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新聞社幹部「新聞には正確な情報源として需要がある」

新聞部数はこの20年あまりで約4割減少しましたが、それは新聞業界の自業自得、という側面が強いように思えてなりません。インターネットの出現によるテクノロジーの進化に取り残されただけでなく、記者クラブ制度だ、消費税の軽減税率だ、再販価格維持だ、といったさまざまな特権に守られている間に、業界自体がすっかり腐敗し切っているのかもしれません。

新聞の部数の減少

20年間で新聞部数は約4割減った

昨年の『データで読む:歯止めがかからない新聞の発行部数減少』では、一般社団法人日本新聞協会が公表する『新聞の発行部数と世帯数の推移』というデータをもとに、2000年から2021年までの22年間における新聞の発行部数について、いくつかの視点から議論しました。

新聞の発行部数の減少に歯止めがかかりません。日本新聞協会が昨日発表したデータによれば、新聞の合計部数は前年よりさらに6%減少しました。また、スポーツ紙は10%以上、夕刊単独部数に至っては20%近くも部数が減少しています。もっとも、『朝日新聞社半期決算は意外と堅調』でも触れたとおり、今後の新聞業界は二極分化が予想されます。新聞発行部数の最新データやはり不自然さを感じざるを得ない新聞部数の推移『紙媒体の新聞から10代が離れた』を含め、当ウェブサイトではしばしば、とくに若年層に関しては、きょうび紙媒体の...
データで読む:歯止めがかからない新聞の発行部数減少 - 新宿会計士の政治経済評論

少し時間が経っているので、改めてデータを確認しておきましょう。

まず、日本新聞協会のデータは「合計部数」と、種類別には「一般紙」「スポーツ紙」、発行形態別には「セット部数」、「朝刊単独部数」、「夕刊単独部数」、という区分で集計されています。種類別で見て2000年と対比させたものが図表1、発行形態別で2000年と対比させたものが図表2です。

図表1 種類別発行部数(2021年と2000年の対比)
区分 2021年 2000年対比
合計 3303万部 ▲2068万部(▲38.51%)
うち一般紙 3066万部 ▲1674万部(▲35.32%)
うちスポーツ紙 237万部 ▲394万部(▲62.42%)

(【出所】日本新聞協会『新聞の発行部数と世帯数の推移』より著者作成)

図表2 発行形態別発行部数(2021年と2000年の対比)
区分 2021年 2000年対比
合計 3303万部 ▲2068万部(▲38.51%)
うちセット部数 648万部 ▲1170万部(▲64.34%)
うち朝刊単独部数 2591万部 ▲779万部(▲23.11%)
うち夕刊単独部数 63万部 ▲119万部(▲65.46%)

(【出所】日本新聞協会『新聞の発行部数と世帯数の推移』より著者作成)

朝刊部数の落ち込みは緩やかだが…

種類別、すなわち図表1でいえば、この20年あまりの間に、一般紙は部数が35%ほど落ち込んでいますが、スポーツ紙の落ち込みはさらにすさまじく、半減どころか、じつに約3分の2の部数が失われてしまいました。まさに、「絶滅危惧種」のようなものでしょう。

一方、発行形態別、すなわち図表2でいえば、セット部数、夕刊単独部数が、やはり3分の2近く減少した計算ですが、朝刊単独部数については23%程度の減少で留まっています。

もっとも、日本新聞協会のデータは「朝夕刊セット部数」を1部とカウントしているため、少しわかり辛い部分もあるのですが、ここで「朝夕刊セット部数」を「朝刊1部・夕刊1部の合計2部」とカウントした場合の発行形態別の発行部数は、また違った姿が見えてきます(図表3)。

図表3 発行形態別部数(2021年と2000年の対比、朝夕刊セット部数を朝刊と夕刊に分解)
区分 2021年の部数 2000年との比較
合計(※セットを2部とカウントした場合) 3951万部 ▲3238万部(▲45.04%)
うち、朝刊部数 3240万部 ▲1949万部(▲37.56%)
うち、夕刊部数 711万部 ▲1289万部(▲64.45%)

(【出所】日本新聞協会『新聞の発行部数と世帯数の推移』より著者作成。なお、図表中、「朝刊部数」は「セット部数+朝刊単独部数」、「夕刊部数」は「セット部数+夕刊単独部数」を意味する)

先ほどの図表2と異なり、こちらの図表3の方のデータで見れば、朝刊の減少率は40%近くに増えます(※夕刊の減少率については、ほとんど変わりません)。こちらの方が、私たちの肌感覚には近いのではないかと思います(※これでもまだ「減少率が少なすぎる」と思う方もいらっしゃるかもしれませんが)。

なぜ部数の落ち込みは緩やかなのか

ただ、図表1~図表3でもわかるとおり、朝刊は夕刊と比べ、あるいは一般紙はスポーツ紙と比べ、部数の減少率が少ないことは事実でしょう。

その理由については正直、よくわかりませんが、敢えて仮説をいくつか列挙していくと、次のようなものが考えられます。

仮説①折込チラシの需要が強いこと

朝刊に折り込まれる、近所のスーパーだの、不動産だの、量販店だのといった折込チラシをじっくりと読みたい、という需要が強く、チラシ目当てで新聞を購読している人が一定数存在する。多くの場合、チラシは朝刊にしか折り込まれないため、必然的に朝刊の購読が続く。

仮説②新聞の訃報欄などの需要が強いこと

とくに地元紙の場合だと、新聞に掲載される地域密着情報、とりわけ「訃報欄」に対する需要が強く、とくに商売をしている人を中心に、新聞の根強い購読需要がある。

仮説③不正(押し紙、無料紙など)

一般紙の朝刊についても、本来の有料購読者数はスポーツ紙や夕刊と同じくらいに減少しているはずだが、新聞社が不正を働き、実売部数以上の部数を新聞販売店に押し付けている。販売店はそれらの押し紙を捨てるか、近所のホテル、ファミレスなどに譲渡している。

上記①~③は、あくまでも単なる仮説です。

ただ、③に関して、多くの人からも寄せられている証言を紹介しておくならば、ホテルに宿泊した場合、フロントに無料紙が大量に置かれている、といった経験をした人は多いようです。著者自身も昔は出張族でしたが、2010年ごろから全国のホテルで無料の新聞が山積みにされているのを、しばしば目撃しています。

真相はいったいどうなのか、あと数年も経てば、その実態が明らかになるかもしれません。

最近は年200万部近く減少

いずれにせよ、新聞の部数の減少についてはデータで見て不自然な部分もあるのですが、それでも近年になって、減少傾向がいっそう明らかになっていることは間違いありません。

ちなみに先ほどの図表1~3で紹介したデータのうち、「朝刊部数」、すなわち「セット部数+朝刊単独部数」を抜き出して、前年比の推移を取ってみたものが、次の図表4です。

図表4 朝刊部数の前年比増減
部数 前年比
2021年 30,657,153 ▲1,797,643
2020年 32,454,796 ▲2,423,168
2019年 34,877,964 ▲1,945,057
2018年 36,823,021 ▲1,940,620
2017年 38,763,641 ▲1,057,465
2016年 39,821,106 ▲870,763
2015年 40,691,869 ▲995,256
2014年 41,687,125 ▲1,439,227
2013年 43,126,352 ▲596,809
2012年 43,723,161 ▲368,174
2011年 44,091,335 ▲815,385
2010年 44,906,720 ▲753,165
2009年 45,659,885 ▲903,796
2008年 46,563,681 ▲399,455
2007年 46,963,136 ▲93,391
2006年 47,056,527 ▲133,305
2005年 47,189,832 ▲280,155
2004年 47,469,987 +187,342
2003年 47,282,645 ▲107,382
2002年 47,390,027 ▲169,025
2001年 47,559,052 +157,383
2000年 47,401,669

(【出所】日本新聞協会『新聞の発行部数と世帯数の推移』より著者作成。なお、図表中、「朝刊部数」は「セット部数+朝刊単独部数」を意味する)

これで見ると、2000年代前半については前年比でプラスとなる年も散見されるなど、まだまだ新聞部数には余裕がありましたが、2009年に90万部を超える減少を記録したあたりから部数減が加速し始め、2017年以降は毎年100万部を超えるペースで部数が減少しています。

2020年は前年比で242万部も減少していて、これはコロナ禍の影響もあった可能性はありますが、その前年、前々年も200万部近く部数が減少していることを踏まえるならば、コロナという一時要因だけでなく、やはり新聞そのものが猛烈な勢いで廃れ始めている証拠、というわけです。

新聞業界の未来

テクノロジー的に勝てなくなっている

考えてみれば当然かもしれません。テクノロジー的に、紙媒体の新聞はスマートフォンなどのネットに勝てなくなっているからです。

そもそも論ですが、紙媒体の新聞の朝刊に掲載されるのは、前日の夜、または当日の未明までの情報に限られます。

著者自身が30年以上前に新聞配達をしていた経験を思い出すと、朝刊が新聞販売店に届くのは朝3時から4時であり、そこから配達員が折込チラシを手作業で1部ずつセットしたうえで、配り始めますので、だいたい各家庭に届くのは早くて朝4時、遅くて朝7時ごろ、といったところでしょう。

逆算すれば、新聞が輪転機で刷り上がるのは朝2時から3時であり、そこからさらに逆算して、紙面に掲載される内容が確定するのは深夜1時か2時くらいでしょう。

ひと昔前、首都圏や近畿圏などの大都市圏だと、ビジネスマンが新聞片手に電車に乗り込んでいる、という姿をよく見かけましたが、そのビジネスマンが読んでいる新聞に掲載されている情報は、どんなに新しくても、その日の深夜1時時点のものです。

「新聞」には「新」の字が使われていますが、掲載されている情報はまったく新しくない、というわけです。

物理的に紙の新聞は厳しい

しかも、電車内で新聞を読んでいるとかさばりますし、満員電車内で器用に新聞を4つに折りたたんで読むという涙ぐましい努力をしなければなりませんでしたし、新聞は紙にインクで印刷されているため、手にインクが付く、雨の日はクシャクシャになる、といった具合に、物理的に読むのが大変でした。

これがスマートフォンだと、非常に小さくて扱いやすいうえに、手にインクが付きませんし、ニューズサイトで表示されている記事は、それこそ最新のものばかりです。

スマートフォンが爆発的に普及し始めたのが2010年ごろ、首都圏の地下鉄で携帯電話が使用可能になったのが2013年3月21日のことですが、それまで通勤電車内のそこかしこにいた、新聞を手に持っているビジネスマンが、新聞を捨ててスマートフォンに切り替えるのも時間の問題だったのでしょう。

いや、もちろん、紙媒体の新聞が好きだ、という人がいらっしゃることは承知しています。

また、新聞紙は子供の習字、雨の日に濡れた革靴の乾燥、大晦日のお掃除、てんぷらで余計な油を吸わせる、荷物を梱包する際など、日常生活のさまざまな局面で大活躍しますので、新聞「紙」自体に需要があることは間違いありません。

しかし、最新のニューズを手に入れる手段は、べつに新聞である必要はありません。一部の「紙にこだわりがある」「チラシが絶対に欲しい」といった人を除けば、紙媒体の新聞を日常的に取らなくなるのも当然の話なのです。

新聞社の経営自体も曲がり角

それに、ウェブ媒体の場合には、複数の情報源を比較することができる、というメリットもあります。

そもそも論ですが、新聞を1紙購読するためには、月額4000円前後という大枚をはたく必要がありますが、私たち一般人はそれほどお金持ちではありませんから、複数の新聞を読み比べるということは、よっぽどの物好きでもない限り、やらないでしょう。

ところが、インターネットのニューズサイトの場合だと、ダイジェスト情報に限られることもありますが、基本的には複数の新聞に掲載されている記事を読むことができます。通信費とスマホ代は必要ですが、それ以外のコストはかかりません。

だからこそ、紙媒体の新聞を読まなくなる人が増えるのは当然の話でしょうし、また、紙媒体の新聞を解約した人は、新聞社の有料ウェブ会員になってくれるとも限りません。

新聞社の経営が苦しくなるのも当然、というわけでしょう。

このあたり、『朝日新聞社半期決算は意外と堅調』でも報告しましたが、最大手の一角を占めていて経営に余裕がある株式会社朝日新聞社でさえ、中間期の営業利益の3分の2は不動産業が叩き出しており、新聞の本業(メディア・コンテンツ事業)の営業利益は全体の3分の1程度にすぎません。

株式会社朝日新聞社の半期報告書が出てきています。収益認識会計基準の影響で減収に見えますが、その影響を除外したら、好調な不動産事業の影響もあってか、意外と決算の内容は堅調です。また、新聞の部数が急激に落ち込んでいるにも関わらず、メディア・コンテンツ事業では堅調な黒字を確保しています。やはりウェブ事業が好調なのでしょうか。もっとも、今後の新聞業界に待っているのは、優良資産を抱えている新聞社と、そうでない新聞社の二極化なのかもしれません。新聞社の決算分析は非常に困難当ウェブサイトではときどき、大手...
朝日新聞社半期決算は意外と堅調 - 新宿会計士の政治経済評論

株式会社朝日新聞社以外の全国紙、各地方紙などの経営状況については、残念ながら断片的な情報でしか判断することはできませんが、『某新聞社、4期連続営業赤字で自己資本比率も3%割れ』でも述べたとおり、さる新聞社のケースだと、経営は火の車です。

以前の『「実質債務超過」も疑われる、某新聞社の決算公告画像』では、ツイッターに投稿された、とある新聞社の決算公告と思われる画像をもとに、その新聞社の過去決算を簡単に分析してみました。こうしたなか、昨日はじつにけしからんことに、ついうっかり投稿されたと思しき最新の画像もありました。これがその新聞社の決算なのかどうかを確認することはできないので、とりあえず本稿でも、会社名を伏せたまま、純粋にその財務諸表のみに絞って決算を分析してみたいと思います。決算公告ついうっかり投稿――某新聞社の決算公告以前、...
某新聞社、4期連続営業赤字で自己資本比率も3%割れ - 新宿会計士の政治経済評論

不動産業などの収益源がない新聞社の場合だと、某宗教団体系の機関紙の印刷を請け負う、中国共産党から宣伝費を受け取る、といった方法で生き残りをはかるしかないのでしょう。まさに、貧すれば鈍する、といったところでしょうか。

東洋経済オンラインも新聞協会データに注目しているが…?

こうしたなか、当ウェブサイトと同じ、日本新聞協会のデータに着目した記事がありました。

ウェブ評論サイト『東洋経済オンライン』に掲載された、こんな記事です。

昨年も180万部減、全然止まらぬ「新聞」衰退の末路/「毎日」「産経」規模の部数が毎年消失している

―――2022/01/10 6:00付 東洋経済オンラインより

リンク先記事では、すでに当ウェブサイトで取り上げた新聞部数の減少について詳しく触れられているのですが、興味深いのが、リンク先記事の3ページ目に掲載された、「夕刊廃止」の動きです。

これによると夕刊を廃止した新聞は、2010年から19年にかけて7紙でしたが、2020年と21年には5紙ずつ、合計10紙が廃刊となっています。しかも、2021年は地方紙よりも発行エリアが狭い「地域紙」であり、もともと夕刊しか発行していない新聞が4紙廃刊されているのです。

これは、なかなかに興味深い現象でしょう。

こうしたなか、リンク先記事には、こんな記述もあります。

ここ数年、日本では『新聞社はあと5~6年で最終局面を迎える』『淘汰と合従連衡が本格化し、新聞のないエリアが生まれ、そこがニュース砂漠になる』といった議論が絶えない」。

すなわち、リンク先記事の著者の方が述べる「ニュース砂漠」とは、「地域の議会や行政に対して恒常的に目を向ける存在がなくなることによって、社会に対する住民の関心が薄れ、政治・行政の不正や不作為などが進行する状態」なのだそうです。

はて、そうでしょうか。

このあたりについては、当ウェブサイトとしては必ずしも全面的に同意するものではありません。

そもそもこれまで日本の新聞が、客観的事実を正しく伝えてきたのか、といった疑問点もさることながら、地域新聞がなくなれば地域議会や行政で不正や不作為などが進行する、というのは、少し議論が飛躍していますし、また、新聞の役割を過大評価し過ぎているように思えてなりません。

新聞業界は自身を「社会の公器だ」、などと自負しているきらいがありますが、私たち国民が「権力を監視する役割」を新聞に与えた記憶はありませんし、現在の新聞がその役割を十分に果たしているとも思えません。

新聞業界も、消費税等の軽減税率の適用だ、再販売価格維持制度だ、記者クラブ制度だ、といった具合に、長年の利権に染まり切っていますし、正直、記者クラブに所属していれば、官庁から配信されてくる「紙」を食べていれば、仕事ができてしまうからです。

(※ちなみに「紙を食べるヤギ」のたとえ話については、『新聞記者を鳩やヤギに例えた髙橋洋一氏に謝罪を求める』などをご参照ください。)

先ほどの『新聞衰退は自業自得 これからはウェブ言論繚乱の時代だ』の続きですが、現代ビジネスというウェブサイトに、嘉悦大学教授の髙橋洋一氏が、まことに興味深い論考を寄稿されています。新聞社に対してチクッと刺すような論考が小気味よいと感じるのは私だけではないと思います。髙橋洋一氏の要点を突いた良文「押し紙」の問題、偏向・捏造報道などの問題などを巡り、私がかねてより新聞の社会的意義については強い疑念を抱いているという点については、以前から当ウェブサイトでも主張しており、この話題は今朝方も『新聞衰退...
新聞記者を鳩やヤギに例えた高橋洋一氏に謝罪を求める - 新宿会計士の政治経済評論

いずれにせよ、地域情報の提供という意味では、世の中にはニーズがあれば、それこそそれに対し、サービスを提供する人が現れるものです。極端な話、地域情報の配信は、ウェブメディアでも十分に可能でしょう。

新聞を待つ将来

さて、先ほどの東洋経済の記事には、こんな記述もあります。

新聞協会のデータを公表前に見た全国紙の経営幹部は、『思ったほど減少率が大きくなかった。減り方は鈍化したと言える。コロナ禍で人々が正確な情報を欲し、それが新聞離れに一定の歯止めになったのではないか』と推察した」。

言い換えれば、この「全国紙の経営幹部」は、「正確な情報源として新聞の需要がある」、と認識している、ということです。

もし「全国紙の経営幹部」が本当にこんなことを述べたのだとしたら、じつに甘いと言わざるを得ません。「コロナ禍で人々が正確な情報を欲し」ていることは間違いないにせよ、その「正確な情報」とやらを新聞が提供しているという認識自体、うぬぼれにもほどがあります。

新年の『「ブログ化する新聞」を待つ未来』でも指摘したとおり、北海道新聞の違法取材の釈明記事に対する「noindexタグ設定」事件などを含め、新聞業界自体がどうも腐敗し切っているのではないか、と思しき事例は、枚挙にいとまがありません。

紙媒体の新聞は、部数が減少の一途を辿っています。こうしたなか、新聞業界を待つのは、「新聞のブログ化」ではないでしょうか。世の中には、個人や中小企業などが運営するブログサイトが、下手な地方紙よりも多くのページビュー(PV)を集めている、というケースも出て来ています。こうしたなか、世の中の変化についていけていない新聞社もあるようです。果たして今年は新聞社にとって、どんな年になるのでしょうか。謹賀新年新年、明けましておめでとうございます。本年も当ウェブサイトをご愛読賜りますよう、何卒よろしくお願い...
「ブログ化する新聞」を待つ未来 - 新宿会計士の政治経済評論

くどいようですが、統計的事実だけでいえば、新聞部数については継続的に減少し続けています。「新聞離れに歯止めがかかった」のではなく、2020年の減少がコロナ禍で加速しただけの話でしょう。

なにより、新聞部数急落の背景には、インターネットの出現により、紙媒体としての新聞紙自体がビジネスモデルとして行き詰まっているという「世界共通の現象」だけでなく、記者クラブ制度などの特権に守られてきた日本の新聞社に対する読者の信頼が揺らいでいるため、という側面があるように思えてならないのです。

その見立てが正しいかどうかは、早ければ1~2年以内にはわかるかもしれません。

新宿会計士:

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  • 第73回新聞週間標語「危機のとき 確かな情報 頼れる新聞」、これはジョークですよね。この標語を選んで恥ずかしくはなかったのでしょうか?ないんでしょうけど。

    • 「危機のとき 確かな記事を 新聞で」みたいに、ちゃんと五七五にすらなってないレベルの低さがとにかくイライラします。まあどうせ 購読なんて しませんが。

    • オンライン購読数として、朝日デジタルの有料会員数は、たとえば下記の記事などに、時々報道されているようです。↓
      https://www.mediatechnology.jp/entry/2020/10/12/100000
      この2020年10月12日の記事によりますと、朝日デジタル会員数=375万人、その内有料会員数=32万人(5月末)です。

      過去の記事を基に、朝日デジタルについてA= 無料+有料会員数、B= 有料会員数として、その推移を表しますと、
      2013年3月  A= 不明   B=10万人を越える
      2014年5月  A= 148万人 B=16万人
      2015年5月  A= 不明   B=23万人
      2020年5月  A= 375万人 B=32万人
      2020年10月 A= 386万人 B=公表されず
      というレベルです。有料会員数は30万人をやや超えたところで頭打ちに近い状態になっていると思います。
      これを、世間では「焼け石に水」、というのだと思います。

      なお、日経は2021年7月1日時点で電子版の無料+有料会員数合計=266万8764人で、電子版の有料会員数=81万1682人と公表しています。両社の無料会員数を比較すると朝日デジタルの方が多いようです。

  • 紹介いただいた記事の中の記載だけど・・・・

    >ニュース砂漠の住民は選挙で投票しない傾向にあるほか、高貧困率、低い教育水準などと関連するとのデータがある

    「新聞がなくなると貧困率が高くなる。だから新聞は大切!!」みたいな発想に誘導したいんだろうなって感じるのです♪

    新聞の有無と貧困率の間に相関関係があっても因果関係があるとは限らないと思うのです♪
    むしろ、
    貧困率が高い→新聞も買えない→新聞が無くなる
    って因果関係の方が自然に思えるのです♪

  • 新聞は伝統的な有料情報配信サービスで、その有料という仕組みから偏りのない優良な情報を得られる可能性があります。新聞社幹部が言ってるのはその基本的な仕組みの話だと思います。

    ただ、その基本的な新聞の優良性を日本の新聞社はとうの昔に捨ててしまいました。

    多分明治の初めの新聞社と新聞記者は不偏不党の精神で誠実にやってたんだと思います。ただ、広告で収入が得られると知り、情報ででなく将棋や囲碁の棋譜で部数が爆発的に増やせると知り、戦前戦中は戦争を煽り、戦後はエセリベラルを装うことで読者を引き止められると知り、不偏不党の精神などどこかに行ってしまいました。

    まあ今後の彼らの生き残り策も今までの路線踏襲でしょう。各新聞社についた色はこれからもどんどん濃くなっていきます。薄くなることはないでしょう。

    で、新聞社が倒産までするかはよくわかりません。相対的な地位低下までは明らかですが。

    私は新聞社の肩をもつわけではありませんが新聞社幹部の言うことには一理あると考えます。新聞社は偏っていないわけではないのですが、その偏り具合は伝統に沿っていて非常に深く知られています。自分の物差しでその偏りを補正すれば、残った部分は有用な情報になります。

    方や個人の情報配信は自分の心地よいものだけ選ぶことができる一方、その発信者がどんな裏の意図を持っているかまでは掴めません。信頼していていざという時裏切られたり変な方向に誘導されたりすることが「理論的可能性として」あり得ます。

    どうなんでしょうね。新聞の将来性。私は結構生き残るように感じてます。

    • 生き残るに1票

      新聞は「情報を加工した商品」です
      カニカマと同じで 好きな人は好きです
      今まで カニカマを「天然のカニ!」と称して販売していたから問題だったのです

      ネットの普及で 新聞・マスコミの正体はカニカマだと分かりました
      ちなみにネットの情報もカニカマですww。

      • それは、カニカマさんの開発者に失礼です。「ほぼカニ」や「かにちゃいまっせ」は、一流芸能人でも見分けがつきません。今も昔も新聞にそこまでのクオリティがあるとはとても思えません。

    • 不偏不党か?
      明治時代の新聞は明治政府が嫌いな人が政府を批判するために設立したものでは?

  • >そこからさらに逆算して、紙面に掲載される内容が確定するのは深夜1時か2時くらいでしょう。

    だからって、深夜の時間帯に「訃報で悲しみに暮れる遺族(芸能人?)宅」のインタホンを鳴らしても良いって訳ではないのです。
    *****
    >「新聞には正確な情報源として需要がある」

    「ツッコミどころ満載のネタの玉手箱」ではありますね。

    昔:あぁ~さ〇が、サンサンおはようsun!
    今:あぁ~〇ひが、散々おはよう斬(ザン)!

    *”朝から毎日”、斬られちゃってますからぁ~!!
    (新宿会計士シンジュクカイケイサムライ・・。)

    朝からm(_ _)mゴメンナサイ。

    • カズ様。

      伏字をひとつずらして頂けたら、ワタシのような偏差値が低い者はありがたいです。
      序と云えば失礼になりますが、ホンの気持ちですが、座布団1枚です。

  • 携帯電話、WiFi, 新聞、固定電話、やめるとすればどれやめる?
    私なら新聞、固定電話の順番かな。

  • インターネットやSNSの普及と新聞の衰退が重なっているのは確かな事実ですが、その因果関係についてはもう少し考察が必要だろうと思います。少なくとも、「速報性」というキーワードはおそらく的外れだろうと考えます。なぜならば、インターネット以前に、ラジオやTVの出現により、「速報性」では新聞はすでに全く及ばなくなっていたからです。「速報性」で敗北したから新聞が衰退したというのであれば、ラジオやTVの普及によって衰退が起きていても不思議ではありませんが、そのような現象は確認されていません。

    以上から考えると、新聞の衰退は「速報性」以外に求めるべきだと思いますが、ここで一つ考えるべきだと思われるのは、新聞の特性です。新聞は紙という記録媒体ごと配布されてきました。わざわざ録音・録画という手間を掛けなくても情報の保存が可能でした。また、文字(+写真)によって情報が送られてくるため、購読者が自分なりの速度で読むことができ、なんだったら自分なりの速度で考えることも可能でした。ラジオやTVでは、そのような情報咀嚼速度の調節はできず、「聴く・視る or 聴かない・視ない」のいずれかしかありません。新聞が「速報性」においてラジオやTVに完敗しても、なお踏みとどまることができたのは、このような新聞の特性にあったのではないかと思います。

    現在、衰退しているのは新聞ばかりではなく、雑誌も衰退していると聞きます。雑誌もまた紙媒体ですので、上記の新聞の特性の多くを共有しています。そう考えれば、現在起きているのは、紙媒体の全般的な衰退ということになるのではないかと思います。
    では、なぜ紙媒体が衰退しつつあるのか。この点については、もう少し考察が必要だと感じています。

    • >なぜ紙媒体が衰退しつつあるのか

      便利なものに移っていく。それだけ。
      例えば書評欄を読んで「この本おもしろそうだな」となったとき以前なら駅前の書店に足を運んで本を探し、なければ「取り寄せ」てもらう。取り寄せの本は自分で書店まで取りに行く。今はアマゾンのサイトで調べてキンドルにダウンロード。その本が電子化されていなければアマゾンに注文すれば翌日届く。送料無料で。
      新聞がまだ命脈を保っていられるのは宅配制度があるから。自宅のポストに配達されなくても、駅前まで買いに行ってでも読みたいという人いるのかな?

    • 情報には、音声、映像、文字という種類があって、そのうちの文字情報を担っていた新聞が速報性でもコスパでも劣っているので、スマホなどに取って代わられているということなんだと理解しています。

  • 新聞は、あれだけ大量の紙を消費して、しかも三割は押し紙、スーパーのレジ袋に比較できない、環境に優しくない存在になっています。グレタもセクシー前大臣も環境保護のために新聞廃止を訴えるべきです。 新聞の情報に価値がある?のならわざわざ紙を配る必要性はないでしょう。

  • 日経新聞の株価情報、スポーツ新聞の勝敗情報、それ以外で正確な情報ってなんなんですかねえ?

    • 門外漢様。

      55年ほど前に、日付と囲碁、将棋欄と聞いた記憶が有ります。

      蛇足です。
      ワタシは確認できてないですが、日付が間違っていた事があるようですが。

  • 昔、今東光が「俺は、新聞なんて信用しとらん。5大紙を定期購読しているのは、出版広告を
    見るためだ。」と言っていたのを思い出しました。

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