クレディ・スイス「AT1償却」は制度設計上当然の話

ロイターに「クレディ・スイスのAT1の無価値化」という論点が出ていたのですが、これについては読んでいくとどうも記事の執筆者、あるいはマーケット参加者の基礎知識が明らかに不足していると思わざるを得ません。そもそもAT1とT2は制度設計上、株式よりも先に無価値になる可能性があることが、2010年のバーゼルⅢテキスト公表時点から指摘されていたことだからです。

CSのAT1償却で聞こえる投資家の怨嗟の声

米国でシリコン・バレー銀行(SVB)などが経営破綻した余波でしょうか、もともと信用不安のうわさが絶えなかった欧州大手銀のクレディ・スイス(CS)を巡り、スイスの金融当局の仲介で同じくスイスに本店を置くUBSによる、事実上の救済合併がなされました。

これに関連し、ロイターに20日付でこんな記事が掲載されています。

クレディ・スイス、社債約170億ドル無価値化 債権者から怒りの声

―――2023年3月20日8:51付 ロイターより

ロイターによると、スイス金融市場監査局(FINMA)はCSのUBSによる買収の一環として、160億スイスフラン相当の「AT1債(その他ティア1債)」を「無価値化する」と発表し、「債権者」から怒りの声が上がっている、などとしています。

もっとも、記事にはツッコミどころ満載

この短い一文でツッコミどころが大量にあります。

ロイターの記者が色々勘違いしているようですが、そもそも「AT1」は厳密には「債券」ではありません。英語の “Additional Tier 1 Capital” の略であり、正確な日本語でいえば「その他Tier1資本調達手段」とあるとおり、銀行自己資本比率規制上の「資本調達手段」です。

AT1自体、「永久債」として発行されていることもありますが(この場合、会計上は負債の部に計上されます)、「優先出資証券」(一種の種類株式)として発行されることもあり得るため、AT1を「債券」と表現することは適切ではないのです。

それに、AT1は商品設計面から見ても債券ではありません。

これについてはそもそもの銀行自己資本比率の構造を知ることが必要です。

銀行等の金融機関に対しては、現在、「バーゼルⅢ」と呼ばれる世界共通の金融規制が適用されており、わかりやすくいえば、「自己資本÷リスク・アセット」で求められる「自己資本比率」を一定水準以上に維持させようとするルールです。

(※なお、厳密には「国内基準」と「国際統一基準」の違いがあるほか、金融規制は自己資本比率規制以外にも、LCRやNSFR、レバレッジ、IRRBB、大口信用供与等規制など、様々な範囲にわたり無駄に複雑化していますが、このあたりの事情については割愛します。)

最低所要自己資本比率とは?

維持すべき自己資本の水準は金融機関によっても異なるのですが、基本的には「最低でも8%」、「バッファーとして最大5%」であり、これに世界的な巨大銀行(いわゆる「G-SIBsの30社リスト」)などに該当している場合には、さらに最大で3.5%の自己資本比率の上積みが求められます。

最低所要自己資本比率
  • 国際的に活動する銀行の最低水準…8%
  • バッファー(資本保全バッファー+CCB)…最大5%
  • G-SIBバッファー…最大3.5%

金融安定理事会(FSB)が公表するG-SIBsリスト(2022年版)によれば、CSもUBSも「バケット1」に相当しているため、「G-SIBバッファー」は1%であり、結果的に同社に求められる最低自己資本比率は最大で14%と計算できます。

(ただし、「CCB」、すなわち「カウンター・シクリカル・バッファー」に関しては、その銀行のアセットの所在国に応じて異なるため、一概に決定することはできません。これが「最大14%」の意味です。)

もっとも、会計上の「自己資本」(普通株式等)だけで14%を達成するというのは少し厳しいところでもあります。とくに世界的な大規模金融機関はレバレッジを掛けて全世界でビジネスを行っているからです。

CET1/AT1/T2の構造

そこで、バーゼル銀行監督委員会(BCBS)は、この自己資本を3種類に色分けしました。

最も資本性が強いのが「普通株式等Tier1資本」、あるいは英語の “Common Equity Tier1” を略した「CET1」で、次に資本性が強いのが「AT1」で、このCET1とAT1の合計が「T1」であり、「T2」(英語の “Tier 2 Capital” )がこれに続く、という構造です。

T1=CET1+AT1

自己資本=T1+T2

そのうえで、先ほどの「最低8%」の部分に関しては、CET1部分は4.5%でよく、T1全体で6%以上、T2を合わせた自己資本全体で8%を達成していれば最低水準を達成したことになります。

極端な話、CET1が4.5%しかなくても、AT1部分で1.5%、T2部分で2%を達成していれば、ギリギリで8%を達成したことにはなるのです(※ただし、「バッファー部分」に関してはCET1で達成しなければならないため、CET1水準が4.5%というのは心もとないところですが…)。

これをきちんと定義しておくと、自己資本比率は最大で16.5%が必要、というわけです(図表)。

図表 銀行自己資本比率の要求水準
 CET1T1自己資本
最低水準4.5%6%8%
資本保全バッファー2.5%2.5%2.5%
CCYバッファー最大2.5%最大2.5%最大2.5%
G-SIBバッファー1~3.5%1~3.5%1~3.5%
合計自己資本比率最大10.5~13%最大12~14.5%最大14~16.5%

(【出所】Basel Committee on Banking Supervision, “Basel III: A global regulatory framework for more resilient banks and banking systems” などをもとに著者作成)

この点、CSのアニュアル・レポートによると、同社のCET1比率は2022年12月末時点で14.1%とされていますが、現実には自己資本が潤沢に見えても、リスク・アセットの額が何らかの要因で膨れ上がれば、自己資本比率は押し下げられてしまいます。

TBTFの枠組みに従ったもの

この「リスク・アセット」に関しては、結局のところ、与信相当額に「リスク・ウェイト」と呼ばれる掛け目を乗じて計算するため、与信先のリスクが上昇すればリスク・アセットも上昇しますし、また、資産の時価評価額が減損すれば、そもそもの自己資本そのものが毀損してしまいます。

いずれにせよ、金融機関が経営危機に陥った際、当局が公的資金を投じるのは古今東西のセオリーのようなものですが、バーゼルⅢテキストの世界では、「納税者の資金を金融機関に投じる前に、投資家に損失を転嫁させるべき」といった思想があります。

そこで出て来るのが「損失吸収力」(英語でいう “Loss Absorbing Capacity” )です(ちなみにこの “Loss Absorbing Capacity” に “Total” を付したものの略称が「TLAC」です)。

AT1は俗に “going concern capital” と呼ばれますが、これは「その銀行が事業を継続しながら、生じた損失を投資家に負わせる」というものであり、 “gone concern capital” (事業破綻時に価値がゼロになる資本)と比べて、より強い損失吸収力が求められます。

とくに、「トリガー要件」に抵触した場合は、AT1もT2も、基本的には有無を言わさず損失を投資家がひっかぶらなければなりません。そんなこと、バーゼルⅢテキストが公表された2010年の時点で分かっていたはずでしょう。

先ほどのロイターの記事では、スイス当局・FINMAはAT1を償却するとの決定を巡り、「クレディ・スイスの資本増強につながる」と説明したうえで、「民間投資家に痛みの分担を求めた格好だ」と報じていますが、バーゼルⅢの制度設計上当たり前のことをスイス当局が実行しただけの話です。

ちなみにロイターはFINMAのマーレン・アムスタッド局長のこんな発言を引用します。

『大きすぎてつぶせない』金融機関の枠組みに沿って決めた」。

この「大きすぎてつぶせない」銀行は、英語の “Too Big To Fail” を略して俗に「TBTF」ともいわれますが、そのTBTFに指定されている世界の最大30銀行が、先ほども出てきた「G-SIBs」、というわけです。

「強すぎる損失吸収力」問題

もっとも、このバーゼルⅢテキスト、2010年に公表されたときから一貫して指摘されてきたのが、「AT1やT2が株式よりも強い損失吸収力を持っている」という問題点です。実際、ロイターの記事ではこんな記述があります。

AT1債が無価値となる一方で、返済の優先順位が社債より下位となる株式の保有者は、UBSによる株式交換方式の買収で総額32億3000万ドルを受け取ることになる」。

「AT1は社債ではない」と何度説明すれば良いのかわかりませんが、それはさておき、AT1より弁済順位が劣後しているはずの株式(CET1保有者)には残余財産分配請求権などが残っているというのはおかしいじゃないか、というのはその通りでしょう。

もっとも、ロイターのこんな記述は理解に苦しみます。

当局の決定について投資家からは、他行がAT1債を発行しづらくなるとの指摘が聞かれた」。

そもそもAT1の償却は制度設計上予想されていたものであり、それをいまさら「償却したらAT1が発行し辛くなる」といわれても、困ってしまいます。

ただ、著者自身は、「銀行自己資本比率規制の制度設計自体がおかしい」という点には同意しますし、最近の金融規制当局の動きは「気候変動への備え」を含め、明らかに迷走していることも事実だと考えている次第です。

本文は以上です。

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読者コメント一覧

  1. 引っ掛かったオタク@百舌鳥の早贄?? より:

    物々交換から貨幣経済、金融市場の成立伸展と仕組みヤヤコシクしていくことでとある原物の価値が吹っ飛んだトキのリスクを分散…ヤヤコシクし過ぎて忘れとーやも?

  2. CRUSH より:

    さすがに、専門的にすぎて誰からもコメント付かないですねコレ。

    もう少し初心者向けに噛み砕いていただければ助かります。

    個人的には、高橋洋一さんの動画がとても好きです。
    「DD-SS曲線」
    「フィリップス曲線」
    みたいな、1回生の原論ででてくるような鉄板基礎知識で、時事問題を平易に説明してくるような人が、これまでに見た事ないからです。

    むずかしい用語を使ったらエライ!
    と思っているうちは中2ですわ。

    百田さんなんかも説明が平易で好感大です。

    1. 匿名 より:

      >むずかしい用語を使ったらエライ!
      >と思っているうちは中2ですわ。

      それブログ主に対する侮辱かな?

      >百田さんなんかも説明が平易で好感大です。

      百〇〇樹のことを言ってるなら、この記事とか読んでみなよとしか。
      https://shinjukuacc.com/20200218-01/

      1. CRUSH より:

        あはは。
        そんな経緯があったのですね。
        さもありなん。
        おしえていただいて、ありがとうございます。

        侮辱かどうかは新宿さんを含めて読んだ人が判断なさればよいと思いますよ。

        観念的な話では無くて、僕は具体的な例示をして
        「こういうやり方がエエのでは?」
        と書いてますが、そちらについて絡みついてほしかったのですけどね。

        それがいきなり侮辱と来ましたよ。
        (新宿さんルールの人格攻撃ちゃうの??)

        まだ近代経済学とマルクス経済学とが同列に扱われていた頃の、
        「なにが全体最適なのか?」
        という青臭い議論に今でも萌える性格なので、そういう方向への
        「おかわり」
        をリクエストしてみたのですが、それを侮辱って・・・。

        ん-、ここのコメント常連は敬服しているだけに、この匿名さんは意外です。

  3. すみません、匿名です。 より:

    >米国でシリコン・バレー銀行(SVB)などが経営破綻した余波でしょうか
    私は事情を知らす、まさかスイスに飛び火するとはです。
    週明けの東京市場開始前に決断しなければ、さらにドイツ銀行に飛び火したかもですね。
    10周期の大不況か、リーマンショック級が心配です。
    (ハンバーガー評論だけではない、エクセル評論だけでない、本も執筆している方のサイトです。知性の格闘もありですね。理解できなかったら、少しは自分の頭で考えて、勉強する、そんな記事ですね。いや理解は厳しいですけど・・)

  4. 元銀行員 より:

    これ思った。AT1のlossはバゼ3の制度設計上当然のことだろってね。最近の若者はリーマン時の衝撃を知らんからね。

  5. ちょろんぼ より:

    AT1・COCO等が雲散霧消する事は解りますが
    この問題の一番大きい事は
    AT1等を雲散霧消した結果、金融機関・投資家が保有している
    AT1等が無価値になると想定できる事です。
    現在AT1等は殆どの金融機関で持ち合いになっており
    そこでAT1等が無価値になると資本が減少し
    資本を増強する手段が株式発行しかなく
    リスクを取る人達が減少するのではないかという問題です、
    最初のケースでは問題無しとされるでしょうが
    これから始まる金融危機時に資本増強を国が
    行う(国有化)しかなくなると思いませんでしょうか?

  6. カズ より:

    「出資者は債権者に非ず」ってことでしょうか?

  7. G より:

    まあ単純にAT1債のプライシングが甘かったということでしょう。ピカピカの懸念がない金融機関なら今のプライシングで問題なかったのですが、すこしでも懸念がある先のAT1債なんて発行出来ちゃいけないんですよ。

    日本のメガバンクくらいなら発行若干延期くらいですみそうですが、韓国あたりじゃAT1債出せる会社なんてないでしょうね。「公的」の信用がないですから、下手打って余計なお世話で条件抵触とかありそう。

    韓国ってレゴランドのときみたいに自治体が入っているはずの保証を拒否したりとか、常識的にはあり得ないことが頻発します。こんなんじゃ外国から韓国に資金入れる人いないですね。

    韓国って金融に限れば東南アジアアセアン諸国よりさらに遅れてると考えます。タイやインドネシアは欧米や日本に習って正常に金融を育てようとしてそれなりの成果をだしますけど、韓国はカッコだけ真似しようとするので、いろいろな所決定的な不備が残る。

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