基本的価値共有する英国のTPP参加表明は歓迎すべき
欧州連合(EU)から離脱した英国が、TPPへの参加を申請するようです。日本はこの動きをどう受け止め、どう考えるべきでしょうか。これについて考えるうえで重要な視点が、「基本的価値の共有」です。いうまでもなく、日英両国は地理的条件も似ているほか、法治、自由・民主主義といった基本的価値を深く共有しています。英国のTPP参加表明は歓迎すべきですが…。
外交は人間関係の延長で議論すべし
「外交とは、国益の最大化手段である」――。
これは、当ウェブサイトで常々申し上げている主張です。
「外交」などというと、小難しいことを主張する人もいるため、私たち一般人からすれば、なんだか「遠い世界」のことだと勘違いしてしまいがちです。酷いケースになるとなかには「外交は人間関係と違って好き嫌いで議論してはならない」、などとドヤ顔で主張する御仁もいらっしゃいます。
とくに「チセーガク的に見れば、どうたら、こうたら」といった主張を見れば、「外交の専門家」ではない人たちからすれば、「普通の人間関係と同じ感覚で外交を議論してはならない」と言われると、「あぁ、そんなものか」と思ってしまうケースもあるでしょう。
しかし、こうした考え方は、大きな間違いです。
外交とは、平たく言えば「国と国とのおつき合い」の話ですが、国というのも結局は人間の集まりに過ぎません。だからこそ、普通の人間関係の延長線上で議論するのは何も間違っていませんし、そればかりかか、むしろ外交は「一般人の感覚で」議論しなければならないものです。
人間関係では「ウマが合う相手」とのおつき合いもあれば、「なんだかいけ好かない相手だけれども、利害関係があるから、仕方なしにおつき合いしなければならない」という場合もあります。前者の典型例は親友や恋人、後者の典型例は職場(たとえば嫌な上司)でしょう。
国同士の場合もまったく同じことがいえます。「国同士、自然と仲良くなる」という幸運な事例ものあれば、「心の底から打ち解けることはできないけれども、仕方なしに付き合わなければならない」、「どうしても打ち解けられず、争いが常態化してしまう」というケースもあるからです。
異なる価値観の国と付き合うのも大変だ
たとえば、ある2ヵ国について「同じ言語を話している」、「もともとは同じ民族である」、といったケースだと、その2ヵ国は文化的には非常に近いということであり、非常に仲良くなる可能性があります(※もっとも、某半島のように、南北でいがみ合う事例もあります。近親憎悪でしょうか?)。
また、同じ民族同士でなかったとしても、「同じ宗教を信奉している」、「同じような価値観を共有している」という事例であれば、お互いに話をするときの議論のベースをある程度は共有しているということであり、そうでないケースと比べれば仲良くなりやすいはずです。
しかし、基本的な価値の部分でお互いに相いれない2ヵ国は、たいていの場合、不幸です。
とくに国境を接している2ヵ国が価値を共有していない場合や異なる民族同士の場合だと、お互いにいがみ合っている事例も大変に多いと聞きます(中国とインド、アゼルバイジャンとアルメニア、イスラエルとパレスチナ、米国とメキシコなど)。
個人的には、日本が島国で良かったと心の底から思うこともあるのですが、これは「異なる価値観を持つ人々が陸路を越えて続々とやって来る」という事態に直面しなくて済むからでもあります。その典型例が、宗教でしょう。
こうしたなか、日本は古来、宗教に寛容だとされていますが、それでも宗教がらみでは、日本にやってきた外国人がさまざまなトラブルを起こすという事例もあります。
たとえば、不法滞在で摘発され、入管に収容された外国人がイスラム教徒であった場合に、「誤って豚肉関連の食材を提供してしまった」などとして、一部メディアから入管が叩かれる、という事例は以前からしばしば報告されています。
もちろん、収容されている外国人に対しては、可能な限り、処遇には配慮が必要です。しかし、それと同時に日本はイスラム教国ではありませんし、流通する食材に「ハラール認証」を付与しなければならないといった法律は存在しません。
だいいち、日本国内において、豚肉やアルコールを摂取するというのは「禁忌」ではありませんし、豚由来の食材に加え、しょうゆやみりんなどについても、アルコール由来の成分が含まれているために、イスラム教徒はうかつに口にできない、という説もあるようです。
もちろん、イスラム教徒の方々が「ハラール」の食材を求める権利はありますが、日本社会がイスラム教徒に配慮しなければならないという義務はありません。正直、日本の文化や社会に根差した食品を、わざわざイスラム教徒に合わせること自体、無理がある考え方ですし、コスト的にも割に合わないからです。
インドネシアの事例
さて、文化という意味では、ほかにもさまざまな問題が生じます。
私見ですが、日本人には「(ときとしてバカ正直に)ルール、法律、約束を守る」、という特徴があると思います。しかし、外国のなかには、「ルール、法律、約束は破るためにあるものだ」、などと考える国もあり、こちらがバカ正直にルール、法律、約束を守ると割を食うこともあります。
そういえばインドネシアの鉄道敷設案件で、日本企業のコンソーシアムが多大なコストをかけて路線調査を行い、レポートを出したところ、そのレポートを中国に横流しし、案件自体が中国にかっさらわれた、という事例が報じられたことがありました(『インドネシアの「良い所取り」を許すな!』等参照)。
調べてみると、インドネシアを巡っては、ほかにも外国との約束を守らない事例がたびたび存在するようです。正直、このような国を相手にするのも疲れますが、それでも日本は中国の「一帯一路」に対抗するため、「自由で開かれたインド太平洋(FOIP)」を推進しなければなりません。
このように考えると、本来、約束破りのコストは相手国に負担させなければなりませんが、だからといって「腹が立つから断交!」などと気軽に述べるべきでもないのです。
基本的価値を共有する国を大切にすべき
さて、政治学者のなかには、「日本が採用する民主主義、自由主義、法治主義(または法の支配)、平和主義は、いずれも西欧の真似であり、日本の本来の価値観ではない」などと主張する者もいますが、個人的にはこの主張については半分は正しくとも、半分は間違いだと思っています。
たしかに、日本の政治・社会体制については西欧のそれを模していることは間違いありませんし、日本が採用している民主主義の考え方の背景には、西欧社会におけるフランス革命などの事件、マグナカルタなどの法典などの存在があることは事実でしょう。
しかし、それと同時に日本において自由・民主主義や法治主義はじつによく根付いています。なぜなら、これらの考え方は、日本が昔から大切にしてきた価値観とも親和性が非常に高いからです。
では、日本が大切にしている価値観とは、いったい何でしょうか。
これも私見で恐縮ですが、日本社会の根源には、「ウソをつかない」、「ルールを守る」、「正当に努力する」、「困っている人を助ける」、といった行動原理があるのだと思います。そして、これらの行動原理こそ、自由主義、民主主義、法治主義などの西欧社会の行動原理と合致していたのです。
このあたり、同じ東アジアでも、中国などとは大きな違いがあるのかもしれません。日本では自由・民主主義、法治、人権尊重などの基本的価値が根付く一方で、中国では全体主義、共産主義、人治・情治、人権軽視などの考え方がまかり通っているからです。
ただし、当ウェブサイトとしては、これらについては「良し悪し」という価値観で議論するつもりはありません。中国は中国、日本は日本であり、どちらが正しい、間違っているという話ではないからです。相手国を変えようとは思ってはなりません。重要なことは、「相手国は日本と違う国だ」と認識することです。
そのうえで、基本的な価値を共有しない国とはそれなりのおつき合いにとどめつつ、基本的な価値を共有する国々との連携については強めていくことではないでしょうか。このように考えていくと、英国がTPPへの参加を表明する見通しだとする週末の報道は、じつに歓迎すべき話でもあります。
英、TPP参加を正式表明 初の新規加入で拡大機運
―――2021年01月31日07時44分付 時事通信より
英国のTPP参加表明は、欧州連合(EU)から離脱した英国が、欧州の代替として、太平洋諸国に参加してくるという試みと理解することができます。これも英国なりの判断に基づくものでしょうが、重要なのは「日本がこれをどうとらえるか」です。
「1~20の連携」
以前からしばしば申し上げている「1~20の連携」(図表)も、価値と利益を共有し得る国(とそうでない国)をうまく取りまぜながら、是々非々で連携を進めていくという考え方だと理解しています。
図表 「1~20の連携」とCPTPP
国の数 | 同盟ないし連携 | 参加国 |
---|---|---|
1 | (日本単独) | 日 |
2 | 日米同盟 | 日米 |
3 | 日米韓3ヵ国連携 | 日米韓 |
4 | FOIPクアッド | 日米豪印 |
5 | クアッド+英国 | 日米豪印英 |
ファイブアイズ | 米英加豪NZ | |
6 | クアッド+英仏 | 日米豪印英仏 |
シックスアイズ | 日米英加豪NZ | |
7 | G7 | 日米英仏独伊加 |
11 | TPP11 | 日豪NZなど |
15 | RCEP | 日中韓ASEANなど |
20 | G20 | G7+BRICSなど |
(【出所】著者作成)
このうち「日本単独」というケースは、何が何でも避けねばなりません。孤立主義は破滅への道だからです。
一方、「2」にある「日米同盟」は、日本にとっては最も重視すべき外交関係ですが、それと同時に現在のバイデン政権の外交が今ひとつ読めないということを踏まえると、やはり同盟は重層化しなければなりません。
この点、まことに残念な話ですが、「3」にある「日米韓」、「日中韓」については、すでにまともに機能しているとは言えません。実質破綻状態にあります。
しかし、「4」にある「日米豪印クアッド」、「5」にある「クアッド+英国」、「6」にある「クアッド+英仏」、「ファイブアイズ+日本」、といった連携の枠組みが成立しつつあることは、素直に歓迎して良いでしょう。
要するに、日本が国益の最大化を図るうえでは、軍事的には「クアッド」、経済的には「TPP11」、情報的には「シックスアイズ」、先進国クラブとしては「G7」といった具合に、日本自身が積極的に、さまざまな連携の枠組みに所属すべきなのです。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
ただし、英国の動きのすべてを無条件に歓迎すべきかどうかについては、話が別です。ことに、英国といえば、今年のG7議長国でもありますが、先日は英国がG7に豪州、インド、韓国を招く、などと発表しています。しかし、安易なG7拡大の動きには慎重であるべきでしょう。
ことに、豪州はともかく、インドと韓国がG7に参加すること自体、「基本的価値を共有する国々」の協議体であるG7を変質させかねません。なぜなら、彼らについてはG7諸国と基本的価値を共有しているとは言い難い面があるからです。
日本にとって豪州とインドはクアッドで、韓国は(形骸化しているとはいえ)「日米韓」「日中韓」で、それぞれ連携できているわけですから、豪州はともかく、わざわざ印韓両国をG7に招き入れるのに賛同する必要はありません。
いずれにせよ、英国の動きも、日本にとっては是々非々でうまく対処していくべきものであることは間違いないでしょう。
本文は以上です。
日韓関係が特殊なのではなく、韓国が特殊なのだ―――。
— 新宿会計士 (@shinjukuacc) September 22, 2024
そんな日韓関係論を巡って、素晴らしい書籍が出てきた。鈴置高史氏著『韓国消滅』(https://t.co/PKOiMb9a7T)。
日韓関係問題に関心がある人だけでなく、日本人全てに読んでほしい良著。
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【おしらせ】人生で9冊目の出版をしました
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更新ありがとうございます。
英国が、TPPへの参加を申請する。法治、自由・民主主義といった基本的価値を深く共有しているので、英国のTPP参加表明は歓迎すべきです。
しかし、これ以上、安易に増やす訳にはいきません。中国や韓国、タイなども参加検討を表明とか(笑)。グジャグジャにされますヨ。中韓は要らない。断るべきだ。
但し、G7に韓、豪、印をゲスト国として招くようですが、豪、印だけで良いでしょう。あと一つは何の役にも立たない、金魚のフンです。今回1回のみで。
めがねのおやじ様
>あと一つは何の役にも立たない、金魚のフンです。
激しく同意。国際連携の構成員として、いい顔してたいだけの国。
権利だけを享受して、「主体的には動かないこと」しかしない国。
議事内容より、集合写真に写らないことが問題になり兼ねない国。
けれどもG7の場で彼らを吊るし上げることで、アノ国に”陣営の本気度”が伝わるのなら・・とも思ったのですが・・。(でも考え直しました。彼らを介した伝言ゲームは、ご法度でしたね。)
インドネシアには、「あの」韓国でさえ手を焼いているようですねww。
TPPの新規加盟については、その「前提条件(ルールを守る)」の厳密な実績精査が機能すると信じたいですね。
基本的には「ルールを遵守できる国」だけが加盟を許されるべきであって、
単に加盟したからと言って「ルールが守られない」のは歴史が証明済です。
カズ 様
あの国の事を仰ってますか?
門外漢さま
そうです。あえて明言はしないのですが、主として特定の「アノ国」とか、従として特定の「あの国」。そして東南の「亜の国」とかのことですね。
イギリスがCPTPPの協定内容を丸呑みするのであれば、拒絶する理由はなく、むしろ歓迎すべきことでしょう。イギリスは英連邦諸国に対して、今なお一定の政治的影響力を有していると思われますが、金融面を除いた経済力では警戒すべき要因はないと思います。
ただし、イギリスが何らかの特別待遇を求めてくるのであれば、今後のために示しが付きませんので、拒絶すべきでしょう。ある程度の特別扱いやむなしと思えるのはアメリカのみですが、元々アメリカは原加盟国(予定)だったので、致し方ありません。
さて、イギリスの加盟申請を受けて、同様に太平洋に海外県を持つフランスがどう動くか、ちょっと見物ではあります。
英国はここに来て一気呵成的にG7, TPP, クアッドに言及してます。EU離脱からインド太平洋経済圏にシフトするのは明らか。単純に言えばTPPは経済、クアッドは軍事、という対中包囲網ですが、英が目論むG7+3国の案はこれも中国包囲網丸出しに変質する訳で、独仏伊にとっては対中貿易依存から絶対無理。日本も露骨な中国封じとして反対の立場です。ただ、G7+3国に言及したのはトランプ政権だが英国も同じ事を提示する意味がひっかかります。大陸国家と海洋国家に別れる力が働けばG7の存在意義は双方接着剤の意義しかなくなりますから。
今正式加入の判断したのは、やっぱりアメリカ復帰の可能性を睨んでるんでしょうね。抜け目ないです。
加入に際しての要求事項もアメリカがいなけりゃ緩くできそうでそうし、アメリカ復帰の際にメンバーとしていろいろ意見言える立場なら有利です。
日本にとってはあまりデメリットは感じず好ましいですね。環太平洋じゃなくなるといった細かな問題はありますけど。
カナダ・オーストラリア・ニュージーランドと既に英連邦の有力国が加入してます。ここに盟主の英国が加盟すれば、アングロサクソン枢軸として米も決断し易くなるでしょう。
英の参加が米と通じた上でのことかまでは言えませんが。
当然英連邦の一員であったインドもそのうち加入すると、期待します。
そうなれば、中国は無理でも香港だけはって?
日本が一部の西欧諸国と基本的価値観を共有できるのはなぜか。しかして中国や韓国又北朝鮮等の東アジアの国々が、そしてインドネシア屋東南アジア諸国が同じ基本的価値観を共有できないのはなぜなのか。
私はこの解を、歴史を振り返ることから得られると考えています。日本には古代より勤労を尊ぶ文化と歴史がありました。
古くは天照大神の機織り伝説から始まり、他の神々も勤労に励むといった様々な伝承が伝えられてきました。人格的一神教であるユダヤ教や他の宗教では、あまり見られないきわめて「日本的」な特徴といってよいことではないかと思えます。
又代々の天皇の重要な儀式の一つに、祈年祭に始まり新嘗祭に至る行事(象徴的なものとはいえ)があります。一国の頂点に位置する天皇が、自らお田植えをなされそして収穫をなさるという、いわば「労働」を尊ぶという誠に日本的な行事であります。
これとは逆に、例えば隣国である韓国の両班階級などは筆と箸以外は自ら持たず、喫煙具のキセルさえも奴婢に持たせ、自ら汗して働くことは愚かしい身分のなすところと考えていたようです。性理学なる抽象論を弄び、自らは何ら産することなくもっぱら民より収奪するだけの存在でした。
アジアの他の国々でも似たような状況が、20世紀中期の頃まで続いていました。無論第二次世界大戦終了後、東南アジア諸国は次々と独立し、その多くは資本主義そして自由民主主義を標榜する国家となっていきました。しかし、中にはこれが自由民主主義の国家といえるのか甚だ怪しい国家もあります。更には北朝鮮のように、名前を変えただけで中身はまるで李氏朝鮮のままのような国家さえもあるのです。
それに引き換え我が日本はどうでしょう。実はあの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の著者マックス・ヴェーバーよりおよそ3世紀以上前に、ヴェーバーと同じような主張をしていた日本人がいました。
江戸時代、石門心学で有名な石田梅岩が商業倫理を説きました。8歳で京都の商家に奉公に出た梅岩は自らの30年以上に亘る経験から、「心を尽くして性を知る」そして「人間の性をあるがままに見る」ことから「あるべき姿」の行動規範を説きました。
こうした実学に基づいた教えは、多くの商人らの共感を呼び最盛期には門弟400人を擁したと云います。そしてこの梅岩の教えは後世アメリカにも紹介され、カルヴァン主義商業倫理の日本版とまで言われました。このカルヴァン主義商業倫理とは前掲のマックス・ヴェーバーの著書の根底をなす思想です。
商業とは相互の信用がなければ成立しない生業であります。日本で為替が生まれたのは室町時代にまで遡ることができるといいますが、江戸時代に至るとそのシステムは相当洗練されたものとなっていたようです。先に挙げた石田梅岩なども「商の本質は交換なり」とまで述べているほどです。
遠隔地との商売には為替がなければ円滑に進みませんでした。というのも当時の通貨は硬貨であり、多額の商売には不向きだったからです。ですから為替が多く用いられました。特に江戸と大坂京都間の金銭のやり取りは、為替制度がなければ成立し得ないものだったと考えます。
「商の本質は交換」と説いた梅岩は、それゆえ商売人の行動規範の根底に信用と誠実さを求めたのです。つまり期日を守る、約束を守る、労を惜しまない、といった一種のプロテスタンティズムが非キリスト教国であった日本に醸成されてきたのです。また武士階級には武士道という、ある種これもまたプロテスタンティズムに通ずる行動規範がありました。
勤労や商業を卑しみ、収奪することのみに汲汲としていた、李氏朝鮮時代の朝鮮とは真逆の歴史を築いてきたのが日本です。しかも現在の韓国はこの李氏朝鮮時代の状況から、完全に脱しているようには見えません。上辺は近代国家のようにも思えるのですが、一皮めくればそこここに李氏朝鮮時代の残滓が透けて見えてきます。
自分に都合の悪い約束は守らない、平気で嘘を吐く、法は国民感情の下位にあると考えるから不法行為が横行する、数え上げたらきりがないほどです。
やはり「亜細亜東方の悪友を謝絶する」に如くはなし、と考える所以であります。
稀に見るご達見です。
歴史の成り立ちから今日に至る根源を見出しながら実に平易かつ軽妙な達筆、心より敬意を表します。
為替は江戸の昔から手形、先物など先進的な取引形態、帳簿も貸借の概念が発明されており当時としては先進的だったと考えておりますが、現在も日本中世の流通史は研究中でもあり成果が期待されるところです。
愛知県東部在住様のご見解は実学の範囲を押し広げ世界との関連を提示、かつ現代社会の問題の根源を看破する点で誠に斬新なものと考えます。
末筆ながら新たな視座をご提供いただいたこと、重ねて感謝申し上げます。
匿名 様
過分なご評価をいただきありがとうございました。
愛知県東部在住 様
お説に大いに同意します。
日本は鎌倉期に既に宗教改革も経験していますし、近世日本の封建主義と中世ヨーロッパ領主国との類似性もあると思います。
社会文化構造が近代文明に適合するよう用意されていたという事でしょう。
一つの疑問は、中国は商業・交易で栄えた国(商という国名が商業の元でもあります)であるのに、どうして信義や約束などという観念が希薄なのかということです。
商業は紅毛碧眼の徒に任せ、漢人は「あがり」を掠めることしかしなかったのでしょうか?
門外漢 様
日本は鎌倉期に既に宗教改革も経験していますし、近世日本の封建主義と中世ヨーロッパ領主国との類似性もある >
そうですね。鎌倉仏教(主に浄土宗系)が、それまでの国家鎮護という立場を離れ民衆の中に「降りて」来たことにより、日本独特の宗教観を生み出したのではないかと考えています。しかしそれについてここで言及するには、私の学識が些か不足していると思われるので割愛することとします。
商について語るには私にとってもはや不可能だと思われますので、これも割愛させていただきます。ただ、先のコメントの中で書き忘れたことがあったので、それをここに述べさせえいただこうと思います。
それは日本における民主主義の淵源についてのコメントであります。
よく日本の民主主義は、戦後のアメリカ統治体制の下で移入されたもののごとき発言をする人々がいます。これははっきり言って間違いです。日本人は少なくとも江戸時代に、限定的な意味においてではありますが、民主的な選挙制度を生み出しております。
それは村方三役という地方役人を選出するときに、「入れ札」という選挙を行っていたという歴史的事実があるからです。
村方三役とは、庄屋(名主ともいう)組頭(5人頭あるいは年寄りともいう)百姓代という三種類の村役人のことですが、江戸時代初期には村内での有力で裕福な農民が選ばれて勤めていました。しかし時代が下るにつれて、かつて裕福であった農民が没落する事例もあり、そうした場合新たな村役人を選ぶ必要に迫られました。そうした際には村人全員の入れ札によって、村役人を決めていた例が数多く見られたといいます。
一村という限られた共同体限定のものとはいえ、これは日本に於ける原始民主制の萌芽と云えるものであったかもしれません。司馬遼太郎の『龍馬がゆく』の作中に、勝海舟に初めて会った龍馬がアメリカの大統領はどうやって選ぶのかを問う場面があります。選挙などと云う言葉がなかった当時、いろいろと説明する海舟に龍馬が「入れ札のごときものですか?」と尋ねるのです。海舟は龍馬の勘の良さに舌を巻いたというのは、あくまでも司馬遼太郎の想像であったかもしれません。しかし当時土佐でも入れ札がたびたび行われていたからでは推測するものです。
それは土佐(高知)は日本の自由民権運動発祥の地の一つでもあるからです。ルソーの『社会契約論』を翻訳したことで知られる、自由民権論者の中江兆民は土佐の人で、少年の頃たまたま龍馬に会ったとき「中江の兄さん、煙草を買うてきておおせ」と頼まれたというエピソードがあります。性狷介にして人を人とも思わぬところのあった兆民ですが、このときは飼い主に命ぜられた小犬ののように走り出して買いに行ったそうです。
以上は蛇足な話ではありますが、入れ札に代表されるような「民主制度」の下地が、日本全国のあちこちにあったがゆえに、自由民権運動が燎原の火の如く全国に拡大したのだと考えています。
自由民運動については不平士族等の影響を指摘する説も多いようですが、旧士族という当時全人口の一割にも満たない階層のみで、展開された運動ではなかったと私は思っています。否、むしろ江戸時代には百姓と呼ばれた名もなき庶民達がその運動の大多数であったと考える方が自然ですし、その淵源は江戸時代に求められるものと考えています。
こう見て参りますと、我々のご先祖様には我々が考えている以上に、先進的且つ開明的なところもあったのではなかったろうかと、しみじみ考えている今日この頃です。
愛知県東部在住 様
門外漢 様
お二人の質疑の途中に割り込んですみません。
もはや言葉を選んでおれません。
面白い!本当に面白い!!
高知の素地やエピソードはここ最近で一番の、なるほど!です。
最近では滋賀の天保義民を読んでいますが、愛知県東部在住様、大変恐縮ですがお差支えなければお勧めや、お考えのご参考にされた書籍などあればお教えいただけると幸いです。
匿名 様
最近では滋賀の天保義民を読んでいます >天保年間はご存じかもしれませんが、江戸時代の三大飢饉、即ち享保・天明に続く大飢饉のあった時代です。「滋賀の天保義民」は近江天保一揆の時のことだと思いますが、詳しくは存じません。
当時日本各地で似たような騒動がありました。私の住む愛知県でも加茂(現在の豊田市)一揆というのがありまして、その顛末としてけっこうな数の犠牲者が出たと聞いています。
お勧めや、お考えのご参考にされた書籍 >何をどのようにお薦めすればよいのかよく分かりませんが、例えば江戸時代の百姓の事をお知りになりたいのでしたら、渡辺尚志一橋大学教授の著書『百姓の力』(角川ソフィア新書)『百姓たちの江戸時代』(ちくまプリマー新書)等が値段も安く入手しやすいのでお薦めです。
また中世の頃のことにも興味がお有りなら、網野善彦の『日本の歴史をよみなおす』(ちくま学芸文庫)や『職人歌合』(平凡社ライブラリー)『中世の非人と遊女』(講談社学術文庫)等が読みやすく比較的安価でいいかもしれません。
ただ、いずれにしても、あくまでも個人的な好みに従ってのお薦めですので、仮に失望されるようなことがあったとしても、当方としましてはその責任は一切負いませんので、その点よろしくお願いします。(笑)
愛知県東部在住 様
お礼が遅くなりましたことお詫びするとともに、書籍お教えいただいたことお礼申し上げます。早速注文させていただきます。
近江の天保一揆は仰る通り農民の反抗ですが、例外的に一揆の契機となった検地の無限延期を得ました。
これの読了直後にお説を拝見し、実際は悲愴なものでしたが、現代的に政策の抗議デモとすれば権力の由来を民衆が自認していた所以かもと気付いたのは自分的にはコペルニクス的転回でした。
推察し、他と重ねる楽しさをお説で改めて考えた次第です。
もし愛知県東部在住様がお気が向くようでしたら、またお説を拝読する機会があること楽しみにしております。
また、こちらに記すのは失礼と知りながら恐縮ですが名古屋の住人様にもお説の一読者としてお礼をお伝えさせてください。
かつて中国の方と仕事をする折、事前研修で絶対にしてはならないこととして、軽い注意や指導であっても人のいる前ではしてはならない、と指導されたことを思い出します。
当時は軽く当然と受け止めていましたが、お説の歴史上の成り立ちを引く民族ならば、なるほど、と改めて腹に落ちました。逆に言えば、軽い気持ちでしてしまったならば、と思うと少々恐ろしい気持ちもあります。(残った思い出は全員の強烈な酒豪ぶりだけでした)
愛知県東部在住様の発想もそうですが、龍馬が行くのとある一文でも敷衍できるならば、世には繋げて考えて面白いことが多いこと、改めて噛みしめています。
この度はお二方に加え、龍様にも勉強の機会をいただきましたこと改めて感謝致します。
愛知県東部在住 様
門外漢 様
愛知県東部在住様の投稿は非常に読みごたえがある内容でした。どうもありがとうございます。
>一つの疑問は、中国は商業・交易で栄えた国(商という国名が商業の元でもあります)であるのに、どうして信義や約束などという観念が希薄なのかということです。
門外漢様の疑問について、私が分かる範囲で説明したいと思います(かなり個人の主観も入り混じりますがご容赦管ください)。
先ず、商という国名、これは即ち学生時代の世界史で殷~周~秦~漢~と呪文のように暗記した覚えがある「殷」の別称ですね。漢民族の「漢」、漢字の「漢」は秦の始皇帝が没した後に建国された「漢」(前漢・西漢)に由来します。
ウィキペディアの「殷」によると、「商人」という言葉は次に由来するようです(諸説あります)
商人という言葉は、商(殷)人が国の滅亡した後の生業として、各地を渡り歩き、物を売っていたことに由来するとされる。そこから転じて、店舗を持たずに各地を渡り歩いて物を売っていた人を「あれは商の人間だ」と呼んだことから「商人」という言葉が生まれたというものである。
その商人の由来となった国が「なぜ信義や約束などという観念が希薄なのか」については、数千年にわたる戦乱の歴史に翻弄された漢民族の生きる知恵が凝縮された結果であると私は考えます。
中国人との付き合いでは「関係(グヮンシ/guanxi)が重要」ということを耳にされた方も多いと思います。
日本では、少なくともとも千数百年にわたって万世一系の皇位継承が守られており、時の政権が鎌倉幕府⇒室町幕府⇒戦国時代⇒江戸幕府という変遷があったものの、日本という国が異民族に征服されたことはありませんでした(戦後の米国占領統治時代においても、幸いにして皇統は守られました)。
それに対し、中国は殷~周~秦~漢の時代から既に易姓革命を以て王朝が交代し、また常に北方異民族による侵略の恐怖と隣り合わせであり、4000年とも5000年ともいわれる数千年の歴史において、その約2/3は戦乱の歴史であったと言われています。
一般庶民にとって「戦乱の歴史」とは、住居も家族も食料も常に不安定な状況を強いられている極めて厳しい状況を指しています。もし北方騎馬民族による侵略を受けた場合、一瞬にして一寸先は闇となり、家や田畑、家族を奪われ、食うや食わずの極限状態に追い込まれることになりかねません。
そのような戦乱の歴史に翻弄される中で漢民族が生きる知恵として培ってきたのが「関係(グヮンシ/guanxi)」という概念です。
漢民族は決して「信義や約束などという観念が希薄」な民族ではありません。但し、「信義や約束などという観念」を死守るべき相手がごく一部の対象者に限られているだけです。
三国志演義の序盤で有名な「桃園の誓い」。それは劉備・関羽・張飛の3人が義兄弟の契りを交わし、「同年、同月、同日に生まれることを得ずとも、同年、同月、同日に死せん事を願わん」と誓ったエピソードです。
これこそが「関係(グヮンシ/guanxi)」の最たるものであり、劉備・関羽・張飛の義兄弟の間には、例え己の命が存亡の危機に瀕しても「信義や約束」を絶対に死守し、それによって命が散ることさえ厭うことはありません。
そのかわり、義兄弟3人の関係とはまったく対極にある「赤の他人」に対しては、極論を言えば「信義や約束」を一切守ることはありません。
何故なら、目の前に言葉も通じない北方騎馬民族が大挙して押し寄せている状況下において、不特定多数の赤の他人を守っていられますか?私も聖人君子ではありません。命の存亡危機において、今できること、今すべきことは「家族、そして信頼する仲間を守ること」のみです。これが漢民族が培ってきた「関係(グヮンシ/guanxi)」という行動様式の一つの形です。
よって、中国人とのビジネスにおいては、中国側との信頼関係を構築し、如何に相手に裏切り行為をさせないにかが極めて重要なことになります。
若干話がずれますが、名古屋は排他的な地域性があるとを言われています。いわゆる一見さんや余所者にはよそよそしく冷たいのですが、一旦名古屋という文化圏に入ってしまった人にはとても暖かく、住みやすい地域でもあります。
話が脱線しましたが日本という国、日本人が愛知県東部在住様の投稿のような歴史をたどって村社会を形成してきたのに対し、「商」という国の民族はあまりに厳しい環境下で個と個の単位で命をつないできたため、結果として不特定多数の相手には「信義や約束を一切守らない」という行動様式が確立したようです。
最後に、漢民族の「関係(グヮンシ/guanxi)」と中国共産党の覇権主義とはまた全く別ものだと思います。中国共産党は戦時中に地下組織として発足しているためか、とにかく秘密主義であること、目的のためには手段を選ばないこと、国民という「赤の他人」は一切信用せず、極めて厳格な監視社会を築き上げていることなど、理解の範疇を超えることばかりです。
一つだけ確かなことは、大陸や半島ではなく、この日本に生まれてよかったということです。
以上に説明されている「関係」による集団を総称する語として「帮」があります。「帮」を構成する「関係」は、血縁、地縁、宗教などがあり、血縁の場合は特に「宗族」という言い方をしますが、基本的には何らかの特別な関係にある人々の集団です。より正確には、「帮」は宗族を模して、血縁以外にも拡大したものと説明した方がいいかもしれません。
中国史に名高い黄巾賊や白蓮教徒、太平天国などはいずれも宗教をベースにした「帮」ですし、三合会などのいわゆる黒社会もまた「帮」です。大戦中には、青帮とか紅帮とか、秘密結社なんだか犯罪組織なんだかわからない連中もいました。そして、中国共産党も間違いなく「帮」として発足しました。彼らが賊と呼ばれないのは、単に天下を取ったからに過ぎません。
さて、中国社会の基本単位は宗族です。宗族内では族長は絶対であり、逆らうことは許されません。宗族の利益は族員全員の利益であり、個人の利益は宗族に還元されます。宗族の敵は全員の敵であり、しばしば個人の敵は宗族の敵と見做されます。当然、宗族内での嘘偽りは禁忌ですし、諍いが起きれば、族長の裁定に従うのです。
宗族の拡張概念である「帮」にも、上記は全て当てはまります。「帮」の成り立ちにも依りますが、「帮」への裏切りは死をもって制裁を受けることも珍しい話ではありません。
宗族の発生がどこまで遡れるかよくわかりませんが、遅くとも3世紀初頭の後漢末にはすでに「帮」が発生していたことを考えると、紀元前まで遡るとも考えられます。また、そもそも儒学が宗族の存在を前提としていると考えれば、紀元前6世紀以前と考えることも可能かもしれません。
実際、春秋戦国以降、中国では大規模な殺戮が繰り返されているため、血族の結束が重要視されるようになり、宗族の誕生に至ったというのはそれなりの説得力がありそうです。
さて、長い戦乱の歴史を経て形成された宗族は、今なお中国社会で大きな意味を持っています。宗族同士の武力衝突(械闘)もしばしば起きているようです。その意味では、中国社会を理解するためには、宗族そして「帮」を念頭に置いておくことは必須だと思います。
ところで、単に「関係」というと、日本語で言うところの「コネ」の意味も含みますので、注意した方が良いと思います。
名古屋の住人 様
素晴らしいコメントをつけて下さり、誠にありがとうございました。
中国古代の商という国が殷の別名であったことぐらいしか知りませんでしたので、正直に「割愛しておきます」としておいたのはまさに正解であったなぁ、と胸を撫で下ろしております。ネット社会ではどれほどの練達あるいは学識のある方が潜んでいるやら判りませんので、迂闊な知ったかぶりは命取りになりかねませんね。(笑)
そんな事はともかく、商という言葉の成り立ちを知ることができたのは、私にとっても大変有り難いことでした。心より感謝申し上げます。
愛知県在住同士、何卒どうかこれからも宜敷くお願い申し上げます。
> どうして信義や約束などという観念が希薄なのかということです。
端的に言えば、「宗族あって国無し」「帮あって国無し」という歴史的経緯に依ります(宗族や帮の説明は別掲)。どれだけ国が亡ぼうと、宗族や帮は不滅でした。中国に信義や約束という概念が希薄なのではありません。射程が宗族内、帮内に限られているだけです。
さらに、文化大革命で旧来の価値観が徹底的に破壊されました。宗族ですら潰されそうになったほどです(その後復活しましたが)。現代中国人が信義もない拝金主義者であるかのように見えるのはそのためです。
素晴らしい投稿ありがとうございます。
日本がそういう素晴らしい価値観を身につけられたのは、邪魔が入らずじっくりあるべき道を追求できたからだと思います。かたや韓国は、ちょっとうまくいくと中国から収奪されるので真面目に取り組むのはバカらしいとなってしまったのでしょう。賽の河原の石積みのような状態。確かにそんなふうになっちゃいますよね。
韓国との比較で日本が身につけたものは宝だと思うので守っていかなきゃいけません。韓国と同じレベルに落ちるのだけは絶対避けなければいけませんね。
G 様
返信ありがとうございます。
邪魔が入らずじっくりあるべき道を追求できたからだと思います >そのお言葉を読み、とある人物のことを思い出しました。
それは内藤湖南という京都帝国大学東洋史学者の言葉です。それは「日本人は応仁の乱以後の歴史だけを知っていればよい。それ以前の歴史は外国の歴史のようなもので、真に日本の身体骨肉に触れた歴史になったのは応仁の乱以降である」と。
詳細はWikiでも読めますのでご参照下さい。
これはいろいろと論議を招いた発言でしたが、要するに日本が諸外国の影響を受けることなく、独自の文化と伝統そして文明を築くことができたのは、応仁の乱以降であったという趣旨の発言だったのだと、個人的には理解しています。
応仁の乱以後は、僅かに外国との接触や交流があった時代はありましたが、基本的には独自の姿勢を保ったまま江戸時代を迎え、幕府の鎖国政策は約260年間続きました。これが地政学的に見て近いはずの、日本と朝鮮半島との一番大きな差違でしょう。
S・ハンティントンは著書『文明の衝突』の中で世界を8大文明に分類し、その上で日本文明を独自のものとしています。その代わりと云ってはなんですが、お隣の韓国と北朝鮮は中国文明に包括されています。(笑)
他の方達も仰っていますが、日本人として生まれたことに感謝したいと思います。
愛知県東部在住 様
名古屋の住人 様
龍 様
G 様
匿名 様
各位のご意見大いに身に沁みました。
こういう話をすると気持ちよく、よくぞ日本に生まれけり、という気になるのです。
が、自分の国を良い国と思ってるのは日本人だけでは無いでしょうし、事実日本より素晴らしい国も(知らないだけで)あると思いますので、彼の国のように夜郎自大に成らぬよう、なお一層身を慎みたいと思います。
イギリスがTPPやクワッドに加わることに反対ではないのですが、価値観を共有するとやらの甘い認識のみで、賛成することには警鐘を鳴らしておきたいと思います。(エラソーですね。恥)
イギリスはかつての覇権国家の時代に、アジア、アフリカの諸国を蹂躙した歴史を持っています。その時代には悪の限りを尽くし(笑)、時代を経た現在でもフランス同様なんらかの工作を行っている国家でもあります。
その正義には計算があり、必要ならなにげに裏切りを行う国でもあります。
ただ、国家としての歴史の浅いC国(このC国は4000年の歴史のある中国ではなく、建国100年に満たない中国共産党のことです。)や、K国(朝鮮戦争で独立して、何年かしら?)と異なり、それなりにやったことを上手く隠したり、状況判断を誤ることがないだけです。
国家として成熟している。それだけを評価すべきじゃないかしら?戦い方のハンドルが見えている相手ということですよね。
C国、K国のようになんでもありが常態である国家との国交はリスクが高い。
K国のようにリスクだけが高く、リターンがnothingなんて、国交の意味が判りません(笑)。
日本もかつてアジアの国を蹂躙してたので何の問題もないですよ。
匿名様 うふふ。そうでした。
国際社会においては、蹂躙する側も、蹂躙される側も、おのおの罪があると思っております。私の言いたいところは、イギリスは油断していい相手ではないということですの。
最近の事例では、フランスですが、危うく日本の自動車産業が乗っ取られるところでした。
幕末の志士には充分な警戒心があったのですが、現在の日本人は相手の悪意に対する警戒心が薄いですよね。私、ゴーン氏のことより、裏で糸引く水戸納豆(マクロン政権)にゾっとしたのですわ。
日本もかつてアジアの国々を蹂躙していたのですね。知りませんでした。自らの無知を反省します。
正しく反省するために、日本がどのような国々を蹂躙したのか、当時の地図で調べてみました。歴史を忘れた民族に未来はありません(역사를 잊은 민족에게 미래는 없니다)から、正しい情報を調べようとすることは大事ですよね。
http://tsuka-atelier.sakura.ne.jp/map/06/FarEast_1941.JPG
当時のアジアの国々、えっと、
フランス領インドシナという国があったんですね。
ほかにもオランダ領東インドとか、イギリス領マレーとか、イギリス領ビルマとか、アメリカ領フィリピンとか、変な名前の国が多いですね。
なんでアジアの国々なのにフランスとか、オランダとか、イギリスとか、アメリカなんて名前がついているのでしょうか?
わかりました。当時のアジアの国々の人々は、欧米諸国が好きで、国名にもつけちゃったんですね。そのくらいアジアはおおらかで平和だったのですね。しかしなんということでしょう、日本は、そんな別の国の名前をみずからの国の名前につけてしまうような平和的な国々を蹂躙してしまったのですね。
正しい歴史的知識に基づいて反省いたします。
フランス領インドシナと、オランダ領東インドと、イギリス領マレーと、イギリス領ビルマと、アメリカ領フィリピンと、オーストラリア委任統治領ニューギニアに対して反省しなければいけません。
独断と偏見かもしれないと、お断りしてコメントさせていただきます。
(そう自分に言い聞かせないと、素人が舞い上がってしまうので)
英国がTPP参加申請をしたということは、後の問題は(TPPを変貌させて)中国が参加するか、(国内の製造業労働者の反対を収めて)アメリカが参加するかではないでしょうか。中国の場合は対中包囲網を逆に利用しようとするのでまだ分かりやすいですが、アメリカの場合は中産階級を復活させるため、(AIによる)失業の恐怖を取り除くためにTPP参加が必要と、国民に思わせる必要があります。(バイデン新大統領が、他の参加国にも利益を与える必要があると、(トランプ大統領時代を経験した)国民に説明する必要もあるでしょう)
駄文にて失礼しました。
>英国がTPP参加申請をしたということは、後の問題は(TPPを変貌させて)中国が参加するか、ーーーーー
英国は昔から独善的且つ大胆不敵に他国の分裂をも画策する国で、それを実践してきた国だと言う事を前提にさせて頂きます。中国の国家体制で参加するとしたら中国は現体制の共産主義を捨てるしかありませんから参加は不可能です。それよりも共産主義を基底とした一党独裁且つ個人独裁が国家崩壊を引き起こすと英国に限らず日本だって考えています。民主主義国であれば誰が見ても中国がこのまま国家として成り立つとは考えて無いでしょう。中国共産党の分裂崩壊から小国家乱立迄見通す事は旧ソ連と言う実例が有りますから予測は可能です。中国は巨大化し妖怪化したから、今慌てて包囲網を敷いているのが実態ではないでしょうか。