大学で何を学ぶか、どこで何を学ぶか 結局は自分次第
共同通信は金曜日、「大学3年生全員を対象にした授業評価制度を始める」と報じましたが、これに対して法政大学の山口二郎教授がご自身のツイッターに、「楽して単位を取りたい学生に評価者の立場を与えれば、教育は崩壊する」などとして、これを批判する書き込みを投稿されました。ただ、冷静にいろいろ調べていくと、どうも山口教授の授業は学生からの評価が非常に高く、なかには「楽をして単位が取れる」という評価もあるようです。
目次
「大学授業の評価調査」、開始へ?
共同通信によると、大学3年生全員を対象とした「授業評価調査」が行われるそうです。
大学3年生全員を対象に授業評価調査(2019/6/13 18:16付 共同通信より)
といっても、共同通信のこの記事では情報源などが明らかにされておらず、また、記事本文に「対象は60万人前後」とありますが、これは「評価をする学生が60万人前後」なのか、「評価をされる教授・講師が60万人前後」なのか、「評価する側・される側の関係者が60万人前後」なのかもわかりません。
(ま、常識的に考えれば「評価をする学生が60万人前後」、という意味なのだとは思いますが…。)
ここでは、この共同通信の報道を、私なりにこう解釈したいと思います。
- 文部科学省はわが国の大学に通う3年生全員を対象に、自身が受講している授業の担当者(教授、准教授、講師、助教、助手など)に関しての満足度調査を来年度から実施する
- 調査結果は学部別にすべて実名で公表される
(※ただし、これは私が記事の文脈から勝手に解釈したものであり、事実と異なっている可能性がありますので、ご注意ください。)
これを、どう考えるべきでしょうか。
自身の経験
大学教授は「象牙の塔」に閉じこもる?
はじめにお断りしておきますが、私自身は現在、大学に通う学生でもなければ、大学で講師を務めているわけでもありませんので、現在の大学の事情にはあまり詳しくありません。
私が大学生だった頃は、今から二十数年前のことであり、現在とまったく事情が異なっているでしょうし、そんな自分自身の体験を基に議論することは少々危険だという点も、重々承知しているつもりです。
ただ、あえてそのことを承知の上で、自分自身の体験を少々申し上げたいと思います。
私が大学に入学したときは、大学の受験勉強を終えたばかりで、バリバリ、勉強をやる気になっていました。
しかし、実際に授業に出てみたら、必修科目の授業で教授が喋っている内容が聞き取り辛いという場合も多く、また、正直、なにを言っているのかよくわからない教授もいて、非常に困惑してしまいました。
もちろん、高校時代までと異なり、大学とは「自主的に学ぶ場」ですので、統一的で整合的なカリキュラムが存在しないことは仕方のないことですが、しかし、大学教授のなかには、毎年まったく同じノートを読み上げているだけの御仁も多く、さらには学生に対して理不尽に高圧的な姿勢で接する人もいました。
もちろん、学生側も評判の良い教授の授業は好んで選択しますし(レポートや試験が多いにも関わらず、人気のある教授もいました)、そうでない教授の授業は誰も出なくなりますが、それでも「受講者数が少ない」ことを理由にクビになる教授はいませんでした。(現在はどうなのでしょうか?)
端的に言えば、当時、明らかにレベルが低い授業もたくさん行われており、かつ、低レベルな授業を繰り返す教授を排除する仕組みが大学には存在していなかったのです。
また、私自身も大学時代にはさまざまな授業を取ったものの、大部分はまったく役に立たず、結局、現在に活きている「大学時代の勉強らしい勉強」といえば、UNIXと政治思想史くらいなものです。
実務家となれば感覚が違ってくる?
自分自身の話をもう少し続けますと、現在、私は「ウェブ評論家」を名乗りつつ、本業を所持しているのですが、これらの専門知識やスキルは、あくまでも大学教育で身に着けたものではありません。
国家Ⅰ種試験と公認会計士第二次試験を受験した際の猛烈な詰め込み学習と、実社会に出て働きながら実務的に身につけたものです(※試験名称はいずれも当時のもの)。
こうしたなか、実務家となって気付いたのですが、やはり勉強をするためには2つの視点が必要です。
1つ目は、「とにかくその勉強が必要だからやる」、という視点です。これは「目的意識」と言い換えても良いかもしれません。
たとえば、会社に入れば電子メールやエクセル、ワードやパワポ、アクセスといったオフィス系のソフトウェアの使い方を学ばなければなりませんし、名刺交換を含めたさまざまなビジネススキルを身につけて行かねばなりません。
人によっては海外子会社に赴任しなければならないケースだってあるでしょうし、その場合は語学をこなさなければなりません。つまり、興味があろうがなかろうが、「仕事で必要だからこそ学ぶ」、ということです。
また、日常生活でも、自分自身の資産をうまく運用するためには、最低限、株式や投資信託、保険などのことを勉強した方が良いですし、債券やデリバティブの世界になれば、偏微分など、最低限の数学的な素養も求められます。
さらに、子供が生まれれば各種手当や保育園、幼稚園、学校などのことを勉強しなければなりませんし、親御さんがご健在なら、介護制度や老健制度などについても勉強しなければならないかもしれません。
純粋に「知的好奇心」を楽しむ
ただ、実際に自分が実務家となって、もう1つ気付いた視点があります。
それは、「知的好奇心を刺激することの楽しさ」です。
たとえば、一見すると無味乾燥な経済学の理論も、財務省が増税原理主義に基づき強引な消費税の引き上げを行うための詭弁を論破するうえで、非常に役に立ちます。また、資金循環統計などの統計データも、「データの上できちんと裏付けたうえで、財務省やマスコミの詭弁を見抜く」という意味があります。
また、経済学を初めとするさまざまな理論を学び直し、経済基本統計を自分で調べ、いくつかの仮説を立ててそれらの仮説を検証するなどの作業を行えば、「新たな発見」を得ることもできるでしょう。
さらに、このインターネット時代ならではの特徴があるとすれば、その気になれば、自分自身で研究した結果をウェブサイトで発表することもできますし、それらに対してさまざまな人からのコメントを頂き、ブラッシュアップしていくこともできる、という点です。
人間の能力には限界がありますから、よっぽどの天才でもない限り、森羅万象に関する理論をたった1人で組み立てる、などということはできません。
当ウェブサイト『新宿会計士の政治経済評論』を以前からご愛読頂いている方ならご存知だと思いますが、当ウェブサイトで提示している考え方には穴が多く、ツッコミどころもたくさんありますし、未来予測も外してばかりです(笑)。
しかし、インターネット空間を活用し、より多くの人々から「知的好奇心を刺激されて楽しい」と思っていただけるようなテーマを投げかければ、そのことによって、1つの仮説に対して数多くの人々の批判的検証を得ることができ、結果的に理論のレベルを高めることができるのです。
実際、当ウェブサイトで提示している考え方のなかには、それなりに多くの方々から「参考になる」とご好評をいただいているものも多数ありますが、これは結局、私が1人で考えたものではなく、読者の皆さまのお知恵をお借りして編み出したものだという言い方ができるでしょう。
(※余談ですが、当ウェブサイトでは、コメントガイドラインに反しない限り、批判コメントも含めてすべてのコメントを自由としているのですが、これには「活発な議論を通じて考え方を洗練させていく」、という狙いもあるのです。)
いずれにせよ、こういう勉強は楽しいものです。
知的好奇心は素晴らしい!
法政大学・山口二郎教授のツイート
さて、冒頭に挙げた「大学授業の評価調査」について、法政大学の山口二郎教授がご自身のツイッターで、
「この調査は、すべての大学生が自らの知的関心のみに照らして授業を正当に評価するというありえない前提に基づいている。楽して単位取りたい学生に評価者の立場を与えれば、教育は崩壊する。」
と、強く批判されています。
大学3年生全員を対象に授業評価調査 | 2019/6/13 – 共同通信 https://t.co/Kn31dNjjPe
この調査は、すべての大学生が自らの知的関心のみに照らして授業を正当に評価するというありえない前提に基づいている。楽して単位取りたい学生に評価者の立場を与えれば、教育は崩壊する。— 山口二郎 (@260yamaguchi) June 13, 2019
あえて山口教授の気持ちを忖度(そんたく)して申し上げるならば、これは、「大学生のなかには楽して単位を取りたいという安易な考え方の者が一定数含まれている」、という山口教授なりの問題意識があるのでしょう。
そして、そのような安易な考え方の学生に評価されるようになれば、大学教授のなかにも、学生に阿(おもね)って「楽をして単位を与えようとする」という者が出てくるかもしれず、そうなれば良質な授業を提供しようとする大学教授が駆逐され、教育が崩壊してしまう、といったことでしょうか。
山口教授、じつは学生からは大評判?
山口教授といえば「反アベ」界隈ではちょっとした有名人ですが、正直、このツイートを読んだ第一印象を申し上げると、「ちょっと学生をバカにし過ぎじゃないか」、と感じてしまいました。
また、山口教授のツイートに対する人々の反応を読んでみても、「自分は他人を批判するのが好きなくせに、他人から批判されるのを嫌がるのか?」、「自身の科研費疑惑について説明するのが先じゃないか」、といった批判的コメントが非常に多かったようです。
自分自身の経験に照らして、学生時代には本当に授業がつまらない教授がたくさんいましたし、そうした経験から、「この人物も旧態依然としたつまらない授業をしていて、しかも単位を厳しくしているがために、学生から嫌われているに違いない」と思ってしまったのです。
ただ、大学教授の評価は、べつに文部科学省が音頭を取らなくても、すでに実施されているものがあります。それが、『Rakuten みんなのキャンパス』というウェブサイトです(※ただし、内容を閲覧するためには、楽天へのユーザー登録などが必要です)。
そして、このサイトで山口二郎氏が学生から「どう評価されている」のかを調べてみたのですが、意外なことに、非常に高い評価を受けているようなのです。閲覧したのは山口教授が受け持っているコマのうち、「行政学」という授業です。
以下に学生の声を紹介しておきましょう。
- 「非常に興味深い。有名な教授であり、面白い。」
- 「テスト範囲を事前に教えてくれるので、テスト前に解答できるように用意しておけば大丈夫。」
- 「出席もレポートもなく、テストが後期の1回だけなのでかなり楽。」
- 「先生は左翼活動家なので、言うことをあんまり鵜呑みにしないように。批判的思考は大事です。」
- 「反自民+反安倍の立ち位置から、かなり左に偏った政治思想を講義するだけの楽な授業。反日活動家を育てることが開講目的のよう。単位はラクに取れるが、この授業を真に受けると社会で浮くこと間違いなし。」
- 「基本的に先生が話していくのをノートに取る。板書もちょくちょくある。プリント配布や教科書、パワポ等は一切使わない。テストは2題の論述で50点ずつ。1題は事前に教えてもらえる。もう1題は~~を説明せよみたいなシンプルなもの。」
- 「年間講義で全30回。行政学を指定教科書に基づきつつ、先生独自の視点でゆっくりと解説。出席は取らない。試験評価は、前期にレポート課題、後期に試験がある。後期の試験は、私の時は論述2問であったが内1問は直前期のいずれかの日に問題を教えてくれる。その1問をきちんと書けばCは確実で、前期のレポート課題は救済として使われている可能性がある。要するに、指定教科書を買って言われた問題をそれを元に事前に考えれば単位は取れる。」
- 「話は面白い、野党の味方山口二郎さんのお話が聞ける。」
…。
いかがでしょうか?
授業内容に対して批判めいた書き込みもありますが、これらの書き込みの共通点は、「話も面白いしわりと簡単に単位もくれる」という点にあります。複数の人がこうした回答を寄せているということは、実際、山口教授の授業は現役の学生からは非常に高く評価されていると考えてよいでしょう。
もっとも、「出席を取らない」「試験は後期に1回だけ」「前期のレポートは救済目的」といった評価を眺めていると、山口教授の「行政学」の授業とは、山口教授ご自身が批判した、いわゆる「楽をして単位を取れる科目」の特徴そのものなのではないか、という気がしますが…(笑)。
大学の授業とは「教えてもらうもの」ではない!
ただ、そもそも論として、大学というのは義務教育ではありませんし、高校生までにありがちな、「教科書に書いてある内容を無批判にそのまま教えてもらう」というものでもありません。大学の教育を活用するためには、自主的に知的好奇心を発揮しつつ、ときとして批判的に学ぶ姿勢が重要です。
そして、「知的好奇心」を刺激するという意味では、自身とはまったく違う考え方の極論に触れてみるのも良いことです。
あくまでも先ほどのサイトの評価を読む限り、山口教授の場合は「反アベ」という点で一貫しているようであり、学生はそのような視点から安倍政権批判を聞かされるということですが、学生も盲目的ではありませんから、山口教授の話を聞きながら、「何が正解」なのかを自分で考えるのではないでしょうか。
実際、山口教授はテレビのコメンテーターなども務めていらっしゃるようですし、「話が面白い」という評価が非常に多いようです(話している内容が正しいかどうかは別として)。
かくいう私自身、大学時代にはかなり「極左的」な教授から政治思想を学んだのですが、この教授はマルクス経済学を信奉していて、朝日新聞のことを「クオリティ・ペーパー」だと本気で信じていた人物でもあります(※ちなみに私はその教授からはA評価を頂きました)。
ただ、こうしたエッセンスが現在の自分にも確実に生きていて、「共産主義者はこういう局面でどういう思考をするのか」という点を想像する際には、とても役に立っているのです。
いずれにせよ、現在の大学生の皆さんは、ご自身の知的好奇心を刺激する手段として、また、自分の将来の方向性を探る手段として、大学という場をうまく利用すれば良いのだと思います。
文部科学行政は別問題
もっとも、私自身は日本の大学教育が優れているとはまったく考えていません。
理系の基礎研究の場合、ノーベル賞受賞者を続々と輩出していますが、とくに経済学の分野では「ノーベル経済学賞」の受賞者は皆無ですし、「日本の最高学府」とされる東京大学法学部出身者などで構成される財務官僚が、増税原理主義で国の方向性を誤らせていることは深刻な問題です。
また、文部科学省自体、少女買春疑惑がもたれている人物でもあり、違法天下り斡旋などを堂々と行っていた前川喜平氏が事務次官にまで登り詰めてしまうような組織ですから、問題がないとはいえません。
さらにいえば、「もりかけ問題」とは、「安倍晋三氏が内閣総理大臣としての地位を悪用し、個人的友人が経営する学校法人に対し、違法な便宜を供与した疑い」のことですが、その実態は、証拠も何もないくせに、マスコミや野党が印象だけで「アベが怪しい!」と大騒ぎした問題だと言い換えても良いでしょう。
そして、このうちの加計学園「問題」については、そもそも「問題」ですらありません。
というのも、文部科学省自身が獣医学部の新設を禁止していた行政そのものが、違法だからです(『加計学園「問題」を蒸し返す「国民の敵A」をやっつけよう!』参照)。
また、最近だと、文部科学省は東京の大学で学生の定員を抑制しようとするバカげた方針を打ち出していますし、「吉田統彦(つねひこ)問題」についてもまったく片付いていません。
こうした事情を踏まえ、当ウェブサイトとしても、いずれ大学や文部科学行政のさまざまな問題点について、議論して行きたいと思います。
本文は以上です。
日韓関係が特殊なのではなく、韓国が特殊なのだ―――。
— 新宿会計士 (@shinjukuacc) September 22, 2024
そんな日韓関係論を巡って、素晴らしい書籍が出てきた。鈴置高史氏著『韓国消滅』(https://t.co/PKOiMb9a7T)。
日韓関係問題に関心がある人だけでなく、日本人全てに読んでほしい良著。
読者コメント欄はこのあとに続きます。当ウェブサイトは読者コメントも読みごたえがありますので、ぜひ、ご一読ください。なお、現在、「ランキング」に参加しています。「知的好奇心を刺激される記事だ」と思った方はランキングバナーをクリックしてください。
ツイート @新宿会計士をフォロー
読者コメント一覧
※【重要】ご注意:他サイトの文章の転載は可能な限りお控えください。
やむを得ず他サイトの文章を引用する場合、引用率(引用する文字数の元サイトの文字数に対する比率)は10%以下にしてください。著作権侵害コメントにつきましては、発見次第、削除します。
※現在、ロシア語、中国語、韓国語などによる、ウィルスサイト・ポルノサイトなどへの誘導目的のスパムコメントが激増しており、その関係で、通常の読者コメントも誤って「スパム」に判定される事例が増えています。そのようなコメントは後刻、極力手作業で修正しています。コメントを入力後、反映されない場合でも、少し待ち頂けると幸いです。
※【重要】ご注意:人格攻撃等に関するコメントは禁止です。
当ウェブサイトのポリシーのページなどに再三示していますが、基本的に第三者の人格等を攻撃するようなコメントについては書き込まないでください。今後は警告なしに削除します。なお、コメントにつきましては、これらの注意点を踏まえたうえで、ご自由になさってください。また、コメントにあたって、メールアドレス、URLの入力は必要ありません(メールアドレスは開示されません)。ブログ、ツイッターアカウントなどをお持ちの方は、該当するURLを記載するなど、宣伝にもご活用ください。なお、原則として頂いたコメントには個別に返信いたしませんが、必ず目を通しておりますし、本文で取り上げることもございます。是非、お気軽なコメントを賜りますと幸いです。
コメントを残す
【おしらせ】人生で10冊目の出版をしました
自称元徴用工問題、自称元慰安婦問題、火器管制レーダー照射、天皇陛下侮辱、旭日旗侮辱…。韓国によるわが国に対する不法行為は留まるところを知りませんが、こうしたなか、「韓国の不法行為に基づく責任を、法的・経済的・政治的に追及する手段」を真面目に考察してみました。類書のない議論をお楽しみください。 |
【おしらせ】人生で9冊目の出版をしました
日本経済の姿について、客観的な数字で読んでみました。結論からいえば、日本は財政危機の状況にはありません。むしろ日本が必要としているのは大幅な減税と財政出動、そして国債の大幅な増発です。日本経済復活を考えるうえでの議論のたたき台として、ぜひとも本書をご活用賜りますと幸いです。 |
🐧💕🐧
山口二郎って、安倍ガァ〜〜〜〜〜〜〜!って人ですよね。
【科研費利権】で、数億円もの税金を、ゴッツアンですって、いただいちゃってるんでしょ?
香山リカとも仲良しで、もう最悪。
税金の無駄遣いはやめて欲しい。
罪務省は一体全体何をしているのやら!?
短い期間ながら、大学で教えていたこともある身としては、なかなかおもしろいテーマです。
皆さんご存知のことですが、大学には2つの役割があります。
それは研究機関と教育機関というものです。中世の大学では研究者が最先端の研究を行い、弟子がその手助けをする傍ら研究のノウハウを学び取る(盗み取る)場でした。現代の大学にもその名残が多く残っています。
一方、世界の多くの大学は実質的には教育機関です。それも研究者を生み出すための教育機関ですらなく、言ってみれば職業訓練校レベルの教育しか行ってませんし、そこまでしか求められていません。
職業訓練校であれば、それはもう社会的な役割は塾や専門学校と変わらないのです。サービス業に近い存在になってきます。であれば、大学の教官も研究者としての役割よりも、教育者としての役割の方が遥かに大きくなります。
両立している教官が理想ですが、人間ですから、どちらか1つが不得手というのはよくあることです。
アメリカの大学は、このサービス化が進んでいまして、私の知る限り多くの大学では教官の授業を学生が評価するシステムがあります。中には理不尽な評価をしてくる学生もいまして、自分が勉強してないことを棚にあげて教官の授業内容がわかりにくい、教官が英語のノン・ネイティブスピーカーであれば「英語が下手くそ」などと失礼なことを書く学生もいます。
だいたいそういうことを書く学生自体もノン・ネイティブスピーカーで、教官以上に英語がひどかったりするのですがw
とにかく、悪い評価はたいてい自分の成績が悪い学生の腹いせだったりします。
(このブログのコメントでも、読解能力が劣るような方に限って(他人のコメントが)「理解できない」と書いていますが、出来ない人間はどこでも行動パターンが同じだなあと思う次第です。)
そういうノイズは少なからずあるのですが、それでもなお学生からの評価は、ある程度尊重されるべきかと思います。
というのも、やはり何を話しているのかわからないレベルの教官には学生全体から高い評価がつくことはありませんし、難しい話をわかりやすく説明する教官には、学生全体からは、それなりに良い評価がもらえるからです。
また、大学が今やサービス業に近い存在になってることを思えば、お客様である学生からの評価というのは尊重すべきなのでしょうね。何かを学んでもらうことが目的ではなく、気持ちよくなってもらうことが目的となってくると、本来の研究機関としての存在とは矛盾するところもあります。しかし、それも含めて世の中の流れなのかなとは思っています。
どうせ世の中の大半の大学生は真剣に勉強する気もないわけですし。
チキンサラダ様
私は、今から考えれば意識の低い学生だったと思います。親に言われるまま進学校に通い、教師に言われるまま勉強し、祖父-父の卒業した国立大をお約束のように受験しました。そこには強烈な動機も切実な要求もなく、与えられるまま勉強し、先人の轍をたどっただけであったと思います。まあ凡百の学生なんてそんなものかもしれませんが。
大学にはは研究機関と教育機関の二つの役割があるというご指摘、私の通った大学は、当時は前者の色が濃かったように感じます。担当教授にしてからが「勉強したい?私の方が勉強したいよ」という塩対応でした・・・「知りたければ聞け!単位?私の邪魔をしないなら可はくれてやる」という雰囲気で、のほほんとしていた私も「これはヤバい、ボーっとしていたら何もせずに終わってしまう」と危機感を覚えました。あまりのサービス精神の欠如を父に愚痴ったら「僕の時なんか、教授が『何か質問はありますか・・・ないですか、では次は教科書の○○ページまで読んできてください』で一講義終わり、それが何回か続いて、『ひょっとしてこのままいきなり試験か』と学生一同騒然でな。講義内容もこれがまた難解で・・・それからもう必死に予習して質問を準備するようにしたよ」・・・ヒドイネ
今は違うのでしょうが、当時は学生に評価者の立場を与えても全然気にしそうにない教授ばかりだったようです。それを考えると、山口教授の反応はまだ可愛いと言えるかもしれません。
あまり教授側が学生に阿っても、学生にとって良い結果になるとは思えません。それがわからないような学生が、お客様扱いされて勘違いしたまま社会に出て、そこで現実を思い知って愕然とするのでしょう。いや、今どきの会社はやれパワハラだコンプライアンスだと騒がしいですから、そのままでイケるのかな?
まあ、もはや時代遅れのジジイの繰り言ですね。
蛇足ですが、わが母校は名うての「アカい大学」でした。正門にヘルメット覆面ゲバ棒の活動家が儀仗兵のように毎日立っていました。ではあるものの、現役の学生にはもう忌避感しかなく、構内のビラなども浮いた感じでした。変な教授はたくさんいましたが、アカいセンセイはもう目立たなかったように思います。
あの活動家さんは今もゲバ棒を持って立っているのでしょうか・・・
自転車の修理ばかりしている様、
> 今から考えれば意識の低い学生だったと思います。
私も似たようなものですw 高校の同級生たちと同じ大学を受けて受かって、そこに通っただけです。
その後、大学で教える側になっていたことは、恥ずかしくて親には未だに言っていませんw 親はネットで検索などしないようなのでバレていないのが幸いです。
> 私の通った大学は、当時は前者の色が濃かったように感じます。
大学の成り立ちからして、教官の意識もシステムも研究機関としての存在を全面に出したがるのは理解できます。が、現実はもはや学部に関しては研究機関ではないですね。教官も学部生には研究機関の人間としてはほぼ何も期待していないと言っていいでしょう。東大で大学院重点化が行われたのが、もはや30年近く前ですが、現在では大学院ですら研究機関といってよいかどうか…
少なくとも理系の場合、知的な職では大学院卒業生が新入社員の主力を占めていることを考えれば、純粋なアカデミアはもはや博士課程以上だといえるかもしれません。
> 「勉強したい?私の方が勉強したいよ」という塩対応でした
いかにもありそうですねw 研究者として優れてることと、教育者として優れてることは必ずしも一致しません。いや、むしろ一致しないのが普通なので、研究者にマスな教育を求めること自体が無理なのかもしれません。
研究者にとって後進を育てることは大事ですが、それは徒弟制度のような枠組みの中の話であって、将来研究者になる気持ちがない一般人を教育するのとは全く話が違います。
なお、アメリカの大学の研究は一般に pragmatic ですし、教授は企業の仕事を副業で持ってたりする場合もあって世の中に近いはずなのですが、それでも大学の中は非常識極まりない世界です。
セクハラ・パワハラ当たり前。世の中のトレンドから取り残された妙な空間。プライドだけは高く幼稚で気ままなファカルティたち。アメリカの大学でもそんなものです。ビジネスセンスだけは日本の大学よりは遥かに一般人に近いですが。
> あの活動家さんは今もゲバ棒を持って立っているのでしょうか・・・
私の恩師は安田講堂事件の時のリーダー格だったようですが最近まで、とある大学の学長をしてましたね。また私の別の恩師は安田講堂事件の時はあまり熱心な活動家ではなかったようですが、その後大学に残り教授になって数年前に定年退官しました。
ゼミの後輩は、大学敷地内の寮に居座って訴訟されていました。大学生なのに被告になってる後輩を持つのは妙な気分でした。彼も大学に残り、今はとある大学の教官ですね。
アカデミアには元活動家が結構いるように感じますw
私の大学も元はかなりアカかったようですが、私が学生の時代は彼らは既に化石になりかかっていました。大学内の寮に住んでた連中も、家賃が安いから住んでただけというのが大半でしたね。
その代わり新興宗教も結構いる時代でした。
社会に出てからの実務の場では、必要に駆られて取得したスキルか若しくは自らの知的好奇心の探究目的で取得したスキルしか身に付かないし役立たない。
でも、大学で学ぶ内容は、日々の生活に活かせるのもではないかもしれないが、多様な考え方の存在を知っておくことは決して無駄なことだとは断定できないはずだ。
趣味と実益を兼ねた職業に就ければ申し分ない無いのだろうが、世の中そうとばかりは限らないですしね。
大学生のうちに身につけて欲しいスキルは時間の使い方。
時間だけは誰にでも平等に与えられるかわりに、一人につき一日24時間しか与えられない。
日常生活にメリハリをつけ、時間を有意義に活用する術を身につけて欲しい。
このスキルだけは、どんな職業に就いても必ず活きてくると考える。
このあたり、他の国ではどうなってるんだろうか?カナダとかイギリスとか
授業評価調査なる制度が意味のあるものになるか、混乱を招くだけのものになるかは、学生が授業担当者の何をどのように評価するかよりも、大学運営者がどうありたいかに左右されると思います。
旧民主党系の政党や、現在の韓国の政権与党をみれば判るように、自己の無謬性を確信し、いかなる批判も受け付けない人々にとっては、他者からの評価など意味をなしません。
業績を悪化させていく企業もそうです。売上げ不振の原因を外部要因に求め、自社を変えようとしません。「お客様が弊社の商品を選んでくださらないと言うことは、弊社が商品を生み出すプロセスの何かが問題だからだ」という当たり前の立脚点に立てないのです。
すっかり悪人になってしまったカルロス・ゴーン氏でしたが、彼が招かれる前の日産自動車は全く車が売れず悲惨な状態でした。市場からのフィードバックを企画・開発・設計に繋げる商品開発体制に大きな問題を抱えていたのは間違いありません。にも関わらず、当時の日産のキャッチコピーは「もっと日産になる」でした。それを聴く度に私は「もっと日産になったらもっと大赤字になるだろうが!」と呆れておりました。ダメなニッサンをより純化して益々ダメになっていく選択肢しか社内になく、それを打破するには日本語が通用しない人物を招き入れる外になかったのです。
♪新しい上司はフランス人、ボディーランゲージも通用しない
♪これはチャンス、これはチャンス、勉強し直そう
大学改革も、教授と学生という相互に利害関係で結ばれた内部視点だけでは不十分で、社外取締役をボードに入れるような形の、外部視点の導入が鍵だと思います。
阿野煮鱒様、
私が大学の時、経営学の授業でトヨタ、日産、ホンダの組織論を学びました。
機能別組織の典型例として日産が、あげられてました。各部門がそれぞれ世界最高のエンジン、世界最高のボディ、世界最高の電装品などをつくりあげ、それを一つにまとめる。そうすると、だいたい世界最低の車ができあがるのだと。
それを思い出してしまいました。
なお、事業部制のホンダだとコンセプトに基づいた完成度が高い組織が出来上がるが、その体制だと徐々に個々の技術レベルが落ちていってしまう。
双方の良いところどりをしようとトヨタはマトリックス制を取り入れたが、個人が2つの組織にレポートするのはオーバーヘッドが大きい、など、どの組織も一長一短があるというものでした。
阿野煮鱒様、
> 社外取締役をボードに入れるような形の、外部視点の導入が鍵だと思います。
学生はやはり自分よがりですし視野も狭い。一方、教官たちも特殊な世界で生きている人たちなので考え方は独特です。第三者をいれるのは面白いかもしれません。
私が知っている中で近い例だと企業の人間をいれるということですかね。私が学生当時から、大手企業を定年退職した方やジャーナリズムの世界に居たような方の授業がそれなりにありました。授業全体の1割位は会った気がします。
彼らの学内での政治力は低かったようですが、学生としては生な企業な話が聞けたのはなかなかおもしろかったです。上記の日本の自動車メーカーの組織論で学んだことは今でも役に立っていますし、他にも日本独特の組織論はアメリカの企業との意外な類似性であったり、対照的であることは仕事でも間接的に役立っています。
私自身も大学で教えていた時はまさにこの第三者的な立場で、学生には IT 業界の生な体験談を注入できた自負はあります。ただ学内の政治力はゼロに等しく、せいぜい我々を招聘した学長のブレインとして、いくつかのアドバイスを注入したに過ぎません。それで大学が良い方向に向かったかといえば、かなり微妙です。
アメリカの大学では副業として企業で働く教官が少なからず居ます。自らスタートアップ(日本語で言うベンチャー企業)を起こして、出来が良い弟子たちだけを集めて成功させる教官も少なからず居ます。
彼らは文化的にも企業と大学の中間的存在で、大学に世間一般の常識を導入するのに多少の役割は果たしているかと思います。
でもまあ、大学が企業のような普通すぎる場所になっていいかと言う批判もあるでしょうし、また外部の風をかなり取り入れているアメリカの大学でさえ、特殊な文化を持っていてセクハラ・パワハラは当たり前ですし、非常識が常識になっているような部分が少なからずあります。
何が正解なのかは、私にもよくわかりません。
ただ、おっしゃるとおり個々の大学によって事情は違うでしょうし、殆どの大学は研究機関ではなく、ただの職業訓練校と化している実態を考えれば大幅に改変すべきな気がします。
大学では講義内容の勉強らしい勉強をほとんどしておりません。(笑)
実際のところ、真面目な学生ではありませんでした。
ただ、歴史が好きで万巻の書を図書館から借りて読みふけっておりました。そして、頭の中は知らず知らずのうちに、真っ赤っ赤…(笑)
山口二郎教授は、日本政界きっての芸人でありましょう。鳩山由紀夫や小西洋之などと何ら変わるところがありません。
山口教授の授業内容が『公開?』された時には、声を上げて笑いました。
3 民主主義の危機:アベ化する世界
①アベ化とは何か
・自己愛の強い幼児的リーダーの跳梁跋扈
・批判に対する耐性の消滅
・虚言、デマをためらわない、ウソがばれても恥ずかしくない
・事実と虚構の区別ができない反知性
………
学生たちには、心理学の『投影』という知識で武装して欲しいですね…
その教授の本質を見抜くための武器にしていただきたいものです。(笑)
その上で、山口教授の評価をしていただきたいところです。(笑)
「反自民+反安倍の立ち位置から、かなり左に偏った政治思想を
講義するだけの楽な授業。反日活動家を育てることが開講目的のよう。
単位はラクに取れるが、この授業を真に受けると社会で浮くこと
間違いなし。」
→ 我々がサンモニを見る感じですかね。
学生さんはわかってらっしゃる。
このコラムと直接的には関係が無いのですが、大学に関する用語で、日頃から気になっている事を書かせて頂きます。
いつの頃からか、大学での「講座」や「講義」の事を「授業」、「学費」の事を「授業料」などと言うようになっています。
他にも「講義室」が「教室」だったり。
大学は、単に「先生」から「教科書」に書いている通りの事を教えてもらう所ではなく、教授の「講義」に基づき、自分の頭で考えて、「自分で知識を高める手段を得る場所」のハズですが、皆さんはまるで、高等学校の延長の積りのようですね。
こんな意識状況だから、日本の知識レベルが上がらないのではないかと、危惧しています。
駄文、失礼しました。
振り返ってみると学部生の頃はロクに勉強してなかったので、下のような危惧は当然かな?って思うのです
>楽して単位取りたい学生に評価者の立場を与えれば、教育は崩壊する。
でも、大学も学生の評価をしているんだからそういったのと組み合わせて学生からの評価を上手く使えば、先生たちの教育者としての評価もできるんじゃないのかなって思うのです (*´▽`)ノ ハーイ♪
例えば、成績の良い学生からの評価は高いけど、成績の悪い学生からの評価が低い先生は質は高いけど学生を選ぶ講義をしてるとか、逆だったら大学としては?な内容かもしれないけど、落ちこぼれを防ぐための講義をしてるとか・・・・ 中には、教育者としてはダメダメだから、講義はホドホドにしてもらって研究で業績出してもらおうって、先生もいると思うのです
出できた評価を単に集計するだけじゃなくて、どう使うかを考えるのが大事なんだと思うのです♪
山口教授は、「知的好奇心を刺激する」という意味で大変面白いネタ反面教師なのでしょう。
その意味で面白い上に、試験対策が楽だなんて埋め草にピッタリで顧客のニーズにバッチリはまっています。
話は変わるんですが、最近学歴の話が他所で出たついでにお受験サイトを眺めてみましたが、恐るべき事に経済学部で、数学の試験を課さない大学が結構あるんですね。
大学レベルの経済学をいったいどうやって高校レベルの数学の素養も無いかもしれない学生に教育できるのか非常に興味がありますw
りょうちんさま、
世の中にはマルクス経済という数学どころか教科書が縦書きの分野があります。
ソ連崩壊語は化石のような分野になってしまいましたが、最近元気な年寄り左翼の方々が現役時代にはそれはそれはもてはやされた分野です。
まあ、近代経済学でも大学生レベルで学ぶのは微分の基本の基本を知っていれば理解できるような程度なので、どうせ勉強しない学生なら数学をやっていてもやってなくても、あんまり変わらないかもしれませんね。
なお、アメリカの大学では数学科以上に数学ができる連中が経済学を専門にしてたりします。
以下、スタンフォード大で教鞭をとっている私の友人と二年くらい前に行った会話です。
友人「僕は数学自信ないんだよね。もうコンプレックスだよ。」
私「○大経済学部のゲーム理論(※経済学の中で最も高等数学を使うとされる)のエースだった君が、そういうなんて謙遜でしょ?」
友人「いやいや、本当に駄目なんだよ。だって、僕の今の同僚(スタンフォード大の経済学の教授たち)って、数学オリンピックで複数年連続で優勝したような連中ばっかりなんだよ。」
私「…….」
レベルが違いすぎです。数学オリンピック世界大会の問題って、少々数学が得意な程度では解けない問題揃いです。そこで連続世界一になるというのは、どれだけレベルが高いのか想像すらできませんw
アメリカでは数学より経済学の方が遥かに稼げますから、数学科でトップを張れるような連中がこぞって経済学に流れてくるということのようですね。
そういえば、日本の数学オリンピック参加者のほとんどは医者になるんだそうです。
もちろん数学オリンピックに出られる様な優秀な頭脳の人間からすれば世間では難関とされる医学部お受験程度はなんの障害にもならないのでしょうが実に「もったいないなあ」と思います。
私は子供の頃、数学が大好きでやってて良かった公文式では高校教材を早々に終え、高校では学校に置いてある数学の大学レベルの数学の教科書や不良大学生が古書店で叩き売ったと思われる本を読みあさっていたのです。
いざ将来選択の時期になって数学科に行くかどうか悩んだのですが、日本の数学科出身者のキャリアパスだとか、待遇を見て、家庭の事情もあり、断念しました。
その結果、経済的にはまずまず恵まれた人生を送り、親の面倒も見ていますが、今でも高等数学への憧憬が消えません。
今の仕事で使う数学は割り算と比率などの算数に、幼稚な統計学だけなだけに余計ですw
「数学ができない」コンプレックスは、かのアインシュタインも悩まされていたというのでどこまでハイレベルになってもついて回るのでしょうね。
りょうちんさま、
> 日本の数学オリンピック参加者のほとんどは医者になるんだそうです。
さもありなんです。
うちの会社(IT系)には、元お医者さんが結構います。アメリカは日本以上に給料が良いので(しかもハードワークではないので)、賢い子供はお医者さんになるのですが、最近はIT系の方が稼げると、こちらの業界に流れてくる人が少なくないようです。
我々にとっては、有能な同僚が増えるのはありがたいことですが、世の中全体として考えた時はどうなんだろうと思うこともあります。
彼らの医者としてのキャリアが全く活かせないケースも少なくないので、りょうちんさまとはまた違って意味で「もったいないなあ」と感じています。
> 公文式では高校教材を早々に終え
> 高校では学校に置いてある数学の大学レベルの数学の教科書や不良大学生が古書店で叩き売ったと思われる本を読みあさっていたのです。
それはかなりなレベルですね。公文の高校教材まで終えるのはかなり難しいですよね。子供が今公文に通ってますが、インド人で数学が物凄いできる人たちの子どもたちが揃うこの界隈でさえ、公文を最後まで終えられる子供はなかなかいないです。
また、大学の数学は高校までの数学と全く違いますね。数学科に入った身内が「高校までの数学は所詮算数だ」とバカにしていた意味が、自分が大学に入って初めてわかりました。
私は高校時代は友人たちと「大学への数学」をやっていて、毎月学力コンテストで入賞して自分たちの名前を載せるのが趣味でした。りょうちんさんに比べれば児戯にも等しいレベルですね。
私の身内は数学科を卒業したあと、「学んだことは数学とは難しいものだということだけだ」と冗談のように言っておりました。彼も数学とは全く関係のない道を進んで、今はそれなりに裕福な生活をしています。
> 「数学ができない」コンプレックスは、かのアインシュタインも悩まされていた
それは知りませんでした。うーん。レベルがあまりに違いすぎて、悩みの深さが微塵も理解出来ないですねw
アインシュタインが数学が苦手だったエピソードは、「こんなことならもっと真面目に数学を勉強しておけばよかった・・・」という本人の発言が残っていたのと、一般相対性理論の論文作成には、大学時代の親友の数学者グロスマンの助けが無くては完成しませんでした。
テンソルの概念が当初理解できずにいたようです。
当初ありついたプラハ大学の教授職を辞して、チューリッヒ大学に移った(大学の格からいってアリエナイ話だったそうで)のは、彼と一緒の職場(厳密には隣)がよかったからではないかという伝記もありました。ちなみに特許庁に就職できたのもグロスマンのおかげというw。
アインシュタインは天才だと言われていますが、数学者のラヌマジャン的なところがあり、直感的に正しいと思う理論を発見するタイプの天才で、論文自体は結構ヒドイという評価を受けていますw。
ヒルベルトのアインシュタインへの評価がまたヒドイです・・・。
http://www2.yukawa.kyoto-u.ac.jp/~hisao.hayakawa/lec/rel.html
>「ゲッチンゲンでは猫でもアインシュタインよりうまく微分幾何を使う」
https://books.google.co.jp/books?id=28U_DwAAQBAJ&pg=PT81&lpg=PT81&dq=%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%B3+%E3%83%92%E3%83%AB%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88%E3%80%80%E5%9B%9B%E6%AC%A1%E5%85%83%E3%80%80%E3%82%B2%E3%83%83%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B2%E3%83%B3&source=bl&ots=n5tHaVRY1l&sig=ACfU3U3pzNme7Iav7qBbSPlXQQ-iOhLg2Q&hl=ja&sa=X&ved=2ahUKEwi0hZ7X8PDiAhWDW7wKHZtZDwIQ6AEwA3oECAkQAQ#v=onepage&q=%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%B3%20%E3%83%92%E3%83%AB%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88%E3%80%80%E5%9B%9B%E6%AC%A1%E5%85%83%E3%80%80%E3%82%B2%E3%83%83%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B2%E3%83%B3&f=false
>ゲッティンゲンでは、道端をふらついている子供でさえ、四次元の幾何学をアインシュタインより良く理解している
まあヒルベルトさんもあんなに数学がわからない相手にしてやられてしまったのでかなり私怨が入っていると思いますがw
アインシュタインは、問題を作ることができたんですが、解くことはあまりできていないんですよね。
もちろん問題を作れる方が天才的なんですが、相対論関連での仕事はもっと数学ができる人たちが解決してくれている状況がほとんどです。
理論物理学者の数十年分の飯の種を作ってくれたので、そのころの物理学者はアインシュタインに足を向けては寝られなかったことでしょう。
雑談ネタですね。
りょうちんさま、
アインシュタインは数学が苦手だった件、解説いただきありがとうございます。
しかしテンソルの概念が当初理解できなかったとは、ディープラーニング全盛期の今の時代からみれば不思議ですね。
そういえば量子力学の起源の1つは行列ですよね。アインシュタインはそれを当初理解できてなかったということでしょうか。
恥ずかしながらラマヌジャンは知りませんでした。少し調べてみましたが、これまた王道ではない天才ですね。
アインシュタインも物理学の王道からはかなりそれた人だとは思ってましたが。
大学の法学教育も崩壊して久しいところです。
そのせいか、法曹三者をはじめとする法律実務家は、多くの場合、大学が役に立たないことを知っているので学者を冷ややかな視線で見がちです。
私は教育学部出身ですが、真面目に教育者を目指したわけではなく、ただ自分が受けた教育にどんな意味があったのか、これからなされるであろう教育に未来があるのか検証するという不純なる動機で選んだものでした。
さてそこで確認したのは、建前であれ何であれ教える知識や内容教材といったものは「ツール」でしかなく、それを通して「理解する力」や「論理的思考を組み立てる能力」「考える力」や「学習する力」などといったものを身に着けさせ育むというのが義務教育課程での教育の目的というか理想だということでした。
つまり知識は副産物でしかなく、いわば「学習する力」のようなものを開発し社会的に自立した人材にするのが教育の目的だということでした。
これを肉体トレーニングに置き換えると、身につけた「筋肉」は副産物でしかなく、自ら効果的なトレーニングを研究開発し、自発的に自分にトレーニングを施せるアスリートを育成するということになるでしょうか。
なるほど理念はわからなくはないですが、結局「学習到達度」を図るのに「知識量」をテストと言う形で見える化するしかないところに最大の論理矛盾とごまかしがあるとわかり、当時大きく絶望したものです。知識量を問う限りそれはクイズでしかないからです。
見た目の結果が同じなら「知識」を丸暗記したほうが確実で手軽です。無闇矢鱈にトレーニングすれば筋肉はつくでしょう。ですが使える筋肉にはならないのでアスリートにはなれないでしょう。つまり教える方も教えられる方もバカなのが当時の教育の実態でした。今は少しはマシなことになっているのでしょうか。
大学の目的は「自ら課題を設定し研究できる能力を身につける」ことと教わりました。つまり何を言いたいかというと大学を卒業したら、ある日突然この世界とは物理法則も環境も違う異世界に飛ばされて、魔法や超能力を使わなくては生活できないような事になっても論理的思考で自活できるようになれということですね。だからこそ大学はあのようにカオスでダンジョンで異世界から召喚されたような中ボスがはびこる魔境なのかと。
いつも楽しく読ませていただいています
一言
山口氏より学生の方がはるかに勉強しているようですね
批判的吟味という言葉もよく知っている
ただテストは気にいるように書かないと減点でしょうね
権力を傘にして横暴なことをしているような気がします
非国民は工学部。楽しい学生生活は文科系。まず工学部に女性は極端に少ない。浮いた話がほとんどない。しかも一定数で留年がある。何で理科系は留年があるかきいたら「一定レベル以上の学力がないと、会社の要求にこたえられないから。」とか。ま、理科が好きだから理科系を目指したので仕方ないね。高校の時に電卓を買った。面白くてね。物理の問題集を全部計算して、それも何回もやったから、物理の問題はほぼ完ぺきになった。だから、「今度こそ100点をとる。」と思っていたけど、そそっかしい性格が災いして100点がとれないんだな~。
もうコメしないつもりでしたが、大学のあり方と言うテーマだったのでちょいと一言
小生は理学部生物学出身、30年以上前の話です
当時も今も、そもそも大学とはお勉強するところではなく、
研究するところなんじゃないすか?
答えの決まった(決めてある?かな?)問題を学ぶのではなく、
答えが無いか、正解があるかどうかすら解らない問題を研究するところなんじゃないでしょうか?
官僚や大企業のおエラいさん方のどれ位かこの当たり前を解ってる?(爆笑)
働き蟻文化の行き着いた先がお勉強重視教育で、
最高学府である大学校ですら今の体たらくじゃあ、
先が知れてますね
なぜ新しい理論に挑戦するヤツより、
既存の知識ばかりお勉強する無能者を重視するのか、
自身の今の仕事から鑑みても理解できません
働き蟻は所詮、働き蟻
未来を創る人間とは本質が違うかと思うけどね
匿名さん、
どこかでお見かけしたような文章と内容ですがwww
> 当時も今も、そもそも大学とはお勉強するところではなく、
> 研究するところなんじゃないすか?
私の上記のコメントを見ていただきたいのですが、大学は今も昔も、その両方が存在理由です。
バランスのとり方は各大学、そして時代によってかわりますが、どちらか一方だけではありません。
> 答えが無いか、正解があるかどうかすら解らない問題を研究するところなんじゃないでしょうか?
多分、匿名さんは良い大学と関わったことがまったくないのじゃないかと思います。
何が問題かを設定し、それを解くというのが良い大学での研究内容であり、教育内容です。
> 官僚や大企業のおエラいさん方のどれ位かこの当たり前を解ってる?
大学の教育内容を決めるのは大学自身です。大企業は全く関係ありません。
> 働き蟻文化の行き着いた先がお勉強重視教育で、
> 最高学府である大学校
> 既存の知識ばかりお勉強する
東大の入試問題を全く見たこともないのでしょうね。東大の入試問題って努力だけでは解けないですよ。
東大は現役の方が合格率が高いのですが、その理由の1つは問題に慣れすぎてると解けない問題が出題されるからだと言われます。
新しい考え方を求められる問題だから、既存のやり方に慣れすぎているとかえって解けなくなるということです。
実際、東大に合格する連中は世間で考えられているよりは勉強してません。受験中でもそれなりに遊んでますし、趣味をやりこんでたりします。私も高3の夏までは、ほぼ毎日クラブに通ってました。東大に合格する連中ってそんなもんです。世間のイメージとはかなりちがうでしょ? ただ、効率的には勉強しますけどね。
知識だけで東大に合格して研究がすすめられるなら誰も苦労しませんね。
「最高学府である大学校」とは東京大学のことを言いたいのでしょうか?東大は大学校ではないですよ。大学と大学校は違います。
何かをけなしたいのなら、正確な情報に基づいて行うべきです。
あなたの批判は、思い込みと妄想に基づいていて、全く的はずれですね。
東大は受けていませんが、田舎者故、東大受験クラスの予備校に通いました。
ぶっちゃけ理系なのに国語の授業など無駄の極みではあったのですが結構面白くて講義は好きでしたね。
理系受験の二次試験に国語を入れるのは東大と京大、名古屋大くらいです。
まあ最近増えた小論文も国語の様なものですが。
リベラルアーツ的な思想が強い東大・京大で要求するのはまだしも名古屋大はちょっと見栄はりすぎな気がw
二次試験はさすがに最近は現代文縛りのようですが、一次試験がこれらの難関大学では最低でも8割は取らないと足切り食らいますから実際には、がっつり古文・漢文を勉強しないと合格以前に二次試験すら受けられない。
話が逸れましたが、東大京大と、他の旧帝大系の難関大学との受験問題には越えられない壁があります。
東大・京大の問題はまず全部解かれることを想定していない作りです。
大問5題あれば、解ける問題2問を完答して残りは、わからないなりに食らいついて部分点を稼いで6割くらいの点数を貰えれば合格という感覚です。
それ以外の大学の問題は、解けない理不尽な難問というのが無くなりますが、その代わり合格平均点がものっそ上がります。7割取っても不合格という学部もあります。
解けて当たり前、どれだけ失点を抑えるかが勝負になっています。
どっちが創造的な能力に結びつくかは言うまでも無いと思うのですが・・・。
りょうちん様、
東大京大を受けていないのにお詳しいですね。おっしゃることは的を得ています。
> 理系なのに国語の授業など無駄の極みではあった
世の中には科目数が増えれば増えるほど有利になるタイプがおりまして、私もその口です。
私は文系でしたが、理科は3科目、社会も3科目が受験に使えるレベルでした。
センター試験では理科は二科目受験し、社会は一科目しか選べなかったので(残念)、試験本番最初の5分くらいで3科目の問題を見て一番点数の取れそうなものを選択して受験しました。
社会は結局世界史を選択して満点をとりましたが、地理や倫理政経でも、ほとんど変わらない点数をとってた自信はあります。
そういう人間からすると、理系が国語、文系が理科を勉強するのもかなり楽しいものです。ま、受験のためというよりは知的好奇心を刺激することが目的だった気もしますがw
ともあれ、東大・京大の受験生にとって一次(センター)はウォーミングアップみたいなものであって、全科目で9割前後の点数はとれて当たり前。足切りは眼中にもなかったです。(足切りぎりぎり程度の学力だと、二次で覆せるはずもないですから)。受験勉強の7割位は二次の対策に費やした気がします。
> がっつり古文・漢文を勉強しないと合格以前に二次試験すら受けられない。
私の時は二次でも古文・漢文がありました。古文・漢文はあまり力を入れない生徒が多いので、差をつけやすい分野とも言われます。
> 東大・京大の問題はまず全部解かれることを想定していない作りです。
> 大問5題あれば、解ける問題2問を完答して残りは、わからないなりに食らいついて部分点を稼いで6割くらいの点数を貰えれば合格という感覚です。
そのとおりですね。受験勉強の肝は、このわからない問題でどれだけ稼ぐかにかかっていたように思います。
> どっちが創造的な能力に結びつくかは言うまでも無いと思うのですが・・・。
おっしゃる通りで、高学歴を批判する人間はこういう東大・京大の問題を見たこともなく、真逆の妄想をしてるケースが大半なんですよね。
東大・京大の問題を解くのに記憶力はいりません。(もちろん、最低限の知識は必要ですが )
それよりも、最低限の知識をいかに活用できるか。難問でも、わからないなりに、いかに正解に近づけるかが重要です。特に京大の問題はその傾向が強い。
丸暗記とは完全に逆方向なんですよね。
なお、私はセンター試験世界史で満点をとりましたが丸暗記は大の苦手でした。実際、年号は全く覚えませんでした。受験当時、覚えてた年号はたった2つだけ。「1192作ろう鎌倉幕府」(世界史じゃないw)と、「1453年東ローマ帝国滅亡と百年戦争終結」だけ。まあ、実質丸暗記はゼロだったってことです。つまり、年代なんて覚えなくてもすべての問題は答えられるんですよ。流れ(前後関係)が完全に頭に入っていれば。そして、流れを覚えるのは丸暗記ではなくて、理解なんですよね。自分なりの解釈とストーリーだてがなければ流れは覚えられません。丸暗記とは逆の作業です。
世界史で年代は一切覚える必要がないというのが私の持論で、それを入試本番で実証した形です。回答の選択肢に年代が入っていても、他の3つの選択肢の正誤がわかれば自信を持って回答できますので。
そもそも、マークシートは丸暗記だけと思われがちですが、それではせいぜい7割程度しかとれません。9割を目指そうとすると、悪問にも正解しないといけないからです。
問題の文章がおかしい、選択肢の文章がおかしいことってわりとあります。その時に出題者は本当はこう言いたかったのだろう、厳密に言えばこれは2つの選択肢が正解だけれども出題者はこちらに関心を持って出題しているのだろうから、こちらを正解として選ぶべき、などと行間を読んで解答する必要があります。そうでなければ9割以上はとれません。
東大・京大受験生のセンター対策は、そういう行間を読む訓練もやってました。これも丸暗記とは全く逆ですね。
東大生京大生は丸暗記が得意なだけとか、正解がある問題しかとけないとか、真逆な批判をしている人は、問題を一度として見たことすらないのがモロバレですね。
りょうちん様もおっしゃる通り、少なくとも他の大学よりは創造的な問題だと言えます。
大学入試の話を続けますが、結局、
「到底解けない問題にぶち当たったときにどれだけ問題解決のアプローチを取れるか」
という能力を見る試験を行うのは、準備する側にも、ものすごいエネルギーが要るんですよ。
採点の手間が段違いです。
それを全学部でやると、恐ろしい作業です。
東大・京大は、「日本の最高学府である」という意地で鼻血出して続けているんだと想像しますw。
一方で、他の旧帝大を含めた「普通」の大学では、正解・不正解の判定が簡単なストレートな問題を出します。
これだと採点が格段に楽なのはいいんですが、最難関の医学部から、最低の(自粛)学部まで同じ低難易度の問題で評価することになり、旧帝大の(自粛)学部の合格平均点が5割なのに医学部の「二次試験」の合格者の平均点が9割とか何じゃそれという結果になりますw。
まあ最近は試験の点数だけでは無くて、面接で加点したりするのがトレンドのようです。
私の高校時代の数学の勉強の話をしましたが、大学の教養レベルの教科書の演習問題はスイスイ解けるので、受験勉強をすっかり舐め腐っていました。
受験勉強を高校三年の夏休み終わって始めたら、数学の受験問題が解けない!
いや理解できないのでは無くて、試験時間中に効率よく解ける問題をさっさと終わらせて、得点を最大化させるというテクニックも知らなかったのですね。
あーこれ、線形代数使えばエレガントに解けんじゃねなんて試験中に考えていたら時間切れですw。
というわけで、現役の受験に失敗して、一年間は田舎の予備校の東大受験クラスで「受験勉強」をするハメになりました(現役時代には、経済的な問題もあり、なんとラジオ講座しかやっていなかったw)。
模試だけは受けていたので、受験に落ちて失意の最中、河合塾・代ゼミから特待生の招待状が届き、授業料無料というシステムがあるのもこの時初めて知りました。
一方に通学して、一方は模試だけ無料で受験する幽霊予備校生になったのですが、1年後リベンジして滑り止めを含めた受験校全勝できたので、予備校側も宣伝の水増しに使えて、元を取ったのでしょう。
りょうちんさま、
>「到底解けない問題にぶち当たったときにどれだけ問題解決のアプローチを取れるか」
> という能力を見る試験を行うのは、準備する側にも、ものすごいエネルギーが要るんですよ。
> 採点の手間が段違いです。
> それを全学部でやると、恐ろしい作業です。
> 東大・京大は、「日本の最高学府である」という意地で鼻血出して続けているんだと想像しますw。
おっしゃる通り、丸暗記でなく本当に考える力を問う東大・京大の問題は採点する方は莫大な手間でしょうね。また、東大・京大の受験生ともなれば、かなり高度な思考やアイデアを持った生徒が居ます。
それらを正しく採点することは相当な難作業なのは間違いないですね。
かくいう私も入試で書いた内容の一部は、自分で言うのもなんですが、かなりのレベルでした。合格したのはそれが伝わったのか、それとも正確に判定されなかったからこそ合格した(=過大評価された)のかは知るすべもありませんがw
私自身は大学入試の出題者側になったことはないのですが、大学時代の指導教官が私を指導する数年前に入試の責任者となっていて、その時のエピソードをいくつか聞かせてくれました。
確か、一年のうち半年くらいは入試にかかりきりになると言っていた気がします。
「なんといっても、大学最大のイベントだからね」
と仰ってました。入試が大学最大のイベントなのだということは、その時初めて知りました。
まさに最高学府のプライドだけで、自分たちの研究時間を大幅に削ってやってると感じました。
> 旧帝大の(自粛)学部の合格平均点が5割なのに医学部の「二次試験」の合格者の平均点が9割とか何じゃそれという結果になりますw。
その状況にあう問題を作るのは極めて難しいですね。それにしても、医学部と一般の学部ではそんなに差があるものなんですね。ま、私達の大学でも医学部の連中は頭が良すぎて話がいまいち合わないとは実感してましたが…
> 大学の教養レベルの教科書の演習問題はスイスイ解けるので、受験勉強をすっかり舐め腐っていました。
それはかなりのレベルですね。
> 試験時間中に効率よく解ける問題をさっさと終わらせて、得点を最大化させるというテクニック
試験のテクニックはある程度必要ですね。
大学の数学を学ぶことに比べれば大したテクではなかったと思いますが。
> 線形代数使えばエレガントに解けんじゃねなんて試験中に考えていたら時間切れですw。
頭が良すぎると良い点数がとりにくい。問題のレベルより少しだけ頭が良い人間が一番良い点数がとれるとよくいいますね。頭がよすぎると問題の裏の意味まで考えてしまいますが、レベルが問題と同じ程度であれば迷いがないので。
> 現役時代には、経済的な問題もあり、なんとラジオ講座しかやっていなかった
私は地元の予備校に行きましたが、予備校は受験にはそんなに役に立った記憶はないですね。高校が男子高だったので、予備校にいた女子校の子をナンパしていた記憶ばかりありますw
そういう意味では充実していたのですが…
受験テクニックの多くは高校の同級生との情報交換で得ました。これは非常に有用でした。大都会に住む受験生はこの点で有利だと感じてました。地方だと同レベルの生徒と接触する機会が少なくて、テクニックをなかなか得られないでしょうから。
予備校は受験にはイマイチ役にたたなかったですが、唯一の例外は鉄緑会でした。家からあまりに遠かったので鉄緑会は夏の間しか通えませんでしたが、ここは刺激的でした。(ご存知かと思いますが、鉄緑会は東大・京大受験生専門の予備校です。) 生徒は私の高校の同級生よりさらに厳選されたレベルの優秀な人達で、彼らをみてると猛烈に競争心を煽られたのを思い出します。初日に彼らの解答のエレガントさ(そしてシンプルさ)と下調べの徹底度合いを見て震えたのを今でも思い出します。
なお、ドラゴン桜という漫画がありますね。(今、続編が連載中のようですが 最初のドラゴン桜はリアルタイムで読んでいました。あの漫画は非常に良いですね。紹介されてるテクニックの大半は、私達が使ってきたテクニックで、とても親近感のある漫画でした。今の受験生はああいうテクニックの塊が簡単に参照できるので良いですね。そうい意味では、今は田舎の子でも昔ほどはハンディがないのかもしれません。
> 河合塾・代ゼミから特待生の招待状が届き
大手予備校の特待生はすごいですね。私はその二校も駿台も特待生にはなれませんでした。(駿台は一番難しいようですが)
地元の2つの予備校の特待生にはなりましたが。
やはり私も片方の予備校は模試だけの幽霊生徒で、多少の罪悪感をおぼえてましたが、一番良いとされる大学に合格したので恩は返せたとは思ってます。
東大京大の入試が特殊なのは、東大京大は、高級官僚と学者を作るための大学だからです。
高級官僚は莫大な分量の「お勉強」をさらりとこなした上で、霞ヶ関文学を駆使して、天下国家を動かす、お仕事を創る仕事ですから、一次試験如きは軽くほぼ満点を取った上で、どれだけ創造的な解答をできるのか。そのためには文系でも数学的センスは必須。というわけで、ああいう試験になっている。
教育学部でも、東大の教育学部を出て学校教師になるのは落ちこぼれです。「教育学者」を養成する学部。
理系でも日本で最も偏差値の高い東大医学部ですが、HPをみたら、
>これから4年間の間に医学を学ぶだけでなく、良き研究者、医師となるために多くのことを学んでほしいと思います。
ポロッと本音が出ていて笑いました。まず医学部に入ったのに医師が最初じゃなくて研究者ですよw。そして、最高の頭脳を持ったはずの東大医学部の国試合格率は去年は55位/81学校というていたらくです。
https://bunshun.jp/articles/-/11143
これが臨床医なんかになるつもりがないから真面目に受けていないだったら救いがあるのですが。
話は変わって、まったく、試験とは関係のない話ですが、私は家庭がど貧乏世帯に(とはいえフローがないだけで亡父の生命保険金のストックはあったので大学進学はできた)分類されたので、なんと国立大学に通った入学金・授業料などの学費はほぼゼロです。
これに当時の育英奨学金1種が取れたので、ヘビーなバイトをする必要もなく、別に苦学生だという意識なしに青春を謳歌しました。
教科書も運動部の先輩からもらったりしてセコく済ませました。
(下手をすると教科書を買った金額より、試験対策資料の大量のコピー料金の方がかかったかもしれませんw)
数年前に育英奨学金を完済したときは感無量。
まあ税金でお世話になった分は若い頃の奴隷労働で充分返したと思っています。
雑談スレで思い出したのですが戦前では、小卒でも戦没者の子弟だと下駄履かされて陸軍幼年学校から給料もらってキャリアをスタ-トできたのに対して、海軍では海軍兵学校受験は、超難関で受験資格は当時の中学校卒に予備校まで通わないと合格できないくらいのエリート主義。
その結果海兵出身者というインナーサークル以外を見下すという悪弊が生まれました。
いや今の日本はいい国だと思ったのですが、それはあくまで、「お勉強」ができたらの話であって、同じ環境で育ったはずの弟は高校の評定平均が低く、育英奨学金も有利子の二種、二浪して私大で授業料免除など夢また夢で、たくさんお金を使ったそうです。
まだうちにそんな金があったのかよと・・・と口には出さなかったものの思っていました。
日本は先進国内で、高等教育の無償化に後ろ向きなグループに入っています。
米国などもそうで、卒業後教育ローンの返済地獄になるのは、おそらくチキンサラダ様の方が詳しいでしょう。
日本も規模は少ないものの、育英奨学金レベルの返済にも困窮する若者が社会問題化しています。
(就職氷河期が終わったらマシになったのかなあ・・・)
その育英奨学金の取り立てが悪辣で、とうとう「ナニワの帝王」の敵役にされる始末には草。
そもそも「お勉強」ができる様になるには、その子供がよほどの天才でない限り、結局、親の経済力に裏打ちされた環境に左右されるので、貧困・低学歴は今の日本では遺伝します。
りょうちん様、
> 東大京大の入試が特殊なのは、東大京大は、高級官僚と学者を作るための大学だからです
東大は明確に官僚養成学校ですね。いや、過去形の方が正確かもしれませんが、いまだに官僚養成学校だった残滓は色濃く残っています。入試もまあ、その1つかもしれません。
> 一次試験如きは軽くほぼ満点を取った上で、
一次(センター)は、ただの足切りのための試験で、他の受験生と差もつけれないですから、そもそも重要ではないですね。
限られた時間で量をこなせるかどうかを問われるのは二次です。二次の英語は、物凄く難しいわけではありませんが、分量がとにかく多い。これを如何に効率よく解けるかが問われてます。
もちろん、知識だけではとけるわけはなくて、知識を如何に使うかが問われます。
たとえば、文章中でキーになる英単語がマイナーな単語だったりします。受験生の大半は知らないような単語です。これは、そのマイナーな単語を知っているかどうかは問われていません。
その単語が、たとえば defusion (衝動解離)だったとしたら、de (否定をあらわすラテン語)と fusion (融合)から、何かが別れることを指しているのだと想像する能力が求められています。その想像を瞬時に行ってすばやく読解をすすめることが求められます。
de の意味は英語を勉強する人間なら誰でも知っているでしょうし、fusion も知っていて当たり前レベルの単語です。臨機応変にそういう知識を組み合わせて、それなりに正解に近づくことができるかどうかが大事です。
一方、京大の問題は時間はたっぷりあるが、難易度は非常に高いですね。これは学者を養成する学校、また東大に対抗するための大学として設けられたことが理由だと聞いています。
東大は学校の授業の内容はかなり楽勝でして、学校に通わなくても単位はとれる。文Iは司法試験、国家公務員試験に受かってもらうことが重要なので。「学校の勉強で負担かけないようにしておくから、試験の方頑張ってね」という大学側のメッセージを感じます。
文II(経済)も同じですが、こちらは大学の授業が国家公務員試験との関わりが更に薄いからか、さらに単位取得が楽。大学には期末の時だけしか来ない学生が多くいました。東大内では「ネコ経」(ネコより暇な経済学部)と揶揄されてました。今はもう少し厳しくなったようですが。
> 文系でも数学的センスは必須
数学も含めてどんな科目でも良い点をとれる人材が必要ということなんでしょうね。つまりジェネラリスト志向。高級官僚は各分野のエキスパートではなく、ジェネラリストでなければならないので。
> ポロッと本音が出ていて笑いました。まず医学部に入ったのに医師が最初じゃなくて研究者ですよw
面白いですね。実は東大医学部の博士課程の半数以上は、別の大学出身者だそうです。つまり、上記の「本音」に反して東大医学部は研究者の育成にはあまり成功してないってことですねw 少なくとも数の上では。
なお、東大医学部には医者になりたくて医学部に来たわけではなくて、勉強ができるから一番難しい大学の一番難しい学部を受けて受かっただけ、と言う人が少なからずおります。ご存知かと思いますが。
そういう人たちはやっぱり医者の世界には馴染めなくて、他の業界に転職してきたりしてますね。で、地頭は凄まじく良いので、他の業界でも大活躍….. ということもないかな?w
まあ、東大医学部出身で他の業界に働いてる人は結構います。
> 日本は先進国内で、高等教育の無償化に後ろ向きなグループに入っています。
> 米国などもそうで、卒業後教育ローンの返済地獄になるのは、おそらくチキンサラダ様の方が詳しいでしょう。
米国の大学の授業料の高さは異常です。それに比べれば、日本の大学は私立でも超格安ですよ。
この界隈(サンフランシスコ・ベイエリア、いわゆるシリコンバレー)の日本人は、子供は大学だけ日本に通わせる人も多いです。安上がりですから。
慶応あたりでも十分安い。英語ネイティブだと入試も有利ですし。そもそも、この界隈で知的な仕事をしている人は親も高学歴=頭が良いので、子供もそれなりに頭が良いですしね。日本の有名私立あたりは難なく受かるようです。
> 「お勉強」ができたらの話であって
私は私立の中高一貫校に通ったのですが、レベルの高い学校に通うことは大学受験において死活的に重要だと思いました。受験で最も役に立ったのは同級生たちとのノウハウの共有だったり、互いに刺激しあうことだったりしたので。
でも、私立の中高一貫校って、そこそこ授業料が高いんですよね。親の経済力が子供の教育レベル、そして子供の経済力に「遺伝」するのだとは私も実感してます。
もっとも私の身内の一人は私と対照的に子供の頃から受験に尽く失敗しましたが、今の収入は私と変わらないレベルです。就職人気ランキング常時トップクラスの会社に勤めていて、都内でポルシェを含む車を3台持っていてよい生活をしているので、彼は成り上がり組といえなくもないかと思います。
>実は東大医学部の博士課程の半数以上は、別の大学出身者だそうです。つまり、上記の「本音」に反して東大医学部は研究者の育成にはあまり成功してないってことですねw 少なくとも数の上では。
あーそれは違いますよ。
東大医学部博士課程のその半数以上の「お医者さん」は最終学歴「東大卒」が欲しくて東大の医局に入っているだけの人たちです。
まー東大側にしてもそういう「お客さん」は自前の研究者を食わしていくための餌であったり、大学病院や関連病院を回すための兵隊であるのでWin-Winの関係です。
マネーロンダリングにまねて「学歴ロンダリング」と言われていますw。
こういう人たちは開業医の子弟だったり、開業志向の高い人だったりして真面目に学者を目指しているわけではありません。将来的には待合室に東大の博士号の証書でも額に入れて飾るタイプ。
まー、「もしも日本が100人の博士の村だったら」で示唆されている様に医学博士というのは理系の面汚しと言ってもいいでしょう。博士号だけ取ったら以後研究なんかポイって人も多いです。
研究でヒットを重ねて、最低でも他所の大学の教授戦に出られる程度の東大ネイティブだけが本当に育成しようとしている人材なのです。
しかし、そのアプローチでは、ノーベル賞を取れる様な突き抜けた人材は輩出できないという事実を歴史を以て証明し続けていますねえ。
甲子園の優勝旗は白河の関を越えられないみたいなw。そしたら意表を突いて北海道の学校が優勝してしまいましたが2016年に大隅良典博士がノーベル医学・生理学賞を受賞なさいました!
おお、ねんがんの東大卒がノーベル医学・生理学賞をてにいれたぞ!と思ったら
>東京大学教養学部卒、東京大学大学院理学系研究科博士課程単位取得満期退学
壮大にずっこけましたwww。もう狙ってんのかと。
iPS細胞の山中教授も東大系にはかすりもしない経歴です。
日本の最高の頭脳であるはずの東大医学部出身者は未だゼロです。大学院出身者ですらいません。
だけど医学部教授は掃いて捨てるほどいますから、やっぱり医学の世界における高級官僚養成校という意味ではよく機能しているのかもしれません。論文作成数も日本でトップですし。
話は全く変わって、
>この界隈(サンフランシスコ・ベイエリア、いわゆるシリコンバレー)の日本人は、子供は大学だけ日本に通わせる人も多いです。安上がりですから。
そこの家賃相場も相当ヤバイというお話をどこかで聞きました。
なんでも年収10万ドルではトレーラーハウス暮らしのレベルだとかw
もうこれは雑談スレネタですね。
医療費もアメリカでは洒落にならないですが・・・。
りょうちん様、
東大の院は確かに学歴ロンダリング組が多いです。誰が学歴ロンダリングなのか明確にわけることは不可能ですが、個人的に話をすると「学部の時に東大を受けて落ちた。だから大学院は東大に来たかった」と聞くことは、まあそれなりに頻繁にあります。
ただ、医学部の博士課程の学外組が半数以上というのはかなりの数なので、学歴ロンダリングのみとは思わなかったのですが、その世界はりょうちん様の情報の方が正確そうですよね…
他の学部以上に医学部は学歴ロンダリング組が多いということですかね。
> 将来的には待合室に東大の博士号の証書でも額に入れて飾るタイプ。
私の知り合いでも数人、学外から来た東大医学部博士課程組がいますが、タイプは違うように見えます。
もっとも、(釈迦に説法ですが)SF ベイエリアはメディカルの世界でも最先端で、ここに研究に来るような人はかなり例外的なのかもしれません。
> 東京大学教養学部卒、東京大学大学院理学系研究科博士課程単位取得満期退学
教養学部出身ですか…
ご存知とは思うのですが、本郷は旧東京帝大を引き継いだ存在ですが、駒場(教養学部)は旧制第一高等学校の後継なのです。つまり、本郷につとめてりるのは大学教授、駒場につとめているのは所詮高校の先生という目に見えない差別が、少なくとも私の頃はありました。
蓮實重彦とその一派が「知」を全面に出してブームを起こしますが、本郷の教官たちはかなり冷ややかに見ていたようです。少なからぬ優秀な学生たちはブームにのせられて教養学部に進学しましたが、アカデミアに残った連中はその後厳しい現実を味わったようにも見えます。
なお私は、心では蓮實重彦一派のブームに載せられながらも、現実の選択では堅実に本郷を選んだヘタレです。
> そこの家賃相場も相当ヤバイというお話をどこかで聞きました。
今やニューヨークのマンハッタンより高いそうですよ。ニューヨークから転勤してきた同僚が「家賃が高すぎて住めない!」とこぼしています。
私も生活費節約のためにニューヨークに引っ越そうかと割と真剣に考えるほどです。
住人たちは IT 企業に勤める人が多くてそれなりに収入があるから家賃やモーゲージも払えますが、厳しいのは学校の先生ですね。学校の先生の薄給ではこのあたりに家も買えないので、学校の先生のなり手が少なくなって社会問題になっています。
いくら家賃が払えても、学校に先生がいないと困りますので。
> 年収10万ドルではトレーラーハウス暮らしのレベル。
モバイルハウスのことですかね。住み心地はそこまで悪くなさそうですが、近所の人のガラが悪そうなのが問題ですね。
この界隈の水準では、年収10万ドルはたいしたことないですね。少なくもないですが、多くもないです。
うちの会社の新卒でも額面上はもっともらいます。(401Kに大量に contribute したり、株(RSU)でもらう分も多いので、実質の手取りはそこまで多くないですが)
10年くらい前に聞いた話では、garbage collector (ごみ収集人)の年収が 120K でした。(それなりの高給ですが、誰もやりたがらない仕事をやる人に高給を払うのはフェアだと思える)
私は7年前に家を買いましたが、家の価格はこの7年で倍以上になりました。
今、家を買おうとしたら、それこそモバイルハウスしか買えないかもしれませんね。
今、この界隈では、スタジオ(日本で言うワンルーム)のレントが2500ドルくらいですかね。
ま、狂ってます。
それ以上に狂ったように高いのが大学の学費なのですが。
りょうちん様、
アメリカは医療費ももちろん高いですね。
私はかなり良い保険に入ってますが、それでも専門医に見てもらう場合は copay が $35 です。日本だと医療費の全額(保険適用後)位の値段ですねw
私はほとんど日本に行くたびに病院に行ってます。保険無しでもアメリカの保険ありより十分に安いですから。
主治医(某大学の教授)とよく話すのですが、日本の医療制度も完全に壊れてますね。
>主治医(某大学の教授)とよく話すのですが、日本の医療制度も完全に壊れてますね。
まあT大教授のいいそうな日本の医療崩壊論の内容は容易に想像が付きますw
(ある人の思想を読んでなぜこの人はこういう考え方を持つ様になったのかとか邪推するのは大好き)
医療論は、その気になれば延々と開陳できるのですが、さすがに大学の話のエントリでこれ以上続けるのは余りにも空気が読めていないので自粛いたします。
新宿会計士さんがもし経済に絡めて医療論についてエントリを書いてくれたら、貯め込んだ資料が火を噴きますよw
りょうちん 様
いつもコメントありがとうございます。
>新宿会計士さんがもし経済に絡めて医療論についてエントリを書いてくれたら、貯め込んだ資料が火を噴きますよw
いっそのこと、寄稿なさいませんか?
以下のとおり、当ウェブサイトでは読者投稿をもとにした記事もときどき掲載しています。
埼玉県民様から:ことしも「日本の広告費2018」を読む(2019/03/03 05:00付 当ウェブサイトより)
もしその気になられれば、
info@shinjukuacc.com
まで原稿をお送りくだされば、面白そうなテーマであれば掲載させていただきますよ。よろしくご検討下さい。
引き続き当ウェブサイトのご愛読ならびにお気軽なコメントを賜りますよう、何卒よろしくお願い申し上げます。
このスレッドに関しては、てっきり私と、りょうちん様しか見てないのだと思ってましたが、まさか新宿会計士さんからコメントがあるとは驚きです。
前から思っていましたが、新宿会計士さん、かなり深い場所にあるコメントまで目を通されてますね。
もしかしてすべてのコメントを読んでらっしゃるのでしょうか。
ブログだけ読んでも、新宿会計士さんの読むスピード、書くスピードは相当なものだとわかります。私も両方共それなりに自信がありますが、多分全くかなわないです。倍くらいスピードに差がありそうです。感服です。
りょうちんさま、新宿会計士さんからのお誘いもあったことですし、是非寄稿してください。私も是非読んでみたいです。
りょうちんさま、
> まあT大教授のいいそうな日本の医療崩壊論の内容は容易に想像が付きますw
私の主治医は東大教授ではないのですが(京大のお医者さんのコネですが、そこの大学が京大の系列なのかどうかはよくわかりません)。彼の主張は概ね以下の点ですかね。
* 医療費は無駄が多すぎる。いったん治療を始めるとやめられない。(殺人罪になるから)
* ICU の患者1人の維持費は数千万円/(時間単位は忘れました)。それは結局国民が負担している。
* これだけ医療費の増大があれば、財政が黒字になるわけがない。
* 日本の医者の給料は安すぎる。
医療費と財政赤字を絡めれば、このブログの主題にも触れることになりますよ。
エントリ本文に乗る寄稿を期待しております。
医療論はあまりにも専門に踏み入るとニッチなネタで(゚Д゚)ハァ?になるので医療費に絞って書いてみます。
りょうちん様、
医療費の分野も知的好奇心を刺激されます。投稿を楽しみにしています。
もうチキンサラダさんと私か見ていないんじゃないかと思いましたが、新宿会計士さんも見ていたことに気をよくし、大学受験の思い出を追加。
現役時代には、なぜか強気で国立二校しかうけない(だって受験料勿体ないじゃん)という謎の全能感により、三月にはいち早い桜吹雪を舞わせました。
浪人時代には、予備校のチューターのおねえさんの「行く気が無くてもウォームアップに複数の私立は受験しておくものですよ!めっ!」と言う甘言にしたがって早慶工学部と、最近某婚約者で話題になった国際基督教大学(ICU)を受験しました。
工学部は国立の志望学部に行けないんだったら、ロボット工学者になろうかなくらいの志望動機はあったのですが、ICUの方は不純というか単純です。
ICUの受験は、なんと知能テスト(冗談でなくそのまま)と、英語だけで準備がほとんど要らなかったからです。
いずれも合格はしたのですが、「あ、これ予備校の合格実績の水増しに使われたわ」と気がつくのは、大学の同級生が新聞の予備校の広告に顔出し写真を載せられているのを発見したときですから相当鈍いw
ICUはリベラルアーツの思想を正に体現した大学で、知能さえ高くて英語がまあまあできれば大学の教育でなんとかならあという考えのもとにそうした選抜を長年行っているようです。
しかし、卒後の進路が微妙です。某婚約者氏もなんか微妙な感じだし。
密かに、母校に合格したことより、ICUで特待生のご案内が来たことの方が自慢です。
もし通っていたら、おそらくプログラマーかなにかになっていた様な気がします。
私も受験した学校は極端に少なかったです。滑り止めを受ける気もありませんでした。
自宅から通える範囲の私立に、本命クラスがなかったのが大きな理由です。
私の地元は、とても良い国立大が3つもあるのですが、私立は今ひとつなんですよね…
ともかく私立に行くことを考えたこともなかったのですが、親がどうしてもというので家から通える範囲で、最も良い私立のK大の学部を2つ受けました。
受験会場では明らかに頭が悪そうな連中が結構いて、何か変なものが移りそうだったので試験を早めに終わらせて会場からとっとと出てきたような記憶があります。
結果は当然2つとも合格だったのですが(落ちるわけもないですが)、家に届いた合格証書は親の目の前で即座に破り捨てました。本命校受験前の大事な時期に、無駄な時間を使わせた親への怒りを表したつもりでしたが、今思えば大人気なかったですね。
大人になってからその話を知り合いにしたら、知り合いがK大卒業生で気まずい思いをしたことがあります。大人になっても、私は大人気なかったようですw
そもそも国立はセンター試験(一次)自体がウォームアップみたいなものなので、私立を受ける必要もないと思うんですよね。時間の無駄だと思います。
ICU 出身者は元上司や同僚、友人にいるのですが、私の印象では玉石混合というところですかね。知能指数もそこまで高くない人も少なくないですし。某婚約者さんも、あまり地頭よくなさそうですしね..
一方、玉の方の人は頭もよく英語もできるので、上司、同僚として頼れますし、友人として仲良くさせてもらってる人が居ます。
> おそらくプログラマーかなにかになっていた様な気がします。
今からでも、うちの業界どうですか? w うちの会社にも、そちらの世界出身の人が多いですよw
仕事を変えなくても、その世界の人は趣味でかなりプログラミングできる人は多いですね。
この前、知り合いのクリニックに頼まれてウイルスの駆除をしたのですが(コンピュータ・ウイルスの方ですね)、驚いたことにクリニックの先生は自力で隔離にほぼ成功してました。おかげで私はワンラインフィックスするだけで済みました。
地頭良い人が多いし、ロジカルに考えるのが得意なのでプログラミングとも相性がよいのでしょうね。
記事との関連性が低い内容で申し訳ありません。
記事終盤にあった加計学園の記事を見て思い出したことがあります。
「openブログ」というブログで「獣医学部は増やす必要性自体が無かったのに増やしたのが問題だ」と言っていました。
これについて皆さんはどう思いますか。
ちなみに自分は、四国に一つも無いことなどを考えて、「作ってもよかった」と考えてはいます。
私の大学のイメージは
穴蔵みたいな研究室に閉じこもって、世間と隔絶した浮世離れしたようなことに関心を持っていて、世の中の役に立つとか立たないとか、そんなことには無関心で、話を聞いても何を言っているのか難解で理解できず、でも、その教授にとってはそれがひどく価値のあることで、
そんなところです。
どうせ社会に出れば、儲かっただの損しただの、出し抜いただの騙されただの、出世しただの左遷されただの、そんなことで垢まみれになるんですから、それとは正反対の大学のほうがいいなあと今でも思っています。が、今の大学では、そんな教員は存在できないんでしょうねえ。ちょっと寂しいような。
狂っている大学教官の典型でしょう。
理系は少ないが、文系の場合、このようなトンでも教官が闊歩しています。
このような教官に付かざるを得ない学生はかわいそう、いや悲劇でしょう。判断能力の備わっている学生はそうはいない。
このような教官連中が、自らの主義主張・思想に固執し、学生を誤った方向に導いている。高等教育の場であるはずなのに、非科学性が支配する洗脳教育の場になってしまっているのは問題だ。
更新ありがとうございます。
大学の『東京23区への一極集中を防ぐ方針』とありますが、一極集中になったのは、これは文科省だけでなく日本国全体が、あらゆるものをすべて東京に集中させたからではありませんか?
就職で関東に残るのはそれだけ就業人口もケタ違いに多く、当然でしょう。文科省の出した方針を一部抜粋すると、以下の通りです。
≪ 東京一極集中の加速化≫
・ 東京圏への転入超過約 12 万人(2016 年)のうち、大学等への進学を契機とすると考えられる 15 歳から 19 歳の層が約 2.7 万人を占めており、今後も転入超過が継続しかねない。
・ 大学進学時の東京転入者は、就職時においても東京残留率が高いことから、20 代の若者の東京圏への転入超過が続く。以下略。
私は2年前自分で各有名無名大学の入学者(出身高校・中等学校の所在地による人数。但し合格者数のみ発表の大学もあり)を各地域別に人数をまとめて調べました。長いですが、以下のような結果です(数字は全体に占める%)。
〈大学入学者の地域別割合〉
大学 北東 関東 首都 関西
東京 3.9 57.1 53.3 11.9
京都 2.9 11.7 10.1 51.6
名古屋0.8 6.1 4.6 6.0
早稲田2.5 77.5 73.0 4.5
慶応 2.1 77.9 74.3 5.5
立教 2.5 85.1 83.4 1.9
青学 2.2 80.1 75.3 2.2
法政 5.4 77.5 71.4 1.5
同志社0.8 2.8 2.3 63.5
立命館1.5 4.4 3.2 47.8
関西 0.5 1.5 1.1 76.0
関学 1.1 1.9 1.6 76.0
ちなみに<北東>は北海道+東北、<関東>は1都7県、<首都>は1都3県、<関西>は2府4県です。他の地域および他の大学のデータもありますが、割愛します。
私が何を言いたいかと言うと、大学は【地元志向が強い】と言う事です。東大、京大で地元地域内出身者が50%以上。早慶になると関東出身者が80%近い。MARCHは80%超もたくさんある。北海道・東北出身者は表の何処の大学も僅かに2~3%台です。と言う事は、札幌市、仙台市等地方の大都市近辺に入学している学生が極めて多いと言う事です。
関西の大学も70%前後は近畿出身者で固められている。逆に言うと近畿出身で関東に出る学生はかなり少数派です。また名古屋大学は東海地区出身者だけで71.5%(北陸、甲信越を除いても)とほぼ、中京地区の大学です。
つまり大学(特に学部生)は【ローカル色が強く出る】と言えます。23区内に大学が偏在しすぎと言うのは23区だけの話であり、関東圏でも神奈川や埼玉、千葉の近郊に進出しやすいように文科省が考え、自治体が誘致すれば良いのではないでしょうか。20~30年前に郊外に出て行った大学が都心に戻るというのは、受け入れた自治体側の慢心もあったと思いますね。
私立医科大学医学部卒業です。国家試験合格率が重要視されるので当時の国立よりは出席も試験もうるさいと言われていました。
勉強は半年に一回、試験の前に詰め込むだけ詰め込んで後は、アルコールで忘れてしまうの繰り返しで卒業しました。
教養2年間終了時に専門部移行の判定があり、基礎医学2年間の後判定、臨床医学2年間で講義と臨床実習の後、6年の初冬に卒業試験です。
医師国家試験も半年かけて内科から産婦人科、外科まで詰め込んで試験を受けて合格します。卒業して32年経ちますが、そのころ詰め込んだことが専門領域以外だと実臨床でフラッシュバックしてくることがあります。
大学とはいっても職業訓練校なので授業は教官の趣味で教えても試験は国家試験を意識したものでした。
ただ教養時代は、京都の左翼で有名なR大学からきた西洋史の教官が専門が西洋軍事史だったもので試験の回答に大艦巨砲主義から航空主兵主義への変遷を書いて卒業までに片手も貰えなかった優をいただいたのを懐かしく思い出しました。一般の大学は教官の趣味主義で採点して済むのですね。
ただ息子は数年前に国立大学医学部を卒業しましたが、30年前の私立より出席も判定も厳しく驚きました。
卒業直前に同級生が出席カードのハンコ偽造で捕まって留年させられた騒ぎがあったのですが、主犯がキャンドルデモを企画したので参加しないように止めたこともありました。
私学の工学部の生活を楽しんだ、過疎地出身の、勉学の集中力に欠けた、表面的な思考をしてきた者の、大学に対する取り止めのない感想です。
思い起こせば、国立とは違って出席もしないで遊び呆けていた教養時代と、やや真面目に過ごした専門時代を通じて、大学時代で教わった/認識した事は、考えることの重要性の発見でした。それまでは、自然であろうと人間がしていることであろうと、判断基準も疑問も持たずにただ受け入れていました。ただ、恥じ入るばかりです。
その後、技術畑の人生 『自然現象‘’焼けば無機粉体の集合体はくっ付き縮まる、集合体でない粉体はお互いくっ付き大きさを増す‘’という、社会ではどうでもよい素朴な自然に絡む事象を相手にして来た』と社会生活を経て来ました、自分では主体的と思ってますが。
その過程で、自然こりゃ下手に理解してはいけない(が面白い)とか、人間は何でこうなのとか考える様になりました。
自然は、やはり自然なのだと、存在する状態は偶然では無く必然的な存在なのだと。
当たり前ですが、人間は自然の道理に従って生きるべきだと、道理を謙虚に知るべきだと。知ったかぶりや手抜きをして、横着な活動をしてはならないと。
現在の人間界でも、過去と同じく、当事者のみが知る利己的動機の力が大きく、他人を省みることが不足している人間の力が強いなと。善的な力が弱いなあと。
原発にしても、世界中の難民や紛争にしても、プラスチック(合成有機化合物)の過剰消費についても、ギリギリの最後の状況まで自分たちさえ良ければそれで良いという考えに基ずいている様である。原発の事故がどれ程の悲惨な状況を生み出すか、完全廃炉までの時間は如何程か、何世代の人間が関わるのか、謝って済む対象ではない。
難民や紛争の発生も、利己的な権力が好きなように自己のために活動するなら、当然である。他人を痛めつける権利は、無いのである。自然消滅などあり得ないとわかっているプラスチック、ただ便利だ、利益をもたらすというだけで、製造し使ってきた。今頃になって、やっと、ただ捨てては回り回って健康を損なうという事を認識し、まともな処理方法を考え始めている。まだ、数十億の人間は使っておらず、使う余地さえ無いと思うが。更には、有害な特性の合成有機化合物、いつまで使うのだろう。自分の事として捉えれば、利益の為の活動は減る筈だが。最後に異常気象、原因すら突き止められていない、人間活動によるCO2やフロン等による温暖化が疑われているが、太陽活動の活発化も怪しい、対処できるのであろうか。持てるものは生き長らえ、持足らず者は滅びて行くのであろうか。
世界各国には、それぞれ関連施策がある、当然日本にも。地球/他人への配慮、謙虚に、忖度無く、公平に行われれば、何とかなるかもしれない。便利さの追求、不当な利益の追求、ソロソロ考えどき、淡い期待でもある。ノアの箱舟が来ないように。
以上、長々と失礼しました。
ウェブ主さんの見出しの一言につきるでしょうね。
某国立工科大の私としては、希望の職種に就くための
技能を得るために入学したので、受動的な学生はあり得ないです。
それが私と異なる道で、総合大学文系であろうと、
そこで得た技能で食べていくという意識をもった学生であれば
それなりの人生を歩んで行けるのではないでしょうか。
今、人手不足とは言っても、どこの企業も、
技能を得た学生または、企業が戦力として育てられる見込みの
ある学生しか取りません。
講義のアンケートでも、なんでも良いのですが、
大学が、目的意識を持った学生が自身で学べる場所に
採用する側が採りたいと思える学生を輩出する場所に
なっていってほしいものです。
皆さんもっと懐を広く、大きくできませんかね。
世の中には無用の用というのがあるではありませんか。
例えば、哲学とか宇宙物理とか。とりあえずいくら一所懸命やったところで、一銭にも結びつかない。何の役にも立たない。何の戦力にもならない。でもそういうものって大切ではありませんか?
そんなものは民間企業で取り扱いようもありません。では、世の中になくてもいいものかというと、そうではないでしょうね。とりあえず何の役にも立たなくても、人間や社会、文化や文明の深みに作用してくるのだと思います。
いいじゃありませんか。難解で学生が誰一人理解できない、将来直接的には何の役にも立たない哲学の講義があっても。私はそう思いますけどねえ。
的外れの意見でしたらごめんなさい。
>>隠居爺様
私は、哲学とか宇宙物理、所謂工学が追い付いていない範囲の数学など、否定するつもりはありません。「自ら学ぶ意識のある学生」なら、そういった講義さえ、自らの糧とするでしょう。
私が問題としているのは、そういった講義を含む単位取得が楽なもので単位を積み上げ、研究室やゼミでもロクな論文も書かずに、就活にて大学生活の中で自分がやってきたことを論理立てて話すこともできない「大卒者・院卒者」が量産されていることだと思います。
彼らは、私は「大卒・院卒」なんだからと、総合職枠に、どこかから拾ってきたテンプレートに従って形だけは整えて応募してきますが、弊社では定員割れしても取らない場合もあります。高卒の一般職志望者よりもレベルの低い「大卒者」を大学経営のために量産し続ける私立大学など、認可を取り消したほうが良いと思います。
ただ、念のため断っておきますが、所謂偏差値の低い大学でも、「将来を見据えて自らの意思で学んできた」卒業生は社会で非常に役立つ存在だと思います。
たんたん 様
私の発言は、たんたん様への批判ではありませんので念の為。
私自身もよく分かっていないのですけど、私が大学生の頃は世の中全体がのんびりしていたせいか、大学も曖昧さが許されていたような気がします。しかし、現在は、何らかの形で成果をあげられない大学教員は評価を低くするという雰囲気があるように思えます。
でも、学問というのは成果の上がる実学とは違いますよね。実学は実学で十分に尊重されるべきですが、これといった成果をもたらさない学問についても、生き延びるチャンスを与えてほしいと思うのです。
一言で言うと「大学は学問の府」であってほしいというのが私の願いです。学生が理解なんかできなくたっていいのです。学生が理解できるようなことは、学生が自分で勉強すればよろしい。大学はもう少し上のレベルで知的世界を牽引していってほしいと思います。
なんてちょっと変なことを書いているかもしれませんが、私の頭にあるのは文科省です。出会い系バーに出入りして意味なく総理大臣を批判するような人が事務次官まで昇りつめるお役所に、学校の管理なんてできるんでしょうか。心配だなーと思っちゃいます。
幼稚園から大学まで、現在の教育行政って信頼に足りうるものだと思えますか?
>>隠居爺様
返信ありがとうございます。
批判とは受けとっていないので、大丈夫ですよ。
まだまだ若輩者の私が能書きたれてしまい、恐縮してます。
>>「大学は学問の府」
その通りだと思います。今は産業界が使いこなせない未来で使われる(かもしれない)数学や、思想、哲学など、泥臭く論文を書かれている先生方はいらっしゃいます。実学偏重の今の日本では「これといった成果をもたらさない学問(と現代ではみなされている)の研究者」とされるかたへの「本来の学問としての評価」をする体制や資本援助が、もっと必要なのだと思います。実学を研究する人たちへの支援は、産業界がほっておいてもやるでしょう。
その役割は、本来は文科省なんでしょうね~。出来ているとは、とても思えませんが。
>>幼稚園から大学まで、現在の教育行政って信頼に足りうるものだと思えますか?
全く、信頼に足らないと思いますね。私の子供が現在幼稚園児ですが、この先小学校以降、心配でなりません。ただ、我が子の事を想うと、嘆いてもしょうがないので、足らない部分は親が自分でやっていくしかないのでしょうね。
一般論としては、もうちょっと、ちゃんとした「学び」に対しての姿勢を持った学生が増えることを望みます。そうすれば彼らは、産業界に出ても、学究の徒としての道に進んでも、何らかの形で社会に貢献していけるのではないかと。
学びを捨てた人間は、産業界でも学問の道でも通用しないです。
たんたん 様
>一般論としては、もうちょっと、ちゃんとした「学び」に対しての姿勢を持った
>学生が増えることを望みます。そうすれば彼らは、産業界に出ても、学究の徒
>としての道に進んでも、何らかの形で社会に貢献していけるのではないかと。
全面的に賛成です。
常識等の前提を疑い、一から自分の頭で偏見なく論を構築していける人が育ってほしいですね。
そのためには、どれだけ分かりやすいかとか、親切に手取り足取り教えてくれるかということは問題ではありません。無愛想な頑固親父でも、何も教えてくれなくとも、腕のいい職人が育つなんて親方も中にはいます。いろいろあっていいんだと思います。文科省の画一的な基準で評価が下されてしまうような学問の府は嫌だなあと思います。
しいて言えば、学問の府としての矜持でしょうか。その格調の高さを失わないでほしいと思います。
チキンサラダ 様
ご無沙汰しております。韓国の帝大より後にできたなにわの帝大をむかーし卒業した初老ですが、「東大は学歴ロンダリング組が多いです。」に触発されて参加させていただきます。
30年くらい前から技術系新入社員は修卒の方が多くなり、20年くらい前からは「東工大院・学歴ロンダリング」が多くなりました。残念ながら、実際に彼らと働くことになった私たちの結論は、「学部どこ出てるかチェックしろ」でした。
恩師教授は早稲田理工卒でつくばの国立研究所から移ってきた方で、関東方面に就職する際、「向こうは東大より東工大の方が優秀」と言っていました。確かに学部も院も東工大の人は優秀でした。
実話として、地方の国立大学教授との世間話で、うちで卒業もあやぶまれるろくでもない奴が東工大院に合格して行く、と怒っておられました。
そのような弊害が東大にもおよんでいるのですね。
本題の大学教育ですが(理系限定)、香港では大学受験を目指す人の多くは英語で教育する中・高を卒業し、過酷な受験を乗り越え、入学後には実際にエンジニアリングに役立つ統計学を学び、企業実習もあります。なので、産業分野では間違いなく世界最優秀の人材と思っています。
立派な論文を書いて大学に残って最先端の基礎研究を続ける人を育てることも間違いなく必要ですが、日本の大学教育はそれに偏り過ぎだと思います。大多数である企業に就職する人のための教育はお寒いのではないでしょうか。
最近まで地方国立大学でURAやってましたが、オーバードクターの多くはプライドばかり高くて使えないので就職はきびしいです。昔は企業が入社後英語も含めていろいろと支援してくれましたが。
私見極論ですが、英語で授業できない教授はクビにすべきです。
理系初老様、
理系初老様はあそこの大学の卒業生でしたか。私の身内の1人や元上司もその大学出身です。
> 確かに学部も院も東工大の人は優秀でした。
確かに、うちの会社でも東工大卒は東大卒に比べても遜色ないパファーマンスを発揮してる気がします。
東工大の方が優秀とまでは言えないですが。
> うちで卒業もあやぶまれるろくでもない奴が東工大院に合格して行く、と怒っておられました。
数年前、知り合いの息子さんが東工大の院に合格しました。その知り合いが「うちの息子がいけるような大学ではないはずだが..」と、嬉しさよりも、むしろ訝しさの方が大きそうな表情をしていたのを思い出してしまいました。
> そのような弊害が東大にもおよんでいるのですね。
私は理系の方は一次情報としてはあまり知りません。学歴ロンダリングが最近多いというニュースや噂をみたことがあること、医学部で数人そういう知り合いがいるという程度です。
自分の学部(文系)では、在学中に学歴ロンダリングの大学院生と知り合いました。が、悪い印象はなかったです。我々学部で受かった連中が4年間遊び呆けている間に真面目に勉強してきた人たちなので、少なくとも学部生の我々には良い刺激になりました。
彼らの大半は学部時代に東大に落ちた人たちですが、ぎりぎり落ちた人たちなら地頭も我々と変わりませんし。また、勤勉さでは平均的東大生より遥かに上だったように思います。今、彼らがどうしているかは全くわからないのですが…
(1人、名前を覚えていたロンダリング組大学院生の名前を、今検索してみましたが、ヒットしませんね。その後アカデミアには残れなかったということでしょうね..)
> 最先端の基礎研究を続ける人を育てることも間違いなく必要ですが、日本の大学教育はそれに偏り過ぎだと思います
そうですね。研究機関はトップ10くらいの大学にしぼり、残りは職業訓練校と割り切ってカリキュラムも教官もばっさり変えるべきだと思います。大学は社会にとって非常に重要な人材供給源のはずなのに、それが機能していないのは大問題です。
(…. とはいえ、うちの会社だと、日本のトップ10以外の大学から新卒は一切採用しないんですけどね。やはり地頭の良さは重要です。)
> オーバードクターの多くはプライドばかり高くて使えないので就職はきびしいです。
オーバードクターを含む Ph.D. 持ちの話をさせていただきます。
うちの会社は、Ph.D. 持ちが能力を認められる珍しい会社だということになってます。が、実際それでも彼らが本当に力を発揮している場面は限られています。やっぱり彼らを組織にフィットさせるのは難しいんですよね。今さっきも、とある Ph.D. 持ちからうんざりするようなメールを受け取ったところです。
アメリカでは Ph.D. もちが resume をダウングレード(Ph.D. の部分はわざと書かないで院卒のふりをする)して職探しをすることもよくあるようです。やっぱり、扱いが難しいのは日本でもアメリカでも同じということのようですね。
東大学歴ロンダのところを書いたので少し責任を感じてフォローいたします。
医学部に関しては、東大の権威を欲して東大の大学院を受ける医師に関しては、こと臨床能力に関しては必ずしも優秀では無いとは言えません。
むしろ東大の医療の質の大部分を担保しているとさえ言えます。
現在は課程博士しかないと言っていいほど大学院大学化しましたが、昔は論文博士という「悪習」があり、東大プロパーと卒業後講座に入局した外様は明確に差別され、外様は「ソルジャー」と陰口を叩かれました。これは東大独自の概念ではなくて旧帝大系の医学部では普遍的なお話です。
労働基準法無視で大学病院の臨床に携わり、現実の兵士の様に辞令一つでナワバリの病院に転勤して周り、博士論文を書くための実験などしている暇はありません。
一方でプロパーの院生は臨床をほぼ免除され、悪辣なところではソルジャーに論文の作成を手伝わせたりします。この悪弊は院を卒業しても続き、講師や助教授クラスが論文のほとんどを部下のソルジャーにやらせて教授戦に有利になる様にインパクトファクター稼ぎに勤しんでいるところもあります。
こんな仕打ちに10年以上耐えたソルジャーには論文博士というご褒美をくれてやるわけですが、まあこんな刑期を勤め上げたら、逆に臨床の腕は磨かれますよw。
臨床ばっかりやってて、満期出所するときに既に脳をやられて論文が書けず「ゥホッ、ロンブン?ソレウマイノカ?!」と脳筋化してしまった医局員を哀れんだ教授や講師が適当な論文を代筆してやったという美談wも聞いたことがあります(ただしお礼のお金はたっぷり貰う)。そんな医師でも腕は良かったりします。
当時の天皇陛下が心臓のバイパス手術をお受けになった時に、東大に入院して順天堂大学の教授が手術するという話に、実情を知らない国民はえ?とお思いになったでしょう。
この時代には比較的新しい人工心肺を使わないで動いたままの心臓に新しい血管を繋ぐ手術が流行り始めていたのですが、当時の東大には、まったくできない医師しかいなかったわけでもないのでしょうが、とても「その道の権威」とまで言える様なレベルの人はいなかった。
だったら、最初から順天堂大学大学病院で手術すればいいのに・・・と医療関係者は冷ややかに思っていたのですが、東大の顔を立てたのでしょうね。
これには昭和天皇の膵癌手術のトラウマもあったことでしょう。さすがにこれはリアルタイムでは知ることはありませんでしたが、時効と思ったのかポツポツと当時の事情が話されています。
https://www.dailyshincho.jp/article/2017/01010557/
——————————————————–
腸の通過障害を除去するバイパス手術は、東大医学部第一外科・森岡恭彦教授の手に委ねられ、空前の手術に向け「東大医療チーム」が編成された。
9月22日の昼に始まった手術は、2時間半に及んだ。立ち会った高木侍医長は、
〈手術の前、私の頭にあったのは、腫瘍ではなかろうかということでした。九月十二(ママ)日のレントゲン検査で、十二指腸の先、小腸の先端部に通過障害があるということまではわかっていましたが、この部位には通常ガンはできません。ですから、良性、悪性はともかく、別の種類の腫瘍だと思っていました〉(前掲書『最後の百十一日』)
が、早々に“仮借ない現実”と対峙することになる。
〈開腹して自分自身の目で確かめたところ、膵臓が盛り上がっており、明らかにガンだとわかりました。確率的には九〇パーセントくらいかなといった感じです。前年六月のCTスキャナーによる断層撮影のときに比べて、膵臓の一部がおよそ二倍近く、鶏卵大にまで大きくなっておりました。幸い転移はしていませんでしたが、この瞬間、私の頭には、これは困ったことになったとの思いが浮かんできました〉(同)
——————————————————–
いくら昭和63年でも三ヶ月前のCTを頼りに膵頭部がんの可能性のある手術ってありえねえだろ・・・とw。
でもって、腸管バイパスしかしないんだったら二時間半の手術は長過ぎ。
いや手術時間が短すぎると疑念を招くから、バイパスはさっさと終えて麻酔のかかった手術台の天皇陛下を囲んでみんなで「おいおい、瞬殺だよ・・・残り時間どうする?!」と頭を抱えていたシュールな光景だったのかもしれませんが、真面目に手術していてそれだと研修医でも怒られるレベルです。当時の名目上の執刀医・森岡恭彦教授のご経歴
——————————————
1955年 – 東京大学医学部卒業
1956年 – 東京大学医学部第一外科学教室に入局
1960年 – 同大学大学院修了
1966年 – フランス政府給費技術留学生としてパリ大学出張
1972年 – 自治医科大学外科教授
1979年 – フランス外科アカデミー会員
1981年 – 東京大学医学部第一外科教授
1986年 – 東京大学医学部附属病院院長
1991年 – 関東労災病院院長、東京大学名誉教授
1994年 – 日本赤十字社医療センター院長
——————————————
あ、こりゃダメだwとわかるスゴイ経歴なんです。とても優秀な論文をお書きになる方だというのは確実なのですが、手術が上手くなれる修行の時期がまったく存在しない。典型的な臨床のできない外科系東大教授のパターン。たぶん、実際の手術の時は腕のいい講師あたりが「指導医」として立ち会っていたものと推測されます。
だったら天皇陛下の手術を依頼されたら、「僕には無理です!」と言えればよかったのにそれを言う度胸が無かったのでしょうね。
その意味では、バイパス手術の時の東大教授は誠実だったのかもしれません。
まあ別に東大教授という役職の仕様には手術が上手いなんて要件は最初から存在しないのですからそんなものを求める方が間違っているのです。
上皇陛下は、東大で前立腺手術も受けられていますが、特に再発も無く健やかに過ごされたようですので、おそらく手術難易度の低い前立腺がんだったのでしょう。
ところが、今や、難易度の低い前立腺がんはロボット手術するのがトレンドです。
東大病院の泌尿器科のHPを見るとしっかりそのロボットの機械は入っているのですが、日本ロボット外科学会のオススメ施設のページがあります。
https://j-robo.or.jp/da-vinci/facility-list.html
残酷ですねw。
もし、現在、手術を受けられていたら、東大泌尿器科で手術できたのかどうか。
りょうちん様、
生々しいお話ありがとうございます。
なるほど、東大医学部卒の(学部出身)はそこまで臨床医としての能力が低いのですね。
ま、それもわかる気がします。私が知っている理IIIの人間で、元々医者になりたかった人は1人もいませんしw
学歴ロンダリング組とそんな補完関係であるのも初めて知りました。不健全ではありますが、生態系としては完成度が高かったようですね。
昭和天皇の膵癌手術の話は始めて知りました。あってはならないことですよね… 愕然としました。
私の主治医の教授は多分変わった例で臨床をやりまくってる(と思われる)人です。手先が非常に器用な人で手術がうまい(と聞いてます)。普通、そんな人は出世しにくいようですが、彼はたまたま上からの引き立てが強く、しかもちょうどポジションもあいたので若くして教授になれたのだとか。もっとも彼がいる大学は旧帝大ではなく、世間的にはいまひとつという評価の大学です。
なお、若くして教授になったので周囲のやっかみもすごく、週刊誌で何度かゴシップを書かれていました。内情を知るもののタレコミですね。私はその大学の内情など大して知りませんが、それでもゴシップの中身は相当部分でっちあげだと感じました。ま、そういうでっち上げをしてでもライバルを叩くのも権力闘争の一種なんでしょうね。
なお、主治医と飲んだ時、共通の知り合いの東大卒の医者の話になりました。酔った勢いなのか「あいつは人使いがうまいだけで、手術の腕はからっきしだ。」と言ってました。つい出てしまった本音なのだと思います。
手術の上手い先生が大学教授「なんか」になるもんじゃないとは思いますけどねえ。
幸せになれないでしょう。
でもって手術の上手い先生もアカデミズムを馬鹿にするコンプを自覚して封印すべきなんです。
不毛です。
りょうちんさま、
> 手術の上手い先生が大学教授「なんか」になるもんじゃないとは思いますけどねえ。
その教授はよくこう言ってます。
「教授になると手術に集中できない。僕はもっと手術をやっていたかった。」
いろんな分野で処理能力の高そうな人なので、管理職/経営者としての仕事もソツなくこなしてそうではありますが…
彼の言葉もどこまでが本音なのか、門外漢の私にはよくわからないところがあります。
> でもって手術の上手い先生もアカデミズムを馬鹿にするコンプを自覚して封印すべきなんです。
なるほど、そういうものなのですね。一般的なアカデミアの分野でも似たところありますけど、お医者さんの世界の方が臨床できる人の地位が少しマシそう… でもないのかなw