2つのニュースにみる、マスゴミの苦境

早いもので、衆院選から1ヵ月近くが過ぎようとしています。私は、現在こそが、インターネットとマス・メディアの力関係が均衡しつつある「過渡期」に差し掛かっていると考えていますが、この時代、私たちはいったい何をしなければならないのでしょうか?

総選挙から1ヵ月の現状整理

早いもので、もうすぐ、自民党が圧勝した衆議院議員選挙から1ヵ月が経過します。

日本国民が安倍政権を圧倒的多数で信任したことは事実ですが、だからといって、安心するわけにはいきません。まず、国会では、政権の足を引っ張ることしか考えていない低レベルな野党議員が跋扈しています。次に、国民から選挙で選ばれた訳でもないくせに、巨大な権益を握っている集団が存在しています。その典型例は、マス・メディアと官僚機構でしょう。

「野党議員」、「マス・メディア」、「官僚機構」の3者は、私が最も問題だと考える、日本の癌のようなものです。

たとえば、外交面では、短期的には朝鮮半島情勢、中・長期的には中国の伸長というリスクに、日本は向き合っていかねばなりません。このうち朝鮮半島情勢を巡っては、今月前半にドナルド・トランプ米大統領が日本を含めたアジア各国を訪問したことにより、これから日本の周囲でさまざまな政治的動きが急激に生じることが想定されます。

ただ、肝心の新聞、テレビを含めたマス・メディアの報道ぶりは、本当に心細い限りです。というのも、朝鮮半島情勢などを巡り、開戦の危険性が高まっている局面であるにも関わらず、「日本が戦争に巻き込まれないためにはどうすれば良いか」、「対話による平和的解決を」、といった、非常にお粗末な観念論に終始している嫌いがあるからです。

わが国が朝鮮半島有事に備えようとすれば、それに抵抗する勢力が必ず出現します。あるいは、2019年10月に予定されている消費税率の再引き上げを凍結しようとしても、同様に、それに抵抗する勢力が出現します。

日本が戦後72年のくびきから逃れ、「まともな国」に脱皮しようとする過程とは、一種の「生みの苦しみ」なのかもしれません。

もりかけ問題はマスゴミ問題

なぜ「もりかけ問題」が「沈静化」しないのか?

ところで、長年、世論を通じて日本を支配して来たのは、マス・メディア(そのなかでも特に新聞・テレビ)です。これに関連し、日経ビジネスオンライン(NBO)に今週金曜日、『モリカケ問題が鎮静化しない理由』という記事が掲載されました。

どうして私がこの記事を紹介するかといえば、書かれている内容に共感したから、ではありません。NBOのアクセスランキング上位に表示されており、かつ、40%近い読者が「とても参考になった」と回答しているからです(ただし、逆に「参考にならなかった」とする評価も60%近くに達しています)。

NBOのプロフィール欄によると、著者の小田嶋隆氏は「引きこもり系コラムニスト」だそうです。私など、口が悪い人間ですから、

自宅に引きこもって新聞やテレビの情報ばかりに接しているから、こんな『駄文』(失礼!)になってしまうのか

などと申し上げてしまいそうです。同じ「引きこもり系」でもインターネットを通じて情報収集していれば、ここまで偏ったものにはならないような気もします。

それはさておき、小田嶋氏を初めとする、「左翼系」の人たちにとっては、新聞・テレビがいまだに「もりかけ」と大騒ぎしているのを見て、これを素直に「もりかけ問題が鎮静化していない証拠だ」と考えてしまうのかもしれません。

そういえば、野党の立憲民主党、希望の党、民進党は、いずれもこの「もりかけ問題」を、しっかりと追及する構えを見せています。

実は、結論は非常に簡単です。マス・メディア(新聞・テレビ)がこの問題を「鎮静化させたくないから」、いや、もっと正確に言えば「鎮静化させるのに失敗したから」です。

そのことを考える前に、まずは「マス・メディア自体の構造」について、簡単に振り返っておきましょう。

第4の権力

新聞、テレビ、ラジオ、雑誌のように、紙媒体や電波などを使って、全国津々浦々にいっせいに情報を届ける媒体のことを、一般に「マス・メディア」と呼びます。インターネットが普及する以前であれば、人々が情報を入手する手段は、ほとんどの場合がこの「マス・メディア」に依存していました。

その中でも、とくに影響力が大きかった媒体が、新聞とテレビです。

新聞は毎朝、家庭に印刷物が届けられるため、昭和時代は、どこの家庭でも、朝食の時間にお父さんが新聞を読むのが一般的な風景でした。また、テレビについては、わが国では1964年の東京五輪を契機に爆発的に普及しはじめましたが、どこの家庭でも「お茶の間」(あるいは居間、リビングルーム)にテレビが備え付けられていて、テレビは常に家庭の中心にあったのです。

一般家庭にとって、世の中のあらゆる情報は、おもに新聞とテレビを通じて入手すべきものであり、人々は「新聞やテレビがウソをつくなどとはあり得ない」などと思い込んでいたのではないでしょうか?

そして、新聞社ならば再販売価格維持制度と宅配制度により、テレビ局ならば電波利権により、既得権を守られて来ました。ということは、新聞社もテレビ局も、これまで本格的な競争に晒されたことがない業態なのです。これを経済学の専門用語では「独占競争」と呼びます。

つまり、新聞社もテレビ局も、「絶対に新規参入が行われない」という中で、自分たちの事業が既得権益化し、また、消費者である視聴者・読者としても、新聞・テレビ以外に情報の入手手段がないという状況にあったのです。これが、マス・メディアの盤石な支配体制の正体なのです。

マス・メディアは自分たちのことを、「第4の権力」と呼び、驕り高ぶってきました。そして、実際にマス・メディアは世論を支配することを通じて、権力を握っていたのです。つまり、選挙で選ばれたわけでもない、経済競争に打ち勝ってきたわけでもない人たちが、絶対権力を握るという構造です。

これだと中国共産党が絶対権力を握って支配する中国のことを、日本も笑えない状況です。

椿事件とマスゴミの絶頂

ただ、古今東西、共通した法則があります。それは、「絶対権力は絶対的に腐敗する」、というものです。

マス・メディアは業界内で結託すれば、世論を好き勝手に操作することができるということに気付き、世論誘導を行うことで、マス・メディアが思い描くような選挙結果を実現する、ということが、実際に発生してしまったのです。その典型的な犯罪が、「椿事件」と呼ばれる事件です。

この椿事件とは、全国朝日放送株式会社の取締役報道局長であった椿貞良が、1993年7月の衆議院議員総選挙に際し、自民党を下野させ、政権交代を実現するような政治的偏向報道を指示した事件です。

もちろん、これは犯罪です。放送法第4条第1項によれば、

放送事業者は、国内放送及び内外放送(以下「国内放送等」という。)の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。

一 公安及び善良な風俗を害しないこと。

二 政治的に公平であること。

三 報道は事実をまげないですること。

四 意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。

とありますが、この椿貞良の行為は、同項第1号、第2号に反しています。

しかし、放送法には欠陥があります。というのも、このような違法行為を行った場合であっても、その放送局に対する罰則が停波や放送免許の取り消しくらいしかないのです。仮に放送法違反を理由に総務省がテレビ局に停波を命じた場合、マス・メディアはいっせいに政権を攻撃するであろうことくらい、火を見るよりも明らかです。

現在、テレビ業界は業界内で設立したBPOという組織により、放送法を遵守する体制を作っていると言い張っていますが、BPOなど事実上、全く機能していません。1993年に発生した「椿事件」は、むしろ、現行の電波行政上、テレビ局による偏向報道という犯罪に対し、何ら有効な罰を与えることができないという欠陥を露呈しただけでなく、マス・メディア産業にとっては「やったもの勝ち」だというお墨付きを与えることにもなってしまったのです。

インターネットの普及とマス「ゴミ」の苦境

そういえば、椿貞良が所属していた全国朝日放送株式会社と同一の「朝日」の名を冠した新聞社といえば朝日新聞社ですが、朝日新聞社が捏造した「従軍慰安婦問題」が、日韓間の外交問題として表面化したのも、ちょうど1993年前後でした。

この慰安婦問題も、いわば、植村隆ら朝日新聞社従業員による個人犯罪であるとともに、朝日新聞社という法人組織の犯罪でもありますが、残念ながら、わが国には、新聞社による捏造報道に対する明確な罰則が設けられていません。

つまり、この「椿事件」は、「慰安婦捏造事件」と並び、日本のマス・メディア産業が、すでに1990年代には腐敗し始めていたことの証拠と見るべきでしょう。

「絶対権力は絶対的に腐敗する」という歴史の鉄則が、ここでも実現したのです。

ただ、それと同時に、1990年代には、重要な社会的変化が生じました。それは、インターネットの出現です。

現代社会では、「情報の大部分を新聞とテレビが独占する」という体制は、ほぼ崩れかけています。その最大の要因とは、2000年代前後から、インターネットを使って情報のやり取りをする人が爆発的に普及し始めたという点にあります。とくに、2010年前後からは、スマートフォンが急速に普及し、現代では、四六時中、スマートフォンを眺めている人もいるほどです。

これにより、新聞やテレビを中心とするマス・メディアは、徐々に苦境に陥りつつあります。というのも、従来と違って、新聞やテレビの流す情報を「鵜呑み」に信じ込む人が減少し始めているからです。それだけではありません。広告主にとっても広告媒体としての新聞・テレビの魅力が低下したことにより、広告料収入も減少し始めているからです。

古今東西、企業が経営難に陥るパターンとしては、もともと競合が激しい業種で、経済競争に敗れるケースもありますが、業界全体がぬくぬくと守られていたときに、業界外から思わぬ競合相手が出現し、あっという間に倒産に追い込まれる、というものもあります。

マス・メディア産業の将来も、まさにこのパターンではないでしょうか?

そういえば、インターネットを中心に、新聞・テレビなどのマス・メディアのことを「マスゴミ」と呼ぶ人が激増しましたが、これは、既得権益にあぐらをかいて、時として犯罪すれすれの偏向報道を行いながら、ゴミのような情報を垂れ流し続けて来たマス・メディアに対する、人々の怒りも含まれた用語です。

最近だと、「マスゴミ」ではなく「カスゴミ」、あるいは「ゴミ」などの用語も出現していますが、こうした過激な表現が出現すること自体、反省しないマス・メディアに対する、人々の怒りが限界に達している証拠なのかもしれません。

「もりかけ問題」とはマスゴミ敗北の象徴

ネットとマスゴミの勢力が拮抗し始めている

現代とは、マス・メディアとネット・メディアの影響力が拮抗している瞬間だという言い方もできます。その典型例こそが、冒頭で紹介した、NBOの小田嶋氏の記事にある「もりかけ問題の鎮静化」という論点です。

そもそもマス・メディアが喧伝した「もりかけ問題」とは、「安倍晋三(総理)の友人が経営する学校法人に、安倍晋三(氏)が内閣総理大臣としての地位を悪用し、不当に圧力を掛けて便宜を図った問題」です。このうち森友学園問題については「国有地の不当に安い価格での払下げ」、加計学園問題については「行政を歪めて獣医学部新設の許可をねじ込んだこと」ですが、いずれも「安倍総理が地位を利用して不当な圧力を図った疑惑」という意味では、共通しています。

そして、いずれの問題にも、「安倍総理(または総理夫人)がこれらの問題に関与した証拠はない」ということで、事実上、決着を見ていると考えて良いでしょう。

もちろん、「証拠はない」ということと「無実である」ということは、イコールではありません。しかし、古今東西、一般的に、疑われている本人が「無実であること」を証明するのは不可能です(これを俗に「悪魔の証明」と呼びます)。そして、「安倍総理(または総理夫人)がこれらの問題に関与した」と主張するのであれば、それを主張する側(つまりマス・メディアや野党)がその決定的証拠を提示する必要があります。

マス・メディアや野党は、これまで、このような「印象操作」だけで気に入らない政治家を葬り去るということを続けて来ました。さきほどの「椿事件」もその典型例ですが、2009年8月の衆議院議員総選挙で、麻生太郎総理が率いる自民党が大敗し、民主党(現・民進党+希望の党+立憲民主党)が地滑り的な勝利を収めて政権交代が実現したという事例もありますし、最近の例だと稲田朋美・前防衛大臣が辞任に追い込まれました事件などを挙げることができます。

余談ですが、「麻生内閣の倒閣」では、麻生太郎総理が「漢字も読めない」「言い違いが多い」といった、総理大臣としての本質的能力と無関係なところでの攻撃を仕掛け、それで実際に民主党への政権交代が実現したのですから、この「成功体験」は、マス・メディア産業関係者の記憶の中に、鮮烈に焼き付けられているであろうことは想像に難くありません。

人々は賢くなりつつある!

では、2009年8月と、2017年10月で、いったい何が変わったのでしょうか?

インターネットが一般化したのは、2000年代初頭、ネット環境に繋がったPCが全国的に激増した瞬間と、2010年前後以降の、スマートフォンが爆発的に普及し始めた瞬間の、おおきく分けて2つの段階があると思います。

2009年8月の段階では、PCを通じてインターネットから情報を集める人は、間違いなく存在していましたが、社会の主流派とはいえない状況でした。しかし、2010年前後からスマートフォンが普及し、2011年3月に東日本大震災が発生し、民主党政権の救いようのない無能さが誰の目にも明らかになったことで、日本国民も「目覚めた」のではないでしょうか?

実際、今年の「もりかけ騒動」のときも、マス・メディアが一生懸命、この問題を煽ったことで、却って人々の関心が高まり、国会の閉会中審査の動画をインターネットで直接、視聴する人が続出したのです。そして、とくに「加計学園問題」については、青山繁晴参議院議員が加戸守行・前愛媛県知事に対して行った質問などを通じて、

  • 加計学園側には1点としてやましいことはないこと、
  • むしろ獣医学部の新設を妨害し続けた文部科学省や獣医師会に問題があること、
  • マス・メディアが持ち上げた前川喜平・前文科省事務次官が極めて怪しい人物であること、
  • 野党・玉木雄一郎衆議院議員が斡旋受託収賄罪の犯罪を行った可能性が高いこと、

などの情報が、マス・メディアを経由せず、自然発生的に人々の間で共有されたのです。

そして、「もりかけ問題」で自民党を攻撃しようとしたものの、先月行われた衆議院議員総選挙では、結局、自民党が現有勢力を維持。立憲民主党を除いて、野党はすべて現有勢力を減らすか、辛うじて維持するに留まりました。

つまり、「もりかけ問題」では、マス・メディアがほぼ完全に敗北したといえます。

こうなった以上、マス・メディア側が今すぐやらなければならないことは、「加計学園問題とは誤報・捏造に基づく印象操作でした、ごめんなさい」と視聴者・読者に向けて謝ることです。

マス「ゴミ」を甘く見るな!

もっとも、新聞、テレビのことを「マスゴミ」と呼んでバカにすることは簡単ですが、日本では、マス・メディア(とくにテレビや地域新聞)の影響力がいまだに大きいことを、軽く見るべきではありません。実際、先月の衆議院議員選挙では、旧民進党系の勢力(希望の党、立憲民主党、無所属)が125人ほど当選していますが、これなども、一部の地域で新聞、テレビの影響力がそれなりに大きいことの証拠でしょう。

その意味で、私が冒頭で紹介したNBOの小田嶋氏のコラムは、非常に参考になるものです。私はむしろ、NBOの中で最も価値があるのは、この小田嶋氏のコラムだと考えています。といっても、内容そのものは論評にすら値しません。小田嶋氏のコラムに価値がある理由とは、①毎回、多くのアクセスがある、②毎回、賛否が見事にわかれる、③毎回、多くのコメントが寄せられる、という3つの特徴があるからです。

このうち、特に②と③については、非常に参考になります。というのも、小田嶋氏のコラムには賛同する人、反対する人が見事に分かれていて、読者の側も、それぞれ、なぜ賛同するのか、なぜ反対するのかを、コラム欄で意見としてぶつけ合っているからです。

これこそが、私が毎回、小田嶋氏のコラムを、我慢して「愛読」(というよりは「苦読」)している理由でもあります。

敢えて私の独断で仮説を申し上げるならば、小田嶋氏のコラムに「賛同する人」とは、マス・メディアの影響が抜けきっていない人であり、小田嶋氏のコラムに「反対する人」とは、自分自身の頭で物事を考え、判断する癖が付いている人ではないかと思います。

小田嶋氏くらいがちょうどその「マスゴミvsネット」の戦いにおける、ぎりぎり「マスゴミ」側に踏みとどまっているポジションであり、逆に、小田嶋氏がまったく支持されなくなる瞬間が生じたら、その時こそ、真に日本国民のマジョリティが「マスゴミ」支配を抜け出したと言えるのではないでしょうか?そして、その瞬間は、意外と遠くない未来にやって来ると思います。

なお、NBOに掲載されていて、「論評の価値すらない記事」という意味では、田原総一朗氏が執筆する『田原総一朗の政財界「ここだけの話」』も同様です。しかし、田原氏の論評の方はすでにNBOの読者からけちょんけちょんに批判されている状態ですので、ここでは敢えて取り上げることすらしません。

やっぱり既得権益にしがみつくマスゴミ

マス・メディアの話を議論するついでに、最近のこの話題についても紹介しておきたいと思います。

民放連会長は「電波オークション」に反対「公共性」「ライフラインとしての自負」(2017.11.17 19:09付 産経ニュースより)

産経ニュースによると民放連の井上弘会長(株式会社TBSテレビ取締役名誉会長)は金曜日の定例記者会見で、「電波オークション制度に反対する」とする姿勢を明確にしました。

井上会長の発言を産経ニュースから孫引きすると、

われわれは多かれ少なかれ公共性を担っており、金額の多寡で(電波利用権が)決まる制度には反対する

われわれへの批判はあると思うが、公平性を保ち、ライフラインとしてやってきた自負がある

と述べたのだそうです。

いったいどの口がそういう恥知らずなことをいうのかと言ってやりたい気持ちでいっぱいです。

「放送法遵守を求める視聴者の会」(事務局長は経済評論家の上念司さん)の調査によれば、今年7月に行われた、加計学園「問題」をめぐる国会の閉会中審査に関する報道を巡り、TBSは加戸守行氏と原英史氏の発言を1.4%しか報じず、放送時間の98.6%を前川喜平・前文科省事務次官の発言に充てたことが判明しています。

公平性どころか違法の塊なのがTBSです。この井上会長の発言からは、自分たちが違法行為を行っておきながら何の反省もないどころか、自分たちの既得権を守るためにはウソでもつくという強欲さを示しているように思えるのは、私だけではないでしょう。

公正競争こそが日本を変える!

ただ、私自身は、マス・メディアには「もりかけ問題」の報道を続けて欲しいと思っています。なぜならば、そうすることによって、だれも新聞やテレビの報道を信頼しなくなるからです。

究極的には、世の中の情報には2つの種類しかありません。1つは「客観的事実」であり、もう1つは「主観的意見」です。このうち、客観的事実に関する情報については、少しインターネットのリテラシーを高めて、辛抱強く調べることをすれば、誰にだって入手できます。

実際、私は自分自身の本業で、法律や政令、基準、国会質疑などを調べることがあるのですが、原文を読み込めば、客観的事実関係を把握することは可能です。逆に、自分の専門分野に関しては、新聞やテレビから情報を入手することは、まず絶対にありません。

また、当ウェブサイトを執筆する場合も、産経ニュースなどの一部のメディアを参考にすることはありますが、多くの場合はインターネットを通じて得た情報を読み込み、議論を構築しています。

そして、「主観的意見」については、それこそ新聞・テレビ以外の人間(たとえば、私)にも発信することは可能です。それがインターネット社会の強みなのです。

私は「放送法遵守を求める視聴者の会」の努力には敬意を払いたいと思いますが、その反面、腐り切ったマス・メディア業界を、消費者運動などを通じて今から浄化することなど、できっこないと思っています。腐り切った会社(たとえばTBSや朝日新聞)には、消費者運動を通じて変えさせるのではなく、「倒産」という形で、市場からご退出いただくのが良いのです。

当ウェブサイトは「読んで下さった方の知的好奇心を刺激する」ということを目的に、腐った「マスゴミ」に代わって、これからも積極的にオピニオンを発信していこうと思います。どうかご愛読の程、よろしくお願い申し上げます。

オマケ:足立康史議員の「朝日新聞死ね」ツイート

以前も少し取り上げたのですが、日本維新の会の足立康史衆議院議員が「朝日新聞、死ね。」とツイートした件については、その後もさまざまな反響が続いているようです。

この件については、以前も申し上げた通り、本来、国会議員という要職にある人物が、特定の民間企業に向けて、そのようなツイートをするということ自体、不適切であるとの批判もあり得ると思います。

しかし、本件については、昨年の「ユーキャン流行語大賞」のときに、「保育園落ちた日本死ね」が「流行語」として選ばれた際、朝日新聞社はこれを強く批判する声明を出しませんでした。NHK、TBS、沖縄タイムス、北海道新聞、琉球新報などのメディアについても、これと全く同じことが言えます。

メディア各社も「言論の府」を自称するならば、ダブル・スタンダードは許されません。

「朝日新聞死ね」が批判されるのであれば、「日本死ね」は絶対に許されない発言です。それを公然と批判しなかった以上、朝日新聞社、NHK、TBS、沖縄タイムス、北海道新聞、琉球新報などのメディアは、「死ね」の発言を自分たちに向けられたとしても、甘受しなければなりません。ましてや、「日本死ね」発言を流行語に選んだユーキャン、同社から昨年、表彰を受けた山尾志桜里議員も同様です。

したがって、「ユーキャン死ね」「朝日新聞死ね」「NHK死ね」「TBS死ね」「沖縄タイムス死ね」「北海道新聞死ね」「琉球新報死ね」「日本共産党死ね」「山尾志桜里氏ね」は、少なくとも日本のマス・メディアのスタンダードにおいては、すべて認められる発言であると考えられます。

以上、補足でした。

本文は以上です。

読者コメント欄はこのあとに続きます。当ウェブサイトは読者コメントも読みごたえがありますので、ぜひ、ご一読ください。なお、現在、「ランキング」に参加しています。「知的好奇心を刺激される記事だ」と思った方はランキングバナーをクリックしてください。

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読者コメント一覧

  1. 匿名 より:

    小田島氏のNBOの記事、コメント欄で賛否両論とのことですが、
    これは素晴らしいと思います。
    自分の意見を言いづらい日本の文化が、匿名性を以って
    劇的にディベートする文化に変わっています。
    日本の知的水準が既存のマスゴミに潰されていましたが、
    あと5年位で、劇的に向上するでしょうね。
    日本にネットからシンクタンクが出来る日も来るのでしょう。
    2CH総合研究所ができるかも知れませんね。

    1. 通行人 より:

      匿名さんへ
      確かにディベートする文化は素晴らしいよね。小田島氏の記事が素晴らしいとは思わんけどね。

  2. とらじろう より:

    いつの頃からかテレビを視聴しなくなりwebだけで情報を得る生活をもう5年以上していますが面白いことに何も支障をきたさないという。
    webの良いところは多様な意見が溢れてる中で自分で情報を取捨選択できる点です。
    かつて時代を創り出していたテレビが今では時代に取り残されてしまったんでしょうね。

  3. 通行人 より:

    丁度一昨日、ネットギークにこんな記事↓があった
    http://netgeek.biz/archives/106735

    須田慎一郎「私もね、こういう経験したことあるんですよ。取材した結果、『森友学園が火を吹いていた段階で、忖度だとか安倍さんが指示を与えたということは一切ない。そもそも土地の値段を高く設定しすぎたところに原因がある』と論を立てた。いや論というより取材した結果がそうだったんですけどね。すると森友学園に批判的な大新聞の記者が僕に連絡してきて、いや~須田さん、うちでもそういう記事を掲載したいんだけど、デスクがそれを握りつぶす。『うちは安倍批判でいくんだからお前が取材してきた結果を載せることはできない』と。だから須田さん、私が取材してきたデータを全部使ってくださいって言って提供してくる。そういうことまで今起こっている。聞くところによると朝日新聞の中でも一部の社員が今の朝日のスタンスはおかしいじゃないかと会社に意見書を出した。社内でそういった動きも起こっているようなんですね」

  4. 激辛大好き より:

    買い物しようとして出かけたのですがカードを忘れやむなく帰宅。脳の衰えをまたも感じました。相も変わらずの呆けたコメントお許しください。
    私は小田島のコラムを見たこともないが、よく賛否伯仲しているものが続いていると感心する。新宿会計士様のこのサイトにも時折、批判のコメントが寄せられる。しかし、その内容は稚拙で理由説明が明確でなくデータも例示されることもなく、反駁すると立ち消えになる。このサイトの閲覧者の知識欲が高く、なまじっかの反対意見では論理的に太刀打ちできず、消え去るだけだ。賛否が2分するなどこのサイトでは考えられないことです。
    民放連の井上弘会長はよくぞ「公正な放送をしている」と言えたものです。私などは嘘を言って他人を騙し終えたとしても、後々虚言を言ったことが心の負担となる。嘘を言うくらいなら正直な方がどれだけ楽なことか子供の時から教え込まれた。偉い人になるにはこのくらいの虚言などで心の負担など微塵も感じないのでしょう。彼にとっては電波オークションを前にすればどのような嘘でも構わないのだ。
    朝日新聞は山尾の「日本死ね」発言を礼賛していた。それなのに「朝日新聞死ね」と言われたら反発できる理由があるのか。これまでにも吉田詐欺師の売春婦虚言を報道し、吉田福島原発所長の調書を無理やり捻じ曲げて東電の命令違反と発表し、ここにきて前川の出鱈目証言を報道し続けている。朝日新聞は真実の記事を書くことなどさらさらない。馬鹿は死ななきゃ治らないと言うが、朝日も同じだ。足立議員の「朝日新聞死ね」はまことに適切と言える。

  5. めがねのおやじ より:

    < ギリギリの時間ですね、更新ありがとうございます。
    < NBOの小田嶋氏のコラムについて、昼にコメントしましたが、やはり思った通りボツにされました(笑)。なにも悪意のあるコメントはしてないのですが、編集者は『こんなヤツは載せれん !怒』だったんでしょう。私はただ「NBOは読み応えのあるコラム、記事もありますが小田嶋氏のは私には酷く難解です。正直読み切るのが辛いから、次回から掲載辞めて貰えませんか。他に私のような意見は来ませんか?」と送っただけなんですが(笑)。
    < あの、コラムになんかいつも似顔絵?みたいなんが載ってますが、イミフです。会計士様言われる通り、小田嶋氏はギリギリ、またやっぱり日経もギリギリOUTグループですね。
    < 東京新聞の編集局長がテレビで思いっきり左傾発言してました。一昨日の昼頃、家電店に行った時、その局長が「自衛隊が買う新しい戦闘機は、トランプに騙された。F-35Aはいわばアプリの入ってないスマホです。ガラクタです。1機140億円も政府は出すことを決定した。私はこの件を追いかける」なんて。はあ?ですね。いろいろ間違いを指摘したいですが時間がないのでやめときます。生半可な知識でテレビでモノ言うな。どちらにしても、あんなヤカラを出すテレビ局ABC朝日だ。周りもうなづく連中、放送ヤメロ!と内心思いました。ちなみに長谷川氏ではもちろんありません。
    < 以上、失礼いたします。

  6. だいなあいらん より:

     本筋とは全く関係ないツッコミご容赦を。
     マスメディアを第4の権力と言い出したのはマスメディア自身ではありますが、マスメディア内部のメディア批判の文脈の中から出てきたのであって決して”驕り高ぶったせい”ではありません。
     かつてのメディアでは「権力は問答無用で悪」であり、「自分たちは反権力であるから正義である」「弱者の代弁者であるから正義である」ということを主張していました。それに対して「メディア自身が国民を縛りつける権力者の側面を持つ」ことを指摘した表現が「第4の権力」という言葉です。ただし、捏造や故意の印象操作を反省したわけではなく、報道の行きすぎに対する警告が趣旨ですが。権力は悪であるという前提の上で「自分らも気をつけないと国民の上に君臨する悪になるぞ」という一応は自戒の言葉です。

    1. 左翼 より:

      マスコミが自身を(第四の権力)と言っているのは元々はマスコミが自戒を込めたものだというご指摘は良く判ります。ただ、現実に彼らは国民の上に君臨する悪なる存在になってしまっているのですから、既に前提が違ってしまっているようにも思えますね。マスコミには元々左翼が多いのですが、同じ左翼の立場の私から見ても、現在の朝日新聞を含めたマスコミの在り方には違和感を感じざるを得ません。私の目から見て現にマスコミは権力を乱用して国民を惑わしており彼らが自戒しているようには到底見えないのですが。。。

      私はこれまで何度もこちらのブログに書いている通り、この(新宿会計士の政治経済評論)のブログ主さんとは政治的な主張で相容れない部分が多いのですが、それでも個々のブログ主の言う(自由な議論)という主張には個人的には賛同しており、だからこそ時々こうやってお邪魔して意見を述べているのですが、(ちなみにどこかの左翼ブログと違って削除されたことは一回もありませんが、)、今日のエントリーにあるマスコミの自壊という指摘には私も全く同感です。

      1. だいなあいらん より:

        言葉が足らなくてすみません。
        マスメディアの”現状”についてはその通りだと思います。マスメディアは社会に対する自身の影響力の強さを知った上でそれを悪用していますし、”強大な力を行使することに対する慎重さや配慮”のようなものは見られません。ツッコミはあくまでも語義についてのことです。
        マスメディア的には、反権力であることが正当化のよりどころとなっていますので(その考えがそもそも間違いなのですが)、自身を権力になぞらえる表現はマイナスのニュアンスを含む物になります。マスメディアは国民を損なう権力であると同時に驕り高ぶっています。ただ、(国民が、ではなく)マスメディアが自らを語る「第4の権力」という言葉を驕りの事例に挙げるのが不適切であるというだけです。

        1. 通行人 より:

          横で見ていて気になったのですが、

          >ただ、(国民が、ではなく)マスメディアが自らを語る「第4の権力」という言葉を驕りの事例に挙げるのが不適切であるというだけです。

          そうですかね?「第四の権力」がマスコミ自身が作ったかどうかってこの際関係ないと思いますよ。だって実際マスコミって権力者じゃないですか。どう見たって「奢り高ぶり」の典型例だと思いますよ。

    2. 団塊 より:

      >自戒の言葉
      >だいなあいらん さん へ
      十なん年前に 若いお姉さんに言われた一言をお贈りします。

      「昔は昔、今は今」

  7. TSF より:

    本文とは殆ど関係ない内容ですがご容赦を。
    日本には放送格差(放送局の地域格差)があります。
    つまり、2局しかない県やCATVや遠距離受信などに頼らないとポケモンアニメが全く見れない県もあります。

    そういった地域格差をなくすためにも、民放を原則全国放送にすべきだと思います。

    1. 通行人 より:

      そうだったらやっぱ電波オークションが正しいんですかね?電波オークションのついでに一県一放送局制度を改めるべきでしょうね。

  8. 新宿会計士 より:

    読者の皆様、

    たくさんのコメントを賜り、大変ありがとうございます。
    記事本文中で誤植がありましたので修正いたします。

    記事の末尾に記載した、
    「山尾志桜里氏ね」
    とあるのは、
    「山尾志桜里死ね」
    の間違いでした。

    お詫びして訂正しますとともに、引き続き当ウェブサイトをご愛読賜りますよう、何卒よろしくお願い申し上げます。

  9. あゆみ より:

    いつも面白い論説有難うございます。
    「朝日新聞死ね」はなかなか練られたコメントだと思います。
    と言うのは、これなら対象は「朝日新聞」に特定され、「朝日新聞社」にはなりません。新聞なら実体は紙であり、その上対象は「記事」でしょうから、実体はインクの羅列ですが、実際には人の頭で理解されて初めて役立つ物ですから、実体すら存在しません。誰も傷つかない筈です。本音は「潰れて消えろ」かも知れませんが、これなら「朝日新聞社は白紙で売れ、ゴミ捨て用に使うから、潰れる必要までは無い」なんて言い訳も出来ますし。

    「日本死ね」に「日本人を指してる訳ではない」という言い訳がありましたが、国会議員が動いてるところから、「日本(の政治)死ね」と取るべきでしょうか。書き込んだ人が一番困りそうです。
    こちらの方が「~新聞社死ね」「~放送局しね」に近い様に見えます。もちろん倒産と政治崩壊ではダメージレベルがまったく違いますが。

    ただ私は個人名に死ねは、止めた方が良いのでなかろうかと思います。ブロクの品格も落ちるでしょう。
    しかしこうは言えるとも言えます。これが政治的意味を含むなら、対象に山尾氏も入っているのではと。
    国会議員として政治家をやってらしたと思うのですが。
    政策を考える事も法律上は可能な筈ですし、献策なども絶対不可能では無い筈です。
    それが大変優れた策であるならば、総理も検討するかも知れませんし、実行させる事で、この書き込み(日本死ね)を避ける事も出来る立場にはいる筈です。
    自民には勝てない事を本能的に理解してるのかどうかは分かりませんが、議員である事を忘れた税金泥棒と言えるでしょう.
    「私は仕事を一切しません。徹頭徹尾手抜きで行きます」とアピ-ルしながら、「日本(とお前も)死ね」との意味がある筈の文章を声高に言えるのは、他も議員も含めて本当は自殺願望でもあるんですか? と…

    1. 愛国保守 より:

      同感ですね。
      山尾死ねは流石にマズイ。ブログの品格にも繋がりますからね。個人名に死ねは良くない。ただ、朝日新聞死ねは個人名ではありませんからね。良く練られていると思います。

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