ビジネスメールで大事なのは「漢字かな遣い」ではない
「よろしくお願いいたします」と「よろしくお願い致します」。マナー講師の答えは「どちらも間違いではない」、だそうです。当たり前でしょう。ビジネスメールで重要なことは、些細な漢字かなづかいではなく、当方の意図が確実に相手に伝わるかどうか、だからです。
目次
ますます利用が浸透するインターネット
社会がインターネット化していくと、必然的に、仕事でもプライベートでも、インターネットを使う機会が増えてきます。情報収集をするならばブラウザを立ち上げますし、ウェブ上のサービスを利用する際には、専用のアプリケーションを使用することもあります。
また、オフィス・ワーカーなどの場合は、上司、同僚、部下、顧客などと連絡を取り合う手段の多くはメールでしょうし、LINEやiMessageなどを使う人も多いのではないかと思います。最近だと、遠隔地の人たちとの会議でZoomやWebEx、TeamsやFaceTimeといったシステムもよく使われるようです。
そうなると、現代社会において、とりわけ社会人のなかに「メールを使ったことがない」という人は、もはや少数派ではないでしょうか。すなわち、電話やFAXなどを使用していた時代とは、またビジネスルールなども変化してくるものかもしれません。
著者自身は大学生時代から「UNIX」や「電子メール」などを使用していたクチで、ちょうど社会人になった前世紀末頃は、最初に就職した会社で「1人1台のPCが貸与され始めた」、というタイミングと重なっていました。
ただ、クライアントによってはまだ電子メールシステムを導入していないケースも多く、このため、クライアントと書面のやり取りをする際は、電子メールだけでなくFAXや自転車便などを使用することもあるなど、PCやインターネットが存在しなかった時代の仕事の進め方を、ギリギリで知っていたりもします。
メールでは感情をできるだけ込めないことが重要
それはさておき、社会に出てから数十年が経過して思うのは、メールを書く時の注意点です。
いまでこそ常識ですが、メールというものは相手の表情が見えないなかで用件を伝える必要があるわけですから、やはりいくつか気を付けなければならないことがあります。
そのひとつは、感情的にならないことです。
昔の職場には上司ないし先輩が部下ないし後輩に対し、長文でダラダラと、相手の悪い点をあげつらうかのようなメールを送り付けることがありました(※ちなみに著者自身もそのような人物を複数名存じ上げています)。
「叱るときは短く簡潔に、褒めるときは長く大げさに」、というのは、人間関係を円滑に動かす秘訣だと思うのですが(著者私見)、いわば、これと真逆のことをやってしまっていた、というわけです。
現代社会だと少し考え辛いかもしれませんが、かつて目撃した事例だと、上司から部下に対し、あまりにも長文でのお叱りメールが飛んでくるものですから、部下が精神を病んで最後は鬱状態となり、退職に追い込まれたというケースもありました。
上司が部下を長々と叱ったメールが残っているわけですから、現在の常識に照らせば、出るところに出れば労災認定も下りるかもしれませんし、上司には部下に対しての損害賠償義務を負う可能性も、あるいは下手をしたら、傷害罪が成立する可能性すらもあると思います。
著者自身、メールを使うときには、それが「相手の顔が見えない連絡手段」であることを十分に理解しなければならないと考えている、という次第です。
ビジネスメールは要件を簡潔に
ただ、著者自身が考えるメールの留意点がもうひとつあるとしたら、それは、「可能な限り簡素にすること」、だと思います。というのも、メールの大切な役割は、「自分の考えを確実・正確に相手に伝えること」にあると思うからです。
とくに法令・基準の解釈などに関するメールを送るときには、①根拠となる条項を(可能ならばURL付きで)示すとともに、②どうしてそのような解釈が成り立つのかという説明を、できるだけ簡素に示すことが大事だと考えているのです。
その際に気を付けなければならないのは、「どっちともとれる文章」、「真逆の意味に伝わる文章」になっていないか、という点でしょう。メールを書くのに慣れていると思っていたとしても、ついつい、言葉足らずで意図が正確に伝わらない文言を作ってしまうことがあるからです。
必然的に、業務上のメールは2~3回推敲することが多いですし、また、少し長くなる場合は、箇条書きで小見出しを付けて、こんな具合に執筆することもあります。
メールの文例
会計上、金銭の信託は有価証券として取り扱われないのに、投資信託は有価証券として取り扱われる理由について、説明申し上げます。
(1)金融商品取引法上の有価証券の定義
金融商品取引法第2条では、有価証券については第1項と第2項に定義が設けられています。
俗に第1項の有価証券を「1項有価証券」、第2項の有価証券を「2項有価証券」と呼ぶこともあります。
※『金融商品取引法』リンク
→ https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=323AC0000000025_20240201_505AC0000000079
(2)会計上の有価証券
一方で金融商品会計に関する実務指針第58項によれば、会計上の有価証券の範囲には
①1項有価証券のすべて
②2項有価証券の一部
③金商法上の有価証券ではないが、会計上は有価証券として取り扱うことが適切なもの
が含まれます。
そして、2項有価証券のうち信託受益権はについては、会計上は有価証券として取り扱われません。
※『金融商品会計に関する実務指針』リンク
→ https://jicpa.or.jp/specialized_field/publication/files/2-11-14-2-20160325.pdf
(3)投資信託と金銭の信託の違い
したがって、「金銭の信託」は金商法上の有価証券ですが、会計上は有価証券ではないものとして取り扱われます。
ただし、「金銭の信託」であったとしても、「投資信託の受益証券」に関しては金商法第2条第1項第10号において有価証券とされているため、「1項有価証券」に該当し、会計上も有価証券として取り扱われます。
以上、ご査収のうえご高覧賜りますよう、何卒よろしくお願い申し上げます。
ちなみに金融商品取引法や実務指針などを読んでいただけるとわかりますが、現実の条項の分量は膨大であり、これらをメールでいちいち引用するのは現実的ではありません。メールでは「根拠条文はここにあります」とだけ示し、結論だけを簡潔に示すようにしたいものだ、というのが個人的な感想です。
「いたします」と「致します」はどっちが正解?
さて、こうしたなかで、最近、理解に苦しむ存在のひとつが、「漢字かな遣い」に関する「ビジネスマナー」です。これに関連し、『女性自身』が16日、ビジネスメールを巡ってこんな記事を配信しています。
ビジネスメールで「よろしくお願い“致します”」はNGなのか ビジネスメールのプロが示した意外な見解
―――2024/03/16 06:04付 Yahoo!ニュースより【女性自身配信】
この記事の主眼は、Xでとあるユーザーが投稿した、次の2つの文章を巡るビジネス上の印象の違いにあります。
- よろしくお願いいたします
- よろしくお願い致します
記事によるとこのユーザーは、「お願いいたします」とひらがなで書く人の方が、「お願い致します」と漢字で書く人よりも「仕事ができると感じる」と述べた、というのです。
これについて記事が「一般社団法人日本ビジネスメール協会」の講師の方に解説してもらい、結論的には「補助動詞はひらがな表記にするという使い分けが存在しているが、漢字で書いても間違いではない」、などというものなのですが、これについては本稿で引用することは控えます。
端的にいえば、「どうでもよい」系の話題だと思います。
著者の私見ですが、ビジネスメールの良し悪しは「確実に意図が伝わるかどうか」であり、そのためにはできるだけ簡素かつ論理的に記載することが重要です。多くの社会人はマスコミ関係者ではありませんので、漢字かな遣いについては、どちらでも構わない、というのが個人的な見解です。
正直、「一般社団法人日本ビジネスメール協会」の方も、そんなことを尋ねられても困惑するのではないか、という気がしてなりませんが、いかがでしょうか。
(※なお、ウェブ主自身は「よろしくお願い致します」ではなく、「よろしくお願い申し上げます」、という表現を好みますが、これもあくまでも「何となく」、ですが…。)
とあるテレビ局からのメールの思い出
なお、敬語表現の誤りが含まれていないか、あるいは相手に無茶な要求をしていないか、などについては、慎重に検討すべき論点のひとつかもしれません。
ウェブ評論サイトを運営していると、ときどき、新聞社やテレビ局の方とメールでやり取りをすることもあります。これらの新聞社、テレビ局の方々は、たいていの場合はそれなりに礼儀正しいのですが、やはりときどきはぶっ飛んだメールが来ることもあるようです。
なかでも強烈なのが、某テレビ局の方と取り交わした、とあるビジネスメールです。
テレビ局の実名、およびその相手から届いたメールを公開することは控えますが、メールの趣旨は「今晩収録予定の番組に出演してほしい」、「条件は以下に書いたとおりなので拝見してほしい」、というものだったからです。
初対面の相手に「今晩収録の番組に出ることを大至急検討してほしい」という依頼もいきなりで大変に無礼ですが(しかもこのメールが届いたのはその日の午前中です)、「以下を拝見してください」、という表現には、数分間、乾いた笑いが止まりませんでした。
このメールに対する返信は、こんな具合です。
テレビ●● ●●様
本日午前中に今晩収録の番組への出演依頼メールを賜りましたこと、大変光栄に存じます。
ただ、本日は先約が入っており、都合がつきません。
御社番組への出演につきましては、またいつか機会がありましたら検討したいと思います。
なお、『新宿会計士の政治経済評論』に掲載の記事、図表等のコンテンツにつきましては、出所さえ示していただければ自由に引用・転載していただくことが可能ですので付言致します。
御社のますますのご発展をお祈り致します。
意訳すれば、「そんな急に言われても対応できるわけねーだろ」、です。もっとも、その日は少々業務が立て込んでおり、このメールを相手に送ることができたのは夕方のことだったのですが、当然のごとく、相手からは返事はありませんでした。
いずれにせよ、こうしたメールのやり取りをするだけでも、「あぁ、世の中にはいろんな業界があるもんなんだなぁ…」、などと感慨深いと思う次第です。
本文は以上です。
日韓関係が特殊なのではなく、韓国が特殊なのだ―――。
— 新宿会計士 (@shinjukuacc) September 22, 2024
そんな日韓関係論を巡って、素晴らしい書籍が出てきた。鈴置高史氏著『韓国消滅』(https://t.co/PKOiMb9a7T)。
日韓関係問題に関心がある人だけでなく、日本人全てに読んでほしい良著。
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自称元徴用工問題、自称元慰安婦問題、火器管制レーダー照射、天皇陛下侮辱、旭日旗侮辱…。韓国によるわが国に対する不法行為は留まるところを知りませんが、こうしたなか、「韓国の不法行為に基づく責任を、法的・経済的・政治的に追及する手段」を真面目に考察してみました。類書のない議論をお楽しみください。 |
【おしらせ】人生で9冊目の出版をしました
日本経済の姿について、客観的な数字で読んでみました。結論からいえば、日本は財政危機の状況にはありません。むしろ日本が必要としているのは大幅な減税と財政出動、そして国債の大幅な増発です。日本経済復活を考えるうえでの議論のたたき台として、ぜひとも本書をご活用賜りますと幸いです。 |
この記事を読んで、一番驚いたことは、ビジネスメール協会、という団体があること。
こんな団体のニーズがあるんだ!ということと、この協会を設立した人の商機を捉える感性に感嘆。
確かに、拝見して、なんて言葉が飛び交うような現実に遭遇すれば、こんな思い付きも出てくるかもしれない。
>拝見してほしい
なんだかねえ。これ書いた人に、この表現のどこがどう、メールを送った相手に失礼なのか、丁寧に説明したところで、理解できないんじゃないかな。せいぜい、この表現は今後使わないようにしようと、本人にとっては実利的レベルでの糧になるくらいが関の山って気がします。言説の発信を以てメシのタネにしている放送局にして、この体たらく。どんな新人教育をやってるんだか。
放送局がやらかす、失礼というか、思い上がりということで、思い出す記憶があります。某公共放送局が、ある高名な識者(どなただったか、もう忘れてしまいましたが)を招いて、とある話題について(それがどんなものだったかも、思い出せませんが)、聞き手のアナウンサーがお話を伺うといった、おカタイ内容の番組でした。
アナウンサーの質問に対するこの識者の回答が一段落したとき、敢えて言えば「若造」のアナウンサーが発した一言、「放送に不適切な表現が含まれていたことをお詫び致します」。これには驚きましたね。
話の内容は格別違和感を抱くこともない穏当なもの。直後だったから一言一句思い出せたが、そんな放送禁止用語が使われたとも思えない。何やらモヤモヤした思いが残ったのですが、しばらくして思い当たりました。それは「片手オチ」という表現。
これが引っかかったとは確言できませんが、その後も別の番組で、出演者が「片手オチ」の語を使うと、番組の後「ただいまの放送内容に一部不適切な…」のテロップを目にする機会があったので、多分当たっていると思っています。
身体の障害をあげつらう「差別語」に、殊更センシティブだった時期ではあったのですが、それにしても普通。「片手オチ」と聞いて、片腕を失った障害者をイメージするか?というはなしでもあるのですが、それにも増して、聞き手話し手のやり取りを、視聴者の興味をうまく盛り上げるように進行していくのが役割のアナウンサーが、なぜこんな興醒めするようなコメントを平然と差し挟んだのか、その方が気になります。
この放送局は「放送文化研究所」という機関を設立しており、そこでおこなわれる時とともに移りかわっていく日本語の分析報告は、しばしばわれわれにも興味深い話題を提供しています。現実に即し、より分かりやすく的確な表現でニュース、その他の放送内容を視聴者に伝える。それはもちろん大切なことです。しかし、放送業界の外にいる人間にまで、「これが正しい日本語だぞ」と、無意識のうちにでも、あたかも言葉の権威の如く押しつけてくるとしたら、「一体誰がそんな権能を与えてやった」と、叱責したくもなります。
一放送人の「拝見してほしい」という無礼千万なメールと、どこかで繋がっているような気がするのは、穿ちすぎた見方でしょうか?
このコメントに対する個人的な感想です。反論ということではありません。
拝見して欲しい、については、拝見の意味を知らないで使っているのだろうと推測します。そもそも、この人物、言葉の意味や、言葉を使う状況ということに関して基本的な理解が無いように見受けられるのですが、この基礎的な国語力・言語力に問題がありそうな人物が、マスコミュニケーションという、言葉・言語が商売の第一の道具である業界に紛れ込んでいること、そして、多分、この人物は日常茶飯にこんな言葉を使ってあろうことが想像されるにも拘らず、周りや会社がそれを容認にしているであろうことに、この業界の荒廃を感じます。ここにも、マスゴミと言われる所以が潜んでいるようです。
差別表現、偏見表現は、無くして行くべきです。個人的には、このような放送禁止用語なるものが出始めた時には違和感を感じましたが、やはり、そのような表現で密かに傷つく人もいるのだろうと気が付いた時に、個人間の会話でもそのような表現は使わないようにしました。
本来、「片落ち」の方が、より意味に近い表現なのに、わざわざ、身体的なものを絡ませた表現を使ったのは、社会に密かに潜む差別意識のせいかもしれない、と感じています。
ご参考までに。
【改めてもう一度】 言葉づかいを考えてみませんか~人権尊重のために~
https://www.city.kashihara.nara.jp/soshiki/1057/gyomu/3/4/1066.html
>この基礎的な国語力・言語力に問題がありそうな人物が、マスコミュニケーションという、言葉・言語が商売の第一の道具である業界に紛れ込んでいること……
多くのテレビ番組は下請け・孫受けの制作会社によって作られています(某公共放送もそうかは、わかりませんが…)。彼らがどのような背景(学歴・経歴・出身地等)を持った人々なのか?マスコミ人と言っても千差万別で、一概に常識・知識ありと見て良いのかチト疑問に思います。
昔の話だけど、近くの席の違う課の課長がずっこけているので「どうしたの?」と聞くと「いいもの見せてあげるよ」といって差し出されたのがどこかの会社から来たビジネスレター。
書き出しが「あのですね」
たぶん入社したばかりの若い人だったんだろうね。あれは35年前。
某世界的IT大企業、対外的に出すあらゆるレターは、正式な文書から担当者の簡単なメモまで、法務部門の承認を得なければ、社外に出してはならないという。
コメント内のレター、写しをその企業の上司や総務部や社長室などに送ってあげれば、その担当のサラリーマン人生の半分は終わるかもしれない。
ある会社の営業担当者で、来社する度に横柄なタメ口をきく者がいて当社の社員の間で頗る評判が悪い、暫く様子を見たが変わる様子がないので、その会社の上司に電話で報告したら、上司は平謝り、1ヶ月後に当人から、辺鄙な地方へ転勤になりましたと挨拶の電話があった。
また、顧客企業の責任者、引き合いをしたはいいが、その後の要求がエスカレート、メールの文面もエスカレート、暫く様子を見ても変わらないので、仕方なく、その上司に連絡。上司と経営陣は平謝り。
これは、やっぱり、好かれるビジネスメール以前に、法的・コンプラ的に問題のないメールの書き方をしっかり教えなければならない現実があるようだ。
マナー講師というか、マナー違反クリエイターネタで特に有名なのが、”徳利の注ぎ口から注ぐのは毒が塗られているのを配慮していないのでマナー違反”というヤツです。実際ここ数年でお酌を受ける際、結構な割合で注ぎ口を避けてわざわざ注ぎにくい逆側から注がれる事がありました。
ではこの場合、その方は仕事が出来るのか出来ないのか。
常日頃からアンテナを立てていて、そういう情報があったので実践しているといえば仕事が出来るようでもありますし、そんなわけのわからないハナシを鵜呑みにして、実践してしまうというのは仕事が出来ないようでもあります。全く知らずに普通に注ぎ口を使っているのであれば仕事が出来ない方かもしれませんし、知った上で自分でよく考え調べ、そんなわけあるかとはねのけて注ぎ口を使っているのであれば仕事が出来る方かもしれません。でも同じ情報に触れたために、注ぎ口を使うことに対して怒る相手も出てくるでしょうから、それを回避するためにこれは変な話だと判断しつつも従って注ぎ口を使わないというのは仕事が出来る考え方かもしれない。何回注ぎ口って書いたんだ自分。
どう考えてもあやふやなマナーの解釈で能力など計れるわけ無いだろう、で終わりですね。そもそもが最初のポストからして「~と感じる」という個人の感想であって、発信者は何も押し付けていないでしょうし。強いて意味を見出すならば、致しますにせよ徳利にせよ、どこかで出来た形式だけが情報に乗って一人歩きしだすという点は面白いです。
あ、「拝見して下さい」の方が仕事が出来るようには思えません(個人の感想です)。
少なくとも、瑣末なマナーなるものを気に掛けない、知らない人間が、仕事が出来る人間であることは確かなこと。
こう考えると、マナーとはなんでしょうね?
そもそも、いたします、が、漢字かかな、かを気にする人間が仕事が出来るとも思えない。
そう見れば、マナーとは、相手を不快にさずスムーズにお互いが仕事が出来る為の前提的なことで、瑣末なことではないことが分かってきますね。
徳利の注ぎ口の話、面白いですね。ありがとうございます。
自分なら、「注ぎ口に毒を塗るくらいなら酒に毒を入れるだろう」と思いますので、注ぎ口と反対でお酌をするのはバカらしいと思ってしまいます。
でも、(こいつはマナーを知らない)と思われるのもしゃくなので、そういう人には『お酌をしない』が私の中の正解です。(ズルイ)
> 「拝見して下さい」の方が仕事が出来るようには思えません
私もそう思いますw
大学で卒論の指導を受けて、今時の人はPC使って何でも漢字変換させる癖があるけど、それ気をつけた方が良い、「公文書の書き方」があるらしくそれを参考にした方が良いと指導受けましたね。
原著は約70年前。その頃も、難しい漢字・言い回し知ってるんだぜって意識高いのが色々やっちまってたのでしょうか?
「1人1台のPCが貸与され始めた」の一文に感慨深いのもがあります。
勤めていた会社では、個人PC貸与されたの平成5~6年くらいだったかな~
経理電算課って古臭い名の部署のみオフコンの時期から、拠点端末、部署端末から
グループ端末、個人端末になるまでの期間って割とあっという間だったような、
社内での連絡票、指示書等々の手書き4枚カーボン複写なんてものからすると、
生産性の向上なんて言葉が陳腐なほど、いろんなものが激変した記憶があります。
ドットプリンターでの専用複写ワープロなんてのも一時期あったな、懐かしいです。
ソフトは「Lotus 1-2-3」「一太郎」、ブラウザは「Netscape」でした(笑)
時々います。
季節の挨拶から入って、近況を書いてから用件が続くメールが。
とても丁寧で良いと思いますが、年に1回くらいのやり取りで有れば許容です。
さすがに毎回だと、何て返信すればいいのか迷ってしまいます。
最近だと「○○様」を「○○さま」と様をひらがなで書くことも流行っているように思います。まぁ、最低限の言葉遣いさえちゃんとしていれば、特に何も思いませんが。
ビジネスメールは、用件をシンプルに伝えるのがベストだと思います。
1度に伝えきれない場合は、言葉のキャッチボールをするくらいの気持ちでも全然ありです。
その点、最近の若者は、この手の能力に長けているな、と思う今日この頃です。
「以下を拝見してください」という表現を使う者には、昔なら『馬鹿者!』と怒鳴ればよかったのですが、きょうび、そのような表現は差し控えねばならないので『頭の不自由な人!』と怒鳴らねばならないようで、うーん、言いにくいな(冗談すよ。本気にしないでください)
今の世の中になるとどうでも良いのですがWindows2.1から使っている身としてはひらがなにするか漢字にするか気になりますね。
「下さい」と「ください」は、16bit×3と16bit×4でデータ量が1.3倍になります。
なのでデータ量を気にしていた時代は、できるだけ漢字を使って総文字数を減らしたりしてましたね。常用漢字を気にしないで変換できるものを利用していました。
(漢字にも第一水準や第二水準とあり、通常は第一水準まで利用できて、一太郎についてきたATOKは第二水準まで対応していたような・・・。)
スマホの場合データ量を気にしているけど、LINEがデータ量食うのを皆知らないような感じですね。インスタも食いますね。写真がきれいすぎるとデータ量食いますね。
受け取った時もデータ食ってます。
自分はすごく気にしてるけど、当たり前で動いている子供の世代はどこ吹く風ですね。
ちなみにLINEよりメッセージの方が費用が安いと思います
本題で言うと気になるのは「了解です」を「承知しました」にする話ですね。
意味はほぼ同じなのに「承知しました」を同僚でも使った方が良いとの話です。
ある意味やりすぎで自分は嫌いですね。
マスメディアの人たちが、日本語に不自由してるのは、韓国系の人材や韓国系の文化が蔓延しとるからではないのかな?
という気がしています。
なんせ漢字を捨てて表音文字ONLYにしてしまった人たちですから、無知無学かつそんなこと気にしてたら日常会話ができなくなるから気にしない方向に、社会全体が進化?したのかと。
よく考えて、定義して言葉を使う。
あまり考えずに、話ながら相手の反応を見ながら修正してゆく。
この流儀の差は、かなりデカイです。
個人的には高島俊男さんをはじめ、日本語に詳しい識者がいろいろウンチクを書いてくれていた時代が、ありがたくも懐かしいですね。
『お言葉ですが』の連載が終わったあたりから僕は文春は読まなくなりました。
高島さんは凄まじい博識なのに、日常の漢字使用については
「伝わればよろしいやん」
と誤字誤用には寛容だったのが印象的。
でも、文科相の漢字廃止には手厳しかったので、表音文字ONLYなんてのには論外!だったような。
ビジネスマナーではないのですが、かつて新人が東京23区あての文書の起案で、宛先が「●●区役所長」となっていたケースがありました。
区長だから、というのと仙台は市長あてでいいからねと政令指定都市などの区と特別区の違いをレクチャーしました。
そのまま送ってたらどういう反応だったろうかと少し思いました。
試しにそのまま送ってみれば良かったかもしれませんね。案外役所は文句を言ってこないものだと思います。いろんな人を相手にしてますからね。かくいう当社も結構、役所宛の資料は間違えたりします。あまり気にしていませんがw