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「業界衰亡期」なのに…「値上げ断行」相次ぐ新聞業界

私たちは少なくとも2つの業界――新聞業界とテレビ業界――の衰亡を、いままさに目撃しつつあるのかもしれません。というのも、新聞・テレビ業界では広告収入が激減しているのに加え、とくに新聞業界は、ただでさえ部数が減っているのに値上げする事例が再び増え始めているからです。

広告におけるネットvsマスコミ

広告収入の減少が続く新聞・テレビ業界

「新聞、テレビ業界で、広告収入が減少している」という話題は、以前の『最新版「日本の広告費」から見える新聞・テレビの危機』などを含め、これまでに当ウェブサイトにおいて何度となく取り上げてきたもののひとつですが、重要なデータなのでもう一度ざっとおさらいしておきましょう。

株式会社電通が毎年公開している『日本の広告費』というレポートに掲載されているデータでは、総広告費がマスコミ4媒体、ネット、プロモーション・メディア(PM)の分野別に集計されています(図表1)。

図表1 媒体別広告費(2022年vs2023年)
媒体 2022年 2023年 増減(増減率)
総広告費 7兆1021億円 7兆3167億円 +2146億円(+3.02%)
マスコミ4媒体 2兆3985億円 2兆3161億円 ▲824億円(▲3.44%)
うちテレビ 1兆8019億円 1兆7347億円 ▲672億円(▲3.73%)
うち新聞 3697億円 3512億円 ▲185億円(▲5.00%)
うち雑誌 1140億円 1163億円 +23億円(+2.02%)
うちラジオ 1129億円 1139億円 +10億円(+0.89%)
ネット 3兆0912億円 3兆3330億円 +2418億円(+7.82%)
PM 1兆6124億円 1兆6676億円 +552億円(+3.42%)
うち折込 2652億円 2576億円 ▲76億円(▲2.87%)
※新聞+折込 6349億円 6088億円 ▲261億円(▲4.11%)

(【出所】株式会社電通『2023年日本の広告費』等をもとに作成)

これによると2023年における総広告費は前年比+2146億円(+3.02%)となる7兆3167億円でしたが、内訳で見ると、マスコミ4媒体は前年比▲824億円(▲3.44%)となる2兆3161億円に留まりました。雑誌、ラジオはプラス成長でしたが、新聞、テレビが大きく足を引っ張った格好です。

広告需要が増えているからこの程度の減少で済んでいる…のかも?

これに対し、ネットは前年比+2418億円(+7.82%)の3兆3330億円、PMは前年比+552億円(+3.42%)の1兆6676億円で、どちらも「マスコミ4媒体」をしり目に、堅調なプラス成長を記録しています(ただしPMのうち「折込」はマイナス成長)。

これについて、どう見るべきか――。

これには少なくとも2つの解釈が成り立ち得ると思います。

まずは、「他の主要媒体がプラス成長なのに、新聞、テレビがマイナス成長を記録した」という統計的事実に着目すると、新聞、テレビが広告媒体としての魅力を失っている、という解釈が成り立ちます。広告需要全体が伸びているにも関わらず、新聞、テレビはこれと逆行したからです。

ただ、著者自身はここに、もうひとつの解釈があり得ると考えています。

それは、「広告費全体が伸びている時代だからこそ、この程度のマイナス成長で済んだ」、という可能性です。

その仮説が正しければ、もしも広告市場全体の伸びが鈍化するようなことがあれば、新聞、テレビの広告費はますます減ってしまうのではないか、といった推論も働くでしょう。

実際はネットがマスコミ4媒体を食ってきた歴史

図表2は、過去データなどをもとに、総広告費がどう推移していったかを、ネット、マスコミ4媒体、PMの別に集計したものです。

図表2 総広告費の推移

(【出所】株式会社電通『日本の広告費』および当ウェブサイト読者「埼玉県民」様提供データをもとに作成)

驚くことに、総広告費はこの四半世紀、大して増えていません。コロナ禍で落ち込んだ2020年を別とすれば、ここ数年は前年比プラス成長が続いているのですが、それらは「マスコミ4媒体の広告費が減り、ネット広告費が増える」という動きだけで、ほぼ説明がつきます。

これをもう少し端的に示したものが、次の図表3です。

図表3 広告費(ネットvsマスコミ4媒体)

(【出所】株式会社電通『日本の広告費』および当ウェブサイト読者「埼玉県民」様提供データをもとに作成)

この図表は、ネット広告費とマスコミ4媒体広告費のみをグラフ化したものですが、ネット広告費は2004年にラジオ広告費を、2006年に雑誌広告費を抜き、2009年には新聞広告費と逆転。2019年の時点で、ついに史上初めてテレビ広告費を抜いています。

そして、ネット広告費は2020年にマスコミ4媒体とほぼ等しくなったかと思うと、翌年はマスコミ4媒体合計を一気に抜き去り、直近の2023年には、ネット広告費は、なんとマスコミ4媒体の約1.5倍にも達してしまっているのです。

ネット広告費の推移
  • 2000年…590億円(マスコミ4媒体合計の3兆9707億円の67分の1)
  • 2004年…1814億円(ラジオの1795億円を上回る)
  • 2007年…6003億円(雑誌の4585億円を上回る)
  • 2009年…7069億円(新聞の6739億円を上回る)
  • 2019年…2兆1048億円(テレビの1兆8612億円を上回る)
  • 2020年…2兆2290億円(マスコミ4媒体合計の2兆2536億円とほぼ並ぶ)
  • 2021年…2兆7052億円(マスコミ4媒体合計の2兆4538億円を上回る)
  • 2023年…3兆3330億円(マスコミ4媒体合計の2兆3161億円の約1.5倍)

(【出所】株式会社電通『日本の広告費』および当ウェブサイト読者「埼玉県民」様提供データをもとに作成)

「ネット広告費の伸長が凄い」と見るべきなのか、それとも「この四半世紀におけるマスコミ4媒体広告費の停滞ぶりが酷い」と見るべきなのかはさておき、統計的事実だけで見たら、すでに「ネット対マスコミ」の勝負は完全に終わっていると評価すべきでしょう。

新聞・テレビ業界の認識の甘さ

テレビ業界を「死の谷」とは認識が甘すぎる

あとは、マスコミ4媒体――差し当たっては新聞、その次はテレビ――の広告費が、今後、どうやって盛り返すか(あるいは盛り返すことなく、どこまで減り続けるか)、という点は興味深いところです。

著者は神様ではありませんので、「将来、こうなるはずだ!」などと断言することは、とりあえず控えたいとは思います。

ただ、『「死の谷」が象徴するテレビ業界と総務省の認識の甘さ』などでも説明したとおり、一部のテレビ業界関係者が抱いている、「そのうちTVerの広告収入が地上波の広告収入の落ち込みをカバーする」、などとする期待は、正直、あまりに楽観的に過ぎます。

現実問題として、常識的な経営環境分析ができていれば、新聞社もテレビ局も、「このままのビジネスモデルではダメだ」ということが理解できるはずです。

それにはまず、現状を正確に認識することから始めるべきでしょう。

読者が新聞社に、視聴者がテレビ局に、いったい何を期待しているかといえば、(想像するに)たとえば報道であれば「事実を事実のまま報じてくれること」であり、現状分析であれば「私たち素人にもわかりやすく、現状の政治・経済などの問題点を伝えてくれること」ではないかと思います。

事実を正確に伝える力も専門能力もないのが日本のマスコミ

ただ、非常に残念ながら、そのどちらも現在の新聞、テレビ業界に期待するのは難しいかもしれません。

たとえば、(少し古い調査ですが)日本の新聞記者は「事実をありのままに伝えること」の重要さに対する認識が諸外国の記者と比べて際立って低い、などとする調査結果もあります(『「事実を正確に伝える力」、日本の新聞に決定的に欠如』等参照)が、これはある意味で見当外れではありません。

日本の新聞、テレビは、事実でもないことをさも事実であるかのごとく伝えることが常態化しているからです。

ほんの少し例を挙げるだけでも、読売新聞記者によるインタビュー捏造事件(『読売新聞記者が記事捏造…「自分のイメージと違った」』等参照)やテレビ朝日の番組に出演したコメンテーターの虚偽発言(『椿事件から玉川事件へと連綿と続くテレビ業界の問題点』等参照)など、枚挙にいとまがありません。

さらに驚くのは、新聞、テレビを中心とするオールドメディア業界における、専門性のなさです。

「出力制御が再エネ普及妨げ」にSNSでツッコミ殺到』などでも取り上げたとおり、電力系統の論点、FIT/FIP制度などの基本的な問題点などをほとんど理解していないと思しき記事が、一般人から総スカンを喰らい、SNSなどで多くの批判を集めているという事例も出ています。

最近だと、いわゆる「トリレンマ」を理解していない人たちが円安の弊害を唱えることも増えている(『「日銀は円安止めるために金融緩和やめよ」論の間違い』等参照)のですが、これも新聞社やテレビ局が専門性を軽視してきたことの表れでしょう。

(※なお、円安が現在の日本経済に対し、総合的に見れば良い影響を与えている、という論点については、『【総論】円安が「現在の日本にとっては」望ましい理由』などでも詳述していますので、どうぞご参照ください。)

いずれにせよ、著者自身の見解によれば、新聞、テレビの広告費の激減は、①新聞、テレビという媒体自体のビジネスモデルが終焉を迎えている(紙媒体、電波媒体はネットに勝てない)、②日本のマスコミの情報伝達力が極めて低いことが、一般の人たちにバレ始めている、という2つの要因によるものです。

もしこの見解が正しければ、広告費の減少ももうしばらく続きそうですし、新聞部数、テレビ視聴時間などについても、減ることはあれ、「増加する」という未来はなかなか見えてこないのです。

あれれ?値上げがまだ続いている新聞業界

こうしたなか、本稿でもうひとつ指摘しておきたいのが、新聞業界の「逆張り」です。

以前から当ウェブサイトでは不定期的に、新聞の定期購読料の値上げという話題を取り上げて来たのですが、『文化通信』というウェブサイトで「購読料改定」というタグを検索した結果表示される記事をリストアップしていくと、興味深いことがわかります(図表4)。

図表4 新聞購読料の値上げの例

(【出所】『文化通信』ウェブサイト上の「購読料改定」タグで検索)

ここに列挙したものは網羅的なものではなく、また、一部やや不正確ではないかと思える情報もあるのですが、とりあえず現時点で一覧にしてみると、2022年10月以降で見て値上げした事例は少なくとも65件あり、それらの多くが500円前後の値上げを行っていることがわかります。

しかも驚くことに、値上げは昨年で一巡したのかと思いきや、今年に入ってからもいくつかのメディアで値上げ事例が確認できるのです。

ちなみにどの社も値上げ理由としては「原材料費高騰」、「燃料費高騰」などを挙げていますが、(あくまでも印象ですが)「人件費高騰」を挙げている社はあまり見当たりません(「新聞記者を続けても給料は上がらない」、という意味でしょうか?)。

部数の落ち込みは放物線シナリオ?それとも…

それはともかく、正直、新聞に対する社会的なニーズが減っているなかで各社が値上げを断行しているというのは、端的にいえば自分の首を自分で絞めているようなものでもあります。

各新聞社にとっては「原材料費の高騰で値上げもやむなし」、といった判断なのかもしれませんが、それにより新聞部数がどうなるかは気になるところです。当ウェブサイトのシナリオでいうところの「加速シナリオ」も視野に入れておく必要があるのかもしれません。

このあたり、当ウェブサイトではしばしば言及する通り、一般社団法人日本新聞協会のデータに基づけば、新聞業界全体の部数が近年、あたかも放物線を描くように減っているという事実を思い出しておく必要があるかもしれません(図表5)。

図表5 新聞部数はこれからどうなるのか

(【出所】1983年~2023年については一般社団法人日本新聞協会『新聞の発行部数と世帯数の推移』および『日本新聞年鑑』データ、シナリオ①~⑤は当ウェブサイトにて作成。ただし、セット部数を朝刊1部・夕刊1部とカウントし直している)

ちなみにグラフに示した「加速」、「線形」、「緩和」の意味は、それぞれ次の通りです。

  • ①消滅加速シナリオ…新聞部数の消滅ペースが2023年までと比べ毎年50万部づつ加速していく
  • ②線形消滅シナリオ…新聞が2024年以降も毎年318部ずつ直線的に減少していく
  • ③消滅減速シナリオ…新聞部数の消滅ペースが2023年までと比べ毎年25万部づつ減速していく

これによると最速の「加速シナリオ」だとで2029年ないし30年に、線形で減っていったとしても2033年に、それぞれ新聞部数がゼロになってしまうという計算で、「消滅減速シナリオ」ならば、いちおう2030年代になっても新聞部数は辛うじて1000万部の大台を維持している、という計算です。

ただ、これもあくまでも直観的に見ると、①の可能性も捨てきれないにせよ、社会全体として見れば新聞に対する需要は高齢層を中心に根強く、現実的には、新聞部数は今後、②と③を折半したような動きを見せるのではないかと、個人的には推察しています。

あまり同情できない

いずれにせよ、私たちは少なくとも2つの業界の衰亡を、いままさに目撃しつつあるのかもしれません。

といっても、新聞・テレビ業界がこれまでに行ってきた問題報道の数々を思い出しておくと、あまり同情する気にはなれませんが…。

新宿会計士:

View Comments (30)

  • 昨日のこちらで投稿した内容ではありますが、
    https://shinjukuacc.com/20240425-02/#comment-313140

    自らの信ずるところのCSR(企業の社会的責任)を果たすに当たり、コンプライアンス(法令・社会規範の遵守)の軽視・無視が社内的常識・業界内的常識となっていて、結果、現代社会にそぐわない時代遅れの業界として取り残されたのだろうな、と。

    ガラパゴス日本のガラパゴス業界、ってところですかね。

  • 毎度、ばかばかしいお話を。
    新聞業界:「値上げも、みんなでやれば怖くない」
    ということは、ネットも値上げ(?)しろ、ということでしょうか。

  • >「業界衰亡期」なのに…「値上げ断行」

    (読者離れの反復横跳び)
    記事の先鋭化→読者離れ→値上げ→読者離れ→更なる先鋭化→読者離れ→値上げ→読者離れ→極先鋭化→読者離れ→値上げ・・
    ・・・・・
    ウラの金主の意を汲みすぎて、オモテの金主が "さよぉなら=3"
    毒まんじゅうを食べすぎた故の『”中”毒症 !』なのかもですね。

    *新聞社に必要なのは”毒者離れ”。

  • 雑感に近いですが、思うにオールドメディアの人たち(50年前には左翼系インテリゲンチャと呼ばれた)は、映画『アマデウス』のサリエリみたいですな。

    なにが社会全体の最適解なのかを、判別するセンサーだけはある。

    でも自分では何一つとしてクリエイトすることも維持管理することもできない。

    身悶えるアイデンティティ。
    肥大する自意識
    (今は中二病と呼ばれる)

    小人閑居して悪事を為す、ですかな。

    • サリエリはモーツァルトの才能を認め、寄り添う振りはしていましたが、オールドメディアは潰したい相手に対して敵対心丸出しですよね。
      サリエリの評価は諸説あり、音楽家としても師匠・マネジャーとしても全く無能だったとはいえないようです(オールドメディアと違い)。

      https://mcsya.org/yamane/13080/
      https://www.meisaku-bar.com/amadeus/
      https://e-gakkou.jp/school/blogs/detail/123/80

      >なにが社会全体の最適解なのかを、判別するセンサーだけはある

      なにが社会全体の最適解なのかを、うすうすわかった上で、むしろミスリードしていると思います。

    • 主旨ズレですが、映画の方に。
      「アマデウス」の中でのサリエリは無能の人というより、凡人という設定の方がしっくりきます。
      努力して人並みに以上の地位には就いて、もちろん諸事をこなすのに問題はないのだけど、天才と比較すると如何ともしがたい。

      あれを見たのは若かりし頃でしたが、当時はなかなか厳しい映画に見えました。

    • >映画『アマデウス』のサリエリみたいですな。
      なにが社会全体の最適解なのかを、判別するセンサーだけはある。
      でも自分では何一つとしてクリエイトすることも維持管理することもできない。
      身悶えるアイデンティティ。
      肥大する自意識

      「アマデウス」を、こんな浅薄なレベルで見るんですね。

      KNさんが紹介してくれたリンク先の映画評サイトの中の、

      >>天才と秀才、この両者の違いは大きい。

      天才は、天から与えられた才能「タレント」に恵まれた者、秀才は、せいぜい優れた「脳力」を与えられ、それを努力によって「ある分野の最高の能力」に迄磨きあげ得る者。
      天才と秀才の違いを、涙を飲んで感じている人は、プロスポーツやプロ芸術の世界にはウヨウヨいますよ。
      秀才な人は、アマデウスを見て、サリエリに共感はしないだろうが、映画のテーマ「天才と秀才の決して越えられない境界」を痛感するのではないか?
      サリエリの、自分は「凡庸なる者の守神」というのは、自分は、「秀才の頂点」、秀才は努力してもここ迄しか来れない、或いは、秀才は努力すればここ迄は来れるよ、ということではないか?
      何と言っても、サリエリは、映画にも描かれているように、音楽の才能と世渡りの才能で、当時、音楽家の世俗的な頂点にいたのだから。
      これは、秀才に生まれついた人は、日々感じていることだろう。が、本当に凡庸に生まれついた人には、とんと縁の無い心情の世界。凡才が秀才になることは無いだろうから。ただ、秀才と凡才の間には、ウサギとカメの関係はある、凡才でも努力すれば、世俗的な成功は幾らでも享受できる。そんな成功者は世の中に沢山いますね。

      また、「天才は、1%の才能と99%の努力で出来ている」という言葉も聞くが、その1%の才能が、タレントなのかケイパビリティ(脳力)なのかで、努力の先にあるもののレベルというよりも「質」が違う。

      映画「アマデウス」は、珍しく、人間の才能をテーマにしたもので、サリエリの感じたような、才能の超えられない限界を感じている秀才は、世の中に沢山いると思います。

      だから、凡庸の最下層の人間の集まりではないか?と思えてしまう、オールドメディアの話題に、映画「アマデウス」とサリエリが、引き合いに出されるのは、次元が違いますよ、と感じた次第です。

      • 基本的に匿名コメントは無視する方針なのですが、読解が脱線し過ぎなので少し書き添えを。

        才能の話はどうでもよろしい。
        オールドメディアがサリエリみたいだと例えたのは、
        「悪意」
        ですよ。

        自分に才能がなくても、他者の才能が理解できるのなら、
        ・アマデウスに身分や給与を与えればよい。
        ・アマデウスの音楽をみんなが聴けるようにコンサートを後援すればよい。
        ・みんなが理解できるように、宮廷負担で子供たちを集めてアマデウスに習えるようにすればよい。

        サリエリは、やれる立場でしたが、なんにもしてませんわな。

        憧れる才能だけど自分の立場を脅かすなら、食えなくなるから相手を潰す。
        音楽を公共で楽しむのではなく、音楽を教会で独占するために教育を邪魔する。

        音楽の価値が理解できるけれども、
        「悪意」
        をもってその能力を利己的に使った。

        そういう部分について例え話をしたのです。
        天才か凡人かはどうでもよろしい。

        左翼系のインテリゲンチャの多くは、利己的な悪意を世間に向けていますね、と。

        • なるほど、意図は何となくわかりました。
          しかし、悪意の例えに、名作映画をもって来なくてはなりませんか?
          悪意の例なんて、世に腐るほどあります。
          そんな陳腐な例えに、この映画を引っ張ってくるのは、そこに何か、悪意を感じますね。久方ぶりに、味噌も◯ソも一緒にする、という言葉を思い出しました。

  • 紙の新聞、記事をいちいち印刷し、まとめてトラックで運び、小分けしてバイクで各戸に配達。
    駅売りは列車で駅売店に届け、かつ売れ残りを逆ルートで回収する。
    ネットの時代ずいぶんめんどくさいことをしていると思うが、アメリカの小切手による決済を思い出した。
    世界の小切手の75%はアメリカで発行されているという。
    私はアメリカで生活したことはないが、もれてくる話をまとめるとアメリカでは以下のようなことが行われているらしい。
    毎月送られてくる請求書(電気、電話、ガス、水道、クレジットカード等)に対して一家の主は請求金額の小切手を作成してサインし、請求書に同封されている封筒に入れて送り返す。受け取った会社は自社の取引銀行に持ち込む。取引銀行は小切手を取り立てに出すのだが同じ州内の銀行の小切手とは限らず小切手は航空便で発行銀行に送られることもある。
    送られてきた小切手のサインを確かめてその金額の送金が行われる。
    同時多発テロでアメリカ国内の飛行機の飛ばない期間があった。そのせいで現在サインの照合は小切手をスキャンした画面で行われることもあるらしい。アメリカにイントゥイット(Intuit Inc.)という会社がある。(日本の弥生会計の親会社だったことがある)1980年代に創業した会社で家庭での小切手作成をパソコンで行い、家計簿と連動するというアイデアで成長、一時マイクロソフトからの買収提案を受けたこともある会社だ。
    マイクロソフト、グーグル、メタ、アップルを生み出すような国でなぜ紙を介した、このようなめんどくさい決済手段が使われているのだろう。
    それはシステムとして確固としたものになっているから、かつ誰にでもわかりやすいからではないか。紙の新聞が意外にしぶといのもこれと同じかもしれないと思うようになった。

    • 確か立花隆が言ってたとおもいますが、
      「人間の脳は、モノや音や臭いをインデックスとして記憶を呼び出す」

      なので、モノはそれ自体に利用価値があるというよりも、それを見て思い出される脳内メモリーに主な利用価値があるのだ、みたいな。

    • 人は習慣で出来ており、社会は慣習で出来ている、ということだろう。人間も社会も、そう簡単には変わらない。今の新聞購読層である高齢者、特に、人口ボリュームの大きい団塊世代がいなくならないと、新聞は完全には無くならないかもしれない。人間は多かれ少なかれ頑迷固陋な所があり、そう簡単に変わるものではない。
      このサイトのコメ主達も、毎日多様な意見に接し、時には、反対レスも貰い乍らも、論調や意見が変わることは無い。
      だから、HNを見れば読まなくても内容が推測でき、HNを見ずに読んでもHNの推測がつく。だから、匿名に目くじら立てることは必要ないくらいだ。
      これが、新聞が内容の無い記事を書いていても、存続出来ている理由だろう。
      周りの新聞を取り続けている人間を見ると、やはり、頑迷な感じの者が多い気がする。このサイトの読者にも、オールドメディアを批判しながらも、新聞を取り続け、TVを見続けている人がいるようだ。人間、言っている事とやっていることが違うという典型だろう。

    • 余談ですが、全銀協は2026年度末までに交換所における手形・小切手の交換して枚数をゼロにする方針です。
      今後は、当座預金の新規開設中止や、期日が2027年4月以降の手形・小切手の取立受付中止、署名判サービス廃止などが始まる予定です。

      • 紙の手形をなくそうとして電子記録債権を導入してもまだ従来の手形使ってる企業が多い現状でできるのかな。
        これこそ100年を超えて使われている商習慣。簡単に変えられないじゃないかな。

        • >電子記録債権を導入してもまだ従来の手形使ってる企業が多い現状でできるのかな。

          これは、その電子記録債権の仕組が悪いから。中小企業が安心して使えるような仕組みにしないから、従来の手形の方に安心感を感じるんです。
          そもそも、支払条件を法律で固定的に決めて仕舞えば、中小企業の資金繰りも計画敵に出来るようになるだろから、電子化もし易い。ロートルな理不尽な制度をそのままにして、電子化しようとしても無理や不都合が生じる。
          デジタル庁も、現場の取引き実態を実感しないと、ね。

          • 現役時代、日本の企業慣行でアメリカ人に説明しずらいものの一つが手形取引。もう一つが夏と冬のボーナスだった。

          • sqsqさん

            欧米の企業でも、自分が支払う時は、手形使ってますけどね。ただ、欧米企業が日本に進出するのは、自分達が技術的な優勢がある場合だから、自分達の希望する支払条件を顧客に飲ませ易い。これは、顧客が大企業でも。要は、顧客と自社の優位性の差がどれほどあるか、ということだろう、と。
            欧米系が、譲歩することは稀なので、その外資の商品力がそれ程ではなかったので、欧米系企業の方が、日本の商慣行に合わせざるを得なかったということでしょうね。

        • 上に補足します。
          手形が無くならない理由は、裏書すれば支払に即使えるから。こんな便利なものは無い。手形は資金繰りに使えるという便利な制度が作られているということ。要は、手形を廃止するのならば、この資金繰りに使えるような制度を電子債権に付随させるか、そもそも、中小企業が苦しむような支払条件を出来ないようにするか、の手を打たないと中小企業はやっていけない。
          IT業界は、現金払いで据え置き期間も1ヶ月が標準になっているから、資金繰りに困ることは比較的に少ない。その分、本来の経営に集中し易い。
          政府も経済活性化、産業振興を図るなら、先ず、中小企業の資金繰りの負担を減らして、経営や開発や営業に集中できる、ビジネス環境を整えることも大事なことだろう。

  • 究極にはどんなお商売もオンラインサービスの裏付けがないと存続不能です。ところが親和性が高いはず?の新聞や TV、彼らは打ち負かされる側にいることをよく分かっているので、敵愾心に凝り固まって毎日吠え続けているのです。
     そんなに言論がえらいのか
    主力商品にカネを払ってもらえなくなって滅亡必至、死にゆく絶望業界と今では中学生でも分かる話です。

  • 値上げは新聞をやめるのに良い口実になるから歓迎です。
    販売店といろいろネゴるの面倒だなと思っても、「今度値上げするんでしょ。だったらやめるよ」って言いやすい。
    私なんか小心者だから、販売店に粘られるのが面倒だなと思っちゃう。そういう人多いんじゃない?

    • 新聞社は値上げ値上げ!生活苦しい!と煽りたて、新聞の鉄板層はそれをエンタメとして喜んで読んでいるわけで、
      そこで新聞値上げしま~す!をやってくれるならこれほど求心力を落とす行動も無いですね。

  • 朝日新聞でAIに仕事を奪われる前にが主題の「こころのはなし」コラム記事。
    昔は10年後に消える職業でネタ不足なのか繰り返し記事になっていたのに、ChatGTPの文章生成が伸びてきたらとんと見なくなったなぁとおもったら4月24日掲載。
    いろいろな識者に話を聞いていく連載でこの回は社会学者が語り手なのですが実際消えつつある業界の新聞記者がどう受け取るものか。
    有料記事なので内容は定かではないのですが、いや新聞社のケツに火がついているんだぞ、と。

    • chatGTPで、簡単に置き換えられるような文章や記事を書いている、安直なものたちの仕事は、簡単になくなるでしょう。
      しかし、独自の視点で記事をかけるものには、ChatGPTは、脅威にはならないでしょう。

  • 新聞の値上げ、読者が買い支えてくれるというような甘えがあるのかもしれません
    アイドルでも他の商品の何でもそうですが、ファン層に媚びた売り方になっていくと、結果的にニッチな立場に追い詰められ挽回不可能
    最終的には消滅します

  • 今のオールドメディア界隈は「自分達の寿命の終わりが目に見える程近づいてきた」と
    自覚してはいると思うのです。半ばタブーだから誰も語りたがらないだけで。

    だからこそ「どうせ減ってしまうのなら今の内に」と値上げしたくなったのかも?と
    私は推測しています。これで減少のペースが加速するかは、今でも新聞を取っている人達が
    「今更新聞を捨てられない」人達かどうか次第ですので、何とも言えない。

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