大震災から10年:「テレビは何か役立ちましたか?」
明日・2021年3月11日は、東日本大震災からちょうど10年の節目です。あまり個人的な体験について詳しく述べることは控えますが、あくまでも主観的な考えに基づけば、大災害に際しテレビはあまり役に立たないのではないか、という気持ちがしてなりません。
東日本大震災から10年
早いもので、東日本大震災から、明日でちょうど10年を迎えます。
内閣府『防災情報のページ』に掲載されている『特集 東日本大震災』によると、地震は2011年3月11日14時46分ごろ、三陸沖の宮城県牡鹿半島の東南東130km付近で発生し、震源の深さは約24km、マグニチュードは9.0だったそうです。
ちなみにこの「マグニチュード9.0」は1952年のカムチャッカ地震と同じで、また、米地質研究所のデータがある1900年以降でみても、世界で4番目の規模の地震だったのだとか。
また、行方不明者も多いため、いまだに全容は把握されていないものの、震災から3ヵ月を越えた2011年6月20日時点で死者約1.5万人、行方不明者約7500人、負傷者約5400人、避難生活者約12.5万人という状況でした。
これについては「1.5万人が亡くなった災害が1件あった」のではなく、「1人が亡くなった災害が1.5万件あった」と見る方が正確でしょう。被災者、犠牲者の方々にはそれぞれの事情があるからです。
あなたは何をしていましたか?
さて、この大震災のとき、あなたはいったい何をしていましたか?
個人的に当時は近畿地方に出張中であったため、じつは東日本大震災の揺れは体験していません。しかも、1995年の阪神・淡路大震災では神戸の実家が被災したのですが、当時は東京の私大に通う大学生だったため、難を逃れたという経緯もあります。
このため、人生で大地震を体験したことはありませんので、「地震のときにはこういう行動を取らねばならない」などと体験談を話すことはできない点についてはご了解ください。
ただし、あまり自分自身の体験を詳しく申し上げるつもりはありませんが、当時は会社支給の携帯電話を所持しており、午後3時から午後4時にかけて、こんな趣旨の業務メールが続々と入って来ていたのを覚えています。
- 「先ほどの地震の影響で、本日3時半から予定していた新人事制度説明会を延期します。」
- 「先ほどの地震の余震が警戒されます。職員の皆さんは慌てず落ち着いて行動してください。」
- 「都内で交通機関が止まっているようです。帰宅困難な人は会社に留まって下さい。」
- 「これから会社で備えているカンパンなどの非常食を各部署に配布します。」
とりあえず当時のことを思い出し、現在も大災害が発生した際に備え、家族や職場で連絡を取り合えるように準備をしなければならない、という点については、強調し過ぎても足りないくらいです。
備えあれば憂いなし:何が役に立ちましたか?
いずれにせよ、東日本大震災で判明したのは、大災害はいつ襲って来るかわからないということであり、また、月並みな表現ですが、「備えあれば憂いなし」、です。
こうしたなか、もうひとつ、個人的な体験を申し上げておきたいと思います。
高校生時代、少し奇妙な癖がありました。それは、お小遣いやバイト代などで駄菓子などを買ってきた際、余った小銭のなかから(なぜか)10円玉だけを抜き出し、ピーナッツバターの空き瓶に溜めておく、という癖です。高校時代を通じて10円玉は300枚くらい溜まりました。
べつに貯金がしたかったわけではありません。「ただなんとなく、そうしたかった」に過ぎません。
そして、東京の私大に進学することが決まり、最低限生活に必要なものだけを持って東京に行ったのですが、その際、その10円玉瓶の存在をすっかり忘れてしまっていました。
1995年の阪神・淡路大震災では、幸いにして実家に人的被害はなかったものの、電話回線がやられ、連絡を取る手段は近所の公衆電話しかありませんでした。その際に、この「10円玉貯金」が非常に役に立ったと家族から感謝されたのです。
「役に立った」もなにも、自分自身でもその存在を忘れていたほどですが、じつはこの小銭、公衆電話で役だっただけではありませんでした。あくまでも家族の言によれば、被災地からは真っ先に小銭がなくなるのだそうであり、こまごまとした買い物をする際に、小銭があるに越したことはない、と言われたのです。
だからこそ、さすがに10円玉300枚は「やり過ぎ」だったと思いますが、現在でも自宅に100円玉、50円玉、10円玉などの小銭を溜めた瓶を置いています。
テレビは役に立ちましたか?
さて、災害時に思い出したいのは、「情報源としてテレビは役に立つか」という論点です。
今になって振り返ると、とくに東日本大震災当時はちょうどスマートフォンが爆発的に普及し始めた時期でもあり、災害情報については不安定ながらもインターネット回線を通じて検索していたという人が多かったのではないでしょうか。
実際、あとになって会社の同僚などに聞いても、会社にはテレビがなく、おもにインターネットを通じてさまざまな災害情報を入手していた人が多かったようです。
冷静に考えたら、帰宅しようと思ったときに、たとえば「会社のあるXX駅から自宅の最寄りのXX駅までの交通手段はどうなっているのか」、「止むを得ず徒歩で帰宅する場合、水分・栄養補給やトイレ休憩のポイントはどこか」、などのピンポイントの情報は、テレビではなかなか得られません。
実際、近畿地方の親戚宅でテレビが点けっぱなしになっていたのですが、テレビから流れて来るのはヘリコプターから映した津波の映像であったり、地盤沈下の映像であったり、テレビ局のスタジオが揺れる様子で合ったり、と、センセーショナルではあるものの、具体的に役立つ情報ではなかったように思えます。
つまり、東日本大震災を通じて、「テレビは意外と役立たない」、「(回線が不安定であることを除けば)インターネットこそが災害時に役に立つ」と感じた人は多かったのではないでしょうか。
当ウェブサイトで「災害時などに備えた公共放送が必要」というロジックに全面的に賛同しないのは、個人的に東日本大震災や阪神・淡路大震災の当時、「テレビやラジオの情報が本当に役立った」という意見をあまり聞かなかったからです。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
このように考えていくと、災害に強い国土づくりをするためには、地上波テレビなどが独占している「プラチナバンド」と呼ばれる電波帯を電波オークションで携帯電話会社などに開放するほうが早いように思えてならないのです。
本文は以上です。
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テレビ局の取材隊ほど迷惑な存在はありません。放送産業とともに滅びてしまっても同情はないです。
> あなたは何をしていましたか?
海外にいました。地震と津波を知ったのは、朝起きて、現地のテレビを介してでした。
そして、いつ帰れるか、わからなくなりました。
> テレビは何か役立ちましたか?
意外にも、役に立ったんですよ。
「日本は大丈夫だ」と確信を持てたのは、NHKが特別放送体制を解き、通常放送に戻ったときでしたから。
厳密には、テレビではなく、テレビの番組表が役に立ったと言うべきでしょうか。
もちろん、日本から電子メールで得た情報は、現地のテレビより役に立ちました。
テレビを見ている友人数人が鬱っぽくなってしまったので、
テレビなんな見てはいけない、と注意しました。
たいへんな状況なのだから、自分が今するべきことを考え、
それをするように。と。
ちなみに私は東京にいて、友人は、東京や埼玉や千葉や神奈川
にいました。
ここから逃げる、ということだけは、まったく考えなかったのが、
今でも不思議です。根が土着民なのかもしれません。
> あなたは何をしていましたか?
中国で北京発成都行の地方便から降りたころでした。部下から今大きな揺れがあった旨のメールがあり、部下全員の無事確認を指示、返信があったところで途絶。自宅で家族の無事を確認後、実家を含め電話の繋がりにくい状態に。
予定を切り上げ次の日に帰国。
> テレビは何か役立ちましたか?
当日の夜、中国人顧客との会食のレストランに大きなテレビがあり、CCTVが繰り返し津波の映像を流していた。私が度々席を立って繋がらない電話を掛けていたので、相手が配慮して下さり早めに終えた。実家の無事を確認できたのは深夜近かった。
その時、被害のイメージを遠い地から実感出来たのはテレビの速報力のおかげだった、と言える。
停電・断水した茨城県在住者です(家は壁にひび入って趣味の水槽全滅)。息子と近くの川に便所用の水を汲みに行ったことを記憶しています。はい、テレビ・ラジオは全く役に立ちませんでした。当時たまたま家にいましたが、当面全休等のつくばの職場情報入手はEmail (PC)のみがたよりでした。テレビが見れるようになっても、自衛隊や米軍トモダチ作戦のことは全然放送していなかったと記憶しています。
当時、東京で帰宅困難者になっていましたが役にたったのはラジオ、テレビ、ワンセグですね。
携帯は通信制限かかったりしてましたから、ネットの情報なんて見ることができませんでした。
震災があった地域には義父母がいましたが携帯どころか固定系というよりもケーブル網が被災していましたから頼りはラジオ、テレビと聞きました。
電力を失っただけでガス・水道は無事だったので引き合いに出すのも申し訳ないレベルですが、
胆振東部地震のときはAMラジオの情報が結構役立ちました。余震の情報や交通機関の状況とか、電力復旧の目処とか。発生直後は大丈夫だったらしいですが次第に基地局の非常用電源が落ちてスマホが使えないところもあったらしいです。意外だったのがガラケーの充電ができなくて困ってる人が結構いたらしいこと。自分もガラケーでしたがUSB⇒携帯端子の変換コネクタがあったのでモバイルバッテリーから充電していました。
テレビは停電で使えない以前に転倒して液晶が割れてました(笑)
交通事故で入院前の自宅療養中でした。
クライアントの事業拠点の被災状況を把握すべく、各地の震度の一覧表を作成し、
チームのボス(クライアントの総務部長にCC)に送付していました。
確かにインターネットは役に立つんですが、電源の無いところではラジオは持っておきたいです。
やはり、役に立つ情報は、こちらから取りに行かなければ得難いように思います。
更新ありがとうございます。
阪神淡路大震災、東日本大震災ともテレビラジオは、まったく役に立たないです。
理由は電気が断線していたから。ラジオは乾電池切れてたから。自家発電付きのラジオは持っていませんでした。
阪神の時は直下型で、阪神高速道路がなぎ倒された、バス、自動車が宙ぶらりんになってたソバに住んでました。怖いというより、「現実か?」でした。自衛隊のヘリコ基地が目の前の中学校グラウンドに作られ、共同風呂と仮設住宅、炊き出し場、焚き火場が出来ました。マスコミのヘリコ、多かった。やかましかった。スグ近くの港では護衛艦が、水を配ってました。
東日本の時は勤める会社の「ボランティア隊」として応援、新幹線で東京駅まで、そこからチャーターバスで閉鎖中のボコボコの東北道を北上。石巻市で何も情報が無い生活を6日間、送りました。ヘリコ、多かったです。
悪いけど、経験上ボランティア側も無駄が多いです。人数と食料を送れば良いというもんじゃない。ボランティア隊は自分らの食糧は持参すべし。現地調達は無理です。被災者は普段通りの生活がしたい。でも特に過疎地では人手が必要ですネ。
めがねのおやじ様
実家はご近所さんかもです
知り合いだったら怖いのでこれ以上の
詮索はやめておきます
お互い生き残れました
H 様
そうなんですか。私も3年後、西の方に引っ越しました。
当時は大学生の春休みで福岡の実家にいました。14時頃はTSUTAYAで借り「崖の上のポニョ」のDVDをノートパソコンで観てのんびり過ごしてました。地震や津波を知ったのは2〜3時間経ってからTVの中継で知りました。
大阪で仕事してましたね。お、えらく揺れたなみたいな感じで、深刻さを知ったのは夕方のテレビです。(思えば阪神大震災の時もそんな感じでした)
逆張り的になってしまいますが、テレビというか、映像の力は大事です。
写真でもちょっと弱い。
「大災害による非常事態が起きています」ということをまず「飲み込む」ために、テレビ映像はそれなりに必要かと思います。
その後、個々人が「どうしよう」とするときにはおっしゃるとおりにあまり役に立たないかもしれません。ただ最初に「これは一大事」と理解するためには必要だと感じます。
#ネットで流れる映像も、ヘリから撮影したようなものは大抵テレビ局の撮影です。
ですので、全くの役立たず、という論調にはやや違和感はあります。
阪神淡路大震災時
自宅で寝てました。ベッドから落ちて
最初は何が起こったのかわかりませんでした
停電してましたのでラジオ情報が頼りでした。
特に地元のFMは現地情報が
細かく集められとても有効でした
東北東日本大震災時
都内で仕事中でした。
携帯で情報を集めていました
いずれの時もテレビは必要ありませんでした
また明日も津波映像が繰り返し流されるの
でしょうか。
マスゴミが何を報じたのか未だ検証された
番組を私は知りません
阪神は神戸の会社の寮に居ました。
幸い電気だけは早々に復旧したので、TVはつけっぱなしでした。役に立ったかと言われると…だいぶ後まで長田の火災は無視されていましたね。
火災はじわりじわりと北上していたので山越えして逃げるべきか思案していたので、TVは注視していました。夜になり山風(六甲颪)に変わって一息ついて寝たことを思い出します。
公衆電話も直後は繋がったらしいですが、すぐに輻輳制御がかかりました。携帯(当初はPHSでしたが)を持つことを決心したきっかけです。親族に無事を連絡できたのは数日後でした。
東日本は出張で茨城にいました。収まって間もなく百里から何機も直上を沖合に飛んでいきました。直上ではなかったですが救難隊も。イーグルもアフターバーナー吹かすと煩いことが判った日でした。
直ちに嫁に無事メールを送った後は、翌日1日かけて電車が動いていた松戸に辿り着くまでは基本的に携帯の電源落として情報封鎖状態でした。音声通話は最初から諦めていましたね。以後出張時にはラジオとモバイルバッテリーは必携としています。
避難所は定期的に緊急速報が鳴り響いていましたが、そのうちに静かに。一夜明けたらKDDIとソフトバンクの基地局は電源切れたようです。ドコモは昼頃まで持ったかな。
東日本大震災のあと、総務省によりまとめられた「災害時を中心とした放送の役割」の中の「震災時に利用したメディアの評価」という項目に、以下のような記述があります。
『震災発生時は即時性の高いラジオが評価され、震災直後には安否確認等を行うため双方向性を有する携帯電話・メールと、映像を伴う地上テレビが評価されている。その後は、地域性の高い情報を収集可能なインターネットの評価が高まっている。』
実際には、被災した側(被災地)であるか否かや、その人がその時に何を知りたいかによって、TV・ラジオの有用性も変わってくるでしょう。
阪神淡路大震災の時、当該地域の電話が途切れました。
政府は情報を入手できず、何が起こっているのか知ることができませんでした。
村山総理が、神戸が燃えていることを初めて知ったのは、ヘリコプターによるテレビ中継でした。
この点は役に立ちました。
当方長野中部は阪神と東日本との中間なので、どちらも震度3~4程度だったかな。
ただ、東日本大震災同日に、誘発とみられる震度6強(場所によっては7?)の長野県北部(栄村)地震がありましたが、被害の「数値」は圧倒的に小さいにしても、死者が出る程の地震が比較的取り上げられず。千葉などでも、津波被害があったのにあまり取り上げられずといった傾向だったと記憶しています。
仕方なくはありますが、報道側の一存により扱いが変わってしまうのが現実なのだな、と感じました。
浜に打ち上げられた夥しい遺体などのような現実は放送できず、燃える海や地を登り続ける津波など、放送可能な範囲でショッキングな映像は繰り返し流す、といった内容選択でもそうですね。
また、当時TV等が役に立ったかは、「今後も」TVが役に立つのか、TVが「最も」役に立つのか、とはまた別の議論ですね。
津波に飲まれた地域で避難に成功したビルから津波をスマホで撮影している人がチラホラいましたが、撮影していて津波に飲まれた人もきっといたんでしょうねえ。
そんなくだらないことで非常時の命綱になるスマホのバッテリを消費するのは、バカを通り過ぎているんですが・・・。
避難所で発電機が稼働すると携帯・スマホの充電で列が出来ました。
そのくせワンセグのTVを付けっぱなしにしている人もいたり。
今はワンセグ付きのスマホなんて持っている人の方が少数派でしょう。
我が家では電池式のラジオを二台確保しています。
>このように考えていくと、災害に強い国土づくりをするためには、地上波テレビなどが独占している「プラチナバンド」と呼ばれる電波帯を電波オークションで携帯電話会社などに開放するほうが早いように思えてならないのです。
転から結にかけてのロジックが強引過ぎるように感じます
>「テレビやラジオの情報が本当に役立った」という意見をあまり聞かなかったからです。
居住地・環境・時間の経過等により違うのは当然かと思います
地震により停電していて自家発電装置が無ければ「テレビ」使用はできません
「インターネット」も同じ(携帯・スマートフォンは充電が切れるまで)
「ラジオ」電池式は電池が切れるまでですが発電機能付きの場合有効性は高い
誤報・フェイク・偏向・印象操作等があるのはどのメディアでも程度の差はあるが同じ
「インターネット」の危険性は中国を見ればあきらか
またGAFAの影響下におかれることになる
それぞれ一長一短はあるがインターネット・テレビ・ラジオ・新聞・雑誌等多様性があった方がよいかと思います
電波法と「電波オークション」
ハードルが高そう
考え方としてはユニークだと思いますが
新たな「利権」が発生します
利権問題をどのように解決するかがポイントかと思います
あったら良いもの と言うか必須
食料と水 有る程度常温で日持ちするやつ 水は住居により(電気で加圧や揚水なら多めに)
電気以外の熱源 調理ならカセットコンロと予備ボンベ 暖房用なら電気使わない石油ストーブ
雨よけのシートとかはそれなり
そして、自分の命守る為の覚悟
他人に判断預けて決まったら、死んでも死にきれない
如何ともし難い状況で被災しないことを願うしかないってのもありますがw
震災当時ですが,津波情報とか液状化の情報,電車の運行状況,道路状況については,NHKの報道とネット情報を総合して調べました。テレビもかなり役にたっています。ネット情報は断片的なので。
福島原発の放射能報道については,NHKの人達があまりに理系音痴なのがわかった(シーベルトの意味もよくわかっていない)ので,テレビはあてにせずに,物理関係の専門家のネットワークで現状把握をしていました。ガイガーカウンターを実験用に持っている人も多くて,かなり正確な状況が把握できていました。原子力村の人達への風当たりが一時強かったですが,情報源としては強力でした。一時は,危険すぎて(パニック回避のために)報道できない状況の場面もあったようです。
その後,自分でもガイガーカウンターを買って,放射線量を確認していました。自家発電機とか500Lポリタンクも買ってしまいました。
民法はもともと取材網が弱いので,ニュースはダメです。
初めて投稿させていただきます。
阪神淡路大震災の時は京都在住で震度5を経験しましたが、棚から多少物が落ちた程度、東北の大震災は大阪市内の職場で揺れを感じた程度でした。
震災をがっつり経験したのは世間からなんか忘れられた感のある大阪府北部地震(2018年6月)です。朝の8時頃に起きた地震だったので通勤電車の中でにいました。電車は非常停止システムが働いて脱線等もせずに止まりましたが、駅と駅の間で止まったため、乗客は最終的には線路上に降り、希望者は避難場所を提供してくれた近くの高校まで徒歩で移動。そこでしばらく電車の運行再開を待っていましたが、12時頃に最寄りの駅の駅長から①当日中の運行再開はないこと②この避難待機場所は午後2時で閉鎖されることを告げられました。通勤電車でいつも通り過ぎるだけで降りたことのない場所で放り出されて立派な帰宅困難者になった瞬間でしたね。
避難場所から4つの市を越えて帰宅しなければならなかったのですが、その時1番役に立ったのは文庫版の大阪府の地図でした。その周辺の電車・モノレール等の交通機関は全てストップしていましたが、停電はしていなかったので道路は渋滞しながらでも車が流れてました。バスで行けるところまで行こうと判断し、スマホでバス路線を調べ、地図でバス停の場所を調べることを繰り返し、4本のバス乗り継いで帰宅しました。帰宅したら観音開きの食器棚から大量の食器が落下して割れてたし、タンスは引きだし吐き出してひっくり返ってるし、断水してるしで泣きそうでしたが。
結局何が1番役に立つかは状況によって違うので、選択肢は多い方が良いと思います。
>つまり、東日本大震災を通じて、「テレビは意外と役立たない」、「(回線が不安定であることを除けば)インターネットこそが災害時に役に立つ」と感じた人は多かったのではないでしょうか。
>当ウェブサイトで「災害時などに備えた公共放送が必要」というロジックに全面的に賛同しないのは、個人的に東日本大震災や阪神・淡路大震災の当時、「テレビやラジオの情報が本当に役立った」という意見をあまり聞かなかったからです。
これはまた災害を随分と単純化した御見解ですね。
重大災害は大地震だけではありませんよ。
台風や洪水あるいは大規模火災などのように時々刻々と進行する場合にはリアルタイムの映像の果たせる役割は大きい。
そして日本の場合、高齢者はかなり高い割合でパソコン(PC)を使えません。大雑把に言えば団塊の世代かそれ以上の世代の人々は高い比率でPCを使えないと考えておいて間違いないでしょう。
更に言えば、ウィルスやマルウェアが好き放題にばら撒かれて犯罪の巣窟となっているインターネットを、今までPC未経験であった高齢者に今から使わせるのはかなり危険だと思いますよ。無視できない比率で様々な犯罪や詐欺の被害者になってしまうと予想します。
「高齢者もスマホでネットを見れば良いではないか」という考え方もあるでしょうが、テレビやPCのディスプレイとスマホとでは画面のサイズが大きく違います。そして高齢者の殆ど全ては若年層や中年世代と比べると相当に視力が劣っているので、災害時や災害が迫っていて精神的にプレッシャーを受けている状況で、高齢者が小さな画面で的確に情報を検索して正しく状況把握をするのはテレビで情報を理解するよりも遥かに困難だと予想します。
>このように考えていくと、災害に強い国土づくりをするためには、地上波テレビなどが独占している「プラチナバンド」と呼ばれる電波帯を電波オークションで携帯電話会社などに開放するほうが早いように思えてならないのです。
これは問題を単純化し過ぎた極論だと思いますね。
現実の日本のテレビ局(民放もNHKも)に様々な問題を抱えていることと、テレビが不要でその電波帯域を携帯電話用にすれば良いというのとは全く別だと思います。
日本のテレビ局(に限らずマスコミ)をマトモにするにはどういう法整備をするべきかを考えるべきだと思いますね。もちろん、既存のテレビ局がタダ同然で割り当てられた電波帯域の利用権に安住している状況を改めるために、電波オークションのような仕組みを活用するのは良いと思いますが。
しかし同時に電波帯域をオークションで自由競争によって割り当てる際に良く注意せねばならないのは、共産チャイナなどの外国勢が日本国民の共有財産である電波を手に入れてしまう事態です。日本国内に何重にも法人を設立されて、その日本国内の法人に入札されると、見破るのは決して容易ではないと危惧します。
スイッチを入れさえすれば(そして電源がありさえすれば)他には何もしなくても一応の情報が得られるのは、非常事態において高齢者のような情報弱者が生き残る上で最低限の情報を得られるための一種のセーフティーネットなのですよ。
テレビなど電波メディアはどんなにアクセスが殺到しても輻輳はしないので、広範囲に情報伝達するのに適している、一方、ネットは狭い地域(市町村、町内、あるいは個人単位)での行動に必要な情報のやりとりに有効だということだと思います。東日本大震災では、被災地内外含め「ウチの周りや県単位ではない、国を揺るがすかもしれない規模の地震災害」だと伝えるのが電波メディア、被災地のなかのひとに市内の避難所・給水所がどこかを伝えるのがネットという具合で。
地震的表現(?)ならば、テレビはマグニチュードを伝え、ネットは地域の震度を伝える、でしょうか。
今のテレビ局が電波の特性に合った報道をしているか、これはこれで大問題でしょうが別の議論だと考えます。