「小中学生が医療機関に大量の折鶴」、拭えない違和感
先週、『福井新聞オンライン』というウェブサイトに「折鶴」に関する話題が出ていました。これによると、福井市内の小中学生らが約1ヵ月の時間をかけ、34万羽にも達する折鶴を作り、それを医療従事者に送るつもりだ、というものです。思わず目を疑います。たしかにそれを作る労力は大変なものですが、「もらった人がそれを喜ぶ」とは限らないからです。
折鶴34万羽
少し前から気になっている話題がひとつあります。
今から約1週間前、『福井新聞オンライン』に、新型コロナウイルス感染症の対応に当たる医療従事者に感謝を伝えようと、福井市内の小中学生らが1ヵ月をかけて34万羽にも達する折鶴を作った、とする話題が掲載されていました。
医療者に感謝の折り鶴34万羽、福井/小中学生手作り、ギネス記録上回る
―――2020年8月24日 午前7時20分付 福井新聞オンラインより
これによると、発案したのは市内のある中学校の生徒会で、市PTA連合会を通じて加盟校などに呼び掛け、市内のほとんどの小中学校が参加。折り鶴と合わせて呼び掛けた募金とともに、福井市医師会を通じて医療機関に贈る予定、としています。
誰か止めなかったのでしょうか。
職場に子供たちが作った折鶴を飾るとたしかに美しいかもしれません(※このあたりは好みの問題もあるでしょうが)。しかし、冷静に考えて、折鶴を作ることが感染症を予防するうえで、具体的になにか役に立つものなでしょうか。むしろ保管場所に困るなど、医療現場に負担を与えたりしないでしょうか。
どうやって使うのでしょうか?
この点、個人的に医療現場の事情に詳しくないため、「折鶴をもらうと医療関係者は困ってしまうのではないか」という仮説は、当ウェブサイトなりに勝手に述べているものです。なかには「うちの医療現場は大量の折鶴大歓迎!」などとする医療現場があるのかもしれません。
ただ、自然に考えて、一般に大量の折鶴を送りつけられると、それらを受け取った側が困惑することも多いような気がしてなりません。詳細については伏せますが、著者自身も大災害に際して送られた莫大な折鶴に直面し、途方に暮れた経験があります。
また、東日本大震災や阪神・淡路大震災などの大災害が発生した際には、現地に「支援物資」と称して、使い物にならない古着や賞味期限切れのおにぎりなどとともに大量の折鶴が送られ、いずれもただでさえ多忙な現地の自治体はさらに混乱し、その扱いに困惑した、などとする話もよく耳にします。
もちろん、折鶴を作ってくれている人たちは純粋な善意でそれをやってくれているので、無碍に「要りません」とは言い辛いでしょう。ましてやメディアの目があるなかで、それを拒絶すれば、
「せっかく小中学生が作った折鶴の受け取りが拒否された」
などと一部メディアが喜んで報じるのは目に見えています。
正しい「エネルギーの出し方」が大事
いずれにせよ、この手の話題を「美談」として報じるメディアには、辟易します。
記事では何人が折鶴に参加したかが明記されていないのですが、34万羽ということは、たとえば1000人で分担して作ったならば1人340羽、という計算です。しかも、単に折るだけでなく、それらを数えてつなげる、といった作業も必要でしょう。
約1ヵ月かけて折鶴を折るのは大変な労力でしょうし、また、今回集まった34万羽は「ギネス記録(33万羽)を上回る」分量に達したのだそうですが(※ただしギネス記録認定にはカネが掛かるので、申請しないのだそうです)、その膨大な努力を、もう少し他のことに向けられなかったのかと思います。
この点、福井新聞オンラインの記事では、関与した生徒会の会長が「学校行事や大会の中止で出せなかったエネルギーを出してくれたんだと思う。福井の底力を実感した」などと述べたのだそうですが、それは「正しいエネルギーの出し方」とは言えません。
もしも小中学生が医療関係者にエールを送るつもりで何か努力をするならば、一番良いのは、勉強することです。勉強して知識を蓄え、ある人は医療従事者に、ある人は学者に、ある人は政界に、ある人は官界に、ある人は民間企業に就業し、社会をより良い方向に変えていくことではないでしょう。
そして、「正しいエネルギーの出し方」を指導するのが大人の役割であり、本来の教育です。ここでは「発案した」とされる中学生よりも、これに関係した教師や保護者がいったい何をしていたのか、という点については、非常に興味深いと思う次第です。
本文は以上です。
日韓関係が特殊なのではなく、韓国が特殊なのだ―――。
— 新宿会計士 (@shinjukuacc) September 22, 2024
そんな日韓関係論を巡って、素晴らしい書籍が出てきた。鈴置高史氏著『韓国消滅』(https://t.co/PKOiMb9a7T)。
日韓関係問題に関心がある人だけでなく、日本人全てに読んでほしい良著。
読者コメント欄はこのあとに続きます。当ウェブサイトは読者コメントも読みごたえがありますので、ぜひ、ご一読ください。なお、現在、「ランキング」に参加しています。「知的好奇心を刺激される記事だ」と思った方はランキングバナーをクリックしてください。
ツイート @新宿会計士をフォロー
読者コメント一覧
※【重要】ご注意:他サイトの文章の転載は可能な限りお控えください。
やむを得ず他サイトの文章を引用する場合、引用率(引用する文字数の元サイトの文字数に対する比率)は10%以下にしてください。著作権侵害コメントにつきましては、発見次第、削除します。
※現在、ロシア語、中国語、韓国語などによる、ウィルスサイト・ポルノサイトなどへの誘導目的のスパムコメントが激増しており、その関係で、通常の読者コメントも誤って「スパム」に判定される事例が増えています。そのようなコメントは後刻、極力手作業で修正しています。コメントを入力後、反映されない場合でも、少し待ち頂けると幸いです。
※【重要】ご注意:人格攻撃等に関するコメントは禁止です。
当ウェブサイトのポリシーのページなどに再三示していますが、基本的に第三者の人格等を攻撃するようなコメントについては書き込まないでください。今後は警告なしに削除します。なお、コメントにつきましては、これらの注意点を踏まえたうえで、ご自由になさってください。また、コメントにあたって、メールアドレス、URLの入力は必要ありません(メールアドレスは開示されません)。ブログ、ツイッターアカウントなどをお持ちの方は、該当するURLを記載するなど、宣伝にもご活用ください。なお、原則として頂いたコメントには個別に返信いたしませんが、必ず目を通しておりますし、本文で取り上げることもございます。是非、お気軽なコメントを賜りますと幸いです。
コメントを残す
【おしらせ】人生で10冊目の出版をしました
自称元徴用工問題、自称元慰安婦問題、火器管制レーダー照射、天皇陛下侮辱、旭日旗侮辱…。韓国によるわが国に対する不法行為は留まるところを知りませんが、こうしたなか、「韓国の不法行為に基づく責任を、法的・経済的・政治的に追及する手段」を真面目に考察してみました。類書のない議論をお楽しみください。 |
【おしらせ】人生で9冊目の出版をしました
日本経済の姿について、客観的な数字で読んでみました。結論からいえば、日本は財政危機の状況にはありません。むしろ日本が必要としているのは大幅な減税と財政出動、そして国債の大幅な増発です。日本経済復活を考えるうえでの議論のたたき台として、ぜひとも本書をご活用賜りますと幸いです。 |
小中学生の好意になんてことを!と言われるんでしょうが、はっきり言って、迷惑です。
こういう時こそ、大人が「相手の立場に立って考えてみては?」とかいうべきなんでしょうが、最近の教師はモンペ怖さもあってか、美談っぽいことには迎合しかしないんでしょうね。
リンク先を辿ったら、体育館の床全面に拡げられた千羽鶴の写真を見ることができました。
福井市内の小中学生達がしたかったことは、医療関係者に感謝の意を示すことだったのか、はたまたギネス記録を出すことだったのか、どっちだったのだろうと考えずにはいられない光景でした。
このような善意は難しい問題ですね。まして教育というスタンスも含む事案であれば尚更でしょう。募金も送られていることが救いかもしれませんが。
医療機関への励ましという本来の目的のほかに、小中学生であれば折る人自身の癒し、感謝の意を伝えられる手段を得たこと自体が、子供たちのモチベーションや力になっているように思います。
この話で想い出しましたが、広島では毎年大量に送り付けられる折り鶴を再生紙としてリサイクルしているとか…。
もしかして、家庭の事情や他校との競争が起きない分野でしか活動ができないという暗黙の掟みたいなものがあるのではないかと考えてしまいます。
(募金は家庭の収支に影響するし、授業に力を入れるのは、学校間の学力へ影響が出る)
精神的充足のみの教育は止めて欲しいと考える次第。
(当該記事の件は知っておりましたが、コメントする気にもならなかった)
「気持ちはありがたく、受け取っておくニダ。」と言っても、置き場に困るニダ。
思い出には、なりそうだから、全否定はしないニダ。
これで、将来お医者さんや、看護師さんになろうと思う人も、きっといるニダ。
指導した教師の社会常識を疑う事態ですね。
以下、学校教諭の皆様には無礼・失礼なことを申し上げます。予めお詫び申し上げます。
学校の先生は、学校を卒業したら直ちに学校に戻る人たちです。学校しか知りません。社会常識を身につける機会は少ないので、人によってはアレなことになりやすい職場環境です。いわゆるモンスター・ペアレンツから厳しい批判を受けることはあるでしょうが、非常識 vs 非常識な構図も起こりえます。人間的生長に繋げられないこともあるでしょう。
学校教諭を養成する教育機関と言えば、各県に設置された国立大学(いわゆる駅弁大学)の教育学部その他の教員養成課程です。ぶっちゃけ、偏差値50程度なのです。人間的には善良かもしれませんが、知能的には凡人です。
私はPTA役員として多くの教師と関わる機会を得ましたが、率直に言って知的好奇心を刺激された先生は希でした。仕方が無いことです。
この状態を改善するには、学校を、より優れた人材が集まる魅力的な職場にする必要がありますが、ご存じの通り、学校は長時間労働を強いられるブラック職場です。変な親が結構いて、対人ストレスも大きく、余り魅力的とは言えません。
教育予算も、OECD加盟国の中では低位です。
https://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/hpab200901/1295628_005.pdf
かといって、増税の口実に使われるような教育予算の増大は困ります。
だったら、正しい「エネルギーの出し方」の一種として、生徒達の生産物を地域に販売し、学校が独自に使える予算を増やすように規制緩和しては如何かと思います。
それから、学校給食食堂はどうでしょうか。給食の原価はおよそ200円から300円らしいですが、これを500円程度で地域住人が学校で食べらられるようにします。数量管理の面から予約制ですね。今の給食は美味しいですよ。
また、部活動の指導者は、地域の経験者を募集するなどして、先生方の負担を減らすことも、もっと盛んにしていただきたいと思います。
正しいエネルギーの使い方ではないとしても、もしかしたら新型コロナの影響で、小中学生の余暇の過ごし方としては、次善の策、だったかもしれません。
でも、結果として出来上がった大量の千羽鶴は、もはや産業廃棄物レベルw
現物そのものを贈るより、写真に撮って額にでもして「感謝の千羽鶴34万羽○○小中学校生徒一同より」くらいにしては?
実物はリサイクルに回すしかないと思いますがね。
写真入りの感謝状が一つ増えるくらいなら、喜んで受け取ってもらえると思います。
独断と偏見かもしれないと、お断りしてコメントさせていただきます。
(なにしろ、私はひねくれていますので)
(他国のことは良く分からないので日本に限らせてもらいますが)日本の場合、目的を実現するための手段が往々にして目的になってしまいます。だから、感謝の気持ちを表す折鶴が、作ること自体が目的になってしまったのではないでしょうか。
駄文にて失礼しました。
記事から読み取る分には「34万羽が1列に繋がった」もののようですね。写真のもの(体育館に並べ置き)を搬出できるとも思えないので、病院には送っていない?であれば学校内で済ませたものということで、送り付けるのであればおい待てやめろという所ですが、それなりに良いやり方だったのではないかなと。体育館自体もコロナで使用していないのかな?詳細は有料記事っぽいので未確認です。
「折り鶴と合わせて呼び掛けた募金は、福井市医師会を通じて医療機関に贈る」
記事中のこの部分が、折り鶴も募金も医療機関に贈るのか、募金だけ贈るのか、少し迷いますね。
多分あれを病院に送りつけられたら、病院が満艦飾りみたいになってしまいます。
募金を贈るだけなら医療機関もそれほど困らないのではないでしょうか。
折り鶴はコロナ禍の中、とにかくみんなで一つの目標に向かって何かやりたかったのだろうと。自己満足のためと言われたらそれまでですが、折り鶴を自分の所で片付けるのであれば、まあ好きにしたらと言う所です。
折鶴と募金とを共に募集するのですから、募集で集まった折鶴を贈らないことは(衛生的な問題への理解に欠け情緒的な市民感覚に基づく一般社会の)常識から考えて有り得ない。
調べてみたら折り鶴は希望する病院や学校などに贈られる様ですね。
https://www.google.co.jp/amp/s/www.chunichi.co.jp/amp/article/92746
発案した生徒会の方々は「私は折り鶴プロジェクトを成功に導いた」と自己アピールのネタができて良かったんじゃないですか。
付き合わされた側はどう思うかは知りませんが。
たい 様
追加情報ありがとうございます。一方的に送り付けるのではないようで何より。
……あとはどこも受け取り希望が出ずに持て余して子供たちが途方に暮れたり、それを見越して受取希望の同調圧力がかからないと良いですね。病院はむしろコロナ感染症配慮のため~と断りやすいでしょうか。
大人たちの責任は、着地点探しで果たしてもらいましょう。
資源の無駄遣いですね。
グレタさんこういうのには噛みつかないんでしょうか?
「紙をムダにするな! 紙を作るためには木を切る必要がある! 木を切ると二酸化炭素の吸収量が減る!」と。
中華コロナという感染症が大問題になっている時に、よりによって医療現場に多人数の人手による=感染者が触れた可能性が高い代物を応援目的で寄付するというのは、応援にならないとか単なる迷惑を通り越して、医療現場に不要な危険性をもたらすことになると、教師も報道関係者も父兄も誰も気づかないという情緒先行で冷静なロジックが欠落している現実こそが恐ろしい。
まあ今回の件に限らず普段から言葉尻には拘っても内容や意味を考慮せず本当の意味で論理的とは言い難い我が国の国民性からはこの手の情緒優先・ロジック無視の行動はさほど珍しいことではないのが日本国民の一人として悲しいですが、それにしても今回のは酷すぎる。
ヤらない善よりヤる偽善。
まぁ、そうは言っても明らかに「他の誰かにとって良いこと」になるかどうかを考えないのは善悪以前にただの愚か者としか。
自分らの満足感を満たす以外に良いことなんか無いでしょうに。
一般論としては感謝の気持ちを伝えるってのは良いことだと思うのです♪
34万羽って、どのくらいの量になるのか分かんないけど、体育館いっぱいの折鶴がひとつの病院に持ち込まれたら、置き場所とかに困るというのは想像できるのです♪
さすがに、全部を一箇所に持ってくことは考えてないだろうけど、
常識的な数にするとかの配慮は、周囲の大人が教えるべきだったんだろうなって思うのです♪
沢山の物を配分するにも人手がいる訳で、ちゃんと小分けにして、それぞれの医療機関に分配するみたいな節度は持ってると信じたいのです♪
あたしは、医療機関の迷惑も考えずに、親御さんや先生たちは何をしてるんだろうと思ってコメントしたのだけど、皆さんの意見を読んで、また少し時間を置いてみて、周囲の人には医療機関の方も含まれるのかなって思ったのです♪
もし、受け取る側が迷惑だと思わないならそれでも良いし、迷惑だと思ったなら「ありがとう♪気持ちは嬉しいけど、これこれの理由で受け取ることはできない」と教えて上げても良いのかなって思ったのです♪
地獄への道は、悪意じゃなくて善意でできてるとも聞くけど、善意がまったくないのも味気ないのです♪
教育関係者でも医療関係者でもない、部外者の戯言失礼いたしました
m(_ _)m
わたくし北関東に住んでおります。都会は知りませんが田舎でPTA会長になるような方は自営業の方や地元の名士が多いです。そういう御仁の奥さんなんかが取り仕切るとどうにもできません。刃向かう者は村八分。おそらくその企画もそのような境遇で生まれたのだと思います。父兄は数年の付き合いでさよならですが先生は辞めるまで次から次へと付き合うのですからお気の毒です。
以外と冷静なのは子供達なんですけどね。
会計士様のあえての厳しいお言葉ですね。
そういえば数ヵ月前、情報番組に取りあげられていた話題。
コロナが流行りはじめてマスク不足だったころ。コールセンターで働く人たちのために友達とSNSでアイデアを出しあってマスクホルダーを作って寄付したという高校生。世の中のためになることをしたいと以前から考えていたという。制作費はデザインコンテストの賞金から出したそう。
シブ5時で紹介されていたのをみました。
こんなことを考える高校生がいるんだなぁ、と本当に感心しました。
自分の高校生の頃とは比べ物にならない。SNSでやり取りしながらの制作というのにも時代の流れを感じました..。
更新ありがとうございます。
折鶴を34万羽。途方もない数字ですね。私もひねくれているので、貰っても迷惑だろうなと思います。病院に送ったとして折鶴に、もし何らかのウイルスが付着してたら大ごとです。
それに病院にそんなスペースの余裕はありません。すべて機能優先、患者優先の構造です。今時コロナで面会禁止の病院が多いのに、要らぬモノを送って、何をしたいのでしょうか。
折鶴を誰が「いつまで飾っておくように」という指示を出すのでしょう?小中学校や福井の教育委員会は、どなたが音頭を取り、まとめたのか。まさか子供達の声だけで動いた訳ではないでしょう。見識を疑いますね。
それよりも、まずは募金です。例え10円でもいい。50円ならなおいい。子供達もそれぐらい持ってます。無い児童は出さなくて良い。「○○君は0円か」なんてイジメにならないようボンクラ教師が配慮すればいいだけです。
このあとは教育学部出身の方には叱られる私見です。見ないか、何卒ご容赦ください。
上で阿野煮鱒さんも言われてますが、都市圏でも地方県でも、国立大学の学部生で頭の出来が一番低いのが教育学部です(一番高いのは医学部医学科)。この二つは同じ大学とは思えないほど差があります。
但し最近はなんちゃら環境学部、ナントカ保健学部のような専門職養成課程みたいな学部もありますので、一概には言えなくなりました。
まあ、教員養成課程なら偏差値は50前後でしょう。で、大学全体のイメージダウンになる。その為、名のある大学は総合大学でも教育学部を外しにかかりました(一部は除く)。
「○△教育大学」に分離したのです。その動きは30年ほど前に終わり、聞いた事ない教育大学、体育大学が地方にあるわけです。
それでも社会人として、1年でも2年でも「丁稚奉公」してたら人として幅が広がるのですが、イキナリ22歳で「先生」と言われて勘違い人間を量産するのです。
最終的な落ち着き先は教育委員会でしょうか。知り合いでもロクな奴いません(爆笑)。この折鶴事件も、そのヘンの頭でっかちがやらかした気がしますね。
医療従事者の立場で書かせてもらいますと、折鶴を送るのは迷惑どころかバイオテロです。誰が触ったかわからない、誰がきちんと手を洗っていないのかわからないのにベタベタ触って作ったものを病院に飾るなんてとんでもない。それにコロナが付着してたら感染の温床になります。
口先だけの応援は要りません。何の役にも立たない道具は邪魔です。例え叩かれようとも、善意の押し売りなど願い下げです。
医療従事者の負担を増やす事が無いよう、うがい手洗いの習慣付ける、集・近・閉を避ける、と言った基本的な事を守り、友達や家族に守らせて欲しい。そして医療従事者の子だからという理由で差別されている生徒を守って欲しい。
それだけで十分です。
あろ、平和教育を含めて思うのですが、願いを込めて折鶴を、ってのはそろそろ止めにしませんかね?何の意味もありませんし、資源の無駄です。願いを込めたければ神社仏閣にでも行って下さい。
流石に医療機関には送りつけないってTwitterのかきこみ(中の人っぽい)を見たような記憶です。
であれば問題は記事にしてしまった報道機関かなぁと。ギネスを超えるとか煽りまで入れちゃったのは最悪だと思います(ギネス申請などの動きもないそうです
千羽鶴については必ず贈ったら撤去まで責任持つって文化さえ常識となれば、大量になりすぎない限りは良いのかなぁとか思ってます。
もしくは、これを文化としてはなくしたいのであれば「千人針を思い起こさせる!」とか騒ぎを起こすのも手ですけどね(あちら界隈のやり方)
折り鶴といえば、以前ローカル紙で『甲子園予選と千羽鶴問題』に関する問題提起が掲載されていたのを思い出します。
なんでも、野球部の甲子園出場祈願のため生徒達が千羽鶴を折り、戦って負けた方の学校が「俺たちの分まで頑張ってくれ!これを託すから!」と勝者にそれを預け(ここで元々持ってた千羽鶴+1)、次の試合で負けたら対戦相手にそれを渡し…を決勝戦まで繰り返していくと、最終的に結構な量になるし、物理的にもメンタル的にも負担が大きいので、こういった風習控えませんか?的な内容だったと記憶しております💧一部の地方の問題なのか、全国各地で似たような状況が発生しているのかが気になるところではあります。
断言できる
諸悪の根源はヒロシマだよ
聞いてるだけですよ。
申し訳ない、何かおかしな返信になってたので、もう一度返信します。
ヒロシマのせいってのはあながち間違ってないと思います。私自身被爆二世で広島市出身で広島市在住でいわいゆる「日教組」による平和教育を幼いころから叩き込まれて来ました。資源の無駄遣いは止めましょうとか言いながら折り鶴を作れとか子供でも分かる意味不明な教育だったのを覚えています。「日教組」に隠れた「原水禁」「原水協」両方とも共産党や社会党の隠れ蓑だと気が付いたのはずいぶん歳をとってからです。奴らは本当に巧妙に日常生活に自然に潜り込んできます。自分の周りには微力ながらも啓発をしておりますが、奴らはまだまだしぶといですよ。駄文にて失礼します。
コメント失礼します。
「善意に間違いはないが、善意から生まれた行動が正しいとは限らない」
ブルーインパルスに文句を言った人は、子供の折り鶴にもちゃんと文句言って欲しいですね。紙と子供の時間と労力を無駄にしたのだから。
鶴でも千枚通しでも、お互いが価値が有ると信じていなければ迷惑行為。
ペットボトルのキャップ回収や缶のプルトップ回収の活動は実際にはエコでは無いのに「エコ精神を養う為」という名分で行うオナニー行為と一緒ですね。
余ったエネルギーを発散するにしても発散方法をしっかり検討しろよ、と。
クロワッサン様
うちの地元では、昨年度でペットボトルキャップの収集やってるところが無くなりました。小学校で聞いた話では、回収業者が「そこまで手が回らない」と言ってきたのが廃止理由だそうです。近郊の他の小学校や公共機関でも一斉に回収箇所が無くなってたようなので、これも似たような事情でしょうか?
まあ、ガソリン代とか諸経費考えると、ペットボトルキャップのためだけに回収行くのは確かにコスパ悪いでしょうねえ(-ω-;)。
「エコキャップ」と「ベルマーク」で検索するといろんな面白い文章が読めますよ。
なんというか・・・
無味乾燥な意見が多いなあという印象です。
「子供が頑張った」ってだけでまともな大人なら何でも嬉しいと思いますけどね。
入院してる患者さんの気分転換にもなるでしょうし。
名無し さん
頑張る事自体が目的化したら、目的地とは真逆の方向に進む努力でも称賛される事になって、其れは頭が悪過ぎるだろう、ってだけの事だと思います。
自己レスです。
24時間テレビが「障害者ポルノ」と認知されて数年経ちますが、此の件も単なるポルノだって事で。
子供のすることにどれ程期待しているのでしょうか。
はっきり言って、一般市民が直接的に医療従事者の力になることなんてできないですよ。
飾り気のない廊下が少し明るくなった、この程度が精々ですし、それで十分だと思います。
病院には免疫力が低下した患者さんがたくさんいます。折鶴のようにコロナやインフルエンザなど、感染症の温床となる物を持ち込み、それから感染が拡大したら、ただでさえ過度な負担がかかっている医療従事者にもっと負担をかける事になります。
本当に応援する気があるのなら、相手が求めているものを送るべきであり、求めていないものや嫌がるものは送ってはなりません。
作ったのが子供だろうと大人だろうと関係ありません。求めてないものを作って送るのはただの自己満足です。それなら何もしてくれない方がましです。自己満足の人達に対応する手間が省けますから。
> 飾り気のない廊下が少し明るくなった、この程度が精々ですし、それで十分だと思います。
あなたは医療従事者ですか?
医療従事者でないとすれば、そう思うのも仕方ないかな、と思います。ただ、医療従事者が折鶴を喜ばないのは、患者さんの命や健康を守るためのちゃんとした理由があるという事をご理解下さい。廊下が少々暗くたって問題はありませんが、変なものを置くと患者さんの命に関わる恐れがあります。
例えば、飾った折鶴が床に落下したら、それに足を滑らせて骨折や脳挫傷を起こす患者さんも出ます。医療従事者は忙しいので、折鶴が落下してないか四六時中チェックする余裕などありません。ですからイベントの時は別として、落下の恐れがあるものはなるべく廊下に出さないようにしてます。
ですから、折鶴を送る事よりも、何もしない事の方が、「それで十分」と言えるのです。
もし医療従事者であったとすれば、院内感染や院内インシデントについて一から勉強し直して下さい。プロがこのような危機感のない、無責任な事を述べてはなりません。
院内感染は患者さんを殺しますし、終息させるまでに多大な労力と時間を必要とします。だから感染源になり得る物は元から断たないとダメ。
この時勢で折鶴を送る、院内に飾るなど狂気の沙汰。バイオテロ以外の何物でもありません。
医療従事者ですが、そこまで目くじら立てることか?と思いますね。折鶴が感染症の温床になる←そもそもこれ何のエビデンスもないですよね。掲示されたらベタベタ触るような物でもないですし、そんな小さなリスクまで考慮するなら外来診療なんてできないですよ。
落下を恐れるなら、職員の待機室に掲示するとか、折り鶴の下をロープで区切って入れないようにするとか何とでもやりようありますよね。折り鶴を否定したいが為に視野狭窄に陥ってはいませんか?
名無し さん
>落下を恐れるなら、職員の待機室に掲示するとか、折り鶴の下をロープで区切って入れないようにするとか何とでもやりようありますよね。折り鶴を否定したいが為に視野狭窄に陥ってはいませんか?
そういう措置を取らないといけないものを「善意」で作って贈るから駄目なんだって事で、もう学校に飾ってしまうのが一番なんじゃないかと。
名無し 様
> そんな小さなリスクまで考慮するなら
それが感染源になったと後で判明した時に病院へどんなダメージを与えるのか、わかって言ってますか?
> 職員の待機室に掲示するとか、折り鶴の下をロープで区切って入れないようにするとか
職員の待機室がコロナの院内感染爆発の原因になってたケースは多々ありますが、知らないようですね。
折鶴の下をロープって、患者さんの搬送や配膳のカートの通り道でそれをやる気ですか?
> 折り鶴を否定したいが為に視野狭窄に陥ってはいませんか?
折鶴が問題じゃありません。不潔な手で作られた物を持ち込む事が問題です。
あなた、本当に医療従事者ですか?
「院内感染や院内インシデントについて一から勉強し直して下さい」
これ以上何も言う事はありません。
そこまで言うなら、インスタで検索すれば院内の写真を見れるので、実際に見てみてはいかがでしょうか。
随分と冷たい医療を志されているんですね。
名無し 2020/09/01 11:05 11:05さま
私のITスキルでは、まったく見つけられませんでした。
掲示している写真のURLを教えてください。
体育館に並べられたのを見た時の印象は、警察が押収した大量のエロDVDとか麻薬とか下着泥棒の証拠品を武道場で並べて公開した絵図www
りょうちん様
私も折り鶴自体は見つけておりません笑
まだ完成したばかりですしね。
ただhttps://www.instagram.com/p/CCvK_FzH3Do/?igshid=7j482u3avy0b
とか①手作り②廊下に掲示 という点で折り鶴と同質のものであると思ってます。
平面物はいいんじゃないですかね。
折り鶴はふつうに困ると思いますw
だいたいは子どもの自発的な「頑張り」に見せかけた大人たちの画策だったりするわけですよ。
例えばですね、私が農作業中に道行く子供が「お野菜大好き、頑張ってねー^^ノシ」などと声をかけてくれるなら、別に役に立たなくてもとてもうれしいのですよ。しかし、大人に引率された大量の児童が農民さんのために畑でお歌を歌いましょう!と言い出して圃場内にドカドカ入って整列始めて歌われても「お、おう…ソココレカラツカウンダケド…」となってしまいます。そして後日「あれって、畑で歌った人数ギネス記録だったみたいよ、申請してないけど。」なんて言われたらもうね。
どうやら圃場侵入はしない(折鶴の寄贈は希望制)でメッセージ発信に留めるようなので、あまり懸念する程ではないようですが。
「感染症問題下にあってよりによって手折りの折鶴」というインパクトと、子供へではなく大人の指導への批判、さらに言えば病院に寄贈したのかしてないのかよくわからない報道と、むしろ子供の頑張りを空転させたせいで過熱してるんだと思いますよ。
にっこりと受け取って即座に「お炊き上げ」してあげると、努力ってなんだろうって教育になって、そこまでがセットだと思いますw
文革でも紅衛兵の若者はとてもとても頑張りましたよw
最近遅ればせながら「三体」を読了したもんで。
多分こーゆう事を勧めた教師は
一次元でしか今を解ってないヒトなんだろうね
今は、それぢゃないよね。3.11の時もやたら
【頑張れ!】歌出たけど。悲しい苦しい時に一番、心に届くのは、そんなノーテンキの歌ではないよ
更新ありがとうございます。
34万羽の折り鶴の折り紙を購入する代金だけで、130万円程度に
なるのではないでしょうか?その金額を寄付するという考えも
あったように思います。
「子供たちの好意を金で計るのか!!」と叱られそうですが
被災地の映像を見ていて、千羽鶴って誰の役に立っているのだろう・・・
と思ってしまいます。自己満足も良いけれど、人の役に立つことを
教えるのも立派な教育だと思うのですが・・・
失礼しました。
「馬鹿の一つ覚え」とか「ありがた迷惑」ってこのための言葉なんでしょうね。こんな意見が言えるようになったのはやっぱりネットのおかげですね。
何とも唯物論的で、「これが敗戦後の左翼教育の成果なのか」という思いです。
普通は、折鶴って祈りを込めておるものですからね。
相手が喜ぶか喜ばないか、相手に即物的に役に立つか立たないかで考えるものではないでしょうに。
残念ながら、左翼などの無神論者が頼りにする科学は実際には万能ではなく、今回の新型コロナウイルス禍に科学は未だ追いついておりません。
その時、子どもたちが「何ができるか」を考えた結果が「祈り」だったのではないでしょうか。
福井県、日本で最も無神論者が少ない県であり、信仰が生きている土地であります。
幸福度ランキングトップ3の常連の福井県、様々なデータでその理由が語られますが、わたしは第一に「心の豊かさ」を挙げたいです。
刑事訴訟で、被害者が加害者を許す件数が最も多い県でもあります。
同業者 さん
感染症対策で日本社会が大変な思いをしている時に、感染症を拡げかねない行為を「善意で」行う事の無意味さの指摘に対して感情的に反発しているだけに思えます。
さすがに相手が喜ぶかぐらいは考えた方がよくないですかね
私、ひねくれているので次のようなことを考えてしまいました。
生徒会長さん(or君)は多分3年生でしょう。コロナで学校行事もなく部活動もなく授業や修学旅行(古典的な単なる物見遊山団体バス旅行型ではなく、班別調査型の研究学習を織り込んだタイプ)も実施されにくい可哀想な状況にあるのが3年生と推測します。
高校受験を考えるとき、都道府県によって調査書の扱いは様々でしょうが、推薦を狙うのであれば、今年の状況は推薦文を書くためのネタが全くみつけられないコマッた年なのです。
そんな中、「医療機関への感謝の気持ちを込めてギネス級の鶴を折りました」というフレーズは担任にとって何粒も美味しさを味わえるシメシメものです。
生徒会長のAさん(or君)はこの大変ななか、千羽鶴を医療機関へ感謝の気持ちをこめて送ることを考えました。
BさんはAさんの発案を実現するために、クラスの皆に呼びかけました
CさんはBさんの呼びかけを学年に広げました
Dさんは実際に千羽鶴を折ることを考え、先生方と相談をくり返しました
Eさんは小学生の弟に話しをすると「ボクも折りたい」との気持ちをしり、小学校の元担任に鶴をおることを伝えました
Fさんは鶴を折るための折り紙を買うことを一生懸命に努力しました
Gさんはいくつもいくつも鶴を丁寧に心をこめて折りました
(以下、無限に続く)
こう考えると、美談ではなくなってしまいます。
これは原爆の日に毎年中高生らが演技力満点に定型文をスピーチする薄ら寒い感覚と同じかな(私だけかもしれませんが)
本来の趣とやるべき事を見失い、考える事を放棄し脳死でパターン化した行動をとることで得る自己満足に他ならないなぁ
私だったら医療従事者に感謝を込めて夜食用のカップ焼きそばUFOを贈りたいですよ。
おはようございます。高校野球の千羽鶴は2~3年前からベンチ持ち込み禁止になってます。ご安心ください。
トンド焼きすればよかったのに。
「応援、感謝してくれる気持ちはうれしい!折り鶴というモノは不要。ぶっちゃけジャマ」という極めて当たり前のことは、多くの子どもたちも気づいているでしょう。
子どもをバカ扱いするべきではありません。気づいているけど「折り鶴はありがた迷惑、やめよう」と言うときの子ども自身が被るデメリットと、医療機関が被るデメリットを秤にかけて、各自は「どうせ飾る場所がないから倉庫に大事に保管と言いつつこっそり捨てているに違いない」と思いながら鶴を折ります。こういう愚かな行為は動き出したら止められないということを、子どもたちは学ぶわけですよ。
もっと言ってしまえば、「発案者がありがた迷惑だと気づかないのは仕方ない、そういう空気読めないやつなだから。でも、迷惑行為とわかってて止めない教師らは大人としてダメな存在だ(大人なのに迷惑とわからんバカはもっとダメ)」となります。社会や大人に対する失望が深まれば、自らが社会で成功することの意義を見失いかねませんし、まともな子供は「教師にだけはなるまい」と思い、判断力の低い空気の読めない自己陶酔人間だけが教師を目指すという悪循環が教育現場を疲弊させていきます。キ○ガイがわけわからんことを言って、まともな人間の精神がひたすら摩耗し続ける。教師たちの中の一部のまともな人も「折り鶴をやめさせることにエネルギー使うよりは、何も考えずに子供に折り鶴を強要したほうが楽。今の子は賢いのでコレが迷惑とわかってても同調圧力で止めるのは大変なことくらいは理解している」と自分に言い訳をするわけです。そうしないとメンタル的にやってられない。労働時間以前の問題で教師という仕事は、どんどんブラックを通り超え、光すら曲げられるブラックホール職場になっていくのです。闇が深いなどというレベルではない。
更新ありがとうございます。2回目です。
あの、酷く非難を受けるかも知れませんが、広島市の原爆の佐々木禎子さんの像も話も、折鶴に重ねて語られて来ましたが、もう75年。禎子さんが亡くなってからも65年経ちます。
未だに新聞やマスコミは、同級生を探し訪ねてコメント貰ったり、「だから日本がいけなかった」「米国が悪い」「原爆の必要は無かった」「折鶴を願いを込めて贈ろう」、、、となって「折鶴を折って贈る、広島原爆には何人たりとも例え僅かでも文句言わせぬ」土壌を作りました。
しかし、これは原水禁や原水協、日本共産党、立憲民主党、新社会泡沫党らの『問答無用』のやり口です。
佐々木禎子さんを慰霊するのは良いとして、毎年鶴を贈らねばならない、原爆を落とされた日本は被害者だ、核は悪だ、改憲も悪だという論理は通りません。ただ静かに安らかに眠れるようにだけしてあげるべきでしょう。
新宿会計士様
お見事なセレクトです。
折り鶴でこれだけ盛り上がるとは。
病院や診療所を建てようとすると、部屋の壁と床の境界を丸くして埃をたまらないようにします。「四角い座敷を丸く掃く」のではなく丸くしておくのです。そこまでしても床の端に埃はたまりますが、折り鶴の折り目に溜まる埃は比較にならないほど多いと思います。
りょうちん様の御焚き上げも名案ですね、ただ先ずマスコミの取材時に陳列して、医療者と患者、学生の並んだ写真が必要なので現在の状況では困難かと思います。
診療所時代に意外と困ったのは、患者さんが描いた絵をお預かりすることです。いつ来院するかわからない患者の絵を常に展示しておくことは診療所内部の雰囲気を固定されてしまうので季節ごとに変える写真パネルと違ってイメージを変えることが難しくなりました。
最近の子供は賢いですから、先生が「どうするのが良いかな?」なんて水を向けても、簡単には乗って来ません。
「折鶴で良いんじゃね」
「金掛からないし」
「新聞が喜びそうじゃん」。
で、千羽鶴になったと思いますww