安倍政権は連続在任最長へ:国の在り方、今こそ議論を
本日は75回目の終戦記念日です。また、時事通信の昨日の報道によれば、安倍政権の支持率は32%と、2017年7月以来の最低水準なのだそうですが、その安倍政権は今月24日に連続在任日数として史上最長を迎えます。武漢コロナ禍がなかなか収束しないなかで迎える8月15日を、そしてわが国の在り方を、私たちはいったいどう考えればよいのでしょうか。
目次
終戦記念日
日本はソ連に負けたのか?
本日は75回目の「終戦記念日」です。
ただ、毎年のことですが、8月15日をもって「終戦」とみる、という考え方には、あまり賛同できません。なぜなら、1945年8月15日以降にも、おもにソ連軍と日本軍との戦闘が発生しているからです。
内閣府の『北方領土問題』に関する説明を読むと、ソ連が当時の日ソ中立条約を一方的に破って日本に対し宣戦布告したのが1945年8月9日のことであり、ポツダム宣言受諾に関する玉音放送が流れた8月15日よりも3日後の8月18日に千島列島最北端の占守(しゅむしゅ)島に上陸。
その後、ソ連軍は島づたいに南下し、8月31日までに千島列島の南端である得撫(うるっぷ)に到達しています。
また、いわゆる「北方4島」については、樺太方面から侵攻した別動隊が8月28日に択捉島を占領したのを皮切りに、9月1日から5日までの間に、国後、色丹の両島、さらに歯舞群島のすべてを占領したのだそうです。
正直、このソ連軍の動きについては、「火事場泥棒」というよりほかに表現のしようがありません。
ただ、当ウェブサイトとしてはこの件につき、世間とは少し違った見方をしています。それは、ソ連(あるいはロシア)という国は、心の底では日本を恐れている、ということです。
ソ連を含めた連合国は1945年5月8日の時点で対独戦に勝利していたわけですし、日本はすでに敗色濃厚だったわけですから、5月の時点でただちに対日宣戦布告していれば、ソ連にはもっと多くの「戦利品」がもたらされていたはずでしょう。
いずれにせよ、(国際法上の戦争の定義はさておき)1945年8月15日の時点では、日本はソ連には負けていなかった、という言い方をしても良いと思います(※この点については異論は認めますが…)。
米中露を同時に敵に回す愚
さて、当ウェブサイトに対しては、ごく一部の方々からは「極右サイト」というありがたい称号をいただいているようですが(笑)、著者自身は「極右論客」だとは考えていません。
勝手なイメージですが、「極右」と呼ばれる人たちは、「日本がやること、なすことはすべて正しい」、「日本国憲法を今すぐ無効だと宣言し、大日本帝国憲法を復活せよ」、などと提唱しているのではないかと思います(※個別具体的に誰かを想定しているわけではありませんが…)。
しかし、当ウェブサイトとしては、「戦前の日本がすべて正しかった」、「大東亜戦争は正義の戦争だった」、「大日本帝国憲法は無謬の憲法だった」、「日本国憲法は今すぐ破棄すべきだ」、との見方には同意しません。
もちろん、『コロナウイルスも憲法で禁止しよう!』あたりでも議論したとおり、現行の日本国憲法を眺めると、「明らかにおかしな条文」としては憲法第9条第2項だけでなく、たとえば第86条(予算単年度主義)や第7条(天皇の国事行為が多すぎる問題)などもあります。
ただ、日本国憲法にはおかしな条文もありますが、その一方で、自由主義、民主主義、法治主義などの近代国家としての考え方、制度設計などについては、多少時代遅れな部分はあるにせよ、きちんと盛り込まれています。
また、大日本帝国憲法には「内閣」という用語が存在していなかったというのは非常に有名な話ですし、占領下であったとはいえ、現在の日本国憲法は法形式上、大日本帝国憲法を改正するという手続によって成立していることは間違いありません。
したがって、当ウェブサイトとしては、
「日本国憲法自体は有効であるし、全否定すべきでもないが、時代にそぐわない規定については速やかに改正することが必要だ」
と考えている次第です。
靖国神社はやかましくてかなわぬ
さて、世間的には8月15日は終戦記念日と認識されており、右派、左派を問わず、この日は靖国神社周辺で大騒ぎをする人が多くて、個人的には正直、うんざりします。
もちろん、私たち日本人、いや、私たち人類は、先の大戦のような惨禍を決して繰り返してはなりませんし、日本が戦争に至った経緯については多角的かつ冷静に分析し、将来に向けて語り継いでいかなければならないことはまちがいないでしょう。
ただ、くどいようですが、個人的には「8月15日」をとりたてて大騒ぎするという風潮に対してはいかがなものかと思いますし、また、8月15日に靖国神社周辺に行くと、右翼団体の街宣車が大音量で軍歌を流すなど、本当にやかましくてなりません。
(※ちなみに街宣車に乗って大音量で軍歌を流している団体やその関係者らは、果たして本当に愛国者なのでしょうか?極論すれば、保守派のイメージを悪くするために、反社会的勢力がわざと右翼のフリをして、そういう活動をしているようにすら思えてなりません。)
また、靖国神社の境内には、例年、マスメディアの関係者が多数押し掛け、参拝客に対して無断でカメラを向けてきますし、また、歩いていると新聞社やテレビ局の腕章をつけた連中にいきなりマイクを突き付けられたりもします。
いずれにせよ、8月15日という日付は、本当に祖国を思い、英霊をたたえようとする人にとっては、騒がしくてなりません。戦争の惨禍を繰り返さないようにしたいという国民の気持ちは一致しているはずなのに、本当に不思議な話です。
国の在り方を考える
日本の強みと弱みを認識する好機
もっとも、日本においていまだに憲法議論が進まないのは、べつにGHQの陰謀でも何でもありません。
やはり、立憲民主党を筆頭とする野党が憲法議論に応じようとしないこと、改憲議論を封殺しようとするメディアが不当に大きな社会的影響力を持っていることもさることながら、私たち日本国民がこの状態を是としてしまっている状況が、私たちが「戦後」から脱却できない最大の理由です。
このあたり、じつはわが国も、「平和憲法」をタテに、日米同盟を現在以上のものに発展させようとしてこなかったという意味では、日本国憲法の「恩恵」(?)を受けているのだ、という言い方をしても良いかもしれません(やや強引な屁理屈かもしれませんが…)。
しかも、「戦後から脱却できていない」のは、憲法議論だけではありません。
たとえば、国際情勢は待ったなしで動いています。いうまでもなく、中国の経済的・軍事的台頭に伴い、国際秩序が大きな脅威を受けているからです。こうした国際環境を眺めていると、中国リスクには軍事、経済両面から対応が必要です。
それなのに、一部の日本企業はこの期に及んで中国に対し新規投資を継続する方針を守っているようですが、結局これについては、「中国リスクにどう対処するのか」といった点を巡って、肝心の国民的なコンセンサスの形成が遅れているのです。
あくまでも個人的な見解で恐縮ですが、日本が軍事的に台頭すれば、それを歓迎する国と、歓迎しない国が存在します。「歓迎する国」の筆頭は、「ファイブアイズ諸国」でしょう。あるいは、ASEANやモンゴル、台湾のように、中国の圧力に苦しむ諸国は、日本の軍事力増強を喜ぶはずです。
一方で、日本の軍事力台頭を喜ばないのは、北方領土などの不法占拠を続けるロシア、日本人を拉致して返そうとしない北朝鮮に代表される無法国家であり、その無法国家の総本山こそが、中国です(※残念ながら、最近だと韓国もこの「無法国家」群に名を連ねているようですが…)。
この期に及んで、防衛力の強化に中韓の了解が必要だ、などと考えるふざけたメディアも存在するようですが(『なぜ中国からの防衛で中国の理解が必要なのか』等参照)、外国が日本に脅威を与えている以上、日本もこれに防衛力増強、防衛体制整備で応じるのは当然すぎる話でしょう。
安倍政権が連続在任日数で史上最長に!
さて、こうしたなか、もうひとつ触れておきたい話題があります。
それは、安倍政権がもうすぐ、「連続在任日数」でも史上最長となる、という事実です。
安倍晋三総理大臣は、すでに昨年11月20日時点で、内閣総理大臣としての在任通算日数が2887日に達し、それまで憲政史上最長だった桂太郎(2886日)を抜いて「通算在任日数史上最長政権」を達成しています。
昨年11月20日時点での安倍晋三内閣の在任日数
- 第1次安倍晋三内閣…2006/09/26~2007/09/26(366日)
- 第2次安倍晋三内閣…2012/12/26~2014/12/24(729日)
- 第3次安倍晋三内閣…2014/12/24~2017/11/01(1044日)
- 第4次安倍晋三内閣…2017/11/01~2019/11/20(750日)
- 第1次~第4次・通算…2887日
ところが、この安倍政権は、第1次内閣が2007年9月26日に倒れ、2012年12月26日に再登板するまで、およそ5年3ヵ月のブランクがあります。
この間、福田康夫元首相、麻生太郎総理、鳩山由紀夫元首相、菅直人元首相、野田佳彦前首相の5人が政権を担当し、とくに民主党の3代で日本はずいぶんとメチャクチャにされました。第2次安倍政権は、スタートから民主党政権の負の遺産を抱えこんでいたのです。
しかし、もしも安倍政権が今月24日まで継続すれば、2012年の再登板以降で見ても、安倍政権は連続在任としては史上最長記録を更新するのです。
佐藤栄作内閣と安倍晋三内閣
- 佐藤榮作内閣…1964/11/09~1972/07/07(2798日)
- 安倍晋三内閣…2012/12/26~2020/08/24(2799日)
時事通信によると支持率は30%台に?
では、安倍政権は無事(?)、8月24日まで在任できるのでしょうか。
常識的に考えて、あと10日間のうちに政権が倒れるとしたら、安倍総理が急病ないしはテロに倒れるくらいしか考えられません。自民党内で突如として「安倍おろし」が発生する可能性は皆無ではありませんが、安倍総理には解散権もあります。
ただし、最近では武漢コロナ禍への対応に「不満がある」との意見も強いらしく、時事通信が昨日報じた8月の世論調査(面接方式)では、安倍内閣の支持率は32.7%に低下する一方、不支持率は48.2%に上昇したのだそうです。
内閣支持32%、過去最低目前 コロナ対応「評価せず」6割―時事世論調査
時事通信が行った8月の世論調査で、安倍内閣の支持率は前月比2.4ポイント減の32.7%、不支持率は同2ポイント増の48.2%だった。<<…続きを読む>>
―――2020年08月14日19時27分付 時事通信より
もっとも、当ウェブサイトではいつも申し上げているとおり、メディアが実施する内閣支持率調査については質問によってある程度は結果が誘導できてしまうようであり、全幅の信頼を寄せるには慎重でなければなりません。
しかし、国民の多くがコロナ蔓延を懸念する一方で、「GoToトラベル」キャンペーンを打つなどの政策のちぐはぐさに疑問を抱いていることはたしかでしょう。
また、当ウェブサイトでもかなり早い段階から申し上げてきましたが、武漢コロナ禍においては、国債の大幅な増発、消費税の減税・凍結などの措置が必要です。いや、むしろそもそも日本は財政再建を必要としておらず、現在の日本の税金は「取り過ぎ」だからです。
このように考えていくと、安倍政権がかたくなに消費税の減税・国債増発などを拒絶し続けるなら、日本経済は低迷し、いずれおかしな主張を掲げる集団が登場するかもしれません。かつてナチスの台頭を許したドイツのようなものですね。
政党支持率が肝要
もっとも、上記時事通信の調査を信頼するならば、現在のところ、今すぐ解散総選挙がなされたとしても、自民党が政権を失うかどうかは疑問です。なぜならば、政党支持率は次のとおり、全野党を足しても自民党には遠く及ばないからです。
- 自民党…24.2%
- 立憲民主党…3.5%
- 公明党…3.3%
- 共産党…1.6%
- 日本維新の会…1.5%
- 国民民主党…0.6%
- れいわ新選組…0.6%
- 社民党…0.5%
- NHKから国民を守る党…0%
NHKから国民を守る党がゼロ%というのも興味深いところですが、最大野党である立憲民主党に対する支持率が、自民党の7分の1というのもすごい話でしょう。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
ただし、こうした状況において、一番心配なのは、なんといっても自民党が国民の声を聴かずに慢心してしまうことです。その意味では、私たち国民の側が、さまざまな形で声を上げ続けることが重要です。
くどいようですが、経済は国の根幹であり、国防をトータルに考えていくことが重要です。
少なくとも個人的には、8月15日を落ち着いた気持ちで国の在り方を考える好機にしたいと思う次第です。
本文は以上です。
日韓関係が特殊なのではなく、韓国が特殊なのだ―――。
— 新宿会計士 (@shinjukuacc) September 22, 2024
そんな日韓関係論を巡って、素晴らしい書籍が出てきた。鈴置高史氏著『韓国消滅』(https://t.co/PKOiMb9a7T)。
日韓関係問題に関心がある人だけでなく、日本人全てに読んでほしい良著。
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自称元徴用工問題、自称元慰安婦問題、火器管制レーダー照射、天皇陛下侮辱、旭日旗侮辱…。韓国によるわが国に対する不法行為は留まるところを知りませんが、こうしたなか、「韓国の不法行為に基づく責任を、法的・経済的・政治的に追及する手段」を真面目に考察してみました。類書のない議論をお楽しみください。 |
【おしらせ】人生で9冊目の出版をしました
日本経済の姿について、客観的な数字で読んでみました。結論からいえば、日本は財政危機の状況にはありません。むしろ日本が必要としているのは大幅な減税と財政出動、そして国債の大幅な増発です。日本経済復活を考えるうえでの議論のたたき台として、ぜひとも本書をご活用賜りますと幸いです。 |
更新ありがとうございます。
弱過ぎる野党が無駄ですよね。。。
令和2年6月17日現在のデータでは、衆議院は自民党284名に対し立国社で119名との事。
http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_annai.nsf/html/statics/shiryo/kaiha_m.htm
支持率通りの議席なら自民党の6分の1程度の議席なのに、その議席の3倍近い議席である幸運というか強運?を活かせない特定野党のカスっぷり。
特定野党が特別国会を開くよう要求するのは、日本の税金を浪費させてインフラや軍事費に回すお金を少しでも削る為の戦略なのかもですね。
李登輝さん靖国参拝。「やっと兄に会えました」台湾、李登輝エアポートに改名しよう。262-②【いくバズ】生田×金美齢×坂東
https://www.youtube.com/watch?v=_OK7frsPFWw
靖国は宗教に関係なく国の為に戦った人を祭る場所
自衛隊を尊敬してると言えない日本が異常。
何処の国でも自国、自国民を守る兵士は尊敬されるべき。
その意味で党の軍隊は人民の軍隊でない事は明らか。
石破は悪い人間を祭る場所だから、靖国に行けないといったそうです。
自国、自国民を守るため戦った人に良い悪いなどない。
ちょっと話がズレて申し訳ないが
「靖国神社」の英霊について
設立の経緯から仕方ないのかもしれないが
新政府軍側のみ。遊就館の靖国の神々の一覧表では「明治維新」のみ。(彰義隊や新撰組を含む)旧幕府軍や奥羽越列藩同盟軍の戦死者は対象外となる。
彰義隊や新撰組を含むなら戊辰戦争や奥羽越列藩同盟軍も入れたって
安倍政権
瑕疵はあるが「新型コロナウィルス」対策のみをみても評価されるべきかと思います
(私的に)「温暖化対策」のムダ金をカットできたら評価大アップです w
激務で心配です
呉のヤマトミュージアム関係でTVに出てた方がおっしゃった、「特攻隊は部下を殺す外道の作戦。」という言葉が忘れられません。
新聞に載ってた、赤紙を配る人が配る時はやはり罪悪感があったそうです。
特攻隊を命令する側と、される側。赤紙を配る側と、配られる側。
三島由紀夫さんのような人ばかりではないので、最初から軍事の戦争に走るのは反対です。
軍事の前に、経済で戦う、正しい民主主義国家が連帯するという戦い方が希望です。
ユーチューブ、フィフィさんの動画で「香港国家保安法は、中国を批判すれば外国人も逮捕される。最高刑 は無期懲役です。幸い日本は、犯罪人引き渡し条約を中国と結んでいません。しかし、中国が犯罪人引き渡し条約を結んでいる50ヵ国ぐらいに立ち寄ったとき捕まって、中国に引き渡される可能性があります。香港国家保安法は中国語だけ発表されて、英語はありません。皆様も気お付けてください。」とございました。中国共産党が支配している中国とは、まず離れる事が大切だとおもいました。
日本政府は、国民、海外にもっと発信した方が良いとおも思うし、思いました。
更新ありがとうございます。
今日は8月15日。日本人の私にとっては複雑な想いになる日です。直接体験した訳ではないですが、その日に生まれた新生児も最早後期高齢者。時間の流れの早さを痛く感じますし、地球上最底辺国に落ちた当時の人たちは、とにかく生きるのが精一杯だったでしょう。
冒頭、会計士さんはソ連の火事場泥棒的な「日ソ不可侵条約」破棄による北方領土の侵略に触れておられますが、4島含む諸島はどこでも語られてますので、樺太南部について少し調べましたので報告します(ご存知の方は読み飛ばして下さい)。
樺太南部と言っても勿論北側から不意打ち的に攻められました。防御は師団一つ。航空機、戦車等既に南方作戦に回された。機銃と手榴弾と拳銃のみ。
当時の無線網では仕方ないですが、大本営からは武装解除、ソ連に抵抗するなの指示が来、既に故郷に戻る途中の兵も居ました。ところが北方軍本部の札幌(直属の命令系統)からは「樺太絶対死守」の命が下されます。
結局、確認に手間取り大本営に従ったものの、武装解除して戦闘意欲を無くした師団本部はソ連軍代表と会い、降伏。
多くの者が抑留され、逃亡を試みた者はマンドリン銃で射殺、また捕虜となってもなぶり殺しに遭ってます。更に連絡の取れてない支隊では民間人も戦力にし、玉砕まで抗戦してます。
逃げる民間人は、、筆舌に尽くし難い目に遭い、真岡(北海道との連絡船乗場)まで辿り着く迄にソ連軍の空からの機銃掃射、艦砲射撃、最後は上陸兵が殺戮しました。
日本軍師団兵も同じ時、トラックで北海道を目指してます。「年寄り、赤ん坊がいます。載せて下さい」と言っても無視。最優先で港を目指す。いや、むしろ蹴散らした。市民を守る気などありません。
地域最大の真岡郵便局の電話交換手(9人全員が若い女性たち、当時は逓信省の管轄で、郵便と電話は同じ)は、札幌局からの「早く逃げろ」の督促があったのに、業務を続けソ連軍が突入した時、青酸カリをあおり全員自決しました。
9月に入って日本人の掃討は終わりましたが、スターリンは更に南下、北海道の北半分を取ると要求しましたが、GHQマッカーサー元帥が強硬に反対し、先に米国軍が駐留、本島には入れませんでした。
しかし樺太、千島列島、満蒙で民間人を殺害し凌辱したシベリアの刑務所から出て来たと言われる無教養なソ連軍兵士の暴虐は、未来永劫語り継がれるでしょう。長くなり過ぎましたので、この件おわります。合掌。
『ごく一部の方々からは「極右サイト」というありがたい称号をいただいているようですが』本当ですか?だからたまに、変なコメントが載るのかなぁ。会計士さんとこには、直接行ってると思いますが、極右では無いでしょう。憲法9条第2項がおかしいとか、親韓媚中議員、企業を非難するのは、ごく普通だと思いますがね(笑)真ん中(笑)。
安倍晋三総理大臣は連続で2799日在位達成間近、いやー信じられない長さ。日本の首相って1〜1.5年サイクルでG7でも肩身が狭かった。英語マトモに話すのは宮澤氏ぐらいで(話すだけ)。おめでとうございますと言いたいところですが、悩みは深いですね。
中国(米中対立)も厄介だが、武漢コロナ禍も一筋縄では行かない。長期戦です。というのも私の仕事場で6月末で一度収束し、畳んだはずのコロナ病棟が今週から、また復活しております。
もう既に軽度の患者さんは入院中。今後、中程度は引き受ける準備をしております。前回医療人に感染者が出なかったのは僥倖ですが、これだけ感染者が増えると、不安です。
国民は旅行、出張、帰省、飲食、買物等簡単に出来ない訳で、失業状態の人も出る。だから内閣支持率は32.7%にまで低下する。しかし、これだけ難関だらけなら、安倍総理に頼るしかないでしょう。
経済の引き上げには消費税の減税・凍結、国債の増発などの措置が必要です。これは早急にやっていただきたい。
但し国民が全てモノを買わなくなったのでは無く、外出先での消費が落ちた、という事です。大手スーパー・量販店、地域スーパー等の食品の売上は、思った程落ちてません。「ソト」で使わずに「ウチ」でしっかり消費していると見ます。何処かでガス抜きしないと、心が病みますもんね(爆笑)。以上。
しかし、最後の対ソ戦では2つの勝利がありました。
一つは千島列島最北端の占守島の戦闘で、上陸して来たソ連軍を同島所在の第91師団が迎え撃ち、これに大打撃を与えました。楽勝のつもりで上陸したソ連軍は、師団を挙げての反撃により水際に追い詰められ、辛うじて日本側の停戦命令により全滅寸前で戦闘が終結となりました。特筆するべきは、この戦闘でソ連は出ばなをくじかれ、進攻作戦の予定が大きく狂い、本当ならば上陸するはずの北海道北東半分への上陸作戦を断念させられたことです。第91師団の奮戦は、日本を分断の危機から救いました。また、ソ連軍上陸の報と同時に師団司令部は島の水産工場にいた女性従業員を直ちに集め、漁船に乗せて北海道に送り出しました。婦女子だけは何とか無事に本土に送り返そうという温情があったのです。女性従業員を乗せた漁船は無事に北海道に到着し、女性たちはソ連軍の魔の手から救われました。
二つ目は、内モンゴル方面の戦いです。同方面を守備していた駐蒙軍は、ソ連軍進攻開始を知ると、直ちに在留邦人4万人を集合させ、「一時的な避難」と言いくるめて列車に乗せて安全地帯の天津に送り出しました。前線では激戦が続き、幾度もソ連軍の攻撃を受けてはこれを撃退、遂に全邦人の避難を確認した駐蒙軍は世闇に紛れて自らも撤退しました。戦後、何年か経ってから、命を救われた邦人引揚者たちは、軍関係者を招待して感謝の催しを行ったそうです。
日本軍の歴史は、このような国民を守る戦いの勝利で締めくくられたことを、記憶しておきたいものです。
宇宙戦士バルディオス 様
一度に中国と南方と太平洋との3方面作戦は、日本には無理でしたね。敵を増やし過ぎました。更に8月に入ってからソ連、、。そこまでやられたのに世界の論調は「アジアを征服しようとした日本が悪い」「大日本帝国を潰せ」という思考が当時から今迄、主流でしょう。
可能な限りいくさはせぬ事。ヤル前から期間と和議のタイミングを決めておく事。味方の大国を複数作ること。コレらが大事かと思います。
太平洋戦争で日本の敗戦が決定したマリアナ沖海戦が昭和19年6月。
日本人の戦争での死者の大多数がそこから8月15日の間に亡くなられているという話があります。
一度始めた戦争をやめる困難さ。でしょうね。
加藤陽子氏の著作で、ルソーが「戦争は国家と国家の関係において、主権や社会契約に対する攻撃、つまり、敵対する国家の、憲法に対する攻撃、というかたちをとる」と紹介されています。
果たして米中、そして日本、どちらが憲法を変えることになるのでしょうか。
以前、新聞社の世論調査をみて「次期総理は?」の選択肢に安倍総理の名前がないことを不思議に思った覚えがあります。
個人的には安倍政権のもう一期の続投を経て、原理原則に基づく言動のブレない人材を育成し、継承して欲しいと思っています。
*自民の政党支持率が低い新聞社の世論調査では不支持率との和の数値が小さい傾向にある(回答誘導?カウント調整?〕ように思えるのは気のせいなのでしょうか・・?
よく晴れています。75年前も日本各地でこんな天気だったと伝え聞きます。東北-北海道は曇りだったようで、令和2年の今日も北陸-北海道は晴れていないようですが。
「戦争が終わった日」となると、条約を締結した日なのか、戦闘行為が終わった日なのか、為政者が変わった日なのか、定義が全く曖昧ですからね。75年目を迎えた今日も「私の戦争は終わっていない」という方もいるかもしれません(最近ランボー観た)。
ポツダム宣言もあくまで宣言であり、受諾自体に法的な意味はまだないでしょうから、多くの日本人が戦争の終わりを実感した日、象徴である天皇が戦争を「終わらせる」ことを発布した日、てところでしょうか。
世界史をざっくりと眺めると、経済が大繁栄した大国で、軍事力を背景としなかった国は、中国の宋と戦後の日本くらいしかありません。(強いて言えば、17~18世紀のオランダもそのカテゴリーに入れられなくもないですが、オランダは最盛期でもせいぜい列強の一角程度でした。)
宋は、経済的、文化的には中国史の一頂点とも言うべき繁栄を誇りましたが、軍事的には全く弱体で、遼、金、蒙古といった北方遊牧国家に毎年多額のお金を払うことでかろうじて国境を保っていました。要するに、お金で国家の安寧と平和を買っていたのです。それも長続きはせず、最終的には蒙古に滅ぼされました。
一方、戦後日本は敗戦によって武装解除され、その後自衛隊という名称で最小限の軍事力を持つに至りましたが、経済規模に比して非常に小さな軍事力であったことに変わりはありません。これには、まず日本の再台頭を懼れるアメリカが日本の軍事力に制約を加えたこと、その代償として軍事力を提供したアメリカがほぼ絶対的な軍事強国だったことで日本に敢えてちょっかいを出してくるような国がなかったことから、ほぼ全ての国力を経済建設に投入できたという背景があります。もちろん、それだけでは日本の経済成長の理由を説明することなどできませんが、軍事という壮大な金食い虫にたいして金を使わずに済んだ、他のことにいっぱい使えた、という点はけして無視できません。
戦後75年、日本を取り巻く環境は大きく様変わりしています。アメリカの絶対的な軍事力には変わりがないものの、相対的な国力の低下は否めません。日本の総体的な国力も50年前とは大きく異なります。つまるところ、今後とも日本は軍事力を背景としない経済大国であり続けられるのか、真剣に問われなければならないと思います。
もちろん、これまでのように軍事にお金を使わずに済めばそれに越したことはありません。戦争が巨大な浪費と破壊であることは誰の目にも明らかですし、当面日本が他国を侵略するような合理性は経済的にも政治的にもありません。
しかし、ならば軍事力は不要であるという短絡的な発想で、はたして国益は擁護され得るのか、国民の生命と財産が脅かされることはないのか、真摯な議論がどうしても必要だと考えます。
もはや砲艦外交の時代ではないとは言え、かつて帝国海軍健在なりし頃、北の海で漁民が脅かされることなどありませんでした。関東軍も大戦末期に南方へと戦力を抽出されて戦力的にガタガタになるまでは、満蒙奥地にまで入植した開拓団の安全が脅かされることはなかったのです(ま、馬賊はいましたが)。
軍事力は政治の延長であり、外交の延長です。その規模と中身については議論の余地が大いにありますが、それを全く捨象して国家の安寧と発展を検討するのは、不可能を通り越して、全くのナンセンスと言わねばなりません。
戦後長きにわたって、「平和!!」と叫んでいれば平和が齎されると思い込んでいるお花畑な人たちや、「憲法9条があったから日本は戦争しないで済んだ」などというオメデタイ人たちが少なからず存在しましたが、そのような空想的妄想的平和主義がようやく色褪せ始めた今、まずは徹底的な現実主義に立脚した議論こそが必要です。それもごく一部の人たちだけで議論しても意味はありません。まさに国民的な議論こそが必要だと考えます。
おっしゃることは日々私が実感している思いであり、全面的に賛同いたします。
しかしながら、茶化して申し訳ありませんが、論建てが、あまりにも天声人語maker風で吹き出してしまいました。不謹慎ゆえ、天声人語に変換はいたしません。
本日の正午、例年どおり自治会のどなたかがサイレンを鳴らしてくださり、私と家族は黙祷を捧げました。
んー、一昔前には入試問題にまで採用されたという天声人語様のような華麗にして格調高い文章など、私の手には余ります。せめて東スポ記事くらいの刺激的な文章が書けるようになると良いのですが。長嶋茂雄式用語法をもっと学んだほうがよいかもしれません。精進します。
日本が戦後、アメリカの庇護の下、軍事費を制限し、そのおかげで経済成長を遂げられたというのはサヨクの作り上げた神話だと思います。
GDP比1%枠というレトリックに騙されがちですが、自衛隊創設以降右上がりで軍備を整え、金額ベースでは常に先進国中上位の防衛費でした。
逆に言えば、今、米国が同盟国に求めているGDP2%程度水準の防衛費を仮に出費していても、戦後日本の経済成長はまったく揺るがなかったことでしょう。
(今後出せるかどうかはまた別の話)
問題はわけのわからないドクトリンによる非効率な調達、持続可能な防衛産業育成の失敗などです。
防衛費が増えても国内で兵器を作って利益を上げられるのであれば、内需拡大になり経済的にはなんの問題も無かったのです。
平成9年度以降に限れば、平成24年度まで防衛費の総額は減り続けてますよ。金額ベースでけして小さくないのはその通りですが、令和2年度予算でも42.3%は人件・糧食費です。そして38.2%は歳出化予算、要するにリボ払いよろしく後年度負担分の消化です。平成25年度以降防衛費は着実に増加してますが、予算の内訳はそれほど変わってません。
> 米国が同盟国に求めているGDP2%程度水準の防衛費を仮に出費していても、戦後日本の経済成長はまったく揺るがなかったことでしょう
すいませんが、この部分については、推測の根拠が不明です。また、軍事費の小ささだけが日本の経済成長の要因だというつもりは全くなく、軍事に関して考えることを放棄していた点も重要と考えます。長らく防衛庁長官が軽量ポスト、陣笠代議士に割り当てられがちだったという事実だけでも、軍事軽視は明らかだと思います。
その一方、非効率な調達は問題だという点には賛成しますが、武器輸出三原則なる意味不明な縛りがごく最近まであったことを考えると、国内防衛産業からの調達がどうしても割高になるのは避けられず、予算の制約上、多くを調達できないのも致し方ありません。結果として、国内防衛産業にとっては”儲からない仕事”になってしまったのも、避けがたいことだったと思います。
仕方がない、避けがたい、で済まされる問題でないことは全く同意しますが、死んだ子の年を数えるよりも、今後どうするべきかを考えた方が良いと思います。まずは、予算の単年度主義から考え直すべきでしょう。
防衛省平成2年度予算概要: https://www.mod.go.jp/j/yosan/yosan_gaiyo/2020/yosan_20200330.pdf
冷戦終了以降の話をするのはこの場合文脈上不適切では。
対中戦略をどうするかという話しですよね!
その分岐した
「日本が戦後、アメリカの庇護の下、軍事費を制限し、そのおかげで経済成長を遂げられたというのはサヨクの作り上げた神話だと思います。」
のコンテキスト上という話です。
高度経済成長後の話は別にしたいです。
ブログ主様
国のあり方のごく一部ですが、ブログ主様も繰り返し言及されているマスコミは今後どうあるべきか、という問題も重要だと思います。
例えば、全国の新型コロナウイルスによる重症者の病床占有率は今のところ心配ない水準だが、沖縄はあふれそうになっています。搬送に自衛隊が活躍しています。沖縄知事の怠慢を国がカバーする形ですが、このようなことは報道されない。
少なくとも事実と意見を区別して報道すべきです。
占守島は「しむしゅ」ですシュムシュはロシア側の呼び方です。
わざわざ日本人がロシア語読みのフリガナをつける必要はありません。
りょうちん様
ご指摘ありがとうございます。事実関係確認します。
これですか。
https://wikiwiki.jp/kancolle/%E5%8D%A0%E5%AE%88
(リンク中の日本語が・・・)
ところで、好みの問題かもしれませんが、タイトル部分(H3ですかね)の太字化は検討済&却下済ですか?
独断と偏見かもしれないと、お断りしてコメントさせていただきます。
(なにしろ、個人的願望丸出しなので)
安倍内閣の4閣僚が靖国神社に参拝したそうですが、これを受けて、韓国や朝日新聞が安倍政権批判をしそうです。
この韓国にどう対峙するかで、安倍総理の対韓姿勢、
(それを日本国民が、どう見るかで)日本国内の嫌韓の強さ、(アメリカが、どう反応するかで)米中対立で日韓をどう見ているかが分かりそうです。
駄文にて失礼しました。
靖国関連で一喜一憂してる自称保守の方々を観察するのは楽しいゾイ!w
靖国自体どうでもよくて自分が気持ちよければいいというゲスの極みやw
外交を考えたらやはり安倍総理続投が正解かと。
然しながら確かに総理はお疲れの様子。
一旦は、休養をとるのも必要。
そして次の次にはカムバックいただき、
プーチン、習近平に対峙して日本復活に貢献いただきたいと願う。
「日本人は論理的思考が苦手(≒日本人は一般に議論を好まない)。なので、論理的な思考・対話によって、合意を形成するのが下手。」なのだとか(岡崎久彦著、『戦略思考とは何か』、1983年刊より)。で、論理的な対話による合意形成は、議会制民主主義に代表されるように、民主主義の根幹。それが難しいということは、戦前では一部勢力の暴走を許し国家を破滅させ、戦後はその反動で「決められない政治」に陥りこれも国家衰亡を傍観する、という中庸を欠いた非理性的政治風土を生み出した。結局、近・現代日本の民主主義は「似非」民主主義であり、貴重な資源と労力の壮大な無駄遣いであった。やはり日本文化においては、本来は、聖賢による独裁政治が理想なのであろうか?
とはいえWW2敗戦で、民主主義国家として新たに国づくりを始めてから早75年、今更後戻りも現実的でない。よって、現状の似非状態を、早く本来の姿で機能できるようにしていくしかない。その原点は、日本人一人一人が論理的に考え、それを公の場(必ずしも議場のみでない)で議論し、是々非々で合意形成することの習慣化であろう。そう考えるとき、一般日本人(内気で公開討論への参加など思いもよらない)にとっては、HNで、気軽に参加できるサイバー上の討論空間は、特に貴重で有用である。故にインターネットの発達は、日本が真の民主主義国家に脱皮するのに大きな機会となるはず。今後このような場を通じ、一般の日本人にも、論理的(理性的)思考の習慣が根付いていって欲しいと思う。
そしてその第一歩は、WW2敗戦を、終戦などという姑息な言い換えではなく、敗戦と呼ぶことから始めるべきではないだろうか?
一行目から違和感満載です。
> 日本人は論理的思考が苦手(≒日本人は一般に議論を好まない)
「日本人は一般に議論を好まない」には賛同いたしますが、この命題と「論理的思考が苦手」とは因果関係があるのでしょうか?(修辞疑問文)
> やはり日本文化においては、本来は、聖賢による独裁政治が理想なのであろうか?
具体的に、いつの時代の誰が「聖賢による独裁政治」行ったのですか?
私は、日本人が特段に優れた国民だとは主張いたしませんが、ダイヤモンドプリンセス号に対する各国の感情的で差別的な反応や、その後の新型コロナ禍に対する世界の取り組み、特に一般庶民のふるまいを見るにつけ、日本人は、かなり冷静で論理的な思考ができる国民だと思います。
第二次世界大戦に至る過程は残念です。それに関して言いたいことは山のようにありますが、別の機会に。
>一行目から違和感満載です。
まず、議論は相手の主張に対する“違和感”や疑問から始まりますから、貴方の違和感は大いに結構な事だと思います。(笑)
で、議論を好まない≒論理的思考が苦手、としたのは、議論を好まなければ(社会の)論理的思考がそこで停止してしまうからです。無論、個人独自の思考はその後も継続可能ですが、個人の頭の中にのみある限り、社会全体としての思考に寄与されないのではありませんか?選挙の投票行動でそれが可能というのかも知れませんが、民主党政権をみるまでもなく、かなり意にそぐわない形でしか反映されませんよね。それに、個人の思考は偏りがあるのが普通で、他の人々と討論することで切磋琢磨され、社会全体として論理的・理性的で穏当な意見に収斂していくものだと思います。ですから、個人が議論を好まないことが、社会全体としての論理思考能力の低下を招くといっても良いのではありませんか?
>聖賢による独裁政治が理想
あくまでも理想ですから、そのような政治が具現されたことは稀です。ただ江戸時代までは、理想の政治とは儒教のそれしかなく、それは即ち聖賢(堯・舜・禹などのような)による独裁政治だったといって良いのではありませんか?もっとも日本の君主(天皇・将軍・執権・戦国大名)権力は、中国皇帝ほどは集権的でなく分権的でしたが。そんな日本の歴史の中で聖賢として思い浮かぶのは、実際は分からないにせよ、古くは日本書紀にいう仁徳天皇、中世では北条泰時、近世では保科正之、上杉鷹山などでしょう。その共通の資質は民に対し慈悲深いことです。で、このような君主を戴けば、極端に言えば、民は何も考えなくて良いということです。それに対し民主主義は、民が自分自身の脳を使って自分の行く先を考えなければならない、というシンドイ制度なのです。(笑)
>ダイヤモンドプリンセス号に対する・・・・
この時の日本の一般庶民には何が起きているか良く分からなかったのだと思います(私もその一人)。ただ、「お上」に対する信頼はあった。それ故、大騒ぎせず冷静でいられたのだと思います。このサイトに集うような人は別ですが、一般人は論理的に考え冷静さを保ったのではないような気がします。それは、今になって政府の新型コロナ対応に対する不満が高まりつつあり、結果的に政府の支持率がジリジリ低落していることに現れているような気がします。この間、政府の説明不足はあまり変わっていないと思います。
> (笑)
これでわかりました。さようなら。
「論理的な思考」と「論理的な表現」とは分けて考えた方が良いと思います。
よく言われるように、日本文化・日本語は非常に文脈依存性が高く、それ故に一見すると非論理的な表現も可能とされます。国文法の世界では有名なウナギ文(「僕はウナギだ」など)も、日本語としてはけして誤用ではありません。
また、主語と述語との関係が曖昧であるという話についても、単に文脈上不必要ならばしばしば主語が省略されるということで、例えば、格変化によって主語が暗黙の裡に定まることの多いラテン語でも主語はしばしば省略されます。(ex. “cogito, ergo sum”とか)
時々、日本語は非論理的な言語であるなどと主張する方が散見されますが、それは決定的に間違っていると思います。「文脈に依存することで一見非論理的に見える表現をも許容する言語」とするべきでしょう。
ただし、それは論理的な思考ができない人はいないなどということを意味していないのは当然です。日本語話者に限らず、論理的思考能力が欠如しているとしか思えない人はいくらでもいますので。
> 「文脈に依存することで一見非論理的に見える表現をも許容する言語」
おっしゃる通りです。全面的に賛同いたします。
英語がほとんど使えない人でもノーベル賞を取れる人がいるくらい、日本語は科学を支えられる言語です。東南アジアの多くの国で、高等教育が英語で行われていることと比較すれば、いかに我が国の先人が日本語を磨き上げてきたかに感謝します。
その一方、「一見非論理的に見える表現をも許容する言語」であることに胡坐をかき、聞き手/読み手の文脈把握能力の限界を超えて、主語を抜き、目的語を抜き、動詞だけで語る/書く日本人もいます。私の妻がそうです。
彼女は言葉に横着で、いつも何を言っているのかわかりません。私が何度も発言の意図を問い返すうちに、ついに逆切れし、途端に理路整然とした言葉を機関銃のように発射し、私を完膚なきまでに粉砕します。
怒れば高IQの本領を発揮できるなら、普段からちゃんと脳みそを使えよ、と思いますが、穏やかなうちの彼女は、ほにゃーっとした言葉遣いしかしません。多分、彼女の方が日本人としては多数派だと思います。
> 聞き手/読み手の文脈把握能力の限界を超えて
日本語が難しい言語であると言われたりするのは、最終的にはここに行きつくのかもしれませんね。
文脈を把握するということは、言い換えれば文脈を共有することですが、そのためには文脈を形作るものすべて、最終的には文化的なバックグラウンドに至るまで共有しなければなりません。文化的バックグラウンドをある程度共有しているはずの日本人同士ですら完璧にはできないことがほとんどなので、まして日本語以外の言語を母語とする人たちにとって、相当難しいことだろうと想像されます。始末の悪いことに、この辺の事情は日本語ですら説明不能ですし。
程度の差こそあれ、どんな言語にも文脈依存性はあるでしょうが、日本語はその程度が高く、日本語学習者にとって最後にして最凶の壁になるのかもしれません。
>「論理的な思考」と「論理的な表現」とは分けて考えた方が良いと思います。
上の阿野煮鱒さまへの返事にも書いた通り、通常は、「議論嫌い」と「論理的思考が不得意」は別次元の話です。普段は寡黙ながら、一旦話せば理路整然たる人は幾らでもいます。日本人には特に多いでしょう。ただこのような文化では、社会全体として論理的にコンセンサスを形成するのが非常に困難だ、ということを言いたいだけです。でなければ、自衛隊創立以来65年間も、違憲状態解消のためのコンセンサス形成ができない理由を説明できません。或いは、日本人は、理論的思考はできるが、その結論に従う理性を持っていない、ということだとすれば、それは論理思考できないのと同じことですよね。
>日本語は非論理的な言語であるなどと主張する方が散見されますが・・・
日本人が、日本語の非論理性のゆえに理論的思考が不得意という俗説は承知してます。西欧語が数式のような明晰さをもつようになったのは、一つには、彼らの古代ギリシャ以来の、哲学、神学に関する討論文化があり、それによって洗練された結果でしょう(私的な憶測です)。それに対し日本語(倭語)は、もともと詩歌や文学表現のために洗練されてきたという面があり、情緒表現は得意ですが論理的表現には不向きだったと思います。ですから日本語も、これから日本社会が討論好きになっていけば、それにつれて論理的・明晰な言語に変化していくだろうと思います。
> 社会全体として論理的にコンセンサスを形成するのが非常に困難だ
残念ながら意味不明です。論理的帰結とコンセンサスの形成はイコールではありません。前提条件が違えば、いくらでも論理的帰結は変わり得るからです。
> 西欧語が数式のような明晰さをもつようになった
それではヨーロッパの各言語の文法が時代を下るにつれて簡略化されていることを説明できません。ラテン語の流れを汲むフランス語などの言語の文法は、ラテン語に較べて遥かに簡略化されており、その分論理的厳密性を失っています。それでもフランス語やドイツ語は英語の出鱈目さに較べればまだ随分と厳しい文法的制約がありますが、ラテン語よりは遥かにぬるいのです。
中世ヨーロッパで、特に神学の分野で非常にトリヴィアルな議論が交わされたのはその通りですが、それらは全てラテン語で行われました。近代哲学の祖と言われるデカルトですら、その主著はラテン語で記述されています(おかげで読むのにさんざん苦労させられた(-.-))。言語自体が論理的厳密性を喪っていってるのに、論理的思考がヨーロッパから失われることはありませんでした。つまり、論理的思考と言語の論理性、あるいは論理的表現は必ずしもイコールではないのです。
日本語はすでに十分論理的表現が可能な言語です。ならば、改善が求められるのは日本語ではなく、日本語話者の論理的思考能力でなければなりません。
龍さま
>(社会全体として論理的にコンセンサス形成するのが非常に困難)←残念ながら意味不明です。論理的帰結とコンセンサスの形成はイコールではありません。前提条件が違えば、いくらでも論理的帰結は変わり得るからです。
この部分は、【】内を追加して読んでいただきたく→「【国論分裂する重大案件に関しては、】社会全体として理論的に【対話を重ね】コンセンサスを形成するのが非常に困難」。つまり例えば、憲法改正のような重大かつ賛否が鋭く対立する問題において、国会や国民世論の論戦によってコンセンサスを形成するとても難しいという意味です。貴方の仰せの如く、日本語は相対的に文脈依存性の高い言語だと思います。なので、どうしても分かりずらくになりがちです。心したいものですね。で、この文章はそんな意味なので、「論理的帰結とコンセンサスの形成はイコールではありません・・・・変わり得るからです。」のご指摘には答え不要ですよね?
>それではヨーロッパの各言語の文法が時代を下るにつれて簡略化されていることを説明できません。
西欧語が、ラテン語から諸族語への変化の過程で文法的に簡略化されてきたのは事実です。多分、九尾の狐とも評される複雑精緻な文法についていけなかったのだと思います。ですから、私が時間の経過とともに西洋語が明晰さを増したように書いたのは、少々勇み足だったですね。そのような内容については取り消します。
ただ西欧の中・近世においてもなお、学術用語として古いラテン語が用いられ続けたのは、権威付けもあったでしょうが、そのような言語としての明晰さにも理由があったのだと想像します。ですから、ニュートンやデカルトがラテン語を使用したのは、貴方のいうような「論理的思考と言語の論理性、あるいは論理的表現がイコールではない」ことの証拠というよりも、むしろ「それらが相関すること」を傍証するものではありませんか?それが近代西洋語では、これも想像ですが、緻密なラテン語を用いなくとも、諸国語で精密な論理表現できる別な方法を見出しのではないでしょうか。あと、用いる言語が論理を明晰に表現可能だからといって、必ずしもその思考・言論が論理的とは限らないことに関しては、言われるまでもなく自明だと思います。
>日本語はすでに十分論理的表現が可能な言語です。ならば、改善が求められるのは日本語ではなく、日本語話者の論理的思考能力でなければなりません。
現代日本語でも論理表現に耐え得ることに異存は有りません。ただ、改善の余地が全くないというのはどうでしょうか?思考そのものを論理的にすることの方がより重要なことは確かですが、上述のように、人の思考の道具としての言語そのものに依存する部分もゼロではない気がします。なので、個人レベルでの論理思考の習慣化、社会レベルでの論理的対話の習慣化(その結論に承服する理性を持つこと含む)と、日本語そのものの改善を並行させるべきだと考えます。
>国文法の世界では有名なウナギ文
「おらあロココだ!」
というのを初めて見たときは日本語のすごさに感じ入りました。
龍様
>「論理的な思考」と「論理的な表現」とは分けて考えた方が良いと思います。
失礼ですが、これはまた随分と傲慢というか独善的な考えですね?
論理的な表現をせずして、どうやって自分が論理的に思考していると言う事実やその論理的思考の結果を他人に伝達できるのですか?
他者が何を考えているかはその人が発する言葉つまり表現を通してしか知りようがないという簡単な事柄に龍様は思い至りませんか?
どれほど優れた思想を持っていようとどれほど論理的かつ緻密に考察を構築していようと、その思想や考察を言葉によって表現して発信しない限りは他人には知りようがないのですよ。
>また、主語と述語との関係が曖昧であるという話についても、単に文脈上不必要ならばしばしば主語が省略されるということで、例えば、格変化によって主語が暗黙の裡に定まることの多いラテン語でも主語はしばしば省略されます。(ex. “cogito, ergo sum”とか)
このラテン語での主語の省略と日本語での主語の省略は全く性質が違います。
ラテン語など印欧語族の少なからぬ言語では動詞が主語の人称による変化(この動詞の語形変化を「格変化」とは呼びません)があり、例えば動詞の語形から第一人称単数の主語しか取り得ないケースでは(その文を単独で文が現れている文脈と切り離してしまっても)曖昧さの危険性なしに「私」という主語を省略できるのであって、日本語での主語省略のように文脈(だけでなく少なからぬ場合には実際の会話の雰囲気や発言者の視線が誰を向いていたかなども含めた非言語的な脈絡など曖昧さを解消するのに必要な様々な情報)から切り離されて単独の文とされてしまうと途端に曖昧さが発生してしまうケースが多発するのとは、ラテン語での主語省略は全く異なります。
ついでに言えば(りょうちん様は感動されたとのことですが)日本語でのウナギ文は別に不思議でも日本語の凄さの例でもないと思いますが。単に「僕はウナギだ」の「は」がこの場合は主格を表している訳ではないというだけの話であって(だから「は」は「が」のように主格を表す格助詞でなく副助詞とされているのだろうと素人の私は勝手に思ってますが)、それを言語学に疎い我々のような素人は「僕は」を主語のように錯覚しているに過ぎません。
そういう意味では「僕はウナギだ」の類のウナギ文は別に日本語の凄さの反映ではなく、発話の文脈を考慮することによって始めてナンセンスでない意味が与えられる(省略部分の多い)文に過ぎないと私は思っています。
日本語の凄さはウナギ文よりも「ゾウは鼻が長い」というタイプの文、つまり2重文とでも呼ぶべき文に表されていると思いますね。この文では内側の「文」の「鼻が長い」では「鼻」が主語ですが、この内側の「鼻が長い」という文全体が一つの述語となって、「ゾウ」は「鼻が長い」という述語を満たしているという論理的な意味(印欧語の文法構造に反映されている論理構造を抽象化して生まれた現代の論理学での述語論理における述語を満たすのと同様の意味)では間違いなく「ゾウ」は主語です。
この日本語の2重の入れ子構造の文というのは他の言語では余り例がないからなのか、言語学におけるサピア―ウォーフの仮説に名前を残しているベンジャミン・ウォーフが彼の論説で取り上げました。
> 論理的な表現をせずして、どうやって自分が論理的に思考していると言う事実やその論理的思考の結果を他人に伝達できるのですか?
ここでは文脈依存性の高低という点に着目して議論しております。論理的な表現をする人が論理的な思考をしていることであろうことは推察できますが、日本語という高文脈な言語を使用している限り、一見非論理的な表現をしている人が論理的な思考をしていないとは断定できないということです。もちろん、明らかな矛盾が含まれているとか、メタレベルの混同とか、明白におかしな文章も多々見られるのは事実ですし、そういったものは論外ですけど、それでもなお「一見非論理的な表現による論理的な思考」も日本語では可能であると申し上げています。それが望ましいことかどうかは問うてませんし、残念ながら私自身はそのような曲芸的技術は持ち合わせていません。
この辺の日本語の高文脈性に関する議論は、グールドの著作を参考にしてみてください。
素朴な質問ですが、グールドって誰ですか?
ググってもグレン・グールドしかひっかかりません・・・。
龍様
>日本語という高文脈な言語を使用している限り、
日本語という言語が高文脈で欧米流に見て論理性に乏しいのでは必ずしもありませんよ。
そのことは日本語で数学や自然科学など論理性が何よりも重視される学問の教科書・専門書が多数書かれて各分野の研究者の育成に使用され、それらで学んだ研究者の少なからずが世界的にも優れた業績を上げていることで実証済です。
ほとんどの日本人が日本語を高い文脈性の使い方をして世界…少なくとも他の先進国…の知識階級には通用しない非論理的と思われてしまうレベルの低質な言語活動をしているだけです。
否応なくグローバル化が進む世界においてそういう日本でしか通用しない高文脈性のような特質(実は重大な欠点)を日本社会や日本人の独自性として無条件に認める考え方には全く賛成できません。
日本はエネルギーや鉱物資源のみならず食糧の大部分も海外から調達せねばならないという意味で、グローバル化に対して完全に背を向けることは不可能なのです。
ですから日本人が世界に通用する言語活動をしなければ、日本は世界中から誤解されて一方的に不利益を被るだけです。
良い機会なので、ついでに言わせて頂くと、日本人の非論理的な面は高文脈性な日本語の使用だけではありません。
文脈性の高さと共に日本人の多くによる日本語使用の重大な欠陥は言葉尻に拘り過ぎる点です。即ち、言葉の意味を考えず、言語に使われている単語の字面にやたらと拘る点です。だから「自衛隊」は「軍」でない、だから自衛隊は9条2項で保有を禁止されている軍には該当しないから9条の改廃は不要である、などという珍説を平気で信じられるのですよ。
日本人それも知識階級の人々が言葉の意味でなく言葉の字面で物事を判断し、その結果として世界に通用せず日本人の間でしか通用しない奇妙な「論理」が日本社会を覆い尽くしています。
「論理的な思考」を語るなら「論理的な文章」が必要ではないでしょうか?
暑さで参っているので不精します
論理的な話し方の入門書から
(話し方と文章は別ですが参考にはなるかと思います)
①何を言いたいかわからなくなる→結論を明確に
②説明を聞いてもよくわからない→順序立てて 相手の理解を確認しながら
③まわりくどい→結論を先に
④あいまいな言い方をする→誤解のないよう言葉の定義をする
⑤なぜそう言うのかわからない→合理的根拠を示す
⑥省略が多く 話が飛躍する→筋道立てて 話につながりをもたせる
⑦話が抽象的に→具体化して イメージが目に浮かぶようにする
⑧話に納得できない→相手の立場に立って 共感して話す
辛辣で申し訳ないが論理的な文章からはかけ離れていると思います
日本人と英語圏の人と合わさった会議で、一番問題になるのは3ですね。
日本人でも 「私はこう結論した。何故ならば…」とやれば、「お前はそう考えているのだな、じゃあ、その結論に沿ってそこまでに至る論旨をこちらも考えよう。」となる。従って、向こうも理解しやすいし誤解は少なくなります。
だけど日本人は、最初にエビデンスを並べていって、最後に結論をもって行こうとする(まあ、日本ではこれでも通じる)。だけど、向こうは方向性が見えないので何を話しているのか分からなくなり、結論とエビデンスの結び付けも難しくなり「お前は何を言っているんだ?」になっちゃう。
言語の問題じゃないのですよね。
はくれ鳥さんへ
いえいえ日本人は議論大好きです。←男にかぎる、、、女は知らん、知らんが女が何度も何度も昔のことを掘り返しては男をやり込める。これをみると女は男以上に議論上手なのかも?
団塊世代までは政治に関する議論大好きで飲み屋でもどこでも侃々諤々やっていたのが、ピタッと止まったの
は、
全共闘時代リーダータイプの学生が警察のリストにのって公務員や大企業に就職できなくなった、できても出世の段階で身上調査され弾かれ一生出世に縁のない人生となった。こうなりや就職以前の若者ですら政治の話題はさけますよ。
なにより決定的だったのは浅間山荘事件!
団塊さま
レス有難うございます。
浅間山荘事件は、私にも強烈な印象として記憶にありますが、それが日本人一般を政治論議から遠ざけたという見解は初めてです。まあただ、私個人としてはノンポリだったこともありますが、あの事件から団塊さまのような教訓を得たということはなかったですね。とはいえ、日本にもかつて侃々諤々の議論文化があったのだとすれば、またその習慣を呼び戻せば良いだけなので、前途に希望がもてるというものです。
貴方の文章には主語がありません。
誰の発言の何を指してのご批判でしょうか?
なぜかインデントが外れました。
私のこの書き込みは、わんわん様の、2020/08/15 16:58 16:58のご意見に対しての反応です。
いまコメントにレスを書くと強制的に最後に飛ばされるシステムになっていますので、そういう不幸なミスは起こりがちです。
寛容になりましょうw
>「核廃絶」は核兵器保有国に言うのが筋
>北朝鮮や中国が核兵器を捨てると思う?
>中国の膨張主義を加速させる空想的平和主義
(以上、小見出し抜粋)
筆者の言うことは正論だと思います。アメリカの核の傘から抜けるなんて自殺行為です。
さらに言うと、日本が独自に核武装することは、アメリカの意向もあって困難でしょうが、最初から諦めていては先に進めません。将来的には、その方向に進んでほしいと思っております。
核兵器廃絶の「お花畑」が揺るがす日本の安全保障
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/61649
英国やフランスの「核貧乏」「空母貧乏」を見ていると、常に”実戦”に出動している「災害救助隊」でもある自衛隊が核武装や正規空母を所有するなんて自殺行為なんですよねえ。
あと弾道ミサイル防衛装備も亡国路線です。
りょうちん さま
コメントありがとうございます。
「空母貧乏」や弾道ミサイル防衛装備が亡国路線というところは理解できたつもりですが、「核貧乏」についてはよくわかりません。核抑止は、通常兵器よりはコストがかからないと思っていたのですが、原潜まで用意すると全体で高くつくということでしょうか?
お手すきの時に、お教えいただけると幸いです。
核兵器を持つステージは二段階ありまして、相互確証破壊を期待する段階と、お守りのように持つ段階です。
米ソ中は確実に前者で、そこに入れるように英・フが鼻血を出しながら追従しています。
これはたとえ相手の先制核攻撃を受けても報復力を維持するという選定があるので、早期警戒衛星を打ち上げられる国なら、サイロからの即時発射や爆撃機の出動でも可能ですが確実性に欠けるので現実的には現在では潜水艦からのSLBM(フランス後ではMSBS)発射に依存しています。
SLBMを搭載できる潜水艦は当然大型原潜となり、24/365オンステージとなると複数艦運用しなくてはなりません。
これが金食い虫でフランスの防衛予算の2割を食っていると言われています。
一方で、北朝鮮やイスラエルなどの国が持っているのはお守りタイプで、チンピラがナイフを見せつけているようなものです。確実な相手の破壊までは期待していません。
ドイツのニュークリアシェアリングがよく誤解されていますが、あれは核報復能力ではなく、圧倒的に優勢だったワルシャワ機構軍の地上部隊が自国土に侵略してきたときに、通常戦力では勝てないので自国土に投下して戦術核でひっくり返すという性格のものです。
(ベルカ式国防術に近い)
相手国土に侵略する戦力があればそもそも使用する必要もありません。
日本の場合、国土に縦深がありませんし、艦船に対しては効果が薄いのがわかっているのでそういうタイプの核武装をするくらいなら、同じお金で通常戦力を整えた方が合理的です。
ただ最近、ロシアが面白い兵器を発明しました。巡航核魚雷です。動力にも原子炉なり原子力電池なりを使用して、長駆深海を巡航し、敵国の湾岸都市を水爆弾頭で破壊するというものです。
発射プラットフォームはよくわかりませんが、理論上は、自国土の海からでも発射できる上に発射が検知できません。一方で誰が撃ったかもわかりません(現在ロシアしか持っていませんが)。
日本の場合、大都市圏が湾岸に密集しているような超大国相手にだけなら、これは有効な武器でしょう。
ただし、ミサイルサイロは内陸部に配備されているので報復でフルボッコですがw
りょうちん さま
詳しく解説いただきまして、どうもありがとうございました。原潜の運用は金食い虫らしいですからね。
日本は、静音性に問題がある原潜に拘らなくてもよいと考えています。理想的には、無人潜水艦を多数潜らせておき、「いつでもSLBMを打てる」と他国に思わせられる状態です。(現状は、夢物語ですけど)
兵器開発の点では、ロシア人の発想も捨てがたいですね。奇想天外なものがありますし。
ステルス性は別にして、ロシア戦闘機のフォルムの美しさが大好きなことは秘密にしております。
いつもお世話になっております。
時事通信の調査で安倍政権支持率が30%台との事、お喜び申し上げます。
調査方法は、いつもの机の上で鉛筆転がしながらやったか
記者の回りの状況から作成したデータと思いますが、支持率30%台を
新聞で表示する事は非情に良い数値だと思います。
どちらにせよ、反安倍信者の集まりである記者の回りでさえ30%なのですから。
昔は右翼は保守で左翼は革新と言われたものですが、最近の若者の捉え方では、共産や立民は左翼で保守、自民・維新は右翼で革新と考えるらしいです。
要するに思想に関係なく、既得権にしがみ付いているのが保守、既存の枠を取っ払うのは革新と言う事でしょう。
なので、本サイトが極右と言われても、革新であれば良いのではありませんか。
新宿会計士様
>(※残念ながら、最近だと韓国もこの「無法国家」群に名を連ねているようですが…)。
韓国が無法国家に名を連ねたのは最近ではなくて建国して間もない時期からですよ。我が国の漁民を虐殺したり連行拉致したりして敗戦後も間違いなく我が国の領土であったしサンフランシスコ講和条約で我が国が放棄を承諾するリストに入っていない竹島を強奪し不法占拠した時から韓国は我が国にとってソ連以上の無法国家となったのです。
その無法国家の韓国を元宗主国として無法国家扱いするどころか資金も技術も人材も韓国が望むだけ提供して悪くもない過去に対して謝罪し続け甘やかし続けるという愚行をして来た間抜け極まりない国家が敗戦後の日本ですよ。日本が甘やかし続けてきたからと言って韓国が無法国家でない訳ではありません。
韓国は間違いなく極悪非道な無法国家でずっとあり続けてきたのです。ただ単に馬鹿が3つ付くぐらいお人好しな日本の政治家や日本政府が極悪非道の無法国家として適正な扱いを韓国に対してしなかっただけの話です。
少なくとも日本の領土として国際法的に疑う余地のなさという点で言えば、サンフランシスコ講和条約で日本が放棄に合意した千島列島や樺太南部よりも放棄に合意していない竹島のほうが日本(と相手国)以外の第三者の国々の法曹関係者の視点からは遥かに上です。
間違いですよ、軍事を禁止され軍事費を制限したから終戦後の経済繁栄があるというのは。
軍事費制限=軍需産業が潰された
ん
ですよ、戦前は世界有数の軍需産業という巨大な産業がこの国から奪われ消滅してしまった。
これが理由で経済発展するなら世界中の敗戦国が経済発展して世界中が経済大国になってなきゃならない。なんとまあ馬鹿げた話だこと。。
だから、軍事費の問題だけでは日本の経済発展を説明できないと最初から申し上げておりますが。
馬鹿げてると断じる前に、ちゃんと読んでからにしてくださいね。
一方で、軍事産業の下地があったから、モータリーゼーションの時代に対応でき、自動車の世界的企業がいくつもでき、新幹線も開発できたのです。
以前に調べたことがありますが、敗戦時、日本全土が焼け野原になり、生産設備が破壊されたかのようなイメージが一般的にありましたがが、戦後の公式な調査では、実は相当の生産設備が残っていたそうです。
ただし、原材料が無く、熟練工がいなくなったので敗戦近くではまともな生産ができなかっただけで、朝鮮特需に応需できたのも当然の条件だったのです。
りょうちんさんへ
GHQに軍事力を無にされ軍需産業を完璧に潰されたから帰還兵が、軍隊以外に軍需産業以外で働くほかなかったから、そして、日本のお金を軍隊以外に軍需産業以外に使われたから戦後の経済発展があるという発想は
GHQに軍隊を解体されず軍需産業も解体されなかったら戦後のソニーやホンダは存在しなかったTOYOTAの躍進もなかった
と
いっているようなもの。
戦闘機に軍用艦に戦車に軍用銃等々に国家予算をジャンジャン使っていれば軍事という公共事業に国家予算を使うことであり、これをゼロにされて我が国は莫大な公共事業を失ったのである。
さて、その失った公共事業(軍事)の予算を民間に使ったから経済発展したなんてことはありませんよね、ホンダは自動車から手を引けと警告した日本政府が。
龍さんへ
>軍事という壮大な金食い虫にたいして金を使わずに済んだ、他のことにいっぱい使えた、という点はけして無視できません。
これが、どうなんだろうということです。
世界最高レベルの軍需産業を維持して帰還兵が元の職場(最高の公共事業軍事)に戻れたら全ての軍需産業を潰された現実世界よりもっと容易く戦後を生き延び発展できたのではなかろうか。。
お邪魔します
もう年だし、論理的な話もできないけど、日本と孫子の将来を危惧する意識はまだある。
力があれば富は作れる、富があっても力は持続できない(塩野七生曰くローマの言葉)
戦史に興味のある方は、ご存じでしょうが,喧嘩の行方は、指揮官、兵の人力で決まります。
今の日本、兵器は作れても、それを操作する人はどうするんだろう。白兵戦の時代じゃないから、女性の進出に期待するしかないんだが….
それより、寄生虫退治が先か
他の国は、一般人も訓練してるみたいなので兵力が少なくなれば補充できるとおもいます。
日本の場合自衛隊員が少なくなったら、いざすぐ補充はできないとおもいます。
ヤフーで読みましたが、日本に留学している韓国人がコンビニでアルバイトをしていました。窃盗があったので追いかけて、捕まえました。その時「日本人にはできないだろう。」と言ったそうです。
確かにほとんどの日本人は、できません。
日本人にもコンビニ強盗を追いかけ捕まえられる猛者はいすらでもいる。いるがやらない、やらせない。
今現在我が国は自由世界最高のお金持ち国群にあり、人命は極めて高くつく。
我が国でアルバイトにコンビニ強盗ごときと格闘して死なれたら経営破綻するほど高くつく。
そもそも日本人は嘘捏造が嫌い泥棒などやりたくもない。
我が国でコンビニ強盗をやれば世間から排除され一生を棒にふることになる。そんな馬鹿げたことをする日本人はいない。
buchinekoさんへ
>兵器は作れても、それを操作する人はどうするんだろう。
無人兵器を作りまくればゲーム大好き日本人がいくらでもいますから操作する人に困らない。
さらに自立型兵器にすれば攻撃も撤退も兵器が勝手にやってくれ自爆も兵器が自己判断で大爆発となればどんなに兵器を作りまくっても人員不足にはならないことでしょう。
コンビニ強盗でなく窃盗でしたか。
まあねえ~、いくらコンビニ泥棒を追いかけても軍隊とは関係ないわな。
終わっても泳げない徴兵制など問題外。小学生も泳げる我が国の学校教育で育った国民は、知力も体力もそもそも民度が違う。即座に超現代戦に対応してしまう。