雲仙普賢岳の過熱報道で「市民殺した」と悔やむ元記者

マスメディア産業関係者が好む、「報道の自由」ということばがあります。ただ、残念ながら、マスメディア産業に従事する人たちは、この「報道の自由」を大きくはき違えているフシがあります。その典型的な事例が、災害報道でしょう。これに関連し、共同通信に今朝、今から約30年前の雲仙普賢岳の大火砕流に関する元記者の告白が掲載されていました。

報道の自由を勘違いするマスメディア

「報道の自由」ということばがあります。

これは、新聞、テレビを中心とするマスメディア関係者が好んで使う表現であり、たとえば総理大臣や官房長官、閣僚などの記者会見で記者が質問を制限されたら、ヒステリックに「報道の自由が侵害された」などと叫ぶのが常套手段です。

以前の『新聞労連の思い上がり 新聞記者は国民を代表していない』などでも紹介したのですが、「新聞労連」が2019年2月5日付で公表した『首相官邸の質問制限に抗議する』という文書が、まさに噴飯物です。

記者会見において様々な角度から質問をぶつけ、為政者の見解を問いただすことは、記者としての責務であり、こうした営みを通じて、国民の「知る権利」は保障されています。政府との間に圧倒的な情報量の差があるなか、国民を代表する記者が事実関係を一つも間違えることなく質問することは不可能で、本来は官房長官が間違いを正し、理解を求めていくべきです。」(下線部は引用者による加工)

思い上がりも甚だしい記述です。政治権力を批判する自由が、私たち国民の側に保障されなければならないことは間違いありませんが、マスメディア関係者が勝手に私たち有権者の代表者であるかのごとくふるまって良い、という話ではないからです。

実名?匿名?マスメディアのダブルスタンダードが酷い

マスメディア産業関係者に関し、呆れた話題は、ほかにもあります。

厚労省職員に暴行を働いた東京新聞記者の実名は?』でも報告したとおり、マスメディア産業関係者のダブルスタンダードぶりは酷く、なにか事件があれば被害者や加害者を実名で報じるわりに、新聞記者自身の不祥事については徹底して実名を隠蔽するようです。

そういえば、この「ダブルスタンダード」に関連し、こんな話題もあります。

ネット上の匿名報道についてのご説明

新型コロナウイルスに関連した持続化給付金について、沖縄タイムス社元社員が不正受給し、詐欺の疑いで13日に沖縄県警に逮捕されました。<<…続きを読む>>
―――2020年11月14日 09:58付 沖縄タイムスより

これは、新型コロナウィルスに関連した持続化給付金を沖縄タイムス社の従業員が不正受給していた疑いで沖縄県警に逮捕された事件を巡り、沖縄タイムスがこの従業員の実名を報道していないことに関する「ご説明」です。

これによると、「沖縄タイムスは実名報道を原則」としつつ、「事件・事故の報道については紙面上は実名で、ホームページなどでは匿名での報道を基本」としている、などと言い張るのです。なかなか斬新な取扱いですね。

その理由は、こうです。

インターネット上では、一度掲載すると情報が広がって長く掲載され、すべてを消すことは困難です。(中略)また、近年は『忘れられる権利』の訴えも一部で認められるようになりました」。

なかなか興味深いですね。

もちろん、沖縄タイムスは「公的な立場の人物、有名人、社会的に甚大な影響を及ぼす重大事件では実名で報じることがある」などと断りを打っているのですが、これが自社の従業員の不祥事を実名で報じない理由なのだといわれて納得する人がどれほどいるというのでしょうか。

災害報道:雲仙普賢岳噴火はマスメディアが作った人災だ!

こうしたなか、インターネット上では、マスメディアを巡り、流す情報そのものもさることながら、取材手法にも大きな問題があると指摘されることがあります。ノンフィクションライターの窪田順生氏は、大手ウェブ評論サイト『ダイヤモンドオンライン』に、今から約4年半前にこんな記事を寄稿しています。

マスコミが被災地で繰り返し暴走するのはなぜか

熊本地震の被災地でたびたび、マスコミ関係者が起こすトラブルが問題になっている。しかし、これはなにも今に始まった話ではなく、過去、何度も災害が起こるたびに繰り返されてきた。マスコミ業界の根深いトラブル体質の原因はどこにあるのだろうか?<<…続きを読む>>
―――2016.4.27 5:00付 ダイヤモンドオンラインより

窪田氏の論考からの孫引きで恐縮ですが、1991年6月3日に大火砕流で43人が亡くなった雲仙普賢岳で、現地で取材をした安達清志氏(西日本新聞の元島原支局員)が2011年5月29日付で、次のような記事を執筆したそうです。

避難所の小学校へ向かった。ごった返す中、取材を申し込むと『おまえらに用はなか。帰れ』と思いがけない言葉。定点周辺での無神経な駐車、避難者の留守宅に入り込み勝手に電気を使った社もあるなど、報道機関に対する住民の不信感の強さを思い知らされた

この安達氏の記事を引用したうえで、窪田氏は雲仙普賢岳の噴火を次のように結論付けます。

『定点』とは、雲仙の溶岩ドームをのぞめる高台。『迫力のある絵』が撮れることから、日本全国からマスコミが押しかけていた。自治体や警察から避難勧告が出ていたが、『他社がいるのに引くことではできない』と誰も耳を貸さずに居座るため、チャーターされたタクシー運転手や消防団員、警察官も、その場に残らざるを得なくなった。その結果、高台を直撃した火砕流で43人もの尊い命が失われたのだ

すなわち、雲仙普賢岳の噴火は自然現象ですが、それによって多くの犠牲者が出たのは、ほかでもない、マスメディア業界の人命を無視した強引かつ無謀な取材活動の結果であり、その意味ではまさにマスメディア業界による人災そのものなのです。

過熱報道で市民を殺した

こうしたなか、共同通信は今朝、こんな記事を配信しています。

過熱報道で「市民を殺した」悔やむ元記者/雲仙・普賢岳噴火から30年

―――2020/11/17 07:00付 共同通信より

共同通信の石川陽一記者の署名入り記事で、当時「駆け出しの記者兼アナウンサー」として現地で取材にあたった長崎文化放送(NCC)の中尾仁さん(52)が当時を振り返る、というものです。

全部で3000文字少々という長文ですが、中尾さんの

他社より迫力ある絵(映像)を撮りたい、その功名心が何の落ち度もない市民まで殺してしまった。悔やんでも悔やみきれない

という後悔の念が伝わってくる、迫力のある記事でもあります。

全文について、詳しくはリンク先で直接ご確認いただくとして、本稿では気になった部分を数ヵ所、紹介したいと思います。

記事の中で最初に目を引くのは、当局が普賢岳の麓の一部に出した避難勧告を報道各社が黙殺して取材を続けた、というくだりです。

実際、中尾さんも初めての災害取材で、「日本中の人に何が起きているのかを伝えなければ」という使命感に燃え、しばしば全国中継でリポートするなどしたそうですが、この避難勧告についても次のように告白します。

  • 行政が大げさに言っているだけ、ぐらいにしか考えていなかった
  • 最初のけが人がやけどで済んだため、「巻き込まれても死なない」という誤った認識を持ってしまった
  • 「勧告区域内に立ち入るのは、ジャーナリストとして当然の権利だ』と考えていた
  • (避難勧告についても)むしろ、「報道の自由を当局が規制しようというのか」と反発さえ感じていた

中尾さんご自身が告白するとおり、思い上がりも甚だしい、驚くべき認識ですね。

結局、中尾さんら一行は社有車で火砕流を取材したところ、間一髪のところで難を逃れ、また、幸運にも(?)「他社はどこも撮れていないスクープをものにした」と達成感に満ちていたのだそうです。

記者魂を「はき違えていた」

ただ、ここでひとつ救いがあるのは、中尾さんはその後、自身が難を逃れ、スクープをものにしたのが単なる偶然であり、一歩間違えていたら自身も黒焦げの遺体になっていたという事実に気付き、そして反省したことです。

大火砕流は結果的に、避難勧告の区域内で止まった。犠牲になった消防団員たちは一度は退避したが、一部の報道関係者が無人の民家の電源を無断使用する事件があり、見回りのために戻っていた。つまり、報道各社が市の要請に従っていれば、犠牲になることはなかったのだ

そのうえで、中尾さんは「マスコミが住民を殺した」という認識に至り、次のように猛省したのだそうです。

自分を含め、あの時は記者魂をはき違えていた。本当は他社に勝ちたかっただけ。巻き込んでしまった人たちには申し訳ないと思う

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

ただ、マスメディア業界の皆さんには少し厳しいことを申し上げますが、この雲仙普賢岳の事件から、何かを学んだのでしょうか?

もちろん、中尾さんのように、当時の行動を振り返り、反省することができる人もいるのですが、残念ながら、阪神・淡路大震災、東日本大震災、各地で繰り返される台風被害などの取材を見ていると、どうもマスメディア関係者の問題行動が是正されているようには見受けられません。

いずれにせよ、日本国憲法が保障する「表現の自由」とは、あくまでも私たち国民の幸福を最大化するための手段であって、「マスメディア産業関係者が自分の好きなように取材し、好きなように情報を歪めて報じる自由」のことではありません。

インターネット環境の普及に伴い、情報発信が一部のマスメディアの独占するところではなくなっているという事実もさることながら、マスメディア産業関係者自身が「報道の自由」を歪めていることに気付くことができるかどうか、当ウェブサイトとしても注目したいと思う次第です。

本文は以上です。

読者コメント欄はこのあとに続きます。当ウェブサイトは読者コメントも読みごたえがありますので、ぜひ、ご一読ください。なお、現在、「ランキング」に参加しています。「知的好奇心を刺激される記事だ」と思った方はランキングバナーをクリックしてください。

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読者コメント一覧

  1. 匿名 より:

    偶然にも記者による振り返り記事を読んだ後でした。

    功名心や自分勝手な思考から、大惨事を引き起こした張本人がよくものうのうと記事を書けるものだ、という感想しかありませんね。

    集団訴訟されてもおかしくない事案です。マスゴミは何も変わっていません。

    1. 匿名 より:

      筆による過ちを筆により示す。
      過ちを重ねたり厚顔にも筆で糊塗することなく顧みて過ちを知らしめることはなかなかできることではありません。
      当然にそのようなことをすれば仰る通り、のうのうと、といった批判も受ける訳です。
      どれほど年数が過ぎねば書けなかったのかという思いはありますが、それでも後進に道を示す意味では意義を認めるところです。

      1. 匿名 より:

        記事読んできましたが、中身はどこか他人事な感じで、「あの時は仕方なかった」と反省してるポーズを示してるだけの記事にしか読めませんでした。

        実際サイト主さんが「何か変わったのか?」と言っている通り、中尾氏のこの記事は「反省してまーす!」と表明しただけの薄っぺらい懺悔記事ではないでしょうか。
        まさにメロドラマ好きなマスコミらしい記事だと思いますね。

    2. ad より:

      武勇伝披露とまでは言いませんが感傷に浸るなと言いたいですね
      >「記者は死んだら何も伝えられない。危険地でこそ冷静になり、安全を確保した上で最善を尽くすべきだ」

      伝えたい事なんで社のイデオロギーで最初から決まってるでしょ
      別に何も頼んでないんで勝手に(ry

    3. 匿名 より:

      反省するだけまし。反省せずに何も言わないまま墓場まで持っていかれてたら何も分からんかった。

      ただ、反省するのは良いがそれを改善するよう組織にフィードバックして欲しい。
      難しいと思うが組織が変わらんといつまでも同じ事の繰り返し。

  2. 引きこもり中年 より:

     独断と偏見かもしれないと、お断りしてコメントさせていただきます。
    (なにしろ、日本マスゴミ村と違って自分は間違う存在であると自覚しているので)
     (日本マスゴミ村に限りませんが)人は「自分が正しいことをしている」という麻薬に酔いしれている時は、周りが見えなくなるものではないでしょうか。(逆に言うと、麻薬切れの苦痛に襲われない限り、自分に間違いに気が付かないということです)
     駄文にて失礼しました。

  3. 気分は黒田長政公の家臣 より:

    記者の本文の中の「一部の報道関係者が無人の民家の電源を無断使用する事があった」には隠ぺいを感じます。地元の人と知り合いだった方からの又聞きなのですが、消防団が戻ったのは記者たちが勝手に家に入り込んで家の中のモノを使ったり、食料品を食べたりするのでその警備のためだったということです。電源も使っただろうけど、盗賊まがいのことをやったようです。巧妙に隠していますね。報道の自由かな。

    江戸幕府は良かったですよね、火付け盗賊改めが居て… 今の日本にも組織犯罪には盗賊改めが必要です。現行犯は打ち捨て可能です。

    1. 引っ掛かったオタク より:

      ワイルド7を組織すべきときでせうか?

      1. hiro より:

        飛葉ちゃん達もこんな小悪党は相手にしたくないでしょう・・

        1. 引っ掛かったオタク より:

          新だったか続新だったか?、飛葉ちゃんが国会の議場でマイク片手に議員を怒鳴りつけるシーンがありまして…
          草波サンにたしなめられてましたがw

          1. 引っ掛かったオタク より:

            そう考えるとマスゴミ蹴散らしは役不足でしたね確かに…orz

  4. はにわファクトリー より:

    新聞記者=ギャラクター説を裏付ける重大な証言と思います。

    報道の自由、しばしば言葉にのぼります。おなじ文脈で使われるケースが学問の自由です。このサイトを毎日訪問するようになって主体思想の片りんに触れることができました。浅学もののはにわには、いまだ主体思想の全容含意をくみ取り理解することができておりませんが、「報道の自由」「学問の自由」を口撃手段として行使するある種の職業人たちは、「自由」を「主体思想の行使」と意味で使っているのではないかとの仮説がふとはにわの心に浮かんだのでございます。
    ・報道の自由=おれの勝手にさせろ、文句は言わせない、反論するのはレイシストだ
    ・学問の自由=おれの勝手にさせろ、文句は言わせない、反論するのはファシストだ
    単語置換をしてみれば、自由=主体ではないか仮説、に現実味が生まれるのではないでしょうか。

  5. めがねのおやじ より:

    更新ありがとうございます。

    普賢岳で思い出すのは、山中で火石流の為に亡くなった方が、その上から積もった灰色の火山灰を全身に覆われて、横たわったままの姿です。今なら晒さないかもしれないですが、当時は週刊誌や新聞にもデカデカと掲載されてました。

    この中尾記者さん、本当に心から反省しているのかな?その後もマスコミに居るようだが、「記者は死んだら何も伝えられない。危険地でこそ冷静になり、安全を確保した上で最善を尽くすべきだ」。

    「最善を尽くす」の部分はどう判断すれば良いのでしょうか?「他人の迷惑顧みず、スクープ取る為にプライバシーも無視して納得するまでやり続ける」のように聞こえるのですが。

    「N47」(ヨンナナ)に掲載させているぐらいだから、深い反省は無いように思います。ちなみに「N47」はご存知の方も多いでしょうが、北は道新から、秋田魁新報、新潟日報、神奈川新聞、信濃毎日新聞、京都新聞、神戸新聞、中国新聞、西日本新聞、熊日、宮日等が加盟する反日ローカルメディアの総本山ですヨ。

  6. 茶筒 より:

    この記事から学んだこととして、「記者は死んだら何も伝えられない。危険地でこそ冷静になり、安全を確保した上で最善を尽くすべきだ」と言う発言に、驚き、呆れ、そして絶望しました。
     
    私見ですが、自らの誤った価値観によって人を殺したのであれば、普通はその価値観を改め、「報道が市民の上に立つことは許されない」「市民に迷惑をかける取材活動は報道ではない」と説くでしょう。
     
    亡くなった方に対しても、「熱かっただろうなぁ」という、貧困な想像力しか持たず、当時現場の方がどれだけ尽力していたか。地域への影響がどれほど大きかったか。何より、遺族の方がどう感じたかという想像力が、完全に欠けているように思います。
     
    あくまでこの記事読んだだけでの個人の感想ですが、「他人の気持ちを理解できず、さらに自らの行動が及ぼす影響を全く想像することができない特殊な感性の持ち主」が、「報道に携わる方」であると認識しました。

  7. みみこ より:

    反省したとはとても思えないです。
    消防団は地域の自治組織なので、
    万一命を落としても何も保障がない、という話を聞いたのは、
    まさに雲仙の時だったような記憶があります。
    マスコミさんが何も(お詫びさえ?)しなかったからだったような。
    (間違えていたらすみません。)

    わりと最近、インターホン越しに事件への取材を断られたら、
    門柱を蹴っ飛ばした記者がいましたよね。
    3.11の時は、地元の人を押しのけて給油したり、
    小学生を押しのけて雨宿りしたり。
    今は映像が残るので(しかも一般の人が撮影できるので)隠しきれなくなってきただけで、
    昔からずっとやっていたんでしょうね。

  8. 羊山羊 より:

    古くは米騒動がそうですね。新聞が煽って拡大し、挙げ句はやっぱり大阪朝日新聞の捏造記事により鈴木商店と言う米屋が焼き討ちに遭ってます。

  9. りょうちん より:

    でも、最近では戦場ジャーナリストは、簡単に切り捨てられるフリーの記者を使うようになっていますよ。
    ちゃんと「進歩」しているのですw

    1. 福岡在住者 より:

      鋭いですね。
      人が死ぬ瞬間を撮影したい人間のクズ!
      「何とかキャパ」とかいう写真家がいて、どう見ても打たれる瞬間を撮るのが目的の写真?と思いました。 子供の頃の私でも「おかしい!」と気づいていました。

      それが数十年たって、あれは真実ではなく「芝居だった」と日本のマスメディアの番組であり、「でも、伝えたいことは他にもあった、、、。」とか、、、。 いわゆるゲスです。
      随分昔の小学生が「おかしい!」と思ったものを 今頃「言い訳づくり」ですか?

      災害報道の連中も嫌悪してますが、私が一番嫌いなのは この手の戦場・内乱報道陣です! 正直この手が死んだら少しだけ(あくまでの心の中ですが)、拍手を送っています。 すぐ、子供の死体に群る「本当の人間のクズ」です。

    2. はにわファクトリー より:

      お怒りごもっともです

      新聞記者=ショッカー戦闘員説 広く巷間に知られているところです。

      ふとこんな光景が脳裏に浮かびました。

      配役=進化できなかったショッカー戦闘員 戦闘員歴27年 タイムス社報道部所属 P-R-E-S-S マークあり
      場所=渡辺橋南詰より徒歩すぐの居酒屋
      仮面ライダーになりたかった。

  10. 農民 より:

    >行政が大げさに言っているだけ、ぐらいにしか考えていなかった
    >最初のけが人がやけどで済んだため、「巻き込まれても死なない」という誤った認識を持ってしまった
    >「勧告区域内に立ち入るのは、ジャーナリストとして当然の権利だ』と考えていた
    >(避難勧告についても)むしろ、「報道の自由を当局が規制しようというのか」と反発さえ感じていた

     「我ら記者、危険などものともしない!災害の危険性を世に伝える使命と権利があるのだ!!でもまヤケドくらいで死にゃしないやろ。」
     速攻で矛盾。

    >記者は死んだら何も伝えられない。危険地でこそ冷静になり、安全を確保した上で最善を尽くすべきだ

     まだ記憶に新しい御嶽噴火の時には、記者でもなんでもない一般の登山者が、望まないにせよ死して映像を残しました。しかも映像のインパクトは、雲仙で無謀取材をして得られたものより個人的には強いと感じます。しかもあまりに衝撃的に過ぎる場合はどうせ放送できない。
     すべての災害の記録を当事者が残すべきだなどとは申しませんが、「あえて危険地域に踏み込んで周囲に迷惑をかけつつ行う」記者魂など、もはや不要です。

  11. めたぼーん より:

    この類いの報道が被害者の生きる気力の助けになるのか疑問です。報道による支援の拡大などの面も否定はしませんが、我先にと群がる神経がわかりません。

  12. 自転車の修理ばかりしている より:

    ジャーナリスト魂というものがあるのならば、「悔やんでも悔やみきれない」「申し訳ないと思う」で話を終わらせてはいけません。情報を供給者が多様化する現在、プロの報道に求められるのは考察です。どうすれば次の悲劇を防げるか、少なくとも低減できるかを考えることです。

    雲仙普賢岳の件で被害が拡大したのが、暴走するマスコミに、それに対処するあるいは警護する公的人員が引き摺られたところにあるとすると、対処方法はいくつか考えられます。

    まず人間を危険区域内からできる限り排除する。現在ならドローンなど無人操作機器で映像や音声を収集することが出来るでしょう。(ドローンがウンカのように飛んで消防ヘリの邪魔になる可能性はありますが)

    次にもし区域内に民間人が入らなくてはいけないなら、一筆書いて人権を放棄してもらう。公的機関はその民間人に関し保護の義務を負わないことにします。これで巻き添えは減らせるでしょう。

    そして最後に、視聴者側の意識も変えなくてはならない。マスコミが迫力のある映像を求めるのは、視聴率を取れるからです。噴火を背景に報道する記者の映像を、私は見たいとは思いません。雨合羽で暴風の中、台風報道する画面を見ることは減りました。TV局が非難を受けたからです。危険を冒しても率が取れないなら、自然と暴挙はなくなります。

  13. 七味 より:

    自らを省みるのは難しいことだとは思うのです♪だから中尾氏は勇気がある人なんだなとも思うのです♪

    ただ、
    >「自分を含め、あの時は記者魂をはき違えていた。本当は他社に勝ちたかっただけ。巻き込んでしまった人たちには申し訳ないと思う」

    という反省が、何故、下のような教訓を語り継ぐことに繋がるのか、良くわかんないのです♪

    >「記者は死んだら何も伝えられない。危険地でこそ冷静になり、安全を確保した上で最善を尽くすべきだ」

    記事を書いた人が
    >どこまでが安全なのかを自ら判断することはできないのだ。
    と書いているとおりなのです♪
    自分勝手な安全の判断が他人を巻き込む大惨事を引き起こしたと思うなら、後輩の記者に
    >安全を確保した上で最善を尽くすべきだ
    なんて言うのは無責任なのです♪
    こんな言い方だと、結局は後輩の記者は勝手な判断で「安全」と思って、おんなじことを繰り返しちゃうのです♪

    さらに、個人の問題に矮小化しているのが無責任なのです♪
    「専任部長」がどういう役職かはわかんないけど、管理職なんだろうなって思うのです♪
    であれば、教訓を語り継いでひとりひとりの記者が適切に行動することもたいせつだけど、それ以上に組織としてどうあるべきかを考えるべきなのです♪
    危険な取材はしない、それ以上に、させないというルールは作ったのですか?
    適正でない方法で取材させた/した情報は、ゴミ箱に捨てる(それが無理でも、スクープとしては扱わない、数年後にただの記録としてしか使わない)みたいなルールはあるのですか?
    現場の記者が「本当は他社に勝ちたかっただけ」なんて考えて行動しないような歯止めをちゃんと作らない限り、おんなじことは起こるのです♪

    もしかしたら、そういうことはやってて、記事の趣旨から外れるから書いてないだけなのかもだけど、そういうことをちゃんと考えていかないとダメなんだと思うのです♪

    話は微妙に違うのかもしれないけど、刑事裁判で何故違法収集証拠排除法則が設けられているのかを考えて欲しいのです♪

    目的や結果は、手段を正当化しないのです♪

  14. より:

    「反省」なんてして見せるくらいならば、報道記者なんて辞めてしまえばいいのです。元々、報道記者なんてそういう人種です。後付けでしおらしく反省してみせるだなんて、良心的でも何でもなく、単なる偽善者です。
    不肖宮嶋こと宮嶋茂樹氏の著作を読むと、紛争地を徘徊するカメラマンという人種が「敵(自社以外のカメラマン)」を出し抜くためにどれほどエゲツない術策を用いるか、法スレスレを駆け抜けるか活写されていますが、少なくとも彼は「業の深さ」を十分自覚しています。己の振る舞いを「正しいこと」「良いこと」だなんて夢にも思わず、ただ「良いシャシン」を撮るために全力を尽くしているだけという姿勢を崩しません。ある意味、とても潔い姿勢だと思います。

    おそらく「反省文」を書いた記者氏は、自分たちが「正しいこと」「良いこと」と信じて行っていた報道競争が、結果として死者を出してしまったことで、「正しいこと」「良いこと」への確信が揺らいでしまったのでしょう。つまりは、「所詮自分たちはハゲタカなのだ」という自覚が根本的に欠けていたということでしかありません。その自覚とともに報道記者として生きていくのか、あるいはそれができないのであれば、報道記者を辞めるしかないでしょう。

    さて、いわゆる「報道被害」については、別に今に始まった話ではなく、おそらくはマスメディアの誕生とともに発生したものだと思います。その害悪についてもかねてから論じられてはいますが、一向に無くなる方向には向かっていません。おそらく、今後ともマスメディアが存在する限り無くなることはないでしょう。自覚の有無にかかわらず、「そういう人種」が報道し、それを面白がって受け取る人々がいる以上、何も変わりません。
    われわれにできることは、報道記者が「そういう人種」であることを踏まえた上で、人家に侵入するだの何かを盗むだのといった違法行為は見逃さず、必要とあらば告発するくらいのことしかないように思われます。

    # 要するにただ諦めてるだけじゃないかというご批判は甘んじて受けます。

  15. クロワッサン より:

    マスメディアの中の人が大衆を「自分が奉仕する相手」ではなく「自分が導く相手」と勘違いし続ける限り、傲慢で横暴で身勝手なマスメディアの態度は変わらないと考えます。

  16. くろくま より:

    この記事を読んだ私の印象は、「軽い」の一言です。
    自分が死ななかった偶然を、自分が生かされた意味を本当にわかっているとは思えません。
    「災害の取材では、行政・専門家の言うことをしっかり守れ。取材をするときは、迷惑をかけるな。」
    もしも後悔しているのなら、この当たり前のことをなぜ後輩に言えないのでしょう。50歳過ぎても、その当時の認識と何も変わっていないと思いました。
    当時、有名新聞社に勤めている友人が、「俺は、あそこで死んでも悔いはない。」と言っていたのを聞いて、怒りが湧いたのを思い出しました。

  17. マスメディアはネットに触れる人々にとっては、マスゴミとして
    事実を知らせない存在であるのは周知の事実です。

    しかし、今日情報伝達のツールであり、基盤でもある、
    ツイッター、フェイスブック、YouTube、検索エンジンまでもが
    情報の思想統制を行い始めているのが大問題です。

    マスゴミの報じるように、売田氏が勝利するようでは、
    全世界の自由な発言、民主主義が交代、後退してしまいます。

    そうならないように寅さんに是非頑張って欲しいところです。

  18. 伊江太 より:

    雲仙普賢岳の災害報道ほど重大なはなしではありませんが、最近の台風報道で皆さんお気づきじゃありませんか。

    若い女性レポーターを強風吹きすさぶ屋外に立たせて、身をかばうようにかがみ込んだ姿勢をとったと思ったら、キャ~~~と黄色い悲鳴。少し前までは、NHK、民放を問わず、お約束だったシーン。あれ、最近は全く目にしなくなりました。今なら(なぜか)男性アナウンサーが、窓越しの映像と一緒に、「今わたしは頑丈な建物の中から、外の様子をお伝えしています」。

    以前のやり方に戻せとは言わないけれど、右にならえで、まあ芸のないことこの上ないですね。想像ですが、「女性をあんな危険な目に遭わせて、それでいいと思ってんのか」なんて非難が寄せられて、それで各社協議の上、一斉に今の形にしたんじゃないでしょうか。

    「バカとはさみは使いよう」と言います。いつも視聴者から見張られてるんだぞと、思い知らせ続けていれば、「国民の代表」などと思い上がったことは言わず、「皆様に奉仕するマスコミを目指します」くらいのところまで、矯正していくことも、あるいは可能かと思うんですが。

  19. 福岡在住者 より:

    この普賢岳の件は 同じ九州だったからかもしれませんが、マスメディアの報道合戦に物凄い違和感がありました。 人の不幸を見るのを目的としているマスメディア。

    少しはマシになっている(?)のかもしれませんが、例えば 物凄く気温が下がった際の東京の「横断歩道で人が滑る映像」。分かっていてカメラを回しているのですよね。 危険を承知しているにもかかわらず、あえて知らせることも無く「見たい映像を撮る」。 ナントカの殺意同様、犯罪です。

    すごく不謹慎な発言ですが、嬉々として台風報道をしているレポーターが突然、何かが落下して直撃したり 突然飛んできた物の直撃を受けることを期待しています。 死亡は期待しませんが重症くらい受けなければ 人の痛みなど気付かない連中です。 「人の痛み」を生活の糧にしているクズども。

    1. より:

      上の方でも書きましたが、「そういう人種」なんです。何を期待しておられるのですか?
      ハゲタカに「ハゲタカのような振る舞いをするな」と言ったところで無駄です。特に、自分をハゲタカだと自覚してないような輩には。

  20. 匿名29号 より:

    今から数十年後の広辞苑には、「報道記者:パパラッチと同義語」と載っているかもね。

  21. D51 より:

    「日本中の人に何が起きているのかを伝えなければ」と言いながら

    福島第一原発にはマスコミやジャーナリストが誰一人行かなかった。

    戦場や被災地には行くがやはり放射能は怖かったのか。情けない。

  22. 方丈こおひい より:

    似非国民代表のもたらした功績 ① 国民の代表とは、法律に基づいた制度によって選ばれた国会議員であり、一事業者に雇われた従業員である記者諸君では無いこと。 ② 自分で正しいと思っているだけでは正しいことにならないこと。 ③ 報道記事の責任者はそのもたらした被害/災害に対して責任を取る回路を持たないこと。 ④ 報道事業者はその原理がジャーナリズムでは無く利益の追求であることを暴露したこと。 ⑤ そして①~④の問題点を報道事業者/報道関係者がまったく意に介していないこと。  ――― 皆さんのリプライで教えられたことです。ありがとうございました。

  23. カズ より:

    「過ちて改めざる是を過ちという」って昔の偉い人の言葉があります。

    雲仙普賢岳の一件での猛省記事も、問題提起のための”気付き”としては評価できると思うのですが、いまのままでは「単なる後悔」に過ぎません。

    業界の個々が再発防止に努めることで、「カタチだけの反省」を打ち破り『悔い改める』を体現して欲しい気持ちでいっぱいです。

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【おしらせ】人生で9冊目の出版をしました

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