本来、平和を研究することは戦争を研究することと同じ

「平和」を「戦争が生じない状況」と定義するならば、本来、平和を研究することは、戦争を研究することと表裏一体であるはずです。こうしたなか、「平和学」という学問があるのだそうですが、この「平和学会」の人たちが26,400円の書籍を刊行した記念として学生に講演を行ったという話題が出てきました。ただ、これについて注目すべきは、『Yahoo!ニュース』についた一般読者からのコメントでしょう。

憲法改正の勇気を持て

当ウェブサイトでは毎年5月3日、憲法にまつわる話題を提供しており、今年に関しては『そろそろ憲法を変える勇気を持て』のなかで、現在の日本国憲法は時代にそぐわない箇所が多く、いいかげん、変えるべきところを早く変えるべきだ、などと申し上げています。

個人的な持論で恐縮ですが、世の中というものは常に変化しているわけですから、憲法もそれに合わせて変えていかねばなりません。

この点、わが国の改憲議論となると、依然として、「憲法第9条」論に焦点が当たりがちです。もちろん、改憲派は「憲法第9条を改正すべきだ」、護憲派は「憲法第9条を改正してはならない」、といった立場から議論する、というわけです。

しかし、著者自身は第9条だけでなく、憲法にはほかにも議論すべき箇所がいくらでもあると考えており、とりわけ(自称)会計士という立場からは、予算単年度主義や現金主義の規定は改め、公会計に複式簿記と連結決算を導入し、あわせて会計監査を義務付けなければならないと考えています。

そして、話はそれだけではありません。

たとえば、「天皇の国事行為」について定めた第7条を読むと、国事行為の数が多すぎるという問題点がありますし、緊急事態条項が存在しないこと、いちいち天皇が召集しなければ国会が成立しないとする規定の存在などは、日本が外国から武力攻撃を受けた場合などに対応し切れていません。

ウクライナ戦争でケンポーキュージョー教徒が激減

ただ、世の中には「憲法第9条さえ守っていれば、戦争にならない」、などと無邪気に考える人たち(いわゆる「ケンポーキュージョー教徒」)もたくさんいたようですが、そうした「ケンポーキュージョー教徒」は、世の中から着実に減りつつあります。

あの朝日新聞による世論調査ですら、改憲賛成派が反対派を上回り始めた(『朝日新聞の世論調査でさえ、憲法改正に「賛成過半数」』等参照)ことは、その典型的な事例でしょう。

ではなぜ、憲法改正に対し、徐々に「賛成派」が「反対派」を上回り始めているのでしょうか。

可能性として真っ先に考えられるのは、ロシアによるウクライナ侵攻でしょう。戦争というものは、こちらが望んでいなくても、相手が攻め込んできたら発生するものだという現実が、私たちの目の前に突き付けられたのです。

「ケンポーキュージョー教」が大好きな日本共産党あたりの主張を眺めていると、「基地をもち、ミサイルを配備し、相手を脅すほど、ここが標的となってしまう」、「だから軍事基地を設置してはならない」、といった詭弁が目に付きます。

しかし、ウクライナ戦争の現実は、これとは真逆だったことを忘れてはなりません。相手からの侵略を防ぐためには、むしろ相手を返り討ちにするだけの態勢をこちらが整えていることを相手に見せつけることが大切だからです。

これこそまさに「抑止力」です。

国会議員でありながら「抑止力」の概念を知らない(あるいは知っているのかもしれないにせよ、わざと無視している)のだとしたら、大変大きな問題です。

ただ、ツイートに寄せられている反応を見る限りにおいては、こうした日本共産党的な「ケンポーキュージョー教」理論に賛同しているツイッター・ユーザーは多くなく、圧倒的多数の一般ユーザーはむしろ批判的な視線を向けていることが伺えます。

平和研究は戦争研究と同じ

さて、それはともかくとして、おそらく地球上に暮らす人間の99%は、戦争と平和だと「平和の方が好き」と答えるのではないでしょうか。

戦争状態を望む者の典型例といえば、それこそウラジミル・プーチンを筆頭とする独裁者らでしょうが、私たち一般庶民だと、戦争になれば物資も不足し、生活も苦しくなるほか、戦闘で命を落とす危険とも隣り合わせになりますし、独裁国家との戦争に負ければ圧政に支配される可能性もあるからです。

したがって、戦争よりも平和の方が好ましいに決まっています。

ただ、そこで思考停止することは、間違っています。

もう少し踏み込んで、「平和な状態が続くためには何が必要か」、「戦争を回避するためには何が必要か」について、じっくりと考える必要があるのです。言い換えれば、「平和」を「戦争が生じない状態」と定義するならば、「平和のためには何が必要か」を突き詰めていけば、「戦争が発生するメカニズム」を知ることが必要です。

つまり、「平和を研究すること」は、すなわち、「戦争を研究すること」と、まったく等価(イコール)なのです。

この点、東京大学は長年、軍事研究を禁止してきたのだそうですが(『東京大学における軍事研究の禁止について』等参照)、この「軍事研究禁止」という考え方は、ナンセンスそのものです。知を標榜する大学がこれだと困りものでしょう。

「いまこそ平和学を」

こうしたなかで、『Yahoo!ニュース』に某大手新聞社が配信したこんな記事が目に付きました。

日本も軍事力依存で良いのか 「今こそ平和学を」事典編集の研究者

―――2023/07/29 17:42付 Yahoo!ニュースより

新聞社名を記載することすらしていませんが、リンク先記事を読めば新聞名が書かれているので、気になる方はご確認ください。

記事では「平和学」が取り上げられています。

この「平和学」とは「平和への脅威や平和の基礎が何なのかを研究する学問」だそうであり、「第二次世界大戦後に成立し、国内では1973年9月に平和学会が設立され」、「会員は現在約700人」、「独自の平和賞も授与している」、などとしています。

そのうえで記事では、この「平和学」とやらの歴史や要点を網羅的に解説した「平和学事典」の編集に携わった主要な研究者らが、刊行記念として京都市内の大学で学生に対し講演し、「ウクライナ戦争の長期化や日本の防衛費大幅増が進む中、『平和学の意義を今こそ考えてほしい』と呼びかけた」のだそうです。

なんだかこれだけでもかなり強烈な話題ですが、それだけではありません。

この『平和学事典』とやらは、「国家間の戦争・紛争」に留まらず、「環境や人権への脅威」、「貧困」、「差別」などを取り扱ったうえで、「核なき世界」、「戦争被害受忍論」などの用語についても、224人の筆者が分担し解説したものだそうです。

ちなみに気になって、この『平和学事典』とやらをアマゾンのリンクで調べてみたら、書籍はA5サイズ・778ページで発売価格は26,400円(!)だそうです。

【参考】『平和学事典』

(【出所】アマゾンアフィリエイトサイトより)

東京・山手線の駅名を冠した怪しげな自称会計士も過去に何冊か専門書を執筆したことがありますが、それらの多くはA5版300ページでせいぜい4,200円程度でしたので、ずいぶんとお高い書籍である、という印象を持ってしまいます。

なお、「日本平和学会」がいかなる団体であるかは、同団体のウェブサイトを見ていただければ、何となく想像がつくと思いますが、もし同団体の主張を知りたければ、『平和フォーラム』なるサブカテゴリ―などをチェックしていただければもう十分だと思います。

一般読者のコメントが面白い

ただ、それ以上に面白いのは、この記事に寄せられた、一般読者からのコメントです。若干俗語になっているものを適宜添削したうえで紹介してみましょう。

まずは、こんなものが目に付きます。

戦争の発生原因のひとつは軍事バランスの崩壊であり、軍事同盟は戦争発生のリスクを下げ安全保障の費用対効果を高めることがわかっている。ウクライナ戦争も結局、ウクライナがNATOに加盟しておらず、『軍事バランスはロシアにとって有利だ』とプーチンが認識したことで生じたものだ」。

この認識は、極めて正しいものでしょう。平和を研究するならば、まさに戦争が発生しないためのメカニズムを解明する必要がありますし、それを計明する過程で戦争が発生するプロセスについても深く知らなければならないというのは、この短い文章からも明らかでしょう。

そのうえでこのコメント主は、「平和を欲するのであれば相手に軍事力を使った問題解決を決意させないだけの軍事力や同盟は必須だ」と指摘したうえで、「平和学」とやらについて、次のように批判します。

科学的視点で歴史を見返せば論理的に導かれる事実に疑問を呈する平和学は学問ではなくイデオロギーだ」。

まったく素晴らしい意見と言わざるを得ません。

ほかにも、読者コメントでは、中国の経済規模が拡大し、GDPですでに日本を追い抜き、軍事費も日本を遥かに上回っている現状を述べたうえで、「日本の防衛費はたしかに増えているが、GDP比では1%に満たない水準である」などと指摘する意見もあります。

ただ、少なくとも評価数上位のコメントのなかに、この「平和学」とやらに賛同するコメントは皆無です(評価数が下位のコメントのなかには「それっぽい」ものもあるようですが…)。

このことは、『Yahoo!ニュース』という巨大なポータルサイトを訪れ、この手の記事を閲覧する人の間で、少なくともこの「平和学」が支持されていないことを意味しており、改憲賛成派が過半数だったとする1年前の朝日新聞世論調査などとも整合しています。

その意味では、『「第二自民党」…悪いものでない』などでも触れたとおり、現在の日本からは、新聞、テレビなどのオールドメディア、あるいはそれらのオールドメディアが一生懸命に支援をしてきたオールド野党の退勢という社会現象とも、どうやら密接な関係があることは間違いなさそうです。

本文は以上です。

読者コメント欄はこのあとに続きます。当ウェブサイトは読者コメントも読みごたえがありますので、ぜひ、ご一読ください。なお、現在、「ランキング」に参加しています。「知的好奇心を刺激される記事だ」と思った方はランキングバナーをクリックしてください。

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読者コメント一覧

  1. クロワッサン より:

    >学生からの「アフリカなどで問題化している子ども兵士をなくす方法は」といった質問にも答えた。

    この質問になんて答えたか、興味があります。
    記事の記者が要旨すら書かないのは、余程「脳内お花畑♪( ´ω`)」な内容だったのでしょうかねぇ。

  2. 農民 より:

     広く大衆に広めたいならフリーペーパーで配れば(´・ω・`)?

     戦争は災害ではありません。「武力を用いる外交手段」です。
     「汝平和を欲さば、戦への備えをせよ」……約1600年前とされる言葉(9mm弾の名称に用いたのは良いセンスだ)。似たような表現は歴史上枚挙に暇無く。
     そしてナポレオンの秘書・外交官がそれを主君流に捩ったとされる言葉が「汝戦を欲さば、平和への備えをせよ」。

     平和学などと、外交・経済・思想・宗教……すでにある様々な学問や行動の結果でしかない「平和」だけを欲っし、様々な要因を従とし後付けするなど、太古の昔にはもう否定されています。まして「彼ら」の大好きな中国の偉人、孫氏も言及しているというのに……

     あ、教えの通りってことか。

    1. さより より:

      農民様

      流石ですね。いつもながら、目の付けどころが違いますね。

      >>平和学などと、外交・経済・思想・宗教……すでにある様々な学問や行動の結果でしかない「平和」だけを欲っし、様々な要因を従とし後付けするなど、太古の昔にはもう否定されています

      平和「学」などと、何でも「学」を付ければ、「学問」になる訳では無いですね。学問とは、基本的に研究対象や領域の中で、因果関係と体系が構築できることが条件・要件です。それが出来ない事象や領域は、単なる雑情報の集まりです。よく言われる「雑学」ですね。雑学は学問ではありません。単なる物知りを学者とは言いませんね。農民様が書かれている通り、「平和」を構築する因果の関係を証明する「法則」は未だ発見も証明もされておりません。法則とは、ある条件の下で投入された要件によって必ず再現する事象があることです。
      この平和学という本の中には、この法則が書かれているのでしょうか?もし、書かれているならこれは大変な事で、高々80人の学生の前で発表している場合ではなく、国連で発表するべきですね。
      いやはや、学者なのに、自分の食い扶持の「学問」とは何か?を知らないなんて、よくも学者として食ってるね?って事ですね。
      そして、上に書いた事の流れから言えば、この本の中身は「雑情報」の集まりで、謂わゆる「雑学本」の一つにしかならないものでしょう、という事になりそうです。

    2. とおる より:

      >「武力を用いる外交手段」
      一応法学部出の人間として、この部分だけ気になってしまいます。

      戦争が外交の一形態といったコメントはネット上でもよく見かけますが、国家が自己保存の名の下、政策実現あるいは紛争解決の手段として戦争に訴えることが当然に許されていた無差別戦争観の時代ならともかく、戦争が違法化されている現代にあっては時代錯誤の感が否めないかなと思います。
      戦争というのは、法的には平時の国際法関係と隔絶した状態のことを指しますし、あの無法者のロシアでさえ、ウクライナ侵攻に際して戦争意思の表示を行わず、戦争状態の成立を回避していることからも、現代において戦争は認められない行為となっていることが改めて示されたと言っていいでしょう。

      改憲という場面だと、反対派の中に「日本を戦争を出来る国にするつもりか」といった声をあげる人・集団がいますが、日本国憲法は第98条2項で国際法の遵守義務が規定されていますから、現代国際法上で戦争が違法とされている以上、9条改正で日本が戦争を出来るようになるわけもなく、この人・集団は何を言ってるんだかと思わざるを得ません。
      まあこの手の人・集団は、有事法制を戦争法と呼んでみたり、恣意的な言葉遊びが好きな印象がありますし、その言葉遣いについて気にするだけ無駄かもしれませんが。

      >「彼ら」の大好きな中国の偉人、孫氏も言及している
      個人的に中国好きの平和主義者の方々には、諸子百家の一つ、墨家の平和主義についてどう思うか聞いてみたいですね。
      墨者「平和が一番(武器を手に侵略者をコロコロしながら)」

      1. 農民 より:

         ご指摘ありがとうございます。こちらは無学素朴な発想でしかないので、具体的なお話を頂けて助かります。
         確かに、定義からしたら誤った表現でしょうし、外交手段としては否定されるべき「段階」かと思います。外務省が軍事を担当している国など無いでしょうしね。表現として正確を期すならば、外交手段で解決できなかった場合の行き着く先、というところでしょうか。外交の枠外だが外交失敗の先というか。
         しかしこれも仰るように、ロシアですら「戦争ではない」と言い張るのですが、私は逆にこれをもって「認められないがそれでも捨てされない手段」だとも解釈しています。無茶な言い訳をしてでも実行する(あるいは仄めかす)ことにより問題解決可能と見込まれる場合がある。
         また同時に生存の権利もあり、どちらに非があるかを裁定する力も国連が担うはずだが乏しい。「時代錯誤」であって欲しいものの、未だ世界はそこから脱せていないように思います。
         解決したいのは外交問題か、経済問題か、宗教問題か……様々ですが、例えば「武力を用いた経済活動」などでも良いわけです。すさまじく婉曲した皮肉になってしまいますが。

        1. さより より:

          農民様

          やはり、農民様は考察が深いなと思います。

          >>解決したいのは外交問題か、経済問題か、宗教問題か……様々ですが、例えば「武力を用いた経済活動」などでも良いわけです。すさまじく婉曲した皮肉になってしまいますが。

          これは、クラウゼウィッツが戦争論の中の
          「戦争とは他の手段をもってする政治の継続である」
          という言葉で言いたかったことのようです。
          以下のサイトにそのような事が書かれています。ご参照ください。

          ⇒⇒『戦争論』の名言「善良な気持ちから戦争を語るのは最悪」
          https://bookplus.nikkei.com/atcl/column/041500053/070100018/

          1. 農民 より:

             戦争論はいつか読まなきゃなと思いつつ読まずにきてしまいましたが……現代でも通用する話ばかり、それどころか本記事のテーマにずばりで面白いですね、解説書の方がありがたいので注文しておこう。

             クラウゼヴィッツに関連して孫子(やべ上で孫氏になってた、まぁ孫さんの著書だしいいか……)を非戦戦略と解釈する者が居るというのは、リンクを読むまで思いつきませんでした。戦わずして勝つって戦わずに事を収めるという意味ではなくて、どちらかといえば戦いが始まる前に勝利を決定づけておけ、つまり戦争準備→戦争はやる、と解釈していたので。

          2. 農民 より:

             この解説書が990円で、平和学経典…おっと平和学辞典が26400円かぁ……

          3. さより より:

            農民様

            (返信ボタンが無くなったので、この位置に書きます)

            やはり、農民様はポイントを押さえるのがお上手ですね。

            >>戦わずして勝つって戦わずに事を収めるという意味ではなくて

            私は、孫子の
            「戦わずして勝つ、これ兵法の第一義なり」
            という言葉が好きです。これは、自分が必ず勝てると思うなら戦え、勝てると思わなければ、勝てると思うまで徹底して準備(自分の力・兵站力・周囲の情勢が整う、同盟関係、相手の情報収集・・・等々)をしろ、という意味で捉えております。

            この言葉、何故好きかと言えば、これは営業活動を始め、ビジネスのあらゆる局面で使える本当に役に立つ考え方だからです。
            この考え方は、自分のビジネスをやる上で、本当に効果がありました。
            何よりも、自分の精神と頭を冷静にさせるのに役立ちます。
            つまり、自分の力は?準備は?相手の状況・情勢・力は?周りや時代の情勢は?など、冷静に検討項目を探し選びながら、その一つ一つがどのような状態かを分析・判断するのに役立ちました。そして、最後に総合判断をするのです。

            正しく、兵法の第一義だと思います。

            ですから、
            >>戦わずに事を収めるという意味
            という妥協的な意味合いが強い言葉ではないと思います。
            情勢が自分に有利でなければ、その時点での無理な戦いはしないということだと思います。
            一か八かの戦いは極力避けよ、そして戦えば必ず勝つと思う戦いをせよということだと思います。

          4. さより より:

            農民様

            上記の

            「戦わずして勝つ、これ兵法の第一義なり」

            は間違っておりました。

            「戦えば必ず勝つ、これ兵法の第一義なり」

            でした。

        2. とおる より:

          >外交手段で解決できなかった場合の行き着く先、というところでしょうか。外交の枠外だが外交失敗の先というか。

          まさにその通りだと思います。

          >「時代錯誤」であって欲しいものの、未だ世界はそこから脱せていないように思います。

          将来的に世界政府のような存在が誕生することでもあれば話は変わってくるかもしれませんが、現状では主権国家の並列関係を規律する国際法は強制力をもってその執行にあたる存在を欠くため、結局のところその強制性は当事国の「自助」によって担保されています。
          かつてはその自助の手段として戦争が認められていましたから、今以上に、その国のもつ軍事力が国際的な発言力や外交に箔をつけていたと言えます。
          ただ、もはや戦争が自助の手段として認められず、武力による威嚇又は武力の行使さえ原則として禁止される現代国際法秩序にあっては、やはり戦争は外交の一手段とは言えないでしょう。
          本当ならこんなことを言ってはいけないのでしょうが、法的な抜け道を求めるならグレーな武力行使に求めるべきであって、今の御時世、真っ黒な戦争の出る幕はないと思います。

          >同時に生存の権利もあり、どちらに非があるかを裁定する力も国連が担うはずだが乏しい

          国際法における戦争の違法化の流れの中、自己保存権から抽出されたものが自衛権なので、国家の「生存の権利」というのは、まずは自衛権によって保障されるべきものですね。
          その上で国連の集団的安全保障では、安保理が有権的に違法行為や侵略の認定を行うなどして、違反国に集団的措置をとることになっていますが、これが常任理事国の拒否権行使などで不発に終わるような場合でも、自国の行為について相対的でも正当性を表示できた国に国際的な支持が集まる傾向にあります。
          そのとき、紛争当事国の一方が戦争を宣言していたり、戦争を臭わせる意思表示をしていたらどうでしょうか。
          国際的な支持の取り付けが困難という点以外にも、戦争を外交の手段として留保する場合には、自国にその手段が向けられることや、法秩序観の後退についても受け入れる覚悟がないといけないと思います。

          1. 農民 より:

             ウクライナにおいても、一応は国連から「ロシアは無条件に軍事力を撤収せよ」という要請は出ているのですよね。こういった勧告や国連軍の介入といったものが実行される前の段階であれば、自衛権による交戦が認められるものだと思いましたが、実際にはその過程は過ぎて交戦状態は長引き、現在の両軍の戦闘行為はどういう扱いになっているのでしょうか……
             西側日本に住んで眺めている限りは、ウクライナはなんとかうまく立ち回り、ロシアは戦争ではないとゴリ押ししながらもかなりのツケを貯めてきているように映ります。
             この複雑さからしても、確かに戦争を「外交」と括るのは無理がありますね。そもそも戦争の定義・認定ですらここまでのものとは。勉強になりました。

             「平和学」の空虚さがどんどん浮き彫りに……

          2. さより より:

            とおる様

             面白い解説を読ませて頂きました。
            国際法とは、こんな感じのものなのですね。
            第二次大戦後、「民族自決権」という考え方・概念が出て来て、多くの植民地が独立をするための国際法的?なバックボーンになったと、中高生時代の教科書で読んだ時の感慨が思い出されました。
             新しい国際法的な概念の創出とその積み重ねによって、法的概念だけで、戦争抑止が出来る世界になればいいな、とも思います。
            (このように解釈できたのは、とおる様の解説が良いからですね。)

            まあ、隣の隣の国は、国際法の適用から外れるために、周辺国・周辺地域とのいざこざは、国内問題にしてしまうという手法を使うことにしているようですね。流石は、兵法の国です。
            また、国家間の争点も、域内のいざこざに矮小化するというという方針のように見受けられます。
            こういう理解に気が付いたのも、とおる様の解説を読んだからです。

      2. さより より:

        難しい話に移行したので素人が口を挟むのも、と思いましたが少し感想を。

        >>戦争が外交の一形態といったコメントはネット上でもよく見かけますが

        これは、クラウゼヴィッツの戦争論にあるという言葉、
        「戦争とは他の手段をもってする政治の継続である」
        をこのように解釈しているのかな、と見ていました。
        クラウゼウィッツの戦争論は奥深いので、この言葉も簡単に解釈するには勿体ない言葉だと思っていました。
        そこで、こんなサイトを見つけました。

        ⇒⇒『戦争論』の名言「善良な気持ちから戦争を語るのは最悪」
        https://bookplus.nikkei.com/atcl/column/041500053/070100018/

        尚、
        >>>「武力を用いる外交手段」

        という事は、今のロシアがやっている事でしょう。戦争は、現代の世界では容認されない、だから、「特別軍事作戦」と称して、外交の一つの手段としてやっているのだ、という屁理屈を考え出したのでしょう。
        どうも、プ氏にとっては、今の新略戦争も外交のつもりだとすれば、ウクライナ国民にとっても、世界にとっても、死活的な大迷惑です。
        これからすると、特別軍事作戦なるものは、戦線布告を持ってする戦争よりも、犯罪行為になるように思えます。つまり、平時に於ける武力つまり暴力行使になるのだから。

        1. さより より:

          上記、

          新略戦争 → 侵略戦争

          でした。

        2. さより より:

          付記します。
          特別軍事作戦と言いながら、核の使用もあり得るなんていうのは、頭が錯乱していますね。
          究極の兵器たる核兵器の使用は、完全に相手国を捩じ伏せようという意図が明確なのですから、軍事作戦の域を超えます。
          核を使うなら、宣戦布告をしてからでしょう。
          となった時は、戦争を認めていない国際社会は、戦争を止めるめに参戦しなければならなくなりますから、第三次世界大戦の幕開けです。
          プーチンにそこまでの覚悟があるとは思えないですね。
          自分と家族の居場所も無くなりますから。

          1. とおる より:

            >究極の兵器たる核兵器の使用は、完全に相手国を捩じ伏せようという意図が明確なのですから、軍事作戦の域を超えます。
            >核を使うなら、宣戦布告をしてからでしょう。

            一般論として、当事国の戦争意思の表示を欠き、国際法上の戦争状態の成立を伴わない中で、平時に合法的な核使用がありえるかを考えるなら、理論上ありえることですね。
            ただし核兵器禁止条約の当事国は例外ですが。

            核兵器の威嚇または使用の合法性について勧告的意見が出されたことがあって、その中でICJは、「憲章上の武力不行使原則に違反し、自衛の要件を充足しない核使用は違法」としていますが、裏返せば、要件を充足した自衛のための核使用については否定されていないことになります。

            今回の紛争でロシアがウクライナに対して核を使用した場合、上のケースとは異なりますから正当化は不可能ですが、それを承知でロシアが核使用に踏み切るようなことがあるとすれば、おそらく宣戦など行わないのではないでしょうか。
            チェチェン介入の理由とされた高層アパート爆破事件は、ロシアの偽旗作戦の可能性があると言われていますが、同様の手段を用いるなどして、ウクライナの非道な行いと断定し、自衛のためと謳って核使用の正当化を図るようなことになるんじゃないかと思ってしまいます。

        3. とおる より:

          >戦争は、現代の世界では容認されない、だから、「特別軍事作戦」と称して、外交の一つの手段としてやっているのだ、という屁理屈を考え出したのでしょう。

          ロシアの用いる特別軍事作戦という仰々しい呼称は、その武力行使が外交の一つの手段であると装うためのものではないと思いますよ。

          とりあえず前提として、現代国際法では戦争は違法化され、武力行使についても原則禁止されていますが、原則には例外が付きもので、自衛、国連の軍事的強制措置、そしてもはや空文化していると言われる旧敵国に対する特別措置といった違法性阻却事由に該当するケースでは、武力行使は適法とされます。
          例えば上記の中で一番援用のハードルが低いのが自衛ですが、国連加盟国は自衛権を行使した場合、安保理に事後報告が義務付けられており、一応の客観的統制が及ぶ仕組みになっています。
          つまり当事国が自衛と言い張ればそれが通るというものでもないわけです。

          実際ロシアはウクライナ侵攻後、安保理において自らの武力行使の根拠として集団的自衛権を援用していますが、自衛が正当とされるには、侵害行為とそれを排除する行為の間に相当性が認められなくてはならず、ロシアの目的であるウクライナの中立化(傀儡化)を達成するためには、この点がネックになるとおそらくロシア自身も自覚していたのでしょう。
          そこでロシアは、ウクライナによるジェノサイドの防止と責任追及、つまり人道的介入というもう一つの根拠を持ち出し、その正当性を謳うために特別軍事作戦といった仰々しい名前を用いたのだと思います。

          結果的に、事後報告を受けた安保理で特別軍事作戦の違法性が認定されそうになると、ロシアは拒否権を行使して一旦はこれを回避したものの、緊急特別総会で違法性を認める決議案が採択されていますから、集団的自衛権を根拠にするのは無理がありますし、人道的介入についてもウクライナの訴訟戦術の前にロシア自身がこれを取り下げたことで根拠にはできませんから、特別軍事作戦は完全に名前倒れになっていますが。

          >平時に於ける武力つまり暴力行使になるのだから
          例えば、「自衛」というのは平時に合法的な武力行使を可能にする根拠ですし、あるいは現代国際法では合法とは認められないものの、伝統的国際法においては先行違法行為に対して同程度の侵害をもって報いる「武力復仇」が認められていましたが、こちらも戦時を成立させない平時の合法的な武力行使を可能にする根拠でした。
          平時の武力行使は当然に違法というわけではないんですね。
          だからこそ、当事国の双方が自衛権を援用し、武力行使の適法性の表示を図るようなケースでは、安保理等での違法性の認定が難しくなるのであって、今回のロシアのようなダメダメなケースは中々ないと思います。

          1. さより より:

            とおる様

            勉強になります。法律の世界の概念創出は面白い(ちょっと不謹慎?)です。
            まあでも、ここまで来ると、法律家にお任せします、になりました。
            素人相手に真剣に面倒を顧みず、解説していたことに感謝します。このような話は、そうそう聞ける機会はありませんでしょうから。

          2. さより より:

            上記、

            解説していたことに ⇒ 解説して頂いたことに

            です。

  3. 匿名 より:

    日本国の憲法の九条が日本の周辺国家群の武力増強による窮状によって憲法の旧状となる事には「ケンポーキュージョー教徒」が苦情を呈するかも。

  4. さより より:

    驚きで、言葉も出ない、です。
    こんな活動をしている人間が700人もいて、しかも、大学教授などの学者だと。
    ヤフコメした人に申し訳ないが、これは、イデオロギーですら無く「たわごと」でしかありません。
    本気でこんな事考えている人間がいるとは信じられない。どうしたらこんな考え方になるのか?しかも、こんな事しか考えられない人間がどうして大学教授になれるのか?日本の大学制度はどうなっているのか?謎は深まりばかりです。
    これじゃ日本学術会議がおかしくなるのも仕方無しかな?

    1. 引きこもり中年 より:

      さよりさま
      >こんな事しか考えられない人間がどうして大学教授になれるのか?
       師匠、先輩の考えに従って大学教授になれました。

      1. さより より:

        大学が、学問の府では無く、徒弟制度の職人の府だったとは!
        こりゃ、お釈迦様でもご存知無かったのでは?

        1. いちょう より:

          残念ながら,大学は徒弟制度の世界です。
          新任の教授を教授会で決めるのはご存じだと思います。ある一定の思想の教授が過半数を占めれば,その思想で埋め尽くされる可能性が高いです。
          特に文系の学科では,教授の思想信条が配下の教員を支配することは珍しくありません。

    2. 世相マンボウ。 より:

      まったく同感です。

      ≫…しかも、大学教授などの学者だと。

      台所の赤黒い住人さんもカビも戸棚の
      高級生クリームのケーキなどに集まるように
      もっともふさわしくない美味しいものを
      狙うものです。
      日頃から床も清潔に保ち
      ホイホイかけることが必要です

  5. 引きこもり中年 より:

    毎度、ばかばかしいお話しを。
    平和学の教授:「「平和を研究することは戦争を研究することと同じ」と言う新宿会計士は、平和学研究村の和を乱し、憲法9条信者のこころを乱す。ケシカラン罪だ」
    誰か、笑い話といってくれ。
    蛇足ですが、(ここでいう)平和学が学問だとすると、その学問の証明は、どうするのでしょうか。

    1. さより より:

      引きこもり中年様

      いや、大学は徒弟制度(一つ上のコメント参照)だから教授が、学問だと言えば学問になるのでは?
      どうりで、研究データ捏造、論文捏造、他の論文の切り抜き盗用という、自分の学説に世界の方を合わせてしまおうとするのが「立派な」研究姿勢になるらしいです。
      これじゃ、平和「学」なる、検証不能の雑学も、学問にできちゃう訳です。
      何しろ、立派な教授が700人も集まって決めたのだか、最強の学問です、か?

      1. 引きこもり中年 より:

        経済学の教授が700人集まっても、企業経営で成功するとは限らない。平和学の教授が700人集まっても、平和とは関係ない。

  6. カズ より:

    トラブル解消の最善手は『未然の防止』にあると思います。
    経済での「輸出管理」。安保における「抑止力」がソレですね。

    食逃げ外交を許さない「食券制(前払い)」も必要ですね・・。

  7. やまいぬ より:

     星新一のショート・ショートに「白い服の男」という作品があったね。

    1. やまいぬ より:

       「戦争を防ぐには抑止力が必要」これ自体は当然として、護憲派の主張するような「こちらの軍備が敵の先制攻撃を誘発する懸念がある」というのも間違ってはいません。(逆に言えば日本には先制攻撃も辞さないような敵がいるということです。)
       そういった具体的な議論は必要なんだろうな。

  8. たい より:

    現在行われているウクライナ戦争を一日でも早く終結するにはどの様にすれば良いのか。
    中国の台湾侵攻をどの様にすれば防ぐことができるのか。
    そのあたりが平和学とやらで導きだせるのなら存在意義があるのかもしれません。

  9. 簿記3級 より:

    平和堂について学ぶ学問では無いようですね。
    大学のクーラーの効いた涼しい机の上で学ぶ学問はさぞ快適でしょう。
    まあ現場に足を運べと言ってもこの人達が足を運ぶのは資料館くらいでしょうし。
    冷房をガンガン効かせた部屋で汗をかかず平和とか環境みたいな高尚なことを語る不思議な学問です。

  10. たろうちゃん より:

    平和学、、で、その本が26400円なんだとか?その時点で購入を諦めた。専門書なんだろうが、一般には広まらない分野だと感じる。昔、神田の古本屋街で「女性の性器」と言う本をみた。これでもかって言うくらい女の性器で埋め尽くされていた。値段が中古で30000円だったかな。買う気にもならなかった。なにしろ醜悪しか、感じなかった。○○学なんていうのは一般的ではないのかもしれない
    。一般に広める思想ならみんなの手に触れる安価な価格のほうが普通に興味がわく。しかし戦争を防ぐには抑止力としての戦力保持は言い得て妙だ。たしかに核爆弾を何発も持ってる相手にはケンカ吹っ掛けようとはしないよなぁ、、、4

  11. KN より:

    学問は多くの人に検証され批判にさらされて洗練されていくものだから、最初から異論を許さないものは「学問」ではないですよね。この「経典」を700人の会員とそのお友達以外に26,400円も出して買う人がいるのでしょうか。「付属品」、「セミナー受講」、「デモ参加」ももれなくついてきたりして。

  12. 匿名 より:

    軍事バランスが壊れれば戦争になるには当たり前のこと
    そもそも平和は戦争と戦争の間の期間のことだから
    基本は常時戦争状態

  13. パーヨクのエ作員 より:

    >ケンポーキュージョー教

    彼らの目的は日本を中華人民共和国に併合させることです。

    中国の歴史を見れば分かりますが、中国は自国を拡大や権力闘争後は敵対勢力を戦地で殺す目的で対外戦争をします。国共内戦の国民党残党は朝鮮戦争で地雷源を足で歩かされましたし、文化大革命の後は敗者はベトナムに送られてジャングルでバタバタ死んでいます。
    日本絡みだと弘安の役がそうですね。

    ケンポーキュージョー教の信者は全員それを『百も承知』です。きっと。

    ケンポーキュージョー教徒とは中華人民共和国に併合されれば、日本人男性、即ちあなたたちの父、子供、孫、友人、知人、あなたたち自身が『異国の地で地雷に吹き飛ばされるか銃弾に当たってタヒするまで』思う存分戦争ができる戦争愛好家なのです。

    平和愛好家と言う「侮辱」はすべきではないと思いますね(笑)。

  14. KY より:

     >平和学は学問ではなくイデオロギーだ

     イデオロギーと言うよりもカルト宗教と言った方がピッタリですね。

  15. 元雑用係 より:

    >書籍はA5サイズ・778ページで発売価格は26,400円(!)だそうです。

    「(ご高齢の)護憲派の皆様!最後のお布施のお願いです!」

    私の心は歪んでいます。

    1. 元雑用係 より:

      まあただ冗談抜きに、戦後彼らが半生をかけてやってきたことが覆りそうになってることは肌感覚でわかっていると思いますので、人生の集大成(正当化)として出したんだろうかとは思いました。事典ですよね。歴史に刻みたいのでしょう。

      日本にかつてこんな思想があったという記憶と記録は、今後の日本にとってはとても大事だとは思います。

    2. KY より:

       何の変哲もない書籍に3万円近い高値を付けて売るって、統一協会のことをとやかく言う資格はないですな。

  16. こんとん より:

    よく聞く論点ですが、私も「平和」と「安全」は似て非なるものと考えています。

    新宿会計士様の引用にある通り、平和とは日本だけの努力ではほぼ実現不可能なお題目(パックスアメリカ等の世界に冠する超大国なら可能かも)であり、平和というお題目を唱えるために自国の安全を毀損するのは敵国工作員の誹りを受けても仕方ない行為かと思います。

    対して日本の安全を求めるのであれば実現可能性は一気に高まります。日本自身の軍事力(抑止力)の強化、強固な同盟国(アメリカ・クアッド・NATO・etc)との同盟関係、敵対国の侵攻を防止するための安全弁・国際外交の構築etc、私のような素人が考えただけでも方策はいくつも思いつきます。

    日本国民の生命と財産を守ることを国民に選挙で負託された国会議員・国政政党が「平和」というお題目か「安全」という現実的なリスク回避政策のどちらを優先すべきかは火を見るより明らかだと思うのですが、その部分が共有されていないのは本当に残念です

    原因は現実的なリスクマネジメントより、空想的なお題目を「キレイなモノ」と崇め・拡散し続けているマスコミと一部の所謂知識層と言われる人たちの布教活動にあるのですが・・

  17. はるちゃん より:

    平和学会が「平和」をどのように定義しているのかよく分かりませんね。
    平和が「戦争の無い状態」という事であれば、中国の言いなりになっていれば良いという事なのでしょうか?
    それでは、自由も民主主義も無くなりますし、日本の国益を無視された上に中国の侵略戦争に加担させられる危険もあります。
    平和が「日本の主権と領土を守る」という事であれば、まずは戦争に備える決意が必要です。
    防衛研究所の高橋杉郎さんが、安全保障には軍事力以外の多方面分野も対象になるが、軍事力を中心に据えないと、効果的な安全保障政策は不可能だと仰っていました。
    今の日本には、お花畑の議論をしている時間は最早無いと思います。

  18. サムライアベンジャー(「匿名」というHNは、在日コリアンの通名と同じ恥ずべき行為) より:

     平和研究は戦争研究と同じ、まったくその通りかと思います。

    「ケンポーキュージョー教徒」に代表される、武装解除すれば平和になれると考える方々が、「軍事」に関する月刊誌でも発行してくれれば信じます。徴兵制があり武器所持率も高いスイスとか、世界あらゆる国家を調べつくしても「武装解除して平和になる」と考えている国などないことが分かります。「ケンポーキュージョー教徒」の皆さんは、車のカギも家の鍵もかけないで生活しているのでしょうかね。ほら、個人でも「防衛」してるじゃないですか。

    1. 雪だんご より:

      >「ケンポーキュージョー教徒」の皆さんは、車のカギも家の鍵もかけないで
      >生活しているのでしょうかね。

      彼らはきっとこう答えるでしょう。
      「そういう話ではないし、そんな悪意の曲解をしてくる者とは話す口を持っていない」

      この態度を繰り返してきた結果、ここまで説得力と影響力を失ったのでしょうが……
      今更間違いを認める訳にもいかないんでしょうね。

  19. 雪だんご より:

    過去に何度か書きましたが、もう一度改めて。

    「ルールを守ったら必ず”負ける”者はルールを破りたくなる」
    「ルールを破っても”期待値で得が損を上回りそう”ならルールを破りたくなる」

    国家間の戦争に限らず、社会の在り方でもこういう傾向があると思います
    (別に誰かの言葉を借りている訳ではなく、私の勝手な経験則ですが)。

    この「平和学」とやらを唱えている人達は
    「ルールを破りたがる勢力にルールを強制的に守らせるにはどうしたら良いか?」
    なんて議論はしたがらないでしょうね……

  20. CRUSH より:

    今週、福島瑞穂は
    「オスプレイが低空飛行してうるさい」
    と別のヘリの写真をつけてツイートしてたそうです。

    以前には、B52戦略爆撃機が空母から発着艦すると思い込んでいたことをバカにされている人です。

    まぁ、バカを隠さず丸出しにしてる姿勢は、正直でよいのかもしれませんね。

  21. まさに戦争を防ぐために、戦争を研究する必要があります。
    戦争に目を背ける事は、日本と自分の家族が侵略される危険な行為です。
    憲法改正は当然必要です。民主国でも独裁国でも当たり前に軍隊を持っているのは何故でしょうか。
    個別的自衛権があるのなら、集団的自衛権も当然あるのが常識です。家族が暴漢に襲われた時に、集団的自衛権にあたるので見て見ぬふりをするバカ(お花畑思考)はいません。
    特定野党や一部のメディアは、中国やロシアと何らかの関係がある人たちのように思えて仕方がありません。

  22. 比翼 より:

    自分が考えている日本国憲法観は、第二次世界大戦後を通してメディアや大学教授たちが延々と語り続けてきた内容と比べてあまりに過激と考えられるため、言語化することを躊躇うものです。
    ですが、「憲法を論ずる」だけならば、自由であるでしょう。
    特に国家が存立するために必要不可欠であるはずの安全保障に関する項目が現状、憲法9条しかないことであり、その内容も字句通りに真っ直ぐ解釈するならば、日本国内にも日本国外にも軍事力の存在を否定するものである点です。

    憲法や法律から一旦離れて、もっと基本的なことから考えてみましょう。人類の歴史は生産力のある土地を武力で占有し、その生産力を拡大再生産し、またはその維持に失敗することを繰り返してきた歴史であることを否定できる方はいるでしょうか?
    その生産物は、良き農地(ウクライナの黒土など、土壌資源や水資源が豊富な農地)であったり、良き鉱山(金山、銀山から油田や炭鉱、鉄鉱山、ダイヤモンド鉱山、ウラン鉱山などなど)であったり、良き漁場であったり、良き牧草地であったりします。
    そして、かなり大きな資源は付加価値の高い商品を生産する教育のある技術者たちであり、その生産力の場である工場や企業です。その工場や企業が集住する都市は莫大な生産力があり、日本や先進国諸国の都市は、一都市で一国の生産力を優に凌駕します。
    最後に都市よりも遥かに超えた価値があり、各都市の生産力を互いに担保するものは、各都市間を物資や情報で繋ぐ陸上交易路であり、海上交易路でありましょう。現代では、これらに航空路や宇宙空間、電信、パイプライン、光通信網などが加わってくるでしょう。

    これらの数多ある生産力の場が一定の武力で守護されていないのならば、他国や他の勢力が少ない犠牲で奪うことができるものと目論み食指を伸ばしてくるのは、世界史を少しでも勉強したならば、教師から教わらなくても気が付かなければなりません。
    日本は20世紀までは世界第二のGDPがあり、現在でも世界第三のGDPを有する、地球上の中でも莫大な生産力を持つ国土と人的資源を有する国になっています。他国からすれば垂涎の国であることは変わりありません。
    しかし、その国が憲法上において、公的には軍事力の存在を否定し、軍事的には真空地帯であることを目指しています。この真空地帯を一定の軍事力で埋め合わせようとする不変の力学が働く現実は、人類の歴史上において常に変わらないものでありましょう。ましてや、少ない犠牲で莫大な生産力を生む土地を奪えるものならば(ローリスク・ハイリターン)、当然、他国からの侵略戦争を誘発させる力は強まります。
    日本国憲法はその内容を字句通りに解釈するならば、国土に軍事力の真空地帯を作り出し、他国からの侵略戦争を根本的に正当化し、侵略戦争を誘発させ、平和であるよりも「戦争を志向する」世界の中でも数少ない憲法となっています。また、このことは死文化したとは言え、国連憲章の旧敵国条項によって後押しするものとなっていました。(ここの内容は日本の多くの人々にとって最も受け入れがたい部分でしょう。細かく見れば、コスタリカ共和国やソロモン諸島、モナコ公国、リヒテンシュタイン公国など軍隊を持たない国家はあります。)
    では、何故、第二次世界大戦後に現実として日本に本格的な侵略戦争が生じてこなかったのでしょう?
    それは多くの人々の一途な平和への祈りであり、万言を費やし続けてきた平和の連呼であり、他国に対する日本政府の遺憾の言葉などで、日本の戦後の言葉空間のほとんどを一生懸命に埋め合わせて来た結果であると無意識に考えている人々が非常に多くいる現実は間違いなくあるでしょう。
    第二次世界大戦後、日本に対して本格的な侵略戦争が生じて来なかった真の理由は、自衛隊が有する一定の軍事力であり、横須賀をアメリカ国外でただ一つ母港とする世界最強の米第七艦隊の戦力であり、沖縄だけで地球の半分の領域をカバーできる地球上最大の基地の一つである在日米軍基地の存在でしょう。これらの軍事力で、軍事力の真空地帯を目指す日本の国土を埋め合わせてきました。
    にもかかわらず、日本はサンフランシスコ講和条約後においても、竹島を軍事占領され(日本共産党は当時、韓国との開戦を主張しました)、ロシアの戦略爆撃機が東京急行を行い、尖閣諸島の領海内を四六時中侵され、北朝鮮からは国民が拉致され、ミサイルが日本国土を度々飛び越える現実が重なります。日本で万言を費やし続けてきた平和への祈りや言葉、圧倒的な米軍の軍事力などを踏み越えて、日本国憲法は着々と無慈悲なまでに、その侵略戦争を誘発させるというその効力を日本の国土に及ぼし続けてきた結果であると自分は考えています。
    しかし、その現実は日本の言語空間においてはあまり語られないものです。

    そして最後に第二次世界大戦後の「国際社会そのもの」が持つ抑止力です。この抑止力は非常に非常に大きなものです。
    ですが、この最後の「国際社会そのもの」が持つ抑止力が取り払われようとしている時代が
    ウクライナの侵略戦争で現実となり、迫ろうとしている現在の厳しい国際環境を日本国民一人一人が直視できるのか、できないのか、という問題が付きつけられていると考えます。

    万が一(万が一ではない予想は数多く語られて来ていますが)、将来に台湾有事があった場合、この時が日本にとって憲法9条を改正できる最後のチャンスになるでしょう。
    できうるならば、その前に憲法改正したいものなのですが…(北朝鮮との拉致被害者の交渉においても、憲法改正していれば有利になります。)
    「台湾への武力侵攻は必ず日本の国土に対する重大な危険を引き起こす。台湾有事は日本有事であり、日米同盟の有事である」との故安倍総理の遺言を日本国民は実行できるのか、実行できないのか?
    もしも改正できなかったのならば、アメリカや日本の同志国は、日本国民に日本国を防衛する意思が無いものとみなして、日本の防衛にコミットする意思を失い、介入する意欲を失うことになるでしょう。
    あとは、他国からの侵略戦争を正当化する日本国憲法が、日本国滅亡のその日までその効力を完全実行するのみでありましょう。
    その滅亡は日本国民の自業自得であると、他国から判断されることを甘受しなければならないのかもしれません。

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