職業論:人間の究極の幸せは「好きを仕事にすること」
先日の『野党再編、誰のため?有権者よ、政治家の資質を見抜け』では少しだけ「職業論」を取り上げたのですが、読者コメント欄でリクエストがあったので、本稿では時事的な話題から離れ、当ウェブサイトとしては珍しく、「社会人と仕事」について考えてみたいと思います。好きこそものの上手なれ、という格言にもありますが、せっかく仕事をするのならば、「好きなこと」で生きていくというのは非常に幸せなことではないかと思う次第です。
目次
たまには仕事論も…
経済学から見た「仕事と賃金の関係」
先日の『野党再編、誰のため?有権者よ、政治家の資質を見抜け』では、「野党再編」という時事的な話題を取り上げました。
その際、本論と無関係なところで、独断と偏見に基づく個人的な「職業論」を、ほんの少しだけ展開しました。
あらためて指摘しておきますが、もしも人間が経済学のモデルなどに存在する「極端に合理的な存在」だったとしたら、その人は「自分の能力、自分が働きたいと思う時間などに照らし、最も効率的にカネを稼ぐことができる仕事」を選ぶはずだ、というのが、そもそもの疑問の出発点です。
もう少しきちんとモデル化しておきましょう。ここでは、2つの仮定を置きます。
- (A)人間にとって仕事時間は苦痛であり、余暇時間が増えるほど嬉しい
- (B)仕事をしないとカネがもらえないし、人間はカネがもらえるほど嬉しい
当たり前の話ですが、すべての人にとって1日は等しく24時間です。そして、通勤時間や食事時間、休憩時間、睡眠時間、休日などの議論を一切無視し、この24時間を単純に「1日の労働時間W」と「1日の余暇時間L」に分けると、Lは次の①式で定義されます。
W=24-L…①
その一方で、その人の給料が、単純に「時給R×働いた時間W」だけで決定されるとしましょう。このとき、この人が稼げるおカネ(G)は、次の②式で決定されます。
G=RW…②
ここで、(B)式を変形すると、次の③式が成り立ちます。
G=R(24−L)…③
この③式、じっくり眺めてみると興味深いです。
稼ぐおカネ(G)を最大化しようと思えば余暇時間(L)をゼロにするしかありませんし、余暇時間を最大化しようと思えば稼げるおカネ(G)はゼロになってしまうからです。
そして、人々は自身の「効用関数」(LとGの最適配分を決める計算式)に従い、最適な労働時間Wを決定している、というのが、経済学の典型的な考え方なのです。
現実の人間は経済学に当てはまらない!?
ところが、人間、必ずしもこの「効用関数」とやらに従った働き方をしているとは限りません。
多くの人は、「カネにもならないのにやたらと一生懸命働いている」という事例を、ひとつやふたつは知っているのではないでしょうか(自分の周囲にそのような人がいるという場合もあれば、自分自身がそうである、という場合もあります)。
その理由とは、結局のところ、「人間は合理的な存在である」、「労働時間は効用関数によってきめられている」、などとする経済学の仮定自体が間違っているから(あるいは物事を単純化しすぎているから)だと思います。
これについて考えるヒントとして、先日の議論では、とりあえずその入り口として、マズローの「欲求5段階説」を紹介しました。これは、人間には生物としての本能に基づく欲求だけでなく、「人間社会において認められたい」という欲求がある、とする議論です。
マズローの「5段階の欲求」
- ①生理的欲求
- ②安全の欲求
- ③社会的欲求
- ④承認の欲求
- ⑤自己実現欲求
本稿では、この5つの欲求について、学問的に詳しく突き詰めて説明するつもりはありません。
ただ、ごくおおざっぱに分類すれば、人間はカスミを食って生きているわけではなく、やはり、日々、ご飯を食べたり、服を着たり、風呂に入ったりして生きていますし、健康で文化的な暮らしを営むためには、ある程度の広さに家に住み、便利な家電などを揃えたりする必要もあるでしょう(上記①、②)。
さらに、こうした最低限の欲求が満たされたら、今度は「この社会で自分の居場所が欲しい」、「自分がこの社会で必要とされているという実感が欲しい」、という具合に、欲求が次第に高レベル化していきます(上記③、④)。
そのうえで、最終的には「自分自身の潜在能力を最大限に生かし、自分を実現する」という欲求が、上記⑤の「自己実現欲求」なのだそうです。
このマズローの仮説、個人的には違和感を覚える部分もないではありませんが、「カネのためにならない仕事を一生懸命にやる」という人間の行動に対する説明としては、部分的には納得がいくものでもあります。
雇われ人としての生き方
仕事を決める「4つの要素」
ではなぜ、人間の欲求と仕事を絡めて議論する必要があるのでしょうか。
その理由はおそらく、人間にとって仕事とは、1日のうちの非常に長い時間を過ごすものであるとともに、下手をすれば一生涯付き合っていくようなものだからです。
そして、「自分が好きなこと・やっていて苦ではないこと」を自分自身の仕事にできるならば、その人の人生はとっても幸せなものではないか、という気がします。
ただし、現実には、世の中のすべての人々が、「好きなこと」を仕事にすることができるわけではありませんし、現在の自分自身の仕事が「大好き」だと即答できる社会人が世の中の多数派を占めているとは思えません。多くの人は、何らかの妥協を強いられているようです。
とくに、自営業者や起業家などでない限り、たいていの人は会社なり役所なりに入り、雇われ人として働くことにならざるを得ません。
では、その「妥協」とは、いったい何なのでしょうか。また、人々が退職に追い込まれる要因とは、いったい何なのでしょうか。
この点、「新宿会計士」自身は単なる金融評論家に過ぎず、転職コンサルタントでもなければ、心理学者でも社会学者でもありません。しかし、これまでの経験や観察を通じ、人が雇われ人として仕事を続ける理由は、大きく「4つの要素」があるのではないか、と思うようになりました。
それは、①給料(カネ)、②仕事内容、③職責、④職場の人間関係です。
冒頭で紹介した関数「給料=時給×労働時間」は、このうちの①の部分についてしか説明していません。現実には、おそらく①以外にも②~④のような要素が存在するのです。
仕事内容が大事!
このうち、①以外で特に重要なのが、「②仕事内容」の部分だと思います。
これは、その仕事をするうえでの専門性、その仕事をすること自体がその人にとって楽しいかどうか、その仕事を通じてその人が成長できているという実感を持つことができるかどうか、といった側面があり、マズローの「欲求5段階説」でいうところの「⑤自己実現欲求」に相当するものでしょう。
あるいは、その仕事を通じてその人が成長していけるならば、時間あたりで稼げるカネも増えますし、仕事を通じて多くの人の尊敬を集めることだって可能です。
また、「③職責」とは、その人が自身の仕事でどれだけの裁量を持っているか、どのくらいの地位にいるか、という言い方をしてもよいかもしれません。人間、誰だって他人に頼られたり、他人に指図を出す立場になったりすれば、嬉しいと思うものです。
最後の「④人間関係」については、言わずもがなでしょう。
つまり、上記仮説に基づけば、人々が働く動機は、カネだけでなく、仕事内容そのもの、その仕事に伴う職責、人間関係などに大きく依存するのであり、このうちのいずれかに対する満足度が欠けると、その人はその仕事(あるいはその職場)に魅力を感じなくなります。
あくまでも個人的な経験や主観ですが、4つの要素(①給料、②仕事内容、③職責、④人間関係)のうち3つが損なわれると、その人は仕事を辞めてしまうか、あるいは極端に無気力になってしまうか、そのいずれかです。
ちなみにある人物の転職経歴は、次のとおりです。
- とある業界の小規模な事務所に入社したが、仕事のスケールが小さくてつまらないと感じたことに加え、給料も低く、かつ、小さな事務所特有の人間関係に嫌気がさして、2年で退職し、同業の大規模事務所に転職
- 転職先の大規模事務所は仕事のスケールも大きく、残業代を稼ぐこともできたので、給料は倍増したが、業界自体の将来性に限界を感じたため、4年で退職し、今度は他業界に転職
- 転職先の企業では、前職、前々職の経歴を生かしつつ、新たな業務経験を積むことができたが、どうしても自分自身でビジネスを展開したいと思うようになったため、勤務が10年目に入ったことを契機に退職し、独立
ちなみにこの「4つの要素」という考え方については、経営学の本などで学習したものではなく、あくまでも一人の社会人としての視線で、自分自身や他人の転職などの事例を整理するなかで確信に至ったものです。
逆に経営者の立場で言えば、仕事内容ではその人の希望内容に最大限配慮する、職場の人間関係を良好に保つなどの配慮をすることで、給料で報いることが難しい場合であっても、従業員をなんとかつなぎとめることができるのではないか、という仮説が成り立ちます。
(もっといえば、辞めてほしい人材にはそれと逆のことをすればよい、という仮説も成り立つのですが、この点については本稿ではあえて議論しないことにしたいと思います。)
「やりがい詐欺」にはご用心!
ただし、この「4つの要素」、従業員という立場からは、必ずしも良いことばかりとは限りません。
とくに、個人的には職業柄、「こんなに優秀な人が、なぜこの会社で働いているのかな?」と疑問に感じるような事例に出くわすことも多いのですが、そのヒントが、「やりがい詐欺」にあります。
この「やりがい詐欺」とは、「仕事の報酬を仕事で払う」という考え方であり、「この仕事を達成したら、もっと高度な仕事を担当させてやる」、「この仕事を成功させたら、昇格させてやる」、といった形でのインセンティブの与え方です。
この「やりがい詐欺」、必ずしも悪いことばかりではありません。実際に大企業の場合だと、管理職ないし執行役員などに昇格すれば、かなり大きな予算に加え、人事権などの権限などが与えられることもあるからです。
しかし、日本の大企業の場合は、得てして職位をやたらと細かく設定しています。某社の事例でいえば、次のような具合です。
- 新卒から3年目まで→アソシエイト職階
- 4年目以降→シニアアソシエイト職階
- 7年目以降→シニア職階
- 11年目以降→マネージャー職階(早ければ課長などの管理職になる)
- 15年目以降→シニアマネージャー職階(早ければ部長などの管理職になる)
- 22年目以降→エグゼクティブ職階(早ければ執行役員に昇格する)
企業によっては、職階が上がるごとに給料も跳ね上がるというケースもあるようですが、職階や管理職が「名ばかり」というケースもあるようです。
不労所得と起業
おなじ月収30万円でも…!?
さて、ここではもうひとつ、「不労所得」と「起業」についても考えておきましょう。
資産を持っている家庭に生まれた人などのように、何らかの不労所得があるという人が、必ずしも幸せそうな人生を送っているわけではない(らしい)、という事実です。逆に、「好きなこと」を仕事にしている人は、最初の収入が低くても、いずれどこかの段階でビジネスが大きく拡大することがあるようです。
詳しい事情については敢えて説明を省きますが、ここでは仮にAさん、Bさんという2人の人物がいたとしましょう。そして、2人とも月収は30万円という共通点があったとしましょう(税金、社会保険料などについては無視します)。
現代の日本において、月収30万円といえば、高額所得者とはいえないと思いますが、その他の諸条件(たとえば持ち家/公営住宅に暮らしている、それほどカネを使う機会はない、など)によっては、最低限文化的な暮らしを営むことができる水準でもあります。
ただし、この2人の最大の違いは、その収入の源泉です。
Aさんはこれまでの人生でマトモに働いたこともないのですが、先祖伝来の土地を所有しており、その土地を第三者に貸すことで月額30万円の賃料収入を得ています。これに対しBさんは、自分自身が「好き」だと思えるようなことを生業にしており、それで月額30万円の賃料収入を得ています。
この2人、同じような月収ですが、ここで、マズローが言うところの「自己実現」ができているのは、AさんとBさんの、果たしてどちらの方でしょうか。おそらく、100人に尋ねれば、うちの99人が「Bさん」と答えると思います(※これも主観です)。
毎月30万円自動的に振り込まれるのが幸せなのか?
じつは、このAさんとBさん、金額と収入源については、いずれも実在する事例です。
Aさんの場合は、両親が実業家でかつ資産家だったという事情あり、生まれたときから仕事をしなくてもカネが手に入るという環境にいたにも関わらず、第三者的にみて、正直、あまり幸せな人生だったとはいえません。なぜならば、彼は「真面目に努力をする」ということをしてこなかったからです。
たとえば、Aさんは大学を中退していますし、就職をしたこともありません。生涯、無職を貫きました。
そして、マトモな社会人経験もないためか、さまざまな社会常識が欠落しており、他人の保証人になって親から受け継いだ財産の一部を巻き上げられたこともありますし、趣味で高価なバイクや自動車を持っていますが、それらの維持費だけで賃料収入が飛んでいく、ということもあったようです。
さらに、こうした社会常識のなさに加え、晩年は性格がどんどんと粗暴になり、身内や他人に対して理不尽なほどに「キレる」などの行動を取ったため、子供たちからも絶縁され、孤独のうちに人生を終えたようです。
これに対して同じ月収30万円でも、Bさんの場合は興味深い経過をたどりました。
Bさんはちょうど就職氷河期にぶち当たった不幸な世代に属しており、せっかく大学を卒業したにも関わらずまともな企業に就職できなかったのですが、幸いにしてPCのスキルがあったため、ウェブデザイナーとして暮らすことを選びました。
そんなBさんは、苦労人であるはずなのにどこか飄々としていて、月収30万円にも関わらず、たのしげに仕事を続けましたし、何より未来に対して希望を持ち、最新のウェブ言語を積極的に勉強し、トレンドを研究するなどの努力を続けました。
ちなみにBさんの月収が30万円だったのは今から10年前の話であり、現在の話ではありません。というのも、このBさんはその後、自力で会社を立ち上げ、ビジネスを大きく拡大するなどして大成功を収めたからです。
天職に出会える人は幸運
このAさんとBさんの事例、さまざまな示唆があります。
同じ不労所得にしても、自分自身が仕事を通じて稼いだカネを運用するというケースと、先祖から相続した財産(とくに、たまたま昔から所有していた土地や株式が値上がりしたケースなど)を運用するというケースでは、事情が大きく異なります。
この点、親が金持ちで自分自身がちゃんと努力をしていないというAさんのようなケースだと、得てして不幸な人生が待っているように思えてなりません。努力をしないで済む環境というものは、人間を幸せにするとは限らないのでしょう。
これに対し、Bさんのように、「最初は貧しくても良いから、とにかく自分の好きな仕事をして生きていく」というケースもありますが、この場合、「手に入るカネ」は少ないにせよ、仕事でストレスを感じることはないでしょう。冒頭の数式でいうと、「余暇」が24時間あるようなものだからです。
また、Bさんはかつて、「天職は①自分が好きなこと、②自分ができること、③カネになることの3つがそろうことが必要だ」、と述べていたのですが、これなど、じつに示唆に富んだ考え方だと思います。
では、天職はいったどうやって探せば良いのでしょうか。
これについては残念ながら当ウェブサイトとして、読者の皆さま方に、「あなたにとっての転職はこれだ!」と個別具体的なものを提示することはできません。
ただし、一般論としていえば、「雇われ人」として働く際、多くの人にとっては「①給料(カネ)、②仕事内容、③職責、④職場の人間関係」の4つの要素が重要でしょう。
また、起業家・自営業者として働く場合には、「①自分が好きなこと、②自分にできること、③カネになること」を積極的に探すより方法はないのだと思う次第です。
仕事は人生そのもの
さて、本稿冒頭では、「経済学の仮定が正しければ、人々はもらえる給料と自分自身の幸せのバランスで労働時間を決定するはずだ」と申し上げました。
しかし、少なくとも著者自身の経験上、アルバイトや派遣社員などの事例を除けば、「余暇時間」と「賃金」のバランスで労働時間を決定しているという事例は、あまり見たことがありません。
というよりも、とくに最近の若い人たちの間では、会社を過信せず、空いた時間でスキルアップや人材づくりに余念がないようであり、仕事でもプライベートでも全力投球、という人が多いような気がしてなりません。非常に心強いことです。
このため、結局のところ、仕事とは単に「カネを稼ぐ手段」であるだけでなく、「自己実現をする手段」であり、「(苦痛ではなく)楽しいこと」であるべきなのだと思います。もしこの見方が正しければ、人間にとっては仕事とは、人生のお供であり、極端な話、人生そのものでもあります。
もちろん、このような考え方が、世の中のすべての人に当てはまるのかどうかについては、正直、自信がありません。
ただし、「やっていて楽しいこと」を自分自身の仕事にすることができた人こそが、真の意味での「人生の勝ち組」ではないかという点については、多くの人に賛同してもらえることだと確信しています。
本文は以上です。
日韓関係が特殊なのではなく、韓国が特殊なのだ―――。
— 新宿会計士 (@shinjukuacc) September 22, 2024
そんな日韓関係論を巡って、素晴らしい書籍が出てきた。鈴置高史氏著『韓国消滅』(https://t.co/PKOiMb9a7T)。
日韓関係問題に関心がある人だけでなく、日本人全てに読んでほしい良著。
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【おしらせ】人生で10冊目の出版をしました
自称元徴用工問題、自称元慰安婦問題、火器管制レーダー照射、天皇陛下侮辱、旭日旗侮辱…。韓国によるわが国に対する不法行為は留まるところを知りませんが、こうしたなか、「韓国の不法行為に基づく責任を、法的・経済的・政治的に追及する手段」を真面目に考察してみました。類書のない議論をお楽しみください。 |
【おしらせ】人生で9冊目の出版をしました
日本経済の姿について、客観的な数字で読んでみました。結論からいえば、日本は財政危機の状況にはありません。むしろ日本が必要としているのは大幅な減税と財政出動、そして国債の大幅な増発です。日本経済復活を考えるうえでの議論のたたき台として、ぜひとも本書をご活用賜りますと幸いです。 |
仕事が趣味だと言う人を見ると気の毒になります。
一方、趣味につながることを仕事にしている人は生き生きとしていますね。
よく街中でウーバーイーツで食べ物を届けるために走り回っている人を見かけることが多くなりました。また、アマゾンで一日中走り回されているやそれらを管理する獄卒の求人も多くなったように思えます。
街中を歩いたり、最適な行動を考え続けたり出来るとは思いますが。仕事に関連する領域や深みが狭そうで、それは果たして知的好奇心が満たされるのだろうかと疑問に思っています。とりあえず体が動かしたいという健康志向の人には最適だと思いますけど。
たしかに、使命感に燃え、努力することが喜びであれば「より充実した生き様」を送ることができるのでしょうね。
少なくとも、趣味と実益を兼ねた「天職」にたどり着けるのは、そのための努力を”惜しめない人たち”なのだと思います。
大多数は、やりたいことと出来ることを天秤にかけての妥協点が現在の職業なのかと・・。(私もそうです。)
健康第一。無理は禁物。向上心のない生き様・・。
*幸せのカタチは色々あっていいと思っています。
m(_ _)m
趣味を仕事にできれば幸せというのには疑問があります。
私は趣味を仕事に活かすべく、というより若気の至りで、趣味を仕事にしてやろうとその業界の某社に就職しました。
しかし組織と言うのは個人の思いとは関係なく動いていきますし、新卒のアンちゃんにいきなり核心的な仕事が来る筈もなく、自分の思い通りにならない事でフラストレ-ションが溜まるばかり、とうとう会社に合わせるのを優先して趣味を封印する羽目になりました。
趣味を活かして思い通りに仕事をするなら、社長にでもならない限りは無理と悟った次第です。
仕事で稼いだ金を趣味に注ぎ込めるから、辛い仕事もやってられるというものです。
門外漢 様
軍資金調達の手段としての仕事というのが一番多いかと。
(ここ数年の私がそんな感じです)
ボーンズ 様へ
人生半ばで畑違い(趣味と無関係)の業界に転職して、趣味を復活させました。楽しいですww
至言ですね。
好きな事をする(充実した人生を送る)為に、仕事をする(収入を得る)のが多くの人にとっては正解かと思います。
仕事とする以上、様々な制約やしがらみが発生してしまい、好きな事でも嫌いになってしまうケースもありますので。
以前、幸せになる勇気という本を読みました。
たぶん要約すると、「自分がしたことで相手が幸せに思う、と自分が感じていること。」が幸せという結論だったとおもいます。
アミ小さな宇宙人という本では、「愛は宇宙の基本法。
愛は自分から求めても基本出現しない、相手に与えたとき出現する。」だったとおもいます。
やはり仕事をしていて相手が喜んでくれると、嬉しくおもいます。
韓国問題と対極にあると思いました。
構成やパラメーターを弄って結果を追い込んでいく様な仕事は、それ自体がゲームになるので楽しいのですが、出来合いの物を使うだけの仕事はでは楽しくありませんね。
所謂管理職というやつは、どうにも楽しくないです。
インプットに対するアウトプットが十分ではない。
職業柄、知らない分野に行くこともあったけど、やってるうちに楽しくなって来たのでした♪
好きなことなのかは、分かんないけど、お仕事の中で楽しさを見つける事ができてきたのは、恵まれてたんだと思うのです♪
あと、やらかしちゃったことの方が、その時はともかく、振り返ると楽しく思い出せるのは不思議なのです♪
Bさんの月収30万円事業収入あるいは事業所得ではないでしょうか。少なくとも賃料収入では無いような(^_^;)
不労所得があって働かなかったが故に幸福とは言い難い人生を送ったAさんのような事例ですが、若くして不労所得を持つ方のどのくらいの割合がそうなるのでしょうね。
統計は取れないかもしれませんが興味があります。
更新ありがとうございます。
仕事というのは「やっていて楽しいこと」を自分自身の仕事にすることができた人こそが、真の意味での「人生の勝ち組」ではないか、という点には概ね賛同します。
そこに至るまでに、若い方は軍資金を貯める為、また家庭があれば養って行く為に、現在の仕事に打ち込みます。その間は初級職員〜中級管理職として、いろいろな事案にぶつかる事と思います。また、やりたくない不本意な事をあてがわれるでしょう。
転勤なんてのも、そうですね。「全国、世界中何処に行っても同じだ。会社は君達を応援し、見ているぞ」というのは嘘(笑)。
私の会社勤めの場合、まずは地域本社大阪、名古屋、東京(後は地元人の半農企業人みたいな地元人受け入れ場所)、出来れば東京本社入りを狙うのが出世したり、脱サラで何かしようと考えている人でした。
福利厚生も全然本社総合職とローカルは違います。地方出身者は、郷土を捨ててこそ、スタートラインに付けます。コレが今の人には、多少抵抗があるみたい。イキナリ、1年日本に居て、バングラディシュ勤務を命ず、と来たら「考えさせてくれ」になる(笑)。
もう終身雇用なんてありませんし、若い人はドシドシ吸収して、経験値を上げ、やりたい仕事を目指すべきですね。
転職でも自立でも良いですが、出来れば自分ですべて仕切れる方が良いでしょう。出来れば30〜40歳台前半がリミットと思います。
僕は、好きなことをそのまま仕事のメインに据えることができて、大変に幸せを感じています。でも、ほんの少しだけ、頂いている給料に見合う労働なのかどうか、悩むことがあります。まあ、年に一度あるかないかですが。僕の労働によって所属機関が得られる収入に比べて、頂いている給料は多いなぁなんて思うことがあるわけです。いや、頂いている額そのものは、異業種にいる学生時代からの友人達のなかでは平均より少し低いくらいですが。
世の中の為になるような大層なことをしているわけでもなく(自分が関わった人たちの為にはなっていると信じたいですが)、でも自分にはすごくやりがいがある。いつかは世に恩返しをしなければと思うのですが、さて、どんなことができるのだろうか、と、朝の出勤時に少しだけ悩んでしまいました。
私の仕事では、アカデミックポストで頑張るか臨床の最前線で頑張るか。
基幹病院で頑張るか、開業して頑張るか。
最近ではバイト専門でガッポガッポ儲けるなんてのも出てきました。
りょうちん様
2、30年前、お医者さんの源泉徴収票を見る機会が有りました。本業で1,200万円、アルバイトで1,000万円でした。感想は当然といえば当然ですが、マケタでした。
蛇足ですが
亡妻は看護婦をしていました。
お医者さんはアタマの出来が普通の人とちゃう…。
あとひとつ言ってました。人種がちゃう…。
ワタシの事は敬語は使わないのに、ドクターの言った事は眼の前に居ないのに、敬語を使っていました。
私はだいたい医者ってのは「天才科学者にはなれない秀才」程度だと思っています。
逆に天才は医者になんかモッタイナイ。
しかも、いろいろな専門者集団の中では、有意に優秀だとも思っていません。
ただなぜか入試がやたらと高偏差値なのでそういう「偏見」が生まれているだけです。
仕事を好きであり続ける事、楽しく感じ続けられる事も重要ではないでしょうか。
自営の知り合いに、「俺はキーボードの打ち込みで一生を終えるのか」と言っている人もいましたし、「俺は家畜の糞掃除で一生を終えるのか」と言っている人もいました。
(両方とも面倒臭いが丁寧な仕事の例示です)
両者とも結局は人を雇ってやらせていましたが、特にルーディンワークの部分で裁量が無いと、好きであり続ける事は難しく思えます。
仕事を「楽しい」と思ったことは一度もないですね。
でも、できるだけ「面白く」なるようにとは動いてきました。「面白い」とすら思えないような苦行をずっと続けていけるほどの精神力は持ち合わせてませんでしたので。
その結果として、たまたま多くの外国を訪れる機会が得られたり、改めて日本を見つめなおすことができたりなど、人間としての幅(物理的にばかりではなく)を多少は得られたようには思います。
芸大に行くような人で、純粋に芸術で生活出来てる人って、どれくらいいるのかなぁ。
家族親戚に芸術系の大学卒業が多いので申し上げますが、大学に戻って教鞭を執っている一人を除いて、皆製造業やサービス業で食べております。サラリーマンの身分で工業デザインの仕事をしているのはいい方で、警察官までいます。
でも、やはり持ち前の素養を活かして、それなりの業務を担ってはいるようです。具体的な業務内容は書けません。
阿野煮鱒 さま
レスありがとうございました。
なかなか、芸術の才能は、食う役には立たないようですね。
一般社会ではなかなか見かけない芸術家およびその予備軍ですが、才能に恵まれた人々はいるところにはいるもので、社会の需要に対しては供給過剰です。こんなに才能のある人がこんな仕事を!と驚くことは珍しくありません。特に、ピアニストやバイオリニストは、天才の中の天才が、血の滲む努力を重ねて、さらに運にも恵まれたら、人に名前が知られる仕事です。過酷です。才能なしに生まれた自分を喜ぶべきなのでしょうか・・・
篠田節子の小説に「カノン」という作品があります。
この作品のテーマは、ズバリ”才能”です。才能を持たぬものがどれほど努力しようがけして届かない世界があるという残酷さ、その一方で、才能を持って生まれてしまうことの”痛み”や”もどかしさ”、またはある種の”呪い”を描いた作品です。
だいぶ前に読んだものなので、ちょっと詳細は思い出せませんけれど、ラストシーンの痛みを伴う切なさは強く印象に残ってます。
リクエストからの仕事が速い。更新ありがとうございます。
色々納得する所の多い論考でした。現に私は仕事に関してはある程度難がある(決して高収入ではない、肉体疲労は大きい、台風コワイ、etc)にせよ幸せなのだろうと思っていましたが、整合性が取れた気がします。とりあえずこのまま行こう、ウン。
私とは逆に、父は「好きなことを仕事にするな、嫌いになってしまうし仕事で稼いだ金で仕事以外の時間にやる方が良い」と語っていました。時代も良かったにせよ、「4つの要素」のうち多くが揃っていたのでしょうし、③職責→やりがいとすれば、家庭からもひっぱっていたのかもしれません。
そのあたり現在では、すぐに家庭を持たない事が多く、個人尊重・自己実現がもてはやされ、モラトリアム期間が伸びきっているので、職業に対する悩みが増えたのですかね。
さてせっかく人生への示唆に富んだエントリーですが、いつもの生臭い話題にも関係があるなぁと。「4つの要素」、不要議員や財務官僚、NHK職員やメディア各社員など国民の敵にはほとんど満たされているってことなんですよね。勝手な使命感を発揮したり、職責を果たしていると思い込んでいたりですが。なり手が無くならないわけです(朝日新聞は東大卒が一人も来なかったとか聞きましたが)。
この筋でいくと、NHKなら解体や減給、メディアなら購読視聴停止、財務省は糾弾を強めるか歳入庁分離、議員なら落選させる、というあたりで①カネ②仕事内容③職責いずれかを崩せるわけですか。
上記職業は②③だけで清廉にやってもらうのが望ましいですが、①がなければ優秀な人材もこないし形は「やりがい詐欺」に等しいし、無理ですね。
一般的に、仕事では「結果」が最も重要です。結果が出せれば、自分でも達成感が得られ、他人からも褒めてもらえ、収入も増え地位もあがるでしょう。そうなれば、その仕事を天職と思えるようになるということです。なので、その仕事が自分にとっての天職かどうかの判断基準は、好きだからとか自分の趣味にあっているからというよりは、その仕事で結果を出せるか否かだと思います。
で、若いころ上司に言われたのですが、人間には、①どんな仕事でも結果を出せる人、②その人にあった仕事でなら結果を出せる人、③何をやらせても結果を出せない人、の3種類があるとのこと。そして、ほとんどの人間は②だと。
ですから、自分を①だと思う人は、自分からより好ましく難しい仕事を求め挑戦していけばいいし、②の人は、行き詰まりを感じたら、転職を繰り返すのも良いでしょう。ただその場合の判断基準は、世間体が良いとかではなく、あくまでも自分の能力で結果を出せるか否かにすべきだと思います。③の人は・・・・真に③の人というのはいない気もするんですがね。
個人の幸せは銭金ではないのだなぁーと思いました。
以前出張で訪れたトルコの風景がよみがえりました。
楽しい論考ありがとうございました
カネだけのために働く人は少ないと思いますが、目的はやはりカネですよね。 そうでなければボランティアですし 企業の中に「ボランティア」がいたら たまったものではありません。
で、私が「仕事は好きですか?」と聞かれたら 「嫌いじゃないレベルー笑」と答えると思います。 「会社は好きですか?」と問われれば(場所にもよりますが)同じです。
でも、仕事が面白くなるよう努力することは大切ですし、楽しければ効率も上がると思います。 それに、他人からの評価も上がるような気がします。(あくまでも’気’)
仕事(カネもうけのためのゲーム 時間つぶし)で 結果が出た時(問題をクリアした時)、目標を達成した時は RPGでボスを倒した時のような高揚感があります。
先だっては我が身の社会貢献の少なさを恥じて、心配性のお姉様にお叱りをいただきましたが、私のように黄昏れつつある人間が仕事と人生を語る場合、どうしても悔恨の念がまとわりつき、未来ある若者に夢を与えるような言葉が浮かびません。
こんなところで需要のない自分語りを延々としたところで誰のためにもならないと思いますが、たった一つだけ後悔していないことがあります。技術者という職業を選んだことは正解でした。自分の性分では、営業職や小売業は不向きすぎて全うできなかったと思います。
若い内にやりたいことを見つけられたことだけは幸運でした。
新宿会計士様、天職論の発表をいただきありがとうございます。
>仕事とは単に「カネを稼ぐ手段」であるだけでなく、「自己実現をする手段」であり、「(苦痛ではなく)楽しいこと」であるべき
確かにそうですね。同意いたします。
それを達成するには次のどれかが必要でしょうね。
1、好きな事ができる職業ないし職場に転職する
2、転職せずに今の仕事を楽しい事にできるよう努力する3、自己実現を目指し、思い切って起業ないし開業する
今は2に努めてますが、そういった心境にはなかなかなれません。仕事って楽しい事ばかりじゃありませんし。
仕事が忙しくてくたびれる日々を送っていると、家賃や配当のように寝ていても安定した収入が入る人をうらやましく思う事はあります。今すぐそんな境遇になれたら幸せだと感じるでしょう。
でもそれに何年も慣れきってしまうと、お金のありがたみを忘れ、他者とのコミュニケーション能力も落ち、家賃や配当を失った時に不幸のどん底に陥るかもしれません。何が幸福で何が不幸なのかは随分後にならないとわからないのでしょうね。
コメント欄に集まる皆様の職業観や人生観はとても参考になります。正反対の内容もありますけど、それぞれに説得力を感じます。皆様が生きてきた人生の重みがそうさせるのでしょうか。
これからどんな人生になるのかわかりませんが、どんな仕事をしていても、少しでも前向きに、少しでも楽しくできるようがんばろうと思います。
ただ、自己実現はできる自信がありません。一生の内に自分が何を実現させたいのか、私自身がわかっていませんから。
すみません。一部で改行ができてません。
訂正後
1、好きな事ができる職業ないし職場に転職する
2、転職せずに今の仕事を楽しい事にできるよう努力する
3、自己実現を目指し、思い切って起業ないし開業する
新宿会計士様
読者諸兄様
こんにちは。
天職を仕事とする。
このテーマは、私自身が仕事を天職と感じていたので大いに共感しました。
ですが、報酬を得る為には周囲の信頼や評価も大切で、
周囲も天職として認めてくれるのが理想だと思います。
それによって社会貢献も達成されるので。
しかし、周囲の信頼や評価を得るのは想像以上に大変で、
自己満足に陥る・陥らないの分岐点もそこにあります。
一番分かり易い例ですが、
ある人が類稀なる発想・着想でもってノーベル賞クラスの理論を考えたとしましょう。
しかし、この理論でノーベル賞を獲るには有無を言わせない裏付けが必要で、この裏付けを得るのがとんでもなく大変。
私自身、発想・着想の作業が1に対して裏付けの作業が99位。
仕事は確かに天職でしたが、自己満足に陥らない、周りの評価を得る。裏付けを得る。
このプロセスは、私にとって想像以上に大変でした。
これはどんな世界においても同じなのではないでしょうか。
続きです。
自分の考えが社会的に注目を浴びるようになってからのこと。
言い出したのは自分なので、見ず知らずの方から説明を求められる。
これは良くある話で序の口。
更には、資料を送るから答えを出してくれ、なんてのもある。
また、こっちの言ってることが理解できず、初歩的な質問を延々と繰り返す人も多い。
社会貢献と割り切って出来る限り丁寧な応対を行っていますが、マトモな感謝の言葉なんて10中1,2。
貴方が10分掛けて作った質問に、私は2〜3時間掛けて回答しているんですけど・・・。
もう少し、感謝して頂けないですか?
これが社会貢献の実態。
昔、大橋巨泉氏が、仕事と趣味で付き合うメンツを変えていて、それで自身のオン/オフも切り替えられる、という様な話をしてました。
私がそれを聞いたのは子供の頃ですが、納得したので、学生時代から、十分分離できる様、準備を進めてきました。
そのせいか、仕事と趣味は十分分離できていたのですが、脇が甘かったのか、一部の趣味が、仕事に擦り寄られてしまいました。(変なプロジェクトに拉致された。)
仕事と趣味がオーバーラップした分野は、社外も含め、人的交流の輪は一時的にとても広くなりましたが、そのプロジェクトから抜けると、どんどん縮小し、今ではその方面のお付き合いは非常に少なくなりました。
趣味としては細々続けてまして、止めてしまった訳ではないのに。
一方、仕事に擦り寄られずに済んだ分野では、途切れる事無く今でも交流が続いてます。
仕事は人生において50%くらいの割合かな、自分の中では。りょうちん様と同じ職種です。自分は筋肉や骨をトンテンカンと工事するのをなりわいとしています。20年前までは(TV映画コンバット(古いw)のサンダース軍曹のように)トミーガンを撃ちまくっていました。すこくしんどかったですが、充実していました。
それが、20年くらい前からいわゆる管理職となり、たまにピストルを2、3発撃つくらいになりました。肉体的には激楽になりましたが、責任は3倍増しで、ストレスも3倍くらいになりました。今の仕事も必要な仕事なのでやるべし、とは思ってやっていますが、本音は“トミーガン、撃ちまくりてぇ!!”ですw
数日遅れなコメントのうえに、事業に関して個人情報を特定されたくないので匿名で書きます。(メールアドレスはいつもどおり送信してます)
すみません。
私はいま五十代前半の技術屋稼業ですが、かつて一度も就職したこともなく、中学生の頃から自営業を始め、いまは細々ながら企業経営をしております。
根本的な考え方として、物事をカネで計らないという方針で一貫してきたつもりです。
状況や私の価値観による道理によっては「この件についてはおカネは要りません」といってタダで仕事することもあります。
ぜひともやりたい仕事、どうしても押さえておきたい新しい技術が絡む仕事については、カネ払ってでも会社スキルが欲しいし、タダでも良し。そんなやり方ですね。
ただし、それは従業員ではなく私がひとりで始末つけられる案件に限りますが。
無報酬で請け負っても従業員に給料を払える蓄えがあればよいという考え方もあるかと思いますが、報酬あればそのぶん余計に一時金の資金に回せるはずで、あくまでも私自身が無報酬でもいいから働いて会社のナレッジを積み上げるか、ゼロ円から何を生み出せるかだと考えて、そのように行動しています。
時価総額だとかってレベルの企業ではないので、どれだけ技術積んだかなんて誰も見ないし、その仕事自体は何の得にもなりません。
ではなぜ、そんなやり方するのかというと、カネで動かされるのがイヤだからです。
自社(これは自分個人だけに限らない)のスキル蓄積に必要と思えばタダでもやります。しかし納得いかない要求仕様であればどんなにカネもらってもお断り、曖昧な検収では請求書を出せませんよと。
企業経営者としては、ほとんどアホなレベルなんですけどね。私はそれが正しいと思うし、そうしたいのです。
なんでかって、私はこの仕事が好きで、この仕事に技術者として誇りを持っているからです。
これは技術屋としての魂みたいなもので、カネでは売れないのです。
アーティストって言葉がありますね。
日本的には芸術家的ヘンな人みたいに受け取られることが多いようですが、「凝り性」とか「腕っこき」という含意もあり、アートとはその技術をいかに突き詰めて芸術レベルに高めるかという姿勢そのものです。
私は自分自身を経営者である以前に、その経営の生業となる技術を拠り所にしたアーティストと思っています。
震災のときにメチャクチャおカネに困ってしまったとき、とあるお世話になったメーカーのエライ人から言われた話。
「あなたにこの仕事しろとか会社作れとか誰も強制してないんだよ。自分で選んで好きでやってんだから、イヤならいつでもヤメたらいいし、やるからにはプライド持ってやりなさいよ」と。
なるほどそうだよな。自分で選んでいまこの仕事してるんだよな。都合悪くなったからって何かのせいにしては恥ずかしい。
貧乏でもいい。好きなことを納得いくまでやってみたい。
そう思ったのですね。
ただ、当時もいまも経営のアーティストではないので、当時の従業員に対して、本当に全力で何もかもをやり尽くせたかと考えると、後悔が残るし自分の弱さを感じてもいます。
ちょっと話がずれましたかね。
この記事のテーマについて、私の考えを言うなら、
いまあなたがそのような状況であるということは、それはあなた自身がそれが好きだからだ。
それがイヤならいつでもやめることはできる。それがために殺されたり刑務所に入るようなことはない。
自分自身で結果の責任を負う覚悟さえあれば、自分で選ぶことはいつでもできるんだよ。
と言いたいと思います。