受験秀才、「国の借金論」のウソ論破されるのを警戒か
先日、某所で財務省職員が講師を務めるセミナーをウェブ受講する機会があったのですが、この者がセミナーで、最近、財務省が掲げる「財政危機」というウソを否定する意見が存在するという事実を認めました。このことは、財務省内でも自分たちのウソが社会にバレはじめたことへの戸惑いが存在している証拠といえるのかもしれません。ウソツキが議論を嫌うのは世の常ですが、それと同時に受験秀才は議論を極端に恐れているのかもしれません。
目次
自由・民主主義の原点
日本が自由・民主主義社会であるという意味
「日本は自由・民主主義国家であり、法治国家であり、人権尊重国家である」――。
こんなことを申し上げると、「何を当たり前のことを」、と訝(いぶか)しむ人もいらっしゃるかもしれません。私たち日本国民の多くは、早ければ小学校の段階で、すでに自由主義や民主主義の意味を知るはずですし、法治主義についても、事業を営んでいれば、その威力を実感します。
著者自身の定義ですが、自由主義とは「ルールを守っていれば何をやっても良い」という考え方のことであり、「民主主義」とは「そのルールを国民の多数決で決めていきましょう」という考え方、「法治主義」は「決めたルールは守りましょう」、という考え方です。
そのうえで、基本的人権が守られているため、日本国民でありながらその家系、出自、信条、性別などによって得られる権利が異なったり、不当な義務を課されたりする、といったことは、基本的にはありません(その数少ない例外が皇族ですが…)。
したがって、私たちが暮らす社会においては、自由、民主主義、法治(または「法の支配」)、人権などの考え方は、いずれも日本社会の土台を形成するうえで、お互いに密接に絡み合っていて、どれかひとつが欠けてもこの社会はうまく回っていかなくなるのです。
日本の自由・民主主義は大日本帝国憲法時代にはすでに始まっていた
この点、いろいろ誤解していらっしゃる方も多いのですが、「自由」「民主主義」「法の支配」「人権」といった考え方が定着するきっかけは、「日本国憲法」ではありません。すでにその前身の「大日本帝国憲法」において、これらの一部が実装されていたのです。
たとえば大日本帝国憲法には「法律の範囲内において」という制約はあるにせよ、「自由」という単語が3箇所出てきます(第22条の居住・移転の自由、第28条の信教の自由、第29条の言論・著作・印行・集会・結社の自由)。
また、帝国議会における衆議院議員の公選制(第35条、第45条)の規定が存在していますし、法律が憲法に次ぐ規範性を有することは、勅令を発することができるのは帝国議会閉会中の場合に限られ、帝国議会の承認が事後的に得られなければ将来に向かい効力を失う(第8条)とする規定からも明らかでしょう。
なお、日本国憲法に規定されている男女平等(第14条第1項)や幸福追求権(第13条)などに相当する規定は大日本帝国憲法には存在していませんでしたが、これは大日本帝国憲法が前近代的な憲法である、という意味ではありません。
内閣府・男女共同参画室のウェブページの説明によれば、世界で初めて女性に対する選挙権が認められたのは1893年のニュージーランドであり、英国が1918年、米国が1920年、イタリアが1945年、フランスが1946年だそうであり、「日本は世界のなかでもとくに遅れていた」、という事実はありません。
(ちなみに私たち日本人の多くが「先進的な民主主義国」だと思い込んでいるであろうスイスの場合、なんと1971年まで女性参政権が認められていませんでした。このあたりは詳しくはスイス公共放送協会日本語版が運営する『スイスで女性参政権の導入が遅れた4つの理由』というウェブページあたりもご参照ください。)
「大日本帝国憲法に戻せ」、は筋違い
ただし、大日本帝国憲法を今すぐ現代の日本に復活させたならば、それはそれでさまざまな不都合が生じることも間違いありません。たとえば、大日本帝国憲法の場合は「内閣」という規定が設けられていなかったという欠陥が存在していたことは、まじめに憲法を勉強している人の間では有名な話です。
一部の自称保守活動家のなかには、「GHQが押し付けてきた日本国憲法など無効だと宣言し、大日本帝国憲法を直ちに復活させよ」、などと頭の悪いことを主張する者もいますが、そうした者たちは、日本国憲法が大日本帝国憲法の改憲手続で成立したという事実を無視しています。
幸いにして日本国憲法には第96条に改正に関する規定が存在しているわけですから、その規定を堂々と使えば良い話です。
日本国憲法の欠陥(とくに憲法第9条第2項)、あるいは時代にそぐわなくなった規定(とくに天皇の国事行為が多すぎること、予算単年度主義と現金主義会計を採用していることなど)については、早急な改正が必要ですが、これらについては今後の国会議論を見守りたいと思う次第です。
自由・民主主義を逸脱した存在
改めてNHK問題を振り返る
さて、日本が自由・民主主義、法の支配、人権といった価値観を大切にしている国である、という点については、今さら指摘するまでもない話ではありますが、ただ、ここで考えておかねばならない点があるとしたら、それは「自由、民主主義」を逸脱した存在のことです。
非常に残念なことに、日本には自由主義や民主主義の手続によらずに、事実上の政治的な権力ないし社会的な影響力を握ってしまっている組織が存在しているのです。
その典型例が、NHKでしょう。
放送法第64条第1項本文の規定に基づけば、私たち日本国民は、「NHKの放送を受信することができるテレビ」を設置してしまうと、NHKと受信契約を締結しなければならず、契約を締結すれば、たとえ1秒もNHKの放送を視聴していなかったとしても、受信料を支払わなければならなくなります。
NHKはこの受信契約を全国の家庭などと締結しており、毎年7000億円前後という売上を得て、本体だけで約1万人の職員に対し、1人あたりにして少なく見積もって1600万円弱の人件費を計上しています(『現代の貴族・NHK職員の平均人件費は1500万円超』等参照)。
ちなみにここでいう「人件費」は、給与、賞与、法定福利費、福利厚生費のほか、退職給付費用までを含めた、広い意味での概念を指していますが、NHK職員が格安な賃料で入居可能ともされる、超豪奢な社宅の経費については含まれていません。
さらには、NHKは過去の受信料を蓄財に廻しており、その金額は金融資産だけで1兆円を超えます(※連結ベース、ただし年金資産を含みます)。また、都心部の無駄に広大な敷地を有する放送センターなどの資産も、時価で換算すれば、数千億円か、下手をすれば兆単位の価値があるかもしれません。
NHK自身が権力と化している…
そして、NHKの存在のおかしさは、「公共放送」を名乗っていながら、その番組の「公共性」を担保する仕組みが存在しない点にありますし、もっといえば、「国民の総意に基づきNHKを廃止・倒産させる」という手続そのものが存在しない点にあります。
自由主義経済だと、「消費者に支持されなかった企業」に待つのは倒産ですが、NHKの場合、視聴者に支持されていなかったとしても、法律の規定により無理やり年間7000億円前後の受信料収入が保証され、職員に対する異常な高給を含めた乱脈経営が続けられているのです。
では、有権者の多くが「NHKの存在はおかしい」と思っているのならば、民主主義のプロセスで放送法第64条第1項本文を廃止すれば良いじゃないか、といった議論にもつながるのですが、ここに「落とし穴」があります。
NHK自身、日本の情報を長年支配してきた「オールドメディア」の一角を占めており、「NHK廃止論」を唱える政治家が出てくるならば、そのような政治家を次回選挙で落選させるような偏向報道を行うことができるのです。これが「第四の権力」と呼ばれるゆえんでしょう。
「NHK党」のような政党が曲がりなりにも国会で議席を得るようになったのも、社会のインターネット化が進んだことで、オールドメディアによる「メディアスクラム」を通じたNHK改革潰しができなくなりつつあるからであって、ネットが出現する前であれば、NHK廃止などと唱える政治家など、存在を許されなかったのです。
(※ただし、「NHK党」が「NHKをぶっ壊す」という彼ら自身の公約に沿った動きを行っているのかどうか、という点については、まったくの別問題ですが、この点については本稿の議論とは関係ありませんので、無視したいと思います。)
オールドメディア全般についても問題が!
ただ、NHKのような組織は論外として、NHK以外のオールドメディア各社についても、大なり小なり、競争原理とかけ離れたところで組織を存続させている、という問題点があることは間違いありません。
新聞社の場合だと再販売価格維持制度による不公正な市場慣行の温存、消費税の軽減税率制度による経営優遇措置、宅配網という参入制限、テレビ局の場合だと電波利権という事実上の参入制限などを通じ、経営がぬくぬくと守られているのです。
そのうえ、NHK、新聞各社、民放テレビ局各社、通信社など、ごく限られた内輪のサークルが記者クラブなどの仕組みを構築し、官僚機構・公務員組織などと癒着して、独占的に情報を入手する仕組みが出来上がっているのです。
メディア各社にとって情報は「商品そのもの」であり、その商品の多くを官僚機構から与えてもらうことで生計を立てているというのは、オールドメディア各社が、明らかに自由経済競争の原理から逸脱し、不当な利益を得ていることを意味しています。
そのうえ、日本のメディアは「メディア・スクラム」を通じ、一定の方向に世論誘導を行うという行動を取ることでも知られています。最近だと「統一教会」ですが、ひと昔前だと「もりかけさくら(MKS)」、その前だと「安保法制反対」や「特定秘密保護法反対」、さらにその前は「自民党から民主党への政権交代」でした。
実際、2009年8月の衆院選では自民党が大敗を喫し、民主党が歴史的勝利をおさめて政権交代が実現しましたが、これなども日本のオールドメディアが腐敗している象徴ですし、このときの犯罪的な報道をメディア業界自身が検証しようとしないことも、日本のメディア業界に救いようがない証拠でしょう。
メディアを利用してきたもうひとつの利権=官僚組織
ただ、記者クラブを批判するならば、その場を与えている側、すなわち「もうひとつの利権」が存在している点についても議論しなければなりません。
その典型例が、官僚組織でしょう。
官僚、あるいは公務員は、たいていの場合、「選挙で選ばれた者たち」ではなく、「採用試験で合格しただけの存在」です。著者自身も国家Ⅰ種試験(現在の国家総合職)を受験した経験者ですが、大して難しくもない試験に合格しただけで、その省庁と強いコネクションを持つ大学・ゼミ出身者が優先採用されます。
要するに、国家公務員の多くは「受験秀才」なのです。
そして、それらの受験秀才が小難しい表現の法律案を準備し、それを国会に提出し、法律が出来上がれば、その法律に基づいて政令、省令、通達、告示のたぐいを自分たちで勝手に作り、法律の解釈権限を一手に担うことで、官僚の影響力は日本を蝕んでいるのです。
その結果が外務省や財務省といった「ウソツキ官庁」の存在でしょう。
財務省やメディアのウソ
とくに罪深いのは財務省です。つい先日の『国の借金論を論破する秀逸な記事と優れた読者コメント』では、またしても一部のメディアが出してきた「国の借金が国民1人あたり1000万円を超えた」などとする与太話を話題として取り上げたばかりです。
この「国の借金」とは、正しくは「中央政府の債務」のことですが、そもそも論としてその金額を国民1人あたりで割ってもまったく意味がありません。なぜなら、債務を弁済する主体は国民ではなく中央政府だからです。
まず、そもそも論として、債務を弁済する原資については、税金である必要などありません。
NHKを廃局ないし民営化し、余剰財産の国庫返納を命じるだけで、下手をすれば数兆円レベルで歳入がもたらされますし、電波利権に利用されている電波もオークションを実施すれば、今よりも遥かに高値で販売できる可能性が濃厚です。
さらには財務省自身が保有する外為特会を日銀に市場外取引を通じて時価で移管すれば、170兆円程度の歳入が直ちに得られますし、ほかにも政府が保有する官僚のための天下り法人を民営化ないし解散すれば、下手をすれば数十兆円レベルの歳入がもたらされるでしょう。
それに、マクロ経済学の視点に立てば、適正な国家債務の規模は、その国の経済成長率や市場金利、あるいは資金循環バランスによって決まりますので、現在の日本のように、国内で巨額のデフレギャップ(=多すぎる資産)を抱えている国の場合、むしろ政府は債務を増やさなければなりません。
つまり、財務省やその取り巻きのオールドメディア各社がほざいている「国の財政は危機だ」、「財政再建が必要だ」、などとする与太話は、専門的に見れば、最初からロジックが破綻しているのです。日本は増税をする必要などありませんでしたし、また、してはならなかったのです。
議論を嫌う受験秀才
とあるオンラインセミナーでの財務省職員の発言
こうしたなか、先日、とあるウェブセミナーを受講する機会がありました。
詳細については明かすことはできませんが、財務省の職員が「今年度の税制改正の解説」を行う、というものだったのですが、この者がセミナーの中で、次のような趣旨の発言をしました。
「最近、世の中では、『政府に資産があるから、多少、国の借金が増えても問題がないじゃないか』、などとおっしゃる方もいらっしゃるのですが、財務省としてはそのような見解には賛成できません。やはり国債の発行額は危機的な状況にあり、我々としては非常に懸念しているところであります」。
…。
これに対し著者自身は、ウェブ会議システムのチャット機能を使用し、「もし『そのような見解には賛成できない』というのなら、その理由を示せ」、と要求したのですが、これについては完全に無視されました。
この短いやり取りから判明することがいくつかあるとしたら、その最たるものは、「ウソツキは議論を極端に嫌う」、という事実です。
「国の借金は危機的状況にある」、「財政再建が必要だ」、という主張は、大蔵省・財務省が長年繰り返してきたウソの典型例ですが、これについては会計学やマクロ経済学などの専門知識、さらには資金循環統計などの客観的なデータからは完全に否定され、論破されているものでもあります。
しかし、財務省の職員は、こうした「不都合な事実」からは完全に目を背け、「財務省としては賛成できない」という言葉で逃げたのです。もし来年、ウェブ会議ではなく対面式でのセミナーが開催され、同じ者が登壇するなら、是非とも出かけて直截に議論を吹っかけてみたいところです(おそらく逃げるでしょうが…)。
ただ、それ以上に興味深いのは、「受験秀才」の塊である財務省としても、自分たちのロジックを正面から否定するような言説が、(新宿会計士を含めた)「自分たちよりも低学歴な者たち」から提起されていることに対する戸惑いが感じられるのです。
わざわざセミナーで、「国の借金論」への批判意見に言及せざるを得なかったというのは、彼ら自身が自分たちのウソが論破されていることを強く意識している、という証拠でしょう。
受験秀才は議論を嫌う!~当ウェブサイトの事例
ここで思い出すのが、朝日新聞社出身の烏賀陽弘道氏による、高学歴の受験秀才を批判した一連のツイートの話題です(『高学歴エリートにも当てはまる烏賀陽氏の朝日新聞批判』参照)。
烏賀陽氏自身がツイートで批判した相手は朝日新聞社ですが、烏賀陽氏のツイートをよく読んでみると、その主張には「高学歴エリート(=受験秀才)は議論に極端に弱い」、という指摘が含まれており、したがって、受験秀才は議論を嫌う、という仮説が出てくるのです。
そして、議論を嫌う者たちは、正面からそれらの議論に応じるのではなく、やはり「裏道」から姑息な手法を使って議論を鎮圧しようとする、という共通点もあるようです。その典型例は、当ウェブサイトにもあります。
当ウェブサイト、月間のページビュー(PV)数は100~200万件と、某地方新聞のポータルサイトと大して変わらないほどであり、正直、社会的影響力など微々たるものであるはずです。
ただ、そんな当ウェブサイトに対しても、最近、明らかに不自然なコメントが増えてきました。
たとえば、IPアドレスを次々と偽装して「オールド右翼」と連呼する支離滅裂なコメントを残していく者がいた、とする事件については、『「オールド右翼」さんの面白いコメントをまとめてみた』などでも触れたとおりですが、それだけではありません。
明らかに「特定の意図」を持つ霞ケ関関係者、あるいはオールドメディア関係者と思しきコメント主が、ウェブ主側で把握している限り、最近だと4人は存在します。しかもそのうちの2名は、「オールド右翼」氏と同様に、頻繁にIPアドレスを変更して当ウェブサイトへの書き込みを行っています。
擁護コメントは吉と出るか凶と出るか
もちろん、どんな立場であっても、読者の一員として「知的好奇心を刺激する営み」に参加していただけるならば、それは大歓迎です。実際、コメントで「公務員である」、「メディア関係者である」、「野党関係者である」などとご自身の立場を明示したうえで、建設的な議論に参加していただいている、という方も大勢いらっしゃいます。
しかし、ここで問題視したいのは、「特定の意図」を持ち、酷いときには罵詈雑言めいたコメントを残していく者の存在です。これらの者は、ときとして、議論を封殺する意思を示すこともあるからです。
これらの問題コメントに対する現時点での当ウェブサイトの対応を明示することはしませんが、ひとつだけヒントを申し上げておくならば、ある者についてはアクセスを禁止する措置を講じ、ある者についてはアクセス情報収集目的も兼ね、わざと泳がせています(それが何を意味するかについて、これ以上のことは申し上げません)。
もっとも、面白いもので、すでに鋭い読者の間では、「その手のコメント」自体がいじられ、知的好奇心の対象となっているようです。
とくに官僚やオールドメディア、特定野党を擁護するコメントの多くは大した根拠がありませんので、他の読者の方々からは矛盾を突っ込まれ、結果的にコメントを書き込まないほうが良かった、という状況に陥っているのかもしれません。
そして、こうした議論のプラットフォームは、現代社会においては、これからいくらでも発生していくでしょう。たとえ当ウェブサイトが何らかの事情で消滅したとしても、どこか別の場所で必ず発生します。
その意味では、自由・民主主義から逸脱するNHKやオールドメディア、財務省などが、このネット化する社会において、いつまで社会的影響力や政治的権力を保持し続けることができるかは、今後10~20年における注目点といえるのかもしれません。
本文は以上です。
日韓関係が特殊なのではなく、韓国が特殊なのだ―――。
— 新宿会計士 (@shinjukuacc) September 22, 2024
そんな日韓関係論を巡って、素晴らしい書籍が出てきた。鈴置高史氏著『韓国消滅』(https://t.co/PKOiMb9a7T)。
日韓関係問題に関心がある人だけでなく、日本人全てに読んでほしい良著。
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【おしらせ】人生で10冊目の出版をしました
自称元徴用工問題、自称元慰安婦問題、火器管制レーダー照射、天皇陛下侮辱、旭日旗侮辱…。韓国によるわが国に対する不法行為は留まるところを知りませんが、こうしたなか、「韓国の不法行為に基づく責任を、法的・経済的・政治的に追及する手段」を真面目に考察してみました。類書のない議論をお楽しみください。 |
【おしらせ】人生で9冊目の出版をしました
日本経済の姿について、客観的な数字で読んでみました。結論からいえば、日本は財政危機の状況にはありません。むしろ日本が必要としているのは大幅な減税と財政出動、そして国債の大幅な増発です。日本経済復活を考えるうえでの議論のたたき台として、ぜひとも本書をご活用賜りますと幸いです。 |
東大法学部→財務省(旧大蔵省)→事務次官
これが日本の学歴エリートの最上位コース。
彼らの選民意識はすさまじいものがある。
・東大にあらずんば大学にあらず
・財務省にあらずんば省庁にあらず
・事務次官にあらずんば官僚にあらず
昭和の時代、彼らはテレビ新聞と同様に一般国民の声を聴くことなどなかった。
だが現在はSNSで否応なしに直接国民の声が届いてくる。
彼らにとって一般国民との対話など屈辱でしかない。
望みは自分たちの言うことを聞かせるのみで議論することではない。
ネットの登場発達によってテレビ、新聞、官僚が「民主化」されることとなった。
これが時代の変化であり、それに対応できなければ淘汰されるのみだ。
ツイートへの返信を自分がフォローしているアカウントに限定する野党議員、
ヤフーにてコメント欄を設けない新聞社、自身への反感を徹底的に無視するNHK……
「何が正しいかは私が決める、異論は受け付けない」の態度を取る組織や権力者には
事欠かないですね。もっとも、人類の歴史ではどこでもそれが当たり前でした。
今初めてインターネットと言う「今までより格段に制御し辛い」情報テクノロジーが
登場した事で、人類は新たなステージを迎えているのかも知れません。
財務省の破綻論は国債残高と人口を比べて「こんなに借りてる」と言って煽っている。
武田薬品は5兆2千億円の金融負債があり、従業員は4万7千人(連結)だ。
従業員一人当たり何と1億円以上の借金だ。武田は破綻するのか?
誰か教えてください、財務省に対する批判は理解しますが、彼らの動機がはっきりしません。彼らは何故国債危機論をあおるのでしょうか?彼らに何のメリットがあるのでしょうか?
よく言われますが、国益<省益なんでしょう。
省益さえ守っておけば、最終的に自身の天下りポストがOBルートで確保できるんでしょう。
自己レスです。
「出世」と「天下り先の確保」ですよ。
…あれあれ、なんだか銀行員と変わらないじゃないですか苦笑
財政法によって赤字国債は悪ということになっている。
彼らは均衡財政がよいこと、国債発行は「建設国債」に限ると習ってきたのではないか?
> 財政法によって赤字国債は悪ということになっている。
ある時期の日本においては、本当に悪だったのかもしれませんね。
法律が制定された背景が変化しているにもかかわらず、無理に守ろうとするから、行動やアウトプットが時代に合わないものになってしまう。タリバンと同じかも。
ルールは適宜改廃しないと足枷になる見本かもしれません。
全くの推測ですが、
・政治屋を信用していない。(あればあるだけ浪費したがる。コロナ対策がその典型。)
・財政再建時に、(天下り先として)営々と築いてきたへそくり資産の吐出しを命ぜられるのを事前防止
ではないでしょうか。
これ、本当に不思議というか知りたい。
このblogの趣旨にも合致する気がするので、識者の幅広な意見を問うてみたい。省益至上主義というならなぜそれが省益なのか?知りたいですね。
個人的に気に入っているのは、予算がカツカツになっていることで、ただ給料の配分役である財務省が偉そうに振る舞えるというロジックです。ゆるゆるだと存在感なくなる的な。
以下はあくまで統計的に多い少ないというお話です。学術会議で日本を貶めてきた法学部系教授、NHKのトップやプロデューサー、テレビ局社員、新聞記者、押し付けの主義主張を盛り込む脚本家や監督、ほとんど全て文系です。日本よりむしろ海外で国際的に高く評価された(映画はエンターテイメントという基本に忠実だった)黒澤監督、データと統計に基づき知的好奇心を啓蒙する新宿会計士さん、東京新聞をやめてすぐれた論評を執筆する長谷川さんや月刊正論編集長田北氏ら虎ノ門ニュース出演者等の例外を除き、日本にはあまりにアホな文系が多すぎることが問題ではないでしょうか(田北氏も文系がガンだと主張していました)。
カンさんのように、特別にアホな理系が日本のトップになってしまったという悲劇はありますが、彼はいわゆる市民運動家出身です。ですので、政治家も官僚も教育者も、ある程度以上出世するには、一般社会人経験(2年以上)を必須にするべきだと思います。
「一般社会人経験(2年以上)を必須」に裁判官も加えてください。
>ユーロ圏金融・債券市場=独債利回り急上昇、独PPIが過去最大の伸び
>(ロイター 2022年8月20日/1:15 午前)
> ドイツ連邦統計庁が19日発表した7月のPPIは前年同月比37.2%、
>前月比5.3%上昇し、いずれも1949年の統計開始以来最大の伸びとなった。(引用10%未満です)
「ドイツの7月のPPIは前年同月比37.2%の上昇」
大切なことなので繰り返しました。
ロシア-ウクライナ戦争の前・去年くらいから順調に伸びてますから、今から振り返って見ると、
コロナ対応によってインフレ勃発だったことが分かります、戦争が起点ではないです。
関連してアメリカのインフレも酷い、バイデン大統領は「プーチン大統領のせいだ」と公言してますが、
米国ではバイデンフレーションとも呼ばれ戦争前から既に上昇していました。
コロナ禍→露・烏戦争で世界的に大変な状況の中、日本は支え合って頑張っています。
安倍元総理の経済・財政政策が続くと、日本はハイパーインフレになる、と言ってた沢山の人たち、
財務省の手先でしょうね、全ての自称経済通やマスコミは絶賛沈黙中です。
世界各国のコロナ対応以降の経済・財政情勢についてぜひ説明(議論)して欲しいです。
ネットが普及した結果、簡単に国外の政府統計資料が手に入ります。
マスコミが危機を煽っても様々な情報ソースから情報を得られます、海外メディアも閲覧できる、
また本サイトのように正論を繰り返し粘り強く主張されているサイトにもアクセスできます。
オールドメディアや官僚の情報統制に打ち勝つツールを多くの人が持っています。
オールド右翼氏のIPの多様さを見てから知ったのですが、今どきは各地のIPを無料で利用できるVPNサービスが存在するようですね。VPNの出口もボランティア参加でコロコロ変わる。
ただ、わざわざ初期設定したり、安定した出口探しに時間がかかったり、それなりに手間はかかるようです。
まあ、それを押してでもIPを偽装する動機があるってことではありますね。
太めの回線でボランティア参加して、他人の通信ログでも取ってみようかしら。
>大して難しくもない試験
国家総合職は、公認会計士と同程度の難易度と扱われているサイトが多いようですが・・・(・・;
私は公務員系の試験は受けたことありませんが、学歴層は高いが、試験の難易度そのものは思ったほど高くないというご認識でしょうか?
https://ameblo.jp/satoshifukudome/entry-11355826145.html
政治家が異論を唱えると、国税庁から嫌がらせを受けるので、なかなか手出しができないのでしょう。財務省はますますプロパガンダを強化してくるでしょうから、会計系の関係者を中心に、議論の場へひきずりこむことを期待します。
この財務省セミナー、高橋洋一氏が出席しようとすると、必ず流れるようです。
どんなに隠れて出席しようとしても、財務省の情報網に引っかかり流れるみたいです。
この事からわかる事は、
「財務省は議論すれば負ける事を理解している。
財政破綻はせず、国債すっても破綻しないけれども、緊縮財政を行う事で財務省の省益が高まる。」
と言うことでしょう。
財務省の省益がどんなものかは想像するしかありませんが、景気がよくなり財務省の言う事を聞かずとも簡単に儲かるのであれば財務省の省益が下がるのかもしれません。
例えば天下りを受け入れないとか。
そういえば、外国人留学生とか日本の国益に適わず大学の利益にしかならない政策がなくなりません。
どうやれば省益>国益の構図がかわるのか。
人事評価がどのようになってるのかが気になります。
国益を大きく損ねてでも(極端な話、国内を経済崩壊に導いてでも)税収を上げれば人事評価はプラス、
国益のためでも税収が下がれば人事評価はマイナス
みたいになってる気がしてなりません。
あと、縦割りすぎて、国益で考えることができない仕組みになってしまってるように思えます。
だから、省益で考えることしかできない。
昔聞いたことがあるのが税収の増減にかかわらず、税率をあげたら出世するらしいです。
また、GDPの増減にかかわらず、緊縮すれば褒められるらしいです。
GDPが世界上位10以内の増加率と比べて多いか少ないかで評価されたらいいのに。
コメント失礼します。
「試験に合格すれば大きな報酬と権限が与えられ、失敗しても責任を取らなくても良い」
帝国時代から続いている因習、間違ったエリート意識です。本物のエリートは責務を全うする為には自分の命も顧みない。
帝国時代にも悪い所は有りましたが、よりにもよって一番悪い所を受け継いでいるのが残念です。
財務省は官僚の頂点(前唐助平君は文部だから下の下らしい)と聞いてますが、一般向けセミナーで一般人を言いくるめられないとは。一体今迄ナニを勉強してきたんでしょう?バレないノーパンしゃぶしゃぶの通い方とかなら詳しいのかな?
日本国民全員が国際法やマクロ経済を無理矢理知る接点が出来ると良いのですが。親と隣人、義務教育がちゃんとしてないのも困ったものです。
ブログ主さんのセミナーでの体験談、「根拠」を求めたら無視された。
受験秀才は議論を嫌う証拠の最たるものですね。
セミナー開いておいて痛いというか不都合な点を突かれたら(聞か)無かったことにするとか中々に不誠実な対応としか思えないです。
それと折に触れてブログ主さんはネット社会が国民をオールドメディアの嘘に騙されなくするするツールとして有効と主張されています。
上記に異存はありませんが、この記事を読んで改めて期待していることがあります。
それは近年、学校教育でディベートを取り込んでいるところもあるらしく、ディベートを授業として経験した学生が増えれば増える程、願望先行のオールドメディアや省益優先のお国wの嘘を見抜ける人が更に増加するようになるのでは?というものです。
先頭に戻れば議題による是非はともかく、何かの主張をするにしてもエビデンスが無ければ議論の根拠は成り立ちません。
主張に対する矛盾を潰しておかないと、論陣をそこから崩されるのは当然です。
近い未来で甘いお手盛りの資料では有権者が首を縦に振ってくれない社会になり、そのことが現在跳梁跋扈している非公認権力を掣肘していくことに繋がるのでは?と期待しています。
幸いなことに18歳で選挙権も持てますし。
議論に弱いとされた日本が世界にモノを言えるようになると同時に日本社会が議論を通して内部に抱える矛盾の解決も迫られる(国対有権者の構図が何度も形成されればケチつけるだけの国会議員の存在意義が今以上に疑問視されるでしょう)のはモノの理屈として必然かもしれません。
ネット社会に放たれてゆくディベート能力を身に付けた有権者、間違いなく既得権益を崩す良い意味での日本社会の変化をもたらすものと勝手に期待しています。
財務省、「わたくし達、扇動者でございます。」と自白しているようなものですね。
扇動者は、アンチ扇動者の存在を認めないからです。
それが証拠に、財務省にとって不都合な事実には一切口を噤んでいるでしょう。
彼らが作る政令、省令、通達、告示についても、対立する意見があることを前提にはしていないのでしょうね。