「文化を守れ」?映画への公的助成に対する強い違和感
最近、『鬼滅の刃』という映画が空前の大ヒットを記録しており、わずか10日間で100億円を超える興行収入を達成しました。その一方、とある映画監督が「日本の映画界は大資本が支配している」、などと危機感を示しているのですが、「商業ベースに乗らない映画作品に公的助成が必要」とする主張に対しては、個人的には違和感を禁じ得ません。
『鬼滅の刃』が空前の大ヒット
最近、街の映画館では、マンガ作品を元にした映画『鬼滅の刃(きめつのやいば)』が大人気です。
『オリコンニュース』によると、公開初日から25日までの10日間で、興行収入は107億円、動員数は790万人を超えるという大盛況ぶりであり、「興行収入100億円突破は、日本で上映された映画の中で最も速い日数」なのだとか。
映画『鬼滅の刃』日本映画史上最速で興収107億円突破 10日間で動員数790万人超
16日に公開されたアニメ映画『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』の最新の興行収入が26日、発表された。<<…続きを読む>>
―――2020-10-26 12:10付 ORICON NEWSより
この「10日間で興行収入100億円」の凄さは、ほかのヒット作品と比べれば明らかでしょう。
オリコンニュースによれば、たとえば昨年11月の『アナと雪の女王2』が40日、昨年7月の『天気の子』が34日だったそうであり、「実写作品も含めた歴代の興行収入ランキング1位に輝いている『千と千尋の神隠し』の308億円を超えてもおかしくない勢い」なのだとか。
そういえば、最近の休日の繁華街ではどの映画館も人で溢れていますが(※個人的体験です)、やはりこの映画を見に来る人が多いのでしょうか。
気になる料金は、東京・新宿や大阪・梅田などのTOHOシネマズでは一般席で1900円だそうですが(※詳しい料金体系は各映画館のウェブサイト等で調べてください)、このインターネット時代において、わざわざ高いおカネを払ってまで、790万人を超える人が映画館に足を運んだというのも凄い話です。
武漢コロナ禍のため、外出を自粛していた人々が、欲求不満を解消するために映画館に足を運んでいるためでしょうか。それとも同映画が本当に面白く、それを「映画館の大画面、大音響で体験したい」という人々が多い、ということなのでしょうか。
このあたりは本当に興味深い限りです。
映画監督「日本の映画界は危機的」
こうしたなか、この『鬼滅の刃』の大ヒットの裏で、「日本の映画界は危機的状況」と語る人がいます。
「コロナ禍の前から日本の映画界は危機的状況」 偉才・深田晃司監督が本気で語る映画のこれから
―――2020/ 10/21 16:11付 Yahoo!ニュースより【※まいどなニュース配信記事】
『まいどなニュース』が『Yahoo!ニュース』に配信した記事によると、深田晃司監督は現在の日本の映画が「危機的状況」だと述べているのですが、その発言のなかに、強い違和感を抱かざるを得ないものが含まれていたからです。
コロナ禍のなか、深田監督は他の監督らとともに「ミニシアター・エイド基金」なるものを設立し、クラウドファンディング方式で3.3億円を集めて全国の映画館に配分したのだそうです。
深田監督は、自身の作品がいわゆる「ミニシアター」で上映されてきたという経緯もあり、「ミニシアター・エイド基金」はこうした「ミニシアター」を救うための試みだ、と位置付けていて、個人的には、「どうぞご自由に」と申し上げたいと思います。
ただ、その体験について『まいどなニュース』に対し述べた内容に対し、強い違和感を抱かざるを得ません。
「『映画監督が何故わざわざそんなことを?』と言う人もいました。しかし、映画文化を守ろうという意識が強く、手厚い助成の仕組みがあるフランスや韓国も、映画人たちが闘ってそれらを勝ち取ってきたのです。僕らのモチベーションもそれと同じものだと思います」(※下線は引用者加工)
…。
「映画が文化だ」という主張に対しては、「そういう考え方もありますね」という感想しかありませんが、これを「助成しろ」と言い出した瞬間、こうした考え方には厳しい視線を注いでしまいます。なぜなら、納税者の1人として、税金の使途には強い関心を抱くからです。
非常にきつい言い方をすると、自由主義経済の世の中、「良いものを作れば売れる」のであって、売れないのだとしたら、「良いものを作っているのかどうか」という点を、まずは問題視すべきです。
深田監督の発言に対する違和感は、まだあります。
「『鬼滅の刃』が今、バスや電車の時刻表かというくらい分刻みで上映されています。(中略)あれだけの規模で公開できるのは、TOHOシネマズを持つ東宝の配給だからです。(中略)強固なネットワークと大きな資本力を駆使した日本映画従来の方法論が、自由で公正な競争であると言えるのかは疑問です。日本でこれまで当たり前だった“商慣習”に『映画文化の多様性を守る』という視点が十分に含まれているかは議論の必要があると感じています」
「また、コロナ禍で露わになった日本映画界の問題はほとんど解決されていません。端的に言うと、まずはお金の問題。映画を作るにはお金がかかります。そして資金を集める方法は『企業などの出資』『公的な助成』『寄付』のほぼ3パターンしかありません。」
東宝が大手資本であることは事実ですが、この言い方だと、まるで「鬼滅の刃」が「大手資本の作品だから大ヒットした」と言いたいかにも見えます。
「映画文化の多様性」というのが何を意味しているのかはよくわかりませんが、「映像作品の多様性」という意味では、現代社会においては、べつに映画館で放映されるコンテンツに限る必要性はありません。YouTubeなどの動画サイトで、いくらでも配信する手段があるからです。
それに予算が少ないなら少ないなりに、おカネを使わずに映画を作れば良いのではないでしょうか。テレビ東京のドラマ『勇者ヨシヒコ』シリーズのように、低予算でありながら多くの人から圧倒的な支持を集めているケースはいくらでもあるでしょう。
ただ、おそらく深田氏が言いたいのは、「日本には公的な助成が少ない」、という趣旨のことではないでしょうか。
「しかし日本は助成金が非常に少なく、寄付の文化も根づいていません。となると頼りになるのは出資ですが、これは性質上、ヒットが見込める娯楽大作に偏りがちになるという問題を孕んでいます」。
当たり前でしょう。
出資をする以上は、「それをやって儲かる」という見通しがあるプロジェクトであることが必要です。出資者もボランティアでやっているのではない以上、当たり前のことでしょう。
それよりも、「映画文化」を理由に、公的な資金をあてにしようとする姿勢には、どうにも賛同できないのです。
ユーチューバーという生き方
ほかにも、深田監督の発言を読んでいると、違和感のある記述は多々あります。
「個々の才能は海外と比べても遜色ないのですが、圧倒的に環境に恵まれていない。先ほど指摘したお金の問題もそうですし、例えば韓国では1本の映画を作るのに3カ月くらいかけられるのに、僕の場合は3週間が限界で、もっと短い監督もたくさんいます。自由のなさを痛感しますし、収入も不安定。結局こういう環境で作れる人しか生き残れず、このままでは作り手や作品の多様性が失われていくのではないかと危惧しています」
はて、そうですかね?
映像文化という意味では、最近、動画サイト『YouTube』で動画配信をする個人は非常に多く、たとえば『yutura』というサイトの『2020年10月チャンネル登録者ランキング』によると、チャンネル登録者が100万人を超えているチャンネルは140を超えています。
これらのチャンネルの中には、NHKなどの放送局や芸能人・有名人に混ざって、個人としてYouTubeに動画を配信している人も大勢いらっしゃいます。もしも自身の作る映像のクオリティに自信があるというのならば、まずはYouTubeにチャンネルを開設してみたらいかがでしょうか?
「だれが」評価するのか?
非常にみもふたもない言い方ですが、「補助金に頼る」ということは、商業ベースに乗らないということであり、商業ベースに乗らないということは、世間から評価されていない、ということでもあります。
その意味では、この映画監督氏の主張は、「商業ベースには乗らないけれども公共性があるから、人々から半強制的に徴収した金銭でコンテンツを作りましょう」、という発想とも親和性があるように思えてなりません。
そして、自由主義経済を無視して、商業ベースに乗らないコンテンツに補助を出すのであれば、そこに必ず利権が生じます。
NHKの場合は「見ていない人からも受信料を徴収する」という点に問題があるのですが、「税金によって特定の映画監督を助成する」という仕組みも、「その映画を見ていない人からも、映画を作るためのおカネを徴収している」という意味では、究極的には同じではないでしょうか。
本文は以上です。
日韓関係が特殊なのではなく、韓国が特殊なのだ―――。
— 新宿会計士 (@shinjukuacc) September 22, 2024
そんな日韓関係論を巡って、素晴らしい書籍が出てきた。鈴置高史氏著『韓国消滅』(https://t.co/PKOiMb9a7T)。
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【おしらせ】人生で9冊目の出版をしました
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商業活動は自由競争に任せるべきという主張は正論です。一方で、文化・芸術を公的資金で助成するのはアリだと思います。映画は、紛れもなく商業活動ですが、文化芸術の側面も持っており、そこに幾ばくかの「国民の血税」を注ぎ込むことも、やり方次第ではアリだと私は思います。
国の助成による映画振興が成功した事例として韓国があります。韓国映画は反日映画やウリナラ・ファンタシーばかりではありません。反日要素のない、見応えのある映画も多数あります。80年代に壊滅状態にあった韓国映画業界は、地道なロビー活動を通じて、映画を助成してくれる政権を求め、金大中政権でついに、半官半民の韓国映画振興委員会を立ち上げます。この団体が中心となって業界の改革と資金援助が行われ、韓国映画が盛り上がっていきました。
こうした韓国の動きについては、この↓講演記録がわかりやすいと思います。
https://www.bunka.go.jp/1tyosaku/contents_sympo3/keynote/01.html
自助・共助・公助の考えからすると、まずは自力で頑張る、その頑張る姿をみんなが応援する、そういう形で公的資金が集まるのが理想ではないでしょうか。
だんな様も(ここへのレスでなく別スレの形で)書いておられますが、コロナによる自粛時の平田オリザ氏の特権意識丸出しの発言に垣間見えた通り、日本の演劇関係者は(例えば欧米の演劇関係者や日本でもスポーツ選手のようには)本当の意味で精神的に民主主義・市民主義を理解しておらず「自分達は社会から特別扱いされて当然の特権階級だ」という特権意識に凝り固まった人々が多いので、税金を投入しても金をドブに捨てる愚に等しいケースが圧倒的に多くなると予測します。
ブログ主様も書いておられる通り、お金がないならばYoutubeから始めれば良いのですよ。あるいはクラウド・ファンディングに打って出るとかね。
それも試みず、今回のエントリで取り上げられた記事での監督のように公的支援を求めるのは工夫も努力も無さすぎる。率直に言ってその程度の工夫や自助努力さえ出来ないで税金に甘える人間に金を与えても無駄になる確率のほうが遥かに高いと思うので、安易に公的支援するのは反対ですね。
文化庁にしても明らかに日本を貶める(それも事実の暴露ならば仕方ないが事実を歪めたり捏造したりして完全に不当な形で貶める)映画や展覧会等に助成金を出すのは打ち切るべきだし、間違ってそういう嘘による反日活動に対して助成金を出してしまった場合には必ず担当者に懲戒処分を下して更迭するルールを確立し、助成決定前にきちんと内容審査をする(従って審査時と内容が食い違った場合には助成金を支給されなくても異議を唱えないと文書で確約させる)手順を必ず踏むようにせねばなりません。
阿野煮鱒さんの意見のやり方次第の面は、有ると思います。
しかし予想されるのは、助成しろ、表現の自由だから口出しするのは憲法違反だという、学術会議の流れを踏襲しそうな気がします。
悪く言えば、ただの金くれですよね。
文化の育成に公的資金が役立つかというと私は全く役立たないと思います。そうではなくて、厳しい審美眼を持ったパトロンやいわゆるオタクたちがしっかり生活して、文化芸術にお金を出せるようになることが唯一の振興策です。
公的資金は評価がどうしても権威主義になって、その分野を牛耳る重鎮たちにばら撒かれるだけで、結局表現は進化していかない。文化に金を出せとしきりに論ずる識者たちが結局その文化助成の最大の受益者になるだけです。
歴史を紐解いても、例えば江戸時代に発展した文化は町民たちに文化を楽しむ余裕が生まれたから自然発生したもので、決して幕府が奨励したものではありません。
アニメもそうですね。バカにならない先行投資が必要で当たれば利益、外れれば大損という中でなんとか新たな表現でみんなの気を惹こうと頑張った結果の隆盛であり文化です。
結局文化を育てるのも給付金やら消費税減税やらが王道ということです。
独断と偏見かもしれないと、お断りしてコメントさせていただきます。
(なにしろ、素人考えなので)
素人の素朴な疑問ですが、商業ベースにのらない映画は、独りよがりの映画であることもあるのではないでしょうか。また、商業ベースにのらない無名監督の映画が、優れた映画で将来、有名監督になることもあるでしょう。(もちろん、無名監督が無名監督のままのことが多いでしょうが)
ならば、ネットで公的助成金にふさわしい映画を、国民投票で決めれば、それが税金を使う映画になるのではないのではないでしょうか。将来、(日本では公開しないが)全世界で公開すると、割り切るのも良いかもしれません。(そうすれば、日本国民と、世界とのずれを認識できるでしょう)
駄文にて失礼しました。
すみません。追加です。
もし、海外で映画に助成金が出ているとしたら、それはその国の国民が、助成金を出すにふさわしい映画を作っていると信頼しているからでしょう。つまり、国民に信頼されているから映画に助成金が出るのであって、映画に助成金が出ているからといって国民から信頼されている訳ではありません。
駄文にて失礼しました。
完全に同意します。
引きこもり中年様、
国から作品制作に直接的な助成金を出している例は、現在だとフランス、中国、韓国、インド位だったような気がします(確かもっとあったかも知れませんが、ちょっと記憶にありません)
北米や、最近だと東欧や北欧は助成金を直接出すのではなく、電気代やスタジオ用の土地代の優遇、スタジオに対する税率の軽減等が主です。多くの場合は国からでは無く、州や都市からの優遇だった筈です。と言うのも文化保護が目的では無く、スタジオ開設による人口の増加や雇用の創出、周辺施設の経済活性化を目的として行っている場合が多いからです。コンテンツ産業は自由競争主義の中で切磋琢磨するのが正しく、「我々の文化を保護しろ」と言うのは話が違うと私は考えています。
映画やゲーム、アニメ業界の中だと例えば私の様なアーティストは商業アーティストとして働いており、アカデミックな芸術家からはかけ離れています。そんな商業アーティストの立場からすれば、国からの助成金は「国からの作品製作依頼」であり、その資金で作られる作品は「クライアントの意に沿ったプロパガンダ作品」となるべきです。
それを受け入れずに金だけ寄越せというのは、守られた狭い世界で生きている芸術家を名乗るただの詐欺師だと私は考えています。
この記事を見て、『産業ロック』議論を連想してしまった。
「大手にマネジメントされたキャッチーなロックはロックの神髄を失っている」という考えもあれば、「売れるロックこそが正義」という考えもあるし、マイナーだろうがアングラだろうが、良い曲もあれば悪い曲もある。
個人的には、そんな理屈に関係なく、ロック全般が好きだけどね。
で、結論は、
政府から補助金をもらってロックをやっている人なんていないでしょ?
人々のニーズに合わなければバンドも、曲も廃れていくし、ロック自体なくなっていくのでは?
映画もしかり。
アニメとかは、〇〇製作委員会とかを見ますが、業界が試行錯誤して編み出したリスクと権益のバランスをとるシステムなんでしょうね。アニメーターの待遇とか、いいか悪いかは別として。
幸い、海賊版とか出回りにくく「円盤(DVD、ブルーレイ)買え」とか、受け手側が作り手に還元したい傾向も大きいので、うまいことそういうより良い仕組み構築できればいいのですが。
コンテンツの質については、日本なら多様性と歴史と、妄想の奥深さ(爆)にかけては随一の国だと思うので、個人的には心配していません。良しあしは市場の自然淘汰と突然変異に任せて。
もし公的資金を投入するんなら、「時代劇」に入れてほしい(笑)
フィクションでありますが、寺社や城郭、衣装など裾野も広いでしょうし。
アニメは、謎の光線とか湯気とか円盤が売れるための創意工夫をしているのです。
おまけコンテンツも面白くなるように力を入れています。
もちろんハリウッド映画でも特典画像だけでBD一枚とか付いてくるんですけど、見ないなあ。別に「こんなに作るのに苦労したんだぜ」なんて内容は別に見たくもないんですよ。
匿名様、
アニメ製作現場側で働いていた側からすると、製作委員会は悪の巣窟です。
あれはスポンサーの下にへばり付いた落とせぬ汚れみたいなものです。製作委員会とは一人で責任を持つだけの度胸のないプロデューサーが、一人で責任を取りたくないが為に存在する集まりです。
コンテンツ製作の質に関して言うなら、唯一生き残っているのはゲーム業界(モバイルゲーム含め)です。映画業界は瀕死ですが、TV局側が生かすと思うので問題ない(筈)です。問題はアニメで、今の第一線が居なくなると突然死する可能性があります。
コンテンツ業界全体に言えることですが、作品の利益はほぼ作業者に還元される事はありません(勿論企業によります)。ただゲーム、映画は死ぬ気で働けばそれなりに暮らせるくらいの収入にはなります。アニメは死ぬ気で働いても微々たる収入しかない人が大半です(特に若手)
悲観的に書いておりますが、恐らくそう簡単には日本のコンテンツ業界は死にません。ただ作業者の半分以上が中国辺りの会社になる可能性は高いです。
駄文、失礼しました。
たまにある日本作の日本悪の映画に金払いたくないです。
多様性て一方的なものでしたっけ。
更新ありがとうございます。
日本の映画や劇、芸術や文化というのは、とても偏った考えの方が多いですよね。私はミニシアターと聞いて、新左翼系の学生を思い出します(笑)が、それはともかくミニシアターって100人収容程度の小さい貸しホールとかが多いです。
アレで収益が厳しいと言われてもネー。入れ物小さいし、経費更に抑えるなら、自宅開放ぐらいかな(笑)。TOHOは大企業、そら映すフィルムは選別しますよ。売れないモノは掛かりません。例えば10スクリーンあって、売れにくいであろうモノは一番小さいスクリーンの朝一番、二番で終わりです。一日中掛かるハズが無い。ゴールデンタイムは人気作を複数掛けます。
でも映画関係者というのは、貧乏しようが、飯一日一度でも良いから、自分の思うモノを作りたい、間違えてもサラリーマンや勤め人は無理筋な人たちです。だいたいが失礼ながらあの風体で、昼間のお仕事無理でしょ?
公的な応援をお願いしたい、というのはまったくオカシイと思う。仏国や韓国で成功しても他所はヨソ。ハッキリ言って、日本には根付かない文化で、フランスならパトロンかな?
映画人や芸術家に募金や公的資金与えたら、また「あいちトリエンナーレ」みたいなバカモンが出ませんかね?(笑)私は援助を受ける側が口に出すべきじゃないと思います。
日本人にそこまで劇場映画というもの自体が、もうどうにも必要な文化として染みこんでいるかというとなんとも…大衆的ではあるけど。
屁理屈かもしれませんが、文化として保護するのが主眼であればそれこそ売り上げを見る必要はないわけです。売り上げを指標にするのであれば、自由競争下の商品であるべきです。極論ですが、仮に
政府「文化保護です。製作費を無制限に出すから最高の作品を撮ってください。ただし、有料で劇場公開は禁止です。政府ライブラリーで常時自由に閲覧可能にし、政府が責任もって永久保存します」
とやったら、納得するでしょうか。
そもそも、映画は製作者が伝えたい主張や思想、(誤用ではない)世界観を作品化するものが多いでしょうから、公平性を要する公的支援はちょっと違うような。歴史はあるが実用品では無くなってしまった刀鍛冶などは保護すべきとも思いますが。
これが通るなら、個人的な趣味でなら凋落した日本のゲーム業界を支援してほしいですが、これだとおそらくほとんど賛同されませんよね。効果も疑問だし。なんなら私が考案した新アクティビティ「フンゴロポコピー」も文化ですから支援してください。
ある映画評論雑誌が「今年の年間ランキングにはアニメーションを含めない」と言って強い批判を浴びたことが少し前にありました。その年はアニメーション映画のヒットが多数あり、必然的に上位には多数のアニメーション映画が並ぶ事になったわけです。実写映画をやってきた制作者や評論家が編集側に多い雑誌だけに、どう見ても「実写よりアニメが売れていることへの僻み」にしか見えませんでした。またアニメーションを実写よりも下に見ているのがどのような人達かも分かる出来事でした。
上映館が少ないから大きく売れないというのに対しても、2006年の「時をかける少女」のように十数館程度で公開が始まり、最終的に百館以上で公開されロングランになったという実例があります。
ようするに「自分の作った/自分の好きな映画が売れなくて悔しい」というだけのことですね。
いつもお世話になっております。
私が思うに遥か昔から文化は世間一般で言うところのオタクが作り、オタクが鑑賞し、さらにオタクがそれを発展させていくものだと思っております。 当然、パトロンがつきますが、それは政府関係者じゃなく、ただパトロンが欲しいと思って、オタクに出資して作らせるものです。 パトロンとオタクはほぼ同一語です。
コロナ騒動後、自称演劇関係者から、劇を上演できないから、政府から金だせと言っていた話と同一の話だと思っております。
相撲で言うところのタニマチと言うかパトロンを何故確保できなかったのか、それが疑問です。 映画であっても、パトロンなる存在あるいは同好者がいるはずです。
まずそこからの話です。
又、政府から金を貰って反日映画を作製し、日本はこんなに悪い国だと発表する映画を作製してもらっても困ります。 それに映画監督なんだからエライんだと言って、出資政府機関をバカにする事は良くない事だと思います。 それが嫌なら自費でどうぞ。
芸術や文化という人もいますが映画は所詮は娯楽で、様々なエンターテインメントのコンテンツの一つです。映画の評価も主観的になりますが、興行成績が客観的な評価かなと思います。クリエーターも制約のある中で厳しい視線や評価に耐えてこそ、より良いものを作ろうと思うはず。文化も内容が良ければ継続されるでしょうしつまらなければ淘汰されるのが理だと思います。公費補助は甘えかなと思いますね。
25回釜山国際映画祭に招待された黒沢清監督65)
日本軍731部隊の生体実験を扱った『スパイの妻』「日本人にも歴史の上で知られている事実を誠実に作った」 2020年10月27日
新宿会計士様、
いつも御執筆有り難うございます。
今回の御執筆された記事に関しては、私個人として思う所が大変多くあります。
と言うのも、私国内国外(北米圏)の映画、アニメ、ゲーム業界で働いているアーティストであり、今回の記事に置きましては、共感と反感入り混じる思いで読ませていただいたからです。
長くなると思いますがコメントさせて頂きます。
あくまで私は業界側の人間である為、恐らく部分的に納得し難い発言もするかとは思いますが、予めご了承下さい。
>>まるで「鬼滅の刃」が「大手資本の作品だから大ヒットした」と言いたいかにも見えます。
まず一つ気になったのがこの点ですが、私は深田監督と同意見です。
まずそもそも商業作品を作る上で大手資本を引っ張ると言うのは成功に直結します(成功の可能性が高まるという意味です)。予算がカツカツのアニメ作品だと尚更です。その為プロデューサーと言う肩書を持つ人間が業界には存在します。
業界ではプロデューサーの良し悪しはどれだけ予算を引っぱる事が出来るか、要は大手資本をその気にさせるか。と言われます。
例えば昨今ゲーム業界の収益が映画業界を上回り、予算規模も同等かそれ以上とも言われています。
北米で働いていた時に運良く北米ゲーム業界の大物プロデューサーとお会いすることが出来て、彼女と会話している時にこの様な事を言っていました。
30億引っ張って300億の利益を出すのが自分の仕事だ。と。
億を超えた予算の確保には、どうしても大手資本の力が必要で、クオリティの担保にはお金がどうしても必要になります。
なので大手資本作品だからと言う主張はあながち間違いでも無いのです。
>>それよりも、「映画文化」を理由に、公的な資金をあてにしようとする姿勢には、どうにも賛同できないのです。
こちらは新宿会計士様に賛同致します。
こちらの後にも書かれておりますが、フランスや一昔前の韓国が芸術家に対して公的な補助を出していたのはその産業が利益を生むからであって、文化の保護が主目的ではありません。副次的に文化の保護になっている事は認めますが。
芸術やエンターテイメント、コンテンツ産業は事前の成功を予測する事がほぼ不可能です。だからマーケティングに大金を使い、リスク管理を行う大手が多いのです。芸術家の保護も同じ様に、ブランド力を高める事によるリスク管理一貫でしかありません。
業界問わず、潤沢な資金には良からぬ人々が集まってきます。映画、アニメ、ゲームは特にそれが酷いと個人的には思っており、そんな業界に公的な資金を使うなど言語道断です。
ただ私は公的な資金を使った作品作りには反対ですが、公的な資金を使った環境整備はすべきだと思っております(もし日本のコンテンツ産業をソフトパワーとして使うならですが)
その際は国家規模でやるのでは無く、福岡やモントリオールといった地方都市レベルの事例が正しいと思っています(詳しく書くと長くなるので、興味がある方は調べてみて下さい)
深田監督の言うように日本のコンテンツ産業は確かに自由が少なく、また予算規模が世界的な評価に比べて低いです(特にアニメです。邦画は良くしようが無いというのが私の意見です)。ただそれは自らを安売りし続けた結果であり、現場が未来的な視野を持たなかった業界の責任であり、それを公的に助けろと言うのは甘え過ぎです。
私も今でこそ良い生活が出来る位にはなりましたが、それは渡米含め、自分で市場開拓した結果だと自負しております。なのでもし深田監督が私同様商業芸術家であるのなら自己の力で業界を変えるべきですし、生粋の芸術家であるならパトロンを自分の芸術性で募るべきです。
長々と酷く個人的で拙い雑文を書かせて頂きましたが、これにて失礼します。
漫画やアニメに対する公的支援に関して言えば、確か麻生内閣の時に構想されたと記憶していますが、貴重な作品のフィルムや原画を安全な環境で永く保存し、我々一般の国民も既に絶版になってしまい閲覧や視聴が困難になっている作品を一定の対価で見られる様にするための、国立の保存施設やネット経由の閲覧・視聴でも不当な複製が行えない様に保証できる専用ソフトやインフラの開発整備に税金を投入するというのならば賛成です。
漫画もアニメも今や日本の誇る重要なソフトパワーとして我々だけでなく世界中の人々に愛されていますからね。この災害の多い国で、それら漫画の貴重な原画やアニメ(そして映画も)の動画情報(フィルム時代のはフィルム、また必要ならばアニメの原画も)の保存が作家自身や制作会社の自己責任に委ねられ火災や紛失などで喪失・散逸して行くに任せている現状こそ速やかに改められるべきです。
税金投入の緊急度としては作品制作に対する支援よりも遥かに優先順位が高いと思います。
時代を超えた長期保存に不可欠な高度な環境管理(温度・湿度管理、防火、耐災害)は個人や企業では現実問題としてほぼ不可能で、そういうこと公的に行うべきです。
冥王星様、
ご返信ありがとうございます。
確かにそう言う話はあった事は記憶しております。その後どうなったかはちょっと分かりかねますが。
確かにフィルムや原画等の保存は急務かもしれません。と言うのも管理している企業側に問題があるケースが多発しているからです。大きい例だと小学館の漫画の原画の紛失、小さい所だとアニメーションスタジオ等で原画を横領してネットオークション等で売るケースもあります。
現場の同業者としては恥ずかしい話ですが、何故かソレを気にしない、または仕方ないと言う人も多いのが悲しいです。
私は一つ、フィルムや原画等の保存が公的に行われる事に懸念を持っています。それは作品の選出にバイアスが掛かるのではないか?と言う懸念です。
作品の良し悪しだけでは無く、暴力性や人間性と向き合って来た作品が多いからこそ、今の日本のコンテンツ産業があると考えています。そこに現代のバイアスを入れられるのは避けるべきだと考えています。
海賊版に関しては、これはネットで色々な方が懸念しておりますが、仕方ないと言うのが現状の意見だと思います。しかし海外の日本コンテンツファン(weeboo含む)の方に以前言われたのですが、見る方法が無いから海賊版を見るしか無い。と言う意見を聴きました。もしかしたら「そんなの言い訳だ!」と言われる方もいらっしゃるかと思いますが、私は共感と同時に業界に対する情け無さを覚えました。海賊版を撲滅する事は必要だと思います。ただ海賊版を撲滅しても収益は上がりません。何故なら「作品を売る場所がないから」です。
これは完全に日本の業界の怠慢だと考えています。金銭的に余裕が無い人に作品を売るのは無理でも、プラットフォームを用意して、作品を視聴または売買が可能な場所を用意する事は可能だからです。
プラットフォームを公的な援助で作る事は難しいですが、国として海賊版の撲滅、または海賊版サイトの撲滅を主導し、国内企業開発のプラットフォームに人を呼び込むというのは必要だと考えています。
だいたい溶けてる様
>確かにそう言う話はあった事は記憶しております。その後どうなったかはちょっと分かりかねますが。
麻生内閣時代の話(記憶が不確かで申し訳ありませんがが「国立漫画館」のような名称だったと思います)は、マスコミによる倒閣運動のターゲットとして「漫画のために税金を使うなんて」という類のネガティブ・キャンペーンを張られて、我々国民世論もマスコミが狙った通りに「漫画に税金を使うなんて論外だ」という空気が大勢を占めてしまい、総選挙で民主党が勝ったこともあり立ち消えになってしまったと記憶しています。
>私は一つ、フィルムや原画等の保存が公的に行われる事に懸念を持っています。それは作品の選出にバイアスが掛かるのではないか?と言う懸念です。
なるほど、公的な漫画館のようなものだと確かにその心配は杞憂ではないと私も思います。裸は駄目とかバイオレンスは駄目と主張する「良識」とやらを振りかざす人間が世の中には少なからず存在しているのは確かですから。
>国として海賊版の撲滅、または海賊版サイトの撲滅を主導し、
これは重要ですね。日本にとって重要なソフトパワーの源泉であり経済的にも重要なソフト資産の漫画やアニメを守るために、国としてWTOなど国際的な場で強く主張して海賊版の排除に対する国際的な理解を得て世界的に海賊版排除のための法整備と活動を進めることが不可欠ですから。
>>まるで「鬼滅の刃」が「大手資本の作品だから大ヒットした」と言いたいかにも見えます。
私も大手資本だからヒットしたのだと思います。
日本では製作会社、配給
>>まるで「鬼滅の刃」が「大手資本の作品だから大ヒットした」と言いたいかにも見えます。
私もこの部分は、だいたい溶けてるさまに賛同します。
付け足しになりますが、日本では大手は製作会社、配給、映画館が垂直統合していますが、アメリカでは反トラスト法で禁止されています。北米で働いていた方なら身近に感じられていると思います。
ただ、数年のうちにパラマウント判決を終了させるようです。
途中で送信してしまいました。
たぶん、前の匿名よりは私です。お手数ですが削除お願いいたします。
独断と偏見かもしれないと、お断りしてコメントさせていただきます。
(なにしろ、朝日新聞と違って自分は間違う存在であると自覚しているので)
(スレ違いですが)本日の朝日新聞に、外部の人に書いてもらった記事で「政権運用には、国民の信頼が欠かせないが、政権批判をするメディアにも、国民の信頼がなければ、その批判は国民には届かない」という、ここでは珍しくありませんが、朝日新聞としては珍しい話が載っていました。まぜ、こんな記事を載せたのかを愚考すると、「外部の人に頼んだ記事をボツにすると、第二の『池上彰事件』になることを恐れた」、「小さな記事なので、そのまま無視した」、「朝日新聞に『はぁ』と声を上げたので、そのまま載せざるを得なかった」、なにしろ、同じ朝日新聞に(もっと大きな記事で)編集委員が、「政権の『はぁ』と思ったら声を上げよう」と書いてましたし。
蛇足ですが、深田監督も政権に『はぁ』と思ったから声を上げたのかもしれません。もっとの深田監督の『はぁ』と、他の人の『はぁ』が同じであるとは限らないので。
駄文にて失礼しました。
一言で言えば、「負け犬の遠吠え」という感想しかありませんね。
昨今の日本映画が大衆を動員できるような作品を作ってないこと、そして何故大衆を動員できないのかという根本的な問題に一切触れようとしていない、あるいはそもそも考えてもいないという視野狭窄ぶりが痛々しいと言うべきでしょうか。むしろ、そんな程度の意識でしかないからこそ、日本映画は衰退する一方になるのだと言いたくなります。
映像コンテンツがこれほど氾濫している現在、果たして映画関係者はどれだけ「映画にしかできないこと」を追求してきたというのでしょう。少なくとも、アニメ関係者は「アニメにしかできない映像、表現、物語」を長年追及してきました。けして経済的に恵まれず、「所詮は子供向けの紙芝居」などと蔑視され続けながらも、アニメ関係者は歯を食いしばって「アニメにしかできないこと」を追求してきた結果、現在の姿があります。芸術だとふんぞり返り、薄っぺらで安っぽい「メッセージ」とか「社会批判」とやらを垂れ流してきた映画人が何を泣き言を言っているのか(偏見が大いに混じっていることは十分承知しています)。何ら同情に値しません。
ここではアニメを称揚しましたけれど、もちろん全てのアニメ作品が「凄い」などとは決して言いません。面白くない作品、ダメな作品も山ほどあります。しかし、「アニメにしかできない」作品の一例として、2012年に第1期が放送された「PSYCHO-PASS」を挙げておきましょう。
「PSYCHO-PASS」は、一言で言ってしまえば「近未来を舞台にした刑事ドラマ」なんですが、あの世界設定と描写や映像は、確かに実写では不可能な、アニメでしか表現できない世界が展開されていました。けして万人向けの作品とは言えない作品ですが、十分一見の価値のある作品だと思います。
龍様、
龍様がアニメ業界にどれ程詳しいかは分かりかねますが、まさしく「アニメにしか出来ない表現」を追及してきた自負がアニメの第一線で働いている方々にはあります(私はポイントでしかアニメの仕事をしないので、その様な方々との仕事はいつも楽しく思っています)
そして経済的に厳しい中で〜、と言うのも同意見です。不幸にもソレがアニメ業界の現場で「金」=「悪」と言う風潮になってしまい、その気質を悪用する会社が多くなってしまったのですが•••
映画業界は、TV業界と併合した事が分かれ目だったと私は思っています。
アメリカのやり方が絶対正しいとは思いませんが、映画とTVは分かれるべきだったと思います。その競争性が「Game of Thrones」を生み出したと私は考えています。
駄文、失礼しました。
私は熱心なとすら言えない程度の一アニメファンでしかないので、業界の内情については、漏れ伝わってくる程度のことしか存じ上げません。でも、アニメ制作者や大御所と言われるほどの声優であっても、大豪邸を建てたという話はとんと聞きませんので、経済的にそれほど恵まれてはいないのだろうなとは想像しています。
「アニメにしかできない表現」ということでちょっと思い出されるのは、「少女革命ウテナ」などで知られる幾原邦彦監督の次のような言葉です。「実写と違い、アニメでは偶然に映り込むということはありえない。アニメの画面に映し出されているものは、すべて意図されたものなのだ」全くその通りだと思います。そうやってアニメ関係者はさまざまな技法や効果を開発し、「アニメにしかできない映像」を産み出してきました。演出面でも、例えば「けいおん!」で知られる山田尚子監督の真骨頂であるあまりにも繊細な心理描写は、アニメの特性を存分に踏まえた上でのもので、こうして「アニメにしかできない表現」が作られていったのだと思っています。
翻って、日本映画関係者は「映画にしかできない表現」をどれほど考えていたというのでしょう。大画面の実写映像という特性をどの程度意識していたのでしょう。何も考えてないのではないかと疑わざるを得ません。
さて、黒澤明は「七人の侍」とか「用心棒」などを製作していた時に、”芸術”を作ろうなどと考えていたでしょうか? おそらく、彼は一大娯楽作品を作ろうとしていたのではないかと思うのです。そしてそれこそが、現代の日本映画が失ってしまったものなのではないかとも思います。
龍様、
余りアニメ談義になってしまうと長くなってしまうので控えますが、私が嘗て御一緒させてもらった方々と仕事をした経験の話です。
アニメ業界の第一線で活躍されている方々は、信じられない程の芸術に関する知識、そして芸術とエンターテイメントの双方を見た時の妥協の仕方がとても独特です。
北米で働いていた時、多くのアーティストは「芸術のセオリー」から抜け出せ無い方が多いと感じました。「学術的な正しさ」をどうしても捨てられないのです。
しかし、アニメ業界では芸術的正しさは絶対ではないのです。
海外で恐らく最高の評価を受けているジブリ作品は「千と千尋の神隠し」です。そして一様に言及されるのが、映画後半、千尋がカオナシを連れて電車で移動するシーンです。そのシーンだけ抽出すると、全く意味が分からない無駄なシーンだが、作品全体を見ると情緒的な美しさがある。と評価されます。
私はこれこそが日本人が持つ、俯瞰的な芸術感覚だと思っています。
話は変わって私が日本の映画業界で働いていた時の話ですが、彼等は自分達を一流の芸術家だと思っていると私は感じました。実際アニメやゲームの仕事経験があると言うと馬鹿にされたりもしました(少し昔の話ですが)
そして彼等の大半は革新性よりも模倣を重視します。何度黒澤明が撮ったシーンを撮りたい。と聞いたか。何度スコセッシのあのシーンがやりたい。と聞いたか。
私には、彼等は謂わば模写こそが至高と考えている技術オタクでしかありません。リファレンスは大事です。学術的な正しさも大事だと思います。しかしそれで作る物がただのコピーでは意味がないのです。
黒澤明監督は当たり前ですがお会いしたことはないですが、たまに聴いた当時の話ですと「漫画家」の様な人だなと言うのが私の印象です。
娯楽映画作品監督と言うには完璧主義すぎるかなと思いましたし、芸術性よりは「俺が撮りたいと作品を撮る」と言う様な割と自分本位な話をよく聴きました(それも正直本当の話か分からないのですが)
龍様、
連続で返信で大変申し訳ないのですが、もしかしたら黒澤明の圧倒的評価が映画業界の一番の悲劇なのかも知れません。
「この世界の片隅に」みたいなアプローチもあるのでは?
アニメより実写の方が低予算でもやりようがあるような気がするのですがね。
まあ、見たくなるトレーラーを作れないような実力ならどうしようも無いですけど。
好きなら好きなものをまず作ればいいのですよ。他人の金などを当てにせずに。
映画ではないですが尾崎放哉や種田山頭火の俳句が公的助成から生まれ得たというと疑問です。
根拠はないですが、一定の制約があった方が芸術作品にしても工業製品でも実は傑作が生まれやすいと思っています。
まあアニメでも実写でもどちらでも◯◯監督の新作まだ〜?と思われる様な監督になる方が先でしょう。
あたしは、商業ベースに乗らない文化的な営みに公的なお金を投入すること自体はアリだと思うのです♪
ただ、そのためには、補助するに値するって国民的な合意は必要だと思うし、多くの人に不愉快な思いをさせておいて「お金は出せ。口は出すな」みたいな態度のものには補助を出すなんてのは論外だと思うのです♪
ただ「映画」が補助に値するかは、あたし自身は、映画をあんまり見ないので、正直なところ良くわかんない、・・・というか、あんまし必要性を感じないのです♪
ただ、ご紹介頂いた記事を読んで感じたのは、深田氏の主張は、公的な援助を求めているんじゃなくて、
「日本には『公的な援助』も『寄付』も殆ど無いし、『企業などの出資』も娯楽大作に偏りがちな中で、クラウドファンディングという新しい資金調達の方法を模索している。それは、そこそこ映画監督として成功した自分の義務なんだと思っている。」
ということなんだろうと思ったのです♪
フランスや韓国の例を出しているので、羨む気持ちや自分たちも公的な資金が欲しいという気持ちも無いわけじゃないとは思うけど、国に求めているのは、映画の製作者への直接的な資金提供よりも、大手映画会社が映画館チェーンを持つことへの規制なんだと思うのです♪
もっとも、こっちの主張の方は、東宝みたいな大資本がある一方で、100を超える小さな映画館もあるんだったら、その必要性には、ちょっと疑問を感じるのですが・・・・
(大手映画会社が映画館チェーンを持ってなければ、算盤の合う娯楽大作以外にも資金を提供するようになるって理屈にはならないと思うから、映画館間の競争が論点と思って書いたけど・・・・正直なとこ深田氏が米国の制度を持ち出した意図は良くわかんないのです(T_T))
そんな訳で、新宿会計士様のいう
>「映画文化」を理由に、公的な資金をあてにしようとする姿勢には、どうにも賛同できないのです。
という部分には、一般論としては賛同できるのですが、深田氏に対する論評としては、ちょっと違うのかな?って思ったのです♪
独断と偏見ですが、制作者の偏った考えに基づく物語をお金を払ってまで見たいかと言うことに尽きるのかと思います。そう思える人が観れば良い。
小生は、映画は、鑑賞した後に、見る人が何某かの感動や、共感があるからこそお金を払うのだと思います。
多くの人がそう思わないのであれば、ヒットしない、従って収益に繋がらない、と言うことかと。
公の補助金が無ければ成り立たない様な作品はそれだけのものだと。そこに込められた思想なり、考え方に共感できる人だけが作るなり、見るなりすれば良いと。
仏教は、江戸時代の檀家制度によって立場と収入が保証された結果、宗教としての性格を失いました。その危険性を認識しての深田監督の発言なのか、疑問に思います。
現在の芸術一般について、保護されないと滅ぶ、社会的立場と公的資金がなければ立ちいかない、としたならば、それは芸術としての存在を諦める頃合いだという事ではないでしょうか。広く、短く、猥雑な芸術の世界から、細く、長く、静謐な伝統芸能の世界へと隠棲する、それで芸術家本人がよいというのならば、それでよいと思います。ただその場合、もはや「芸術家」を名乗るべきではないのかもしれませんが。