今から12年前、とある人が、「ブログやツイッターの普及により、知的訓練を受けていない人が情報発信する楽しみを覚えた」と警告したうえで、「責任あるマスコミが権威を持つ社会にしていく必要がある」と提言しました。実際には、その「責任あるマスコミが権威を持つ社会」とは真逆の社会が実現しつつあります。というよりも、そもそもマスコミが正しい情報を発信してきたのでしょうか?ツイッターの新たな機能の実装により、その検証が、これからさらに進むかもしれません。
目次
メディアの偏向報道史
「責任あるマスコミが権威を持て」
山手線の駅名を冠した怪しげな自称会計士が運営しているブログに、2011年、東日本大震災の少し前の時期に、こんな趣旨の内容が掲載されたことがありました。
読売社説の怪(抜粋・要約)
1月10日付の読売新聞朝刊1~2面に、『日本の改新/識者に聞く』と題した山崎正和氏のインタビュー記事が掲載されている。インタビューの最後は『ネット時代にあっても、責任あるマスコミが権威を持つ社会にしていく必要がある』との主張で括られている。
批評活動の一環として、著作権に触れない範囲で、一部分を引用してみよう。
「もうひとつ心配なのが、大衆社会がより悪くなることだ。ブログやツイッターの普及により、知的訓練を受けていない人が発信する楽しみを覚えた。これが新聞や本の軽視につながり、『責任を持って情報を選択する編集』が弱くなれば、国民の知的低下を招き、関心の範囲を狭くしてしまう。ネット時代にあっても、責任あるマスコミが権威を持つ社会にしていく必要がある」。
まるで、「新聞記者などではない素人は、情報発信をするな」、とでも言いたいかの記述だ。
この文章、読売新聞としての主張ではなく、あくまでも山崎氏に対する長いインタビュー記事の一部分を抜粋したものに過ぎない。しかし、それと同時に朝刊1面・2面という、非常に目立つ場所に掲載されていることを踏まえると、読売新聞として、この主張にある程度は同意しているものと考えて良いだろう。
―――山手線の駅名を冠した怪しげな自称会計士のブログ記事を抜粋・要約
…。
そもそも専門家から見て新聞記事はデタラメばかりだった
あれから早いもので、12年以上の歳月が過ぎました。
山崎氏は残念ながら2020年8月に他界されていますが、今になって読み返しても、山崎氏の言う「知的訓練を受けていない人」が何を指しているかについては、正直、よくわかりません。
しかし、もしそれが「専門的な記事を正確に書くこと」なのだとしたら、当時から新聞は合格ラインを割り込んでいたことは間違いありません。この記事を執筆した12年前の時点でも、新聞に掲載されていた企業会計や金融規制に関する記事は、専門家の目から見て、デタラメばかりだったからです。
ただ、この怪しい自称会計士も、当時は新聞、テレビの報道の誤りに気付いても、それを全国の人に伝えるということは、ほとんどできませんでした。当たり前の話ですが、この自称会計士には知名度もなく、また、インターネット人口が現在よりもはるかに少なかったからです。
しかし、それと同時に当時、このこの自称会計士は、自分自身の情報発信に何らかの「手ごたえ」を感じていたようです。その証拠に、こんな趣旨のことも付記しているからです。
「今のマスコミがやっているのは『責任を持って情報を選択する編集』ではなく、『みずからの都合にあわせた編集』、だ。しかし皮肉なことに、『国民の知的低下と関心の範囲の矮小化』をもたらしているのではなく、その逆だ。むしろ国民のマスコミ離れは知的好奇心の上昇、関心の範囲の拡大につながる」。
これを12年前の時点で予言できていたことに関しては、素直に自慢して良いと思う次第です。
「21世紀臨調」討論会を無視したオールドメディア
ちなみにこのブログ記事をアップロードした時期といえば、激動の真っただ中にありました。2ヵ月後に東日本大震災が発生し、当時の菅(かん)直人内閣はその半年後の9月に総辞職し、野田佳彦内閣が発足するなど、社会も政治も極度に不安定化していたのです。
菅元首相の震災対応も酷かったのですが(とくに『共産県議が知事に多選批判→知事「志位氏に伝えたい」』などでも触れた、故・松本龍復興担当大臣の狼藉などは有名です)、この社会の大混乱の原因が作られたのは、いうまでもなく2009年8月の衆議院議員総選挙です。
『立憲民主党の先祖返り、今度のポスターは「変えよう」』などを含め、当ウェブサイトではこれまでに何度も取り上げてきたとおり、民主党政権を発足させる原動力となったのが、まさに新聞、テレビを中心とするオールドメディアの偏向報道だったからです。
まずは代表から「変えよう。」いまから12年前の2009年8月、麻生太郎総理大臣との党首討論会の最後に、鳩山由紀夫・民主党代表はヒトコト、「チェンジ!」と叫びました。そして、最大野党・立憲民主党は昨日、あらたなキャッチコピーを発表しました。それはなんと、「変えよう。」、です。麻生総理と鳩山代表の党首討論ちょうど12年前のいまごろでしたでしょうか。麻生太郎総理大臣が衆議院を解散し、日本は選挙に突入。21世紀臨調は2009年8月12日、自民党の総裁でもある麻生総理と、当時の野党・民主党の鳩山由紀夫代表の2名を招い... 先祖返りする立憲民主党、今度の標語は「変えよう。」 - 新宿会計士の政治経済評論 |
例を2つだけ再掲しておきましょう。
まず、2009年8月12日、21世紀臨調が主催した麻生総理と鳩山・民主党代表の党首討論会(※現時点で動画の視聴は不可)を、NHK、在京民放各局、主要全国紙・ブロック紙などが完全に無視し、「なかったこと」にしてしまったという事件を忘れてはなりません。
著者自身はこの討論会をインターネットで視聴したクチですが、公正な目でジャッジするならば、麻生太郎総理大臣が話す内容は、とても理路整然としていてわかりやすいものでしたが、民主党の鳩山由紀夫代表の発言は支離滅裂の極みであり、麻生総理の圧勝に終わりました。
しかし、不思議なことに、この討論会の翌日、職場で何人かの人に感想を尋ねてみたのですが、ほとんどの人が「党首討論会が行われた」という事実を知らなかったのです。主要な新聞、テレビがいっせいに、この党首討論会を無視したからです。
新聞、テレビを情報源にしたら、投票行動が歪んだ!
そして、オールドメディアが投票行動を歪めた証拠は、ほかにもあります。
社団法人日本経済研究センターが2009年9月10日付で発表した『経済政策と投票行動に関する調査』です。これによると、新聞・テレビを情報源として重視する人ほど、比例で民主党に投票したことが、明確に示されています(図表1)。
図表1 情報源と比例区投票先の関係
(【出所】(社)日本経済研究のレポートのP7を参考に著者作成)
同レポートは「ネットを情報源と答えた人は、民主党よりも自民党に投票した人が多い」と指摘。また、「ネットを投票の主な判断材料と答えた割合」は、20代が21.8%、30代が13.0%、40代が7.6%、50代が5.0%、60代以上3.5%、全体で8.0%だったそうです。
- 20代…21.8%
- 30代…13.0%
- 40代…*7.6%
- 50代…*5.0%
- 60~…*3.5%
- 全体…*8.0%
ちなみにこの調査は現在より14年前のものですので、当時の20代は現在の30代から40代に、当時の30代は現在の40代から50代に、といった具合に、回答者もそれぞれ年齢を重ねているはずです。
時代は大きく変わった!
たった10年でスマホは9割弱の世帯に普及
正直、当時はこの「ネット利用者は若年層に極端に偏っている」という調査結果を見て、絶望感に近いものを抱いていたのですが、こうした状況はたった10年あまりで大きく変わりました。
いうまでもなく、スマートフォンが爆発的に普及したことです。
図表2は、総務省『令和4年版情報通信白書』に掲載されていた、スマートフォンを含めた情報通信機器の世帯保有率の推移をグラフ化したものです。
図表2 情報通信機器の世帯保有率の推移
(【出所】総務省『令和4年版情報通信白書』図表3-8-1-1)
少し分かり辛い図表ですが、これによると、スマートフォンの世帯普及率は、2010年には9.7%に過ぎませんでしたが、11年には29.3%といきなり20%ポイントも増加。翌・12年には49.5%とさらに20%ポイント増えています。
さらに、第二次安倍内閣が発足した直後の2013年には62.6%と、いきなり6割の大台を達成。たった3年間で、半数の世帯がスマートフォンを購入したという計算です。最近では90%弱で頭打ちとなっているようですが、それでも固定電話の普及率(66.5%)を大きく凌駕しています。
新聞の大淘汰時代が始まっている
こうしたスマートフォンの爆発的普及が、いったい何をもたらしたのか。
やはり真っ先に挙げておかねばならないのは、スマートフォンが紙媒体としての新聞の寿命を終わらせようとしていることでしょう。
図表3は、一般社団法人日本新聞協会のデータを基にした、新聞部数の推移です。
図表3-1 朝刊部数と減少速度
図表3-2 夕刊部数と減少速度
図表3-3 合計部数と減少速度
(【出所】一般社団法人日本新聞協会『新聞の発行部数と世帯数の推移』を参考に著者作成。ただし、「朝刊部数」は「セット部数+朝刊単独部数」を、「夕刊部数」は「セット部数+夕刊単独部数」を、「合計部数」は「朝刊部数+夕刊部数」を、それぞれ意味する)
これによると新聞夕刊についてはすでに2000年代から部数減少が始まっていたことがうかがえますが、これが朝刊にまで及び始めたためか、2017年以降は朝刊も、坂道を転がり落ちるように部数が激減し始めていることがわかります。
まさに「新聞大淘汰時代」の始まりです。
スマートフォンなどの普及と高性能化、回線の高速化などにともない、情報の鮮度、写真の画質などの多くの面で、紙面がネットにとうてい太刀打ちできなくなったという「物理面」での変化も、無視できないでしょう。
ネットの特徴は「誰もが情報発信可能」
ただ、おそらく事情はそれだけではありません。
誰もが気軽に情報発信できる時代が到来したことで、ウェブ空間にニューズサイト、ウェブ評論サイトが、それこそ雨後の筍のごとく、大量発生したという事情は見逃せないでしょう。あるいは『YouTube』『ニコニコ動画』などの動画サイトの普及も、こうした社会のネット化に拍車をかけています。
その結果、ウェブサイト、ブログサイト、ユーチューブチャンネルなどが無数に出現し、ネット論壇はさながら玉石混交ですが、これらのなかには読者、視聴者からは、下手なオールドメディアよりも遥かに高い満足度を獲得している、というケースもあるようです。
そうなってくると、2011年時点で山崎氏が主張していた「責任あるマスコミが権威を持つ社会」とやらは実現するどころか、むしろそれと真逆の社会が実現している、という言い方ができそうです。新聞はますます軽視され、社会的影響力を喪失しているからです。
というよりも、むしろ「新聞記者が知的訓練を受けている」という前提条件自体も極めて怪しく、これに加えて「新聞は責任を持って情報を選択・編集している」という考え方自体も、実態とは合致していないのではないでしょうか。
ちょっと待て!その「ファクトチェック」正しいの?
そういえば、最近だと、おもにオールドメディアの側から、「ファクトチェック」なる用語を聞くことがあります。
「一般社団法人セーファーインターネット協会」に設置されている「日本ファクトチェックセンター(JFC)」のウェブサイトなどを見ると、この「ファクトチェック」とは「事実の検証」を意味しているそうであり、実際、JFCの活動方針については、こんな記載があります。
「インターネット上の不確かな情報を中心に、証拠に基づいて真偽を確かめるとともに、デジタル時代のメディア・リテラシーについて発信・普及活動に取り組むなど、民主主義の基盤となるインターネット上の言論空間の健全性を維持、向上させることを目的として活動します」。
まるで、インターネット上にウソ情報が蔓延しているかのような書き方です。
しかし、「事実の検証」という意味では、インターネット空間だけでなく、実際には新聞自体もその対象とすべきでしょう。『「事実を正確に伝える力」、日本の新聞に決定的に欠如』などでも指摘してきたとおり、そもそも日本のオールドメディアには、「事実を正確に伝える能力」が、著しく不足しているからです。
日本の新聞の部数が急激に減っており、業界全体としても10年前後で紙媒体の新聞の多くは廃刊に追い込まれると考えられます。ただ、日本の新聞業界の苦境の原因は、日本の新聞に「批判精神が欠如している」ことである、などと主張するツイートがありました。正直、この見解には賛同できません。日本の新聞に決定的に欠如しているのは「批判精神」などではなく、「事実を正確に伝える能力」だからです。新聞部数の凋落新聞の「寿命」「新聞部数の凋落が止まらない」――。こんな話を、当ウェブサイトではずいぶんと繰り返してきました。一... 「事実を正確に伝える力」、日本の新聞に決定的に欠如 - 新宿会計士の政治経済評論 |
ツイッター新機能に山崎氏はどう答えた?
こうした文脈で、『ファクトチェック大幅強化するツイッター新機能の衝撃』などでも紹介した、ツイッターに出現した「ファクトチェック機能」を改めて振り返っておくと、これは大変にわかりやすい、革命的な現象のひとつとなるかもしれません。
例の「ツイッターのファクトチェック機能」に関する「続報」が出てきました。『役に立つコミュニティノート』というアカウントが、背景情報に関するノートを自動で紹介してくれるようなのです。現在のところ、表示されているものを上から順に10個ほどチェックしてみたところ、ロシア大使館のほか、左派系や反ワクチン系のアカウントのツイートに対し、注意喚起がなされているようです。今後のツイッターではデマの流布は難しくなるのでしょうか。ツイッターのコミュニティノートによる「背景情報」昨日の『新聞がツイッターでファクト... ファクトチェック大幅強化するツイッター新機能の衝撃 - 新宿会計士の政治経済評論 |
繰り返しになりますが、この機能は「コミュニティノート」参加者が特定のツイートに対し「背景情報」を加える、というもので、不正確なツイートの理解を正す効果が期待されます。オールドメディア側が「ネットには誤りばかり」というレッテルを貼ろうとしたら、ツイッター側から強烈なカウンター・パンチを喰らった格好です。
もちろん、このコミュニティノートを巡っては、「悪意のあるノート参加者によって乗っ取られたらどうなるのか」などの不安材料もないわけではありません。ただ、あくまでも現時点でチェックする限りにおいては、比較的正確なファクトチェックが行われているようです。
これは、大変皮肉な現象です。実際に大手新聞社の著名記者、あるいは新聞記事そのものが、このファクトチェックの対象に加えられてしまったからです。
現在のところ、このツイッターのノートは、「反ワクチン」、「親ロシア」、「PV狙いのフェイクニューズ系まとめサイト」などに出現する傾向があるのですが、今後は大手新聞、テレビなどに対しても、同様のメッセージが表示されることが増えていくのかもしれません。
まさに、オールドメディアの権威は、あと10年といわず、早ければほんの数年以内にも、完全に失われてしまうのかもしれません。
山崎氏がご存命ならば、これを見て、いったいどうコメントなさるでしょうか?
少し知りたい気もします。
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当時この記事を読んだ記憶があります。
既に、SNSやブログで個人でも団体でも、ネットに自分の意見という程でもない文章でも何でも自由に書き込み放題で、世界中の人に読んで貰えるという手段と可能性を手にしていたので、このような見方は、山崎某という識者?と言われている人が言うまでも無く、誰でも感じていたことです。『責任を持って情報を選択する編集』ということは、あった方が良いのだろうけれど、そもそもこの言葉自体が空論でしょう。又、責任を持つ持たないは別のこととして、権威ぶって情報を選択するという姿勢を持った時点で、情報統制・知る権利の侵害的な匂いを感じたものです。更に、今は勿論、当時の日本でもそのずっと前から、『責任を持って情報を選択する編集』をするという報道機関が存在していないことは分かっていました。ATMKは、とうの昔に事実を報道する機関ではなく、自分達の感想を書く機関であることは見抜かれていました。つまり、『責任を持って情報を選択する編集』をする所とは、どこにあると思ってこの発言をしたのか?まさか、自分のことをそう思っているのか?と思ったものです。
「情報の信憑性」という永遠の課題を、『責任を持って情報を選択する編集』という「空論」で片付けようとする識者?こそ、ネット社会では、その化けの皮が剥がれる運命にあるのでしょう。
オールドメディアが失ったのは信用信頼。
いまさら新聞や受信料がタダになっても欲しいとは思わないレベルにまで落ちた。
今はファクトチェックといった機能に信用を求め始めているのかもしれませんが、次第にAIとかに求め出すんだろうなと考えてます。
毎度、ばかばかしいお話しを。
オールドメディア:「責任ある者だけが情報発信できるように政府は免許を発行すべきだ。ただし、我々、オールドメディアには無条件で免許を発行すべきだ」
政治家:「これは利権になる」
これって、笑い話ですよね。
蛇足ですが、アメリカの新聞記者が、記事作成へのAIとの違いとして、「私はAIと違って事実に忠実である(意訳)」と言ったそうですが、もし、日本の記者が同じことを言ったら、大笑いされるでしょう。
幻覚作文(ハルシネーション)がひどいのは、機械のほうかそれとも新聞記者のほうか。深遠な議論になりそうです。
はにわファクトリー さま
>機械のほうかそれとも新聞記者のほうか。
(上の意向で)幻覚作文を書くように設定した機械と、(事実を無視して)上の意向に従う記者のどちらがよいか、ということでしょうか。(どちらにしても、上次第ということで)
より悪意が少ないほう、もしくは
文章が誤っている可能性を読者が前提にできるほう
アメリカのマスゴミもかなり酷いけどねww
おっと、海外かぶれに怒られる!
>「知的訓練を受けていない人が発信する」
これって大炎上する内容だ。
「頭の悪い奴は黙ってろ」と言ってるのと同じだから。
>「責任を持って情報を選択する編集」
この結果が「吉田調書」だ。
日本国内で発生した事象については、従来どおり偏向記事書いてたら自業界の未来は無いと認識して、ひょっとしたら彼らも軌道修正できるのかもしれません。
それとて記者に必要な基本的スキルが不足し「プロ」としての取材、記事生産は難しいでしょう。
特に海外で発生した事象については、そもそもの語学能力欠如も追加され、取材力が無さすぎるのが致命的です。
以前、某自動車会社の広報がロンドンで実施されたのを某自動車会社のインターネット配信で観たのですが、FTなどのメディアが理路整然と質問や議論を進めているのに対し、NHKの元21時からのニュースキャスターで現在現地特派員の人は比較も出来ないレベルの稚拙な質問。他の日本記者も同レベル。唖然としました。
海外の出来事は、白人世界視点バイアスは意識した上でですが、FTやロイターを参照すべきと強く思いました。
日本の報道記者が海外において二段も三段も見下されているであろうことは間違いありません。出羽守を持ち出したくはありませんが鍛錬と実力の問題。今に始まったことでないからです。
最近の現象で言えば、ワグネルの乱では特番がなかったこととか、国内で芸能人が家庭内事件を起こすとヘリを飛ばして中継するあたりに、現象として現れていると思いました。
国内しか見てないんですよね。
彼らの語る世界の中の日本像が歪むわけです。
あー、お恥ずかしながら、韓国人記者の
「Do you know kimchi?」を思い出しました。
日本マスコミと韓国マスコミは同レベルなのは間違いないです。
ドロンジョ一味「逆さにして振ってもこんな知恵しか出て来ません」
どくろべい「あかぽんたんっ」
もしくはトホホ系経営企画会議のなれの果て。
オストアンデル社の事ですか?
キュレーションはAIが担っていくことになるんですかね。
「責任あるマスコミが権威を持つ社会にしていく必要がある」
ストレートに読めば、これは何も間違っていないと思う。
ただ、マスコミと言われる領域に、今は
・責任というものを理解できない輩
・権威とはどういうものか、どのように形成されるものかを理解できない輩
しか生息していない(過去は不明)ように見える。
そもそも報道(ジャーナリズム)と主張(オピニオン)の区別もついていない。
もっと言えば、エンタメとも区別が付いて居ない。
これ等は、主(報道)客(エンタメ)転倒の結果。
要は金儲け至上主義の堕落し、薄汚れた胡散臭さの成れの果て。
もしかしたら、主(主張)客(報道・エンタメ)であって
その主張が全く相手にされなくなった結果かもしれない。
単なる覗き見ゴシップ紙、無責任なアジビラ程度にしか見られない現状でも
『専門性を磨く・嘘を混ぜ込まない・角度をつけるのではなく多角的に見る・ダブスタしない・誤りを見つけたら訂正する』程度の当たり前のことを地道にやっていれば、今よりも権威を持つことは可能と思う。
(ただし、今の様な暴利を貪れるかは疑問。)
すべてのお商売は、何にお金を払ってもらえているか対価正当性の理屈を理解しない、忘れるときから堕落が始まります。NHK しかり、新聞定期購読しかり。
無料で高品質なものが提供されるようになって顔面蒼白になってからでは遅い。お金を払ってもらうことの意味と動機づけに変革を迫られて来たソフトウェア産業ネット産業は、金儲けの仕組みを編み出し続けることで進化してきました。いまさらマネしても追いつけないのは間違いありません。
ツイッターの新機能は「メディア(M)の国際標準(ISO)をノックアウト(KO)」するかのようなシステムですね。
全部繋げる(ISO-KO.M)と長ったらしいので、ゴロ的には「ISO-KOシステム」と呼称したいところです・・。
(他意は、ありません。)
背景情報がある程度出そろったところで、世界のマスメディアの背景情報付加率ランキング、なんてのも見て見ると面白いかもですね。
日本とロシアと韓国のメディアが訂正される率が異様に高いとか。ATMはイギリスのダブロイド紙並みだ、とか。出ないかな。
朝日は背景情報付けられた後に元記事を削除したそうですんで、攪乱要因になりそうです。
毎日は記事そのままなんですが、収支が厳しそうなのでひょっとしたらネットチェックと訂正要員を削っているのかもしれませんね。しらんけど。
>朝日は背景情報付けられた後に元記事を削除したそうで
ブラウザなりスマホ画面に表示になったもので特に「ネタ温度(単位は℃)」が高いものは、どんどんとスクリーンショットを撮って保管する戦術を採っています。MS365 の 1TB 枠に投げ込み続けても大して嵩張りません。デジタル写真整理ツールで管理すれば、タイムライン検索もばっちりです。
画像1枚残すコストは極端に下がりましたよね。昔はデジカメで撮った写真を全部クラウドに、なんて考えられなかったですが、今じゃ無料標準サービスでも入っちゃいそうです。
ATM記事に限ると熱心な監視者がほぼ魚拓に取ってネット上に晒してるんですが、全てのメディアと記事があるわけでもないし趣味嗜好によるんで統計上の正規化がムズいかなぁとは思います。
最近使い途もないのにグラボを新調したので、StableDiffusionという機械学習の画像生成をいじってみてますが、まあまだ、これで作った魚拓は偽物とわかる品質ですね。時間の問題かも知れませんが。
映画トロン(初代)というのがあって、アーケードゲームが流行った時代、わずか数色の低解像度ラスター描画もしくはベクトル描画にワカモノが新規性を感じていたころのおとぎ話です。おとぎ話にリアリティ(真実迫真度)を求めるのは野暮というもの。稚拙であるからこそ味わいと捉えるべきでしょう。
以来 CG / VR は劇的に性能向上して迫真度を増してきましたが、たとえば Pixar や Disney などの作品においては、結局ネコとネズミの追いかけ合いからちっとも進化できない陳腐さのほうがより鼻につきます。リアルであるからこそ、です。
かつて PC9801 がホビイストに普及して高性能なグラフィクスハードウェアに何をさせるかネタ℃が探されていたころ、レイトレーシングが一気に流行りました。インベーダーゲームで暇つぶしをしたいわけでなく、金儲けの可能性を感じた一部が熱を上げたのです。日本における CG の萌芽です。書店の本棚で見つけて当方も℃上昇してました。C コンパイラ解説本はソースコード付きで中身を眺めて勉強もしました。道具がよければもっと楽しんでやろうと考えるひとはいつの時代も多いのです。
デフュージョンの出来が悪いのは操る人の感性の問題の可能性が高いです。Youtube に投稿され続けている存在しない映画の予告編を探してみてください。
最近なぜか、youtubeのリコメンドに「決断」という70年代セル画アニメが出てくるのですが、意外と面白くて見てしまいます。(笑)
手間をかければ捏造写真を作れるのは機械学習の有無と関係なく可能ですが、手軽さがキーだと思います。
画像の利用目的によりますが、今のsdは大量の試行錯誤の中に、たまにいい物が出る程度の物です。ブログの挿絵など賑やかしには十分ですが、証拠捏造用として簡易に扱えるレベルに達しているとは思えないんですよね。
以前に話題になった映画の予告編はsdで作成したものではないと思いますが、技術がこなれてsdのように誰にでも手に入れられるものとして流布されるのも、まあ時間の問題だろうとは思います。プロンプトから3dモデルを作成する実験も進みつつあります。
露宇戦争では映像や画像が事実を示す証拠として機能していますが、次に起こる歴史的イベントでは、どうなるかわからないかなぁ、と思います。
インターネットの言論空間とやらは、不健全で無責任であるからこそ、膨大な情報量になっているのだと考えています。であれば、自己責任で取捨選択するのが前提のツールであり続けなければ、陳腐化するだけ。JFCの掲げる「健全化」など、ただのディストピア、キレイナインターネットというところ。本来の価値を毀損するだけでしょう。あ、それが目的?
不健全な自由の情報の海の中にあって、健全に情報収集し議論をするからこそ、価値が最大化されるのでは。(そうなると使いこなせない人も出てきますが、本来人類の100%がもてるような機構ではないような気がします)
今回のツイッターの新機能は、左翼仕草やディストピアSFにありがちな規制や検閲、「正しい情報の決めつけ押し付け」などではなく、注意喚起や確認の「プロセス」を促すものと捉えられます。(期待通りに作動している限りは)良い塩梅ものが出てきたなと。
そういう意味でなら知的訓練とやらも重要ではあるのですが。目的を見誤った結果が、今のメディアの体たらくかな。
農民様
キレイなインターネットのディストピア社会なんて、◯そ喰らえ。全面的に支持します(ソコまで言ってない?)
個人の思想や趣味嗜好や表現などは法の下に混沌であるのが多方面への進化の条件であると感じます。
自由で混沌であるからこそ、環境の変化に応じた新しい思想や表現が切磋琢磨の結果生まれると思います。
正義や効率性などの旗のもとに、健全化・画一化を押し付けた社会は効率化はされるかも知れませんが、その分変化への冗長性を失い、何よりも楽しくないですw
私の結論としては被害者のいない二次エロとかを正義の名で規制すんなってことですねw
(論旨がメチャクチャな上に枝主の農民様にも迷惑で背景情報が貼られそうな結論になってしまった・・)
皆が同じ方向に向かないとならなくなり、指導された正義に先鋭化し、指導された悪の糾弾にひた走り密告社会になる、なんてのは実証済みですしね。大きくはソ連中国、小さくは日本のカビの生えた共産主義組織、最近では水着撮影会を中止に追い込んだおばさま達……あ、見事に全部真っ赤だわ。
「正しいのに幸せにならない」という時点で歪みを感じないものでしょうかね。