脱亜入欧でも脱欧入亜でもなく、正しくは価値観外交
「自由で開かれたインド太平洋」、略して「FOIP」は、「大東亜共栄圏」以来、日本が初めて提唱した国際的なイニシアティブではないかと思います。こうしたなか、日本が目指すのは「脱亜入欧」でも「脱欧入亜」でもなく、「価値を大切にした同盟関係である」、というのが、当ウェブサイトなりに至った現時点の結論です。
目次
FOIPを大切に!
「外交に弱い菅政権」は杞憂だった!
安倍政権が退陣して2ヵ月少々が経過しました。
当初、一部の論者は「外交に強い安倍政権」から「外交に弱い菅政権」への移行に伴い、日本の外交的な立場が弱くなるのではないかと主張していましたし、当ウェブサイトでもこの点については「懸念」として主張した記憶があります。
ただ、蓋を開けてみれば、現在のところは「外交に弱い菅政権」は杞憂に終わっています。というのも、このコロナ禍の最中にも関わらず、諸外国から要人の来日が相次いでいるからです。そのなかでも最も大きなイベントが、10月上旬に東京で開かれた「日米豪印クアッド外相会合」でしょう。
これは、「自由で開かれたインド太平洋」(FOIP)構想などを巡って、当事国である日米豪印の4ヵ国が昨年秋のニューヨークでの会合に続き、第2回目を東京で開いたというものであり、とくにマイク・ポンペオ米国務長官はこのためだけに東京にやってきたほどです。
豪印との連携とFOIPの推進の重要性
なにより、近年は「中国べったり」だった豪州が、ここにきて、急速に日本に近づいていることは、素直に歓迎すべきでしょう。豪州は資源国であるとともに英米などが主体となる「ファイブアイズ」の一角を占めており、日豪協力は日本がアジアの安定に貢献するうえで欠かせません。
そして、『来日したモリソン豪首相、A4紙5枚にびっしりの宣言』でも報告したとおり、豪州からは先日、スコット・モリソン首相がやってきて、菅義偉総理とA4サイズの紙5枚にわたってびっしり書き込まれた共同宣言を発表しています。
こうした動きは、素直に歓迎すべきでしょう。「法律や約束をちゃんと守る」、「自由や民主主義を大切にする」、「人権を守る」といった、日本が大事にしている価値観を共有するとコミットしてくれる国が、地球上に1ヵ国でも増えることは重要だからです。
個人的な見解を申し上げるならば、インドが日本と「基本的価値」を100%共有するかは微妙だと思います。とくに、インド社会にはカースト制度などの前近代的な仕組みが色濃く残しているといわれており、日米豪のような「自由で平等で開かれた社会」とは言い難いのではないか、といった疑念はあります。
しかし、インドは中国に次いで世界2番目の人口を抱える大国ですし、経済発展も著しく、まさにアジア、太平洋を自由で開かれた国際社会とするためには、ぜひとも協力しなければならない重要な国であることは間違いありません。
いずれにせよ、「FOIP」は「大東亜共栄圏」以来、おそらく日本が初めて提唱し、世界に受け入れられ始めたイニシアティブです。
今後の日本外交が成功するかどうかのカギを握るのは、「FOIP」に賛同してくれる国を1ヵ国でも増やすことができるかどうか、言い換えれば「FOIP」に否定的な動きをする国と距離を置くことができるかどうか、ではないかと思う次第です。
FOIPに否定的な国からも日本にやってきた!?
さて、この「FOIP」という視点で見れば、もうひとつ重要なのが、日本と地理的に非常に近い2つの国――「中韓」――との関係です。
たとえば昨日の『王毅外相の訪日・訪韓から見える「日中韓の力関係」』では、中国の王毅(おう・き)外相が24日から日本にやって来る、という話題を取り上げ、「わざわざ中国から外相がやって来る」ことの意味について考察してみました。
また、『鈴置論考で読む、「東京五輪」人質に首脳会談迫る韓国』では、日本を代表する優れた韓国観察者である鈴置高史氏の論考を交えつつ、今月に入って韓国から要人が相次いで来日していることについて取り上げています。
このうち中国については、王毅氏の訪日が何をもたらすかについて、現時点で決めつけるのは不適切であることは間違いありません(※といっても、王毅氏が日本にやってきたところで、あまり成果が期待できるものでもありませんが…)。
しかし、韓国に関しては、要人が相次いで来日したわりには、彼らのいう「韓日関係改善」は空虚に響き、成果はほぼゼロだったと考えて差し支えないでしょう。
考えてみれば当然で、韓国は「相手国に敬意を払う」、「国と国との約束を守る」といった、文明国としての基本的な動作ができていない国です。また、中国は法の支配、人権などの観点からは、日本とは相いれない国です。
つまり、日中外交、日韓外交についても、もう少し大所から見るならば、現在の日本にとっては「FOIP」対「非FOIP」という視点で位置付けられるべきものであり、「非FOIP」国に対してはそれなりの「塩対応」がなされている、というだけのことでもあるのでしょう。
なお、日本政府がFOIPについて、どう認識しているかがよくわかるのが、次の図表でしょう。
図表 FOIP
(【出所】防衛省)
これを見れば、どこの国がFOIPに含まれているか(あるいは除外されているか)が明らかでもあります。ある意味で、わかりやすい図表ですね。
脱亜入欧vs脱欧入亜
歴史で振り返る、日本の外交の方向性と日本の国力
こうしたなか、あらためて振り返ってみたいのが、日本の外交の方向性です。
あくまでも私見ですが、日本の外交には大きく2つの方向性があったように思います。ひとつは「脱亜入欧」、もうひとつは「脱欧入亜」です。「脱亜入欧」とは「アジアを脱して欧州の仲間入りすること」、逆に「脱欧入亜」は「欧州により過ぎた外交姿勢を修正し、改めてアジア入りすること」、と位置付けられます。
たとえば、明治維新以来の日本は、「文明開化」などと称して欧州の文物を取り入れようと努力しましたし、「富国強兵」のスローガンもそれなりにうまく機能したためか、日清・日露の両対外戦役を制したころには、日本も「強国」の仲間入りをしました。これが「脱亜入欧」の時期といえるかもしれません。
ただ、第一次大戦前後くらいからでしょうか、今度は日本のなかに、欧州に対する慢心や対抗心のようなものが芽生えたフシがあります。日露戦争を制し、欧州が大戦で焦土化したのを見て、日本は過剰な自信を身に着けたのかもしれません。
その後、昭和以降の日本は国際的な孤立の道を歩み、よりにもよってナチスドイツと同盟を結び、対中・対米開戦に踏み切り、米国に空襲や原爆で国土を焦土化され、最後はソ連参戦により米中ソ3ヵ国を敵に回して無残に敗北し、多大な領土を失いました。
こうしたなか、戦後は米国との関係を重視し、平和憲法のもとで米国の同盟国として経済発展の道を歩み、今世紀に中国に抜かされるまでは、長年、「世界第2位の経済大国」としての地位を築き、守ってきました。
しかし、1965年の日韓国交正常化、1972年の日中国交正常化以降、日本では高度経済成長が終焉を迎え、東西冷戦終了直後には日経平均株価も暴落し、日本はその後、「失われた30年」に苦しんでいます。
このような経緯を踏まえるならば、「脱亜入欧」の時期に国力が増進し、「脱欧入亜」の時期に国力が停滞している、というような言い方をしても良いのかもしれません。
「亜」ってどこですか?「欧」ってどこですか?
ただ、先ほどはあえて「亜(=アジア)」、という言い方をしましたが、この「亜」という表現自体、非常にトリッキーでもあります。
よく某メディアが「アジア」と主張するときには、地理的な意味でのアジアではなく、いわゆる「特定アジア」、すなわち中国と朝鮮半島のことをさしているケースが圧倒的に多いからです。
また、「欧」という表現を読むと、「ヨーロッパ」しか含まれないかのような誤解を与えるのですが、現実には、そうではありません。この「欧」には「米」が含まれているのです。
このため、自分自身で「脱亜入欧」だ、「脱欧入亜」だと申し上げておいて恐縮ですが、現実には「脱亜入欧」ではなく「脱中国・脱朝鮮半島・入欧米」であり、「脱欧入亜」ではなく「脱欧米(除く独伊)・入中国・入朝鮮半島」である、といえるのかもしれません。
いや、もう少し申し上げると、「欧」も一枚岩ではありません。
あえて語弊をおそれずにいえば、欧米諸国のなかでもとくに英米両国との関係が深まったときに、日本の国力が大きく増進しており、ドイツとの関係が深まると、日本は破滅の道を辿ったというのが歴史的な事実でもあります。
このことから、あくまでも歴史的事実に照らせば、次のようなことが言えるのではないでしょうか。
- 日本の国力が強くなった時期…英米両国との関係が深まっている時期と重なっている
- 日本の国力が弱くなった時期…中国、朝鮮半島、ドイツとの関係が深まっている時期と重なっている
外交とは、「態度」である
さて、上記はあくまでも明治維新以来の150年という限られた歴史を振り返ったものに過ぎず、日本と外国との関係が日本経済を強くしたのか、弱くしたのかについての「因果関係」を証明したものではない、という点にご注意ください。
したがって、当ウェブサイトとしては、「米国や英国と仲良くしたら良い」、「独中韓と仲良くするのは悪い」などと短絡的に申し上げるつもりはありません。あくまでも大切なのは、結論を決めつけることではなく、「なぜ?」を突き詰めて考えることだからです。
こうしたなか、普段から当ウェブサイトで申し上げているとおり、外交も結局は「人と人とのおつき合い」の延長で議論されるべきものです。
人間同士の付き合いに「心から信頼できる相手との強い結びつき」という事例もあれば、「相手は信頼できないが、利害関係があるためと、仕方なしに付き合っている」という事例もあります。国同士の付き合いに関しても、これとまったく同じことがいえます。
都合が悪くなるとレアアースの輸出規制を適用するなどして、経済を政治利用するような国を、心の底から信頼できるのかといえば、それはそれで大いに疑問です。
また、国際法違反の判決を下したり、解決した問題を何度も蒸し返したり、ウソをついてわが国の名誉と尊厳を傷つけたりする国と、「基本的価値と戦略的利益を共有」できるわけなどありません。
外交というものは結局のところ、相手国との相互信頼関係を結ぶことができるかどうかという論点に尽きるのであり、その意味では「態度」(わが国の相手国に対する態度、相手国のわが国に対する態度)こそが重要なのです。
脱亜でも入欧でもなく…
このように考えていくならば、日本にとっての正解が「脱亜入欧」なのか、「脱欧入亜」なのか、あるいはそれ以外なのかについては、明確な姿が見えてくるはずです。
それは、「価値と利益を共有する国を大切にすること」です。
たとえば、アジアではほぼ完全な形での自由主義、民主主義、法治主義などを貫徹している国が、日本以外にもう1ヵ「国」、存在しています。それが、台湾です。
日本政府は台湾を公式には「国」と認めていないため、ここでは「国」とカギカッコを付していますが、ただ、台湾は紛れもなく自由・民主主義国であり、日本と価値観をほぼ共有していると考えて良いでしょう。
もちろん、日本が台湾との関係をどう位置付けていくかは、台湾自身の問題とも直結します。たとえば台湾の人々が台湾自身を「中華民国」と認識するのか、それとも「台湾共和国」と認識するのかについては、私たち日本人が口をはさむべき問題ではありません。
しかし、台湾の人々が「台湾は中国とは別個の国である」と認識し、そのうえであらためてわが国との正式な国交を申し入れるのであれば、日台国交正常化が検討の対象となる余地は十分にあります。
また、著者の私見で恐縮ですが、欧米諸国の多くは日本と同じ自由・民主主義国ではありますが、緊縮財政とデフレ至上主義を掲げるドイツは、日本が最もモデルとしてはならない国です。その意味では、同じ欧米の大国でも、日本が仲良くすべきは米国と英国、あとせいぜいフランスくらいなものでしょう。
(ちなみに英国がBREXIT、つまり欧州連合との決別を選択したこと自体、単純に英国を欧州と同一視すべきではないというゆえんですが、この点については機会があればどこかで詳しく議論したいと思います。)
つまり、地域として「アジアを重視/軽視する」、「欧州・米国を重視/軽視する」のではなく、「日本と同じような価値観を持つ国との付き合いを重視する」、「日本と価値観が空入れない国との付き合いは遠慮する」、というのが、日本外交が目指すべき方向性なのだと思う次第なのです。
本文は以上です。
日韓関係が特殊なのではなく、韓国が特殊なのだ―――。
— 新宿会計士 (@shinjukuacc) September 22, 2024
そんな日韓関係論を巡って、素晴らしい書籍が出てきた。鈴置高史氏著『韓国消滅』(https://t.co/PKOiMb9a7T)。
日韓関係問題に関心がある人だけでなく、日本人全てに読んでほしい良著。
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亜細亜といっても、
支那&朝鮮半島、
それ以外、
の2つに分かれている現実を無視してる人は多いんだよなぁ。
欧米から見たら乱暴に言ってトルコのボスポラス海峡以遠、アラスカより西が「アジア」ですので、『欧州でもアフリカでも南北アメリカ大陸でもオーストラリアでも南極でもないその「他大勢」の寄せ集め地域』になってます。
ロシアの国土の大部分はアジアに属するというのは頭ではわかっていても感覚的にしっくりとしません。
過去の出来事を遡って裁けたり、理不尽な法を制定しそれを守らせたりしてる無法国家(非法国家)と価値観の共有はできません。
彼らが持ってるのは反故主義のうえに乗っかった薄っぺらい利害関係のみです。それだって指導者の鼻息ひとつで何時でもひっくり返すことができる程度のものでしかないのですしね・・。
*価値観外交でいいと思います。
そもそも「アジア」の定義自体が不明確ですよね。
「アジア」競技大会になぜかサウジアラビアなど中近東の国々が参加しています。
日本から見れば感覚的に中近東はアジアどころかヨーロッパ以上に遠い存在でしょう。
トルコのあるアナトリア半島は小アジアとも呼ばれていますし、
トルコに旅行したときもAsia Minorという名のホテルもありました。
その時はてっきり日本人や韓国人、台湾人の客をターゲットにしたホテルかと勘違いしました。
そもそも日本はアジアなのでしょうか。荘園制度があったり、産業革命を成し遂げたり、
議会制民主主義が根付いているなど歴史的にはアジアよりヨーロッパに近いような気がします。
アジアは地理的な概念です。社会あるいは政治の制度や人種・民族に基づく概念ではありませんよ。
他の方が書いている通り、ボスポラス海峡以東かつアラスカ以西(でアフリカ大陸と豪州などの大洋州と南極大陸を除く)の地域がアジアですから地理的概念としては十分に明確に定義されています。
その地理的に定義されているだけの概念に過ぎないアジアを政治制度と関連付けられる概念かの如く間違って理解しようとするからアジアとは何か訳が分からなくなるだけです。
アジアはその地理的範囲の広さからも容易に推測が付くように社会制度や人種・民族や言語など地理的以外の観点から見れば単なるゴッタ煮に過ぎません。
従って、社会制度や人種や言語の観点で考えたいのであれば、地理的概念としてのアジアは広大すぎるので、更に地理的な幾つかの区画に分割して考えるべきでしょう。
特に気候は否応なくそこに暮らす人類の基本的な思考法や価値観に影響を及ぼしてしまうので、気候が全く異なる中近東と熱帯と日本のような湿潤な温帯とを区別せずに纏めてしまっている「アジア人」のレベルでは思考法や価値観の面で水と油の人々が混在している訳ですから、社会制度などの観点から考えようとすれば「アジア」とは何か訳が分からなくなるのは寧ろ当たり前です。
石平さんが2013年に『なぜ中国から離れると日本はうまくいくのか』という著作を上梓しています。この中で、石平さんは遣隋使の頃にまで遡り、日本は中国との関係が薄い時代ほど上手くいっていると論じています。新書ということもあり、少々議論が粗っぽいきらいはありますが、大筋で「確かにそうだよな」と思える論述だと思います。つまり、
> あくまでも明治維新以来の150年という限られた歴史を振り返ったものに過ぎず
と限定しなくても良いのではないでしょうか。地理的な要因などを含め、中国との関係を一切経つというのは現実的ではないと思いますが、過度に関わらず、適当な距離をもって付き合うことが重要であると思います。
なお、本文でのブログ主様の議論には概ね同意できるのですが、地理的要因をすっかり捨象してしまっているように見受けらえるところが少々引っ掛かります。どれほど不愉快であろうが、韓国中国が隣国であることは動かせません。韓国程度の小国であれば、一切関係を絶ったとしても大したことはありませんが、中国相手では、政治・経済・軍事全ての面において、何らかの関係を持たざるを得ません。
有史以来、周辺国にとっては、中国との向き合い方がある意味最大の問題であり続けました。海を隔てているおかげで、日本は中国との向き合い方をかなりの部分自分で決めることができました。今や中国はけして「天下」の中心ではありませんが、扱い方を間違えると厄介な存在であることは依然として変わりません。日本政府のバランス感覚が問われるところだと思います。
余談: 習近平の言うところの「中国の夢」とは、要するに中国が再び「天下」の中心に返り咲くことであると考えれば、解りやすくなると思われます。
日本の「思考回路」と「行動原理」は幸い劣化版の「儒教・朱子学」に基づいていないから、客観的に観測された事実に基づいた「実証主義な思考回路」と「行動原理」を育む事が出来たのだと思います。
日本のように地震、津波、台風、火山など諸々の自然災害が多いところでは、「客観的に観測された因果関係を基にした対策を執る事」が必須です。 儒教のように「大前提そのものが疑う事を許されない抽象的な『思いやりの「仁」、正義の「義」、規範の「礼」、知識の「智」、誠実の「信」』(因みに韓国では仁・義・礼・智の意味がウリ・ナムと上下関係で違ってくるし、「信てなんじゃいな?」でしょう)では『自然界の法則を分析・理解し、それに備える対策を実証的に作り出す』なんて無理です。
そして日本では長い期間「戦国時代」を閲してきましたが、幸いに戦闘員の思考と行動を律する「武士道」なる思想が徹底され、蒙古の支配する大陸での巨大規模の殺戮を免れる事が出来ました。 日本の「武士道」には英国の「騎士道」に一脈通ずるところがあるので、英国と日本はある点で気心が知れるところがあるのかも。
私の「日本は島国で天災が多かったから、役に立たない劣化版儒教と朱子学に毒されなかったし、さらに西欧で発達した自然科学と実証主義がすんなり受け入れられた」と言う意見は乱暴かな?
> 役に立たない劣化版儒教と朱子学に毒されなかった
日本人の儒教の受け入れ姿勢については、上で龍様が紹介なさった石平氏が、以下の書籍で、神道・仏教との関係も含め、日本の思想史としてまとめ上げています。
なぜ日本だけが中国の呪縛から逃れられたのか 「脱中華」の日本思想史 (PHP新書)
https://www.amazon.co.jp/dp/456983745X
膨大な文献を読み込んで練り上げた論考であり、アカデミズムの精査に耐えられるかは私には判断できませんが、素人の思いつきとは一線を画する労作だと思います。
同じく、石平氏は、儒教の何がどのようにダメなのかも喝破しています。
なぜ論語は「善」なのに、儒教は「悪」なのか 日本と中韓「道徳格差」の核心 (PHP新書)
https://www.amazon.co.jp/dp/4569842771
内容は一部、上の『なぜ日本だけが…』と重複しますが、中華の思想史として儒教の変遷をまとめ、その非人間性を暴いています。
かつて石平氏は黄文雄氏などとつるんで保守系が読みたそうな安易な日本礼賛本を乱発していたきらいがありました。しかし近年は腰を据えて研究に勤しんでいるご様子で、今後も注目に値する成果が発表されるものと期待しています。
石平さんの上記2冊は、朱子学の成り立ちを知る上で強くお勧めできるものだと思います。はたして「論語」を「善」と呼ぶべきかはさておき、「論語」自体は春秋から戦国にかけての中国社会を背景とした一種の道徳論、教訓集とでも呼ぶべきものですが、「朱子学」となると完全にイデオロギーと化しています。「儒学」から「儒教」への展開は、思想史として興味深いですね。
ただ、ここで注意すべきなのは、中国での儒教=朱子学はあくまでも支配者のイデオロギーであって、すべての中国人の精神世界を支配しているわけではなく、影響は及ぼしているでしょうが、下々の心の拠り所はあくまでも道教だということです。中国で朱子学、というか四書五経が重んじられたのは、そもそもお互いに話が通じないという中国語の特性に依るところが大きいのですが、この辺の詳細な説明は私の手には余るので、宮脇淳子さんなどの著作を参照してください。
ところが、朝鮮において朱子学はさらに変容を遂げました。単に支配者のためのイデオロギーだったものが、下々に至るまですべての人を拘束する枷となり、朱子学的価値体系に外れるものは全て廃棄されました。より正確に言えば、山奥に仏教も細々と生き残りましたし、巫堂などのシャーマニズム的要素も根強く残ってはいるものの、朱子学的価値判断がすべてに優先する社会になったのです。
これを劣化と呼ぶか、純粋化と呼ぶか、どちらでもあり得ると思いますが、朱子学成立の背景を全部捨象し、完成した形の朱子学を丸ごと受容したためとも考えられます。これが朝鮮式朱子学(=性理学)なのです。
簡単に言えば、中国では儒教と儒学とが併存し、時代が下るにしたがって儒教が形骸化していったのに較べ、朝鮮では儒教オンリーの世界だったと言えるのかもしれません。
日本では、儒学はあくまでも「教養」でした。階層によって価値観への影響度合いが違うと思われますが、日本では仏教的価値観、神道的価値観の方が常に優位でした。儒教一色に染め上げられた朝鮮とは、根本的な違いがあると言わなければなりません。
「敵を知り己を知れば百戦危うからず」
石平さんの幾つかの著作は、「敵」を知るためにとても役に立つと思います。
それぞれの民族の性質を知るのに割と昔話は大事かなと思います。
日本人にとっての日本霊異記や今昔物語、宇治拾遺物語。
中国人の聊斎志異や唐宋伝奇など。
(朝鮮は不勉強で知らないです)
日中韓の民族を知るのに悪くはないと思います。
中国は専制君主制であり、儒教や朱子学も専制国家の統治前提なので
封建制の日本じゃ運用に無理があったんじゃないですかね。
同じ封建制だった西洋の文化が受け入れやすかった。
オーストリア首相が、来日してくれた事は、この時期に日本を、重要視している事を伝えたかったんだと思います。
日本は、安倍外交の成果として、日本の国際的地位が向上し、自由民主主義側で、アメリカに次ぐ大国として、相応の責任を期待されており、それに応えるのが時代の流れだと思います。
王毅外相が来日するのは、日本の仲良し外交の弱点を利用して、自由民主主義側の結束を、どうしたら弱める事が出来るかを、確認しに来るんだと思います。ウリ達は、そういう視点を持たずに、自分の都合で日本を利用しに来ているんでしょう。
更新ありがとうございます。
日本地図を見ますと、(表現が現代にそぐわない事をお赦し下さい)太平洋側つまり表日本側には太平洋ベルト地帯とかつてよばれた高度な産業集積が幾つも有るのが分かります。
特に関東海沿いー首都圏ー東海ー近畿ー山陽東部分は、ほぼ連続線になってます。対して日本海側は(裏日本側)天然の水深の深い良港が少なく、後背地に産業集積や大都市も極一部しか無いのが分かります。
これは、大昔から温暖な気候や暮らしやすさで人が集まり、自然と形を形成した事もありますが、明治期になると「脱亜入欧」で良港を持ち、地方から出てきた労働力も多い太平洋側に国が莫大な資産を注ぎ込み発展させた為と考えます。
日本海側は海を隔てた相手側が、すべからく中華と朝鮮という、常時警戒が必要な国だったから、地勢的に制限を加えたのです(この事は文書化されてませんが、日本の脅威である事は今でも事実です)。
日本が安倍総理時代に唱えだした「自由で開かれたインド太平洋」、つまり「FOIP」は、「大東亜共栄圏」の超拡大版ですね。何も大東亜という言葉に酔っている訳ではありません。価値感が同じで自由と民主主義を至高とする同盟関係を作る事。
そこには一党独裁や共産主義、世界の基本的決まり事や条約の遵守、貧国を武力で圧倒する事、資金供与で高利貸しの如く返済出来なければ領土の割譲をする事、嘘をつく事、反社会的勢力に加担する事、などを行なう国、地域は一つ一つ潰して行くべきです。
それには「FOIP」側が関わりを薄くする事、世界のサプライチェーンから外し、兵糧攻めが効果的と思います。更に中共などはいつ国家が空中分解するか分かりません。
異論を述べます。
明治初年、新潟県の人口は150万、東京の次に人口が多かった。
良港云々について、名古屋、横浜、東京、いずれも干潟をしゅんせつしたものです。
ことの起こりは、戊辰戦争において、奥羽越が賊軍と規定されたことにあります。富国強兵政策の投資は東京以西の太平洋側に集中したのも、同じ理由です。日本海側は積雪地帯であり、産業化にはマイナス要因ですが、アメリカの五大湖沿岸、北東部も積雪地帯ながら産業集積が行われたことと対比すれば、日本政府に「その気はなかった」ことがわかります。
お龍様
ありがとうございます。
確かに新潟は150万人超の人口を抱えてましたが、2位以下は明治21年で、
②兵庫
③愛知
④東京
⑤大阪
⑥福岡
⑦岡山
⑧長野
となっております(5位以下はあやふやですが)。
また浚渫の話ですが、神戸港と大阪港は明治〜大正〜昭和初期まで喫水線の深い船でも沖合に碇泊し、小型船で貨物を中継輸送する必要はありませんでした。よほどの大型船や油槽船で無い限り、イキナリ岸壁に横付けです(もっともタンカーがそれら商用大型港に入る事は少ないですが)。
大阪港がドブ河を浚え、港内にも溜まった泥を浚えて、更に水深を深くして浚渫したのは昭和20〜30年代であります。
東京港や横浜港や名古屋港はよく知りませんでした。
蔡英文(総統|大統領|President)は「台湾に生まれた幸せ」を追求すると発言されています。
当方はそれをプロパガンダとは思わない。総統は本心でそう感じているのだろう。そしてその幸せを伸ばし拡大するにはどうできるか情熱を注いであろうと。
台湾は21世紀を決めるキーネーションです。冷静に考えてください。御社の求人にこんな人材が応募してきたとします。華語英語日本語の3つを自在に操い、北米大陸ASEAN諸国そしてインド亜大陸のビジネス実務経験をそなえた人材だったとすれば。御社はいったい給料いくら払いますか?
はにわファクトリー様
>華語英語日本語の3つを自在に操い、北米大陸ASEAN諸国そしてインド亜大陸のビジネス実務経験をそなえた人材だったとすれば。
日中国交正常化以降、雪崩を打つように、日本企業に研修生として来日した中国の方って並べて、そのような方々でしたよ。彼らの事情も知らず受け入れた現場では、彼らの頭の良さに驚き、彼ら個人の人柄の良さに一気に警戒心を解きました。
でもね、数年後に知ったのですが、彼らは共産党員の子弟でした。どれほど個人としての人柄が良くても、それ以前に彼らは中国人で、共産党員でした。
なにが言いたいのかというと、はにわファクトリー様。
台湾の国家を形成する勢力に”外省人”がいます。大戦後、蒋介石氏とともに台湾に侵入した人々の子孫で、彼らは”中国人”である意識が高いと聞きます。共産党党員かも知れません。このことを忘れてはならないと存じます。
鎖国をしろというのではありません。ムリですもの(笑)。ただ、彼らが外国人である以上は、私たちとは利害が異なるのは当たり前のことであり、そのことからくる警戒心を解くべきではないと思うのですよ。
日本は島国であることからくる油断でしょうか、個人の人柄で全ての警戒心を解いてしまうきらいがあります。結果、国益を損なう愚を何回も繰り返してきたのでは?
はにわファクトリー 様
心配性のお姐様
先日、台湾において、「中天新聞台」というニュース”チャネル”(局ではない)が、国家通信放送委員会から放送免許とりあげを食らったそうです。理由は親中偏向が過ぎること。総督府からは「独立機関の法に則った判断を尊重」、予想はつくでしょうが、野党・国民党からは「言論の自由ガー」となんかどっかで見たような反応をしております。NHKはじめかたっぱしから放置の日本からすれば羨ましい話ですが。
局である中天電視は旺旺中時グループ(わんわんで変換できる…)が買収した後に親中偏向するようになったそうです。旺旺のトップは蔡珩明氏(蔡氏と書くとややこしいです)、日本岩塚製菓から指導を受けて「中国大陸に」売り込んで一代で成功を収めた人物です。そして過去に「天安門では思うほど死者は出ていない」「中国は民主的だ」と発言した人物です。
「蔡氏のような人物が財閥トップで強い影響力を持つ国」
「偏向放送にストップをかけられる国」
という二面が両立するのが今の台湾のようです。政権によって方向がガラリと変わってしまうということは言えると思いますが、評価・対応が難しいですね。
農民さま
台湾島の分断を進行させてはならない。為政者はだれであれ。危うい選択をし続けることになります。現職不利、続投断念、政権交代かとわずか1年余前はそう伝えられていました。逆転はこの先もあり得ます。現実に台湾島経済を掌握しているのが、どういう勢力であるかに注目すれば、です。高雄市議長が自宅高層マンションから墜死しています。リコール確定直後です。スパイものフィクションのネタには出木杉かも知れません。当方は親日であるかないかを議論対象・判断材料するのは視野狭窄であろうと考えているひとりです。
心配性のおばさん様
ご返答ありがとうございます。以前にも同じ一文で発言しております。
結局のところ彼らは中国語を話す中国人なのです。
先方には先方の事情があり祖先があり子孫もあります。向こうの視点視座そして未来希求への方向性を理解したうえで「まる呑みする」度量と努力、あるいは決意が必要とされているのではありませんか。
「結局のところ」なる一文をK国C人民共和国に置き換えて読み直せば、だれと交際を深めるべきか距離を置くべきかの単純判断と思います。
なお外省人には2通りあって、高級外省人と言葉にするのは現地では今なお憚れる状況にあると判断してます。特定の意味があるからです。
>向こうの視点視座そして未来希求への方向性を理解したうえで「まる呑みする」度量と努力、あるいは決意が必要とされているのではありませんか。
TVで有名な橋元氏であれば、「日本も、相手の害意を承知の上、付き合うステージに上がれ。」ですかしら(笑)。
それはたしかにそうなんですけど・・・。私は「俺はそこんとこ、呑み込んでるぞ」といった思い上がりが少し怖いんですの。2F氏はその例じゃないかしら?
怖いからと言って、成長しない訳にはいきませんけどね(笑)。
肩をすくめて両腕を中途半端に広げ、中天を仰いで見せるポーズを、ふたり揃ってここで瞬間芸。
笑うセールスフォース(っと違う)「笑うセールスマン」を想起してニヤつきを禁じえません。
独断と偏見かもしれないと、お断りしてコメントさせていただきます。
(なにしろ、そう書かないと自分で自分を勘違いしそうなので)
欧といっても、(大雑把にいって)西欧と東欧で価値観が同じか、亜といっても(これも大雑把にいって)宗教によって価値観が同じか、と考えると疑問に感じます。まして現代社会は、交通手段やデジタルによって、(まったくないとは言いませんが)距離の意味が薄れたと思います。
蛇足ですが、民主主義も、宗教も、科学も、歴史も、リベラルも一種に価値観ではないでしょうか。
駄文にて失礼しました。
すみません。追加です。
(日本が参加するかは別にして)イスラエルやサウジアラビアなどの親トランプ大統領の米同盟国が連携して、バイデン次期大統領にアメリカ国家の外交的約束を守るように圧力をかける、ということはないでしょうか。
駄文にて失礼しました。
私は「価値観」と「思考様式」、「行動様式」は別々のものだと思います。
私の理系の考え方では
「価値観」⇒ 『事象』を『望ましさの値』にマッピングする関数
例: 家族=3、仕事=6 (「あなた仕事と私とどっちが大事なの」
への答え)
「思考様式」⇒ 『事象』の観察をし分析・解析して価値観の関数を
通して優先順序を整理する
例: ヒスを起こして実家に帰った嫁を迎えに行くのは出張の後に
すると判断。
「行動様式」⇒ 『優先度の順序』に沿って行動する
例: 嫁の実家に土産物も謝罪も無しで迎えに行き、
緑の紙を突き付けられる。
となります。
『朝鮮半島式の価値観』というのは事象と値の関数が「ウリ・ナム・格上・格下・好き・嫌い」によって違って来てしまう『多価関数』なので、対象が「好きな仲間」と「格下の他人」で違った結果になります。
また、『朝鮮半島式の思考様式』では観察・分析・解析は『大前提としての物事のあるべき姿』と言う強烈なフィルターがかかるので、結果的に「現実と似ても似つかぬ妄想に基づいた現状認識」に陥ります。
最後に『朝鮮半島式の行動様式』では、上記の「現実と似ても似つかぬ妄想に基づいた現状認識」を更に「自分が有利になるように歪めて」行動します。
個人的な意見ですが、こんな価値観、思考様式、行動様式を持った隣人とは正気でお付き合いは出来ないと思います。
新大久保彦左衛門さま
『朝鮮半島式の思考様式』は、結論が先に有って、観察・分析・解析は、後付でだ飛躍している、という流れと考えたほうが、簡単だと思います。
例えば、結論は「日本が悪いニダ」になり、そのために関係有ろうが無かろうが、日本の劣等性を探し出すという流れです。
だんな様、
>『朝鮮半島式の思考様式』は、結論が先に有って、観察・分析・解析は、
>後付でだ飛躍している、という流れと考えたほうが、簡単だと思います。
完全に同意します。
実証的思考の賜物である自然科学では『実際の観察結果から何故これが起きたのかの理由を「大前提」と「既知の理論」を基に「論理的な説明」を試みる』のが過程ですが、韓国脳での「大前提」は「韓国人は世界一優秀で魅力的であり常に正しい事しかしない」、「既知の理論」は「世界は韓国に好かれたくて堪らない」と言う自己愛性人格障害のケのある「既知外(©)の理論」ですし、「論理的な説明」は「何か上手くいかなかったら他人が悪さをしたに違いない~後頭部を殴られたニダ」でしょうな。
この「韓国式不動である大前提」と「韓国式既知外©の不動である理論」と「韓国式論理的な不動である説明」と「実際の観察結果」の折り合いをつけようとすると「観察結果」を歪めるか捏造しなければなりません。
これが韓国で自然科学が発達しない理由であるばかりか、日本と同じ事象を観察しているのに係わらず、韓国が国家として頓珍韓©な行動をし続ける説明になると思います。
慰安婦問題にしても然り、自称募集工問題にしても然り、K-FXの米国からの技術移転問題にしても然り、レーダー照射事件にしても然り、ホワイト国リストからの除外にしても然り。
>「脱亜入欧」の時期に国力が増進し
と指摘されますが、当時は「国力の増進とは産業、法制、軍備等各分野の欧州化そのもの」であったという因果関係ではないでしょうか。
現代風に言えば途上国を脱し先進国入りしようという感じですかね。福沢諭吉の「脱亜論」と清・朝鮮のグダグダっぷりから混同されがちですが、別に脱亜…悪友との断交は本旨ではなく、単に日本を列強へと魔改造しようとした。つまり、欧米型価値観に強引に切り替えた。これも価値観外交(内政?)であったのだと思います。体に軍服を合わせるのではなく軍服に体を合わせろ!
脱欧入亜は「とにもかくにも平和と共存だ!」「これからは中国だ!」というような目先を誤った「価値観」が流布されたせいですかね…日本をどうするかではなく、どこへついていくか、という消極的な姿勢であったように思えます。衰退はしても発展するとは思えない。
確固たる価値観と展望を持ち進んだ時代に上手くいき、それが揺らいだ時代はダメだったと言えると思います。それで滅んだ国も歴史上数多あり、運かもしれませんが。ともあれ、この捉え方からすれば、今の日本の「地理より価値観を重視し主導的に動く」方向性は良いのではないかと思えます。
いつも知的好奇心を刺激する記事の配信ありがとうございます。
日本が基本的価値観を共有しているかどうかを判断する一つの指針は行動様式として汚職に対して自己規制が働くかどうかだと思います。
汚職は社会での規定されたルールで決定することでなく、お金で結果を「買う」ということです。
これを社会的に悪いこととして自己規制が働くかどうかが今の日本と価値観が一致する社会であるかどうか判断する重要な基準ではないでしょうか。
「自分が行うならロマンス、他者が行うなら不倫」等の言葉がある社会は政権が代わっても今後とも基本的価値観が合致することは「あり得ない」のではないでしょうか。
こういった現実を踏まえず基本的価値観を共有する民主主義国家として不適切な外交を行って来た害務省、自民党、マスゴミはもっと批判されるべきだったと思います。
安倍→菅の両政権で行っている現在の外交は従来のマイナスをゼロに戻したことであることにすぎないのです。
現実に基づいて戦略を立てて外交を行う「普通の国が普通に行う」状況を維持させる為にこういった評論サイトから言論に基づいた監視を行うことに意義があると思います。
ここを含むWeb評論サイトに期待します。
以上です。駄文失礼しました。
パーヨクの工作員様へ
(個人的な意見ですが)日本の場合は、『会社のための汚職』を考えなければ、ならないと思います。
駄文にて失礼しました。
> 『会社のための汚職』
かつて民間金融機関で幅をきかせていた「MOF担」が典型例ですね。大蔵省官僚に媚びへつらう男芸者でありながら、この仕事を経ないと組織の頂点に立てないといういびつな慣行。本来ならコアコンピタンスに精通した者がエリートと称されるべきなのに、幇間が上に立つという情けなさ。幸か不幸か、様々な事情により「MOF担」は消滅しました。
アジア諸国や中南米では汚職・賄賂がまかり通っています。それに比較すれば日本や欧米は相対的にクリーンと言えるでしょう。しかし日米欧は潔癖なのではなく、合法的な汚職を模索する社会のように思えます。
また、引きこもり中年がご指摘の通り、日米欧の汚職の動機や目的が、直接的な個人の栄達ではなく、所属する組織の利益に貢献することで自分の価値を上げようとする傾向にあるように見えます。
>『会社(組織)のための汚職』
組織の為に汚職するのはロッキード事件の様にアメリカ等も実施しているのですが、それでも初回に汚職に手を染める際には日米問わず良心に何かを感じているのです。
そうでない国々がまだまだ多く、「自分が行うならロマンス他人が行うなら不倫」の国家はそうでない国々の仲間ですね(笑)
ポッケナイナイできる権利があるのでポッケナイナイする感覚と思います。
価値観外交の提唱者と言われる谷内正太郎さんもインドの方が韓国より基本的価値観を共有する時代が来るとは予想していなかったのではないでしょうか。(当時は韓国は米韓同盟を血を同じく流した血盟同盟と誇っていた時代でした)
成長著しいアジアの成長力を取り込みたかった裏日本は残念ですね。対人間に腐食性が高い国々とは適切な距離を保って関係、取引しないといけないということでしょう。
韓国が政権交代がある我が国こそが自由民主主義の盟主などと言って対抗心を燃やして全力で妨害してくると思われますが、ホイップはどうなることやら、結局は米国しだいな気もします。日本に縦横家の役割はハードルが高いかと思います。(外務省には無理だろう)
独断と偏見かもしれないと、お断りしてコメントさせていただきます。
(というより、詳しい方がいれば教えてください)
本日の朝日新聞のなかの一文に、「韓国外交関係者の話として、「中国は、日本の対韓輸出規制強化で、中国への半導体輸出に支障が出ることを恐れて、韓国に日韓関係改善の圧力をかけた」」との記事がありました。もちろん、その真偽は分かりませんが、これと「アメリカが日本に、対中半導体政策のために、対韓輸出管理強化の圧力をかけた」との鈴置説と合わせると、韓国は半導体で米中、韓国国内の間で踏み絵を迫られることになるのではないでしょうか。(日本は、日本産製品が、北朝鮮の核開発に利用されたくないと、言えばすみます)
蛇足ですが、もしバイデン次期大統領が、中国技術覇権阻止を考えたら、トランプ大統領の半導体政策を継続するのではないでしょうか。
駄文にて失礼しました。
>「外交に弱い菅政権」は杞憂だった!
菅政権が成立してまだ2か月しか経っていません。今は未だ、前政権時代に敷かれたレールを走っているだけでしょう。ですから杞憂かどうかの判断は早計のような気がします。
>なにより、近年は「中国べったり」だった豪州が、ここにきて、急速に日本に近づいていることは、素直に歓迎すべきでしょう。
日本にとって、豪州の離中が歓迎すべきなのは確かです。しかし一方で、豪州は、政権交代でこうも大きく外交方針を方向転換させる国であることも認識すべきです。つまりいつまた、「中国べったり」に戻らないとも限りません。豪州は、国土は広大ですが人口2,500万ほどと少なく、資源産業以外には見るべき産業を持たず、どうしても経済的に中国依存せざるを得ない事情があるからです。
>インドが日本と「基本的価値」を100%共有するかは微妙だと思います。
どんな国・民族同士であれ、文化や宗教が異なれば「基本的価値」の100%共有は有り得ません。それ故、そのような国・民族同士を平等かつ平和裏に共存させるため「法の支配」という仕組みが考え出された訳です。ですから、インドが国際社会における「法の支配」を理解し遵守するのであれば、インド国内での前近代的制度有無にかかわらず、FOIPの仲間として迎え入れれば良いと思います。
>FOIPに否定的な国からも日本にやってきた!?
国際社会において中国が問題児なのは、上記した「法の支配」を認めないからです。かつての米ソ冷戦は、イデオロギー(共産主義vs自由主義)対立でしたが、現在の米中は、イデオロギーではなく、いわば、「法の支配」 vs「天命の支配」という世界観の対立です。
考えてみれば、「法の支配」とはローマ帝国が確立した世界観で、神ならぬ人同士の約束に基づく、様々な価値観(文化、宗教、習慣など)が対等・平和裏に共存できる多元的社会です。他方「天命の支配」とは、中国の秦・漢朝ころ固まった世界観で、天意という名の中華専制者の意思により、多様な価値観(同上)が唯一価値観(中華的価値観)に同化収斂されるべき一元的社会です。
幸い2,000年前当時のローマと秦・漢とは、地理的に遠く隔たっており風馬牛(我関せず)だった訳ですが、それが、地球が小さくなった現在、深刻な対立をきたしているのは必然と言えば必然です。いずれ、単なるイデオロギーの違いを超えた世界観の対立ですので、こちらの方がより根本的で根深いと思われます。この対立で米国が一時的・表面的に勝利するにせよ、人口15億人とも言われる中国人の世界観を転換させるのは至難と思わざるを得ません。
我国も元来は「天命の支配」世界観だったはずですが、中世のころ?から「法の支配」世界観に近い社会に変ってきた感じがします。多分我国では、中世以降、社会の分権的傾向が強まり、分立した権力・勢力の共存戦略として「約束ごとを守る律義者」が尊敬・重視されてきた経緯があるのかも知れません。明治以後、西洋的「法の支配」の世界観にあまり抵抗を感じなかったのはそのためでしょう。ですから中国で世界観の転換があるとしても、社会の基本構造の変化が伴わねばならず、最短でも数百年単位の時間が必要だと思います。
いずれ我国は、天命支配の宗主国である中国とは地理的に最も近く、この世界観対立における最前線に位置します。過去には、明治~2000年ころまでを除けば、我国と中国とは国力において常に1:10くらいの差がありました。それでも我国の先人たちは概ね独立の気概を持ち、必要であれば敢然と戦い、卑屈にならずかといって驕慢にもならず、学ぶところは学び排すべきは毅然と排するの、付き合いを心がけてきたと思います。日本の対中長期戦略としては、今後ともこれしかないでしょう。それに中国は、「月満ちれば則ち虧(欠)く」を常とする国です。この盛衰サイクルは100年単位なので、詳細時期の予想は難しいのですが、今の共産党中国の勢いも、必ずや止まる時があるハズです。
中国での失敗をインド、インドネシア、アフリカで繰り返さない。それがFOIPの使命。
インド政府が自動車産業の「国内化」を意図して、補助金交付による国策誘導をするそうです。知人はそれを現代起亜を狙う撃ちしたものと指摘しますが、インド国外生産の自動車部品を亜大陸へ運び込み、完成車にして輸出するビジネスモデルを描いて実践しているのは日本企業も同一です(彼らは日本のやりかたを常にコピーする)
補助金を受けるのはデリー中央政府重工業省の審査認可を受けないといけない。事実上の国策運営です。スズキはインドの自動車会社でインドで食ってますからこの補助金との関連は薄そうですが、ほかのところは …
>個人的な見解を申し上げるならば、インドが日本と「基本的価値」を100%共有するかは微妙だと思います。とくに、インド社会にはカースト制度などの前近代的な仕組みが色濃く残しているといわれており、日米豪のような「自由で平等で開かれた社会」とは言い難いのではないか、といった疑念はあります。
ふと思ったのですが、皇室制度は諸外国から見ればインド社会のカースト制度と似たようなものに思えてしまうかもですね。