朝日新聞が例の芸術祭を「圧力に屈しない姿勢」と絶賛
「日本ヘイト」イベントとして有名になってしまった「あいちトリエンナーレ」が閉幕しました。問題点は「ターゲットを絞って日本だけを貶める展示品」が多かったことに加え、こうした多くの日本国民の心を傷つける展示会に対し、公金が投入されている、という点にあります。ただ、「あの新聞」が今朝、今回の展示については明確な根拠を示さずに「日本に対するヘイトではない」と決めつけ、「表現の自由」に問題をすり替える社説を掲載しているようです。
あいちトリエンナーレが閉幕
「昭和天皇の肖像を燃やして足で踏みつぶす映像」などの過激な展示物で話題になった愛知県の芸術祭「あいちトリエンナーレ」が閉幕しました。
この芸術祭については、すでにさまざまなサイトなどで触れられているとおり、「表現の自由に名を借りた、事実上の日本ヘイト」ではないか、との疑念は払拭できません。
もちろん、「表現の自由」は最大限尊重されなければなりませんが、それと同時に問題となった展示品の多くは日本の尊厳を貶め、日本国民の心を傷つけるものだったのだとすれば、そのような芸術祭に対し、私たち日本国民が拒絶感を示したとしても当然のことでしょう。
問題は、それだけではありません。
この芸術祭が文化庁に対し補助金を申請していたほか、愛知県や名古屋市などの地方公共団体もこの公金を支出していることです。
このうち文化庁の補助金については、芸術祭の主催者側が「展示会場の安全や事業の円滑な運営を脅かすような重大な事実」を認識していながら文化庁に申告しなかったなどとして、補助金の全額不交付を決定しています(文化庁HP『あいちトリエンナーレに対する補助金の取扱いについて』参照)。
国民の税金を預かる日本政府として、当然の決定でしょう。
また、名古屋市も本件について、河村たかし市長がすでに9月20日付で大村秀章愛知県知事に対する「公開質問状」を発するなどしていますが、次の産経ニュースによれば、市負担分の支出の是非を判断する検証委員会を近く設置する考えも明らかにしています。
芸術祭の検証委設置へ 名古屋市、負担金の支出で(2019.10.15 13:41付 産経ニュースより)
しかし、現在までのところ、愛知県が公金の支出を取りやめたという報道はありません。
このため、「公的な補助金で日本の尊厳を貶めるような展示が含まれた芸術祭が開催された」という事実を消すことはできません。
このことを、深刻に受け止める必要があるでしょう。
ダブルスタンダード
くどいようですが、日本はアジアでも最も表現の自由が貫徹している社会であり、これは稀有なことです。極端な話、私たち日本国民の多くが不快に感じたとしても、よほど反社会的な行動を伴っていない限り、「表現の自由」は守られるべきです。
現在、香港で自由を求めるデモ活動が広まっていますが、彼らは中国共産党の弾圧と命を懸けて対決しています。それなのに、日本では安全な場所から日本社会自体を貶めるような展示を行っても、何も咎められないのです。
だいいち、「あいちトリエンナーレ」で問題の展示を行っていた集団について調べていくと、彼らは「日本ヘイト」的な展示は大好きですが、そのわりに「中国ヘイト」、「韓国ヘイト」のようなコンテンツについては決して展示していませんし、イスラム教を冒涜するような展示についても存在しません。
端的にいえば、彼らは「芸術」に名を借りて、反撃してくる相手を刺激せず、安全な場所から絶対に反撃して来ない相手だけを貶めているだけの話であり、そのこと自体も非常に卑劣です。
日本を貶めるコンテンツは「芸術」、中国や韓国を貶めるコンテンツは「ヘイト」。
自分たちは日本を批判する自由があるが、日本国民から自分たちに対する批判は認めない。
こういうダブルスタンダードには本当に辟易しますし、それを私費でやらずに公的資金を使ってやろうとするあたり、本当に呆れて物も言えません。
日本国民が朝日新聞から孤立する!
こうしたなか、「あの新聞」が「あいちトリエンナーレ」を巡り、次の社説を掲載しているようです。
(社説)あいち芸術祭 閉幕後も山積する課題(2019年10月16日05時00分付 朝日新聞デジタル日本語版より)
著作権の問題があるため、全文を転載することはしません。いちおう、「有料会員」にならなくても全文読めるようですので、興味があれば内容は直接、リンク先で確認してみてください(ま、わざわざ読む価値もないと思いますが…)。
ここではいくつかのポイントに絞って、内容をレビューしておきましょう。社説の冒頭では
「脅迫や執拗な抗議で中止に追い込まれた企画『表現の不自由展・その後』は、最終盤になって再開にこぎつけた。入場が抽選制になるなどの制限は残ったが、不当な圧力に屈しない姿勢を示せたのは良かった。」
とありますが、「入場に際して写真撮影禁止、誓約書の提出、事前レクチャーの受講」などを義務付けるという異常な対応について、なぜ朝日新聞は指摘しないのでしょうか。
問題の本質は、主催者側が「表現の自由」を騙っていながら、「自分たちに対する批判は許さない」というダブルスタンダードでしょう。それなのに、私たち日本国民の多くが共有した違和感を「不当な圧力」と言ってのける朝日新聞社の感覚は、理解に苦しむところです。
また、
「騒ぎの発端は、作品を見ることも、制作意図に触れることもないまま、断片情報に基づく批判が開幕直後に寄せられたことだった。河村たかし名古屋市長ら一部の政治家が、同じく表面的な事象だけをとらえて攻撃を加え、火に油を注いだ。」
とありますが、「表面的な事象だけ」を捉えて「火に油を注いで」いるのは、この芸術祭を不当に擁護している朝日新聞社の方ではないでしょうか。
さらに、朝日新聞は文化庁が補助金不交付を決めたことを「暴挙」としたうえで、こうした行動が「表現そのものに圧力をかけよういう意図は明白」、「行政が本来の道を踏み外し、暴力で芸術を圧殺しようとした勢力に加担」した、などと決めつけているのです。
そのうえで、日本に対して向けられたヘイトという問題についても、
「慰安婦に着想を得た少女像や昭和天皇を含む肖像などが燃える映像作品に対して、『日本へのヘイト』との批判も飛び出した。これもあきれる話だ。」
としたうえで、
「表現の自由への過度な制約にならぬよう、規制すべきヘイト行為とは何か、社会全体で議論を重ね、定義づけ、一線を引いてきた。明らかにそれに当たらない作品をヘイトと指弾することは、蓄積を無視し、自分が気に食わないから取り締まれと言うだけの暴論でしかない。」
などと述べていますが、そもそもこの「社会全体で…一線を引いて来た」の下りには、明確な主語がありません。いったい何を根拠に、朝日新聞社は「あいちトリエンナーレ」の展示品が「明らかにヘイト行為に当たらない」と決めつけているのでしょうか。
なにより、朝日新聞社といえば、日韓間のトゲとなっている慰安婦問題を捏造した新聞社です。そんな朝日新聞社だからこそ、慰安婦像問題に言及するときには慎重であるべきではないでしょうか。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
ところで、朝日新聞社といえば「慰安婦問題」が有名ですが、意外と忘れてはならないのは「もりかけ問題」です。
以前、政権交代から10年目に寄稿した『政権交代から10年 ネットがマスコミをぶっ壊す』のなかで、2009年8月の政権交代選挙の頃と比べれば、オールドメディア(とくに新聞やテレビ)の社会的影響力が激減した、と報告しましたが、その原因を作ったのが「もりかけ問題」ではないかと思います。
ここで「もりかけ問題」とは、
「安倍晋三(氏)が内閣総理大臣としての地位を悪用し、個人的な友人が経営する学校法人に対し、違法な便宜を供与していた疑い」
のことであり、いずれも朝日新聞の報道をきっかけに火が付いたものばかりです。
しかし、朝日新聞を中心とするメディア、立憲民主党を中心とする野党が、それこそ一生懸命、「もりかけ」と叫んできたわりには、結局、安倍政権の出身母体である自民党は2017年10月の衆議院議員選、2019年7月の参議院議員選に勝利を収めています。
つまり、朝日新聞に象徴されるオールドメディアが世論を焚き付けようとしても、私たち日本国民はそれらに騙されなくなってきた、ということではないでしょうか。
もっとも、『政権交代から10年 ネットがマスコミをぶっ壊す』の記事タイトル、少々間違っていたと思います。正しくは「ネットがマスコミをぶっ壊す」のではなく、「ネット社会でマスコミが自壊する」、とした方が正確だったかもしれません。この点が当ウェブサイトとしての反省点といえるでしょう(笑)
本文は以上です。
日韓関係が特殊なのではなく、韓国が特殊なのだ―――。
— 新宿会計士 (@shinjukuacc) September 22, 2024
そんな日韓関係論を巡って、素晴らしい書籍が出てきた。鈴置高史氏著『韓国消滅』(https://t.co/PKOiMb9a7T)。
日韓関係問題に関心がある人だけでなく、日本人全てに読んでほしい良著。
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【おしらせ】人生で9冊目の出版をしました
日本経済の姿について、客観的な数字で読んでみました。結論からいえば、日本は財政危機の状況にはありません。むしろ日本が必要としているのは大幅な減税と財政出動、そして国債の大幅な増発です。日本経済復活を考えるうえでの議論のたたき台として、ぜひとも本書をご活用賜りますと幸いです。 |
大村知事がトリエンナーレの展示中止に至った理由を言い訳するために作った、何チャラ委員会で、「全部津田が悪い」という中間報告を出していました。
あの時点で、まさか再度両者が手を取り合って展示再開に至るとは思いもしませんでした。
あの界隈の方々は、イベントを来年以降も継続できるようにすることが何よりも大事なんでしょう。
さすが、公金の力はすごいんだなーと思った次第です。
トリエンナーレはあの界隈のダブスタが際立った出来事で、かなり強烈に感じました。
私は万年野党であったころの左翼野党のダブスタは、大目に見ていました。
政権交代もあり得る今となっては、ダブスタは徹底追及の対象であるべきと思います。ダブスタ連中が政権を取った結果は歴史が証明しています。
ダブスタは単に屁理屈で自分の利益を優先しているだけです。
今となっては野党だけでなく、彼らを支援し利害と行動(思想はない)を共にする連中のダブスタも、徹底的に追及しなければならない対象だと思います。
ネット上でダブスタ確定の魚拓などが保存されてる現状は、とてもいいことだと思います。
朝日等にツケ込まれた補助金の交付方法に関しては、改善の必要があると思います。
補助金を申請して、交付を決定した後で、申請書の内容が虚偽が発覚した様な場合(都合の悪い情報を伏せていた場合や、曖昧化していた場青等を含む)、後日交付を取り消したり、一旦交付した補助金の返還請求ができる様、明文化すべきでしょう。
愛知トリエンナーレの件で反日・侮日ヘイトに荷担した朝日は、大多数の日本国民を敵に回すことになるでしょう。
本日の社説で、朝日が日本国民の民意を代表せず、朝鮮族の新聞であることを多くの人が改めて認識する機会となりました。
「朝日トリエンナーレ」に税金を捨てているようなもの。真実をつたない朝日、中日、毎日の反日ACMは、日本の害悪。過去に戦争参加と継続を煽ってきた新聞が、今は日本国の弱体化を煽る。傘下のテレビ・ラジオを使っての酷い反日放送。日本も韓国のマスコミを笑えない。工作され放題ですかね。
あいちトリエンナーレに展示された自称芸術作品が真の芸術作品か、それとも芸術の名を借りた対日ヘイト作品なのかを「みんな」で決めるという判断を出来ないところが日本の似非リベラルの限界です。
似非リベラルが「何が芸術で何がヘイトか」を仲間内で決める、いわば「既得権益」がありますが、この既得権益はネットの発達で崩壊しつつあります。
でも、完全に崩壊してはいないので、まだまだこれからです。
「みんな」で決めずに「仲間内」で決めようとする似非リベラルの思考って、要は排外主義とか差別でしか無いと考えますけどね。
反日工作員側にしてみれば、成果有りなんでしょう。
愛知県民としては、屈辱的でした。
大村知事の次回の選挙で、共産党以外の対立候補を河村市長が、立ててくれる事を希望します。
この芸術という名を借りた政治宣伝は、朝鮮学校の無償化問題ととてもよく似ています。
抗議の仕方なんて特に。
そして結局、擁護している連中どころか、関係者すら芸術と強弁するだけで、芸術としての証明を誰もできず仕舞い。
公金と権威を利用して宣伝する事が目的の、まさに虫酸の走る界隈のジイでした。
この件によって、津田氏とそのお友達連中は日本芸術の空間を汚し
創造の精神をコロしたと言わざるを得ません。
私は芸術にも深く関わる仕事に携わっているので、こんな醜く幼稚な行為がまかり通るのが余計に許せない思いです。
自由過ぎる報道を行っている反日特報社が何を言ってるんですかね?
「報道の不自由展」を開催したら、同社は展示物が何もないでしょう。
更新ありがとうございます。
「あいトレ」が一転開催された事は、極めて残念です。あの愛知県・大村知事は共産党員ですか(笑 冗談ですヨー)。あんな記者会見して、「あいトレ」を再開するなんて、まともじゃないです。
入場に際して写真撮影禁止、人数制限、誓約書の提出、事前レクチャーの受講などを義務付けるという異常な展示会が『自由』を謳う。失笑モノです。愛知県民さん、次は大村知事を必ず落として下さい!
さて、アチャヒ新聞は相変わらずの反日姿勢ですが、『不当な圧力に屈しない姿勢を示せたのは良かった』って(嘲笑)。日本で売るな。中国、朝鮮で販売しろ!
今回の件でここまで騒動になったのだから他の自治体は懲りて同種の展示をしないだろうと思いたいのですが
朝日毎日に共産党立憲民主党、リテラにマスコミ雑誌創あたりの似非リベラルがよいしょしたうえで
また津田、永田浩三、小倉利丸一派がどこかの自治体に潜り込んでひと騒動しそうで心配でなりません
なぜ反権力が権力側から金を得ようとする。源泉は税金とはいえ権力から金を得ればアートは腐るとか主張する自称リベラルはいないのですか
愛知トリエンナーレの表現の不自由展再開は非常に残念でした。
日本の歪んだ左翼勢力がまだまだ強いということを実感しました。
明らかに展示内容は芸術に名を借りたプロパガンダだし、ここまで叩かれたら普通は再開できないところですけどね。
どこの国(国民)に対する侮辱もヘイトです。もちろん、日本に対する侮辱もヘイトのはずです。
しかし、日本でだけは日本に対する侮辱がヘイトにならないというのは極めておかしいことですね。
なんか、「ゲルニカ描いたピカソが悪い」という流れにもなりそうですなw
そもそも、表現の不自由展にあいちトリエンナーレに相応しい作品があったのでしょうか。
現代美術の祭典としては陳腐な表現の作品ばかり。
キュレーターもおいていない。
他の出品者も苦笑しかないのではないでしょうか。
表現の不自由展のコンセプトは良いのです。
堂々とこれが芸術だ!文句あるか!って言えはよいのに。誠に情けない。言えないんだったら最初からやるなよ。
朝日新聞社の芸術に対する見識が問われます。
本当の芸術家たちは、今回の表現の不自由展をどう評価しているのか知りたいですね。
芸術の名を借りたまがい物が幅をきかせてることにに眉をひそめているのか、それとも何がしか同調しているのか。
チキンサラダ様
アート界隈同業の反応としては、2011年頃の「カオスラウンジ騒動」を追いかけると何となくギョーカイの雰囲気が掴めるかもしれません。
(まともな論理武装すらしていないウォーホル気取りのワナビーが、権利者に十字砲火喰らって消し飛んだ騒動。当時も津田が首を突っ込んでいたように記憶しています)
お疑いの点、表象のみで判断するなら「我関せず」が近そうです。まっとうな創作活動に邁進している方々はこういう俗事に関わっている余裕がないのだと解釈しています。そのお陰で随分シロアリに食い込まれているようですが…
半可通さま、
ご説明有難うございます。
なるほど、我関せずですか。そうなるのも、わかる気もします。
しかし、シロアリにかなり食い込まれているのは残念を通り越して怖いですね。今回のことで、シロアリがびっしりタカリまくってるのが私にもわかってきました。
「韓国批判はヘイト」
「反日は表現の自由」
事実です。ダブスタです。
愛知と離縁なーれ!
いつもありがとうございます。
広島でもやるようです。
https://togetter.com/li/1414052
一度公共のお金で開催したと言う、お墨付きが付いてしまいました。
止める方法はないのでしょうか?
コメント失礼します。
愛知のアレについては、
・大村、津田、東(アドバイザー。御真影焼却を知って笑い、批判せず)及び支持者は、お前らの祖父母の写真を燃やして踏みにじっても許すのか?お前らが地震でも台風でも被災したら、被災地で「被災最高!」とか円陣組んで叫んでもいいのか?
・支那か北朝鮮ばりに鑑賞の著しい制限を付けたが、他の税金を投じた展示会でも許すのか?(誰かが言った「鑑賞の不自由展」は上手い言い回しだと思いました)
・政教分離違反ではないのか?(個人の思想を押し通して国益を損なう事と解釈してます。最近の例ですと神奈川県山北町への県による自衛隊給水拒否でしょうか。神奈川県民の私にはとても嫌な事件です)
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1994692.html
日本国は一応法治国家(徹底されていない所が有る)なので、サヨクさん達が実質求めている「犯罪の自由」は認められないです。多数派の不利益になりますので。
サヨクさん達は「従軍慰安婦強制連行」に続き、金(まだ全額では有りませんが)と実績を得ましたが、このまま政府とめりけんは許すのか?どうなるか分かりませんが、私は許したくないです。
チキンサラダさま
あいちトリエンナーレはチーフキュレーターの下にそれぞれ専門のキュレーターがついています。
表現の不自由なだけはキュレーターの関与がないそうです。
あそこだけは、はしにも棒にもかからない自称アーティストの学芸会。
出来るだけ関わりたくないと思われてそうです。
個人的に美術としてマシなのは少女像かな。アレでも。(笑)
ひろたさま、
有難うございます。不自由展はキュレーターなしですか。
自称アーチストの学芸会というのは、わかる気がします。
私は芸術のど素人ですが、それでも不自由展の作品に芸術の薫りは全く感じません。
朝せんが日ほんをぶっこわす新聞は、このごろ特にいい仕事をしますね。半端に偽善的な発言をゴニョゴニョ出されるより、これくらいはっきり「朝鮮様にはすべてが許される。日本人どもは伏して拝領せよ。そして金を出せニダ」と言ってくれると誰にでも分かって明確な判断基準になります。
愛知県民には奮起を促したいところですが、さしあたってはこの官民合同ヘイト活動の全貌を広く日本全体で共有し、これから出てくる類似の活動を事前に潰していくのが大切だと思います。
いつも興味深い話題を提示していただきありがとうございます。
件の少女像は、世界中のあちこちに「日本を蔑める活動のアイコン」として設置されています。愛知県でのみ「芸術 として扱え」というのは、ムシのよい主張です。
オウムの信者が、道場に麻原某の像を飾るのは「信仰の自由」かもしれませんが、公費で公の場所に設置するなら、大問題です。
大村知事は、津田某にノセられて引くに引けなくなったのかもしれませんが、「河野談話」の二の舞です。政治家としてのセンスが無い方ですね。
保守速報といったメジャーなまとめサイトは、普段『アホの朝日新聞』とは言いますが、自分は朝日新聞が『アホ』などとは一瞬たりとも思ったことがありません。
頭がいいし、しかも邪悪そのもの…
朝日新聞は、日本で非常に多くの人々から皇室が敬愛されていることを知悉しています。その上で、確信犯でああいう記事を出しているのだと予想しています。
自らの記事が、日本で多くの憎しみを受けることは百も承知で出しているのだと思いますよ。
朝日新聞としては、皇室を貶める記事を出している火元が朝鮮系であることを日本中に広報したい。日本人のすべての人々に伝えて行きたい。そのためには、あいちトリエンナーレを積極的に利用していきたい。
いったい、なんのために?
戦争があれば、第二次世界大戦後に売国勢力として配置した朝鮮系の莫大な財産を雲散霧消させるための仕込みをしているのでしょう。
日本で彼らが襲撃され、第二の朝鮮進駐軍に遭ったとしても、日本人が傍観し、その行為を支持するための仕込みをしているのでしょう。
そのために日本人が襲撃するかもしれないし、日本人が煽動に動かなければ、日本の新移民を支援してやらせるでしょう。
ま、これは新手の共産主義ですよ。
そのためには、朝日新聞自身が滅びても構わない。
これが、朝日新聞やNHKのアポトーシス・プログラムというものなのでしょう…
『表現の不自由展・その後』は数年前に一橋大学で中止になった百田尚樹氏の講演ととても似た構図ですが、朝日新聞は百田氏の方はガン無視でしたね。
いまさら彼らのダブスタを論う気も起きません。
百田氏の講演を中止に追い込んだ在日系組織を嫌悪しますが、それらと同じような反応を示したあいちトリエンナーレへの抗議電話をした方々を擁護する気もまた、全くおきません。
因みに私は百田氏が嫌いです。
「多くの日本国民の心を傷つける展示会に対し、公金が投入
されている」のはなぜいけないのか、について考えました。
心情的には嫌悪しますし道義的には許したくはないです。
ただ、法的に考えてどうなのか、そこがよくわかりません。
意見、立場が異なるもの同士でとりあえずどちらが「正しい」
かを決めるには現時点で法令に照らしてどちらがより妥当かで
考えるのが適当でしょう。
「心を傷つける」ですが、心を傷つける表現を直ちに禁ずる
法令はないように思います。表現の自由は、例えば、猥褻物陳列
やヘイトスピーチはだめと法令で制限がかかってますが、
単に心を傷つけるだけでは制限はかけられないように思います。
公金の投入についてですが、日本は民主国家で、民主主義の
基本は多数決の原理とそれを補完する少数意見の尊重だと
考えています。よって公金が投入されるイベントであっても、
10のうちひとつぐらいの割合で、住民の過半数が明らかに
反対するものが開催されてもおかしくはないと感じます。
僕が注目するのは、トリエンナーレの展示を非難する識者が
あの展示がなぜいけないのか、法的な根拠を明確に示していない
ことです。天皇の肖像を焼く作品に関しては、天皇が国民統合の
象徴であると憲法に定められているのだから、公共の福祉に
抵触しているのではないかと記す人がいます。その可能性は
あるかもしれません。
とはいえあの作品を鑑賞した側が、明快に基本的人権を侵害
されているのかどうか、微妙な気がします。もしかすると、
あれらの作品を不快に感じる鑑賞者は、作品を非難できても
非公開にせよとは言えないのではないでしょうか。
僕は文化庁の決定は支持しています。手続きを問題にしている
からです。ただこれも、全額不交付は無理筋だろうと思います。
津田氏らの不手際でトリエンナーレの価値は大きく毀損され
ましたが、曲がりなりにも会期は全うしました。非公開とされた
展示やボイコットした作家の作品が鑑賞できなくなったことに
より減じられた価値の分だけ、事業未達成分として減額するのが
妥当ではないかと考えます。
つまり、反日的な作品群を、その内容ゆえに公開差し止めにする
のは無理ではないかと感じています。この考えのどこが間違って
いるか、お気づきの方は教えていただけますでしょうか。
朝日のような勢力がダブルスタンダードであることは同意します。
ただ、そこから言えるのは、韓国を非難する表現に対して(それ
が法令に違反しない限り)安易にヘイトとレッテルを貼るなと
言うことでしょう。これは僕も強く主張したい点です。ヘイトと
いう言葉は意味が拡張し強くなりすぎています。ヘイトと安易に
レッテルを貼るのは互いの思考の自由を制限する気がします。
けれども、朝日勢力のダブスタを理由に、不自由展の作品群は
非公開にすべきだとは言えないでしょう。それは別の問題です。
不自由展の問題作のようなものを今後非公開にすべきだと主張
するにはどんなロジックを組み立てればよいのでしょうか?
そこを考えてもまだ道筋が見えてきません。
主催側の自主規制では?
横尾忠則の作品も出品されていますが、Moma に出品されている時に旭日旗モチーフであることから韓国の市民団体から抗議があったそうです。
Momaは作品を外すことはなかったそうです。
天皇の肖像に関しては30年くらい前の事件の蒸し返しです。
天皇コラージュ事件とか富山美術館問題といわれ裁判にもなりました。
他にも書きましたが、芸術と思うならやり続ければいいんですよ。それが出来ないところが胡散臭い。
自費で同じようなことやってるアーティストもいますよ。
ひろたさん、ご意見ありがとうございます。
主催者もしくはキュレーターがどういう想いで作品を
集めるかは重要ですね。「芸術と思うならやり続ければいい」
に強く共感します。
津田氏の最初の過ちは、2015年の「表現の不自由展」が妨害を
受けつつ開催されていた現場を知りながら、それを安易に、
トリエンナーレのような大規模な芸術祭に持ち込んだことだと
考えています。
ただ、さらに大きな過ちはわずか3日めにして、「…・その後」
を非公開にしたことでしょう。津田氏、大村知事は、電凸への
対策を迅速に立てつつ、自ら体を張って、「…・その後」を
続けてほしかったですね。せめてもっと粘る姿勢を見せてくれて
いたなら、津田氏の意欲を信じてみてもいいのかなと思えました。
津田氏のトリエンナーレは成功したというコメントを読んで、
まあ、混乱した状況をも前向きに解釈するしかないことは理解
しつつも、言葉の軽い人だなあという印象を受けました。
迷う人さん
芸術って統一的な基準はありませんよね。
誰一人評価しなくても作家が芸術だと思えば芸術だし、逆に作家が思ってなくても、受け手が芸術だと思えばそれも芸術なんじゃないでしょうか。
万人にとっての芸術なんてものは無くて、誰かにとっての芸術があるだけだと思います。
そんな主観的なものを法律で捌くのは無理です。
「あんな物は芸術ではない、ただのヘイトだ」と言うのは完全に主観まみれの意見でしかありません。
意見を言うのは自由ですが、主観で他者を縛ろうとするのって、愚かしいと思います。
国民の多くが反対するというのも理由になりません。人権は多数決で決まるものでは無く、少数派であろうと守られなければならないものだからです。
反日表現に公金を支出するな!という抗議は支出する自治体に向けられるなら理解の範疇ですが、表現を中止させようとする行動は、自由主義を信奉する者がやっちゃぁならんでしょう。
ダブスタではない反応って、この問題の場合「だったら愛国を芸術で表現したるぞ」なんじゃないでしょうか。
gommerさん、ご意見ありがとうございます。
そっか、「だったら愛国を芸術で表現したるぞ」ですか。
なるほど、そうですね。
書いておられることに深く納得いたしました。ネタを割ると、
知人が「あんな反日作品は非公開にすべきだ」と主張するのに
対して、僕がいやー、それは無理だろうと言う側なんですね。
表現の自由に制限を加えるとすれば、作品内容に関する法令上
の制限でいくか、作品内容以外の部分でなんらかの規制をかける
かになるだろう。天皇の肖像を焼くような作品について、それが
可能かどうか、知恵を借りてくると知人には伝えています。
芸術にはうといですが、例えば超芸術トマソンのように、誰かが
見出してしまう場合すらありますよね。作品展の場合なら、
それが芸術かどうかを決めるのは、主催者ということなんで
しょう。法令の出る幕ではないですね。
個人的には、出品者や鑑賞者を大事に思うなら、大規模な
イベントに「危険物」を持ち込むべきではないと考えますが、
それはひろたさんが書いてくださった主催者の自主規制に
委ねるのが適当ですね。
迷う人 様
法律では裁けないと思いますし、裁く必要もないと思います。
『芸術文化振興会が助成要綱を改正。「公益性」理由に取消しも可能に』
https://bijutsutecho.com/magazine/news/headline/20748
判断基準はあいまいですが、もともと表現の自由なんて形のないものを査定するのは難しいことなので、今後どのような判断が下されるのか外からの監視の目が必要だと考えられます。
法律に関しては基本的に対立を調停するためのものなので、法律で表現を縛ると必ず副作用があります。
この手のことを法律に依存するよりは、表現者は堂々と表現し、その表現に嫌悪を覚えた場合はも堂々とそれを表明して、価値を認められたものが立場を強くしていくような自浄作用があるのが一番いいです。
その点、SNS排除や展示内容の感想すら公にできない不自由展が極めて異常なだけです。
耐えられないほどの精神的苦痛を受けたり、物理的なダメージを受けたら、それは民事訴訟になるかもしれませんw
ピークを過ぎたソフトエンジニア様、
ご意見ありがとうございます。
自由には責任が伴うので、表現する側はできる限りオープンに
意見、感想を受け入れる手段を設けて欲しいです。閉幕前に
駆け込みで再開したときの鑑賞側の不自由さは、ひどいもの
でした。
「法律に関しては基本的に対立を調停するためのもの」
というご指摘は勉強になりました。あくまで調停ですね。
主観的な領域の対立において、それでも現時点でどちらが
より妥当かを測るときの根拠を探していました。そんな
ものはない、もしくは真摯な対話の中でほのかに見えてくる
何かだ、あたりですかね~
ご紹介くださった記事の「公益性」は危険な香りがしますね。
ことが「重大な違法行為」に限定されるなら、かなり客観的
な基準で問題はなさそうですが。
今回のできごとで一番考えなければならないのは、電凸と
いかに戦うかのように思います。迷惑メールの処理のような
具合に分別して、あとでまとめて返事するからホームページ
のよくある質問コーナーを見てねとできないもんでしょうか。
衝撃的な作品を見て卒倒、頭部を負傷した場合、因果関係の
証明が勝負を分けますねw
燃やしている写真を文大統領にして、戦時買春婦の像の替わりにライダイハンの像を展示すべき。
韓国ヘイトは許さないが日本ヘイトは表現の自由などと言う極左連中に、怒りを抑えきれない。
後期高齢者さん、ご意見ありがとうございます。
僕の知人も、激しい憤りを感じるといってます。心情的には
同調したい部分もあります。実在の人物の肖像を燃やすよう
な表現は展示すべきではないと感じます。
文大統領は現存の人物なのでさすがにまずいと思いますが、
韓国の歴史上の人物、例えば安重根氏の肖像を焼く作品を
韓国の作家が作成し「わが心のテロリストを滅した」と
解説したものを展示したらどういう反応があるのか、想像
するのは面白いですね。やや悪趣味ですが。
ライダイハンに関して思うことを書きます。日本政府は、
日本の戦争犯罪に関する資料館のようなものを作りあたう限り
事実に基づいた研究成果を積極的に発信するのがいいように
思います。そこをきっちりやって、その上で、戦争犯罪は
人類の愚かさの歴史だ。わが国も戦争犯罪からまぬがれる
ことはなかったが、一体どの国がまぬがれることができた
だろうか。という流れにもっていけたらなあと夢想しています。
昭和天皇の肖像画をバーナーで焼いて足で踏みつける。
こんなのを芸術作品と強弁するのは、
苦労して芸術作品を生み出している芸術家への冒涜です。
このような内容の何処に産みの苦しみや創造性があるのか?
殆どの真っ当な芸術家は公の仕事なぞ回って来る筈もなく、
食うや食わずの毎日の中で苦労して創作を行なっている。
展覧会を開くにしても、自腹による個展です。
ところが、津田への報酬は800万円。
大村には真っ当な芸術家を育てる気は全くなく、
津田は津田で甘い汁を吸うことしか頭にない。
芸術家からすれば、歴史に残る、唾棄すべき展覧会だったと思います。
あと、もう一つ。
現代は太平洋戦争を引き起こした武家社会の伝統や精神は失われている訳で
当時の精神的支柱たる昭和天皇の肖像を焼くことにどれだけの意味があるのか?
作者の大村氏はそんなことは一度も考えたこともないと思います。
戦争を反省するのであれば、当時の社会的背景や日本人の精神の分析が必要ですが、
こうした考察があまり為されていない日本の現状は残念だと思います。
なお、念の為ですが、私は右派的な人間ではありません。