例区でどの政党に投票したいと思うか」という調査によると、自民党は35%(横ばい)、立憲民主党は14%(前月比▲3ポイント)でした。
ただ、もしこの状態が続いたとして、総選挙に突入したとしても、少なくとも立憲民主党が自民党を上回る議席を獲得して政権与党になる、という可能性は非常に低いことはあきらかでしょう。
メディアや野党がいっしょうけんめい、「五輪反対」を叫んだところで、それが野党への支持につながっていないというのは、ある意味では面白い現象だと思う次第です。
国民は冷静だ:倒閣よりメディア倒産が先?
そういえば、「東京五輪中止」などと叫んでいる人たちが、6月23日、都庁を取り囲もうとしたけれども人数が足りなかった、という話題は、『日経メディカル「今のペースでは接種完了まで7年?」』でも触れたとおりです。「五輪中止」はノイジーマイノリティの主張、でしょうか。
いずれにせよ、冒頭にも申し上げたとおり、一部メディアや一部野党、一部活動家らのなかには、「コロナと五輪」で政権を倒そうとするむきもあるようですが、そうした狙いは完全に外れていると考えて良いでしょう。あるいは、国民は意外と冷静に物事を見ているものなのかもしれませんね。
もしかすると、「菅政権の倒閣」よりも早く、「実質債務超過が疑われる某新聞社が倒産する」日が到来するかもしれないと思う今日この頃です。
【参考】〚某新聞社、4期連続営業赤字で自己資本比率も3%割れ』
わぁ、楽しみ!
いずれにせよ、東京五輪開催は、たしかにリスクです。
ですが、ワクチン接種で見せた「有言実行」ぶりを思い出すなら、個人的には菅義偉「有言実行内閣」を信頼しても良いのではないかと思う次第です。
本文は以上です。
日韓関係が特殊なのではなく、韓国が特殊なのだ―――。
— 新宿会計士 (@shinjukuacc) September 22, 2024
そんな日韓関係論を巡って、素晴らしい書籍が出てきた。鈴置高史氏著『韓国消滅』(https://t.co/PKOiMb9a7T)。
日韓関係問題に関心がある人だけでなく、日本人全てに読んでほしい良著。
読者コメント欄はこのあとに続きます。当ウェブサイトは読者コメントも読みごたえがありますので、ぜひ、ご一読ください。なお、現在、「ランキング」に参加しています。「知的好奇心を刺激される記事だ」と思った方はランキングバナーをクリックしてください。
ツイート @新宿会計士をフォロー
読者コメント一覧
※【重要】ご注意:他サイトの文章の転載は可能な限りお控えください。
やむを得ず他サイトの文章を引用する場合、引用率(引用する文字数の元サイトの文字数に対する比率)は10%以下にしてください。著作権侵害コメントにつきましては、発見次第、削除します。
※現在、ロシア語、中国語、韓国語などによる、ウィルスサイト・ポルノサイトなどへの誘導目的のスパムコメントが激増しており、その関係で、通常の読者コメントも誤って「スパム」に判定される事例が増えています。そのようなコメントは後刻、極力手作業で修正しています。コメントを入力後、反映されない場合でも、少し待ち頂けると幸いです。
※【重要】ご注意:人格攻撃等に関するコメントは禁止です。
当ウェブサイトのポリシーのページなどに再三示していますが、基本的に第三者の人格等を攻撃するようなコメントについては書き込まないでください。今後は警告なしに削除します。なお、コメントにつきましては、これらの注意点を踏まえたうえで、ご自由になさってください。また、コメントにあたって、メールアドレス、URLの入力は必要ありません(メールアドレスは開示されません)。ブログ、ツイッターアカウントなどをお持ちの方は、該当するURLを記載するなど、宣伝にもご活用ください。なお、原則として頂いたコメントには個別に返信いたしませんが、必ず目を通しておりますし、本文で取り上げることもございます。是非、お気軽なコメントを賜りますと幸いです。
コメントを残す
【おしらせ】人生で10冊目の出版をしました
自称元徴用工問題、自称元慰安婦問題、火器管制レーダー照射、天皇陛下侮辱、旭日旗侮辱…。韓国によるわが国に対する不法行為は留まるところを知りませんが、こうしたなか、「韓国の不法行為に基づく責任を、法的・経済的・政治的に追及する手段」を真面目に考察してみました。類書のない議論をお楽しみください。 |
【おしらせ】人生で9冊目の出版をしました
日本経済の姿について、客観的な数字で読んでみました。結論からいえば、日本は財政危機の状況にはありません。むしろ日本が必要としているのは大幅な減税と財政出動、そして国債の大幅な増発です。日本経済復活を考えるうえでの議論のたたき台として、ぜひとも本書をご活用賜りますと幸いです。 |
朗報です。本日朝刊産経デジタルp5より。「国際機関幹部に相次ぎ日本人」
(1)例の居直り韓国人立候補でもめたWTO、日本は別候補(JICA委員経験あり)を支援したが、彼女を支える上級補佐官に日本人が就任。
(2)エネルギー検証条約の副事務局長に日本人が就任。
(3)国連環境計画オゾン事務局長に日本人が就任。
本記事の副題は、「中韓に対抗—-貿易・エネ・環境分野で」
——環境についてですが、私は、中国やり放題で日本だけが割をくう環境対策には反対ですが、中国にも同等以上の苦労を味合わせるならCO2削減等にも賛成です。
重要性にようやく気が付き始めましたね。
でも身辺調査だけはしっかりとして欲しいですね。
訃報です。予想されていたことですが、自民党の環境大臣が、ついに反原発を鮮明にしました(下記URLは産経ニュース)。パヨクさんと異なり、論理的科学的根拠に基づいており、代案があれば主張してもいいんですけどね。どうみても単なるおバカでしょ。息子を介して河野洋平氏の過去発言を否定したり現発言を止めさせたり、反原発の小泉純一郎氏のプリンス・セクシー大臣や媚中派二階幹事長を更迭しない限り、私は菅氏を応援しません。
https://t.co/RnxzWAE86n?amp=1
皆さん、太陽光発電って雨や夜間に発電出来ないって知ってましたか?
って言いそう。
メディアの「倒産」以上に実は危惧しなきゃいけないのは、財務の苦しさに乗じてよからぬ勢力に資金的に支配されることです。毎日なんて既にそうだとも言えますが、これを機にもっと露骨になるかもしれません。それでいて「メジャー新聞」の座を表面上に保ってしまっては日本にとって心配なことになります。
全く同感ですね。地方紙はまさにその状況に陥ってますね。これからは、朝日新聞がますます外国勢力、特に中国の影響下に置かれるようになるということです。
なお、新聞の発行部数が激減したとしても、ブランドは当面残ります。そしてブランドが残ってる限り、朝日や毎日の主張が日本全体の主張として海外のメディアに引用されます。
そして、それはメディアロンダリングされて、また日本のメディアに逆輸入されます。
つまり、新聞社の経営悪化に喜んでばかりはいられないのです。
この程度の人物が次官になれてしまう文部科学省という官庁の執務能力がとても心配ですねえ。”頭の良い”財務官僚ならば、もう少し上手にかわすでしょうに。それとも、頭の悪さをカバーできるような何か美質でもあったんでしょうかね?
> 頭の悪さをカバーできるような何か美質でも
民間企業でも、大企業病を煩ってくると、実力・実績よりも社内営業・社内政治力の方が昇格に影響を与えることがあります。
かねがね申し上げているように、日本人は他者からの評価を無努力で得られると信じている割りに、自分は他者の努力を注意深く観察しませんので、安直に社内営業に熱心な部下の方を取り立てかねません。経団連のお花畑ぶりを見るに、まあ、そういった人々が登り詰めたのではないかと疑います。(証拠はありません。)
霞ヶ関の場合、売り上げ必達といった数値に表れる目標に拘束されませんので、ますます成果よりも省内営業がモノを言うのではないでしょうか。
私は社内政治の敗者です。上層部が幇間で埋まっていくことに絶望しました。そのことに「恨(ハン)」をこじらせないように、お気楽な道楽者でいようと日々を楽しく過ごしていますが、意識下にルサンチマンを抱えているので、こうした見方をしてしまうのかもしれません。ま、一応、社内政治の目撃者だということで。
左翼によると、前川喜平は文科省(文部省)始まって以来の優秀な人だそうです。それをうのみにするわけにはいきませんが、事務次官は並大抵の優秀さではなれるものではなく、事務能力に関しては外れはまずないはずなんですけどね。(人格の「はずれ」はありまくります)
最大限、前川喜平よりの視点で可能性を考えるなら、今回の記録は上司から無理難題を与えられて(官僚にはよくあることです)、なんとかこなそうとしたが玉砕したケースだったのかもしれません。
でも、この程度の”課題”で玉砕してしまうようではね……
国会での答弁が心配になるレベルではありませんか?
中央省庁で事務次官になる上での最重要なポイントは人脈とそれに基づく政治力(政治力と言っても政治家とだけでなく省内でのパワーバランスも含めて)でしょう。これらがなければどれほど優秀で事務能力に長けていようとも事務次官には決してなれませんよ。
前川氏の場合、文科省が彼以前(文部省と呼ばれていた時代)から赤く(あるいは赤と青とに、つまり反日に)染まってる人の比率がかなり高かったので、反日の彼はそれら赤や反日の希望の星としてトップに立たせる意図を以て、赤い(あるいは反日な)上司から評価を上乗せされて、それらの高評価の積み重ねで競争相手を蹴り落とし事務次官まで上り詰めることが出来た可能性が十分にありますね。
という訳で事務次官まで赤あるいは反日に占領されるようになった文科省は解体して再構築し直さないと子供達への教育が滅茶苦茶にされて将来の日本国民が知的でなく痴的にされ国としてボロボロになってしまう危険性が高いですね。
それに科学技術の研究開発への国の投資に関しても、予算の問題は直接には財務省であり、予算配分枠の概要は反日文系の政治発言に支配され真っ赤っけに染まり切った学術会議ですが、直接には文科省が科研費を握っているので、学術会議と文科省との両方が反日の真っ赤っけでは目も当てられません。
科学技術振興と国家投資に関しては反日や左翼を排除した独立した省庁を設立して管理運営させないと、今のまま反日左翼に予算と配分枠とを握らせていては、20年後には確実に(ノーベル賞とは言わないまでも)一流の研究成果が日本からは殆ど出せなくなってしまいます。
新省庁の創設が無理なら、まだ経産省に任せたほうが遥かにマシでしょう。経産省は、遂に財務省の財政再建路線はウソで間違いだと明確に叛旗を翻しましたしね。
今回の経産省のキャリア官僚の逮捕も、財務省(に予算を握られているが故に財務省)の言いなりの警察が、財務省の(「俺たち財務省に逆らうとどうなるか見せしめのために経産省を血祭りに上げろ!」という)意向に従って、ここぞという時の切り札として警察が貯め込んでいた【逮捕可能な官僚のリスト】の中で 経産省キャリア という条件で検索・逮捕したと私は推測しています。
勿論、市井の民に過ぎない私ごときが証拠を有する筈もなく全くの個人的な推測に過ぎませんが、偶然と切り捨てるには余りにもタイミングが良すぎますからね。経産省が財務省の財政再建路線に真正面から逆らった基本方針を打ち出した途端に、経産官僚それも普段は絶対に捕まらない(或いは、捕まえない)キャリア組が逮捕されるなんて。
目一杯、前川喜平氏の肩を持つ論を考えてみたけど、思いつきませんね。
文科省は確かに二流の省庁だし、赤いと上に行きやすいのはあったかもしれませんが、それでも事務次官ですよ。同期でトップですからね。
政治力や事務能力、地頭の良さ、交渉術も相当なものであるはずなんですけどね。
官僚は政治家を前にするとすくみあがってシドロモドロになることも少なくないですが、課長ともなれば修羅場も相当くぐって慣れてるでしょうしね。
まあ、私の理解を越えてますが、文科省の問題点の大きさが明らかになったという点だけは良かったですかね。
マスコミは「コロナ感染拡大」と「五輪強行」を印象付けることで支持率を下げようとしていますし、20日以後の新規感染者がやや増え気味なのは気になります。ストレスが溜まっているのか、皆さん一気に外に出過ぎですね(笑)。
若者や子連れは仕方ないと思います。また働き盛りも多少は元気付けに出るから、感染者増はある程度仕方ない。
「有言実行内閣」だからワクチン接種は1日100万人超えで、ワクチン接種が思ったより迅速に進んだ。
今の八方塞がりの状況で内閣支持率40%前後なら及第点です。これがもし、立憲民主党やら野党だったら日本は傾いてます。
>20日以後の新規感染者がやや増え気味なのは気になります。ストレスが溜まっているのか、皆さん一気に外に出過ぎですね(笑)。
一時期、オリンピック反対が過半数との報道がありました。
その方たちは人流が増えることで人の命が失われるとの認識ですから当然自宅で謹慎中なのでしょう、反対でない人も自粛しているわけですから大多数の方が外出や飲食を自粛しているはずですが、、、、、、
意外とみんなで集まって大声でオリンピックハンタ~イと乾杯してたりして。
>立憲民主党やら野党だったら日本は傾いてます。
そうですね100万回/1日のPCR検査をぶち上げて、有無を言わさず次から次へと隔離施設にぶち込まれ、保健所員や医者、隔離施設の管理者の人員不足で日本は終わっていますね。
匿名さま
日本は中共・ソ連や米国のように国土が広くないので
隔離施設建設及び施設収容は無理です。
宗主国様が行っているように隔離施設は、各人の住居になります。
住居から外に出れないように物理的対策を行う事もございます。
又、住居から抜け出す事を監視する為、立憲等は自粛警察を作ると
言っておりました。
新宿会計士様、毎日の更新、有難う御座います。
> 特定メディアの「倒閣」運動より先に、特定メディアが「倒産」
上記が実現すれば誠に痛快です。しかし一方でこれら特定メディアが倒産すると、反日メディアを担った輩が、仕方なく地下に潜ります。つまり今は特定メディアに集まり、とても分かり易い反日活動のその首謀者と実行者が、ATM倒産に伴い特定し辛くなります。そうなるとますます中国共産党からの資金支援や謀略指示が浸透する恐れがあります。
ちなみに米国では「赤狩り」後に共産主義活動は、マッカラン国内治安維持法(1950年施行・1991年廃止)共産主義者取締法(1954年)等の法律で実質的に非合法化されました。この対処はコミンテルンによる謀略阻止には有効でした。
しかし現在米国政権を運営する民主党内に、本来排除されるべき、民衆を騙し支配階級に成り上がり、言論封殺と人権抑圧をして己の利益を図ろうとする輩が、本音を隠した儘に多数棲息する結果になりました。ですから米国の現民主党政権に対する警戒は怠ってはなりません。
それにしても、米国民の、共産主義を標榜するコミンテルン方式の謀略に対する警戒感が、今は全く感じられないのが心配です。その分、悪意ある謀略で政権を奪い、民衆圧迫と虐殺で政権を維持している中国共産党国家に対する警戒感が米国民内に伝わったのは、不十分ではありますが、これ迄の経緯を鑑み多少なりとも進歩です。
従いましてATM+K通信は、倒産して消えれば痛快です。私も快哉を叫びたくなります。しかしここで更に思考を一歩進め、青息吐息でもATM+K通信が存在するのが、皮肉ですが、スパイ防止法が無い我が国には、却って国益にかなうのではないかと思案する次第です。
従いまして大好きな「反日活動」をしながらも、かろうじて生きてゆけるだけの収入を、ATM+K通信が提供し続けてくれないだろうかと期待するのです。
>かろうじて生きてゆけるだけの収入を、ATM+K通信が提供し続けてくれないだろうかと期待するのです。
ご主旨のためにはATM+Kとそんなに数多く残る必要はないと思います。せいぜい1,2社程度が細々とあれば十分なのではないでしょうか。
匿名様
大変申し訳ございませんが、
N社をお忘れのようなので、追加お願いします。
>>しかし一方でこれら特定メディアが倒産すると、反日メディアを担った輩が、仕方なく地下に潜ります。
血で血を洗う報道になるよりは、「広域指定報道団K同組の二次団体T新聞」とかで泳がせておくほうがマシかもしれませんね…
メルケル首相やクオモ知事を持ち上げるメディアや野党は、もし感染者数等の事実を指摘されると、それは日本と外国の習慣等の違いが大きく日本政府の功績ではない。メルケル首相やクオモ知事が日本の指導者ならもっと感染を押さえ込めたというのでしょうね。
言い方は何でもありで、そのような空想による結果は検証できず、そういう可能性もあるね、といことになりますから、メディアの言うことの中で何が事実かをよく考えて判断するしかないですね。
どちらにしても反政府ありき(自民党政府の場合)、センセーショナルが好きなメディア等は安心して情報を受け取れない=役に立たない ということですね。
日本では文系が「数字とロジック」に弱いとされる風潮が強いですね。
最近の例では、「大阪府議会の健康福祉常任委員会で24日、山田健太府議(民主ネット、枚方市選出)が、府の新型コロナウイルスの病床確保計画について問う中で、府が確保を目指す病床数では不足すると指摘し、感染状況に応じて受け入れ可能な病床を増減させる計画についても「間に合わない」と批判。「ロジック(論理)がめちゃくちゃ。みんな文系なんですか」と発言をした」
とのニュースを見ました。大学4年間どこに居たかでその後の人生の出世が決まる学歴社会のひずみと同じく、文系学部か理系学部だったかだけで能力まで判断される傾向が根強くあります。
しかし批判を承知で言うならば、大学4年間だけで考えると明らかに一部文系学部は理系に比べて「数字とロジック」で考える訓練が足りていないのは確かです。数十年前の話なので現在は違うかもしれませんが、現在各分野のリーダーとなっている方々は大体同じような教育を受けている筈です。
理系の我々は週5日(土曜日も休みではありませんでした)、毎日 朝9時から夕17時までみっちり講義、演習が詰まっていたのに対して、一部文系学部は週に1日は全休、講義が半日だけの日が多かったようで、大多数の学生はフリーな時間はバイトやクラブ活動にいそしむとかで学生生活をフルにエンジョイしていたようです。別にそれが悪いこととは思いませんが、社会に出ても「数字とロジック」を要求される仕事より体育会系の根性を求められることの方が多いのが普通であり、せめて大学生の間だけでも、たとえ法学部、文学部/哲学科(偏見かな)といえども事実や数値に基づいて考察し、検証するという訓練をもう少し増やした方がよいと思います。日本の将来のためにも。
そういえば論理哲学という講義を受けたことがあることを思い出しましたが、不熱心だったためか「ちっとも論理的でなく、屁理屈の積み重ねじゃねーか」との印象でした(あくまでも個人的感想です)。でも単位は無事取れました。
文学部哲学科卒ですが何か?
ついでに言うと、論理哲学を中心に勉強しておりましたが、何か問題でも?
今更の話題で恐縮ですが、今日の各種デジタル・デバイスの根幹は論理学です。若造だった頃、CMOSロジックICのみを使って、条件分岐を含むシーケンスを組んで、生産ラインの治具として採用して貰ったことを思い出しました。ゲートアレイやASICのCADにも、74シリーズや40/45シリーズのライブラリーが用意されていました。哲学ですよネー。
アリストテレス以来、論理学は哲学の一分野であり続けました。その様子が変わり始めたのは20世紀に入ってからのことで、ラッセル、ムーア、あるいはヴィトゲンシュタインといった人たちが記号化し始めることで、論理演算や真理関数といった概念が視野に入り始めました。その後、記号論理学は数学基礎論と名前を変えて、哲学から数学へとお引っ越しをしました。
改めて言うまでもなく、電子回路などは命題論理の物理化ですし、多くのコンピュータ言語などは命題論理に基づいた手続きを表現するためのものです(*)。このように、論理学はITの根本を支えるものなのですが、その背景にはアリストテレス以来の膨大な論理学研究があることを、時には思い出してくれるといいなと思います。
(*) Prologなどで一階述語論理が記述できるようになったのは知っているのですが、二階述語論理まで記述できるような言語ってありましたっけ?
> 二階述語論理まで記述できるような言語ってありましたっけ?
私はベタベタの実装屋だったので、所与の言語のみ、具体的にはアセンブラ、C, C++のみしか知らず、二階論理に関心がありませんでした。今は現役を退いて久しいので、最新事情には疎くなっております。
うわー! おみそれしました。自分の投稿は、あくまで偏見です。
別スレにも書きましたが、日本社会においては、どういう努力を行う人間が、組織の中枢にのし上がれ、どのような影響力を行使できるようになるかの問題ではないかと思うようになりました。
本題の前に、話を横にずらします。
私は、仕事上のストレスから暴飲暴食し、メタボリックシンドロームの宣告を受けるまでに太りました。やむなくダイエットを行い、痩せてはリバウンドを繰り返し、今は痩身体型を維持できるようになりました。そしてダボダボの服を全て捨てて、買い直したの切っ掛けに着道楽にはまりました。
そこで気付きました。女性の服飾に対する意識と感度は男性よりも遙かに高いと。百貨店やショッピングモールでの男女別売り場面積を見れば歴然です。青山やアオキのような紳士服専門店ですら、ご婦人が一人で夫のスーツを選んでいるのを見かけます。
小学生の頃からファッション雑誌を読み、高校生の頃には化粧法をマスターし、日々ファッションと美容に心を配る女性に対し、多くの男性が自身の外観向上に配慮する努力はささやかです。もちろんオシャレな男性はいますが、全体での数の違いを申し上げております。年期の入り方といい、探求の深さといい、女性のスキルには太刀打ちしがたいと実感しております。
強引に本題に突入します。
仮に、あくまでも仮に、ですが、文/理の人間類型に差があるとして、その努力の方向が、一方が「他者からの評価を得るスキル」を磨くことで、一方が内実を重視するとしたら? もっと有り体に言えば、うまいこと立ち回ることに時間と労力を割き続ける人間に、職務・課題にだけ熱心な人間は太刀打ちできません。
結局、文/理の差異というよりも、努力の方向の差異という気がします。努力した結果が報われたのですから、その地位を活用して、「数字とロジック」を軽視して発言することが可能になったには、それなりの裏付けがあると言えます。(皮肉)
女性の皆様、私は女性が過程や結果を軽視していると申しているのではありません。特定目標に対する努力の厚みが違うという点を例に出させていただきました。
追加の負け惜しみですが、外華内貧で知られる某国が、コリアウォッチャー(おい、某国の意味がないだろ!)の願望にも関わらず、国際社会でそれなりに重視されているのは、外面を取り繕うことに、かなりの努力を費やしている結果だと思います。欧州先進諸国を差し置いてG7に招待されているのです。G8に成れているのかはさておき、軽々しい存在と見做されていないのは間違いありません。
「数字と論理」を軽視どころか、その大元の事実に基づかないで「自分はきれいだ」と思い込み吹聴していることがもっと国際社会に知られて浸透することを願っています。
「文系だから数字に弱い」というのは、かなり危うい偏見ですよね。
論理学は数学とめちゃくちゃ関係ありますよ。論理学が強い人は数学も強いですね。その逆も真なりです。デカルト、パスカルなど有名な数学者でかつ偉大な哲学者も数多くいます。
東大の文系学生だと、ごくごく一部の例外を除いて、一般の理系学生より遥かに数学ができます。
新宿会計士さんも文系ですね。
私も文系の人間ですけど、少なくとも自己評価では一般の理系よりは数字に強い自信があります。理系の科目を大学で教えてたこともあります。
あ、自分が大学生の時は大学にはほとんど通ってませんでした。「猫より暇な〇〇学部」と他学部から嘲笑される学部だったので。在学中ほとんど勉強しなかったことについては深く深く、マリアナ海溝よりも深く反省しています。そのことについては弁解のしようもありません。
文系諸学科の場合、「学校に行くこと」と「勉強すること」はイコールではありませんからね。ラテン語の原書と格闘するために必要なのは辞書(*)と集中できる環境であって、わざわざ電車に乗って学校まで行く必要は必ずしもありません。
なんの自慢にもなりませんが、私も最終学年ではゼミ(2コマ)と特講の時だけ、週に2日ほどしか学校には行きませんでした。だって、自宅から学校まで電車などを使って1時間半ほどかかったんですもの。ただし、それじゃあ、私が自宅でずっと勉強していたかというと……ナイショです(^.^;
(*) 完全に余談ですが、ラテン語の場合、まず辞書を引けるようになるまでが大変です。ラテン語の単語は、人称、時制、格などで語形が大きく変わりますが、辞書には1人称単数現在主格の形でしか載っていません。つまり、文中の単語から格変化などを考え、1人称単数現在主格の語形が判らないと、辞書を引けないのです。それでも、規則変化する語であればそのうち慣れますが、不規則変化する語だと……泣けます。
龍様
確かにラテン語の勉強などは大学に行く必要はありませんね。もう30年以上昔の話ですが、古代ローマ史に興味がありましたので、大学でラテン語の講義を履修しまして、1年間頑張ったのですが2年目接続法あたりで挫折した経験があります。変化については全く仰る通りですね。例文の単語がそのままの形ではほとんど辞書には載っていない、というのは本当に大変でした。
そんな中途半端な知識でしたが、その後イタリアなどヨーロッパ各国に出張・旅行した時にはラテン語の知識が大変役に立ちました。なんといっても碑文とかがなんとなく読めてしまう。乱暴に言えば、ですが日本における漢文みたいなもんなんですね。古代ギリシャ・ローマ史の歴史は史記あたりで、キケロやセネカは孟子や韓非子くらいになるのでしょうか。
ラテン語の格変化(grammatical cases)は格調高く美しいですね。私はロシア語を勉強していたので、格変化はわかります。欧米の同僚と話すとき、雑談でラテン語の文法の話が出ることもあるのですが(まどマギの話から grammatical cases の話に発展したこともありました)、ロシア語の知識のおかげでついていけました。なお、ギリシャ語の知識があるとなお良いのですが。
授業に来る頻度は、家までの距離と反比例すると言いますね。遠い人ほど熱心に通学する。敷地内の寮に住んでる連中はまず授業に来なかったですね。
チキンサラダ様
ロシアの作家チェーホフもバリバリの医者でしたね。
医業は本妻、作家業は愛人と言ってのけるのは彼特有のユーモアでしょうか。
筑摩書房世界文学大系チェーホフ 234p 手帖 抄から引用させていただきます。
「咽喉がかわく時には大海をもひと飲みにする気でいるーーこれが信仰。いざ飲むとなるとせいぜいコップに二杯だーーこれが科学。」
エラソーなことを書いてますが、私のラテン語に関する知識は本当に最小限です。卒論をデカルトで書いたのですが、デカルトの主著の半分はラテン語で書かれているため、要所要所ではラテン語原典に当たらざるを得なかったので、必死になんとかしたという程度です。まあ、大方はフランス語テキストで済ませられましたが。でも、古代哲学や中世哲学の専攻でなくて良かったとはしみじみ思いましたよ(^.^;
さらに脱線する余談:
大学の第2外国語などでフランス語やドイツ語を学ぶと、それまで学んできた英語の文法を「なんて単純でいい加減なんだ!」と感じるようになります。さらにラテン語を学ぶと、フランス語やドイツ語の文法がなんだかシンプルであるように思えてきます「フランス語なんて名詞が格変化しないし、ドイツ語なんて格が4つしかないじゃないか!」となります。私は全く触れませんでしたが、サンスクリット語を学ぶと、「ラテン語や古代ギリシア語なんて楽勝!」となるのかもしれません。
どうやら、時代が下るにつれて、文法は簡略化される方向に行くようです。
龍様、
言語学的には、言語とは時代が下ると退化する=壊れていくものだと定義します。それは、まさにご指摘の通りサンスクリット語から現在のインドヨーロッパ語族への変化をみて生まれた説です。
アジア系の言語だと必ずしもそうとは言えない場合もあるのですが..
フランス語原典で読まれたなど、すごいですね。私は在学中にロラン・バルトを授業で読んでた記憶はありますが、フランス語自体の記憶はほとんどなくなっていますw
「翻訳された文章には翻訳者の解釈が必ず入るから、とにかく原典を読め。日本語訳をいくら読んでも、それでは勉強したことにはならない」と恩師に叩き込まれましたので……
つまるところ、私自身の勉強量はたいしたものじゃないというのが実情です(-.-; まあ、雑学的知識だけは結構溜め込んでいるとは思いますが。
>エビデンスがないものに対して疑問を持つのは当たり前でしょう。サイエンティフィックに考えたら当たり前です。
文部「科学」省の課長様がこう言われてしまっているのが、ブラックすぎて笑えません。(笑)
それでも事務次官まで上り詰められたことに驚きますが、天下り対象から除外されたことがなによりもの救いです。
事務次官経験者ともなると、天下りにありつけなくても左に寄ればなんとかなるようですね。
>>文部「科学」省の課長様がこう言われてしまっているのが、
文部「科学」省といっても、結局は「文部省」なのでしょう。
科学技術分野は再分離して内閣府か経済産業省に移管するのが望ましいです。子供庁も切り離してスリムになった新・文部省には、外務儀典庁とNGKを付けますので仕事はまだまだ有ります。
もはや「印象操作(ネガティブキャンペーン)」こそが野党・メディアの活動理念と化しているのかな?
♪あさってに向かって走る こぶしを握り締めて・・。
アンチ自民・政策批判ばかりでは、思考を放棄してるのと同じことです。
国益に資する建設的な政策提言で、自らの絶対値を上げてこその存在意義なのだと思うんですけどね。
♪明日に向かって走れ 言葉をつくろう前に・・。
↑(まずは「♪明日は どっちだ?」からなのかな?)
m(_ _)m
そういえば、随分と以前お話ですが、外国の格付け会社が日本の国債格付けを下げたとき、当の財務省が大いに反論したことがありましたね。
そのロジックが新宿会計士様の日頃のお説の通りであったことを、つい先ほどふと思い出しました。探してみたところ、今でも財務省のHPに掲載されている事を確認できました。
未見の方がおられましたら、どうかご照覧下さい。
https://www.mof.go.jp/about_mof/other/other/rating/p140430.htm
https://www.mof.go.jp/about_mof/other/other/rating/p140724m.htm
https://www.mof.go.jp/about_mof/other/other/rating/p140530s.htm
財務省の反論の要旨としては、「日米など先進国の自国通貨建て国債は絶対にデフォルトしない」や「国債の格付けは財務状況だけでなく、広い経済全体の文脈、特に経済のファンダメンタルズを考慮し、総合的に判断されるべき」であるとしています。
まぁ、至極真っ当なことを述べているわけではありますが、日頃我々国民に説明している内容とは、180度反対のことを書いてあるところが嗤えます。一国の国家機関、それもこともあろうに最高最強の権力を持つ財務省が、ここまで平然と二枚舌を使い分けている事に慄然とする思いもします。
それはともかく、元経産省官僚の中野剛志氏も現代貨幣理論(MMT)を説明する際に、経済の世界ではフリーランチはないとよくいわれるが、自国通貨発行権を持っている政府はいくらでもフリーランチが食べられる(但しレストランの供給能力を上回る事はできないけれども)とあるインタビューで答えていたのを思い出しました。
つまりこの日本という巨大な供給能力を誇るレストランでは、新宿会計士様の仰る通り、300兆円から500兆円ぐらいまでの範囲内であるならば、まだまだ追加のフリーランチが食べられますよ、というわけなのでしょうね。