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紙の新聞が消えてもネットに居場所を変えることはない

健全な自由・民主主義社会を支えるうえで、メディアの社会的役割がなくなることはありません。ただ、紙媒体としての新聞が消滅したとして、その新聞がネットに居場所を変えることはありません。現在の多くの新聞にとって、ネット上に居場所はないからです。なぜか。その理由は、そもそも新聞がこれまで、その「健全な自由・民主主義社会を支える」という役割を担っていなかったからです。2009年に新聞業界は何をやりましたか?そして新聞業界はそのことを反省しましたか?少なくとも後者に対する答えはNOでしょう。

もうすぐアンドロメダがやってくる!

科学に関心がある人であれば、きっと同意していただけると思われる考え方があります。

それは、「現実の観測」と「理論」を組み合わせれば、多くのことが予見できてしまう、というものです。

当ウェブサイトでは以前も少し指摘したとおり、ごく近い将来に高い確率で発生するであろう事象が、我々の暮らす銀河系とアンドロメダ銀河の衝突です。現在、アンドロメダ銀河は地球から約250万光年離れていますが、これが猛スピードで近づいており、あと40億年後には衝突・合体するそうです。

(※宇宙空間で40億年は「ごく近い将来」なのだそうです。)

これからあと30億年もしないうちに、アンドロメダ銀河は夜空で圧倒的な存在感を示すようになるでしょうし、下手をすると私たちが住む太陽系は、両銀河衝突の衝撃で、銀河系から宇宙空間に弾き飛ばされてしまうかもしれません。

だからこそ、我々人類が生き残りを図るためには、両銀河の衝突を回避すべく、大きな縄か何かで外から引っ張るか、それとも諦めて衝突する新たな銀河で住めそうな星を探して移住するか、といった課題に対処しなければならないでしょう。

(※ただし、あと10億年もしないうちに太陽の膨張が始まり、地球が灼熱地獄と化しているという可能性もありますので、人類の地球脱出はそれよりももう少し早く、できればあと数万年後には目途をつけたいものです。)

いずれにせよ、くどいようですが、「両銀河が衝突する」と予想される理由は、ハッブル宇宙望遠鏡を含めたさまざまな観測結果に加え、物理学者、天文学者らのさまざまな理論のなせるわざです。

宇宙の最果てがどうなっているのかについて詳しく知っている人はさほど多くないとは思いますが、それでも「アンドロメダ銀河が地球とぶつかっちゃう(かも)」、という話題は、まさに科学の叡智を結集して得られるさまざまな結論のひとつでもあるのです。

新聞消滅時期の予測は可能

紙媒体の新聞の消滅は間違いない

さて、「アンドロメダ銀河の地球衝突」と比べるとショボい話題かもしれませんが、こうした「数字に基づく議論」はときとして、もっと卑近な事象にも適用可能です。たとえば、「数字に基づくならば、ある業界が何年後に息絶えるか」が、合理的に予測できてしまうこともあるからです。

その典型例が、新聞業界でしょう。

これまでに当ウェブサイトでは何度も指摘してきたとおり、新聞の部数は急減が続いており、もしも直近5年間のペースで新聞の部数減が進めば、2022年10月1日から起算し、夕刊に関してはあと7.68年以内に、朝刊に関しては13.98年以内に、それぞれ完全に消滅してしまいます。

もちろん、アンドロメダ銀河が銀河系と衝突するのが40億年後なのか、41億年後なのかについて、予想に幅があるのと同様、この「新聞が消滅するまでの年数」の予測自体にも、それなりの幅があり得ます。

新聞社によってはすでに採算割れ寸前というケースもあるでしょうし、なかには某社のように、繰延税金資産の過大計上などにより、実質債務超過状態に陥っているケースもあるでしょう(そのような新聞社は、早ければあと数年で倒産するかもしれませんが、もしかすると中国共産党などが助けてくれるかもしれません)。

また、ごく一部には「電子版での契約が順調に伸びている」などの理由で、新聞発行をさっさとやめてしまうケースも出るかもしれません。そのような社はウェブ版で十分に生き永らえていくことができるからであり、また、紙媒体の新聞自体、明らかに不採算事業と化している可能性が濃厚だからです。

しかし、経営に余裕がある会社を中心に、紙媒体の発行に拘るというケースも出て来るでしょう。まだ新聞部門で黒字決算を維持している社も(少数ながら)存在するとみられるほか、新聞社によっては不動産業などの「副業」で儲かっているケースもあると考えられるからです。

とくに、紙媒体としての新聞に採算性がなくなっていたとしても、不動産部門などの利益を流用しながら、赤字覚悟でこの先何十年でも新聞発行を続けようとする、というケースは考えられます。紙媒体の新聞に拘る理由としては、第三種郵便物の認可などの「権益」を維持するため、などが考えられます。

(※ただし、そのような新聞社は、もはや「新聞社」なのか、「不動産会社」なのか、よくわかりませんが…。)

すでにその兆候はあちこちで生じている

このように考えていくと、石にしがみついてでも新聞の発行を続けようとする社もありますし、「ウェブ媒体に特化する」、「経営に余裕があり、紙媒体の発行を継続する」、「中国共産党などの事実上の機関紙として生きていく」などの例外もあり得るでしょう。

よって、紙媒体の新聞が完全に消滅するまでには少し時間がかかりそうですし、一部の社はウェブ媒体などで生き延びていくとは思われますが、それでも夕刊廃止の動きはこれから3~5年で激増し、朝刊廃止の動きはこれに続いて5~10年間で発生していく、と考えるのが自然な流れです。

ただし、たいていの事象には前兆があるのと同じで、新聞業界においても、大廃業時代に向けた兆候が、すでにあちらこちらで生じています。

たとえば今年話題になったことだけを列挙しても、朝日新聞、毎日新聞、読売新聞という3大紙が東海3県で夕刊事業から事実上手を引いた、という出来事がその典型例でしょう。

もちろん、東海地方ではもともと、中日新聞が圧倒的に強く、たとえ全国紙といえども中京圏では部数を伸ばすのにも苦慮していた、といった事情もあったのかもしれませんが、ただ、大手紙が一部地区で夕刊事業から撤退するという動き自体、「まずは夕刊が売れなくなっている」という証拠でしょう。

また、現時点では一部メディアが報じているのみですが、ブロック紙の一角を占めている北海道新聞が、今年中に夕刊を廃止する、といった情報もあります。

そもそも論として、ひとつの新聞が朝刊、夕刊を両方発行しているというのは、世界ではあまり例がないようです。日本の夕刊には「朝刊だけで拾いきれない話題を速報的に送り届ける」などの意味合いでもあったのかもしれませんが、もしそうだとしたら、このネット時代に正直、あまり意味がない機能と言わざるを得ません。

ビジネスモデルが完全に時代遅れ

なにより、新聞社の経営について考察するうえで、「情報を紙媒体に印刷し、それを人海戦術で全国津々浦々に送り届ける」というビジネスモデル自体、この現代社会にそぐわないものとなってしまっていることを思い起こしておく必要もあります。

ネットの回線容量も大幅に上昇し、PC、スマートフォン、タブレット等の電子デバイスの性能も飛躍的事項上司、メモリの価格も大きく低下しているわけです。

情報の優位性という意味でも、紙媒体の新聞だと掲載する新聞のすべてをカラー印刷するというわけにはいきませんが、ウェブ媒体の場合だと図表、写真の多くはカラーで掲載可能ですし、紙媒体よりも高解像度のものも掲載でき、最近だと動画配信を伴うケースも増えています。

要するに、ユーザーとしては同じ話題を取り扱った記事を読むにしても、新聞という紙媒体で読むよりも、ウェブ上で閲覧した方が、はるかに多くの情報を得ることができるようになってしまったのです。

しかも、新聞は印刷されてから読者の手元に届くまでに、どんなに早くても数時間の時間が必要ですが、ウェブの場合は公開設定をした瞬間、読者の手元に送り届けることができます。情報の鮮度がまるで違うのです。

このように考えていくと、紙媒体の新聞には「紙に印刷し、輸送する」という余分な時間と費用が掛かっているわけですから、新聞が「紙媒体」で生き延びていくためには、少なくともウェブ媒体にはない何らかの特徴ないし「ウリ」が必要です。

そのような特徴というものが、果たして現在の新聞に存在するのでしょうか。

記者クラブ、取材力の低さ…日本のメディアの根本的問題

少し厳しい言い方ですが、『「事実を正確に伝える力」、日本の新聞に決定的に欠如』などを含め、これまでに当ウェブサイトで何度も指摘してきたとおり、「事実を正確に伝える能力」が、新聞(やテレビ)を含めた日本のマスメディアには決定的に欠如しているのです。

日本の新聞の部数が急激に減っており、業界全体としても10年前後で紙媒体の新聞の多くは廃刊に追い込まれると考えられます。ただ、日本の新聞業界の苦境の原因は、日本の新聞に「批判精神が欠如している」ことである、などと主張するツイートがありました。正直、この見解には賛同できません。日本の新聞に決定的に欠如しているのは「批判精神」などではなく、「事実を正確に伝える能力」だからです。新聞部数の凋落新聞の「寿命」「新聞部数の凋落が止まらない」――。こんな話を、当ウェブサイトではずいぶんと繰り返してきました。一...
「事実を正確に伝える力」、日本の新聞に決定的に欠如 - 新宿会計士の政治経済評論

その理由として考えられるものはいくつかありますが、その最たるものは、新聞記者らが記者クラブ制度などに安住し、自分たちの能力以上に利益を得ていたことでしょう。

記者クラブに所属していれば、事件、事故を含め、新聞で報じるべき話題は、たいていの場合、記者クラブから勝手に降ってきます。新聞記者の多くは、それらの「勝手に降ってきた情報」を整理して紙面に配信することを、自分たちの仕事だと勘違いしてきたフシがあります。

もちろん、新聞記者のなかには、ちゃんと自身の専門分野を決め、専門知識を勉強し、精力的に取材活動を行うなどの能力がある人物もいますが、そのような人材は少数派であり、大部分は「物書き」としての能力があまり高くありません。

インターネットが現在ほどに普及する以前、日常的に最新情報を知る手段が新聞やテレビくらいしかなかった時代ならば、それでも人々は我慢して新聞記事を読んでくれていたかもしれません。

しかし、ネット環境が発達し、ネット空間には山手線の駅名を冠した怪しげな自称会計士のウェブサイトを含め、ニューズサイト、ウェブ評論サイトなどが乱立しています。とくに新聞社説やコラムなどは、いまや新聞でなくてもインターネット上でいくらでも読める時代になってしまったのです。

こうした環境で、新聞記者や論説委員などが、インターネット出現以前のノリで記事や論説、コラム、社説などを書いていたら、目の肥えた読者を満足させられないというケースも出て来るでしょう。

「新聞でなければできないこと」がなくなってきている

その意味において、新聞社の経営難は、インターネットが直接もたらしたものではなく、社会がインターネット化したことでネット空間に競争相手が大量に出現した結果もたらされたものだ、と考えた方が正確です。

このような理解に基づけば、新聞社が単純に「ウェブ化」して生き残りを図ることができるわけではありません。

なにかよっぽど――そうですね、たとえば「長年、新聞社としての高い使命感をもとに、大変高度な情報を発信し続けてきた」といった実績に裏打ちされた「ハイ・クオリティ・メディア」というブランドでもあれば、新聞がウェブ化しても生きていけるかもしれません。

要するに、その社にしか存在しない、かなり卓越した(あるいは差別化された)情報発信力でもあれば、仮に紙面がなくなってもウェブ媒体にも円滑に移行することができるかもしれません(業界紙・専門紙などは、その典型例でしょう)。

しかし、現在の一般紙が、そうした差別化戦略に成功しているかどうかは、非常に微妙です。

ここで、人々が新聞に期待するものとは、いったい何なのか――。

伝統的には、新聞は役所などの報道発表を人々に伝える役割などを担ってきたほか、「独自記事」などと称してスクープを発信したり、専門的な知見からの解説記事を掲載したりしてきたとされます。

しかし、役所などが発表する統計データを基にした記事だと、べつに新聞社でなくても配信することはできます(たとえば怪しい自称会計士が運営しているウェブサイトでは、新聞などの記事とはまったく無関係に、オリジナルのインバウンド観光に関する記事が掲載されることがあります)。

また、独立ジャーナリストらが「特ダネ」を手にし、それらを雑誌社などが運営するウェブサイトに売り込む、といった動きも徐々に増えているようですし、官僚機構が記者クラブを経由せず、こっそりと個人が運営するウェブサイトに情報を流す、といった現象も発生しています(どこのサイトで、とはいいませんが)。

さらには、最近だと個人でブログサイト、ニューズサイトなどを運営する人が増えたためでしょうか、『「ブログ化する新聞」を待つ未来』などでも議論したとおり、最近だと「新聞社説のブログ化」が激しいようです。

紙媒体の新聞は、部数が減少の一途を辿っています。こうしたなか、新聞業界を待つのは、「新聞のブログ化」ではないでしょうか。世の中には、個人や中小企業などが運営するブログサイトが、下手な地方紙よりも多くのページビュー(PV)を集めている、というケースも出て来ています。こうしたなか、世の中の変化についていけていない新聞社もあるようです。果たして今年は新聞社にとって、どんな年になるのでしょうか。謹賀新年新年、明けましておめでとうございます。本年も当ウェブサイトをご愛読賜りますよう、何卒よろしくお願い...
「ブログ化する新聞」を待つ未来 - 新宿会計士の政治経済評論

「新聞社説のクオリティがブログ以下の水準に落ちた」のか、それとも「ブログのクオリティが新聞社説を凌駕しつつある」のかはわかりませんが、社会のインターネット化で、「論壇」への参入障壁が極めて低くなったことだけは間違いありません。

「新聞にしか果たせない役割」はあるのか

結局は「参入障壁」の問題

これについて、もう少し深く考えてみましょう。

ひと昔前だと、日々、不特定多数の人々に向けて情報を発信することができるのは、新聞記者など、ごく一握りの「情報発信者」に限られていました。

そもそも新聞記者になれる人も限られていました。新卒で新聞社に入るためには、それなりに良い大学に通っていて、新聞社が実施する入社試験に合格しなければならなかったからです(某自称「クオリティ・ペーパー」が、かつては東大を含めた「一流大学」の学生ばかりを採用していたのは公然の秘密でしょう)。

また、新聞社を新たに始めることも容易ではありませんでした。もしうまく新聞社を作ることができても、刷り上がった新聞を各家庭に届けるための宅配網を利用することができないこともあったからです。

たとえば、自民党の山田宏・参議院議員が2017年5月8日付で自身の公式ホームページに掲載した『平成29年5月4日 八重山日報 掲載 「メディアは言論によって勝負せよ」』という記事によると、八重山日報が沖縄本島版を発行した際、妨害活動があったと記載されています。

具体的には、こんな具合です。

読者局からの『重要なお知らせ』として、沖縄タイムスの販売店主・ネットワークランナー宛に、『八重山日報の配達をする事は禁止です』と大書されたビラが配られたのです。<中略>沖縄のほとんどの販売店は、『琉球新報』と『沖縄タイムス』の両方を配っているといいます。しかし、八重山日報がきたら『配達禁止』だというのです」。

これが事実なのかどうかはわかりません。

ただ、一般に新聞社と販売店には資本関係はありませんが、事実上の上下関係にあり、販売店は「本社の指示」を受け入れるということが、広範囲に見られます(※なお、山手線の駅名を冠した怪しげな自称会計士自身、大学生時代に新聞奨学生を経験していますので、当時の業界ネタには詳しいつもりです)。

たとえばあなたがお金持ちで、莫大な資本を投じて「新聞業界の闇を暴く」ための新聞を創刊したとしても、おそらくそんな新聞、既存の新聞販売店網が取り扱ってくれるはずなどもありませんし、そんな新聞を各家庭に届ける手段などないのです。

すなわち、「新聞記者になるのも難しく、新聞社を新たに作るのも難しい」――。

これが、参入障壁です。

参入障壁がないインターネット

インターネットにはこの参入障壁が一切ありません。この記事を読んでくださっているそこのあなたでも、その気になれば今すぐにブログサイトを立ち上げることができます。

当ウェブサイトの愛読者の皆さまのなかにも、自身のブログを持っていらっしゃるというケースも多いでしょうが、「アメーバブログ」、「楽天ブログ」、「はてなブログ」、「gooブログ」、「ライブドアブログ」など、無料または格安で開設できるブログサイトはいくらでもあります(具体的な開設方法はそれぞれのブログサイトをご参照ください)。

また、年間数千円から数万円を投資しても良いという人であれば、さくらインターネットやエックスサーバーなどのレンタルサーバー会社と契約し、独自ドメインを取得すれば、当ウェブサイトのようにちょっとしたニューズサイトのようなものを構築することができます。

ウェブサイトを思い通りに構築するうえで、ウェブに関する最低限の知識・技能などは必要かもしれませんが、それでも「何億円という資金を投じて輪転機を整え、たくさんの記者を雇い入れて新聞を創刊する」といったものと比べれば、ハードルは遥かに低いでしょう。

このように考えると、「新聞でしか実現できないもの」、「新聞にしか果たせない役割」、というものは、じつは現代社会においてはほぼ消滅したと考えたた方が良いのかもしれません。

どうして朝刊がいつまでも残ると思うのか

ただ、夕刊はこれからもう数年以内に廃刊ラッシュが訪れるはずですが、朝刊に関しては少しだけ時間的な猶予があります。夕刊と比べて、朝刊はまだ読んでいる人がそれなりにいるからです。

一般社団法人日本新聞協会が発表する『新聞の発行部数と世帯数の推移』によると、2022年10月1日時点で夕刊は645万部に過ぎませんが、朝刊はまだ3033万部発行されているからです(ただしここでいう「朝刊部数」は「セット部数+朝刊単独部数」、「夕刊部数」は「セット部数+夕刊単独部数」です)。

20年以上前の2000年10月1日時点だと、夕刊部数は2001万部ありましたので、夕刊についてはこの20年あまりで3分の1以下という壊滅的な部数減に見舞われていますが、朝刊は2000年の5189万部と比べ、まだ半分になっていません。

いまだに朝刊が3000万部を超えている理由は何なのかはわかりません。「チラシが欲しい」からなのか、「テレビ欄が欲しい」からなのか、「お悔やみ欄」を読みたいからなのか、健康器具や医薬品の広告が見たいからなのか、はたまた「単なる習慣」(惰性)なのでしょうか?

しかし、とくに全国紙やブロック紙を中心に、朝刊に関しては、夕刊よりもまだ少しだけ時間的猶予があることは間違いないのですが、それも結局は時間の問題です。

じっさい、すでにいくつかの社は購読料の値上げに踏み切っており、つい先日は日経新聞が主要紙で唯一、朝夕刊セット価格を5,500円と「五千円台」に設定しています(『ついに日経新聞も値上げも「ウェブ版据え置き」の意味』参照)。

日経新聞が7月から値上げです。値上げ幅は朝・夕刊セットで600円、朝刊のみで800円(!)であり、とくに朝・夕刊セットの月ぎめ購読料は5,500円、年額66,000円になります。新聞購読を止めれば、浮いたカネで年1回くらいは千葉県の某遊園地に家族で遊びに行けるかもしれません。ただ、日経新聞の値上げ戦略は、独特です。ウェブ媒体限定版の月ぎめ購読料は4,277円で据え置きだからです。日経新聞は明らかに、紙媒体の発行を止めようとしているようにしか見えません。新聞の値上げ当ウェブサイトで最近、しばしば取り上げている話題の...
ついに日経新聞も値上げも「ウェブ版据え置き」の意味 - 新宿会計士の政治経済評論

日経新聞はおそらく、ウェブ戦略に成功を収めつつある数少ないメディアのひとつですが、その日経新聞の値上げは、株式会社日本経済新聞社として、紙媒体のメディアの廃止戦略に舵を切ったようなものといえるかもしれません。

ただ、それ以外のメディアにとっては、値上げは売上に急ブレーキをかけかねない、非常に危険な麻薬のようなものでしょう。どうして朝刊がいつまでも安泰だと思っているのか、疑問です。

休刊予定の大阪日日新聞に掲載された1本のコラム記事

もっとも、さすがに県紙レベル、あるいは地域紙レベルだと、もう持続できなくなりつつあるメディアもチラホラと出現しています。その典型例が、以前の『廃刊ラッシュはいよいよ始まるのか=大阪日日新聞休刊』でも報告した、大阪日日新聞が7月末で休刊となる、とする話題です。

ついに休刊が朝刊紙に及びました。大阪の朝刊紙・大阪日日新聞は13日、「社会情勢の変化に伴うかつてない厳しい経営環境に直面」した結果、7月末で休刊するという決断に至ったと発表したのです。同紙は大手紙(全国紙やブロック紙)ではないため、「新聞の廃刊ラッシュが始まった」と現時点で判断することはできませんが、ごく近い未来、似たような動きが相次いでくることは間違いありません。紙の新聞は早ければ10年前後で消滅か昨日の『【インチキ論説】日本の文化を守るため新聞に補助金を』を含め、当ウェブサイトでは最近、何度...
廃刊ラッシュはいよいよ始まるのか=大阪日日新聞休刊 - 新宿会計士の政治経済評論

大阪日日新聞といえば、前身の『帝国新聞』が設立された1911年から起算し、2010年で創刊100年を迎えたという「老舗メディア」です(同紙の『会社概要』等参照)。

同紙はもともと夕刊紙でしたが、現在は鳥取市に本社を置く株式会社新日本海新聞社の傘下に入っており、朝刊単独紙として、購読料も「どこよりも安い1部100円、月ぎめ2050円」を謳っていましたが、結局は「社会情勢の変化に伴うかつてない厳しい経営環境に直面」し、休刊という決断に至ったとしています。

これに関連し、ちょっと興味深い記事を発見しました。その大阪日日新聞に掲載された、「新聞社は冬の時代から氷河期へ」、「それでも消えない役割と使命」、などとコラム記事です。

新聞は冬の時代から氷河期へ/それでも消えない役割と使命

―――2023年06月19日付 大阪日日新聞より

コラムを執筆しているのは大学教授の方ですが、記事タイトルの「冬の時代どころか氷河期である」とするくだりは、こんな文章で出てきます。

新聞の総発行部数が1年で200万部以上も減っているということは、大きな新聞が1紙ずつ毎年消えていくようなものだ。冬の時代どころか氷河期である」。

記事によると著者の方は大学でジャーナリズム論を教えており、学生に対し「なぜ新聞を読まないか」を尋ねたところ、そのもっとも大きな理由は「なくても困らない」、「ニュースならスマホで読める」というものだった、などと指摘。

ただ、講義で実際に新聞を読んでもらうと、「なかには興味を持つ学生も現れる」、などとして、次のように述べます。

スマホから流れてくるニュースと異なり新聞は物理的な広さを持っている。紙面に目を向けると記事だけではなく漫画や天気予報、また広告などさまざまな情報が飛び込んでくる。また紙面には複数の見出しが並んでいることで、数多くの記事の概要も判別できる」。

つまり、学生にとってこれは「新鮮な経験」なのだそうで、なかには「自分たちが単なる食わず嫌いだったことを悟る」人もいるのだとか。

新聞は2009年に何をやったのか

このあたり、新聞に「一覧性」があることは否定しません。

ネットだと、スマートフォンにしろPCにしろ、記事を読むためにはいちいちクリックしなければなりませんが、紙の新聞だとクリックしなくても記事は読めますし(当たり前です!)、ページによってはマンガだの、将棋の譜面だの、天気図だの、さまざまな情報が目に飛び込んでくるため、視覚的には面白いと思う人もいるでしょう。

ただ、これらは「紙の新聞が必要である」という本質的な理由にはなっていません。

コラム記事では、新聞などの役割を巡って、こう続きます。

事件や事故、また政治問題といった世の中の出来事を伝えるメディアは必要だ。民主主義社会において国民の知る権利を代行するメディアの役割が消えることはない」。

この点は、まったくその通りでしょう。

日本は自由・民主主義社会ですから、私たち日本国民が選挙権を正しく行使するためには、「正確な情報」が必要です。したがって、こうした「正確な情報」、あるいは少なくとも私たちが選挙権を行使するうえで判断するために十分な情報を伝達する媒体(メディア)が不可欠であることは間違いありません。

ただし、日本の新聞がこれまでその役割を果たしてきたのかどうかは、まったくの別問題です。

大学でジャーナリズム論を教えていらっしゃるお立場であれば、2009年8月に、日本の新聞がなにをやらかしたか、そしてそのことを日本の新聞はどう総括したか(あるいはしていないか)について、「知らない」はずはないでしょう。

当時はまだインターネットが爆発的に普及する直前のことであり、新聞、テレビなどが垂れ流す情報を鵜呑みに信じて投票行動をとった人もかなり多かったはずです。

民主党が小選挙区で得た票は3348万票で、自民党の2730票よりもほんの617万票(つまり23%)多かったに過ぎませんが、小選挙区で獲得した勢力は221議席で、自民党の64議席と比べ、3.45倍という議席を獲得しました。

少なくともこの617万人が、新聞、テレビなどの偏向報道を鵜呑みに信じて民主党候補者に投票し、その結果、3年3ヵ月の「悪夢の民主党政権」で日本がメチャクチャにされたわけですから、新聞(とテレビ)の罪は本当に重いと言わざるを得ません。

また、敢えて実名は挙げませんが、日韓間の「歴史問題」の一部は、大手新聞による事実上の捏造報道が火付け役となるなど、日本の新聞は日本の国益をずいぶんと棄損してきました。新聞がウソを報じるなど、社会に対する背任そのものです。

こうした点に言及せず、やれ新聞の「使命」だ、やれ新聞の「役割」だ、などといわれても、ちょっと困ってしまいます。

ネットに居場所はない

そして、コラムの最後の方では、こんなことも記載されています。

ただし姿形を変えることはある。紙の新聞が消え、ネットに居場所を変えて役割を果たすことはこの先も求められるはずだ」。

…はて?

以前から指摘している通り、経営状態によっぽどの余裕があるものを除けば、「紙の新聞」がこの世からほぼ姿を消すことは間違いありません。早ければ夕刊はあと3~5年で、朝刊は7~10年で、主要紙を中心に廃刊ラッシュが訪れる可能性が濃厚です。

しかし、よっぽどの専門性でもない限り、廃刊した新聞の居場所は、ネットにはありません。事実、同紙の休刊に関する社告『「大阪日日新聞」7月末で休刊のお知らせ』を読む限り、大阪日日新聞自身が「ネットに居場所を変える」という話は出てきません。

いや、もちろん、ネット空間で情報発信をすることは自由ですが、それが「採算ラインに乗るかどうか」はまた別問題であり、採算性のあるビジネスとしてやって行きたいのであれば、それはかなり厳しいであろうことは間違いありません。

いずれにせよ、多くの新聞はただ消滅するのみであり、「ネットに居場所を変え」たりすることはないでしょう。もっとも、2009年の大偏向報道事件を含め、これまで新聞業界がやらかしてきたことを思い出すと、そのことに同情心はまったくわきませんが…。

新宿会計士:

View Comments (37)

  • この大学教授、一体何を教えているのか?大学教授の質が低すぎる。

    さて、新聞のビジネスモデルって?

    1.景品で勧誘
    2.チラシ目的
    3.TV番組欄(必ず見易いように最終面に掲載)

    昔から、これだったと思う。

      • ネットには、「いいね」という景品、「読者コメントへの賞賛」という景品があるのではないでしょうか。(もちろん、この景品を喜ぶかどうかは別の話です)

  • 大学教授の仰る通り、「一覧性」では新聞に分がありますね。スマホでは単独の記事、出来事、コメントを読んでまた画面を戻す必要が有ります。それに例えば「ニュース」欄でも、ずいぶん以前の出来事が上位に来ている事がある。それも何本も。大手と言われる所にその傾向があります。何かフラッシュバックでもさせたいのか、「早よ削除せいよ!」と思うことがある(笑)。

    しかし大学教授の言う「姿形を変えて、紙の新聞が消え、ネットに居場所を変えて役割を果たすことはこの先も求められるはずだ」ーーは絶対に無いです。まず報道姿勢が新聞記者の方の、凝り固まったジャーナリスト意識では、ドラスティックな改革など不可能です。

    また経営母体が鳥取の県紙(何度か読んだ事はあります)ですが、偏向では無い国民を誤誘導させない方針を担保出来るのでしょうか?今回の廃刊はいずれも無理、と判断されたからだと思います。

    • >「一覧性」

      これ、小学校の授業じゃないんだから。
      大学教授が、大学の授業で言うことか?と思いますわ。

  • 製造業やってる人間からすると、いまの大手メディア(新聞やテレビ)は、ものつくりの基本のキの字のPDCAサイクルすら回してません。
    回せてません。
    回す気はないようです。

    彼らの取り扱う「情報」は、お金をとって販売してる商品です。
    品質を担保する工夫とたゆまぬ改善が必要です。

    新聞やテレビという業界そのものがダメになったとは早計かと思いますが、品質が低すぎる商品ばかりなのは確かですね。
    (もはや買わない/見ない読まないですから)

  • 結局のところ、この大阪日日新聞のコラムの結論は、書き手の希望、感情を書いたものではないでしょうか。

  • 生成 AI による人類滅亡リスクを語るより、遠くない日にそうなるであろう「新聞社滅亡」に「備えて」おくほうがよほど現実味があります。

  • >冬の時代

    テレビで「テレビ欄」が見られるようになった頃からでしょうか?
    WEBチラシでのクーポン配信が拍車をかけたように思います。

  • 新聞を定期購読する理由の一つに、「他人がみな知ってるのに自分だけが知らないのはどうも」というのがあるのでは。
    定期購読する人がこのまま減っていけば、どこかの時点で激減するような気がする。
    もともと特定の情報を得るために読んでいるわけではないので「みんながやめるなら俺も」というのが出てくる。
    そう考えると特定の情報を求めて読む「業界紙」は生き残るだろう。この関係は衰退が激しい百貨店と専門店の関係に似ているかもしれない。

    • 私が一般紙を百貨店に例えるのは、「何でもある」というところが似ていると思うからだ。
      株式欄、テレビ欄、連載小説、読者投稿俳句短歌、囲碁将棋、4コマ漫画(まだやってる新聞あったよね)盛りだくさん。幅広い読者を獲得したくてこうなったのだろうけど、株式はネットならライブで値動きがわかり、テレビ番組表はテレビに内蔵されている。
      4コマ漫画なんか見てる人いるの? 新聞の連載小説の熱心な読者は昔から入院患者じゃないかといわれていたが入院期間が短くなった今誰が読んでるのだろう。
      新聞は日本の政治を「変えられない政治」とか揶揄するが自分たちがいちばん変えられない。

  • 真偽のほどは分かりませんが軍艦島ドキュメンタリーに関して「NHK幹部が自民党会合で、映像の撮影に使われたフィルムは放送と同じ年の55年製と説明したのだ」とか。
    https://news.yahoo.co.jp/articles/7fe4cbf6bf62dfff19d99ee7ce9a47c27dfcdeba

    もし、本当とすれば旭日旗そっくりの社旗を有する新聞社が捏造した問題に並ぶ日本を毀損する行為です。「日本のマスメディアは事実を伝えるのが苦手」どころではありません。国民から強制的にお金を徴収して他国を利する行為は旧〇〇教会がやっていることと変わりません。NHKの構造改革が求められます。と言うか、テレビの社会的役割は新聞紙同様にwebに実質置き換えられていて、もう不要になったと思います。

    • >テレビの社会的役割は新聞紙同様にwebに実質置き換えられていて、もう不要

      同意見です。

      先の年末バーゲンセールのとき両目に¥¥マークが灯ってしまい、憧れの 4K モニターと Amazon Fire TV Stick 4K Max を購入しました。仕事で使っている PC に追加し第2ディスプレィにしています。4K ディスプレィには HDMI 入力が削和なっていてそこへ Fire TV Stick を差しました。Fire TV Stick 実に面白い製品です。ちょっとの間あれこれいらって機能を確かめたのですが、これを使っても TV は TV にしかならないと気が付き、今は取り外してしまいました。リビングに大型壁掛け TV を所有していない当方には無用の品だったのです。
      普段から Chrome ブラウザタブをばんばん開いて仮想拡張デスクトップに並べています。一方 4K ディスプレィ、普段は音楽なしの長尺の環境動画を再生させています。景色のきれいな観光地のライブもいいですね。Youtube に間断なく投稿されてくる海外メディアの動画を Chrome タブを剥がして移動させてそこで視聴しています。Youtube が緊急提示して来た重要報道のライブ中継も 4K で視れます。
      今般ディスプレィの価格降下速度は著しく、Fire Stick TV との組み合わせで即座にネット TV 装置化できますし、ディスプレィに複数ある入力端子のどれかにノート PCを接続すれば広大な拡張表示領域を活用できます。「エンゲージメント」という指標は、日々どれだけの時間を費やしているかを量り議論するものですが、一般論として新聞や TV のエンゲージメント度はこの先下がって、遠くない将来に底が抜けてしまうのは間違いなさそうです。

      • 縦横にネットを使い倒しておられますね。私も4Kモニター欲しいです (\_\)/

      • 攻撃型原潜#$%〇X さま

        4K ディスプレィ買ってしばらく後悔していました。細か過ぎて 1.5 倍 2 倍表示を選択するほかなく、それだったら 1080p ディスプレイや 1440p ディスプレィを買ったのも同然だからです。でも Youtube に転がっている 4K 動画を再生して(うひょー)意見が180°変わりました。
        決して安くはないネット通信料金、もっと有効に使えるはずという疑問と熱意を感じて当然です。そして新聞代や NHK の支払いが不当に高価と思いが至って、みんな順番に止めていく。

  • 未だに新聞とったり、NHK受信料払っている方々、いい加減目覚めなさい!といいたいですね。

    • N党が、日和って、ぶっ壊してくれないものだから。公約違反もいい加減にしてよ、と。
      日和の果てが、当名変えちゃった。

  • 日本のメディアは新聞を代表に利権の塊だと思います。
    発足時は国有地の払い下げを享受しており、現在の新聞社の本業は不動産屋です。土地利権
    世界では禁止され散るクロスオーナーシップ(新聞とテレビが同じ経営者であることを禁止)制度を今も続けている。電波利権。
    新聞の軽減税率。税金利権、
    記者クラブから記事をもらい、フリー記者を排除するバカ記者達。官庁利権。
    記者たちは自分で取材したり考えたりできない人たちばかりなので、各記事はもらった記事しかない。基本的考え方は60年前から変わらず、左翼思想を信条としている。偏向記者。
    まあどうしようもないのが、日本のマスゴミですね。

    • 報道後進国の問題は産業構造もさることながら本質的には「中のひとたち」の資質と能力です。

    • ブログサイト拝見しました。写真、綺麗ですね。毎日、良くこれだけの写真を精力的に撮れるものだとその根気に敬服いたしました。
      自分が思うのですが、写真撮影に於いて、空間の中にテーマを見出し、空間の中からそれを切り出す機会に巡り合えることは、なかなかありません。
      そんな目で、空間を見ていきたいと、改めて思いました。

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