新聞業界が生き残る方法

このところずっと国際関係論について議論してきたのですが、少し気になる報道もあったため、本日は久しぶりにマス・メディアの話題を取り上げたいと思います。『産業構造の変化に対応する業界、しない業界』の続編として、インターネットで見掛けた「新聞崩壊論」について取り上げるとともに、私にしては珍しく、「新聞業界が生き残る方法」について考察してみたいと思います。

共同通信、配信済記事を説明なく事後的に改竄

先日私は産業構造の変化に対応する業界、しない業界という記事を配信しました。

今の時代、どんな業界であっても「絶対に安泰」ということはなく、たとえ銀行などのような業態であっても、経営危機に陥ることはあり得る、というものです。

当然、マス・メディアであっても例外ではありません。

私に言わせれば、とくに新聞・テレビを中心とするマス・メディア各社は、これまで、情報独占のうえにあぐらをかいてきたのではないかと批判されても仕方がないほど、業界としては腐敗しきっています。

こうしたなか、私が以前から主張している、「マス・メディアが腐敗しきっているのではないか」との仮説を裏付けるようなレポートを、インターネット上の複数のウェブサイトで確認しました。

共同通信、姑息な記事差し替え iPS山中教授の記事(2018年01月26日 15:56付 Net IB Newsより)
【追記あり】改ざん? 慣習? 共同通信がiPS記事を約7割差し替えて炎上(2018年01月26日 12時59分付 ねとらぼより)
iPS細胞研の山中所長をめぐる記事に批判集中 共同通信は内容「差し替え」認める(2018/01/26 17:59付 BUZZFEED NEWSより)
(他多数)

このニュース、すでに複数のウェブサイトで触れられていて、インターネット上で「大炎上」している状況なので、ご存知の方もいるかもしれません。

簡単に言えば、共同通信が京大iPS細胞研究所の山中伸弥所長が、あたかも論文不正にかかわったかのようなタイトルの記事を配信。

しかし、山中所長が論文不正と無関係だとする批判が噴出したことを受け、共同通信が記事配信後に、まったく同じURLで、記事のタイトルと内容の大部分を差し替えていたものです。

すでに「ねとらぼ」や「BUZZFEED NEWS」などの取材に対し、共同通信は記事を差し替えたことを認めていますが、これについてはいずれも

新たな要素を加えて記事を差し替えました。編集上、必要と判断しました。その他についてはお答えは控えさせていただきます。

と、明らかに誠意のない回答を出しています。

共同通信の感覚では、これは「改竄ではなく、単に新たな要素を加えて記事を差し替えただけ」であり、「謝罪も必要ない」との認識なのかもしれませんが、明らかに社会通念からは大きく外れた行為です。

私はここに、マス・メディアの腐敗の実態を見る思いがするのです。

「新聞崩壊」論

腐敗したマス・メディアが倒れるのも当然

マス・メディア論は私が強い関心を持っている分野の1つであり、当ウェブサイトでも何度も取り上げてきました。なぜなら、マス・メディアは長年の利権構造の中で、すっかりと腐り切っているからです。

さきほど例に挙げた共同通信社自体は「新聞社」ではありませんが、全国の地方紙などに記事を配信している「通信社」であり、新聞社と深く関連する業態であるため、事実上、新聞社やテレビ局と同様に、現代の日本のマス・メディアを構成する重要な会社の1つと見て良いでしょう。

マス・メディアが腐敗していることの証拠は、他にもいくつもありますが、昨年、日本を騒がせた「もりかけ事件」なども、こうした事例の1つでしょう。これは、

安倍晋三(氏)が内閣総理大臣としての地位を悪用し、友人が経営する学校法人に対して違法な便宜を供与した事件

のことですが、朝日新聞を筆頭とするマス・メディア各社、さらには民進党(や彼らのなれの果てである立憲民主党、希望の党)などの野党が大騒ぎしたわりには、「安倍(氏)が有罪である」とする決定的な証拠は、ただの1度も提示されていません。

この「もりかけ騒動」については、当ウェブサイトで何度も何度も取り上げているので(たとえば『ブログ批判に対する反響』や『安倍政権の本当のスキャンダル』などもご参照ください)、ここでは繰り返しません。

こうした「もりかけ騒動」に代表される「虚報」は、昨年からいっそう、酷くなったように思えます。ただ、マス・メディアのなかでも、とくに大手の新聞社やテレビ局の場合、マス・メディアを批判する意見が報道されることは、滅多にありません(皆無、という訳ではありませんが…)。新聞記者、テレビ記者らが、「身内」であるマス・メディアを擁護することはあっても批判することがないのは、ある意味で当然のことでしょう。

インターネットでは、マス・メディアによる偏向報道の問題が指摘されて久しいのですが、とくにテレビ局については「公正中立な立場から放送をしているのかどうかを自主規制的に規律する」という組織がBPO(放送倫理・番組向上機構)です。

BPOは自らを「自主的に独立した第三者の立場から対応する放送界の自律機関」と述べています。しかし、BPOの理事会メンバーを見れば、新聞社・テレビ局出身者などで占められていて、「独立した第三者」と言えないことは明らかです。

BPOからしてこういう状況なのですから、新聞社、テレビ局を中心とするマス・メディア業界が腐敗するのも当然のことでしょう。

こうした中、インターネットを中心に、既存のマス・メディアからは発信されない情報を発信しようとする人が増えていることは、時代の流れから見ても当然の話です。

私がいつも申し上げているとおり、情報産業とは、情報の出し手だけで成り立つものではありません。情報の受け手がいて、初めて産業として成立するのです。そして、伝統的な情報の出し手であるマス・メディアが虚報ばかり垂れ流すのであれば、情報の受け手としては、マス・メディア以外の情報の出し手を求めることは、自然な流れです。

かくいう私自身も、ジャーナリストではありませんし、新聞・テレビに登場しているわけでもありません。自前のウェブサイトを通じて、ビジネスマンとしての切り口で情報を発信している人間です。

このため、新聞社やテレビ局を擁護するコメントを書く必要などありません。むしろ「経済合理性に反した既得権益組織は市場から退出すべきだ」など、新聞社やテレビ局からは「辛辣」だと受け止められかねない記事を、堂々と発信して来ましたし、これからもそうするつもりです。

経済ジャーナリストのやや残念な論考

ただ、マス・メディアを一括りに「マスゴミ(※)」とさげすむのは、適切ではありません。

(※「マスゴミ」とは:ゴミのような情報を垂れ流すメディアという意味で、インターネットで自然発生したネット・スラングのこと。)

マス・メディアに位置付けられる全国紙や地方紙の中にも、割とまともなことを議論している新聞は存在しますし、テレビ番組の中にも優れたものもあるようです。

本来、ジャーナリストは「情報の出し手」としてはプロフェッショナルであり、本当にプロフェッショナルとしての誇りを持って、質の高い記事を発信しているジャーナリストも、新聞社などには稀に存在するのです(私が尊敬に値すると考えるマス・メディアのジャーナリストとしては、たとえば、日本経済新聞社の鈴置高史編集委員、東京新聞・中日新聞の長谷川幸洋論説委員などの例があります)。

また、マス・メディアの一部ではあるものの、雑誌社や出版社は、新聞社やテレビ局とは異なり、ある程度の自由競争にさらされてきました。このため、雑誌社が運営するウェブサイトの中には、ときどき、新聞社やテレビ局を批判する論考が掲載されることもあります。

私が発見した次の記事も、そうした論考の一種でしょう。

「新聞崩壊」はたった一年でこんなに進んでしまった/このままでは経営維持できないレベルだ(2018/01/10付 現代ビジネスより)

記事を執筆したのは経済ジャーナリストの磯山友幸氏です。

詳しい内容はリンク先の記事を直接読んでいただきたいのですが、内容を簡単に要約すれば、新聞発行部数の減少が止まらない、というものです。

磯山氏はこれを「新聞崩壊」と呼んでいるわけです。

自然に考えて、これだけインターネットが普及したわけですから、ネット配信に切り替えれば良いのに、と思うところです。実際、私自身も契約している米ウォールストリート・ジャーナル(WSJ)だと、新しいニュースが届けば、ウェブサイトが随時更新され、スマートフォンにもプッシュ通知が送られて来ます。

しかし、どうもわが国の場合は、最大手の読売新聞からして電子版に後ろ向きです。電子版でビジネスが成立しているのは、わが国では日本経済新聞くらいなものでしょう。

これについて磯山氏は、「欧米諸国の大手メディアはいち早く『電子化』を進めた」と述べています。そして、欧米諸国の大手メディアが電子化に成功し、わが国の場合は電子化に成功していない理由として、磯山氏は、その要因は2つあると述べます。

1つ目は、米国の場合はもともと国土が広く、物理的に新聞を運べなかった(つまり日本と違って「全国紙」が存在しなかった)ため、「電子化することによって同じ国内の、これまで新聞が届いていなかった地域に読者を広げることができた」こと。

そして、2つ目は、フィナンシャルタイムス(FT)に代表されるように、「英語の力」で全世界に購読者を広げることができたことだとしています。

これに対して、わが国の場合はもともと、とくに全国紙に関しては、全国津々浦々に新聞を送り届ける体制を敷いてきたため、磯山氏にいわせれば、「電子化した場合でも、新たな地域の購読者を獲得するという戦略が断ちにくい」という事情があります。

論考の粗さが目立つのが残念

もちろん、磯山氏の論考は、新聞業界が置かれた苦境の一端を知るうえでは、一定の意義があります。ただ、それと同時にこの論考には、色々な意味での粗さが目立ちます。

とくに、2つの要因は、「欧米で」(つまり「欧州」と「米国」で)大手メディアが電子化に成功したとされる説明としては、必ずしも正しくありません。

1つ目の要因が成り立つのは米国やオーストラリアなどのように、国土が広い国に限定されています。そして、欧州諸国の場合は、1つ1つの国は日本よりも狭い場合もあります。つまり、国土の広さ・狭さに関しては、「欧米で」大手メディアが「電子化に成功した」要因としては、いまひとつ説得力がありません。

また、2つ目の要因についても、それが成り立つのは「英語圏のメディアだけ」です。

欧州には、ルモンド(フランス語)、南ドイツ新聞(ドイツ語)、フィガロ(フランス語)など、わが国でも知られる大手メディアは多数存在します。

これらのメディアが電子化に成功しているのかどうか(※)、また、成功したのだとしたらその要因は何なのか、といった点についても言及して下さると有難いところです(もっとも、磯山氏の論考は、文字数が限られているという制約があることも承知していますが…)。

※私が見たところ、欧州、米国のメディアの中で、電子化に成功しているのはFTとWSJくらいであり、あとは法人用の電子端末で稼ぐブルームバーグやロイターといったところでしょう。

また、磯山氏は読売新聞が電子化を拒んでいるという点を指摘していて、その点についてはその通りだと思いますが、日本経済新聞の電子版とその現状についても触れて欲しかった点です。

ただし、磯山氏の議論に含まれる広告収入や電子化に伴う購読料などの論点については、なかなか面白い深い考察だと思います(といっても全面的に同意するわけではありませんが…)。これについて興味がある方は、是非、リンク先の記事を直接、お読みください。

新聞社が生き残る方法は、ある!

新聞というビジネスモデルの限界

新聞とは、いうまでもなく「紙媒体」です。紙に刷って、それを全国津々浦々に(しかも毎日)送り届けるというのは、大変な手間です。そして、執筆された記事が印刷され、読者の手元に届くまでに、どんな短くても数時間は必要です。

私自身も新聞配達の経験があるのですが(詳しくは『新聞配達の思い出』をご参照ください)、雨が降れば新聞は湿ってしまいますし、週末になれば、チラシ広告の量が異常に増えるため、配達も大変です。

読者としても、新聞に印刷されている情報は古く、持ち運びにも不便で、満員電車で読むのも大変です。大都市圏に勤めている方であれば、満員電車でも快適に読めて、最新の記事がどんどんと配信されてくるスマートフォンにシフトするのも当然のことでしょう。

また、もともと地方にお住まいの方であれば、通勤に自家用車を使う場合があると思います。このような場合は、出勤中には新聞ではなくカーラジオで情報を聴くというスタイルが一般的かもしれません。

いずれにせよ、新聞は持ち運びが不便であるため、勤労世代が通勤途中に読むというよりも、引退した世代が朝、自宅でじっくりと読むのに適しています。

スマートフォンなどの情報端末が普及した現在、現役のビジネスマンの新聞離れが進むのも必然なのです。

余談ですが、私の自宅兼職場のある新宿のマンションでは、私の自宅があるのと同じ階に、若い男性が1人で居住されています(このマンションにはファミリータイプとワンルームタイプの物件が混在していて、私の自宅はファミリータイプ、職場はワンループタイプの物件です)。

この男性は、毎朝7時前に自宅を出ていくようなのですが、この男性宅のドアポストには、いつも日本経済新聞が差さっています。つまり、新聞を購読しているものの、新聞を抜かずに出かけているようなのです。

また、ときどきこの部屋のドアポストに入りきらなかった新聞が溢れ、風が強い日には私の自宅の前に新聞が散乱していることもあります。さらに、新聞がドアポストに差さったままだと、空き巣に狙われるなど、マンション全体の治安にも影響が出かねません。

「新聞を取るなら読む」、「新聞を読まないなら取らない」のどちらかにしてほしいと思います。

(ただ、直接文句を言う訳にもいかないため、なかなか困った問題です。)

新聞社の苦境の理由は「情報そのもの」への社会的疑義

ここで、新聞の部数の問題に話を戻しましょう。

近年、新聞の部数が急減していることは間違いありませんが、その要因については、必ずしも衆目が一致しているものではありません。

私の勝手な印象ですが、磯山氏のようなジャーナリストだと、「紙媒体であることのデメリット」がその主要因だと主張する場合が多いのですが、私のような「ウェブ評論家」だと、これだけが原因だとは考えていません。もっといえば、新聞社が経営難に陥る理由は、「新聞社の論調自体に問題があるから」だと考えます。

実際、先ほどの磯山氏の記事でも引用されていた「ABC部数」で調べてみると、主要全国紙が軒並み大きく部数を減らしているのに対し、産経新聞はそれほど部数を減らしていないばかりか、年度によってはむしろ微増に転じている場合もあります。

つまり、新聞社の経営難の正体とは、「紙媒体/電子媒体」という部分にあるのではありません。

新聞社の最大の「売り物」である「情報の正確性」に、疑義が高まっているからに他ならないのです。

「もりかけ事件」、「慰安婦捏造事件」、「南京大虐殺捏造事件」など、歴史に残る数々の報道犯罪を繰り返してきた朝日新聞は論外として、それ以外の新聞も、情報のクオリティは決して高くありません。

私に言わせれば、全国紙の中でも割と堅調に部数が推移している産経新聞にしたって、他のメディアにはない保守的な政治論調が「ウリ」になっているだけの話であり、「産業」「経済」の分野における情報発信力はいまひとつです。

データ・アーカイブとして生き延びよ!

つまり、世の中全体で「紙媒体」が減っていることは間違いないのですが、私は逆に、新聞社が別に「紙媒体」にこだわる必要はないと考えます。

冷静に考えてみれば分かりますが、新聞を紙に刷って全国津々浦々に届けるよりも、ウェブ上に掲載して、それを全国、いや全世界に向けて配信する方が、情報そのものの流通コストは遥かに安いのです。

私がこのような言い方をすれば、「紙媒体の新聞がなくなってしまえば、全国の新聞販売店の人たちが困るから、新聞は必要だ」という反論をする人もいます。

しかし、紙媒体の新聞の販売高が落ちたとしても、新聞販売店の人たちが困るとは限りません。なぜならば、新聞販売店は全国津々浦々に新聞を効率よく届ける仕組みですが、その仕組みをそのまま活用し、「新聞以外の何か」を宅配する仕組みに転換すれば良いからです。

たとえば郵便局、ヤマト運輸、佐川急便などとタイアップして、物流拠点に業態転換すれば、恒常的な労働力不足に悩む宅配業界にとっては救世主のような存在に化けるでしょう。

つまり、新聞配達という社会的なニーズが消滅したからといって、直ちに雇用が損なわれるわけではなく、むしろ社会全体として生産性は上昇するのです。

仮に私が新聞社の経営者であれば、むしろ新聞のウェブ化を積極的に進めるでしょう。

その1つの利用方法は、「データ・アーカイブ」です。

これは、自社がこれまでに発信した情報を無制限に読むことができるという仕組みで、すでに英FTや米WSJなどは、プレミアム会員向けに「過去の記事を無制限で読み放題」というサービスを提供しています。

考え様によっては、これは非常に便利です。

紙媒体だと、気になった記事があっても、切り抜いてスクラップ・ブックに保存しなければなりません。

しかし、「過去のデータを無制限で取り放題」となれば、記事をスクラップ・ブックに保存する必要がなくなります。そして、自宅でも職場でも、どこにいても、それらの記事を読むことができるのだとすれば、これは「紙媒体よりも付加価値が高い」ということになります。

私がWSJのプレミアム会員となっている理由も、まさにこの「過去の記事を検索し放題」というメリットがあるからなのです。

言論プラットフォームは必要

普段、私は新聞社やテレビ局に対しては、かなり批判的な論考を掲載することが多いのも事実です。

とくに、マス・メディアが「マスゴミ」と呼ばれて蔑まれていることについても、私はこれまで、弁護しないばかりか、「マス・メディアの虚報体質による自業自得だ」と言い放ってきました。

ただ、ここで「新聞社の本業とは何か」と考えていくと、それは「情報を提供する機能」であり、とくに社会のニュースに加え、過去の選挙結果、過去の株価、為替相場、金利などの経済指標を効率的にストックしている組織でもあります。

そうであるならば、新聞社も「データベース」としての機能に特化したら良いのに、と思いますし、そのような方面であれば、新聞社が生き延びる可能性は飛躍的に高まると思います。

なにより、日本は民主主義社会であり、民主主義社会であれば、正確な情報を提供するという機能を、政府ではない民間人・民間企業が担うべきです。

私のこのウェブサイトも、ささやかながら「民主主義の言論プラットフォーム」であることを目指しているのですが、新聞社が本当に社会に役立ちたいと思うのならば、インターネットをフル活用し、これらの情報を整理し、見やすく提供するという機能を備えた新聞社こそ、「民主主義の言論プラットフォーム」を作るのに一番近い組織でもあるのです。

新聞社が虚報をやめて、戦略転換を図ることができるか、それとも紙媒体での新聞にこだわり、古い虚報体質から脱却できずに倒産して消えていくか…。

その答えは、ごく近い将来、ほんの数年後には見えてくると私は考えています。

本文は以上です。

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読者コメント一覧

  1. 何となく より:

    新聞が紙からネットへの切り替えが困難なのは経済的な面が大きいのではないでしょうか?新聞の部数が減っていても広告費はネットと単価が違いすぎ増すので。

    情勢発信という観点なら管理人さんの言う通りなのですが、あくまでもビジネスとして考えると新聞、チラシの広告費は新聞社及び販売店には欠かせない要素何だと思います。

  2. ななしん より:

    日本経済新聞の前身は株式市況を伝える新聞でしたし、これからの新聞は論説や報道よりもデータを販売することになるでしょう。インターネットでデータを調べることは出来ても、仮説を立ててデータを創る・収集することは出来ません。極めて属人的な作業です。モノの見方・考え方が問われる。ここが新聞業界の生き残りの道かと思われます。
    業界新聞のマメな取材記事や独特な手法でのデータ収集・統計など一次データとして貴重なものもあります。
    専門家や実務家向けに特化するのも方法だと思われます。
    全国紙は速報性でダメ、専門性でダメ、データはインターネットで取れる二次情報でダメなので、取材力を上げないと終わりです。要はコンテンツなのです。

  3. カズ より:

    果たして販売店が配達代行サービスに転換できるのでしょか?
    大手宅配御者並みの人材がいるのか疑問に思います。
    本社は紙がなくとも不動産事業で社員を食わすことは
    できると思いますが、財務の分析をお願いいたします。

  4. 匿名 より:

    今迄は馬鹿層にもわかりやすく伝えることが使命だった新聞ですが、その馬鹿層と広告主はインターネットに移ってしまいました。だから読者として残ったインテリに対応しなければいけないのだが、如何せん新聞社の人間の程度が低すぎて、いまさらインテリも読める気立ての良い洒脱な記事など書ける訳が無い。新聞業界の人間を総入れ替えでもしなければ、お下劣路線からの脱却は無理です。FT? WSJ? 日本には高級紙が一つもなかったし、それが誇りとか昔は言っていた阿呆がいた。日本経済新聞に若干の教養の香りもあるが、ニュースソースには共同通信やら記者クラブなどの影響か、他紙のレベルの低さに引き摺られている。
    新聞業界が変わるには、記者は必ず海外留学しているとか、もと上級公務員、企業経営経験者、教育者など純粋培養された人間と混ぜ合わせる必要がある。これをしないで東大閥だとか、丸々ゼミ出身とかで固めて、放送局とだけ人事交流しているから井の中の蛙だらけになるのでしょう。
    身内だけで経営・運営していれば遠からず潰れると思います。

  5. 非国民 より:

    日経新聞だけど、電子版のみの契約があると思う。若い人はたぶん電子版を読んでいて宅配はおまけという考えなのかもしれない。だったら電子版のみにしてもらったらよいのでは。値段も安くなるし。
    新聞は通信手段が貧弱だった過去の遺物だ。ようするに有線の電話と同じ。どんどん衰退していく。生き残るのは日経新聞ぐらいかも。普通の新聞を読んでいても目新しい情報はない。政治的な内容がおかしい面もあるがそもそも読んでよかったという情報がほとんどない。
    技術の進展はおそろしい面がある。液晶画面の照明は依然は冷陰極管というものが主流だった。ところが発光ダイオードが代替品として登場し、冷陰極管のメーカは倒産したところもある。技術の進展は業界をぶっ壊すほどの破壊力がある。新聞業界もこのままではほとんど絶滅してしまう。

  6. porter より:

    共同通信のやつネットでボコボコに叩かれてしれっと記事改ざんしてさらに炎上したやつでしょ?新聞記者専門知識なさすぎて草www

    >新聞が生き残る方法

    ねーよwwwww

  7. めがねのおやじ より:

    < 毎日の更新ありがとうございます。
    < 紙媒体が生き残る道として、インターネット版へのシフトがあるじゃないかという意見もあろうかと思います。しかし、新聞というのは所詮その日その時限りの、主に半日から早くて6~8時間前の出来事を追っているものです。ほんの1~2時間前など無理だし、インターネットでもそこまで早いのは、よほどの大事件の一報か、ある程度結果の時間が読める国会質疑、両院選挙開票速報、スポーツ等イベントですよね。
    < 新聞の良さは一つには28ページなり36ページなりに(その半分は広告だが、それを見る人も当然いる)政経、世界、株価、学芸、教育、社会、地域、医学、スポーツ、娯楽などの一通りのコンテンツが詰まっている事だと思う。マウスやキーを操作せずともペラペラめくるだけで、目に入り頭にある程度記憶される。要らないページは飛ばす。連載物や短期集中1週間のみとか、毎週月曜のみとかを切り貼りしている人もいるけれど。要らなくなったらまとめて捨てるだけ。過去の出来事を古新聞から探すのは大変、当然今の世ならインターネットに世話になります。で、必要なら保存する。
    < 「しんもんよみ」(あたらしいものごことをよむ)の新聞は、その程度のモノでいいんじゃないですか。正直今の新聞社のネット版はフラストレーションが溜まる。「もうちょっと切り込んで欲しい」、「詳細まで載せて欲しい」と思っても、そこは「後は有料になります」とか「あと○ページだけ今月無料」とかで、煩わしい。もっと広告出稿を増やせば済むこと。収益は出るはずですが、頭の旧式の人が偉いさんに多いのか、あまりやる気を感じませんね。まあ、彼らにすればネット民は敵と思っているのかも知れないが。
    < 失礼しました。

  8. りょうちん より:

    私の持論ですが、

    1. マスゴミ崩壊と言うが、別に最近崩壊し始めたわけでは無い。
    2. そもそも新聞・TVを作成しているほとんどの自称ジャーナリストは単なる素人の集団でしか無い。
    3.それでも恥知らずに知ったかぶりの低レベルの記事を書き散らしていたが、読む方も大多数が素人のため、「権威」を誤信する読者によって商売は成り立っていた。
    4. いわゆる専門家は、鼻で笑ったり苦々しく思っていたし、発言を切り取られてねじ曲げた「識者の意見」に利用されるだけだった。
    5. ところが、インターネットの発達で、専門家が黙っていなくなった。間違いだらけの専門記事は、ツイッター・ブログなどで学術的・専門知識に裏打ちされた根拠付きで全否定され、不当に発言をねじ曲げられた専門家もあの記事は捏造だと抗議する。
    6. 一般の読者もそれを読んで、マスゴミ記事というのものへの信頼感は皆無になった。
    7. そしてそんな劣後商品をお金を出して買う様な奇特な読者はインターネットに不慣れな年寄りだけになり先細り。

    少数素人の集団 vs 無数の全世界の専門家で勝負になるはずもなし。

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