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テレ朝社長、虚偽発言は「国葬を論評したもの」と主張

先月27日に行われた安倍晋三総理の国葬儀を巡り、テレビ番組の出演者がウソを述べたという「玉川問題」を巡り、テレビ朝日社長が「あくまでも国葬(儀)について論評したものだ」、などとする、驚くべき認識を示したようです。このテレビ局、事態の深刻さをまったく理解していないとしか言い様がありません。そして、やはりテレビ業界の番組を巡っては、強制力のある独立した監視機構が必要ではないでしょうか。

客観的事実と主観的意見の違い

普段から当ウェブサイトで何度も強調してきたとおり、俗に「報道」と呼ばれる情報には、基本的には2つの構成要素があります。それが「客観的事実」と「主観的意見」です。

「客観的事実」はだれがどう報じてもだいたい同じような内容になる情報ですが、「主観的意見」は報じる人、論評する人によって真逆の内容となり得る情報のことです。あるいは「絶対的な正解」が存在するのが「客観的事実」、それが存在しないのが「主観的意見」、という言い方をして良いでしょう。

ちなみにそれぞれの例は、こんな具合です。

「客観的事実」の例

(A)「2022年9月27日、故・安倍晋三総理大臣の国葬儀が営まれた」。

「主観的意見」の例

(B)「安倍総理の功績を考えれば、国葬儀が行われるのは当然のことだ」。

(C)「安倍総理と(旧)統一教会の不透明なを考えれば、国葬儀は行われるべきではなかった」。

ここで、(B)、(C)の内容は真逆ですが、どちらの文章も(A)の部分を前提としています。(B)の立場の人も、(C)の立場の人も、(A)の部分に関しては、事実認定は対立していないはずなのです。

このあたり、(A)の文章の「2022年」を「令和4年」と表現する人もいれば、「安倍総理」ではなく「安倍元首相」と表現する人もいますが、どちらも同じ意味です(※ただし「国葬儀」を「国葬」と呼ぶのには事実誤認がありますが…)。

意見の対立はあっても良いが…

では、世の中に(B)や(C)のようにまったく異なる意見が混在していることに、なにか問題はないのでしょうか。

結論からいえば、まったく問題ありません。

いや、日本は言論が自由な社会ですので、むしろ(B)や(C)のように、お互いまったく対立するような意見が多数みられることは、社会が健全である証拠でもあります。

金正恩(きん・しょうおん)に対する批判が許されない国、習近平(しゅう・きんぺい)国家主席に対する批判が許されない国、ウラジミル・プーチンに対する批判が許されない国、自称元慰安婦に対する批判が許されない国などもあるようですが、これらの国家と比べれば、日本社会の方が遥かに健全です。

ただし、日本のテレビ局の場合、問題点が2つあります。

ひとつめは、「主観的意見」に大きな偏りが見られる点です。

たとえば安倍総理の国葬儀に関しては、批判的な立場から取り上げる意見が放送時間の過半を占めている、といった説もあるようですが、これが事実ならばとんでもない話です。

ただ、これについては結局のところ、情報の受け手自身が「主観的意見」と「客観的事実」を明確に峻別できるほどに賢明であれば、まだ何とかなる問題ではあります。

事実関係の部分でウソをついたことの深刻さ

しかし、日本のテレビ局のふたつめの問題点は、もっと深刻です。それは、「客観的事実」の部分でウソをつくことがある、という点です。その典型例が、「玉川問題」でしょう。

「玉川問題」は、テレビ朝日従業員の玉川徹氏が28日、出演した番組内で、菅義偉総理による弔辞を「電通が関与した」、「演出」などと発言したのですが、これがまったくのウソだった、というのです。菅総理の弔辞に電通はいっさい関わっていなかったにも関わらず、玉川氏は事実関係を調べもせずにウソをついたのです。

この問題、「ただの言葉のあやじゃないか」、などと考えてもらっては困ります。

テレビ局は公共の電波という私たち一般国民の貴重な共有財産を独占使用させてもらっている立場にありますので、放送法第4条第1項については、少なくとも守っていただく必要があるからです。

放送法第4条第1項

放送事業者は、国内放送及び内外放送(以下「国内放送等」という。)の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。

一 公安及び善良な風俗を害しないこと。

二 政治的に公平であること。

三 報道は事実をまげないですること。

四 意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。

当然、テレビ局や新聞社が大好きな「報道の自由」という表現も、「新聞社やテレビ局が好き勝手にウソを報じてよい」、という意味ではありません。

あくまでも事実関係を歪曲せずに正しく報じることが自由だ、と述べているだけであって、新聞社やテレビ局にとって都合が悪い事実を「なかったこと」にしてはならないはずですし、ましてや玉川氏のようにウソを述べてよい、という話ではありません。

テレ朝社長の驚くべき認識

しかも驚くことに、テレビ朝日は問題発言を行った玉川氏本人に、謹慎10日という事実上の「秋休み」を与えたことで、この虚偽発言問題に完全な幕引きと逃亡を図っているのです(『玉川氏は結局降板せず:テレビ朝日は「逃げ切り」図る』等参照)。

結局、玉川氏は降板しないのだそうです。19日に放送されたテレビ朝日の問題の番組に出演した玉川氏は菅義偉総理に対する謝罪を(いまさらながらに)口にしたものの、今後ともコメンテーターの立場として、現場に出ることもあれば、スタジオで発言することもあるのだそうです。まさかとは思うのですが、テレビ朝日はこれで完全に幕引きにし、逃げ切ろうとしているのでしょうか?結論:玉川氏は降板せず「玉川問題」、つまりテレビ朝日の玉川徹氏が番組内で事実に基づかない発言を行った問題で、玉川氏本人が19日、10日間の謹慎が明けて...
玉川氏は結局降板せず:テレビ朝日は「逃げ切り」図る - 新宿会計士の政治経済評論

今回の事例、テレビ局がウソをついたという意味では、社長がきちんと説明したうえで責任を取るべき話でしょうし、総務省としてもテレビ朝日から放送免許を剥奪することを検討しなければならない事例です。

また、「玉川氏はたまにウソをつくけれども、それも含めてあの番組の魅力だ」、などと騙る人もいるのかもしれませんが、もしそうだとしても、テレビ朝日は「虚言癖のある人物をテレビに出していた」ということになりますし、その場合もテレビ朝日の組織、内部統制に深刻な欠陥がある、という意味です。

ところが、テレビ朝日という組織がまったく反省していないという証拠が、また出てきました。

玉川氏の発言は「国葬を論評」 テレ朝社長が強調

―――2022/10/25 17:28付 産経ニュースより

産経ニュースの一昨日の記事によれば、テレビ朝日の篠塚浩社長は25日の定例会見で、この「玉川問題」を巡り、「あくまで国葬について論評したものと考えている」と述べ、「玉川氏や同局の番組制作上の姿勢ではないとの認識を強調した」のだそうです。

とんでもない認識です。

この問題は「論評」、すなわち「主観的意見」の問題ではなく、その前提条件である「客観的事実」の部分で出演者がウソをついた、という点にあるからです。

しかし、産経によると篠塚社長は「発言はあくまで国葬について論評したものと考えている」としたうえで、「論評する上で事実関係に誤りがあったので、それで謝罪訂正をした」、などと説明したのだそうです。この認識を読むと、テレビ朝日の玉川氏らに対する処分の甘さの理由もなんとなくわかります。

つまり、テレビ朝日自身は今回の問題の深刻さを理解していない、ということでしょう。

何らかの罰を下す仕組みは可能か

このように考えていくと、やはり、テレビ朝日に対して何らかの罰を下すことが必要ではないでしょうか。

といっても、現在のところ、放送局に下せる具体的な「罰」といえば、電波法に基づく停波措置くらいしかありませんし、結局のところ総務省自身がテレビ業界に対して非常に甘いスタンスを維持しているため(天下り利権の確保のためでしょうか?)、こうした措置は期待できません。

したがって、やはりここは国会が動き、テレビ局に対するきちんとした罰則を適用し得る法制を整備することが必要ではないでしょうか。

それにテレビ業界が事実上「身内」で設立した「BPO(放送倫理・番組向上機構)」という組織自体、第三者監査として機能していませんし、強制力もありません。やはり、ここはBPOなどに委ねるのではなく、放送業界からはまったく独立した第三者による強力な監査機構を発足させることも検討すべきではないでしょうか。

その意味で、今回の「玉川事件」はテレビ業界の自浄作用の有無を検証する良い機会と言えるかもしれません。これについては(あまり期待せずに)続報を待ちましょう。

もっとも、そのような監視機構を創設しなくても、すでにインターネット上では、無数の一般視聴者がテレビ局や新聞社のおかしな報道を批判的に取り上げて監視する仕組みが自然発生している、という言い方もできるのかもしれません。

このあたり、個人的には今後のネット社会の発展が楽しみでもあると思う次第です。

新宿会計士:

View Comments (21)

  • テレビ局が【馬鹿であるということを上手に誤魔化していない】ことを評価してはいかがかとーーーー。

  • 毎度、ばかばかしいお話しを。
    事実かは朝日新聞が決める。テレ朝が決める。ネット民は黙っていろ。
    これって、笑い話ですよね。

    • 毎度、ばかばかしいお話しを。
      テレ朝:「ドラえもん、ネット民がぼくのことを苛めるんだ」
      もし、次回のドラえもんの映画が、(印象操作のために)これになったら笑い話でなくなります。

    • 毎度、ばかばかしいお話しを。
      テレ朝(裏)社則①:「テレ朝社員は、他のメディアの取材に対して、本当のことや本音を話すことを禁じる。そして、他の業界の社則が、こうなっていた場合は、全力で批判することを義務付ける」
      テレ朝(裏)社則②:「ネット民のテレ朝への論評は、事実に基づかない虚偽発言として無視する」
      すみません。誰か、笑い話か確認してもらえませんか。

  • 自分の日本語力が衰えているのか、篠塚社長の
    「発言はあくまで国葬について論評したものと考えている。論評する上で、事実関係に誤りがあったので、それで謝罪訂正をした」
    を何度読み返しても、だったら、OKという答えが見つかりませんでした。
    「論評であれば、論評が基づく事実関係がウソであってもよい。それでもって政治的公平性は失われることはない。世間に対しては嘘を訂正するだけでよい」と言うことを意味しているのでしょうか?
    それって、嘘に基づくものでも何でも論評ならOKということですよね。テレビ局の報道姿勢ってそうだったんだ。つまり騙される方が悪いと。

    • もし、テレ朝が事実に基づかないことで批判されたら、(例え論評と言われても)鬼の首を取ったように騒ぐのではないでしょうか。

  • 絶え間なく 吹き込む煙に燻されて
    巣穴飛び出す 親狸かな

    いやが上にも、ネット民を焚きつけるなんて
    よっぽど狸汁になりたいらしい(笑)。

  • そろそろ、報道機関に何らかのペナルティを課す事に対して
    「報道が萎縮する」などという非常に情けない言い訳を
    言わせない工夫が必要になってきました。

  • テレビ局の主な収入源はCM広告収入です。
    もし、大勢がテレビを見ないことで視聴率が下がれば、広告を出す企業は宣伝効果が薄いと判断してCM広告を止めるはずです。
    そうなれば、テレビ局は広告収入がなくなって倒産します。
    つまり、捏造・偏向報道するマスコミ各社を合法的かつ最も簡単に倒産させる方法はテレビを見ないことです。
    現状、マスコミ各社を監査する機構を設置することや総務省が停波することは現実的とは思えません。

    • 視聴率を出しているビデオリサーチ自体が株主がアレだから、実際には見ていなくても…
      穿ちすぎでしょうか?

  • テレビ朝日は、組織は頭から腐るの典型的な会社だと思いますね。このまま放送免許を与え続けていても良いのでしょうか?日本の中央官庁には財務省、外務省、総務省、文科省、環境省等々制度疲弊したろくでもない組織が多いので、行政にはその所管行政の作為の結果および無作為に対して責任をとらせる制度を一刻も早く作らないと本当にこの国の行く末を心配します。

  • あの玉川氏が居るだけの放送局の社長、ということなんですかね?

    しかしあれを正当化するとは、捏造記事を謝罪しなかった朝日新聞と同じ体質が今もあるわけで、ある意味衝撃的ですね。放送法なんて遵守する意識はゼロ(一方通行マスコミで勝手なことを言える権利を持たされていること=言論の自由なんだ)なんでしょうね。

  • まあ確かに、「玉川氏自身が弔辞についての電通関与があるのではと推測した」ということは事実です。ただ、その言い方やキャスターとしての立場から、単なる個人的推測や妄想ではなく、事実であると誤認させるに十分であることが問題な訳です。結果として大多数の視聴者客観的事実を歪めて認識したわけです。

    本件、菅総理に対する名誉毀損が成立します。菅総理自身が問題にしなければ法的な問題にはならないのでしょうが、まるで菅総理が電通に操られているかのような印象を視聴者に与えました。そこの問題が一番ですね。

    放送法の問題は、もしかしたら文字通りの虚偽報道に対するだけのザル法なのかも知れませんが、「間違った認識を視聴者にさせる」ことへの規制が必要ですね。

    表現の自由ってあくまで主観的な事柄についてのみ成立すると思います。客観的事実を受け手が誤認するような表現は少なくとも公共の報道機関の表現の自由には含まれないでしょう。明らかに受け手の知る権利の侵害ですし(知る権利は憲法上明記された権利とまでは言えないですが、尊重されるべきとのコンセンサスは十分あると認識します)。

  • 「社長の切腹が近々あるそうだぜ」「それなら介錯はオレにやらせろ」
    ネットが盛り上がるのは必至の情勢ですね。

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