地方テレビ局「共同通信との契約打切」が意味するもの
地方のテレビ局が共同通信からの記事配信を打ち切るとの報道が出てきました。現時点における真偽は定かではありませんが、事実ならば、これもメディア業界における大きな潮流の変化です。共同通信発の情報については「打ち切っても良い」と地方局が判断した、という意味でもあるからです。
目次
新聞は実際のところ、これからどうなるのか
新聞部数はどう推移して来たか
当ウェブサイトでは何度も指摘してきたとおり、新聞の部数の消滅ペースはここ数年、さらに加速しているフシがあります。このままの消滅ペースを維持すれば、遅くとも15年以内、いや、下手をするとあと7~8年以内には、紙媒体の新聞というものが、この世からあらかた姿を消すことになります。
一般社団法人日本新聞協会のデータをもとに、「朝夕刊セット」1部を朝刊1部・夕刊1部の合計2部」とカウントし直す方法で新聞部数が1983年以降の40年間、どう変化していったかを5年刻みで確認してみると、興味深いことがわかります。
1998年頃までは緩やかながらも部数が伸び続けていたのがピタリと止まり、その後は放物線を描くように減り続けているからです。
新聞部数の推移
- 1983→88年…6678万部→7117万部(*+439万部、年換算*+88万部)
- 1988→93年…7117万部→7204万部(**+87万部、年換算*+17万部)
- 1993→98年…7204万部→7241万部(**+37万部、年換算**+7万部)
- 1998→03年…7241万部→7034万部(*▲207万部、年換算*▲41万部)
- 2003→08年…7034万部→6721万部(*▲313万部、年換算*▲63万部)
- 2008→13年…6721万部→5940万部(*▲781万部、年換算▲156万部)
- 2013→18年…5940万部→4893万部(▲1047万部、年換算▲209万部)
- 2018→23年…4893万部→3305万部(▲1588万部、年換算▲318万部)
(【出所】一般社団法人日本新聞協会『新聞の発行部数と世帯数の推移』および『日本新聞年鑑』データをもとに作成。ただし、セット部数を朝刊1部・夕刊1部とカウントし直している)
年換算では消滅ペースが加速してきている!
とくに注目していただきたいのが、「年換算」です。
1998年から2003年までの5年間で減った部数は207万部、これを1年に換算すると41万部でしたが、同じ具合で年換算の部数の減り方を求めてみると、次の5年間(2003→08年)は63万部、その次(2008→13年)は156万部、と、順調にペースが増加。
2013年から2018年までの5年間では1047万部と、なんと1000万部を超えるペースで部数が減り(年換算だと209万部です)、そして直近の2018年から2023年にかけての5年間では1588万部(年換算318万部)と、消滅ペースは1.5倍以上に加速しているのです。
こうした加速度を考えていくと、部数の減少が急に止まるとは考え辛いところです。
もちろん、新聞業界の今後を巡っては、いくつかの仮説ないし見通しがあることは事実でしょう。
ここで、とりあえずは次の5つのシナリオを考えてみたいと思います。
- 消滅加速シナリオ…新聞の消滅ペースが毎年50万部づつ加速していく
- 線形消滅シナリオ…新聞部数の消滅が2018→23年のペースを維持する
- 消滅減速シナリオ…新聞の消滅ペースが毎年25万部づつ減速していく
- 部数横ばいシナリオ…新聞部数の消滅がいったん収まり、新聞部数が2023年の状態で留まる
- V字回復シナリオ…2024年以降は新聞部数は毎年300万部づつ回復する
シナリオをグラフ化してみたら…なんともわかりやすい!
文章にしてもイメージはつき辛いところだと思いますので、この5つのシナリオをグラフにしてみました(図表)。
図表 新聞部数はこれからどうなるか(5シナリオ)
(【出所】1983年~2023年については一般社団法人日本新聞協会『新聞の発行部数と世帯数の推移』および『日本新聞年鑑』データ、シナリオ①~⑤は当ウェブサイトにて作成。ただし、セット部数を朝刊1部・夕刊1部とカウントし直している)
我ながら、なかなか興味深いグラフに仕上がったと思います。
これらの5つのシナリオ、線形として自然なのは①の「消滅ペース加速シナリオ」か③の「消滅ペース減速シナリオ」のいずれかではないかと思います。
当ウェブサイトではこれまで、②の「線形シナリオ」に基づいた場合は、新聞は遅くとも2033年頃には消滅しているはずだ、などと指摘してきたのですが、正直、2023年までの減少速度がそのまま線形で持続するというのは、予測としては少し雑です。
現在の新聞部数の減りは夕刊の消滅などを主要因としており(私見)、夕刊自体はあと数年で部数がほとんどゼロになる可能性が高い(私見)ため、夕刊の消滅が一巡したら朝刊の消滅は意外とペースが鈍るのではないかとする考えは成り立ちます。これがシナリオ③を正当化する仮説のひとつかもしれません。
その一方、各種調査に基づけば、現在、新聞を主に購読しているのは高齢層が中心であることも間違いありません。
新聞購読者層が若年層に拡大しておらず、これに加えて近年、高齢層にもインターネット・ユーザーが広まっているようだ――、といった諸点を考慮に入れるならば、主要購読層である高齢者層からも見放され、新聞は加速度的に部数を落としていく、という可能性もあります。こうした仮説はシナリオ①を正当化するでしょう。
減少トレンドは変わらない
ただ、④の「横ばい」や⑤の「V字回復」は、グラフに描いてみると、ちょっと不自然です。
④はこれまでの減少トレンドがいきなり止まり、部数が2023年の状態でピタリと横ばいになる、というもので、これはエクセルに不慣れな新社会人に、いきなりエクセルでグラフを作ってもらったときに、計算式のエラーなどでこんな形状になることがよくありそうです。
また、⑤の「V字回復」は、あまりに恣意的すぎて、却って清々しい(?)ところです。
なぜ今まで減少トレンドが続いていたのに、いきなり2024年以降、部数が前年比300万部ずつ増えていくという現象が発生するのでしょうか。
敢えてこの④や⑤のシナリオが発生するとしたら、日本でいきなり政権が変わり、「日刊新聞購読法」のような法律ができ、「日本国民はみな新聞を読まなければならない」と義務付けられる――といった事象くらいしか思いつきません。
いずれにせよ、シナリオ①~⑤のなかで、将来に実現する可能性が高いのは、(細かい部数変動に幅はあれど)結局は①~③の折衷といえるかもしれません。つまり、「新聞部数が減少し続ける傾向が今後も続く可能性が、最も高い」、ということです。
新聞業界の現状と課題
新聞業界の人たちの認識は「甘すぎる」
なぜこんなことを指摘したのかといえば、『「新聞部数は底を打った」…新聞業界の認識は大丈夫?』でも取り上げたとおり、新聞部数は急減しているのに、新聞業界の「中の人」の認識が、非常に甘いように見受けられてならないからです。
その一例が、『北海道リアルエコノミー』というウェブサイトに3月27日付で掲載された、北海道新聞に関する『「北海道新聞」発行部数80万部割れ、ピーク時の3割減』という記事でしょう。
これによるとピーク時に110万部台だった北海道新聞の部数は、今年3月時点で「80万部割れ」となり、今年に入ってからの80万部割れが、同社関係者に衝撃を与えている、などとしています。
ただ、北海道新聞は2020年に値上げし、2023年には夕刊廃止に踏み切っているのですが、同記事によれば、とくに2020年の値上げにより80万部台で「底を打った」という見方が「大半だった」のだそうであり、「今年に入ってからの80万部割れは、底ではなかったという意味で極めて深刻な状況」としているのだそうです。
この記事の記述が事実なのだとしたら、正直、ちょっと認識が甘すぎます。
なお、北海道新聞がいかなるメディアなのかを巡っては、以前の『社内調査報告記事にnoindex設定した北海道新聞』や『新聞労連が北海道新聞を批判も「違法な取材」を容認か』などでも触れてきたとおりですので、同紙の普段の論調については、本稿では敢えて取り上げません。
ご興味があれば当ウェブサイトの過去記事などもぜひご参照ください。
インターネットの台頭で紙媒体は不便になった
さて、ここから先の議論は北海道新聞に限った話ではなく、あくまでも「ただの一般論」ですが、純粋に「経営」という観点から単刀直入に申し上げるならば、新聞社としては「現在の部数減少ペースがこれからも続く」という前提を置くべきでしょう。
その理由は、大きく2つあります。
ひとつめは、インターネットが台頭したことで、紙媒体が不便になったことです。いや、「台頭している」という表現には語弊があり、正しく言えば、すでに「勝負はついている」のです。紙媒体の新聞はすでにインターネットに立ち向かうことはできなくなっていると断言して良いでしょう。
新聞社にとっての本質的な「商品」とは、新聞紙ではなく、情報です。
もちろん、世の中には「紙で新聞を読みたい」という希望を持っている人が、いまでも一定数は存在していることは間違いありません。しかし、世の中の(おそらくは)圧倒的多数の現役ビジネスマンは、すでに紙で新聞を読んでいません。
現に、少なくとも満員の通勤電車内で日経新聞を器用に折り畳んで読んでいる人についてはすっかり見かけなくなりましたし、駅の売店、コンビニなどでも新聞、雑誌を取り扱うコーナーは縮小されており、その一方でネット上には全国各紙の新聞が競って情報を配信しています。
それに、考えてみればわかりますが、新聞「紙」を印刷して読者の手元に送り届けるのは、ずいぶんと多くの時間と、なにより莫大なコストを必要とします。工場の輪転機を廻して紙に情報を刷り込み、束ねてトラックで新聞専売所に配達し、そこから読者の手元に人海戦術で送り届けられるまで、何時間もかかります。
インターネットだと、記事を執筆して校閲(?)などを実施したうえで、それをウェブ入稿・公開されれば、情報は一瞬で読者の手に届きます。紙代も印刷コストも人海戦術を支える配達員も不要ですし、なにより二酸化炭素など地球温暖化ガスもほとんど排出しませんし、古新聞も出てきません。
新聞がネットに対して競争力を失うのも、ある意味では当然のことでしょう。
結局は情報の質の問題
ただ、著者自身が新聞業界について、「現在の部数減少ペースがこれからも続く」と考える有力な(そしてより重要な)理由は、もうひとつあります。
それが、情報の質の問題です。
そもそも論ですが、情報とは、いったい何でしょうか。
あまり哲学めいた話をするつもりはないのですが、著者自身の理解に基づけば、情報とは、「ある物事に関する知識・知見をもたらすもの」のことであり、経済的にいえば、「物理的な形は存在しないけれども、それによって多大な利益がもたらされる(可能性がある)もの」だ、という特徴を有しています。
よく英語を交えて「インテリジェンス」、「情報リテラシー」などの単語・表現を見かけることもありますが、これらは「情報をいかにうまく使って何らかの利益を得ることができるか」に関連する概念だと考えれば良いでしょう。
たとえば、「中央銀行が金融緩和などを通じて市場にマネーを供給すれば、インフレが加速する」というのは、経済学における重要な基本知識ですし、「インフレ率と失業率には相関関係がある(いわゆるフィリップス曲線)」というのも同様です。
したがって、「日銀が利上げをする」という情報に接すると、「それは何を目的としているのか」、「今回の利上げは単発か、それとも継続するのか」、「これを受けて株価・為替・金利はどう動くか」、などに関し、深みのある分析ができるかどうか、という問題が生じてきます。
専門知識を持たない日本のメディア
非常に残念ながら、日本の新聞にはそれを解説する能力も、ましてやそれを深く分析する能力も、あるようには見受けられません。
経済に関していえば、「悪い円安」「悪い株高」「悪い賃上げ」「悪い景気回復」などのトンデモ論を、新聞社がむしろ率先し、すき好んで流したりしているからです(『悪い円安、悪い株高、悪い賃上げ…今度は悪い景気回復』等参照)。
もちろん、某山手線の駅名を冠した怪しげな自称会計士が自説を勝手に陳列するだけのくだらないウェブ評論サイトに、日々、大勢の方が訪れてくださっている背景に、「日本の新聞のレベルがあまりに低い」といった事情があることも間違いありませんので、著者としてはこの状況も「痛しかゆし」です。
ただ、どうして日本のメディア(※これには新聞だけでなく、テレビも同様です)は、かくもレベルが低いのでしょうか。
これについては諸説ありますが、著者自身はずばり、「競争がなかったこと」が原因だと考えています。
たとえば記者クラブなどの特権組織に身を置いていると、記者クラブに出入りしているだけで、だいたいの情報は手に入ります。
霞が関の官僚らは、記者クラブに所属する新聞記者が見えるところに、わざと説明用の資料をほったらかしにしておく、という話を耳にしたことがあります。その理由はもちろん、新聞記者らを飼いならし、自分たちにとって都合が良い情報を流してもらうためです。
たかだか国家公務員試験を受かっただけの存在に過ぎない官僚(とくに財務官僚)らが、私たち国民が選んだ国会議員をも大きく凌駕する権力を持ってしまっているのも、結局は官僚とメディアが結託し、政治家のいないところで勝手に既成事実を積み上げ、政策に大きな影響を与えてしまうからでしょう。
情報の質に拘るべきでは?
この点、先日の『「新聞を読む人ほど偽情報に騙されない傾向」…本当?』などでも取り上げたとおり、一部のメディアは性懲りもなく、「SNSに依存する人よりも新聞を読む人の方が騙されにくい」などとする記事を掲載しているようですが、これについては「国の借金」論という事例を挙げるだけでも十分かもしれません。
「国の借金」論に関連し、メディアが配信する記事のデタラメさ加減については、つい最近も『日銀利上げ受け「歳出構造の改革が急務だ」=メディア』で取り上げたとおりですが、これも「日本は国の借金が多すぎて問題だ」とする論調を、「誰かが」書かせていると考えた方が良さそうです。
本当に残念なことですが、新聞記者、あるいは新聞記者出身者のなかで、自身で事実関係を調べ上げ、何らかの結論を導き出せる人物は、非常に少数派です。
もちろん、日本経済新聞社出身の韓国観察者・鈴置高史氏、朝日新聞社出身の峯村健司氏らのように、極めて優れた論考を精力的に発信している人たちもいますので、新聞記者を十把一絡げに「こうだ」と決めつけるつもりはありません。
ただ、その反面、明らかにロジスティクスなどに関する基礎知識もない記者の方が、官房長官記者会見で「能登半島地震で物資を空中投下せよ」などと主張したりしている(『パラシュート投下の危険性の実例』等参照)のを見ていると、新聞業界の問題は、なかなかに深刻です。
結局のところ、新聞社も(多くの場合は)営利社団法人たる株式会社組織ですので、自分たちが扱う「商品」である「情報」の質には、最大限、気を配っておくべきでした。「情報」自体に角度がついていたり、色がついていたり、酷い場合にはそれ自体が虚報だったりすると、それは端的にいえば「欠陥品」と同じだからです。
かつて存在した雪印乳業株式会社が、集団食中毒事件を発生させたことなどを原因として事業再編を余儀なくされたこと、JR西日本が福知山線の事故について記憶し、記録し続けていることなどを踏まえると、企業は一度でも不祥事を発生させると、その後の信頼回復に多大な労力をようすることがわかります。
そういえば最近だと、製薬会社が製造したサプリメントで健康被害が生じたとする話題がニューズ・サイトを賑わせることも多いのですが、正直、新聞業界にこれを報じる資格があるのか、個人的には大いに疑問です。
報道が健康被害を発生させたという意味では、子宮頸癌への感染を防ぐHPVワクチンの接種反対キャンペーンを一部のメディアが熱心に展開した、などと指摘されている事例も有名でしょう(これについては『子宮頸癌巡る朝日新聞記事にコミュニティノートの指摘』などもご参照ください)。
いずれにせよ、報道機関は、少しは情報の質に拘るべきなのです。
ついに始まった!?地方局で共同通信との契約打切説
地方テレビ局が共同通信との契約打ち切りか
さて、こうしたなかで、徳間書店が刊行する『アサヒ芸能』のオンライン版『アサゲイプラス』が26日、ちょっと気になる記事を配信しています。
地方テレビ局の苦境ぶりを表す「ニュース配信契約打ち切り」の衝撃決断
―――2024年3月26日 05:59付 Asagei plusより
同記事によると、4月からTBS系列の複数のテレビ局が、共同通信からのニューズ配信契約を打ち切るというのです。同誌はにれについて、「地方テレビ局幹部」のこんな趣旨の発言を紹介します。
- 共同通信は加盟するテレビ、ラジオ、新聞媒体から加盟金の形で徴収して、代わりに全世界、あらゆるジャンルのニュース報道を担い、記事や放送原稿として出稿している
- この費用が年間で億単位にもなるとされ、売上が年々下がる地方テレビ局には耐えられなくなったため、同規模のテレビ局同士が結託して、一斉に降りる決断に至ったようだ
…。
ちょっと調べてみたところ、同様の話題を取り上げているメディアは、現在のところはアサゲイプラス以外には見当たりません。したがって、まだ1社しか報じていない情報を「確定した事実」として取り扱うには少し手掛かりが不足していることも事実でしょう。
ただ、これが本当であるかについては、おそらくはさほど時間を置かずに明らかになるでしょう。もしも共同通信からの配信契約を打ち切ったのであれば、これらの地方局は(系列キー局の報道を流用する場合などを除いて)基本的に共同通信からの記事を引用することができなくなるはずだからです。
共同通信といえば、地方紙に記事を配信しているメディアでもありますが、もしこの記事が事実だとすれば、これもメディア業界における大きな潮流の変化です。共同通信発の情報については「打ち切っても良い」と地方局が判断した、という意味でもあるからです。
「よくこれでカネがもらえるな」
というよりも、あまり厳しいことを言いたくないのですが、大手メディアが配信した記事を読んでいると、正直、「よくこれでカネを取ろうとしているね」、などと感心してしまうような事例に出くわすことがよくあります。
情報をトータルに把握するための重要な前提がいくつも欠落していて、結果的に訳のわからない記事に仕上がっていたり、はたまた企業や役所などを一方的に糾弾するものであったりするからです。『「ホームレスを排除する新宿区の意地悪ベンチ」の正体』で取り上げた「意地悪ベンチ」も、その典型例でしょう。
しかも、昨今においてはSNSなどが発達しており、吉住健一・新宿区長自らが誤報を訂正したことからもわかるとおり、メディアが報じた内容はときとして一面的であり、情報として不正確であることが、「報じられた当事者」の弁明によって広く判明することすらあるのです。
もちろん、現在は過渡期のようなものであり、記者クラブは健在ですし、報道機関が情報を独占しているという構図も続いていますので、新聞、テレビがいきなりすべて消滅するというものでもないでしょう。
しかし、『世界の自由度ランキングで日本は9年連続で高得点獲得』でも指摘したとおり、たとえば米NGOの「フリーダムハウス」による調査では、日本社会は総じて「自由だ」とされているものの、その自由度を引き下げている犯人のひとつが記者クラブ制度でもあります。
このように考えていくと、日本の新聞社がいくつか事業継続を断念するなどの事態が生じれば、むしろ日本社会の自由度と透明性がさらに向上するのかもしれません。
報道機関が消滅することで日本社会の自由度が向上するというのは不思議な気もしますが、製造物責任法(PL法)が報道機関には適用されないことをこれ幸いとばかり、虚報を繰り返してきたのは、新聞や民放、NHKなどのマスメディアそのものです。
盤石であるかにも見えるマスメディアによる情報支配も、じつは案外根腐れしていて、あと少し風が吹けば、こうした体制も吹き飛んでしまうのかもしれませんね。
本文は以上です。
日韓関係が特殊なのではなく、韓国が特殊なのだ―――。
— 新宿会計士 (@shinjukuacc) September 22, 2024
そんな日韓関係論を巡って、素晴らしい書籍が出てきた。鈴置高史氏著『韓国消滅』(https://t.co/PKOiMb9a7T)。
日韓関係問題に関心がある人だけでなく、日本人全てに読んでほしい良著。
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【おしらせ】人生で10冊目の出版をしました
自称元徴用工問題、自称元慰安婦問題、火器管制レーダー照射、天皇陛下侮辱、旭日旗侮辱…。韓国によるわが国に対する不法行為は留まるところを知りませんが、こうしたなか、「韓国の不法行為に基づく責任を、法的・経済的・政治的に追及する手段」を真面目に考察してみました。類書のない議論をお楽しみください。 |
【おしらせ】人生で9冊目の出版をしました
日本経済の姿について、客観的な数字で読んでみました。結論からいえば、日本は財政危機の状況にはありません。むしろ日本が必要としているのは大幅な減税と財政出動、そして国債の大幅な増発です。日本経済復活を考えるうえでの議論のたたき台として、ぜひとも本書をご活用賜りますと幸いです。 |
見せてもらおうか、新聞記者の持続可能性とやらを(☆彡)
新聞に期待すること
番組欄の充実
地方版の充実
くらいでですかね。
全て、ネットの方が早くて安くて充実していると思っているそこのアナタ、地域版の訃報欄だけは負けませんぞ。
毎度、ばかばかしいお話を。
新聞社:「お役所は、HPに訃報欄をつくることで、我々の仕事を奪うな」
ありそうだな。
川の流れのような大切な
『情報』の上流の位置にあって、
単に淀みなく流れを繋ぐことのみが
本来、求められる通信社の責任です。
ところが、
変にそれを好き勝手できる利権と勘違いし
堰き止めたり 蛇行させ汚染させたり
赤い漬物色に染めてしまったり
しているようでは、
存在意義がないどころか
むしろ撤去されることで
美しい流れが取り戻されることが
この国の未来のために必要です。
報道における 挙-動不審社 からの
デトックスの流れを歓迎します (^^)/
おっと、桜ういろうの悪口はそこまでだ。
(笑)
「あ? オレじゃなかったのか? 良かった」
by 沈めさ意地
(笑)
50年前も今も株式市場は朝9時から午後3時まで取引を行い、その中で刻一刻株価が変動する。
インターネットのない時代は朝刊で前日の株価を知り、夕刊でその日午前の株価を知ることができた。株価をライブで知りたければ証券会社の店頭にある電光ボードの前に座るしかなかった。年に4回出版される「会社四季報」で会社の情報を把握し、もっと詳しい情報が欲しければ政府刊行物センターに足を延ばし「有価証券報告書」を買った。
今はどうだろう。ネット証券に口座を持っていればクリック一つでチャートが現れ、四半期報告書も公表直後に閲覧できる。また業界で「板」と呼ばれる株価ごとの売、買注文数もみることができる。さらにURLまであり会社のことを詳しく調べたりすることもできる。
新聞がやっていることは50-60年前と何も変わっていない。あんな証券欄を使っている人がいるのだろうか。
新聞はよく「日本は周回遅れ」などと言っているが、周回遅れならば周回先のランナーが見えている。新聞の証券欄は誰も走ってないトラックを一人で走っているといったところだろう。
しかも新聞を購読している人は、その無用の株式欄の紙代インク代を払っているのだ。
sqsqさん
このコメントを読んで、人の思い入れの熱量と、文章の量(文字量)は比例するものだ、ということを実感しました。
この文の内容は、
今や、リアルタイム売買が当たり前の時代に、一日遅れの数字(情報ですらない)を載せる新聞株式欄、インクの汚れでしかない。
と言うことですか?
sqsqさんの、新聞への思い入れの熱量も伝わって来ます。
しかも、新聞を必要としている主要読者であればあるほど猶更あんなもの見ようとしませんね
老眼だから…
一般社団法人の共同通信社には 「加盟社」 と 「契約社」 があって、共同通信社に出資している会社は 「加盟社」、共同通信の記事を買っているだけの会社は 「契約社」 と呼ばれるそうです。
「加盟社」 は、自社では全国のニュースを取材できない地方紙や、全国紙でも取材網が大きくない毎日・産経・日経で、朝日・読売と、NHKを含むテレビ局は 「契約社」 です。
加盟社・契約社 | 会社案内 | 共同通信社
https://www.kyodonews.jp/company/members.html
ただ、ネットの時代に、自社では取材できないニュースを、通信社から買ってまで報じる必要があるのか?と思いますね。共同通信社自体、取材記事を自社サイトやYouTubeで公開していますし。
さらにテレビ局の場合は、キー局を頂点とした全国ネットを形成しており、全国ニュースはキー局が制作し、地方局は再送信しているだけです。地方局が通信社から記事を買う場面なんてあるんでしょうか?
これまでは 「お付き合い」 で共同通信社と契約していたけど、余裕がなくなってきたので辞めます・・・という事じゃないですかね?
訂正
NHKは 「契約社」 ではなく 「加盟社」 でした。
「地方局」は、全国ニュースはキー局が制作したものを再送信すれば済みそうですが、
「地方紙」は、共同通信から情報を買えなくなったら、地方のコミュニティ紙になるということでしょうか?
>KNさん
はい、そうなるでしょうね。
紙の新聞は 「ウチの新聞を読めば、政治や経済も、地元や海外のニュースも、スポーツやイベント情報も、なんでもわかりますよ」 と言って、読者を囲い込むビジネスモデルでした。
ネットの時代になっても、それでやっていけるのか?ということです。ネットからニュースを得ている人で、どこか1社だけの記事を読んでいる人なんていないでしょうし。
ちなみに、地上波テレビよりも各局の放送エリアが狭いケーブルテレビ局にも、ニュース番組や情報番組はありますが、ホントに地元地域の話題を伝えるだけですね。
その代わり、都道府県単位の地上波テレビよりも地域密着です。今の時期なら、地元の小中学校の卒業式や入学式の様子を、ノーカットでリピート放送しているところが多いんじゃないかな?
>TBS系列の複数のテレビ局が、大手通信社・共同通信からのニュース配信契約を打ち切ることが決まりました。
キー局TBSと共同通信だと偏向のベクトルが近いので、コンテンツが重複気味で無駄と判断したのではないでしょうか。(テキトー)
マスコミのおっしゃる「悪い円安」が続いているせいで、旧NISA時代から買い増し続けているS&P500の日本円評価と、皆さま方の秀逸なコメントのせいでクックックと含み笑いがとまりませんです。
ういろう君、(姑)息してるかー
黄色の線の説明としては、
「定率減少」
の方が座りがよいと思いますよ。
(同じカーブになります)
個人的には、定率減少がもうしばらく続いてから、ある閾値を下回ったところで一気に壊滅、と予測します。
トヨタタイムスが、三面記事や地方版を充実させたりして、雪崩をうって読者が移るような展開だと面白いのですが。
大量生産されていた製品の絶対生産量が減り続ける過程で、「質的ジリ貧効果」と「物理的閾値問題」が起きます。例えば新聞の物理的生産過程で必須な輪転機の作業量が少なくなってある閾値の数量を割ると大幅な赤字になるハズです。
その時点で生き残るために新聞はやむなく「ガリ版刷り」に移行してしまうかも。
昭和のオヤジ さま
やはり、昭和の親爺さん達は、物事の本質を見ていますね。
「物理的閾値」のことは、損益分岐点というのだろうと思いますが、「質的ジリ貧効果」が、その「点」への到達を早める、という触媒効果があると言うことですね。
キー局系列に入った上に、共同通信とも契約していたとは、逆に驚いた。これは、随分と無駄な経費を使っていたものだ。
冗費のカットをしたということだろう。
元々、自分達が放送したくないニュース・情報は放送しないという、恣意性のある放送運営をやっているのであれば、ニュース・情報源が複数あっても無駄ということに気が付いたのかも。今迄、随分と無駄なことしていたものだ、と。
>キー局系列に入った上に、共同通信とも契約していたとは、
昔の共同通信との契約が、そのままになっていたのでは。
蛇足ですが、地方テレビ局で、共同通信からだけのネタを、どれだけ放送していたのでしょうか。
毎度、ばかばかしいお話を。
共同通信:「地方テレビ局に契約更新してもらうために、その地方のネタを集めよう。そのために地方インフルエンサーに協力してもらおう」
まあ、理屈ではそうだな。
【図表 新聞部数はこれからどうなるか(5シナリオ)】を眺めての雑感。
シナリオのどれが将来実現するのか、予測してみるのは、新聞業界人以外の人にとっては、頭の体操としてなら、なかなか面白いテーマになりそうですが、わたしなら③緩和シナリオを推したいと思います。自然現象にしても、社会的事象にしても、①のパターンって案外少ないもののようですから。
創業100年を超える企業数がダントツ世界1位と言われる日本ではなおさらのことですが、過去の一時期、一世風靡とまでは言えなくとも、そこそこもて囃された商品というのは、それなりの魅力を備えていたはずで、そう簡単に死滅はしないようです。
時々フッと思いだして、あれ今でもあるんかいなと、ネットで調べてみたら、ちゃんとあります、という例が、結構頻繁に見つかるんですね。
「俺がこんなに強いのも、あたり○○〇のクラッカー」
「白子さん、黒子さん、○○〇〇洗顔パスタ」
子供の頃、テレビ、新聞広告などで馴染んで、いつの間にやら目耳にしなくなった商品達、未だに健在のご様子で何より。
地球の生物の歴史で言えば、大絶滅とされるできごとは色々と知られていますけれど、それだって地質年代スケールで見ればの話。一朝一夕にして繁栄から悉皆死滅してしまったってわけじゃありません。それに大体はそのヴァージョンアップ版が生き残っている。
三葉虫という先祖なくして、海老、蟹、百足、蜘蛛、昆虫の存在はありえない。肉食恐竜の大部分は小惑星の地球衝突で死んでしまったかも知れないが、中空の骨格、羽毛の生えた皮膚、歩行の役割を失った前肢、多分、温血で、2心房2心室に分かれた心臓をもち、気嚢システムによって効率的な酸素吸入をおこなう肺など、彼らの体制をそっくり受け継いでデビューしたのが、われわれが今目にしている鳥さんたちのご先祖。
「○○新聞の灯を消すな」。衰退していく中で、そんな声は必ず社内で出てくるでしょう。それが、どれ程の真摯な分析と反省を以て、またそうした声を上げる人間の質、志の高さによって、どこまで衰退が進んだ後に緩和のフェーズに入るのか、また緩和するだけに止まらす、反転にまで進めるか否かが、決まってきそうです。
新聞がもっている利点のすべてが、ネットで大体できるってことはないように思えるのですが、どうでしょうね。あれだけ多種多様な事どもを、大してかさばらぬ紙の束にして、毎日届けてくれる。漫然と目を通していると、それまで知ることもなかった意外に面白いことに、世の中あふれているってことに気付く。こういう機会を楽しめるのは、必ずしも高齢者に限ってのはなしではないと思うんですがね。
ただしこれ、サイト主さんにかくも頻繁に貶められるような、劣悪な記事を掲載している限り、大声でアピールできるほどの魅力とは言えないでしょう。さらに、昆虫や鳥の如く空高く飛翔しようとするなら、読者の満足感を高めるための、よほどの仕掛けを工夫するのは不可欠でしょうね。
誤変換を見落としてました。
「大体」→「代替」です。
だいたい合っていて違和感は覚えませんでした….
その取り方の場合、話し言葉で、だいたい、書き言葉では、大方(おおかた)ですかね?
だいたい、で解釈されるのは、柔軟な頭の持ち主ですね。
わざわざ、訂正されなくても、頭の中で、誤変換を正変換して読んでいます。こういう誤変換に気付いて、正しい言葉は?と考えるのも、このサイトの楽しみの一つになっています。
国語の漢字テスト、下線部のひらがなを漢字にしなさい、よりも、この文章の中の誤った漢字を正しい漢字にしなさい、にしたら、二重のテストが出来ますね。
一つ一つの記事は薄味で専門家からみれば掘り下げが不十分であっても、「漫然と目を通」すことで、興味をひく事柄を見つける足掛かりと割り切れば、新聞の存在価値はあると思います。
しかし「薄味」でなく、味付け濃過ぎドドメ色付き匂いならぬ臭い付き記事となっては、距離を置かざるを得ないと感じ、そのまま、新聞を読む習慣も廃れてしまいました。
>それが、どれ程の真摯な分析と反省を以て・・
先ずは、戒めと為すべき「自身のやらかし」を風化させないことですね。
具体的には、『○○新聞の ”非” を消すな!』って気概を持つことです。
*やらかしの後始末においては、JR西日本然り、雪印乳業然り、朝日新聞叱りです・・。
>報道機関が消滅することで日本社会の自由度が向上するというのは不思議な気もしますが、製造物責任法(PL法)が報道機関には適用されないことをこれ幸いとばかり、虚報を繰り返してきたのは
この文章、全く同意です。
只管、その日を待ち侘びています。特に、虚報の頭目、A新聞。
ひょっとすると朝日新聞、毎日新聞や東京新聞などは一般人とは一線を画す世界観と信条を持ったコアとなる読者層が存在するのかも知れません。
だとすると発行部数が激減しても完全に消滅はしないかも。
「聖教新聞」とか「赤旗」とかの事例がありますしね。
杉田水脈さんに対して数々と人権侵害と虚報を繰り返す共同通信はさっさと潰れろと思う。
まったく報道機関の体をなしてない。
毎度、ばかばかしいお話を。
新聞社:「言霊の力で、「新聞発行部数がV字回復する」と言えば、回復する」
だから、発行部数が回復しないのは、某会計士の責任なのですね。
新聞って池の水を流す錆びた土管なんですよね
水量も足りず出てくる水は変な味がついて劣化している
消費者が自分で水を汲みに行けなかった時代はそんなものかと思ってたけど、いざ自分で水を汲みに行ける人が増えると量も足りず味も不味いことに気づいてしまった
共同通信社のウェブで契約社を公開していますが、この記事を読んだ3/31と今夜4/2とでざっと比べたら、仙台放送(フジテレビ系列)と秋田放送(日テレ系列)が無くなってました。