日本人は約束を守ることを重視する民族ですが、世界は広いので、約束を守ることが軽視される国・地域もあるでしょう。これは「良い」「悪い」の話ではありません。単純に、「価値観が違う」のです。もっとも、約束を守る国には守る国なりに国際的な信用がつきますし、約束を平気で反故にする国には、国際的な信用が損なわれていくことになります。これは、当たり前の話です。
目次
地理的に遠くても価値を共有する国と
日本外交は価値重視に舵を切った
『外交青書:基本的価値の共有相手は韓国ではなく台湾だ』などでも申し上げたとおり、安倍晋三、菅義偉の両総理のイニシアティブで、日本の外交は「地理的な近さ」ではなく、「価値観の近さ」を重視する方向に舵を切ったというのが、当ウェブサイトにおける基本認識です。
FOIPを最優先にした日本外交が迎えた大きな転換点昨日の『日本政府、外交青書でFOIPから中韓を明らかに除外』で「速報」的に取り上げたとおり、今年の外交青書における最大のポイントは、「自由で開かれたインド太平洋(FOIP)」の優先順位が中韓よりも上位に来たことではないかと思います。まさに、日本外交にとっての転換点でしょう。外交青書から判明する「日本外交の転機」外務省が27日、『外交青書一覧』のページにおいて、『外交青書・令和3年版(※PDF版/大容量注意)』を公表したとする話題は、昨日の『日本政... 外交青書:基本的価値の共有相手は韓国ではなく台湾だ - 新宿会計士の政治経済評論 |
この「価値外交」、著者自身の理解によれば、日本が大切にしている「自由、民主主義、法の支配、人権」といった基本的な価値、さらには「ちゃんと約束を守る」「ウソをつかない」といった、もっと基本的な倫理観などを共有している国と、深いおつきあいをしましょう、という考え方のことです。
ただ、冷静に考えてみたら、これは当たり前の話でしょう。
外交関係も結局は人間関係と同じで、地理的には多少離れていても、なにかと「ウマが合う相手」との方が付き合いやすいものです。
おそらくは古今東西、どんな外交関係であっても、隣り合う国同士は交流が活発になるものですし、その分、お互いの価値観の違いが目につくのも仕方がありません。
たとえば、日本の場合だと、いったん約束すれば、もしもその約束した内容に多少の不満があったとしても、それを蒸し返したりせず、ちゃんと最後まで守ろうとしますし、約束を途中で破るのはとても恥ずかしいことだという認識があります。
したがって、「約束を破るのはわが国の文化だから、日本はそれを理解しなければならない」、などといわれても、私たち日本人としては、困惑する限りですし、「約束は守ってください」と返す以外に方法はありません。
韓国メディア『中央日報』(日本語版)に昨日、ある意味で凄い記事が掲載されました。やや乱暴に要約すれば、「約束を破るのは韓国の文化みたいなものだから、日本はそれを容認しろ」、という議論です。正直、呆れて物も言えない低レベルな主張ですが、ただ、私たち日本人が対応せねばならないのは、「相手に約束を守らせること」ではありません。「相手が約束を破る国である」ことを前提としたうえで、関係を薄めて距離を置くことと、可能であれば適切な罰を与えることです。韓国はインチキ外交の国韓国と北朝鮮、5つのインチキ外交... 韓国メディア「約束破りは韓国の文化。日本は理解を」 - 新宿会計士の政治経済評論 |
いずれにせよ、基本的価値を共有していない相手とお付き合いしようとすれば、それだけでもかなりの体力を奪われます。
それだったら、多少地理的に離れていたとしても、ちゃんと日本と基本的な価値を共有している相手を見つけ、外交も防衛も経済も、そうした相手と深い関係を結んでいくべきではないでしょうか。
良い、悪いの問題ではない
ここで誤解してほしくないのですが、日本のような「自由、民主主義、法の支配、人権」、あるいは「ウソをつかない/約束を守る」などの基本的価値は、世界的に広く受け入れられているものではあるにせよ、万国共通のものとは限りません。
たとえば、著者自身の個人的知り合いが教えてくれたエピソードによると、とある宗教を信奉する国の場合、契約書に署名した直後に、相手の会社の社長がその契約書を守るかどうかは「神の御心次第」、などと平然と言い放ち、実際に債務不履行を起こすこともあるのだそうです。
つまり、その国では契約、約束などが守れなかったとしても、それは「神がそう決めたのだから仕方がない」、などと考えるのだそうです。
これは、良いか悪いか、という話で申し上げているものではありません。
世界は広いですから、日本のように「約束を守ること」、「ウソをつかないこと」に価値を見出す文化もあれば、日本と異なり、「約束など平気で反故にする」、「ウソもついたもの勝ち」、といった文化もあるのかもしれないのです。
4つの象限で見る外交
だからこそ、外交においては、「利害関係上、付き合わなければならないかどうか」という軸と、「価値を共有しているかどうか」という軸に分け、それなりの対応を分けていくのが良いのではないかと思う次第です。
外交の4象限
- ①基本的価値を共有しているが、利害関係上も付き合わねばならない相手国
- ②基本的価値を共有しておらず、利害関係上は付き合わねばならない相手国
- ③基本的価値を共有しているが、利害関係上は付き合わなくて良い相手国
- ④基本的価値を共有しておらず、利害関係上も付き合わなくて良い相手国
(【出所】著者作成)
このなかで、わが国が最も大切にしなければならないのは、①の相手国であることはいうまでもありません。
また、それと同時に、わが国が付き合う際に最も気を遣うのは②の相手国であり、ここに外交リソースを取られるのはある意味で当然の話でもあります。
なお、③のような相手国については、利害関係上は必ずしも付き合う必要がなかったとしても、付き合いを維持していれば良いこともあるかもしれませんので、ほどほどに良好な関係を保つのが良いでしょう。また、④のような相手国については、基本的には交流はなくなるかもしれませんが、そうであったとしても仕方がないと思います。
日本にとっての台湾
台湾とどう付き合っていくか
さて、こうしたなか、麻生太郎総理が第一次安倍政権の外相時代に提唱した「自由と繁栄の弧」構想が、第二次安倍政権時代に安倍総理のイニシアティブにより「自由で開かれたインド太平洋(※)」に結実し、菅政権時代に日本の外交方針として固まったことは、以前からしばしば指摘してきたとおりです。
(※最近だと、英語の “Free and Open Indo-Pacific” を略して、「FOIP」と称されるのが一般的です。)
ただ、こうしたなかで、どうも日本として「付き合い辛い国」がひとつあるとしたら、それは間違いなく、台湾でしょう。
なぜかといえば、日本政府は台湾のことを、公式には「国」として認めていないからです。
外務省ウェブサイトの『世界と日本のデータを見る』というページを見ると、「世界の国の数」は「196ヵ国である」と記載されていますが、これは正式には「日本が国家承認している国の数」であり、現実には北朝鮮と台湾が除外されています。
また、同じく外務省ウェブサイトの『よくある質問集』によれば、台湾に関する日本の立場は、次のように記されています。
「台湾との関係に関する日本の基本的立場は、日中共同声明にあるとおりであり、台湾との関係について非政府間の実務関係として維持してきています。政府としては、台湾をめぐる問題が両岸の当事者間の直接の話し合いを通じて平和的に解決されることを希望しています」。
…。
なんだか、よくわかりません。
ちなみに同じく外務省の『日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明』によれば、第3項にこんな記述があります。
「中華人民共和国政府は、台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部であることを重ねて表明する。日本国政府は、この中華人民共和国政府の立場を十分理解し、尊重し、ポツダム宣言第八項に基づく立場を堅持する」。
ということは、日本政府はべつに「台湾は中国の一部である」とする中国政府の立場を「支持」しているわけではありません。
(※なお、ポツダム宣言第8項とは、「日本国の主権は、本州、北海道、九州、四国ならびに連合国が決定する諸小島に限られる」とするものであり、要するに「日本は台湾を領有していない」という宣言です。)
このように考えていくならば、「中国政府の立場を十分理解し、尊重はする」けれども、「台湾の独立を未来永劫支持しない」という意味ではないよ、と見ることもできなくはありません。
実際のところは、米国が台湾を国家承認し、国交を回復する、などの事態が生じれば、日本もそれに追随するかもしれませんが、そうでもない限り、日本が単独で台湾を国家承認するのは、少し難しいでしょう(※不可能ではありませんが)。
日本は台湾を「基本的価値共有する大切な友人」に位置付ける
ただ、外務省が公表する『令和3年版外交青書』(※PDF版、大容量注意)によれば、台湾に関しては次のように記されています。
「台湾は、日本にとって、自由、民主主義、基本的人権、法の支配といった基本的価値を共有し、緊密な経済関係と人的往来を有する極めて重要なパートナーであり、大切な友人である」(P55)。
ずいぶんと踏み込んだ記述でもあります。
「基本的価値の共有」、「極めて重要なパートナー」、「大切な友人」とは、中国にもロシアにも韓国にも用いていない、最上級の部類に入る表現であることは間違いありません。
このあたり、外交青書では台湾を「国」呼びすることは控えているにせよ、中国のことを「基本的価値を共有する相手国」とは述べておらず、台湾のことを「基本的価値を共有する」と述べていることから、暗黙の裡に、日本政府が台湾を「中国の一部分ではない」、と見ている証拠といえるかもしれません。
このあたり、個人的な記憶に基づけば、中国がこの外交青書の記述に抗議してきたという事実はないと思います。
このように考えていくと、外交青書や防衛白書などの文書を通じ、徐々に台湾を「格上げ」するという日本政府(安倍政権、菅政権)の方針は、なかなかに老獪であり、賢明であると考えてよさそうです。
実際、台湾は日本との間で、協定などを大変によく守ってくれますし、なにより、日本が深く傷ついた東日本大震災では、大変に暖かい支援を寄せてくれた「国」でもあります。
そんな日本は台湾に対し、今年はコロナワクチンの無償提供という支援で応じましたが、このような支援の輪が続くのは、隣「国」としては本当に頼もしい限りです。
だからこそ、本来であれば、日本は台湾を国家として承認したうえで、台湾を「基本的価値と戦略的利益を共有する最も重要な隣国」に位置付けるのが正しいはずでしょう。
結局は台湾人のアイデンティティの問題
ただし、先ほども指摘したとおり、日中共同声明、あるいは米国を含めた東アジアの地政学上のバランスの問題などもあり、日本が台湾のことを公然と「国」と位置付けるのは難しいのが実情です(※「絶対に不可能」、というわけではありませんが…)。
むしろ、台湾自身が自分たちをどう位置付けようとしているのかについて、彼ら自身のアイデンティティが固まっていないなかで、日本が先走って台湾を「国家承認」するのは、不適切といえるかもしれません。
あくまでも報道等をベースにした考察ですが、台湾のアイデンティティは、「中華民国」、つまりは現在の中国にモンゴルなどを含めた地域を正式な版図としているという考え方と、「台湾は台湾だ」という考え方が、大きく対決してきた歴史といえるようです。
いちおう、台湾の正式な国号は、現在でも「中華民国」ですが、これを「台湾」ないし「台湾共和国」などと変更しようとする動きもあります(いわゆる「台湾正名運動」)し、大陸(現在の中国やモンゴルなどの地域)への統治権の主張を巡っても揺れ動いているようです。
いずれにせよ、台湾が将来において、「中国の一部」を選ぶのか、それとも独立の「台湾共和国」を選ぶのかについては、私たち外部者が口を出すべきことではないのかもしれません。
約束破りの常習犯が猫なで声
しかし、それと同時に、私たち外部者であっても、それを「予想」するくらいならできるかもしれません。
こうしたなか、数日前にこんな記事が出ていました。
中国外相「台湾は放浪者、いずれ家に戻る」 再統一の必要性に言及
―――2021年12月20日15:09付 ロイターより
ロイターによると、中国の王毅(おう・き)外相(※兼国務委員)は20日、台湾は「放浪者」で「いずれ家に戻るだろう」、などと指摘したうえで、「中国の再統一が必要だ」、などと述べたのだそうです。
まさに、約束破りの常習犯が猫なで声を発してきた、という印象です。
ただ、大変面白いもので、中国の外相がこのように発言することが、台湾の人々に対し、「中国の一部になること」への抵抗感を生じさせるのではないか、という気がしてなりません。
そもそも論ですが、中国と台湾では、政治体制がまったくと言って良いほど異なります。
中国は事実上の中国共産党による一党独裁国家であり、また、軍国主義、人治主義で人権もろくに保障されない国です。これに対し、台湾はすでに何度となく選挙を通じた政権交代を経験している、押しも押されぬ多党制の民主主義国家です。
仮に、現在の中国で西側諸国、あるいは日本や台湾などと同じレベルでの自由選挙が実施されれば、果たして中国の人民は中国共産党を引き続き政権与党として選ぶものでしょうか。
おそらく、答えは「NO」でしょう。
だからこそ、中国では絶対に、自由・秘密選挙を実施することができないのです。
中国は約束破りの代償を払え
中国自身が約束を破った「一国二制度」
では、政治体制もまったく異なる中台両国が合邦(=再統一?)するためには、いったいどうすれば良いのでしょうか。
ここで中国が持ち出してくるであろうロジックが、「一国家二制度」です。
簡単にいえば、台湾も「中国」という主権国家のもとに入るものの、その主権国家という枠組みのなかで、「台湾は台湾人が治める」、という考え方だと思われます。
この場合、台湾には中国のひとつの省ではあるにせよ、現在と同じ新台湾ドルという独自の通貨を持ち、また、台湾省内で通用する独自の法制度を維持することが認められる、などと中国が「約束」するのです。
ここまで指摘すると、ピンとくる方は多いでしょう。
じつは、この「一国二制度」、すでに運営され、中国自身が約束を破ったという実例が誕生してしまっているのです。
いうまでもなく、それは香港です。
香港は英国の植民地として、中国本土から切り離され、コモンローに基づく英国流の独自の法制度を育んできましたが、1997年に中国本土に返還された際には「50年間、現行の制度を維持する」こと(いわゆる「港人治港」)を、中国が英国や国際社会に対して約束しました。
そして、その「港人治港」という約束を、中国自身が反故にした「事件」が、中国本土における「国家安全法」を香港にも適用するという、2020年5月の全国人民代表大会(全人代)の決定です。
そのうえで、「香港国家安全法」は同6月に可決され、7月1日から施行されてしまいました。
「一国二制度」、「港人治港」などの原則を、事実上、中国自身が破ったようなものです。
このように考えていくと、香港の様子は当然、台湾でも強い関心を持って注目されているでしょうから、事実上、中台両国が「一国二制度」のもと、平和裏に再統一するという可能性を、中国自身が踏みにじったようなものだといえるのかもしれません。
約束を破ることは必ず効果を伴う
さて、台湾や東アジアの将来について、現時点で見通すことは難しい仕事ではあります。
ただ、ひとつだけ明らかなことがあるとすれば、約束を守れば守ったなりに、約束を破れば破ったなりに、必ずその国には相応の効果が帰属する、というのが、人間社会の鉄則である、という点です。
もしも中国が香港返還時の約束――「一国家二制度」、「港人治港」、「50年間は資本主義を維持する」、など――を今でもちゃんと守っていたとしたら、もしかしたら台湾国内でも「我々も一国家二制度で中国と統一しよう」、といった声が大々的に生じていたかもしれません。
しかし、中国は香港で、国際社会に対してコミットした内容を、あまりにも派手に破りました。
もはや、まともな西側諸国はだれも中国のことを信頼しないでしょうし、また、約束を破る国はウソツキと認定される可能性もあります。
ちなみに先日の『英紙、「南京30万人犠牲説」に間接的に疑念を呈する』でも紹介したとおり、間接的にではありますが、英紙が「南京大屠殺で30万人が犠牲となった」とされる中国の主張に疑義が生じた、とする話題を報じています。
英メディアが「南京大屠殺(南京大虐殺)」について、「犠牲者数が30万人とする公式数値には疑問がある」とする話題を、間接的に報じました。中国が日本に対して仕掛けて来ている歴史プロパガンダを楽観視することはできませんが、それでも「外交ボイコット」の流れのなかで、欧米など第三者の目が当たることは、決して悪いことではありません。自称元慰安婦などの歴史問題自称元徴用工問題や自称元慰安婦問題を筆頭とする、韓国が国際問題化した、あるいは国際問題化しようとしている歴史問題は、その多くが韓国による捏造に基づく不... 英紙、「南京30万人犠牲説」に間接的に疑念を呈する - 新宿会計士の政治経済評論 |
あれだけ派手に香港での約束を破ったウソツキ国家のことですから、その中国が日本に対して仕掛けている「南京大屠殺30万人犠牲説」という与太話に疑問を差し挟む人が増えるのは、ある意味では当然の話でしょう。
いずれにせよ、中国のような約束を破るウソツキ国家に対しても、この期に及んで「日本の隣国であり、サプライチェーン上も重要な相手国だから、中国とのデカップリングはできない」などと述べている人がいますが、こうした見解は大きな間違いです。
ウソツキ国家にはウソツキ国家なりの代償を支払わされるべきであり、おそらく今後の中国は西側諸国からの信頼を失うという形でその代償を支払っていくことになるでしょう。
そのように考えると、多少時間をかけても良いので、約束破りのウソツキ国家との関係は徐々に薄めていくのが正解ではないか、などと思う今日この頃です。
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「一旦約束したからには守らないといけない」とガリバー旅行記で日本の海賊が言ってたからね
イソップ寓話でウソをつきまくり滅亡した国の寓話があればいいのですが。
AI、ビッグデータ時代の到来は無法専制国家に光を与えそうです。法治でない分プライバシー権など人権に気にせず、13億人と5100万人のウソツキ達のビッグデータを集めネオ文化大革命、ネオ両班制を創造し統治することが可能になると思います。
イソップ童話と影響があるとの説もある古代中国の話として、周(西周)の幽王の話があります。
笑わない寵姫を笑わせるために、兵たちに緊急事態を知らせる狼煙を何度も上げた幽王は、最後に本当に攻めてきた敵に殺されました。
その後、生き残った王族が東周を復活させましたが、そのまま勢力を復活させることなく、秦に滅ぼされました。
この話を知っているはずの中国人はなぜ、嘘を吐くことに忌避感を抱かないのでしょうか。
人間関係において「同列・対等」という概念が存在しない儒教的文化圏での人間関係は「言う事を聞く」か「言う事を聞かされる」の二択ですので「信頼」等と言う高級な概念は存在する余地がありません。
韓国で「嘘つき・詐欺師」と過去の行状によって認定された方々が社会の第一線で活躍出来るのも日本人の目には奇異に映ります。
文化が違いますねぇ。価値観も。
同じ中華文明の影響を受けた国として、儒教の影響をかなり払拭できた日本ってすごいと思います。(ゼロにはなりませんが)
功罪あるとはいえ、明治維新は改めてすごいことでした。
先人に感謝(-人-)
yes!!
古来中国には「敵国」という概念があります。これはenemyを意味するのではなく、「自国に匹敵する国」という意味です。また、朱子学が中華思想を体系化したという点に異論はありませんが、中国儒学でも朱子学一辺倒ではありませんし、価値観や世界観が朱子学一色ということもありません。その意味では「儒教的文化圏」という形で一括りにする(*)、そして「儒教的文化圏」だから「同列・対等」という概念がないという見解には賛成できません。
ただし、「信頼」という概念が他文化圏とは意味的に異なっているかもしれないという点については、検討の余地があるかもしれません。
(*) 「儒学に影響を受けた文化圏」は確かに存在しますが、内実は結構違います。
日本は国際機関や他国からの借金を、1円たりとも一日でも遅れたことはないと思います。
でも、世界の国ではこんな常識があてはまらないことは言うまでも有りません。
やはり、日本の常識で考えては間違いますね。
香港返還交渉において、当時のサッチャー首相と鄧小平氏との間で、「一国二制度」の運用面で最後までどうしても折り合いがつかなかった項目があるそうです。それは「法の支配」の貫徹という問題です。
サッチャー氏は当然「法の支配」の徹底、つまり国家=行政機構すらもその支配に服さなければならないと主張しましたが、鄧小平氏は最後まで理解を示さず、国家=行政機構(=党)の意思が最終的には優先されると主張し続けたのだとか。結局、この点については折り合いがつかず、曖昧にしたまま香港返還は実現しました。
以上の逸話が事実であるとすると、あくまでも中国側から見れば、鄧小平氏の解釈に従っただけであり、些かも合意に反してはおらず、一国二制度は従来通り維持されているということになるでしょう。言論や結社の自由にこそ「多少の」制限を加えているものの、資本主義経済システムはそのままだし、独立している(かのように見せかけている)行政機構も稼働させている。何の問題があるのかというわけです。ゆえに、外部からなんやかんや言うのは、「内政」干渉に他ならないという理屈になります。「約束を破ったわけでもないのに、約束を破ったと咎められるのは非常に心外である」というわけです。
このような致命的と言っても良い齟齬が生じた背景には、結局のところ「法の支配」引いては近代法への理解や認識に決定的な食い違いがあることをうやむやにした、あるいはイギリス側が正しく認識していなかった(のかもしれない)という点があると思います。要するに、「二制度」に関して、そもそもの理解や認識が異なっていた、同床異夢でしかなかったということなのでしょう。その点に関してだけ言えば、英中どちらか一方が悪いとは言えません。
しかしながら、中国から見ればどれほど不本意であろうと、イギリスの他にも多くの国々から「約束違反」と見做されていることは否めません。なによりも、鄧小平氏が最終的に適用することを想定していたであろう台湾の住民からもそのように認識され、「今日の香港は明日の台湾」と考えられてしまうようになったのは、中国政府としては痛手でしょう。もはや「一国二制度による平和的統一」が台湾住民に対して説得力を持てなくなったからです。中国政府の残されたオプションは、武力統一か、またはアメリカなどを打ち破って中国が唯一の絶対的な超大国になるかのいずれかです。少なくとも、難易度が大幅に上がったことだけは間違いないと思います。
さて、日本はと言えば、日中共同宣言で中国政府がそのように主張していることを「尊重」し、事実上「一つの中国」を支持する形となりましたが、「中国」が中華人民共和国だけを意味しているとは限らず、また「中国」の範囲を規定しているわけでもないので、「一つの中国、一つの台湾(、一つのモンゴル、一つのチベット、etc.)」であっても、前言とは必ずしも矛盾するわけではありません。地理的な問題もあって、中国と徒に対立することが得策とは思いませんが、アメリカなどの与国と連携の上、中国と対峙していくべきであると思います。
中国人の頭の中はこうなっているという分かりやすい図解の例として「中華疆界変遷図」なる古地図が twitter で流れているそうです。印刷は中華民国の手によるものらしいです。
はにわファクトリー 様
その変遷図とは、いわゆる「国恥地図」のことでしょうか?
本年11月に、新潮社より「中国『国恥地図』の謎を解く」という本が発刊されていますので、取り寄せようと思っています。
麻生さんの「自由と繁栄の弧」構想が安倍さんの「自由で開かれたインド太平洋」に結実し、菅政権時代に日本の外交方針として固まったと安心していたら、今の岸田首相やリン外相、シェイシェイ幹事長らによって後退することを危惧しています。
どっちつかずの態度や盗人に追い銭とならないようしっかりやってほしい。
閑居小人様
そうなんですよね…。
岸田政権によって、FOIP もQUAD も形骸化してしまったような感じがしてなりません。
岸田さんの目的は総理になることで、今はなるべく長く総理でいることが最大の目標?だと思いますが。
約束破りの常習犯が猫なで声 >
以前にも紹介したことがありますが、『専制国家史論-中国史から世界史へ-』(足立啓二 著 ちくま学芸文庫)の中にこんな著述があります。
「中国の約束とは、「或る物事の将来に関して取り決めること」(『広辞苑』)ではなく、『取り締まる、しつける、制約する」(愛知大学『中日大辞典』)ことであった」
つまり、中国の謂う処の約束とは、あくまでも己の都合次第でいくらでも変更可能な制約に過ぎないのである、と喝破しています。しかも相当に「上から目線」での制約であると。
かようなる相手とまともな外交交渉が可能でしょうか。英国人はこのような中国と150年以上の交渉経験を有する国の筈なのに、殊香港問題に関してはコロッと騙されてしまいました。アメリカも同様で、蒋介石に騙されてその上性懲りもなく毛沢東、そしてそれに続く歴代の中国共産党のトップに騙され続け、習近平の登場によって漸く目が覚めたような有様です。
このような現状を鑑みるに、日本はこれまで以上に国際感覚を研ぎ澄ませていかねばならないと思うのです。此処でいう国際間感覚とは従来のようにアメリカの謂うとおりに従う事ではなく、アメリカが道を踏み間違えそうなときには毅然として異を唱える勇気と覚悟を持つことであると考えます。
思えば、トランプ氏が大統領になったときの安倍総理が、それに最も近かった政治家であったと云えるかもしれません。表面上はトランプ氏に付き従う姿勢を見せながらも、いつの間にかトランプ氏をリードしているかのように見えたこともしばしばありました。海外のメディア等が安倍氏を「猛獣使い」と称したのも、あながちまるっきり的外れな批評ではなかったと今も思います。
翻って現在の岸田総理を見るに、そこまでの勇気と覚悟があるとは到底思えないのです。これは単に私自身の日本のリーダーに対する期待値が高すぎるからなのか、あるいは本当に岸田氏が及第点に及ばない総理大臣であるからなのか、その点は実に微妙な処であります。
首相に就任する個人の力量にそこまで左右されるならば、3選4選を可能にすることも対策の一つにはなりますね。ただ安倍の場合は理由が体調だったので辞退していた可能性も残ります。
さらに次期総裁候補なども複数人育て、かつそれを有権者(支持者)に明示し、有権者が不適切だと思う素質については候補期間中に矯正できなければ候補の資格を永久に失うようにすると。そして最終的には有権者の判断で候補を一人に絞る。
首相が代替わりしても不安がないように。
首相が代替わりしても基本方針がブレないように。
代替わりのたびに「今回はアタリかハズレか」とやきもきせずにすむためにどうにかできませんかねぇ。
代替わりのたびに「今回はアタリかハズレか」とやきもきせずにすむためにどうにかできませんかねぇ >
難しいところですね。
そんな妙案があれば良いのですが。
愛知県東部在住さま
現状に関するすぐれた要約と思います。
安倍首相は抱き着き戦術が得意でした。当方は同じ雰囲気をインド国モディ首相に感じます。ふたりは波長が合っており日印関係深化を自然な形でリードしましたが、のちの日本国首相には温度が足りてないように思えます。トップの資質にはどんなものがあるかいい分析検討材料と思います。
はにわファクトリー 様
インドのモディ首相、どうなのかぁ、この人は?
或いはインドという国に何処まで信をおけるのかなぁ~という気持ちもあります。
正直云って。
中国だけなら良いのですが、ロシアと中国のふたつがあるので、どちらかを優先する場合にどちらかの約束破りの黙認となるのが手間ですね。
確か、中国のチベット侵略も、米英が中東だったかで手が離せない時の鍛冶場泥棒だったような。
難しいことは分りませんが「皇帝を戴く」「独裁国家」と考えれば全ては理解できます。
独裁であれば国内を治めるのは「大変な努力」で「陰謀、粛正、血を見る制裁」が必要
我々が見えているのはその中のほんの少し外に出て来た分だけ。
だと思って居ます。
なぜなら人民は外国情報には興味を示さない、情報を取りにも行かない。
一部の人は外国情報に接しているのでしょうが力を持たない。
我々はこのやっかいな隣人をどうすれば良いのか?
真剣に考え行動する必要があります。
約束を破ってよいか・わるいかは、自分(自国)にとってメリットが
あるかどうかだと思います。
約束をやぶっても構わないという場合は、下記4点があります
1)約束を破っても自分(自国)に被害が及ばない
2)破った事で得る利得が大きい
3)多少のデメリットはあっても、約束した相手を押し黙らせる事ができる
(力=個人では暴力・国では軍、経済力)
4)他からの力の行使を抑止できる(個人では親兄弟・学校生活では先生、国内では
法律、国外では軍事・経済的威圧行為)
結論、約束を破る側に力があれば、約束を破る事に問題は一切ありません。
例:南国が日本との約束を破っても問題無いのは項目4で提示した通りある。 日本が南国に
制裁を与えないからである。 制裁を与えないと言う事は、南国が日本に対抗できる力があるという事です。 それは、日本国内に南国の約束違反に対し日本が制裁する事に抵抗する団体が存在しているからである。 南国の問題ではなく、日本内部の問題なのです。