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民主主義捨てる無法国家・韓国を鈴置氏が「異質な国」

「韓国が三権分立、法治主義といった西欧型の行動様式をかなぐり捨て始めた。まさに李朝末期への先祖返りだ」――。ほんの10年前にこんなことを主張すると、「いったい何を言っているのですか」と反論されたことでしょう。しかし、それを一貫して唱え続けてきたのが鈴置高史氏であり、現実が今まさに鈴置論考に追いつこうとしているのかもしれません。

鈴置論考を読むべき理由

鈴置氏は単なる「韓国観察者」ではない!

以前から当ウェブサイトをご愛読いただいている方であれば、韓国観察者である鈴置高史氏の論考を知らないという方はいらっしゃらないでしょう。

ただ、鈴置氏を単なる「韓国観察者」と見るのは、正しくありません。なぜなら、一連の鈴置論考は、韓国論という「鏡」を通して私たち日本の姿を確認していることにもほかならないからです。精度が高い鏡を見れば、私たち日本人にとっても進むべき指針が見えてきます。

一例を挙げましょう。

当ウェブサイトでは、ちょうど1年前の『鈴置論考に見る「ひとつの国が民主主義を捨てるとき」』で、鈴置氏がウェブ評論サイト『デイリー新潮』に寄稿した、こんな記事を取り上げました。

文在寅政権が韓国の三権分立を崩壊させた日 「高官不正捜査庁」はゲシュタポか

―――2020/01/07付 デイリー新潮『鈴置高史 半島を読む』より

これは、文在寅(ぶん・ざいいん)政権が発足させた「高位公職者犯罪捜査処(公捜処)」が韓国の三権分立を完全に破壊するものになる、という「予言の書」のようなものでしょう。

公捜処とは、大統領、首相、国会議員、将官級以上の軍人、地方自治体の首長、裁判官、検事といった上級公務員とその家族に対する捜査権と起訴権を持つ組織です。こんな権限を持つ組織、常識的な法治国家だと考えられません。

タイトルにある「ゲシュタポ」とは、「まさにこの公捜処こそが文在寅氏ら左派が司法を掌握し、永久執権を目指すうえでの装置のようなものだ」という鈴置氏の考えが凝縮された単語です。そして、多くの読者はこの論考にグイグイ引き込またうえ、読了すれば、次のように感じているはずです。

「韓国は、日本とは違う道を歩み始めたのだ」、と。

逆にいえば、私たち一般の日本人が鈴置論考を読む意義とは、韓国という国家の失敗事例を通じ、日本が進むべき正しい道を知る一助とすることにあります。

異常な韓国を反面教師とできるか

こうしたなか、個人的な懸念を申し上げておくならば、民主主義というシステムは、非常に脆弱なものです。というのも、多くの国民がその場の雰囲気でいっせいに投票した結果、国の方向がおかしくなったという事例は、歴史上、枚挙にいとまがないからです。

その典型例こそ、ドイツでしょう。

歴史書で紐解けばわかるとおり、ドイツは第一次大戦の敗北後、「ワイマール憲法(Die Die Weimarer Verfassung、ヴァイマール憲法とも表記)」を採用し、男女平等の普通選挙が盛り込まれるなど、一説によると当時の世界でも最も民主的なものとされていたようです。

しかし、この「ワイマール共和国」は、現実には第一次世界大戦の敗戦に伴う巨額の賠償金負担に苦しみ、また、少数政党が乱立するなか、安定した政権が出現せず、さらに1929年以降の「世界恐慌」などがナチスの台頭を許す土壌となったと指摘されています。

そして、1933年1月にアドルフ・ヒトラーが首相に就任するやいなや、2月には国会議事堂放火事件を口実としてヒンデンブルク大統領に緊急令を発動させて人権規定を停止し、さらには反対政党を弾圧するなどの手口で権力を掌握。3月には全権委任法を成立させるという手腕で独裁政権を確立しました。

本質的に変化し始めた韓国

鈴置氏の論考は「韓国の本質的な変化」

さて、この「公捜処」を巡っては、鈴置氏はその後もいくつかの論考で取り上げています(鈴置氏の記事のリンクは『今回の鈴置論考は「先祖返りする韓国からの流れ弾」』や『鈴置論考「韓国メディアに文在寅=ヒトラー説が登場」』等で示しています)。

どの論考も深く納得できるものばかりであり、丹念に読み込んでいけば、この隣国がどこに行こうとしているのか、本当に恐ろしくなってしまいます。

そして、ドイツのように、独裁政権がいちおう民主的な手続を踏んで選ばれたという事例はあるため、鈴置氏が警鐘を鳴らす「ヒトラー」、「ゲシュタポ」などの表現も、必ずしも誇張とは思えないのです(※もっとも、厳密に見ると、選挙の結果、ナチス党が単独過半数を占めた事実はないという指摘もありますが…)。

こうしたなか、昨日は待望の鈴置論考の最新号が出てきました。

ヒトラーの後を追う文在寅 流行の「選挙を経た独裁」の典型に

韓国の民主主義が崩壊する。文在寅(ムン・ジェイン)政権が権力を維持しようと「なけなしの法治」を踏みにじったからだ。韓国観察者の鈴置高史氏が無法国家に突き進む隣国を読む。<<…続きを読む>>
―――2021/01/12付 デイリー新潮『
鈴置高史 半島を読む』より

今回の論考では、先週金曜日の「主権免除違反判決」(『慰安婦判決巡っても無責任で当事者能力のない韓国政府』等参照)についても、末尾で触れられていますが、焦点は文在寅政権とその取り巻きの政治家による裁判所との対決に当てられています。

8000文字近くに達する長文の論考でが、韓国問題に関心がある方であれば、ところどころ炸裂する「鈴置節」に深く共感しつつも、あっという間に読めてしまうことは保証します。当ウェブサイトでは転載をしませんので、原文についてご興味がある方は、ぜひとも直接お読みください。

「民主主義の死に方」

本稿でとくに取り上げたいのは、この鈴置論考の核心的な部分のひとつである、「選挙を経た独裁」です。鈴置氏は『民主主義の死に方』という書籍を引用し、「選挙で選ばれた権力者が独裁政権に変身する」という新たな認識が世界に広がり始めていると指摘します。

2018年に出版された『How Democracies Die』という本が『選出された権力の独裁化』を指摘して以降、世界の政治学者の共通認識になり始めたようです。日本のメディアでこの本の紹介を見ることはあまりないのですが、韓国メディアは時に引用します。身につまされるからでしょう。

【参考】『民主主義の死に方』(英語版、日本語版)

 

(【出所】アマゾンアフィリエイトリンク)

鈴置氏の論考からの孫引きですが、この書籍の日本語版21~22ページには、次のような記述があるのだそうです。

今日の世界では、ファシズム、共産主義、あるいは軍事政権などによるあからさまな独裁はほぼ姿を消した。軍事クーデターやそのほかの暴力的な権力の奪取はきわめてまれであり、ほとんどの国では通常どおり選挙がおこなわれている。

それでも、民主主義は別の過程を経て死んでいく。冷戦後の民主主義の崩壊のほとんどは、将軍や軍人ではなく、選挙で選ばれた政治家が率いる政権そのものによって惹き起こされてきた。

ベネズエラのチャベスのように、選挙で選ばれた多くの指導者が民主主義の制度を壊してきた。ジョージア(旧グルジア)、ハンガリー、ニカラグア、ペルー、フィリピン、ポーランド、ロシア、スリランカ、トルコ、ウクライナ……。

現在のところ、韓国はこのなかに入っていません。

ただ、鈴置氏によれば、韓国は「まだ」入っていないに過ぎず、もし改訂版が出れば、文在寅氏の名がウゴ・チャベス(ベネズエラ大統領)と並ぶ可能性が高いと述べます。その論拠は、この本が指摘する「民主主義崩壊」の典型的なパターンを、韓国が辿っているからだそうです。

しかも、鈴置氏は次のように言い切ります。

『選出された政権の独裁化』という大枠だけではありません。意図も手口も細部に至るまで、この本の描く通りに韓国は独裁国家への道をひた走っているのです」。

たしかに、鈴置氏の指摘どおりです。

実際、文在寅氏が2017年5月に政権を獲得する前後から、「保守派」(?)である朴槿恵(ぼく・きんけい)前大統領と李明博(り・めいはく)元大統領、梁承泰(りょう・しょうたい)前大法院長、さらには将軍や官僚などが逮捕され、それらの多くは収監されています。

さらに、韓国では新型コロナウィルスの流行を奇貨として集会が禁止されており、政権の不正まで捜査を拡大する検事総長を止めるべく職権停止処分を出し、そのうえで「公捜処」を設置する――。

鈴置氏はこれを、まさに「選出された政権の独裁下の典型例」と指摘します。

日本には三権分立を唱えるくせに

それから、今回の鈴置論考からは、こんな記述についても取り上げておきましょう。

日本に対しては『我が国は三権分立を確立しているから判決に介入できない』と言い張るのに、国内では裁判所に圧力をかけているではないか」。

これは、韓国メディア『朝鮮日報』(韓国語版)に昨年12月29日付で掲載された『徐珉、「政権側は三権分立を軽んじ、司法を圧迫」』という記事にあった記述だそうですが、例の尹錫悦(いん・しゃくえつ)検事総長と秋美愛(しゅう・びあい)法務部長官との対立のことを、朝鮮日報が皮肉ったものです。

(ちなみにこの検事総長停職事件については、当ウェブサイトでも昨年の『検察総長の停職解除、韓国で新たな泥仕合が始まるのか』で顛末をまとめています。)

このあたり、なかなか興味深い指摘です。

たしかに、韓国の裁判所は日本企業に対しては国際法違反の自称元徴用工判決、日本政府に対しては国際法違反の主権免除違反判決を出すなどしていますが、このうち自称元徴用工判決について韓国政府は「三権分立」を名目に解決に乗り出そうとせず、放置しています。

そのうえで、鈴置氏は「韓国が日本と異なる道を歩き始めた」として、次のように述べます。

歴代大統領は必ず『不幸な引退後』を余儀なくされます。国を追われるか、暗殺されるか、監獄に送られるか、子供が収監されるか、検察に取り調べられて自殺するか――。名目的な大統領は除けば、すべての人が悲惨な目に逢いました」。

このあたり、文化人類学的にはなかなか興味深い研究テーマかもしれません。

ただ、ここで大事な事実は、名目的な大統領を別とすれば、歴代大統領はみな最後は悲惨な目に遭っているという点でしょう。まさに、前回の鈴置論考でも指摘されていた、「李朝の権力闘争」そのものです。

日本政府にチクリ

鈴置氏が「韓国が日本と違う道を歩み始めた」と述べているとおり、おそらく日本は法治主義、自由主義、民主主義をこれからも大切にし続けることでしょう。いや、「私たち日本人は、それらを大切にしなければならない」、というべきでしょうか。

ただ、個人的にその点に関してはあまり心配していないのですが、それとは別次元で懸念すべきは、日本の外交です。

安倍政権が成立して以来、外交の主導権は外務省から官邸に移されてきましたが、個人的には安倍総理が退任し、こうした流れが変化していることを懸念しています。そのような視点で今回の鈴置論考の末尾を眺めると、やはりギョッとします。

1月8日、韓国の裁判所が元慰安婦の請求に応じ、日本政府に対して賠償金を支払うよう命じました。翌9日、茂木敏充外相は『国際法上も2国間関係上も到底考えられない異常な事態』との認識を示しました。/韓国の異様さを訴えるために『異常』との単語を使ったのでしょう。でも、外交の専門家が今になって韓国を『異常』と認識したのなら、それは遅すぎます」。

このあたり、茂木敏充外相や外務省の皆さまには、何度も何度も読み返していただきたいと思う次第です。思うに、日本の対韓外交が韓国に煮え湯を飲まされっ放しなのも、職業的外交官らが、韓国が私たち日本と同じような法治主義の常識が通用する国だと認識しているからではないでしょうか。

外務省は遺憾、遺憾と繰り返すだけでなく、輸出規制、支払制限、資本取引規制、入国制限など、日本に生じた損害を韓国に帰属させるような制裁を、ひとつでも発動しようと努力したことがあるのでしょうか。

鈴置氏は、現在の韓国について、こう述べます。

無法ぶりが目立つようになったのは数年前から。しかし、21世紀に入った頃から韓国は『異質な国』へと、ひそやかにですが着実に変身していたからです」。

まったく同感です。

早く続きが読みたい!

さて、今回の鈴置論考には、こんな記述がありました。

――韓国人はなぜ、法治の重要さが分からないのでしょうか。
鈴置:それは極めて興味深いテーマです。韓国研究者の間でも議論が繰り返されてきました。あまりに大きいテーマなので、日を改めて説明します。/今はとりあえず、隣国のなけなしの民主主義が崩壊し始めた、という点に注目下さい。韓国が法律に基づいて行動する西欧型の国家になるとの期待は捨てることです。

これは、非常に興味深い話です。今から待ち遠しくてなりません。

そして、鈴置氏の「韓国が法律に基づいて行動する西欧型の国家になるとの期待を捨てるべき」との発言については、しっかりと心に刻んでおくべき名言であることは間違いないでしょう。

新宿会計士:

View Comments (50)

  • 毎朝五時の更新を楽しみにしてる者です。
    少しテーマが違うのですが、管理人様に要望がありましてコメントさせていただきます。
    新型コロナの緊急事態宣言が五月雨式に出されて日本の危機が続いています。
    前回の日本の危機はやはり東日本大震災と原発事故だと思いますが、あの時の教訓は生きているのでしょうか?
    当時は「枝野寝るな」と言われた総理の右腕となる官房長官がいましたが、現在そのような発信力のある人物がいないのが菅総理の不幸だと思われてなりません。(今の枝野さんにあの時の輝きはありませんね。)
    「原発危機の菅総理とコロナ危機の菅総理」などのテーマで管理様のご意見をいただければ幸いです。

    • いつもお世話になっております。

      「枝野寝るな」という当時あっち系の人達が言っていた言葉を美談だと
      思っているなら、間違いです。
      一般のTVの向こう側にいる人達からすれば、総理の右腕らしく一人で
      はしゃぎまわり、妄想の中で踊っていただけにすぎません。
       あれほど(どれくらいか不明ですが)マスコミが宣伝し尽くし、何時でも
      政権を代る事を本人達も言っておきなはら、何もせずただ立ち尽くして
      いただけにすぎないです。
       今はもう政権を代る事ができない事を国民が十分に理解しつくしているので
      もう無理です。 でも30代以前の人なら、未だ誤魔化せるかもしれません。
      ハッキリ言って自分の党は何をするべきか?
      自分は何をしなければならないのかを分って、SNSなり議会でもやれば良い
      のですが、議員の仕事が何であるかが根本的にわかっていないので無理です。

       発信力の問題は、情報発信の出す側と受取る側の2種類の問題があります。
      出す側が正常に機能しても、それを拡大し拡げる側(マスコミ)の問題が
      あります。 マスコミが出す側に対しいつも反対の事だけ報道する問題や
      誤報しか報道しない問題があります。 TV・新聞等で私達が欲しいのは
      出す側のそのままの報道であり、それをかみ砕いた解説文だけです。
       受取る側の問題として、「あちらが症候群ではの守」症状を持ち、
      日本よりコロナ関係の感染者・死亡者が多いドイツの首相はスバラシイ、
      それに対し日本の首相の言葉は心に響かないという問題があります。
       マスコミ報道なので事実か分かりませんが、日本では考えられない話として、
      ドイツでマスクの共有化があるそうです。 後、マスクをしない自由とか。
      そういう問題を止める為、ドイツ首相が声高に国民に演説する事が本当に
      羨ましい事だと思いますか?
      日本では、マスクの共有化はありえません。 みんなマスクをしています。
      だから声高にマスクしろとは言わないのです。

      • おー、マスクをしない自由・・・!
        先日、近所のスーパーで「店内ではマスクをしてください」と言った警備員に「あなたに言われる筋合いはない、マスクをしない自由がある!」とどなりつけていたおばさんを見ました。この期に及んでマスクをしていない人がかなりいることに日本人は驚くかもしれませんが、一事が万事こんなだから1日数万人もの感染者がでるんでしょうねえ、このあたりは。もとの話題から話がそれました。

  • おはようございます。
    今夜のBSフジプライムニュースは、鈴置さんと真田教授です。

  • いつも知的好奇心を刺激する記事の配信ありがとうございます。

    西洋法による運用が機能する社会の成立条件は一般人の状況が他の存在に対して「絶対平等観が成立している」ことであると高校の授業で習ったのですが・・・。西洋キリスト教国家は唯一神、日本は天皇が比較される対象となることで絶対的な平等観が成立したのです。

    これに社会契約に基づく罪刑法定主義や事後法による遡及を禁止すること等の社会的コンセンサスが成立することで西洋法による社会の運用がはじめて可能になると。

    韓国社会が反日に基づく序列を作成する時点で人間間の「絶対的な平等観」等成立しませんし、反日の名目で事後法の運用の正当化することで西洋法による社会運用は不可能です。

    したがって韓国人の法による社会運用は東洋の法家がいう「法」での運用となるのです。
    これらは序列に基づく二重規範での運用が主ですし、罪刑法定主義や法の遡及運用を可としています。

    鈴置氏が別の記事でテーマにするまでもなく、日本人が韓国人が言う「法治社会」や「民主主義国家」という「同一表記異義語」を勝手に日本人が使う意味で捉えて勝手に勘違いしてお人好しな行動を重ねた結果が今の日韓関係ですよ(笑)。

    日本人の自業自得ではないでしょうか。

    以上です。駄文失礼しました。

    • ❌一般人の状況が
      ⭕社会構成員としての一般人の状況が

      コメントでの表記が不十分でした。失礼しました。

    • >韓国社会が反日に基づく序列を作成する時点で人間間の「絶対的な平等観」等成立しませんし、反日の名目で事後法の運用の正当化することで西洋法による社会運用は不可能です。

      全体的に素晴らしいご意見です。韓国の民主主義の崩壊は、反日がその端緒と理解すればよろしいのでしょうか?それとも朝鮮民族がDNA として持つ、ある種の孤立主義的なものなのでしょうか?
      朝鮮民族を見てると北も南も、どの国とも友好的でなく繋がりはカネだけのような気がしてなりません。金儲けの為なら、民主主義を捨ててもいい⋅⋅⋅韓国を見てるとそんな気がします。

      • きたたろう 様
         己の欲だけで生きているからです。

         社会・公の概念が無く、搾取・寄生する対象ぐらいにしか見ていない。
         当然社会に貢献しようという発想自体が無い。
         表面的に主張してもそれは人々を搾取するためのものか
         自分を上位に位置付け、下位の者から搾取するためのものでしかありません。

         日本にも居ますよ。
         K産党、R憲民主党、S民党だけでなく自民党にも。

  • 真面目な考察は昨日書いたので、軽く心の声をば。
    どうせなら、ホモサピエンスと交雑できないくらい異質ならよかったのに。

  • 更新ありがとうございます。

    韓国は何かと言うと「弾劾」です。4年前からすべてがこの「魔法の一言」で消し去れる、自分達の思いのままに変えれると思っているようです。

    自ら勝ち取った民主主義、法による責任と自由、何にもかもデタラメの国です。ヒットラーのナチス化というよりも、私は李氏朝鮮に先祖返りしていると見る方が相応しいと思う。
    開放されてからは、すべて失ったのは日本のせい、強制労働も日本の帝国主義によるもの、日本は不退転の敵だ。(何も失ってませんし、むしろ貴重な財産を置いて来てやったんだが)

    こういう反日を幼少時から刷り込まれているから、また根っこにある卑怯者、無責任さ、狡賢さ、から国家運営はまともに進むはずがありません。

    出来る限り距離を置く事、火の粉を毎日のように送って来ますから、関知しないだけでなく国家消滅の為、セルフ制裁、ステルス制裁、積極的に友邦国と朝鮮半島を潰しに行くべきです。

    潰した後は日、米、中、露で共同統治ぐらいしか思いつかない(本音は関わりたくないが)。またアフリカ、南米等、世界中に民族の75%を分散させるべき(選ばせない)。半島が静かになって良い(笑)。

    • >アフリカ、南米等、世界中に民族の75%を分散させるべき

      ご勘弁ください。移住先で大繁殖します。
      慰安婦像も何百万体も建てられますよ。
      半島内に封じ込めて、共食いか何かで個体数を減らす方向でご検討ください。

      • 阿野煮鱒様

        失礼しました。半島にとじこめ、メキシコー米国のように高い壁と有刺鉄線、200V電気入力にします。考えが単純過ぎて申し訳ないです。あ、監視所は1km置きに連装機関砲を用意し、中国朝鮮族にやらせます。(笑)

        • めがねのおやじ様

          揚げ足取りです。ゴメンです。

          200Vは、電圧が、低いです。
          願わくば、440Vで、お願い、します、デス。

          • タナカ珈琲様

            440Vですか?それはもうかなり、危ない状態ですね。確かに200Vは低すぎ、反省してます。中学校の技術の時間に、125Vをモロに触った事があります。ドキッと心臓もしましたが、特に何にも無かったです(笑)。

          • タナカ珈琲 さま

            タナカ珈琲さん:「願わくば、440Vで、お願い、します、デス。」
            半島民:「我々に対する愛は無いのか?」
            タナカ珈琲さん:「あるわけないやん、そんなもん」

    • めがねのおやじ 様

      >李氏朝鮮に先祖返りしていると見る方が相応しいと

      お説に同意です。
      能く言われる「ウリとナムの2元論」から抜けられないのでしょう。
      先祖返りと言うより、「先祖」のまま進化していないとも言えますかね。

      • 門外漢様

        つまり、成長無し。昔のまんまですか(笑)。情け無いのう。やっぱ血の通ったホンマの人間では無いように思います。あと、精神疾◯。

  • 韓国もアメリカも「民主主義の危機」だと感じます。その症状の出方に差があるものの、ただアメリカにあって韓国にないものがあります。それが「法治主義」。

    アメリカの民主主義って開拓時代の伝統を残してよく言えば合理的、悪く言えばテキトーな感じです。そこで危機が生じています。ただ、しっかりした法治主義があり、両陣営とも自由にはなれず行動を拘束されます。いろいろゴタゴタはおこりつつも最後は民主主義を復活させると思っています。

    韓国には法治主義がありません。先輩裁判官が退官後弁護士として担当した裁判は絶対負けないなんて話があります。本来法令や批准済みの条約には拘束されるのが当然なのですが、韓国ではそれすらも自由で好き勝手に判決文を作文出来ます。

    韓国の民主主義の危機には復元力はありません。行き着くところ、独裁までいくでしょうか、その前に民主主義を守りたい他国の干渉が入るでしょうか。

    • Gさま

      アメリカは韓国化して行くと確信しています。サヨクに権力を手渡すと敵対者たちを超法規的手段をもってして「粛清して」行きます。今ちょうど、我々がアメリカ発報道で目にしているのは、その現在進行形過程と考えます。当方は新聞記者およびメディアは生涯信用しないとここに決意表明します。

  • 李氏朝鮮と北朝鮮の類似性を考えるならば、現在の韓国の動きは、自覚的にナチスドイツのような国家社会主義を目指しているのではなく、めがねのおやじ様が仰るように、朝鮮人にとって馴染みのある李氏朝鮮的な政体へと先祖返りする過程だと思います。

    文在寅大統領が「北朝鮮のことしか考えていない」と言われるのも、李氏朝鮮回帰指向と見れば納得がいきます。

    北朝鮮の場合は、ソ連の傀儡であった金日成が最初から独裁政権を樹立できたため、複雑な手続きを踏む必要がありませんでした。

    韓国の場合は、米国の占領によって無理矢理に西洋型の民主主義国家の体裁を押しつけられました。北朝鮮と比較すると大きなハンディーキャップがあります。

    それをものともせず、粛々と「選挙で選ばれた政権」として、現行法の要求する手続きに従って先祖返りを推進しているのですから、文在寅大統領の忍耐力と実行力は素晴らしいものがあります。

  • 以前より再々コメントしてきましたが、韓国の「法」概念は日本やヨーロッパ諸国のそれとは根本的に異なっています。韓国での「法」は中国法家思想の言うところの「法」に近く、その時々の為政者が万民を支配するための道具であって、為政者を含むすべての国民が服すべき規範などではありません。従って、韓国において「法」は「社会的コンセンサス」ではあり得ず、単に支配・統制を強化するための鎖もしくは手枷足枷でしかないのです。だからこそ、韓国では「法律を守るなど、要領か頭の悪い人間だけがすることだ」などと平然と語られたりするのです。
    これまで、多くの日本人はこの「法」概念の違いに着目してこなかったように見受けられます。鈴置氏の「韓国が法律に基づいて行動する西欧型の国家になるとの期待を捨てるべき」という記述も、そのような視点の欠如を指摘したものであり、むしろ我々は最初から間違った期待をしていたのだとも受け止められます。西欧的な「法」概念が浸透していない社会で西欧的法治主義が成立する可能性など、最初から無かったのだと考えるべきでしょう。その意味では、日本人の常識の範囲からは「ありえない」「理解できない」と見える韓国の言動に、一々うち驚き、震駭するのは労力の無駄とすら言えます(面白がるのはOK)。
    もちろん、そのような韓国の言動を放置せよとか、妥協して譲歩せよなどと言うつもりは毛頭ありません。現代世界が西欧型法治主義を大前提として構築されている以上、どれほど韓国が彼らの「法」概念に従っていようと、西欧型法治主義からの逸脱を許容してはならず、程度と必要に応じた制裁を加えなければなりません。それは西欧型法治主義に依拠した文明国の責務であるとさえ言えると考えます。

    なお、ついでに言うと、韓国においては、「法」概念だけではなく、「契約」概念も他の多くの国とは異なっているように見えます。「契約」は日本やヨーロッパ各国ばかりでなく、イスラム圏でも非常に重要視されますので、「他の多くの国」という言い方をしましたが、要するに韓国では「契約」を絶対視することなどなく、その後の推移によっていくらでも修正できる、または無視できるものとされているように見えます。
    上記のように、「法」概念の違いはその由来がある程度見当がつきますが、「契約」概念の違いについては、正直なところよくわかりません。中国においても、少なくとも文革以前は「商売上の約束」は極めて厳しいものだったので、中国由来、朱子学由来とも思えません(朱子学では商業を軽視したという点を差し置いても)。
    とりあえずの結論としては、「法」概念も「契約」概念も根本的に異なる国を相手にする際には、最初からそのことを踏まえた上で対処するべきだということになります。

    • > 日本人の常識の範囲からは「ありえない」「理解できない」と見える韓国の言動に、一々うち驚き、震駭するのは労力の無駄とすら言えます

      日本政府はまだこの段階です。
      「受け入れられない」「遺憾である」
      政治家・官僚の勉強不足には嘆息するばかりです。

      > 「契約」概念の違いについては、正直なところよくわかりません。

      私も明確に来歴を把握できていません。
      こちらについては、経団連が餌食になっていますね。

      日本人的価値観に基づいて、批判したり断罪したり好意を持ったり嫌うのではなく、彼らの動作原理を研究する必要があると思うのですが、そう感じる日本人は少ないように思います。

      • > 「受け入れられない」「遺憾である」

        公式な反応としてはやむを得ないものとは思います。実際、他に言い様もないでしょうし。問題は、本当に心外で驚愕しているのか、それとも彼らならばやりかねないと思ってはいるものの、とりあえず驚いてみせているのか、どちらかということです。さて、どちらでしょうかねえ。後者であってほしいとは思いますけれども(嘆息)。

        ところで、個人的には、キリスト教的な「神の下での平等」という背景を持たない日本で、なぜ西欧的な、少なくともそれに近似した「法」概念がこうも容易に受け入れられたのかという点について関心があります。
        天皇という存在があったからだという見方には賛成できません。それを言えば、中華帝国の皇帝は、権威も権力もすべて併せ持った絶対的な存在でした。しかし、中国において、あるいは「スルタン以外は皆奴隷」というイスラム社会においても、西欧型法治主義は産まれませんでした。日本でも、少なくとも江戸時代までの成文法は、武家諸法度にせよ、禁中並びに公家諸法度にせよ、中国法家思想の流れを汲む、いわば「べからず集」とでも言えるような傾向があります。そこに表された「法」概念が、下々までを含め、明治維新によって一夜にして覆されたとするのはあまりにも乱暴です。むしろ、維新以前から、西欧的「法」概念、少なくともそれに近いものが、下々までを含めて広く共有されていたと考える方が自然です。では、どのような流れで、そのような概念が広まるに至ったのでしょう?
        きちんと詰めていないので、まだ思い付きの範囲を超えませんが、一つの考えとして、鎌倉仏教の思想的影響ということがあるのかもしれません。鎌倉仏教は初めて広く民衆を対象とした教えでしたが、鎌倉仏教、特に浄土真宗や時宗などでは、言わば「阿弥陀如来の下での絶対的な平等」が説かれました。浄土真宗は現在でも日本最大の信徒数を持っているので、江戸時代にも相当大きな勢力を持っていたと思われます。もちろん、江戸中期以降は浄土真宗を含めて葬式仏教化し、直接的な思想的影響力を失ってはいるものの、その教えや考え方はかなり広く知られていただろうと思われます。
        このような、絶対的な超越者を設定し、その下での平等という考え方は、キリスト教的な「神の下での平等」にかなり近い考え方です(そこに至る経緯や中身はまるで違いますが)。ならば、「神の下での平等」という考えから導かれた西欧的な「法」概念への移行も、比較的無理なく行えたのではないかとも考えられます。
        中国にも「天」という、抽象的な存在が措定されていましたが、中華皇帝という生身の存在があったため、「『天』のもとでの平等」という概念にまで至らなかったのかもしれません。それ故に、中国では現在に至るまで、西欧型「法」概念が広まることなく、況や劣化型の韓国においてはということであるとも考えられます。

        この辺はまだまだ考察する余地がたっぷりとありそうです。

        • 龍 様へ
           私も、仏教思想の中にあったのだと思います。例えば、「法」、「律」、「自由」、「平等」などの言葉は、元々は仏教用語です。
           仏陀の時代のインドは、バラモン教の「四姓」という厳しい身分(階級)制度がありましたが、仏陀は「四姓はことごとく皆平等なり」と、身分(階級)に関係なく弟子入りを許し、全員が平等に仏陀の弟子になると説いたそうです。
           また、江戸時代の有名な禅僧である白隠禅師の「座禅和讃」の最初は「衆生本来佛なり(人間は、皆、本来佛である)」から始まります。
           また、神道の「八百万の神(全ての存在に神が宿る)」という精神も、影響を与えていると思います。

        • 日本に旧約・新約的ヤハウェはいなかったけれど「お天道様」はいたと思います。
          それと250年にわたる戦争の無い江戸時代の存在。
          ただ今確認したんですが、李氏朝鮮でも江戸時代相当の間は対外戦争は無かったんですよね。
          農民反乱とキリスト教弾圧は同じようにやっていたし。
          それなのに識字率の違いなどの差はなぜ?

          • 「明治維新で変わらなかった日本の核心」(磯田道史, 猪瀬直樹著)を一読されることをお勧めします。
            https://www.php.co.jp/books/detail.php?isbn=978-4-569-83710-9

            簡単に言えば、江戸時代の農民は土地の所有権も持ち、自立した「経営者」であったのに対し、李朝の農民はほぼ「農奴」だったからです。明治維新の「奇蹟」は決して奇蹟なんかではなかったことがわかると思います。
            猪瀬直樹氏は、まあ、だいぶ怪しげな人ですが、本書ではそれほどヤバくありません。磯田道史氏は至ってまともな歴史家なので、警戒せずに読んでも多分大丈夫ですよ。

        • 龍さま

          私には、いわゆる「法の支配」の基盤は、「平等」ではなく、「寛容≒多様性の許容」の気がします。つまり現代の「法の支配」の元になる考え方が確立したのはローマ帝国(その元はギリシャ?)だと思いますが、そこには奴隷もおり、一般市民にも身分差が厳然とあって不平等社会だったからです。ただその社会の特徴は、日本もそうですが、多神教だったことです(ローマには数十万もの神がいたとか)。で、多神教社会では、神々の上に「法」を位置付けないと、社会が上手く回りません。異なった神を信仰する集団同士が共存する場合、それぞれが、それぞれの神の絶対正義を主張すれば妥協できません。結果として信仰集団同士の闘争が日常となり正常な社会運営ができないからです。それをローマ人は、それぞれの神の法の上に、神同士(実際は人間同士)の約束としての法を置き解決したのだと思います(唯一の例外がユダヤ)。それが「法の支配」とよばれるものだと、私は理解しています。

          ただ日本も、ローマと全く同じかと言われれば、そうではない気がします。現代日本は一見、法の支配が行われているように見えますが、現在の憲法改正論議などを見る限り「似非・法の支配」としか思えません。何故なら、現代日本では法、特に憲法は、人間の理性ではなく目に見えない力(国民レベルでの因習や怨念、禁忌感情など)により支配され、不可侵のように見えてしまうからです。法が不可侵化しては、法の支配(あくまでも人間の理性で、現実に即して改廃されるべき法に基づく)はおぼつきません。日本人が律義に約束を守るのは別の理由で、単に、狭い日本列島で生き延びるためには律義な方が得だったという、経験的知恵に過ぎない様にも思います。本当の処は私も分かりません。

          中国的社会(韓国もその派生)では、殷王朝(BC17~11世紀)以前の古代には、アミニズム的多神教の世界だったようですが、殷に代わった周王朝のころから天命思想とともに中華思想が生まれてきました。中華思想は宗教とは言い難いのですが、後に国教化される儒教の基盤となったことで、中国社会を一神教のように束縛してきたと思います。宋王朝時代に儒教が朱子学として脱皮する時には、その縛りが一層キツくなった感じがします。当時の中国が北方民族(遼・金)の侵略を受け苦しんでいた為、その反動として攘夷思想が強化されたからです。つまり中国は、社会に多様性を許容するのではなく、異分子(いわゆる夷狄)を唯一中華に強制的に同化するか、排撃する方向で進化してきたということです。そのため政治体制も、少数エリート(読書人)による中央政権+専制独裁が当然視されてきました。そこでは民衆=愚民であり、法は、専制者が民衆を支配するためのツールです。そこには、民衆を法で守るという考えは殆どありません(徳で教化し、結果的に守ると言う考え方はあったかも)。

          それでも中国本土は地大博物、人口膨大ですので、中華思想の縛りも相対的に緩い感じです。ですが朝鮮半島は、領土狭隘・人口寡少のため、取り組みもより純粋で、その分偏狭・過激になっていると思います。あと、中国人・韓国人が約束を厳格に守るのは、相手が血縁、地縁、師弟、幇、他の関係(グアンシ)で結びついているネットワークの内部だけでないでしょうか?ですからビジネスもそのような関係の内部であれば、契約は厳格に守られるはずです。ただ一旦その外部にでれば、力の行使と騙し合いが普通で、弱い方が悪い、騙される方がバカくらいの感覚でしょう。現在の、日韓関係がそれを典型的に表していると思います。さらには、中華系・半島系企業に同族企業が多いのは、法の支配が無くても、約束が守られる保証が得られるからしょう。

          なお、イスラム社会はイスラム教(教祖ムハンマドは交易業者)に基づくイスラム法に従います。ですから、ビジネス上の契約厳守もイスラム法として当然規定されているハズです。その契約に違反すれば、最悪、背教者扱いされかねません。とあれば、イスラム教徒であれば軽々に契約違反できないでしょう。

          • 私もけして法学の専門家ではないので、詳しくは法制史家に聞いた方が良いのでしょうが、大陸法に基づく「法治主義」と英米法に基づく「法の支配」とは異なる概念になります。一番の違いは、法治主義は実定法優先であるのに対し、法の支配では判例法優先となることです。
            明治以降の日本の法体系は基本的に大陸法の流れを汲んでいますが(実は韓国もそうだったりする)、フランスやドイツでも近代法が確立したのは17世紀から18世紀にかけてのことになります。グローティウスが「戦争と平和の法」を著したのが1625年、モンテスキューが「法の精神」を著したのが1746年、ルソーの「社会契約論」が1762年、そしてカントの「人倫の形而上学」が1792年の発行です。近代法治主義はこれらの思想の上に成立したものであり、マグナカルタを源流とする英米法的「法の支配」とはだいぶ趣が異なります。

            しかし、考えてみれば、明治維新が1868年ですから、明治政府はまだ成立してから100年も経っていない、最新の法学思想を導入したことになります。そして、導入判断の正しさもさることながら、やはり当時の日本において近代法治主義が早々に広まったことに驚かざるを得ません(ちなみに大津事件は1891年に起きてます)。
            まだまだ考えはまとまりませんが、やはり明治以前の状況をもう少し掘り下げる必要がありそうです。

            なお、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は啓典宗教とも呼ばれますが、その根幹は「神との契約」にあります。ゆえに、これらの宗教の信者にとっては「契約」は非常に重要なものになるのです。

    • 呉座勇一氏の「一揆の原理」の中に一揆契状は「一味同心を約束する契約状」を持つ一面があるとの記載があります。
      少なくとも中世の日本人は契約という概念を体感していたのではないかなと思います。
      御恩奉公も、主君が領地を与える代わりに、御家人が武力を提供するといういってみれば一つの契約みたいなものです。
      となると中世の封建制度の有無が日欧と中韓の差でしょうか。

  • 民主主義は、決して「すばらしい政治体制」ではない。近世以降、経済力が急成長したことで権力者の資質が低下した。俗にいえば「カネの魔力に溺れた」。ために、仕方なく国民を主権者に仕立て上げ、権力者の行使力を制限する仕組みが導入された。その分、意思決定が非効率になっている。とはいいつつも、他に、よりましな体制を思いつかないから、続けられている。

    今の韓国の有様は、気づきによると考えられる。アメリカ新政権が中国と融和すると、文一味に対する締め付けが強まる。他方、中国と対決をエスカレートさせることになれば、実務的要請から、やはり文一味への締め付けは強まる。どちらにころんでも、締め付けられることに、ようやく気付いたのだ。

    その理由は、朝鮮を南北分断し続けることが、アメリカと中国、双方の利益にかなうため。よって朝鮮統一の難度はとても高い。

    ドイツが統一できたのは、ソ連崩壊という奇遇による。ベトナム統一は苦戦の末にアメリカを追い出すことができたから(世界的なベトナム戦争反対の世論も後押しした)。ところが、朝鮮統一を望む世界的な世論は見当たらない。

  • うーん・・・。過去のファシズムは概ね民主主義が母体なんですけどねえ。

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