本日は「仕事始め」ですが、今年の年末年始休暇に関しては、当ウェブサイト『新宿会計士の政治経済評論』は結局、ほぼ毎日のようにコンテンツの更新を継続したため、私個人的には「仕事始め」感がほとんどありません。ただ、1月2日から3日にかけて、当ウェブサイトでは取り上げ切れなかった重要な話題を1つ、紹介しておきたいと思います。それは、私たち日本国民にとっては非常に重要な、「わが国の国家元首」という話題です。
今日から実質、平成最後の年がスタート
本日は仕事始めです。
役所や多くの企業では、本日で年末年始休暇も終了し、いよいよ日本の平成最後の年、あるいは新元号元年が本格始動します。
当ウェブサイト『新宿会計士の政治経済評論』も例年であれば、仕事始めにあたる本日から更新を再開するはずです。しかし、今年に関していえば、当ウェブサイトで議論すべき様々な話題が年末・年始に集中したため、結局、年末年始もウェブサイト更新をほとんど休んでいない気がします。
こうしたなか、本当ならば昨日あたりに取り上げたかった話題が1つあります。
それが、これです。
新年参賀に平成最多15万人/陛下「世界の幸せ祈る」(2019/1/2 18:28付 共同通信より)
例年1月2日は宮中一般参賀が行われます。
ところが、今年に関しては天皇陛下御在位中で最後の一般参賀という事情もあり、平成最多の15万人超の人々が皇居に詰めかけたのだとか。
実は、私自身も2日は皇居に参内しようと思い、外苑で1時間少々待ちました。しかし、あまりにも人が多く、また、寒空の下で子連れであったという事情もあり、結局入場は諦めてしまいました。
やはり、親の責任として子供の体調を最優先にせざるを得ないためですが、この点については陛下に大変申し訳なく感じております。
驚くべき天皇陛下の「サプライズ」とお言葉
それはさておき、天皇陛下のお出ましは、事前の予定では午前、午後の合計5回だったそうです。しかし、共同通信はこれについて、
「皇居内には入れたものの、参賀に間に合わなかった人がいたため、急きょ両陛下の意向で回数が増やされる「サプライズ」もあった」
と報じています。
今上陛下が一般国民に対してかなりのお気遣いをなさる方であるということは私も強く意識しているのですが、まさか、ご高齢の陛下が回数を増やされるとは、まさに温かいご配慮にほかなりません。
また、今年も陛下のお言葉は
「本年が少しでも多くの人々にとり良い年となるよう願っています。年頭に当たり、わが国と世界の人々の安寧と幸せを祈ります」
というものだったそうです。陛下が「世界の幸せ」に言及されるのは例年のことでもあり、「当たり前のこと」のように勘違いしている人もいますが、冷静に考えてみると、これは非常に驚くべきことであり、ありがたい話でもあります。
ドナルド・J・トランプ米大統領あたりが「アメリカ・ファースト!」と叫んでいるという事実を例に挙げるまでもなく、昨今、どの国も自国のことばかり考えていますし、だからこそ、いつまで経っても世界から争いはなくならないのだと思います。
しかし、日本の天皇陛下は、毎年のように、「世界の」安寧と幸せを祈ると公言される高潔な人物なのです。
なぜ日本の天皇陛下がローマ法王猊下と並ぶ「世界的な権威」とされているのか、そして、なぜ日本が「世界の自由・民主主義国のリーダー」となるべき資格があるのか、その理由の一端がわかるような気がします。
私は日本国民の1人として、日本と「世界の」人々の安寧と幸せを祈るような人物を国家元首として戴いたことを、心の底から名誉に思います。
家族とともに元気に暮らす大切さ
ところで、私自身、気ままな独身時代には、明治神宮だの、靖国神社だの、皇居だの、さまざまな場所に出掛け、新年を謳歌していた気がします。ただ、家庭を持ち、子供がいると、「一人で」あちらこちらに出掛ける、ということは難しくなります。
また、今年の皇居のように、たくさんの人手でごった返しているような年だと、どうしても子連れで待つことが難しいこともあります。ちなみに宮内庁のウェブサイトによると、今年の154,800人という人数は平成最大だったそうですが、これは最も少なかった2006年の50,210人の3倍です。
ただ、私自身は今年は陛下のお言葉を直接に賜ることはできませんでしたが、やはり、誰かと一緒にどこかに出掛けるというのも良いものです。
とても月並みな話かもしれませんが、私の今年の目標は、「家族とともに元気に暮らす」を掲げたいと思います。
そして、仕事始めの本日、当ウェブサイトを訪れて下さる皆さまのご多幸を、心の底からお祈り申し上げたいと思います。
引き続き、当ウェブサイトのご愛読とお気軽なコメントを賜りますよう、何卒よろしくお願い申し上げます。
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私は孫と一緒に参賀に行きました。外苑で4時間近く並びましたが、陛下のお言葉を拝聴して感激しました。日本人で良かったと実感した次第です。
さて、政府も含めて退位という言葉が使われていますが、これでは退位した後の継承についての意味合いが含まれておらず、万世一系が途切れるような不安を感じます。
皇統を継ぐお方が居られて、継承されるのが判っているのですから、ここはやはりご譲位と申し上げるべきだと思いますが。
賛成です!
改めて確認してみると、不適切だと思います (もちろんまったくの素人ではありますが)
憲法で
『天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。』
連続性の問題で
であることから 譲位であっても 退位は ニュアンス的に大きく異なってきそうなきがします
マスコミの 造語 との話もある様子です
いつも更新ありがとう御座います。
あの混み合いでお子様が一緒では仕方ないことでよい判断だったと思います。とにかく一般参賀に行かれて列に並ばれたんですから思いは一緒です。もうすぐ天皇陛下がお目見えする直前で具合悪くなって運ばれた人が出た位ですから。
外人さんやロングヘアの若者、妻が前で私が後ろ見えないもんだから油断してたらスルリと間にはいってきたおばさん。皆さんたちと思いを共有してきて大変だったですが来てみて良かったです。
あくまで個人的な所感ですが、30年ほど前に比べ現在は天皇陛下へ敬意を払う日本人が圧倒的に多くなったように思います。
昭和〜平成初頭あたりは天皇陛下を「天皇」と呼び捨てにしたり「天皇制反対」と叫ぶ大人が多かった記憶があります。
斜に構えて反体制を気取るのがカッコいいと思われていた時代でした。
逆に今ほど左翼がバカにされている時代はないでしょうね。
パヨクなんて言葉が生まれるぐらいですし笑
更新ありがとうございます。
15万人という一般参賀、以前ずっと前は5、6万人の年もあったそうですから、最後の平成の天皇皇后両陛下のもとで、参詣させていただけるという事で、記録的人数でした。
小さいお子様連れは無理でしょう。今後、一般参賀以外にも、幼子を連れて出回る機会は減少すると思います。子供にもしもの事があったら、大変ですから。
徐々に母親の免疫力が少なくなり、自分で作っていくことになる。この時にインフルエンザとか風邪とか貰います。悪い事ばかり言ってすみません。ただ、男児よりは抵抗力が強いです。
私が勤務している病院でも、小児科は男児が多いようです。女の子は、体力ありますね(笑)。
こういう言い方は、不敬極まりないのですが、天皇制というコンテンツが戦後74年経ってもこれだけの経済効果、国益に与するとは終戦時の日本人は想像もしなかったでしょうね。
皇室の経費を問題視する左翼の連中は本当に経済観念が乏しいなあとさえ思います。
マッカーサーが権威を貶める目的で「記念写真」を撮ったのが逆に逸話になったり、昭和天皇が行幸を始めたときに、一目お目に掛かりたいと老婆がそばにいるのに気づかず通り過ぎた写真を昔見ました。
今上天皇陛下は「プルーギル放流はマジゴメン」発言とかさかなクンさんとのエピソードが好きです。
新宿会計士さま、皆さま、新年弥栄
本年も様々な視点からのご意見や論評を拝読して、少しでも思考の幅を広げて本質に迫れるようになりたく存じます。
新宿会計士さまがテーマとされましたので、ご存知かもしれませんが報道されていませんので、年頭に当たり天皇陛下の祭祀などについて記します。
「四方拝」天応陛下は、午前5時半、早暁の暗く冷え込む空気の中で、神嘉殿の前庭にて、まずは伊勢神宮、そして四方の神々に向かい、国の安泰と農作物の豊作などを祈られます。
「歳旦祭」次に午前5時40分から宮中三殿(賢所、皇霊殿、神殿)で行われる年始の行事で、天皇陛下のほか皇太子殿下も三殿のそれぞれに拝礼されます。
即ち「安寧と幸せを祈ります」とは、正月の早朝に宮中祭祀にて天皇陛下が実際に祈られたことを、お言葉にされておられるのです。この他、一年に最小でも十五、毎月の旬祭他を加えると一年に三十以上の祭祀を天皇陛下は行われておられます。(いくつかは掌典長の代拝もあるようですが、最小十五は欠かせないでしょう)。
豊作を祈願し感謝し、国の安寧と人々の幸福と繁栄を神に願う、これが古から連綿として続けられてきた祭祀であり、この観点から、天皇陛下は「祭祀の主宰者(国の祭りを執り行う者)」にて、「天皇=神」では有り得ません。昭和天皇が「神ではないのに、神ではないと宣言しなければならぬとは」と仰ったと、入江侍従長日記だったかに有ったと記憶しています。天皇を現人神にしたのは、明治以降、特に昭和の軍隊やら政府ですね。宗教との関係では、秋篠宮殿下のご発言は、やや憲法等の文言にとらわれ過ぎではないかと存じます。
なお、儀典の数々は明治時代に相当に復元と推測が加えられています。例えば、明治天皇の即位式は、津和野藩士福羽美静が公家を排し、維新官僚が主導する儀式を創設しています。また、ご存知神仏分離ですね。東大寺を創った聖武天皇の葬儀は仏教の荘厳が設えられ僧侶の読経が続き「仏に仕えるが如く」と続日本紀に記されています。そもそも宮中には仏壇があって、戦国時代から江戸時代を通じて泉湧寺が皇室の葬儀を行っていました。これらは明治になって全て廃されました。
今年は皇紀二六七九年、初代神武天皇から、10代崇神天皇、26代継体天皇、33代推古天皇、38代天智天皇など「皇統の節目」が有るとの説もありますが、天皇及び皇室は、憲法・天皇機関説・天皇制などと言った、頭の中の存在ではなく、我が国の君主として、権威として、象徴として、現実におわします。それもほんの数十年の言葉遊びによる議論ではなく、千年単位で実際に続いている存在です。
「退位」と言うは何ぞ、天皇陛下はご自身で「譲位」と仰り、皇后陛下はマスコミの言葉にショックをお受けになったとか。敬語を始めとして、日本語の使い方も、日本語による思考過程も、相当に揺らいでいるように感じています。
価値や判断の基準を、伝統や歴史の積み重ねの中に脈々と受け継がれる「常識」に求める立場からすると、変化するとしても急進的より漸進的であって欲しいと願うものです。
仕事始めの日に、長々と私見の駄文を失礼しました。本年も新宿会計士さまのますますのご活躍と、このサイトを訪れる皆様のご健勝ご多幸をお祈り申し上げます。
○「四方拝」天皇陛下
×「四方拝」天応陛下
小生、大馬鹿者です。