「日本では文化的に見て人助けに消極的」…それ本当?

日本人は困っている人を助けない――。そんな調査が出てきたようです。「チャリティーズ・エイド・ファンデーション(CAF)」という団体が11月9日に公表したランキングで、日本が142ヵ国中139位と、G7先進国のなかではもちろん、調査されたアジアの国々のなかでも最下位だったのだそうです。ただ、この調査結果は「日本人が他人に冷たい民族である」という証拠に見えなくもないのですが、単純に、「日本では困っている人が少ない証拠」という見方もできるのではないでしょうか。

データの見方には要注意

著者自身、個人ブログ時代から通算し、10年以上、ウェブ評論作業を続けていますが、自戒もかねて申し上げておくと、やはり「データの読み方」については強く意識する必要があると考えます。

データ・数字は自説を裏付けるのに役立ちますが、それと同時に、扱い方を気を付けないと、どんな結論でも導き出せてしまうのです。

今朝の『「日本は輸入大国でもある」は数字で見て正しいのか?』などでも触れたとおり、「日本は輸出大国であるとともに、輸入大国である」という主張を述べる人もいますが、これは「金額」だけで見れば、あながち間違いであるとはいえません。

2022年を通じた日本の輸出額は98兆円、輸入額は118兆円に達しており、GDPに対しそれぞれ2割前後という水準です(※もっとも、貿易依存度3~4割、というのは、先進国の中では必ずしも高いとは言い切れませんが…)。

もしもこの100兆円近い輸出額だけを根拠に、日本を「輸出大国だ」と述べるのであれば、金額「だけ」で見れば、日本はたしかに「輸入大国」です。

ただし、今朝の議論を含め、常々指摘している通り、「円安が日本経済にいかなる影響を与えるか」という観点から論理的に考察していくと、輸出入を品目別に分解せず、金額「だけ」で議論すると、とんでもない思い違いをしてしまいます。

「円安は総合的に見て、日本経済に良い影響を与える」という当ウェブサイトの仮説は、経済学的に見た自国通貨安のメリット・デメリットという理論の話と、現実の日本の品目別に見た貿易高、さらにはGDP、物価、失業率、法人企業統計といった基礎統計を総合的に勘案して出て来ているものです。

「日本は輸入大国(?)だ」、というデータ(?)だけをもって、「円安は総合的に見て、日本経済に良い影響を与える」という仮説を全否定するのは、少々無理があります。自説を補強するために、データを恣意的に引用するのは感心しません。

データそのものが正しくないこともある(かも)

ただ、データの扱い方について気を付けなければならないというのは、「データの恣意的引用をしない」というだけではありません。

データそのものの信頼性、あるいは「なぜそういうデータが出て来るのか」という点を裏読みすることが必要であることもあります。

「データそのものの信頼性」の典型例は、内閣支持率調査でしょう。これについては『回答者が高齢者に極端に偏るNHK世論調査=内部資料』でも紹介したとおり、メディアが実施する世論調査では母集団自体が極端に偏っており、その結果が信頼できない可能性があるのです。

かくいう当ウェブサイトでも、その内閣支持率調査をよく引用しますが、引用に当たっては内閣支持率調査というものが「藪医者による健康診断」のようなものだと考えており、それに全幅の信頼を置かないことが重要だと述べているつもりです。

そういえば、『「報道の自由度はG7最低」に一般人のツッコミが多数』などでも取り上げたとおり、フランスに本部を置く「国境なき記者団(Reporters sans frontières, RSF)」が公表した報道の自由度に関するランキングでは、日本の評点が毎年、非常にという特徴があります。

このRSFレポート「どこの誰がどういう基準で評点をしているのかが詳細に公表されているわけではない」という点において、「全幅の信頼を置いてよいかどうかよくわからないデータ」のたぐいのものだと考えて良さそうです。

というのも、『国境なき記者団の「報道の自由」調査は信頼できるのか』などでも紹介したとおり、米国に本拠を置くフリーダムハウス(Freedom House)が公表している「世界自由度ランキング」(Global Freedom Status)では、日本はカナダに次いで高い評点を得ているからです。

RSFとフリーダムハウスの調査で日本のランキングがここまで大きく異なっているからには、少なくともどちらかの調査が実態を反映していない可能性が濃厚です(評点の透明性の高さに照らすと、フリーダムハウスのランキングの方が信頼性が高いように思えますが、この点については本稿では触れません)。

すなわち、データの適切な使い方とは、「そもそも全幅の信頼を置かない(=絶対視しない)」、「可能な限り複数のデータを使う」、といったものではないかと思う次第です。

人助けランキングで日本はアジア最下位

こうした文脈で、ちょっと気になった話題があるとしたら、これでしょう。

「人助けランキング」アジア最下位の日本 “見知らぬ人を助けたか”では例年世界最下位 そのワケとは?

―――2023/11/13 07:43付 Yahoo!ニュースより

『Yahoo!ニュース』が13日付で配信した記事によると、「チャリティーズ・エイド・ファンデーション(CAF)」という団体が11月9日に公表したランキングで、日本が142ヵ国中139位と、G7先進国のなかではもちろん、調査されたアジアの国々のなかでも最下位であることがわかったのだとか。

気になって調べてみると、たしかにCAFのウェブサイト “CAF World Giving Index” のページで、レポートが公表されています(閲覧自体は無料ですが、PDFファイルのダウンロードが必要です)。

これによると日本はたしかに139位で、日本より下位にあるのはイエメン、クロアチア、ポーランドの3ヵ国のみであり、これに対して上位は1位がインドネシア、2位がウクライナ、3位がケニア――、などとなっていることがわかります。

『Yahoo!ニュース』の記事に戻ると、この指数を算出するにあたってCAFは2022年に世界142ヵ国の147,186人を対象にギャラップが行ったインタビュー調査に基づき、この1ヵ月の間に「見知らぬ人を助けたか」、「寄付をしたか」、「ボランティアをしたか」、という3項目でランク付けをしたのだそうです。

  • この1ヵ月の間に、見知らぬ人、あるいは、助けを必要としている見知らぬ人を助けたか
  • この1ヵ月の間に寄付をしたか
  • この1ヵ月の間にボランティアをしたか

その「理由」はデータからわかるとは限らない

リンク先記事では、これまでの同調査で日本はこれまで総合ランキングで低迷を続けている、などとしたうえで、2022年に発表されたCAF報告書で記載されたこんな記述が取り上げられています。

日本のスコアが非常に低い理由は、本質的に文化的なものである可能性が高い。アメリカでは慈善行為として認識されていることが、日本では責任として理解されている可能性が高い」。

正直、この結果を読んで、「日本人は他人に冷たい民族なのか」、などと思ってしまう人も多いのではないかと思いますが、そう解釈するのは正しいのでしょうか。

結論からいうと、今回のデータからはそのような結論を導くことはできません。というのも、単純に「日本では助けを必要としている見知らぬ人」が少ない、という可能性があるからです。

現実に戦争中のウクライナがトップ2位に入っているという事実を見ると、ウクライナでは「困っている人」、「助けを求めている人」が多いからこそ、「困っている人を助ける」と答えた人が多いのではないか、という仮説が成り立ちます。

もちろん、こうした仮説が正しいのかどうかは、ただちにはわかりません。

ただ、少なくとも「日本人は他人に冷たい民族である」という命題が仮に存在したとして、今回の調査がその命題を証明するものではありません。

この点、ギャラップのウェブサイト(※英語)によると、調査のメソドロジー自体は開示されているものの、やはり出てきた数字だけに基づいて、「日本は文化的に人助けに否定的である可能性が高い」と述べるには、議論がかなり飛躍しているのではないでしょうか。

本文は以上です。

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読者コメント一覧

  1. 匿名 より:

    アンケート下手杉謙信。その国の人に聞いてもしょうがないやろ。何故旅行者側に聞かないのか。

  2. 名前 より:

    そういえば自分に課した決まりにコンビニで買い物した度に募金する(レジ前の)と決めて実行してたんだけど電子決済でしなくなった。

  3. 引きこもり中年 より:

    「人を助けると、その助けた人が犯人にされる」中国よりは、ましではないでしょうか。
    蛇足ですが、寄付をすると税金が減る国と、へらない国とを、同じに比べるべきではないのではないでしょうか。

    1. たろうちゃん より:

      河で溺れている人がいた。沢山の野次馬がいたのだが、誰一人たすけない。「助けたらいくら払う?」などと溺れている本人と交渉しているうちに溺れて沈んでしまった。行きすぎた拝金主義とも言われた。これ中国で実際にあった話なのか?昔聞いた話です。

  4. たろうちゃん より:

    先日の歌舞伎町ホスト刺傷事件。報道によれば、被害者の救護より、事件現場のスマホでの撮影を優先する人が殆どだったらしい。戦慄のリポートである。
    過日この欄でも報告したがバスにのりあった、ご老体に優先席を譲ったのが、
    脳出血で杖をついてフラフラなおれだった、、べつに「オレは偉い!親切だ!」という積もりはない。ただ親切に「恥ずかしい」という感情があるとしたら、そのうち無味乾燥な社会になってしまう。反対に高齢者が催促するがごとくの態度を見せるときがあるとも聞く。末期ガンで立っているのも辛い某作家だかのご亭主に高齢者の人が「ここは、あなたの座る所じゃない!」と言い放った事例もある。何故想像せずに権利を主張するのだろう。30キロも痩せた御人だから、少しは窶れがみえた筈だ。障害者と健常者、若年層と老年層、、相互不信の世界だとしたらだれもがなりうる未来しかない。困っている人がすくない?違うと思う。困っている人を見てみるふりでやりすごす社会は深刻だ。

    1. さより より:

      確かに、電車・バス内で、老人(よぼよぼ)・妊婦に席を譲らず、その前で平然と座り続けている、若年・壮年者が多いのには驚く。この年代で席を譲っているのを見たことは無い(個人的経験)が、中高生などは、さっと譲っている。この中高生達が、18歳を過ぎて大人になると、譲らなくなるという社会現象は、何故か?
      どなたか、社会学者が解明して欲しいくらいのものだ。

      1. たろうちゃん より:

        正鵠をいているかはわからない。
        若いうちの行動は正義感とやさしさ。
        中高年の行動心理は恥ずかしさと勇気の欠如
        親切に勇気がいる時代は異質。
        ふと、浮かんだことば。

        1. さより より:

          >中高年の行動心理は恥ずかしさと勇気の欠如

          これは、良く言われるし、自分でもそういう感情が湧くこともあるが、譲りますね。恥ずかしさと勇気の欠如ではなく、教養の欠如でしょうね。
          恥ずかしさと勇気の欠如感を感じるのは、単なる感情の習慣ですから、それを乗り越えて、2~3回も譲ることをやってみれば、そんな感情は感じなくなります。

  5. わんわん より:

     まぁ プロパガンダ的ランキングだから気にする必要がない

     インバウンドに影響があると思うなら政府が見解をだせばよい

     座席を譲る行為について
    高齢者等に席を譲ったら
    「年寄りではない」と怒る方がいる
    よかれと思った行為が怒られたら行為者も周りの乗客も不快に思い次は余計な事をしないようにしようと思うのは当然です

  6. やるお より:

    新宿会計士様のように冷静な検証や反論こそ、デジタル社会では宝です。
    高品質な記事を毎日、ありがとうございます。

  7. 元一般市民 より:

    >日本のスコアが非常に低い理由は、本質的に文化的なものである可能性が高い。アメリカでは慈善行為として認識されていることが、日本では責任として理解されている可能性が高い

    私はこの分析が正しいんじゃないかって気がしますね。
    日本では、小学生が自分達の教室を掃除するのも、登下校の際にPTAの方々が横断歩道に立っているのも、町内会でゴミを拾う活動も、皆、ボランティアとは認識すらしませんから・・・

  8. 匿名 より:

    そもそも「人助け」なんて定義があいまいなものをアンケートで聞いただけの調査に意味があるとは思わない。
    目の前で財布を落とした人がいたら、大抵の日本人は落とした人に声かけると思う。実際、日本の街中で財布落としてみた、って動画はSNSにあふれてる。これは人助けだよね?
    同じことをこのアンケートでより人助けをすることになっている国でやったらどうなるかな?w
    口では何とでも言える。大事なのは行動だと思うな。

  9. sey g より:

    アンケートに嘘をつく可能性はないのかな?
    誰もが皆正直に寄付をしたボランティアした困った人を助けたと、やってなくともやったと言う人が多ければ、このアンケートに意味はないのやもしれむせん。

    1. 引きこもり中年 より:

      回答次第では、どの国も人助け大国になれる、ということでしょうか。

  10. 元雑用係 より:

    「私はいいことをしたんです」

    と他人に語ることを良しとするかどうか。
    その違いもあるかもですね。

    1. 農民 より:

       憚りますよねぇ。自分は良い人間だぞ崇めろみたいな匂いがしてしまい、徳を積んだのにそれを無価値にしてしまうようで。
       「いえいえ当然のことをしたまでです。」と返すのが定番ですが、謙遜でもなく普通にそういう認識の人こそ人助けをしているでしょうしね。

  11. 比翼 より:

    まず、何を以って「人助け」と判断し、何を以って「人助け」と判断しないのかの判断基準が明示されておりません。
    論者の心証によって、その基準は如何ようにでも動かすことができ、記事においては主張という形で判定を下すことができます。
    裁判官は過去の判例を参考にしながら判決を下しますが、やはり裁判官の心証も判決の内容に影響を与えることは否定できません。

    今はこの記事の内容が客観的に正しいのか否かの判断を自分は下そうとは思いません。
    ですが、こうしたメディアがこうした記事を書き、記事を読ませてメディアが日本の読者に対して何を求めてきているのかの類推をすることはできます。
    その主張の核は、「日本よ、国際的に人助けが足らないぞ。もっと国際的に人助けをしなさい」といったところなのでしょう。その要望はウクライナに対する侵略戦争、イスラエルーハマス間の戦争も無関係ではないでしょう。

    世界には様々なメディアがあり、様々な指標が氾濫していますが、自分が参考にしている一つの指標があります。
    それはイギリスのThe Economist Newspaper Limitedから出版されているエコノミスト誌です。ここの年ごとの変化を確認できる民主主義指数が一つの参考にできると思います。

  12. さより より:

    まあ、どうでもいいランキングなんだけれども。

    >日本が142ヵ国中139位

    この138位までの国のなかには、日本の経済援助・経済支援・ODA・技術支援・医療支援・教育支援、等々、多種多様な「助け」を受けている国が沢山あると思うのだが。

    まあねぇ、
    「人を助けることが当たり前になっている人は、助けましたか?と聞かれても、自分はそんな大した人助けはしていないなあ」と思うので、否定的な回答をすると考えられる。

    しかし、人助けなどめったにしない人間に、訊ねれば、5年前に1度年寄りの荷物を持って上げたことを思い出して、答えているかもしれない。
    これは、そもそも、主観の問題。

    それに、欧米などで、ボランティア経験が、高校や大学の入学資格の必須条件になっているような国で、ボランティアやったことが無いなんて言おうものなら、もう村八分以上の軽蔑を受ける。
    それにちょっとジョークぽいけれど、今ウクライナを必死に助けているポーランドが日本よりも下で、そのポーランドを始めとした世界中から助けてもらっているウクライナが、かなり上位とは?

    上に書いたことを裏付けていないかな?

  13. 伊江太 より:

    「情けは人のためならず」という格言、本来の意味合いは、「他人に温情を施せば、その功徳はいずれ自分の身にも恩恵として戻ってくる」、というものだったのが、今流の大方の理解は、「下手な手助けは、却って本人の自立の妨げになって、よろしくない」に変化しているんだそう。

    これなんか、時代というより社会の変化を色濃く反映していると思います。日本社会が現在よりずっと貧しく、また身分制の縛りが厳しかった時代、農民や都市の町人の共同体意識、助け合い精神は濃密で、稼ぎのある者が貧しい者に施し、力のある者は弱者を助けるという、目に見えるボランティア的行為は、日常のものだったのでしょう。

    しかし、その地域の協調の輪に明確に逆らうものに対しての懲罰もまた半端なものではなかったようです。農村では村八分の制裁、町人の間では勘当によって人別から外して無宿人に転落させる。今の感覚でなら明らかな人権侵害事案ですが、当時にあっては社会の安寧を維持する上で、至極当然の措置と見做されていたはずです。

    昨今、町内会に入りたくないという人も結構居るようですが、そういう人が我が儘勝手な生き方ばかりしていると決めつけるのも、また余りに短絡的な見方かも知れません。街中で、例えばお年寄りで駅の切符の券売機の使い方が分からず困っているなど、人が難渋している場面に出会ったら、手助けするくらいのことなら、こういう人だってやってるかも知れないし、それをことさらに人助けとも意識はしないでしょう。

    現在の日本で、貧困、障害などを抱える弱者を救おうとする社会的な合意が、低下してるようには思えません。大抵の人は、個人の力の及ぶ範囲は限られており、公的なセーフティネットの充実こそが大切と考えている。そのために税金が使われているなら、それで結構。

    そういう見方が当を得ているのだとすれば、日本の社会集団を対象に行った「アンケート調査」が、状況の異なる外国での結果と、果たして対比可能と思う方がどうかしているでしょう。「アンケート調査」なるもの、複雑な事象を手っ取り早く数値化できるとして頻用される手法ですが、そんなものを以て順位付けをするなど、たいていの場合は無価値、ひどい場合には有害ですらある。記事で採り上げられたケースなど、数値化信仰の悪しき典型例と言って良い気がしますね。

    1. さより より:

      >記事で採り上げられた

      記事1本幾らで売る商売があるらしいので、いろいろネタを探しているんでしょう。
      さらに、どういうアンケートを取って記事のネタにしようかという、アンケート商売も出て来ているのでしょうね。
      今は、ネットで何でもアンケートが取れる時代ですから。
      昔は、こんなアンケートは、話のツマだったんですが、これがネット世界で世界中に広がるのもどうなんでしょうね?
      そもそも、アンケートを一つのデータとして見る統計的な考え方がベースにあるのか?というのが最大の疑問です。

    2. 農民 より:

       村八分の残り二分は火消しと葬式だそうですから、厳しい制裁で規律を保ちつつも「あんなやつでも最低限これくらいはしてあげなければ人道に悖る」という意識があったという証拠でもあるのですよね。これは「他人にしてあげた」というよりも「私はそこまで堕ちない」という意識でもあると思います。

  14. ベル より:

    一か国につきある程度人の往来があるところ一万か所を
    乱数でピックアップして財布を落とします。
    このうち、何個戻ってくるかを各国で調査すると面白いかも。

    意外や意外、全世界で変わらないかもw
    (警官の横領が当たり前などの事情は除きます)

  15. クロワッサン より:

    米国では進学の内申書に「リーダーシップの有無」が問われるので、フォロワーシップ型なのにリーダーシップを発揮する場所を求めて行動せざるを得ないとか、

    韓国ではボランティア活動が単位になる事もあって、挺対協・正義連など北鮮系団体が活動員を集め易いとか、

    なんかそんなお話しがあったような。

    その記事での人助けってなんだか社会的要請に応える形が主に思われ、自発的意思による人助けではない気が。

    手や目の届く範囲の人を助けようとする気持ちと、手目の届かない範囲の人を助けようとする気持ちの違い、みたいな。

    それにしても、日本人は個人主義ではないってよく聞きますが、自助・共助・公助だと自助として求められるハードルが高いのを考えると、やっぱ個人主義なんじゃないですかねぇ。

  16. 世相マンボウ_ より:

    まあ、この記事は、その調査方法から
    『自分の行動への謙虚さ調査』という
    側面が大きことを正しく認識することが必要で
    文責がいつものどぶサヨライター飯塚真紀子
    の時点で眉唾で読むべきものと感じます。
    しかしこうしたペーパーには
    どぶサヨ方面が待ってましたと
    飛びつくこと必定で、言葉を盛って
    日本人は最低だあ(笑)、やはり韓国のほうが上だあ(笑)
    それもこれもアベのせい(?)だとかの
    滑稽な引用記事でさぞやあふれることでしょう。

    世界が羨む社会保障制度をすでに有している日本では、
    格差の大きい欧米他国で必須の寄付や施しの
    必要性は薄いのですが、それを言っては
    商売上がったりの赤いお旗さんとかが
    もっとクレクレ主張を煽るために
    この資料は手垢がつくまでおべんきょう会とかで
    おかしな利用をされることでしょう。

  17. 雪だんご より:

    確かにこのアンケートの取り方だと、日本の場合

    「ただ単にボランティアや人助けが必要な程困っている人が少ないだけでは?」
    「本人としては当然の事をやったつもりで、人助けとして認識していないのでは?」

    と言う疑問が消せないので、あんまり信用したくないデータですね。

    ただ一つ確かなのは、「日本sage」が大好きな人達はこのデータが日本に高評価を
    与える物だった場合は「なかった事」扱いする事くらいでしょう。

  18. 匿名 より:

    日本人は日本人に対して異様に冷たい、が正解じゃないかね

  19. CRUSH より:

    統計データを読解するときの、初歩的なリテラシーの話かと。

    参考までにネタを1つ。
    https://www.warhistoryonline.com/war-articles/abraham-wald.html?fbclid=IwAR0EPsQpN2Z1QRZ07iXl0I1iKQAJqHrBuHJw0BJy1N7L5Gzy99STVwP0oc0

    曰く、
    「アブラハム ヴァルトはハンガリーの数学者で、20 世紀前半の統計分析の分野に多大な貢献をしました。彼の最も注目に値する成功の 1 つは、生存者バイアスに関する研究であり、これにより第二次世界大戦中の爆撃機の保護が向上し、数え切れないほどの命が救われ、その後の紛争ではさらに多くの命が救われました。」

    「日本は人助けに消極的」
    という記事は、僕にはこのネタに上げられている
    「生存者バイアス」
    と、とても良く似た誤解やミスリードを誘引してる気がします。

    「・・・だから日本は人助けに消極的なのだ」
    「・・・だから被弾箇所に防弾すべきなのだ」

    おいおい。(笑)

    操縦席やエンジンに被弾した機体はそもそも帰還してない事実を忘れてます。
    統計は、嘘ではないのですが、読解できないアホなら騙せます。

    騙されたくないものですね、お互いに。

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