先日、『鈴置高史氏による『デイリー新潮』記事、日本国民は必読』で、紙媒体の雑誌『正論』3月号にも鈴置氏の記事が寄稿されているようだ、という話題を紹介しました。そこで本日、実際に『正論』を買ってきたのですが、期待にたがわず優れた論考でした。ただ、本稿で紹介したいのは「鈴置説」そのものではありません。たしかに『正論』自体は非常に面白い雑誌だと思いますが、物理的に紙媒体で刊行されているものを手に入れるのは、やはり、さまざまな不便さがある、という点に加え、新聞社や雑誌社の「本分」とそれをないがしろにするメディアについて、ちくりと苦言を呈しておきたいと思うのです。
目次
紙媒体のオピニオン誌の意義
雑誌『正論』3月号がお買い得過ぎる!
先日、『鈴置高史氏による『デイリー新潮』記事、日本国民は必読』で、新潮社のウェブサイト『デイリー新潮』に掲載された、日本経済新聞社元編集委員にして日本を代表する韓国観察者である鈴置高史氏の最新版記事を紹介しました。その際、鈴置氏のほかの記事について、
「ふと気になってインターネットを検索していると、今朝の文化放送の大人気ラジオ番組『おはよう寺ちゃん活動中』に登場されたほか、雑誌『正論』3月号にも、鈴置氏が寄稿されている」
ようだと申し上げました。
気になって『正論』3月号を買い求めて来たのですが、A5サイズ製本で9ページに及ぶ大作です。記事のタイトルは『気は確かか?韓国はアメリカとも決別する』で、掲載されているのは『正論』2019年3月号のP86~P94です。
この論考自体、きわめて有意義であり、興味深いのですが、その「感想文」については、本稿ではなく、日付が変わって明日以降にでも、当ウェブサイトに投稿したいと思います。
ウェブだと物理的に運搬する必要がない!
さて、鈴置氏の論考も相変わらず優れていますが、私が買い求めた『正論』3月号には、ほかにも安倍晋三総理とバイオリニストの五嶋龍(ごとう・りゅう)さんの対談記事を含め、非常に面白い記事がたくさん掲載されており、これで税込840円はお買い得だと思います。
しかし、ここで大きな問題が生じて来ます。それは、この雑誌が読みたいと思っても、私の自宅や会社の場合、徒歩数分の圏内に書店がない、という点です(※冷静になって考えたら、コンビニエンスストアに行けば手に入るのかもしれませんが…)。
もちろん、新宿駅周辺に行けば紀伊國屋書店などの大型書店があるため、たいていの書籍は手に入るのですが、当社から新宿駅までは「徒歩数分」圏内ではないため、仕事が忙しいときには、やはり外出したくないこともあります(※当社から新宿駅まで、詳しい地理的関係を明らかにすることは控えます)。
そうなって来ると、必然的に、オフィス(または自宅)に居ながらにして読める媒体、すなわち、ウェブ媒体の記事の方が、紙媒体よりもはるかに魅力的です。当たり前の話ですが、ウェブ媒体の場合、「情報を紙に印刷して物理的に運搬する」という手間は不要ですし、保管場所にも困りません。
個人的には『正論』3月号は非常に良い雑誌だと思いますが、やはり、時間的な理由(わざわざ買いに行かねばならない)、物理的な理由(保管場所を取ること)などを考えるならば、今後も継続して同誌を買おうとは思わないのです。
文字数で見ると…?
ついでに申し上げれば、私自身の会社では、最近、「電子化」「ペーパーレス化」が非常に進んでいます。当社オフィスに置いてある紙媒体の雑誌類は、日本公認会計士協会が刊行する『会計・監査ジャーナル』や、会計、金融に関する業界誌、そして私が定期的に寄稿している雑誌(の献本分)だけです。
そして、紙媒体のオピニオン誌を買わなくなってから久しく、ここ1年間で購入したオピニオン誌は、杉田水脈衆議院議員がLGBTについて寄稿した『新潮45』8月号(『原文を読んだうえで、それでも杉田水脈氏の不見識を批判する』参照)を含めて数冊に限られています。
今回は鈴置氏の論考が読みたかったので、久しぶりに紙媒体のオピニオン誌を購入してみたのですが、やはり、普段、「紙に印刷された記事を読む」ということが滅多にないため、新鮮な気持ちになりました。先ほど申し上げたとおり、私が読みたいと思っていた鈴置氏の論考は、全部で9ページです。
『正論』は1ページ当たり15文字×21行の3段組みですので、文字数は最大で945文字であるため、9ページの寄稿であれば、文字数は最大で約8500文字です。しかし、タイトルや小見出し、写真や図表、太字箇条書きなどが入れば、実際の文字数はこれよりも減少します。
鈴置氏の記事には写真や図表などが挿入されていないため、おそらく文字数は7000文字前後でしょう(※といっても、正確にカウントしたわけではありませんが…)。しかし、仮に写真や図表を挿入すれば、実質の文字数はもっと減ります。
同じ号に掲載されていた、拓殖大学教授の荒木和博氏による『なぜ、あそこに北朝鮮の漁船がいたのか』(同P62~69)という記事の場合だと、ページ数は8ページであり、かつ、記事中に写真が数枚、掲載されているため、実質的な文字数は6000文字以下だと思います。
ちなみに、当ウェブサイトの場合、1記事当たりの平均的な文字数は5000~7000文字(速報記事などの場合はもっと短くて2000~4000文字)程度ですし、また、私がよく参考にするオピニオンサイトの記事も、たいていの場合は6000文字前後です。
このように考えていけば、『正論』という紙の雑誌に6000文字前後の記事をいくつも綴り込むのと、『正論』という雑誌に掲載されるような分量の記事をウェブ評論サイトで読むのとを比べれば、やはり、紙媒体が廃れ、ウェブ媒体が勃興するのも、時代の流れとしては当然なのかもしれません。
日経は自ら苦境に?
新聞社、雑誌社としての本分って?
ただ、「紙媒体としての強み/弱み」「ウェブ媒体としての強み/弱み」、という点と、新聞社・雑誌社の経営という点は、まったく別の論点です。
私見ですが、新聞社や雑誌社の本業の1つは、「優れたコンテンツ(=記事)を読者に届ける」ことにあります(※それだけではありませんが…)。ということは、読者にとって評判の良い記事の書き手がいるならば、そのような書き手こそ、新聞社や雑誌社が大事にしなければならないはずです。
ところが、旧『日経ビジネスオンライン』が『日経ビジネス電子版』に衣替えした際、鈴置高史氏の『早読み深読み朝鮮半島』シリーズだけでなく、福島香織氏の手による『中国新聞趣聞~チャイナ・ゴシップス』という秀逸なシリーズも終了してしまっているのです。
ちなみにわりとどうでも良い話ですが、ジャーナリストの田原総一朗氏の『田原総一朗の政財界「ここだけの話」』も終了しているようなので、鈴置氏や福島氏の連載が終わってしまった理由は、一見すると、「日本経済新聞社の社外の書き手を整理したためなのかな?」、という気もします。
ただ、よく調べてみると、「日本経済新聞社の社外の書き手」のなかにも、連載シリーズが継続しているケースがあります。たとえば、ノンフィクション作家の松浦晋也氏は「社外の書き手」ですが、『介護生活敗戦記』というシリーズは継続しています。
もちろん、私の目から見ても、この松浦氏のシリーズは非常に秀逸なものであり、同シリーズが継続していることは妥当だと思いますが、だからといって「松浦氏の連載を残しておきながら、鈴置氏や福島氏の連載を打ち切る」というのも、やや理解に苦しむ判断です。
さらに、誠に申し訳ないのですが、松浦氏のシリーズ以外について眺めてみると、クオリティその他の面から、「なぜこの連載が続いているのだろう?」と疑問に思うものも少なくありません(※あえて該当するシリーズの実名は挙げませんが…)。
もちろん、私自身は日本経済新聞社や日経ビジネス社に知り合いがいるわけではないため、このあたりの事情を直接に知ることはできません。しかし、同社の行動を見ていると、たんに「自社の論調に合致しない書き手を排除した」ようにしか見えないのです。
もしそうだとすれば、日本経済新聞社、あるいは日経ビジネス社は、何か盛大な勘違いをしているのではないか、という気がしてなりません。自社の論調に合致しようがしまいが、本来ならば「読者が面白いと感じる記事」の書き手こそ、最優先で大切にしなければならないはずだからです。
日経は「無難さ」を求めるようになったのか?
もちろん、この「日本経済新聞社や日経ビジネス社が、自社の論調に合致しない書き手を排除した」という見方は、私の勝手な考えであり、現実にはもっと深い事情でもあるのかもしれません。
こうしたなか、私が最近、ある知り合いのひとから聞いて知った話題があります。
それは、日本経済新聞に連載されている、ただでさえ「退屈だ」と指摘されて久しい『私の履歴書』シリーズが、今年に入ってから、輪を掛けてつまらなくなっている、というものです。
1月のシリーズは東京海上日動火災保険の相談役で経団連副会長の石原邦夫氏が執筆したそうです。同氏は東大法学部卒業後、新卒で東京海上火災保険に入社し、社長になったという人物であり、言葉は悪いのですが、典型的な「サラリーマン社長」です。
また、2月のシリーズは、神戸大学名誉教授の五百籏頭真(いおきべ・まこと)氏で、同氏も京大法学部卒業などの経歴を経て、政府の有識者会議などの要職を歴任した人物ですが、同氏も結局は「受験秀才」のたぐいです。
私は現在、日本経済新聞を購読していませんが、20年以上前に社会に出たときは、「社会人というものは日経を読むものだ」と周囲から言われ、まじめに日経を読んでいた時期もあります。
当時の日経の『私の履歴書』では、一代で事業を起こした人、戦乱期を生き抜いた人、役所と戦って民間ビジネスを立ち上げた人など、なかには心から面白いと思えるシリーズもあったのですが、日経はいつのころからか「無難な人」を選ぶようになったのかもしれません。
(※ただし、別に私は1月と2月の『私の履歴書』の執筆者に、「何らかの問題がある」などと申し上げるつもりはいっさいありません。私が申し上げたいのは『私の履歴書』が(たぶん)面白くないというだけの話であり、ご両名ともに立派なご経歴と社会的地位をお持ちの素晴らしい方だと思います。)
このように考えていくと、日本経済新聞社では「高学歴の大企業経営者」や「高学歴の学者」など、「無難な人選」が好まれ、日本経済新聞社の子会社である日経ビジネス社で、鈴置氏や福島氏のような「鋭いが各方面に波紋を及ぼしかねない人物」が嫌われた、ということなのかもしれません。
ジャーナリストの本分を忘れる新聞社
そういえば、2017年1月2日に放送された『ニュース女子第91回』(現DHCテレビ制作)を巡り、同番組司会の長谷川幸洋氏が東京新聞・中日新聞の論説副主幹から論説委員に降格されるという事件がありました。
当ウェブサイトでは常々、「どんなに腐った組織であってもまともな人物はいるものだ」と申し上げていますが、長谷川氏などはその典型だったと思います。というのも、同氏は「極左的」な論調で有名な東京新聞・中日新聞に所属していながら、私の目から見て、きわめて穏健で真っ当な記事を書く人物だったからです。
ただ、この「ニュース女子騒動」も影響したのでしょうか、結局、長谷川氏は昨年3月末で東京新聞・中日新聞を退職してしまいました。東京新聞・中日新聞は数少ない「まともな人物」を失った、という言い方をしても良いと思います。
もちろん、私の勝手な意見かもしれませんが、新聞社が政治的な意見を持つことは自由です。
ただ、「左派的傾向が強いメディア」で「保守的・愛国的な論調」の論客が存在していること(あるいはその逆)は、ある意味ではそのメディアの多様性を意味するものであり、そのメディアそのものの強みでもあります。
それなのに、日経ビジネスから鈴置氏や福島氏の論考が消え、東京新聞・中日新聞から長谷川氏の論考が消えるのは、これらのメディアがみずから多様性を捨てているのと同じことではないかと思うのです。
週刊金曜日の隠れファンでした
ところで、いきなり話は変わりますが、実は、私は極左雑誌『週刊金曜日』を、つい最近まで(不定期ではありますが)購読していました。といっても、都内の大型書店で販売されているのを見掛けたら、それを購入する、というものですが…。
当ウェブサイトをお読み下さっている方からすれば、私が『週刊金曜日』の隠れファンだったといえば、意外だと感じる方もいらっしゃるでしょう。
しかし、私の持論は、「自分と異なる意見にこそ、傾聴する価値がある」、というものです。
実際、日本語版ウェブサイトを運営している韓国メディア(たとえば、『中央日報』や『ハンギョレ新聞』など)については、私も「愛読」しています(といっても、これらのメディアの場合、論調がぶっ飛び過ぎていて、呆れてしまうことの方が多いのですが…)。
なお、週刊金曜日については、昨年、よりにもよって「慰安婦捏造報道」で有名な某元記者が社長に就任してしまいました。さすがに「愛国的日本国民」としての信義則に照らして、そのようなメディアにカネを払って読むことは不適切だと思うようになり、現在はもう週刊金曜日を読んでいません。
その点についてはいちおう、付言しておきたいと思います。
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月刊正論なのですが、電子書籍版もあるようです。私がよく利用するhontoだと760円なので、紙版よりもお得です。
テキスト検索などには対応していない=紙面をスキャンしたようなものなので、スマホだと若干読みにくそうですが。
電子書籍版
http://seiron-sankei.com/ebook
和布刈様が仰っているように紙面のままのレイアウトのため文字サイズ変更でスマホでも見やすくする等の便利な機能は阻害されてます。
雑誌の形態なので・・・
良く言えば「色々な話が一冊に収まってお得」
悪く言えば「抱き合わせで興味が湧かないものの費用まで合わさっている」
ってなりますが、(執筆だけに専念したいから)自分でWeb等に掲載して収入源の確保も自分で対応しなければならない煩わしさを嫌う人の需要には合っているのかもしれないですね。
将来的には雑誌携帯も淘汰されるかもしれないけれど、安定して長期に執筆する人のことも考えると、色々な形態があっても良いかも知れませんよ
(短絡的に、そんなことは知ったことではないって言いたいときもありますが・・・)
初めてコメントさせて頂きます。いつも貴重なご意見参考にさせて頂いております。私も鈴置さんから存じ上げた次第です。
私も日経を38年位前から購読しておりましたが、8年程前からやめました。とても偏った記事、取材もせず海外のメディアのコピー報道に気づいたからです。
それよりもwebで知ることの方が多く、無料、有料サイトの方が格段に情報を得ることができる時代です。
社会人になった息子から、日経読んだほうがいいかなと聞かれた時にも、便所紙になるだけだからwebで有益なものを探しなさい。また私からも推薦したものが数々あります。
この様な時代になった事を感謝すると共に、情弱な国民が少しでも情報に敏感になる事を願います。
更新ありがとうございます。
昨日の「正論3月号」の私の紹介で誤っている点、例えばページ数、文字数等を正しく告知して戴き、ありがとうございます。
日経の「私の履歴書」は、失礼ながらまだ連載されてるんですか?40年前に私が新卒入社の頃、日経を読めと言われて買ったものです。当時から他紙より10円高く、いつも損した気分になりましたよ(笑)。
その最終ページは当時から日経はテレビ欄ではなく、エッセイなどの記事面。中段に「私の履歴書」が掲載されてました。会計士さんご指摘の通り、『立志伝中の人物』が載り、昔の方々だから自筆だったんでしょう、体調が悪くなると何日かお休み(笑)。
もう、第一線を退きつつある方々でしたから、時間的余裕はある。口述筆記など秘書にさせず、ご自分で書かれた様子でした。勿論日経は『数日間休みます』と告知してました。呑気な時代です。
私が強烈に覚えている執筆者は、松下電器の松下幸之助氏、本田技研の本田宗一郎氏、三洋電機の井植会長、政界で佐藤栄作氏、福田赳夫氏、三木武夫氏、河本敏夫氏、三和銀行の赤司頭取、地元の宮崎辰雄神戸市長、あと、お名前失念しましたが、ソニー、新日鉄(八幡の社長)、NEC、三菱重工業、川崎重工業、キャノン、富士通、伊藤忠商事、三井物産、第一勧銀、富士銀行らのトップ、自治体知事、大都市市長、大学長他、錚々たる顔ぶれが巻末を飾ってました。
だいたいはモノ作りの企業人が多かった様に思います。また、ご自分の連載が終わると、製本にして知人、社内に配布される方もいました。まず一面のあとは最終ページを見るのが私の楽しみでした。
こう言っては重厚長大産業贔屓に思われるでしょうが、一世一代でやり遂げた方の筆は重みが違います。逆にボンボンの2世3世社長、芸事(華道、茶道、日本舞踊、歌舞伎、落語家)、スポーツ選手、音楽家、美術家の履歴書は大して面白くないです。
やはり、そういう美に訴え、感覚に訴えるものは、言葉で表現するのは難しい。知りたければその名人の披露をナマで見る以外ありません。
でもいつ頃からか「私の履歴書」を読まなくなった。DHCの会長さんではないが、大変失礼ながらメンバーが二世や三世、或いは掲載後数年で赤字転落、他社に吸収とかもあります。つまり経営者も度量の小さい『小粒』になったんですね。
ましてや『無難な有名人』『勉強だけ出来た』ような人では、他人が読むはずもありません。日経も寄稿者の新規開拓が出来ず、しばらくしたら終了になるのでは?だって、あの頃の企業トップは、とにかく良く働いてましたもの。
日経新聞は昔から「経済記事以外はまとも」と揶揄されるくらい変な嗜好のある新聞でした。私も社会人になりたての頃は「サラリーマンたるもの日経新聞を読むべし」と周囲から言われて日経を購読していましたが、経験を積むほどに日経の言うことがおかしいと思うようになり、さらには対中投資をしきりに煽るようになって購読をやめました。中国の工作資金が重点的に日経新聞と日経マグローヒルズに流れ込んでいると感じたからです。
朝日新聞は確信犯(自分は正しいと信じて犯罪を犯す者)の左翼新聞ですし、毎日新聞は朝日のエピゴーネンであり、中日/東京新聞は朝日の競合者たらんとする仲間です。しかし日経新聞は、朝日のように確固たるイデオロギーを持たず、主として中国、時には韓国の依頼に応じて提灯記事を書いている日和見新聞だと思っています。
鈴置さんの連載終了に関しては、米国シンクタンクあたりからのスカウトかと希望的に推測していましたが、デイリー新潮へ歯に衣着せぬ記事を書いたことからして、日経がクビにしただけのようですね。サイト主様がおっしゃるように、日経が無難路線に舵を取ったのでしょうし、その背後には中国や韓国が、鈴置さんや福島香織さんのようは保守系論客を好んでいないという事情もあるのではないかと推測します。
因みに私は、正論は希にしか買いません。最もよく買う月刊誌は『月刊HANADA』です。花田紀凱編集長が自らの名を冠する政治経済評論誌です。もと週刊文春編集長だった花田氏は、ながらくワック社の『月刊WiLL』の編集長として活躍していましたが、編集部員を率いて独立を画策したとかで解任され、飛鳥新社に移籍して発行したのが『月刊HANADA』です。この雑誌は、基本的には保守系の言論空間を提供していますが、“みうらじゅん”などリベラル色の強い執筆者もいたり、文化記事も充実しており、ドンキホーテ的に雑多な紙面を面白く読んでいます。花田氏が抜けてからの『月刊WiLL』は猥雑さがなくなり、優等生的な保守系雑誌になってしまいました。
「正論」は高校生くらいの頃から読み始めましたけど、最近は立ち読みくらいになりました。
新聞のような日刊紙から週刊誌、月刊誌へと時が経つにつれて情報の精度は高くなっていきますが、その情報を読み取る力は不断の読書によって培われたものだと考えております。
大人になってからは、面授のネットワークが広がっていきましたが、インターネットの時代になって会いに行く手間がなくなった反面、背景を含めた全体像をじっくり聞いたり話したりする機会は失われたようにも感じております。スコープしてしまうんですね。
外交も重要ですが、ドメスティックな問題も重要です。
われわれの「内なるエネミー(敵)」、児童虐待。
明らかに「政治の怠慢」ですので、しばらくはこの問題に力を注ごうと考えております。
日経ビジネス電子版になってから、鈴置さんや福島さんの優れたコラムが消えたことについて、私は強い不満と疑問を持っていたのですが、会計士さんのご意見を読ませて頂いて、腑に落ちた気がします。
そう考えると、小田嶋さんのコラムのように、中身は何にもないのに、何が言いたいのか全く分からないのに、やたらに駄文が長いけれども、わざと炎上気味にしてアクセス数だけは稼げる書き手は 、便利使いが出来るので、生き残れたのでしょうね。これも一人で納得です。
報道ステーションも放送終了しましたし、
荒川強啓ディキャッチも3月で放送終了です。
今、国を挙げて情報統制状態に入っています。
右も左もシャットダウンさせられている現状では、
極東安全保障の混乱がさらに極まれば、
さらに一段の報道規制が敷かれる筈です。
SNSやポータルにも圧力がかかるかも知れませんね。
NHKにはまだ報道規制が掛っていませんが、
これもNHK特集やEテレの左抑制番組内容で判別出来るでしょう。
とにかく国民にリアルな情報が提供されない以上、
有事に国民保護など出来ない状況に置かれる懸念が拭えません。
今後は政治ニュースそのものがテレビ・ラジオから消えてしまうのでは、
それ位の圧力が現在進行形で生じているようです。
いつもブログ更新心待ちにしております
鈴置氏の活動の幅が広がったようで大変嬉しいです
正論は確かにいい雑誌なのですが、かなり保守に偏った論調のため日経ビジネスオンラインのように多くの方にソースとして理解してもらうのが難しくなるという難点があります
「ああ、正論ね、だってあそこ、右よりの人が喜ぶようなの書くところじゃないの」
こんな調子です
「日経ビジネスサイト」というお題目は(俗的で思想がないのかと怒られそうですが)、ノンポリ…右にも左にも寄りたくないという日和見の人には劇的に効く「方便」でした
逆にその方便を迷惑がられて、誰かしらの攻撃で席を追われたとしたら悲しいことですが
未だに韓国が米国を切りたがっていることを信じない人は結構います
そういう人たちに対しても、半ば印籠のように効いた看板をまた見つけて欲しいという気持ちもあります
正論を批判するつもりはないのですが、「その話のソースは?」となったときに
日経ビジネスオンラインを見せるのと正論を見せるのでは相手の納得度に差があるのはわかっていただけると思います…
本サイト主様は、Webと紙媒体そして新聞社、雑誌社の在り方につ
いて記述されていると思います。私は、本サイト様とはちょっと感じ方
が違います。
私は、紙媒体は記録であると思いますよ。日本語を含む日本の文明、日
本人の文化の記録と抽象的に書きます。紙媒体はなくならないと思うし
なくなると困ります。紙媒体は良さも不便さもたくさんあります。
Webは情報でありデータと思います。よって、リアルタイム性と修正
の速さがあると思います。もちろん、その他の特徴たくさんあります。
とにかく、データの更新、修正が素早くできるのが嬉しい。
紙媒体同様に良さも不便さもたくさんあります。
私は、基本的にWeb利用していますが、信用していなかもしれません。
今の日本の新聞社と関連雑誌社ですが、彼等は思想(イデオロギー)を
書いているので普通のジャーナリズムでないでしょう。事実と思考を書
くのがジャーナリズムと思いますが。思想を書いてしまうので、ユーモ
アある叡智ある書き手を排斥するのは必然です。日本の新聞は活動家用。
大体、普通の国民の生活に直結してるとは思えない。活動家用なんで、
Webには勝てませんね。
「ジャーナリストの本分を忘れる新聞社」とのご指摘、的を得てます。
同意です。
私の認識間違いなければ、電子部品の多くは中性子が衝突すれば破壊さ
れます。普通の安紙は水、火、引きちぎる等で破壊されます。
Webと紙媒体どっちもどっちで使い方次第で、日々利用してます。
近くの古本屋にご指摘の『正論』が入荷したら見てみますが、どうも日
本の雑誌愛嬌ないのでお金だして買う気になりません。
失礼致しました。
日経ビジネスオンラインの筆者選択の残念さは我が意を得たり!です。
もう一つ話にならないのが「動画がメイン」になったこと。
ご指摘の鈴置さんや福島さんがいなくなったとはいえ、それでも存在する興味をそそる記事が動画オンリーとか、読者のことをまるで考えてないとしか思えません。
筆者選択の残念さは「日経ビジネス」として拡散し過ぎていたのをまとめる意図だとは思いたいですが、動画メインといい、まともな戦略があるとは思えないんですよね。