市長の公私混同を批判する人は「宇奈月温泉事件」学べ
私見の利用はどこまで許され、どこまで許されないのか――。これについては法学生などが必ず学ぶであろう、「宇奈月温泉事件」をを再認識しておく必要があります。杓子定規に見れば公私混同などは1円も許されない、ということになりそうです。しかし、「宇奈月温泉事件」でもわかるとおり、正直、こうした杓子定規の考え方自体、適切ではないこともあ多々あるのです。
「お客様は神様」論の間違い
「すべては程度の問題」。
これに尽きるのだと思います。
前日の『「お客様は神様」?カレー食べた高速バス運転手に苦情』や『「客に飲食という生理現象を見せるのは無礼」、本当?』などでは、勤務中の高速バスの運転手が高速道路のサービスエリアでカレーを食べていたところ、これに対し一部の乗客(?)から苦情が入った、などとする話題を取り上げました。
著者自身の主管で申し上げるなら、正直、意味がわかりません。
高速バスの運転手は乗務時間が非常に長くなる傾向にありますし、本来、乗務時間中であったとしても、休憩時間内であれば、べつにカレーを食べようが、トイレを使おうが、自由に時間を過ごすことができるはずだからです。
これについてはやや主観的な評価で恐縮ですが、「高速バスの運転手が休憩時間中にサービスエリアでカレーを食っていた」と文句をつける者の側には、「お客様は神様」、といった歪んだ事実認識が存在している可能性は否定できません。
「お客様は神様」。
これは、歌手の三波春夫が1961年に舞台で話した内容が曲解されて伝わり、「カネを払う客の側が偉い」、すなわち「カネを払えばどんな理不尽なことを要求しても許される」という意味合いで用いられている、大変に問題のあるものです。
じつは三波春夫自身がこれを否定していた
もっとも、三波春夫自身、「お客様は神様」という表現を、「客はカネを払う立場にあるのだから、どんな理不尽なことを要求しても問題ない」、という意味で用いたわけではありません。
しかし、現代の日本社会では、「カネさえ払えば店員に横柄な口をきいても構わない」、「カネさえ払えば店員に無茶な要求をしても構わない」、などと勘違いしている者が大変に多いのが実例であり、なかには海外旅行で日本にいるのと同じ感覚で店員に対し横柄な態度で接し、トラブルになるという事例も多いようです。
くどいようですが、当ウェブサイトの読者の皆さまのなかに、万が一、「カネを払う側が絶対的に偉い」、「カネを受け取る側は奴隷のごとく、カネを払う側に尽くさなければならない」、などと思い込んでいるケースがあれば、それは直ちに改めていただきたいと思います。
飲食店・コンビニ・スーパーの店員、鉄道の駅員、バス運転手、ガソリンスタンド店員といった仕事に従事している人たちに対し、まるで「主人と奴隷」のごとくに偉そうに接する者もいますが、そもそも彼らは対等な人間であり、奴隷ではありません。
というよりも、古今東西どんな社会においても、払った対価以上のサービスを要求すべきではありませんし、店員を「奴隷」かなにかと勘違いしている者は、そもそも自身が支払った対価を遥かに凌駕する内容を相手に求めているということを意識しなければならないでしょう。
公私混同をどう見るか
こうしたなか、少し論点を拡張するならば、「公務員は税金で生きている」、「したがって公務員は我々国民に対する公僕として、我々国民に尽くさなければならない」、などと思っている人がいれば、そうした考え方は改めていただきたいと思います。
少し議論になる可能性があるとしたら、特別職(とくに都道府県知事、市区町村長など)が「公私混同」と疑われるようなことをしているケースでしょう。
『市長が公用車で日常的に私的な買い物…本当に問題か?』などでも指摘しましたが、公用車を用いて私的な買い物をしている市長が批判されている、という話題に関していえば、「それをどこまで厳格に解釈すべきか」については議論の幅があり得ます。
この事例は、「恒例独居老人」でもある三重県伊賀市の岡本栄市長(71)が、公務を終えて市役所からの帰宅途中、公用車で経路にないスーパーに立ち寄り、夕食用のおかずを購入するなどしていたことが、市民からの指摘で発覚した、というものです。
公用車で自宅と逆方向にあるスーパーに立ち寄り、総菜などを購入しているという事例は、厳密に言えば、公私混同と言えなくはありません。なかには「1日当たりほんの数十円、数百円というレベルであっても、公金の私的流用は問題だ」、などと言い夏人もいます。
ただ、これに対し目くじらを立てることは、いかがなものでしょうか。
「公金は1円たりとも無駄にすべきではない」とする立場から厳密に解釈すれば、市長がおかずを購入するためにスーパーに立ち寄ることは、それこそ「大問題」なのかもしれません。
「宇奈月温泉事件」とは?
しかし、そのように主張する人は、「権利の濫用(らんよう)」という論点を学ぶべきです。
「権利の濫用」とは、わかりやすくいえば、法律を杓子定規に解釈することで、社会通念上、不当な結果をもたらすような行動を言います。その典型例が、「宇奈月温泉事件」でしょう。法学を学ぶ人ならば「知らない」という人はいないというくらいに有名な判例です。
これは、富山県にある「宇奈月温泉」で、約7.5㎞先にある源泉からお湯を管で引き込んでいたところ、その管がほんの2坪分、「A氏」の土地を通っていたことで発生した事件です。
A氏は宇奈月温泉の運営者に対し、この土地を非常に高い価格で買い取るか、引湯管を撤去するかのいずれかを要求。宇奈月温泉の運営者がこれに応じなかったため、A氏がその運営者を相手取り、引湯管の撤去を求めて提訴したところ、裁判所はこの請求を「権利濫用に当たる」として棄却したのです。
ちなみにこの判例は昭和10年10月5日、つまり戦前に出てきたものですが、現在でも「権利濫用は認められない」という判例として引き継がれています。
おそらく伊賀市の岡本市長の事例も、基本的には「杓子定規に解釈すれば公私混同だが、実質的に見れば何にも問題がない事例」の典型例でしょう。
厳密な立場に立てば、市長がスーパーで夕食を購入するのは純粋な「私用」ですから、税金で運営されている公用車を、そんな私用のために流用するのは公私混同です。
しかし、岡本市長は通常の公務員とは異なる特別職公務員という立場にありますし、報じられた記事などから判断する限り、岡本市長は私的な飲み食いのために公用車を長時間拘束しているわけではなく、あくまでも退勤時などの短時間で用事を済ませており、公私混同により市に与えている損害は1日当たり数百円です。
これを、「公私混同は公私混同」、「問題は問題だ」、などと言い放つ人は、法律の基本を、もう少し勉強すべきでしょう。
もっといえば、「市長の公用車の私的利用は1秒たりとも認めるべきではない」、などと主張する人は、ご自身が勤務先から支給されている通勤定期を絶対に私的利用してはならないはずですし、会社帰りに私的な用事でどこかに立ち寄る、といったことは許されないことになります。
これを突き詰めれば、「警察官が制服を着たままコンビニに立ち寄る」ということも許されませんし、「消防隊員・救急隊員が出動したあとで消防車・救急車などでコンビに立ち寄る」ということも同様に許されないことになります。そんなアホな話はあり得ません。
三重県伊賀市長による「公私混同(?)」事例を舌鋒鋭く追及する暇があれば、(おそらくは日常的に行われているであろう)NHK職員による「タクシー・チケットを使って私的な食事に出かける」などの明らかにおかしな事例を追及しない理由は、かなり理解に苦しみます。
カレー問題とカスハラ
さて、「勤務中の人が私的な用事をこなすこと」に対し、難癖ともいえるような苦情を申し立てる人は多いのですが、こうしたなか、例の「SAカレー事件」に関連し、土曜日、『オトナンサー』というウェブサイトが興味深い記事を配信しました。
「SAでカレー食べている」「買い物してる」 バス運転士、警察官への“理不尽クレーム”に共通点 特定社労士が分析
―――2023/06/17 14:10付 Yahoo!ニュースより【オトナンサー配信】
この記事は、例の「高速バス運転手カレー事件」に加え、「制服を着た警察官や救急隊員がコンビニに立ち寄った際のクレーム」などを、一種の「カスタマー・ハラスメント」(いわゆる「カスハラ」)だと位置付け、その背景を分析する、という趣向のモノです。
記事では「ハラスメント問題に詳しい、特定社会保険労務士の鈴木教大さん」の分析として、こんな趣旨の内容が指摘されているのです。
「カスハラは、売る側と買う側の上下関係から、客が『お客さまは神さま』という理論を振りかざして店員に理不尽なクレームを入れたり、理不尽な要求をしたりして、相手を困らせる行為。電話など顔が見えない場合は、行為がさらにエスカレートする傾向にある」。
「お客様は神様」などとあるとおり、これは、当ウェブサイトでこれまでに指摘してきた内容ともほぼ一致しています。
いや、「カスハラ」というよりも「理不尽な難癖」ではないか、という気もするのですが、要するに「お客様は神様」というパワー・ワードが社会問題化している、ということでもあります。
これについて特定社労士・鈴木氏は、最近の潮流として、「ハラスメント問題」の潮流がパワハラからカスハラに移っているという印象があると指摘しています。
これについて記事ではその原因は特定されていませんが、もしかして、いわゆる「団塊の世代」が大挙して引退するなかで、彼らの多くが理不尽なクレームをつけることを至上の喜びとしている、といった事情でもあるのかもしれません。
ちなみに鈴木社労士の指摘は、なかなかに容赦ありません。
「バスの運転士に対するクレームのほか、過去に発生した警察官や救急隊員へのクレームは、カスハラの延長線上の行為だと思います」。
「特定の職業の人の行動にクレームを入れる人の心理として、社会や仕事、交友関係に対する不満など、自分自身では変えることができない不満に対して鬱憤がたまっていると考えられます。そのはけ口として、たまたま見掛けた運転士や警察官などにクレームを入れているのではないでしょうか」。
なかなかに鋭い分析です。
「景観や消防隊員はコンビニに寄るべきでない。使用の買い物をする際に、いったん制服を脱ぎ、自腹でタクシーなどを使うべきだ」。
こんな主張を繰り広げる者の心理を、見事に言い表しているとも思えます。
いずれにせよ、公務員など「絶対に殴り返してこない相手」に理不尽な難癖をつけるのは、あまり良い行動とは思えません。
もしも公務員を批判するなら、「公用車で買い物をしている市長」に対してではなく、「税収弾性値を1.1という水準に置き、本来ならば絶対に必要がない『財政再建』を錦の御旗に、増税を実現してきた」というトンデモ官庁である財務省こそ、舌鋒鋭く批判すべきでしょう。
あるいは、最近だと「日韓諸懸案を何ひとつ満足できる水準で解決できていないのに、火器管制レーダー照射事件を不問にし、韓国に(旧)ホワイト国待遇を復活させ、あまつさえ日韓通貨スワップを提供しようとしている」とする、岸田宏池会政権のとんでもない方針のように、批判すべきことがらはほかにいくつもあります。
こうした点において、相手が公務員だからといって、何でもかんでも舌鋒鋭く批判すれば良い、ということではないことだけは間違いないでしょう。
本文は以上です。
日韓関係が特殊なのではなく、韓国が特殊なのだ―――。
— 新宿会計士 (@shinjukuacc) September 22, 2024
そんな日韓関係論を巡って、素晴らしい書籍が出てきた。鈴置高史氏著『韓国消滅』(https://t.co/PKOiMb9a7T)。
日韓関係問題に関心がある人だけでなく、日本人全てに読んでほしい良著。
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【おしらせ】人生で9冊目の出版をしました
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>いずれにせよ、公務員など「絶対に殴り返してこない相手」に理不尽な難癖をつけるのは、あまり良い行動とは思えません。
というか、中国と違って殴り返してこない日本相手に好き放題してる韓国と一緒ですよね。
会計士様
今日の記事を書いて頂き、本当にありがとうございます。今まで、思っていた事を書いて頂いたので、胸のつかえが取れました。
いつ頃の昔か分かりませんが、昔は、このような制服を着た仕事をしておられる方々が休んでおられる時は、「お疲れ様、ありがとうございます」という気持ちの方が出て来たものです。親からもそのような事を教えられたような気もします。実際、警察官、消防士、救急隊員、運転手、等の仕事は大変に神経を使い緊張感が必要な仕事であり、又、危険を伴うこともあります。その緊張感から暫し開放されて束の間の休息を取り、次の業務に向けて英気を養っておられる、その姿を見て、咎める気持ちが湧いて来るというのは、どのような心理によるものなのか?と暗澹たる気持ちになります。
このような事も思い遣る事が出来ない、不寛容な世の中に、いつの頃からなってしまったのでしょうか?
本当に他人には不寛容、自分には寛容、という風潮は昔は無かったように思います。
市長さんが、スーパーで買い物をしていて、それが公用車でちょっと寄り道していたとして、それを問題だと思う、せせこましい気持ちを抱くような了見の狭い国民に、いつから日本人はなってしまったのでしょうか?
この了見の狭さ、こちらの方が心配です。
市長さんが、自ら買い物をする姿は親近感が湧き微笑ましく感じると思います。
>市長さんが、スーパーで買い物をしていて、
直接陳情する良い機会だと捉えないのが不思議なんですよね。
市長の顔を見たら、陳情とは。
本来、市民が陳情する必要の無いのが、良い市政。市長の顔を見たら陳情したくなるような市であれば、市長は、仕事帰りに気楽にスーパー買い物に寄れないような気がします。
おはようございます。
理不尽な要求をすることで、最初に思い付いたのは銀行です。
住宅ローンを利用すると、融資物件に抵当権を設定しますけど、登録免許税が融資額の0.4%、一千万円で四万円。(軽減税率が適用される場合もあります。)
融資契約での融資条件なら仕方ない出費です。
長年コツコツ返済して無事に完済しました。
抵当権は抹消の登記申請をしない限りは登記記録に残りますが、抵当権を利用したのは銀行で利息まで貰っているので、抵当権抹消手続きは銀行がすべきと思うのですが、銀行は融資返済証書を発行して知らんぷりです。
抵当権設定の権利書は設定者(借主)が所持しているから、からなのでしょうが。
当方、銀行の理不尽な要求は熟知してますので、自己資金で自宅を建てました。
業務上は仕方ないですが、プライベートで銀行とはお付き合いしたくないです。
土地家屋調査士様
空気を読まない投稿です。
私は20年ローンで融資を受けました。
15年程で完済しました。
長女にやっと借金が無くなったわと、云って後は担保を消したら終わりやなぁ。
と伝えたら、長女は担保はそのままの方がええんとちゃう。
だって、登記簿に担保がついていたら、それを見た人は『タナカ珈琲家』が貧乏と思うやんと、アドバイスしてくれました。ワタシは長女のアドバイスに従いました。
後日、三和銀行からの電話で担保抹消依頼の電話が有りました。
まだ、担保は抹消していません。長男の仕事に残しています。
タナカ珈琲 様
返信ありがとうございます。
抵当権登記が残っていても、仮差押え、差押えの登記がない限りは貧乏とは思わないです。順調に返済中か抹消登記をしていない、と思います。
それと、抵当権抹消の登記をしても、元の抵当権設定登記に下線が入るだけですので抵当権の経歴は判りますし。
抵当権設定登記の数が多い、高額な根抵当権設定登記を見ると警戒はします。
仮差押え、差押え登記があるとヤバい物件か?、と思います。
三波春夫はソ連の抑留を受ける中でも、仲間に歌や芸を披露し互いに乗り切ったそうです。神に芸を奉納するような心が重要と説いたのも、実際に救いを感じた体験からかもしれません。そもそも「お客様は神様です」の”お客様”は、金銭支払者ではなく観劇者のことですし。クレーマーは逆の存在ですらありますね。
さて件の市長用車の使用が、勤務中の業務に関わる移動のみに使われ社で保管管理される、一般的な企業の社用車のような扱いであれば、買い物利用がけしからんどころか、通勤利用がそもそもマズイはずです。しかし本件のそれはそもそも通勤にも利用する前提の公用車のようです。常識的に考えて、通勤ついでの用事に利用する程度は織り込み済みのものに思えます。それを温泉旅行で使ってましたとかならまだ私的流用かもしれませんが、それですら利用規定によるでしょう。許可されていることがおかしいというのであれば、正式に問題提起すれば良いだけ。
クレーマーが不満のはけ口にしただけであろうという指摘も頷けるものですが、その人物が知る範囲の”社用車の常識”でしか考えられない人間だったということかもしれません。もし三波春夫の言葉を意識していたとしても、やはりその人物がその程度の理解しかなかったと。
>その人物が知る範囲の”社用車の常識”でしか考えられない人間だった
これに尽きるようですね。流石です。
人間は、誤解=自分の認識だけが正しいと思う生き物なのかもしれません。今の宇露戦争の露の言い分は、露以外から見ればとても自分善がりなのですが、それを正しいと信じている国民もいるようです。
結局のところ、市長を批判する人にとっては、「市長が何をしたか」ではなく、「誰が市長なのか」、さらには「自分の感情を誰かにぶつけたい」ではないでしょうか。
蛇足ですが、「台風がくるのも、自民党政権の責任だ」と言った人がいましたが、それなら「台風で伊賀市に被害が出るのも、伊賀市市長の責任だ」になるのではないでしょうか。
おっしゃるとおりだと思います。
まあ、
平和だった江戸時代にも
山賊追い剥ぎさんはいたわけで
その割合は今の赤いお旗と元号のとこの支持者を
ちょうど足したぐらいと聞いたことがあります。
そして、
そんな江戸時代なら
火付け盗賊改め方を差し向けるところを
普通に真面目に働く国民と同じ一票と
社会保障まで与えて上げている
今の日本の民主主義は偉大だと
あらためて感心します。
それだけに、頭に乗って
正義と多数を騙る少数の人達の
言ってることと暴れようには
そんなこんなの人たちさんなんだ
と正しく位置づけて扱って上げる
必要も感じます。
この話で思い出すのは50年くらい前にあった話。東京都の清掃車がゴミと一緒に捨てられている段ボールを集めて売り、その代金を清掃員の休憩時のお茶うけなどの購入に充てていたことがあった。世田谷区の住民(市民団体か?)がこれにかみつき、その後世田谷区の段ボールは集めないことになった。困ったのは世田谷区の住民。結局まあまあ大人げないこと言わないでという感じで手打ちになった。
共通しているのは「その程度のこといいじゃないか」という寛容が欠けていることか。
うーん、私は、世田谷のケースは段ボール代を一旦公金にした後、屋外で働く作業者達への福利厚生費として支出するのが筋だと考えるんですけどね。
金額によりますね。
ただ、そういう金を「公金」にするという手続きあったのかな?
現在では清掃事業は外部業者に委託しているようだからこういう問題はでてこないだろうけど。
つまり、公務員を全員外部委託にしたら無問題だと?
警察と消防と自衛隊の外部委託待った無しだな
オムニコンシューマープロダクツが受託したのはデトロイト市警でしたっけ?
「全部まとめて1ドルだー!」もなんかのパロだったかな()
sqsq 様
>そういう金を「公金」にするという手続きあったのかな?
放射性化合物を購入してる施設では製品の容器を遮蔽する円筒状の鉛が溜まってくる。一度、鉛の市場価格が暴騰しているというニュースを見て、これ業者に持っていけば良い値段になりそうだから、やってみようかと事務室に申し入れたら、そんなカネ、受入れ手続きのしようがないから、止めてくれと言われる。仕方がないので、いくつもの袋にまとめて不燃ゴミ置き場に出しておいたら、翌朝にはそれだけがきれいさっぱり姿を消していた。
こんなことなら、役得で自分のポケットの入れても、罰は当たらなかったかも(笑)。
そうすると、窃盗になるから、面倒なんですね。こういう事は、なかなか合理性が働かないから厄介です。
日常生活を営む上で必要な行為であり、やむを得ない理由で最小限度の範囲で行われた逸脱・中断であった場合、その後合理的な通勤経路に戻ってからのことについては、労災保険の対象となる「通勤」と認められる
↑通勤労災の例外規定にも該当しそうですね。
自宅とは逆方向の店舗での買い物ではあっても最小限度(良識の範囲)であれば許容されて然るべきだと思います。
こうして井戸端会議レベルの話をメディアが嬉々として報道することで、結果的にメディア自身の劣化がクローズアップされ、更に読者が減ると言うスパイラルに入るでしょう。
「市長の公用車」といえば市川市長のテスラでしたが、話題になって批判された挙げ句に次の選挙では落選でしたね。具体的な事情は知りませんが。
偉い人イジメをする人たちには「ご褒美感」だったんじゃないでしょうか。「市長の公用車」を軸に全国で粗探しが始まってる気がします。
「公職者が贅沢するなんて許せん」に対して、バスの運転手の食事のクレームは贅沢どころか食事という生存に関わる権利すら認めんというレベルものですが、サービス業の労働者を奴隷と勘違いしてる人が結構いるんじゃないのと思いました。
互いに社会を支える仲間ではなく、使役する奴隷。金銭を払うという一点で奴隷と呼ばないだけで。
ダラダラ書きました。
市川市の例は、テスラの前に、市長室にシャワー室を作った事が批判されていますから、市長としての資質が問題にされたようです。
コメント失礼します。
法は制定するものではなく発見するものである
必要は法に勝る
政治家は投票者の代表
主様も例に挙げてますが、仕事の定期の私的流用や、廃材を処分せずに再利用なんかは民間でもやってますね。浮浪者が捨ててある空き缶等の金属集めて換金する行為は占有離脱物横領に該当するのでしょうが、ゴミ置き場を荒らす等の迷惑行為をしない限り、訴えられる事は稀でしょう。浮浪者の稼ぎ口奪って、もっと迷惑な稼ぎに手を出されても困りますし。
三重県伊賀市の住民の殆どが「公私の分別をきっちり付けている」なら、市長への僅かな私的流用の批判も正しいのでしょう。
政治家が悪い!と責める人は私含めて大勢いますが
投票者の程度が低いと、代表の程度も低くなる
という当たり前の事実は決して忘れてはいけません。
ラーメンハゲの名言である「クレームを付ける奴は~」「お客様は人間です」を思い浮かべましたが、本来は取引は対等な関係、持ちつ持たれつ。
商品とは労働力の結晶
お金とは評価の具現化
なのでどっちかが偉いのではなく、何方も便利で大事。
でも日本国は長年のデフレ(商品が多くお金が少ない)でお金を払う方が偉い!と錯覚し続けている。それも露の宇への侵掠(侵略=挑発もされないのに先制攻撃した上に虐殺凌辱強奪迄した)と円安で値上げが当たり前になり、通じなくなりつつある。
お客様は神様(金を払う方が偉い)の信仰を維持したい人は、財務省の増税緊縮デフレ維持を応援するべきです。
1円迄キッチリやりたがるのも財務省の伝統ですが、なら何故国家予算を複式簿記でキチンと纏めて表記しないのか?それを責めないのか?私には不思議でなりません。
バスカレー問題で思うのは
“バスの運転手が休憩中に食べない。
イコール 長距離の運転中空腹になる
イコール 空腹で集中力が切れて事故の確率があがる”と予想できないのか?
確かに空腹ぐらいで事故など起こらないかも知れません。
しかし、ここにいる人で 空腹のまま何時間も高速を運転した事のある人が何人いるのか?
空腹はちょっとしたことでもイラツク様になります。
そうなると普段はしない様な判断ミスを犯しがちになります。
市長の件でもそう。
いったん家に帰りそこから自家用車でスーパーに買い物に行くと睡眠時間が削られます。
睡眠不足は判断ミスのもと。
市政の大きなミスは結果住民に返ってきます。
と、ここまで考えられる人ならそんな文句などつけないのでしょう。
公用車の私的利用といえば翔太郎さんが観光目的で車を使用したりお土産を買いに百貨店に立ち寄ったケースが少し前に話題になっていましたね。
田舎の利用と外交での利用ではケースが異なりますが基本的には車両使用者の倫理観に委ねられるといった運用で良いのかなと思います。
私的流用といえば、農家は自家生産した作物を食べるはずだという観点から、売らずに食べた分を販売金額と別に「自家消費」の科目で、収入扱いにして申告しなければなりません(農業に限らないが)。ただ厳密に数字をつけるのは不可能(お前は今まで食べたパンの枚数を覚えているのか?)なので、ウチでは1年あたり1万円を自家消費の収入として申告しています。
土に還すモノに値段つけんじゃねーよとか、正規価格なら1万円以上食べたかも?とか細かいことを言い出すとキリがありません。
なんでもかんでも私的流用は一切禁止、1円のズレも許さない!という感覚の方は、お勤め人でそういう物事を考える機会が無かった方かもしれません。
>自家消費
この事を知ったのは、映画「マルサの女」でした。
老夫婦が営む小さな食堂か何処かに主人公が税務調査に行った時、取れる税金が無いものだから、いきなり仕入れたものを自分達で食べる事があるだろうと訊いたので、夫婦が正直に8万円位と言ったら、それも売上だと言って課税した場面がありました。それで、そう言う概念があるのかと初めて知りました。役人は良くこんな事まで思い付くなあと感心したものです。
それで言うと、謂わゆる賄いはどういう扱いになっているのか?従業員に供する食事についても何か細かい規定があったような。
上記、「売上」では無く、「収入」でした。
経営者の食事等は業務上の経費とは認められません。これを許していたら、例えば自分で食べるためだが店で出すと偽って超高級ワインやらキャビアやらを100万円で発注して、店には出さずに毎晩贅沢三昧をし、あげくにその代金を経費扱いにしてあーあー売れなかったなー廃棄かーなどと嘯いて見かけ上の利益を100万円下げる=所得税を圧縮する=脱税、ということが出来てしまいます。意外と単純な話ですね。
従業員の賄いや休憩用のお菓子代なんかについては、福利の一種として経費計上が可能です。常識の範囲を外れると指摘されますが。接待、交際費なども経費になりますが、こちらも経営者本人分はダメですね。
会社員時代には一切考えなかったなぁ。
>こちらも経営者本人分はダメですね。
会計が専門の会計士さんのサイトでこんなことを書くのは、ちょっと恥ずかしいのですが、役員はダメだし、大企業はそもそも接待・交際費は損金扱いは出来ないでしょう。中小企業でいくらか認められたか、もうそれも無くなったか。
公金の私用について「権利の濫用」?私権と私権の競合である宇奈月事件の判断を、公金の私的使用に適用できます?類推適用の条件を満たしていませんね。
>こうしたなか、少し論点を拡張するならば、こうしたなか、少し論点を拡張するならば、「公務員は税金で生きている」、「したがって公務員は我々国民に対する公僕として、我々国民に尽くさなければならない」、などと思っている人がいれば、そうした考え方は改めていただきたいと思います。、などと思っている人がいれば、そうした考え方は改めていただきたいと思います。
展開が間違っていますし、飛躍しすぎです。
「公務員は公金を私的に使用してはならない」が、なぜ「公務員は税金で生きている」、「したがって公務員は我々国民に対する公僕として、我々国民に尽くさなければならない」に?
憲法第15条第2項に、「すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない」とある以上、公僕であることは否定できません。そして公務員による公金の私的使用は、「公僕として尽くせ」とは全く次元が違う話です。ましてや、カスハラは無関係です。
批判になっていない。論理展開が無茶苦茶。公法だろうが私法だろうが、法の画一的解釈が妥当しないと言う論点がブログ主の主張だが、貴殿のコメントは論点がずれてる。0点。
「『公私混同を一欠けらたりとも許さない』という論調には反対」という論旨には賛成しますが、宇奈月温泉事件は私人間の法律関係に関する判例であるので、公務員の規律の問題とは少し異なるかと思います。
軽微な違法性は問わないという判例として一厘事件(大審院明治43年10月11日判決)というのがありますが、これは刑事事件でありやはり適切な例ではないかも。
文句ばっかり言って、ぴったりな例が思いつかなくてごめんなさい。
確かに宇奈月温泉事件より一厘事件の方がピッタリきますね。山手線の駅名を冠した会計士さんは法的センスに乏しいのでやむを得ませんけど。
新宿会計士さんが、「法的センス」に乏しい、という根拠はどこから来たのかわかりませんが、「国家公務員採用一種試験(経済職)」に合格され、公認会計士の資格も持っておられて、今も大企業のコンサルをやっておられるとのこと。
自分は余り、会計士の仕事の詳しいことは分かりませんが、会計士とは、商法や会社法や税法に関して相当の見識・知見があり、且つそれを実務に於いて適用する相当な高度な能力が必要とされる仕事だと思っています。そして、大企業顧問ともなれば、民法や刑法など、六法に関しても幅広い知識と知見が必要であろうと思います。
これは、「法的センス」が無くては出来ない仕事だし、もし、センスが無いのであれば、大企業はコンサルの契約はしないでしょう。
根拠はっきりしないことを、いきなり言葉だけ、ドーンと出されても何の真実味も感じません。
これは、「権利の濫用」と言う考え方・概念が法律的に明確に認知されたと言う例として、今日の記事の中で取り上げられたものとして読んでいました。この概念は、ある意味汎用性のあるものなので、民事刑事両方に適用されるもの、少し大袈裟に言えば、普遍性のある概念だという事で、本日の記事の論旨を展開する上で適切だとして取り上げられたのだと解釈しています。
法学部の講義でも取り上げて、学生達に、個々の法の概念とはどのようなものかを考えさせ、議論させるには、良いテーマだと思います。その学生達の議論の中で、コメ主様のような意見も出てくるでしょう。
「普遍性のある概念」と仰るのならローマ法由来の「シカーネ」から説明すべきでは?
何故?
バス運転士のカレーライス食事で思い出したのですが、以前迄は例えば観光バスのツアー旅行で朝食、昼食、夕食は個人客の応募型グループ旅行でも、団体一行の貸切バスでも、運転士は別室や別テーブルで、客と同じような食事をしてましたよ。
都市間高速バスは二人体制とワンマンとでは休憩スタイルも違いました。もちろん車内外の点検や出発準備があるので、客とまったく同じ時間帯での休憩では無かったと思います。
それを見て「運転士が飯食っている」(怒)なんて客は居ませんでした。むしろ、「安全運転、ありがとうございます」と労う人もいました。やっぱりなんだろうな〜世の中ギスギスして来たんでしょうか?その癌はやはり会計士さん仰る「団塊世代」でしょうか?(笑)。「カスハラ」よりも「理不尽な難癖」でしょうね。
会計士さん曰く、「もしかして、いわゆる団塊の世代が大挙して引退するなかで、彼らの多くが理不尽なクレームをつけることを至上の喜びとしている、といった事情でもあるのかもしれません」なるほど、そういえばそうかも知れません。思い当たる事はあります。
しかし、「ちょっと待って欲しい」(爆笑。A紙もアレから半減か)。私は団塊世代の下ですから、彼らの事は身近に見て来ました。あの層は、とにかく人数がやたら多くて、声が大きいか、頭が抜群に良いか、何かで目立たないと埋没してしまう恐れを、産まれた時から感じていたんだと思います。何しろ人口が私らの2倍、7歳上なら200万人弱ぐらい居ましたもの。
それと人数が多い為、いろんな考えの方が居る。思った事を何らかの形で意思表示しないと、完全に無視されるーークレーマーがもし団塊世代に多いとしたら、そういう原因が考えられると思います。
ただ、私は個人的にはクレーマーはもっと上の世代、戦前戦中派の方々のほうが「言い出したら聞かない」「辛抱、我慢を教えられて来て、戦後派以後の人達の言う事は聞かない」傾向にあったと思います。その差は何かというと、どんな教育を受けたか、によると思います。
つまり戦後生まれの団塊世代以後から現在の20歳代迄は、高等教育を受けている人が多いです。好景気に支えられて団塊世代で大学進学率は急速に上昇しました。20%、30%、40%と言う具合に。ちなみに私が卒業した高校卒業時の大学(短大含む、専門学校除く)進学率は90%にやっと乗りました。
戦前戦中派の方々は進学しようにも出来なかった、屈折した気持ちがあったと存じます。だから客と売り手側は上下関係、その売り手側が大卒というのはハラも立ったでしょう。電話なら更にエスカレートする罵声は、嫉妬心があったんだと、今になって気づきます。
昔、会社からパソコンを買ってくるように言われて、ヨドバシカメラでパソコンを買った際に、ポイントをもらっていいかどうか悩んだことがありました。領収書を切って、現金をもらうのに、ポイント分は自分の懐に入るわけだから、横領じゃないかと・・・
恐る恐る、会社に領収書を提出しても、特にポイントの事は突っ込まれなかったので、事なき(?)を得ました。
市長の公私混同を批判する人は、こういう事もダメだと思うのかな。
こういう人って多いんじゃないかなと思うけど。。。
これで横領だというなら、世の中の結構な人が横領罪のような気がします。
(税務上どうなのかはわかりません)
これは、細かい事まで規制し出したら、事務コストの方が掛かるから、スルーする方が理に叶うという良い例です。
飛行機のマイレージも、大した付与率でなかった時は問題になりませんでしたが、大きくなった時に問題になったようですが、結局どうなったのか?
コストが掛かるからと言って、全体秩序に関わることはスルーせずにしっかりと対処しなければならないはずなのですが、最近、刑事事件で不起訴処分になる事例が多いのか、不起訴処分のニュースが多いように見えます。検察は理由は言いませんから、少し不安です。
という事で、境界線の引き方は難しいですね。
こんにちは
最近は個人向け契約以外に企業向けの契約もございます。
例えばJR東日本のチケット購入システムであるえきねっとにも
ビジネスえきねっとと言うものがございまして。
個人登録のえきねっとで会社の出張で利用する新幹線の切符を購入していた時代は
えきねっとで付くポイントは個人的に頂けましたが、最近は会社もビジネスえきねっとを利用するようになりましたので、おそらくポイントは会社に還元されているのでしょう。
独居老人を市政から排除したり18,840票の民意を無効化するには便利なツールみたいですね。
私としては、市長としての適否は「同性カップルを公的に「パートナー」と認める制度を開始」(Wikipediaの岡本栄氏の記事より引用)といった政策に基づいて考えるべきとおもいますが….
全く何の根拠の無い一個人の素朴な感想ですが、
伊賀の市長さんに文句を言った市民?(活動家?)の方は多分、日本共産党か?脱糞民主党か?今は亡き社民党?(まだ有りましたかな?)の廻し者ではないのかな?と、ごく自然に思ってしまいます。こんな私は精神が歪んでいるのでしょうかね?伊賀の市長さんガンバレ‼
追加です。
『カスハラ』と言う言葉を初めて聞いた(見た)気がします。
真っ先に思ったことは、『カス』な人が起こすハラスメントなので『カス‼ハラ』^_^
伊賀のライバル、
甲賀の線も捨てきれません、
いや
名張や根来かも?。
まぁ、常識で考えればいいだけのことだと思います。
実害がないのであれば、何ら問題はないのではないでしょうか。
宇奈月温泉事件、わたくしなら「強欲」と言ってしまいそうです。
わたくしの経験則なんですが、
わが国で今風に言うパワハラを受けた人間は、二通りに分かれるように思います。
一つは、他人に対して優しくなれることです。
もう一つは、「仕返ししてやれ」となってしまうことです。
自分よりも強者であるパワハラの主には逆らえませんので、
それは「いじめ」という形で自分より弱い立場にあるとみなす者の方に向かうことになります。
前者であることが望ましいのですが、人間弱いもので後者に陥る人が目につきます。
一時、市役所で「いらっしゃいませ」なんてムーブメントがありましたが、
それはちょっと違うのではと思いました。
自らが統治者という意識が希薄だとそのうなるのかしらと思ったものです。
警察官になら、毎日突発的に何が起こるかわからないので勤務時間は不規則になり、休憩中でも事件事故拾得物行方不明に道案内、はては野良犬の対処まで、あらゆる問題が襲いかかってきて出ていかなければならない。
公私混同といっても、「私」の部分に「公」が侵食しているのは想像に難くないので、多くの人は寛容になるでしょう。
一方で市長等の政治家に対してはどうでしょうか。
激務で時間が無いと言われても、政治家というのは、皆にとって納得のいく活動をしてるとは限らないので、無駄なことをして疲れてるなどバカも休み休み言えと思う有権者もいることでしょう。
伊賀市長の場合、高齢だ独居だというのは市長の極めて私的な事情ですので、公私混同する免罪符にはならないでしょうしね。
権力者たる市長が、その市民から監視の対象になり、軽微なことでも指摘されるのはある意味健全なことです。
一公僕が、何も悪いことをしてないのに難癖つけられたのと同列では無いでしょう。
伊賀市長への批難理由
①原理主義的不寛容
②小さな不正が(慣れにより)大きな不正につながるのではないか?という懸念
③みつかったのが小さな不正であるがみつかってないだけで他にも不正をしているのではないか?という疑念
等があるのではないでしょうか?
市長の言い訳
理由にあげている高齢独居・多忙は不適切(モラルの欠如と感じる方もいるはず)
また選民意識(上級国民)を嗅ぎとる方もいないとは限らない
バス運転手へのクレームから始まり、日本社会の不寛容、伊賀市長の通勤経路問題、団塊の世代への冷ややかな目、宇奈月温泉事件その他へと話が広がり、なかなかに面白いコメント欄でした。
確かに、バス運転手に文句垂れるほど余裕があるなら、もっとクレームすべき相手は世の中にゴマンといるのにと思います。
ところで杓子定規な解釈しかしない最右翼と言えば、所謂お役所仕事に精出すお役人さんであり(組織としての学校もそうかな)、ずいぶんと面倒な相手でした。彼らに「何事も程度問題すよ、程度問題。」と一度言ってみたいものです。