とある参議院議員が1993年に発生した「椿事件」を「テレビ局に対する政治介入を許した痛恨事」、などと述べたそうですが、この「玉川事件」は歪んだ事実関係が大々的に報じられたという意味で、椿事件と本質的にはまったく同じです。「椿事件」と比べると、今回の「玉川事件」、正直、大したインパクトがあるとも思えませんが、この問題が連日のように炎上しているという事実は、インターネットとテレビ業界の力関係が完全に逆転しつつあるという状況を示すものでもあるのです。
目次
玉川事件と放送法
玉川事件のインパクト:テレ朝の処分にも注目が集まる
当ウェブサイトでも連日のように取り上げている話題のひとつが、「テレビ朝日不適切発言問題」、あるいは「玉川事件」です。
これは先月27日に営まれた故・安倍晋三総理大臣の国葬儀の場で菅義偉総理が弔辞を読んだことを巡り、テレビ朝日の玉川徹氏が翌・28日の番組で、「電通が関与し、政治的意図を持って感動的に見えるかのように演出したものだ」とする趣旨の発言を行ったとするものです。
これについては昨日の『「玉川発言」炎上が続く理由はテレビ朝日の初動の遅れ』などでも指摘したとおり、正直、テレビ朝日という会社自体の体質の問題も、非常に大きいのではないでしょうか。
テレビ朝日従業員による、例の「電通発言」などを巡るテレビ朝日側の処分には、不自然な点がいくつかあります。処分の内容が通常の企業と比べて軽すぎる、謝罪の相手を間違っているといった基本的な態度の問題もさることながら、発言から1週間も経って処分が行われたという事実は、当初、テレ朝側がこの問題を非常に軽く見ていた可能性を示唆しているからです。この初動の失敗が意味するものは、いったい何でしょうか。2022/10/06 13:07 追記誤植がありましたので修正しております。テレ朝従業員・玉川氏の問題発言テレビ朝日従業員の... 「玉川発言」炎上が続く理由はテレビ朝日の初動の遅れ - 新宿会計士の政治経済評論 |
というのも、テレビ朝日の玉川氏に対する処分が、あまりにも遅すぎ、軽すぎ、そして謝る相手も誤っているからです。
玉川発言の要点
玉川氏の発言の問題点はいくつかあるのですが、真っ先に指摘しておくべきは、やはり菅総理や故人である安倍総理に対する侮辱であることに加え、安倍総理を悼む無数の人々に対する侮辱でもあるという道義的な問題点でしょう。
また、テレビ朝日自身を含めた民放テレビ業界などが大変に「お世話になっている」はずの広告代理店大手である電通を名指しして批判したことは、電通に対する風評加害であるだけでなく、極端な話、電通がテレビ朝日に対して何らかの制裁を加えるきっかけにもなりかねません。
ただ、それ以上に看過できないのは、やはり「演出側の人間としてテレビのディレクターを務めてきた」というご自身の経験を持ち出したうえで、「政治的意図がにおわないように演出する」のは当然だ、としたくだりではないでしょうか。
この発言自体、玉川氏の問題発言と見るのではなく、むしろテレビ朝日自身、もっといえばテレビ業界全体の問題の象徴と位置付けた方が正確ではないでしょうか。
そのなかでもとくに問題なのが、放送法との兼ね合いです。実際、放送法第4条第1項には、こうあります。
放送法第4条第1項
放送事業者は、国内放送及び内外放送(以下「国内放送等」という。)の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。
一 公安及び善良な風俗を害しないこと。
二 政治的に公平であること。
三 報道は事実をまげないですること。
四 意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。
放送局は放送法を守っていない!
著者自身の見解で恐縮ですが、放送法にこの条文が設けられている目的は、限られた数の電波帯を少数の放送局に特権的に使用させる以上、それらの少数の放送局が結託して不公正な報道を行い、無知な視聴者が騙される、といった事態を回避するためではないかと思います。
ただ、立法趣旨がそうだったとしても、現実に放送局が①公安及び善良な風俗を害さず、②政治的に中立で、③事実を曲げず、④意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにする――といった番組作りをしていないことは明らかです。
というのも、結局はごく限られた少数の放送局が結託し、一般社会常識とかけ離れた番組作りがなされているからであり、また、その気になればテレビ業界が新聞業界などとスクラムを組み、政権をも変えてしまうことができるという実例も発生しているからです。
その典型例が、2009年8月30日の衆議院議員総選挙です。
この選挙では、民主党が全480議席中、308議席という圧倒的な勢力を得て地滑り的に勝利をおさめたのですが、これについては社団法人日本経済研究センターが2009年9月10日付で発表した『経済政策と投票行動に関する調査』の結果が大変重要です(図表1)。
図表1 2009年衆院選における情報源と比例区投票先の関係
(【出所】(社)日本経済研究のレポートのP7を参考に著者作成)
これでわかるとおり、新聞・テレビを情報源として重視すると答えた人ほど、比例で民主党に投票していたという結果が判明しているからです。これに対しネットを情報源として重視した人に関しては、むしろ自民党が勝っていたのです。
テレビなどは、2009年にも不公正な報道を行った
では実際、テレビ(や新聞)は、選挙前に公正・客観的・中立的な報道を行っていたのでしょうか。
これを知るうえで参考になるのが、投票日の約3週間前の2009年8月12日に21世紀臨調が主催した麻生太郎総理大臣と鳩山由紀夫・民主党代表の党首討論会(※現在は視聴不可)です。
この党首討論会については現在は視聴できませんが、具体的な内容については『先祖返りする立憲民主党、今度の標語は「変えよう。」』あたりでも説明したとおり、どう贔屓目に見ても、1ヵ月後に首相に就任することになる鳩山代表の完敗であり、麻生総理の完勝であったと見て間違いないでしょう。
まずは代表から「変えよう。」いまから12年前の2009年8月、麻生太郎総理大臣との党首討論会の最後に、鳩山由紀夫・民主党代表はヒトコト、「チェンジ!」と叫びました。そして、最大野党・立憲民主党は昨日、あらたなキャッチコピーを発表しました。それはなんと、「変えよう。」、です。麻生総理と鳩山代表の党首討論ちょうど12年前のいまごろでしたでしょうか。麻生太郎総理大臣が衆議院を解散し、日本は選挙に突入。21世紀臨調は2009年8月12日、自民党の総裁でもある麻生総理と、当時の野党・民主党の鳩山由紀夫代表の2名を招い... 先祖返りする立憲民主党、今度の標語は「変えよう。」 - 新宿会計士の政治経済評論 |
ところが、地上波の民放、NHKのなかで、これをリアルタイムに中継した社はゼロ社でしたし、翌日の新聞も、多くはこれを無視したか、報じたとしてもほんの小さな扱いに留まりました。
著者自身は当時、この討論会を、当時はまだ珍しかったインターネット中継でリアルタイムに視聴していましたし、仕事がら主要紙にはひととおり目を通していたので、党首討論を取り上げた社がほとんど存在していなかったことをよく覚えています。
また、当時はとある理由で東京と自身の出身地を往復することが多かったのですが、少し年下のイトコと会って話した際、そのイトコ(テレビっ子)が「僕は今回、自民党にお灸を据えるために民主党に入れる!」と息巻いていたのが印象的でした。
著者自身、「今回も自民党に投票する」とキッパリ断言したところ、そのイトコからは奇異な目で見られたのですが、そのイトコ自身が3年後、「どうして世の中がこんなメチャクチャになったの?」と嘆いていたので、著者自身は「君の3年前の投票が原因だよ」、とキッチリと答えておいたというのはここだけの話です。
BPOと椿事件
BPOという「身内のお手盛り組織」の問題
いずれにせよ、新聞やテレビの報道を信じていると、有権者は投票行動を誤るのではないか、といった点については、インターネットを好んでいた層の間では何となく知られていた仮説だったのですが、こうした仮説は2009年において、少なくとも著者自身のなかでは確信に変わったのです。
したがって、民主党が政権を奪取するきっかけとなった2009年8月30日の衆議院議員総選挙については、当ウェブサイトとしては間違いなく、「新聞、テレビを中心とするオールドメディアが主導した、事実上のメディア・クーデターだった」と、自信を持って断言したいと思います。
つまり、2009年の総選挙とは、メディアが印象操作だけで自民党政権を貶め、もって民主党の圧勝をもたらしたという意味で、日本の民主主義史上の最大の汚点であり、日本の新聞・テレビは、この日をもってジャーナリズムを名乗る資格を喪失したと断じても良いでしょう。
ただし、冷静に考えてみると、この2009年の総選挙によって日本のジャーナリズムがおかしくなったわけではありません。その兆候は、すでに過去に何度も生じていたのです。
こうしたなかで、放送業界がいちおう、「放送法を守れるように作った」などと自称している自主規制団体が、民放やNHKなどの放送業界が共同で設立した「放送倫理・番組向上機構」と呼ばれる組織です(あるいは「BPO」という略称で知られている組織、といえば良いでしょうか)。
この組織自体、当ウェブサイトとしては、「放送法を順守する体制を整備している」というアリバイ作りのための事実上の業界内の組織に過ぎず、「強制力を伴った第三者」でもない、という問題点については、『「監査論」の立場から眺めるBPOと放送業界の問題点』でも指摘したとおりです。
先日から「放送倫理・番組向上機構(BPO)」なる組織の問題点について議論しているのですが、これについて、本稿ではもう少し深いところから議論してみたいと思います。これには少しまどろっこしいのですが、敢えて公認会計士業界の内情から「独立第三者による強制力を伴った業務適正化の仕組み」について議論したうえで、こうした仕組みが放送業界や新聞業界、さらには官僚業界などに存在していないことによる問題点を探ってみたいと思います。会計と監査の不思議な関係公認会計士の本業は「XX」である「突然だが、ここで『クイ... 「監査論」の立場から眺めるBPOと放送業界の問題点 - 新宿会計士の政治経済評論 |
今から約30年前の椿事件
ただ、このBPOが発足する原因となった事件があったことも間違いありません。それが今から約30年前の「椿事件」です。
椿事件とは、1993年にテレビ朝日の椿貞良(つばき・さだよし)取締役報道局長(当時=2015年12月死去)が民放連の会合で、「反自民の連立政権を成立させる手助けになるような報道をしようではないか」などと発言し、その責任を取って辞任したとされるものです。
元テレビ朝日取締役報道局長 椿貞良さんが死去 反自民の連立政権成立の「椿発言」で注目
―――2016/1/21 10:38付 産経ニュースより
ただ、椿氏のテレビ朝日取締役辞任で話は終わりませんでした。
1993年の総選挙で野党に転落したばかりの自民党は同年10月25日、衆議院で椿氏を証人喚問したところ、椿氏は一貫して偏向報道の事実を否定(衆議院ウェブサイト『第128回国会 衆議院 政治改革に関する調査特別委員会 第8号 平成5年10月25日』参照)。
結局、当時の郵政省はテレビ朝日に対して停波などの処分を下すことはなかったものの、1995年9月に郵政省内に設けられた『多チャンネル時代における視聴者と放送に関する懇談会』が96年12月に取りまとめた報告書で、こんな提言がなされたのです。
「放送法令・番組基準にかかわる重大な苦情、特に権利侵害にかかわる苦情について、視聴者と放送事業者との間では解決が得られなかった場合のために、苦情対応機関を放送事業者の外部に設置することが考えられる」(【出所】『平成9年度版通信白書』第3章8(1))。
つまり、これがBPOの発足のきっかけであり、その意味では、椿事件こそ2009年8月の偏向報道事件の源流でもあるのです。
そして、2009年8月の偏向報道事件を防ぐことができなかったという時点で、BPOに存在意義が皆無であることは言うまでもない話でしょう。
立民・杉尾参議院議員「テレビ局への政治介入を防げ」
さて、こうした経緯を振り返ったうえで、改めて今回の「玉川事件」について注目しておきたいのが、立憲民主党の杉尾秀哉・参議院議員のこんなツイートです。
杉尾ひでや 参議院議員 長野県選出
お忘れの方も多いと思うが、テレビ朝日の「椿事件」はテレビ局に対する政治介入を許した痛恨事。今回の発言を「玉川事件」などと呼ぶ向きもあるようだが、そもそも同列に扱う事自体が間違っているし同じ過ちを繰り返してはならない。
私も政治の場で頑張るので、テレビ界も一致結束して欲しい。
―――2022年10月6日 6:24付 ツイッターより
杉尾氏は今回の玉川氏の発言問題を「玉川事件」と呼ぶ向きもあるとしつつ、これを椿事件と同列に扱うこと自体が間違っていると主張。そのうえで、椿事件を「テレビ局に対する政治介入を許した痛恨事」だ、などと言ってのけている格好です。
はて。
椿事件自体、(本人は証人喚問で否定しているとはいえ)実質的にはテレビ朝日取締役報道部長だった椿貞良氏という人物が非自民連立内閣を作るという意図を持って放送法の規定に違反したというものであり、テレビ朝日はれっきとした「加害者」です。
もちろん被害者は下野を余儀なくされた自民党、テレビ局によって投票行動を歪められた有権者、そして私たち日本国民自身です。その「テレビ局の放送法違反」という意味では、椿事件も玉川事件も、本質はまったく同じと言わざるを得ません。
また、杉尾氏のツイートにある「政治介入」云々の記述も、よくわかりません。「介入すること」そのものが問題なのではなく、「介入される原因」を作った側に問題があることは明らかだからです。
奇しくも椿事件も玉川事件もテレビ朝日が発生させたものですし、また、杉尾氏自身もTBS出身者ですが、そのTBSといえば、何といっても1989年10月に発生したオウム真理教による坂本弁護士一家殺害事件の原因を作った放送局でもあります。
オウム真理教による地下鉄サリン事件が発生するのはその5年半後のことですが、TBSが当時、オウム側に坂本弁護士のインタビュー映像を見せていたことを捜査当局に明らかにしていたならば、もしかしたらサリン事件も未然に防げたかもしれません。
そのテレビ業界が現在、さかんに「(旧)統一教会と自民党のズブズブの関係」を批判しているというのも、つくづくテレビ業界は「反省しない業界」なのだと言わざるを得ません。
放送法第4条第1項は必要なのか?
さて、こうしたなか、あえて批判を覚悟のうえで申し上げるなら、著者自身はむしろ最近、放送法第4条第1項の規定自体、削除してしまっても良いと考えています。
その理由は、簡単です。
インターネットがすごい勢いで普及し、いまや新聞は駆逐されかけていますし、地上波テレビも数年後か、遅くとも十数年以内には、新聞のあとを追うことは確実だからです。
今回の「玉川事件」自体も、ネットから火が付いたという視点を持つならば、非常に画期的な事件でしょう。
もちろん、これまでも「新聞・テレビなどのオールドメディアの報道内容や取材態度などがネットで話題となり、炎上する」という事態はしばしば発生していたのですが、それがここまでの事態に発展したというのも、時代の変化と言わざるを得ません。
今回の玉川氏の発言自体も、過去の報道不祥事(たとえば朝日新聞による珊瑚、慰安婦、吉田調書などの虚偽報道)と比べれば、正直、そこまで大騒ぎすべきものではないのかもしれません。最近発生したオールドメディアの虚報騒動という観点では、むしろ東京新聞の虚報騒動の方が、質的には遥かに深刻でしょう。
東京新聞は3日、東京電力が福島第一原発の処理水を巡り、「放射性物質のトリチウムが検知できないうえに、セシウムについても高濃度でないと反応しない線量計を使い処理水の安全性を強調する宣伝を繰り返している」と報じました。ただ、東電側はこれに対し即日、『ご視察時のALPS処理水サンプルキットを用いたご説明について』と題する反論文を公表しています。私たち一般人は、その両方の文章を読んだうえで、どちらの主張が正しいのかを判断することができるのです。情報版PL法の必要性先日の『新聞・テレビの虚報に対しては... 東京新聞の福島原発処理水記事に東京電力側が即日反論 - 新宿会計士の政治経済評論 |
もちろん、玉川氏の発言自体は極めて非常識かつ反社会的なものではありますが、テレビ局側の「設定」によれば、安倍総理の国葬儀を巡っては国民世論が真っ二つに割れているはずであり、もしその「設定」が正しければ、玉川氏の発言に対し、ここまで批判が高まることもないはずです。
しかし、現実にはツイッターなどのSNS界隈では、玉川氏に対する批判で一色であり、擁護する意見はあまり見られません。
普段であれば安倍総理の国葬儀に批判的な人たち(いわゆる「ノイジー・マイノリティ」の方々でしょうか?)によると思しき擁護も、今回ばかりはあまり見当たりません。
当ウェブサイトとしては、27日に行われた安倍総理の国葬儀を巡り、献花台を訪れた一般弔問客数は、やはり3万人超であると判断します。その理由は、自民党本部にも急遽、献花台が設けられていたからです。これについて本稿ではちゃんと検算したうえで、その仮説の現実性を検討します。また、多くの人から称賛の声が上がっていた菅義偉総理の弔事を巡っては、テレビ朝日が盛大に「やらかした」ようです。弔問客数の再検算一般献花の政府発表人数が少なすぎる?最初に、ちょっとした検算です。結論からいえば、やはり安倍総理の国葬儀の... テレ朝、安倍総理国葬儀で菅総理弔事を演出と決めつけ - 新宿会計士の政治経済評論 |
もっといえば、玉川氏に対する批判がなかなか沈静化しないのは、テレビ朝日側の処分の「遅さ・軽さ・謝罪対象の間違い」といった初動の不手際だけでなく、むしろ安倍総理の国葬儀に国民の半数が賛同しているという多くのオールドメディアの調査結果の不正確さという象徴でもあるように思えてならないのです。
すでに「ネット>テレビ」の逆転現象は生じつつある
そういえば、『「報道機関はファクトチェック対象外」は妥当なのか?』でも取り上げた「ファクトチェックをする人たち」は、今のところ、この玉川事件にも目立った反応を示している様子は見られません。
メディア出身者が主体となって設立されるらしいファクトチェックのための主体を巡って、報道機関(メディア)をファクトチェックの対象から外すらしい、という記事がありました。もしこの情報が事実なら、これは非常におかしな話です。これについてはそもそもネット空間でSNSが発達した要因のひとつが「メディアが発信した情報のファクトチェック」だったという側面があるからです。メディアの闇日本では法的な権力者は選挙で選ばれる日本は自由・民主主義国です。そして、この「自由・民主主義国」の意味は、日本という国家におけ... 「報道機関はファクトチェック対象外」は妥当なのか? - 新宿会計士の政治経済評論 |
おそらく、本当の意味での「ファクトチェック」の担い手となり得るのは、インターネット空間に数万人、数十万人、いや、下手をすると数百万人規模で存在する一般人であり、「ファクトチェック」をされる側はむしろ新聞、テレビなどのオールドメディアでしょう。
したがって、放送法第4条第1項の規定など存在しなくても、新聞社やテレビ局の報道がおかしければ、それに対して多くの人々が自然に批判を入れるようになるでしょうし、オールドメディア側がそれらの批判を無視するならば、今度はオールドメディア自身が人々から相手にされなくなるだけの話です。
実際、『利用時間数でネットに敗北しつつあるオールドメディア』などでも取り上げたとおり、『令和4年度版情報通信白書』などを読むと、人々のテレビ視聴時間(リアルタイム視聴時間+録画視聴時間)がインターネット利用時間に追い抜かされつつあることが明らかです。
10代の平日の平均新聞購読時間は0.4分昨年の時点で、全年代のテレビ視聴時間数がネット利用時間数に追い抜かれていました。総務省が公表する『情報通信白書』などに基づけば、若年層ほどネット利用時間が多く、高齢層ほどテレビの視聴時間が長いことが明らかなのですが、それと同時に、年々、ネットの利用時間が延びるという傾向が認められるのです。こうしたなか、今年版のデータは早ければ今月中にも公表されると見られますが、今後、いったいどうなるのでしょうか。総務省データ「主要メディアの平均利用時間」総務省が毎年公表して... 利用時間数でネットに敗北しつつあるオールドメディア - 新宿会計士の政治経済評論 |
これは、総務省のウェブサイトにも掲載されている『情報通信メディアの利用時間と情報行動に関する調査』という調査が出所ですが、平日における全世代のメディア利用時間は、図表2のとおり、すでに2021年の時点で「ネット>テレビ」が実現しています。
図表2 全世代のメディアの平均利用時間(平日)
(【出所】総務省『令和4年版情報通信白書』図表3-8-1-3のデータを著者が加工)
これについては60代や70代などの高齢者層では、依然としてテレビの視聴時間数などがインターネットの利用時間数を大幅に上回っていることがわかります。図表3はこのうち60代のデータをグラフ化したものです。
図表3 60代のメディアの平均利用時間(平日)
(【出所】総務省『令和4年版情報通信白書』図表3-8-1-3のデータを著者が加工)
これに対し、10代などの若年層では、2021年にはネット利用時間がテレビ利用時間の4倍近くに上昇している(図表4)など、若年層になればなるほどネットの利用時間が増える傾向にあります。
図表4 10代のメディアの平均利用時間(平日)
(【出所】総務省『令和4年版情報通信白書』図表3-8-1-3のデータを著者が加工)
そして、2021年においては、ついに「ネット>テレビ」という逆転現象は40代にまで及びました(図表5)。
図表5 40代のメディアの平均利用時間(平日)
(【出所】総務省『令和4年版情報通信白書』図表3-8-1-3のデータを著者が加工)
少なくともテレビは若い視聴者の獲得に失敗している格好であり、かといって高齢層の視聴者の維持がうまく行っているともいえません。最近だと年々、高齢層のテレビ離れも進んでいることが、上記図表から明確に読み取れるからです。
「無知蒙昧」ではない日本国民
こうしたなか、改めて強調しておきますが、少なくとも私たち日本国民は「無知蒙昧」ではありませんし、政府様に規制していただくまでもなく、インターネットという「自分で情報を得ることができるツール」を手に入れれば、多くの国民は正常に判断していくことができるはずです。
そもそも放送法第4条第1項の規定が存在する「前提」――とくに「視聴者は無知である」とする仮定――自体が壊れている以上、放送法から第4条第1項をなくし、むしろ電波オークション制度の実施を通じ、新規参入をどんどんと認める方が、考え方としては遥かに健全です。
そのような制度を実施すれば、「地上波を使って報道番組専門チャンネルを創設したい」、「地上波で映画・ドラマ・アニメ番組専門チャンネルを作りたい」といった野心的な業者が、もしかしたら参入してくれるかもしれませんし、そうなれば地上波テレビ業界も活性化するかもしれません。
この点、敢えてテレビ業界にもエールを送っておくならば、著者自身はむしろテレビ業界が今回の「玉川事件」を契機に自ら変革していくべきだと考えています。
とくに、テレビ業界自体はBPOがテレビ放送の品質の向上にまったく機能していないという現実を直視すべきですし、自分たちの欠陥に自ら気付くべきです。そのうえで、地上波テレビ全体の番組のクオリティを上昇させるためには「強制力を持った第三者」が必要だとむしろ自分たちで気付くべきでしょう。
もしそれができないのであれば、テレビ業界に待っているのは「第2の新聞業界化」という未来です。
テレビ業界を待つのが「新聞化」なのかどうかを決めるのはテレビ業界自身であり、しかも残された時間はさほど多くないと思う次第です。
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放送局が放送法4条に違反しているのに、
国民が放送法64条に違反すれば裁判もありえるのは
不平等に思う。
テレ朝はF館氏がメインを務めたニュース番組の頃から
胡散臭いと思ってました。視聴するのは「バスサンド」
くらいです。
同意します。
テレビ局が放送法第4条第1項に違反してもお咎め無しって。
守るべき法と守らなくてよい法が混在してる。
これは随分前から疑問に思っていました。
毎度、ばかばかしいお話しを。
①立憲が、椿事件を民主党政権誕生の助けになったとして、賞賛しているんだって。(ということは、立憲とテレ朝は深い関係があり、テレ朝の政治介入を助けているのでしょうか)
②テレ朝が、忘れられる権利として、ネット規制を言い出したんだって。
③マスゴミ出身の政治家は、国民の代表ではなく、マスゴミ村の代表なんだって。
これって、笑い話ですよね。
杉尾を落とせなかった県民です。またしても国民を愚弄するような発言をゆるしまして、真当な国民皆様に大変申し訳なく思います。
椿事件だか椿事だか知りませんが、こんなものは「政治が報道に介入した」などとやらかした方が被害ヅラする案件ではなく、通常の脳がついているのであれば「報道が政治に介入した」極悪事とわかるはずです。お忘れの方も多い?冗談抜かせ風化などさせるものか。
TV界も頑張れとかも空気の読めない発言というか。国民県民の代表などではなく業種の代表だという自白ではないか。そもそも政治に頑張ったことなどあるのか。官僚パワハラだけは何度も見たぞ。
この男には怒りしか覚えません。削除覚悟の書き散らし御免。
放送法第4条第1項と第64条第1項の共通項は、罰則がないこと。
第4条第1項:~次の各号の定めるところによらなければならない。
第64条第1項:~協会と受信契約を締結しなければならない。
一方は、偏向報道や捏造報道等により法に抵触しまくっているにもかかわらず、お咎めなし。
一方は、個別にネチネチと訴訟を提起され、見せしめのごとく受信料を上納させられている…
国民よ立ち上がれ、受信契約を一斉に解約するのだ。
電通はテレ朝に対しては「別にいいっすよ」でとっくに終わってると思いますが、未だにくすぶり続けるのが不思議なんです。
オールドメディアはネットでどれだけ炎上しようがどこ吹く風でガン無視のことなどしょっちゅうですから、単純にネットの影響力以外の要素もあるんじゃないでしょうか。
といって、特にアタリが付いてるわけじゃないですが。
今回はスポーツ新聞がしつこいのが目に付きます。
サヨク界隈に玉川擁護が少ないのは今日の記事をみてハッとしたところです。
菅氏の弔辞をテレビで見ていた、普段のテレビ視聴層も「今回は怒った」などという言説も見かけましたが、そこはよくわかりません。
単に、きっかけが電通だったんで、テレ朝幹部がネット世論を気にして見てしまっているだけかもしれませんが。
まあ、ダラダラと書きましたが、ネット以外の要素ってなんだろうなと、気になっている今日このごろです。
元ジェネラリスト様
国葬の際の菅氏の弔辞は、政治家の事跡を偲ぶという意味では、最高級のものと言えると思います。生前の安倍氏に対しては高く評価していなかった人であっても、故人となった今では、あれを聞いたらホロッとする。
その感傷的気分に、つまらん茶々入れやがって、と言うのが一般的な受け止めだったということじゃないですか。
要は、とんだKY野郎が墓穴を掘ったってことだと思います。
2009年のメディアクーデターですが、大量の学生運動家が活動した1968年前後を念頭に置くと、彼らが誕生したのは団塊世代即ち1948年前後ぐらい。彼らが定年を迎えるのは2008年前後ぐらい。
概ね年功序列で定年前後まで勤め上げ、社内に怖いものは無く、同期の学生運動家達も同時にご卒業、ここはひとつ祭りだ祭り!といったのがクーデターの背景だったのでしょう。
某玉川氏も、先輩社員が祭りに興じた年齢ですね。後追いしたかったのかも。
OB づらをして顧問に居座ったり再雇用社員に過ぎないのに社の後輩にいつまでも口を出す世代とみなせば、ぴったりかんかん、ですね。
>著者自身はむしろ最近、放送法第4条第1項の規定自体、削除してしまっても良いと考えています。
ご期待通り反論です。
放送法第4条第1項の規定は、”存在することに意義がある。”と考えて居ます。
これが無ければ、この記事も土台(放送法第4条第1項の規定)から組み立てなければならない。
議論の向かうべき方向は、”これをどの様に守らせるのか” かと。
ここで難しいのが、”言論の自由”と”何が弾圧か”の兼ね合いのコンセンサスがまだできないこと。信教の自由もしかり。
戦後77年、戦前に培われた道徳と米国の保護が有ったればこそ、ポンコツ・ガラクタ左翼・他の”自由主張”も許されたが、
コロナ禍、ロシアのウクライナ侵略、旧統一教会問題で、
”状況により、自由は制限されてしかるべき”
と言う方向性が見えてきたと思う。
憲法改正を含め、法制度整備に向け、日本の国会もそろそろ真面な仕事をするときと思う。
農家の三男坊さま
>放送法第4条第1項の規定は、”存在することに意義がある。”
おっしゃるとおりです。
放送法では、第1条第2項「放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによつて、放送による表現の自由を確保すること。」、第3条「放送番組は、法律に定める権限に基づく場合でなければ、何人からも干渉され、又は規律されることがない。」
と表現の自由が確保されまくっており、第4条第1項のタガがないと、何でもアリがまかり通ることとなってしまいます(実際、まかり通ってしまっているのが実情なのが悲しいですが…)。
なお、同法第174条「総務大臣は、放送事業者がこの法律又はこの法律に基づく命令若しくは処分に違反したときは、三月以内の期間を定めて、放送の業務の停止を命ずることができる。」
や
電波法第76条「総務大臣は、免許人等がこの法律、放送法若しくはこれらの法律に基づく命令又はこれらに基づく処分に違反したときは、三月以内の期間を定めて無線局の運用の停止を命じ、又は期間を定めて運用許容時間、周波数若しくは空中線電力を制限することができる。」
という強行的な措置も取り得るのですが、そのような処分が行われた例はありません。
菅前総理や高市大臣が総務相だった時代に、これに踏み込もうとしたことがあったようですが…
「河野さん 杉尾」で検索したら「マスコミ報道に対する責任の取り方に思う」2016.06.13 がヒットした。
この杉尾ひでや氏はTBSのアナウンサーだったが、松本サリン事件では無実の河野さんを犯人と決め付けて番組で激しくいじめた人。その後、河野さんの容疑が晴れたが杉尾氏が河野さんに謝罪したかどうかは知らない。
お忘れでない方は多い。
テレビ放送が始まってまだ間もない時期、「電気紙芝居」なんてこれを貶める言葉が流布されたことがあります。言い始めたのは、まだ映像制作技術でははるかに上を行っていたものの、テレビに観客を奪われ、斜陽化の道を辿り始めていた映画関係者じゃないかと思います。評論家の故大宅壮一氏の言葉だったと思いますが、テレビ放送を指して「一億総白痴」と揶揄されたこともありました。
その後、テレビ受像機という機器そのものの解像度が大きく向上していったのに加えて、放送コンテンツの魅力、演出、撮影技術などの進歩もあって、世間のテレビ放送に対する評価、信頼度は次第に大きくなっていったと思うのですが、本来公共のものであるべき電波を独占的に使用する権限を与えられた放送事業者は、社会に対する影響力の大きさを、それがまるで自分に付随する値打ちと勘違いしてしまうんでしょうね。驕りは、まず必然と言って良いほどに、自分に甘く他人に厳しいという態度に繋がりますし、また肝心要の放送コンテンツの質的劣化にも気付かず、放置することにもなっていくのでしょう。
テレビドラマの視聴率が、軒並み悲惨な数字になっているといった話題を最近目にしますが、ソコソコの視聴率を稼いでいるらしいバラエティものなんかにしても、テレビ局が自分で自分の首を絞めているとしか思えない代物に思えます。結局、大衆の感性を扇情的に刺激する、思いつく限りの稚拙な事柄を、わずかの期間に食い散らかし尽くしてしまったというのが、テレビ放送に対する一番ぴったりの評価という気がします。
テレビ視聴者のコアな部分は、有料でも見たいときに見たいものが見られる、スポーツ、映画・時代劇、ドラマ、趣味に、アダルトもの、いまではなんでもありのCS専門チャンネルに移行しているのでしょう。若い層なら、PCでのインターネット利用か、テレビはテレビでもゲーム機としての利用。そういう意味で、テレビという存在は、ぐるり一周して、元の電気紙芝居に戻ったのかも知れません、
椿事件は言わばテレビ放送の黄金期、その権威がまだ世間に認知されていた時期に起きた不祥事と言えるでしょうが、今度の玉川事件?なんてものは、強面をウリにしていた評論家気取りの放送局員が、先頃あったお笑い芸人がアイヌ民族をネタにつまらない駄洒落で盛大に顰蹙を買ったあれと、世間の受け止め方としては、大した差がないように思えます。
一昨年来のほとんど発狂状態に近いんじゃないかと思われるようなコロナ報道の中でも、日本社会の基盤を構成する層は、それらに適宜に反論を加え、大して揺るがなかったように、もはやテレビ放送には、一偏向報道で以て、かつてのように社会の進路に大きな影響を与えるほどの力は残っていないと思います。
新宿会計士様毎日の記事更新おつかれさまです。
2009年8月30日の衆議院議員総選挙のメディア・クーデターは
メディアや主要野党とその支持者にとっては成功体験として焼き付いていますが
当時政権交代が成ったのは
メディアのキャンペーンに加えて建築基準法やPSEの官製不況という失策+リーマンショックという複合的な要因であったのを、彼等は忘れている(そもそも認識できていない?)と思われます。
あのとき自民党の岩盤支持層だった建設業会や製造業の票が逃げていましたが
のちの民主党政権は日本の第二次産業を壊滅させる勢いで壊したので
それらの票が再び現立憲民主党らに戻ってくる事は無いでしょう。
安倍元首相に献花をする人が耐えなかったのも
民主党政権時代に来年自分らの会社があるのかという
不安な時期を過ごしていた/そういう親を見ていた若い世代が
第二次安倍政権で少なくとも喰っていけるようになった人々が
想像以上に多かったためと思います
肝心な事を書くのを忘れていました
メディアや主要野党は2009年の夢よもう一度と
モリカケサクラで当時以上に騒ぎましたが
自民党に当時の様な失策は無い
仕事を失った/失いかけた第二次産業系の有権者は立憲民主党に投票しない
という背景から何度選挙をやっても
自民党の議席は揺るがない&自民党批判の受け皿は維新や国民民主に流れる
が繰り返されていますね。
彼等は未だに現実を受け入れられないので
今は某カルト教団が暗躍しているせいだという
受け入れやすい理由に縋っているのでしょう。