新聞絶滅の原因はスマホではなく新聞業界の自業自得だ
新聞部数の急減の原因はスマートフォンではない、などと主張する記事を発見しました。結論からいえば、スマートフォンの爆発的な普及は新聞業界の衰退の「きっかけ」に過ぎず、根本的な原因ではありません。もう少し正確に指摘しておくならば、今日の新聞業界の苦境を招いたのは、新聞業界の「自業自得」です。
新聞部数の急減
新聞業界でいま、何が起きているのか
新聞業界ではいま、何が起きているのでしょうか?
新聞の部数が最近になって急激に減っている、とする話題は、先日の『夕刊休廃刊の次に来るのは「本丸」朝刊の廃刊ラッシュ』などを含め、当ウェブサイトではずいぶんと以前から継続的に取り上げてきたテーマのひとつです。
その基礎統計のひとつは、一般社団法人日本新聞協会が発表する『新聞の発行部数と世帯数の推移』というページに掲載されている、2000年以降、2022年までの新聞発行部数に関するデータです(図表1)。
図表1 新聞の発行部数
(【出所】一般社団法人日本新聞協会『新聞の発行部数と世帯数の推移』より著者作成)
いずれも10月1日時点における新聞部数で、図表中の(A)~(C)は日本新聞協会の元データ、(D)~(F)はその元データをもとに著者自身が加工したデータです(※なお、元データには「一般紙」「スポーツ紙」という区分もありますが、本稿ではその区分については取り上げません)。
まずは夕刊から減り始め、朝刊がこれに続く
ここで注目しておきたいのが、(D)の朝刊部数、(E)の夕刊部数の比較です。
図表2は、日本新聞協会のデータが存在する最も古い2000年時点の部数を100と置いたときに、朝刊部数、夕刊部数、合計部数がそれぞれどう推移したかを示したものです。
図表2 新聞部数の指数(2000年=100)
(【出所】一般社団法人日本新聞協会『新聞の発行部数と世帯数の推移』より著者作成)
これで見ると、たしかに朝刊、夕刊ともに減ってはいるのですが、その「減り方」には違いがあることがわかります。
夕刊はすでに2000年代前半から減少が始まっており、2010年には80ポイントを、2015年には60ポイントを割り込んでいて、直近の2022年では30ポイント割れ目前となっています。このことは、夕刊部数はこの20年あまりで3分の1以下にまで減ったことを意味しています。
これに対し、朝刊については、本格的な減少が始まったのは、2010年代後半とみるべきでしょう。
たしかに最近になって減少が加速しているのですが、それでも2015年の時点で指数は80ポイントを上回っているからです。朝刊部数のの指数が60ポイントを割り込んだのは2022年になってからのことであり、逆にいえば、朝刊部数はつい最近まで、意外と減っていなかったのです。
「5年刻み」で確認する、朝刊と夕刊の部数減少速度の違い
2002年を起点にして、朝・夕刊の部数を「5年刻み」にしてみると、朝刊と夕刊の「減少速度」の違いがよりくっきりします。
図表3 夕刊部数(2002年以降の5年刻み)
図表4 朝刊部数(2002年以降の5年刻み)
夕刊に関しては、2017年から22年にかけての5年間で419万部減っており、これを1年あたりに換算すると80万部少々ですが、この減少ペースは2007年から12年にかけての5年間における390万部と比べてさほど大きな変化ではありません。
また、夕刊は2007年から12年にかけての5年間と比べ、その次の12年から17年にかけての5年間の方が、部数の減少速度が一時和らいだのであり、その意味では夕刊部数の激減は、ここ数年で始まった話ではないのです。
これに対し、朝刊の方は、2002年から07年までの減少は93万部(1年あたり約18.6万部)に過ぎず、07年から12年にかけては388万部(1年あたり約77.6万部)、12年から17年にかけては552万部(1年あたり約110万部)と、徐々に衰退が加速。
ついに2017年から22年にかけての5年間で、部数は一挙に1086万部も減りました。1年あたりだと約217万部(!)という速度ですが、それにしても夕刊と比べれば減少速度はまだ緩やかです。
朝刊需要が根強い「4つの仮説」
では、どうして朝刊と夕刊の減少速度にここまで大きな違いがあるのでしょうか。
これについて著者自身は、朝刊には朝刊独自の需要(チラシ需要や訃報欄需要)があり、夕刊にはこれに相当する需要がない、といった事情に加え、新聞社による虚偽の部数(いわゆる押し紙)の存在があるのではないか、と見ています。
【仮説】朝刊部数の落ち込みが夕刊部数と比べ緩やかである理由
- ①折込チラシ…朝刊に折り込まれるチラシを目当てに朝刊を取り続けている世帯がいる
- ②訃報欄需要…地元紙に掲載される訃報欄などには根強い需要がある
- ③夕刊の廃刊…夕刊を廃刊する新聞が増えており、その分、夕刊が朝刊と比べ大きく落ち込んでいる
- ④「押し紙」…消費者に販売されていない虚偽の部数が水増しされている
(【出所】著者作成)
とりわけ上記④については、現在、新聞販売店が新聞社を相手取り、いくつかの訴訟が提起されている状況である(『また「押し紙」疑惑:もし広告主も新聞社を訴えたら?』等参照)ことも、その間接的な証拠といえるかもしれません。
新聞「2036年問題」とは?
ただ、もし「押し紙」などで無理やり部数を維持していたにしても、年間200万部を超す速度で朝刊が減少し続けていく場合、朝刊部数は、14~15年後にはゼロになる計算です(※朝刊部数は2022年で3033万部ですが、17年から22年までの年平均減少部数≒217万部で逆算すれば13.98年です)。
2022年から14年後といえば、2036年です。
現実には朝刊の部数の減少速度が和らぐことは考え辛く、場合によってはこれ以上の速度で朝刊部数は減っていくかもしれません。
さらには、一般に損益分岐点の考え方からしても、部数がゼロになるより前の段階で転・廃業を選ぶ新聞社が続出するでしょうし、2036年を待たずに新聞業界は崩壊すると見るのが妥当でしょう。
いや、もちろん、「デジタル化」にある程度の成功を収めつつある一部の新聞社の場合は「紙媒体」を廃止したうえで新聞事業を継続することも可能でしょうし、某新聞社のように、本業を不動産業に転換しつつ、趣味の範囲でもはや怪文書と化した新聞を刊行し続けるというケースも出てくるでしょう。
ただし、なまじっか消費税の軽減税率という恩恵を受けているがために、新聞社によっては紙媒体からデジタル媒体の転換に失敗し、経営資源を無駄に使ったすえに無残に倒産するというケースの方が多いのではないかという気がしてなりません。
新聞の部数減とスマホの関連性
「スマホが新聞を殺した」説に対する反論
では、なぜ新聞の部数はここまで急速に減り始めているのでしょうか。
これに関し、「スマートフォンの普及が新聞を殺した」とする説に反論するような記事を発見しました。
「スマホが新聞を殺した」は本当? 部数が減ったわけを考える 事態は70年前から始まっていた
―――2023/02/10 7:02付 Yahoo!ニュースより【withnews配信】
リンク先の記事は、株式会社朝日新聞社が運営しているニューズ・サイト『withnews』が配信したもので、記事を執筆したのは『朝日新聞ポッドキャスト』の音声ディレクターです。
既存メディアの関係者が執筆しているという時点でちょっと身構えてしまうという方も多いと思いますが、個人的に少し興味深いと思ったのは、上記の日本新聞協会のデータを中心に、「みんながスマホでネットから情報を得るようになり、新聞と置き換わった」という命題の妥当性を検証する、というアプローチです。
記事ではネットで散見される「新聞の部数の減り方とスマートフォンの関連性」を指摘した記事をいくつか紹介したうえで、執筆者の方はこう指摘します。
「最初に指摘したいのは、新聞の部数の減り方とスマホの普及は特に一致していないということです」。
総務省・情報通信白書によると、2010年に9.7%だったスマートフォンの世帯普及率は、11年に約30%、12年に約50%、13年に約63%とうなぎ上りに上昇し、2021年に至っては88.60%に達しているのですが、この事実に着目しつつも、著者の方はこう述べます。
「スマホが勢いよく保有率を伸ばしている2012年や13年、新聞の部数は前後の年に比べ、あまり減っていません」。
「考えてみると。『念願のスマホを手に入れたぞ、新聞の購読はやめよう』となるんでしょうか」。
そのうえで、新聞の部数が急落したのが「11年から18年にかけて」、「新聞の部数が明確に右肩下がりになったのは2008年頃」、といったネット上の記事の主張を否定し、スマートフォンの普及と新聞部数の低下の関係を否定するのです。
さて、これについてどう見るべきでしょうか。
議論にはさまざまな穴がある
結論から言えば、正直、この記事の議論にはさまざまな穴があります。
「スマートフォンの普及が新聞部数の減少に寄与した」とする説を証明するにしても否定するにしても、単純に「時期」だけで議論できるものではないからです。
たしかに2010年以降、「新聞購読をやめる」ためにスマートフォンを入手したという人が多数を占めていたとは考えられませんが、それと同時に、何年かスマートフォンを使用し、徐々にその操作に習熟するにつれて、「紙媒体の新聞がなくても良いではないか」と気づく、というケースもあったのではないでしょうか。
それに、スマートフォンの爆発的普及だけでなく、それを支える環境の変化も見逃せません。
たとえば、当ウェブサイトでもしばしば指摘しているとおり、今から約10年前の2013年3月には、画期的な出来事がありました。日本最大の人口を抱える首都圏の交通を支えている東京メトロ全線で、携帯電話の利用が可能になったことです。
平成25年3月21日(木曜)正午より、東京メトロの全線で携帯電話が利用可能に!
―――2013年3月18日付 株式会社NTTドコモHPより
また、スマートフォンの普及に伴い、徐々にスマートフォンに適した画面表示のニューズサイト、ニューズアプリなどの開発が進み、それに伴い紙媒体の新聞を購読するという需要が徐々に低下してきた、という仮説も成り立つ余地があります。
このような推論を重ねていくならば、ネット環境の普及が紙媒体の新聞の減少の原因ではない、などと結論付けるのは、いささか乱暴です。
それに、上記で指摘したとおり、そもそも新聞部数のデータをもとに他メディアとの関係を議論するならば、最低限、朝刊と夕刊に分けてデータを分析すべきでしょう。夕刊部数には朝刊部数の「先行指数」という側面もあるからです。
さらには、「押し紙」などにより、朝刊部数自体がかなり水増しされていたという疑いや、朝日新聞の部数が「2014年に」減少した理由などについて、記事で一切触れられていないのは、議論としては不十分と言わざるを得ませんし、残念です。
「スマホだけが原因ではない」ことは間違いないが…
もっとも、新聞部数の大幅な減少は、スマートフォンの普及と無関係ではないにしろ、スマートフォンの普及だけで説明がつくというものでもありません。『数字で見る新聞業界の現状と未来』などでも述べてきたとおり、もっと「根源的な」原因があると見るのが妥当でしょう。
その根源的な原因とは、新聞の側の不便さと、ネットの側の利便性にあります。
考えてみればわかりますが、新聞には「▼情報が遅い、▼重くてかさばる、▼値段が高くて読み比べができない」、などのデメリットがあります。
そもそも新聞の本質的な価値は印刷されている情報にあるのですが、これを物理的に紙に印刷して地球温暖化ガスを撒き散らしながら配達するというビジネスモデル自体、役所ですらペーパーレスが推奨されている時代、いかに「時代遅れ」かがよくわかるでしょう。
それに、一般家庭で新聞を2紙も3紙も購読するというケースは、さほど多くありません。
かつての日本の家庭では、朝日新聞を購読する場合は朝日新聞のみ、読売新聞を購読する場合は読売新聞のみを読む、という購読パターンが一般的だったはずです(稀に「朝日+日経」、「全国紙+地方紙」、「一般紙+スポーツ紙」、といった購読パターンもありましたが…)。
著者自身、かつては仕事の必要もあって、日本経済新聞、日経金融新聞、Financial Times、the Wall Street Journalに加え、各種業界紙・誌などを同時並行でいくつも購読していたのですが、こういうケースはまれでしょう。
さらには、せっかく新聞を購読していても、それらを過去何年分も自宅に保管することはできません。新聞は思った以上に場所を取るからです。各家庭では新聞を保管していたとしても、せいぜい1~2ヵ月分が関の山ではないでしょうか。
したがって、新聞だと、過去の記事を検索することが難しいのです。
もちろん、図書館に行けば過去数日分の新聞に加えて縮刷版などが設置されていることもありますが、それらを調べるためには「わざわざ図書館に行かなければならない」のです。なんとも不便な話です。
こうした状況を踏まえると、ネットでの情報検索がいかに便利かがよくわかります。
新聞にはない、ネットの「3つの利点」
まず、ネット情報には物理的な「重さ」がありません。
それに、ネット上ではたいていの記事は無料で読めます。したがって、同じ出来事に関する記事であっても、人々は「朝日新聞はこう報じている」、「読売新聞はこう報じている」、といった具合に、メディアによってどのように報じられているかを確認することができるようになったのです。
これを当ウェブサイトでは、情報の「ヨコ検証」と呼んでいます。
(※余談ですが、最近だと大手紙のウェブサイト等を中心に有料記事も増えていますが、こうした「記事有料化」の試みが本格化したのはつい最近のことであり、果たしていままで無料で読めていた記事に対し、人々が「おカネを出してまで」読むものかどうかについては、もう少し見極めが必要でしょう。)
そして、多くの場合、情報はネット空間に残ります。
NHKのように記事を削除するのが異常に早いメディアもありますが、多くの場合、過去の記事を参照することは容易であり、したがって、あるメディアが特定の事件などについて、どのように報じていたかを、あとから検証することが可能なのです。
これを当ウェブサイトでは、情報の「タテ検証」と呼んでいます。
ネット上ではこの「情報のタテヨコ検証」が簡単にできるようになったという特徴があるのですが、それだけではありません。
ツイッターや『Yahoo!ニュース』の読者コメント欄などを通じ、私たち一般読者が記事に対し、気軽に感想を述べたり、批評を加えたりすることができるようになったのです。
これが、「情報の双方向化」です。
紙媒体の新聞と比べネットが優れている点の例
- 情報のヨコ検証…同じタイミングで複数のメディアの報道を「ヨコ串」で簡単に確認できるようになった
- 情報のタテ検証…同じメディアが報じた内容を、時系列で簡単に確認できるようになった
- 情報の双方向化…ネット空間において、情報がメディアからだけでなく、読者からも流れるようになった
(【出所】著者作成)
つまり、ネット空間には、新聞にはない決定的な利点が少なくとも3つ存在する(逆にいえば、紙媒体の新聞はネット空間と比べ3つの点で決定的に劣る)、ということなのです。
本質的には「情報の透明性」にあり
じつは、これだけでもかなり大きな変化ですが、それだけではありません。
これらがもたらす本当の変化とは、「人々がメディアの報道を簡単に検証できるようになった」ことです。あるいは、「情報の透明性」、とでも申し上げるのが良いでしょうか。
ここで、世の中の「報道」と呼ばれている情報には、基本的に必ず2つの要素のどちらかに分類できます。ひとつは「客観的事実」、もうひとつは「主観的意見」です。
このうち「客観的事実」とは、どこの誰がどう報じても同じになる情報のことであり、「主観的意見」はこれと逆に、報じる人によりまったく異なる内容となる可能性がある情報のことです。たとえば、次のような情報は、ここでいう「客観的事実」です。
「2023年2月10日午前8時頃から午後3時頃にかけて、東京・新宿区で降雪があった」。
これについては「2023年」の部分を「令和5年」と表現する場合もあれば、「午前8時頃」を「午前7時53分」(※適当です)などと厳密に表現する場合もありますが、ただ、文章の主要な構成要素がこれで大きく変わるというものではありません。
しかし、これをこう書き換えると、「主観的意見」となります。
「この降雪は東京の交通に大変に深刻な影響を与えかねないなど、日本経済が麻痺する懸念が生じるものだった」。
「大変に深刻な影響」という主観的な表現のあいまいさもさることながら、「日本経済にとっての脅威」という表現も、よくわかりません。もちろん、東京は日本経済の中心地といわれますが、それにしてもその東京都の一部地域に雪が降ったくらいで「日本経済が麻痺」というのも大げさな話にも聞こえます。
雪国の人から見れば、積もってもたかだか数センチから十数センチという東京の積雪量など、鼻で笑うレベルでしょう。
ただ、現実に2月10日のメディア(たとえば地上波テレビなど)は、この2月10日の東京の積雪を全国ネットで大々的に報じたようです。キー局が東京に所在する以上、これも仕方がない話なのかもしれませんが、それにしてもおかしな話です。
いずれにせよ、東京の局地的な天候を大げさに取り上げる新聞、テレビなどのオールドメディアの報道姿勢は公正性を欠いていることもありますが、これも「東京の悪天候」という「客観的事実」に「これはおおごとだ」というオールドメディアの「主観的判断」が組み合わされていることで生じている現象です。
WBPC問題を報じないオールドメディア
これに対し、ネット空間で情報の「ヨコ検証」「タテ検証」「双方向化」が実現したことで、人々はこの「客観的事実」と「主観的意見」を明確に峻別できるようになりつつありますし、さらには「客観的事実」に関する情報が簡単に手に入るようになったことで、「主観的意見」の優劣を競う土壌がネット空間に出現しているのです。
この「主観的意見」に関しては、「大手新聞社の社説」であれ、「首都圏の駅名を冠した怪しげな自称会計士が駄文を書き連ねるだけのウェブサイトのコラム記事」であれ、ネット空間では対等です。
さらには、例の「Colabo問題」などのように、その「客観的事実」そのものを、オールドメディアがほとんど報じないという事例もあります。いわば、「報道しない自由」と呼ばれる、オールドメディアが問題を「黙殺すること」を通じて「存在しなかったことにする」という現象が、ときどき発生するのです。
ただ、この「Colabo問題」(最近だと「Colabo」以外にも「若草プロジェクト」「BONDプロジェクト」「ぱっぷす」の4団体を合わせて「WBPC問題」などと総称されるようですが、この問題はツイッターなどで「暇空茜」というアカウント名で活動する男性が地道な調査の結果、たどり着いたものでもあります。
そして、WBPC問題は「大手オールドメディアに所属するジャーナリストでなくても、客観的事実関係を探り当てることができてしまう」という実例を作ったという意味において、日本社会にとっては極めて画期的な事件と言えるのではないでしょうか。
それと同時に、こうした「報道しない自由を駆使して事件そのものを闇に葬ってしまう」というオールドメディアの腐敗体質と、ネットを通じてこうした腐敗体質が暴かれたことこそが、「新聞の部数の急減」の本当の原因ではないか、というのが著者自身の読みです。
早い話が、人々が現在の新聞社に対し、根深い不信感を抱いている、という仮説です。おそらくこの仮説が「正解」でしょう。
なんのことはありません。
スマートフォンは新聞業界を絶滅に追いやるための「きっかけ」のひとつに過ぎず、本当の原因は新聞業界の自業自得だった、というわけです。
新聞、テレビ業界を待つ未来
新聞業界、早ければ2036年を待たずに消滅も?
この仮説が正しければ、2つの未来が予測できます。
ひとつは新聞業界で、主だった新聞社・通信社の経営難、企業再編、倒産などの流れです。
日本にはいくつかの全国紙、ブロック紙、地方紙と、それらの新聞社に情報を提供する2つの大手通信社(時事通信、共同通信)が存在しますが、現在のところ、日経新聞社などを除き、これらはいずれもネット戦略に成功しているとは言い難いようです。
著者自身の「主観的意見」に基づけば、その理由は、一般国民にとって現在のオールドメディアが流す情報は、わざわざカネを払ってでも読みたくなるような代物ではないからです。新聞に掲載される社説などの論説のクオリティは、下手な個人ブログよりも低かったりもします。
そうなると、数年前に「税法上の中小企業」になった某全国紙を含め、経営難に陥る企業もこれから出て来るでしょう(いや、すでに経営難に陥っているのかもしれませんが…)。
当然、それにともない弱小企業同士が合併により生き残りを図るという事例も出て来るでしょうし、それすらも失敗すれば、最悪の場合は倒産・廃業の未来しか待っていません。これが例の「新聞社の2036年問題」の論点です(紙媒体の新聞は、下手をすると2036年を待たずにほとんど絶滅するかもしれませんが…)。
現在の新聞業界は5~10年先のテレビ業界
ただ、話は新聞業界に限られません。テレビ業界にも同じことが言えます。
YouTubeをはじめ、インターネット空間には豊富な動画が(多くの場合は無料で)公開されており、それらは玉石混交であるとはいえ、なかには地上波テレビを上回る良質なコンテンツを個人ないし中小企業が制作している、という事例も出始めています。
テレビ業界の場合、「総視聴者数」などの概念はありませんが、それでも総務省『令和4年版情報通信白書』などによれば、近年、インターネットの利用時間が徐々に増える一方で、テレビの利用時間については、どの年代でも一様に減っていることは確認できます(図表5)。
図表5 全世代・メディアの平均利用時間(平日、単位:分)
(【出所】総務省『令和4年版情報通信白書』図表3-8-1-3のデータを著者が加工)
ことに、若年層になればなるほど、インターネット利用時間が新聞、テレビ、ラジオなどをはるかに上回っていることが確認できますが、今後もこの傾向は、進むことはあっても戻ることはないでしょう。現在の新聞業界は5~10年後のテレビ業界の姿なのです。
オマケ:読者の反応
さて、本稿の末尾は、最近「恒例」となりつつある「ヤフコメ」の紹介です。
先ほどのwithnewsの配信記事に対しても、良質な読者コメントが多数寄せられているのですが、そのなかでも高評価なものをいくつかピックアップしておくと、本当に参考になるものが多いです(※引用に当たっては、大意を変更しない範囲で修正しています)。
「最大の理由はニュースがネットによって可視化されたことにある。それまで新聞やテレビなど一方的に報じられていたが、ネットの普及によって『実際の内容と異なる報道』も多いことに気づく人が増えた。『報道しない自由』を行使し、真実をきちんと伝えてくれないようなメディアが廃れるのは当然」。
「インターネットは『速報性』で優位をもっていたが、次第に扱う情報量もオールドメディアを圧倒するようになりつつある。新聞を読むには購読料が必要だがネットは基本無料。新聞を広げて必要な情報を拾うのはタイパ<※>も悪い」(※引用者注:「タイパ」とは『タイム・パフォーマンス』の意か?)。
「新聞部数が減る理由はたくさんあるが、総括するなら『時代にあったサービスを提供できていないビジネスだから』につきる。左に偏り過ぎ、しっかりとした公平な情報が得られない以上、どうせ『他紙と比較しながら読む』必要が生じるならスマホを使うのが手っ取り早い。新聞社の系列テレビもつまらないから、カネをかけるならサブスクの方が魅力的だろう」。
「新聞の部数が減った理由は、スマホではない。人々が新聞の記事に価値を見出せなくなったからだ。偏向報道、捏造報道、印象操作、発言の切り取り、近年の新聞テレビの傲慢な態度…。自分たちの不都合なことは決して報道しない『報道しない自由』を行使する人たちの作る記事に価値はない」。
…。
どれも辛辣ですが、少なくとも高評価順に並べた際に、新聞社を擁護するような意見がほぼ皆無だというのは、さらに興味深い点でしょう。
そして、少なくとも新聞がない世の中というものが、新聞社の「中の人」たちが喧伝するほど悪い社会ではないことについても、どうやら間違いないと思うのですが、いかがでしょうか。
本文は以上です。
日韓関係が特殊なのではなく、韓国が特殊なのだ―――。
— 新宿会計士 (@shinjukuacc) September 22, 2024
そんな日韓関係論を巡って、素晴らしい書籍が出てきた。鈴置高史氏著『韓国消滅』(https://t.co/PKOiMb9a7T)。
日韓関係問題に関心がある人だけでなく、日本人全てに読んでほしい良著。
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【おしらせ】人生で10冊目の出版をしました
自称元徴用工問題、自称元慰安婦問題、火器管制レーダー照射、天皇陛下侮辱、旭日旗侮辱…。韓国によるわが国に対する不法行為は留まるところを知りませんが、こうしたなか、「韓国の不法行為に基づく責任を、法的・経済的・政治的に追及する手段」を真面目に考察してみました。類書のない議論をお楽しみください。 |
【おしらせ】人生で9冊目の出版をしました
日本経済の姿について、客観的な数字で読んでみました。結論からいえば、日本は財政危機の状況にはありません。むしろ日本が必要としているのは大幅な減税と財政出動、そして国債の大幅な増発です。日本経済復活を考えるうえでの議論のたたき台として、ぜひとも本書をご活用賜りますと幸いです。 |
気のせいでしょうか。日本の国際緊急援助隊の活躍を見たいと思って探しても、nhk ではほとんど見つかりません(nhkプラスで見たいnewsだけを抽出しています)。ローカルnhkで3人の消防レスキューが出陣式という動画が検索されただけ。おそらく、東京在住nhkの自称エリートたちは、「日本を褒めると(戦争になって)死ぬ病」にかかっているとしか思えません。
(nhk見ている言い訳:うちは田舎故地域町内会丸ごとnhkに金払ってますので、テレビ捨ててもお金とられるし、手続きが面倒なので。ただ、独立した子は自発的に必要がないと言ってテレビ持ってませんので、いずれnhkも潰れるでしょう)
解約しに町内会に言いに行きなよ
言い訳はいらない
理系初老様、
いくら田舎と言ってもそんなところがあるんですね。
初めて聞きました。
私の実家も田舎ですが各々払ってます。
新聞が無料記事の配信を何処まで絞れるか、ってところや、購読数が減ると新聞の嘘捏造歪曲報道への社会のアンテナ感度が下がるかも、って懸念がありますが、それはさておき。
新聞の社説などよりも質の良いコラムを書いている評論家が居れば、新聞社が採る手段はその評論家に定期的なコラムを書いて貰って取り込む、ではないかなぁと考えるのですが。
今のところ、意識高い系の政治系ふんわり芸能人に甘っちょろい事を書かせたり、ダブスタ上等!な左派学者に国民目線とはかけ離れた偏向文を書かせたり、って感じですね。
福沢諭吉クラスの重鎮が書くコラムが今現在の新聞紙のコラムとしてあるかなぁ…と、ふと思いました。
新聞社は早晩あさま山荘化していくだろうと考えています。
立て籠もっているのは新聞記者であり、彼らの罪をひとことで要約すると「独善」です。
NHK も同じ運命を辿ることになるでしょう。
あさま山荘事件みたいに内ゲバリンチなんかも、起きるかもしれませんね。
マスメディア同士より、まず日本共産党や立憲民主党あたりを朝日新聞社や毎日新聞社が叩き始めるのかな。
池に落ちた犬を叩く系の文化ですね。
(笑)
一般社団法人日本新聞協会には新聞販売所従業員数、販売所数の推移という統計もあり、2001年を100として2022年のそれぞれの数値を比較すると、
販売所従業員数:2001年/100・・・2022年/50.5
販売所数:2001年/100・・・2022年/63.0
発行部数と同じようにこちらも大きく減少しています。
部数の急減の理由の1つに、販売店の減少ということも大きいようです。
私の実家でも販売店の閉店を理由に新聞を変えていました。
年寄りなので新聞無しの生活はできないからでしょうが、もう少し若い世帯なら閉店を機に購読をやめる人も多そうです。
販売店は、部数の減少による売り上げ減、ほぼ人海戦術というビジネスモデル(配達やチラシ折込)、人手不足、高齢化・・・
新聞社以前に、末端の販売店の方が持たないでしょう。
あと私の住む地方都市では駅やホームのキヨスクが消滅し、新聞は通勤途中で気軽に手に入るものではなくなりました。
いつのまにか従業員も半減していたのですね。
そのうち、郵便配達員が夕方に朝刊を届けるか、定年後の方のアルバイトでしょうか。
販売店の減少で逆に配達範囲が広くなり体がガタガタになりそう。
>新聞社以前に、末端の販売店の方が持たないでしょう。
運送業でも危機が叫ばれてますね。これからの人手不足とか2024年問題もありますし。
https://news.yahoo.co.jp/articles/5d70adceb2524c2fadb075dd9bbacb09788cff87
アジビラ化をやめて不偏不党、公平公正な客観的報道を心がければ新聞の存在価値はネット社会が進んでもずっと続くはずなんですけどね。
自らが破滅の道に進んでいるだけです。
それを実現しているが番組欄だけではネットに勝てませんね。
そのテレビ欄も、自社系列のテレビ局に文字通り色を付けたり、時刻バー隣の見やすい位置に持ってきたり、「公平公正」というには…他局を端折らないだけマシですが。
落ち目の岸田文雄宏池会政権が、落ち目の NHK テレビ放送や落ち目新聞産業とタッグを組んで、ファシズムへの道を突っ張るのではないか。
当方がこのような考えに至ったのにはちょっとしたきっかけがあります。ご年配の方にはこの手の話にはピンとくるものがあるのではないしょうか。
そもそも論ですが、新聞に限らず、ある業界が苦境になった場合、その原因が業界にあるとは考えずに、業界の外にだけ原因があると考えないと、(一部例外を除いた)その業界の人間の感情はもちません。それから、その業界外の原因を取り除くためにスマホを規制できないか、と考えるのか、スマホありきを前提として、どう対応しようかと考えるかは別の話です。
蛇足ですが、日本マスゴミ村の人間としては、村の外の人間が見つけて、完全に出遅れてしまったWBPC問題を今から報道することは、感情的にできないのではないでしょうか。
ふと思ったのですが、WBPC問題、WBPCだけでなく、責任問題になりそう国会議員も東京都都庁職員も、マスゴミも、「スマホ(ネット)さえ、なければ」と思っているでしょう。(その意味では、「なんだ、新宿会計士は。余計なことをしやがって。事実陳列ハラスメントだ。愚民が我々の不都合な事実を公開するとはけしからん」と思っているかもしれません)
毎度、ばかばかしいお話しを。
マスゴミ:「我々の職務は、WBPC問題で、東京都の発表を伝えることで、東京都が発表しないことは伝えることは出来ない。そんな能力もない」
この話は、2023年2月13日時点では、笑い話である。
12年程前に起きたお台場のテレビ局前でのデモ、なぜ報道しなかったのかとの問いに「デモをするという案内がこなかった」という話をWebで読んだ記憶があります。
2000年ごろは新聞各社のwebサイトがすべて無料で、そこはジャンルの広さ、速報性など他のメディアに対し優勢であった。ただ当然これを続けると紙の部数が減る。そこで各社はwebを有料化し無料記事の量を激減した。このとき料金設定を紙の購読料金+αにしてしまったのが、転機だったと思う。もしここで年間1000円くらいのサブスク(Amazonプライムの価値からみれば、これくらいが新聞記事に出せるMax)に踏み切っていれば、ネット上の優位性を保ち続け、事態は変わっていたかもしれない。
なるほど、1紙だけなら紙の半額以下、全紙読み比べても紙の2倍程度の金額で収まっていれば、テレビ欄と社会面しか見ない御家庭も「日経ともう1紙」のサラリーマンも取り込めて、”新聞を読む習慣”を維持できていたかも知れませんね…
新聞凋落の原因を探るのであれば、なぜ新聞を定期購読するのかを考えた方がいい。
いまでもテレビ欄は多くの新聞で最終面にある。折ってある新聞を広げると最初に目につく見やすい場所だ。
昔、自嘲的に新聞を定期購読する理由の1つに「テレビ欄」の存在が言われていた。テレビ欄以外に用がないという読者が多いという意味だ。今はテレビ自体に番組表が組み込まれていて、新聞でテレビ番組を調べるという需要はなくなっているのではないか。
株式欄もそうだ。一般の投資家にとって株価は新聞の株式欄で知る以外になかった。タイムリーな株価を知りたい人は証券会社の店頭の椅子に座って電光掲示板を眺めるということをしていた。今はスマホ、PCで株価の動きタイムリーに調べることができる。新聞の株式欄は無用の長物になってしまった。
経済的な問題もある。
月に4-5千円、年間5万円の出費は痛いのではないだろうか。まして上記のテレビ欄、株式欄のように無用のコンテンツがある状況では。
スキャンダルで部数を大きく減らすこともある(毎日の外務省機密漏洩事件、朝日のサンゴ事件、慰安婦報道、吉田調書事件等)が、この場合は他の新聞に移っている可能性が大きいので新聞全体では影響が軽微かもしれない。
ただ、このようなスキャンダルに失望して読者が減るという事は、いまだに新聞に期待している人もいるという事なのかもしれない。
東京の降雪での例えですが、地方民からすると更に思うところがありまして。
朝に新聞でその報を目にした時、または夜に一家でTVを囲みその報を聞いた時、思うことは「いや東京の話なんてどーでもいいわ」です。まぁ東京が麻痺したら影響もあるにはあるのですが。
天気予報なども朝昼晩と放送してはいますが、全国の一日の天気なんてまぁ雰囲気はわかった気になるが正直どうでも良い。県庁所在地の天気ですら意味が無い。仕事で必要で監視する天気予報なんて市町村別・1時間毎の天気です。
そういえば、数年前の大雪の際は東京ではあーだこーだと情報がしっかり流れていた割には、こちらの近所で静岡ナンバーの大型トラックがスタックしていたり、先日の雪でもさんざ最強寒波がーとか言われてたのに近所で多摩ナンバーのセダンが交差点を通せんぼしてたり。まぁこれは受け手側の問題もありますが。
大規模メディアゆえに、限られた紙面・放送時間などのリソース限度内で最は大層向けの情報をメディア側が取捨選択して流すしかない。ネットメディアでは必要と思われる各層に適した情報を小分けにして掲載し視聴者が勝手に選んで見る。受け手としてはどちらが有用か、です。
>図表3 夕刊部数(2002年以降の5年刻み)
最近の5年間は販売店も押し紙を抱える余裕が完全に余裕がなくなったのでしょうか。
コロナ感染予防で購読者層の外出が減り、地域のチラシの効果がなくなり収入減とか。
(押し紙を含めた偽装部数で広告主を騙していましたが、チラシ収入がなくなった?)
リンク先yahooの記事の新聞代の値上げの話
最近の物価高が定着してインフレの世界になれば、家庭でもムダの削減をして支出を抑えますので、新聞紙が家庭での審判に果たして耐えれるのか。物価高が新聞社の倒産開始の号令になるのか心配です。
秘書官とのオフレコの話を公開する。なぜなら記者が思う社会正義をなすために必要だから(意訳)。
オフレコという前提で記者に気を許してしまいつい内心の話をしてしまった。そんな軽口レベルのことをスクープにする。
最近起こったこの例のようにジャーナリストが自身の思想のために公器として軽減税率が適用されている新聞紙面を私物化するのが横行している実態。
慰安婦捏造も珊瑚KYも、そしてモリカケも同根でしょう。
自身の思想のためには捏造も偏向も掟破りもおかまいなしで自身と違う思想を攻撃する。それも一方通行で。
相手は新聞紙面上という同じテーブルでは反論も弁明もさせてもらえず、ただ発言を切り取らればらまかれるだけ。
こんなのはただの世論誘導、扇動装置でしかない。
この双方向の時代にこんなことをやってれば見限られるのも当然。
ネットに接続すれば多様な意見があることが知れるのに、わざわざ金を払って私的思想を購読するのはニュースを知る手段として片手落ちだし娯楽としてもコスパが悪い。
報道しない自由、一方的に色付け、角度をつけられた報道…フラットな報道で受け手に考えさせるのではなく、自分達の思想や感情、利益に沿った報道の仕方をひたすら続けてきたツケですねぇ
連続強盗組織の指示役を某漫画の主人公の名前で連呼するような報道もされてましたが、アレもまたオールドメディアに関わる人間の鈍さ、傲慢さが滲み出てると思う
本日の連載で、作中のメディアに関わるキャラクターが「嘘か本当かじゃねえ!新聞はエンターテイメントだ!!」と発言していたのには、現実の報道に対する作者の苛立ちと諦観を感じたな
各新聞社には「色」があって、その色は「立ち位置」と言ってもいいと思うのですが、極左の新聞から、やや左寄りの新聞で売り上げの減少幅に『差』が出ているのか気になるところです。
世間一般的には右寄りとされる産経新聞ですが(私は一番公平な新聞だと思ってますが)、部数減少率に差があるとすれば、仰る通り「偏向」「嘘・捏造」「報道しない自由」などが大きく係わってそうですが、もし差が無いとすれば、それらは業界消滅のホンの1つに過ぎないのかもしれません。
10年後20年後には紙の新聞は無くなっていると言う話はその通りだと思うのですが、コンテンツを作成する記者と言う職業の需要は残るかと思います。
新聞社がそう言った記者を抱え込んでいられなくなったら、この業界はどうなるかに関心があります。フリーライターが増える?彼らを束ねる新たな組織ができる?ライター格付けサイトとかができる?…もくもくと妄想が
まんさく さま
>フリーライターが増える?彼らを束ねる新たな組織ができる?ライター格付けサイトとかができる?
ネットがライターの格付けをするのは必然と考えます。そうゆうやり方でしか「支持」を量ることはできないからです。
食べ■グなんかよく問題視されますが、情報操作を生業にしていた連中の格付けとか、間違いなくソレ以上に組織票や操作、買収があるでしょうね……ランク上位がほぼ朝日あがり記者なのに、読者の高評価が全くない、とか。
格付けではありませんが、ネットメディアではライターの名前を気にする風潮は既にあると思います。軍事ネタ界隈でも、自衛隊をこき下ろす記事しか書かない御仁が居ますが、大抵の記事に「K谷かと思ったらK谷だった」などとコメントがついています。必要な指摘もあるものの、ほとんどがイチャモンという。
現状のように不偏不党を騙ってランクを競うよりも、そのライターの色や所属を明らかにして真の公平性を押し出す方が、彼らはまだ生き残れると思いますけどね。生き残り数のパイは限られるでしょうけども。
まんさくさま
>新聞社がそう言った記者を抱え込んでいられなくなったら
おじさん新聞記者は、自分の定年後のことは考えていないのではないでしょうか。
格付けサイトの信憑性が議論の対象になるのは健全な証拠ですw
だってみんな知っているでしょう、twitter JP 事件の「不可解さ」を。
皆さん、コメントありがとうございます。
確かにネットによる評価ってのは有りますが、ネットもAIを使った言論操作とか広がりそうですし、かつて語られたネットの集合知とかも社会の分断を見ると怪しいもんだと思います。
ああ、おじさん記者も厚生年金が貰えなくなると困るので、会社の存続には関心があるかと思います。
事件・事故の当事者が直接情報発信できる今の時代、新聞社が潰れて無くなっても、ニュースの伝送経路が変わるだけで、受け手が困ることはないでしょう。
それよりも、日本の新聞社はさまざまな文化・芸術イベントや、スポーツイベントを主催・後援しているので、新聞社が潰れて無くなったら、それらのイベントが受ける影響のほうが大きいだろうと思います。
「夕刊休廃刊の次に来るのは 「本丸」 朝刊の廃刊ラッシュ」 のコメント欄にも、同じ意見の方がいらっしゃいました。
https://shinjukuacc.com/20230208-03/#comment-258559
>新聞衰退で心配なのは、新聞社がスポンサーとなっている囲碁の棋戦が縮小や休止となることです。実際に賞金額が減る傾向にあります。スポーツイベントなどでもそうだろうと思います。
コロナ禍で演劇やコンサートが中止になっていた頃、平田オリザという劇作家が 「自分達は文化という高尚なモノを担っているんだから、優先的にコロナ助成金をよこせ」 みたいなツイートをして、大炎上したことがありましたが、オールドメディアが無くなると、こういう人達も公金チューチューしようとするでしょうね。
(フランスのように、文化・芸術に多額の補助金を出している国もありますが、もし日本がやるなら、真っ先に補助すべきはアニメでしょう。アニメーターの労働環境を改善して、中韓の下請けに出す構造をなんとかすべき。)
朝日新聞、毎日新聞は明らかに左寄りの報道をしています。
信頼できないメディが淘汰されるのは当然です。
欧米ではテレビと新聞が同じ経営者である事を禁じています。
日本ではさらに新聞社を買いとる事もできません。
何だか共産圏のようなマスコミの形態が淘汰されてしまうのは時代の流れで当然の事ですね。
ロシア産のカニの供給が減り、皆さんカニを食べなくなったので、下敷きの新聞の需要が減り、業界が危機に瀕しているに違いない。
カメラ付き携帯電話登場で全国民特ダネ報道記者誕生で既存マスコミ終了。ニュース番組は生放送と言っても取材映像を流しているのは過去の出来事、新聞は資料価値しかなくYouTubeの速報性に勝てない限り使命は終了。
新宿会計士様いつも参考にさせていただいています
新聞の衰退の原因ですが
スマホそのものより、スマホでSNSを利用するのが広まったのが大きいかなと
個人的には考えて居ます。
マスコミの報道のおかしさ、特定の政治勢力や特定の外国の立場に立った不公平さ、
以前の論調と矛盾、物証や論拠を無視した印象論、注目を集めるための煽り等々は
2000年頃よりネットの掲示板やブログで指摘はされていましたが
これらは一般国民には「探しに行かないと触れられない情報」でした
しかしSNSでは利用している個人個人にタイムラインに日常の情報や
コミュニケーションに混じって、こうした情報入ってきて
能動的に探しに行かなくても触れる事が多くなりました。
また
マスコミ自身のSNSでの書込や記事紹介には
速攻でおかしな点のツッコミが入る様になり
さらにそれらが掲示板やブログより遙かに早く広範囲に拡散される様になりました。
あと、マスコミはSNSで影響力を行使しようと
ハッシュタグでの多数派工作をやろうとして喝破され
自爆もしていますね。