昨日、ユーロ圏の中央銀行である欧州中央銀行(ECB)は、デポジット・ファシリティの金利を0.1%下げ、マイナス0.5%に設定するとともに、昨年12月に停止していた資産の購入プログラムを11月から再開すると発表しました。これにさっそく噛み付いたのがトランプ米大統領ですが、どうもトランプ氏は金融政策と為替介入の違いを理解していないようであり、トランプ政権の知識水準は大丈夫か、と、他人事ながら心配になってしまいます。また、ECBの緩和プログラムも、日銀のそれと比べると比較にならないくらい微々たるものであり、実質的にインフレ目標を達成するのに役立つのかは疑問です。
ECBは「思い切った」…のか?
昨日は欧州中央銀行(ECB)が利下げと量的緩和拡大を決定しました。
Monetary policy decisions(2019/09/12付 ECBウェブサイトより)
政策決定会合の概要は、次のとおりです。
- ①デポジット・ファシリティの金利を0.1%引き下げてマイナス0.50%に設定する。ただし、リファイナンス・オペ金利(0%)と担保融資ファシリティ金利(0.25%)については現行の水準を維持する。また、ECB理事会としては、インフレ率が2%以下かつ2%近くという水準を達成しない限り、ECBの金利については当面のあいだ現行水準かそれ以下で維持すると見ている。
- ②資産購入プログラム(APP)に基づく資産の新規購入を再開する。11月1日以降、毎月200億ユーロの資産を購入する。
- ③APPに基づく残高維持プログラムについては現行どおり継続する。
- ④四半期ごとのターゲット付長期リファイナンス・オペ(TLTROⅢ)については融資期間を現行の2年から3年に延長する。
- ⑤準備預金に対する二重金利制度を導入する。
詳細の説明
デポジット・ファシリティやリファイナンス・オペ、TLTROなど、ECB特有の専門用語が大量に出てきて、マーケットに詳しくない人が読むと面喰いますが、早い話がECBとして民間金融機関におカネが流れやすくする、という意味です。
デポジット・ファシリティのマイナス0.5%金利
まず、デポジット・ファシリティは、民間の銀行がECBにおカネを預けたときに、ECBから受け取る金利のことです。
わが国でも日本銀行が超過準備預金(※民間銀行が日銀に預けなければならない金額以上に預けているおカネ)の一部に対し、0.1%のマイナス金利を適用していますが、ECBの場合は日銀よりもさらにマイナス幅が大きく、今までマイナス0.4%だったものを、マイナス0.5%にまで引き下げるのです。
民間銀行としては、ECBにおカネを預けていても「マイナス金利を受け取る」、つまり「逆に金利を取られる」ことになるため、中央銀行に預金をするのではなく、どこかに貸し出すことでおカネを稼ごうとする効果が期待できる、というのがその理屈です。
TLTROを2年から3年に延長
また、TLTRO(Tagreted Longer Term Refinancing Operation)とは、中央銀行から民間銀行に対し、通常であれば短い期間しか貸せない融資を、特別に2年間という長期にわたって実施するオペレーションのことですが、この期間を3年に延長するということです。
いわば、ユーロ圏の民間の銀行がECBからおカネを借りる手段が増えるということであるとともに、民間銀行が余ったおカネをECBに預けたとしても、ペナルティとして0.5%の手数料を取られてしまうという仕組みにすることで、とにかく市場にカネを回す、ということです。
QEを再開も、中途半端だ…
そして、いちばん重要な決定は、なんといっても資産購入プログラム(APP)に基づく量的緩和プログラム(QE)を再開するというものです。
APP自体は昨年12月、購入総額が2兆6500億ユーロに達した時点で終了してしまい、現在は残高を維持するための購入のみが行われています(※債券は満期が到来したら償還されてしまうため)。
Asset purchase programmes(ECBウェブサイトより)
ユーロ圏のGDPの規模などを考えると、3兆ユーロ弱で量的緩和をやめてしまうとは、何とも中途半端な気がします。日銀が465兆円の国債を保有していることを思えば、ECBの緩和政策自体、日本の緩和政策と比べるべくもないほど少額だからです。
日欧の資産購入残高の比較
- ECBのAPP…2.65兆ユーロ(2019年9月12日時点)
- 日銀の国債保有…464兆5079 億円(2019年9月10日時点)
ECBによる緩和政策発表により、ユーロに対して円は上昇していますが、それでも1ユーロ=約120円と仮定すれば、ECBのAPPによる資産保有額は318兆円であり、ECBの緩和残高は日銀のざっくり3分の2に過ぎません。
もちろん、ECB、日銀ともにほかにも資産を保有しているため、こうした比較は若干乱暴ですが、それでも人口やGDPが全く異なることを思えば、ECBの緩和は生ぬるいとしか言い様がないのです。
ユーロ圏の問題点
さて、金融政策と財政政策の違いや、金融政策と為替介入の違いについては、当ウェブサイトでもこれまでずいぶんと述べてきたつもりです(たとえば『【総論】金融政策の基本と「絶対逆らえないトリレンマ」』参照)。
早い話が、量的緩和(中央銀行が市中から資産を買い入れて、市中におカネを供給するオペレーション)は、おカネの量を増やすことで物価を上げる(=おカネの価値を落とす)ことが主目的です。
実際、ユーロ圏のインフレ率は1%で、これはECBが目標とする2%に遠く及びません。
(※なお、どうして中央銀行の多くが2%インフレ率を政策目標にしているのかについては、個人的にはいくつか言いたいこともあるので、機会があれば別稿にて触れたいと思います。)
そして、インフレ率が低い状態だと、雇用も伸びません(これについて、詳しくは『金融政策と為替介入をごっちゃにする韓国銀行のデタラメ報告書』あたりに記載した「フィリップス曲線」の議論をご参照ください)。
日本や米国の場合も、景気が低迷しているときに、世の中に手っ取り早く資金を供給する手段が、国債の買い入れです。
しかし、ユーロ圏の場合は、日米と異なり、国債の買い入れには大きな制約があります。
なぜか。
それは、ユーロという通貨の根本的な欠陥とも密接に関わっているのですが、ユーロ圏には「中央政府」が存在せず、ユーロ圏加盟19ヵ国がてんでバラバラに国債を発行している、という点にあります。
実際、ギリシャ国債などがデフォルトした理由(=日本国債が絶対にデフォルトしない理由)とも重なってくるのですが、ユーロ圏には政府が多すぎ、ECBが国債を買い入れるとしたら、「国債がデフォルトしたらECBの資産が毀損してしまう」という問題が生じてしまうのです。
だからこそ、ドイツのアンゲラ・メルケル首相を筆頭に、ユーロ圏各国政府の間では、ECBによるQEに対して強い抵抗感があるのです。
いずれにせよ、ECBが今回、QEを再開したというのは、ユーロ圏のためには良い決断だと思いますし、ECBとしてできる最善を尽くしているとも思いますが、それと同時に「ユーロ圏で統合政府が存在していない」という最大の問題点を放置したままでのQEには、底知れぬ不安を抱くこともまた事実です。
トランプさん「ECBは為替操作」、だから違いますって!
さて、金融政策と為替介入の違いについては、いまから2年以上前の『金融政策と為替介入の違いが判らない韓国経済新聞』などでも触れたとおり、当ウェブサイトを訪れてくださる方々の間でもご存知の方が多いと思います。
ちなみに昨日は、韓国メディア『中央日報』(日本語版)にも、金融緩和と通貨戦争を結びつけた、極めて理解の浅い記事が出ています。
韓経:米・欧・中・日がまた「金融緩和」…通貨安戦争へ(1)(2019年09月12日10時36分付 中央日報日本語版より)
あまりにも低レベルなので、論評する価値すらないと思っていたのですが、金融政策と為替介入の違いについて、韓国経済新聞と並び、決定的に理解していない人物が、世界には1人、いらっしゃるようです。
その人物とは、アメリカ合衆国のドナルド・J・トランプ大統領です。
トランプ氏は日本時間昨夜のツイートで、利下げがユーロの対米ドル相場を引き下げる目的だとしてECBの政策決定を批判しているのです。
ちなみに中・長期的な為替相場に影響を与えるのは、利下げよりも量的緩和ですが、トランプ氏のツイートでは一番大事な量的緩和について触れられておらず、「マイナス50ベーシス・ポイントのマイナスのデポジット・ファシリティ」にしか言及がありません。
このこと自体、トランプ氏が金融政策の知識をまったく持っていない証拠であり、知識不足で「ECBは為替操作をしている」と述べる人物が合衆国大統領を務めていること自体、恐ろしいものがあります。
わが国ではトランプ氏が中国を敵に回しているという認識を持つ人も多いと思いますが、じつは、トランプ氏はECBに対しても、かねてより「通貨安競争を仕掛けている」と言い続けています。
つまり、ECBが緩和をしようと思えば、ドイツのメルケル首相と米国のトランプ大統領の両者を敵に回さねばならない、ということです。他人事ながら「共通通貨って大変だなぁ」と思った次第です。
ユーロの制度設計には根本的な不備があるため、ユーロ危機が再々々々々々々々々々々々々々々燃することは確実ですが、トランプ氏もイチャモンを付けるならユーロの制度設計の不備を攻めたらよいのにな、と思っているのは、ここだけの話です。
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> ECBの緩和は生ぬるいとしか言い様がないのです。
経済は不得意分野なので的外れかもしれませんが、かつて日本がデフレに陥ったとき、政府が執った対策が中途半で、FRBやWall Street筋から“too little, too slow”と揶揄されたと記憶しています。
戦力の逐次投入は万国共通の悪癖だと思います。
金融緩和は覚醒剤と同じ、1度射ったら止められない。
リーマンショックこの時、世界はこの薬に手を出してしまいました、そして世界経済は救われました、そして今、またシャブに手を出そうとしています、まだどこの金融機関も倒れてはいないのに「予防的措置」という言い訳でまた快感を得ようとしています。
市場のことは市場に任せる、これが相場の鉄則です。
ドーピングはオリンピックでも禁止。
JRAはこの春、多くの厩舎が使っていたサプリメントに禁止薬物が入っていたとして、多くの厩舎を処分しました、それらはスーパーフードと呼ばれていて、強い厩舎は軒並み飼い葉にそれを混ぜて使っていました、皆の認識はサプリメント。
シャブとサプリメントの違いがだんだんあやふやになっています。
同じことが経済にも言えるのです。
これをつづけていると、まともな株トレーダーはやってられません。
これが資本主義と言えるのでしょうか、まるで計画経済の中国です。
量的金融緩和や金利引き下げ、なにがなんでも株かを下げない意思の現れですよ、これが八百長じゃなくてなんですか。
相場は上がったり下がったりするから面白いんです、上がりっぱなしにして面白いはずがない、儲かる人は大資本だけ、やがて一般人は株を買わなくなるでしょう。
そうなったらプロの金融機関同士の利益の薄い殺し合いが始まり、結局は誰も助からないでしょう。
たとえ今、資金投入しないせいで、多くの企業が倒れても、その方がいいのです。
覚醒剤で延命させても、患者はまたそれを欲しがります。
ゾンビ企業とかいって専門家はわかってはいるのですが、目先の快楽を求めて中央銀行に薬を求める。
百歩譲って、その情報を一般人に先に知らせてくれるなら許しましょう。
しかし、現実は、政治と繋がっている大手資本家が先にキャッチする。
八百長じゃないですか、これがイカサマといわずしてなんという。
千歩譲って、私にだけ先に教えてくれるなら金融緩和は許しますが、そうじゃないなら絶対反対です。
ミクロ経済とマクロ経済を混同されていませんか?
ミルトン・フリードマンがヘリコプターマネーを提唱したのは1960 年代終わりですし、 FRBは1970年終わりから政策目標をマネーサプライに変更しています。
“2001年"からの日銀の金融緩和政策を中途半端と言ったのはバーナンキでした。2006年に解除されます。
イエレンもバーナンキの頃から副議長だし、旦那はノーベル経済学賞のニューケイジアン。
誰もが博打打ちではないですし。
私のような発言は専門家にも多いですよ(笑)
ラジオ日経「ザ・マネー」金曜日担当の西山孝四郎さんとか、よく言っています、これじゃ社会主義だと(笑)
EUは金融政策に関しては、顕微鏡手術が必要なのに、整形外科用の骨切りノコギリしかないような感じですねえ。
しかし、EUを馬鹿にする気は起きません。
もし世界政府なんてものが実現するとしたら、財政・金融政策はどういう形になるべきなのか、実地で試験しているようなものだからです。
あとトランプのドイツ嫌いは、あまりにも性格が合わないところでしょうね。
金に渋くて米国の言う通りのお金を出さない。シンプルにそれだけのような気がします。
ユーロという仕組みそのものが、欧州人の悪知恵が生んだ巨大詐欺構造なのですから、欧州以外の国がこれまで容認して来た事の方が不思議、というか、欧州人の詐欺技術が優秀、だったのです。
日本なら、東京で得た税収等を地方交付税として配分しますが、ユーロ圏ではそんな事しません。
ユーロはドイツが独人勝ちするための仕組みなのです。ユーロがなくてマルクのままだったら、今の様な荒稼ぎはできません。マルクを廃しユーロにする事で、ドイツにとっての通貨安政策を、欧州外から非難できない様にする詐欺技術です。
ユーロ圏を拡大したのも、ドイツにとっての通貨安政策を促進する為。
これによりギリシャ、スペイン、イタリア等が行き詰ったら、ECBも面倒見るが、IMFもネ、という風に他を巻き込む(韓国と同じだな)戦略です。
P.S.
合意無き離脱をしたら、翌日から日英FTAがTPP水準で機能する位の協力をして、英を欧州から引き離す努力をしてもいいんじゃないかな。
独断と偏見かもしれないと、お断りしてコメントさせていただきます。
アメリカのトランプ大統領としては、再選戦略のためにも、自国の中央
銀行だけでなく、他国の中央銀行も、思い通りに動かすか、少なくても、
牽制や警告をしているのだと思います。(もっとも、本人は、これで相手
側の動きが鈍ると考えているかもしれませんが)
駄文にて失礼しました。
世界的に景気後退の影が濃くなる中、ECBの金融緩和は、緩和規模が不十分ではないかという思いはありますが、方向性としては正しいと思います。そもそもマクロ経済政策としての金融緩和は、やりすぎるとインフレ率が加速するという欠点があるだけで、メリットとして、中央銀行の意思決定だけですぐに発動ができる「お手軽な」政策手段であり、効果としては景気の拡大・雇用の拡大・税収の増加をはじめ「国の経済に良いことばかり」ですから、景気後退の恐れがあるのであれば躊躇なく積極果敢に行うべきものと考えます。韓国の報道では為替の切り下げ競争うんぬんと書いていますが、金融緩和の本質を全く理解していません。世界がほぼ同時に金融緩和を行うということは、経済効果としては世界が協調して大規模な景気拡大政策を行ったということであり、メリットしか生じません。この流れに乗り遅れた国は、自国通貨の独歩高という「ばば」を引くにすぎず、他国の金融緩和が自国経済に好ましくないのであれば、他国に負けないよう自国も他国と同程度の金融緩和を行えばすむ話です。リーマンショック後の円の独歩高は、日銀の金融緩和がFRBをはじめとする世界の中央銀行が行った金融緩和の規模に比べて極めて小さかったことから生じたものであり、日本の自損事故とでも呼ぶべきものでした。今後は日銀がFRBやECBに負けない積極的な金融緩和を行ってくれるかどうかに、日本に命運がかかっています。がんばれ黒田さん、といいたいですね。
ECBのドラギ総裁は10月いっぱいで退任ということで、何とか緩和策を押し切ったようですね。市場ではもっと大規模な緩和を求める声もあったようですが、ECB内のタカ派の反対も大きいようでご苦労が忍ばれます。
>買い入れ強化の制約となっている33%ルールや資本金クォータを変更しなかった点は、今後の緩和継続と買い入れ強化のハードルの高さを示唆する。33%ルールは、債務再編時に集団行動条項の発動を阻止する議決権を持つことを避けるため、1銘柄・1発行体当たりの国債保有割合を33%に制限するものだ。
>財政ファイナンスへの抵触を避けるため、加盟国の国債の購入割合は、当該国の債務残高ではなく、ECBの資本金構成比(概ね経済規模に準ずる)に応じて決定される。タカ派メンバーからの反対の声が予想以上に大きかったことや法的論争を巻き起こす恐れがあったため、今回は買い入れルールの変更ができなかったのだろう。
https://jp.reuters.com/article/column-osamu-tanaka-idJPKCN1VY0FX
上記事では、”来週に確実視されるアメリカFRBの追加利下げを受け、スイスでは現在マイナス0.75%となっている金利の更なる深堀りに踏み切る可能性があり、(そうなると)利下げの限界を探る先行事例となりそうだ”ともあります。マイナス金利の副作用が気になるところです。日本も他人事ではないですね。